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2023.09.30
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R150から北に入った場所にある。街なかでないせいか、駐車場もあり、城の遺構も整備されており、見学しやすい城跡である。 高天神城までの距離を想像しながら城跡を見た。
永禄3年(1560)、桶狭間の戦いにより今川義元が討死すると、威勢を誇っていた今川氏は徐々に衰退していく。今川氏の衰退に 呼応するように今川領の駿河・遠江には武田氏と徳川氏の触手が伸びていく。甲斐の武田氏は今川領駿河に加え、遠江の併呑を目論み 両国にたびたび侵攻を繰り返していた。一方、三河の徳川も遠江を固守せんがため、遠江の各地で激しい攻防が展開されていた。 横須賀城の位置する東遠江は両勢力の境界地帯にあたり、両氏の版図拡大の上で、何としても手に入れなければならない重要な駒、 
それが髙天神城であった。髙天神城は徳川方の重要拠点として長年にわたり武田方の攻撃に耐えていたが、天正2年(1574)武田勝頼 の猛攻によって奪取されてしまう。天正3年(1575)、長篠の戦いで武田氏は織田・徳川連合軍に惨敗を喫すると、武田氏の遠江に おける勢力も急速に後退していった。二俣城をはじめとする北遠、中遠の武田方の城郭が徳川氏によって次々と攻め落とされ、重要な 兵站拠点であった諏訪原城までも落城してしまう。そのような劣勢下にあっても髙天神城だけは武田方が死守していたが、徳川領に 対峙する橋頭堡というよりももしろ孤立した突出点となってしまった。孤立した山城とは言え、髙天神城をめぐる争奪の攻防をへて 髙天神城の持つ戦術的なポテンシャルの高さを認識していた家康は、その奪還として慎重かつ執拗な攻囲作戦を展開することになる。 まずは奪還の拠点となる馬伏塚城を改修し、さらにその南東に岡崎の城山を築城した。往時の馬伏塚城や岡崎の城山の周囲には低湿地 や潟湖が広がっており、小舟が往来する水上交通網が発達していたと考えられる。そらに南には淺羽湊、後に横須賀城が築かれる 横須賀湊があり、家康は城郭と湊を結ぶ水上交通網による兵士ならびに物資の大量輸送ルートの構築に着手した。浅羽湊から岡崎の 城山を経て拠点城郭である馬伏塚城までの兵站ルートを確保したものの、馬伏塚城から髙天神城までの距離は遠すぎた。そこで家康は 海浜から潟湖が展開する横須賀に目をつけ、馬伏塚城主大須賀康髙に命じ新たな拠点城郭を築城させる。それが横須賀城である。 
髙天神城の北の小笠山頂部の小笠山砦をはさみ馬伏塚城、その南東の岡崎の城山、さらに沿岸部を東進して横須賀城を構築する ことで、髙天神城包囲網に加え船舶輸送による強固な兵站ルートを構築したのである。横須賀城は兵站基地としての役を担うと ともに、天正7年(1579)には、横須賀城を本陣とし武田水軍の拠点である持船城ならびにその出城の当目城を攻撃、落城されている。
<遺構>
横須賀城は、小笠丘陵から西南端に派生した尾根と、そこから西へ延びる砂州を利用して築かれている。築城当時、この地は南 から北にかけて展開する潟湖、すなわち大きな入り江と湿地を天然の要害とし、城前の入り江を湊としていた。このように横須賀城 は海辺の道と海運の拠点として、遠州灘を押える要衝であったが、築城からおよそ100年を経た宝永4年(1707)の宝永地震の隆起に より、入り江は後退して干上がり、湊としての機能を失った。海運による物流拠点としての機能を失った横須賀城と城下町は経済面 
で大打撃を受けた。現在、海岸まで直線にしておよそ2キロが陸地となっており、往時の姿を想像するのは難しい。縄張りは砂州に沿う ように東西に長く、その規模は東西618m、南北は東の三の丸で279m、西の二の丸で184mを測る。標高26mの松尾山を最奥に、その 前面に本丸、西に二の丸、東に三の丸が配される。三つの曲輪は、外堀と城内に配された池状の堀により分けられる。まず、16世紀末 に山城として本丸が築かれ、17世紀中葉に平城として東の三の丸が拡張され、さらに17世紀後半に西の二の丸へと拡張が重ねられていった。 本丸は天守台や西の丸などがあった主要部と、御殿や倉庫があった北の丸に分かれる。特に本丸と西の丸は、近世城郭として整備されて おり、横須賀城を特徴付ける玉石積みの石垣が復元されている。玉石の石垣は一見すると奇異にも映るが、通常の角石を用いた屹然 とした石垣とは異なり、玉石の曲線から成る石垣ラインは優美でさえある。本丸虎口は、本丸下段に位置し、左右を石垣に囲まれ、 かっては大型の二階櫓門が存在した。門を抜けると三方を石垣と切岸に囲まれた虎口空間がある。三ヵ所の階段が設けられた内枡形 となっており、門を抜けると三方から頭上攻撃にさらされる迎撃強固な虎口となっている。本丸の最奥には、かって三層四階の天守を 頂いた天守台跡がある。発掘調査では礎石の根石が確認され、その周囲には低い石垣がめぐっており、低い天守台と礎石配置を見る ことができる。南東隅には入り口と考えられるスロープがあり、天守台後方(北側)では防備のための土塁が確認されているが、 一階北側を土塁上に架けた特異な天守形態であったと想定されている。北の丸の北東に位置する松尾山は城域でもっとも標高が高く、 築城当初は松尾山を中心に本丸と北の丸程度の比較的小高い丘陵のみであった。松尾山の発掘調査では江戸時代のものであるが、 自然石を据え置いた多聞櫓跡が確認され、櫓跡が表示されている。松尾山の背後、城郭最東端には幅30m、深さ15mの巨大な空堀が 設けられている。松尾山から続く尾根を巨大な空堀で分断することによる、東からの敵の侵入を遮断したもので、近世城郭の中にあって 山城の景観を遺す数少ない遺構は、戦国期横須賀城としての最大の見所と言える。戦国期には、本丸、西の丸とその背後を固守する 松尾山があり、それらの諸曲輪を北から東に空堀を巡らせ防備を固めていた。東西に長い砂州という地形に制約されるため、城域の 拡張も自ずと本丸を中心に東西に拡張されていった。後に拡張された二の丸と三の丸には、それぞれ西大手門、東大手門の二つの 大手門が存在することから両頭の城との異名をもつ。整備された本丸に対し、二の丸と三の丸はほとんどが宅地・農地・幼稚園・ 工場等に改変されており往時を偲ぶのは難しい。一方、南外堀などは未整備であり、今後の整備に期したい。 

<歴史>
築城時期については諸説があり、天正6年(1578)から天正8年頃、もしくは天正2年から天正4年頃といわれている。横須賀城 の選地は、最初から現在の地とされたわけではなく、石津の八幡山(石津八幡神社)や、後に、横須賀城主大須賀氏ならびに本多氏の 菩提寺撰要寺が建立される丘陵も候補地となった。早くも八幡山では掻き上げ砦、すなわち臨時的な城砦が築かれはじめたとされる。天正6年(1578)7月、徳川家忠は「よこすか取手場」にて取手(砦)の普請の最中であることを日記に記している。この横須賀砦 とは、現在の横須賀高校グランドの北にある水道貯水場、忠霊殿のある北側にあたり、その名称も伝承されている。家康は当初、この南に位置する三熊野神社北側の山稜に築城を考えた。山頂からの眺望が効き、とりわけ南方の遠州灘沿いの浜街道を眼下に収めることができ戦略上絶好の地にあった。しかし、三熊野大権現を奉還した由緒ある社であり、家康はそこを見下ろす場所に築城することは畏れ多いと考え断念。最終的に三熊野神社北側の山稜から西方に位置する松尾山に築城することとなった。松尾山にも若一王子権現の 社があったが、北方の小谷田に移した。築城の選地においては屈折を経たが、松尾山とその周辺への築城は家康自らが縄張りをした最初の城郭とされる。後の天下人にとって最初の本格的な築城にかかわった城郭として、浜松城と並び横須賀城も出世城とされる所以 である。完成後も家康と信康はたびたび来城しており、髙天神城奪還に対するなみなみならぬ決意と執念が窺える。天正9年(1581)、 
家康は小笠山砦、三井山砦、中村城山砦をはじめとする六砦を主に20ヵ所にも及ぶ徹底した攻囲策と、横須賀城、馬伏塚城をはじめ とする兵站ルートによる圧倒的兵力をもって念願の髙天神城を奪取する。遠江平定においては欠くことのできない髙天神城であったが、家康は奪還後間もなく廃城としてしまう。難攻不落の城郭として戦術的には優れた城郭であったが、三河、遠江、駿河の三国を手中にした家康にとってはもはや髙天神城に戦略上の意味はなくなってしまったのである。廃城とした髙天神城とは逆に、横須賀城には城代を置き拡張整備をし、新たな拠点城郭としている。潟湖の入口を押える地勢的優位性と、兵站基地、とりわけ海路輸送の湊と しての機能を重視したものと考えられる。天正18年(1590)、豊臣秀吉による天下統一後は、徳川家康が関東に移封されると横須賀城には豊臣配下の渡瀬繁詮が入城、繁詮は織豊城郭として整備、拡張を行った。
<関連部将>大須賀氏、渡頼瀬氏、松平氏、井上氏、西尾氏</関連部将>
 <出典>東海の名城を歩く 静岡編(中井均ほか)</出典>





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最終更新日  2023.09.30 04:43:10
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