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シルクロード(絹の道)は、中国と地中海世界を結ぶ交易路として有名ね。古くからローマ帝国に、絹を運ぶための主要な道だった。大きなルートが3本もあり、その上、隊商の人々が独自に見つけた道など、分岐している道も、たくさんあると聞く。だから、シルクロードの起点と終点をどこにするか、昔から議論が、なされているらしいわ。で、今のとこ、起点を長安(西安)で、終点はシリアのアンティオケイアにする、ということで、落ち着いてるみたいよ。ボスボラス海峡もそうだけど、昔から「東洋」と「西欧」の文化が交差するところって、なぜかロマンを感じると思いませんか。いつの時代も、人間は、未知の世界への飽くなき探究心と、好奇心と行動力を持っていたんだなー‥。と、思っていたけれど‥昨夜のNHKテレビ10時~の「プレミアム10」立花隆が探る「サイボーグの衝撃」を見て、ロマンを通り越してホントに衝撃だった!ご覧になった方、ね、どう思う?※写真は、 昨年、中国で買ったキャンディみたいな翡翠を、 ペンダント・トップに作ってもらったもの。 ジュエリー・デザイナー伊藤 幸恵さんの オリジナル・デザインで果実のイメージです。
2006年04月25日
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中国の「近代化革命の父」と呼ばれる孫文。この中山市に富農の子として生まれました。生家が美術館になっています。大きな家で裕福な暮らしぶりが覗えます。医者を目指し香港などで学びましたが、その後革命家に転身。日本に亡命していたこともあるので、私たちにとっても馴染み深い名前です。1905年に発表した三民主義は(民族の独立、民権の伸張、民生の安定)現在でも学生の必須科目になっているとのことです。私たちが行ったのは熱中症になりそうな暑い日、それも平日でしたが、中国各地からの訪問者が大勢いて、やはり「国父」なんですね。
2006年01月15日
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写真は滞在していた広東省・中山市・三角鎮の町。ホテルの窓から見た風景です。工場の寮に暮す人達や、近隣のホテルで働く女性たちが、自転車タクシーなどで買物に来る所です。なぜか洋服屋さんが多く目につきました。スーパーをはじめ薬局や食べ物屋さんも揃って、表通りは商店街。マンションが次々と建設中です。こぎれいな「新興の街」といった感じですかねー。そして中山市は「孫文」の出身地として有名なところでもあるんです。孫文の生家が美術館になっていると聞き、行って来たので、次回は、そのお話をちょっとだけしますね。
2006年01月15日
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昨日に引き続き、中国を訪問中の「将軍行列」のお話しを続けます。新聞見ると、道路は大渋滞、宿泊客も追い出し、訪問先は大混乱、市民大迷惑と、ますます大変なコトになっているんだそう。中国政府は、そもそも公式には将軍様の訪中を認めてない。だから、メディアの問い合わせに答える訳にもいかないし、と、対応にも苦慮している様子が覗えるわねー。大学と学生寮だけが集合する広州大学城と呼ばれるエリアや(珠江中州の一つにある)先端都市の繁栄ぶりを視察に来たというものの、友好国の「特殊なやりかた」に振り回されてタイヘンですね。※写真は広州でも、のどかな運河地帯。 夕日を眺めるお爺ちゃんと孫。 ここには将軍行列の「御成り~」は無いと思う‥。
2006年01月14日
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朝からニュースで騒いでいるのが「どこぞの国の将軍様」の滞在先。広州のホテル白天鷺賓館というのが例の「ホワイト・スワン・ホテル」新聞によるとホテルは一般客の受け入れ中止、ホテル内のレストランは営業中止、ものものしい警察隊の厳戒態勢がしかれ、なんだか大変なコトになっているらしい‥。あのあたり、イギリス租界のある川のほとり。近代ビルが立ち並ぶ沙面(シャーメン)の一角です。※写真は「ホワイト・スワン・ホテル」の内部 吹き抜けのあるロビーです。 ちなみに1995年には観光局から 中国一のホテルとして表彰されたそうです。
2006年01月13日
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珠海(ジュハイ)の街です。「出境大庁」から出て来たばかりの大きな荷物をキャリーに積んだ人たちが、何処やらに散って行く風景なんです。このキャリー+段ボール箱が、「運び屋さん」の典型的スタイルといわれているらしい‥。(その15)の写真見ても分かるように、帰りはみんな空になったキャリーだけ持って、すぐそこのマカオに(帰国)してました。駅ビルは各国の品物が溢れていて、ショッピングのメッカです!
2006年01月13日
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写真は珠海(ジュハイ)の街にある「出境大庁」ここがマカオへの出入口になっています。国境隔てたマカオは香港と同じように、中国でありながら、特別行政区。外国なんです。(一国二制度といわれるものね)だから、もちろんパスポートが必要だし、イミグレーション審査もあるんです。仕事で広州に滞在していた、うちの彼も一ヶ月に一度 中国から国外に出なければならないので、ここに出向いてました。中国出国→マカオ入国→マカオ出国→中国入国を、ざっと一時間~一時間半でやってのけちゃうというわけです。マカオ住民は身分証明書一枚で「居留民専用通道」をスイスイ行ったり来たり。なので、通称「運び屋さん」の商売も大繁盛のようでした。
2006年01月12日
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地方から働きに出てきている若者たち、やっぱり故郷との電話は楽しみのようです。夜の長距離用の公衆電話は人が途絶える事はありません。電話ボックスの中に、イスが用意されているところをみると、けっこう長いこと話し込む人が多いのでしょうか。受付の係員がいるのも、日本とは違いますね。
2006年01月11日
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車がどんどん増えているとはいえ、みんなが普段利用するのは、自転車タクシー。大きな工場は町から離れているので退社時間になると、工場の正門前にずらりと並んで、お客さんを待っています。近場の町まで買物に出掛けたり、よく使われているみたい。二人で相乗りしている女性たちも見かけます。私たちが乗っていた車、あまりの暑さにバッテリーが上がってしまい、道端にエンストしてしまったとき、右往左往するこちらを横目にスイスイ走って行ったのが、この写真。こちらは、どうやらエアコンかけっぱなしが原因らしい。文明の利器に頼っている私たちは脆いものでした。
2006年01月11日
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大きな橋が、どんどん造られています。中国が車社会に移りつつある過渡期なんですね。こんな大きな橋は、渡るときにお金を払う有料の橋になっています。入る時に、お金を払うのですが、面白いのは、橋を所有する市のナンバープレートを付けている車は無料なのです。住民税の一部が橋の建造のために使われているから、という意味なのでしょうか。※写真は広州市番禺区と東莞市虎門を結ぶ「虎門大橋」 全長5.6kmに及ぶ、珠江をまたぐ最大の橋です。 (虎門には、アヘン戦争博物館があります)
2006年01月10日
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写真は、日本企業で通訳の仕事をしているホァンさんの一人息子クァンちゃんです。当年三歳のクァンちゃんは、食事のとき中国の詩を暗唱してくれました。とても流暢!李白や白楽天や、あとよく分からなかったけど、その他いろいろ故事みたいなものまで。ぜんぶ暗記してました。どうやら英才教育の、たまものらしい!お父さんのホァンさんに「どんな意味なの?」と聞いたらこちらは、あまり流暢じゃなく訳してくれました。クァンちゃんの眉間の赤い星は、中国のアニメのヒーローになりきっているんだそうです。
2006年01月10日
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写真は広州市内にある「マクドナルド」アメリカ資本主義の象徴のようなマックが中国にあること自体、驚いた!マクドナルドって世界中どこにでもあるの?どこの国でも子供たちはマックが好きみたい!ローマやパリのマックは、さすがに看板が赤と黄色じゃなくて、グレーと白で街並にとけ込むようには、していたけれど‥。規制がキビシイのでしょうね。東京の街も、もう少し色を絞り込んだら、もっとステキな街になるのになぁ‥。
2006年01月09日
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屏風に描かれた「百花斉放」の四文字。これを見てニヤリとしたアナタは、かなりの「中国通」ネッ!私は「中国通」じゃないけれど、うちの彼に特訓受けた、たまものかしら‥。ふふ※写真は広州「ホワイト・スワン・ホテル」にて
2006年01月09日
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通称「一人っ子政策」の中国。つまり子供は一人しか生んではいけないのよね。日本は少子化が悩みのタネだけど、その反対の悩みもあるみたい。じゃあ、生まれてしまったらどうするの?というと、どうやら罰金を払うといいらしい。でも、その罰金がまた高価いんですねー。広州で聞いてみたら、そこそこ高給とっている人で給料の軽く10ケ月分に該当する金額でした。都会と田舎では罰金にも差があるよーとのことなので他の地域は少し違うかもしれないけれど。それにしても、払える人はいいけれど、払えないで戸籍もなく学校にも行けない子供もいるみたいで‥。当然、「一人きりの大切な子」に対する親の期待もかなり大きくなるんでしょうね。ちなみに国家公務員は罰金払っても首になるそうで、この人たちは、みんな子供は一人が当たり前だそうです。※写真撮影させてもらったシン君の実家は農家。 シン君は姉も兄も妹もいる大家族の一員で幸せです。
2006年01月09日
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赤ちゃん以外は、みんな忙しいのです!家の修理をしたり、収穫した野菜を干して保存食を作ったり。少し大きい子供たちは、大人の仕事を手伝って、よく働きます。こんな風景、日本にも在りましたよねー‥。
2006年01月08日
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シン君のお父さんが、家族のために食事の支度をしています。広東省の家庭には、ほとんどテレビがありましたが、内陸の農村の家にはテレビが無い地域も多いそうです。そういえば、前にお伝えした中山市の「祭りのような夜」に街角の「街頭テレビ」の前のイス席は観客で、いっぱいでした。大音量のテレビやビデオ・プロジェクターは、豊かさの象徴のようです。
2006年01月08日
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中国では、翡翠に彫刻を施したお守りがよく売られています。翡翠は古来より強力な護符や魔除けとされていて、男性にとっては権力や地位の象徴だったようです。今生と来世のあらゆる願いを満たすとされ、かつては 金やダイヤより重んじられていたそうです。富豪らは正妻に翡翠を贈り、第二夫人にはダイヤを贈ったとか。今でも、五徳(仁・義・礼・智・勇)を高める石といわれ、中国の男性でペンダントにしている人をよく見かけます。※写真は広州「ホワイト・スワン・ホテル」の ロビーにある「翡翠の船」
2006年01月07日
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都心部に働きに出て来るのは、内陸部・農村地帯の人たちが、ほとんどです。写真は中山市に働きに来ていたシン君の実家です。水牛が大きな労働力になっています。昼間は、お嫁さんも一緒に、家族全員が外での仕事。お婆ちゃんが孫の子守役。お爺ちゃんが、みんなの食事を作っています。大変そうですが、それぞれ役割があって、忙しいながらも、イキイキしているように私には見えました。
2006年01月07日
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水上の家の裏通りです。この路地を通って、各家々に行くんですね。路地の入り口には、写真のような雑貨屋さんが必ずあり、ちょっとしたコンビニのような存在らしいです。高速道路や大橋が、次々建設中で、車社会になりつつあるとはいえ、まだまだバイクや自転車中心の生活のようでした。
2006年01月06日
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高層ビルが林立する広州市街から少し外れると、まだまだ写真のように水上生活している人たちも沢山いました。ちょっと郊外に出ただけで、都心部との格差は大きかった。何人かの若い人たちに「あなたの夢は何ですか?」と、通訳さんに聞いてもらいました。二十代、三十代の働き盛りの男女です。夢(目標といった方がいいかしら)は、ほとんど共通する答えが返ってきました。1.マンションを買うこと。2.子供をいい学校に入れること。3.そして、親を連れてあちこち旅行に出掛けたい。日本と違うのは、「親を連れて‥」という箇所でしょうか。夢の実現のため努力する彼等のパワーは凄いです!労働の合間に学校に通い、語学、IT関連、とにかく何でも勉強して今より「イイ仕事」に就こうとしています。う~む、ボヤボヤしていると日本の若者は負けちゃうぞー‥。
2006年01月06日
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先日「探しモノは?‥花のお茶」という話しの中で、「見つけたよー!」と書いたのですが‥そしたら早速「日本でも買えるんですか?」というお問い合わせを頂きました。新年だしね! 教えちゃいます!だって、花の香りは、幸せを運んでくれるんですもの。花茶は中国茶の一種です。世界三大銘茶のキーマンがベースになってます。詳細はこちらにアクセスしてね。http://plaza.rakuten.co.jp/jps2005/24001コポコポコポ‥と、お湯が沸く音を聞きながら、ガラスの急須に透けて見える花びらを眺めて、香り高いお茶を飲む‥。ほーっ、幸せ‥。五感で愉しむ「お茶のある風景」を、ぜひどうぞ!2006年が、私にも、あなたにも、幸せな一年になりますように‥と心から願いを込めて‥。
2006年01月05日
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魚市場の午後。朝早くから賑わう市場もお昼を過ぎるとのんびりしてます。売り切って帰る人もチラホラ。売っているのは、ほとんど年配の女性たちです。
2006年01月05日
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川が網の目ように流れている広州の街。やっぱり、街は川辺から発展していったんだなーと、いうのがよく分かる。「魚を獲る」、「モノを運ぶ」など、昔から人々の往来があった川辺の町は、魚市場を中心に、働く人が大勢いて活気があります。中国の人たちは、男の人も女の人も一緒に、よく働きますよー。※写真の川の先は海です。モーター付きの船なので 海まで漁に出掛けるのだと思います。 小さな食堂もたくさんあり、漁から戻って一休みです。
2006年01月05日
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外国に行って、市場を見て回るのは楽しいひと時です。スーパーマーケットも面白いけれど、特に朝市や生活必需品を売っている普通の市場が好きなの。みんなが毎日食べているモノや、普段使いの服や履物、そこの国の「普通の暮し」が並んでいて‥。それに、値段も安いし、言葉が分からなくても値引き交渉なら電卓一つあれば何とかなるしねー。※写真は広東省・三角鎮の市場。 そろそろ終りかけの店閉いをしているところ。 衣類を売る隣りで、肉や燻製を売っていたり雑多ですが!
2006年01月03日
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マスコットホテルのそばにある「東北餃子」の店。餃子もさることながら、ここのお茶は美味しかった。蓋付きの大きめカップにハーブのような花が数種類入っていて、写真のような長~い口のやかんで熱湯を注いでくれる。しばらく蒸したら蓋を少しずらし、お茶だけ小さな茶碗で飲むの。大きなカップは急須がわりというわけです。甘い花の香りがして、「何というお茶?」と聞いてもらったら、「五宝茶」と紙に書いてくれました。こういうお茶の淹れ方は、中国の東北地方のやり方みたいね。もっと後ろの方から、頭の上を弓をかいてお湯を注いでくれる店もあるそうです。でも、頭の上を熱湯が飛んでくるなんて、ちょっと怖い!花が丸ごと入っているお茶は、中国でも高級品のようです。だって、たくさんの花が必要ですものね。
2005年12月30日
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お正月がくるというのに、夏の話しをしちゃいます。祭りのような中国の夜更け。露天で、スイカをたくさん売っています。その場で切って食べさせてくれるんですよ。日本のスイカのように丸いスイカじゃなくて、ラグビボールのような形のスイカです。でも冷えていないんですよー。食べた人は「甘くて美味しいよー!」と言ってましたが。アルマイトのやかんで、冷たいウーロン茶も売ってます。こちらは冷たそうなので、ちょっと心惹かれましたが、お腹のこと考えて、残念でしたがパスしました。中国の人たちは、基本的に「冷たいもの」は飲まないみたい。私も普段は「暖かいモノ」なんですが、夜になってもムシムシ、ジットリ暑い広州、思わず冷たいモノ欲しくなっちゃった。
2005年12月29日
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滞在していたホテルのまわりは、とても大きな紡績工場。独身者も家族持ちも、み~んな近くの会社の寮で暮しています。で、バナナ林が続く、この辺り、夜は真っ暗なんですが、唯一賑わうのが、車だと5分くらいの、この町です。あまり大きくないショッピングセンター、市場があるくらいで、その他はコレといった店も無いのですが‥。みんなの娯楽がここに集中しています。夜8時も回った頃から、ぞくぞく人が集まり始め、街頭テレビ前のイス席もいっぱいに埋まります。人出を当て込んだ、食べ物の屋台や駄菓子売り、それに射的などの路上ゲーム屋さんまで並んで、みんな楽しそう。まるで「祭りの夜」のようでした。特に目的があるわけでもなく、ブラブラそぞろ歩きを楽しんで、夜店をひやかしたり、スイカ食べたりね。みんな、一日の労働が終ったあとの、とても「楽しみなひととき」のようでした。ちなみに「酔っ払ってクダまいているヒト」は、居ませんでした。
2005年12月29日
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写真は中国で記念に買ったお土産です。と、言っても、本格工芸品はとても高価いので、私が買うのはチープな雑貨ばかりなんですが。★写真左が「螺鈿の小箱」 螺鈿(らでん)は、 漆地や木地の表面に、夜行貝やアワビ貝など、 貝の殻を削り、細かく切っては、はめ込んでいく装飾技法です。 螺鈿の家具は素敵ですよねー。 せめて小箱で雰囲気だけでもと。 私はピアス入れとして使っています。★二つ並んでいる小壜は「内画鼻煙壷」(嗅ぎタバコ入れ) 嗅ぎタバコは、17世紀頃ヨーロッパから中国に伝わって、 上流社会を中心に大流行したそうです。 鼻煙壷(びえんこ)もだんだん贅を凝らしていくようになり‥。 写真はガラス壜の小さな口から内側に筆を入れて絵や文字をかく 「内画」という技法です。 外側から見るため、文字や絵を逆に書いていくという、 考えただけで気の遠くなるような作業ですよね。★手前の扇形は「景泰藍のピルケース」 景泰藍(けいたんらん)は、 銅のベースに、細い銅で絵柄の輪郭をつくります。 輪郭内にエナメルを塗り、ホーロー焼き付けを何度も 繰り返して仕上げるそうです。チープながらも手仕事の雰囲気が感じられる「小物たち」なんとなく懐かしい感じ。暖かくて可愛いです。中国を思い出し、ときどき取り出して眺めています。
2005年12月28日
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手先が器用な中国の女性たち。印鑑を彫ったり、小瓶の中に絵を描いて、観光土産を作っています。写真は租界の洋館の中庭で、銅板を彫ったり絵を描いているところ。写真のような精緻な仕上がりで、待っている間に似顔絵も作ってくれます。
2005年12月28日
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「外国租界の夢のあと」「沙面」シャーメンは、広州のイギリス租界があったエリア。なので、中国とは思えないヨーロッパ風の街並です。居住区とはいえ、行政権と警察権を握り「治外法権」であったこのエリア、地元民とは別世界の贅沢な世界だったことでしょう。栄華を誇り百年続いた租界も、現在は廃墟になっている家屋が多く、中には「お土産ショップ」になっているところも‥。「つゆと消えにし、夢のまた夢」を彷彿させるエリアです。
2005年12月27日
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「お茶の話し」でも書きましたが、それまで中国はイギリスにお茶や絹を輸出していたのですが‥そのうち、逆にイギリスからアヘンを持ち込まれるようになって、逆に銀がイギリスに流れるようになっちゃった。これが「アヘン戦争」の始まりだよ、と教えられた学校の授業を思い出します。アヘン戦争に負けた中国が、それまで広州に限られていた貿易の窓口を、上海などに広げざるを得なくなって‥で、結んだのが「南京条約」なんだけど、その後、イギリスだけじゃなくフランス、アメリカ、日本と、次々「租界」が出来て行くわけです。ふ~む、「アヘン戦争」って、そんなに重要な意味を持っていたのかー‥。中国に来ると社会科の教科書に載っていたモノが、あちこちにあって、さすが「四千年の歴史」の国だと唸ってしまいます。※写真は広州・沙面の珠江河畔に残っている 「アヘン戦争」に使われた「イギリス軍の大砲」 今は、子供の遊び場になっていて、平和はいいな!
2005年12月27日
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スコールが来ると、必ず出来る大きな水溜り。大きくて、深くて、池か沼みたいなの。ここで、必ず車が、はまって動けなくなる。毎回そうなんだから、「どうにか、すりゃいいのに‥」と思って窓から見てるんだけど、穴の方はそのままで、そのたんびに、みんなで車を押したり引いたりしてる。ま、「人海戦術の中国」だもんね。この発想、恐るべし!
2005年12月27日
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しかし広州は半ぱじゃなく暑かった!日中は外に出ると息切れして歩けないほど。滞在していた中山市周辺には、道端にバナナ売りの屋台が立ち並び、私はここを「バナナ街道」と呼んでいたの。一日に数回、滝のような轟音とともにスコールがやって来て、そんな時は、隣の人の声も聞き取れないくらい。「南国だなー!」停電になるので、何をすることもなく、だだただ、驚嘆しつつ窓の外を見つめるだけでした。日本の夕立は、去ったあと涼しくなりますが、広州のスコール止んだあと、ますます蒸し暑くなる感じです。※写真は中山市・三角鎮の路上に並ぶ「バナナ売り」の屋台
2005年12月26日
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私たちが中国に行っていたのは、連日テレビで「反日暴動事件」が報道されていた真っ只中の頃。まわりから「大丈夫なのー?」と心配する電話をたくさん頂きました。私も「どんなもんかなー‥」と半信半疑で出掛けたのですが、行ってみて驚いた。出会ったのは、反日どころか、日本語を覚えたいと思っている若い人ばかり。「今、日本語ブームなんですよ」という声さえ聞こえてくる。地方から大都市に集まって来る若者たち。この国のインフラや重機を支えている日本の大手メーカー。だから、日本語をマスターすれば仕事は沢山あるのです。それに英語も加えれば、ビジネスチャンスは無限に広がる。努力すれば報われる「チャイナ・ドリーム」という訳です。誰かに日本語を説明していると、いつの間にかまわりに人の輪が出来ていたことも度々。みんな目がキラキラ輝いて、向上心に満ちていました。※写真は、広州市郊外に建つ工場に働きに来ている若者たち。 社員寮から工場へ向かう、朝の出勤風景です。
2005年12月26日
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昨日、「お茶の話し」で、中国のことに触れましたが‥今年の4月~9月の上旬まで、うちの彼、出張仕事で、中国の「広東省・広州」にいました。なので、私も中国と日本を何度か、行ったり来たりすることになったのです。二週間以内の観光目的だと「ビザ無し」で入国出来るので私は、二週間滞在しては日本に戻って‥という生活でした。で、思いがけず、中国という国を垣間見ることになり‥。「花留学でイギリス行くため英語を勉強しなくちゃ‥」と思いつつも、今年一番勉強するはめになってしまったのが、なんと「中国語」なんです。でも、書くより発音が難しい中国語にはギブアップね。結局、ほとんど筆談でした。そして、広州は大都会!珠江という川が、街を網の目のように流れて、かつて交通手段が船だったことを覗わせます。高速道路、ビル群、橋、どこを見ても建設中。発展していく街のエネルギーが渦巻いて、ちょっと昭和三十年代の日本を彷彿させる息吹がありました。※写真は広州の街を流れる「珠江」
2005年12月26日
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紅茶も緑茶もウーロン茶も、み~んな同じ葉っぱなんですねー。もとはといえば中国の「チャの木」ツバキ科のカメリア。蒸しただけの「緑茶」、その後醗酵させた「紅茶」という風に、作る工程の違いで、味も香りも名称も変わるというのが面白いな。この「茶の葉」、昔は、宝石のように高貴な珍重品だったそうで、ヨーロッパにはシルクロードを伝って持ち込まれたみたい。お茶の話しには、いろいろ事件もあったりして、調べてみると奥が深ーくて、なかなか面白いです。※写真は中国広東省・中山市「マスコットホテル」の茶館。 この女性が一つ一つ丁寧に時間をかけてお茶を淹れてくれる。 滞在中は、毎日ジャスミンティー飲みに通いました。
2005年12月25日
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