張恵妹【Zhang1 Hui4Mei4】/アーメイ 1972年8月9日生まれ、台湾台東、台湾の原住民族・ピヌユマヤン(卑南)族の出身。彼女の魅力は抜群の歌唱力と、表現力。アップテンポの曲はパワフルで、バラードでは涙がこぼれてきそうなほどの情感を込めている。また、彼女は"QUEEN of LIVE"と呼ぶにふさわしい魅力を持っている。ステージングでは観客の心をつかみコンサートに参加させている。彼女の母親は歌と踊りを愛するピヌユマヤン民族で、村一番の歌い手といわれていた。その母親の影響を受け彼女は幼少の頃から歌が大好きな子供だった。彼女は子供の頃、年2回ある村のお祭りで歌を歌うのが何よりの楽しみだった。友達が照らす懐中電灯をスポットライト代わりにして歌ったらしい。学生時代は合唱大会にも出場したが、歌手になろうとはも思っていなかった。転機が来たのは高校時代だった。病気入院中の父親を励ますため台湾のテレビ局台湾電視主催の勝ち抜き番組「五燈獎」に挑戦した。順調に勝ち進んだが、グランドチャンピオン目前にして風邪を引き、本番で歌詞を忘れ敗退。失意のためその後半年間、彼女は歌を歌わなかった。そんな彼女に病床中の父親が言った。「あの(テレビに出ている)人たちよりお前の方が歌が上手なのに、どうしてトロフィーを持って帰ってこないんだ?」「五燈奨」に挑戦する。毎週台東から台北に通い"五渡五關"と呼ばれる25人勝ち抜きを果した。しかし、手にしたトロフィーを渡すはずだった父親はその数日前に他界していたという。彼女はそれを父の墓前に供えた。その後「五燈奨」に優勝はしたもののなかなか歌手デビューの話はこなかった彼女は、台北に上京し姉の営む日本料理店を手伝いながら、従兄弟のバンドで歌い始める。そしてその歌声が評判を呼びフォワードミュージック(豊華唱片)にスカウトされる。当時はまだ原住民族出身のPOPS歌手は珍しかったのだが、レコード会社の先輩歌手である張雨生に目をかけられ、張雨生のアルバムのデュエット曲『最愛的人傷我最深』『姐妹』を発表。収録曲の『原來[イ尓]什麼都不要』とピヌユマヤン民謡のメロディーを取り入れた『姐妹』が大ヒットし、デビューアルバムにして台湾IFPIチャート史上初の9週連続売上げチャート第一位の記録をつくる。そして、台湾だけで累計売上げは100万枚を突破。1997年6月に発表した2ndアルバム『BADBOY』も9週連続売上げチャート第一位を記録、売上も100万枚を越え、台湾のみならず香港・シンガポール・大陸を席捲。デビュー半年で台湾音楽界のトップスターとなった。しかし1997年11月12日、プロデューサーであり、友であり恩師でもある張雨生が交通事故で他界。その悲しみを乗り越え、デビューしてわずか1年余りで高雄・台北のスタジアムコンサートを行い35000人を動員、台湾コンサート史上最高の動員記録を作る。1999年には台湾4ケ所を皮切りに、ワールドツアーを敢行。台北では5万人を集め、当時単独コンサートが難しかった中国大陸でも、6万人を動員した首都北京の工人体育場から、広州・上海・昆明までコンサートを行っている。デビューして短期間で華人音楽界のトップに駆け上がった彼女、今や華人女性歌手のトップのひとりである。("A-Mei-Project"より抜粋)