陸上競技をおおいに楽しもう!
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2000年シドニー五輪で2.23’14”の五輪新で優勝した表彰式後のQちゃんスマイル小出監督がいつもそばでアドバイスシドニー五輪前のボルダーでの練習風景 先日(10月25日)高橋尚子選手(ファイテン)は,11月18日に開催される東京国際女子マラソンの出場を見送った とマネージメント会社が発表しました。この発表を耳にしたとき,私は次の3つの可能性を考えました。1)現在ボルダー(アメリカのコロラド)で調整中だが,上手く仕上がっておらず,来年のマラソンに出場する。---- 11月の東京国際女子の結果から,来年のレースのペースを決めようとしているかもしれません。2)ボルダーでの調整中に,持病の右脚の故障(または疲労)がよくなく,治療を兼ねて11月上旬に帰国する。マラソンの参加は,来年の3月の名古屋にする。3)これは考えたくないのですが,再びマラソンの好記録を望めないので,レースをせずに現役を引退する。今後は,講演やイベントなどに講師,ゲストランナーなどとして参加し,後進の指導を行う。いずれにせよ,高橋選手の今後は「 厳しい道 」しか残されていません。3)の場合は,一見すれば「 楽しい道 」と思われる方が多いかもしれません。でもそうではなく,一般の方と走ったり,教えたりは今までも行ってきましたが,今度は選手と兼任ではなく,コーチングが専門となります。教えるのも,十把一絡げの片手間から,1人1人を相手にするマントゥーマン方式での活動が主になります。従って,1からの出直しといってもいいくらいです。理論と実践をを結び付けるに当たって,今までのとは違うものを出さなければならず,新規の考えや今まで実施してきたことの見直しも必要となってきます。1998年のアジア大会で猛暑の中世界記録に迫る好記録2.21’47”を出したときの高橋尚子選手 では,高橋選手の選手生活を主なマラソンの記録とともに振り返ってみます。1997年1月(24才)大阪国際でマラソンデビューも7位に終わる。1998年3月(25才)名古屋国際で2時間25分48秒の日本最高記録(当時)で優勝。1998年12月(26才)バンコクアジア大会で2時間21分47秒の日本最高記録(当時)で優勝,当時の世界最高記録にあと1分と迫る快記録で世界に名前を轟かせる。2000年3月12日 (27才)シドニーオリンピック選考会の名古屋国際で2時間22分19秒の好タイムで優勝 ---- 後の選考会でシドニーに出場決定2000年9月(28才)シドニーオリンピックで2時間23分14秒の五輪新で優勝。2001年9月(29才)ベルリンで2時間19分46秒の世界最高記録(当時)で優勝。2002年9月(30才)ベルリンで2時間21分49秒で2連勝。2003年11月(31才)東京国際女子で35kmから失速し,2時間27分21秒と2位に終わる。2004アテネオリンピックの選考から漏れる。2005年11月(33才)東京国際女子で2時間24分39秒,再起の優勝。2006年11月(34才)東京国際女子の雨の中のレースで30kmから失速し2時間31分22秒,3位に終わり,世界選手権の代表から漏れる。1979年~2003年の女子マラソンの 日本,世界記録の推移 この年表のように,高橋選手のマラソンでの競技生活は今年で11年目にあたります。いずれのレースもテレビ観戦していますが,30才を超えてから,小出義雄監督(現佐倉AC監督)の元を離れました。航空会社,次は補助栄養食品会社のスポンサーの下で,コーチングスタッフも代わり練習の仕方も微妙に変化してきたようです。また,シドニー五輪での優勝,ベルリンで世界最高記録の樹立を最高点として,脚の故障(肉離れ等)が良くおきるようになってきました。以前は,ハーフマラソンによく出場していたし,タイムも1時間10分を切っていたか,ほぼその当たりでスピード感が養われていたと思います。彼女の5,000m~マラソンまでの最高記録を振り返ってみました。 5,000m 1998.5 15’21”15 10,000m 1996.6 31’48”23ハーフマラソン 2000.1 1.08’55”マラソン 2001.9 2.19’46”ここで解かることは,トラック種目やハーフマラソンでの参加でスピード練習の成果をはっきりと感じていたことでしょう。冬季の駅伝でも10km当たりに換算して31分をも切るタイムを出しています。5,000mでは世界選手権の代表になったことも。 ですから,非常に練習の量,内容が体力にマッチしていて,好調を維持していたと考えられます。この期間で,マラソンのレースでの類まれなスピード,スタミナ,レース運び等のトップ選手として重要な要素を吸収,自分のものにしたと思われます。所属が変わってからは,アメリカでハーフマラソンに出場されていましたが,タイム,順位ともあまり高レベルではありませんでした。(練習の一環と見ればそこそこともいえますが)そこで,シドニーまでに精神的にも肉体的にもすべてのエネルギーを費やしてしまった嫌いがあります。2001年のベルリンでの世界最高,2002年ではおなじベルリンでも終盤のタイムがかかっています。 2003年以降のレースでは,常に脚の故障(肉離れなど)との戦いだったようです。30kmまでは順調にか普通に記録が狙えるレース運びをされていましたが,そこからのペースダウン程度で済めばよかったのです。しかし,一挙の失速には,一般の人の「 勤続疲労 」とも思われる「 体力の衰え 」とも受け取れるような気がします。故障がちなのは,無理~無理の悪循環になってしまっていて,マラソン競技での対応には相当な体力,気力に基ずく練習量と質が伴わないといけないと考えられます。今後の高橋選手はどのような体調にまで回復できるのでしょうか。全盛期(今までも示しましたが,1998.12のバンコクでのアジア大会であの猛暑にもかかわらず,世界記録並に飛ばしていけたことからです)から2~3年が維持できた期間と思います。今季は,ハーフにも参加できず,調子云々が全然つかめません。その筋の方は知っていると思いますが,想像してみるほかはできません。たぶん,脚も故障がちで,距離を踏んだ練習でのスタミナに自信がないとも。スピード練習は充分ではないかもしれません。今後の可能性の中では,現在の自身の状態を充分把握して,英断も時には必要かもしれません。私も含めて高橋選手のファンは多数いると思います。できれば,あの元気なQちゃんスマイルを再び見たいものです。けれども,もう充分に活躍されてきて,日本はもちろん世界の陸上界に多大な貢献をされてきたと思います。これからの高橋尚子選手の去就を見守りたいと思います。
2007.10.28
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