Tsunami氏寄稿、SCRAP記事、写経・感想など 326
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https://www.shimantogawa-joryu.com/https://hmmmhmmm.com/5585.html四万十川の上流の天然鰻はお腹が金色で小ぶりである。子供の錯覚か土佐の不可思議か❓ 小生は今でも窪川(高岡郡四万十町)から四万十川は下流の中村(幡多郡四万十市中村)に流れないと勘違いしている。 下流から上流に流れることがあるのか~不可思議であった。 しかし、家地川(いえち”かわ)付近には 高さ8mダム(というより正確には魚道付き堤防のようなもの)が並行して走り、全く違う新水系として太平洋の土佐佐賀駅付近へと落ちている。 窪川(高岡郡四万十町)の下水が汚くて四万十川を汚さないのもこの堰堤のお陰であると聞いた。 四万十川の下流には沈下橋が多く、また、ダムがないから、淀んだ水はない~と人は言う。 小生の住んだ上流の仁井田(高岡郡四万十町仁井田)(長宗我部氏の時代には一帯が仁井田郷という開墾地)付近には田んぼや堰やあるが、並行して流れる松葉川には上流に小規模ダムがあり、 中土佐町久礼ここからも直接・太平洋に久礼付近で流れ落ちている。 稲田へ引き込む 小生の嘗て住んだ仁井田川には用水用の堰があるので、泥鰌、鰻や鯉、鮒、鯰、鮠、虎魚、鈍甲など沢山いるが、清流を好む鮎は松葉川まで行かないと見られない。 坂本龍馬が辿ったという高岡郡梼原村には、下記の最短ルートでなく、佐川→梼原→韮ヶ崎→内子と、横へ横へと行っているが・・・https://gcy.jp/kkd/matsutosa.htmlhttps://tabi-mag.jp/ko0137/梼原村 維新の門********坂本龍馬は、文久2年(1862年)3月24日に高知を出奔し、翌3月25日に檮原に到着。その夜、檮原村の勤王の志士である那須俊平(土佐一の槍の達人)・信吾父子の家に宿泊。3月26日に那須俊平・信吾の道案内で宮野々番所を抜け、四万川茶や谷の松ヶ峠番所を抜けて、予土国境(愛媛・高知県境)の韮ヶ峠に至り、盟友・沢村惣之丞とともに土佐藩を脱藩。檮原からも文久2年〜3年に吉村虎太郎、中平龍之助、前田繋馬が国境を越え、維新動乱の渦中に身を投じています。案内役の那須信吾は、韮ヶ峠より引き返しましたが、那須俊平は脱藩後も同行し、小屋村(現・西予市)、水ヶ峠(大洲市)を経て26日は泉ヶ峠(内子町)に宿泊。3月27日、宿間村(内子町)に到着。那須俊平はここで見送り、坂本龍馬、沢村惣之丞は船便にて長浜(大洲市長浜)に至っています。3月27日夜は長浜の冨屋金兵衛宅に宿泊。翌3月28日に長浜から船で2日を要して三田尻(現・山口県防府市)へと瀬戸内海を渡っています。**********梼原川という水量の多い川があり、高岡郡梼原村には高さ45.5m都賀ダムがあり、これも四万十川に流れ込んでいる。 この梼原川が四万十川に流れ込むのは家地川より下流の四万十町田野々であり、ここは水流が多い。 仁井田川や松葉川などの水量の約半分は家地川の堰堤で別れ、発電に使用されるべく、近くの土佐佐賀(別水系の伊与木川)に落ちる。 小生の誤った流れの方向感覚は~もしかして、窪川側の水量が落ちた時に、水量の多い梼原川から逆流している時期があるかもしれないと~思う次第。(逆流性胃腸炎のような現象か~) 四万十川にダムや堰はないというのは誤りであり、また同川は日本三大清流のトップに挙げられるが、土佐にはもっともっと青々とした清流・仁淀川がある。 地方の名家~名家というが、これも寄付金で決まる話であり、名家にはお金がいるものである。 何を言いたいかであるが、四万十川は四国一の本当の清流ではないのである。 仁淀川は水が溜まらず大雨でもサッと下流まで流してしまう(ただし、民は伏流水を利用する)。 土佐の酒蔵・司牡丹があるのはこの中流・佐川である(土佐の酒の石高は土佐鶴、司牡丹)。**********古い2010年の資料だがNHKの龍馬伝(福山雅治)の放送があった影響かもしれない酒造石高で次の記録がある。1位 白鶴 59,710kl2位 月桂冠 50,3293位 松竹梅 45,819 4位 大関 35,176<高知県>25位 土佐鶴 3,24055位 司牡丹 1,01378位 酔鯨 493 https://ameblo.jp/sake-hiroshi/entry- 10834934119.html********** 佐川町は神奈川の酒匂川と同じく「酒蔵」に由来する。 牧野富太郎博士の朝ドラですっかり有名になった。 本人は植物観察・研究に没頭し続け、酒の経営には無頓着 牧野富太郎博士の酒蔵・岸屋は司牡丹に吸収された。 興味のある方は、当ブログ「Apr3,2023」などを参照。 伏流水を使用する土佐和紙の里・伊野町もその下流にある。 この文章は、小生の学友からの質問~「四万十川の流れがどうなっているか」と聞かされた時、ふっと頭をよぎった空想である。1.四万十川にダムが全くないというのは誤り。2.四万十川が奇麗なのは下流にダムがなく、 橋が沈下橋であるお陰は正しいのだが、 その場合は上流~中流では、都賀ダム以外の ダムで堰き止めた汚い水は電源:別水系として 高南台地から直接に太平洋に落下し流れる。3.この2つのダムは上流の水を直接に、落差を 利用するために別水系で太平洋に落下させて いる(松葉川ダム→中土佐町久礼:太平洋沿岸、 高岡郡家地川堰堤→幡多郡黒潮町佐賀: 太平洋沿岸)。四万十川の流れ ・仁井田川 ~ ・松葉川ダム(→土佐久礼→太平洋)~松葉川~ ダム →窪川盆地(四万十町)~家地川堰堤1.土佐佐賀~発電~太平洋へ別水系2.四万十川~ (水量の半分以上を取水) 四万十川は家地川を経て、 流量の多い梼原川の流入(逆流の可能性❓)~ 下流の四万十市中村で太平洋に流れる四万十川の語源>四万十川は多くの川が合流しているためとか、上流の十川や四万川の連称号であるとか、アイヌ語の「シ・マムト」(=非常に美しい)、「シマト」(=砂礫の多いところ)に語源がある。渡川は4万石の材木を10回流し送るほど豊かな森が上流にあるといわれ、また、「三途の川」とも言われ、土佐では中州にある中村より西の具同や中筋方面に流刑する「渡川限り」の罪名が明治初頭まで続いた~などという。******文字の拡大にはモニター枠を広げ「CTRL」+「+」を数回押す ・・・ 2~3回くらい元に戻すには「CTRL」+「0」を押す****** 注)梼原川と四万十川の合流点について:(旧)大正町田野々はバス停名である。現在の大正町は十和村、窪川町と合併し、四万十町となる。土佐大正駅が駅名。土佐大正町は上山郷と呼ばれる地域でした。この地域には熊野別当田辺の湛増父子が移住し、その子孫である田那辺氏が開発を行いました。町の中心集落である田野々には、田那辺氏によって勧請された熊野神社や菩提寺である五松寺があります。注)土佐大正駅の次の駅名は「土佐昭和」つぎは「十川(とおかわ)」である。土佐大正と土佐昭和の間に「リバーパーク轟」という激流が流れている区間がある。★
Nov 2, 2023
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★此の杉玉は元は青々としており、赤くなる頃に新酒ができる司牡丹酒造の杉玉と新酒を仕込んだ酒蔵「スエコササ」(牧野 富太郎博士命名)★ ナマコ壁 いつも、白と黒の美しい壁(城壁のよう)と、青から赤に変わる杉の葉っぱが丸まった形に切り揃えられた姿をみると、甘酸っぱい新酒の馨りを思い出す。 小生が、故郷・高知に赴任したのは、今や成人している息子たちが小学生や幼稚園に通う年頃であった。 高知県には酒蔵は多いが、 安芸郡安田町 高岡郡佐川町東部の土佐鶴酒造と、中部の司牡丹酒造が群を抜いている。 その中で、小生が担当している企業に司牡丹酒造があった。 今は代変わりしている筈だが、そこで牧野 富太郎博士の話を、司牡丹酒造の社長・竹村 維早夫さんから聴くことがあった。 同社は、綺麗な仁淀川の水系から水を祠の石柱に引き入れており、美味しいお酒を醸造している。 (同社の所在地は高岡郡佐川町にあり、 さかわ所在地・SAKAWAからも神奈川県酒匂のようにお酒の匂いのする町である。) 町名変更で「いの町」 近くの町が製紙業の町として有名な伊野町であるのは同じ仁淀川だからである。 その時に聞いた話では、造り酒屋と雑貨を営む岸屋の当主に、一人息子として生まれた富太郎氏は小学校では十分勉強できたとして、中退し、また、植物学にのめり込み植物に関した蔵書の購入に没頭して、家業の酒造業よりは植物の研究に没頭するようになった。 なお 家業は番頭と最初の妻(猶)に任せて、上京し、酒造業からの収入を植物学の研究に回すようになり、結局、司牡丹酒造が造り酒屋の権利を買い取ることになったという。 彼による植物の命名は多いが「寿衛子夫人の名を冠した笹」が彼の恋人(=後妻)への追悼の命名だという。 アジサイ シーボルトが紫陽花の「オタクサ」を彼の日本人妻の名「お滝さん」を文字って紹介したのにあやかり、命名したようです。 富太郎の生家は番頭と最初の妻とが破産迄支え続けたようです。 富太郎と後妻・寿衛子が暮らしたのは練馬区大泉ですが、記念館は練馬区と高知市五台山と生家の佐川町にあります。 因みに、彼・牧野 富太郎博士は博士号を東京大学から授与されています。追記> 小生の実家は、高南台地で戦前は母方の実家が造り酒屋をやっており、小生が小さい頃は大勢の蔵人がいたという。 (母方の酒造会社は江戸時代には名字帯刀を許された造り酒屋であったらしい。) 企業合同で株を長男が貰っただけであるが、小生は大きな蔵と大きな酒樽がゴロゴロし、暫くは、お相撲の巡業や、臨時映画館などに利用されて居たのを覚えている。 小生が子供の頃には、母方の家は、大きな家は旅館と、お酒の売り場に代わったが、道路や鉄道が敷かれて通過客が多くなり寂れてしまった。 小生は子供の遊びとして、魚釣りをしていたが、 さけかすいつも母方の実家から貰った酒粕を田んぼの土と混ぜて、 鯉、鮒、鰻、鯰、鮠など漁場に放り込んでいたので、酔った魚を沢山釣り持ち帰ることができたと記憶している。 双葉山 小生が初孫であり、巡業中の超有名力士に抱いてもらったという、母方の曽祖父は早くに亡くなり、記憶がない。 地元出身、愛称大ちゃん 入院中の父を見舞ってくれた大関朝潮関は覚えている。 ★
Apr 3, 2023
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☆ 今は亡きシベリア抑留の叔父を思い出す。 有名なテニス選手権の試合の入場券を自分が出られなくなったからと贈ってくれたことがある。 国体選手の先輩には、お前が良い席に座っているから驚いたと咎められたくらいである。 叔父は県の選抜選手を率いていたが、その目は西洋人のように青かった。 厳しい寒さや、栄養失調で目が青くなったという。 満州に出征していた叔父は、部下と共にシベリアに長く抑留された。・・・・・・・・・・・・抑留された捕虜の総数は、作業大隊が570あったため、当初は総数57万5千名が連行されたと考えられたが、65万人というのが定説である。一説には70万人近くが移送されたと言われ、最高数としては200万人以上との説がある。モスクワのロシア国立軍事公文書館には約76万人分に相当する量の資料が収蔵されている。<WIKIPEDIA>・・・・・・・・・・・・・・・ 技術屋でもあった叔父は鉄道建設では重宝されたようだ。 ロシア人には恐怖や恨みはあったが、遅い帰国後、結婚して生まれた長男と共に抑留地を再訪している。 戦争については何もしゃべらない叔父だが、仲間の兵の多くの死と遭遇し、現地ロシア人への憎しみとその中に潜む人間愛の葛藤を経験したようだった。☆ 戦争と言う他国との戦闘の中で弄ばされた人生には不平不満を超えたものがあったようだ。☆ 日本はシベリア抑留については、本来は「奴隷的な人間の扱いが戦争が終了しても行われたこと」に賠償などを要求していない。 戦時でさえ、捕虜の虐待は許されないのだが、過去のソ連には請求していないように思われる。 米軍の原爆投下でも戦争の早期終了のためにはやむを得ぬものであり、それがなければ日本の焦土作戦で米軍兵士の死亡率も膨大なものであったろう、と簡単に片づけられた。☆ ところが、韓国は違う。 日本軍の残虐さとして、従軍慰安婦問題、徴用工問題を事実と異なる部分も加えて、国と国との間の賠償問題が行われても道徳的には未解決であると、世界に向かって訴え続けている。 朝鮮半島が南北に分断されているのを、「共産主義」VS「民主主義」の対立として犠牲になっているというのだろうか。 古くは、豊臣秀吉が朝鮮征伐を図った事件を持ち出すが、元寇での対馬・博多などでの虐殺などは忘れている。 もともと、朝鮮半島は、北には高麗(高句麗)なる中国さえ恐れた民族が支配し、南の部分は百済、新羅の部族と、倭寇などの割拠があったのではないだろうか。☆ 戦時下では、どちらが悪いかではなく、勝ったほうが戦略で勝っていたことしか判らない。 戦争はそのものをなくさなくてはならず、国連は戦争をなくする手段として世界的な視野で構築されたものであろう。☆ 現在の韓国では政治的なバランスを南北統一に求めた文政権が主導するが、本来的には高麗、新羅、百済が鼎立し韓国自体が統一されていない。 韓国自体が鼎立しているのに、一国が支配する北朝鮮と統一することは不可能であろう。 北朝鮮には韓国のこの試みは文政権の政治的戦略に過ぎないと見切られてはいまいか。 韓国自体の政治的癒着が絶えず現れていて政権を危機に貶めてきた。 今回は、政権内部の「大学不正入学問題」である。 過去には、 セウオル号沈没事故、大韓航空ナッツリターンなどの原因が何処にあるかが問われてきた。☆ 小生は、シベリア抑留については自分の「始末記」として墓場にもっていった叔父の姿が忘れられない。 「戦争そのものを呪った」叔父の生きざまを学びたい。 戦争から派生した問題を云々しても「未来」は見えてこないような気がする。☆ 呆けの小生がいうことだから気にしないで貰いたい。☆
Aug 29, 2019
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☆ 昨日は、新橋駅烏森口(汽笛一声の蒸気機関車のある公園傍)の「高知家」(高知県庁認定?):浪漫亭新橋店で田舎の高知県立K高校のN年次卒業生の同窓会が昼間の貸し切りで開かれた。 今回は約60年経過後であり、高校卒業年齢は18~19才だから人生100年時代の約8割を終えたことになる。 「後の残り」は最大でも約20年?である。 勿論、地元の高知でも開催されるが、この都内の同窓会は、ここ十数年前から有志で行われている。 地元高知県在3名および愛媛県在1名を迎えて、関東地区では8名が参加。 うち関東地区の1名は、途中で総武本線電車の事故に遭遇し出席を断念した。 同窓会は卒業から約60年後であり、卒業当時は「先生の勤務評定反対運動」の「生贄盾」にされた純朴な生徒たちである。 進学生は僅かであったが、国公立大学を志望していた生徒は苦労だった(らしい)。 何せ、「生贄盾」にされたのにかかわらず、自発的に反勤評運動に参加したと錯覚したのも「不思議な若気世代の力学」であろう。 それにもかかわらず、みんな「元気」で「過去は忘却の彼方」にある。 もっとも、元気でないものは出てこれない。 男の面影から当時(約60年前)を思い出せるが、女性(昔の名前で出ていますが)にはさっぱり昔の面影は見当たらず、物忘れの強い小生では殆ど思い出せない。 高知家の刺身やお寿司などは土佐の香りがそのままであり、皆の話し言葉はお国訛りで、顔つき?まで昔の儘である様だった。 二次会は近場のカラオケルームの大部屋を借り切って3時間ほど談笑した次第。 小生が「カラオケ機器(タッチパネル)」の俄か操作役を引き受けた。 まずは、アカペラでの母校校歌合唱である。 女性陣は覚えが良い。 カラオケ伴奏は・・・ 選曲は ペギー 葉山「南国土佐を後にして」、中村 美律子「土佐女房」など、続々・・・<カラオケ鉄人の大部屋の一部> 「今生のお別れ会」かと思うくらいに握手をして回る仲間達であった。 帰路は、「2020東京オリンピック」を前に雑然とした佇まいを見せている新橋交差点を「大勢で渡れば怖くない」とばかりにそれぞれの交差点を車のクラクションを伴奏代わりにして渡り終えたものである。 小生の誤訳2020(小生は、幕張スタジアムで「ZOZO」を オリンピックの開催支援と勘違いした呆けである。) 帰宅ラッシュの新橋駅構内は芋の子を洗うが如き混雑ぶりであったが、地下鉄の最後部座席はなんとか座る幸運にあった。 翌日は、気の合ったもの同士で江戸前の魚河岸見学をする約束をしていたが、小生は、地元でテニスの練習があるので失礼した。・・・・・・・・ 当時のK高校N年卒業同窓生133名(うち物故者27名 20.3%・・・2018.11.15現在)・・・・・・・・ 呆けの小生は、江戸幕末に 世俗的な「尊王攘夷派」から、「封建制な幕藩体制打倒⇒近代国家建設*」に 昇華した坂本 龍馬の高邁な考えにも及ばぬ、 我らの高校時代の「エセ勤評騒動」こそ、 土佐の教育運動の恥だったと思う。 *これでも未だ、民主主義国家ではなく、 板垣 退助達の自由民権運動を待たねばならない。 「本物の民主主義」は「天皇も人間となった」= GHQの命令以来かも?そうしたら、吉田 茂の時に、本物の「日本の民主主義」が生れたのかも??? ワンマンでありながら反骨、自信家でありながら自らを笑う諧謔精神は「土佐のいごっそう」そのものではないか。 高知には帰省しない男だったが、「自分はいつも高知に住んでいるんだ」と嘯いていた。 そういえば地図では地勢上大磯は、高知市にそっくりなのだ。 上は神奈川県地図、下は四国地図 「いごっそう」の吉田 茂が日本の民主主義を陰で守ったかもしれない。☆
May 11, 2019
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☆昨晩の台風は、雨戸を通して、ブリキ板がガンガン、何かがゴロゴロと大きな音を立てていた。朝見ると、長い看板、道路標識のコーンなどが隣近所に、木の枝や、木の葉とともに散らばっていた。今日は台風一過の抜けるような日本晴れである。☆さて、つまらぬ話である。小生には、ほんの僅かばかりの山林がある。<Webから:こんな立派な山ではない>親からは僅かであるが、「植林し、伐採も行っているから将来建てる家の建築材料には少しは使えるだろう」と聞いていた。しかし、外材が大量に輸入される現代において人里離れた小山の一角の資産価値は失われつつある。自分の家の建築は、大手プレハブメーカーに注文した。☆そんな中で、親類Aから「地元に居なくなったのは贈与契約違反であり元に戻せ」と脅かされている。謂わば、「真正なる所有者は自分である」ような口ぶりである。それならば、贈与証書以外に、「県内への居住条件」が念書でも存在し、親や小生が違反しているのであろうか?親との口約束が仮にあったとしても、所有者の居住の定めを縛れるはずがないし、相続にまで親類同士の口約束が有効であることはあり得ない。「負担付贈与」であれば、双方で納得できる様式で明文化してあるべきであろう。また、親からは「将来の家の建築に材料として使え」と伝え聞くから、そのような口約束もなかったのだろう。☆仮に、親類Aが「真正なる所有者」として争議を持ち込むようなら贈与証書の内容で対抗することになろう。小生にも、相続により家庭裁判所を介して「遺産分割協議で受け取った資産」ではあり、すでに司法書士には相続登記手数料7万円余を支払っている。遺産分割協議においてほとんど価値がないものであっても遺産分割協議の対象となっている物件である。遺産分割での問題ともなりかねず(マイナス資産?)、過去に遡らなければならなくなるから極めて厄介である。・・・・・・・・・・・・・・・・そろそろ本音を出してきて、「真正なる所有者の申請は難しいから、タダで寄こせ、元の所有者へは贈与として、司法書士手数料は折半しろ」というのは受け入れがたい強要に感じる。半分負担するとは、親類Aの強引な山林返還?強要を認めたことにもなるから悪意のあるやり方に見える。益々もって怪しい「詐欺行為」である。・・・・・・・・・・・・・・・・相手にしないことが一番であろう。ただし、このような強要が、度重なれば訴訟も必要かもしれない。小生は、争いのない、自分の資産の登記申請事項は地元の法務局登記官の指導で自分で行っている。☆貴重なる美しい日本の山河とは程遠い、些細な山林争議をご紹介し申し訳ない。☆最悪の場合は四万十町に寄付をする行為もあろうが。☆
Oct 1, 2018
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☆やっと、近場限定で運転許可がでた。久しぶりに愛車で市営霊園にお墓参りに行く。梨街道や霊園は頗る混雑していた。帰りに、梨街道出口の大利園に立ち寄り、「豊水」と「新高」を買った。若女将から出たばかりという「秋月」をおまけに貰う。高知では新高が超高級品だが、当地では豊水がお勧め!老女将がオマケを貰いなさいという忠告だ。☆小生は、高知県生まれ(高知市生まれ、四万十町育ち)なので果物は美味しいものと思っている。特に好きなのは「ヤマモモ」、「枇杷」のジューシイな味である。ヤマモモは美味しいのだが、すぐに食べるのが美味しく鮮度が落ちると全く美味しくない。「地産地消」なのだ。山苺、アケビなども美味しい。栗や椎の実を煎ったのも美味しい。小夏、文旦、ポンカンなども美味しいが小生は皮をむくのが面倒がる。柚子は「ごっくん馬路村」のドリンクで戴く。柿は、隣家の柿の大木に覆われた実家を思い出す。落雷にはヒヤヒヤであった。西瓜は、子供のころには畑を荒らして怒られたものだった。☆何を言いたいかだが、針木産や黒岩産の梨は高知では超高価であった。一玉で1kg以上ある大きな梨だが、1,500円(~2,500円)以上の高値である。これを箱に入れて県外に「贈答品」として贈っても、知る人は知る、知らない人は知らない、な~んだ「梨」→「無」か! と思われる。***********(「李下に冠を正さず」は「梨」ではなく、スモモ。 『君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に処らず。 瓜田に履を納れず、李下に冠を整さず』)***********関東では 3個 で500円でも売られる新高梨が高知の「針木の新高梨(はりぎのにいたかなし)」ではなんと3個で 4,500円以上もする。関東ではかなりの大きさ、堅さがあれば新高梨だが、高知県では20年以上の樹齢の新高梨木から産出される「糖度13度、単重1kg以上が針木印の新高梨」である。南国土佐の清流・仁淀川等の伏流水のある土地で、夜間の仁淀川等からの涼風が昼夜の温度差を生み糖度をあげ、天然肥料と、木なりのまま袋掛けで熟成されるジューシィな大玉梨だ。「新高梨」の交配にはいろんな説があるが、育ちは土佐の高知の温暖な気候と丁寧な育て方の工夫のお陰である。長十郎や二十世紀は小ぶりで美味しく庶民用だが「針木印の新高梨」は贈答品として知られる。ただし、知る人ぞ知る逸品である。小生には有り難く感じる「逸品」である。今は亡き義母がよく贈ってくれたことを思い出す。そういえば今日は「敬老の日」であった。☆https://satonowa.net/SHOP/1078116/list.html「高知特産通販さとのわ」高知市針木本町☆http://www.m-ys.co.jp/niitakanashi/「丸一横山商店」高知県佐川町 黒岩産新高梨高知県佐川町の黒岩(くろいわ)という地区一帯は、高知では針木(はりぎ)地区とならび称される、新高梨(にいたかなし)の名産地です。その地で美味しい新高梨を栽培し続けている梨園から、産地直送・送料無料にてお届けします。高知県高岡郡佐川町黒岩地区☆おっと、「いの町」といえば、土佐和紙で有名。http://kamihaku.com「佐川町」といえば、美味しいお酒の「司牡丹」があるところ。http://www.tsukasabotan.co.jp/standard/standard.html純米大吟醸・大吟醸から美味しい新高梨と言い、美しい土佐和紙といい、美味しい清酒といい全ては仁淀川の清流&伏流水のお陰である。☆
Sep 17, 2018
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★ 大学のゼミの友人から、日経新聞の「正解のない言葉の冒険*」 鴻巣友季子氏を見ていたら高知県の県立高校の話があったが、 場所からして君の出身高校ではないか? という。////////////////////*前略「この小規模な実業系の高校を訪れたときは、高知空港からさらに、地元紙の記者さん自らが運転するマイクロバスに乗り換えて四時間ほどかかった。途中で高速道路はなくなり、単線の予土線の横をひたすら走って、ようやく四万十川流域の宿に到着。翌朝、梅雨どきの小ぬか雨に煙る四万十川と、岸辺に咲き群れている紫陽花の鮮やかさが目にしみた。」 後略 //////////////////// とある。 そう、小生の出身高校は、小生が入学したころは「蚕を飼うのに適した天井が低い教室」 で、目の悪い小生には黒板がよく見えない時もあった。 「四万十川」は合っているが、高知からの高速道路では終点に近い。 さらに、「予土線」では行き過ぎる。 WIKIPEDIAで調べると、小生の卒業した県立高校ではなく、 姉妹県立高校のようだ。★ 四万十町には土讃線の終点の窪川駅に県立窪川高等学校、 さらに予土線を辿ると土佐大正駅に県立四万十高等学校が 姉妹校のように存在している。 窪川駅からは土佐黒潮鉄道が延びて四万十市中村には県立中村高校もある。 中村高校は、伊野商業高校とともに、県内では珍しい高校野球の出場高校だ。 つまり、話題の高校は県立四万十高校なのだろう。 (「窪川」というと小生の「逆流性食道炎」と似ている。 ゆるゆると流れる四万十川が洪水で逆流し窪川あたりで氾濫することがある。)★ 鴻巣有季子氏が土佐の方言「すきやき」という、直向きな愛情表現を 紹介していた。 坂本九氏の「スキヤキ」でなく、 小生には、「スキ」と「ヤ」と「キ」の間には少し間があり、 「ヤ」や「キ(ッ)!」にはダブルの強調がある、と感じる。 土佐では、「すき や き(ッ)!」で「心から相手を好いている気持」を 素朴に表現する姿である。 この表現をするときは、「おかめ」、「ひょっとこ」、「天狗」など 底に穴の開いた酒盃に指で栓をし飲み干しながら酔っぱらうしか、 小生には出来ない芸当である。 若者はこれを平気で言うから、小生は純粋なトサッポではないようだ。 土佐弁では豪放磊落な女性のことを「ハチキン」というが、 土佐は女性が強いお国柄なのである。 小生も家内には頭が上がらない・・・ 土佐の皿鉢料理(さわちりょうり)は女性が一緒に飲み食いするために 編み出した豪華なシステムなのである。 殿様・旦那のために一品ごとに運ぶ料亭の和食とは大違いなのだ。★ とにかく、高知県では進学高校は私立の土佐高校などが優勢である。 江戸時代以来、支配者が中央から差し向けられて、二重構造での 政治に苦しめられた土佐の国には幕末の志士や自由民権運動の先駆者 を輩出した。 それでも有名大学進学は一部の高校に絞られている。 教育界は未だに二重構造かも・・・ 小生などには大学に先輩も後輩もいないのだから。 土佐大正町については、広域の四万十町役場のホームページで紹介されている。 天然のアユや、ウナギの美味しい季節に訪れると良い。★ 彼女が言うように、「翻訳には正解がない」。 小生は、むしろ「翻訳者は正解に近ずくためにあらゆる経験を積んでいる」 のではないだろうか、とおもう。 「Tomorrow is another day」を「とりあえず寝よう」は妙訳である。 小生は、木で鼻をくくったような直訳で英語の大学教師に嫌われた類である。・・・ 木でに鼻をくくらないなら、ドリス・ディの「ケセラセラ」 (Que Sera, Sera) では? ペギー葉山の「明日は明日の風が吹く」のような歌いかたがピッタリに感じる。・・・ 読売新聞のコラムに、米国の要人の発言に同時通訳者が違訳をしたことが記載されていた。 「Oh's made it !」の意味は、「世界の王 貞治 がとうとうやってくれましたぞ!」が 発言者の感嘆符!なのだ。 本人の意図が判らずに通訳はできないのである。 同時通訳者はお国柄の違い、趣味の違い、酸いも辛いも理解できる人格者であるべきだ。 日々、世の変化に目を光らせて研鑽・訓練する必要があることを示している。★ 高校時代は、勤評騒動で学園が荒れ、勉強どころではなかったことを思い出す。 マンモスの私立大学理工学部に入学し、その巨大さに呆れて、 予備校に通い、こじんまりした国立大学経済学部に志望を変更した ドサクサな人生を思い出す。★ 追記:: <四万十町役場のホームページから>★ 追記2:: 当該の記事を省略すると意味不明になるのであえて追記しておきます。 「正解のない言葉の冒険」 鴻巣 友季子・・・日本経済新聞Digitalから 毎年、いまぐらいの季節になると、わたしは「翻訳行脚」の旅に出る。これまでに訪れた県は、新潟、長野、高知、熊本、鹿児島、愛知、三重……。首都圏をのぞく全国の高校をまわり、翻訳にまつわる話をするのだ。一九六六年からもう五十一年も続いている「高校生のための文化講演会」の一環である。作家、詩人、音楽家、科学者、ジャーナリスト、漫画家、スタイリストなど何十人かの講師が、さまざまなテーマで講演を行う。 翻訳の話など地味で地味で申し訳ないぐらいだが、意外にも、どこの高校に行っても、熱心に聴いてくれる。海外文学がさっぱり売れない昨今の日本なのに、翻訳家という職業の知名度が上がってきたためか、「翻訳」と名のつくイベントには、下は二歳から上は九十代まで、広い年齢層の参加があるものだ。 高校講演会では、一方向のレクチャーではなく、実践型のワークショップ形式で行う。生徒たちとやりとりしながら、短い文章を訳してもらい、翻訳とはどんな営みなのかを一緒に考えていくのだ。愛知と三重では、黒髪にかわいい「天使の輪」を光らせた生徒たちが並ぶ女子高を訪れ、一方、新潟では圧倒的に男子が多いスポーツ強豪校へ。体育館に入っていくと、みんな床にデンとあぐらをかいて待っていてくれた(同校ではこれが正座にあたる)。熊本の高校では、終演後にひとりの男子生徒が駆け寄ってきて、「小説家になるにはどうしたらいいですか?」と、真剣な目で訊(き)いてきた。千人の生徒を前にすることもあれば、全学年でわずか六十四人という高校もあった。 この小規模な実業系の高校を訪れたときは、高知空港からさらに、地元紙の記者さん自らが運転するマイクロバスに乗り換えて四時間ほどかかった。途中で高速道路はなくなり、単線の予土線の横をひたすら走って、ようやく四万十川流域の宿に到着。翌朝、梅雨どきの小ぬか雨に煙る四万十川と、岸辺に咲き群れている紫陽花の鮮やかさが目にしみた。 この年の思い出には、チャンバラ貝に、イヌゴロシ(鮪(まぐろ)の尾びれ)、イタドリの煮物といった郷土料理や、高知ならではのお酒の酌み交わし方もある。そう、献杯と返杯だ。今日は土佐の流儀で飲んでもらいますと、このように教わった。「目下の者が自分の盃(さかずき)に酒を注ぎ、掌で少し温めて相手に差す(差しだす)。 これが献杯。差された方はそれをぐっと飲み干し、盃を返してそこに酌をする。 これが返杯。手酌の習慣はない。飲みたければ、まず相手に注ぐ」。地元新聞社の方々がじゃんじゃん差してくれる。お酒も食も美味(おい)しいので、わたしもどんどん差してしまった。同行の女性編集者(いつも柔和だがたいへんな酒豪)も同様のようす。そのうち、お酒を注いだら下に置けない穴の開いた「可(べく)杯(さかずき)」も登場し、そんな調子でしばらくやっていたら、男性が何人か畳に倒れてしまった。いやいや、すみません。 さて、ここで、これまでの講演会で出会った名訳をご紹介したい。 I LOVE YOU.というきわめて簡単な一文を訳してもらうことがある。高知で印象に残っている訳文は、「すきやき…」。鉄鍋の鋤焼(すきや)きではない。「好きやき…」だ。Iもyouも訳さないこのシンプルさ! 青春の土佐弁に、同席していた出版社の人たちも胸をキュンキュンさせていた。ちなみに、熊本に行くと、「大好きばい」。かと思えば、浜辺を歩く男子と女子という設定で訳してくれた生徒もいた。少し前を歩いていた男子がふと振り返って、I LOVE YOU.→「あのさ、俺、おまえのこと愛してるよ」。 もうなんだかリアルすぎて、しかもスポーツ刈りの男子がきっぱりと口にする恰好(かっこう)よさにしびれて、会場騒然であった。 熊本のまた別な高校での名訳も忘れがたい。この年、わたしは四年半かけて訳し終えた『風と共に去りぬ』を上梓(じょうし)したところだったので、スカーレットが最後につぶやく有名な台詞(せりふ)Tomorrow is another day.を訳してもらった。日本では、「明日に望みを託しましょう」「明けない夜は決してない」など、かなりポジティヴに、ちょっと優等生的に訳されることがあるが、実はいい意味でもっと“いいかげん”なのだ。災禍が降りかかってくるたびに、彼女は目下の精神的激痛をやり過ごすため、「なにもかも明日考えればいいのよ」と、おまじないのように唱える。過酷な現実と向き合うためのスカーレット流「あとまわし術」であり、これで幾たびもの絶体絶命を乗り切る。 生徒たちからは、「明日から新しく始まる」「明日また続きをやろう」などの訳文が出たが、極めつきは、「とりあえず寝よう」である。明日からまた苦難と闘う、でも、今日のところは寝てしまおう、というニュアンスだろうか。みごとなのは、原文のTomorrow is another day.と同じぐらいの短さで、絶妙に音まで似ていること。とぅまろーずあなざでい。とりあえずねよう。ほら、どうですか。妙訳でしょう。 いつも講演の最初に話すのは、「翻訳には正解がない」ということ。わたしがこの道を一生の仕事として選んだのも、まさにそれゆえだった。つねに答えが一つしかないのであれば、その頂きには一部の天才か勇者しかたどり着けないだろう。しかし翻訳では「頂き」はつねに幻だ。訳者は幻の頂きを目指して、あらゆる方向から山に登ることができる。登り方も十人十色。峻厳な岩山にハーケンを打ちこみながら最短距離で登ろうとする者、遠回りでも少しなだらかなルートを選ぶ者、あえて前人未踏のけもの道に分け入る者。途中で見えてくる景色もそれぞれ違うだろう。まれに、視界が三百六十度パノラマのようにひらけ、ついに頂上にたどり着いた!と思うこともあるが、それは神さまが見せてくれる優しくも残酷な幻影にすぎない。だから、今年もわたしは高校生と正解のない冒険に出る。 こうのす・ゆきこ 1963年東京生まれ。翻訳家。訳書に J・M・クッツェー「イエスの幼子時代」、 V・ウルフ「灯台へ」など。著書に「孕むことば」など。///////////////////////★
Jul 3, 2017
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★ 人口約400人(有権者約350人)の村長が無投票の長老達6名で運営してきた 村議会が高齢化で立候補さえ覚束ないことになりそうである。 :::日本経済新聞から「高知県大川村」の説明::: 村議会を運営している議員たちは、恵まれた都会の専業?議員 と異なり、自分の生活を犠牲にして、社会貢献を行う議員である。 (大川村では、主産業の林業・畜産業従事者は議員両立は難しく、 また、教職者・役場職員などは議員の兼業は禁止である。 議員報酬は月額で15.5万円しかなく、子供をもつ家族を養えない。) それも、高齢となっては山間部の移動や、会議参加などにも支障が出るのだろう(早明浦ダムの周辺に16の集落に分散し、冬場には積雪で移動が困難という)。★ これには、大川村が、広大な森林、山地に阻まれて過疎化が進み、 「移動時間」が問題となっていないだろうか。 村の連絡網では「有線放送」は発達していると思われる。 山野に囲まれては「無線」は飛びにくいと思われる。 基地局を点在させて、「有線放送」と「無線通信」を うまくドッキングできないであろうか。 これは「通信を司る総務省の得意分野」であろう。 山間部でもスマートフォン通信を飛び交わせることで、 選ばれた議長が「FaceTime 通信」で本人確認しながら 重要事項につては、全員参加型の「村総会(=過半数出席規定でも175人)」 を運営し、日常的な運営は、「村総会」でなくても「FaceTime村総会」で選ばれた 6~8人の村議員が「FaceTime議会」で行うことができないであろうか。 NHKの双方向TVなどでの討論や、集計機能などで「遠隔討議」ができることが 十分国民に伝わっているように思う。 人数も4百人位なら司会をうまくできれば遠隔討論も可能なのでは・・・★ 都会では、毎日通勤をしないでも自宅にいながら 会社仕事ができる「電子時代」であろう。 大川村にあっては、「FaceTime村総会や村議会」の開催を農繁期を避けたり、 日中を避けたりすることで、各自が自宅に居ながら「意思表示する機構」を 構築できないであろうか。 もちろん、「FaceTime電子投票・電子会議」でも全員参加は不可能であり、 村民有権者の半数以上や、特別議案には、3分の2以上の参加を原則とすべきであろう。 全てを、「FaceTime村総会」に諮らないでも、通常の運営は、「FaceTime村議会」で 運営できるのではないだろうか。★ 今のうちに、一定の場所に集まらずとも、 「FaceTime村総会や村議会」が運営できるように 6人の議員さんで知恵を出し合い、 総務省と「FaceTime村総会や村議会」の 開催方法を全国に先駆けて構築してもらいたい。 予め、有権者にNECなどの顔認証システムに登録しておいてもらい、 または、「マイナンバーカード」を利用することで本人確認すべきであろう。 総務省は、マイナンバーカードを国政、市町村政治などに有効に使わなくては、 その使命を全うしていないことになるから、猛省すべきである。 もっとも、電子議会では、既に危惧されているように、 ニクソン、トランプ氏のような選挙を妨害する「WATER GATE」疑惑の危険性は 排除しなければならない。 先駆者の「大川村」では、川だけにその心配があってはならない。★ 呆け頭の戯言に過ぎない。 小生のスマートフォンは iPhone 6s である。 所有権は2台とも家内にある。 購入者は専門家の息子である。★ :::備考::: FaceTime:WIKIPEDIAから///////////////////////////FaceTimeは、アップルが開発したVoIP、ビデオ通話(ビデオ電話)ソフトウェアアプリケーション、およびそれに関連するプロトコルである。iOSの携帯情報端末やMac OS X v10.6.6以降のMacintoshコンピュータに対応する。使用にはiOSデバイスでは前面搭載カメラ(iPhone 4以降の全iOSデバイスに搭載)、MacintoshコンピュータではWebカメラが必要となる。ビデオ通話は「FaceTime」、音声通話は「FaceTimeオーディオ」と呼ばれる。FaceTimeはiPhone4以降のiPhone、第4世代以降のiPod touch、第2世代以降のiPad、Mac OS X 10.6以降が動くMacに対応し、それ以前のiPhone、iPod touch、iPadでは現在対応していない。またアップル以外の機器や他のビデオ電話サービスとの互換性も無い。iSightまたはFaceTimeカメラが付属していないMacでは、別途Webカメラを装着することにより使用できる。/////////////////////////// ★
Jun 13, 2017
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★ 天災や大事故は起こってから対策に向かうのが普通の行政である。 封建時代にも英才と言われた将軍・大名は、治山治水にまえもって準備した。 それは、災害が発生したときには、その後片付けや、残った権利関係が複雑であり、新しい計画が構築できないからである。 戦後の一面の焼け野原からの復興の方が、むしろ行政は計画が立てやすいのかも知れない。 封建時代には武士が国を守るのには大事であったから、土佐国ではお城側の堤防を高くしておいて、台風時の洪水を低地である方向に遊水池として流したような記憶がある。 いまは、民主主義の世の中であり、権利が平等であるから、堤防の高さは両側が同じ高さであろう。 <高知城:高知市HP> あまりにも平等になりすぎたたために、互いの権利関係が複雑になり、災害発生時には新たに土地を求めることが困難である。 特に、災害発生で地形が変貌し、所有者が死亡・離散したりすると、復旧の前に、地形確認や権利関係などに困難が伴い、復旧自体ができなくなる。 新たに、移転地を探そうにも、所有者が離散していてはままならない。 <筆山からの展望:高知市HP>★ 今回の、大地震でのシミュレーションは、地震発生によるハードな死亡負傷者数・災害被害額などの予想というよりも、ソフト面としての災害後の人口移動シミュレーションをとおして来るべき大災害の前に、賢明な人類として事前に復興計画を構築しておこうというものであり、「復旧」ではなく「復興」または「再生」のプログラムである。 <CG南海トラフ巨大地震:NHK News Web http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170312/k10010908411000.html>★ 東日本大震災の経験から、災害後に住居部分は高台に、沿岸部へ構築すべきは産業部門と判りかけている。 いくら高い堤防を構築しても、遊水池がないと津波は防御が難しい。 今のうちに、高台の確保と遊水池の確保を考えておくべきであろう。 住民が過疎になってしまえば、村や町に残った人々の生活さえ失われかねず、残った住民の土地の価格さえ山林並みになってしまいかねない。 現在の住民達が、危険でない高台の確保に協力し合うことは、将来の村民離散の憂き目をみるよりは、利口でさえアルかも知れない。★ 今回の、ハードよりもソフト面を重視した「地震後の人口流出シミュレーション」は、危険を先取りした、利口な人類的思考方法であると理解したい。★ 利口な人々が公的機関に移動して、南海トラフに備えてくれることを希望する。 利口な人が、なぜか、お笑い?にばかり走るのには閉口である・・・ 刹那的なお笑いは、災害の防御に役立つとは思えない。 呆けの独り言である。★ <南海トラフ:WIKIPEDIA> <南海トラフ周辺3D海底地形図:海上保安庁> ↓ この海底地形図は海上保安庁第4管区海上保安本部海洋情報部から 三重県内の全中学校の教材としてH27年に提供されたモノです。 http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN4/koho/2015/koho150428.pdf★
Mar 13, 2017
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★ 昨日は、3.11の東日本大震災(2011.3.11 14:46:18:1&大津波)の記念日であった。 大津波の危険(波高10m以上、最大遡上高40.1m)を忘れてはなるまい。 東京電力福島第1原子力発電所には地震の約1時間後には、遡上高14~15mの大津波に襲われて1-5号機が全交流電源を喪失した。 補助電源もなく原子炉の冷却に失敗し、1~3号炉ではメルトダウンを起こし、1・3・4号機は水素ガス爆発を起こすことで、大量の放射能を大気中に漏洩させる原子力事故(最悪のレベル7)をもたらした。 <東日本大震災:WIKIPEDIAから> <福島第1原子力発電所事故:WIKIPEDIA>★ 小生は、海原の上を滑空する飛行機がジェット・エンジンを吹かし、高知龍馬空港に近づくにつれて、遠くに山肌は見えるものの、 平地が海岸線に沿って続いているのが不気味に感じる。 それは、東日本大震災事故では、地震後の大津波が強調されているからである。 飛行場の場所も、津波があれば2階ラウンジでも厳しい状況となろう。 高知市内に向かう幹線道路でも、周りに低地が続いているのが気になるが、高規格道路が小高い山肌に向かい登っているのが、避難道路として役立つような気がする。★ 最近の新聞報道では、セブン・イレブンが高知・愛知・静岡の「3店舗」の敷地に国土省が奨励する「津波救助艇」を設置することを決めた。 自治体の一部や発電所単位での導入事例はあるが、民間で、商業施設に導入するのは初めての試みとなる。 小生が感じるには、津波に対抗する自走能力はないものの、津波の衝撃にも耐えられる頑強さを有し、浸水の恐れのないような構造であろう。 なぜなら、見かけは、潜水艇のようにも見えるからである。 津波にもまれれば、自走能力は無意味であろう。 <津波救助艇:高知県> <津波救助艇の視察時に座る国土交通省石井啓一大臣:高知県> ★ 国土交通省四国運輸局作成のパンフレットを見てみよう。 (あわせて、ガイドラインも見て貰いたい。) ★ 現在の導入予定では、南海トラフ地震が想定される地域に769店舗を出店するセブンイレブンが、特に挙げている「3店舗」である。 小生が感じる限りは、769店舗全体が対象となるべきであると思う。 民間だけでなく、公的資金を導入して「津波救助艇」を導入すべきではないだろうか。★ 地震の経済的被害の想定では約38~57兆円にのぼる。 これだけの被害を想定すれば、事前に「津波救助艇」を地域に必要数だけ国家として準備しておくこともぜひ行って欲しい!!! <東南海・南海地震 津波の高さの分布図>★ <津波救助艇製造メーカー一覧> http://www.mlit.go.jp/maritime/maritime_tk5_000024.html★ 画像が見辛いので、 右クリックして別のタブを開いて、大きな画像をご覧下さい。★
Mar 12, 2017
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甘酒の美味しさというと小生には子供の頃を思い出す。当時は母方の母屋は造り酒屋だったので祖母がよく酒粕を貰ってきた。(戦時中の企業合同で酒蔵は廃業したらしい。) <酒粕:WIKIPEDIA>すこし辛いがそのまま焼いて食べたり、粕汁、酒粕煮などにしたように記憶している。また、小生は、子供の頃は四万十川の上流(支流)に住んでいたから(四万十川には下流の四万十市=旧・中村市中心と、上流の四万十町=旧・窪川町中心があり紛らわしいが上流の方である)、酒粕と、蚕の蛹を田圃のドロに混ぜて「泥団子」をつくって投げ込み、淀んだ川の堰の上流で大きな魚達(鯉、鮒、鰻など)を誘き寄せ、酔っぱらった大魚をサナギやミミズなどの餌で釣り上げたモノである。田圃や畦の土は農家では大事な資産であり、取りすぎると怒られたモノであった。そのために、赤土、粘土などを掘って持っていったこともあった。浅瀬では、大きな長い竹(籖編み)筒(=モジリ)で酒粕、刻んだ泥鰌、ミミズなどを入れて鰻(夕方浸けて早朝引き上げ)などを捕獲した(漁法としてはV字型誘導路をもつ小~大・門捕り漁法に属する)。図では右の突端から輪が填め込まれており、それを外して餌を入れる仕組み。 <もじり、コロバシ、筒など:Web画像から>大きな丸い瓶(=昔の「蠅」捕り瓶の大型タイプ)に酒粕をいれただけでも、小魚の「鮠」(昼間)などがたくさん入ったモノである。「ハエ」でなく、「ハヤ」が捕れるというモノである。 <ハエ捕り瓶:Web画像 →「蠅」でなく「鮠」を捕まえる大型瓶 勿論、上の口は覆っている。>魚を「酔わせて捕まえた」子供時代であった。小生は鍋物に混ぜた酒粕はよく見たが、甘酒(*)としてはあまり利用しなかった。なんせ、酒屋の造り立ての酒粕だから何とも酔っぱらう感じがしたものであった。酒粕100g中には約8%のエタノールが残存しているから、そのまま飲めばだが・・・本当はビール(=4%)よりも酔いが回る可能性が高い。飲酒運転で捕まる可能性があるから酒粕甘酒では気を付けたい。(以上は、酒粕からの甘酒について述べており、 米麹から造る甘酒ではないことをお断りしておく。)////////////////////////////////////////////////////// *お湯に浸けて[酒粕]が柔らかくなったら、 その鍋を火に掛けて掻き混ぜながら 沸騰させ、砂糖、塩を入れて掻き混ぜる。 酒粕は入れすぎると辛くなる?・・・ 摺り下ろし生姜や、塩昆布を添え物に。 4~5人分の目安ーーーーーーーーー 酒粕 100g 水 800cc 砂糖 70g 塩 ひとつまみ程度///////////////////////////////////////////////////////////////★先日は、NHKあさイチで甘酒の特集を組んでいた。体が温まる事以上に、美容などに効果が高いそうである。実はNHK(ためになる番組「あさイチ」)などで美容効果(=「飲む美容液」)などがある商品の放送があると、近くのスーパーなどでその日の内に商品が消える。甘酒でもそのようだったという。昨日、店員に「甘酒は何処にありますか?」と聞いたら、普段は総菜コーナーがある辺りに連れて行かれた。このコーナーの全部が「甘酒」デスという。 <これは酒粕使用でアルコール分が1%未満の表示: 小生は少し酔った感じがするが>小さいプラスティック缶(195g)を2本買って帰った。小生は脳幹梗塞以来、舌の感覚が可笑しい。これは甘すぎる!?甘酒でも酔っぱらう。ノンアルコール・ビールでも酔いが回る。僅かでもアルコールを感じると酔っぱらった感じになる。しかし、昔のようには酷く酔っぱらわないから、経済的に出来ているかも知れない。★昨晩は、甘酒での晩酌?であった。後味は甘すぎて飲み過ぎると気持ちが悪いくらいである。★追記:今は、四万十川上流には腹の黄色い、小さめの鰻は極めて少ないという。絶滅危惧種と言うから、小生達が子供の頃に捕りすぎたかも知れない。あまりに捕れすぎるから各地の漁協では禁止されているので御注意を!★
Dec 14, 2016
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★ 前回の参議院選挙では、「合区」が人口の過少県である4県を2つの疑似県として行われた。 国民の意見を中央に届けるためにできるだけ平等にする目的である。 しかし、合区にしたことで国民の意見は中央に届くことに役立ったのだろうか。 ふるさとの、明治以来、自由民権運動を推進した高知県がその結果を投票率で振り返ってみる。 2013年と今年7月の参議院選挙の投票率をみると、全国では52.61%→54.7%と約2ポイント好転しているが、合区を強いられた高知県では49.89%→45.52%と約4ポイント強も悪化している。 合区で見ず知らずの候補者が選挙公約を叫んでも、信用できないどこかの政党と同じであろう。 普段から、当県内の要望を中央に届けることのできる人物でないと、選挙の時だけ、受けの良いことを言う被選挙権者の言い分は聞きたくないのである。 公約を守らなかった政党は次の選挙でしっぺ返しを食らう運命に合うことが、日本の国政の激しい変化を反映してきた。 現政党は、単純に自分の党の都合で合区を議論するが、国家政治は「国民」のためにあるのであり、発言力のある「議会ボス」のためにあるのではあるまい。 国家的に「地方創生」と言いながら、独自の文化を発展させてきた地方を、政治的に分断する暴挙を政治家は選んでいるのではないだろうか。 なにか、可笑しいことが「平等」と言う言葉で選挙に転用されている。 合区で「地方創生」ができるのでなく、「ごっちゃにするという、ことで破壊が起きている」のに過ぎない。 このような自由民権運動を阻害するような政党はどこであろうか。 できれば、そのような政党は日本の議会民主主義から消えて貰いたい。★ 今の選挙制度は「国民の尊厳」を大事にせずに、「議員の尊厳」を大事に扱っている。 今後は、 「国民の一票を優先」して、議員の票は国民の選挙権を集約した議決権とすることに改めるべきであろう。 株主の議決権は持ち株の大きさで決まるが、選挙についても当選被選挙権者は選挙した人数を議決権にもつように改めては如何かと思う。★ まずは、国会議員の都合で選挙区を改める方法(=合区)ではなくて、国会議員の議決権を株主と同じように選挙区内の選挙人全員数と改めるべきである。 国会議員が国政を運営する方式よりも、国民の総意が国政を運営する方式に改めるべきであり、そのための憲法改正なら呆けの小生は賛成である。★ コンピュター化が進んでおり、国会議員の議決権による採決は瞬時に行われると小生は考える。 国会議員には先生、先生と呼ばれるより、「国民の代表」であることの意義を噛みしめて貰いたい。★
Sep 4, 2016
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★ 今後の高知は選挙制度改正で衆議院選挙では、小選挙区定数を3→2に減らされ、参議院選挙では、徳島県・高知県が合区されて、定員が両県で見ると4→2に減員となり、従って改選数は2→1である。 高知に滞在している間に、参議院議員選挙活動が始まった。高知・徳島「合区」となったから、被選挙権者には「業苦」のような選挙戦ではないだろうか。 山に隔てられて、互いに情報が異なる県であり、徳島県が瀬戸内海に隔てられている大阪圏に目が向いているのに比べ、首都(京都→)東京に目が向いている高知県なので、合区の意味が情報面からも乏しい。 選挙権者が、全く知らない被選挙権者を選ぶのであるから無茶苦茶な政府、または最高裁判所と言うべきであろう。 自由民権の里である高知県が、最高裁判所の裁定ミスを「自由民権思想の見地」から糾す必要がある。 呆けの小生は、被選挙権者の権限を、株式会社の株主議決権限と同じく議員1人単位ではなく、「選挙権者の議決権数」だけ持たせればいいと思う。 「持ち株数=投票者数」の概念である。 つまり、各県から選ばれた被選挙権者の数で、当該県の投票時の選挙権者数を除した「議決権限数に相当するウエイト」を議員が投票で行使すればよい。 現代のコンピューターを使用すれば、ウエイトづけられた被選挙権者の議決権投票数を瞬時に合計できるはずである。★ 全国でみると、H26.10.1現在の総人口1億2708万3千人のうち20歳以上は104,844千人であり、18歳~19歳の2,434人を加えると18歳以上は107,278千人となる。 計算上は「2.3%増加」の選挙権者数の増加が全国規模で見られる。 都道府県別年齢層別は20歳以上しかないが、H22.3.31付けで 「20歳以上有権者時代」の統計はある。選挙区総人口有権者有権者率衆議院定数参議院定数 徳島県 796,897 659,642 82.8% 3→2 2→合区 高知県 772,401 641,640 83.1% 3→2 2→合区 合区 1,569,298 1,301,282 82.9% 6→4 4→合区2 選挙管理委員会には事後的に実際に選挙を行った選挙人数は判るからその数字で当選議員の議会での発言・投票力をウエイト付けをすることでは如何であろうか。 18歳以上の選挙権者の拡大は、このところ問題視される年金・医療費負担の世代間の不公平について新たな問題提起をもたらす物と思う。 われわれ老人は、後世の世代に「ツケ」を回す格好である。 人口減という趨勢がもたらしたものであるが、先進国人類(イスラム教徒などを除く)が増殖意欲を失いつつある時代には自業自得の観もなしとはしない。 人口の自然増がいずれは地球をパンクさせることを思えば、八百万の神による、自然の成り行きかも知れない。 日本のよりよい道を後世の世代が早急に選べるように、選挙改革を行っているのだと思う次第。 ★ 呆け頭の妄想に過ぎない。★
Jun 20, 2016
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★ さて、Boeing737で高知龍馬空港に到着して驚いた。 高知空港から、南国バイパスを経由していたルートがほとんど廃止され、新しい東部自動車道経由となり、高知市←→高知龍馬空港間は高速バスで20分(昔の半分)となっている。 路面電車・バス会社も合併した(土佐電鉄+高知県交通=とさでん交通)。 小生の個人的感想であるが、南海トラフ巨大地震が勃発すると空港付近は高い建物が無い。 <中央構造線+九州地震:呆けの小生は中央構造線は異質な島片の衝突と思う。 伊豆半島が島であるように、四国の南の大半は島だったかも。 > <日本経済新聞ニュース2016.4.22> しかし、この東部自動車道を辿れば五台山の高い方向に逃げられるような気がする。 現在は、空港までが完成しているが、将来は室戸に向かう安芸方面接続、山側を走る高知自動車道との(高知市東部を南北に結ぶ)高速道路接続が計画されている。 山側の高知自動車道に逃げればもう大丈夫なのだが・・・ できれば、津波対策として東部自動車道を有効に使いたいモノである。 海側低地から高台団地への避難通路の設置も欲しい。 <画像が見づらい場合は右クリックして「新しいタブで画像を開く」を クリックし、新しいタブで大きな画像をご覧下さい。> ★ 臆病者の小生は、宿泊した家内の実家が比較的高地にあり、夜間は安心した。高知市内に滞在した間は万一の地震時はお城への避難が一番かもと思った。 しかし、被災した名城・熊本城を見る限りでは、お城も安全とは言えないかもと思う。 高知の市内には山が迫っているから、津波の時には小高い山に一時的には逃げればいいかも知れない。 下図の高知市役所(北に高知県庁)の真北に高知城(元・大高坂山城=おおたかさやまじょう)がある。 西の方角には小高坂山(=こだかさやま)もある。 ただ、市役所の東部地域はご覧のように津波浸水の危険がある。 <高知市:津波シミュレーション;地名に五台山”タナスカ”があるが”漢字”はない> <高知市1千年前想像図=双葉町防災新聞より> <タナスカ地区:タナスカ石油備蓄基地=Max3.2万kl> <タナスカ石油基地:・・津波対策に問題を残している?> <タナスカ石油備蓄基地の大津波による浸水可能性> むかし、勤務した広島市ではあちこちの山肌の中に衛星都市のような団地が林立していた。少しでも高所にいれば「危険」から遠ざかれるのだ。 危険とは、地震・津波、放射能などを指す。 最近の高知でも、比較的高地に次々と団地が形成されているように見える。 市内に住居が近ければ通勤・通学に便利であるが、低地となるから、浸水被害の可能性は高くなる。 (土佐)山内家(やまうち;三つ柏紋)は鏡川の堤防をお城の方を高くして、下々の住処の方を低くして(=遊水池的に見立てる)治水を計っていたような節を感じる。 最近は便利さよりも、安全さを求めて、バス便がなんとかある高地に移住しているのかも知れない。 もっとも、高知には自家用車を使う場合が多い。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「こうち」は広島(河内)、大阪(河内長野)、高知(高知)などがあるが、アイヌ語では川の荒れ地の意味であり、水害が多い場所を指す。 決して、本来、「智力」が高い場所を指すモノではない。 ただ、通常はアイヌ語とは別の解釈もある。 ・・・高知城は元・大高坂山城といわれ、山内一豊公の入城時に「河中山城=こうちやまじょう」に改名され、洪水に悩まされたために二代藩主のときに「高智山城」と改名されて城下名も高知となったと「言われる」。 「支配者が歴史を作る」から致し方ないが、高知が洪水に悩まされるのは長曽我部氏や山内氏の治世以前からである。 山が迫り、一気に雨水が海に流れる高知の地勢はアイヌ語の「こうち」に沿っていると思うのだが・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ★ 市内のホテルにも盛衰が際だっている。 小生も宿泊した高知新阪急ホテルは名前が代わっている。 「ザ クラウンパレス新阪急高知」 =阪急阪神第一ホテルグループである。 以前は、同ホテル近くから空港への高速バスの発・着便があったが、高知駅、はりまや橋からの出発便となり、到着便が利用できるのみ。 ★
Jun 19, 2016
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★ 暫くぶりに家内と、家内の母の容態を見るために帰省した。 既に、家内もシルバーとなったのでJAL,ANAのマイレージ会員であり、「当日シルバー割引」として航空機に空きがあれば利用できる。★ 現役の場合は、仕事が休みでないと帰省できなかったから現役のみんなと帰省のタイミングが重なり通常片道料金35,200円となる。 実は通常時の休日は、かなりの部分を旅行会社、旅館などが買い占めており、需要は多い、と思う。 なぜなら、宿泊代金を含めても旅館に泊まる場合と、自宅に泊まる場合を比べると、旅館に泊まった方が安上がりとなるケースが多い。★ であるから、現役の場合は、数ヶ月前から予定を組んで、早割を予約するか、ホテル、旅館との宿泊プランを選ぶなどが必須となる。 県内に帰省するのに、観光に行くような気分となるのである。 ただ、この場合は、ルート変更、時間変更は一切出来ない不便が付きまとう。 ★ 「JAL当日シルバー割引」では片道運賃は13,300円と普通運賃の37.78%である。ただ、空港での空きを見ての申し込みなので、予約はできない。 1.まず、JALかANAのマーレージクラブ会員を申し込む。 2.シルバー割引が使えるように生年月日を空港で確認して貰う。 免許証などが必要になる。 3.事前の予約はできず、空港に行って空いている場合のみ搭乗できる。 本来的に「空席がある場合」は 土・日・祭日や早朝便、最終便は希であるから、 避けなければならない。一般人が活動しないときを狙う。 自宅から空港までの運賃は無駄になるかも知れないが、とにかく 空港までは行かなければならない。 ただし、多分な心配は不要である。 スマートフォンでもフライトの空き状況は確認できるから、 空席を確認してから出かければいいのである。 4.航空料金は、ホテル料金と同じで空き部屋が多いと収入が少ないから、 満席だと嬉しいらしい。空き部屋を埋めてくれるシルバー会員は 大変有り難いのである。格安航空料金が適用される所以である。 (詳しくはJAL、ANAのマイレージ会員規則をご覧下さい。) ★
Jun 18, 2016
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★小生は時々、家内を車に乗車させて連れて行く場合、「積んでいこうか」 と言ってしまう。自転車の場合も、昔、そのように言っていたように記憶している。★高貴な?家内から、「私はお荷物なのですか?」と言われて、当惑する。別に、家内を軽んじているわけではない。小生が「標準(的国)語」を知らないのだろう。★でないと、土佐弁にそのようなニュアンスがあるのだろうか。土佐弁では、荷物を運ぶ場合は、「のせていく」という。人を運ぶ場合は「つんでいく」という。 ///そもそも、平安時代には人を乗物に乗せるには貴族や天皇くらいしか乗ることはなかった。平安時代は土佐は政治的流人の国である。土佐中村には一条氏などが流されてきたが、土着的土佐人にはそもそも乗り物には平伏するしかないのだ。戦国時代には長曽我部氏が興り、刀狩令などを発布し四国を平定した。長曽我部氏は関ヶ原では家康軍に敗れ、大坂の陣にも敗れて、外様大名の山内の植民地的な支配下にあった。明治維新はそのような矛盾に満ちた反省からの脱皮であり、先進的な米国を見習う姿勢に満ち溢れていた。脱線した・・///たとえ、物理的な意味で乗るにしても、荷馬車かなんぞに空きがあれば上がる機会があるに過ぎない。土民を乗せる、公共的に運航されるバスが来たのは明治維新以降である。土佐弁が可笑しいのではない。昔から、日本では、主客である荷物に紛れて土民は運搬されてきたのである。その土民達が民主主義で国民となり、世論を引っ張っている。昔は荷物に紛れていた土民が、土民専用の車で運搬されている現代でははじめて「乗る」と言う言葉を使っている。///言いたいことは「貴族だけが貴族社会で牛車に乗る」ことが、「明治以降になって全国民が車に乗る」ことができるようになったのである。土佐弁だけに言語の誤りを糺すのでは歴史を間違っていることになる。歴史は、大雑把だが、貴族社会→武家社会→明治維新→市民社会へと移り、明治維新で坂本龍馬、板垣退助などの働きで市民が参加する民主主義社会に変化したのであろう。 ★さて、 人を積んでいく(標準語:乗せる)のではなく、荷物のよう乗せていく(標準語:積んでいく)ような「列車」が存在する。 ★標準語と土佐弁では言葉の違いで片づくのであるが、実際にも、この「乗せる」「積む」の差が人間にも荷物と同様に適用されているような気がしてならない。/// TAXIなどには定員があり乗員全員がシートベルトを着用しないといけない。航空機も同様である。しかるに、バスや列車では立席でも、何処かに掴まっていればいいのである。定員の計算上でも立ち席を勘案しているようである。「満員電車もあり」、だからだ。★最近の新聞に、通勤電車で全員が座れる座席指定券を有料で発売し始めたことが報道されている。定員割れの場合も想定されるから、列車も営業上の付加価値を付けるような試みという。モーニング、イブニングライナーなどもそのような試みだろう。しかし、本来は、自家用車、TAXI,高速バスなどでも明らかなように、シートベルト着用=座席指定が列車の本来の在り方であろう。国民の通勤者輸送の重要使命から、満員通勤を認めてきた列車・バス運送業法であるが、本来の安全を追求する場合は、座席に座ることが最優先しなければならないように思う。国民の輸送を人間としてでなく、荷物並みに輸送してきた日本の輸送機関に呆け頭は問題提起をしたい。直ぐには無理としても、バス、列車に関しては安全輸送とはとても言えないのではないだろうか。★呆けだからそのように思うのだろう、と判ってはいる。★ 「マイナスイオン」のような良いものではない「マイナス金利」などという悪魔・麻薬?に騙されている日本人一般は満員バス・列車に積まれた荷物のようなものかもしれない。特等席・一等席でなくても、せめて二等席列車の「座席指定」に乗っている気分になりたいものである。 ★特報!!!桜島噴火ライブカメラ・・・気象庁 桜島に噴火警報(火口周辺警報) 「噴火警戒レベル3」に引き上げ,入山規制 H28.2.5 19:13 発表昭和火口および南岳山頂火口から概ね2kmの範囲で大きな噴石および火砕流に警戒してください <噴火時> <気象庁ライブカメラ:桜島牛根>火山活動:昭和火口では本日18時56分に爆発的噴火が発生しました。噴煙の高さは火口縁上2,200mまで上がり、弾道を描いて飛散する大きな噴石が三合目(昭和火口より1,300~1,800m)まで達しました。★
Feb 5, 2016
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///// 県内大企業としては、製造業に[証券コード(=銘柄コード)]・・「代表的製品」(創業当初の主力品)をあげると、・(株)ミロク[7983]・・「猟銃」(捕鯨砲)、 ↑ <75mm捕鯨砲・・船の科学館展示> ・(株)技研製作所[6289]・・「杭圧入引抜機」(土木コンサルタント) 、・ニッポン高度紙工業(株)[3891]・・「電解コンデンサ用セパレータ(絶縁紙)」(土佐典具帖紙などの手漉き和紙) <土佐典具帖紙> ↓ <仁淀川の綺麗な伏流水をさらに「純粋」に高め、 手漉紙にビスコースを「含浸」させる技術を発達させた> <電解コンデンサ用セパレータ(絶縁紙)> 、が挙げられる。小売業には(株)キタムラ[2719]・・業態「写真専門チェーン」、銀行には(株)四国銀行[8387]・・業態「地方銀行」がある。 この他にも中堅企業はあるが此処では省く。酒飲みの呆け老人には中堅酒造メーカー(県内大手)の土佐鶴酒造(株)、司牡丹酒造(株)だけを挙げておきたい。ついでで申し訳ないが、日本工作機械工業会に名を連ねる優秀な中堅企業を一つあげておきたい。(株)山崎技研・・「立中ぐりフライス盤製造」 (原動機付きオートバイ=「ブルーバード」、船外機、変速機) <門型NCフライス盤> ↑ <初期の原動機付き自転車ブルーバード号> 併営業:水産 (養殖用稚魚の孵化・育成・放流、珊瑚をふくむ)」 <マダイ稚魚飼育棟> <孵化後5日目のマダイ仔魚> ・・・小生は、独特の水産技術で珊瑚の誕生から成長までを 画期的に促進させる方法を 開発して貰いたいと思う・・・ <as 下町ロケット does >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Webによると、県外企業の三菱重工鉄構エンジニアリング(株)では「微弱電流を利用したサンゴ成長促進および電着基盤利用技術」の特許を取得、審査中であるようだ。高知県でも別の方法で開発願いたいものである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (三菱財閥は高知県出身の岩崎弥太郎をから出ているが、 残念ながら県内企業にはいない。) ///// 下町ロケットのように「佃製作所」にあたる「山崎技研水産部」と、「帝国重工」のような三菱重工鉄構エンジニアリングが共同開発をして、サンゴの赤ちゃんの放出、電着基盤への定着、成長などについて共同開発して貰いたいものである。 「近大鮪」に続いて、ニホンウナギの完全養殖、希少性魚類(真鯛、クエ、など)の完全養殖、希少性サンゴ類の完全養殖などを手がけて貰いたい。 呆けの夢である。★ 画像は各社のホームページなどから。技術音痴であるから、ご自分でトレース下さい。★ 呆けの補足:「土佐典具帖紙」・・・「昔のガリ版刷り」を思い出してください。ヤスリ版の上に、ロウ原紙を載せ、鉄筆で文字をガリガリと書いて、原稿を造り、その上にインクを広げてローラーで圧力を加えると下の紙に鉄筆で描いた文字が綺麗に謄写される。そのガリ版のロウ原紙は一種の典具貼紙である。 「電解コンデンサ用セパレータ(絶縁紙)」・・・丸い乾電池を考えてみよう。プラスの電極部分と、マイナスの電極部分は隔離(=絶縁紙で分離)しなければならない。この乾電池の「絶縁膜」に当たるものを「セパレータ」と思うと判りやすい。乾電池が古くて腐ったり、腐食して居る場合は、漏液があり、電池の役割をしないばかりか電解液が体に触れると危険である。ニッポン高度紙工業は簡単に言うと、乾電池のプラス、マイナスをきちんと隔離する膜=「セパレータ」を作っているのである。もちろんその応用部品を多種多様に工夫しているに違いない。//////小生は、東京の写真製版会社が金属フイルム製造技術を応用し電子的接点を自在に製作するのを見た(中~大型液晶パネルでは「タブ=TAB」方式でソース・ドライバICなどをテープ・キャリアに[実装]し、駆動回路基盤とガラス基盤に接続する)が、ニッポン高度紙工業は「紙」に様々の「セパレータ」を応用しているのであろう。これ以上の「技術」は呆け頭には判らない。あとは、「下町ロケット」のように人類に必要な技術を応用開発して、困難を乗り越えて欲しい。 //////TAB=Tape-Automated Bonding ★
Dec 22, 2015
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★ 「土佐の高知のはりまや橋で坊んさん簪買うを見た」 は僧侶純信と商家の娘お馬の悲恋話である。 その歌詞は土佐の民謡「よさこい節」にある。「~ ヨサコイ ヨサコイ」 簪に飾る珊瑚は、「血赤珊瑚」と言って、世界に冠たる「トサ」の代名詞である。 もう随分昔に衰退産業と考えられて、後継者も次第に廃れていた。高知市種崎浦戸大橋東の日本サンゴセンター宝石珊瑚資料館で、ひっそりとその歴史を辿ることができたように覚えている。この資料館は太平洋の彼方を眺める坂本龍馬像のある桂浜から、(昔はサンフラワー号も通った)浦戸大橋を 渡った所にある。35の杜と称している。 日本の珊瑚産業は土佐の高知で細々と生き残っていたに過ぎない。 高知県の珊瑚漁獲量(足摺岬、室戸岬沖)は1902年には45トンもあったが、近年は1~2トンにしか過ぎない。 ★その衰退産業が、ここ数年で生き返りそうなほどの勢いである。その回復力を生み出したのが、数年前から我が国を襲来した小笠原諸島などでの中国巨大船団の宝石珊瑚の密漁であり、日本政府の宝石珊瑚密漁の取り締まり強化がある。(小笠原諸島だけでなく沖縄の尖閣諸島付近で 中国政府の監視船がワイヤを垂らしたり異常な行動が 観察されており楽観はできない。) ★日本と中国政府の交渉で、小笠原諸島界隈に出漁していた大型違反密漁船が拿捕され、廃船にする計画が決まり具体的に進行している。★このところの中国経済の成長は鈍化しているが、富裕層では富を後世に伝える意欲は高く、また、お目出たい色調を持つ珊瑚は珍重され、宝石珊瑚の需要は高い。供給が極めて制限される自然の宝玉であり、需要の高まりと共に価格は急騰している。 この需要を目当てに大型中国船が日本の小笠原諸島などで宝石珊瑚を大挙して密漁していたのであった。 ★中国のGDPの増大に伴う、中国人富裕層の珊瑚宝飾品需要の高まり、大型の中国珊瑚密漁船の日中取り締まりの強化により、衰退していた日本の宝石珊瑚の漁業・加工業が生きを吹き返しつつある。皮肉なことに、高知県からは県外の大企業工場が撤退してしまったが、零細な珊瑚産業が細々ながら復活しつつあるのだ。★ 県内の珊瑚漁業許可は2009年144件から2015年364件に殖え、資源枯渇化の観点では許可数は上限だという。全国での許可は393件だから許可件数では9割強を高知県が占めている。 もっとも、許可件数と漁船数は比例しない。珊瑚の加工業者の8割が集積する珊瑚業界の中心地として高知県が重要な役割を担っている。 ★宝石珊瑚は成長が遅く、小指の大きさでも50年を必要とするのであり、高知県は生きた珊瑚について年間で750kg以内の漁獲制限を設けている。 <珊瑚原木は、生きた珊瑚だけでなく海底に沈んだ珊瑚を網でとる ものを含む>★将来の資確保のために漁師達は「宝石珊瑚用魚礁」を沈める努力も行っている。 104基の魚礁を高知県沖の水深100mの海底に今年9月に沈めている。 最近の漁師達には一攫千金を夢見ながら、脱サラし、転業してくるものが多くなっているという。★ (資料:高知県資源管理指針・・H27.3高知県、 高知まるごとネット・・高知家、 朝日新聞2015.12.17、などから) ★「高知県で頑張る大企業」などは、抜き出して別途掲載します。★
Dec 20, 2015
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★昨日の市民テニス(週2回・・冬場は週一回参加)は、天気予報では昼頃からの雨であったが、「ミニテニス」、「ストレートラリー」、「クロスラリー」に続く、「球出し4人ボレー練習」の途中でパラパラと雨が降り始めて中止となった。いつも行う、その後の「サーブの打ちっ放し」、「くじ引き・乱数表ペアによる練習試合」は出来なかった。★最近は、テニスの練習には夏の服装(ランニング+半袖スポーツシャツ、短パン)の上に、ウインドブレーカーの上下を着用していて、運動で汗をかくときには其れを脱いで調節している。昨日は、少し寒いので厚着(長袖スポーツシャツ)していた。★冬の厚着と言えば、独身時には風呂上がりにはガウンを着ていた。ガウンというよりは、丹前(どてら・・綿入れ)が田舎では当たり前であった。<丹前というと、呆けの小生は「丹下左膳」を想起する> 綿が入っているのでとても暖かい。いまは、そのようなものが我が家にはない。★先日、息子がスキー用品を物置や納戸に置いたまま転居したのを整理していると丹前よりも短く、前を紐で結ぶ半纏のような厚着がある。 <Web画像から>小生の田舎では「そうた」(土佐方言)で、時代劇映画などでは、子守の少女がすこし大きめのもの(ねんねこばんてん)を使っているような気がする。息子は「もう使わないから、要るならどうぞ」と言い、小生はパソコンに向かうのには丁度良いから暖かい部屋着として重宝している。家内は「暖房いらずだね!」、というから空調機は控えている。★ 今日は、シニアテニス(月2回)であるが、雨天中止のメールが入っている。昨日は、冬物と夏物を入れ替えた。家内も、田舎から帰宅している。今朝は雨天であり、茶道の先生のお家まで家内を車で乗せていかなければならない。着物には雨は禁物である・・・ ★ 土佐弁については下記を参照下さい。http://www.baq.jp/sakawa373/tosaben/goishu.html <Webより:画面の上で右クリックし、「新しいタブで画像を開く」を選択し、 上段の新しいタブをクリックしてご覧下さい。 正確性は保証しかねますが、参考程度にはなると思います。>★
Nov 26, 2015
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★昨日は、「PC拡大鏡」のブログを書いたが、「拡大鏡=虫眼鏡」と言うと、山崎圭氏著作 「星よりのことづて」の 序章「人間周期率」の更に最初のPART1にある「美人の条件と距離」を思い出す。写経してみたい。★ ・★ その女(ひと)を美しいと思いましたけれども、彼女の顔を、虫めがねで見たら、毛穴がありました。次に、大分離れてみたら、男か、女かはっきりしませんでした。すると、彼女が美しいためには、「どれだけの距離」をおいて、彼女を見るか、ということが、一番大切なことが分かります。 たとえば、女房に腹が立ったとき、海辺で、海を見ていると、女房にも苦労をかける、と愛(かな)しく思い出しています。近すぎた「毛穴の距離」から、離れることが出来たからです。でも、もっと、もっと、海を見ていると、女房も僕も海の風物となり、蟹になってしまいます。少し遠すぎたからです。・・・この小誌が、焦点距離をうまくとるのに役立ち、美人発見の手引き書となれば幸いです。★ ・★経営者・科学者・自然保護活動家などの顔を持った今は亡き山崎圭氏が懐かしい。彼の死はヘールポップ彗星と共に消えたが、 <ヘールポップ彗星:Web画像>彗星と共にやってこよう。 <ペルセウス座流星群画像:Web画像>★小生がPC拡大鏡で見たのは、「近くの美人の鼻毛」であったようである。小生が望むのは、拡大された「鼻毛」ではなくて、余りにもぼやけている「美人顔」をクッキリと見たいのである。できれば、文字の拡大については、True Typeフォントのように、拡大しても文字の形容が、飛びっきり美しい画像を年寄りのために開発願いたいと言う意味である。「誤解の無いように」と思うばかりに、「人間周期率」を代用させていただいた。(呆けの小生は虫眼鏡=拡大鏡をPC画面上で言っているのであり、 印刷技術とは無関係である。) ★
Nov 18, 2015
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★小生は、小学生の頃に四万十川上流で父に連れられて魚釣りと泳ぎに行ったことがある。小生が「金槌(=泳げず、どぶんと沈む)」であり、泳ぎを教えようと父は考えたらしい。少し深めのところに連れて行ってもらったが、突然手が離れた。ずいぶん水を飲んだような気がする。呼吸も出来ないくらいに咳き込んだものだった。お陰で泳げるようになった。 ★中学生になって従弟と 二人で川遊びに行った。泳げない従弟と手をつないでいたが、従弟が溺れそうになった。足は川底についていても、深いところでは不安定になる。助けようと泳ぎだすと、従弟は必死に小生に掴まろうとするから、二人とも溺れそうになる。もともと深い川底ではないから、なんとか二人は脱出したが、従弟は水を少し飲んだようで、咳き込んでいた。小生が、脱出の際に従弟の頭を少し水につけたようだ。今でも、小生が従弟を溺れさせようとしたと思っているかもしれない。助けようとして必死であったが、藁にもすがりたい気持ちで絡みつかれると小生の動きが取れなくなるので、少しだけ距離をとる必要があり、従弟の体を持ち上げることができない瞬間ができたのであった。///////////// 泳いで救助するのは大変な作業である。特に、水を誤って食道でなく気官に入れると苦しい。★人類の祖先を辿ると、海域から淡水域に移り、乾期には肺魚のように肺機能を取得し、陸に上がってからは、水中での呼吸機能は失われている。 ・・・肺魚:他の魚類と同様に エラ(鰓)内鰓をもち、 さらに幼体は両生類と同様に外鰓を持つものの、 成長に伴って肺が発達し、酸素の取り込みの大半を鰓でなく、 肺に依存するようになる。 乾期にも「夏眠」と呼ばれる休眠状態で過ごす。 <オーストラリア肺魚ーーーWIKIPEDIA> /////// 人類は、食道から分岐した肺を活用して酸素を取り込み、心臓から血液を血管を介して全身に送り込むと同時に、肺から一酸化炭素を吐き出している。食道に「食べ物」と「空気」用に分ける弁があり、空気を欲して誤って水を飲むと、誤って肺に水を送りかねなくなる。あわてて、それを避けようとして咳き込むのである。★「シュノーケル」という、口に管を咥えて反対側を水上に出す工夫がある。 簡単に言えば、「忍者の水遁(すいとん)の術」=「遠目には葦に見える長いストロー状の管を使う」を応用したようなもの。管は頭で止められて水上に出ているからと言っても、自分がシュノーケルの長さ以上に水に潜る場合は、いったんシュノーケルの中に入った水を、自分の排気で押し出した後に、吸気しなければ水を肺に呼び込むことになる。大変なことになるのである。水とちゃぷちゃぷ遊んでいるうちは良いのだが、川と違い海には波があり、シュノーケルが波に洗われると、大量の水で咳き込むことになりかねない。シュノーケルは、あまりに長いと、シュノーケルが危険にさらされるから、深い海では潜水用具に譲ることになろう。 深く潜るだけでなく、シュノーケルの水を排気する余力がある場合だけ、「シュノーケル潜水」を使用できるように思う。そうでなければ、深く潜った後は、シュノーケルを外して波の上で呼吸するしかあるまい。 <シュノーケリング・・・Web画像から>★シュノーケルを使用できない小生は、川を歩きながら、「箱メガネ=木箱の底にガラスを嵌め込んだ漁具」で鮎などを狙うしかなかった。 <箱メガネ(たこめがね)・・・昔は箱→プラスティック>先日は、孫たちが海や、四万十川上流でも楽しく泳ぎ、川では手網で魚を追ったという。 四万十川の「お腹の黄色いウナギ」はとても美味しかったそうである。 <お腹が黄色の天然鰻>養殖の腹の白いウナギとは味も違います。 <天然鰻> <養殖鰻> ・・・鰻蒲焼き・駒形・前川のHPより・・・ 四万十町のおいしいウナギは、予約が必要です。 土佐には自然が海・山・川などに一杯である。 <四万十川:Webから>★ シュノーケルを付けて潜ってもいいが、水を排気してから空気を吸うか、シュノーケルを外して空気を吸うべきであろう。救命具を付けていなければならないクラスの方は、潜ることは厳禁である。そもそも泳げない方がシュノーケルを付けていることにも問題がある。救命具を付けて、「木箱の底にガラスを嵌めた漁具」をとおして、波打ち際で魚を見たらどうでしょう。波の荒い場合は決して波打ち際にでるべきではありません。小生は、海というと「大潮の大波」、「津波」や「毒クラゲ」、「頬白鮫」などの危険を感じるが、皆さんは臆病者というだろうか。★
Aug 20, 2015
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★「こころの友」の写経シリーズ ・ 8.2 私の Profile ・ 本日で、山崎博司氏の「こころの友」の写経が終わります。 ただし、ブロッガー本人世代までの画像・文章は残してありますが、次世代のものは全て外しました。 小生としては、PRIVACYには興味がありません。 /////// 今までのブログで「画像が見づらいときの注意」マウスを右クリックして「新しいタブで画像を開く(I)」を選択すると新しいタブとして選択した画像だけが大きく開くので中の文字も鮮明に見えます。 //////// ★ 番外の画像:土佐の生んだ政治家 吉田茂(WIKIPEDIA) 1878.9.22-1967.10.20 高知県宿毛市出身の、自由民権運動闘士・板垣退助腹心の竹内綱の5男として東京神田駿河台に生まれる。綱(父親)が反政府運動で長崎で逮捕され、妻(芸者であった)が東京で親友の吉田健三(旧福井藩士、横浜の英系貿易商の支店長)の庇護の元で「茂」を生んだ。3歳の時に、吉田家と養子縁組。少年期は大磯町で義母に厳しく育てられる。1995.9高等商業学校(一橋大の前身)入学、商売人は性に合わぬと11月退校、その後、東京物理学校(現・東京理科大)、慶應義塾、を転々とし、1901.8学習院高等学科卒業。 学習院大学を経て、1904.9東京帝大入学、1906.7東京帝大法科大学政治科卒。9月、外交官試験合格、外務省入省。1909牧野伸顕(大久保利通3男)の長女と結婚。英、伊、米など勤務し、1939特命大使となり外交一線から退く。(外交官約30年のうち中国大陸には20年勤務。)1945.9外務大臣。12月貴族院議員。1946内閣総理大臣兼外務大臣、日本自由党総裁。1947.4.25総選挙初当選。5.24内閣総辞職。1948.3民主自由党総裁。10.15内閣総理大臣兼外務大臣。1949.1.23総選挙当選、2.16内閣総理大臣兼外務大臣。1950.3自由党総裁、6.28内閣総理大臣兼外務大臣。 1951.7.4および12.26内閣総理大臣兼外務大臣。1952.8.1保安庁発足、長官兼任。1954.12.10まで第5次吉田内閣。1963.10まで衆議院議員。1967.10.20大磯別邸で永眠。 国葬。///// 皇學館大学総長(初代)、学校法人二松学舎舎長(第5代)を歴任。 ///// 本妻は伯爵の娘だが、後妻は元新橋の芸者。 /////長男・次男は学者。長女は岸信介・佐藤栄作の従兄弟に嫁ぐ 。三女は実業家・政治家の麻生太賀吉に嫁ぎ、その長男が麻生太郎(第92代内閣総理大臣)、長女・信子が寛仁親王妃(寛仁親王家は廃止し現・三笠宮家)。 ・・・ 実家・竹内家の兄には異母兄の明太郎がおり、実業家で、衆議院議員。早大理工学部設立者。 佐賀県芳谷炭坑経営、小松製作所(現・コマツ)、唐津鉄工所創立者、日産自動車の前身快進社設立するなど工業立国に努力する。国産第一号車のダットサン(DAT)のTは彼の頭文字である。田健治郎=D,青山禄朗=A、竹内明太郎=Tの頭文字を取った、小回りが利き、脱兎のごとく速く走るDATSUNであった。 孫には竹内啓一(一橋大名誉教授、25代日本地理学会会長) など。・・・・・・土佐との総選挙関係: 衆議院総選挙(高知県全県区)当選回数7回 吉田茂は高知県に関係があるが、居住はしていない。 その視野は日本だけでなく世界にある。 尊皇意識は人一倍強く、GHQから天皇を守り続けた。 早く任務を終えて、Go Home Quickly と言ったようだ。 「国会議員は、自分の住む場所の利害の代表ではない、 国家や世界を論じる貴公子であるべき」だと、 人を食ったユーモアで論じ、ハバナ葉巻きで 煙に巻かれるのがオチであろう。 ・土佐の高知と大磯の類似関係: 四国の形状~神奈川県の地図形状 四国白地図 高知市の位置~神奈川県に於ける大磯の位置 なぜか、神奈川県の県境の図は四国とそっくりである。 そして、相模湾は土佐湾のようである。 吉田茂翁の住んだ大磯は、まるで高知市の位置にある。 かれが、土佐からの陳情に対して、わしは高知市に住んでいるのだ、と、煙に巻いたのも判るような気がする。 /////// 高知に帰郷していないが、いつも高知にいる気分に 浸ることが出来たのは大磯が海に面しあたかも高知市 のようであったから(土佐湾~相模湾)・・・日本のためが即、高知のためにも対応するのだとの信念 まさに大物である・・・ 吉田茂1951.9.8日米安保条約調印式withダレス(left) ★本文★ 以下には次のJPGファイルがあります。7a9dddf63acc7f1de186d・・.JPG ff62a1289f42a8c09d6da・・.JPG 1115a2947bdc5eda4eef・・.JPG 83e8103ae83809e9c9f8・・.JPG 「画像が見づらいときの注意」にもとづいて、対応下さい。 ★ ごくろうさまでした。以上で・・・「こころの友」の写経シリーズ を次世代の部分を除外して、保存いたしました。 これからは、休み休み書いていきます・・・★
Jun 10, 2015
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★「こころの友」の写経シリーズ ・ 8.1 私のProfile ・ 以下においては、ブロッガー本人世代までの画像・文章は残してありますが、次世代のものは全て外しました。 小生としては、PRIVACYには興味がありません。 ///////・・・ 今までのブログで「分割してある画像が見づらいときの注意」・・・ その画像部分にマウスを当て、右クリックして「新しいタブで画像を開く(I)」を選択すると新しいタブとして選択した画像だけが大きく開きます。そのタブをクリックすれば、中の文字も鮮明に見えます。・・・・・・・・・・ 本文には次の5つのJPGファイルが填め込まれています。aed0167f00865b110d5d0f21b9cbc・・.JPG 9feb4c757ef6606ae0bd3e4183f485・・.JPGf34a41d2f32d949d47bd24143af3c6・・.JPG266f70697983bd59f7897503db202・・.JPG e4bb8cae50000f89788d24ff6bf052・・.JPG これ以外の画像は、本文にはないはずです。 右クリックした段階で新しいタグが上方にできるのでクリックして「原寸大のHPの分割部分」をご覧下さい。 //////// ★ 番外の画像:土佐の生んだ経済人岩崎弥太郎(WIKIPEDIA) 1835.1.9-1885.2.7土佐国安芸郡井ノ口村(現・高知県安芸市。赤塗り部分)生まれ。 地下浪人(ジゲロウニン=生活難渋のため郷士の地位を百両くらいで売った浪人もの)の子として生まれるが、藩主から文才を認められ、江戸に遊学、父の酒席での喧嘩・投獄で帰郷し、冤罪を訴え自らも投獄されたが、そこで算術・商法を同房の商人から伝授。出獄後、蟄居中の吉田東洋の少林塾に学び、後藤象二郎らの知遇をえる。東洋が参政となると長崎に派遣される。東洋が暗殺されると、犯人探索に派遣される。京大阪での犯人探索の任務放棄・長崎放蕩で役職を辞す。坂本龍馬が脱藩の罪を許され、長崎で「亀山社中」を設立し、海援隊が土佐藩の外郭団体となると、後藤象二郎に藩の商務組織である土佐商会の長崎留守居役に任じられ、経理役を担当する。不仲といわれたとはいえ、二人は酒を酌み交わし、弥太郎は多額の餞別を龍馬に贈っている。土佐商会が閉鎖後、大阪の藩の出張所、大阪商会に移り、そこを九十九商会と改称し、海運業に従事する。廃藩置県後、後藤象二郎の肝いりで、土佐藩の旧債肩代わりで船2隻を所有し、三菱商会を個人創業。新政府が紙幣貨幣統一することの情報を後藤象二郎から極秘に知った弥太郎は藩札を大量に買い占めた。それを新政府に買い取らせて、莫大な利益を得た。台湾出兵(1878)、西南戦争(1877)でも利益を殖やしたが、大久保利通暗殺(1878)、大隈重信失脚(1881)で後援者を失う。その後、渋沢栄一などが共同運輸会社を設立し、三菱と対抗した。ライバルとの競争の最中、51才で病死した。弥太郎の死後に、彼の補佐役として尽くしてきた、弟・弥之助(1851.2.8-1908.3.25)が指揮を執り、敵対勢力と、政府の後援で合併し日本郵船ができた。同社は三菱財閥の源流といわれる。 ////////////////////////////////////////////////////////// ・・・・・ 上記が見づらいので、右クリックして 新しいタブで画像を開く(I)を選択し、新しいタブで画像を「原寸大」に開いて見てください。 ////////////////////////////////////////////////////////// <以上はWIKIPEDIAなどを抜粋>★本文★ ★ 「こころの友」の写経シリーズ ・ 8.2 : 私の Profile ・ 最終版 に続く★
Jun 9, 2015
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★「こころの友」の写経シリーズ ・ 7 短歌 ・ 以下においては、ブロッガー本人世代までの画像・文章は残してありますが、次世代のものは全て外しました。 小生としては、PRIVACYには興味がありません。 /////// 今までのブログで「画像が見づらいときの注意」マウスを右クリックして「新しいタブで画像を開く(I)」を選択すると新しいタブとして選択した画像だけが大きく開くので中の文字も鮮明に見えます。 本文のHP分割画像は5枚です。その分割ファイルのJPG名は非常に長くその一部を示してみます。7961adbd89940bcd25・・.JPGeabcaba325d38680eb・・.JPG75c4939adcff4f02fd73・・.JPG c409c550dff4aad2827・・.JPG7d537d218c3459eb3d・・.JPG 各々のタブを表示させて、原寸大の見やすい文字をご覧下さい。 //////// ★ 番外の画像:西行法師(WIKIPEDIA)良寛像(長岡市降泉寺)WIKIPEDIA ★本文★ ★ 「こころの友」の写経シリーズ ・ 8.1 : 私のProfile ・ に続く★
Jun 8, 2015
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★「こころの友」の写経シリーズ ・ 6.2 美: 禅 ・ /////// 今までのブログで「画像が見づらいときの注意」マウスを[見づらい画像に当てて]右クリックして「新しいタブで画像を開く(I)」を選択すると新しいタブとして選択した画像(*)だけが大きく開くので中の文字も鮮明に見えます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 例えば、このページの上方にある平行四辺形がタブに当たり、そこに大きな画像が保存されているので、そのタブをクリックすると新しいページが開くわけです。 ここに保存した「こころの友」のホームページはタブが「f72ff0bb4689a5・・」となっているはずです。・・の後には・・.JPGがあります。 (*)ホームページを画像として分割保存しています。ちなみに、 本文の、このページには2つのホームページの画像が入っています。 通常は、ブログの制約で、500kバイト未満のホームページ画像なら 4~5枚しか保存できません。 //////// ★ 番外の画像:宮城県有備館神奈川県称名寺庭園 ★本文★<以下には2つのHP画像が組み込まれています。 上の画像で右クリックし、「新しいタブで画像を開く」を選択すると、 上部のタブは「f72ff0bb4689a5・・」なるJPGファイルです。 文字を圧縮したように見えていた画像が大きく復元しているはずです。 下部のHP画像は「edea156229351dc31da・・」なるJPGファイルです。 やってみてください。> ★ 「こころの友」の写経シリーズ ・ 7.1 : 短歌 ・ に続く★
Jun 7, 2015
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★「こころの友」の写経シリーズ ・ 6.1 美 : 禅 : /////// 今までのブログで「画像が見づらいときの注意」マウスを右クリックして「新しいタブで画像を開く(I)」を選択すると新しいタブとして選択した画像だけが大きく開くので中の文字も鮮明に見えます。 //////// ★ 番外の画像:・燕市の「良寛の五合庵」 ・水戸市の「西山荘」 ★本文★ ★ 「こころの友」の写経シリーズ ・ 6.2 美 : 禅 : に続く★
Jun 6, 2015
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★「こころの友」の写経シリーズ ・ 5.4 善:人間学 ・ /////// 今までのブログで「画像が見づらいときの注意」マウスを右クリックして「新しいタブで画像を開く(I)」を選択すると新しいタブとして選択した画像だけが大きく開くので中の文字も鮮明に見えます。 //////// ★ 番外の画像:寺田寅彦(とらひこ) ニュートン やぶこうじ (別号;吉村冬彦、寅日子、牛頓、藪柑子) 1878.11.18-1935.12.31 東京生まれ、高知市出身、東京帝国大理科大学・同大学院卒理学博士(地球物理学、結晶解析学、統計力学的な形の物理学)、随筆家、俳人 「天災は忘れた頃にやってくる」 などの随筆中の名言がある。夏目漱石の最古参の弟子で、科学・西洋音楽では友人関係とみられる。詳しくはWIKIPEDIAをご覧下さい。 ★本文★ ★ 「こころの友」の写経シリーズ ・ 6.1 美 : 禅 ・ に続く★
Jun 5, 2015
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★「こころの友」の写経シリーズ ・ 5.3 善:人間学 ・ /////// 今までのブログで「画像が見づらいときの注意」マウスを右クリックして「新しいタブで画像を開く(I)」を選択すると新しいタブとして選択した画像だけが大きく開くので中の文字も鮮明に見えます。 //////// ★番外の画像:中江兆民(別号に秋水; WIKIPEDIAなどから)1847.12.8-1901.12.13 思想家(ルソー「民約論」翻訳校訂)、ジャーナリスト、衆議院議員高知市、足軽の家に生まれ、藩校で学び、長崎、江戸などで仏語を学び、岩倉使節団に加わり仏に渡る(1871.11)。帰国(1874.6)して仏学塾を開く。「東洋自由新聞」主筆。弟子に幸徳秋水(大逆事件の濡れ衣で連鎖・処刑)・・・・・・詳しくはWIKIPEDIAをご覧下さい。 ★ 本文★ ★「こころの友」の写経シリーズ ・ 5.4 善:人間学 ・ に続く★
Jun 4, 2015
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★「こころの友」の写経シリーズ ・ 5.2 善:人間学 ・ /////// 今までのブログで「画像が見づらいときの注意」マウスを右クリックして「新しいタブで画像を開く(I)」を選択すると新しいタブとして選択した画像だけが大きく開くので中の文字も鮮明に見えます。 //////// ★ 番外の画像 : 牧野富太郎 (Wikipedia)1862.5.22-1957.1.18 日本の植物学の父高知県高岡郡佐川町生まれ5.22=「植物学の日」、佐川小学校中退理学博士 (1927.4) 牧野博士の実家は「岸屋」という造り酒屋であったが、博士には継承する意欲はなく、その後、その「酒蔵」は同町にある、土佐の大手酒蔵の司牡丹酒造に譲受された。牧野博士が、「草をしとねに 木の根を枕 花と恋して九十年」と詠んだことに因み、司牡丹から特別純米酒「ハナトコイシテ」が発売されている。司牡丹は竹村家(屋号・黒金屋)の酒造りの銘柄で、同家と坂本龍馬(才谷屋・質商兼酒屋)との交流も頻繁であった。漫画家の「黒鉄ヒロシ」は本名:竹村弘が実家から取った筆名である。 <脱線しましたが、鉄系超伝導関連物質は「お酒」と70度Cに加熱すると翌日には超伝導体となる(*)ようである。金よりも金属「鉄」という伝導体の方が「人と人のこころを結ぶ超伝導体=漫画」を描く、「酒造家出身」の筆名には相応しいかも。・・・めいてい君> (*)htttp://www.jst.go.jp/pr/announce/20100727-3/ 「ハナトコイシテ」http://www.tsukasabotan.co.jp/tukasa/hanakoi/hanakoi/hanakoi.htm ★本文 ★ ★「こころの友」の写経シリーズ ・ 5.3 善:人間学 ・ に続く★
Jun 3, 2015
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★「こころの友」の写経シリーズ ・ 5.1 善:人間学 ・ /////// 今までのブログで「画像が見づらいときの注意」マウスを右クリックして「新しいタブで画像を開く(I)」を選択すると新しいタブとして選択した画像だけが大きく開くので中の文字も鮮明に見えます。 //////// ★ 番外の画像 :WIKIPEDIA 安岡正篤 (まさひろ) 1898.2.13-1983.12.13 Amazonプロファイル:陽明学者・東洋思想家、「終戦の詔勅や平成の元号に関与」 「昭和最大の黒幕(本人は教育者という)」 大阪市中央区生まれ、 高知県士族(東京在住)安岡家の養子 (1915)となる。 東京大学法学部卒 (1922) 詳しい経歴は下記をご覧下さい。 http://ja.wikipedia.org/wiki/安岡正篤 (安岡正篤は死の直前に、認知症で細木数子に籠絡されたが、 婚姻調停で籍を抜くことで決着した。) ★・ 本文 ・ ★ ★「こころの友」の写経シリーズ ・ 5.2 善:人間学 ・ に続く★
Jun 2, 2015
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★ 「こころの友」の写経シリーズ ・ 4.3 真:土佐正史と龍馬伝 ・ /////// 今までのブログで「画像が見づらいときの注意」マウスを右クリックして「新しいタブで画像を開く(I)」を選択すると新しいタブとして選択した画像だけが大きく開くので中の文字も鮮明に見えます。 //////// ★ 番外の画像 :高知市のホームページなどから 板垣退助像 高知公園内「板垣死すとも自由は死せず」・・・自由民権運動の主導者 詳しくは:http://www.city.kochi.jp/soshiki/39/itagakidouzou.html ★ ★「こころの友」の写経シリーズ ・ 5.1 善:人間学 ・ に続く★ ・ ★ ・ 再掲載 ・OCNのPageOn終了の経過期間終了について5月31日に終了したので6月30日にかけて順次閉鎖されることとなりました。 ★
Jun 1, 2015
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★ 「こころの友」の写経シリーズ ・ 4.2 真:土佐正史と龍馬伝 ・ /////// 今までのブログで「画像が見づらいときの注意」マウスを右クリックして「新しいタブで画像を開く(I)」を選択すると新しいタブとして選択した画像だけが大きく開くので中の文字も鮮明に見えます。 //////// ★ 番外の画像 :高知市のホームページなどから Web写真など:坂本龍馬像・・・桂浜・・・ 頃は幕末、封建的な身分制度(士農工商に加えて、土佐では外様・山内家が持ち込んだ上士・・山内、下士・・旧来の土着という武家側での二重構造)という新たに組み込まれた、歪な幕藩体制が続くなか、海の向こうでの、中国・アヘン戦争に見るような、押し寄せる列強の脅威を認識しはじめ、如何に対応すべきかの情報を模索して日本中を飛び回り、身を以て志士たちに真の国体のあるべき方向を知らしめ、国を近代に導いた大人物が坂本龍馬です。 ・・・ 小生は、彼を危機回避に当たり、「出エジプト記」のモーゼに匹敵する人物と空想します。 詳しくは:http://www.city.kochi.jp/soshiki/39/sakamotoryoma.html ・ ところで・・・ 昨夜の長周期振動地震には驚きました。 東京から約1千キロ離れた小笠原諸島西方沖のフィリッピンプレート上で、太平洋プレートとの境目に近い、地下682km深度当たりが震源(M8.1)です。 宇宙軌道を飛行し続ける地球号には回転による摩擦熱で内部は超高熱となりプレート同士の軋轢で地震は至極当たり前なのでしょう。 早速、500mlペットボトル24缶を買ってきました。・・・★・・・本文です・・・ ★ ★「こころの友」の写経シリーズ ・ 4.3 真:土佐正史と龍馬伝 ・ に続く★
May 31, 2015
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★ 「こころの友」の写経シリーズ ・ 4.1 真:土佐正史と龍馬伝 ・ /////// 今までのブログで「画像が見づらいときの注意」マウスを右クリックして「新しいタブで画像を開く(I)」を選択すると新しいタブとして選択した画像だけが大きく開くので中の文字も鮮明に見えます。 //////// ★ 番外の画像: 高知市のホームページから 初陣の像 長曽我部元親 1539-1599.7.11 長宗我部国親(20代当主)と美濃斎藤氏娘の長男で、正室は石谷光政娘・斉藤利三異父妹。阿波・讃岐の三好、伊予の西園寺・河野氏らと戦い四国の覇者となる。織田信長の四国派兵を契機に斉藤俊三を家臣とする明智光秀が本能寺の変で詔勅により織田信長を討つ。しかし、秀吉が下克上と光秀を批判して光秀を誅殺、代わって天下を掌握する。四国征伐に出た秀吉勢に敗れて土佐一国に減知とされる。島津征伐に加わり、司令官の指示のまずさにより、九州・戸次川の戦いで最愛の後継者・信親を失い、天下統一の夢を完全に断たれて性格は荒み、家中を混乱させたまま逝去。 下記に説明があります。 http://www.city.kochi.jp/soshiki/39/uijinnozou.html <高知市長浜6600 若宮八幡宮内: 没後400年の1999年5月建立> ★ 本文 ★ ★ 「こころの友」の写経シリーズ ・ 4.2 真: 土佐正史と龍馬伝 ・ に続く★
May 30, 2015
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★「山崎博司氏の"こころの友"の写経シリーズ」 ・ 3.2 能 ・ /////// 今までのブログで「画像が見づらいときの注意」マウスを右クリックして「新しいタブで画像を開く(I)」を選択すると新しいタブとして選択した画像だけが大きく開くので中の文字も鮮明に見えます。 //////// ★ ★ 「こころの友」の写経シリーズ ・ 4.1 真:土佐正史と龍馬伝 ・ に続く★
May 29, 2015
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★「山崎博司氏の"こころの友"の写経シリーズ」 ・ 3.1 能 ・ /////// 今までのブログで「画像が見づらいときの注意」マウスを右クリックして「新しいタブで画像を開く(I)」を選択すると新しいタブとして選択した画像だけが大きく開くので中の文字も鮮明に見えます。 //////// ★ ★ 「こころの友」の写経シリーズ ・ 3.2 能 ・ に続く★
May 28, 2015
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★「山崎博司氏の"こころの友"の写経シリーズ」 ・ 2.2茶道<土佐石州流> ・ /////// 今までのブログで「画像が見づらいときの注意」マウスを右クリックして「新しいタブで画像を開く(I)」を選択すると新しいタブとして選択した画像だけが大きく開くので中の文字も鮮明に見えます。 //////// ★ ★・ 3.1能 ・ に続く★ 終了間近の、 土佐の神髄、 「こころの友」保存版の作成スペースを此処に一時確保しています。 ★
May 27, 2015
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★「山崎博司氏の"こころの友"の写経シリーズ」 ・ 2.1茶道<土佐石州流> ・ /////// 今までのブログで「画像が見づらいときの注意」マウスを右クリックして「新しいタブで画像を開く(I)」を選択すると新しいタブとして選択した画像だけが大きく開くので中の文字も鮮明に見えます。 //////// ★ ★2.2茶道<土佐石州流> に続く★ 終了間近の、 土佐の神髄、 「こころの友」保存版の作成スペースを此処に一時確保 ★
May 26, 2015
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★「山崎博司氏の"こころの友"の写経シリーズ」 ・ 1.2花のある街 ・ /////// 今までのブログで「画像が見づらいときの注意」マウスを右クリックして「新しいタブで画像を開く(I)」を選択すると新しいタブとして選択した画像だけが大きく開くので中の文字も鮮明に見えます。 //////// ★ ★ 2.1茶道 に続く ★ 終了間近の、 土佐の神髄、 「こころの友」保存版の作成スペースを此処に一時確保 ★
May 25, 2015
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★ 山崎博司氏(崎の大は立)の「こころの友」ホームページが今5月末を以て廃止になる予定である。非常に惜しい気がするので、なんとか、 保存のために写経を試行してみたい。もちろん、彼の著作権を侵犯する気は毛頭ありません。HPが再開できた時点で写経は削除いたします。★「山崎博司氏の”こころの友”の写経シリーズ」 ・ 表紙 ・ & ・ 1.1花のある街 ・/////// 今までのブログで「画像が見づらいときの注意」マウスを右クリックして「新しいタブで画像を開く(I)」を選択すると新しいタブとして選択した画像だけが大きく開くので中の文字も鮮明に見えます。 //////// ★ ・ 1.1花のある街 ・ ★1.2花のある街 に続く★
May 24, 2015
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★ 本日、土佐の室戸の親類から瑞瑞しい枇杷の実が届いた。毎年のように、裏山の枇杷畑から収穫して贈ってくれる。便りに寄れば、今年は「裏作」であった。花が実を付けるのが少なく、強い潮風に煽られて、小鳥の食害などにやられて通年の1/8から1/10程度の収穫が予想されたらしい。どの土地でも、果物が山野で少なく、他方で野鳥・野獣が増えており、里山に居着く比率が高くなっているようである。人類自身がもたらした 異常気象の中で 人類と野生動物との競合が高まったのだろうか・・・ ★小生は一度だけ枇杷の収穫に参加させて貰ったことがある。傾斜のきつい畑をよじ登るのは大変であった。小生は、ヘビや百足などは大の苦手であり、飛び回る大きな蜂も苦手である。 <Webより>もっとも、我が家の屋根に巣くう蜂の巣は、釣り魚の餌として大変貴重であり、これは長い棒を使うから得意な方であった。 手ぬぐいで隙間を少なくし、軍手を付けての作業は暑いときには重労働であった。★枇杷の実は袋掛けをしてあるから綺麗であると思うかも知れない。時々ではあるが、小鳥はその袋掛けを啄み、中の実は彼等に食べられることがある。石垣にはヘビが居たり、袋掛けには、運悪くすると百足がいるかも知れない。戦々恐々で収穫するのだから小生は戦力と言うよりも、お邪魔虫であった。★今年は、裏作である上に、里山に居座った鳥たちがこれ以上の食害を起こす前の未熟な内に収穫をしたという。いつもより、やや、堅さの残る枇杷を贈ってくれた。 それでも新鮮な枇杷は美味しく、有り難く戴いた。★来年は、かならず豊作が期待されるという。今年はいつもの1/8のケースであった。家内は近くの友人に少しだけお裾分けしたようである。★実は、小生達の団地区画の公園にはサクランボの小木があり毎年実をつけてくれる。昨年は、小鳥たちが集まり、小生達が近づくと大騒ぎをして収穫を遠慮したものであった。今年は、もの凄い豊作であり、公園内は足の踏み場もなくサクランボが落ちている。食べてみると水っぽく甘くない。小鳥たちも公園のサクランボは美味しくないので興味がなくなったようである。 家内と、友人は美味しくないサクランボの下で美味しい枇杷の受け渡しをしたようだ。友人からは長野の別荘の果物を貰っているから枇杷はそのお返しのようなものである。 ★室戸の枇杷は本当に美味しい。小生は、一番美味しいのは「やまもも」なのであるが、これだけは現地に行かないと瑞々しさが味わえない。東京で見かける街路樹のやまももとは違い、ピンポン玉クラスの大きさである・・・ なにせ、美味しさを空輸でも保てない微妙な果実である。この「やまもも」と、「しんまい=まぐろの幼魚」が小生の大好物である。どちらも、「赤坂の料亭」に直送される極上品である。したがって、子供の頃に現地で食べた「経験」のみに留まっている。 <やまもも> <しんまい=まぐろの幼魚・・・骨まで「タタキ」で食べられる> ★
May 13, 2015
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★本日は、高知市役所資産税課から通知が届いた。「住宅用地の認定変更について」という表題がついている。★相続した実家の老朽化が著しく、鉄の部分は赤さびて、夏・秋に台風でも襲来したら飛びそうな部分が増えている空き家だから、「周囲の忠告」もあって、昨年末に、取り壊した。取り壊し費用だって数百万円掛かった。 もちろん、建物があったほうが土地を含めて固定資産税が安いのを知らないわけではない。 自分で近くの法務局に出向き、登記官の指導を受けて文書作成し、郵送で「建物滅失登記」を行った。★上記は、法務局ベースの話だ。今回の通知は市役所の固定資産税調査である。1月1日以降の現地調査結果で家屋が滅失しており、住宅敷地ではないので、27年度の固定資産税では「住宅用地に対する1/6軽減措置の適用を喪失させる」というような趣旨が書いてある。★素直に読むと、最大で土地の税金が6倍となるということか。不思議なことに、老朽建物でありながら高い課税をかけられていた建物には触れていないが、この部分は確実になくなるはずである。しかし、もっと不思議なことは、土地の値段が下がっているのに評価額はジワジワと上昇しているのである。評価額を時勢に合わせて下げるべきであろう。★それに、老朽建物を残させる政策では、建物倒壊の恐れや、空き家への放火の危険も防げないではなかろうか。・・・ 「未管理状態の建築物が全国的に増加しているのは」小生が感じる「高い固定資産税と無関係ではありえない」。 ★小生の住む地区にも、高齢化のために本人夫婦が特養ホームに入って空き家になっているが、このように古屋で空き家なのだが、 売りに出るでもない住宅・集合住宅などが散見される。 ★・★どんな住めないボロ家でも残しておけば「住宅地」課税となる。取り壊せば「住宅地の1/6軽減課税」は取り消される。「良心的に、数百万円をかけてボロ家を取り壊し、更地にすると課税面で損をすることになる」から、購入者が決まってから取り壊すことになり、地域の住宅環境の改善には時間がかかるのである。つまり、老朽木造密集地の解消は税制からも困難さを増している。 土地税制が社会環境改善への「阻害薬となっている証拠」である。 ★・★提案: 住宅として売却を公開している土地については少なくても、建物付宅地並み課税を適用すべきではなかろうか。それを購入したら投機的に長期保有する者(例えば購入して2年以上建築しない者など)には投機的資産税を付与すべきではなかろうか。 ★小生のように、廃屋に近い建物を取り壊し、住宅用地として構え、個人住宅を建築しようとする市民に供給販売しようとする者に対し、「あなたの土地には住宅が建っていないから軽減税率適用は除外します」、というのは、行政的に先を見る目がないというべきであろう。★東京都などには木造家屋の密集地があり、都市計画が進んでこなかった背景には上記のような老朽家屋を取り壊せないという、 土地税制の欠陥が阻害要因として潜んでいるのだと思う。勿論、借家もあり古くても取り壊せない事情もあろうが、これらを含めて都市計画を促進しないと巨大地震は待ってはくれない。 ★東京だけでなく高知市も南海大地震の脅威を抱えており、老朽建物は耐震建物に早く更新させるよう行政として刺激を与える政策に転換すべきである。税金を取るばかりが能ではないのでは? ★ 呆け頭にはそうとしか思えない。呆けているからだろうか? ★
Jan 14, 2015
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★高知の不動産屋は慎重である。お客様のために万全を期している。★「隣地との境界がもしかしたら明確ではないから、測量が必要かもしれない。土地家屋調査士が入ると数十万円が必要である。」と、不動産屋は言う。 ★確かに、小生にも苦い経験がある。小生は宅地造成業者が区画整理した土地を購入している。 その後に建設した自宅が設計者である大手建築業者のCAD設計ミスで少しだが建蔽率の計算にミスがあることを発見した。 隣家が転居し、売りに出たのでこれを購入した。お子さん達のために買ってあげたらという隣家の親切で多少高めの購入となった。 家は古いので取り壊し、更地とし、 自宅の西側を幅2mほど確保して庭を広げて、「自宅の建蔽率を十二分に確保」し、少し小さくなった隣地を転売したことが昔あった。そのときは、分筆という手続きなので、実際に土地家屋調査士をいれて、両隣の家に立ち会ってもらい、確定測量を行ったのであった。小生には、大変な出費と苦労であった。未だに、大手業者に腹が立っている。★高知の家では古い建物があるときには境界が判りにくかったが、大手仲介業者のアドバイスにより、取り壊し済みで、塀だけがある。(その大手は連携が悪いので断った。) コンクリート塀があるので、境界はある程度判っているし、特に道路側は市道拡張で寄付を行い確定しているはずである。現況でも明白ではなかろうか。・・・ 確定測量では所有者全員に立ち会ってもらわなければならないし、どこにいるのかさえ知らない人もいるだろう。 費用もかなりかかることは判っている。矢印等はあるそうなので、境界をもう少し調べてもらうこと、 現況の状態での土地売買方法を検討してもらう事とした。・・・ 全くの境界未確定でもなく、数十年の長きにわたり、住宅用益にある土地であり、三方はセメント塀に囲まれ、前面は市道であるなど生活にも支障がないのに、改めて立ち会いを求めるのも大変である。★売買契約書にその旨を記載しておく方法を希望することにしたい。つまり、契約書と実測面積の差異(多分、ありえないが・・・)には後日文句は言わない、ことである。 宅造地であり、区画もされた宅地でのことで、面積が確定されていない農地、雑種地の話しではないのである。 仲介業者が丁寧であることはいいことであるが、費用対効果を考えるのも必要であろう。★ どんなに立派な石橋でも洪水など環境に合わさないといけない。見るのにはいいが、使い物にはならないからだ。不思議と、観光にはなっているが・・・ <Web画像より> ★
Jan 13, 2015
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★例えばであるが、土地売買に建築条件がついた場合はどうなるであろう。小生が知っていたのは、、「売り手から建築条件」が付けられるのは土地売買を買い手に有利にするかわりに、不動産屋の指名する建築業者を使えというもの。★A不動産(例:東急不動産)ならA'建築(例:東急建設)に建設させることなどを条件にして、理想的な家並み・景観(例:自由が丘)を保とうとする場合などにも使われる方式と思う。もちろん、単に営利行為として、総合的に儲けを出そうとするものが多いことも知っている。 ★他方で、ありえないかもしれないが、 売り手側でなく「買い手側からの建築条件」もある。「土地購入・建物建築」をワンセットで行うための「買い手側方式」である。買い手側の「建物の建築資金が確保できた段階」で土地の取引が完了するものである。つまり、土地の購入者が自己資金と、購入する土地を担保に入れることで同時に、土地建物の取得計画がスタートする方式である。土地の売り手には面倒であるが、銀行が中にはいり、土地売買時に担保設定予約を前提に融資を行い、融資金と自己資金から土地代金を受け取る。 あとは、銀行が土地担保と建物追加担保設定予約を条件に建築業者に建物建設代金を振り込む方式である。 土地の所有者は買主のために建物の支払いが終わるまで買主のために担保提供するのでは、決してない。 土地の所有者は、買主が自宅建築を含めた住宅資金の調達目処がつくまで待ってから、銀行の信用創造にバトンタッチする方法である。 早く言えば、住宅資金を銀行から買い手が借りる場合のことである。 ・・・ 建築物の引渡しと同時に建物の所有権は所有者に移るから所有者は建物に対して火災保険会社を選んで付保、銀行は火災保険会社で保険証券に質権設定することとなる。建築物の引渡し時には、建築業者は支払いを受けて置くことが肝要である。引渡し直後に火災が起きることで、火災保険が貰えなかったり、いろんな想定外の問題が起きている。 また、所有者は火災保険をかけ、銀行は保険会社で質権設定を行い、その確定日付を確かなものにするのに公証人役場で日付を確定してもらうなど、大変な気を遣うのである。さらに、抵当権に順位がある場合には、火災保険質権の確定日付の日付順位も守らなくてはいけないから大変である。 ★いずれにしても、不動産屋は不動産の仲介料だけが目的でなく、地域との共生を大事にする仕事である。土地を単に売り買いするだけでなく、地域に住む人々が住み良い住宅環境を構築するのに全力を尽くして手を差し伸べる。そして地域の人々の生活が健全に営まれることを見守る仕事である。 特に、高知市では市民の生活を乱す集団・個人が近くに住むことには厳しい目を光らしている。地域振興の精神が不動産屋にも根付いているようだ。 ★ 鬼龍院花子の生涯を書いた宮尾登美子さんは、先だって亡くなられたが、彼女の描いた世界の人々の集団が事務所を構えるのは不動産屋にも第一義的に憚られるようである。 彼女は義母と女学校の同窓であり、惜しい人を土佐は失った。 <Web写真:若き頃の宮尾登美子さん>★ 思い出:映画:「陽暉楼」 の舞台の「得月楼」に昔々行った事があるが、社長さんたちの子供の頃を良く知っている芸者さんたちに子供の頃のことを言われていたのを思い出す。社長さんたちは後継がうまくなされていたが、芸者さんたちには後継者はいたのだろうか。 どうなっただろうか・・・呆けの心配することでもあるまい。 ★
Jan 12, 2015
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★まだまだ、売却には至らないが高知市の不動産屋で言われたことが気になっている。そのひとつ: 「不動産売渡登記費用」が約5万円ほど要るかも ★小生は関東に住み、不動産を購入、転売したことがあるが、そのような記憶がない。呆けの小生には、新たに所有した本人にとっては所有権が自分にあることが大事であるが、もうなくなるものまで拘泥することはあるまい、と思う。ゴミではないが、自分の意思で手から離れさせたものまで印をつけて置きたくないような気がする。★もちろん、売却する資格のある本人を印すための登記には抜かりがあってはいけないから、本人については姓名の更正登記などを費用をかけてやっている。(暇な年金生活者なので、司法書士には頼まないが。) ・・・「不動産売渡登記費用」とは、 「高知方式」なのだろうか・・・小生は、いままで、不動産売買には仲介業者に立会ってもらい、売買には本人であることの証明類、実印などを行使している。売る側では、売り渡したことは売買契約書で十分判り、収入印紙を添付して国に証明させているではないだろうか。 ・・・ 買う側には、その所有権が自分のものになっているとの公示が必要だろう。銀行などから借り入れを行うには抵当権設定手続きなどが待っているからである。「所有権移転手続きは買い手が行うものである」、が小生の考えである。人によっては所有権移転手続きさえしない金持ちがいるかもしれない。 売買する人々が、国家に所有権を保護してもらいたいための自己防衛策なのだから、買い手側の選択だと呆けは考える。★不動産屋が言うには、「高知方式ではそうなっているが、あなたの関東方式で買い手に交渉しましょう」となって、「関東方式」を押し通して了解してもらっている。★最近、「知恵袋」をみても、「以前には、売り渡し証が原因証書となったが、現在これを売買で用いることはなくなった」とあるではないか。http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8364179.html ★慣習はどこにも残っているらしい。小生は「関東方式」が合っている。醤油も、関東の随分辛い味が好きになってきている。昔は人ごみに気を取られたが、だんだん無関心になってきている。 世知辛くなったのだろう。・・・ しかし、昔の慣習が残っている「高知方式」を聞いて驚くと同時に、取引を丁寧に扱う姿勢には感服した次第。 ★
Jan 11, 2015
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★手漉き和紙技術がユネスコの世界無形遺産に登録された。登録された和紙の産地は「石州半紙・・・島根県浜田市」、「本美濃紙・・・岐阜県美濃市」、「細川紙・・・埼玉県小川町、東秩父村」の三つで構成される。おめでとうと言いたい。★ 海外のどこからも文句は出なかったが、小生は苦言を呈したい。それは、これらの産地が伝統を守り、後継者を育成している素晴らしい産地であることには賛美を贈りたいのだが、それ以外にも、高知県いの町(旧伊野町)のように、「紙の博物館」で土佐和紙の歴史や生産工程を学ぶことが出来るMUSIUMがある。 土佐和紙は清流・仁淀川の伏流水を利用し、原料の三椏、楮などから手漉きで造られてきた。この原料は、低木を地上数十センチで切り取り、成長した部分を次々に切り取るために環境に優しいと言われる。また和紙は1000年も持つと言われて保存性も優れている。 その技術は、家庭紙(ちり紙、トイレットペーパー、ティッシュ)などの量産機械化、電池(最近はリチウムイオン電池まで)・コンデンサーのセパレーター、フレキシブル・プリント基板などに使われる高度製紙技術(典具帖紙から発展した、耐水性、耐熱性、純粋性などを高めた製紙技術)、女性のナプキン、紙オムツなどの乾式不織布製造技術などに発展している。もちろん、旧来の手漉き和紙技術も生かされて、襖・行灯など住宅用、傘や書道など実用品以外にも、和紙独特の風合いを生かして、 様々の分野で用途開発が考案されている。★ 現在でも、日本のお札は土佐の三椏、楮で造られていると聞いたが間違いだろうか。手漉き和紙から、幅広く発展し、現代の最高峰にまで拡がりを見せている土佐・いの町の和紙産地は珍しい存在なのであり、和紙産地と言えば無視できないはず。★ぜひ、いの町に行って見ることが、日本の和紙の歴史と、そこから発展した技術を学ぶのに必要である。和紙にはさらに高度化する余地が高知では見えるだろう。 呆けの小生の紹介では不十分であろうか?★ ユネスコが土佐和紙を知らないのは当たり前だが、知らしめるのは日本政府ではないだろうか。お札で知っているはずだから。 原料から生産し、さらにはその発展も合わせて見学できる産地は高知が最適である。「過去の無形文化遺産にとらわれて未来を見ることが出来ない、その見識」を疑うばかりである。 ★ 番外:「高知生コン事件」をお忘れでしょうか?高知・浦戸湾は風光明媚であったが、高知市内に進出した愛媛県の製紙会社がパルプ排水を垂れ流したために浦戸湾が白い水で汚染され、川の床石にはパルプが絡み付いて著しく環境が破壊された。県は誘致企業だけに、批判を控え、見過ごしていたところ、事業者でもある故「山崎圭(次)」氏が、県への陳情が聞き入れられないため、やむなく強硬手段で件の工場の排水口に生コンを流し込んだ。翌日の鏡川は白濁せず、綺麗な流れを取り戻した。県民には公害問題に取り組まない県、製紙業への気付きが生じた。全国的には「田中正造」が公害問題では有名だが、高知県では「山崎圭」が公害問題の魁とされている。製紙業界は以後、公害問題に取り組んでおり、随分と環境改善されている。 ★山崎圭次氏(明治45年誕生~平成9年4月逝去)株式会社山崎技研創業者・・・(オートバイメーカーから)工作機械メーカー および水産事業(マダイ・シマアジ孵化・稚魚飼育・放流) 本社:高知県香美市土佐山田町テクノパーク2番 ★ 山崎圭氏から寄贈いただいた「星よりのことづて」 を読み返している。 出版:土佐出版社(現在は不明)定価:1,200円現在Amazonに中古出品あり1点960円 ******** 序文******** 星よりのことづてのはじめに 「きれいな 日本を」 それ故に、再び「人間周期率」を 書かずにはいられませんでした。 「星よりのことづて」の序章として お読み下されば有り難く思います。 ******** サブタイトルには 、彼の逝去と共に現れたヘール・ボップ彗星で思い出すが、Messages from the Stars by Kei Ymasakiとある。彼の魂が ヘール・ボップ彗星 と共にいるとすれば、再び地球を訪れたとき地球環境は改善されているかが気がかりであろう。 ★
Nov 27, 2014
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★昨日は「自由が丘氏の寄稿」を紹介しました。★ 自由が丘氏は、「坂の上の雲」(秋山兄弟+子規)の松山から はるばると 坂本龍馬や幕末の志士を生んだ高知へと、 脚を運んでくれました。 ★ <南はりまや橋から高知県交通バス「桂浜」行き乗車、「南海中学校通」で下車後、徒歩約5分> 「長曽我部元親」が信長、秀吉に全国制覇を断念させられ、一族が滅亡し、 その後に家康の命でいやいや赴任してきた外様殿様に植民地政策のような江戸時代300年を「土佐藩」は強いられました。その[歴史認識]をこの旅で感じられたのでしょうか。自由民権運動の一人、[幸徳秋水]の墓参りをしてきたほどですので、「自由が丘氏」は小生より遙かに「自由の歴史」に詳しいかも知れません。 ★ 武士にも、土佐藩では二重構造が蔓延していましたから、幕末の志士たちはペリー来航にいち早く反応したのでしょう。 矛盾があるところには「気づき」がいち早く起こるものです。 ★ 現代でも・・・ 「歴史認識」より「未来志向の人類愛」が大事ですが、「過去の賠償」というミミッチサで「先」が見えないのが国際政治や世間のようです。歴史の時点をずらせば、「お互いが戦いを仕掛けていた」のですから賠償はどうなるか判ったものではないですが裁判でも「敗」訴したものが支払うから、「敗」戦国が払うという、「正義なき戦い」が続いています。★ 以下では、WEBの版図をお借りします。省略は多いです。 ローマは地中海世界から西方を征服しました。 気候変動で中国のフン族はゲルマン民族の大移動を触発し自らもイタリアを越えました。 モンゴル帝国(=中国の元)は東欧のキエフ近郊まで侵攻し、アジア大陸をほぼ征服し、元冦として日本を襲いました。 イスラム教権力は地中海世界を圧迫し、アフリカ方面からイベリア半島を制圧しました。 そのイベリア半島からキリスト教文明が復活し、その西洋勢力は北米・南米の古代文明を破壊し、アフリカ奴隷を移入しキリスト教文明を拡大しました。大航海時代の到来です。 中国はアヘン戦争では西洋に惨敗しました。鎖国から抜け出した日本は西洋に追いつく努力のなかで、資源を求めてアジア大陸の一部を侵略しました。第二次世界大戦後はソ連は戦いもなくシベリヤ抑留で奴隷的労働を日本軍捕虜に使役しました。・・・・・ このように「バラバラ」と中抜きで歴史を見ても侵略とは一方的なものです。 ★ 中国のように、「歴史的に他国から侵略されたから国防を強化している」というのが「正当化論」であるなら、他国を侵略した先人の「フン族」、や「元朝」は何処に消えたのでしょうか。多分、モンゴルの砂漠に埋もれて見えないのを良いことにしている[風]にしか見えません。[風]と言えば、「黄砂」、「PM2.5」 ・・・脱線しました。 ・・・///・・・
Apr 4, 2014
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★昨日は「自由が丘氏の寄稿」を紹介しました。★ 以下では、めいてい君が、すこし地元の説明をします。 四国の紀行文に出てくる「窪川高校」は県立高校で小生の母校です。前身は県立農業・林業科高校で、普通科を併設していましたが、進学高校ではありませんでした。地元では、商業・工業高校は須崎市や高知市の商業・工業高校、高専へ、県内外の大学進学を目指すなら高知市の土佐高校などの私立進学高校を目指すのが常識でした。小生は、勉強は好きでなく、愛犬との山歩きが好きな田舎ものであり、その常識さえ知りませんでした。世間の受験生との接点は、通信教育の「増進会」添削くらいのものでしょう。 (増進会の愛称はZ会、現在はZ会です。)養蚕のため屋根は低く、とても暗かったのを覚えています。 当時の運動場は、硬式野球には狭くソフトボールとサッカーのグランド、校舎の間には軟式庭球コートが遠慮がちにありました。なぜか講堂だけが立派にみえました。 昔のことであり、現在はコンクリートの立派な校舎が並んでいます。 ★ 自由が丘氏は、わざわざ旅の途中で立ち寄ってくれ、写真を送ってくれました。★ 当時は蒸気機関車が走り、土讃線の終点が窪川駅でした。道路事情も悪く、九十九坂のような坂が続いて、運転手泣かせであり、美空ひばりさんもバス転落事故で怪我をしました。 ★ 現在は、予土線が伊予の宇和島に向けて繋がり、宿毛市に向って(四万十市)中村を通る土佐くろしお鉄道が延びています。予土線には日本一暑い夏を記録した(四万十市)江川崎駅や、「四万十大正あゆまつり」で賑わう四万十町などがある。高速道路も本四連絡橋から高知市を経由し、窪川まで延伸しており中村や足摺岬までの路は随分と立派になっている。 ★ (四万十町)窪川は四万十川のはるか奥の中流にある。高南台地という、長曽我部元親が開墾した「仁井田郷」の中心で、 昔は大雨や台風の時には、高地であっても「窪地」のために上流・下流が交錯し、中流でも逆流があったようです。 ★ 四万十町の物産をあげましょう。1.仁井田米:高南台地の昼夜の寒暖差が米作に好条件をもたらします。 窪川地区の「香り米」は米の味をいっそう引き立てる名脇役です。(ただし、小生は昔「香り米」を入れすぎたせいかどうも苦手なのです。) 2.ピーマン:窪川興津地区(峠を下り海辺にある)の施設園芸の2割3.窪川大豆:有機肥料使用。味噌、豆腐作り 4.窪川豚(ポーク):県内1位。道の駅「あぐり窪川」で「豚まん」はジューシー (安くて美味しい!)。5.四万十天然鮎: 「ゆうぱっく」で全国発送可能。 四万十川上流淡水漁業協同組合 Tel:0880-22-1673 <小生は、燻製で乾燥させた鮎が大好きです。他の産地の写真を転用します。>あぶり鮎 「天然鰻」も美味しいです。 中国産の鰻と違い、小振りで、可愛い顔つきです。 竹籤で編んだ竹筒に、餌として泥鰌やミミズをいれ、夜中に入ったのを採集しました。 6. 地酒:栗焼酎ダバダ火振りや「生酒」「文本酒造の日本酒:桃太郎」 7.その他:スプレー菊、川エビ、しまんと緑茶、しいたけ、栗、栗ようかん、芋ケンピ等 8.海洋堂ホビー館四万十(世界一のプラモデルコレクション、最新フィギュアなどを廃校改築展示場に) 9.こいのぼりの川渡し 10.高岡神社秋季大祭五社ふるさとまつり 流鏑馬 ・・・・・・・・・・・・・ 沈下橋とは台風時の洪水で水に流されない工夫 //////////// 「生姜」(=ginger)の大生産地なので、捕捉します。<農協の資料から> 当地域は昼夜の温度差が大きく、冷涼で濃霧多発地帯の台地であることから、 米作の適地とされ、「仁井田米」と呼ばれる良質米を産する県内有数の米作地域です。 また、露地しょうがや、にら・ピーマン・ミョウガなどの施設園芸、養豚・酪農・肉用牛など の畜産も盛んです。 高知県は、国内で最も多く「露地しょうが」の生産を有してます。中でも窪川地域は肥沃な耕地と、濃霧の発生、夏場の多雨など、良質しょうがの栽培に適しているうえ、生産基盤が整っていることから、県内最大のしょうが産地となっています。しょうが栽培への取り組みは、稲作の減反に伴う、転作作物として導入が進み、1970年代にピークを迎えました。しかし高齢化や、中国を中心とした輸入しょうが急増に起因する価格低迷などから、現在は現状維持、又はやや減少傾向にあります。 //////////// ★ 続きは明日にします。★ おっと、野菜で紹介したいものが残っています。酢の物として絶品なのですが、小生は東京では全く見かけません。「りゅうきゅう」という「はす芋」の一種です。雨の日には傘代わり?で、「葉っぱに浮かぶ、きらきらと輝く、水滴の移動が面白い」記憶があります。「茎」が沢山の細胞で出来上がっているような、大変軽量型の作物で、 斜めに薄く切ると見栄えが良く魚肉を酢の物にするのに好都合です。「シャキシャキ」感が涼味を増して嬉しいです。 飲み過ぎ、食べ過ぎないように!★
Apr 3, 2014
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★先日、アンパンマンの作者の「やなせたかし=本名:柳瀬 嵩」氏<1919-2013>が亡くなった。子供や、孫達が「アンパンマン」を大好きと言うから幅広い層に受け入れられた人物である。★故郷である、土佐は、彼以外にも漫画家を沢山輩出している。故人では、横山隆一氏<1909-2001>「フクちゃん」「デンスケ」、横山泰三氏<1917-2007>「プーサン」の兄弟、「はらたいら=本名:原平」氏<1943-2006>、「青柳裕介=本名:吉岡睦夫」氏<1944-2001>「土佐の一本釣り」、などが有名だ。★存命の漫画家も多いが、小生に印象が強いのは、TVでお馴染みの「千思万考」の「黒鉄ひろし:くろがねひろし=本名:竹村弘」氏<1945->だ。美酒:司牡丹を製造する司牡丹酒造(屋号:黒金屋)に生まれた彼は「龍馬フアン」、「巨人フアン」としても名高い。★「いごっそう」が多くて、世間に流されない人間が、厳しい目を世間に向けながら、ユーモアたっぷりに漫画で警告する様は、幕末の乱世から、新しい世界を日本にもたらした坂本龍馬の精神が、平和な世の中では、風刺漫画などに取り入れられている、のではないか。「風刺こそ、世界を変えられる大切な方法」である、と発見したのだろう。★歌:「手のひらに太陽を」=「作詞:やなせたかし&作曲:いずみたく」は、日本人らしい「永久の絆」を歌い込んだ名曲である。★マララさんの言葉を借りるまでもなく、「ペン」と「教育」が世界を変えていくのであろう。「ペン」があっても「教育」がなければ文字は書けないのだから。両者は一体なのだ。「ペン」で代表しよう。★「剣や武器」などによる覇権での世界制覇ではなくて、「ペンによる世界平和」が最も大切である。★ + ★ <補足>小生の、母方の祖父は戦前、田舎で酒造会社を経営していた。子供の頃には、一部屋くらい大きい樽がゴロゴロしていたので酒屋には興味がある。高知の2大酒造メーカーの司牡丹は、飛び抜けて美味しい酒である。この酒は、素材・技術を研ぎ澄ましているが、酒の成分の殆どを占める水にも気を遣っている、のを聞いたことがある。源流から綺麗な水を引き込み、ミネラルが多く、体に優しいお酒を造る。通常、大きな酒屋は桶買いと言って、他の中小酒屋から酒を買ってブレンドするところが多いが、司牡丹は桶買いはしないで、自社のみでの生産をおこなっている、と聞いている。★司牡丹には、「吾唯足知」という文字を京都・龍安寺からもらって「口」のまわりに4文字を配置し、なかに、「WARE TADA TARU O SHIRU」のロゴを入れている珍しい酒ができている。その酒は完売したが、再度新酒から発売に至っているらしい。★小生は、脳幹梗塞であり、飲む薬で、アルコールを受け付けなくなった。ほんの最近であるが、ラガービールは全く受け付けないものの、生ビールは少しは飲めるようになり、ワイン、吟醸酒などは少しだけ飲めるようになっている。そのうちに「吾唯足知」を試飲してみようと思う。★主治医に、「ちょっとだけ飲酒しているコトは内緒!」である。★主治医は、「飲んべえには、酒を少しなら飲んで良い、というと限度が判らないので、必ず飲み過ぎるから、禁酒というべきだ」と主張するから。★
Oct 17, 2013
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☆小生は、以前もお知らせしたが、高知県出身である。以下は、勝手な土佐の紹介である。☆高知県には高校まで居たから、「定義上の故郷」は高知県=土佐(藩)である。(高知市生まれだが)四万十町(元・窪川町)という名前の町から高校まで外に住んだことがない。☆源流・支流が「ごまんと」集まったから「四万十川」という大河がある。町名、市名に有名な「四万十」を付けたい人が多くて、「市」、「町」に命名するからごちゃごちゃしている。☆上流の松葉川から四万十町窪川(土讃本線窪川駅)で、仁井田川となって、西方に進み、四万十町大正(予土線土佐大正駅)で、檮原川と合流し、さらに愛媛県から流れ込んでくる吉野川(徳島の急流とは別物)と「四万十市西土佐・江川崎」(予土線江川崎駅)で合流して大河・四万十川となって南下して四万十市中村(旧・中村市、くろしお鉄道中村駅)を通り下田港から土佐湾に流れ出る大河である。☆小生は、このゆるゆる、くねくねと流れる四万十川の正確な位置がよく読めないほど四国の地理には疎いのである。☆最近は、四万十市で連日のように猛暑が記録されていて12日には41度に達したというが、内陸部の「四万十市西土佐・江川崎」(予土線江川崎駅)がその記録の地である。☆暑いだけでなくて、雨量も物凄い地域である。★ ★ ★さて、「土佐」というと、他にも思い出す事がある。★「南国土佐を後にして」上京した。鯨を釣ったとか、鯨を小魚(ビンビ)というのは豪快そのものである。★四万十市中村は京都のような「雅な風情が残る公家(政治犯)の流罪地」であった。そう言えば、酒造メーカーの社長さんは、お公家さんのような風流人であった。ホテルの店主は、女郎蜘蛛を戦わせる名人であった。★紀貫之は銘菓「土佐日記」で思い出す古の国守。★長曽我部元親は(小生が過ごした)高南台地を一領具足の農耕兼武士に命じて、耕地に変えさせ、四国を平定した後に、明智光秀一族の斎藤利三と国盗りの策謀をした戦国武将である。戦国の兄貴と言われるほど、その美男ぶりに現代のフアンが多いと聞く。★藩主・山内一豊公の妻で有名な千代は藩にはあまり居なかったことが知られている。賢明な千代は、幕命で土佐に下り、旧藩主の家臣・豪傑を相撲にこと寄せて惨殺する等の藩命を出さざるを得ない夫の変わりように堪らず、出家した子息と京都で暮らしたという。★幕藩体制では外様でありながら、藩内の武士にも「上士」(山内派・・外部派)、「下士」(長曽我部派・・土着派)の差別の二重構造を保った。鏡川の堤防に差を付けてお城側を高くして城を守った。★坂本龍馬や岩崎弥太郎などの幕末の傑人を輩出した県である。彼等は、下士の出である。★自由民権運動の板垣退助もでているが、現在でも意外と民主的でない島国根性や県民性が根深く残る。武士の二重構造が他の地域と違った矛盾の多い、複雑な社会構造を創り上げてきたのである。明らかな矛盾であったために龍馬などは気がつきやすかったのであろう。★京都や江戸(東京)に「憧れ」を持っている人が多い。県民性として、京都、東京の人は不思議と歓待される。★ ★ ★現在は、甲子園で全国高校野球大会が開かれているが、「明徳義塾高校」と言っても昔の高知県人にはピンと来ない。このように言うのは小生が「いごっそう」なのかも知れない。★小生の若い頃には文武両道の私塾「土佐高校」などが強かった時代である。★伊野商業、中村高校という県立高校が勝つことは珍しくさらに、それらが甲子園で活躍しようものなら、「ふるさと高知」を思い起こしたものだ。★小生などは、高校も今の四万十町にある県立高校出身であり大学同窓生は皆無だし、県人会などは「土佐高校」出身者が中心のようで出席もしていない。★「明徳義塾」高校は磯釣りに行く途中で近くを通ったことがあるが、人里離れた内之浦にあり、全寮制の私塾である。スポーツでは、相撲界の横綱、大関を輩出、野球でも甲子園の常連である。高知県レベルの高校と言うよりは、全国レベルの高校である。全国から野球、相撲などを得意とする若者が集まり、互いに切磋琢磨するから強くなるのが当たり前であろう。このように最初から全国レベルの高校と高知県内のローカル高校が戦って勝たないと甲子園に出場できないから大変な事になった。高知県内の高校野球のレベル・アップには良い影響を与えている。★県内高校でも野球の出来る子供は特待生で迎えられるのであるから全国レベルの明徳義塾であっても同じようなことであろう。また、野球が出来ると言うことは運動だけでなくて、頭脳が鋭くなければ戦えないから、普通以上であることは間違いない。努力する時間を勉強に振り分けられないから、普通になるかも知れない。★土佐高校など進学私塾は、勉強が出来る子供が集まるから野球も、進学も高いパフォーマンスを発揮してきた。★いろいろ言ってみても、自分のことではなくても「ふるさと土佐にゆかりのある高校」が頑張っている姿に、なんとなく「同郷」を感じるのは島国根性が小生にも強いのかもしれない。★ ☆ ★ ☆メモ・・・4万6千日というこの日に御参りしたら126年間ずーと御参りしたことになるという浅草ほおずき市がある。7月9日、10日。4万10の意味も「ずーと、たくさん」の意味なのだろう。浅草:浅草寺「万霊燈籠供養会」(ばんれいとうろうくようえ)日時 8月15日(木) 午後6時30分 於 本堂
Aug 14, 2013
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今年も、小生の故郷(生まれは高知市だが育ったところ) から、「故郷新聞」が届いた。 高校時代まで居たが、ほとんどの近親者は住んでいない。 高知市,関東他に移住してしまっている。 お墓が一部残っていて、親類から思い出に貰った山林が 少し有るくらいで故郷との繋がりは薄らいでいる。 新聞を見ると、高速道路が四万十町まで延伸したとのこと。 四万十町は、海岸線にある中土佐町(久礼)から九十九 のような曲がりくねった断崖の道を登って到達する高原で 海抜は250メートルほどである。 戦国時代に長曽我部元親が開墾した地域(仁井田郷)で、 一領具足の農民が、武士との両面を担っていた。 古くは、平家落人の影響か、古い京言葉が生きており、 祖母の時代まで古い発音・方言が生きていたようだ。 京都から政治的に放追されたお公家さんのいた、土佐中村 (京都の様な碁盤の目の町並み。現在は四万十市中村で 四万十川の河口に位置する。)に近いので、その雅な言葉 が伝わったのかも知れない。 不思議と、高南台地を境にイントネーションが変わるようだ。 昔は、台地までの道をバスが通っていたから、バスの転落 事故も頻繁に起きて、美空ひばりさんも事故に遭っている。 高南台地は南国でも、雪が多少だが降る地域である。 夏は滅法暑いし、冬は随分と寒く、厳しい環境にある。 (夏に暑いから、「土佐の軽井沢」とは言い難い。) 昔は台風の通り道で、土木工事関係は潤ったが、最近は 台風が逸れがちである。 生姜の産地であり、酪農場もある。 比較的有名な香り米(仁井田米)も美味しいと言うが、 小生にはお世辞にも臭いが強すぎて、食べられない。 薫るくらいに少しを混ぜるのが良いようなのだが、 小生は入れすぎたかも知れない。 天然のウナギはお腹が黄色く小さい型であり大変に 美味しい。 天然の鮎は大振りで焼いても、熱湯で処理しても美味しい。 小生は、天然鮎の干し物が脂ぎって大好物である。 ポークは肉まんじゅうを道の駅で売っているがこれも 美味しい。 小生が本当に欲しいのは、「やまもも」という県外にほとんど 持ち出せないジューシイな果物である。 今一つは、まぐろの幼魚=名称は「しんまい?」で、骨まで 食べられ、旬の「かつお」よりも遙かに美味である。 <両者ともに、赤坂の料亭でしか食べられない絶品だ!> 四万十町は、高南台地という足摺岬方面、松山方面への 分岐点にあり、大河・四万十川が松山方面から東南に向い、 高南台地にぶつかって西南に転進する「つ」の先に位置する。 開通した高速道路は、この四万十町から四万十市経由で 足摺岬に延伸するのだろう。 「ふるさとのイベント」では、ひな祭り、桜祭り、鯉のぼり、 螢祭り、菖蒲祭り、など盛りだくさんである。 最後に、故郷新聞の送り主をみると、「ふるさと納税担当」 とある。 お世話になったところだから、納税したいが、現在地の スポーツ施設への寄付がより大切に思うところだ。
Jan 24, 2013
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