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目的として定められたある事柄を追求するためには、効果的でありさえすれば、すべての手段が許され、正当化される。こういう考え方を追求してゆけば、最後にはどんなに恐るべき結果が生まれるか、私たちは、おそらく、そのことに十分気がつき始めた最初の世代であろう(アレント『人間の条件』志水速雄訳、ちくま学芸文庫、1994年、359〜360ページ)。この一節がアウシュビッツを想起させることはいうまでもありません。が、この後に続く部分で展開される考察は、この文章が引き起こす「目的がすべての手段を正当化するわけではない」という倫理的反発が実のところ無意味であることを示し、読者をさらなる恐怖へと導きます。なぜなら、
目的とはまさに手段を正当化するもののこと それが目的の定義にほかならない 以上、目的はすべての手段を必ずしも正当化しないなどというのは、逆説を語ることになるからである(同書、360ページ)。言い換えれば、我々ヒトは「目的」を設定した途端、必然的にその奴隷になってしまい、そこから抜け出せなくなるというわけです。

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