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リチャード1世

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2015.02.06
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司馬遼太郎の街道をゆくが数年前に写真集に収められたが、その中で日本人の起源を求めて近江を訪問するという特集が2巻目にあった。これのハイライト、白髭神社・浮御堂・石堂寺・三井寺を訪ねた。
大和朝廷が確立するまで、日本の地方部族・豪族がそれぞれに独立性を保ちながら、それぞれが朝鮮半島の諸国と複雑な同盟関係を築きながら対立してきた状況が想像された。その中で大和朝廷が蘇我氏・百済の同盟をベースに新羅・高句麗などの同盟部族を凌駕し日本の統一を図った様子が伺えた。石堂だけをとってみても同様の石堂は朝鮮半島に広く見られるようである。その中で、当時の百済の首都・扶余にあるものが最も似ていると司馬遼太郎氏は述べておられたようだが、今の住職によるとそれは断言はできないといわれる。このあたりにも朝鮮半島に対する配慮が見て取れる。
日本の国内の統一というのが成立する前には、いつも外圧があり、独立性を脅かされる状況があり、そこで激しい抗争を経て統一がなされたのであろうと推測する。
中国・朝鮮との関連での一本化を行うための大和朝廷、欧州の植民地化に対する対抗するための安土桃山からの江戸幕府、欧米諸国の植民地支配・帝国主義に対応した明治維新。
日本人は単一言語・単一民族、ホモジーニアスな国というのは、近世の特徴だけを取り上げたもので、民族のルーツを探ればそうは単純には言えないことは少し研究すれば解ることである。教科書にのせられない事実も大切にして、これからのグローバル社会に志の高い貢献をしてゆきたいものである。





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Last updated  2015.02.06 17:48:36
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