人が狩りに行く。何度も通ると、その経路は道と呼ばれるようになったのだろう。哺乳動物は「獣道」と呼ばれる道を作る。蟻など社会性昆虫も道を作る、フェロモンを落として戦略的なのだ。
集落が作られその間で交流が始まると道は出来る。物々交換の時代も現代の道と本質的違いはないのだろう。
道の概念が定まり、社会の重層化と共に道の概念は拡張された。 アフリカに誕生した現生人類はヨーロッパへアジアへアメリカ大陸へと拡散していった。そのルートを道と呼んでも違和感はない。道の概念が拡張されているからだ。
『この道はどこへ連なっているのだろう』という期待や憧憬もうまれる。
道には精神性も加わった。茶道 武士道 柔道 などこの文脈のなかで育った文化なのだろう。
道には公道という意味合いも加わった。天下の公道みんなのものだという意味です。 私有地に無断侵入すれば逮捕されてもしかたありません。関所を通過するには身元を示した証文の提示とか、貧しい藩では通過税を徴収したかもしれません。現代でも国際空港ではパスポートの提示とか、有料道路で通行費を徴集しているのですからあまり変わりはありません。が、しかし、道は基本的に自由であるという心象を当時から人々は持ったのでしょう。
国土交通省は「道の駅」という国土振興策を行っているが、ネーミングは「駅」だけでよいのだと思う。 道路なのに駅と呼称するのはなにごとか、とお叱りが起こりそうであるが、かまうことか。鉄道車輛は「car」と呼ばれることを知っているだろうか。小型運搬自動車は「wagon(荷馬車)」と呼ばれることを知っているだろうか。鉄道が発明される前すでに「駅」はあったのだ。「道の駅」は悪くないネーミングだからまいっか。小さな不満は我慢しよう。
難しくなってきたぞ。下の文には「道」がはいっていますが、どんな役割をもっているのでしょうかね。
お天道様に顔向けできねぇ。お天道様が見ているからやめなさい。(お天道様には見られているから隠し事はできないという心の内面をとらえないと正しく解釈できないでしょう。恥の文化で解釈しようとしている解説もありますが、どうなんでしょうか)
天道とは太陽のこと、天道信仰。太陽を自然崇拝の対象とした、なんて解説を読むと砂をかむような味気なさ。へそを曲げたくなる。
街道・みちに視点を向けたことで司馬遼太郎の『街道を行く』ができた。
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萌芽月さん