Tsunami氏寄稿、SCRAP記事、写経・感想など 326
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(チェコ その3 から続く) GDP:億ドル2,415億米ドル(2020年,IMF)一人当たりGDP:22,578米ドル(2020年,IMF)実質GDP成長率▲5.6%(2020年,IMF)物価上昇率3.2%(2020年,IMF)失業率2.7%(2020年,IMF)貿易収支 153億ドル(2020年、チェコ統計局)貿易額:輸出A1,925億ドル(2020年、チェコ統計局)同 :輸入B1,772億ドル(2020年、チェコ統計局)貿易品目:輸出自動車及び関連機器、電気機器、産業用機械類、化学製品同 :輸入自動車及び関連機器、電気機器、産業用機械類、鉱物資源貿易相手国:輸出ドイツ(32.7%)、スロバキア(7.6%)、ポーランド(6.2%)、フランス(4.7%)、オーストリア(4.1%)、イギリス (4.1%)、オランダ (4.1%)、イタリア(3.9%)、日本(0.5%)同 :輸入ドイツ(23.3%)、中国(18.1%)、ポーランド(7.9%)、イタリア(4.1%)、スロバキア(4.1%)、フランス(2.9%)、オランダ(2.9%)、オーストリア(2.7%)、日本(1.7%)(2020年、チェコ統計局)対日貿易収支▼420億円(2020年)対日輸出 1,594億円(2020年) 輸出品目電気機器、一般機械、輸送機械対日輸入1,174億円(2020年) 輸入品目一般機械、金属材料、電気機器進出日系企業数276社(2021年2月現在、在チェコ日本大使館・ジェトロプラハ事務所)日本の直接投資(2021年2月累計)37.82億米ドル主要事例:TV製造、自動車製造等世界遺産(文化遺産)1.プラハ歴史地区2.チェスキー・クルムロフ歴史地区3.テルチ歴史地区4.ゼレナー・ホラの聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会5.クトナー・ホラの聖バルボラ教会のある歴史地区とセドレツの聖母マリア大聖堂6.レドニツェとヴァルティツェの文化的景観7.クロムニェジーシュの庭園群と城8.ホラショヴィツェ歴史地区9.リトミシュル城10. オロモウツの聖三位一体柱11. ブルノのトゥーゲントハット邸12. トシェビーチのユダヤ人地区と聖プロコピウス教会
Dec 24, 2012
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(チェコ その2 から続く) チェコ共和国<資料出所:外務省、CIA,JETRO,WIKIPEDIA、 世界経済のネタ帳など>国名チェコ共和国Czech Republic幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)77位通貨チェコ・コルナ(Kc)1コルナ=約5.03円(2021年4月末値)国旗販社:さらご旧チェコ・スロヴァキア連邦共和国の国旗をそのまま使用しており、白は清潔を、青は空を、赤は自由の為に流された血を表わしている。また、白はモラビア地方を、青はスロバキア地方を、赤はボヘミア地方を表わしているとも言われる。国花菩提樹国の標語Pravda vítězí(チェコ語: 真実は勝つ)面積:平方キロ78,866平方km日本の約1/5国の位置歴史的には中欧の概念ができた時点から中欧の国であった。ソ連の侵攻後、政治的には東欧に分類されてきた。ヨーロッパ共産圏の消滅後、再び中欧または中東欧に分類される。国土は東西に細長い六角形をしており、北はポーランド、東はスロバキア、南はオーストリア、西は独と国境を接する。人口:千人1,069万人(2020年12月末、チェコ統計局)人口密度:/平方キロ136人首都プラハ人口:133.7万人(2020年12月)民族チェコ人69%、その他スロバキア人、ウクライナ人、ベトナム人等(2011年国勢調査)言語チェコ語宗教カトリック10.4%、無信仰34.5%(2011年国勢調査)政体共和制元首ミロシュ・ゼマン(Miloš ZEMAN)大統領(2018年3月就任、2期目、任期5年)議会2院制(下院200名 任期4年、上院81名、任期6年)政権首相 ペトル・フイアラ市民民主党(ODS) 2021年11月任命野党5党連合(SPOLU)を率いる退陣はアンドレイ・バビシュ(2018/7~2021/11)外交基本方針(1)「欧州への回帰」を大目標に、EU及びNATO加盟を目指し改革を進めた。(2)1995年12月には、いわゆる移行経済国として初めてOECD加盟実現。(3)1999年3月にNATOに正式加盟。(4)1998年3月からEU加盟交渉を開始、2004年5月1日に正式加盟。(5)2009年1月から6月までEU議長国を務めた。(6)チェコの外交・安全保障政策は、EU及びNATOにおける連帯を基本としつつ、ヴィシェグラード諸国(V4=チェコ、スロバキア、ハンガリー、ポーランド)との協力や国連等の場におけるマルチ外交も積極的に展開。(7)投資誘致等のため経済外交を重視しており、近年ではアジア諸国等欧米以外との関係も強化。軍事(1) 予算 32.8億ドル(2) 兵役 徴兵制度を2004年で廃止し、職業軍人化(3) 兵力 2.49万名(2021年)主要産業機械工業(自動車をはじめ)、化学工業、観光業経済概況(1) 1989年の民主革命後、市場経済移行のための経済改革を実現。(2) 1993年スロバキア分離・独立を経、1994年には経済成長率がプラスに転じる等順調な成長の一方、低失業率、比較的安定したインフレ率の維持で、「チェコ経済の奇跡」を実現。(3) しかし、その後法制度の未整備等から不正蓄財横行、不良債権蓄積、通貨危機等の問題に直面。(4) チェコ経済は一時深刻な不況に陥り、1997年から1999年まで3年連続マイナス成長を記録するも、直接投資拡大が景気牽引役で設備投資全体が回復、1999年以降プラス成長が続く。(5) 欧州経済低迷の中、内需拡大、輸出増加により2005年以降6%台の高い成長を続けたが、2008年に入ると物価上昇、チェココルナ高影響を受け、緩やかに景気は減速。さらに、同年9月の国際金融危機以降、主要貿易相手国の景気低迷を受け、急激に景気低迷、2009年には-4.7%まで減速。(6) 独をはじめ周辺諸国の景気回復に伴い、2010年には2.5%の成長となった後、2011年は1.9%の成長となるが、欧州債務危機等の影響で、2012年~13年はマイナス成長。2014年には2.7%まで回復、19年には2.5%であったが、20年にはコロナ禍でマイナス。近年は労働力不足が製造業の課題。他方、チェコ政府は、財政赤字削減のため、緊縮財政政策を堅持。(7) ユーロ導入時期は未定。(チェコ その4 に続く)
Dec 24, 2012
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(チェコ その1 から続く) 1918年-1938年<第一共和国>第一次世界大戦後、チェコとスロバキアが合同し、チェコスロバキア共和国成立。トマーシュ・マサリク大統領の下で、民主主義体制を堅持。しかし、国内に300万人を数える独系住民(ズデーテン・独人)に代表される少数民族問題は解決されることなく、大恐慌による経済の悪化も重なり、逆にヒトラー政権に利用される。1938年-1939年<第二共和国>ミュンヘン協定で、ズデーテン地方を独に割譲。一方、この隙に乗じポーランドは、争点でのザオルジェ地方に進駐、これを占領。翌1939年にはナチス・独が進駐、チェコスロバキアは解体、ボヘミア・モラヴィア地方が独保護領となる。1939年-1945年<独の占領期>1945年<第二次世界大戦後、独立回復>ナチス・独敗走の結果、ソ連軍が国土の大半を「解放」。ロンドン亡命政府、共産党の連立政府発足。「東西の架け橋」を標榜する、ベネシュ大統領は、独系、ハンガリー系住民の市民権剥奪、私有財産没収を命じ、領内250万人超の独系住民を追放。1946年、選挙で、共産党がなんとか第1党になり(スロヴァキアでは、第2党)共産党指導者首班の内閣が成立。1947年、マーシャル・プランへの参加を表明するも、ソ連の圧力で撤回。「一国の外相としてモスクワへ行ったが、ソ連の下僕としてプラハに戻ってきた」ように、日増しにソ連、共産党からの圧力が高まる。1948年<共産主義体制確立>非共産党系閣僚がベネシュに辞表を提出、ゴットワルト内閣の総辞職を目論むが、共産党は労働組合などを動員、ベネシュに圧力をかけた。結局、ベネシュは辞表を受理し、共産党と社会民主党左派政権が成立、チェコスロヴァキアにおいて共産化が完了(二月事件)。3月、閣内に残るヤン・マサリクの暗殺説が囁かれるなか、政府は事故死として事件を収拾。ベネシュは大統領職を辞し、9月3日に死亡。1948年~<共産党体制の時代>ベネシュに代わり、大統領に共産党指導者クレメント・ゴットワルトが就任。基幹産業の国有化、農業集団化を推進、ソ連型社会主義を建設。またソ連・ユーゴ対立の影響で、国内で「チトー主義者」に対する粛清・弾圧、スロヴァキア自立を求める者などに及んだ。1953年、スターリンの葬式から帰国したゴットワルトが死去。党第一書記には、アントニーン・ノヴォトニーが、大統領にはアントニーン・ザーポトツキーが就任。1956年のソ連共産党第20回党大会におけるスターリン批判は、隣国ポーランドとハンガリーで体制危機を招いたが、チェコスロヴァキアでは、その影響は体制を揺るがすまでには至らなかった。1960年に発布された憲法によって、国名はチェコスロヴァキア社会主義共和国となり、社会主義建設は順調に進んでいることを内外に印象付けた。1968年 <プラハの春事件>しかし、1960年代に入ると、経済成長の鈍化、スロバキアの自治要求、知識人や学生などからの批判が高まり、1968年1月、ノヴォトニーに代わって、アレクサンデル・ドゥプチェクが党第一書記に就任。「人間の顔をした社会主義」を掲げ、言論の自由化や計画経済への市場原理の導入、粛清犠牲者の名誉回復といった共産党体制の改革を進めた(毎年春開催の音楽祭にちなみ「プラハの春」と呼ばれる)。8月、"西側化"を危ぶむソ連がワルシャワ条約機構軍を介入、鎮圧(チェコ事件)、「プラハの春」は終わった。1969年4月、ドゥプチェクは党第一書記を解任され、代わってグスターフ・フサークの「正常化体制」が始まり、改革に賛同の党員、知識人などを公的生活から追放。1977年、哲学者ヤン・パトチカや劇作家ヴァーツラフ・ハヴェルなどが憲章77を発表、政府の人権抑圧抗議運動を起こす。反体制派の合議組織「市民フォーラム」(Občanské fórum:OF)結成。1989年11月17日民主革命(「ビロード革命」)により共産主義体制が終結1989年11月17日、全国民の75%が参加したゼネストが正午から午後2時まで国内全土で行われた。ビロード革命により共産党体制が崩壊した。大統領にハヴェルが、連邦議会議長には、ドゥプチェクが就任した。1993年1月市場経済への移行政策や連邦政府と共和国との権限配分をめぐって、チェコとスロバキアの対立が深まり、1993年1月にスロバキアとの連邦を解消しチェコ共和国に。1995年11月OECD加盟。1996年クラウス中道・右派連立政権下で経済は安定化していたが、春の下院選挙で左派の社民党(CSSD)が大躍進、第二次クラウス政権は少数内閣となる。1997年11月与党市民民主党(ODS)の政治献金疑惑を契機にクラウス政権は総辞職。1998年6月繰り上げ選挙でCSSDが第一党となるが、左派、右派とも単独過半数をえられず、右派ODSの閣外協力支持のゼマンCSSD政権が成立。1999年3月NATO加盟。2002年6月下院選挙でCSSDがなんとか第一党を保ち、基督教民主連合-人民党(KDU-CSL:中道)、自由連合-民主連合(US-DEU:右派)間の政策協議・連立交渉で翌月、シュピドラ連立3党政権が成立。2003年2月民主化革命後約13年間大統領を務めたハヴェルが退任。決選投票でクラウス元首相(ODS)が大統領に選出される。2004年5月シュピドラ連立3党政権はEU加盟を成し遂げたが、欧州議会選挙での敗北を受けて同首相は辞任。グロス首相の下で第2次3党連立内閣が発足。2004年11月上院選挙(1/3改選)で敗北、政治スキャンダル等が加わりグロス首相が退陣、2005年4月パロウベク内閣が発足2006年6月下院選挙実施後の野党第一党・市民民主党(中道右派:ODS)党首トポラーネクの少数内閣が一度は下院の信任を得られず総辞職した後、翌年1月に第二次内閣として再度成立。2008年2月クラウス大統領が再選。2008年10月上院選挙(1/3改選)、地方選挙で野党第一党社会民主党(CSSD)が躍進。2009年3月下院で内閣不信任案可決を受けて内閣総辞職。フィッシェル選挙管理内閣発足。2010年5月の下院選挙では、多数党派を組めない第一党CSSDに代わり、第二党ODSが音頭を取り、新党「TOP09」、「公共の物(VV)」との連立に成功、ネチャスODS党首が7月に組閣した。2010年10月上院選挙(1/3改選)では、最大野党CSSDが票を伸ばして、上下両院に捻れが発生。12月には副首相のVVからの離党、3党の連立解消が合意、3党から新たに構成し直した、新党LIDEMの連立政権が下院で承認された。2012年10月上院選挙(1/3改選)では、最大野党CSSDが票を伸ばして、上下両院に捻れが一層強まった。左派政党を合わせると、上院の安定多数である60%の議席を確保している。2013年1月任期満了に伴う大統領選挙が、初めて直接選挙により実施され、2回にわたる投票を経てゼマン元首相が選出され、3月8日に正式に就任した。2013年6月ネチャス内閣が政治的スキャンダル等により辞任したことを受け、同年10月に下院繰り上げ総選挙が行われた。この結果、第一党となったCSSD、同選挙で初めて議席を獲得した新政党ANO(「Yes」という意味の政党名)、キリスト教民主同盟-人民党(KDU-CSL)の3党からなる連立政権が樹立され、2014年2月に下院による信任を受け、ソボトカ内閣が発足した。2017年10月実施された下院総選挙において、ANOが第一党となり、長期連立交渉の結果、7月にバビシュ内閣が発足した。また、2018年1月には大統領選挙が実施され、決選投票を経て現職のゼマン大統領が再選された(2期目の任期は3月から)。12021年10月下院総選挙では、単独政党としてはANOが議席数において僅差で第一党を維持するも、SPOLU(「共に」の意味の右派野党連合)とPirSTAN(海賊党と首長連合(STAN)の中道連合)による二大野党連合が過半数の議席を得る結果となり、野党5党の連立を纏めたフィアラ氏が11/28ゼマン大統領の任命を受けた。(チェコ その3 に続く)
Dec 24, 2012
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希望がなければ、最後の「写経・基本事情」である。プラハを中心にした"Čechy"(チェヒ、ラテン語ボヘミア)、ブルノを中心とした"Morava"(川の名称、ラテン名・モラヴィア)、さらにポーランド国境近くの "Slezsko"(シレジア)の3つの地方がチェコ共和国を形成している。牧童の服装がアメリカのカウボーイの服装に伝わり、芸術家気取りの服飾がボヘミアンと言われたりする。有名なカレル(Karel)橋やプラハ・カレル大学が神聖ローマ帝国カール(Karl)4世=ボヘミア王カレル1世から来ているとは思わなかった。そういえば、ドイツ語の巻き舌は凄い音がする。仏語でもシャルル(Charles)だからヨーロッパでは語形が変化しっぱなしだ。気候変動を契機とした、ゲルマン民族大移動などで極度に混乱した「暗黒時代」が続いたのだから、この程度の文字の変化は仕方がないかも知れない。文字の変化がこの程度で収まったり、ローマ時代の文化が後世に伝わったのは、教会・「修道院」の役割が大きかったのだろう。新世界に飛び出していった人々の意欲に夢があるのも理解できる。良い物には、必ず悪い物がついて回ることも判る。マイナスよりプラスの面があることに希望を持ちたい。/////////////////////////////// チェコ共和国 略史<資料出所:外務省、WIKIPEDIAなど>年月略史7~10世紀チェコは、ケルト系先住民ボイイ人の名からボヘミア(独:ベーメン:Böhmen)と呼ぶ広大な西部盆地と、モラヴィア丘陵からなる。西スラヴ系のチェック人(Czechs)が定着、7世紀、フランク商人サモがモラヴィアに国家を建設(サモ国)。サモの死後滅亡したが、その基礎は次のモラヴィア王国に受け継がれ、これがマジャル人の進出で衰退する。10世紀<プシェミスル朝900-1003年>10世紀、チェヒ国をプシェミスル家が建国。ボヘミアにはヴァーツラフ1世が王に即位しボヘミア王国が成立した。10世紀の終わりにはカトリックを受容。1003年-1004年)<ピャスト朝>(1003年-1004年)1003年、ポーランド公家であるピャスト家のボレスワフ1世(後のポーランド王国初代国王ボレスワフ1世勇敢王)がチェコ全土を武力で制圧し、ポーランド公ボレスワフ1世兼ボヘミア公ボレスラフ4世となった。1004年-1306年<プシェミスル朝>11世紀、独人の移住で、独文化が浸透。13世紀、ボヘミア王国は豊富な鉱物資源、商業勃興で繁栄し、ハンガリー、バーベンベルク家断絶後のオーストリアにも勢力を延伸。1212年オタカル1世のボヘミア王国は神聖ローマ帝国により選帝侯と認められた。オタカル2世は神聖ローマ皇帝選挙で敗北、領地の大半を没収され、ついにはハプスブルク家・神聖ローマ皇帝ルドルフ1世に敗死、プシェミスル王朝は途絶。1310年-1437年<ルクセンブルク朝>プシェミスル朝断絶後、ドイツ系ルクセンブルク家がボヘミア王を世襲。国王カレル1世が神聖ローマ皇帝カール4世に即位、1348年にプラハ・カレル大学を創立、プラハはヨーロッパ文化の中心となる。15世紀、教会大分裂が起き、プラハ・カレル大学の総長のヤン・フスが英国のウィクリフの影響をうけ教会世俗権力を否定。ローマ教皇の逆鱗にふれ、フスとプラハ市は破門され、1414年のコンスタンツ公会議でフスは異端として火刑となる。1419年にはフス戦争が勃発。ボヘミアにおけるフス派は穏健派(ウトラキスト)と急進派(ターボル派)に分かれて対外戦争と内部抗争を続け、17年後1436年にフス戦争は終結。翌年ジギスムントは死去。ルクセンブルク王朝断絶し、神聖ローマ皇帝にハプスブルク家のアルブレヒト2世が即位。1437年-1918年<ハプスブルク家の統治>しかし、ポーランド王国(ヤゲロー朝)、ハンガリー王国と実質的な支配者は転々。オスマン帝国がモハーチの戦いでハンガリーを滅ぼすと、ボヘミア議会はフェルディナント1世をボヘミア王に選出。ボヘミアは領主階級から地主階級へと変質した貴族による議会がボヘミア王を選挙。ハプスブルク家が神聖ローマ皇帝、ボヘミア王を兼任し、プラハは神聖ローマ皇帝の王宮、政治や文化の中心として発展。とりわけルドルフ2世(在位:1576年 - 1612年、ボヘミア王は1575年 - 1612年)は、プラハ城を主たる居城とし、文化や芸術を保護し、文化的に大いに繁栄。 <三十年戦争>当時ボヘミアではフス派、ルター派のプロテスタント勢力に対し、歴代皇帝はカトリックを推進、両者の争いは激化。しかし、ボヘミアは選帝侯領で、皇帝即位の票固めから、歴代皇帝はある程度の妥協をした。、1618年、敬虔なカトリック信徒・フェルディナント2世は、ボヘミア王に即位すると、プロテスタントを弾圧。民衆が1618年にプラハ窓外投擲事件を起こし、プロテスタント諸侯たちも反発。翌年、フェルディナント2世がボヘミア王兼任のまま神聖ローマ皇帝に即位すると、ボヘミア議会はフェルディナント2世を廃し、新教徒のプファルツ選帝侯フリードリヒ5世を新国王に選出。皇帝は鎮圧軍を派遣し、三十年戦争(1618年~1648年)が始まる。諸侯は、1620年、白山の戦いで大敗、フリードリヒ5世はわずかで王位を追放(冬王)。戦後、プロテスタント勢力は一掃。1627年の新領法条例によって、議会は権力を奪われ、ボヘミアはハプスブルク家の属領となる。多くのボヘミア貴族や新教徒が亡命し、ヨーロッパ各地に分散。1638年、スウェーデン軍のボヘミア侵攻でボヘミアに4万近くあった村落が約6000に減るほど荒廃し、人口が激減。1648年にはスウェーデン軍にプラハが包囲され、王宮歴代の国王(特にルドルフ2世)が収集した美術品の多くがクリスティーナ女王の下へ持ち去られた(バチカン美術館が収蔵)。1648年に戦争は終結。この条約で新教徒(特にカルヴァン派)の権利が認められる。他方、ハプスブルク家のボヘミア王位が確立。ボヘミア王を兼ねる皇帝の王宮はウィーンとなり、プラハは人口が激減。また、チェコ語の使用禁止など、宗教的・文化的弾圧を受け、チェコは独自の文化を失い、ドイツ化が急速に進展、19世紀初頭まで続く長い「暗黒の時代」を迎える。 (チェコ その2 に続く)
Dec 24, 2012
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リヒテンシュタイン公国の基本事情(2010年)略史<外務省> ヨハン・アダム・アンドレアス公が、1699年、シェレンベルク領(現在の低地部)を、ついで1712年、ファドーツ領(現在の高地部)をそれぞれ購入し、公国の基礎を固める。年月略史1719年神聖ローマ帝国カール6世が両領に対し自治権を付与、リヒテンシュタイン公国に昇格。1852年オーストリアと関税同盟締結。1919年オーストリアが第1次大戦に敗北、ハプスブルク帝国崩壊。 →リヒテンシュタイン、オーストリアとの関税同盟を解消。 1921年憲法制定1923年スイスと関税同盟を締結、スイス・フランの導入。1975年OSCE(欧州安全保障協力機構)加盟1990年国際連合加盟1991年EFTA(欧州自由貿易連合)正式加盟1995年EEA(欧州経済地域)加盟、WTO加盟2003年憲法改正 <外務省、WIKIPEDIAなど>国名リヒテンシュタイン公国通貨スイス・フラン(CHF)(2012年7月現在、1スイスフラン=約81円)国花オレンジリリー国旗青が空を、赤は炉の火を表すとされ、冠は人民と統治者が一体であることを表している。国の標語Für Gott, Fürst und Vaterland(ドイツ語: 神・公・祖国のために)面積:平方キロ:A160平方km小豆島くらい人口:千人:B35千人(2009年末)労働者の約半数はスイス、オーストリアから毎日越境通勤している。人口密度:/平方キロ B/A219人首都ファドーツ(人口5千人)東京からの大気圏距離:9,569km時差:サマータイム JST-7時間 冬時間 JST-8時間民族主としてゲルマン民族(外国人1/3)言語独語宗教カトリック約80%、プロテスタント約8%、イスラム教約5%政体立憲君主制元首ハンス・アダム2世議会一院制政権(1)首相 クラウス・チュッチャー(祖国連合、VU)(2)外相 アウレリア・フリック(進歩市民党、FBP、女性)、VUとFBPの連立政権軍事非武装中立政策外交と同じく、1919年の合意に拠り、スイスが防衛を担当している。独自の軍事力を持たず、100名ほどの警察のみを保有している。主要産業精密機械、牧畜、医療機器、国際金融、切手<タックスヘイブン>GDP:億ドル 54.5億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル GNI 140,468ドル実質GDP成長率 2.2%貿易収支(国際収支)A-B 15.3億ドル貿易額:輸出A 37.5億ドル(2011年)同 :輸入B 22.2億ドル(2011年)対日輸出 6300万ドル(2011年)対日輸入 1000万ドル(2011年) ***世界が羨むリヒテンシュタイン侯爵家秘蔵のコレクション 約140点ついに日本初公開*** 優れた美術品収集こそが一族の栄誉との家訓のもと、 500年以上にわたってヨーロッパ美術の名品を収集。 その数は3万点に及び、英国王室に次ぐ世界最大級 の個人コレクションといわれる。 ルーベンス、ラファエッロ、クラナッハ、レンブラント、 ヴァン・ダイクなど名画あり。 2012年10月3日(水)~12月23日(日・祝) 国立新美術館 2013年1月5日(土) ~ 3月7日(木) 高知県立美術館 2013年3月19日(火)~6月9日(日) 京都市美術館 詳しくは:下記http://www.asahi.com/event/liechtenstein2012-13/news/AIC201206250010.html
Jul 30, 2012
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モナコ公国の基本事情<外務省、WIKIPEDIAなど>略史年月略史1297年グリマルディ家がモナコを占拠1861年モナコ独立1911年モナコ憲法制定1918年フランス・モナコ保護友好条約締結1940年イタリアによる占拠1943年ドイツによる占拠(1956年4月)(モナコ公国レーニエ3世と米国女優グレース・パトリシア・ケリーがモナコ大聖堂で挙式。「クール・ビューティ」の女優から公妃となるが、後に、二女との同乗運転中の自動車事故で自らは死亡。)1962年新憲法採択1993年国連加盟2005年レーニエ3世公死去アルベール2世公(母:グレース・ケリー)即位フランス・モナコ友好協力条約締結 国名モナコ公国通貨ユーロ(EUには加盟していないが、EC(欧州共同体)と通貨協定を締結しユーロを公式通貨として使用)国花カーネーション国旗上下に赤・白で均等に塗り分けられた二色旗。国の標語Deo juvante (ラテン語, With God's help)面積:平方キロ2.02平方kmバチカン市国に次いで世界第2の小国人口:千人35,881人(2009年)人口密度:/平方キロ17,763人首都モナコ市東京からの大気圏距離:9,968km時差:サマータイム JST-7時間 冬時間 JST-8時間言語フランス語(公用語)宗教カトリック(国教)政体立憲君主制元首アルベール2世(2005年即位)王位継承は男子優先の長子相続。議会一院制政権アルベール2世公の下に、政府を代表する国務大臣が任命され、5名の政府顧問(大臣に相当)が国務大臣を補佐する。5名の政府顧問は、対外関係省、財務経済省、内務省、社会問題保健省、設備・環境・都市計画省をそれぞれ所掌する。国務大臣:ミシェル・ロジェ対外関係・国際経済財政担当相:ジョゼ・バディア軍事モナコは警察部隊のみを有し、軍事力を有しておらず仏によって領土の防衛を約束されている。主要産業 観光業、金融業先代の故レーニエ3世公の下では、主に観光業、工業(化学、精密機器等)を中心に発展。現アルベール2世公は経済分野の一層の多様化に向けて、金融業の他、環境、バイオテクノロジーや医療研究等の高付加価値産業を重視。<タックスヘイブン><カジノやGRAND PRIXでも有名>GDP:40億269万ユーロ(2009年)一人当たりGDP:54,464ユーロ(2009年) モナコグランプリ(Monaco Grand Prix)はモナコ公国のモンテカルロ市街地コースで行われるF1のレースのひとつ。インディ500、ル・マン24時間レースと並び「世界3大レース」の1つに数えられ、現在ではF1のイメージリーダーともいえる名物レースとなっている。
Jul 29, 2012
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サンマリノ共和国の基本事情(2010年)<外務省、WIKIPEDIAなど>略史 4世紀初頭、ローマ皇帝によるキリスト教徒迫害を逃れるため、マリーノという石工がこの地にたてこもり、信徒を集め共同体を作ったのが建国の伝説とされている。中世にも天然の要塞を利用し外敵の侵入を防ぎ、自由と独立を守り続けた。1631年にローマ法王により独立的地位を認められた。1862年にイタリアとの友好善隣条約を結び近代国家としての主権と独立を確立した。国名サンマリノ共和国通貨ユーロ国花アキザキシクラメン国旗青・白地に国章の入った旗。国章は盾の中に、3つの丘に3つの塔が立ったものに、リースと王冠が飾られ、下には「LIBERTAS(自由)」と言う文字が入った帯がある。国の標語Libertas(ラテン語: 自由)面積:平方キロ61.2平方km人口:人31,534人人口密度:/平方キロ515人国の位置イタリア半島の北東部、アペニン山脈の東麓にある世界最古の共和国。首都サンマリノ東京からの大気圏距離:9,698km時差:サマータイム JST-7時間 冬時間 JST-8時間言語イタリア語宗教カトリック教政体共和制元首執政2名。6ヶ月毎に議会の議員の中から互選し、毎年4月1日と10月1日に就任。マウリツィオ・ラッティーニ執政(2012年4月就任)イタロ・リーギ執政(2012年4月就任)議会一院制政権「サンマリノのための協定」連合(連立与党・中道右派)国家評議会。任期は議会の立法期に同じ。首相職はなし。アントネッラ・ムラローニ外務・政務・通信・運輸長官軍事通常の意味での軍隊は存在せず、城塞警備隊、大評議会衛兵憲兵隊及び民兵隊よりなる護衛隊が任務にあたる。主要産業観光、金融、繊維、電気、製陶等<タックスヘイブン>GDP:億ユーロ10億4800万ドル(2004年、WIKIPEDIA)8.16億ユーロ(2009年) 一人当たりGDP:ドル34,600ドル(2001年、WIKIPEDIA)物価上昇率3.0%(2009年)失業率3.7% (2009年)より増加傾向貿易収支(国際収支)A-B4億ユーロ貿易額:輸出A21億ユーロ同 :輸入B17億ユーロ貿易品目:輸出建築用石材、石炭、木材、栗、小麦、ワイン等同 :輸入消費財全般、食料品等貿易相手国:輸出輸出の約85%は対イタリア、東欧、南米、中国、台湾同 :輸入伊、東欧、南米、中国、台湾等対日輸出2.93百万ユーロ対日輸入4.16百万ユーロ
Jul 28, 2012
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アンドラ公国の基本事情<外務省、WIKIPEDIAなど>略史(1)10世紀以来、宗主のウルヘル司教と、司教から封土としてアンドラを与えられていたフォア伯爵との間で統治権をめぐる争いが発生した結果、両者は、1278年に対等の封建領主権(徴税権、裁判権、徴兵権)を共有する「対等の宗主契約」を結び、以後、両者がアンドラの共同領主となった。(2)共同領主の地位は、司教側で現在に至るまで代々ウルヘル司教に引き継がれているが、フォア伯爵側では当時のフォア伯爵がフランス王(ブルボン朝初代のアンリ4世)として即位して以来、フランス国王に引き継がれ、フランス共和国となった後はフランスの国家元首(大統領)に継承されている。(3)1993年2月には新憲法がアンドラ国会で可決、同年3月住民投票で賛成多数で承認され、アンドラは国家として独立した。フランス及びスペインは1993年6月1日に、アンドラ公国を主権国家として明示的に承認した。ただし、国家元首は引続きフランス大統領とウルヘル司教が共同元首。また、同年7月国連加盟国の全会一致で国連加盟が認められた。国名アンドラ公国通貨ユーロ国旗左側から順に青色、黄色、赤色の三色旗である。中心部に国章を配置している。フランス国旗の青、スペイン国旗の黄、両国共通の赤をとって作ったもの。左上には、赤い地に黄色と白の司教冠と黄色の司教杖が重ねて描かれている。共にアンドラの共同元首であるウルヘル司教を象徴するものである。右上には、黄色の地に赤い3本の線が縦に入っており、アンドラの共同元首であったフランスのフォワ伯爵家の紋章に基づいている。左下では、黄色の地に赤い4本の線が縦に入っている。これは隣接するスペイン、カタルーニャ州の紋章である。右下においては、黄色の地に2頭の赤い牛が描かれている。赤い牛は、角やカウベル、ひづめの部分のみ青く彩色されている。国の標語Virtus Unita Fortior(ラテン語: 「力を合わせれば強くなる」)面積:平方キロ468平方km日本の金沢市並み人口:千人84千人人口密度:/平方キロ179人国の位置ピレネー山中にあり、フランスとスペインに挟まれたミニ国家。首都アンドラ・ラ・ベリャ東京からの大圏距離:10,348km時差:サマータイム JST-7時間 冬時間 JST-8時間 言語カタルニア語(公用語)、スペイン語、ポルトガル語、フランス語宗教国民の大多数がカトリック政体共同元首を擁する議会制共同元首フランス大統領及びウルヘル司教(在スペイン)議会一院制政権2011年5月13日マルティ・プティ民主党内閣発足(1)首相:アントニ・マルティ・プティ(2)外相:ジルベール・サボヤ・スンエ実質的にはフランス大統領がフランス外務省を通じてアンドラの外交権を行使してきた。EUには未加盟。軍事軍隊は保持していない主要産業観光業、サービス産業、タバコ産業タックスヘイブンの国GDP:億ドル37億ドル(2008年)一人当たりGDP:ドル43,975ドル(2008年)貿易額:輸出1.5億ドル(2006年)同 :輸入17.6億ドル(2006年)貿易品目:輸出スペイン、仏、独同 :輸入スペイン、仏、独
Jul 27, 2012
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バチカン市国の基本事情略史<外務省>年月略史64年頃ネロ皇帝の迫害のため殉教したキリストの使徒ペテロが、バチカンの丘に葬られる。349年ペテロの墓の上に、聖ピエトロ聖堂建設。756年カロリング朝ピピンが、ラヴェンナ等の都市をローマ法王に寄進(法王領の始まり。)1870年イタリア軍、法王領に侵入(「ローマ問題」)。1929年イタリアとローマ法王庁との間でラテラノ条約締結(イタリアは、バチカン市国を独立した主権国家として承認) バチカン市国の基本事情<外務省、WIKIPEDIA,その他>国名バチカン市国。ヴァチカンやバティカン、ヴァティカンとも表記される。通貨ユーロ国花マドンナリリー(ニワシロユリ)国旗黄と白の縦二色旗の白部分中央に、国章に近い紋章を配した旗。長方形ではなく正方形。右側には、国章の主な部分である、交差する金と銀の鍵と、冠が描かれている。この鍵は、キリストの使徒、聖ペトロの後継者である教皇の象徴。冠は、「三重冠」と呼ばれる教皇冠で、教皇の権威を象徴している。国の定義ローマ法王及びローマ法王庁(政府に相当)を総称した概念。約11億8千万人とも言われる信者を擁するカトリック教会の最高機関。法王を国家元首とする独立国家たるバチカン市国と、法王を首長として世界のカトリック教会を支配する法王聖座の聖俗両面の総称がバチカンとされている。国の位置などイタリアのローマ市内にある世界最小の主権国家。面積:平方キロ A0.44平方kmこのほか、市国そとの伊領土内に治外法権を有する施設有り。(CF.日本の皇居:1.15平方km)人口:人 B793人バチカン居住権は聖職者も含め、基本的にバチカンで職務についている期間に限って与えられる。また、バチカンの市民権は上記のように職務に対応する特殊な地位であるため、たとえバチカン市国内で出生しても出生地主義による国籍の取得はできない。人口密度:/平方キロ B/A1802人首都バチカン東京からの大気圏距離:9,871km時差:サマータイム JST-7時間 冬時間 JST-8時間言語公用語はラテン語。また、一般に外交用語はフランス語、業務用語はイタリア語。宗教キリスト教(カトリック)政体バチカン市国委員会が統括し、市国政庁が執行。元首ローマ法王(立法、行政、司法の全権を行使)首長:ローマ法王(第265代法王ベネディクト16世、2005年4月24日即位。ドイツ出身。2013.2.28退位で空位) 法王は原則的に終身制であるが、現法王は2013.2.28を以て退位を宣言し、空座になり、シスチーナ礼拝堂で「コンクラーヴェ」(=ラテン語でcum clavi 鍵がかかった意)なる法王の選挙が行われる。 80才未満の枢機卿による選挙で、2/3以上の得票を要し、7度で上位2名の決選投票が許される。選挙が終わるまでは、外部との接触を断たれて、秘密が守られる。被選挙者である法王は枢機卿でなくても信者であれば良いとされる。→2013.3.14新266代・法王:フランチェスコ1世(アルゼンチン出身、ブエノスアイレス大司教、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿、中南米出身者が法王に就くのは初めてで、欧州以外からの法王は1300年ぶり。)議会司教会議が議会に準ずる(世界中の司教の代表の集まり)。政権法王の公務執行中央機関であるローマ法王庁(Curia Romana)が政府に相当する。その最高機関は国務省で、内務省に相当する総務局と外務省に相当する外務局が設置されている。この他に9聖省及び12評議会等が設置されている。(1)首相名 タルチジオ・ベルトーネ国務長官(2)外相名 ドミニク・マンベルティ外務長官軍事<WIKIPEDIA>軍は存在せず、スイス衛兵が法王身辺と法王宮殿を、市国警察がその他の警備に当たる。<バチカン市国は一切の軍事力は保持していない。警察力もスイスからの傭兵である「市国警備員(スイス人衛兵)」がいるものの、基本的にイタリアの警察に依存しているため、「別国」でありながら、実際の警備はイタリア国家警察(Polizia dello Stato)が行っている。テロを警戒してイタリア軍がバチカン一帯の警備を行うこともある。なお、公共に開放されている区域への入国は原則的に自由で、イタリアとの国境の管理や検疫は行われていない。>主要産業主な産業として出版業、モザイク製作歳入は「聖ペトロの献金」(Peter's Pence)として知られる世界中のカトリック信徒からの募金、切手の販売、バチカン美術館の入場料収入、出版物の販売などによるものである。GDP:<WIKIPEDIA>歳入277億円(2003年)歳出290億円歳出A2億3534万ユーロ歳入B2億4519万ユーロA-B 985万ユーロ
Jul 26, 2012
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マルタ共和国略史<外務省、WIKIPEDIA>年月略史紀元前1000年頃レバノンからフェニキア人が渡り支配者となる紀元前400年頃カルタゴの支配、その後ローマ支配。地中海貿易で繁栄870年アラブ人の進攻でイスラム帝国の支配下1127年ノルマン人占拠1479年スペインの支配下1530年聖ヨハネ騎士団(ロードス島を1522年に追われ、後のマルタ騎士団)の所領となる。1565年にオスマン帝国から包囲<1次>されるが、4ヶ月で撃退。首都バレッタは騎士団の団長の名をとったもの。 エジプト遠征中のナポレオンに占領されたが、没落後は英支配下に入り、第二次世界大戦では、枢軸側のマルタ包囲線<2次>を耐えて、ジョージ6世から「ジョージ十字勲章」を授与される。1964年9月21日独立(英連邦に加入)1971年6月~労働党政権1974年12月13日共和制(総督を廃し、大統領制となる)1979年3月31日英軍撤退1987年5月国民党政権1989年12月3日東西冷戦(ヤルタ会談1945年~)がここマルタ会談(ソ連ゴルバチョフ&米国ジョ-ジ・ブッシュ)で終結した。1996年9月労働党政権1998年9月~国民党政権 マルタ共和国<外務省、財務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名マルタ共和国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)14位通貨ユーロ国花マグルマギク キク(菊)国旗赤・白の縦二色旗。第二次世界大戦中のマルタ国民の勇敢な行動に対してイギリスより贈られたジョージ十字勲章がカントン部分に取り入れられた。国の位置イギリス連邦加盟国である。地中海に浮かぶ島国であり、いわゆるミニ国家のひとつ。面積:平方キロ316平方km淡路島の1/2人口:千人420千人(2011年)人口密度:/平方キロ1,339人首都バレッタ人口約6000人東京からの大気圏距離:10,260km時差:夏時間 JST-7時間 冬時間 JST-8時間 言語マルタ語及び英語が公用語宗教カトリック政体共和制元首ジョージ・アベーラ大統領議会一院制政権国民党単独政権<但し、僅差>首相:ローレンス・ゴンズィ軍事(1)予算 4,500万ドル(2)兵役 志願制(3)兵力 1,954人(ミリタリー・バランス 2010)主要産業製造業(主に、半導体、繊維、造船、船舶修理)、観光<タックスヘイブン>GDP:億ドル81億ドル89億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル19,359ドル21,028ドル実質GDP成長率2.3%2.1% (2011年)物価上昇率4.0%2.4%(2011年)失業率6.9%6.4% (2011年)財政収支/GDP比▼3.0%(2011年)経常収支(国際収支)▼2.9億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼12億ドル貿易額:輸出A32億ドル同 :輸入B44億ドル貿易品目:輸出<ネタ帳>半導体機器、薬品、コネクター等<機械類、雑貨、薬品>同 :輸入<ネタ帳> 集積回路、石油、航空機・宇宙機器等<機械類、鉱物資源、燃料、食料品>貿易相手国:輸出仏、米、シンガポール、独、英同 :輸入伊、仏、英、独、米対日輸出80億円<91百万ドル・本邦財務省> 内訳魚介類、半導体等電子部品、自動車部品等対日輸入 148億円<165百万ドル・本邦財務省> 内訳船舶、乗用車、ゴム製品等政府総債務残高/GDP70.9%
Jul 23, 2012
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キプロス共和国略史<外務省>年月略史1960年8月16日英国より独立を宣言1974年7月15日ギリシャ軍部指導によるクーデター1974年7月20日トルコ軍キプロス侵攻1983年11月15日トルコ占領地域、一方的に「北キプロス・トルコ共和国」独立を宣言・・・キプロス共和国の実効支配地域でない部分が現存する2004年5月1日EU加盟 キプロス共和国の基本事情(2010年)<外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名キプロス(Cyprus)共和国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)49位通貨ユーロ(2008年導入)国花オリーブ国旗国土のキプロス島の形が黄色でデザインされている。この黄色は、キプロス特産の銅(主に黄銅)を表し、下の葉は、ギリシャとトルコを表す二本のオリーブの枝であり、民族の平和を表す。キプロスは常に、ギリシャ系とトルコ系の紛争が絶えないこともあり、ギリシャ国旗の青とトルコ国旗の赤は意図的に避けられた。民間においては、この国旗が用いられる事は少なく、ギリシャ系住民はギリシャの国旗を、トルコ系住民はトルコの国旗を用いる事が多い。領土の位置付け キプロス島の一部は、イギリス海外領土のアクロティリおよびデケリア(254平方km)であり、往来は容易であるものの共和国領ではない。さらに1974年以来、南北に分断されており、島の北部36%(3,355平方km)を、国際的にはトルコ共和国のみが承認する「独立国家」であるトルコ系住民による北キプロス・トルコ共和国が占めている。一方のキプロス共和国(残り5,641平方km)は国際連合加盟国193ヶ国のうち、192ヶ国(トルコを除く)が国家承認をしている。キプロスは、元来、ギリシャ系住民とトルコ系住民の混住する複合民族国家だったが、分断後は事実上、ギリシャ系によるほぼ単一民族国家となっている。面積:平方キロ全島9,251平方kmのうち5,641平方km<A>を実効支配全島は四国の半分程度人口:千人(キプロス共和国人口)803千人820千人(2011年)<B>1974年のトルコ軍による軍事侵攻以降、キプロスは南部のキプロス共和国実効支配地域と北部のトルコ軍実効支配地域とに分かれており、上記人数は前者地域の人口。後者地域の人口については公式な数が不明である。人口密度:/平方キロ実効支配地域では145人となる<B/A>首都ニコシア人口:315千人東京からの大気圏距離:9,068km時差:サマータイムJST-6時間 冬時間 JST-7時間民族(実効支配域以外を含む全島)ギリシャ系(キプロス共和国実効支配地域)、トルコ系(トルコ軍実効支配地域、キプロス北部36%占領・・・当該国でない)、その他(マロン派、アルメニア系等)言語公用語:現代ギリシャ語、トルコ語 (この他、英語が広く用いられている。)宗教ギリシャ正教、回教、その他(マロン派、アルメニア教会等)政体共和国元首(デメトリス・フリストフィアス大統領)→2013.2決戦総選挙・・・・アナスタシアデス大統領<民主運動党DISY党首>(大統領制、大統領は元首兼行政の長、任期5年)議会一院制政権キプロス問題を巡る立場の相違によりDIKOが連立を離脱し、AKEL及び無所属による改造内閣が樹立。→2013.2大統領選挙で民主運動党党首・アナスタシアデス大統領<行政の長兼務>となったばかり軍事1)予算 376百万ドル(2010年)(2)兵役 徴兵制24か月(3)兵力 国家守備隊10,000人(出典:2011年ミリタリー・バランス)主要産業観光業(毎年200万人超)、金融業、海運業<タックスヘイブン>天然ガス埋蔵量:60兆立方フィート(キプロス~イスラエルの海盆)1つの鉱区だけでも800億ドル相当が確認GDP:億ドル232億ドル250億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル28,854ドル30,571ドル(2011年)実質GDP成長率1%0.5% (2011年)物価上昇率2.5%3.5% (2011年)失業率6.4%7.8% (2011年)財政収支/GDP比▼6.5% (2011年) 経常収支(国際収支)▼21.1億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)▼70億ドル貿易額:輸出14億ドル同 :輸入84億ドル貿易品目:輸出<ネタ帳>医薬品、電子部品、有機化学材料<衣料・付属品、果実・野菜、薬品>同 :輸入<ネタ帳>石油、石油製品、機械類、電気製品<石油、石油製品、機械類、化学品>貿易相手国:輸出<ネタ帳>ギリシャ、独、英、伊、露<英、ギリシャ、露、UAE,レバノン>同 :輸入<ネタ帳>ギリシャ、伊、独、英、イスラエル<英、米、伊、ギリシャ、独>対日輸出1.2億円1.4百万ドル 内訳ジュース類(果物及び野菜)、フルーツ缶、機械類対日輸入178億円206.3百万ドル 内訳乗用自動車及び部品、機械類、タイヤ政府総債務残高/GDP71.8%
Jul 21, 2012
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タジキスタン共和国の基本事情(2010年)<外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名タジキスタン幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)94位通貨ソモニ(Somoni)1ドル=約4.76ソモニ(2012年2月現在)国旗赤・白・緑の三色旗。赤と緑に比べて白の帯の幅が長い。中心には、七つの星と王冠があしらわれている。赤は国家統合の象徴、白は産出される綿と、国民統合の象徴、緑は国土の自然の象徴である。面積:平方キロ143,100平方km日本の40%人口:千人7,850千人(2011年)人口密度:/平方キロ55人首都ドゥシャンベ(Dushanbe)東京からの大気圏距離:6146km時差:JST-4時間サマータイムなし民族タジク系79.9%、ウズベク系17.0%、キルギス系1.3%、ロシア系1.0%、その他0.8%言語公用語はタジク語。ロシア語も広く使われている。宗教タジク人の中ではイスラム教スンニ派が最も優勢。パミール地方にはシーア派の一派であるイスマーイール派の信者も多い。政体共和制元首エマムアリ・ラフモン大統領議会二院制政権与党人民民主党首相 アキル・アキロフ軍事総兵力8,800人(陸軍7,300人、空軍1,500人)準兵力7,500人インド軍、ロシア陸軍が駐留(ミリタリー・バランス2011)主要産業農業(綿花)、アルミニウム生産、水力発電GDP:億ドル56億ドル65億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル734ドル831ドル (2011年)実質GDP成長率6.5%7.4%(2011年)物価上昇率6.5%12.4% (2011年)失業率2.3%財政収支/GDP比▼2.1% (2011年)経常収支(国際収支)▼1.5億ドル (2011年)貿易収支(国際収支)▼15億ドル貿易額:輸出12億ドル同 :輸入27億ドル貿易品目:輸出<ネタ帳>非貴金属(主にアルミニウム)、繊維・繊維製品(主に綿花・綿花製品)、輸送機関・車両・設備、鉱物、植物製品<アルミニウム、電力、綿繊維>同 :輸入<ネタ帳>鉱物(主にボーキサイト)、輸送機関・車両・設備、化学製品、植物製品、非貴金属、食料加工品<電力、石油製品、アルミニウム酸化物、機械設備、食料品>貿易相手国:輸出中国、トルコ、露、ウズベキスタン、イラン、チェコ、蘭同 :輸入露、カザフスタン、中国、ウズベキスタン、ウクライナ、アラブ首長国連邦、トルクメニスタン、トルコ対日輸出10.4億円(2011年) 内訳非鉄金属等対日輸入0.7億円 (2011年) 内訳自動車、化学製品等政府総債務残高/GDP35.4%日本の援助実績有償:なし無償:157億円技術: 41億円
Jul 20, 2012
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タジキスタンの基本事情略史<外務省>年月略史紀元前4世紀アレクサンドロス大王により制圧紀元前250頃グレコ・バクトリア王国成立1~3世紀クシャーン朝による支配6世紀中頃~テュルク系遊牧民(突厥)の侵入、次第に住民のテュルク化が始まる7世紀ソグド人の活動が最盛期に8世紀以降アラブ勢力の侵入、土着のイラン系住民がイスラーム教を受容。テュルク系諸民族がこれらイラン系住民をタジクと呼ぶようになる9世紀後半~10世紀イラン系のサーマーン朝成立(文芸・学問の発展)13世紀モンゴル帝国の支配14世紀後半~15世紀ティムール帝国の支配16世紀シャイバーン朝の支配18~19世紀ブハラ・ハン国、コーカンド・ハン国の支配1860年代現在のタジキスタン北部がロシア帝国に併合1890年代パミール地方の大部分がロシア帝国に併合1924年中央アジアの民族・共和国境界画定により、ウズベク・ソヴィエト社会主義共和国内にタジク自治ソヴィエト社会主義共和国が成立1929年ウズベク共和国から分離し、タジク・ソヴィエト社会主義共和国に昇格1990年2月ドゥシャンベ事件(アルメニア難民移住への抗議行動を契機とする騒乱事件)1990年8月23日共和国主権宣言1991年8月31日国名を「タジキスタン共和国」に変更1991年9月9日共和国独立宣言1992年5月タジキスタン内戦状態に1992年11月19日ラフモノフ最高会議議長就任1994年11月6日ラフモノフ大統領選出1997年6月27日タジキスタン内戦の最終和平合意成立1999年11月6日ラフモノフ大統領再選2006年11月6日ラフモノフ大統領再選
Jul 20, 2012
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キルギス共和国の基本情報(2010年)<外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名キルギス(キルギスタン)<渡航危険情報あり>幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)65位通貨ソム(Som)1ドル=46.90ソム(2011年2月10日現在)国の位置北から時計回りにカザフスタン、中華人民共和国、タジキスタン、ウズベキスタンと国境を接する。日本人の俗説当国には、「キルギス人と日本人は昔、兄弟で、肉が好きな者はキルギス人となり、魚が好きな者は日本人となった。」という俗説がある。国旗赤地に黄色の太陽を描いた旗。太陽は40本の光条を放ち、内部には円形のシンボルが描かれる。キルギス人など遊牧民の伝統的なテント式家屋(キルギスではユルトと呼ぶ)の頂部にある構造 を表したもので、祖国や宇宙を象徴する。国花綿(Cotton)面積:平方キロ198,500平方km日本の1/2人口:千人 5,400千人人口密度:/平方キロ 27人首都ビシュケク(Bishkek)東京からの大気圏距離:5533km時差:JST-3時間民族キルギス系75%、ウズベク系14.3%、ロシア系7.2%、ドウンガン系1.1%、ウクライナ系0.3%、その他ウイグル系、タタール系など言語キルギス語が国語。(ロシア語は公用語)宗教主としてイスラム教スンニ派75%、ロシア正教20%、その他5%政体共和制元首アルマズベク・アタムバエフ大統領議会一院制政権社会民主党、共和国党及び「アタ・ジュルト党」による連立政権首相 (オルムベク・ババノフ辞任2012.9.6) →ジャントロ・サトゥィバルディエフ(1)ロシアとの良好な関係維持を重視(特に安全保障面、貿易等経済面で、密接な関係を有する)しつつ、中国や米国といった大国の中でのバランス外交を標榜。(2)CISの枠内で、1996年3月にロシア、ベラルーシ及びカザフスタンと関税同盟条約及び統合強化条約を締結(両条約には後にタジキスタンが参加)。関税同盟は後にユーラシア経済共同体に発展。上海協力機構(2007年議長国、同年8月ビシュケクにおいて首脳会合開催)、CIS集団安全保障条約機構(2008年議長国、同年10月ビシュケクにおいて首脳会合開催)等にも積極的に参加。(3)1998年10月、同国はCIS諸国で初のWTO(世界貿易機関)加盟国となった。軍事総兵力10,900人(陸軍8,500人、空軍2,400人)準兵力9,500人(ミリタリー・バランス2011)露空軍が駐留している(カント基地)主要産業農業・畜産業(GDPの約3割)、鉱業(金採掘):主要産業は農業及び牧畜業(GDPの約3割)、農畜産物を加工する食品加工業、金採掘を中心とする鉱業である。エネルギー資源には恵まれていないが、水資源が豊富。GDP:億ドル 46億ドル 59億ドル (2011年)一人当たりGDP:ドル 843ドル 1070ドル (2011年)実質GDP成長率▼ 1.4% 5.7% (2011年)物価上昇率 7.8% 16.6% (2011年)失業率 8.4% (2009年) 7.9% (2011年)財政収支/GDP比 ▼4.8% (2011年)累積債務問題推定20億ドルGDPの90%<政府総債務残高/GNP比 52.4%>経常収支(国際収支)▼1.8億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼15億ドル貿易額:輸出A15億ドル同 :輸入B30億ドル貿易品目:輸出<ネタ帳>貴金属・真珠・宝石、化学製品、鉱物製品、繊維製品、野菜・果物:<綿繊維、毛、肉類、タバコ、金、水銀>同 :輸入<ネタ帳> 鉱物製品、機械設備、化学製品、運輸関連製品、食料:<石油、ガス、機械設備、化学製品、食料品>貿易相手国:輸出スイス、露、ウズベキスタン、カザフスタン、UAE同 :輸入露、中国、カザフスタン、ウズベキスタン、米国対日輸出 2億円 内訳アルミニウム及び、同合金対日輸入 64億円 内訳機械類及び輸送用機器、自動車、建設用・鉱山用機械日本の援助実績有償:257億円無償:146億円技術:111億円
Jul 19, 2012
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キルギス共和国略史<外務省>年月略史17~18世紀頃までにキルギス人の民族形成が進行18世紀後半~19世紀前半コーカンド・ハン国による支配1855年~1876年ロシア帝国に併合1918年ロシア革命後、ロシア連邦共和国内の「トルキスタン自治ソヴィエト社会主義共和国」の一部となる1924年中央アジアの民族・共和国境界確定により、ロシア連邦共和国内のカラ・キルギズ自治州となる1926年2月キルギス自治ソヴィエト社会主義共和国成立1936年ロシア連邦共和国から分離し、ソ連邦を構成するキルギス・ソヴィエト社会主義共和国に昇格1990年6月オシュ事件(キルギス人とウズベク人の民族間衝突)1990年10月アカーエフ大統領就任1990年12年12日「キルギスタン共和国」に改名、主権宣言1991年8月31日共和国独立宣言1993年5月国名を「キルギス共和国」に変更2005年4月政変によりアカーエフ大統領辞任2005年7月バキーエフ大統領当選2009年7月バキーエフ大統領再選2010年4月政変によりバキーエフ大統領辞任2010年6月南部にてキルギス系とウズベク系住民の大規模衝突2010年6月国民投票により、新憲法採択2010年7月3日オトゥンバエヴァ大統領就任2010年10月10日議会選挙実施2010年12月連立与党結成・新内閣発足2011年12月アタムバエフ大統領就任
Jul 19, 2012
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トルクメニスタン共和国 略史<外務省>年月略史8~10世紀頃トルクメン民族の起源とされるオグズ族が、アラル海付近のステップ地帯を中心に中央アジア地域に展開10世紀イスラム教に改宗したオグズ族の他称としてトルクマーンが使用されるようになった11世紀~12世紀頃テュルク系セルジューク朝の下、各地で軍事的な主力として活躍14世紀~16世紀現在のトルクメン諸部族の形成が進む16世紀~19世紀ヒヴァ・ハン国やブハラ・アミール国の下、現在のトルクメニスタン領オアシス地域に徐々に定着。半農半牧の生活に移行1869年帝政ロシアがカスピ海東岸に侵攻し、クラスノヴォツク(現トルクメンバシ)の礎を築く1881年ギョクデペの戦い(帝政ロシア軍の侵攻に対する熾烈な抗戦)1885年帝政ロシアがトルクメン諸部族のほとんどを支配下に1924年ソ連の民族共和国境界画定によりトルクメン・ソヴィエト社会主義共和国が成立1990年8月22日共和国主権宣言1990年10月27日ニヤゾフ大統領就任1991年10月27日共和国独立宣言1992年5月16日共和国憲法採択1995年12月国連総会において「永世中立国」として承認される1999年12月28日議会の全会一致によりニヤゾフ大統領が終身大統領に2006年12月21日ニヤゾフ大統領死去2007年2月14日ベルディムハメドフ現大統領就任トルクメニスタン共和国の基本事情(2010年) <外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名トルクメニスタン幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)171位通貨マナト(Manat)1ドル=2.85マナト(2012年2月9日現在、固定レート)国旗白の三日月と5つの星を配する緑色旗である。旗竿側に絨毯文様のある赤色の帯があることが特徴的であり、世界で最も複雑な国旗と形容されることがある。5つの星は、トルクメニスタンの5つの州を象徴する。国の位置カラクム砂漠が国土の85%を占めており、国民のほとんどは南部の山沿いの都市に住んでいる。豊富な石油や天然ガスを埋蔵する。西側でカスピ海に面し、アフガニスタン、イラン、ウズベキスタン、カザフスタンと国境を接する。面積:平方キロ488000平方km日本の1.3倍人口:千人5,100千人人口密度:/平方キロ10人<砂漠を除くと7倍>首都アシガバット(アシガバート)東京からの大気圏距離:7008km時差:JST-4時間(サマータイム無し)民族トルクメン系81%、ウズベク系9%、ロシア系3.5%、カザフ系1.9%、その他アゼルバイジャン系、タタール系など言語公用語はトルクメン語(テュルク諸語に属し、トルコ(共和国)語やアゼルバイジャン語に近い)。ロシア語も広く流用。宗教主としてイスラム教スンニ派政体共和制元首グルバングルィ・ベルディムハメドフ大統領議会一院制政権(1) 首相 (制度上存在しない)(2)外相 ラシッド・メレドフ(副首相兼任)1995 年12月の国連総会では、同国の「永世中立国」としての地位が認められている。軍事総兵力22,000人(陸軍18,500人、海軍500人、空軍3,000人)(ミリタリー・バランス2012)主要産業鉱業(天然ガス・石油など)、農業(綿花)、牧畜GDP:億ドル200億ドル257億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル 5006ドル4658ドル(2011年)実質GDP成長率9.2%14.7%(2011年)物価上昇率4.5%5.8%(2011年)失業率 60% (2009年)財政収支/GDP比3.5%(2011年)外貨準備高36億ドル(2007年推定)経常収支(国際収支)4.7億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B15億ドル貿易額:輸出A97億ドル同 :輸入B82億ドル貿易品目:輸出天然ガス、石油、石油製品、織物、綿繊維同 :輸入生産技術プラント、電気機器、機械装置、原料・資材、消費財(非食料品)、輸送機器貿易相手国:輸出ウクライナ、イラン、トルコ同 :輸入UAE、露、トルコ、中国、ウクライナ、イラン、独、米国対日輸出0.6億円(2011年) 内訳美術品・収集品及び骨董対日輸入 216億円 (2011年) 内訳建設用・鉱山用機械・鋼管政府総債務残高/GDP15.4%日本の援助実績有償:45億円無償: 7億円技術: 8億円 <海外渡航危険情報の抜粋>・・外務省 1.中央アジア5カ国(ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン)において、外国人に対する誘拐の脅威があります。2.特にキルギスにおいては、過去に邦人が誘拐された事件が発生しています。3.つきましては、中央アジア5カ国に渡航、滞在を予定されている方は、現地の情勢に基づいて、その渡航の是非を検討し、不要不急の場合は渡航を延期することも含め、万全の安全対策をとるようお勧めします。また、すでに現地に滞在されている方は、下記の点等自らの行動には十分注意するとともに、不審な情報がありましたら、現地の日本国大使館に速やかにご連絡願います。
Jul 18, 2012
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ウズベキスタン共和国略史<外務省>年月略史紀元前4世紀アレクサンドロス大王により制圧紀元前250年頃グレコ・バクトリア王国成立1~3世紀クシャーン朝による支配6世紀中頃~テュルク系遊牧民(突厥)の侵入、次第に住民のテュルク化が始まる7世紀ソグド人の活動が最盛期に8世紀以降アラブ勢力の侵入、イスラーム教の受容9世紀後半~10世紀サーマーン朝成立(文芸・学問の発展)13世紀モンゴル帝国の支配14世紀後半~15世紀ティムール帝国(首都サマルカンド)成立15世紀末~16世紀遊牧ウズベク集団の侵入、シャイバーン朝の成立18~19世紀ブハラ・ハン国、ヒヴァ・ハン国、コーカンド・ハン国の支配1860年~1970年代ロシア帝国による中央アジア征服1867年ロシア帝国、タシケントにトルキスタン総督府を設置し、植民地統治を開始1918年ロシア連邦共和国の一部としてトルキスタン自治ソヴィエト社会主義共和国成立1920年ブハラ人民ソヴィエト共和国、ホラズム人民ソヴィエト共和国成立1924年中央アジアの民族・共和国境界画定によりウズベク・ソヴィエト社会主義共和国成立1989年6月フェルガナ事件(ウズベク人とメスフ人の民族間衝突)1990年3月カリモフ大統領就任1990年6月20日共和国主権宣言1991年8月31日共和国独立宣言、「ウズベキスタン共和国」に国名変更1992年12月カリモフ大統領再選1995年3月国民投票によってカリモフ大統領の任期延長2000年1月カリモフ大統領再選2005年5月アンディジャン事件2007年12月カリモフ大統領再選 ウズベキスタンの基本事情(2010年)<外務省、JETRO,WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名ウズベキスタン共和国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)80位通貨スム(Sum)1ドル=1,731.63スム(2011年10月現在)国旗上の空色の帯は、青天と純水の象徴である。この色は、かつてティムールも自軍の旗に選んでいる。白色は、平和と純粋さの象徴である。下の緑色は、天恵の自然の具現である。各色の間には、赤色の細い帯が走り、生命力を象徴している。上部の空色の帯状には、晴天を象徴する三日月と12個の星が描かれている。三日月は、イスラムとウズベク人の伝統に基づいている。12個の星が選ばれたのは、12という数字が完全性の象徴だと考えられているからである。面積:平方キロ447400平方km(外務省)人口:千人27,800千人(外務省)人口密度:/平方キロ62人国の位置北にカザフスタン、南にトルクメニスタンとアフガニスタン、東でタジキスタン、キルギスと接する。国土の西部はカラカルパクスタン共和国として自治を行っており、東部のフェルガナ盆地はタジキスタン、キルギスと国境が入り組んでいる。首都タシケント人口2,220千人 主要民族ウズベク系78.4%、ロシア系4.6%、タジク系4.8%、タタール系1.2%言語ウズベク語(公用語)、ロシア語宗教イスラム教スンニ派政体共和制元首・大統領イスラム・カリモフ大統領(逝去)→シャフカト・ミルジョエフ2016.9.8(代行から12月選挙で、国民復興民主党)議会二院制政権大統領を補佐する役職の副大統領を廃止して首相職首相 シャフカト・ミルジョエフ→?自由民主党が第1党を維持<イスラム急進派の活動を禁止>軍事総兵力67,000人(陸軍50,000人、空軍17,000人)、準兵力20,000人独軍が駐留(ミリタリー・バランス2012年)主要産業綿繊維産業、食品加工、機械製作、金、石油、天然ガス<主要産業は綿花栽培。また、天然資源にも恵まれ、天然ガス、ウラン、金などが豊富。>GDP:億ドル390億ドル435億ドル(2011年) 一人当たりGDP:ドル1199ドル 1572ドル (2011年)実質GDP成長率8.1% (2009年)8.3% (2011年)物価上昇率7.3%7.6% (2011年)失業率1.0% (2009年)財政収支/GDP比 7.5% (2011年)外貨準備高111.5億ドル(2009年)経常収支(国際収支) 23.0億ドル26.2億ドル (2011年)貿易収支(国際収支)A-B<国家統計委員会> 27.7億ドル<42億ドル>45億ドル(2011年)貿易額:輸出A<国家統計委員会><130億ドル>150億ドル(2011年)同 :輸入B<国家統計委員会>< 88億ドル>105億ドル(2011年)貿易品目:輸出<国家統計委員会>エネルギー製品24.8%、綿繊維11.3%、食料品9.7%、サービス9.1%、鉄鋼非鉄金属6.8%、機械設備5.5%、化学品・プラスチック製品5.1%同 :輸入<国家統計委員会>機械設備44.1%、化学品・プラスチック製品14.3%、食料品10.9%、鉄鋼非鉄金属8.4%、エネルギー製品6.0%、サービス4.7%貿易相手国:輸出<国家統計委員会>露34.0%、中国6.9%、カザフスタン6.5%、トルコ5.5%、アフガニスタン5.1%,イラン4.4%,ウクライナ1.3%同 :輸入<国家統計委員会>露22.0%,韓国16.6%,中国13.5%,カザフスタン10.9%,独4.9%,ウクライナ4.3%,トルコ2.7%,ブラジル2.6%,伊1.5%対日輸出<国家統計委員会><16.5百万ドル>172百万ドル・・日本通関統計0.5億ドル(2011年)39億円(2011年) 内訳金(99.1%、綿織物など)対日輸入<国家統計委員会> <105.9百万ドル> 77百万ドル・・日本通関統計1.3億ドル(2011年) 190億円(2011年) 内訳自動車(53.4%)、ゴム製品(17.3%)、繊維機械(6.8%)直接投資受入額8.2億ドル対外債務残高40億ドル(2009年)日本の経済協力 日本は1~2位有償:1250億円無償: 215億円技術: 130億円政府総債務残高対GDP比9.1%
Jul 17, 2012
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カザフスタン共和国の基本情報(2010年)<外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名カザフスタン幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)101位通貨テンゲ(Tenge)1ドル=148.08テンゲ(2011年10月現在)国花チューリップ国旗青地は空、中央の黄は32本の光を擁する太陽と翼を広げて飛ぶワシ(ステップ・イーグル)をイメージし、左端の文様は民族の伝統的なアラベスク文様である。この青地はまた、この地域のテュルク系諸民族を示し、その諸民族の間では青地は宗教上特別な意味である神の存在を象徴するが、現在ではカザフスタンの広い空と自由を象徴している。中央の鷲は、当時も青地に鷲の旗のもとこの地方を支配したチンギス・ハーンの帝国を示し、カザフスタンの人々の誇りを表している。面積:平方キロ2,724,900平方キロ日本の7倍。旧ソ連ではロシアに次ぐ。人口:千人16,020千人人口密度:/平方キロ6人首都アスタナ(旧アクモラ)故黒川紀章氏設計1997年12月アルマティより遷都東京からの大気圏距離:5569km日本との時差:JST-3(サマータイムなし)[西部都市のアクトベ市との時差:JST-4] 民族カザフ系63.1%,ロシア系23.7%,ウズベク系2.9%,ウクライナ系2.1%,ウイグル系1.4%,タタール系1.3%,独系1.1%言語カザフ語が国語。ロシア語は公用語。宗教イスラム教70.2%,ロシア正教26.2%政体共和制元首ヌルスルタン・ナザルバエフ大統領議会二院制政権与党「ヌル・オタン」(首相) カリム・マシモフ →大統領から解任された2016.9.8露との良好な関係維持。中国、米、EU,日本とも良好な関係維持。軍事総兵力49,000人(陸軍30,000人、海軍3,000人、空軍12,000人、その他4,000人)、準兵力31,500人(ミリタリー・バランス2012)主要産業鉱業、農業、冶金・金属加工石油、天然ガスなどのエネルギー資源、鉱物資源(レアメタル、ウラン、クロム、亜鉛)に恵まれた資源大国。GDP:億ドル1,384億ドル1,783億ドル (2011年)一人当たりGDP:ドル8,883ドル10,694ドル (2011年)実質GDP成長率7.0%7.5% (2011年)物価上昇率7.4%8.3% (2011年)失業率5.8%5.4% (2011年)財政収支/GDP比5.8% (2011年)外貨準備高190億ドル(2008年2月)経常収支(国際収支)136億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B177億ドル貿易額:輸出A476億ドル同 :輸入B299億ドル貿易品目:輸出石油、石油製品、無機化学品、貴金属、有機・無機化合物同 :輸入機械設備、食料品、鉄鋼、鋳鉄製管、中空形材、石油、石油製品、自動車貿易相手国:輸出伊、中国、露、仏、蘭同 :輸入露、中国、ウクライナ、独、伊対日輸出607億円 内訳合金鉄対日輸入271億円 内訳自動車、鋼管、建設用・鉱山用機械政府純債務残高/GDP▼13.6%日本の経済援助有償:951億円無償: 62億円技術:123億円
Jul 16, 2012
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カザフスタン共和国の基本事情(その1)略史<外務省>年月略史14世紀頃まで現在のカザフ人とほぼ同じ人種的特徴と、カザフ語とよく似た言語が定着15世紀後半遊牧ウズベク国家から分離し、キプチャク草原(カザフスタン)に勢力を拡大。カザフ・ハン国の成立18世紀初ジュンガルとの戦いの中でカザフ人の一体性の意識が明確化18世紀初大ジュズ、中ジュズ、小ジュズの三つの部族連合体に分裂1730年代カザフの支配層の一部がロシア皇帝に臣従18世紀中頃清朝にも朝貢1820年代までロシア帝国、南部を除くカザフスタンを直接支配下に収める1837年~1847年ケネサルの反乱(カザフ人による対ロシア反乱)1850年~1860年代カザフスタン南部がロシア帝国に併合、カザフスタン全域がロシアの支配下に(ロシア人農民の大量植民)1920年ロシア連邦共和国の一部として「カザフ(キルギス)自治ソヴィエト社会主義共和国」成立(首都オレンブルグ)1924年中央アジアの民族・共和国境界画定により国境線の変更1925年首都をオレンブルグからクズィルオルダに移し、国名を「カザフ(カザク)自治ソヴィエト社会主義共和国」に変更1929年首都をアルマティ(アルマ・アタ)に移転1936年ソ連邦を構成するカザフ・ソヴィエト社会主義共和国に昇格1986年12月1日アルマ・アタ事件(カザフ人共産党第一書記コナエフ解任に抗議するデモに対し、内務省軍と警察による弾圧)1990年4月24日ナザルバエフ大統領就任1990年10月25日共和国主権宣言1991月12月1日ナザルバエフ大統領再選1991年12月10日国名を「カザフスタン共和国」に変更1991年12月16日共和国独立宣言1997年12月10日首都をアルマティよりアクモラ(現アスタナ)に移転1999年1月10日ナザルバエフ大統領再選2005年12月ナザルバエフ大統領再選2011年4月ナザルバエフ大統領再選
Jul 16, 2012
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<資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名アゼルバイジャン幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)144位通貨マナト(Manat)1ドル=0.79マナト(2012年2月現在)国旗(上から)青、赤、緑の横三色、赤部分の中央に三日月と八角星を配した旗。八角星の八本の光は8グループのテュルク系諸民族を象徴している。青はテュルク人の色、緑はイスラム教の色、赤は進歩を示す。国の位置カフカス山脈の南、カスピ海の西南岸に位置する西アジアの一地方。面積:平方キロ86,600平方km北海道よりやや大人口:千人9,300千人人口密度:/平方キロ107人首都バクー東京からの大気圏距離:7536km夏時間:JST-4時間冬時間:JST-5時間民族アゼルバイジャン系90.6%,レズギ系2.2%,ロシア系1.8%,アルメニア系1.5%言語公用語アゼルバイジャン語宗教主としてイスラム教シーア派政体共和制元首イルハム・アリエフ大統領議会一院制政権与党「新アゼルバイジャン党」首相 アルトゥール・ラシザデ米露とのバランスを考慮しつつ、伝統的友好国のトルコ、アゼルバイジャン人が多く住むイランとも等距離善隣外交を継続。外交上の最大の課題は、アルメニアとの間のナゴルノ・カラバフ紛争。1994年に停戦合意し、米・仏・露の仲介により和平交渉が断絶的に行われているが、解決の見通しは不透明。軍事総兵力66,940人(陸軍56,840人、海軍2,200人、空軍7,900人)、準兵力15,000人。ブルガリア軍(OSCE)、ハンガリー軍(OSCE)、リトアニア軍(OSCE)、ポーランド軍(OSCE)、英国軍(OSCE)が駐留(ミリタリー・バランス2012年)主要産業石油・天然ガス、石油製品、鉄鉱等、農業GDP:億ドル544億ドル623億ドル (2011年)一人当たりGDP:ドル6008ドル6832ドル(2011年)実質GDP成長率5.0%0.1% (2011年)物価上昇率5.7%7.9% (2011年)失業率6.0%6.1% (2011年)財政収支/GDP比13.3% (2011年)外貨準備高40億ドル(2007年)経常収支(国際収支)164億ドル貿易収支(国際収支)148億ドル貿易額:輸出214億ドル同 :輸入 66億ドル貿易品目:輸出原油、石油製品、天然ガス、灯油同 :輸入機械、電気製品、食品類、鉄製品貿易相手国:輸出伊、仏、イスラエル、米国、ウクライナ同 :輸入露、トルコ、独、中国、ウクライナ対日輸出0.6億円 内訳石油及び同製品対日輸入 69億円 内訳機械類及び輸送用機器、鉄鋼日本の援助実績(累積)有償:1012億円無償: 82億円技術: 29億円政府総債務残高/GDP10.2%
Jul 15, 2012
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アゼルバイジャン共和国(その1)略史<外務省>年月略史紀元前6~4世紀カフカース・アルバニア王国3~7世紀サーサーン朝ペルシアの支配7~10世紀アラブの支配11世紀~トルコ系諸民族の大量流入11~13世紀セルジューク朝諸政権の支配13世紀モンゴル帝国に編入、イル・ハーン朝の支配13~15世紀テュルク化の進行16世紀サファヴィー朝の支配下に入り、シーア派を受容16~19世紀イランのサファヴィー朝、ガージャール朝による支配1813年~1828年ロシア・イラン戦争の結果、ゴレスターン条約とトルコマンチャーイ条約により北アゼルバイジャンがロシアに併合1918年5月アゼルバイジャン人民共和国独立宣言1920年4月バクーにソヴィエト政権樹立、アゼルバイジャン・ソヴィエト社会主義共和国成立1922年グルジア・アルメニアと共にザカフカース社会主義連邦ソヴィエト共和国を形成、ソ連邦結成に参加1936年アゼルバイジャン・ソヴィエト社会主義共和国として連邦に加盟1988年2月同共和国内のナゴルノ・カラバフ自治州においてアルメニアへの帰属替えを求めるアルメニア人の運動が高揚。スムガイト事件が発生。1989年10月5日共和国主権宣言1990年1月バクー事件(ソ連邦中央によりバクーを軍事制圧)1991年2月5日「アゼルバイジャン共和国」に国名変更1991年8月30日共和国独立宣言1993年10月ヘイダル・アリエフ大統領就任1994年5月アルメニアとナゴルノ・カラバフ紛争に関し、停戦協定締結1998年10月ヘイダル・アリエフ大統領再任2003年10月イルハム・アリエフ大統領就任2008年10月イルハム・アリエフ大統領再任
Jul 15, 2012
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アルメニア共和国略史<外務省>年月略史前4~3世紀東アルメニアにエルヴァンド朝成立~前1世紀西アルメニアにソフェネ成立前190年~後10年頃アルタシェス朝古代アルメニア王国成立1~5世紀アルサケス朝の支配、ローマとペルシアにより分割301年アルサケス朝のトルダト3世、キリスト教に改宗5~7世紀サーサーン朝ペルシアとビザンツ帝国による分割統治652年アラブ勢力により征服885年頃~1045年バグラト朝成立11世紀セルジューク朝諸政権により征服1050年頃~1375年キリキア(アナトリア南東部)にアルメニア系王朝14~15世紀ティムール朝、カラ・コユンル朝、アク・コユンル朝による支配16~18世紀オスマン朝とサファヴィー朝によるアルメニア争奪戦1828年トルコマンチャーイ条約により東アルメニアがイランからロシアに割譲1918年5月アルメニア共和国(第一共和国)成立1920年アルメニア・ソヴィエト社会主義共和国成立1922年グルジア、アゼルバイジャンと共にザカフカース社会主義連邦ソヴィエト共和国を形成、ソ連邦結成に参加1936年アルメニア・ソヴィエト社会主義共和国成立1988年2月ナゴルノ・カラバフ帰属を巡るアゼルバイジャンとの抗争が表面化1990年8月23日共和国主権宣言1991年9月21日共和国独立宣言1991年10月テル・ペトロシャン大統領就任1994年5月アゼルバイジャンとナゴルノ・カラバフ紛争に関し停戦協定締結1996年9月テル・ペトロシャン大統領再選1998年3月コチャリャン大統領選出2003年3月コチャリャン大統領再選2008年2月サルグシャン大統領選出 アルメニア共和国の基本事情(2010年)<外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名アルメニア共和国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)172位通貨ドラム(Dram)1ドル=395.85ドラム(2012年5月現在)国花コーヒー(果実はサクランボに似ている)国旗赤は独立闘争で流された血の色、青は空と大地、オレンジは国民の勇気と団結を表す、上下3色旗国の標語アルメニア語:一つの国家、一つの文化面積:平方キロ29,800平方km日本の1/13、旧ソ連邦中で最小人口:千人3,100千人人口密度:/平方キロ104人首都エレバン、東京から7944km、時差JST-5時間民族・言語アルメニア系97.9%,ロシア系0.5%,アッシリア系0.1%,他1.5%公用語はアルメニア語(印度・ヨーロッパ語族、独自の言語と文字)宗教主としてキリスト教(東方諸教会系のアルメニア教会)。 なお、アルメニアは、国家として、また民族としても、世界で最初に公式にキリスト教を受容した国である(301年)。政体共和制元首セルジ・サルキシャン大統領が2013年2月再選(得票58.6%)(任期5年)議会一院制政権与党勢力「共和国ブロック」(首相)大統領が解任2016.9.8隣国であるトルコ及びアゼルバイジャンとは対立関係にあり、ロシアとの関係が強固。グルジア、イランとは良好な関係を維持する。19世紀後半になるとオスマン帝国の支配下にいたアルメニア人の反発も大きくなり、トルコ人民族主義者との対立が激化。20世紀初頭に至るまで多くのアルメニア人が虐殺され(アルメニア人虐殺)、生き残ったアルメニア人も多くは欧米に移住するかロシア領に逃げ込んだ(シリア、イスラエル、イランには比較的大規模なアルメニア人社会があり、欧州では仏に40~50万人が多方面に社会進出、米国にも80万人いる)。外交上の最大の課題はナゴルノ・カラバフ紛争(1988年にアゼルバイジャン領内のナゴルノ・カラバフ自治州のアルメニアへの帰属変更を巡って開始された紛争)の解決。軍事総兵力48,834人(陸軍45,846人、空軍/防空軍(統合)1,061人、その他防空軍1,927人)、準兵力6,694人ブルガリア軍(OSCE)、ハンガリー軍(OSCE)、カザフスタン軍(OSCE)、ポーランド軍(OSCE)、英国軍(OSCE)、ロシア軍が駐留(ミリタリー・バランス2012)主要産業農業、宝石加工(ダイヤモンド)、機械製作GDP:億ドル94億ドル101億ドル (2011年)一人当たりGDP:ドル2,846ドル3,033ドル (2011年)実質GDP成長率2.6%4.4% (2011年)物価上昇率8.2%失業率7.0%19.0% (2011年)財政収支/GDP比▼2.7%経常収支(国際収支)▼12.5億ドル貿易収支(国際収支)A-B▼28億ドル貿易額:輸出A10億ドル同 :輸入B38億ドル貿易品目:輸出食料加工品、アルコール・ノンアルコール飲料、硫黄・土類、鉄鉱石、燃料<ネタ帳:銑鉄、未錬銅、非鉄金属、ダイヤモンド、鉱物製品、食料品、燃料>同 :輸入穀類、動物性・植物性食用油脂、タバコ類、製薬品、化粧品等日用品<ネタ帳:天然ガス、石油、タバコ、食料品、ダイヤモンド>貿易相手国:輸出独、露、米、ブルガリア、グルジア、蘭同 :輸入露、中、ウクライナ、トルコ、独、イラン対日輸出2億円 内訳化学製品、有機化合物、たばこ等対日輸入 11億円 内訳建設用・鉱山用機械、電気機器等政府総債務残高/GDP35.1%日本の援助実績有償318億円無償 66億円技術 26億円
Jul 14, 2012
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グルジア共和国の基本事情<外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名グルジア<本来の呼び名は:ジョージア>(表記上は米国ジョージア州と同じで、米国の当該州名は英国王ジョージ2世が当時の植民地に特許状を与えたことに由来する。)グルジアはクルドが「強い民族」を表し、クルド人の地に由来する。キリスト教のグルジアの守護聖人:聖ゲオルギウス(ドラゴン退治の英雄、大地で働く人=農夫の意あり。象徴は赤色十字旗、竜、白馬上の姿)に由来する。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)169位通貨ラリ(Lari)1ドル=1.66ラリ(2012年2月現在:グルジア国立銀行)通貨ラリ(Lari)1ドル=1.66ラリ(2012年2月現在:グルジア国立銀行)国花葡萄<ブドウ原産地>国旗白地に赤のエルサレム十字を描き、イングランドの聖ゲオルギウス十字に似た図案である。白地に五つの十字架を用いる図案は、中世のタマル女王期のバグラティオニ朝グルジア王国の旗として使用された。国の位置カフカース山脈の南麓、黒海の東岸にあたる。北側にロシア、南側にトルコ、アルメニア、アゼルバイジャンと隣接する。古来より数多くの民族が行き交う交通の要衝であり、幾たびもの他民族支配にさらされる地にありながら、キリスト教信仰をはじめとする伝統文化を守り通してきた。また、温暖な気候を利用したワイン生産の盛んな国としても知られる。面積:平方キロ69,700平方キロ日本の1/5人口:千人4,300千人人口密度:/平方キロ62人首都トビリシ東京との大気圏距離:7836km時差:JST-5(サマータイムなし)民族グルジア系83.8%,アゼルバイジャン系6.5%,アルメニア系5.7%,ロシア系1.5%,オセチア系0.9%言語公用語:グリジア語宗教主としてキリスト教(グルジア正教)政体共和制元首ミヘイル・サーカシヴィリ大統領→2013.11ギオルギ・マルグベラシビリ大統領 議会一院制政権与党:(統一国民運動)→イワニシビリ氏率いる「グルジアの夢」が支持を広げ勝利首相 (ニカ・ギラウリ)→ビジナ・イヴァニシヴィリ氏が2012.10.25就任2004年以来10年間、親米欧路線を取って、露とは国交断絶状態にあったが、ワインなどの対露輸出が停止されて経済が悪化し、世論は対露関係の改善を求めていた。新大統領は露と対話深める姿勢。 グルジアは国内に、アブハジア、南オセチア(オセット人はイラン系民族、キリスト教徒)の分離主義地域を抱え、両地域には中央政府の実効支配が及んでいない。(2008年8月、両地域はロシアによりそれぞれ「共和国」として独立承認されるが、現時点でロシアの他に独立承認を行ったのは数カ国のみ。)軍事総兵力20,655人(陸軍17,767人、空軍1,310人、国家警備隊1,578人)ロシア軍が駐留(ミリタリー・バランス2012年)主要産業農業(茶、柑橘類、果物、たばこ、ブドウ栽培、畜産業)、食品加工業(紅茶・ワイン)、鉱業(マンガン)GDP:億ドル117億ドル143.5億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル2,658ドル3,210ドル(2011年)実質GDP成長率6.4%6.9% (2011年)物価上昇率7.1%8.5% (2011年)失業率13.6%14.9%(2011年)財政収支/GDP比▼0.87% (2011年)経常収支(国際収支)▼18.2億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼35.2億ドル貿易額:輸出A15.8億ドル同 :輸入B51.0億ドル貿易品目:輸出くず鉄、金属、輸送用機器、食料品(ナッツ、ワイン、ミネラルウォーターなど)同 :輸入 燃料、石油製品、輸送用機器、医療品貿易相手国:輸出アゼルバイジャン、トルコ、米国、アルメニア、ウクライナ同 :輸入トルコ、ウクライナ、アゼルバイジャン、中国、ドイツ対日輸出7.1億円 内訳化学製品等対日輸入 152.9億円 内訳自動車、ゴムタイヤ・チューブ等政府総債務残高/GDP33.9% (2011年)出身力士栃の心、黒海、臥牙丸ハングリー精神
Jul 11, 2012
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グルジア共和国略史<外務省>年月略史前6世紀西グルジアにコルキス王国成立前4~3世紀東グルジアにイベリア(カルトリ)王国成立4世紀イベリア(カルトリ)王国がキリスト教を国教化。グルジア文字の考案562年西グルジア、ビザンツ帝国により併合6世紀東グルジア、サーサーン朝ペルシアにより征服7世紀後半東グルジア、アラブにより征服975年バグラト朝成立。タマラ女王(在位1184年~1213年)のもとバグラト朝最盛期、南コーカサス全域を領有13世紀以降数次にわたる外敵の侵入、国土の疲弊16世紀以降オスマン朝とサファヴィー朝により東西に分割1783年ロシア帝国、東グルジアのカルトリ・カヘティア王国を保護国化1801年東グルジア、ロシアに併合19世紀前半西グルジアの諸地方、漸次ロシアに併合1844年ロシア帝国、チフリスにカフカース総督府設置1878年アジャリア併合によりグルジア制圧完了1918年5月グルジア・メンシェヴィキによりグルジア共和国独立宣言1921年2月赤軍チフリス入城、グルジア・ソヴィエト社会主義共和国成立1922年アルメニア、アゼルバイジャンと共にザカフカース社会主義連邦ソヴィエト共和国を形成、ソ連邦結成に参加。1956年トビリシ事件(民衆集会・運動が軍により流血の弾圧)1989年4月トビリシ事件(独立回復要求集会へのソ連軍の弾圧)1991年4月9日独立宣言1991年5月ガムサフルディア、初代大統領に当選1992年1月6日反ガムサフルディア派、大統領官邸占拠。ガムサフルディア大統領、グルジアから脱出1992年2月国家評議会創設。シェヴァルナッゼ元ソ連外相が帰国し、国家評議会議長に就任1995年11月シェヴァルナッゼ大統領就任(2000年再選)2003年11月野党勢力が議会を占拠、シェヴァルナッゼ大統領辞任(バラ革命)2004年1月サーカシヴィリ大統領就任2007年11月反政府デモ隊と治安当局の衝突により多数の負傷者が出たことを受け、非常事態令が発出。2008年1月に大統領選挙を繰り上げることで事態は収拾2008年1月大統領選挙が行なわれ、サーカシヴィリ大統領が再選2008年8月グルジア軍と南オセチア軍の軍事衝突を契機に、ロシアが介入。ロシアは南オセチア及びアブハジアの独立を一方的に承認。
Jul 11, 2012
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モルドバ共和国略史<外務省>年月略史1349年ボグダニア公国建国(後のモルダヴィア公国)1457年シュテファン大公即位(~1504年)、モルダヴィア公国の最盛期1512年オスマン・トルコの宗主権下に1792年ヤシ条約(現在の沿ドニエストル地域がトルコからロシアに割譲)1806年露土戦争(1812年、ブカレスト条約によりベッサラビアがロシア領に編入)1859年モルダヴィア公国とワラキア公国の合併1917年ロシア革命、人民投票によりソヴィエトとの併合を決議1918年ルーマニア、ベッサラビア(現モルドバ共和国)を占領1920年パリ条約でルーマニアの領有を承認1924年ソ連、ドニエストル河東岸にウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国の構成部分として「モルダヴィア自治共和国」を創設1940年ソ連、独ソ不可侵条約秘密議定書に基づくドイツとの合意に従い、ベッサラビアを占領1940年ソ連、モルダヴィア・ソヴィエト社会主義共和国を創設1947年連合国とルーマニアの平和条約でベッサラビアのソ連への委譲を確認1989年モルダヴィア人民戦線の結成1990年6月6日共和国を「モルダヴィア・ソヴィエト社会主義共和国」から「モルドバ・ソヴィエト社会主義共和国」に変更1990年6月23日共和国主催宣言1991年5月23日国名をモルドバ共和国に変更1991年12月21日独立国家共同体創設協定議定書に署名1992年沿ドニエストル紛争1993年通貨レイ導入1994年モルドバ共和国憲法採択 モルドバ共和国の基本事情<外務省、世界経済のネタ帳、WIKIPEDIAなど> 国名モルドバ共和国モルドバはルーマニア東部の川の名で、「黒い川」の意。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)175位通貨レイ(MDL)1ドル=11.83レイ(2012年4月現在:モルドバ中央銀行)国旗青・黄・赤の三色旗に国章があしらわれている。パラグアイの国旗やサウジアラビアの国旗同様、国旗に表裏がある。歴史・文化共にルーマニアと強い結びつきがあり、かつて部分的には両国が統合していた時代もある。現在の国旗のデザインもルーマニアの国旗とよく似ている。モルドバの国章(Coat of arms of Moldova)には、くちばしに十字架を加え、爪で杖とオリーブの枝を掴んだ図案化されたワシが描かれている。国章の図案の作者によると、ワシはモルドバの国民の起源がラテン人であることを象徴している。面積:平方キロ33,843平方キロ九州よりやや小人口:千人3,560千人(2011年)沿ドニエストル地域を除く人口密度:/平方キロ105人首都キニショフ(モルドバ語の読みはキシナウ)東京からの大気圏距離:8545km夏時間:JST-6時間冬時間:JST-7時間民族モルドバ(ルーマニア)人78.4%、ウクライナ人8.4%,ロシア人5.8%,ガガウス(トルコ系)4.4%言語公用語はロマンス語系のモルドバ語(ルーマニア語とほぼ同じ)、ロシア語も一般的に通用宗教キリスト教(正教)が優勢政体共和制元首:大統領(ニコラエ・ティモフティ=親欧米派)→2016.11選挙 イーゴリ・ドドン野党「社会党党首=親露派」当選議会一院制政権(1) 首相 ウラジーミル・フィラト(2)副首相兼外務欧州統合相 ユリエ・レアンカ党4党(自由民主党、自由党、民主党、「我々のモルドバ」同盟)が過半数を獲得し、与党連合「欧州統合のための同盟」(AEI)を結成<沿ドニエストル問題: ロシア系住民が入植し、ロシア軍の駐留する沿ドニエストル地域がモルドバの独立前後に「独立」を宣言し武力紛争に発展。停戦状態にある現在もモルドバ政府の実効支配が及んでいない。>(2)2016.11大統領選で親露派のドドンが52%余の票を獲得し、親欧米路線からの変更も取りざたされている。議会で多数を占める親欧米派がEU加盟を目指していたが、約1千億円が主要銀行から消え去る事件の発覚で政権批判が高揚していた。選挙自体の適正性にも疑問が出ていて混乱が起こる懸念がある。軍事地上軍と空軍で構成。地上軍は歩兵部隊を中心に5,148名。空軍は850名で輸送機、ヘリコプターを保有。徴兵制を維持。<なお、沿ドニエストル「政府」軍として、地上軍が約5,400名。同地域には約1,500名のロシア軍部隊が駐留。>主要産業鉱工業(17.1%)、農林水産業(10.6%)、建設業(5.9%)、サービス業(66.4%)(2008年:CIS統計委員会)市場経済移行中であり、欧州最貧国とされる。小麦、葡萄などの産出国GDP:億ドルGNI 55.6億ドル(2009年:世銀)70億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル一人当たりGNI1,560ドル(2009年:世銀)1969ドル (2011年)実質GDP成長率-6.5%(2009年:CIS統計委員会)6.4%(2011年)物価上昇率0. 0%(2009年:CIS統計委員会)7.7%(2011年)失業率6.7%(2011年:モルドバ統計局)財政収支/GDP比▼2.4%(2011年)経常収支(国際収支)▼7億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼20億ドル貿易額:輸出A13億ドル(2009年:CIS統計委員会)同 :輸入B33億ドル(2009年:CIS統計委員会)貿易品目:輸出繊維、食品、植物製品(2009年)同 :輸入化学品、自動車、機械類(2009年)貿易相手国:輸出露(26%)、ルーマニア(16%)、伊(10%)同 :輸入露(15%)、ウクライナ(14%)、ルーマニア(10%)対日輸出(2009年:露NIS貿易会)497万ドル 内訳衣類、食料品対日輸入(2009年:露NIS貿易会)726万ドル 内訳自動車、機械、ゴム製品政府純債務残高/GDP23.4%(2011年)
Jul 10, 2012
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ウクライナ「チェルノブイリ原発事故はウクライナ、ベラルーシ、ロシアが被災」略史<外務省,WIKIPEDIA>年月略史8世紀キエフ・ルーシの成立1240年モンゴル軍キエフ攻略1340年ポーランドの東ガリツィア地方占領1362年リトアニアのキエフ占領1648年フメリニツキーの蜂起(ポーランドからの独立戦争)1654年ペレヤスラフ協定1764年ポルタヴァの戦い(ロシアからの独立戦争)1853年クリミア戦争1914年第一次世界大戦1917年ロシア革命、ウクライナ中央ラーダ政権成立1922年ソビエト社会主義共和国連邦成立1932年大飢饉1939年第二次世界大戦1941年独ソ戦開始、独によるウクライナ占領1954年クリミアをウクライナに編入1986年チェルノブイリ<現:ウクライナ領内>原発事故発生 当時、チェルノブイリ原子力発電所にはソ連が独自に設計開発した黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉(RBMK)のRBMK-1000型を使用した4つの原子炉が稼働しており、そのうち4号炉が炉心溶融(世間一般でいう「メルトダウン」)ののち爆発し、放射性降下物がウクライナ・白ロシア(ベラルーシ)・ロシアなどを汚染した、史上最悪の原子力事故とされている。 1991年のソ連崩壊以後は原子力発電所が領土内に立地しているウクライナに処理義務がある。2010年現在もなお、原発から半径30km以内の地域での居住が禁止されるとともに、原発から北東へ向かって約350kmの範囲内にはホットスポットと呼ばれる局地的な高濃度汚染地域が約100箇所にわたって点在し、ホットスポット内においては農業や畜産業などが全面的に禁止されており、また、その周辺でも制限されている地域がある。 1991年ソ連邦崩壊、CIS創設、ウクライナ独立1996年憲法制定、通貨フリヴニャ導入2004年オレンジ革命、曲折を経て2010年親露派ヤヌコーヴィチ大統領、2014年2月最高議会同大統領解任、暫定新政権誕生、クリミヤ・セヴァストポリのロシア編入 ウクライナの基本事情<2010年、外務省、世界経済のネタ帳、WIKIPEDIAなど> 国名ウクライナ幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)174位通貨フリヴニャ(UAH: hryvnya)1ドル=7.98フリヴニャ(2012年2月現在)国旗黄色と青色の旗や紋章は、古くはキエフ・ルーシの大公ヴォロドィーメル1世の時代から使用されていたと言われる。由来には、二つ説がある。一説によると、青色は空を表し、黄色はステップ(草原)に豊かに実る小麦を表すということである。もう一方の説は、青色は水で、黄色は火であるという。あるいは、黄色は向日葵であるという話もある。この二つの色は、長い間ウクライナ人のシンボルとして使われている。国名の由来「辺境の地」面積:平方キロ603,700平方キロ人口:千人45,870千人人口密度:/平方キロ76人首都キエフチェルノブイリから92.6km東京からの大気圏距離:8,214km夏時間:JST-6時間冬時間:JST-7時間民族ウクライナ人(78%)、ロシア人(17%)、ベラルーシ人(1%)、モルドバ人、クリミア・タタール言語ウクライナ語(国語)、その他ロシア語等宗教ウクライナ正教及びウクライナ・カトリック教。その他、イスラム教、ユダヤ教等。政体共和制元首大統領選挙でペトロ・プロシェンコ元外相当選。2014.6.7就任⇒2019.4大統領選でTVドラマ主役のゼレンスキー氏が当選、5月に就任議会一院制政権首相:(アルセニー・ヤツェニュク)→2014.7.24親欧州派連立崩壊で辞意。解散・総選挙の可能性東部諸州で親露派の争乱状態、クリミヤのロシア編入問題。 軍事NIS諸国の中でも最大規模の軍事力を保有(兵力約15万人、文民スタッフ5万人、総兵力20万人)。主要産業サービス業(59%)、鉱工業(30%)、農林水産業(7%)、建設業(4%)(2008年)GDP:億ドル1,379億ドル1,650億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル 3,010ドル(GNI) 3,621ドル(2011年)実質GDP成長率4.2%5.2%(2011年)物価上昇率9.4%8.0%(2011年)失業率8.8%8.2%(2011年)財政収支/GDP比▼2.7%(2011年)経常収支(国際収支)▼92.8億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼93億ドル貿易額:輸出A514億ドル同 :輸入B607億ドル貿易品目:輸出鉄鋼・金属製品(34%)、機械・機器(11%)、農産物(8%)、化学製品(7%)同 :輸入 鉱物性燃料(35%)、機械・機器(13%)、化学製品(11%)、自動車(6%)貿易相手国:輸出 露(26%)、トルコ(6%)、伊(5%)、中国、カザフスタン同 :輸入 露(37%)、中国(8%)、独(8%)対日輸出177億円<貿易統計> 内訳食料品、鉄鋼、金属製品対日輸入401億円<貿易統計> 内訳自動車、一般機械、電気機器政府純債務残高/GDP35.3%(2011年)
Jul 9, 2012
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ベラルーシ共和国略史<外務省>年月略史10-12世紀キエフ・ルーシ時代13-14世紀リトアニア大公国の構成地域となる1569年ポーランドとリトアニア大公国の連合国家成立1772年第一次ポーランド分割により、白ロシア東部、ロシア領となる1793年第二次ポーランド分割により、白ロシア中央部、ロシア領になる1795年第三次ポーランド分割により、白ロシア西部、ロシア領になる1919年白ロシア・ソヴィエト社会主義共和国の成立1921年ポーランド・ソヴィエト戦争の結果成立したリガ条約により、白ロシアの東半分がソ連領、西半分がポーランド領となる1922年ソ連邦の結成に参加1939年ソ連軍ポーランドに侵攻し西半分を占領(同年9月)、独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づきポーランド西半分を白ロシア領に編入1986年4月26日チェルノブイリ<現:ウクライナ領内>原発事故により多大の被害1990年7月27日共和国主権宣言1991年8月25日共和国独立宣言1991年9月19日国名変更1991年12月8日ロシア、ウクライナとともに独立国家共同体創設協定を締結(これによりソ連邦の解体は決定的なものとなる)1994年ベラルーシ憲法制定1996年憲法改正の国民投票(大統領権限の大幅強化)2004年憲法改正の国民投票(大統領の三選禁止規定削除) ベラルーシの基本事情<2010年、外務省、WIKIPEDIA、世界経済のネタ帳など> 国名ベラルーシ共和国 (白ロシアの意)<チェルノブイリ原発事故の被災国>幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)170位通貨ベラルーシ・ルーブル(BYR)1ドル=8,070ベラルーシ・ルーブル(2012年3月現在)国旗赤はベラルーシの歴史を示している。(ソビエト連邦時代の鎌とハンマーは除かれた。)グルンヴァリトの戦いを戦ったベラルーシ軍が使用した赤や、第二次世界大戦中にナチス・ドイツ軍と戦ったベラルーシ赤軍の赤などを表す。緑はベラルーシの明るい未来と国土の深い森林を表す。旗竿側の装飾文様は、1917年にデザインされたもので、伝統的な織物に使用される文様である。2012年に若干文様のデザインが変更された。面積:平方キロ207,600平方キロ人口:千人9,480千人人口密度:/平方キロ46人首都ミンスク東京からの大気圏距離:8,140km時間:JST-6時間<夏時間が標準時であり、夏時間自体廃止><チェルノブイリ原発---ミンスク距離:345km><CF.福島第一原発---東京:223km>民族ベラルーシ人(83.7%)、ロシア人(8.3%)、ポーランド人(3.1%)、ウクライナ人(1.7%)言語公用語はベラルーシ語(東スラヴ諸語の一つでロシア語に近い)、ロシア語宗教ロシア正教が最も優勢、その他、カトリック、無宗教政体共和制元首アレクサンドル・ルカシェンコ大統領欧米はルカシェンコ大統領による強権的な政治に対し再三懸念を表明し、制裁(高官の入国禁止、海外資産凍結等)を実施、強化している。議会二院制政権首相 ミハイル・ミャスニコーヴィチ2011年11月、ロシア、カザフスタン及びベラルーシの3か国は「ユーラシア経済同盟」の創設に関する宣言に署名。2012年1月には統一経済圏へと移行。軍事地上軍と空軍及び防空軍で構成。地上軍は約5万人、空軍は軍用機約350機を保有。主要産業鉱工業(32.8%)、農林水産業(10.2%)、建設業(10.8%)、サービス業(46.2%)(2008年)<冷蔵庫、トラクターなどの生産あり>GDP:億ドル547億ドル(世銀GNI)555億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル6,130ドル(世銀GNI)5,881ドル(2011年)実質GDP成長率7.6%5.4%(2011年)物価上昇率7.8%53.2%(2011年)失業率1. 2% (2008年)0.6% (2011年)財政収支/GDP比3.3% (2011年)経常収支(国際収支)▼58億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼73億ドル貿易額:輸出A213億ドル(2009年)同 :輸入B286億ドル(2009年)貿易品目:輸出鉱物製品、化学品、輸送機材同 :輸入鉱物製品、機械・設備、金属製品貿易相手国:輸出露(39%)、蘭(11%)、ウクライナ(10%)同 :輸入露(52%)、独(7%)、ウクライナ(5%)対日輸出670万ドル 内訳粉乳、レーザー機器、繊維対日輸入 5,100万ドル 内訳自動車、繊維、機械、通信機器政府純債務残高/GDP50.2% (2011年)
Jul 7, 2012
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マケドニア旧ユーゴスラビア共和国<国名問題あり>略史<外務省 >年月略史6、7世紀頃スラヴ人が定住15世紀以降オスマン・トルコの支配下に入る1918年セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国建国1945年旧ユーゴ構成共和国の一つとして発足1991年旧ユーゴより独立1993年国連加盟 マケドニア旧ユーゴスラビア共和国の基本事情<2010年、外務省、WIKIPEDIA、世界経済のネタ帳(2011年資料)などより> 国名マケドニア旧ユーゴスラビア共和国地域的に、領内を流れるヴァルダル川にちなんで「ヴァルダル・マケドニア」と呼ぶこともあるが、隣国には攻撃的な響きを与えるようだ。ちなみに、ギリシャに属するテッサロニキがマケドニア地域の都市であり、マケドニアの名称をギリシャ以外が使用することにギリシャは異論を唱えている。古代マケドニアの地域は、マケドニア共和国が4割、ギリシャが5割、ブルガリアが1割と概括されるため、EUや日本は「旧ユーゴスラビア」を挟んだ「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」という国連加盟時の暫定呼称を使用。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)不明通貨マケドニア・デナル1ユーロ=61.5デナル(固定)国旗赤地に8本の光を放つ黄色の太陽を描いた旗。面積:平方キロ25,713平方キロ九州の2/3ほどの大きさ人口:千人2,060千人人口密度:/平方キロ80人首都スコピエ東京からの大気圏距離:9,347km夏時間:JST-7時間冬時間:JST-8時間民族多数派のマケドニア人(スラブ系)、少数派のアルバニア人。アレキサンダー大王に率いられた古代マケドニアとの民族的な繋がりはない。言語マケドニア語宗教キリスト教(マケドニア正教)70%、イスラム教30%政体共和制元首ギョルギェ・イヴァノフ大統領議会一院制政権内部マケドニア革命組織・マケドニア国民統一民主党(VMRO-DPMNE)が主導する連合(右派)を中心とする連立内閣ニコラ・グルエフスキー首相軍事(1)予算:2009年 1億6,700万ドル(2)兵制:志願制(3)兵力:現役 約8,000名、予備役 約4,850名主要産業農業(たばこ、ワイン、とうもろこし、米)、繊維、鉱業(鉄等)GDP:億ドル103.3億ドル (2011年)一人当たりGDP:ドル4,431ドル(IMF)5,016ドル(2011年)実質GDP成長率0.7%(IMF)3.0%(2011年)物価上昇率1.5%(IMF)3.9%(2011年)失業率32%(IMF)31.2%(2011年)財政収支/GDP比▼2.6%(2011年)経常収支(国際収支)▼2.8億ドル貿易収支(国際収支)A-B▼23.5億ドル貿易額:輸出A26.9億ドル同 :輸入B50.4億ドル貿易品目:輸出繊維製品、食品・飲料・たばこ、燃料、化学製品同 :輸入繊維製品、一般機械・輸送機器、食品・飲料・たばこ、燃料貿易相手国:輸出独(16.7%)、セルビア(12.5%)、コソボ(11.6%)、ギリシャ(10.7%)、伊(8.0%)、ブルガリア(8.0%)同 :輸入蘭(10.2%)、露(9.8%)、ギリシャ(8.7%)、伊(7.1%)、トルコ(4.9%)、ブルガリア(4.8%)、セルビア対日輸出(財務省貿易統計)9.3億円 内訳たばこ、ワイン等対日輸入6.2億円 内訳自動車、電気機器、一般機械等政府純債務残高/GDP25.1%(2011年)
Jul 5, 2012
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アルバニア共和国の基本事情略史<外務省>年月略史1912年オスマントルコから独立1939年イタリアの保護領、後に併合1944年共産党臨時政府樹立、全土解放1961年ソ連と断交1976年中国の経済・軍事援助停止1985年ホッジャ勤労党第1書記死去1990年野党設立許可、複数政党制導入、外貨導入解禁1991年初の自由選挙、臨時憲法制定、米、英と国交回復、ECと外交関係、IMF、世銀、CSCE加盟1992年総選挙で初の非共産政権樹立、OICに加盟1994年PFP包括協定、PFP個別協定調印1995年欧州評議会に加盟1997年ねずみ講問題を発端とする騒乱が発生。6月の総選挙の結果、社会党を中心とする連立政権成立1998年新憲法制定2000年WTO加盟2003年EUとの間で安定化・連合協定(SAA)交渉を開始2006年EUとの間で安定化・連合協定(SAA)に署名2009年NATO加盟 基本情報<2010年、外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名アルバニア共和国(「エルベイニア」が発音)アルバニア語で国名はレプブリカ・エ・シュチパリセ「鷲の国」の意アルバニアはラテン語の「albus」(白い)が語源とされ、石灰質岩質で「白い土地」に由来。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)157位通貨レク(Lek)1ドル=約99レク(2011年4月現在)国花赤と黒のケシ(ポピー)<WIKIPEDIA>「樫」と言っているWEBもあり。国旗アルバニアの国旗は、赤地に黒の双頭の鷲を中央に描いた旗。この国旗のデザインは、15世紀にオスマン帝国の支配に抵抗し、一時(1443年 - 1478年)独立を勝ち取った中世アルバニアの英雄、スカンデルベクの紋章にちなんだものである。<WIKIPEDIA>面積:平方キロ28,700平方キロ四国の1.5倍人口:千人3,160千人人口密度:/平方キロ110人首都ティラナ550千人東京からの大気圏距離:9,504km夏時間:JST-7時間冬時間:JST-8時間民族アルバニア人言語アルバニア語宗教イスラム教(大半だが、世俗的;30%),正教(20%),ローマカトリック(10%)政体共和制元首バミル・トピ大統領議会一院制政権首相 サリ・ベリシャ民主党、「統合のための社会主義運動(SMI)」等4つの党で構成される民主党連合が与党軍事(1)予算 2億5,400万ドル(2009年)(2)兵役 徴兵制(3)兵力 14,295人(出典:ミリタリー・バランス)主要産業農業、工業、製造業(世銀2008年)GDP:億ドル120億ドル(世銀2009年)128.5億ドル(2011年)一人当たりGNI:ドル 4,000ドル(世銀2009年)3,992ドル(2011年GDPベース)実質GDP成長率7.5%(世銀2009年)2.0%(2011年)物価上昇率2.2%(EIU 2009年)3.4%(2011年)失業率13.8%(EIU 2009年)11.5%(2011年)財政収支/GDP比▼3.5%経常収支(国際収支)▼13.8億ドル貿易品目:輸出(統計局2009年)繊維、鉱物、建築資材同 :輸入機械、食料品、建築資材貿易相手国:輸出伊、ギリシャ、コソボ同 :輸入伊、ギリシャ、韓国対日輸出1.8億円(通関統計) 内訳 魚介類、繊維製品対日輸入 5.6億円 内訳 機械類、金属製品政府純債務残高/GDP58.9%(2011年)
Jul 4, 2012
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ボスニアヘルツェゴビナの基本事情略史<資料出所:外務省>年月略史6世紀スラヴ人定住開始14世紀ハンガリーに抵抗しつつボスニア王国を確立1463年オスマン・トルコによるボスニア征服1878年オーストリア・ハンガリー帝国支配下の一州となる1918年セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国1945年ユーゴ構成共和国の一つとして発足1992年2月独立を問う住民投票の実施1992年4月本格的紛争に突入1995年12月デイトン和平合意成立ムスリム系及びクロアチア系住民が中心の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦(国の中央部と南部・西部の一部を占める)」及びセルビア系住民が中心の「スルプスカ共和国(国の北部・東部の一部を占める)」という2つの主体から構成される一つの国家とされた。 ボスニア・ヘルツェゴビナの基本事情<2010年、外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名ボスニア・ヘルツェゴビナこの国のボスニアは北部地方、ヘルツェゴビナは南部地方である。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)137位通貨兌換マルク(KM)1ユーロ=1.95KM(固定レート)通貨コード:BAM国旗紺色の地に黄色の三角形、およびその斜辺に沿って8つの星を配置した国旗。配列された8個の星のうち1個は上下二つに分かれ、上下の端に配置されている。黄色の三角形は国土の形を図案化したものであり、三角形の3つの辺はこの国を構成する民族のムスリム、セルビア、クロアチアを表象しているとも言われている。面積:平方キロ51,000平方キロ<日本では、「九州」に「四国」を加えて徳島県を除いたぐらいの大きさ>人口:千人3,843千人人口密度:/平方キロ75人首都サラエボ東京との大気圏距離:9,388km夏時間:JST-7時間冬時間:JST-8時間言語ボスニア語、セルビア語、クロアチア語宗教イスラム教、セルビア正教、ローマ・カトリック民族ボシュニャク人48%、セルビア人37%、クロアチア人14%政体複数政党制に基づく共和制ムスリム系及びクロアチア系住民が中心の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」及びセルビア系住民が中心の「スルプスカ共和国」という2つの主体から構成される一つの国家とされた。それぞれの主体が独自の大統領、政府を有するなど、高度に分権化されている。元首8ヶ月の交代制で3主要民族代表が大統領評議会議長を務める議会二院制政権首相に当たるのは閣僚評議会議長で、現在は、ビェコスラブ・ベバンダ氏(クロアチア系)外相はズラトコ・ラグムジヤ氏(ムスリム系)軍事2006年1月から軍事に関する権限・機関は全て国レベルに統一されたが、連隊以下のレベルでは民族別構成が維持される。主要産業木材業、鉱業、繊維業、電力GDP:億ドル183.4億ドル(2011年9月IMF推計)一人当たりGDP:ドル 4,715ドル(2011年9月IMF推計)実質GDP成長率 2.2%(2011年9月IMF推計)物価上昇率 2.1%失業率 27.2%財政収支/GDP比▼3.07%(2011年)経常収支(国際収支)▼15億ドル貿易収支(国際収支)A-B▼33.4億ユーロ貿易額:輸出A 36.4億ユーロ同 :輸入B 69.8億ユーロ対日輸出 4.0億円 内訳木材、繊維製品等対日輸入 7.1億円 内訳機械類等政府総債務残高/GDP 40.63%政府純債務残高/GDP 34.47%
Jun 23, 2012
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モンテネグロ共和国略史<外務省>年月略史6~7世紀モンテネグロ人等スラブ系民族がバルカン半島に定住。11世紀セルビア王国の一部となる。1389年オスマン・トルコに敗北し、その支配下となる。1878年ベルリン条約によりモンテネグロ公国の独立承認。1910年公国から王国となる(1916年に王政廃止)。1918年第一次世界大戦後、セルビアに編入され、ユーゴスラビア王国の一部となる。1941年第二次世界大戦中、イタリアに占領される。ユーゴスラビア王国消滅。1944年「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」(6共和国で構成)の1共和国となる。1992年ユーゴ解体の中で、セルビアとともに「ユーゴスラビア連邦共和国」を建国。2003年「セルビア・モンテネグロ」に国名変更。2006年6月「モンテネグロ共和国」として独立を宣言。2007年新憲法を制定(10月)し、国名を「モンテネグロ」に変更。 基本事情<2010年、外務省、WIKIPEDIA、世界経済のネタ帳など> 国名モンテネグロ幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)不明通貨ユーロ(2002年、独自に導入)国旗国家連合セルビア・モンテネグロが成立した2003年の翌年に国旗が制定され、分離独立後も、そのままモンテネグロ共和国の国旗となっている。オスマン帝国との戦いに用いられた赤い旗に由来する、黄色い縁取りのある赤地で、中央に国章が描かれている。国章は、近代モンテネグロ王国の紋章に由来しており、東ローマ帝国のシンボルである双頭のワシをもとにしたデザインになっている。国章の中心にあるのはヴェネツィア共和国のシンボルである聖マルコのライオンである国名の由来黒い山面積:平方キロ13,812平方メートル(福岡県くらい)人口:千人620千人人口密度:/平方キロ45人首都ポドゴリツァ150千人東京からの大気圏距離:9,448km夏時間:JST-7時間冬時間:JST-8時間民族モンテネグロ人(40%)、セルビア人(30%)、ボスニア系イスラム教徒(9%)、アルバニア人(7%)言語モンテネグロ語(公用語)、セルビア語、ボスニア語宗教キリスト教(正教)、イスラム教政体共和制元首フィリップ・ブヤノビッチ大統領(象徴的)議会一院制政権社会主義者民主党及び社会民主党から成る中道左派の連立政権首相:ミロ・ジュカノビッチ社会主義者民主党党首(2008年2月就任。)軍事総兵力数は約2,600名(2009年11月現在)主要産業サービス業(73%)、工業(18%)、農業(9%)(2008年、世銀統計)<観光業約20%>GDP:億ドル49億ドル(2008年、世銀統計)45億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル6,660ドル(2008年、世銀統計)7,317ドル(2011年)実質GDP成長率8.1%(2008年、世銀統計)2.5%(2011年)物価上昇率7.4%(2008年、世銀統計)3.1%(2011年)失業率11.2%(2007年、モンテネグロ統計局)財政収支/GDP比▼6.5%(2011年)経常収支(国際収支)▼8.8億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼14.4億ユーロ貿易額:輸出A5.3億ユーロ(2008年)同 :輸入B19.7億ユーロ(2008年)貿易品目:輸出アルミニウム、鉄鋼、農産物同 :輸入自動車、機械、石油貿易相手国:輸出伊、セルビア、ハンガリー同 :輸入セルビア、伊、独対日輸出(2009年、通関統計)260万円 内訳コンピューター部品対日輸入(2009年、通関統計)1.6億円 内訳ポンプ、印刷機政府純債務残高/GDP43.3%(2011年)
Jun 18, 2012
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コソボ共和国の基本事情略史<外務省>年月略史13~14世紀中世セルビア王国及びセルビア正教会の中心地となる。多数のセルビア正教の教会、修道院が建立される。1389年コソボの戦いでセルビアがオスマン・トルコに敗退。以後、イスラム教に改宗したアルバニア人がコソボに入植開始。1913年バルカン戦争でトルコに勝利したセルビアがコソボを奪回。1918年ユーゴスラビア王国の一部となる。1941年第二次世界大戦中、ドイツ、イタリア、ブルガリアに分割占領される。1945年ユーゴスラビア社会主義連邦共和国(6共和国で構成)が建国。セルビア共和国の一部として「コソボ・メトヒヤ自治区」が設立。1963年、「コソボ自治州」に改称。1974年ユーゴ憲法改正により、コソボは共和国に準じた大幅な自治権(独自の憲法、議会、政府、裁判所)を獲得。1981年コソボ自治州の共和国昇格を求めるアルバニア系住民による暴動発生。ユーゴ政府は治安部隊の投入により暴動を抑える一方、コソボ向けの開発援助資金を増大。1989年アルバニア系住民とセルビア系住民の対立が深まる中、セルビアはコソボの自治権を大幅に縮小。1990年アルバニア系住民が「コソボ共和国」の樹立とセルビアからの独立を宣言。これに対し、セルビアは自治州議会及び政府の機能を停止し、直接統治を開始。アルバニア系住民は武装組織「コソボ解放軍」(KLA)を組織化し、武力闘争開始。1998年セルビアがKLA掃討作戦を展開し、コソボの治安情勢と住民の人道状況が急速に悪化。OSCEがコソボ検証ミッションを派遣。1999年3月1999年2月、ランブイエ(仏)にて国際社会の仲介で和平交渉が開始されたが、セルビアがNATO軍のコソボ展開を受け入れず決裂。同年3月末、NATOは、コソボにおける人道的危機が深まったとしてコソボを含むセルビア全域の軍事目標及び経済インフラに対し空爆による攻撃開始。これに対し、セルビアがKLA掃討作戦を強化し、数十万のアルバニア系住民がコソボから流出し難民化(コソボ紛争)。1999年6月セルビア治安部隊のコソボ撤収によりNATO空爆終了。国連安保理決議1244号が採択され、国連(UNMIK)による暫定行政が開始され、また、NATO主体の国際安全保障部隊(KFOR)が展開。アルバニア系難民が帰還する一方、約26万人のセルビア人等非アルバニア系住民がコソボからセルビアに避難。2002年4月国連(UNMIK)による「地位の前に水準」政策開始。コソボの地位確定交渉を開始する前提として、コソボによる8つの達成目標(統治機関の構築、法の支配、避難民帰還、地方分権化等)を設定。2005年11月2004年春のアルバニア系住民による暴動発生を契機に、地位確定交渉開始の気運高まる。2005年11月、国連はアハティサーリ元フィンランド大統領を地位交渉仲介特使に任命し、コソボ、セルビア間の仲介交渉に当たらせる。2007年3月アハティサーリ国連特使が、国際社会の監督下によるコソボの独立案を国連に勧告。同案を承認する安保理決議案は採択されず。2007年8月米、露、EUの三者(トロイカ)の仲介によるコソボ、セルビア間の地位交渉が再開されたが、同年12月、不調に終わる。2008年2月17日、コソボ議会が「コソボ共和国」の独立を宣言。 コソボ共和国の基本事情(2010年、外務省、WIKIPEDIA、世界経済のネタ帳など) 国名コソボ共和国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)不明通貨ユーロ(1999年に導入)国旗青地に金色でコソボの地形が描かれ、上部に配置された6つの白い星はコソボに居住する6民族の調和と団結を表している。面積:平方キロ10,908平方キロ岐阜県並み人口:千人2,200千人(2008年)人口密度:/平方キロ202人出生率高く、旧ユーゴ地域ではNo.1の密度首都プリシュティナ(600千人)東京からの大気圏距離:9,319.5km民族アルバニア人(92%)、セルビア人(5%)、トルコ人等諸民族(3%)言語アルバニア語(アルバニア人)、セルビア語(セルビア人)等宗教イスラム教(主にアルバニア人)、セルビア正教(セルビア人)等政体共和制元首アティフェテ・ヤヒヤーガ大統領議会一院制政権コソボ民主党、新コソボ連盟、少数民族系11政党からなる連立政権首相:ハシム・サチ首相(コソボ民主党党首)軍事(1)1999年以来、NATO主体のコソボ国際安全保障部隊(KFOR、約5,000名)が駐留している。(2)2009年1月、軽武装のコソボ治安部隊(KSF、約3,000名)が創設され、災害対策及び警察以外の治安を担当。主要産業サービス業(68%)、工業(20%)、農業(12%)(2008年)GDP:億ドル54億ドル(2008年GNI)65億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル3,240ドル(2009年GNI)実質GDP成長率5.4%(2008年)4.96%(2011年)物価上昇率▼ 2.4%(2009年)7.3%(2011年)失業率45.4%(2009年)財政収支/GDP比▼1.9%経常収支(国際収支)▼13.1億ドル貿易収支(国際収支)A-B▼17.7億ユーロ貿易額:輸出A1.7億ユーロ(2009年)同 :輸入B19.4億ユーロ(2009年)貿易品目:輸出鉱物性生産品、卑金属、食料品同 :輸入機械類、鉱物性生産品、食料品貿易相手国:輸出伊、アルバニア、マケドニア、(スイス)同 :輸入マケドニア、独、セルビア対日輸出960千円 内訳バッグ類、プラスチック製品対日輸入 0.6億円 内訳化学製品、事務用機器
Jun 16, 2012
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セルビア共和国略史<外務省>年月略史6~7世紀セルビア人等スラブ系民族がバルカン半島に定住。11世紀セルビア王国建国、14世紀のドゥシャン王の時代に大いに栄える。1389年オスマン・トルコに敗北し、その支配下となる。1878年ベルリン条約によりセルビア王国の独立承認。1918年第一次世界大戦後、「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」(後、ユーゴスラビア王国)建国。1941年第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによる占領。ユーゴスラビア王国消滅。1944年「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」(6共和国で構成)の1共和国となる。1992年ユーゴ解体の中で、モンテネグロとともに「ユーゴスラビア連邦共和国」を建国。1999年コソボ紛争により、NATO空爆を受ける。コソボが国連の暫定行政下となる。2003年「セルビア・モンテネグロ」に国名変更。2006年モンテネグロの独立(6月)により、「セルビア共和国」となる。2008年コソボがセルビアからの独立を宣言(2月)。 セルビア共和国の基本事情(2010年、外務省、WIKIPEDIA、世界経済のネタ帳など) 国名 セルビア幸福度(エイドリアン・ホワイト氏) 不明通貨 セルビア・ディナール(通貨コード:CSD)国花 セイヨウスモモ国旗汎スラブ色の赤、白、青の横縞3色を配色した国旗。政府庁舎などに掲揚される公式旗では、旗ざお寄りに国章が配置される。セルビア王国の王家オブレノヴィッチ家の紋章と同様のデザインであり、中世セルビア王国を築いたネマニッチ朝の紋章に用いられていた双頭の鷲をあしらっている。双頭の鷲はかつてこの地に大きな影響を及ぼした東ローマ帝国が象徴としていたものである。面積:平方キロ77,474平方キロ(北海道くらいの大きさ)人口:千人 7,320千人人口密度:/平方キロ 95人首都 ベオグラード(1,6001千人) 東京からの大気圏距離:9,194km 夏時間:JST-7時間 冬時間:JST-8時間民族 セルビア人(83%)、ハンガリー人(4%)(2002年)言語 セルビア語(公用語)、ハンガリー語など宗教 セルビア正教(セルビア人)、カトリック(ハンガリー人など)政体 共和制大統領(儀礼的) ニコリッチ任期満了→アレクサンダル・ブチッチ(2017.6.1就任予定、首相から)議会 一院制政権与党:セルビア進歩党 首相:アレクサンダル・ブチッチ*(党首、2014年首相)→ ブチッチの影響下の首相の見通し*1990年代にはミロシェビッチ政権の情報相を務めた。親EU派で対ロシア政策とのバランスも取るが、強権で知られる。EU加盟を目指している。軍事 総兵力32,800人主要産業サービス業(58%)、工業(29%)、農業(13%)(2007年、世銀統計)GDP:億ドル 426億ドル(2009年世銀) 451億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル 5,990ドル(2009年世銀) 6,081ドル(2011年)実質GDP成長率▼2.9%(2009年世銀) 1.78%(2011年)物価上昇率 8.89%(2009年世銀) 11.2%(2011年)失業率 16.9%(2009年統計局) 23.7%(2011年)財政収支/GDP比 ▼4.0%経常収支(国際収支)▼41.2億ドル貿易収支(国際収支)A-B▼69億ドル貿易額:輸出A 98億ドル同 :輸入B 167億ドル貿易品目:輸出鉄鋼、非鉄金属、電化製品、穀物、野菜・果実同 :輸入石油、天然ガス、非鉄金属、電化製品、鉄鋼、(自動車)貿易相手国:輸出 伊、ボスニア・ヘルツェゴビナ、独、(モンテネグロ)同 :輸入 露、独、伊対日輸出 3.5億円 内訳 冷凍果実、ワイン対日輸入 10.7億円 内訳 自動車、化学製品政府純債務残高/GDP 40.5%
Jun 15, 2012
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今春、火曜日の奥様テニスのメンバーが訪れた国です。 いつものように、WEBから集めてみました。 オリジナリティはなく、呆けの予防です。 クロアチア共和国 略史<外務省>年月略史7世紀頃スラブ人が定住10世紀前半トミスラブ公がクロアチア王国建国1527年ハプスブルグ家の支配下に入る1918年セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(後、ユーゴスラビア王国と改称)建国に参加1941年第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの傀儡国「クロアチア独立国」樹立宣言1945年社会主義ユーゴスラビア連邦の構成共和国の一つとして発足1991年ユーゴスラビアより独立宣言1992年国連加盟2005年EU加盟交渉開始2009年NATO加盟2011年EU加盟交渉終了,EU加盟条約署名 基本事情<2010年、外務省、WIKIPEDIAなど>国名クロアチア共和国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)98位通貨クーナ(HRK)国花アイリス国旗旧ユーゴスラビア連邦時代の赤白青の三色の上に、クロアチア王国時代の紋章を画いたもので、王冠をかぷった獅子や山羊が描かれている。白・赤のチェックはシャホヴニツァと呼ばれる。チェックの上部に並ぶ5つの紋章は左から、中央クロアチア、ドゥブロヴニク、ダルマチア、イストラ、スラヴォニアの5つの地域を表している。国歌私達の美しい故国面積:平方キロ56,594平方キロ九州の1.5倍人口:千人4,291千人人口密度:/平方キロ76人首都ザグレブ東京との大気圏距離:9,358km夏時間:JST-7時間冬時間:JST-8時間言語クロアチア語(公用語)宗教ローマ・カトリック87.8%、セルビア正教4.4%イスラム1.3%、プロテスタント0.3%民族クロアチア人89.6%,セルビア人4.5%政体共和制元首イボ・ヨシポビッチ大統領議会一院制政権社会民主党・人民党・イストラ民主会議・年金者党連合(SDP・HNS・IDS・HSU,中道左派)首相 ゾラン・ミラノビッチ軍事(1)国防予算:10億ドル(2)兵力:陸軍11,390人、海軍1,850人、空軍3,500人(志願制)(2009年:ミリタリーバランス)主要産業 観光業(「アドリア海の真珠」といわれるドゥブロヴニクなどがある)GDP:億ドル608億ドル638億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル 13,750ドル 14,457ドル(2011年)実質GDP成長率▼1.2%物価上昇率1. 1%2. 3%(2011年)失業率11.8%13.3%(2011年)財政収支/GDP比 ▼5.5%(2011年)経常収支(国際収支)5.6億ドル(2011年)貿易品目:輸出 輸送機械(船舶)、石油、石油製品同 :輸入 石油、石油製品、自動車貿易相手国:輸出 伊、ボスニア・ヘルツェゴビナ、独、スロベニア、オーストリア同 :輸入 伊、独、露、中国、スロベニア対日輸出49億円 内訳 クロマグロ、魚肉等対日輸入 33億円 内訳 自動車、エンジン等政府総債務残高/GDP 45.6%(2011年)
Jun 11, 2012
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スロベニア共和国の基本事情 略史<外務省>年月略史6世紀末スラヴ人(スロベニア人)定住開始。アヴァール王国等異民族による支配が続く。1282年ハプスブルグ家の所領となる。以後1918年までハプスブルグ帝国領1918年セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国1945年ユーゴ構成共和国の一つとして発足1991年6月独立と主権を宣言1992年1月1992年5月EU各国等が国家承認国連加盟2004年3月2004年5月NATO加盟EU加盟2007年1月2007年12月ユーロ参加シェンゲン領域加入2008年1月~6月EU議長国2010年7月OECD加盟 スロベニア基本事情<外務省、WIKIPEDIAなど> 国名スロベニア幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)67位通貨ユーロ2007年1月参加国花小麦国旗白・青・赤の横三分割旗は、ロシア国旗と同じだが、スロベニア国旗の場合は、古くからあるカランタニア公国の紋章に由来するとされている。左上部に描かれているのは国章で、白の山型は国内最高峰のトリグラウ山を、波型はアドリア海や河川を表している。国章の輪郭や3つの星は、中世に栄えたツェリエ家の紋章に由来している。面積:平方キロ20,273平方キロ人口:千人2,061千人人口密度:/平方キロ102人首都リュブリャナ(人口280千人)東京からの大気圏距離:9416km夏時間:JST-7時間冬時間:JST-8時間言語スロベニア語宗教カトリック57.8%,イスラム教2.4%,セルビア正教2.3%,プロテスタント0.8%政体共和制元首ボルト・パホル大統領(2012.12任期5年)議会二院制政権「積極的なスロベニア」を中心とした中道左派4党連立政権アレンカ・ブラトゥシェク首相(女性)2013.3就任し緊縮財政で経済立て直し→2014.4党首選で公共事業拡大派のヤンコビッチ氏に敗北、離党して国民議会早期解散、選挙実施を求めている軍事(1)予算 4億6242万ユーロ(2011年),(2)兵力 約7,570人(注:予備役などは除く)(2011年),2004年3月、NATO加盟。主要産業自動車等輸送機械、電気機器、医薬品、金属加工、観光<かつてユーゴスロビア内の最先端工業地域>GDP:億ドル352.6億ユーロ(2013年以下同じ)468.2億ドル一人当たりGDP:ドル 17,128ユーロ22,717ドル実質GDP成長率 ▼2.6%物価上昇率2.1%失業率12.4%財政収支/GDP比▼5.%経常収支(国際収支)19.8億ドル貿易収支(国際収支)A-B 2.7億ドル貿易額:輸出A 282.9億ドル同 :輸入B 280.2億ドル貿易品目:輸出 自動車等輸送機械、電気機械類、医薬品同 :輸入 自動車等輸送機械、鉄鋼、電気機械類貿易相手国:輸出 独20%、伊12%、オーストリア7.9%、クロアチア、6.2%仏4.8%,ロシア4.6%(2012) 同 :輸入 伊16.5%、独16.3%、オーストリア10.4%、クロアチア4.8%、ハンガリー4%(2012)対日輸出(2012年)2900万ユーロ 46.6億円 内訳 有機化合物、家具、衣類等対日輸入4500万ユーロ 63億円 内訳 自動車、非鉄金属、二輪自動車等公債/GDP 58.8%
Jun 7, 2012
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WEBデータを集めて、脳梗塞のリハビリを続ける。 スロバキア共和国 略史<外務省>年月略史9世紀大モラビア国時代10世紀大モラビア国滅亡、ハンガリー王国の支配下に入る1526年スロバキア地域を含むハンガリー王国がハプスブルク家の統治下に入る1867年オーストリア=ハンガリー二重帝国への改組1918年第一次世界大戦後のオーストリア・ハンガリー帝国崩壊後、チェコスロバキア共和国建国1939年ナチス・ドイツの影響の下、スロバキア国独立1945年第二次世界大戦後、チェコスロバキア独立回復1948年共産主義体制確立1968年「プラハの春」事件1969年チェコスロバキアの連邦化1989年民主革命(「ビロード革命」)により共産主義体制が終焉1993年チェコと平和裡に連邦を解消し、独立2004年NATO、EU加盟 スロバキアの基本事情<2010年、外務省、JETRO,WIKIPEDIAなど> 国名スロバキア幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)129位通貨ユーロ(2009年1月導入)国花ジャガイモ、エーデルワイズ国旗ロシアと同じスラブ民族に共通の赤・白・青の3色旗にカトリックへの信仰を表すダブルクロス(横棒が2本の十字架)とカルパチア山脈がデザインされている。国歌稲妻がタトラの上を走り去り面積:平方キロ49,037平方キロ(日本の1/7)人口:千人5,445千人(2011.9)人口密度:/平方キロ111人首都ブラチスラヴァ東京からの距離:9,111km夏時間:JST-7時間冬時間:JST-8時間民族スロバキア人85.2%、ハンガリー人9.5%(2009年末)言語スロバキア語宗教ローマカトリック69%、プロテスタント(ルター派)7%など政体共和制元首イヴァン・ガシュパロヴィチ大統領→アンドレイ・キスカ大統領(2014.6.15)⇒ズザナ・チャプトバ大統領(2019.6初の女性大統領)首相の任命権などに限定 議会一院制政権(1)首相 ペテル・ペレグリニ(Peter PELLEGRINI)(2018年3月就任)(2)外務・欧州問題大臣 ミロスラフ・ライチャーク(Miroslav LAJČÁK)(2016年3月就任,2018年3月留任)連立与党(Smer, SNS, Most-Híd)の枠組みは維持軍事(1)国防予算:16億ドル(2010年度)(2)兵役:徴兵制(6ヶ月)(3)兵力:陸軍7,300人、空軍4,200人(志願制)(2010年:ミリタリーバランス)主要産業機械工業、自動車産業GDP:億ドル875億ドル691億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル16,187ドル(2009年)17,644ドル(2011年)実質GDP成長率4.0%3.35%(2011年)物価上昇率0.7%4.1%(2011年)失業率12.5%13.4%(2011年)財政収支/GDP比▼5.5%(2011年)経常収支(国際収支)1.4億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B7.8億ユーロ貿易額:輸出A482.7億ユーロ同 :輸入B474.9億ユーロ貿易品目:輸出電気機器・部品、自動車・部品同 :輸入電気機器・部品、自動車・部品貿易相手国:輸出ドイツ(19.3%)、チェコ(13.7%)、ポーランド(7.3%)、フランス同 :輸入ドイツ(15.8%)、チェコ(10.2%)、ロシア(9.6%)対日輸出114億円 内訳 乗用車、自動車部品対日輸入500億円 内訳 ビデオカメラ等、送受信・受像機器部品政府総債務残高/GDP44.6%(2011年)
Jun 6, 2012
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ブルガリア略史<外務省WIKIPEDIA>年月略史1018年頃まで トラキアでは、BC4000頃と思われる黄金製品の遺物を持つ遺跡群が発見され議論されている。7Cまで東ロマ帝国領下にあり、5C以降、スラブ人が侵入し、その後侵攻したテュルク系遊牧民ブルガール人が征服、681年に東ローマ帝国にブルガリアの建国を認めさせ、スラブ人と同化した。第1次ブルガリア王国が成立(681~1018年)したが、東ローマ帝国に滅ぼされた。 1185年1185年に再び独立して第2次ブルガリア王国成立(1185~1396年)したが、1242年のモンゴル人の侵攻(キエフへの侵攻本流はカスピ海西岸と黒海東岸の間を北進したため被害は少ないが)により打撃を受け衰退、1396年オスマン帝国に滅ぼされた。 1396年500年ものオスマントルコによる占領(~1878年) 1878年1878年露土戦争に敗北したオスマン帝国がサン・ステファノ条約を受け入れて大ブルガリア公国となるが、実際は露の保護国。英・オーストリアなどの露の南下政策牽制により当国の領土はベルリン条約で縮小された。第3次ブルガリア王国成立(1879~1944年)は1908年オスマン帝国で青年トルコ人革命が勃発したことに乗じて王国の独立を宣言、翌年国際的に承認された。1912-13年の第一、二次バルカン戦争で近隣国と戦い、孤立し、ブカレスト講和会議。第一次世界大戦では同盟国側に参戦。1941年にナチス・ドイツと軍事同盟(ホロコーストには抵抗)。 1944年ソ連の侵攻で、王政廃止、共和制が成立、ソ連の衛星国家となる。共産主義政権成立 1946年ブルガリア人民共和国成立1989年共産党独裁体制終焉1991年民主的な新憲法採択、2001年元国王シメオン・サクスコブルクゴツキが首相に就任 2004年NATO加盟2007年EU加盟(改革が不十分として再審査、改革続行を条件に承認。加盟時はEU最貧国。) ブルガリア基本情報<外務省、JRTRO,WIKIPEDIAなど> 国名ブルガリア 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)164位通貨レフ(複数形:レヴァ)BGN leva1ドル=1.478レヴァ(2013 est.)国花ダマスクスバラ(中央部「バラの谷」が有名)国鳥:パプニャク国旗ロシアの国旗の影響を受け、白は純潔と平和を、赤は愛国心を、緑は農業の豊かさを表す。国の標語団結は強さを生み出す国歌:「壮麗なバルカン山脈」の意面積:平方キロ110,900平方キロ(日本の1/3)人口:千人 732万人(2011、IMF)人口密度:/平方キロ66人首都ソフィア(ギリシャ語で「知恵」。国の1/5人口)東京からの距離9,189km夏時間JST-6時間冬時間JST-7時間言語民族 ブルガリア語ブルガリア人約8割、トルコ計9.7%,ロマ3.4% 宗教ブルガリア正教が多数、回教徒、小数のカトリック政体共和制元首:大統領(ロセン・プレヴネリエフ2012.1~2017.1)→2016.11.15選挙で前空軍司令官「ラデフ」が親露派の野党社会党の支持を受け勝利議会一院制政権親露派のラデフ新大統領の誕生を受けて、ボリソフ首相が引責辞任。汚職が横行する現政権への不信感や難民・移民問題でEUの求心力低下が要因との見方がある。軍事(1)防衛省予算 約502百万ユーロ(2012年)(2)兵役:なし主要産業農業(穀物・酪農)、工業(化学・石油化学、食品加工)GDP:億ドル 537億ドル(2013 est. CIA) 一人当たりGDP:ドル 7,307ドル(2011,IMF)実質GDP成長率 0.5%(2013 est. CIA)物価上昇率 1.5%(以下特別注なくば同じ)失業率 11.6%財政収支/GDP比▼2.4%経常収支(国際収支)▼1.8億ドル貿易収支(国際収支)A-B▼50億ドル貿易額:輸出A279億ドル同 :輸入B329億ドル貿易品目:輸出衣服、靴、鋳鉄類、機械類、石油製品同 :輸入機械類、金属鉱石、化学製品・プラスチックス、燃料、鉱物貿易相手国:輸出(2012)ドイツ10.4%、トルコ9.1%、イタリア8.7%、ルーマニア8.2%、ギリシャ7.3%,仏4%同 :輸入(2012)ロシア20.9%、ドイツ11.3%、イタリア6.7%、ルーマニア6.6%、ギリシャ6.1%,トルコ4.6%対日輸出(2011)74億円 内訳衣類、バッグ類、医薬品対日輸入(2011)49億円 内訳原動機、農業用機械、重電機器外貨準備(2013末) 207億ドル対外債務(2013末) 379億ドル大相撲関係大関・琴欧州関がブルガリアの最高位国民栄誉賞(2009年)。明治のブルガリア・ヨーグルトを宣伝。
Jun 2, 2012
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自分の脳梗塞リハビリのためのWEBの外務省、JETRO,CIA,WIKIPEDIAなどからの寄せ集めである。 ルーマニアの基本事情(2013年)略史<外務省、WIKIPEDIA>年月略史106年ローマ帝国によるダキア征服271年ローマ軍撤退、ゴート人の王国が建設され、4C末にフン人の帝国に併呑、中央アジア遊牧民(ゲピド人、アヴァール人)がトランシルバニアを8Cまで支配、その後ブルガール人が1000年まで全土を支配、トランシルバニアは11Cハンガリー王国の一部となり王位継承で1310年アンジュウー家、ハプスブルグ家領を経る。 13,14世紀トランシルバニア以外では、バサラブ1世のワラキア公国,ドラゴシュのモルドバ公国が建国される 15世紀末頃両国はオスマン帝国の宗主下に入り、トランシルバニアも1526年にオスマン帝国の属国となる。モルタビアでは1775年北東部はオーストリア帝国領土となり、東部のベッサラビアは1812年ロシア帝国に割譲(1920年再合併)。18Cにはトランシルバニアは再びハンガリー王国領となり、1918年まで続く。 1877年ワラキアとモルタビアは合同し、独立宣言。翌年のベルリン会議で国際的に承認。 1881年ルーマニア王国発足1918年第一次世界大戦でトランシルバニアとの統一、およびベッサラビア回復(1940年ソ連に占領され最終的に割譲)宣言。1940年第二次世界大戦ではドイツに付いて枢軸側として参戦、ソ連侵攻により国土の一部を占領され、無策であった国王カロル2世を退位させ、1944年には独裁制を敷いていた親独派を1944年8月政変で打倒して連合国側に鞍替えさせた。ドイツ降伏以後はソ連軍の圧力により、共産化する。 1947年王制を廃止し,人民共和国樹立(1965年社会主義共和国に改称)ニコラエ・チャウシェスカの独裁政権の元、一国共産主義でソ連との一線を引き、西側との結束を強化した。 1989年独裁政権が政変(ルーマニア革命)により共産党一党独裁を廃止し,国名をルーマニアに改称 2004年NATO加盟2007年EU加盟(改革不十分で、再審査。改革を続けることを条件として承認さる。) 基本事情<外務省、CIA,JETROなど>優雅な国名とドラキュラルーマニア(古代ローマに征服された歴史から「ローマ人の国」)。<ワラキア公ヴラド3世1431-1476の通称ドラキュラ、ツェペシュ(串刺し)公が有名。彼はオスマントルコと戦った英雄が本来の姿。ドイツのハーメルンの笛吹男に連れられた子供達はトランシルヴァニアに移住。>幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)136位通貨レイ1ドル=3.4682レイ(2012年期中平均)国花ドッグローズ国旗青、黄、赤の縦三色旗である。青は空(黒海)、黄は鉱物・穀物、赤は国民の勇気・独立闘争(の血)を表すという。また、青と赤がモルダヴィア、黄が小ワラキア、赤が大ワラキアを表したともいう。面積:平方キロ238、391平方キロメートル(日本の63%、本州並み)人口:千人19,040千人(2011年)人口密度:/平方キロ80人首都ブカレスト(1,940千人)東京からの距離8,893.5km夏時間JST-6時間冬時間JST-7時間民族ルーマニア人(89.5%),ハンガリー人(6.6%)言語ルーマニア語(公用語)、ハンガリー語宗教ルーマニア正教(87%),カトリック(5%)政体共和制元首トラヤン・バセスク大統領(親米、選挙制度改革派、議会・憲法裁判所弾劾の是非を問う国民投票で留任・・・同国での「弾劾→留任初ケース」)の任期満了で、2014年11月ポンタ(首相)を破り、選出された新大統領クラウス・ヨハニス(中道右派・シビウ市長)が12月就任(任期5年)議会二院制(上院、下院)政権ヴィクトル・ポンタ首相 (2012年12月)社会自由同盟(社民党及び国民自由党および保守党)軍事(NATO加盟国2004年)(1)予算 約17.8億ドル(2)兵力 総兵力8万7,000人(陸軍4万5,800人、海軍6,800人、空軍13,250人、総合軍2万1,150人)(2010年:ミリタリーバランス)主要産業EU加盟2007年金属(鉄鋼、アルミ)、工業(機械機器、繊維)、鉱業(石油)、農業(小麦、トウモロコシ)財政赤字削減のため、付加価値税引き上げ、公務員給与・人員削減等が執られて緊縮経済となったのでギリシャに続き不況が襲った。GDP:億ドル1,714億ドル(2012年,IMF)1,889億ドル(2013年est、CIA) 一人当たりGDP:ドル 8,029ドル(2012年,IMF)実質GDP成長率 0.9%(2012年、IMF) 3.5%(2013年est、CIA) 物価上昇率 3.3%(2012年,IMF)失業率 7.0%(2012年,IMF) 7.3% (2013年est、CIA) 財政収支/GDP比▼2.5%(2013年est、CIA) 外貨準備高488億ドル(2013.12.31 est.)経常収支(国際収支)▼20億ドル(2013年est、CIA)貿易収支(国際収支)▼76億ドル(2013年、est、CIA)貿易額:輸出658億ドル(2013年、est、CIA)同 :輸入734億ドル(2013年、est、CIA)貿易品目:輸出<ダチアの輸出は海外組立工場向け>機械・電気機器25.3%、輸送用機器15.2%、金属・同製品11.4%、繊維製品8.0%、鉱物5.8%、プラスチック・ゴム製品5.7%(2012年)同 :輸入機械・電気機器26.5%、鉱物(天然ガスなど)13.0%、金属・同製品10.7%、化学製品10.4%、輸送用機器7.5%、プラスチック・ゴム製品7.2%、繊維製品6.4%(2012年)貿易相手国:輸出独18.9%,伊12.3%,仏7.1%,トルコ5.5%,ハンガリー5.5%(2012年,CIA)同 :輸入独17.5%,伊11%,ハンガリー9.1%(天然ガスなど),仏5.7%,露4.4%(天然ガスなど)(2012年,CIA)対日輸出5.1億ドル(2013年) 内訳<ホルツインダストリ・シュバイクホファーの家屋建設用木材輸出>木材・コルク30.4%、衣類・同付属品24.9%,木製品・コルク製品(除く家具)14.5%(2013年)対日輸入3.1億ドル(2013年) 内訳輸送用機器30.9%,電気機器25.1%,一般機械19.7% (2013年)外国投資国内残高 840億ドル(2013.12.31,CIA)対外債務残高1,316億ドル(2013.12.31,CIA)対外投資残高 14億ドル(2013.12.31,CIA)
May 30, 2012
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日本政府はTPP交渉の前段階として、まず経済連携協定(EPA) 締結をカナダ(米国、メキシコとNAFTAを締結)と目指している。 東日本大震災で、原子力発電所への依存を主眼にしてきた我が国 のエネルギー政策を見直さざるをえなくなり、また、長年依存して きた中東の原油など確保(日本の中東依存は原油9割、天然ガス 2割)についても、米国のイラン制裁に協調する日本の姿勢から 削減する必要があり、カナダの豊富な天然資源(天然ガス輸出量、 原油埋蔵量で世界第3位)ルートを確保することが急務である。 そのためには、農業輸出国でもあるカナダとの貿易で、自国の 農業をどのように守るのかも急務となっている。 いずれにしても、TPPへの加盟を図るには、豪州との交渉でも 農業問題は避けて通れず、お互いの調整が必要であるのだ。 カナダの基本事情(2010年)JETRO,外務省資料など 国名カナダ幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)第10位通貨カナダ・ドル対米ドル:1.0009(2010年末)国花決められてはいないが最も親しまれ、国旗にもある<シュガーメープル>国旗赤白赤の縦縞で、中央に赤いサトウカエデ(Sugar maple)の葉が配されており、英語ではThe Maple Leaf Flag(「メイプルリーフ旗」の意)とも呼ばれる。国の標語国の標語: A Mari Usque Ad Mare(ラテン語: 海から海へ)面積:平方キロ 9,984,670平方km(日本の26.4倍、世界第2位)人口:千人 34.060千人人口密度:/平方キロ 3.42人首都オタワ(870千人)言語英語、仏語宗教ローマカトリック教会(43%)、カナダ合同教会政体立憲君主制元首エリザベス二世女王(但し、総督が女王の代行を務める。総督 デービッド・ジョンストン)議会二院制政権(保守党→)2015.10自由党首相 (スティーブン・ハーパー→)ジャスティン・トルドー(43才)軍事(2011年度)・ 予算 213億加ドル(2011年度予算)・ 兵役 なし・ 兵力 約69,000名(予備役含む)主要産業金融・保険・不動産などのサービス業、製造業、建設業、鉱業GDP:億ドル 15,741億ドル (世界第9位)一人当たりGDP:ドル 46,302ドル実質GDP成長率 3.3%物価上昇率 1.8%失業率 8.0%対外債務残高2011年6月末 11,810億ドル 財政収支/GDP ▼5.5%外貨準備高 570億ドル経常収支(国際収支) ▼494億ドル貿易収支(国際収支) ▼87億ドル貿易額:輸出 3,930億ドル<GDPの25%に相当>同 :輸入 4,017億ドル貿易品目:輸出鉱物性生産品27.2%自動車・同関連部品13.2%卑金属8.7%動物性、植物性生産品7.0%化学工業生産品6.8%一般機械6.6%パルプ等4.9%同 :輸入自動車・同関連部品15.0%一般機械14.1%鉱物性生産品11.0%電気機器10.6%化学工業製品8.9%卑金属6.8%プラシチック・ゴム4.8%食料品・飲料3.8%貿易相手国:輸出米国74.7%英国4.2%中国3.4%日本2.4%(NAFTA75.8%、EU9.3%)同 :輸入米国50.4%中国11.0%メキシコ5.5%日本3.3%独2.8%英2.7%(NAFTA55.8%、EU12.4%)対日輸出 94億ドル 内訳動物性・植物性生産品33.8%鉱物性生産品30.9%木材など10.5%卑金属5.6%パルプなど4.5%化学工業製品3.2%航空機・関連部品2.5%対日輸入 98億ドル 内訳自動車・関連部品42.5%一般機械20.9%電気機器12.5%卑金属5.5%精密機器など5.4%プラスチック・ゴム4.2%化学工業製品3.1%直接投資受入額 234億ドル<225億カナダドル> 2009年末残高5,494億カナダドル 国別内訳:米国52.5%、英国11.6%、 英国以外EU18.2%(日本2.4%) 表種別内訳:エネルギー・鉱産物36.2%、 金融・保険19.8%、機械輸送機器9.4%、 サービス・商業8.5%対外直接投資 380億カナダドル 2009 年末残高: 5,933億カナダドル 国別内訳:米国44.0%、英国11.0%、 英国以外EU14.1%<欧州向け投資引き上げ超>業種別内訳:金融保険50.3%、 エネルギー・鉱産物23.3%、 サービス商業 11.2%、機械輸送機器 3.3%外国企業による大型M&A(2010年の10億ドル以上)中国 :46.5億ドル<原油天然ガス採掘>米国 :32.5億ドル<原油天然ガス採掘>中国 :17.4億ドル<原油天然ガス採掘>ブラジル:16.1億ドル<製鉄、高炉、圧延機>米国 :13.8億ドル<商業印刷リソグラフィー>仏 :12.5億ドル<原油天然ガス採掘>露 :10.6億ドル<ウラン鉱石採掘>
Mar 26, 2012
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国名エストニアラトビアリトアニア幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)139位154位155位通貨ユーロ導入(2011年1月)対ユーロ固定制(1ユーロ=約0.70ラトビア・ラット)→2014.1.1ユーロ圏に参加 対ユーロ固定制(1ユーロ=3.4528リトアニア・リタス)面積:平方キロ45,22764,58965,300人口:千人1,3502,3203,480人口密度:/平方キロ30人36人53人首都(人口:千人)タリン(400)リガ(720)ヴィルニュス<ビリニュス>(542) 矢車菊マーガレットヘンルーダ(ルータ)言語エストニア語(フィン・ウゴル語)ラトビア語(インド・ヨーロッパ言語)リトアニア語(インド・ヨーロッパ言語)民族エストニア68%ロシア26%フィンランド1%その他5%ラトビア59%ロシア28.3%ベラルーシ3.7%ウクライナ2.5%他6.5%リトアニア83.5%ロシア6.3%ポーランド6.7%ベラルーシ1.2%その他2.3%宗教プロテスタント(ルター派)ロシア正教等プロテスタント(ルター派)、カトリック<東部>、ロシア正教主にカトリックロシア正教、福音主義ルーテル派、ユダヤ教政体共和制1991年独立共和制1990年独立回復宣言共和制1990年独立回復宣言元首トーマス・ヘンドリク・イルヴェス大統領アンドリス・ベルズィンシュ大統領(名誉職)ダリア・グリボウスカイテ大統領議会一院制一院制一院制政権改革党と祖国共和同盟首相 アンドルス・アンシフ首相(改革党)首相 バルディス・ドンブロウスキス(「統一」)首相 アンドリウス・クビリウス(祖国同盟-リトアニア・キリスト民主党)3党連立政権軍事3.4億ユーロGDPの2%2.5億ドル3.2億ドル主要産業機械、鉱産物、金属製品等が主要輸出品。オイルシェール産出で発電木材関係品、繊維製品、漁業、金属加工品<中継貿易>石油精製業、食糧・飲料製造業、物流・倉庫業GDP:億ドル143億ユーロ240億ドル363.6億ドル一人当たりGDP:ドル10,674ドル10,680ドル11,043ドル実質GDP成長率2.3%▼0.3%1.33%物価上昇率3.0%2.4%3.62%失業率16.9%19%17.8%財政収支/GDP比<2009年>▼1.7%▼7.6%▼9%程度外貨準備高<2008.1>38.1億ドル59.0億ドル76.9億ドル貿易額:輸出128.2億ドル72億ドル(2009年)208億ドル同 :輸入131.8億ドル93億ドル(2009年)234億ドル貿易品目:輸出鉱産物(オイルシェール精製油、電力等)、電気製品・部品(携帯電話関連物品等)、電力木材品19%、金属製品14%機械電機13%化学製品8%食料品8%石油製品、家具、自動車及びその他の輸送車両(再輸出)、プラスチック製品同 :輸入鉱産物(原油、天然ガス等)、自動車、電気製品(生活家電等)機械電機17%鉱物16%金属製品12%化学製品11%食料品7%石油・原油、天然ガス、医薬品、自動車及びその他の輸送車両貿易相手国:輸出フィンランド17.0%スウェーデン15.6%ラトビア9.6%リトアニア16%エストニア13%ロシア11%独9% ロシア13.2%ラトビア10.0%独9.7%ポーランド7.2%同 :輸入フィンランド14.8%ドイツ11.2%スウェーデン10.9%リトアニア17%ドイツ12%ロシア10%ポーランド8%エストニア7%ロシア30.1%独11.2%、ポーランド10.0%ラトヴィア6.4%対日輸出(:百万ドル)63.552.628.7 内訳魚介類、半導体等電子部品、自動車の部品類等 光学機器、家具、繊維製品 対日輸入(:百万ドル)93.239.746.8 内訳自動車、加熱用・冷却用機器、科学光学機器等 繊維製品、自動車、電気機器、機械類
Mar 12, 2012
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· 10世紀に建国。· 15~17世紀には東欧の大国。· 18世紀末には3度にわたり、ロシア、プロシア、オーストリアの隣接三国に分割され、第一次大戦終了までの123年間世界地図から姿を消す。· 第二次大戦ではソ連とドイツに分割占領された。 大戦での犠牲者は、総人口の5分の1を数え、世界最高の比率。· 大戦後は、ソ連圏にくみ込まれたが、ワレサ議長(1983年ノーベル平和賞受賞、1990年には大統領)を中心とする「連帯」運動(1980年代)など自由化運動が活発で、東欧諸国の民主化運動をリードした。· 1989年9月、旧ソ連圏で最初の非社会主義政権が発足した。· 「欧州への回帰」を目標に、1999年3月にNATO加盟、2004年5月にはEU加盟を果たした。(ユーロは加盟せず) · ポーランド出身の第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は史上初のスラブ系教皇で、世界平和と戦争反対の呼びかけ、平和運動の実践、反共産主義と東欧の民主化運動への精神的支援、諸宗教や諸文化間の対話、生命倫理分野でキリスト教道徳観の再提示などを行い、宗教の枠を越えた現代世界観に多大な影響を与えた。在位は1978年~2005年。 ポーランドの基本情報(おもにJETRO,外務省) 国名ポーランド共和国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)第99位通貨ズロチ(ZL)1ZL=約23円(2011年12月)国花パンジー国旗(WIKIPEDIA)白と赤の横二色旗。中世期の年代記によると建国者レヒが、夕日を背景に飛ぶ白鷲を見て旗にしたとされる。しかし、19世紀の独立運動の中では、白は共和国の尊厳を、赤は自由を表すものと意味が変わり、現在に至っている。国章赤色の盾の背景に、王冠をかぶった白いの鷲で表される。面積:平方キロ322,575平方キロメートル(日本の約4/5%)人口:千人38,200千人人口密度:/平方キロ118人首都ワルシャワ人口1,690千人言語ポーランド語(西スラブ語系)宗教カトリック(88%)政体共和制元首ブロニスワフ・コモロフスキ大統領議会二院制政権市民プラットフォーム(PO、連帯の流れを汲む)、ポーランド農民党(PSL)↓2015.10政権交代 右派「法と正義」シュドア首相(党首はカチンスキ)・・難民受け入れ反対軍事(外務省)(1)予算 約95.6億ドル(対GDP比1.95%)(2011年)(2)兵力 総兵力約10万人(2011年)(3)徴兵制は2009年末で廃止 主要産業食品、自動車、金属、化学製品、燃料GDP:億ドル4,694億ドル一人当たりGDP:ドル 12,323ドル実質GDP成長率3.8%物価上昇率2.6%失業率12.3%(2011年5月ドイツの労働市場開放で好転の見込み)財政収支/GDP比▼ 7.9%(11年▼5.6%予想)(12年末に▼2.9%に改善見込み)外貨準備高 888.2億ドル経常収支(国際収支)▼209.8億ドル貿易収支(国際収支)▼114.1億ドル貿易額:輸出1597.6億ドル同 :輸入1780.6億ドル貿易品目:輸出機械類・輸送用機器43.2%原料別製品19.5%その他の工業製品13.2%食料品・動物9.6%化学製品7.8%鉱物性燃料3.1%同 :輸入機械類・輸送用機器35.5%原料別製品17.4%化学製品14.0%その他の工業製品10.7%鉱物性燃料9.4%食料品・動物6.9%貿易相手国:輸出独26.1%仏6.9%伊6.9%英6.4%チェコ5.8%蘭4.2%露3.7%(EU27 79.7%)同 :輸入独22.4%露8.6%中国9.3%伊6.8%仏4.6%蘭3.6%チェコ3.6%韓国3.0%英3.0%(EU27 61.9%)対日輸出4.6億ドル 内訳2009年自動車32.7%機械類10.5%化学工業製品10.2%衛生器具・工具類9.8%電気機器4.0%対日輸入 36.1億ドル 内訳2009年機械類27.1%自動車20.8%電気機器20.4%光学機器・精密機器15.6%鉄鋼2.1% 対外債務残高 3,145.8億ドル対外債務残高/GDP 67.0%直接投資受入額 90.6億ドル日本進出企業状況企業数:75社(製造業)企業名:住友電工(ワイヤーハーネス製造)、トヨタ自動車(トランスミッション製造)、東海ゴム工業(自動車用ゴム製品)、日本精工(ベアリング製造)、デンソー(小型モーター)、いすゞ自動車(ディーゼル・エンジン製販)など。(出所)ジェトロ「在欧州・トルコ日系製造業の経営実態2010年度調査」
Mar 10, 2012
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<JETRO資料より> ロシアの主な輸出案件(2010年3月~2011年6月) 受注分野(国内企業名)相手国受注内容など航空機(スホイ)ラオス航空機SSJ100 3機(9510万ドル)、オプション6機 インドネシア航空機SSJ100 15機 (9億5100ドル)、オプション15機 タイ航空機SSJ100 12機、オプション12機 バミューダ航空機SSJ100 30機(9億ドル超)、オプション15機 米国航空機SSJ100 6機(3億ドル超)、オプション4機 メキシコ航空機SSJ100/95LR 15機(6億5000万ドル)、オプション5機 イタリア航空機SSJ100 12機(3億7000万ドル) インドネシア航空機SSJ100/95B 12機(3億7920万ドル)建設(モスメトロストロイ)インドチェンナイの地下鉄建設受注(4億3000万ドル)原子力(ロスアトム)ベラルーシ原発2炉建設2010.3 ウクライナ原発2炉建設協定締結原油(TNK-BP)ベトナムペトロベトナムと東シベリア太平洋(ESPO)原油パイプラインを通じた長期供給を2010.11に開始。原油(ロスネフチトランスネフチ)中国東シベリア太平洋原油パイプラインの中国向け支線の商業輸送を2011.1に開始 ロシアの主な輸入案件(日本の受注分に限定)(2010年3月~2011年7月) 事業分野企業名受注内容機械大気社プジョー、シトロエン、三菱自動車工業の合弁から塗装設備一式 双日、川崎重工業7千キロワット・クラスのガス・タービン発電設備2機 双日、橋本電機工業ベニヤ製造ライン50億円建設千代田化工建設天然ガス液化プラント、LNG・石油出荷ターミナルの設計業務 ジェイ・パワーシステムズ電力・光複合海底ケーブル供給敷設および業務協力。35億円 三菱重工業、双日、中国企業尿素肥料プラント建設。10億ドル強 極東ロシアガス事業調査会社年産1千万トン規模の液化天然ガス・プラントの事前基本設計等実施可能性調査鉄鋼新日本製鐵天然ガス・パイプライン用高変形能(地殻変動に対応)UO鋼管。2万トン ロシアの主な対内投資案件(日本企業に限定)(2010年1月~2011年8月) 分野企業名投資内容自動車三井物産合弁で、ウラジオストクにトヨタブランドの自動車組立工場建設自動車部品ティラド合弁でアルミニウムラジエーター工場を稼働。年産60万個。投資額2,500万ドル。 タカタシートベルト、エアバッグ、ステアリング・ホイール工場設立。投資額2千万ユーロ。建機・農機日立建機中型油圧ショベル生産。年間2千台。投資額60億円。食品キリンビールモスクワ・ビール醸造会社に「一番搾り」を委託生産日用品ユニチャーム、スウェーデン企業ベビー用パンツタイプの紙おむつ工場竣工製薬ニプロ合弁で医薬用硝子製品の製販会社設立化学DIC米国子会社が包装材用リキッドインキ生産工場を起工。投資額2,500万ユーロ。 旭硝子世界最大級の、厚さ4~12ミリの板ガラス生産工場を建設。日産千トン。投資額1億5千万ユーロ。金融三井物産決済端末事業大手の14.9%の株式取得 SBIホールディングス銀行の株式を50%取得小売ファーストリテイリングユニクロ1号店をモスクア市内のSCアトリウム内に開設
Jan 31, 2012
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<JETRO資料より>ロシアの国別投資残高(単位:億ドル)(2010年末現在)投資先国投資残高同%オランダ19434.3キプロス15026.4米国6511.4ベラルーシ274.7スイス254.4英国234.1英領バージン諸島183.2アルメニア132.3ウクライナ81.4ウズベキスタン61.0その他とも合計568 100 ロシアの主な対外投資案件(2010年1月~2011年7月)投資分野投資国具体的内容エネルギーベトナム油田の商業生産開始 ボスニア・ヘルツェゴビナ石油・天然ガスの探査・生産の合弁会社設立覚え書き締結 ウクライナガソリンスタンド会社を買収 ベトナム、ベネズエラ英BPから採掘・パイプライン資産買収 ブラジル石油天然ガス鉱区の1つの45%権益確保 セルビア本年第3四半期から1製油所でガソリンを精製する。年間63万8千トン。 ルーマニア黒海鉱区2箇所の探査・開発の権利落札。 シエラレネオ(西アフリカ)オフショア鉱区の49%取得 ブルガリア太陽光発電所の建設開始 中国石油精製所を合弁で建設。原油処理能力年1300万トン。 ベネズエラ独石油会社の株式の50%を獲得。 ウクライナ炭層からのガス採掘、黒海大陸棚開発の合弁会社 リビア出資しているイタリアの炭化水素公社の保有権益の半分を取得 ドイツガス会社とキャサリナ地下ガス貯蔵施設の建設合意。容量6億立方メートルのタンクを10機建設。 カザフスタンウラン鉱山の権益の50%など獲得 タンザニアウラン鉱床プロジェクトの権益を持つ、オーストラリアの会社を買収。金属ギニア金鉱山会社買収 コンゴ共和国英領バージン諸島の鉱山開発会社の株式取得。鉄鉱石鉱区の地質調査ライセンス インド鉱物資源公社と合弁で製鉄プラント建設の覚え書き。合弁会社はインドで鉄鉱石採掘、露にコークス炭採掘の子会社を持つ。 ルーマニアラミノイル製鉄所を買収 カザフスタン製鉄所建設。年産鉄筋45万トン。 トルコ鉄鋼コンビナートの株式取得で買収 ルクセンブルグ(北米、欧州)北米や欧州に製鉄所を保有するスチールインベストを買収 中国兵器製造大手の子会社の株式取得とアルミニウム合金製造の合弁設立覚え書き カメルーンボーキサイト採掘、アウミナ生産の覚え書き 南アカラハリ荒地マンガン鉱山の生産開始機械ウクライナ変圧器工場稼働 カザフスタン仏、カザフスタンとの合弁で電気機関車工場を起工 クロアチアオーストリア企業からクロアチアの国営重工業会社を買収木材ドイツ木材加工会社2社の製材工場買収 北米米国の製材会社買収建設オーストリア建設会社の株式17%を取得情報・通信イタリア、エジプトウエザーインベストメントを通じて伊、エジプトの会社買収 ラオス通信会社の78%株式取得 米国AOLの子会社IMSICQ買収金融オーストリア銀行の買収合意
Jan 31, 2012
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プーチン首相が現在の大統領と今年の3月に、そっくり入れ替わる体制をとるのだろう、というのは周知の事実である。 イランへの経済制裁に反対のロシアは、イランの中南米諸国やベトナムなどとの経済関係の拡大に同調している。 EU諸国が7月までの猶予期間を設けながら禁輸の体勢を強める一方、中国、インド、韓国などは米国との関係に配慮しつつ輸入の継続、拡大に動いており、イランをめぐる世界の動きは複雑化している。 2010年8月には干魃の影響で穀物の輸出を禁止する時限措置が取られた。 国名ロシア幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)第167位通貨ルーブル(期中平均 1ドル=30.3679ルーブル)国花ヒマワリ、カモミール(菊科のリンゴの香りがある花)国旗と国の説明(WEBのWIKIPEDIAや「ロシア雑学事始」による)白、青、赤の横三色旗。白は高貴と率直の白ロシア人を、青は名誉と純潔性の小ロシア人を、赤は愛と勇気の大ロシア人を表す。この国旗の3色は汎スラヴ色として、多くのスラブ系諸国で用いられている。ルーシのギリシャ語風名称・ロシア(正確には「ローシア」)はかつてのルーシ諸地域を、ルーシ北西部を「大ロシア」、現在の西ウクライナあるいは中・南部ウクライナを「小ロシア」と呼ぶ。ベラルーシも「白ロシア」という意味である。ロシアはキエフ・ルーシ大公権に属するモスクワ公国に過ぎなかったが、ジョチ・ウルスの時代に征服者モンゴルと協調し、隣国を破り旧キエフ・ルーシの東側領土の大半をえたこと、帝政時代に極東進出と拡張で大国となった。モスクワ大公国は「偉大なルーシ」の継承国家であり、ヨーロッパ国家の一員として、公式にギリシャ風の「ロシア」を国号として用いた。面積:平方キロ17,098,200平方キロメートル(日本の45倍)(旧ソ連邦は日本の60倍)人口:14,191万人人口密度:/平方キロ8.3人首都モスクワ(1,051万人、2009年1月1日)言語ロシア語、他各民族語宗教ロシア正教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教など政体連邦共和制元首ドミトリ・メドベージェフ大統領→ウラジーミル・プーチン大統領(2012.5.7)議会二院制(上院、下院)政権与党は「統一ロシア」。ウラジーミル・プーチン首相→ドミトリ・メドベージェフ首相(2012.5.7)主要産業鉱業(石油、天然ガス、石炭、鉄鉱石、金、ダイヤモンド等)、鉄鋼業、機械工業、化学工業、繊維工業GDP:億ドル14,651億ドル一人当たりGDP:ドル10,356ドル実質GDP成長率4.0%物価上昇率8.8%失業率7.5%財政収支/GDP比▼ 4.0%。(2011年は▼1.3%の見込み)外貨準備高4,436億ドル経常収支(国際収支)706億ドル貿易収支(国際収支)1,225億ドル貿易額:輸出(ベラルーシ、カザフスタンを含む) 3,964億ドル (外務省発表4,004億ドル)同 :輸入(ベラルーシ、カザフスタンを含む) 2,290億ドル (外務省発表2,487億ドル)貿易品目:輸出3,786億ドル(ベラルーシを含まない)鉱物製品69.3%(燃料・エネルギー製品68.4%),金属および同製品10.6%,化学品・ゴム6.2%,機械・設備・輸送用機器5.5%,木材・パルプ製品2.5%,食料品・農産品(繊維を除く)2.3%,貴石・貴金属および同製品2.3% エネルギー輸出(LNGでは韓国・日本向けが9割を占める)原油 1,291億ドル 23,409万トン天然ガス435億ドル1,527億立方メートルLNG 30億ドル 2,400万立方メートル合計 1,756億ドル(44.3%)同 :輸入2,192億ドル(ベラルーシを含まない)機械・設備・輸送用機器45.0%、化学品・ゴム16.5%,食料品・農産品(繊維を除く)15.4%、金属および同製品7.4%,繊維・同製品・靴6.1%,鉱物製品2.6%(燃料・エネルギー製品1.7%),木材・パルプ製品2.6%貿易相手国:輸出3,966億ドル(ベラルーシを含む)蘭*13.6%,伊6.9%,独*6.3%,ウクライナ*5.8%,トルコ*5.1%,中国5.1%,ベラルーシ4.6%,ポーランド3.6%,日本3.2%,仏3.1% (*太文字は原油、天然ガスの輸出が主)[EU53.1%、CIS 15.0%]同 :輸入2,290億ドル(ベラルーシを含む)中国17.0%,独11.7%,ウクライナ6.1%,米4.9%,日本4.5%,仏4.4%,伊4.4%,ベラルーシ4.3%,韓国3.2%,ポーランド2.5%対日輸出 128億ドル (日本通関統計161.0億ドル) 内訳(日本通関ベース)鉱物性燃料75.8%(原油および粗油45.1%,液化天然ガス16.4%,石炭8.4%,石油製品5.6%<揮発油5.4%>)原料別製品12.6%(非鉄金属10.4%,鉄鋼2.0%)食料品7.4%(魚介類7.3%)原料品3.3%(木材2.6%)対日輸入 103億ドル (日本通関統計80.3億ドル) 内訳(日本通関ベース)輸送用機器64.6%(乗用車62.5%,バス・トラック2.4%),一般機械13.4%(建設用鉱山機械4.3%,荷役機械2.4%,原動機2.2%)、原料別製品10.4%(鉄鋼4.1%,ゴム製品4.1%)電気機器5.7%(映像機器2.3%)直接投資受入額 138億ドル対外債務残高4,887億ドル対外債務残高/GDP比33.4%
Jan 31, 2012
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ポーランドもEUの財政の健全化について調査を受けたが、問題がないとしてパスしている。 ハンガリーは▼4.2%であり、より低いが「問題有り」である。 ポーランドについて、一体どのような資料から判断しているのだろう。(キプロスやマルタについては資料がWEBにないので諦めた。) ポーランドの現在の財政収支/GDP比は▼7.9%で次年度は▼5.6%と推定され、政府は付加価値税(VAT)の最高税率を22%から23%に引き上げるなどの財政健全化に取り組んでいるが、目標の▼3%はまだまだである。 国内経済が拡大基調にあることが「財政の健全化」で評価されたのであろうか。 欧州委員会の判断は、「長期の+方向性を見ている」のかも知れない。 同国は、EUから膨大な補助金(86億ユーロ)を受けているが、それらは「インフラ整備、教育」に向かっており、多数の企業、輸送網、歴史建造物などの改修、建て替えなどが実地され、多数の学生、市民が教育の恩恵を受けた。 隣国の独に出稼ぎに出て行った国民のUターンを奨励するほど産業は活性化している。 緊縮財政であっても、「国営企業の民営化でIPOを図ること」で資金が集められる。 同国は、欧州で最もビジネスに適した都市はどこかの調査で、独のフランクフルト、スウェーデンのマルメに次いでランクされるワルシャワを擁しており(4位英のロンドン、5位ベルギーのブリュッセル)、国を挙げて起業支援、中小企業(雇用の2/3、GDPの8割)育成を推進している。 ポーランドの基本情報(2010年、JETRO,WIKIPEDIAなどWEB・DATA) 国名ポーランド(POLSKA、波蘭)幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)第99位通貨ズウォティ国花パンジー国旗白と赤の横2色旗国歌ドンブロフスキのマズルカ面積:平方キロ322,575平方キロメートル(日本の85%)人口:千人38,200千人人口密度:/平方キロ118人首都ワルシャワ(人口1,690千人)言語ポーランド語(西スラブ語族)宗教カトリック(93%)政体共和制元首ブロニスワフ・コモロフスキ大統領議会二院制政権市民プラットフォーム(PO),ポーランド農民党(PSL)主要産業低い賃金から、EU圏内の工場としての役割を持ち、PCやTVなどの情報家電の生産が盛んで、欧州のTVの3割を占める。乗用車、トラック、バス、路面電車、鉄道車両など生産も盛ん。手工業では、琥珀製品、Xマスツリー用ガラス飾りが世界一で、食器も人気がある。農業では、小規模農業でのオーガニック作物を輸出。ライ麦、エスカルゴ、馬肉、羽毛、カシス、イチゴ、ベリー類、ヤマドリタケは有名。天然ガス、特にシェールガスは有望で、ウラン鉱山を持つ。GDP:億ドル4,694億ドル一人当たりGDP:ドル12,323ドル実質GDP成長率3.8%物価上昇率2.6%失業率12.3%財政収支/GDP比▼7.9%外貨準備高888億ドル経常収支(国際収支)▼210億ドル貿易収支(国際収支)▼114億ドル貿易額:輸出1,598億ドル同 :輸入1,781億ドル貿易品目:輸出機械類・輸送用機器41.7%,原料別製品20.4%,その他の工業製品12.5%,食料品・動物9.1%,化学製品8.5%,鉱物性燃料3.8%同 :輸入機械類・輸送用機器33.9%,原料別製品17.9%,化学製品14.7%,鉱物性燃料10.7%,その他の工業製品10.3%,食料品・動物6.4%,原材料(非食料)3.1%貿易相手国:輸出独26.0%,仏7.0%,英6.2%,伊6.0%,チェコ6.0%,蘭4.2%,露4.2%EU(78.6%)ユーロ圏55.7%非ユーロ圏22.9%同 :輸入独21.7%,露10.3%,中9.6%,伊5.7%,仏4.4%,チェコ3.7%,蘭3.5%,英2.8%,韓2.8%,米2.6%EU(58.9%)ユーロ圏46.2%非ユーロ圏12.8% 対日輸出5億ドル 内訳自動車35.1%、機械類13.7%、化学工業製品8.1%、衛生器具・工具類5.7%、電気機器5.6%、家具類5.0%、肉類4.5%対日輸入36億ドル 内訳光学機器・精密機器28.1%、機械類20.1%、電気機器19.6%、自動車16.4%、化学工業製品2.3%直接投資受入額91億ドル対外債務残高3,146億ドル
Jan 14, 2012
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1月12日の読売朝刊、夕刊に、「EU,ハンガリー制裁も。財政協定違反 初の発動」とある。 EUの加盟国に、財政赤字をGDPの3%以内に押さえ込むことを義務づけた「安定・成長協定」に違反している国に対して、「欧州委員会」が、「制裁が必要」と勧告した場合は、加盟国の反対が過半数に達しなければ自動的に制裁が行われる事になっている。 欧州委員会は1月11日にEU財務相理事会に対して「ハンガリーに抜本的な赤字削減を勧告するよう」に求めた。 同時に審査していた、ベルギー、キプロス、マルタ、ポーランドの4ヶ国は対応が十分だったと制裁の対象から外されている。 しかしながら、この制裁については、EUに加盟している、または、今後加盟を考える東欧の国々からは、かなりの拒否反応も現れているようであり、24日の「制裁への対応の協議」が注目される。 「制裁」は「EUからのハンガリーへの補助金打ち切り」である。 ハンガリーは貿易活動に頑張ってきたものの、国内経済活動が萎み勝ちで、金は貯蓄に回っており、その原因は超緊縮財政によることが大きく、「単純に財政赤字を3%以内に押さえ込む方策」の困難さを物語る。 このままでは、「制裁」そのものが「EU圏成立の枠を崩壊させる鉈」となる危険性をもっている。 もともと、欧州では生産要素である労働が「政治的等の背景から移動性」を持たないのに、無理に「通貨圏」や「経済圏」を構築しようとしたことに、この呆け頭で見ても「知性の誤り」がある。 それを認めて、EUやユーロ圏を再構築しないといけない瀬戸際に立っている。 そのまえに、「信用経済の行きすぎ」を国際連合や、国際通貨基金などで議論して、決済方法、先物の信用のあり方等を再構築をすべき時である。 「あまりにも超短期的な私的利益を追求する知性を排除すべき時である。」 蛇足になるが、脳幹梗塞のお詫びをして再記する。 純粋のケインジアンではないが、経済を回復させるのに、財政支出を抑制する方策をとると、「乗数効果」も「加速度原理」も逆に働くのではないかと思う。 国家たるものが、超長期計画で計画を建てるべき事があるのに、短期の3%ごとき制約を畏れていたら何もできないではないか。 もっと緩い、穏健な方法で議論し、むしろ、超短期の為替レートになびく輩やその勢いを新たな経済法で取り締まる方法を議論すべきであろう。 ハンガリーの基本情報(2010年、JETRO資料など) 国名ハンガリー幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)第107位通貨フォリント国花ゼラニューム国旗赤・白・緑の横三色旗国歌国歌: 賛称(神よマジャル人を祝福し賜え)面積:平方キロ93,030平方キロメートル人口:千人9,982千人人口密度:/平方キロ107人首都ブダペスト(人口1,700千人)言語ハンガリー語宗教カトリック67%,プロテスタント27%政体共和制元首パール・シュミット大統領議会一院制政権「中道右派」フィデス(ハンガリー市民連盟)/KDNP(キリスト教民主国民党)連合主要産業ノキアの欧州最大規模の携帯端末生産拠点がある。伝統産業はワイン、農業はパプリカ、フォアグラ。産業では機械工業が盛んで電気機械、機械類、自動車が主。世界シェアの高いのはワイン、硝酸。鉱業は亜炭とボーキサイトが中核。GDP:億ドル1,304億ドル一人当たりGDP:ドル13,024ドル実質GDP成長率1.2%物価上昇率4.9%失業率11.2%財政収支/GDP比▼4.2%外貨準備高448億ドル対外債務残高767億ドル経常収支(国際収支)27億ドル貿易収支(国際収支)62億ドル貿易額:輸出947億ドル同 :輸入874億ドル貿易品目:輸出通信・録音機器21.4%,電気機器11.3%,道路輸送機器9.3%,発電機器8.1%,一般機械4.2%同 :輸入電気機器15.9%,通信・録音機器13.0%,道路輸送機器6.4%,石油・同製品5.6%,一般機械5.3%貿易相手国:輸出独25.2%,伊5.5%,英5.4%,ルーマニア5.4%,スロバキア5.2%,仏5.0%,オーストリア4.8%,ポーランド3.7%,露3.6%EU(77.3%)ユーロ56.5%非ユーロ20.8%同 :輸入独25.5%,露7.8%,中7.1%,オーストリア6.3%,オランダ4.3%,ポーランド4.3%,伊4.2%,スロバキア3.9%,仏3.7%,EU(67.9%)ユーロ54.0%非ユーロ13.9%対日輸出6億ドル 内訳道路輸送機器22.3%,肉類16.1%,事務機器・コンピューター15.8%,医薬品4.8%,通信・録音機器4.6%対日輸入19億ドル 内訳電気機器42.4%,通信・録音機器9.9%,道路・輸送機器8.9%,発電機器8.8%,一般機械4.8%直接投資受入額16億ドル
Jan 13, 2012
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現代の世界で米国を除いて、人類の話はできないほどに巨大な国土、人口、産業発展、GDPなどを有している。かつては、アメリカ・インディアンしか住んでいなかった国土は、様々な国から自らの意志で住んだ人も、また、奴隷として送り込まれた歴史的過去を持つ人も、混じり合って複雑な様相を見せている。 第二次世界大戦の戦勝国であり、現代世界のリーダーであり、世界の中枢の国際連合(やUNICEFなど)の所在地である。 さきの、イスラム教原理主義のアルカイダのニューヨーク超高層ビル群攻撃で、打撃を受けたものの、その後のイラク戦争終結で平和への道を歩みつつある。 そのような、複雑な国であるから、基本情報をじっくりと眺めてみたい。 米国の基本情報(2010年、JETRO,外務省などのWEB・DATA)国名アメリカ合衆国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)第23位通貨ドル国花セイヨウオダマキ国旗星は天を、赤の線は母国イギリスを、白の線は独立を象徴する。星条旗の星は現在の州の数(50)を表わし、紅白の条は独立当時の州の数(13)を表わします。国の標語国の標語: E pluribus unum(1776年 - 現在)(ラテン語: 多数からひとつへ)In God We Trust(1956年 - 現在)(英語: 我ら神を信ず)面積:平方キロ9,827千平方キロメートル人口:千人311,687千人人口密度:/平方キロ 32人首都ワシントンD.C.(人口592千人)言語英語82.1%、スペイン語10.7%人種白人74.7%(独系17.1%,アイルランド系12.1%,イングランド系9.0%),黒人12.1%,アジア系4.3%,インディアン0.8%(ヒスパニック系は14.5%であったが、南米からの移民で急激に増加している)宗教プロテスタント55%,ローマカトリック28%,ユダヤ2%,その他6%政体大統領制、連邦制元首ドナルド・トランプ大統領(2017.1)議会二院制政権共和党(2017.1)軍事世界の軍事支出の45%を占める主要産業自動車、航空機、コンピューターなど世界一GDP:億ドル145,265億ドル(世界1位、2位の中国の2.倍)一人当たりGDP:ドル 46,860ドル実質GDP成長率3.0%(←前期▼3.5%←前々期▼0.3%)物価上昇率1.6%失業率9.6% (←前期9.3%←前々期5.8%)外貨準備高1,214億ドル (←1,197←666)経常収支(国際収支)▼4,709億ドル(←▼3,776←▼6,771)貿易収支(国際収支)▼6,459億ドル(←▼5,059←▼8,301)貿易額:輸出12,783億ドル同 :輸入19,132億ドル貿易品目:輸出資本財34.9%(半導体3.7%,コンピューター3.5%,通信機器2.5%、電気機器2.5%)、工業用原材料30.6%,消費財13.0%,自動車8.8%,食料品・飲料8.4%同 :輸入工業用原材料31.5%,消費財25.3%,資本財23.5%(コンピューター6.1%),自動車11.8%,食料品・飲料4.8%貿易相手国:輸出カナダ19.5%,メキシコ12.8%,中国7.2%,日本4.7%,英3.8%,独3.8%韓国3.0%(NAFTA 32.3%)同 :輸入中国19.1%,カナダ14.5%,メキシコ12.0%,日本6.3%,独4.3%,英2.6%,韓国2.6%(NAFTA 26.5%)対中貿易収支▼2,730億ドル対中輸出919億ドル 内訳食料品・農水産物16.3%,化学品等15.5%,電気電子機器12.6%,一般機械12.2%,航空機6.3%,光学・医療機器5.7%,自動車4.9%対中輸入3,649億ドル 内訳電気電子機器24.9%,一般機械22.7%,衣類7.9%,玩具・ゲーム・スポーツ用品6.8%,化学品等6.1%対日貿易収支▼11,450億ドル対日輸出605億ドル 内訳化学品等20.8%,食料品・農水産物20.7%,光学・医療機器11.9%,一般機械8.6%,航空機8.4%,電気電子機器7.2%,対日輸入 12,055億ドル 内訳自動車34.5%,一般機械20.6%,電気電子機器15.2%,化学品等10.7%,光学・医療機器5.1%サービス貿易輸出5,489億ドルサービス貿易輸入4,030億ドルサービス貿易収支1,458億ドル直接投資受入額 2,282億ドル同残高 23,196億ドル(2009年末)(国別) 英国19.6%,日本11.4%,蘭10.3%,カナダ9.7%,独9.4%,仏8.2%,ルクセンブルグ5.5%(産業別)製造業34.1%(化学8.8%,輸送機械4.2%,一般機械4.1%),卸売業14.2%、金融12.6%,情報産業6.3%,銀行4.8%対外債務残高12,457億ドル対財政収支/GDP(2012/2/14追加訂正)▼10.6%12年度見込み▼8.5%(▼13,270億ドル)13年度予想▼5.5%(▼9,014億ドル=38,034-29,020)(目標▼8.9%,2015年までに▼2.5%)自国通貨の為替レート・円/ドル87.78円/ドル(←前期 93.57← 前々期103.36)
Jan 12, 2012
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本日は、8時15分に近くのマクドナルド店で早朝テニス仲間と待ち合わせをして(男2人、奥さん1人)、40分ほど離れたオムニのテニスコートに出かけた。 友人の運転であったので、助手席に座っていたら、自分がいつもは通らない道を通り、6人の交通取り締まり警官に停止させられた。 友人(社長)はいつも通る道であったらしいが、「一方通行」であると思っていなかったらしい。 7時から9時30分の「時限的な一方通行」なのである。 7千円の「交通切符」であり、時間も取られてしまった。 大勢で取り締まっていたのは、あきらかにかなりの人が気がついていないから、「儲ける切符のつもりが」感じられる。 小生も、まったく危なくない、畑の中の道で掴まったことがある。 要するに、「危険な場所では取り締まりができない」ので、安全な場所で、決算を控えて、みんなで取り締まりをするのであろう。 「お賽銭と同じ感覚で、お巡りさんにたまには7千円あげよう」というもので、1年に1回は仕方がない「切符のいい行事」である。 とにかく、6人(男4女2)で4ゲームマッチを2時間続けて帰宅した。 車に乗せて貰ったお礼に、お昼をご馳走しようと思ったが、運転してくれた友人が社長であり受け取らず、お礼を言って割り勘で別れたばかりだ。 さて、脱線したが、スイスの基本情報を纏めてみる。 日本に次いで対外純資産が第2位にありつづけ、世界で金より重いと言われる通貨のスイス・フランをもち、世界の金融が集まる国の一つである。 国家としても永世中立国を標榜し、国民皆兵制、直接民主主義や国民投票による政治体制をとっているユニークな国である。 自然としてもアルプスに抱かれて素晴らしい景色に恵まれた観光国である。 国連にも、EU圏にもユーロ圏にも属さないが、ヨーロッパというよりも世界でも重要な国の一つである。 スイスの基本情報(JETRO,外務省などWEBによる) 国名スイス(古代独語で酪農場の意)幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)第2位通貨スイス・フラン国花エーデルワイズ国旗赤に白の十字架国の標語国の標語: Unus pro omnibus, omnes pro uno(ラテン語: 一人はすべてのために、そして、すべては一人のために)面積:平方キロ41,285平方キロメートル<九州人口:千人787万人人口密度:/平方キロ191人首都ベルン(人口132千人)言語独語63.7%、仏語20.4%,伊語9.8%,ロマンシュ語0.5%宗教カトリック41.8%,プロテスタント35.3%,イスラム4.7%政体連邦共和制元首ディディエ・ビュルカルテ大統領(2014.1.1~)連邦大統領は国家元首ではなく、自らが議長を務める連邦参事会(行政府)全体が担っている。自身の省の長としての地位を引き続き有する。伝統的に年齢順の持ち回りである。現連邦大統領は外務担当。次期大統領は現在の副大統領のシモネッタ・ソマルーガ(司法・警察担当)が予定されている。 議会二院制:国民議会(下院200議席)と全州議会(上院46議席)、4年毎の選挙政権社会民主党(2)、自由民主党(2)、国民党(1)、キリスト教民主党(1)、市民民主党(1)の連立政権。()内は閣僚数。内閣(連邦参事会)は連邦議会で選出される7人の閣僚で構成される。大統領は7閣僚から1年の輪番制。直接民主制が浸透している。軍事永世中立の堅持。国民皆兵制。例外的にヴァチカン傭兵を派遣。主要産業観光業、精密機械工業(時計、光学器械)、化学薬品工業、金融業(銀行、保険)<タックスヘイブン>GDP:億ドル5,279億ドル(世界19位)一人当たりGDP:ドル67,779ドル実質GDP成長率2.7%物価上昇率0.7%失業率3.9%財政収支/GDP比0.5%外貨準備高2,235億ドル経常収支(国際収支)824億ドル貿易収支(国際収支)129億ドル貿易額:輸出1,855億ドル同 :輸入1,668億ドル貿易品目:輸出化学品39.2%(医薬品31.3%),精密機械・時計・装身具19.1%(時計8.4%,精密機器7.4%,装身具・装飾品2.7%),機械及び電気電子機器18.8%(産業用機器11.2%,電気電子機器6.3%),金属製品6.6%,農林業製品4.4%,燃料・エネルギー3.0%同 :輸入化学品21.7%(医薬品14.5%),機械及び電気電子機器18.1%(産業用機器7.0%,電気電子機器6.2%),精密機械・時計・装身具10.7%(装身具・装飾品4.2%,精密機器3.9%,時計1.5%),輸送用機械9.5%,金属製品8.3%,農林業製品7.7%,燃料・エネルギー7.7%)貿易相手国:輸出独19.5%,米10.1%,伊8.0%,仏7.8%,英4.7%,中3.7%,日3.3%(EU 58.5%)同 :輸入独32.9%,伊10.6%,仏8.7%,米4.7%,英3.6%,中3.5%,日1.9%,チェコ1.2%(EU 79.1%)対日輸出62億ドル 内訳化学品57.5%(医薬品51.4%),精密機械・時計・装身具23.6%(時計11.7%,医療機器4.7%,装身具・装飾品4.0%),機械及び電気電子機器8.8%対日輸入 31億ドル 内訳輸送用機器32.4%,精密機械・時計・装身具27.2%(装身具・装飾品17.7%)、化学品21.3%(医薬品14.0%),機械及び電気電子機器12.3%直接投資受入額 43億ドル対外純資産64兆円(日本251兆円) 対外純資産/GDP136% (日本52%)自国通貨の為替取引のシェア6.4%(日本19%)
Jan 9, 2012
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 疲れない程度に、脳の自主トレを続けるが、少し休み休みしながら行くつもりである。 中欧に位置し、650年間も、ハプスブルグ家帝国として君臨、第一次大戦までは欧州列強5大国(英、独、仏、露、オーストリア)の一角を占め、敗戦、革命で共和制となり、版図は現在の地域に絞られ、ナチスドイツに併合されたものの、連合軍による分割占領ののち、独立した。 「東の国」の意であるが、綴りや、発音から「南の地」の意である「オーストラリア」と混同されやすいので、音楽を連想する「鳥」と、広大な森に住む「虎」と憶えておくと良いそうだ。 音楽の都・ウィーンをもつ文化大国で、モーツアルト(ザルツブルグ生まれ)、シューベルト、シュトラウス(ウイーン生まれ)、ブラームス(ドイツ・ハンブルグ生まれ)、ベートーベン(ドイツ・ボン生まれ)などを輩出している。 小生などは、オーストリアといえば、マリア・テレジア女帝やエリザベート皇后(シッシー)や、「岩塩」の街、ザルツブルグ、ハルシュタットを、またアルプスを望む美しい湖群、ゼメリング鉄道を連想する。また、中世以前にも遡る蔵書数20万冊という世界最大級のアドモント修道院図書館がある。そういえば、今年、家内がスケッチで旅行している。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・オーストリアの基本情報(2016年)(JETRO,外務省資料、CIAなど。) 国名 オーストリア 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏) 3位通貨 ユーロ(対ドルレート 0.90)国花 エーデルワイズ国旗 赤・白・赤の横三色旗面積:平方キロ 83,881平方キロ(北海道くらい、日本の1/5)人口:千人 877万人(2017.1.1)人口密度:/平方キロ 105人首都 ウィーン(人口181万人、2016年)言語 ドイツ語宗教 カトリック63%,プロテスタント4%、イスラム教7%政体 連邦共和制(9つの州から構成)元首:大統領2016.5改選 ファン・デア・ベレン「緑の党」(極右・自由党のホーファーとは1%未満の僅差) 任期6年議会 二院制上院:定数61 各州の代表により構成。 下院:定数183、任期5年政権2017.10改選 ウイーン時間2017.10.15総選挙 国民党(中道右派=難民移民受け入れ厳格派)・・第一党 セバスティアン・クルツ首相(前政権では外相、 2017年からは欧州安全保障協力機構の議長) 極右・自由党との連立の可能性主要産業 機械、金属加工、観光 農業1.3%、工業28.1%、サービス業70.6%名目GDP:億米ドル 3,868億ドル一人当たりGDP:ドル 44,498ドル経済成長率 1.48%物価上昇率 0.89%失業率 6.0%財政収支/GDP比 -1.6%経常収支(国際収支) 66.2億ドル貿易収支(国際収支) -1.5億ドル外貨準備高 129.4億ドル直接投資受入額 2,673億ドル対外債務残高 8,972億ドル貿易額:輸出 1,521億ドル同 :輸入 1,577億ドル貿易品目:輸出machinery and equipment, motor vehicles and parts, paper and paperboard, metal goods, chemicals, iron and steel, textiles, foodstuffs同 :輸入machinery and equipment, motor vehicles, chemicals, metal goods, oil and oil products, natural gas; foodstuffs貿易相手国:輸出Germany 29.9%, US 6.3%, Italy 6.2%, Switzerland 5.7%, Slovakia 4.4% (2016)同 :輸入Germany 42.5%, Italy 6%, Switzerland 5.6%, Czech Republic 4.4%, Netherlands 4% (2016)対外債務 6,891億ドル直接外国投資残・・国内 2,428億ドル直接外国投資残・・国外 3,005億ドル 商銀プライムレート 1.86%対日輸出 14.7億ドル対日輸入 11.0億ドル対日輸出品目輸送用機器(19.7%)一般機械(18.5%)電気機器(9.7%)対日輸入品目輸送用機器(33.5%)一般機械(23.7%)電気機器(17.4%)
Dec 14, 2011
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 北欧に住んだヴァイキングは、大きく分けて3つのドミナントな進路がある。 1つ目は、デンマークを中心とした部族(諸島や狭い低地に住む、主な部族はデーン人)で、「南進組」としてドミナントであり、ポーランド、オランダ、ベルギー、フランス(ノルマンディー公国)、イギリス(ノルマン・コンクエスト)、さらには東ローマ帝国領であったイタリア半島南部およびシチリア島を占領(ノルマン・シチリア王国)し、ローマ教皇の要請で十字軍に参加したものもいる。 2つ目は、スウェーデンを中心とした部族(森林が多く、平地はツンドラ状態で痩せている土地に住む)で、「東進組」としてドミナントであり、バルト海沿岸から、東欧・ロシア方面(キエフ大公国・正式な国号は「ルーシ」を建国)に向かい、そこから南進してコンスタンチノポリス(イスタンブール)で東ローマ帝国と戦っている(ルーシ・ビザンツ戦争)。 3つ目は、ノルウェーを中心とした部族(峻険な山と、フィヨルドが多く、平野が僅かの土地に住む)で、「北北西組」としてドミナントであり、アイルランド(イギリスも)、アイスランド、グリーンランド、北アメリカ大陸に達している。コロンブスは第3のルートの紀行文からヒントを得て、後日にアメリカを発見したという。 ヨーロッパの400~1200年の間は、多少のサイクルはあるが、相対的に温かい期間である。フン族がどうして西進したかは不明であるが、牧畜民族は草がなくては困るので、気候の「温暖化」よりも、気候の「乾燥化」が生じたため草を求めて西進(北進でなく)し、ゲルマン民族へのドミノ倒しが発生したのではあるまいか。さらに、8~11世紀には「温暖化」のピーク(その後は小氷河期、さらに現代では再び温暖化であるが)で、北方民族(VIKING)は航海術に優れて、多方面へ動きやすくなり、かなり奥地まで船で入り込めるようになり、低地では農業生産力が拡大していたことなどが、彼等の侵入・略奪・融和を容易にしたのであるまいか。(自分勝手な温暖化・「北部乾燥化」仮説で申し訳ない)ノルウェーは、デンマークと、スウェーデンにそれぞれ従属した時代を経て、第二次大戦後にナチスドイツから解放された。NATO,EFTA加盟国である。自国の農業、漁業を守るために、EU圏に属していないが、EUの政策には非常に協力的である。開発援助の優先分野を気候変動、平和構築、人権、人道支援、男女共同参画等に置く。石油・天然ガスの生産がGDPの約2割を占め、輸出の約6割を占める。石油・ガス事業からの収入を政府年金基金として積立し、3,890億ドルに達しており、財政赤字も存在しない。 隣国・スウェーデンでは、ダイナマイトの発明者、アルフレッド・ノーベルの遺言で、ノーベル賞(物理学、化学、生理学・医学、文学、経済学)が発表されるが、ノーベル平和賞に限って、「スウェーデン、ノルウェーの和解と平和を祈念」してノルウェーが授与の主体である。今年のノーベル平和賞受賞者は、すべて女性で、リベリアのエレン・ サーリーフ大統領(73)、同国の平和運動家レイマ・ボウィさん(39)、イエメンの反政府活動家タワックル・カルマンさん(32)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ノルウェーの基本情報(2010年)(JETRO,外務省、WIKIPEDIAなど) 国名 ノルウェー幸福度(エイドリアン・ホワイト氏) 19位通貨 ノルウェー・クローネ(14.39円)国花 ギョリュウモドキ(ツツジ科エリカ属)国旗 赤い下地に白で縁取りされた青いスカンディナヴィア十字面積:平方キロ 約384千平方キロメートル(領有諸島を含み、日本よりやや広い)(60位/200)人口:千人 4,937千人(114位/182)人口密度:/平方キロ 13人(161位/182)首都 オスロ(人口599千人)言語 ノルウェー語宗教 福音ルーテル派(国教)政体 立憲君主制元首 ハラルド5世国王議会 一院制政権 イェンス・ストルテンベルグ首相(労働党)中道左派連立政権(労働党、左派社会党、中央党)→2013.9.10保守党軸の中道右派連合勝利保守党党首・エルナ・ソルベルグが新首相に就任見込み 主要産業石油・ガス生産(20%)、企業向け・サービス、保健・社会福祉GDP:億ドル 4,145億ドル(25位/183)一人当たりGDP:ドル 84,444ドル(2位/182)経済成長率 0.4%物価上昇率 2.8%失業率 3.6%政府年金基金(グローバル) 3,890億ドル国際収支 513億ドル貿易額 :輸出 1,317億ドル同 :輸入 769億ドル貿易品目 :輸出 原油・ガス・石油製品(60%)、アルミニウム、水産物同 :輸入 乗用車、石油製品、ニッケル製品、船舶貿易相手国:輸出 英国、ドイツ、オランダ同 :輸入 スウェーデン、ドイツ、デンマーク対日輸出1、700億円対日輸入967億円対日輸出品目魚介類(39.1%)、非鉄金属(14.4%)、石油製品(5.7%)対日輸入品目乗用車(51.8%)、鉄鋼(17.2%)、船舶(5.5%)
Dec 11, 2011
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