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以下、営業、企画提案職が踏むべきステップをまとめる。この鉄則が、この会社で学んだ最高の知性かもしれない。====相手(店舗様)に貢献したいとき・・・、まずは、自分自身で、相手の現状把握・分析・課題抽出・仮説構築を行おう。それが、ステップ0。大前提。相手を知るということである。相手を知らずして、相手に面談時間をいただく等、相手の貴重な時間を奪う以外の何物でもない。====そして、その上で。初めて、コミュニケーション技術が登場する。自分の立てた仮説を、相手にそれを押し付けてもうまく行かない。下記の順番でトーク、提案していくこと。====1)目標の共有 どうなりたいのですか? 2)課題の共有 そうすると、これがこう足りないですね3)指標の共有 この指標がこうならないといけないのです4)手法の共有 この指標をこう上げるには、こういう方法があります5)結果の共有 ====目標を持ってない人に、課題を指摘しても意味がない。すべきことは、共通の目標を持つ(持たせる)ことだ。もしかしたら、この状態だと、恥ずかしがらずに教えてもらうことだけに集中してコミュニケーションすればよい。もし仮に、本当に目標がないのであれば、積極的に関わる必要がない。お互いに時間の無駄だからだ。====・・・しかし。もし仮に目標を持っている方が相手で、自分がこの共有の順番を間違えなければ・・・、むしろ、相手が自走を始めるなぜならば、結果が出てくると、楽しくなる、悔しくなるから。人は必ずその喜びを共有したくなる。悔しさも共有したくなる。励まされたくなる。そのとき、自分は傍にいて、うなづくのが仕事になる。意外に、このプロセスを踏んで、コミュニケーションをとれている相手は少ない。ゆえに、結果(喜び)の共有ができる、数少ない関係者になることができる。以上
2014/11/06
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http://plaza.rakuten.co.jp/eigyojigyobumon/diary/200711030000/「営業とは何か?」・・・この質問に、私なりに答えるとすればこうです。・営業とは、お客様と「約束」すること。 そしてその「約束」を違えぬこと。 またそれを継続してやり抜くこと。====その場においてもっとも大切なことは、誠実さだと思います。生真面目である必要はないのですが、「約束」に対して誠実であることは極めて重要です。「約束」は、いろいろな言葉に置き換えて語られることが多いですね。提案、目標共有、問題発見、課題解決、その他いろいろ。目線の高さによっても「約束」の内容は変わってきます。====約束したら、それを違えぬように全力を尽くす。それがプロだと思いますし自らの力量につながる部分です。自分自身が力をつけていかないとお客様との約束を果たせない。必死で勉強することが大切ですし、ここに営業という仕事が自らの成長に大きく資するといわれる所以があるのだと思います。以上
2014/11/06
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私は、CFOとしてさらに株主価値を増大するために存在する。その存在価値は、CFOとしての活動によってストレッチした企業価値、そのストレッチ分が、その価値である。その報酬は、自分がいたからこそ創造された富から、その一部をバックしてもらう。という構図が理想的である。逆に、もし、自分がいなくても創造されたであろう富から、過分な利益を得るのは忍びない。こう考える場合、妥当なシェアについて、さて、どのように考えればよいものか。=========上場時 想定利益金額150億・40億・4億・2億→PER20~40倍として、時価総額80~150億(中間値100億)ここがゼロベースになる必要がある例として挙げると、某知人は、某急成長企業へ有力な事業開発・推進マンの一人として入社。当時の一般社員の1.33倍の、シェア0.28%分を得たそして、日本円換算で約60百万円を得た。小さな家1件、という所である通常レベルでこれだとしたら、創業リスクを取らなかった自分は、0.4~0.7%のシェアが妥当、ということになるもし、企業価値を、自らの才覚で、2~3倍にできたとしよう。Expansion speedが3倍になった、という意味だ。スピードが2倍になると、企業価値の観点から言うと、それは4倍の価値だ成長力評価がさらに株価を高めるため、2倍×2倍だからだ。上場時価総額400~600億にできた場合。つまり、上場時利益水準を、2億でなく、7~10億にできた場合。PERを20~40倍ではなく、40~50倍で評価を得た場合。上場後の著しい成長の土台となるCorporate Storyをplanningし、社内をとりまとめ、遂行させ、Finance (IR)で投資家の理解を得て、さらにIPO IRで更なる飛躍を投資家に確信させる。このような活動によって、PER 50~60倍は実現される。この場合、私は、250~500億の企業価値を生み出したことになる。1人ではない。重要メンバー6名の力を結集して、である。ジュニアボードの3名は各々1.0~1.5%ずつは欲しいところだ、という感じか。すると、2.5~5.0億のアップサイドを自分でつくれる計算になる。という建て付けとなるためであるもし、フツーのストーリーに陥った場合、約1億/約10年 → 年10~15百万円の臨時ボーナス。Rで執行役員という評価。 辞めたことへのリスク・リターンとしてまあ妥当か。 ちょっと過分か・・・? こうなると、0.7%という水準がフェアなのかもしれない。アップサイド評価を得た場合 約2~5億/同 → 年俸20~50百万円で契約し、2013~2022年の10年間、働く計算となる 適正かな。少々、低いかも。ということだ。以上
2012/11/14
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たらればの話をいくらしたって仕方ないけど、自分で、思ったけど、やらなかったことを挙げてみる。2004秋(30歳):I社に誘われたけど、行かなかった2004冬(30歳):創業直後のG社に行って、どベンチャーでやって、眩しい創業者を支えたい。と思った。けど行かなかった。2005夏(30歳):M社に完全に差をつけられたG社の資本再編の処理に、R社の40代体質を嗅ぎ取った。30世代での勝負に憧れた。しかし、行かなかった。2005冬(31歳):K氏にMBA行ったら? と言われた。でも行かなかった。英語を勉強して、推薦もらって行く手はあった。2006冬(32歳):O氏にH社の株を薦められた。外食割引を考慮すると配当利回りが相当高いと。この人が買うってことは本当に得なんだろうな、と思った。でも買わなかった。2008初(34歳):どベンチャーであるRP事業に、KとSを連れて、やりたい!と考えた。しかし、RS事業を選択した。この8年間:そもそも、いつかはコーポレートVCをやりたい、と考えていたのに、企画すら出してない。何しにRへ入ったのだ? 俺は。K氏に提案していれば、RSPにT氏と共に従事できたはずだ。今のキャリアは大きく異なっていただろう。2011年(37歳):全国の地場の代理店網をつくるべき、と思った。けどやらなかった。そしたら、O氏がやってしまった。■Case2004年秋~2005年5月(30歳)の頃に、I社の、1.0 or 1.5クラスレイヤーのマネジメントとして、声をかけてもらったしかし、行かなかった。行かない。と明確に決断した。===========================その理由は、(1)自分は資本を主たる武器とした提携交渉や、金融分野での企画推進でキャリアを積もう、と考えたため。当時、JV設立や会社分割などの案件が進んでいた。眼前のものの面白さにおぼれたため。(2)経営チームの若さ、事業計画の甘さ、収益志向の弱さから、収支計画の未達を強く警戒したそれは即ち、キャッシュ・インカムは減少する代償に得るオプションが、割に合わない可能性が高い、と警戒したということだ(3)斯業におけるCGMとしての圧倒的ポジショニング、及びそれを維持するための人材・組織文化、の2点を備えている点がコアコンピタンスだった。が、この強みについては、CGMの盛衰は脆い側面もある、と警戒したため当時、M社でさえもCGMの収益化はチャレンジングだった。 ※だからこそ、収益志向とのバランスが取りづらかったのだ。 故に、ECサイト自社運営などの、 遠回りな戦略をとらざるを得なかったようだ。そして、これは、上記2とは異なり、メディア価値が落ちてしまったら、完全にExit戦略が絶たれる。こうなってしまうと、失敗のときに唯一得られる、Corporate Investment Bankerのキャリア面でも何も得られない、ということを恐れた。===========================なお、もし行っていたら、7年後の今、1本級のストックを形成し、かつ、7年間の苦難と、ダイナミックな資本政策を切り抜けたCFOというキャリアを得たことになる。===========================2012年、もうすぐ38歳になる今、行かなかったことが、人生のミスだった、とは全く思っていない。しかし、ここで自分の胸の内・思考回路、リスクへの対峙の弱さを検証し、38歳以降の人生の示唆を得てみたい。===========================■振返り(1)経営チームの若さ・甘さ・・・という点だが、実際には、自分の見立ては間違っていなかった。なぜなら、実際、I社は、その後2006年~2009年度まで約4年もの間、一旦は大赤字に陥る道を辿ったからだ。そして、息を吹き返してさらに3年、TOTALで7年、成功に時間を要した。しかし、そんな予測が当たった、とかはどうでもいい。今、思うと、当時の自分は思考の軸がずれていた、と言わざるを得ない。なぜなら、そのリスクは、出資だとコントロールできないが、自分が飛び込めば、コントロールできるかもしれないからだ。もう一度いう。出資じゃなくて、自分の体力・知力を投じる、という案件だったのだ。本件は。むしろ、だからこそ、行けばよかったのでは? という要素ですらある。「自分を信じる」ならば。重要なのは、自分の生殺与奪権を握るオーナーが信頼できるか、経営メンバーが信頼できる仲間かどうかであり、自分がインサイダーとして飛び込んで、自分発で話し合って、変えていけばよかったのでは? 「自分を信じる」ならば。===========================第一に、私は、困難に対して、過度に「客観」してしまう傾向がある。自分を投じて「主体」となるのと、サイレントインベスターとして物事を捉えるのは、大きく異なる。今後、物事を考える際、強く留意すべきであろう。===========================第二に、私は「意外と自分を信じてない」のかもしれない。これは、自分の潜在意識にある大きな陰であると、自覚すべきだろう。自分は、やろうと思えば、なんだってできる。資本提携交渉のプロだが、出資募集はやったことなかった。でも、やればできた。絶対に。というか、やれば今だってできる。絶対に。===========================第三に、「もし、失敗したら・・・ 次に転職だ」という点に、相当の恐れを抱いていたのだろう。当時の自分は。実際、I社は、その後2006年~2009年度まで約4年もの間、一旦は大赤字に陥る道を辿った。自分だったらどうしただろう? 途中で逃げ出しただろうか? 結果的に、I社マネジメントチームは誰も抜けなかったようだ。そして、結果的にそのさらに3年後、トータルで7年後にIPOを迎える。その心胆、まさにストックで社会から報いられる資格がある。本当に賞賛すべき、心胆である。脱線してしまったが、最後まで殿軍を勤め上げて、か、もしくは戦場放棄する形であっても、もし、34歳で2009年にドロップアウトしたとしても、CFO・経営企画マンとしてのキャリアは積めたわけである。また、結局、回り道はしたものの、最終結果として、R社のような無理やりな収益志向を強いて、メディアとして死なせたような馬鹿を、彼らはしなかったわけだ。結果として、成功だったのだ。当時は、CGMのビジネスモデルが確立した、というわけではなかった。M社でさえも、収益拡大に苦慮していたのだった⇒その後、類似C社のビジネスモデル(課金)で、一気に息を吹き返すこととなった。一定規模になったならば、最悪、課金すればいい。というモデルは確かに当時から存在していた。そこの見極めができなかったのだ。僕は。リスクの方に目を向けてしまったのだろう。============以上の事実を踏まえて、自分を見つめ直す必要がある。以上
2012/09/17
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20120913三十八歳の晩夏だから(1)今日、決心がついた。僕は、こういうビジネスマンになる。というか、2016年頃、こういう風になっている。ここに向かって、2013年1月から疾走することが始まる。全てのアジェンダが、同時並行で一気に進み、あっという間に実現されている。僕は、ROLEX GMTマスターIIを身に着け、世界を飛び回る。飛び回らない日は、東京のオフィスから、HonoluluParisLondonSingaporeKua La RumpurSydneySeoulNew Yorkに散らばる各従業員と毎日Skypeで会話し、もしくは、Yammerでチャットし、意見を交わし、笑い合う。会議でも話題になるが、実際には、社内ポータルで数字がいやでも目に入る形で、しかしわかりやすく共有され、Departure (User) sideDestination (Merhant) sideの両方の数字をクロスで、わかりやすく全社員に共有され、指標の責任所在がはっきりしており、個人目標にブレークダウンされ、各地に散らばる従業員が、全体のベクトルと合った、セルフベクトルを強く意識させる。自分もする。古参の5名のマネジャーは、世界各地のSuplier sideに責任を持つ、エリアマネジャーとなっており、かつ世界各地をDepartureとした、User sideにも責任を持つクロスファンクションとして、各地のマネジャーを支援するため、HQにUser Marketing Planning Officeがある。最初は、自分がやっている。指標の統一も必要だからだ。まずは、Suplier sideを徹底的に抑えた上でだが、Japanに加え、世界各地のSNSや、「楽しい旅行といえば、Veltra!!」というコミュニティを形成し、User Marketingを行っている。日本国内では、4travelや、ソーシャルベンチャーを傘下に収めている。Mixiか、GREE、DeNAのどれかと共同施策を進めているSupier sideは、すごい勢いで押さえるのが進む。理由は、日本人旅行者を持っているし、その親玉 JTB、HISは営業に来たことがなく、「あんたらが初めてや~」と色々な言語でいわれる。しかし、それこそが喜び。と感じるモーレツ(?)社員がすごい活動量で動く。大好きな旅行にビジネスとして関わる誇りを、わくわくするような体験の喜びをユーザーにシェアする嬉しさを、世界の片隅で最高の体験を提供する、つまり自分のことを世界に知ってもらえる喜びをSuplierへ提供し、そんな素晴らしい、Empowermentビジネスに、自ら個人が、独立した一人として関与している。そう強く思う、地域愛に溢れた個人集団を育て上げる。RTがITCを大事にできなかった愚策を反面教師として。本当に旅行が好きで、地域愛に溢れている奴がイキイキと働く、その結果が数字に表れている。そんなCompanyにする。こんなアプリがあって、迷わなくてよかった。とユーザーに喜ばれる、そんなサービスを展開する約500億の全世界取扱額から生まれる、多通貨の為替管理を行い、常に差益をとる。この業務を私を含めて、4名の、Tokyo HQ Finance Dept. Forex management teamで運営している最初は一人で立ち上げる年に数回は、妻と子と、出張先で合流し、現地の滞在を楽しむ。(Milageが活用され、ほぼゼロ円)そして、駿介は早めに留学・Home Stayできるようにする。気心の知れた従業員の家でHome stayさせてもらう。天王洲に買った家は、成田・羽田から通いやすく、直行・直帰がしやすい曙橋から新しいオフィスは移転している出張に出やすく、成田・羽田・東京駅へのアクセスがよく、かつ、MLITにも通いやすい・・・品川か、新宿か、、、全然関係なくて、本社コストなんて馬鹿らしいので、皆で外で打ち合わせしやすいような、とにかく環境のよい原宿か青山などにオフィスは移転している僕は、管理部長 兼 財務課長 兼 経営企画課長 兼 Global Cross Functional Team Leader 兼 を経た後、各ポストを禅譲し、取締役副社長になっている。本社サイドの管理畑の人間には、一銭も稼がないことを強く意識させ、稼ぐ社員のために粉骨砕身することを強く言い含める特に経営管理担当になったものには、野球部のマネジャー的なマネジャー・マインドを持つように言うトヨタの本部社員のマインドのような。エリートほど、謙虚であるのだ。現場を輝かせるための存在。毎年、世界の旅行カンファレンスに出て、プレゼンテーションを行う「今までにない、新しい旅行体験ができるようになりました 今年の目玉機能は、これです」とか。Steve Jobsみたいに。毎年、SOY(Suplier Of the Year)を各地域より選抜する。その人たちで、世界一周か、弾丸ツアーを行う。世界の素晴らしい宿、そして、アクティビティを体験し、互いの国の素晴らしさを知り、そして、郷土の自然や、オリジナリティを用いて、ユーザーを楽しませ、感動させる、そんな仕事に就いている喜び・誇り、使命感をMaximizeするのだ。お互いの国のSuplier同士が知り合いになり、お互いへの尊敬が生まれる。そして、世界が平和になるのだ。以上
2012/09/13
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20110620_情報サービス事業者として(24)マスメディアを取り巻く仮説について、仮説Aはよく聞く。しかし、仮説Bも、いや仮説Bこそ正しいような気がしてきた。仮説A・TV・マスメディアは、なくなる(!)・メディア接触時間はネットが増える・Broadcast media (=Content platform)として、ネットが強まる(=Contents providerもTVからシフトしてくる)・ナショナルクライアントは、広告費のアロケーション先を変えてくる仮説B・TV・マスメディアは、なくならない・マスメディア接触時間は激減しない・減るけど、時間価値が上がるため、広告市場として言うほどシュリンクしない(=ナショナルクライアントは、広告費アロケーションを大きく変えてこない)・家族との対話時間が減る分が、ネット接触時間に寄ってくる・Internet mediaはTV業界を超えない。共存関係となる(とりわけ、Social mediaは)=======mixiって一体何がしたいんだ? とよく言われる。GREEみたいに派手じゃないし、何もM&Aしないし、ぼーっとしているから、Facebookに食われて、なくなってしまうのではないか・・・と。しかし、恐らく日本で最もSocial mediaの本質を付いたTOPがいる。創業者の笠原氏ではなく、原田氏だ。彼は、仮説Bを唱えている。日本特有のメディア市場環境を理解し、mixiの立ち位置=広告事業戦略を描けている。将来、ナショクラががっちり取れるのは、mixiではないか。恐らく。事実、私の嫁(=普通の女性、昔のF1世代、TVどっぷり世代)はmixiをメインのコミュニケーション・プラットホームにしており、接触時間は増える傾向にある。http://ipg.co.jp/press/story/vol79.htmlこのインタビューにおける、彼の仮説Bの論理展開には鳥肌が立った。米国企業の猿真似とかではなく、本物のオリジナルに対する尊敬・畏怖の念を抱いた、に近い。==========Q1、Social MediaとCGMですが、両者の違いとは?==========違いを端的にいうと2つあります。CGMは「みんなが閲覧できる公開された場」であり、Social Mediaは「内輪でしか閲覧できない公開されてない場」であることが1つ。もう1つは、CGMは「知らない人たち同士」の意見の集約の場であるのに対し、Social Mediaは実際の「友人や知り合い」との雑談の場であるということです。一見小さく見えるこの差は、実はかなり大きい。むしろまったく別物と思ってもらった方がいい。そこでやりとりされるコンテンツ(情報や発言)の質がまったく異なってきます。==========Q2、「非公開な場」でやりとりされるコンテンツには、どんな価値があるのでしょうか。==========コンテンツという言葉の定義によりますが、もし、コンテンツを「ある一般的価値をもった情報」と定義するのであれば、Social Mediaはコンテンツを生み出すメディアではありません。そこにあるのは、単なる「内輪のコミュニケーションの場」、いわばコタツや井戸端と等しいわけです。そこから、一般的な価値を持つコンテンツは生まれません。それを生み出すのは、編集というバイアスがかかった<マス・メディア>の使命です。Social Mediaは、いわばコタツを囲んで話している・・・そのコタツがたくさん存在する世界です。コタツ一つ一つはミクロな場ですが、トータルで見たときにそれは巨大なコミュニケーション・メディアといえます。夜、渋谷のセンター街を歩くと、大量の人が行き来し話しているのが見えます。しかし、同じ時間に家の中にいて家族同士で話している人たちもたくさんいて、ボリュームとしては後者の方が圧倒的に多い。そこに、バイラルマーケティングといった、他のメディアには生み出せない新しいコミュニケーションの可能性が潜んでいます。==========Q3、コンシューマーが発信するコンテンツによって構成されるメディアという意味では、Social MediaとCGMは同質ではないのですか?==========いいえ、違います。CGMは、コミュニティが生まれ、その結果「主(ぬし)化が起きる」という宿命をもっています。これは、どんなCGMにも見られる現象です。主化が起きたCGMには、○○的な意見というものが生まれ、そのメディアに「個性」が生まれます。結果、テレビや雑誌や新聞と同じようなメディアになってしまう。つまりCGMは、いわば<ニッチなマス・メディア>なのです。たとえば、テレビとの関係でいいますと、CGMはテレビを面白くするツールにはなりえないと思っています。一般的にいわれている補完関係ではなく、実は競合関係にありますから。そこが、Social Mediaとは本質的に異なる点です。補完関係であり、テレビを熱くするのは、お茶の間のコタツ、すなわちSocial Mediaです。ですから、IPGや放送局とmixiが連携していくことは、マス・メディアを盛り上げていくことにきっと繋がっていくはずです。==========Q4、いま、テレビや新聞といったマス・メディアから消費者が離れつつあると言われていますが、どう思われますか?==========私は、一過性の現象だと思っています。テレビ番組のクオリティは圧倒的です。いつ見ても、あれほどの笑いや涙や感動を与えてくれるメディアが、他にあるでしょうか?最後は中味のクオリティが問われます。たとえば、今もてはやされているウィキペディアも、そのうち一辞書にすぎなくなるでしょう。だから私は、テレビや新聞の価値が今後低下していくことは、決してないと思っています。問題は、現代社会において、お茶の間のコタツがなくなったことです。以上
2011/06/20
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父が交通事故に遭った。孫の写真のキーホルダーを送り、礼の電話をもらった数時間後に。集落の管理の仕事が多忙になってきた、働き過ぎではないか、と他人に指摘された、と言っていた。過去にも何度も自損事故を起こしている。アラートは出ていた・・・のに。まだ一回しか孫に会わせていない。生き残ってほしい。そして、もう一度、孫に会って欲しい。神様・仏様。お願いします。なんでもします・・・以上
2011/05/25
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グループ戦略上の事業の必要性自体は、自分の腹に落ちていたというより、この事業が持つ一部クライアントの必要性は理解していただからといって、必ずしもこの事業・サービス・テクノロジーである必然性には納得できていないなぜならば、全く収益性が見込まれないからだユーザーにも、クライアントにも、本質的な価値はテクノロジーではなく、バリューそのものなのだから。バリューのコンテナはなんだっていいんだ。代替案はたくさんあった。単純なプラスチックカード、という戦略だってあった。しかし、その点について、何も意見しなかったし、何も発言しなかった。ただ、ダラーっと存在していただけだ端末価格を劇的に下げるか、派生収益を得るようになるか、のどちらかが必要だどちらもができないと、大規模投資をするロジックを組めないもしくは、そのどちらかを前提にして、がんがん進めなければいけないテクノロジーには興味を持てなかったが、その大きさに非常に興味をそそられた。そして、その大きな仮説にTOPは賭けているしかし、これまで、TOP自身も大雑把な「夢」レベルを吹くだけで、何も現実的には関与していなかった彼も、自分の夢を誰かが実現してくれる、って淡い期待を持っていたのだろうその「夢」は、誰かが叶えてくれる、みんなが担いでくれる、ということはなかったましてや、ユーザーが担いでくれるなんて、ありえません僕自身も含めて、みんな乗っかっていただけだ「コンセプトがいいから、行くはずだ」的な過信・誤認に怖くて正面から見なかっただけだ。本当は、そんな大それたこと、どれだけ血と汗を流し、声を枯らさないといけないのかを。必ず、コンセプト自体の具現化に強い意志を持つ者が、全ての否定的意見・見解にめげず、全ての前世代のデファクトスタンダード(現金支払)、全ての無垢な思い込み、汗と涙で、ただし黙々と、つらいとか一切気にもかけず、全てを振り切って、なぎ倒し、巻き込んでいき・・・・、実現する。そのような者は、今までいなかった。僕は、そのことが、いやでいやでたまらなかったのだろう。僕は「誰のために働いているのか? 誰と働いているのか?」「何について責任を取るのか?」一切理解できなかった。ずっと抱えてきた気持ち悪さ・今までの案件と違う感の源泉は、それだった。だから、「僕は、なぜ、今、ここにいるのか?」レベルで完全にスタックしていた。すごくつらい1年だった何も動かなかったし、進まなかったし、自分は何も貢献することができなかった。存在の意味がなかった。ほかの時間に逃げ込んでいた。明日以降、この「夢」レベルの現実的取り組みが真剣に始まる真剣に向き合い、できることを全て並べて、やりきることに立ち向かう覚悟のとき。TOP自身がそれに対峙する。それに沿って、全構成員が対峙する。そう信じる。もし、やはり「意志を持つ者」がいなく、単なるポーズを全員がとっているのであれば、やはり、自分は何もできないし、価値がないし、その形で時間を浪費するのは、不義となる。その「強い意志を持つ者」の下で、構成員をまとめあげ、構成員の活動・効果を数値化・可視化するのが自分の仕事になるだろう「強い意志を持つ者」がいなかったから、自分は責任をとらなくていい、ということはない。このレベルの僕は「不作為」の責任をとらなければいけない「強い意志を持つ者がいない」ということを叫ばなかった、そのことについて、結果的にその間、自分を完全に遊ばせてしまったことについて、その代償・責任を100%負わなければならないそして、その上で、新しい取り組みへ関わろうじゃないか。それが筋だ。もし、新しい形ですら、自分の貢献度が生まれないのであれば、評価はさらにもう一段下がるし、そして、何よりも、このグループおよび戦略に対して、もう自分の存在意義はない。ということになる。以上
2011/05/21
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20110515_決済サービス事業者として(1)この事業が浮上するとすれば、大成功か大外し、しかない。だから、大成功を狙いにいく、しかない。2位の規模で食っていけるほど、事業自体の収益性が高くないからだ。何ベーシスのトランザクションフィーしかないのだから。リボもなければ、預金もない。トランザクションフィー一本なのだから。一瞬、DB広告の芽、というものに眼が行ってしまいがちだ。しかし、勘違いしてはならない。DB広告は電子マネーだけが可能なのではない。歴史を重ね、圧倒的に規模も大きくなっているカードですら実現できてないのだ。DB広告こそ、規模(占有率)が必要なのだ。圧倒的な規模(占有率)がすべてを癒す。本業収益(トランザクションフィー)の損益分岐点も越えるし、DB広告も可能にする。=======経営行動は単純で大きく3つ。(1)利用者を増やす(2)利用可能拠点を増やす(3)超過収益を見い出す(広告等)よって、現時点での規模で(3)を追求しても無意味な行動である。(1)と(2)への盲目的な傾注が直近のやるべきこととなる。=======しかしながら、(3)のもたらすインパクト、いつ頃に実現されるのか、を把握し直し、どのようなスタンスで(1)と(2)に臨むべきなのか、考え直してみる。ここからやり直すことが、この事業に真摯に向き合うということに相違ないと覚悟したためだ。そして、そこにこの事業の成否のカギがある、と思う。なぜならば、他の事業者は(3)を追うことが考えられないからだ。短期的な収益性の悪さに目が眩み、踏み込みが甘くなる。実際、そうだ。誰も拡大しない。そこにこそ、勝機が見い出せると思うのだ。勝ちは、勝ちたい人間が得るもの。そしてそれは、意志の弱いものから譲られる形で得るもの。それが真実だからだ。この勝利の真実、の構図は、この事業が辿る歴史においても同じであろう。=======さて、リアル消費のトランザクションデータを基にしたDB広告は、非常に期待が大きい分野、といわれ続けている。しかしながら、そのためには「量」が必要。つまり、リアル消費で何%の情報を握っているのか、シェアを持つ必要がある。その超過収益を生むほどまでのシェアを握る。それが、この事業のビッグピクチャーだ。=======NTTドコモが2005年におさいふケータイに参入した際の計算ロジックを用いて、ビッグピクチャーを再検証してみよう。リアル消費300兆円。小売業全部で157兆円。主要小売業14業種で約67兆円。これは小額(3000円以下)27兆円、中高額130兆円に分離される。グループとしては、クレジットカードか電子マネーのいずれかでこの小売業消費157兆のうち、シェア10%(15兆)を取り扱いたい、と考えている。総消費の5%を占める、壮大な構図だ。メディア広告費 6.0兆円広告周辺領域費 2.7兆円(POP、折込、DM、景品類、市場調査費等)企業販促費 13.0兆円ここまでいけば、DB広告という莫大な超過収益が待っている。誰も想像のつかないような姿で。=======グループ全体としては、電子マネーだけではなく、カードとの合わせ技で、どのように抑えていくのか? が具体的なビッグピクチャーとなる。=======2010年度にはクレジットカード決済は、全国で年間28兆円まで達している。かつ年率5%で成長中。この規模で年率5%というのは驚異的だ。毎年、1兆円ずつ増えているのだ。。。この状況下で「最も選ばれるカードになる」というのは、とてつもないチャンスを掴んでいる、といえる。当社カードは年間約1兆円の取扱規模にまで育っており、かつ年率40%超で急成長中。2010Q1と2011Q1を比較すると、まだ年換算で3,000億円以上伸ばすペース。市場成長の30%を抑えている計算になる。既に中高額130兆円のうち、20%がクレジットカードによって占められている。当社が勢いを保てば、2012年に当社カード取扱額を3兆円にまで至るだろう。これは、総カード取扱市場の10%近くを占める状態となり、かつ中高額130兆円市場の2%を占めることになる。=======一方、電子マネーは2012年に6.6兆円まで拡大する・・・と、2006年 まだ1,800億円市場だった頃にいわれていた。6年で35倍に成長。つまり、倍々ゲームが6年間続く超・急成長市場と目されたのだ。小銭市場27兆円であり、その20%が置き換わるという計算だった。・・・これは、少々急激な予測だったかもしれない。(※小銭市場は60兆円、といわれるが、ここでは27兆円説をとる)ピュアなE-Commerceですら倍々を6年も続けられていないのに、生活スタイルそのものを急変する「苦しみ」を伴うこの領域は、具現化に向けては非常に大きな壁がある。実際、2010年には約1兆円となっている。(※4事業者合計で年間決済件数約20億件、平均500円として)当初予想の半分の速度に落ちている、といえる。当社が、カード取扱額と同等の3兆円を占めるとすると、それは小銭市場の10%を占める計算となる。かなり大きなプレゼンスとなる。電子マネーそのものが小銭市場の20~30%を抑えていて、天下三分の計ではないが、鉄道系と当社がその1/3を抑えている。という構図だろう。現在、当社グループは市場シェアの20%を抑えている。この構図のまま、相似形で急拡大する、という形だ。電子マネーそのものが浸透していくには、どうしなければいけないか? というスタンスを取っていかねばならない。=======そのためには、どうしたらいいのか? 何店舗必要なのか? は明日以降に考えることとしよう。以上
2011/05/15
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20110511_Spring in Age 37My boss told me to improve myself with the thing below. I wrote down them to remember for a long time. I thank him, every colleague in my office, and my fortune. - I should become a business man who can drive own business (project). - Not only making hypothesys, calculating and creating presentation, but also tell it by myself to motivate colleagues. - It is the key to win acceptance with colleague to balance between precision and rough (easy understanding story). K.
2011/05/11
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2003年以降、チームは再編成され、新しいStrategyとして、下記3点を推進していった。(1)本業徹底を通じたマネジャー育成と、採用。結果的な収益向上 (Execution能力の向上)(2)高くても”いいもの”を買う戦略 (収益性立証されたモデル、経営者=Exe.ごと買う))(3)金融シナジーを生む新規事業戦略 (Eco-system concept, MARUI MODEL)ーーーーーーーーーーーーーーーー(1)は、M&A戦略とは質を異にする項目に見えるよね。しかし、事業拡大には「人(Manager)」が伴う。資本力にものを言わせてExpansionしたベンチャーが、その勢いをkeepできずに瓦解していったのは、人(Manager)が不足する『組織』規模・構造なのに、CEOがuncontrolableだったからだ。なので、M&A戦略の両輪だと思う。ーーーーーーーさて、(1)は具体的に何をしたか。全事業での『CEO直轄』での管理強化だ。PDCAの徹底、というと、本質が言い表せない。短時間でTOP直轄ツメ会をできるようなDirect Management system。BI、Command chain、組織設計だった。(Mokuhyo - Asakai - Nippou - Segmented - Gijiroku - ToDo List)CEOは、15分刻みで何十もの事業を直轄でツメた。全然ダメな部署には、デスクを異動して強烈にやっていた。但し、実際には、一人のCEOに頼ったマネジメントは続かない。体力的に。当時、多くの人がひどいワンマンカンパニーだ、と揶揄した。そんなことはCEOはわかっていたのだろうか。また、直轄で詰めるのはCEOではない。COOであるべきだ。しかし、全てのStrategyに優先する、戦略レベルで最優先事項だったのだろう。今、振り返ると、それがわかる。あそこでやらないといけなかった。すごく先を読んでいる人だと思う。当時は、我々社長室スタッフも、「直轄化は、零細企業に戻るようで退化しているように感じる」と訝りながら、CEOがパッとわかるようなDirect managementシステムを整備していった。というか、議事録・ToDOをまとめまくっていた。俺の人生、議事録書いて終わるのでは・・・と心配になったほどだ。僕らには見えないものが、CEOにはものすごく見えていた、ということだろう。ーーーーーーーーーーこのベタすぎる取組が、現在のManagement systemの高度化の礎となっている。半年近くこの直轄ツメを実体験したマネジャー達は、暗黙知としてこれを受け継ぎ、組織全体としてExecution力が上がった。2006年に急低下したROIの、2008年に向けた漸増はこれに立脚している。というか、2005年のROI 19%は、金融ビジネスのまやかしだから、本当に投資家要求利回り(15%)を超えたのは初めてだった。何も特別なことはなく、ただやるべき行動を徹底したら、そうなった。何もStrategicではない。むしろ、Operationレベルだ。但し、そこに目をつけて、早期に実現できたのは、2004年時点でStarategic Issueだと捉えたCEOがいたからだろう。ーーーーーーーーーーーーーーまた、この枠組を原型とした形式知として、現在の『PMI百日プラン』ないし、世界展開の礎となるManagement system標準化の取組に継承されている。(Mokuhyo - Asakai - Nippou - Segmented - Gijiroku - ToDo List)これを原型に事業拡大をしていくので、今後、2005~2007年に犯したROI低下を繰り返す暗愚はない、と考えています。以上
2010/02/01
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2003年夏に入社し、>株価を上げるだけがミッションじゃないけど、>「2008年(4年後)には今の10倍=10兆円にする」のが必要だ。>今年入社したり、今年以降に芽を出す人に”金銭的に”報いるためには。>4年後(2008年)にもPER200倍つけてもらえる会社になってる>=2012年には営業利益1兆円いく会社、と期待される会社になる、> と(2008年時点で)評価されること、が自分たちのミッションだ、と定義した。http://plaza.rakuten.co.jp/ROIinochi/diary/200404110000/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー結果は、どうだったのだろうか。そもそもStrategyが青かったなあ、というほろ苦い思いと、数字だけ見ると散々で、投資家を裏切りまくり・・・という忸怩たる思いがある。但し、後者に関しては、こうも思う。あきらめたわけではない。ただ「○年遅れ」なだけだ。事実、2010年初現在、Strategy、Execution全てを建て直し、その手応えがある。継続保有してくれた外部投資家、従業員株主には必ず○年遅れで報いる。○+●年後には、その遅れを取り戻して余りある保有期間利回りで報いる。この遅れは、IRRベースではなかったものになる。逆に、この苦渋の経験はIRRベースを上回る経験に出来る。逆によかったです、と。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーまず、2002年までに採っていたStrategyは、『Biz-Appli.、Traffic両面のとにかく拡大。 (赤字企業でも買えるものを、とにかく買う)』案件は全てヤル、みたいなノリだった。そのStrategyに沿って250億の投下。しかし、Returnを生むどころか、足を引っ張った。なぜなら、Biz-Appli.、Trafficのバランス(『収益モデル』自体)と、『経営力(経営者)』の収益性立証がないもの”ばかり”を買っていた。Biz-Appli.は増えた。しかし、収益ラインの数だけ増やし、ROIを高めるための経営者(マネジャー)の数が不足が、利回りを低下させる本質的な、構造的な問題として登場した。また、Trafficも増えた。しかし、同じくそのTrafficを売上に換金できるBiz-Appli.ないし、経営力(マネジャー)が不足していた。結果的に、ROI(株主資本利回り、税引後)は6%ぽっちに陥っていた。これ以上、このStrategyの線上で資本投下をしても、ダメだと判断せざるを得なかった。株式市場もわかっていたのでしょう。ネットバブル崩壊も重なり、上場時の1/8まで株価が落ちた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそして、2003年以降、チームは再編成され、新しいStrategyとして、下記3点を推進していった。(つづく)以上
2010/01/29
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業績が悪い、負けてる会社は、全てのレイヤー(階層)、ファクション(機能)で、人が、真剣にやっていない。いつも、結論が、そこに行き着く。しかし、それを直し、全員が、真剣に取り組むだけで劇的に業績回復する。今まで2回、体験した。何を、いつまでに、どのくらいやるのか、全てのレイヤーの構成員が正確に理解し、一生懸命、100万%の真剣さで取り組むだけでいい。それだけで、だいぶ勝ちに近づく。ーーーーーーーーなぜなら、真剣にやってる奴が、実は、世の中にあんまいないから。真剣にやってないから、マジで真剣な奴と対峙したら、無意識に腰が引けて、勝ちを自ずと譲ってしまうから。要は、いや俺、別にそこまで真剣じゃないしぃ~、という感じだ。なぜなら、意外と真剣にやらなくてもバレないし、給料くれちゃうから。また逆に、真剣にやっても、さほど結果は変わらず、案外誰も見てないし、給料上がらないから。中途半端に頑張ってみて、失敗やケガしたとき、なんか微妙に結果も出ないとき、なんか損した気分になるから。真剣でない場合、他にもやってることがあって、その案件で負ける=自分の全てが否定される、というわけではならないから。100万%真剣にやってると、というか、そんな負けたときのこととか、考えもしない。どうやったら勝てるか。それしか考えてない。その感覚が絶対に降りたり、あきらめたりさせない。普通の人は、一個の物事に賭ける、だなんて、そんな馬鹿なリスキーな状況に自分を追い込まない。だから、無意識に他にもやってることをつくって、そっちに影響も出るとなぁ。と「逃げる」理由=エクスキューズをつくる。しゃーない。と自分を納得させれるから。ーーーーーーーー要は、真剣にやらない方が単純に楽なので、勝ちを、自ら譲ってしまうのだ。だって、自分で負けを選択する方が、楽で、傷つかずに済むから。以上
2009/06/18
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前職(投資先開拓営業)時代のクライアントには、本当に素晴らしい経営者が多くいた。S社長もその一人。オールドエコノミーに属する、高齢の社長だったが、外国勤務経験からの高い視座、当時としては稀有な経営者。彼は、娘婿の2代目社長、だった先代は、自ら一代で斯業トップシェアを作り上げた。しかし、その競争力の源泉だった部品メーカーにしては稀有な力強い直販営業を、本流に据えた企業戦略に限界を感じていたのか・・・理系・ロジカルで物静か、紳士的で、しかし革新的なトップマネジメントの招聘。嫡男でなく、妾の子でもなく、彼を後継者に抜擢した、先代は慧眼だったしかし、『2代目』として引継いですぐ、権力基盤の禅譲プロセスに入る間もなく、先代は急逝。相手は、力強い直販営業が本流の企業文化。そこには、不透明な金の流れ、既得権がある。故に革新やロジカルさは好まれない。 ※今ならよくわかる子分を持たない(親分スキル)のない彼を、その組織構造の各所に親族も紛れて・・・、彼の足を引っ張った。そんな状況下ゆえに、エクイティ財務戦略などスコープ外。しかし、僕とはよく会ってくれて、新しい世界・社会、あるべき経営、企業の姿。それを純粋に話すのが楽しい、と言ってくれていた。僕も、すごく勉強になった。会う度に、なおも続く跡目争いを吐露し、正論・ロジック、そして結果で君臨するしかない、と静かに闘志を語っていた、痩身の社長。僕がWeb関連企業へ転職するとき、業績は苦境にあったしかし、HPやDELLのWeb戦略をよく研究し、自社の強みであり、しかし最大コストも生む直販の顧客接点を強化するためのWeb戦略を語り、いつか、xx業界のrr市場と呼ばれてみせる、と。ーーーーーーその、S社長のインタビューが乗っていた。業績は、6年前の1.7倍に成長していた。オールドな部品メーカーなのに! Q、社長にとって、『社長』とは何ですか? A、・社員たちが最大級に力を発揮できるよう、 舞台を整える下準備を行うのが社長の務めです・会社全体としての「先のこと」は社長の責任・スピードと、可能な限りの情報収集で、 的確な決断を下すことが、 必要なこと(仕事・役割)でしょう 優柔不断ではいけませんね。ーーーーーー僕の、今の仕事は、2点。S社長のインタビューを基に再認識してみる。・優秀な経営者(TOP)の存在を前提として、 まるでベンチャー企業のように、 彼が全てをリアルタイム把握し、 全てに的確な決断をリアルタイムに直接下す、 ための環境整備 どんな大きな組織でも、古い組織でも、 セル(細分)化によって、ベンチャー企業のようにする ・Strategy Level、Execution Levelにおいて、 経営課題毎に、組織の各レイヤー別に Intel. neuro (uplink)=現況が見えやすく、 Command line(downlink)=指示と進捗が見えやすく、 整備していくこと・既成事実をどんどんつくり、革新の方向感をつくり、 どんどん参加させていくこと (最も革新が必要な現場には、個別徹底フォローをする)最終的には、トップマネジメントは方向性を示すだけで、組織が高速始動し、高速で巡航し、高速で方向転換ができるように、ベンチャー企業のようにつくり変えていく。これが、今の、僕の仕事だ。この道が、いつか、自分も、S社長のように、どんな新天地でも経営していける人になるための、糧になるのだと信じて。以上
2009/06/13
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2006年7月(32歳)のとき、自分は下記のように考えていたようだ。>20060708ビッグ・ピクチャー(≒巨大妄想)(2) >>おカネを使うのが仕事で、集める人は別だった。>僕は、自分の使い分を自分で生み出す、なんてこともしなくちゃならないだろう。>これに関しては、そう思って、去年から練習してたけど、>面倒くさくなかった。とっても楽しかった。ドキドキした。>>ていうか、僕達は、一旦、信用の再構築、>つまり、結果を伴った期待値上昇をする必要がある。>2006年は、そういう年、星の巡りなんじゃないか。>>ROIでいえば、Iを増やさずに、できる限りRを増やす努力を、>僕も、一生懸命がんばる必要がある、ということだ。>Iの適正配分、持続拡大モデルの構築だけでなく、純粋にRを増やす、ということに。元々から、問題意識は醸成していた・・・それが爆発的なモチベーション(行動力の源泉)につながった・・・ということか。しかし、現在では、福岡案件に従事してから、あまり思考を巡らすことが少なくなった。仕事の性格上、『待ち』やデスクでの思考、といった時間が少なくなったからだろう。社長室のときは・・・、社会人10年目の33歳(2007年)の時点で、どんなポジション、どんな役割、どんな実力をもてるか。をGOALに設定して、そのために目の前の案件から得られるもの。を抽出して、取り組んでいたように思う。だから・・・、人が気の毒がる、どんな痛い案件でも完遂できた。モチベーションが維持でき、結果、成果物(結果)のクオリティが高かった。ように思う。ーーーーーー今は・・・、自分をどう変えるか? ではなく、他人をどう変えるか? 自分をどう動かすか? ではなく、他人をどう動かすか? どういえば自分は動けるか? ではなく、どういえば他人を動かせるか? をすごく考えていた2年間だと思う。日報をチェックしてるか、生データそのものをチェックしてるか、誰かを凝視(チェック)してるか、誰かと話しているか、そういった『他人事』で忙しくて、全く、自分について内省的に思考を巡らすことがなかった。⇒ 改めて、『どういえば、自分は動けるか?』 に対する問題意識を常に抱えておく・・・ これを、しばらくやろう。ーーーーーー『どう動かすか?』と共に重要なのが、GOALだ。不思議なことに、どんなエリートでも、どんなグータラでも、GOALを設定すれば、人は動き始める。人間とは、そんな動物なのである。そんな方法論を、2年間、実践し、実際に他人を変えてきたではないか。改めて、自分に当てはめ直してみよう。2年前、自分は『GOAL』をどう考えていたか・・・? >2003~2005年(29~32歳)は、>他人が集めたIを、他人が使うのを手伝った、ということだ。>レイヤー3のポジションで。>>でも、将来は、自分が主体となって集めるIを、自分が主体となって使いたい。>次のタームでは、レイヤー1.5か、2.0で、やっていたい。>>そのために、どこで、何をするか、ということで、捉えなおすといいのかもしれないな。40歳のタイミングで、どこかの会社のレイヤー1.5となり、Strategyレベルで『I』の配分を自分(チーム)が決定し、かつ、100~200人、もっと大きな組織を指揮し、『R』自体を高める。そんな人になっていたい。そんなチームメンバーになっていたい。できれば、チームアップ自体から、自分がやれるようになってたい。・・・と考えていた。それが、自分が目指す、新しいGOALなんだ、と改めて再認識しよう。ーーーーーーーそして、そこに向かって、ワークプラン(工程表)をつくり直そう。今、目の前の案件から、そのワークプラン上、必要な能力・経験を、獲得する。目の前の案件の成果を元に、次に必要な能力・経験を得られる、新しい機会を導く。このサイクルに、改めて、強く意識して、自分を当てはめよう。そうすれば、29~32歳の4年間で急成長できたのと同じように、自分の成長を再現できるはずだ。そしたら、GOALにたどり着いている。はずだ。やっぱり、4年サイクルで考えるのがいいように思う。2008年(34歳)2009年(35歳)2010年(36歳)2011年(37歳)ーーーーーーーーーー2012年(38歳)2013年(39歳)2014年(40歳)2015年(41歳)以上
2008/09/05
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自分を、もっと見つめ直してみよう。この2年間で考えたこと、とった行動。そのときの心象風景。ーーーーーー2003年に入社して、とにかく案件をこなすごとに、自分の成長も実感できたし、次々に役割・重みが増えて行った。強烈な快感だった。2004年頃から買収金額が一桁、二桁と上がり、交渉実務の中での自分の役割も上がり・・・、そして、2005年秋、2006年春に、僕らみたいな小さな若い会社が、日本最大級の大企業と対等にJVを組んで・・・、自分の力を全部出して、条件面で完全勝利できた。その後、両者がキチンと協力し合える、そんな関係にする。というJVの本質も満たせた。日本の中でも、こんな若い企業と重厚な大企業が組んだ、というのは珍しかったと思う。それを2連発できた! M&Aプレイヤーというか、企画推進マンとしての満足感と、再現力への自信が最高潮に達した。一方、不安と疑問が大きくなっていた。・年齢面 自分が40歳になるとき、 こんな仕事っぷり(=とにかくGOGO!)が、続くのだろうか? 今、自分がこの年齢(30歳)で、 この年齢の稀有な経営者(40歳)だからこそ、できているだけでは? 自分が40歳になるとき・・・、 社長は50歳で、そのときは俺でなく30歳と組むのではないか? ・果たすべき役割面 この先もずっと、社長と組めるにせよ、組めないにせよ、 いずれにしても、本当に普遍的な、M&Aマンとしての、 誰にもない、自分だけのバリューがほしい。 『史上最高のM&A、経営チーム』に必要とされる存在に、変化しておきたい。 今は楽しいけど・・・、 ROIが上がらなければ、自転した拡大経済循環を維持できない ROIが上がらなければ、当社のB/Sも、社長の年齢も衰えていく。 40歳になったときの自分のためにも、 それまでの10年間でROI向上ができる人間にならなければ、 舞台も、いい配役ももらえないのでは? やはり、『買ったもの』のバリューUPができる人になりたい。・チームで働く力・ノウハウ(1) この先もずっと、社長と組めるにせよ、組めないにせよ、 一生続く、人間関係・師弟関係、 将来、自分の師匠・仲間・子分になってくれる人をつくりたい。 その人たちは、自分が、 『史上最高のM&A、経営チーム』に必要とされる存在に、変化するために、 必要だから。・チームで働く力・ノウハウ(2) こんな仕事の進め方(=時間の使い方、1・2名でコンコン徹夜)で、 自分や家族を幸せにできるのか? そういう意味でも、 自分の留守中でもStrategyを推進してくれる、 仲間・子分になってくれる人が必要。 そのためには、自分が主体となって案件を進めることが必要。 その案件は、Post Mergerのビルドアップか、リバイバルが望ましい。ーーーーーー案の定、自分が避けていた、最大規模の案件がスタックし、B/Sは膨満状態で硬直してしまい、新規投資は、ほぼ難しくなってきた・・・。 ※当時の室長は、真っ先に転出していったROI向上力を証明しなければ、びた一文すら調達できない。ROI向上力を証明しなければ、10年後の自分も、舞台自体も、用意されない。そういうフェーズになったのだ。ーーーーーーちょうど、そんなタイミングでの福岡案件だったと思う。だから・・・、自分は、躊躇なく飛びつけた。社長に、いきなり行ってこい! と言われ、皆に、気の毒・・・可哀想・・・と思われていたが、、、元々、予想もしていて、かつ、自主的に行こうと思っていた。だから、躊躇なく飛びつけたのだった。その案件から得られるであろう、と考えていたことは下記の通りだ。・自分が買収過程(調査・交渉)の実務担当者だったから、 自分が一番、問題点と向かうべき方向性をよく知っている。 だから、自分がやらねば、と思った ※買収当時から、不良債権、高コスト体質の存在は認識があり、 いずれ、こんな事態になる、そのときは行く。 と決めていた。・買収過程で先方企業の優しい文化・人柄に触れて、 すごく好きだったので、助けられるものなら、助けたい。と思った。 その優しさが、甘さであり、コストを生んでいる。 と買収当時からわかっていた。 わかっていながら、やっていこうと決めたのは自分達。・むしろ、全然知らない奴が乗り込んだら、 あんな優しい人達を・・・無感情でバサバサに斬りまくるだろう。 それに・・・、耐えられなかった。 もし、斬らないといけないのなら・・・、 全部そういった感情・悔しさ・悲しさをひっくるめて、 せめて自分が斬る。それがせめてもの・・・。そんなつもりだった。・総責任者として乗り込む、自分の尊敬するオヤジを助けたい。 助けられるのは自分しかいない。 その過程で自分は大きく成長できるはず。 ていうか、「この人のために。この人達のために!」と 入れ込める『理由』がなければ、自分の潜在力が引き出せない。。。 と思った。・このコストを減らし、ここを伸ばせばイケルという、 明確なStrategyが、元々からあった。だから勝算があった。 ※Strategyを試算していたのは、自分。・もし、こんなヒドイ状態だが、Strategy通りにリバイバルできれば、 相当すごい利益が出て、伝説的な案件になる。 M&Aマンとして大きな勲章になる・・・という打算・単純に、「このオヤジと組むのなら、イケル」 「このオヤジはここでつぶれる玉じゃない」という、 打算・勝算というか、盲信・・・? ・仮に、残ったとしても、資金ないから、 事務処理仕事ばかりになりそう・・・という消去法的選択等があった。ーーーーーーむしろ、「行かない理由」は全く見つからず、どちらかというと、自分にとっては非常にオイシイ案件、と認識しており、モチベーション バリバリだった。『自分のモチベーションが強烈にあった』だからこそ、あんな難しいこと、できたんだと思う。⇒ 今後、自分が何かをやるときは、 『自分のモチベーション』が維持できるのか。 が選択基準なんだと思う。以上
2008/09/04
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この2年間で、期せずして2つの会社に携わり、「100を売上げるための、運営コストを落とす」「100を売上げるための、スピード・生産性を上げる」固定費を落としたり、仕事が10増えても、人数は増やさなくていいようにしたり、即ち、リーンオペレーションを実現すること。『短期手術』をやった。もっと言うと、放置しても自発的に継続改善し、結果を出し、その結果でセルフ・モチベートし、さらによくなる・・・『体質改善』をやった。ーーーーーー最初は、ダメすぎて、倒産寸前な会社。もう1件は、儲かりすぎて、あぐらカキ過ぎで、ファットな会社。だった。不思議だが、どちらも同じ哲学・同じ方法論でできた。自分一人が頑張る(作業する)のではない。100人、200人の人間達に一斉にさせるのだ。■Strategyレベル・どこに削減ヒントがありそうで・・・、・どのように切り込めば、どれくらい行けるか、・誰が、どの仕事に、余剰がありそうか、のアタリをつけること■Executionレベル・誰に切り込ませると、最も速く、継続的にできるか? ・誰を最初に動かせば、組織全体が動くか? ・その人に、誰から、どんな風に指示をさせれば、組織レベルで動き出すか? ・誰かが号令を発せば、即時に動く組織パワーバランスの整備 (誰に人事権=統帥権を持たせるか、 その統帥権の適正な行使のために、 どのような会議体(コミュニケーション)を整備するか?)・そんな活動をする自分を、組織内で機能させるために、 誰に、どのように関係構築し、自分を権威づければよいか? 今回は難しくて、さすがにダメかとくじけそうになったが・・・、できた。 ※2件目の方が、組織全体の危機感不足のため、時間がかかってはいる。この仕事(役割)を果たすための、たくさんの人間を短期間で動かすための、自分なりの哲学も育むことができた。 ※N台さんが10ヶ条を持っていたように。ーーーーーー1件目は、4人で乗り込んで、1千人を相手にした。2件目は、1人だけで乗り込んで、200人を相手にできた。厳密には『仲間(4人)』を現地調達し、200人に対峙させた。 ※S光さんが、1人でセンターに乗り込んだ、のと似てる。 異なる点は、彼は人事権・統帥権をもって乗り込んだが、 自分は持たずにやったこと。同じ方法論を用いるが、状況に合わせた工夫をこらし。もう1度、同じような案件がきても、再現できると思う。ーーーーーー明日以降、自分の考えをまとめて、体系化する意味も込めて、日記に書いてみる。人間って不思議だなと思うし、また、人間が好きになった。本当に悪い人はいない、という意味で。また、自分はある限られた層の経営者『資金がタンマリあり、かつアグレッシブな企業(起業家、経営者)』にしか役立たないのではなく、どんな会社でも、人の役に立てるのではないか、と思えるようになった。ある限られた層の経営者にしか役立てない。非常に『お客様』が少ないということだ。これは、非常にリスクだったし、間接的にしか社会貢献しているとはいえなかった。売上が上がらなくて困っている。利益が出なくて困っている。そんな企業(経営者)にも役立てる。そっちの方が、世の中には多いし、おカネがない所から、おカネを捻り出せるのだから・・・。社会人になって10年(+2年)。。。昔、10年で一人前になれ、といわれたが、やっと、直接、人間社会に価値を生むことができるようになったかな。ーーーーーーあと、もう一つは、自分は、今後、どうしていきたいか。日記を通じて、まとめていく。どこで、誰と、どんな風に、働いて、どんな仕事・業務内容で社会に貢献をして、いくらくらい価値を生んで、いくらくらい自分は手取りをとって。どんな街で、どんな暮らしをして、生きていきたいか。そのために、何が足りていて、何が不足か(=身に着けるべきか)を整理していく。以上
2008/09/04
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最近、仕事は速攻で済ませて(放置して)、早く上がって、遊びに行ったり、しばらく会わなかった人に会いに行ったり。何か、新しいことを考えるには、やっぱり自分の考えを他人にぶつけてみるのがいい。人生観を固めなおすときで、仕事だけじゃなく、趣味と恋愛と結婚と子供、つまり人生の話が多くなる。あんまり3年間、しなかった。めんどくさいし、あんま考えなかった。でも、今は、それを考えるのが好きだ。3年間で全部、いろいろ変わった気がする。自分。少しずつ変わったような気もするし、最後の数ヶ月で一気に変わっちゃったような気もする。―――――――――メディアが変わると、人のライフスタイルが変わり、世の中全てが変わるような気がするが、しかし、それは違う。この20年、消費や人のライフスタイルは一切変わっていない。ファッションが変わっただけだ。いいか悪いか別にして、本当に、人の生活を変えてしまったものは、この10年では唯一、電子メールと、携帯電話だけだ。あと、電子レンジもかな。インターネット(ウェブサービス)は、人の生活を、まだほとんど変えていない。店舗さんくらいじゃないか。これは、2000年から大きく変わり始めた。でも、ユーザ・サイドは一切、変えてない、、かもしれない。ミクシイは、ちょっと変えてるかも。でも、メッセンジャーの延長って域から出てない。もうちょっと、何か、大きく、社会を変えられる、かもしれない。ていうか、2000年以降、約6年間、僕達も含めてインターネット・サービス各社は、変わったようで、ほとんどあんまり変わってない。何も進化してない。新しくなったように見えるけど、なんにも新しくない。もし進化してる、と思うなら、それは相当、感覚マヒってる。その人、パソコンやりすぎって感じ。―――――――――コンテンツじゃなくて「広告」が進化しないと、何も変わらない。メディアが進化した、といえるのは、そのとき、かもしれない。ドラマの内容が変わっただけ。情報番組の内容が変わっただけ。あとは、何も変わっていない。じゃあ、インターネットは? 似たようなもんでしょ。―――――――――20枚目の扉は、どうして開かないのか? 本当は、向こうも自分から開けたがっていた。助けてもらいたがってたのに。僕達が、もう一枚、カードを持っていなかっただけだ。最も大切な一枚を。その瞬間まで、全然気づいてなかった。自分は、パーフェクトだと思ってた。「あなた達も、変わってないじゃないですか。 あなた達は、僕達を変えられるんですか? 僕達のクライアントを変えられるんですか? 何が、見えているんですか? 僕達と、どこがどう違うんですか?」なんだかんだ言っていたけど、彼らは、そう、言いたかったのだ。自分達と、本当に違うなら、自ら扉を開けてくれていただろう。僕達は、経営についてや、リスク・マネジメントを、つまり、コンテンツ/プロダクション・サイドについて一生懸命語りかけていた気がする。しかし、そこについては、ほとんど相手も気がついていた。その変革には、他人(僕達)は必ずしも必要ではないようだった。一人でできる、みたいな。むしろ、彼らの方がわかってた。問題は、そこじゃないんだ、と。本当の問題は、そこじゃなかった。それが、わかってるからこそ、19枚目の扉までは開けてくれた。相手は、本当に変革を期待していたのに、僕達が、その十分な資格を持ってなかった、つまり、そのときは気づいてもないし、見切ってもいなかった。2005年秋、20枚目は開かなくて、逆によかった気がする。だからこそ、やっと気づいた。やっぱりそうだったんだと。「メディア経営」ではなく、「メディア」そのもの、情報と人の関係について、が問題だった。僕達がわかっていなかった。変われていなかった、かもしれない。――――――――人と情報の関係を変えていくには、コンテンツの内容ではない。コンテンツの流通方法、アクセス方法でもない。双方向性でもない。付属品と思われている「広告」こそ、変わる必要がある。これが変わらなければ、経済が変わらない。世の中の仕組みが変わらない。なんのために、僕達の会社ができたか? これを変えるためじゃないの。地方でいいものつくってる人より、東京でカネつかませるのがウマイ人が、なんか売れる。そいうの、変えたかった。低コスト。リアルタイム性。コミュニケーション性。参加者を幅広く、多くできることで、あんまり見たことのない商品が、山盛り並んでいる状態を生み出せる。これは「商品広告(告知)」を変える、という本質を孕んでいた。たまたま、それがコンテンツみたいに、なった。たくさんの商品広告が集まると、コンテンツになる。それは、既にリクルートが証明していた。その一方で、ユーザも、そういう情報を待ち望んでいる、という仮説もあった。この瞬間、僕達は、情報と人の関係の本質に踏み込んでいた。だから、一気に進めた、のかもしれない。その後、そこまで踏み込んだのは、この10年間なかった、といっていいかもしれない。だから、一気に進めてない、のかもしれない。―――――コンテンツ自体には、社会・経済の意志は100%反映されていない。とある一部の作り手の思いが入りすぎる。しかし、広告には、社会・経済の意志が100%反映されている。売れなければ、その広告は消える(打ち切られる)し。そう考えると、コンテンツではなく、「広告」に関する情報発信側が変わることこそが、社会・経済の変革の本質だ。といって、いいかもしれない。―――――商品の選択方法、選択眼そのもの、商品情報へのスタンス自体が変わる。情報というものへのスタンスが変わる。そして、やっと、情報への時間の使い方、場所、探し方時間帯、時間の長さ、利用方法、判断基準、判断タイミング、意思決定への他人の関わらせ方、など、情報に関する全てが変わる。ここまできて、初めて、ようやくライフスタイルが変わるかもしれない。それに、そのとき、人は、もっと他人に優しくできるようになるかもしれない。同じ事実から生じる情報は一つではなく、また、万が一、同じ情報であっても、受け手の取り方次第なんだ、と。取り方もバラバラであれば、行動もバラバラになる。その当たり前が前提として、他人と接することができるようになる。自分をより、ハッキリと持つようになる。情報を、より真剣に利用しようとする。違う意見を、認識・受容できる、ようになるかもしれない。むしろ、ちゃんと、とりあえず聞いてみたい、と思うようになるかもしれない。そんな風に、情報と人との関わり方が、一方通行から変わるとき、そのとき、インターネットは、もっとその真価を発揮できるようになるかもしれない。――――――よく議論される、時間消費シェアなんか重要ではない。人は、素敵な本や、人とか、一瞬の出会いにもかかわらず、考え方を変えたり、生き方を変える気づきを得るじゃあないか。それこそ一瞬で。時間じゃなくて、脳内シェアというか、心象形成におけるシェアといった、影響力こそが重要だ。人が、もっと、自分に影響を与えるための情報に出会う確率が、多くなる、そんな感じ。インターネット、が、変革者の必要条件ではない、かもしれない。インターネットが変える/変わるんじゃなくて、情報と人の関係が変わる、というイメージかな。それに最適なインフラがインターネットでした、みたいな。でも、そのとき、本も、テレビも、一斉に全部、変わる。「使い方」を、人間(利用者)が変える、という感じ、かもしれない。―――――――そのためには、もっと経済的に巻き込むことが必要だ。それに、もう、既に、情報流通に近い人ほど、むしろ、巻き込まれたがってた。彼らは、僕達なんかよりも限界を知っていたから。だから、助けて欲しがっていた。わかってなかったのは、僕達の方だ。まだ、早かった。おカネが流れてこない、ということは、期待されてない。何も生んでない。ということだ。力がないということだ。収益の伴わないサービス運営者は、いくらチヤホヤ騒がれようとも、冷静に、省みた方がいい。だから、社会や人に影響力を与えきれない。その一歩手前で息切れしちゃうんだ。社会には、生存本能がある。その生存本能が、力なき者に、影響力を持たせない、そういうような感じがする。社会や人を巻き込むには、圧倒的な経済を伴う必要がある。イデオロギーを超えたコンセンサスを得るには、経済力が必要だ。カネじゃなくて、経済。拡大再生産を継続する。そういう意味。何十年も、それで、多くの人が食べて、生きていけて、ある程度の幸せが築けるくらいの。それを生み出せない奴は、社会を変える資格などない。社会が、まるで、そういっている、ような気がする。―――――――そんなことを、誰かが本当に見きり、築き上げ、社会に証明したとき、20番目以降の扉が、自ら開かれる。100枚目まで勝手に開かれるだろう。迎え入れられるように。その方向性で、社会を変えていってください、というように、暖かく、迎え入れられるだろう。開くのか、開かないのか、ではなく、多分、20番目の扉は、必ず、誰かが開く。あと2年だろう。もう扉の向こう側が耐え切れないだろう。扉の向こう側は、そうはいっても一私企業だからだ。そのとき、大して完成もしてない奴が開けるのか、キッチリ完成して、そいつがスムーズに社会を変えていくのか。扉は、もう壊れかけているので、恐らく、ちょっとわかってない愚か者であっても、開いてしまうだろう。で、それが僕達なのかどうか、自分の手で、自信満々で、変な気負いもなく、ドアノブをすんなり回し切るのか、誰かと一緒にドアノブを握っているのか、気づかないけど、バカ力でドアノブ壊しちゃう形であけるのか、握り締める誰かの背中を押している何人かの一人なのか、もしくは、集団の外で、指を咥えてみているのか、全く、ドアが開いたことさえ気づかないのか。多分、バカ力で開くことはない。バカには開けない。社会が許さない。社会は、自分をよりよくする、生存本能に満ち溢れている。その生存本能が、社会を進化させる力のない者に、その扉を開かせない。あと、僕がいるから、気づかない、指を咥えてみてる、ということはない。なんとか、したいなあ。―――――――もし、開けるのが自分でないのなら。まあ、なるべくなら、自分よりも完璧に見切ってて、かつ優しくて、みんなと仲良くできる、性格いい奴が開けて欲しい。もし、意地悪な奴が、偶然にも開けちゃったら、最悪だ。もはや、そこらへんが問題なのだ。開くのは開く。いい世の中になったら、いいなあ。以上
2006/07/11
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会社全体じゃなくて、僕の仕事を再定義してみよう。僕は、今、何をやっているんだろうか? 今後、何をやっていくんだろうか? ――――――――――僕の仕事は、投下資本の適正配分だ。上述したオペレーションの見直しではない。それは他人の仕事。「ヒト・モノ・カネ」の3要素でいえば、カネの適正配分である。カネが適正に配分されても、そのカネを本当に計画通りに生かすのはヒトだ。まさにオペレーションの要諦。しかし、「ヒト(組織)」については、他の担当者が命を賭けてやればいい。僕の仕事は、伸びる事業、伸びる経営者を見極めて、より多くベットすること。その判断に必要な情報を、判断者(トップ)に対して、過不足なく、わかりやすく説明し、選択肢を提示し、決断を促すこと。でも、今後、その配分基準には、個別成長性だけでなく「グループ戦略性」を導入すべきだ、と思う。 (※こっちが伸びなくても、こっちが伸びる)その判断ができる前提となる、新しい管理会計も構築する必要がある。そうすると、今までと違った領域にまで、気を配る必要がある。面倒くさいなあ・・・。また、2006年現在の調達市場環境を鑑みると、これ以上のB/S膨張は無理がある。おカネを使うのが仕事で、集める人は別だった。僕は、自分の使い分を自分で生み出す、なんてこともしなくちゃならないだろう。これに関しては、そう思って、去年から練習してたけど、面倒くさくなかった。とっても楽しかった。ドキドキした。ていうか、僕達は、一旦、信用の再構築、つまり、結果を伴った期待値上昇をする必要がある。2006年は、そういう年、星の巡りなんじゃないか。ROIでいえば、Iを増やさずに、できる限りRを増やす努力を、僕も、一生懸命がんばる必要がある、ということだ。Iの適正配分、持続拡大モデルの構築だけでなく、純粋にRを増やす、ということに。自分が、もし、ここで3年後(35歳)も働くのであれば、そのとき、Iを死ぬほど集めて、死ぬほど投下(配分)するために必要だろう。ここで成功しなければ、この企業グループは、しばらく資本調達が難しい状態になるだろう。つまり、ROIレベルでの証明がなされなければ、次の分母(資産)拡大、外部流入(=外部資本調達)はなされない、ということだ。――――――――――2003~2005年(29~32歳)は、他人が集めたIを、他人が使うのを手伝った、ということだ。レイヤー3のポジションで。でも、将来は、自分が主体となって集めるIを、自分が主体となって使いたい。次のタームでは、レイヤー1.5か、2.0で、やっていたい。そのために、どこで、何をするか、ということで、捉えなおすといいのかもしれないな。――――――――――2006年という年は、どういう年か。次の3年という、投資拡大期に、十分な実弾を補充できるよう、投資家の信頼を勝ち得る時期なんだろう。どうせ調達市場も冷えてるし。僕は、もし、次の3年もここにいる、と決めたのならば、2006年のこの状態での調達・投資の最大化をミッションとするのではなく、2008年あたりでの調達・投資の最大化をミッションとする、そんなタイムスケジュールで、物事を考えればいい。そして、個人としては、レイヤー2.0として振舞えるかどうか、を考えればいい。僕の先輩が、2001~2002年に、2003~2005年の布石を作って、レイヤー2.0の立場で自分で資本を集めて、配分していったように。しびれるほどカッコイイ。 「 いくら、資金を投下してもらっても、きっちりと回せる、 つまり、ROI成長を実現できる、経営・組織である 」 「 現在、投下していただいた3,000億円については、 きっちりと、25~30%利回りで回しました 」 「 次回(2009年)分についても、 きっちりと、25%以上で回すことができます。 だから、安心して、ドッカリご投下ください★ 」という信頼を勝ち得ること。だから、もし必要な新規資本投下は、現状を補完するもの、だけでいい、のかもしれない。つまり、ROI 7~12%を、倍増させるためのもの。手段として多用するものとしては、新規資本投下を要さない、いわゆる「提携」を多用していくことだろう。――――――――――相手と対等な関係を築く、つまり支配ではなく「提携」を多用するのならば。僕は、もう一度、同業者や業界における「秩序形成」について、自らの考えを、改めて再構築し、内外に積極的に語りかけていくべきだろう。歴史に学ぶとすれば、資本で支配する「帝国主義」、パクス・ブリタニカではなく、共通の敵(Y、L)を作り上げる、つまり、イデオロギーで凝り固まる連合国主義、パクス・ヌクレアでもなく、もっと新しい何か。協調成長モデルというか。パクス・アメリカーナの素晴らしい要素だけを集めた、ODA、IMF等を用いず、相手(日本)の素晴らしい部分だけを抽出し、自分(米国)を中心とする形で、共存形式で、経済成長モデルを築き上げた、日米関係みたいなモデルというか。 (※異論はあろうが、僕にはそう映る)それに負けない、平和共存成長モデルを見つけたい。米国の進化が先か、中国政府が先か、僕達が先か。現状では、全くもって浸透してないけど、もし、この仕事を続けるなら、その意識浸透、そして進化自体にも、「楽しみ」を見出せるかもしれない。そのためには、外交戦略の見直し、大統領のパフォーマンス・スタイルの修正、も必要になっていくだろう。トップが「帝国主義」に凝り固まっているのであれば、それは手段に過ぎず、本来目的は「平和」である、と再認識を促し、それについての理解を深めてもらうか、もしくは勝手にやらせてもらう、なんてことも必要になるだろう。結構、めんどくさいかもしれない。でも、なかなか面白いかもしれない。自分の33~35歳を賭けてみる、に値するかもしれない。他の場所だと、どんなことができるのかな。ちょっと妄想してみよう。以上
2006/07/08
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僕達は、この3年をかけて、EC(通販)事業者から、流通(通販)サービス&広告(販促)サービス&金融サービスの集合体へ、変化した。この先、いったい、何がしたいのか? 何をすべきなのか? ――――――――――成長ではなく、とりあえずの合流(足し算)であった。統合は未だ実施されておらず、実際には併走であるに過ぎない。さて、今後は、もう業界全体の成長という大波はこない。だから、経営力が問われる局面に入る。他社にはない、この「併走」状態こそ、この先、3年、僕達が、僕達である、という所以になるだろう。いったい、何をするか? ゴールは何か? ただ、集合・併走しているだけの状態から、グループ内で渾然一体にし、世界初の多商品・多サービス間における「DBマーケティング」メソッドを、その成果物として確立する、ということだ。そして、その後、そのメソッドを、僕達のクライアント(店舗・広告主)に開放する。そのとき、世の中が少し変われるはずだ。しかし、事業を進化させるには、「ヒト」が進化せねばならない。組織ならびに各個人を昇華する必要がある。自分をまず、変える。変えた自分が生み出した、新しいメソッドが、目の前に見えるだろう。――――――――――この局面に入る前段階、いわゆる序盤戦、布石は十分に打てた。必要な駒、精神状態を確保している、という意味で。どのような中盤になるのか、全く想像はつかない。しかし、序盤戦は、中盤を想像しつつ、布石を打つものではない。全ての状況に対応すべく、一手一手を大切に打っていくだけだ。ただ一つ、必要な駒と精神状態を確保できていない要素がある。それが「ヒト(組織)」だ。――――――――――て、考えてみたけど、そんなこと、僕の仕事じゃない気がする。でも・・・、本当に大切なことは「チームが勝つ」ことだ。チームが負けたのに、僕だけちゃんとやりました、なんて、正論のようで、間違ってる。僕は、もし、この仕事を続けるなら、上述した「組織」の問題を無視してはいけないんだろう。だって、気づいちゃったんだもん。僕がちゃんとやっても、そっちがこけたら、負けちゃうかもしれないし。僕の仕事を通じて、その問題の解決に、間接的に関与できるなら、かつ、僕達が望む方向に誘引できるなら、ぜひ、トライすべきではないだろうか。その報酬は、他人がとるのかもしれないが、それはイヤだな・・・。これは、また別問題なんだろう。――――――――――ざーっと考えてみたけど、僕達(企業・組織)は下記の変化を必要としているかもしれない。僕(個人)が変化を必要としているのと重なる部分が多く、すっごく興味深い。■組織&ワークスタイル ・全員に、唯一無比の目標を達成すべく、 全員が同じ指標を与えられ、同じ手法で、 同じスピードで追うことを求められる組織 ↓ ・膨大なデータを、各構成員が、自由にハンドリングでき、 自分のクライアントに最適な つまり、各自それぞれが異なる手法で、 同じ目標・指標を達成していく組織&ワークスタイル ■上記を実現するのに必要なカラダ・知識・器量(従業員個人)・DBマーケティングに関する深い知識、高い能力 (例:データを自由に操り、仮説を構築し、クライアントに説明し、推進させる高い能力) (例:数理・統計学知識、コンサルティング能力、プロマネ能力)・DBマーケティングに携わる者が持つべき、高いモラル&プライド (例:データを自由に操れてしまうため、自分を安売りしないプライド)・盲目的に仮説に従うのではなく、自分で仮説をつくってトライし、 自分で軌道修正し、自分で走り続けていくメンタリティ(経営・組織)・部下・従業員を信頼し、任せる組織デザイン (※信頼しなくても、任せること)・数々の仔細なトライアルがもたらす「失敗」「不発」の個別仔細には目をくれず、 全体俯瞰で物事を把握するポートフォリオ的なタッチ (例:そのような形で、組織に経営情報が巡る感じ)・指導するのではなく、自走させる、という基本的意識(組織DNA) (例:自分の目の届く/届かないにかかわらず、 無数の仮説立案と、無数の仮説検証が、実施されることになる。 成功の数より、一定レベル以上のトライアルの数を最大化することが、 経営の要諦となる)・「強すぎるトップリーダー『神様』」の直接統治スタイルから、 「中くらいのリーダー『兄貴』」的存在が、組織のミドルに適正配置される、 間接統治スタイルの確立 (例:リーダーが強すぎ、かつ全てを仔細に把握し、指示できてしまうため、 なんと、こんな規模になっているのに、 3年前と一切変わらないマネジメントスタイル、組織体系となっている。 (=トップからの直接指示待ちする組織) この人数・規模になり、かつそれを個別自走させるには、 もはや、強すぎるリーダーから、組織を分離する必要がある。 よって、個別トライ&エラーの実施について集合報告させることで、 トップ層にはポートフォリオ的俯瞰が可能となる。 つまり、個別トライについて、適当にごまかせる、 組織上層への報告のバッファーとなれる、腹の据わった『兄貴』分的な存在)■そのために、僕達がすべきこと・経営に対して、既存事業の既存オペレーションの適正回転による利益向上ではなく、 新規事業、ビジネスモデルの劇的変換といった大型トライアルこそ、 自分にしかできない仕事、と自覚させ、走り出させる (例:経営に対して、仔細を見てる場合じゃないな、と思うくらい、 新しい世界への興味をそそるような、ビッグピクチャーを早く作り上げる)・その一方で「任せる」に値する存在(キーパーソン)を見出し、打ち出すこと (例:いわゆる、COOのような人)以上
2006/07/08
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2003年6月16日(29歳なり立てホヤホヤ)に、今の会社に入社した。2006年6月末、入社して、まる3年が経った。入社のとき、僕を雇った大師匠と約束をした。「 3年は盲目的にがんばれ。どんなことがあっても文句を言わない。 どんなワガママ・理不尽があっても、文句を言わない。 起こったこと、全てを、ただ、事実として、 粛々と受け止め、処理し、吸収する。 優秀で、強烈過ぎるリーダーが率いる企業(組織)の光と影、 両面を見ることになるだろうが、 それらは全て32歳当時の自分に活用できることになるだろう。 但し、その吸収効果が最大化される条件は、 常に全ての局面で、自分の最大限のアウトプットを出すことである。 そうすれば、この3年間の成長角度と、その後の成長角度を、 他のどの選択肢より最大化できるだろう。 よって、ある理不尽に基づき、 自分のパフォーマンス・アウトプットを制限する可能性があるなら、 さっさと、自分より上位で、かつ優れた人間に仕えるのをやめ、 自分と同程度の人間と対等に付き合うことだ。 つまり、この会社に入らず、これまでに培ったものを武器にして、 さっさと小さな会社に移り、 自分と同年齢・同程度の若い経営者と汗を流すがいい。 」――――――――――というわけで、3年間、何も言わず、黙々とがんばった。あんまり遊びにも行かず、仕事のことしか考えなかった。いやー、もう、疲れた!!!! でも、いろいろ楽しかったなあ!! ちょっと、3年間をゆっくり振り返ってみよう。この3年で、体力も、知識も、規模も、環境も、いろいろ変わった。自分自身も、この会社も、だ。太ったし、おでこも広くなったし、友達も減ったし、傲慢になったし、笑顔が減ったし。関西弁じゃなくなったし。でも、欲しかったものを手に入れた。まあ、僕はいろいろなものを手に入れたし、失った。その変わり加減を過去分析してみよう。取り巻く環境を再分析してみよう。というわけで、しばらく、舵を180度切って、自分を遊ばせよう。いろんな人と話して、それを通じて、自分に何かを見せよう、思いつかせよう。いや、180度だと戻っちゃうから、90度。横走りみたいな。一歩も進まず、行く先と、来た道を、自分にぐーっと見つめさせよう。立ち止まることが恐くて、すぐ動いちゃうかもしれない。でも、何かが見えてくるまで、ぐーっと、じーっと、自分に見つめさせてみよう。仕事も、したくなるまで、一切、させないでおこう。答えを出そうとせず、勝手に出てくるまで、ぐーっと。以上
2006/07/08
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4択の問題です。―――――――――――――――(問題1)あなたは、敏腕なお医者さんです。患者はわんさか来ます。むかつく患者がきました。でも、タンマリと謝礼をしてくれます。さて、どうしますか? (1)いやなので、本日休診にする(2)とりあえず仕事なので、診察したフリだけしとく(3)全ての病気を治すなど幻想。粛々とやるだけ(4)絶対に相手の病気を治すべく、考えられうる全ての手を打つ⇒ 正解は(4)です。 それ以外、そんな医者、生きてる意味がない。―――――――――――――――(問題2)あなたは、人気のファンドマネジャーです。未組入の残高がわんさかあります。むかつく出資者がきました。でも、タンマリと追加出資をしてくれます。さて、どうしますか? (1)いやなので、出資を返上する(2)とりあえず仕事なので、運用したフリだけしとく(3)全ての運用で勝つなど幻想。粛々とやるだけ(4)絶対にインデックスを上回るべく、考えられうる全ての手を打つ⇒ 正解は(4)です。 それ以外、そんなファンドマネジャー、生きてる意味がない。―――――――――――――――(問題3)あなたは、敏腕な社長室の担当者です。案件はジャンジャン持ち込まれます。むかつくクライアント(事業責任者)がきました。でも、高いROIを実現します。さて、どうしますか? (1)いやなので、相手にしない(受けない)(2)とりあえず仕事なので、取り組んだフリだけしとく(3)全ての案件をクローズするなど幻想。粛々とやるだけ(4)絶対に案件をクローズすべく、考えられうる全ての手を打つ⇒ 正解は(4)です。 それ以外、そんな社長室、生きてる意味がない。―――――――――――――――いずれにしても、どんなにむかついても、どんな職業であれ、自らをプロと思うのなら、絶対にやる、しか、選択肢はない。それの積み重ねで、誇りが生まれるんだろう。きっと。―――――――――――――――クライアントがむかつく、みたいなことを理由に、モチベーション下げたのは、我ながらちょっと情けない。僕は、何かを考え違いしている、のかもしれないな。少しばかり経験を積んで、驕り高ぶり、傲慢になっちゃったかな? そんなつもりないんだけど。根っこは同じかも。ただ、自分で全権委任されている、と思っていたのだ。自分で組み立て、自分で判断。自分で組織としての意思決定を引き出す。僕は、そんな仕事をやる体になった、と勝手に思い込んでいた。でも、実は、違った。言われたことだけ、やればいい。と。そんな仕事なら、僕じゃなくていいじゃない、と勝手に判断していた。また、勝手に、そうしたい、そうすべきだ、と勝手に願望を持っていた。今回の報酬を、「自分で進めていいという権限。それを通じた再現経験」だと、勝手に喜び勇んでいた。クライアントではなく、自分の勝手な願望に従って、行動していたわけだ。よって、自分が考えていたことと異なったため、むかついた、と。途中、クライアントと意見がずれていたのは、このせいだったのだ。クライアントは、一切、悪くない。僕を、どのように使おうが、どの位置づけにしようが、クライアントの自由。「やれる」から、「やらせる」必要は、一切、ないのだ。クライアントは、自分の希望する内容を「やらせる」のみ。こちらが「やれる」ということは、ただ伝えるのみ。一切、そんなこと、全く関係ない。サービス側は、クライアントを、依頼内容を、選ぶことはできない。クライアントのみ、が選ぶ。サービス側が選ぶ基準は、唯一、「報酬を積んでくれるか」だけなのだ。 ※ゴルゴ13は「自己満足」を報酬として選んでいるのだ。 ※現在、管理会計にその代金(報酬)の多寡の概念 が反映されてないから、悩ましいわけだが。 まあ、それはまた別の話。 ていうか、反映されたら、余計に不健全だ。―――――――――――――――ただ、もし、報酬を「経験させてくれること」に置いている場合は、どうなっちゃうんだろう? ゴルゴ13みたいに。いや、それでも、その場合でも、同じだ。だって、クライアントにはそんなこと、一切、関係ないもの。だったら、ゴルゴ23に頼むだけだから。そして、仮に勘違いはあれど、僕は、もう引き受けてしまった。もし、自分がクライアントなら、そう怒鳴り散らすだろう。おまえの思い・願望なんて、どうでもいいから、とにかく、俺のディール以外のことを考えるな、100%集中しろ、と。だから、それでも、どうしても、本気で、心の底からイヤになったら、「選ぶ」のではなく、「手を抜く」のではなく、「廃業する」という選択肢しか、ないのだろう。廃業するのがイヤなら、やれ。みたいな。でも、廃業するかは、やり切ってから考えろ、みたいな。以上
2006/06/06
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今日は、おばあちゃんと、お母さんのお墓に行った。おばあちゃんの思い出。どんどん、どんどん、ハンバーグとオレンジジュースが出てくる。本当に嬉しそうに、どんどん運んでくる。僕は、断ることなく、全てを食べ、元気にオカワリをした。僕がオカワリすると、飛び上がって喜ぶから。もうイラン、と言えなかった。お母さんと、おばあちゃんが、よくケンカしてた。「この子は、お腹が弱いんですから! 多すぎる!」僕が食べると、おばあちゃんは喜ぶけど、お母さんは怒る。僕は、どうしたらいいか迷ったけど、おばあちゃんは、あまり会えない。お母さんは、明日、また会えるやんか。と整理をつけていた。妹は、もういらーん、とすぐにどっか行ってた。お母さんに、「お兄ちゃんは食べすぎやと思う」と言いつけていた。妹は、気楽でいいなあ、と本気で思ってた。しかし、まあ、それでバランスとれるなら、いいかー、と思ってた。――――――――――『 他人 』 とは、何か? 自分と異なる存在。自分と異なる意見。自分と異なる「目的」。自分と異なる「手段」。これを受け入れることが、あるときから僕はできなくなった。『他人』を許し、共生することを、僕はしなくなった。小学校のときから、だと思う。あのときのことは、すごくよく覚えてる。今でも、夢に見てしまう。――――――――――1983年(9歳)の9月。サッカーをやめた。お医者さんに行かなくても、よくなったのに。やめたのは自分の意志ではなかった。お母さんが泣くからだった。心配をかけるのは、よくないと思った。やめると、お母さんが喜んだ。 ※いや、お母さんのせいにして、逃げただけかも。でも、みんなに理由が説明できなかった。自分でも、矛盾してる、と思ってたから。僕はやりたいんだけど、やらない。どういうこと・・・??? 帰り道の幅が、日に日に狭まっていった。ランドセルが壁に擦れて、ガリガリ言ってた。ドブの匂いが、鼻をついた。足に、雑草が触れて、カサカサしてた。壁と壁の間から、青空が見えていた。自分は、なんで、こんなとこにいるんだろうか。ここにいるのは、自分ではない。でも、自分だ。自分で決めたから、この結果になってる。でも、自分で決めたわけじゃない。でも、この結果になってるのは、自分だ。自分、とは、一体、なんなのか??? よくわからなくなった。――――――――――自分として、物事の結果を100%受け入れるには、100%自分の納得感を持ちたい、100%自分で責任を持ちたい、100%自分でクオリティ・コントロールしたい、100%自分で判断したい、と考えるようになった。『他人』という要素を、一切、入れたくなくなった。自分のことなのに、『他人』のせいにしたくなかった。「自分のこと」と認識してる物事について、『他人』を信じて、出た結果を、そのまま受け入れる、それができなくなった。――――――――――なんで、そうなっちゃったのかな・・・? 「自分はできる」と証明したかった。誰に? 自分に。いや、お母さんにかなあ? もういないけど。いや、やっぱ自分に、だ。自分を証明したかった。「自分は、一人で、できる」ということ。「自分は、自分のものである」という大前提。「自分を、信じていい」ということ。自分への信頼、自分への尊敬。『他人』の要素が1ミリでも入ると、それがプラスに転んでも、マイナスに転んでも、成功しても、失敗しても、それらの証明にならない、と思い込んでた。そして、それは、22年かかったけど、証明できたかもしれない。だから、今の場所に来た。証明材料がたくさん欲しくて。欲しくて。――――――――――もう、一人でやることに、こだわる必要はなくなった。第一に、なぜなら、自分が、そう言ってるから。もう、わかったよ、と言ってるから。自分を信じます、と言ってるから。22年かかったけど。第二に、一人でやることにこだわると、これ以上、大きな、楽しいことができないから。恐くても、『他人』という不確定要素を加えないと、もうできないから。そんな風に思えている、2006年5月末。――――――――――でも、恐い。『他人』のせいにしたくない。後悔したくない。でも、やらないといけない。ていうか、やりたい。『他人』と仕事がしたい。『他人』と何か実現したい。でも、クオリティ・コントロールもしたい。こだわりたい。『他人』と、自分のこだわりは、共有できるか? 100%は無理だろう。だって、『自分』じゃないんだから。――――――――――過去に対する証明を済ませた今、現在だけを見る考え方と、将来も見据えた考え方を比較した方がいい。複数人で関与すれば、その複数人が経験を積む、ことになる。一人でやったら、一人だ。100%を得るには、次も、一人でやるしかない。未来は、生まれない。しかし、未来を取るために、現在のクオリティを下げていいのか? 矛盾しているのか? 両立できるのか? 現在のクオリティを下げず、未来への布石も打てるのか? ――――――――――実際に「やる」ために必要な心構えは、3つ考えられる。(A)自分が完全に信用する『他人』しか、交えない。(=『自分』クオリティにこだわる/放棄しない)(B)もし『他人』を交えて、物事に対峙し、仮にミスが生じても、その結果を、粛々と受け入れる。(=『自分』クオリティにこだわらない/放棄する)(C)もし『他人』を交えて、物事に対峙し、仮にミスが生じても、『自分』でリカバーする覚悟を持つ/リカバーする体制を敷く(=『自分』クオリティにこだわる/放棄しない。 但し、新体制に即した『自分』の存在が前提)ーーーーーーーーーーー(A)は「やらない」と同義。やはり『他人』を受け入れない考え方に過ぎない。変化してない。発展してない。即ち、滅びる。それに、信用するといいながら、自分で『他人』をコントロールする前提に立っている気がする。『他人』はコントロールすることはできない。『自分』ではないのだから。(B)は本末転倒では? いや、しかし・・・、100%ではなくても、80%ならOKとする、その考え方・価値観。以前は、一切受け付けなかったが、今なら検討に値するかもしれない。「物事の完成度と、そのための必要エネルギーの比例関係」「完成度と、満足の比例関係」が満たされるなら、であるが。また、経験の蓄積は、きちんと活かせば、今日の70%を、明日の71%に引き上げる材料となる。その階段を一つずつ登るということだ。そうだ、自分だって、最初から100%じゃなかったやんか。この選択肢は、自分の「覚悟」と「割り切り」次第なんだ、と言える。許すことが、できるか、という覚悟。『自分』と『他人』を。(C)は、『他人』を少しだけ信用する、ということか・・・。いや、信用してないけど、頼ってる。少しだけ頼ってる、という感じだ。『自分』と『他人』の境界線がわかりにくい。結局、全部、『自分』のことと思っている、ということでは? 発展してないのでは・・・? もう少し、考えてみよう。以上
2006/06/04
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『 他人を信じ、許す心。 特に、テーブルのこちら側。 』なぜ、これが必要なのか、今日、心の底から気づいたかも。この心がなければ、もう、これ以上の幸せは望めないからだ。自分のために、他人という存在が必要なのだ。自分レベルで100%のクオリティ・コントロールができなくて、心配でも、後悔しても、むかついても、腹立っても、必要なんだ。今までは、気づいたフリをしていた。だから、できなかった。やろうともしなかった。みんな、何歳で気づいたんだろう・・・。以上
2006/06/01
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(A)ていうか、「すばらしい会社」とは、一体、どんなんだろうか? (B)その「すばらしい会社」にするのは、一体、誰なんだろうか? 上記のうち(B)については、「それは社長だ」と、先日、なんとなく、サクッと答えを出してしまったが・・・、恐らく正解だろう。でも、(A)の、「すばらしい」というモノサシは、みんなバラバラなんじゃないかな? ・・・ていうか、誰にとって「すばらしい」のだろうか? 正確に言葉を用いると、「社長が、みんなにとって、すばらしい会社をつくる」 (※みんな、とは、従業員・株主・経営陣にとって、すばらしい、という意)ということになる。――――――――――いやいや、ちょっと、慎重に、真剣に、考えてみよう。「会社」は、「国家」じゃない。全ての人間を幸せにする、ということまでは、求められていないはずだ。だって、そんなことを言ったら、全員採用しないといけないじゃん。「みんな」という言葉、を、さらに分解できるはずだ。・・・「みんな」とは、誰だ? ――――――――――いつも、物事は、最初の「立てつけ」を間違わなければ、必ず、うまくいく。「目的」を、一個だけ抽出する。あとそれ以外は、全て「目的」を達成するための「手段」だ。目的が明確であれば、明確なほど、達成しやすい。だって、手段を変えるだけだもの。達成しやすい手段をとればいいだけだもの。 『 誰を、いつまでに、どれくらい、満足させれば、 その人は、「すばらしい」と喜んでくれるのか? 』「目的」を浮き彫りにし、明確化するために、まず、第一歩として、「誰」を喜ばせればいいのか、それだけを考えてみよう。「満足」のモノサシは、人それぞれだが、「誰」を明確化できれば、少しはカバーできるはずだ。以上
2006/05/28
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この春から社長室勤務になって、もうすぐ2ヶ月経つ。社会人10年目の最後の年に、この部署。社長室は、経営企画室と、どう違うんだろう? どうして、僕は「社長室」になったんだろう? どうして、経営企画室は、社長室に吸収されちゃったんだろう? ―――――――――――なんのために、うちの会社に入ったんだっけなー? 「すばらしい会社づくり、に参加したい」ということだったように思う。「あの人と、働きたい」というのが第一義だったけど、より正確には、「あの人と、素晴らしい事業・会社づくりをやりたい」ということだったように思う。さらに言うと、「そのプロセスを経て、もう一度、それを再現できるようになり、 次、自分が見込んだ人と組んで、再現する」ために、ここに来たのだ。―――――――――――前職で、何があったときに嬉しかったか、というと、 ・相手に、参加・貢献できてる、と感じたとき。 ・特に、自分の力を100%出して、参加・貢献できた、と感じたとき。だった。何もしなくて、いい結果になった、というのは、あまり嬉しくなかった。ということは、僕は、結果でなく、プロセス重視な人、なんだろうか。両方だと思う。自身の担当顧客に対しても、自身が勤める投資会社、所属チームに対しても、「すばらしい会社」、「すばらしいチーム」、「最高のパフォーマンス」になれるように取り組むこと、それ自体が好きなんだと思う。なんか、こう、僕もフル・コミットするけど、隣の奴も同じことにフル・コミットする。そして、物事が少しずついい方向に動き出し、そしてうまく行く。そして、みんなで喜ぶ。そんな感じのことがやりたい。今まで、満足できたのって、1回くらいしかない。一人でやっちゃったのはたくさんあって、その結果に満足してるけど、プロセスに満足してない。それ以上に大きな仕事はできないからだ。何人かで結束してやると、交代したりできるから、長時間のプロジェクトにも耐えられる。同時並行で複数のアクションプランを進められる。だから、大きなことができる。何か大きなことを成し遂げたり、変えたりするには、価値観が統一された複数人の仲間で取り組む必要があるのだ。一人では、できない。―――――――――――社長室も、経営企画室も、「すばらしい会社」をつくるための部署。ということは一致していると思う。なぜなら、社長直轄部署、というのは変わらないからだ。彼は「すばらしい会社を、つくりたい」と言った。僕達は、それを実現する。「目的」は変わらない。ならば、その関与度・関与方法など、「手段」が変わる、ということか? ―――――――――――「すばらしい会社」とはなんだろう? 目的(対象)を細分化し、さらに個々の達成へのアクションに分解すると、(1)すばらしい事業 ⇒ 強い事業・サービスをつくる(2)すばらしい経営者・労働者 ⇒ 優秀な奴を、仲間に引き入れる(3)すばらしい組織制度・報酬体系 ⇒ その優秀な奴が納得して、フルコミットできる 切磋琢磨し、フルコミットしたくなる・せざるを得ない そんなルール・仕組みをつくる ⇒ 集めた人材が、どんどん勝手に動いていくの3つじゃないかと思う。―――――――――――昨年まで、経営企画室は(1)だけをとにかくやる、という感じだった。(目的)「個別事業レベルで、強い事業・サービス をつくる / に変える」(手段)自前立上げ・強化でも、外部との提携・投資・買収でも、手段は不問。ROI基準だけに従う。ただ、その行動原理・背景には、「強い事業・サービスづくり を 徹底すれば、 素晴らしい会社に(自動的に)なる」ということを、信じてやっていた気がする。―――――――――――どうして、僕は「社長室」になったんだろう? どうして、経営企画室は、社長室に吸収されちゃったんだろう? 今までは、経営企画室として、「個々の事業の最適化・最速化の追求、 その個々のプロセスの集合体が、素晴らしいグループ・組織をつくり上げる」そう信じて、ある意味、盲目的に個々の事象に取り組んできたけど、その結果、すごく大きくなってしまった。バラバラとは言わないが、ただのコングロマリットにしたくてやったわけじゃない。これを統一・横断的なサービスになれば、すごい便利でいいな、と思ったからで、また、それはできる、と思っていたからだ。統一・横断的なサービスにする、のがゴールではなくて、そうした上で、さらにスピードが加速しなくてはならない。矛盾してる。けど、でも、そうしたい。じゃなければ、バラバラの方がいいじゃん、となってしまう。そのためには、それ相応のマネジメントが必要だろう。「全体のバランス」に基づいたコンダクターというか、ディレクションが必要なのかもしれない。事業が違えど、帰宅時間が違えど、ビルが違えど、一体感を持つための何か。必要かもしれない、というか、いや、絶対必要だろ、そう思う。誰かがやらないと、いけないと思う。それをやるのは、社長だ。それは社長しかできない。そうすると、そんな社長を、手伝うのが「社長室」。ということかな? ―――――――――――そのための組織が必要だし、それを動かすための制度・ルールが必要かもしれない。今は、ないから、つくらないといけないのかもしれない。でも、個々の事象が、全体の方向性に ”規定される” ということではなく、もっと、こう、より、相互に、よい影響を与え合う何か。隣を見合って、スピードが落ちるのではなく、助け合うとかじゃなくて、自分の船は最高速度をドンドン上げる。そしたら、全体の速度も上がる。そう、そんな立てつけ。そんなキレイ事だけじゃなく、妬みや敵対が仮に生まれたとしても、その負のエネルギーさえも、成長につながってしまう、そんな立てつけ。そういうのって、組織制度や報酬体系だけでは生み出せないだろう。魂となる「価値観」かな。潜在意識レベルでの行動倫理というか。めっちゃ強いスポーツチームが、強くなる過程に似てるかもしれない。そこに、そこそこの素質を持った奴が入部すると、どんどん染まって、素質が開花するだけでなく、さらにそいつのせいで周りの奴もレベルが上がっちゃって。―――――――――――もう何千人もの組織となってしまう。その規模の組織は、もはや一人のリーダーが発破をかけて、ギアチェンジをして速度を上げたり、高速な巡航速度を保つ、といったことが、どんどん難しくなっていく。リーダーという1つのプロペラに頼らず、組織自身に、プロペラが何個もついてて、そのプロペラはある共通の価値観に基づいて、自分で勝手に動いている。さらに、その何年後には、世界中で通用する、そういう何か。今年は、それをつくる、最初の年にしないと、いけないのかもしれない。もし、そう出来ないなら、しばらく調整期間を要してしまうかもしれない。目指す全体巡航速度に対して、現在、事業・組織・制度全てにギャップを抱えてるからだ。一つであること、は目的ではない。目的は、強くあること。強さを増すこと。勝手に増していく仕組みをつくること、だ。その手段は、自由であってよい。完全にバラバラに、個々が勝手に形をつくって、自身だけの最適化を追求できる立て付けにしてしまうか? そうじゃなくて、共通の新しい何かを生み出し、定着させ、規模が大きく、かつ、たくさんの事業から構成されるにもかかわらず、まるで一つの生命体であるか、のような、新しいカタチを目指していくか? うーーん、新しい社会実験みたいだーーーもしかしたら、社長室って、すっごい楽しいのかもしれない。以上
2006/05/25
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またまた、懐かしいメモが見つかった。――――――――『 どうせ つき合うなら 自分を高めてくれる 社長とつき合いたい。 』――――――――僕が、新人のとき以来、ずっとデスクのカベに貼っていたメモ書きだ。もう、焼けて黄色くなっている。座席移動の度に、画鋲で刺しなおたので、細かい穴だらけのメモ用紙。新しい会社に転職して、その会社はカベのないデスクなので、あと、社長は一人しかいないから、変に誤解されてもイヤだったので、自宅のメモ帳フォルダに保存して、そのまま忘れていた。でも、このメモを見るだけで、自分の仕事観・価値観を、一瞬で、明確に取り戻すことができる。この言葉をくれた、僕のインストラクター(Yさん)、前の会社。全部、思い出すことができる。毎日、毎日、見つめていたメモだからだ。――――――――僕が入社したてのとき。1997年(22歳)のとき。僕のインストラクター(Yさん)は、僕のことが嫌いなのかな? というくらい、ほとんど喋らず、ムスっとしていて、机が汚いと「そんなに汚くしてると、全部すてるぞ」と言い、本当に捨てるような、そんな人だった。そのときの課長(マネジャー)も、「日本語のわからない新人とはしゃべらない」「異星人とはしゃべらない」というような感じで、僕、イヂメられてる??? みたいな、感じだった。変な課に配属されてしまった・・・。と思った。――――――――同じ投資三部という部署に配属された同期は、Kさんというインストラクターについた。Kさんは、ITなど最先端・花形の業種を鋭意追い続けていて、将来はシリコンバレー支社でやりたいんだ、という、IT系企業が出てくるビジネスプラン発表会とか大好きで、ネクタイもすっごいカッコイイ系の、とりあえず表参道で飲みにいこう。みたいな、そんな人だった。一方、僕のインストラクター(Yさん)は、俺は、信用できる社長が好きだ。チャラチャラした奴は嫌いだ。インターネット? あほか! ビジネスプラン発表会? 誰がいくか! 俺は自分自身の足で、汗かいて、飛び込みして、俺だけが見つけた社長を信じる!! という感じで、ネクタイはヨレヨレで、新橋が大好き!! というような人だった。誰が見ても、正反対だった。本人たちも、Yさんは、Kさんを、つまり同期で、僕の同期のインストラクターを受け容れなかった。「嫌いや」と平気で聞こえるように言っていた。僕は、最初、僕のネクタイも、Kさんみたいにピカピカだから、僕も嫌われてるのかな? と思うくらい、なんでそんなキツイねん~とへっこんでいた。まあ、一緒に営業に随行して、(連れて行ってくれたのに)、大切なお客さん(経営者)の前で居眠りしたり、鼻水たらしちゃったり、鼻をズーズーいわせたり、(花粉症だから・・・)Yさんを激怒させていたのもあるが。どうして、神様は、この人を、僕のインストラクターにしたのか。。。でも、僕は、なんとなく嫌いになれず、ついていっていた。机の荷物を捨てられた時は、さすがに刺してやろうかと思ったけど、それでも、ついていっていた。仕事自体は、とても面白かったから、あまり気にならなかった。この仕事がしたくて入社したから、人間関係はあまり気にならなかった。というの大きかったと思う。とにかく、大きい金が動き、すっごい儲かるチャンスがある、という仕事内容に目がくらんでいた、と思う。――――――――Yさんは一言でいうと、ごっつ、変な人だった。「Yが、インストラクターか~。あいつ、ひねくれてるからなあ。。。 上司の言うことも聞かないし。一匹狼だし。 おまえ、苦労するけど、頑張れよ~」「インストラクターで、新人の一生は決まるからねえ。 あんま、Yさんの真似したらだめだよ」と、別の先輩によく言われた。だからというわけじゃないが、僕は、あまり、Yさんの言うことを、メモったりしていなかった。――――――――Yさんが、『ひねくれてる』、その理由を聞いた。彼自身からは教えてくれなかったので、周囲に聞いた。彼は、新人のときに大きな投資をした。出会い頭の紹介案件が、たまたまエラく大きな案件にぶつかり、何もわからないまま、相手(経営者)の素性もわからないまま、トントン拍子で案件はクロージング。彼は、「不世出の天才」「生まれついての投資部員!」と周囲に絶賛された。本人も、天狗になってしまった。でも、実はその話、ほとんどサギに近く、半年も経たないうちに、相手(経営者)に裏切られるわ、(≒資金回収危機)そのリカバリーのときに上司・仲間に「お前一人のミスだ」と突き放されるわ、たった一人で回収するために、なんと3年も費やした。その間、全く新規投資ができず、評価は下げられ・・・。やっと、そのトンネルを抜けて、新しい挑戦を再開し出した所。今度は、自分の信じた相手だけに。じっくり取り組みたい。自分自身で吟味して、吟味して、取り組みたい。そんな1997年(28歳)という状況だったらしい。そういわれれば、Yさんのセリフは、そういうのが多かった。――――――――僕は、あんま、まともに口を利いてくれなかったけど、当時の課長に、いろいろと教えて欲しかった。なぜなら、ミスター○○というくらい、当時のスーパースターだったからだ。最高レベルの案件が舞い込む人脈を持っていた。彼の周りにいる経営者は、皆、彼を頼ってくるのだ。その理由を、誰もわからなかった。 ※1997年当時、ベンチャー・中小企業向けバンカーとして、 日本最高クラスのディールメーカーだったと思う。だから、その彼に、直接、指導請いたい、みたいに頼んだら、「おまえのインストラクターは、当該世代で最高の経験・実績を持っている。 すごく苦労をしているし、外交の苦労を知っている。 俺のやり方(※)と似てる。 大切なことを一番わかってる、数少ない投資部員だ。 Yの言うことを黙って聞いて、実行すればいい。 それは、俺が言うことと、ほとんど同じことだ」といわれた。Yさんに対して、周囲の評価とは正反対のことを言った。 ※経営者の信用を獲得・維持することが、 長期的な金銭的パフォーマンスを最大化する、 (=回収作業の労を減らし、最もオイシイ前向き追加 投資ラウンドでシェアを最大化できる、という考え方) ※良質の経営者の信用を獲得すると、 類は友を呼び、さらに良質の経営者が紹介される。 そのポジティブ・サークルを崩さないやり方。――――――――Yさんは、だまされた、その案件から逃げなかった。また、だまされるかもしれない、この仕事からも逃げなかった。助けてくれなかった、組織からも逃げなかった。そんなにスネてるなら、辞めたらいいのに・・・僕はマジでそう思っていた。だけど、一匹狼的に黙々と仕事をしている。いったい、なぜなんだろう? ――――――――一日の終わりには、その日、訪問した企業について、インストラクターに報告する。簡単に言うと、「この会社、投資すべきか。僕はこう思います。なぜなら・・・」という話をする。普通の投資部員は課長に報告するが、新人はインストラクターに報告するのだ。この会社の競争力がどうだ・・・、とか、製品は完成する・・・。キャッシュフローが・・・どうのこうの。米国ではインターネットが流行っている・・・。隣のシマでは、そんなことを、僕の同期とKさんがワーワー言っていた。僕の同期は、目を白黒させながら、一生懸命メモっていた。僕とYさんは、一瞬、その光景を見て、そしたら、Yさんが、ボソっと言った。「 どうせ つき合うなら 自分を高めてくれる 社長とつき合いたい よなあ・・・ 」僕は、その瞬間に、頭の中がグォーってなって、何かがバチバチってなった。なんでもいいから、早く、このことをメモりたい。そう思って、とりあえず、近くにあったメモ帳に走り書きしたのだ。――――――――仕事観、仕事人生観、物事のパフォーマンスへの考え方、何のために、何をもってパフォーマンスとするか。何をもって、生きててよかった、とするか。出た成果・業績は「フロー」に過ぎず、自分という「ストック」が出すもの。だから、フローそのものを追うより、ストック形成こそ追うべき。当時はわからなかったけど、今となっては自分の揺るぎない価値観・人生観である、そんな考え方のスタートが、あのとき始まった気がする。「儲かる仕事・職業」ということより、「自分を高められる、そんな相手に多く会える仕事・職業」である。そのことが幸せである、ということ。今日負けても、明日必ず来る。へっこんでも取り返せる。だからこそ、取り返せるような自分をつくっていく=ストックを形成していくこと。周囲の評価はさして重要ではなく、自分自身の、自分への評価こそが重要である、ということ。だから、誰かと比較する観点を持つ必要がない、ということ。もし比較するとすれば、昨日の自分だけ、ということ。(自分のストックは自分にしか測れない)そんなことを、個人という考えを、個人と会社・仕事の関係性を、Yさんは苦心惨憺の3年間で体得したのだ。それ以外は、実はそんなに重要じゃない、ということを知ったのだ。――――――――その後、Yさんは、僕に対して、ほぼ全ての報告に対して、業種や規模、そんなことを一切関係なく、「自分を高めてくれる、そんな社長(経営者)か?」「損得関係ナシに、付き合っても損はない、そんな社長か?」「ちょっと不振になっても、必死で支える価値があると信じられる、 そんな社長か?」と質問してくれた。新人のとき、叩き込まれたのは、本当にこの考え方・価値観だけだ。それ以外は、ほとんど教えてもらっていない。隣のシマでは、僕の同期のノートは天井に届きそうになっていた。――――――――Yさん、本当にありがとうございました。今も忘れてません。実践してます。明日も忘れません。実践します。一生、忘れません。今は、自分を高めてくれる社長を探すというより、自分を高めてくれる仕事そのもの、それに対峙する仲間や、そういう経営者になろうとする気概を持った、そんなタマゴの人と、つき合えることに喜びを感じてます。自分のストックは形成できているだろうか。僕は、自分では少しずつ、できてきていると思っています。他人がどう言うにせよ、僕はそう思っています。今でも、Yさんにお会いするときは、やっぱり緊張してしまいます。今でも、電話口でハイッ! と、僕は気をつけしてしまいます。また、報告できると嬉しいです。以上
2006/03/23
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前職の大恩人の言葉通り、「社会人10年」を一区切りとしているわけで、2007年 初春(3月末)に、自分をどんな状態に仕上げられているか。どんな「ストック」を有しており、どんな「フロー」が出せる状態か。を念頭に置いて、ビジネスマン人生を過ごしているわけである。2006年2月末現在、あと13ヶ月だ。――――――――自分の評価は、どういう状況なのだろうか? それは、人が決めること(他人のモノサシ)だ。よって、外部のモノサシも持っていないと、正直、判断がつかない。自分のジョブが、労働市場ではどう評価されているのか調べてみる。・経営企画(責任者) 1,000~2,000万円 大手不動産ファンド・事業開発・投資・買収交渉 400~1,800万円 大手アパレル(Yクロ)・グループ戦略構築 800~1,800万円 大手アパレル(Yクロ)・グループ会社経営支援 800~1,800万円 大手アパレル(Yクロ)・国内事業投資・買収交渉 800~1,800万円 大手アパレル(Yクロ)・海外事業投資・買収交渉 800~1,800万円 大手アパレル(Yクロ)・新会社社長 1,000~1,500万円 モバイル業界・IPO業務(責任者) 800~1,500万円 ソフトウェア業界・事業投資 800~1,400万円 大手商社(S商事)・IPOコンサルタント 1,000~1,400万円 コンサル(顧客常駐)・事業立上げ(交渉担当) 800~1,300万円 CATV(J社)・事業開発(立上げ) 800~1,300万円 CATV(J社)・経営戦略立案 1,000万円 アニメ業界 ・子会社社長 1,000万円 人材派遣業界・新規事業企画(責任者) 800~ 900万円 通販業界 (備考:最高値順でソート)――――――――上記事実より導かれる仮説。(事実1A)同じジョブでも、大手企業の方が、評価が割高。(大手というか、本業が儲かっている会社)(事実1B)新規事業の子会社社長と、大手企業のスタッフ責任者職は、最低ライン1,000万円超で同じ評価だが、最高ラインは後者の方が高い。 ↓(仮説1)同じジョブ・条件なら、労働者としては、既に大手だったり、既に儲かっている企業に「潜り込む」方が、割得。(事実2)さらにいうと、同じ大手/高収益でも、成長性が鈍化している企業の方が「焦っている」ため、評価が割高。(※一度に多数の募集広告が出ているのでわかる) ↓(仮説2)同じジョブ・条件なら、労働者としては、大手だったり、既に儲かっている企業の方が、割得。(事実3)同じジョブでも、それを「本業」としている企業の方が、評価が割高。但し、売上が立たなければ、その部署は潰されるので、雇用リスクがあるといえる。 ↓(仮説3)同じジョブ・条件なら、労働者としては「本業」じゃない企業の方が、割得。――――――――完全に「おカネ」だけで割り切ってしまうと、上記のような結果となった。やっぱり、親が「大きい会社に入りなさい」というのは、概ね正解だろう。例えば、ベンチャー子会社社長より、大手の経営企画室長の方が給料が高いのだ。しかし、それは「現在評価」しか見てない。現在のフローしか見てない。「ストック」が貯まるか。を見ないといけない。ある程度、年齢を重ねたら、収穫の時期だから、「現在フロー」だけで判断したらいいと思う。きっと、その「収穫」のために、若いときに汗をかいたわけだから。しかし、若いうちに大手企業でスタッフを続けるのであれば、その先はどうしたいのか明確に念頭に置いて、関わるプロジェクトを「選択」したりする等、自分の「ストック(キャリアともいう)」形成を、能動的にやらないといけない。と思う。そう思って、今の会社に来ているわけだが。その意識なく、ただ給料が高いからといって、若いのに、Yクロのジョブに飛びついたとする。そうしたら、Yクロの成長志向期が終わったとき、その人は要らなくなる。仮に、35歳で飛びついて、38歳で放り出されたとしたら、その人は、次にどうするのだろうか。恐らく、「責任者」職しかあり得ないから、限定される。結果的に、希望ではない会社、経営者の下で、そういうジョブに従事する、という未来が待っているかもしれない。でも、まあ、そんなに深く考えなくても、拾う神アリなんだろうけど・・・。――――――――これから生きていくにあたって、僕は、こう考えるべきだ。どこで働くか、誰と働くか、の「フロー」が重要ではなくて、いくつになっても、労働者として、自分の従事する環境(場所)や、仕える相手(経営者)を選べる状態でいたい、つまり、そのような「ストック」をつくっていたい。 ※フローなんて、後で、どうにでもなるんだ。 重要なのは、ストック形成。――――――――仮に32歳であれば、どう考えればいいのかな? まだ「ストック」を続けるべき年齢なのだろうか。どんな「ストック」を積むべきなのだろうか。結構、体力的に限界・・・。もう徹夜とか休日出勤は辛い。無理。――――――――多分、雇用側も、体力勝負に期待しているのではなく、なんでもいいから「結果」を期待していると思う。――――――――そうだ、そのために、今年は「チームで仕事をし、複数案件の並列処理を行う」をテーマにしていたんだった。僕の体力を補うリソースが欲しいなあ。疲れるからイヤなんではなくて、僕の体力が、スピードのボトルネックになってくるのがイヤだ。今、不足しているものは、・チーム・リソース(外的要因)・チーム・マネジメント能力(自分の内的要因) の2点だ。わかっていたけど、昨日より、より強く念頭におこう。恐らく、2006年(つまり、最後の年)は、「チームで仕事をし、複数案件の並列処理を行う」ために、用意された時間に違いない。そう考えると、あの案件も、このトラブルも、面倒くさいけど、なんか運命のように思う。数ちゃんいわく、大殺界の一年らしいけど・・・。以上
2006/03/12
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なんと話の通じない奴らなのか。と憤慨する日々。すっごいイライラする。何回も説明したやんけ!! こういう段取りしてたやんけ!! しかし、では彼らがいなくなってくれればOKか? 全然、OKではない。彼らはなぜ、この部屋にいるのか? それは、僕達自身が呼んだからだ。――――――――「話が通じないかもしれない」そんなことは、最初からわかっていたはずだ。当然、考え方は十人十色、バラバラだ。「入社したい」という意思の下、新卒・中途採用として入ってきた新しい仲間だって、考え方が違うのに。それを、個人の意思とは別に、一気に人数を増やしたのだから。この軋轢は、僕達自身は、最初から予想できていたリスクに過ぎない。しかし、僕達は、自身の意思で、そのリスクをとった。――――――――今回のケースは、”養子(M&A)”ではなく、”結婚(JV)”だ。僕達にとって、初めての結婚。子供(子会社、被買収先)は、親(親会社、買収者)のいうことをある程度聞かないとなあ、と暗黙の覚悟を持っている。里子とはいえ、その親子関係には、子供の率先的な”遠慮”が働き、なんとなく、その関係が表面的でも良好に見え始めるのは、それなりに早い。(子供が遠慮しすぎて、萎縮につながり、その子の長所が埋没してしまわぬよう、 むしろ、親が気を遣わねばならない。それが最も難しい。)でも、”妻”は、”夫”のいうことを聞く、義理はない。――――――――”養子も、”結婚”も、その本質は、「新たな仲間を、一気に大量に取り込む(採用する)」ということだ。今回、欲しかったのは、ユーザという顕在化したフローではなく、ユーザーを呼べる潜在的な『力』。つまりストックなのだ。この世に、既にフローを顕在化した企業は存在しなかったため、共に作り上げられる、その相手(仲間)がほしかったのだ。力を持つ。つまり、「人」なのだ。現有リソース、ならびに、そのオーガニックグロースだけでは、目標とする成長速度を満たせない。だからこそ、”養子”や、”結婚”が生む果実と、それに伴うリスクをとっていく、、、そう決めたのだ。――――――――これは、僕達自身で決めた「未来」だ。その「未来」が、「現在」になっているだけだ。その”妻”は、どんなに鬼みたいな顔してテーブルの向こうにいようが「敵」ではない。「仲間」であり、 ”妻”だ。ていうか、「仲間」としてこのテーブルに着いてくれた、運命の奇跡。これに感謝すべきであろう。『全然わかってくれてないようだけど、 とにかく話を聞いてくれて、ありがとう』ってとこかな・・・? それを忘れなければ、何てことはない。ただ、粛々と清々と、ベストと思われる選択肢の下、コミュニケーションをとり、コンセンサスを形成し、できるだけ同じ方向に、できるだけ同じスピードで、走ってもらうだけだ。何もトラブルではなく、何も苦労なんかではない。のだ。ムカついて、イヤな態度をとって、本当にゴメン・・・。以上
2006/03/11
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銀行や商社が、1965年あたりから組織が膨張しても、1990年まで皆が大満足したのは、事業自体が膨張していったから、だと思います。会社は大きくなればよい。でも、個人として突き詰めると、会社のステージどうこうより、自分の給料・ポストだから、それが満足されることも伴っていた。だから、会社愛もあった。端的に言うと、ポストがあった(つくった)、増える給料の原資があった(つくった)から、と思います。だから、僕達においても、2020年に40歳になる人を、海外や、新規事業にに出て行く先兵隊として送り込めばいいのではないか。送り込めるよう、研修制度を作り上げればいいのではないか。それで、仕上がらない/使えないのであれば、もうしょうがない。――――――――1965年~1990年にかけての銀行や商社の成長パターンは、ちょうど、その期間に、30歳だった人が55歳になった人(以下、A世代と呼ぶ)にとっては最高の流れでした。サラリーマン人生として。しかし、残念ながら、同じ期間に、15歳だった人が、40歳になった人(以下、B世代と呼ぶ)は、最後の10年間を、1990~2000年という冷たい時代にはまってしまった。50歳くらいでリストラされたり、割を食わされてた、という感じです。B世代は30歳くらいのときに、40歳のA世代とチームを組んだ。A世代の命令どおりに、エグゼキューションを行なった。命令をこなすための研修はあったかもしれないが、自分で作り上げる、危機回避するための研修はなかった。で、全員が、はまり込んだ、という感じがする。B世代は、A世代とほとんど貢献度が変わらないはずなのに、A世代だけ得して、B世代が割を食った。理由は、そういう組織デザイン・報酬制度だったから。加えて、そのことにB世代が気づかなかったから。その責任は、必要なスキルをつけなかった本人も悪いけど、何も考えていなかった会社も悪いと思う。(※但し、最終的には、本人が悪い)――――――――トヨタやホンダが、世界で勝ち進んだのは、人材育成にポイントがあったのだろうか? 現地採用が奏功した、のであれば、人材はその場その場の使い捨て、ということになる。まず、それを知りたい。過去の企業が、「使い捨て」なのであったならば、「使い切って」勝ち進む方法を考えたい。で、考えて、考えて、それでもなお「使い切る」発想で限界があるのなら。つまり、個人の成長スピードが、企業成長のボトルネックとなってしまうのであれば、そんなことは「甘いこと」になってしまう。しかし、もし、そうであるなら、僕達は、なぜ、働くのだろうか。今、ここで。今日・明日の給料が欲しいから、働くのか? そういった短期的視野でもいいんだけどなあ・・・。自分が「使い物」にならなくなる、その日に判断すればいいのだろうか。ここでは「使い物」にならないけど、「使い物」になる新しい場所を、その日に見つければいいのだろうか。それって、ちょっと、さびしいな。もう少し、考えてみよう。以上
2006/03/07
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僕自身は、仕事内容もよく、評価もされているので、とても「現状」には満足しています。ただ「将来」が描けない・・・というか。この会社にいて、40歳、50歳になったとき、どうなるのかなあ。と思ってしまいます。このまま深夜まで働くだろうか。40歳になっても。素人なので、表面的にしか見えていませんが、リクルートには「30歳退職制度」や、サイバーエージェントには「事業をつくろう(じぎょつく)」や、「一駅制度(遅くまで働くのでタクシー代は出さないけど、 会社の近くに住むなら手当てを出す)」といった、「若く、一生懸命働き、伸びたい人は、集まってほしい」という、方針と合致した、明確な制度が存在しています。制度に裏打ちされていない方針は、ワークしません。仕組がないに等しく、永続的ではない、という意味です。もし、短期的にワークしているなら、それは若気の至りに支えられているだけ、というえらく脆いレベルだと思います。残念ながら、僕達には、まだ、そういう制度が全くありません。だけど、全くないから、逆につくりやすいのでは? ――――――――これは個人的意見ですが、こういう組織デザインをしてほしい。――――――――リクルートや、サイバーは40歳の人(=経験のある人)は必要としない組織をつくろうとしているように思います。それも、それでいいんですが・・・ならば、僕達は、2020年頃に40歳になるの人と、20歳の人が、きちっとチームで仕事できるような組織を目指して、今からデザインすることはできないだろうか? なぜならば、その2020年ごろの40歳というのは、つまり我々であり、そのときも、若い力と組んで、楽しい仕事をやっていたい。これは、わがままかなあ? オッサンなんて、要らないよ! っていわれるかな。――――――――僕が、前の会社を去り、今の会社に入った理由は、40歳、50歳の人が全然働かない会社だったからです。ずっと座って、何もしなかった。40歳なら、40歳なりにチームに協力してほしかったのに、してくれなかった。君臨すれども、統治せず(役割を果たさなかった)。だから、そういう不公平のない、会社に入りたかった。つくりたかった。一番、近くにあった、若い人ばっかりの会社に入った。しかし、今度は、自分たちが、40歳になります。そのとき、働きたくないのではなく、働きたい。役に立ちたいと思うし、チームになりたいと思います。――――――――20歳の人も、40歳の人も、渾然となり、その世代が出せるパフォーマンスを最大に発揮している会社。それは、まじで世界一の必要十分条件なのか? 雇用の確保や、とある世代の満足感など、目的ではない。あくまでも、世界一になる。それが目的。そのために必要な組織は? が、手段。と考えなければいけないはずなんだが、自分が、その割を食う世代に属してるとしたら、ちょっと微妙だなあ。以上
2006/03/07
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誰も信じてくれないかもしれないが、僕は、ほんの少し前まで、「ミス」「トラブル」「問題」という言葉が好きではなかった。そういう事態には陥らないよう、水も漏らさず、全てをある程度予測し、考えられるシナリオは概ね全てを検証し、できる限り、常に先回りして手を打っておくべきだ、と考えていた。前の会社で、指導係が審査部上がりの人だったからかもしれない。その後、若僧のくせに、イケイケタイプの上司を陰で支える、事前仕切り・事後フォロータイプの役割に徹したからかもしれない。 「問題」のない世界こそ、目指すべき世界。 いつか、そんな、平穏無事な日は来る。そう考えていた。――――――――今は、全くそうは思っていなくて、「ミス」「トラブル」「問題」は抱えて走っていくしかない、と真剣に思っている。問題のない案件なんて、ない。問題のない組織なんて、ない。問題のない人間なんて、いない。問題のない日なんて、ない。そこに、解決する人間がいるのか/いないのか、あきらめるのか/あきらめないのか、解決するのか/しないのか、ただそれだけだ、と心の底から思っている。――――――――問題やトラブルは、必ず起こる。もう、わかった。十分にわかった。だから、起こったことをウダウダいうのではなく、ただ、無心のままに、起こったことを見つめ、その本質を見極め、粛々とつぶしていくだけ。――――――――逆に、問題のない日って、気持ち悪い。逆に、すっごい大きな問題を把握してないだけじゃないか、と思ってしまう。――――――――自分達の向かう方向が、大きく間違ってなく、概ね正しい、と信じるのならば。そのトラブルは、向かう方向が間違っているというアラートではない。よって、そのトラブルによって迷ったり、ヒヨったり、不安になったりする必要も一切ない。ただ、あきらめずに、粛々と解決すればいいだけなのだ。もっと大きな問題が控えているのであれば、ただ、粛々と、順番に解決すればいいだけなのだ。――――――――昨日、ちょうど31歳と9ヶ月を迎えた。やっぱ、ベンチャー企業(?)で働くことを通じて、だいぶ、考え方が変わってきたかな。と思う。いいか悪いかは別にして、だいぶ変わった。以上
2006/02/28
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キングカズ語録。感涙。以下、『STAR Soccer(SPA2月臨時増刊)』(扶桑社)より。http://www.starsoccer.jp/本当にカズさんはすごい。尊敬。最敬礼。―――――――――――<勝つ組織について>Q、当時の読売クラブって非常に個人がしっかりしていたと思うんですが、 ただそれだけだとバラバラになってしまうじゃないですか。 でも読売はまとまっていた。 それは個人の能力を信頼し合うというか、 ある意味ちょっと先を見て そこに向かって行くようなムードによって、 ひとつのチームになれていた、 と思うんですが、どうですか? A、うーん、勝つことでまとまりましたし、 全員が『上手い』ということでまとまりましたし。 だからと言って、誰かが特別に(な立場として) ――今みたいに戦術だったりを考えたり、 『チームのために』とか、 そういう言葉すらそんなに出なかった気がしますね。 ※全員がプロを極めていれば、リーダーシップなど不要。 プロが個別に結論を極めると、自ずと同じ結論に至るから。 という論旨か。実に興味深い。―――――――――――<常勝集団が、驕り昂り、堕ちていく危険性について>Q、(当時の読売クラブは抜きん出た個人が集まり、常勝集団となり、) そこでサッカーに対して、勝利に対してナメるような気持が 生まれなかったのはなぜだと思いますか? A、ナメる必要がないからじゃないですか。 (中略) ジーコにしてもみんなそうですけど、 どんな実績を残そうと決して満足することなく、 どんな相手に対しても一生懸命プロとして責任を果たそうとしてる。 そういう姿勢を僕は(ブラジルで)見て来たからだと思います。 ・・・勘違いしちゃいけないのは、 プロっていうのはお金を貰うからプロ、じゃないんですよ。 どんなときでも全力で、力を抜かずに闘うからプロなんであって、 だからこそお金を貰えるんです。 そこを勘違いしている選手が、最近多いと思いますね。―――――――――――誇りと驕りの一線を画すもの。その本質を一点のみに絞り、抽出するとすれば、「プロ意識=おカネを貰う理由を知っていること」それはつまり、「おカネを貰う理由=期待に応えること」そして、「期待に応える最低限の儀礼とは、 (1)全力を出し切ること (2)完成物・成果物(アウトプット)へのこだわり を持ち続けているか、どうか?」なのかもしれない。以上
2006/01/20
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自社株の売却益(売却高)を売上計上したのは、彼ら一社しかないかもしれないが、投資売却益(売却高)を、売上計上する仕組み。この仕組みを持って、好決算の演出に活用している企業は複数ある。実は、すごく興味深い仕組みだと思って、見ていた。僕達は、その導入が遅れてしまったため、甘いのかな~と自省したこともある。今となっては、過去の話だが・・・。―――――――事業会社にとってのM&Aを取り巻き、よく議論されること。M&Aにアグレッシブな会社は、「虚業」であるのか、「実業」であるのか、という議論。事業会社のM&Aは、あくまでも、本業・実業の成長補助・促進のための、手段として存在している。『目的』と『手段』を明確に自覚できていなければ、間違ってしまう。しかし、ともすれば、いつ、一線を越えてしまうかもしれない。調子に乗っていると、無意識のうちに越えてしまうかもしれない。そのスピード感に、人は酔ってしまうのだ。僕達は投資会社ではない。事業会社なのだ。自らの力で、直接、価値を生産し、社会に寄与する経済主体。そのことに誇りを持ち、そして一方で常に自戒すべく、下記9点を胸に刻んでおきたい。(1)その事業を、死んでもやり通す、という気概を持った、 事業責任者が買収判断の責任者であり、事業計画策定者であること。 つまり、その後のROI責任を持つ、そんな立てつけであること。 (=Rを引き上げる、即ち実業として”生産”する人間が 最終責任者であること)(2)買収提案者・交渉責任者は、 その事業責任者のために粉骨砕身、ソーシングし、 クロージングする、そんな立てつけであること。 (=『こいつは死んでもやる(=偉大な経営者である)』 と思ったら、心底協力し、 『こいつは死ぬ気でやらない』 と思ったら協力しない、 そんな力学が働く立てつけであること)(3)そのような組織体系が、正式に組織図として認められていること。 そのようなミッションが、正式に組織図として与えられていること。(4)そのような管理会計&評価制度が備わっていること。 (=お題目でなく、人間の欲求を前提とした『仕組み』として ワークしていること)(5)投下資本は無限である、そんな幻想を抱いていないこと。 事業会社としては、できれば、I(投資)がゼロで済むのなら、 それが最高なのだ。 Iを用いることありきで、ROI上昇を目論む、 そんな集団は、もはや、事業会社ではない。(6)『目的』と『手段』を混同していないこと。 M&Aなんて『手段』にしか過ぎない。 『目的』は、事業成長と、ステークホルダーへの貢献。 その速度と成長幅を加速すること。 M&Aは、その手段の一つでしか、ない。 ※僕達のような部署が、独断・先行して、突っ走らない、 (1)~(4)で述べた仕組みの下にあること。 間違う可能性があるのは、事業責任者ではない。 僕達なのだ。(7)だから、別に、本当は、 M&Aなんかしなくて済むなら、しなくてもいい、 ていうか、手段だから、別に、どっちでもいいんだ、 くらいに思っていること。(8)M&Aとは、本来は長時間かかる何かを、 短縮する取り組みであること、 つまり、時間を凝縮する結果、 その歪み・痛みを生むかもしれないこと、 つまり、そんなリスクサイドを負う可能性がある、 という覚悟もしていること。 しかしながら、『目的』達成のために最善と判断したら、 それへの挑戦に躊躇はしないこと。(9)ROIという指標を重視しているが、 Iよりも、Rを重視していること。 もし、Iが高いのなら、その分、Rを上げればよいのだから。 そのために頭を使えばよい。 「Iが高くてもいい・・・」 その議論は乱暴に聞こえるが、 Rを上げる自信があるなら、勝負しに行っていい。 実は、それこそが、僕達は実業である、と 胸を張って言える根拠なのだ、とさえ、言い切っても構わない。以上PS ちなみに、投資会社や金融機関は、決して虚業ではない。 金融機関は、あくまでも間接的にしか、 価値生産にタッチできない、というだけ。 直接的に価値生産を行う、相手経営陣を支援する、という間接関与。
2006/01/19
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一人の問題と、二人の問題を、ごっちゃにしてはならない。―――――――――――二人でやっていくと、問題に数多くぶち当たるだろう。二人の共通の問題は、二人で共有し、協力して解決すべきだ。全てを共有し、役割分担し、互いの長所を生かし、短所を補い合い、やっていく。二人の共通の敵がいたり、共通の課題があったり、二人が共に責任を負う問題だったり、二人共が問題の原因である場合。こういった場合は、難しいようで、実はとても簡単だ。二人が明確にco-workしやすいから。―――――――――――むしろ難しいのは、一人が問題を抱えているときだろう。よく、一人がスタックしたら、運命共同体である二人ともが、連鎖的にスタックする、という事態をとらまえて、「二人の問題」として共有し、解決の場を二人に求めてしまうケースがありがちだ。そして、その愛が深ければ、深いほど、当事者である相手方からの要請に応じて、抱え込んでしまったりする。しかし、それは錯覚だ。本質的には、一人でいようが、二人でいようが、自分の問題は、自分だけの問題だ。相手には、なんら、全く関係ない。自分一人の問題は、自分一人で解決すべきだし、自分しか解決できない。当事者しかわかり得ない問題を、二人で共有したところで、何も解決の役に立たない。錯覚している限り、その問題は解決しないし、二人を危機に陥れるだけにすぎない。―――――――――――相手が大切だから。相手とやっていきたいから。相手を助けたいから。相手を楽にしてあげたいkら。時々、当事者でない相手方は、その”情”から、当事者しか解決不能なタスクの一部を負ってしまう。しかし、当事者じゃないから、因果関係が不明確だから、絶対に解決できない。また、潜在意識の下では「自分は当事者じゃない」と必ず、どこかで思っている。その意識は、問題解決への絶対的意志推進力の醸成を阻害する。そんな意志状態の人間が、物事を解決できる確率は低い。一方、負わせた当事者側は、タスクを分散できたという精神的な安心感から、問題解決への絶対的意志推進力に陰りを生んでしまうことだろう。結果的に、「誰も、解決する/できる人がいない」「解決するまで、死んでもやる、という人がいない」そんな状態に陥ってしまう。―――――――――――錯覚して、二人の問題に落とし込んでしまったとき。本来、単独で当事者だった人間は、どう考えるだろうか? 「お互いの協力で、解決できたね」「お互いの力不足で、解決できなかったね」という形で、結果の共有を行うだろう。しかし、そのとき、当事者でなかった相手方は気づく。その結果について、共有ではなく、強要されているような、いやな感覚を持つ。そう、成功しても、失敗しても、いやな感覚に違いない。だって、当事者じゃなかったのに、結果を受け入れなければならないのだから。これは、恐らく、相手への小さな小さな不信感へと変わっていくだろう。―――――――――――絶対に、一人の問題を、二人の問題として、持ち込んではならない。絶対に、一人の問題を、二人の問題として、受け取ってはならない。二人の破滅の第一歩にしかならない。―――――――――――一人でいようが、二人でいようが、問題の多くは、自分だけの問題だ。自分で解決するしかない。二人の問題なのか、一人の問題なのか、必ず、絶対に、明快に分離できる。よく考えれば、錯覚することはない。―――――――――――問題を抱えている側は、状況を話し、共有し、相談して、意見を仰いでもよい。ただ、冷たいようだが、でも、実質的には何もできないのだ。解決するのは自分。助けられるなら、助けたい。代われるなら、代わってあげたい。でも、無理。それは、妄想。―――――――――――ただ、そばにいることはできる。困り、疲れ果てているその理由が、何なのか、全くわからないし、わかってもどうしようもないのだが、疲れ果てた相手をただいたわることはできる。何も言ってあげられないし、何もしてあげられないけど。解決できるまで一緒にいる。それだけで、いいんだろう。もし、一人で解決できないんなら、二人でやっても絶対にダメ。――――――――――――では、どちらかの存在自体が原因となって、相手の問題になっている場合、どうしたらいいだろうか? 自分を変えれば、曲げればいいのだろうか? 本当に、それが、幸せなんだろうか? 少し考えてみたい。以上
2005/12/22
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ベンチャー企業に入ったのに、組織のありようや、管理会計のありようについて、考えるなんて思わなかったけど・・・。どんどん突き詰めると、経営者の仕事とは、雰囲気や人と人との関係性のありよう =つまり、組織のありよう、組織文化の醸成と、その報酬ルールづくり(管理会計)に集約される、といっても過言ではない、と思える。人間が、何人か集まると、必ず、”情” が芽生える。それは、ポジティブな情(人情、友情、助け合いの感情)もあるし、ネガティブな情(ケミストリの不一致、実力への嫉妬、不平等感)もある。しかし、会社としては、経営者としては、その両方の要素を、全てポジティブな推進力に変えてしまう”魔法” を使わないといけない。その魔法の一つが、組織のありよう、と、管理会計、なのだろう。さて、あまりにも多くの要素が混在することになってしまったとき。それらが、どうしても一つ屋根の下では満たされないとき。つまり、現行の統一ルール下では完璧に満たされないとき。経営としては、どうすればいいのだろうか? ―――――――知人の会社が、大胆な分社を行った。機能別に分社したのだ。以前から、組織上の悩み・問題の存在は聞いていた。しかし、その悩みの解決のために、バラすという選択、その妥当性について、当初、僕はポジティブに評価できなかった。というか、それを選択した意味が、全くわからなかった。理由は単純で、それまでの常識からは考えられなかったからだ。特に、全体最適の観点から、一元収束を戦略の根幹に置いていた僕達の”常識”からは。僕は、自分の思考に、”常識”というバイアスをかけていたわけだ。しかし、「なぜ、それをやったのか? 問題の所在と、その解決策として一致しているはずだから・・・」と素直に思考を展開し、突き詰めて考えると、見えてくるものがある。異なる文化・雰囲気、異なるルール・管理会計で運営できるようにすること、それが、分社の本質である。異なる管理会計にする、ということ、その本質は、「独自基準での意思決定を可能にする」ということだ。「独自行動を可能にする」ということだ。必ずしも、一つ屋根の下でいることが、絶対の選択ではない。たまたま、「全体の速度を上げる」ために最適だった、ということだ。一つ屋根の下にいること、それは本質ではなく、手段に過ぎなかった、ということだ。僕達は、手段に縛られる必要がない。手段は、自由に選択していいのだ。―――――――(仮説)獲得すべき本質、それ以外は全て、単なる手段に過ぎず、変更可能である、ということを忘れてはいけない。獲得すべき本質は何か。それを見極める能力と、一旦、構築してしまった手段に過ぎない”ルール”を壊すことに躊躇しない雰囲気、これさえ失わなければ、なんだってできる。しかし、それを失ってしまえば、どんなに強い集団も、たった一年で崩れ去ってしまう。作り上げるスピードが速かったその分、崩れ去る際のスピードも速い、可能性があること、肝に銘じておくべきだ。(To Do)1,000人の仲間達が「自ら壊す」能力を失ったとしたら。KK室としては、何をすべきだろうか? 僕達数人が声を出したところで、何も動かない。組織とは、そういうものだ。では、指をくわえて、俯瞰するだけでいいのか? そこらの会社みたいに。でも、それは、ダサいと思うんだな~(To Doの方法論)数名でやるには、てこの原理を使うしかない。昔の日本のように「黒船」の存在を活用するのもいいだろう。でも、「今から壊します!」と正面切って突っ込んでも、人数で負けてしまう。先につぶされる。また、「黒船」の存在を先に見せてしまうと、防衛本能が働き、上手にブロックされる。結局、これも先手を打たれて、先に進めない。どうすればいいの? 答えは、簡単です。誰が壊したか、いつ壊したか、どう壊したか、犯人がわからないようにすればいい。「あれ~? 気がついたら、壊れてた~♪」 みたいなノリが、自然で、受け入れやすいのかもしれない。そして、「もう~!! 一体誰のせいなんだ!!」 と皆がプリプリしながら、修復していく。以前より良い形に。とか、そういう感じかなあ。うひひ。僕達は、ただ、そうなるような案件を仕込めばいい。以上
2005/12/09
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僕は、会社の仕組みをつくるのに近い部署にいるので、個人が高い志や野望を持って、やっていく、のがサポートされる、きちんとやっただけ反映される、そんなファンド各社や某社の仕組みがとても興味深く感じます。現在の、僕の部署は、各事業のトップ(事業責任者)をサポートする部署です。いわばスタッフ部門で、つまりはコストセンターで、個別PLがない、管理会計上もレベニューがない状態なので、その状態でいくら頑張ろうが、金銭的な、定量的な成果をダイレクトに評価反映できません。なぜなら、そのための原資がないからです。つまり、僕が、この場所で、この場所にもかかわらず、ダイレクトさを求めるのであれば、管理会計から変えていく必要があるのです。仮に、M&Aを成約した、として、僕達がサポートした事業責任者は、そのROIと利益成長度に応じて、評価が決まります。給料(取り分)だって、それに連動して伸びていく。それは、そのような管理会計になっているからです。でも、僕達は、M&Aを成約しようとも、その事業が伸びようとも、ポシャろうとも、全然関係ありません。それは、そのような管理会計になっているからです。 ※だからといって、手を抜きません。 だって、今は、評価のためにやってないもん。―――――――僕に、もし、力が付いたのなら、試してみたい。と思う。そして、試してみて、うまくいった、としよう。そしたら、僕は、きっとどう思うだろう。もし、今のままだったら、今のままの評価の仕組み(=管理会計)だったら、空虚感を感じてしまうのではないか? 今までは、評価のためにやってなかった。なぜなら、僕はインプットの時期だと思っていたからだ。お金を払ってでも、インプットしたいと思っていたのだ。そのうち僕は、評価を求めるようになるだろう。なぜなら、僕はそろそろアウトプットの時期に入るからだ。自分のアウトプットは価値を生んだのか、役に立ったのか、喜んでもらえたのか、知りたいからだ。それに、次のインプットのために必要な原資を、そのアウトプット時期に稼がねばならない。上記一連のインプット/アウトプット、それらの絶対値レベルを高めるために、そんな4年間にしようと思って、ここに来たのだ。もう、2年半経とうとしている。もし、力が付いたのなら、僕は、どうしたらいいんだろう? そのような管理会計制度下にある「場所」を求めるのだろうか? 再び、財務会計として成立している「本業」に回帰するのだろうか? でも、僕は、もう事業会社(=当事者)の楽しさを知ってしまった。また、外からしか眺められない、もどかしいサービス業に戻るのって、いやだなあ。キレイなネクタイと、専門エリート集団の中で切磋琢磨するのもいいけど、ノータイで、賢いのも賢くないのも、金融屋やシステム屋が、バラバラのビヘイビアの人達が、皆が集まって、一つのテーマに沿って、真剣勝負するってこんなに楽しいんだなー。毎日毎日、違うことが起こって、びっくりする。飽きない。と知ってしまった。なんか、そういったのの、折衷案みたいなのってないのかな、とずっと考えてきた。―――――――人間の頑張りを引き出すには、がんばれ! というだけではなく、その仕組みに注目すべきだと思います。仕組みがなければ、いくら頑張っても、徒労に終わり、その徒労感が、逆に人材を殺してしまうと思うのです。特に、注目すべきは、管理会計なのだ。と。会社を活かすも、殺すも、全て、管理会計なのではないか、と言っても、過言ではない。ある程度、大きくなってくると、会社はスタッフ部門が膨張します。でも、多くの会社で、このスタッフ部門の生産性向上の仕組みがないため、たいがい、大きい会社になると、全体的に元気がなくなる、というのは、このせいだという仮説を、僕は持っています。総務や経理はまだしも、未来を仕込む企画部門までもがその状態に陥るのは、やばいなあ、と。即ちその会社には未来がない、ということになる。―――――――某社では、こんな取り組みをやっているらしい。目からウロコが、いや飛び出た。企画部門が、もしコンサルティングが得意なのならば、もう自分達を「コンサルティング」会社と割り切って、外部営業しちゃえばいいんだ、と。企画部門が、もしM&Aが得意なのならば、もう自分達を「証券ビジネス」と割り切ってしまって、プロフィットセンターにインクルードして、生産性を鼓舞しているらしい。これは、とてもいいアイデアだと思いました。あくまでも自社内へのサービスは、one of the customersに過ぎないのだ、と。―――――――僕は、某社は事業会社のくせに、どうして成功報酬型になってるんだろう、その原資はどうしてるんだろう? とずっと気になっていましたが・・・、そっか、そういう管理会計になってたんだ。ていうか、管理会計を飛び越して、本当のプロフィットセンターにしちゃったのかぁ、なるほど~。この立て付けで優秀な人間を走らせている某社は、とてもスゴイと思いました。スゴイというか、うらやましい!! 素晴らしい!! と思いました。以上
2005/11/29
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僕は、一番大切なことを、忘れていた。結局、最も大切なことは、「二人の間の問題は、どちらか一方の問題ではなく、両者の問題である」という立て付けに持ち込み、「真剣で、素直なコミュニケーションを行うこと」であった。「答えを出すこと」自体は重要ではなかった。答えそのものよりも、その過程、が重要であった。その過程を通じて、二人の気持を寄せていくこと、結束していくこと、それが重要であった。全ての誤解・怒り・憎しみ・哀しみ・・・、全部、そこに持ち込むことであった。その世界には、正解など、ない。しいて言えば、二人で納得した点・線、それが正解なのだろう。キーワードは「二人」なのだった。我慢することでもない。滅私ではない。それは続かない。それは、あくまでも「一人」の問題から脱していない。そして、それは、いつまでたっても問題の解決には至らない。むしろ、悪化する。二人の問題であるならば、きちんと「二人」レベルに落とさねばならないのであった。開示し、共有する。甘えるのではなく、心を開く。甘やかすのでもなく、ただ、心を開く。ただ、問題を共有し、心を開くだけ。但し、「どうすればいいのかわからない」という開示・問題共有は、問題を相手に押し付けているだけ。一人レベルから脱してはいない。思いを、適切に表現できていない、ということになる。そこで選択されるべき適切な言葉は、なんだろうか。本質を表す、最も適切な言葉を使うべきである。主語が「二人」で通用する、そんな文章が後に綴れるのであれば、選択されたその言葉は、概ね適切なのかもしれない。以上
2005/11/20
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・自信満々なのに、イヤミじゃない人。・慇懃なのに、イヤミな奴。なぜ、この差が生じるのか? 原因は何か? しばらく、ずっと考えてきた。―――――――ある仕事を終えては、自信を持つ一方で、また失敗して、驕っていたと反省するアップダウンな日々。自信の山の高さを、年々高める一方で、その高さの分、反省時の落差も大きくなってきた。自信をつけるためにここに来たのに、いざつけると、そのおかげで、心が戸惑い出す。僕は、そろそろ、統一的な解を求めていた。自信満々で突っ切っていくか、何があっても謙虚に行くか、どっちのスタンスをとるべきなのか、ずっと考えてきた。―――――――実は、その答えは、実は簡単で、至極シンプルだった。ある人が言った。『 自信を持つこと、自己否定をすること、 どちらも同時に必要なことである 』『 自信を持ち続けることは驕りであり、自己否定がないと成長しない 自己否定しすぎては萎縮するから、根拠はなくとも自信が必要 』むー、そっかー、どっちも、同時に、必要だったんだ、と。―――――――まとめよう。(仮説)・自信満々なのに、イヤミじゃない人。・慇懃なのに、イヤミな奴。これの差は、「常に、キチンと話をしている = 自分の力量を隠さない」「常に、自己否定しているか = 常に向上心があるか」である。(To Do)陳腐な表現だが、・背伸びせず、隠すことなく、出し惜しみもせず、 常に、自分の目一杯を常にアウトプットする・常に、目の前のことから、 何か得よう、何が得られるのか? と常に考えながら、取り組む (仕事も、他のことも)うわー、すごく陳腐・・・。以上
2005/11/02
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放送と通信は融合するか? いやあ、しない。できない。なぜならば、性質が異なるものだから。そうすると、連携しかない。補完でもなく、連携しかない。しかも、放送と通信って、何を表象している言葉なのか、曖昧すぎる。本質を的確に表すとすれば、・アナログとデジタルの連携 ・単方向通信と双方向通信 ・データトラッキング/マネジメントの活用というのが本質である。本質から外れているのなら、修正する必要がある。――――――――――本質を的確に捉えるのと同様、言葉は的確に使いたい。連携って、何だろう? 1つになる、のではなく、 (だから融合じゃない)2つともが相互に強化する、のでもなく、 (だから補完じゃない)2つが協力して何かを生み出し、その果実を両者で獲得する、 (だから連携)だから、連携なのである。連携ならば、資本関係は不要=つまり結婚しなくても、 毎日、顔を合わせるビジネスパートナーでいいじゃん、みたいな理屈も一理ある。しかし、深い関係となり、自分が依存度を高める相手が不安定ならば、手を打っておきたい、というのは当然だと思う。ユーザ獲得の源泉となるパートナーなのだから。―――――――――本質がずれており、そして、その本質を表象する言葉が的確に用いられていないならば、即、修正する必要がある。以上
2005/11/01
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新しい、放送・映像サービスとは、なんだろうか? どうやったら、新しいサービスが生まれるのだろうか? それは、作品レベルの問題ではない。制作体制の問題だ。また、さらに突き詰めると、制作現場の変革だけじゃダメ。経営の変革が必要なんだ、という結論に突き当たる。――――――――もし、PCで、昔みた、テレビやアニメが見ることができたら、嬉しいだろうか? つまり、時間を超えたサービスの提供。これが消費者に大受けするのだろうか? そうは思えない。TSUTAYAのタイトル別売上構成はどうなっているだろうか? 同じデータは、スカパーでは? 有料ストリーミングサービスではどうか? 新作コンテンツで過半を占めている。みんなね、新番組を求めてるんだよ。24とか、すっごいのを待ってるの。過去に放映されたTV番組なんて、喜んでみるのは少数派なのだ。そんなものを放送するために、ストリーミングって、生まれタンじゃねえぞ!! 放送制作コストの低減化、というのが、インターネット・ストリーミングの本質だと思うよ。なのに、くだらない少数意見のために、民間が莫大なコンテンツのストリーミング化のコストを負うのか。そんなコストがあるなら、新しいものをつくろう!! ちなみに、少数意見の組み上げは、日本では、図書館がやる類の事業領域となっている。(ちなみに、韓国では、国家が、TV局にストリーミング化の「義務」を課している。 但し、コストは国家が予算として負担している。)――――――――消費者が、求めているのは、新しいコンテンツ、新しいストーリー、新しい映像だ。日本人が見たことのなかった、韓国の映画とか。往年のハリウッド俳優で見飽きた顔かもしれないけど、その彼の新作映画とか。もしくは、低予算でも、本当に素晴らしいストーリーのドラマとか。無名の誰かがWebで書き綴った、無名の物語とか。過去のアニメとかドラマなんて、どうでもいいんっす。そんなの、午後4時あたりにやってる、ただの再放送だから。今、まさに生み出されているコンテンツに、ECをくっつけようなんて、それもどうでもいいんっす。そんなの、ただのテレビ通販だから。同じ30分、まるごとジャパネットに枠を卸した方がリスク・リターンの極大化になるから。そうじゃなくって。新しいもの!!!! それ!!!!!!! ――――――――支配とか、そんなんじゃないんだよ。今の君に、興味はないんだよ。今の君を支配したって、何にも得るもの、ないんだよ。本質は、新しいコンテンツをつくっていこうぜ! という点にある。新しいコンテンツをつくれる、そんな会社になろうぜ! という点にある。――――――――そういう意味では、JVだっていいのかもしれないね。いや、資本構成なんて、どうでもいいの。形だけJVつくっても、動かないジャン。本当に、心底、入れ込んで欲しいの。僕達が考えているのと同じくらい、入れ込んで欲しいの。――――――――そんな、新しいコンテンツ、本当に消費者に受けるの??? いい質問ですねえ。えーとね、やってみないとわからない。それが、コンテンツビジネスだもの。鉄板だといわれる、踊る大捜査線も次回作だって、わからないと思う。こういった事業に対峙していくには、どのような経営が求められるか。いくつかのプロジェクトを走らせて、ポートフォリオ経営していくしかない。そして、そのポートフォリオの強さを元にした、資金調達力こそが競争力の根源となる。(制作力を支える財務力、といえよう)米国のベンチャーキャピタルのように、当たり案件からの収益極大化する観点を持ったポートフォリオ経営。(※日本のVCのような、ハズレ案件の回収に躍起になった経営はNGだ)ハズレが出ても、出ても、ガンガンいいものを生み出しに、勝負しに行く。勝負しに行く代わりに、損益管理もちゃんとやる。当たり作品が出たら、広告価値としても、有料コンテンツとしてもキチッと回収極大化を行う。ハズレが出ても、研究して、また勝負しに行く。日本のVCみたいに、ちょっと外したら、すぐに手を引っ込めるなんてやらないんだ!! そのために、メディアチャネルの多様化を、1つから2つ、そして3つ、4つにしていく。ハズレ案件を垂れ流すためじゃない。当たり案件の回収極大化のために、チャネルは多様化するの。――――――――現場を、新しいモノを生みに走る集団に変えていくには。それと同時に経営スタイルも変わっていかねばならない。『リスクをとりに行く、ポートフォリオ型経営への移行』へ。それが、本件の本質である、といっても過言ではございません。でも、だーれも、わかってない。。。日本じゃ、無理かなあ。。。以上
2005/10/20
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人間は履歴書に色々と書く。面接で色々アピールする。ときどき、会社(経営陣)がやったことと、自分が本当にやったことを混同する人がいる。「僕は、xxの買収を手掛けました」「僕は、xxの立上げに従事していました」 っていう人。その人は、単純にプロジェクトに従事しただけで、本当にバリューを提供したことは「書記」とか「アポ取り」とかだったりする。座って見てただけ、とかだったりもする。「お弁当を買いに走った」だけだったりもする。本当に、本当に、自分がやったことは何か。「再現できるか」がポイントだ。僕は、前職では「再現できない」ことにもどかしさを覚え、「再現できる力」を渇望して、毎日喘いでいた。―――――――でも、最初は、やっぱり「見てるだけ」だったりする。でも、見てることで、吸収することはできる。こうすればいいんか、と。そして、次に、自分で試してみよう、って思う。これまでは、部分、部分で試してきた。部分、部分でしか、任されなかったからだ。そして、段々と、完全に任される部分が多くなり・・・、ついに今回は、最終的な交渉も視野に入れて、最初のグランドデザインから手掛けることができた。多分、こうなるだろうから、こうしておこう。という選択。全部、当たってた。僕がいなければ、これは世の中に誕生してなかった。といってもいいだろうか。僕の知ってること、僕の時間、僕の体力、僕の脳ミソ、僕のカン、僕のヨミ、僕の話術、僕の愛嬌、僕と上司の関係性、全部、全部、使い切った。今日、31歳4ヶ月、転籍して2年3ヶ月。今の僕の全部出したら、素材があれば、これくらいはができるってことなんだろうか。これくらいは「再現できる」ってことだろうか。途中、泣きそうなったこともあったし、プレッシャーで吐いたし、本当に上司に泣きついたこともあった。しかし、今回のそれは、上司の実力に泣きついたのではなく、その「名刺」「肩書」に泣きついただけで、僕が「肩書」を「使った」といってもよいかもしれない。本当にそういってもいいだろうか。「再現できる」だろうか。―――――――初めてだったから、いろいろボロボロだった。皆を振り回し、大迷惑をかけた。でも、そのフォローも自分でやった。上司のために謝ったのではなく、僕は、僕のためと、僕の案件のために謝っていた。いつも、謝るのが悔しくてイヤだった。多分、誰かのために謝っていたから。でも、今回は、全然余裕でなんぼでも頭下げれた。だって、僕の仕事なんだもん。この感覚は「再現できる」。確実に。これだけは確実にそういえる。ただ、もうちょっと、うまくできたはずだ。もう一回、やりたい。―――――――僕は、もう一度、機会があれば、再現できる、気がする。今日、31歳4ヶ月、転籍して2年3ヶ月。「再現性への自信」を手に入れたくて、僕はここに来た気がする。この自信っぽいもの、これを確証に変える機会が欲しい。もう一回、やりたい。以上
2005/10/05
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就職活動をするのに、何をしたいか全くわからない学生(22歳)と、社会人2年目、仕事観の醸成に苦しんでいる後輩(24歳)の、立て続けに相談に乗った。こんなとき、僕はどうすべきなのか。明確なアドバイスなど必要ないし、無意味なんだろう。なぜなら、答えなんて、当人自身が、心の中に持っている。今、持っていないのであれば、必ずどこかから生まれてくるわけであるが、それはやはり、当人自身の心の中から生まれてくる。だから、僕の役割は、1、とにかく聞いて、全部引き出すこと、2、答えが見えない状況といえども、苦しむ必要なんてサラサラない、 という視点に気づかせること、なんだろう。それに、自分が出してくる答えは、そのときに傍にいる人、そのときに自分が守りたいもの・人、それによって、変わってくる。なぜならば、22歳の自分の傍にはいなかった大切な人。 それが25歳の自分には現われているかもしれない。24歳の自分が大切にしていたもの。 それが26歳の自分にはそうではないかもしれない。からだ。人は、変わっていく。自分だって、変わっていく。自分は、ストックであり、そんな自分が出す答えは、フローである。日々、変わっていく自分が出す、その答えは、やはり毎日、変わるのではないか、と思う。そう、”変わる”んだよ、という視点、それに気づいてもらうようにするのが、僕の役割なんだろう。なぜなら、あんまり、他人から、そういう話を聞いたことがないからだ。――――――――――――自分自身の答えが信じられない、のではない。答えを出す自分自身が、信じられない、のではない。答えなんて、出すものじゃない、と思うのだ。・・・出ちゃう、っていうか・・・大切なのは、フローである答えにこだわるのではなく、ストックである「自分」に目を向けること、そのストックは、毎日変わる可能性がある、ということ。その、変わる可能性がある、という前提を理解したうえで、ある答えを、”とりあえず(?)”出していく、ということ。しかし、出した答えにこだわり過ぎる必要がない、ということ。なぜならば、フローを生んだストックである自分が変わっていくのだから。ただ、「答えを出せない奴は。バカかも」「自分の答えを出して、いきいきとしている奴が、いけてる」「うじうじしてる自分は、いけてない」とか、世間が作り上げたバイアスを、自分にかけて、無理やり出しているかもしれないのだ。「答えは、出すもの」という、バイアスがかかっているのだ。そんなもの、ウソだ。そんなものに負けるな。――――――――――――就職活動は「答えを出せ」といわれる環境下で、ある答えを出す。部署異動の希望ヒアリングも、同じ。メッチャ、バイアスがかけられている。たかだか22歳の若者が。たった一年の間に、ある仕事観・人生観を紡ぎ上げろ、という。そんな薄っぺらい仕事観を元に、人生を組み立てろ、という。そんなの、そもそも、リクルートがつくり出した ”妄想” に過ぎない。毎日毎日、慣れない仕事に追われ、自分のことすら省みるヒマがなかった24歳の若者が。たった数日の間に、「行きたい部署の希望を言え」に解答しなければならない。んなムチャな・・・。自分が、どこで、誰と、何を、どのように、将来何をするために、”活動” するのか/すべきなのか、については、就職活動のときだけ考えるべき事柄ではなく、本当は、常に、毎日、毎日、考えるべきものだ。本当は、毎日が就職活動であり、毎日が自分の行きたい部署探し、つまりは自分探しなのだ。――――――――――――だからといって、そしたら、何を選んだって一緒ジャン、という話をしているのではない。大切なのは、徹底的に考えること、そのものだ、という話をしている。考え抜いた末に選んだ答え、それにこだわる必要がない。それがもし、間違っていた、と思うなら、速攻で修正/リカバリーすればよいだけ。しかし、考え抜いていなければ、それがマチガイだった、と気づくことすらない。考えてなければ、何も見えてこない。――――――――――――答えを出す、そのことにこだわる必要がない。答えを出そうと、必死になる必要がない。答えは、自然に出るものであって、大切なのは、考え続けること。人は、誰かを、好きになるつもりがなかったのに、好きになってしまう。それと同じように、ある日、突然、見えてしまうのではないかと思うのだ。答えは。フローに惑わされすぎず、ストックである自分に目を向けて。答えはフローに過ぎず、その答えを出すのはストックである自分。だから、答えにこだわらず、自分に注目し、自分について考えるべきなのだ。――――――――――――出せ、といわれた環境で出した答えには、絶対、必ず、あるバイアスがかかっている、と思った方がいい。このバイアスに侵されないようにするには、どうしたらいいか。自分自身で、自発的に、毎日毎日考えることだ。昨日出した答えを、今日もう一度、反芻してみて考えることだ。昨日の自分は本当にバイアスがなかったか、と。そして、もう一度、明日、今日出した答えを再吟味してみることだ。それでも、なお、自分の心にしみてきた、もの。それが、多分、本当の答えだ。――――――――――――答えを出そう、とするな。悩みを抱えた状態に、人は耐え難い。苦しいから。その苦しみから単に逃れたくて、人は、自分に”逃れ”のバイアスをかけて、ある答えを導きがちだ。そのようにして出した”虚偽”の答えを、追って、走っていってしまう。その姿は、あまりにも弱く、その足跡は、あまりにも薄っぺらい。苦しい交渉のときほど、相手も苦しくて仕方ないはずなのに、自分にバイアスをかけて、自分を軟化させやすくなる。もう逃れたい一心で。それと同じだ。答えが出ないなら、その出ない苦しみを抱えたまま、問題と向き合え。相手と向き合え。自分と向き合え。フローに惑わされすぎず、ストックである自分に目を向けて。ストックである自分はどう感じているのか? ストックである自分を育てるにはどうしたらいいのか? 将来のストック形成の観点から、今、自分はどうあるべきなのか? 何すべきなのか? そういう観点を持って欲しい。――――――――――――僕は、後輩達にそう話しながら、結局、また、やっぱり、自分に言い聞かせていた。今、31歳である僕は、35歳の自分を描きながら、答えを出すのではなく、考え続けるべきなのだろう。35歳(2009年、今から4年後)にどうなってたいか? 誰といたいか? そのためには、32~34歳(2006~2008年)に何をしているべきか? 今の環境や状況に惑わされず、それを実現する観点からのみ考えて、手段である何かを、選択し、進めていく、ということだろう。以上
2005/09/28
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僕は、前職でオールドな業界、特に流通業界ををよく担当してました。好きになってしまったからです。理由は、業界が好きになったのじゃなくて、キチンと数字を見て、人を見て、空気を読んで、心を汲んで、経営に対峙する、そんな、本気で、優秀な経営者が多かったから。僕は、ユーザーとしてインターネットは大好きだったけど、ネットを用いた事業を展開し、感銘を受けさせてくれる経営者には、なかなか巡り合えなかった。僕は、むしろ、あまりインターネット業界は直接に担当せず、オールドな業界の儲かる仕組みをつぶさに勉強していました。たまに、ネット企業を担当したときにも、必ず、同種のオールド企業と損益分岐点分析を比較していました。何が儲かる仕組みなのか、よくわからないケースが多かったからです。そんな観点から比較をする人、他にあまりいなかったし、誰も、その比較情報を資料作成しても、興味を持ってくれませんでした。上司も、当事者である経営者でさえも。。。僕が見たネット企業の大半は、「削減できたコストと、ネット特有のコストがそんなに変わらない」「ネットを使うチャネルの特性と、クライアント・商品の求める属性がズレとる」そんな程度の、儲かる仕組み、しか持ってない会社ばかりでした。そんな仕組みに依拠してるにもかかわらず、ネット革命だ! とか力説する経営者がいっぱいいて、ほんとにバカに見えて、薄っぺらく見えて、仕方なかった。きちんと、儲かる仕組みを把握せず、ノリだけでガンガンいく投資家は、もっとバカだった。一方、オールドな業界の経営者ほど、特に地味な流通企業の経営者ほどキチンとしていた。自社の何が儲かる源泉で、何が弱いのか、業界の力関係、サプライヤー・顧客、競合の隅々まで目を配り、自分の立ち位置を完璧に把握している、優秀な経営者が多かった。僕は、次第にオールドな業界に傾倒するようになりました。―――――――――――――――――ネット業界は、よく、ウィナー・テイクス・オール という。一人で持っていっちゃう、という状況。みんな、一発ホームランを狙って、ドンドコドンドコ、投資していった。でも、僕には、簡単には信じられなかった。オールドな業界にいる、優秀なビジネスマンを多く見てしまったからだ。インターネットを用いた流通革命は、既存業界の実物流通・情報流通を大きく変えてしまう割に、GDP(経済全体)の底上げには、そう寄与しない、つまり、単純な富の移転ツールにしかなり得ない。よって、いくら役立つといっても、本当に皆に担がれるか微妙、と考えていました。結果的に、負けてしまう・割を食ってしまう・失ってしまう・悔しい思いをする人を、生み出してしまうケースが多いのではないか、と。そんな中で、一人勝ち、という状態は簡単にはあり得ない、それを目指す奴は逆に勝たせてもらえない、のではないか、と。だからこそ、自分が勝ったら、誰かが負ける・割を食う。自分が勝つとしたら、即ち、誰かが勝たせてくれる、っていうことを意識し、その誰かに最初から気を配っておく、もしくは全員で勝ちに行こう、と言って、まとめあげきってしまうか、そのどちらかが、斯業界で伸びる経営者には求められる資質、と思っていました。それは今でも変わってません。特に、若い世代が中心となっている、インターネットを用いた流通革命だなんて、自分達よりも、明らかに若造でバカが担いでいる「インターネット」に負けるなんて、たまたま地味な古い業界にいる優秀なビジネスマンを筆頭に、負けた人/負ける人は、どれだけ悔しがるだろうか。その悔しさのエネルギー、その抵抗力の大きさに、気を回すことができている人、いるだろうか。敵も味方も含めて、その事実に気づいている人、そうはいません。僕の知ってる限り、そんな人は、一人しかいませんでした。そんな風に考えて、かつ行動できて、人が集まっている状況をつくり出せている人、もう少し具体的に言うと、インターネットが出てくる前から活躍していた人が、以前と同じくらい、その人を取り囲むことで以前より活躍できる状況を、意図的につくり出せている人。(=だから勝たせてもらえる=道を空けてもらえる)そんな人は、一人しかいませんでした。―――――――――――――――――みんな、なんで、そのことに気が回らないんだろう。もう少し、負ける人がいることに、気を回した方がいい。そうすれば、もう少し、楽に、勝たせてもらえるようになる。はずだ。以上
2005/09/16
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手に入れる前から考えてもしょうがないけど・・・、失う恐さに打ち勝つには、どうすればよいか? 方法を、とりあえず、いくつか挙げてみよう。 (1)喪失感に負けない、強さを身につける (2)喪失しないようにする (3)見てみないフリをする(=本当に失っていても、気づかないフリ) (4)そもそも、失った、なんて思ってない(=自分に嘘をつく) (5)超・鈍感になる―――――――――誰かの子供がオモチャで遊んでいるのを見ていた。彼は、新しいオモチャに目を移し、飛びつき、前に持っていた古いオモチャを放り投げた。彼は、とても楽しそうだ。それも一つの方法だな、と思った。欲しいものをドンドン手に入れていけばいい。でも、手は2本しかないから、必然的に古いのが手からこぼれ落ちていく。失ったわけじゃない。手に入れたのだ。そうだ、そう考える、手もあるな、と。そう考えると、欲しいものがあったら、ノータイム・シンキングで貪欲に、手に入れればいい。そうすれば、あの子供のように無邪気に笑っていられるのかもしれない。何も恐くないのかもしれない。―――――――――でも、彼は、古いオモチャを「失った」とは思っていない。いや、気づいてない。ていうか、わかってないんだ。子供だからしょうがないけど・・・、それって、とても薄っぺらい。ポイポイって。ポイポーイって。次、つぎーって。そんな感じで、仮に楽しく愉快な人生が送れるのだとしても。僕は、いいや。やめとく。遠慮する。まるで、目をつむって、耳をふさいで、自分に嘘をついて、大切な感覚をマヒさせ、不感症にして、生きているような感じがするのだ。なぜ、そう思うか。多分、僕は、もう知ってしまったからだ。失うということを。―――――――――失うということを前提にして、というか、失うということを目前に強く意識して、ようやく、初めてわかるものがある。失うことがなければ、失うということ自体を知らなければ、見えないもの、気づかないものがある。そんな気がする。大切な人や仕事、そういったものの価値、意義というか。どれほど自分にとって大切か。どれほど意義深いものであったか。そういったこと。大切な人の価値は、別れや失うことを意識したときに初めて、等身大になるというか、手触り感がわかるというか、なぜ、僕に必要なのか、必要だったのか、ギューッと胸を締めつけることを通じて、その形や大きさがわかる。相手が、病気や元気のないとき、いくらスッピンでブッサイクでも、いつもより余計に優しく慈しんでしまうのは、なぜだろう。―――――――――自分の仕事の価値は、退職を意識したときに初めてわかる。前の会社で退職を決意してから最後の一年。「これが最後の案件になるかもしれない」常にそう思いながら、数個の仕事に取り組んだ。そのときの僕は、前の仕事の面白さ・意義・難しさについて、そのときの社内の誰よりも、感じることができていたと思う。―――――――――さて、失う恐さに打ち勝つには、どうすればよいか? 結論としては・・・、勝たなくていい。のかもしれない。勝つとか、そういう類のものじゃないのかもしれない。それに、もう、失うことを意識する時点、それよりもだいぶ前に、自分にとっての存在意義・価値・依存度が決まってしまっているから、その時点で急に対峙しても仕方ない。もっと前の時点から、決まってる。例えば、出会った瞬間から。例えば、関係を構築し始めるそのときから。自分にとってどういう存在に位置づけるか、それがカギなんだろう。依存度をコントロールする、といえばいいのか。―――――――――じゃあ、失うことが恐くて、依存度を高めないのは、果たして正解か? 誰にも何にも依存しないこと。仮に失っても、ちっとも悲しい状態にしないこと。これが正解か? うーん、それって、果たして幸せなのだろうか? もう少し、考えてみよう。以上
2005/09/10
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僕の友人が、おもしろい本を読んでいるようだ。「健康な人格ー人間の可能性と七つのモデル」D.シュルツその本によれば、「自己実現欲求」で有名なマズロー先生いわく、自分が健康なのか、下記にてチェック可能。とのこと。――――――――――――下記3つは、よくあるタイプののタイプの笑い話だ。 (1)誰かを傷つけるような敵意をもった笑い話 (2)他人や他の集団の劣等性に乗じる優越感をもった笑い話 (3)エッチで権威反抗的な笑い話これで笑えるとしても、それは、健康な証拠ではない。むしろ、病んでる、といってよい。――――――――――――一方、下記3つのタイプの笑い話で、笑えるなら、それは健康な証拠なのだ。 (4)人間性一般をからかうことを意味するとしても、 けっして特定の個人をからかうものではないユーモア (5)笑いを誘うと同時に何かを指摘することを意図した教訓的なユーモア (6)思慮に富んだユーモアであり、結果としてほほえみや、 理解のうなずきがともなうが、大声で笑うようなものではない話笑い話というか、ウィットやユーモアのレベルの話だね。こじゃれたお話、かな。――――――――――――人の悪口、仕事のグチ、言い訳・・・。聞いてる方がしんどくなってしまう。だから、あんまり、前の会社の人と飲みに行くの、好きじゃなかった。今の会社は、自分達が働きすぎであるということを、自嘲するケースが多い。ただ、それは、どこかで、それでも僕は好きで働いている、という背景に基づいており、「ユーモア」としてでも、最近は・・・、僕自身も知らずに口にしているケースがある。ちょっと信じられないなあ。あと、僕は最近、同僚をいじって会話を弾ませるケースが多い。これも、あまりよくない傾向かも。やめよう。以上
2005/09/09
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今朝、夢を見た。高校時代のラグビーの夢だった。すごいたくさんのセミがジージー鳴いてた。僕の高校のグランドは山の中にあったのだ。――――――――――――――――「楽しんでやりましょーよー♪ こんな楽しい仕事、ないよね? ね? ねー★」朝、起きても、この言葉が残ってる。ガチガチになってた僕に。向こうの一番偉い人が言ったんだ。ビックリした。突き刺さった。偉い人が言ったから、突き刺さっているのではない。なんか、その、そうだよなあ、そうだよ! って思ったんだ。僕って単純・・・。寒い日に、ストーブをつけて、体がジワ~ってなるように、それの、すっごい速いジワ~って。その言葉が、僕の体に染み込んでいった。――――――――――――――――僕は、いつの間にか、うまくやること、完璧にやること、達成すること、仕事を通じて得られる副産物としての”自己満足”を追うようになっている。もしかしたら、相手が喜ぶことでさえも、自分の実績になるから喜んでいる可能性がある。仕事そのものを楽しんでなかったような気がする。この案件だけじゃなくて、今年に入ってから。つまり、自分で全体観を把握し、設計し、推進するようになってから。言われたとおりではなくて。そう、自分でやるようになってからだ。任される、といえば、任される状態。多分、守りたかった。失いたくなかった。「任されてもらってる」この状態を。失敗して、もうおまえあっちいけー、とか、なりたくなかった。――――――――――――――――そういえば・・・、高校のとき、部活で、レギュラーポジションについてから、いつもヒイヒイ言ってた。Bチーム(二軍)ではいい動きしてたのに、上がるとボロボロ。ボール全部ノッコン、無事にキャッチできても、パス出せず一人で突っ込んで撃沈・・・みたいな。。。体が硬直して、全然ダメで。Aに上がってはBに落とされ、チャンスを得てはミスをし・・。上がるために一生懸命やってたのに。上がるのは得意でも、上に留まるのはダメ。上がるまではピカピカで、上がるとボロボロ。なんでかなあ~? って友達も心配してくれていた。そのうち、僕は、Bチームにいる方が気楽でいいなあ、なんて思い始めてた。Bチームでは、今の言葉で言うと、ストレスフリー/バイアスフリーで、もう好き放題プレーをし、結果も出てた。楽しかった。満足してた。帰り道で、お菓子屋で、よくなぐさめられてた。でも、何回も「A落ち」が続くから、みんな、もう触れんとこ、と思い始め、僕も、それ以外の話題をするようになっていた。上に上がると、途端にボロボロになる理由、もう考えなくなっていった。多分、僕、ラグビー向いてないんやわ、と、サックリと逃げの結論を出してた。ラグビーは、見るスポーツやなあー、とか真剣に結論出してた。。。――――――――――――――――なんで、だったんだろう??? そのときは、理由が、全然わからなかった。13年後の今日、31歳でやっとわかった。多分、守りたかった。失いたくなかった。「やらせてもらってる」っていう状態を。失う恐さで、自分で、自分をつぶしてたんだ。――――――――――――――――失敗したら、もうおまえあっちいけー、とか、なりたくなかった。プレーするごとに、今のでよかったんか??? よかったんか??? って、もう気が気じゃなかった。監督がメガホンとらないか、いっつも横目で見てた。メガホンとると、「xxくーん、もういいー、交代ー」っていうんだ。いつもより、ちょっと優しめに。そしたら、僕は「やっぱりなあ・・・」って、目をキュってつむって、ションボリしながら、ラインの外に走って出ていくんだ。恥ずかしさ一杯で。そして、僕は悔しいなあ、と、涙ポロリとしつつ、どっかで「ほっと」していた。そんな夜は、逆にグーグー熟睡できた気がする。「やっぱりダメかあ」って、思ってた!!! あんとき!! 「やっぱり」って!! ありえねー!!! ポジション外されて、ほっとしてた!!! ありえん!!! ――――――――――――――――(仮説)僕という人は、、、1、ストレスやプレッシャーに、他人の何百倍も弱い。 だからこそ、思考や生体反応に無意識のバイアスをかけてしまう可能性がある。2、僕は、オフェンシブ・マインドにある場合は、 自分の力を大きく出して、相当のパフォーマンスを発揮できる可能性がある。3、ディフェンシブ・マインドにある場合は、 途端にネガティブとなり、必要以上にガチガチになり、 いつも通りのパフォーマンスを出せない可能性がある。(上記より導かれる仮説)そんな僕は、、、一、上がろう、上に留まろう、じゃなくて、 (上に行って)そこで楽しもう、というのが 正しい、とるべきスタンスなのかもしれない。二、目の前の仕事を、僕、100%楽しめているか? この仕事を完成させる=関係者を幸せにする、 という以外の観点から、自分にバイアスをかけてないか? (例えば、自分が幸せになろうとしてないか) を、パフォーマンス・メジャメントの先行指標として活用してもいいかもしれない。――――――――――――――――今、こんなことに気づき出したのは、必要だったからだと思う。もっと大きい、もっと楽しい仕事をやる心・体になるために。そのために、このマインドトラベルへの出発が必要だった。以上
2005/09/03
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今日、例の大企業とMTGをした。先方担当者いわく、「本日は、わが社の”偉い人”と、貴社の”偉い人”を招きます。 決して粗相のないよう、綿密な準備と・・・ あーでもないし、こーでもない・・・」おいー、てめー、誰のために仕事してんだよー。しかし・・・、――――――――――――めっちゃ楽しいMTGだった。話すのは偉い人だけ。僕は、末席でそのやりとりを、緊張しながら聞いていただけ。そして、僕は、今日、合意できなければ、どうなるのか・・・と、ビクビクしていただけ。結果は・・・、超★盛り上がっていた。――――――――――――僕は、今日のことを一生、忘れないだろう。相手の”偉い人”が言ったんだ。そんなつもりはなかったのに、相手のペースに巻き込まれて、ガチガチになっていた僕達に。粗相がないようにしよう、とにかく無事に案件を成立させないと・・・、なんて、いつの間にか、そんな風に考えていた僕達に。「ほらほら、そんなに硬くならないで。 せっかくだから、楽しんでやりましょうヨ~★」って。「そうだね、このボタンはこうしたいね~♪ それから、こういうタレントを使って、バーンと、ドーンと行って。 今までにない、全く新しいものをつくろうよ!! ・・・ウヒョー、楽しいなあ★」「やっと、楽しい話ができるよね~ この日を待ってたのよ~ サービス・事業をどうするか。楽しいね~★ あ、あの、ストラクチャーとかは、なんか、適当にやっといて♪」とても愉快なオジサンだった。。。――――――――――――僕は、目から、ウロコが落ちたんだ。一体、僕は、何をしてたんだろうって。そうだよ、この案件、楽しいんだよ。だって、新しいんだもの。僕は、自分で自分を、つまんない方へ追い込んでいたんじゃないか。その場にいたメンバーの中は、僕を含め、年齢が若い人間ほど、ガチガチで、楽しんでなかった。疲れていたから、かな。もしくは、この案件の当初、僕は大きなチョンボをし、相手に迷惑をかけた。相手の信頼を壊し、案件そのものが壊れかけた。必死のカバーリングを行った。もう一度、チョンボをしたら、絶対にダメだ、と自分に釘を刺していた。必要以上にこわばっていた。僕が関与する案件は、全て成立させねばならない、100%の完成度でなければならない、 ^^^^^^^^^ ^^^^^^^^^^^という、変なプライド・エゴで、カチンコチンになっていた。そういえば、途中まで、僕だって楽しんでいた。家に帰るのがイヤなくらい、楽しかった。こんなに楽しい案件は初めてだ、くらいに思っていた。楽しい♪ 楽しい♪ って、毎日、歌いながら仕事していた。メンバーの中で、僕が一番、楽しんでいたくらいだった。。その後、ミスに怯え、眠れない日々が続き、(どっちにしろ寝てない・・・)ミスをカバーした上で全体の論理整合を追求するという苦しい作業に追われ、かつ、自分でコントロールできない、初めてのタイプの相手に翻弄され、イライラを募らせていたのだ。しかも、そのイライラは、決して相手のせいではなく、僕の「何とかミスをカバーし、着地させたい」という、いつもよりエゴが強まった欲求によって、増幅されていた可能性がある。そして、完全に、まるっきり、本質を見失っていたんだ。――――――――――――僕は、思い出した。相手の”偉い人”が、新しいサービスについて、本当に楽しそうに話す顔を見て。こういう人のために、働きたい、って思って、僕は仕事してきた。こういう案件をつくり、こういう人が楽しく仕事ができるようにする、こういう人が、こういう笑顔を見せて仕事をできる、ということこそが、自分の存在意義だ、と思って、僕は仕事してきた。完全に、忘れてた~。いつから、自分が主役だなんて、思うようになっていたんだろう。交渉の矢面に立ったり、プロジェクト全体を見るようになったからかな。いや、ミスをし、カバーしたい、自分の存在・力・成果に傷をつけたくない、と思った瞬間から、だろう。相当にエゴが入った状態だったんだなあ。。。バイアスをかけずに物事を見ろ、といつも言っているのに、、、僕自身が、僕という存在をタテに、全てにバイアスをかけてしまっていた。――――――――――――僕は、昨日の何年かぶりの、どん底・やけ酒から、一気に自分を取り戻せた。31歳の僕にとって、この案件と、昨日のどん底と、今日の気づきは、必然だったんだと思う。皆さん、本当に、ありがとうございました。以上
2005/09/02
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言葉が、届かない。言葉が、返ってこない。彼らは、僕という人間や、僕という本質を見ようとしないのだろうか。言葉に秘められた感情や背景に、思いを馳せようとしないのか。僕のぶつけた言葉が、めぐりめぐって、僕の上司に返ってきている。伝言ゲームか!! どうして、目の前の僕に言わないの? 大きい会社の人は、特にそうだ。僕の上司としか、話す気がないのかな? ―――――――――――もしかして、肩書・・・なのかな・・・? だって、明らかに僕を見ていないもの。空しい~いくら心血を注いでも、いくら相手の心中を読んでも、いくら頭を捻って、二人が幸せになっていく立て付けを考えても、相手が僕を見ていないんだもの。僕のこと、この案件が終われば、1秒くらいで忘れちゃうのかな。肩書があれば、言葉が届くのだろうか。肩書があれば、言葉が僕にぶつけてもらえるのだろうか。肩書があれば、僕を永遠に記憶に焼き付けられるのだろうか。もし、肩書じゃなければ、一体、何なのかな。僕の魅力が足らないのかな? こんな空しいの、久々だよ。こんな手触り感のないの、久々だよ。お前が、この仕事を進めてるんちゃうんか~!!! お前が、今、発した言葉は、じゃあ、一体、何なんだ? 俺は、お前の、何も見なくていいんか? お前は、一体、何なんだ? 俺は、一体、何なんだ? 俺を、見ろよ。お前の顔を、俺に見せろよ。顔が見えない仕事は、もうやりたくないよ。―――――――――――いや~、これが、大企業サラリーマンとの仕事よ、気にするな~♪と、自分を納得させればいいのかな。新しい経験できて、よかった♪ よかった♪と、ポジティブに捉えれればいいのかな。まあ、本当にそうかも。いい経験だ。でも、ほんとは、すっごい、楽しみにしてたんだぜーーーーこんな大きくて強そうな相手と仕事できるなんて、すっごい、楽しみにしてたんだぜーーーーどんなゾクゾクがあるのかなって、楽しみにしてたのにーーーー俺を裏切りやがってーーー。ちくしょうーーーー。。。つまんねーーーよーーー以上
2005/09/01
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あるドクターの告白。―――――――――――ドクターとしては、取急ぎ、出産を無事に済ませることが本分である。でも、子供は生むものではなく、育てるものだ。だから、一人の人間としては、出産というイベントを通じて、生まれてくる子供のことを真剣に考えてほしい。親としての「自覚・覚悟」を醸成してほしい。不安を取り除いてほしい。両親同士でよく話し合ってもらいたい。、よく考えてもらいたい。しかしながら、僕がご両親にそうなさい、と諭す類のことではない。なぜならば、僕が諭して、持たせた当事者意識など、意味がない。自分自身で、自ら、心の底から、自分の子だ、育てたい!!! という強い思いが芽生えなければ、意味がないから。ご両親がそう向かっていく、親としての自覚を備え始めていく、のを、ただ、見届けたい。妊娠期間の約10ヶ月の期間とは、君自身が世界に飛び出てくるカラダづくりの期間でもあるが、ご両親のマインドセットを固める期間である、と思っている。この期間を経て、本当に「親」になる。子供も親も育つのだ。―――――――――――実はね、みんな、君の受胎をとまどっていた。初めての受胎だからね。そんな中、僕は、君の出産を取り巻く人たちに、「当事者意識」、「責任感」、「自覚・覚悟」が未だ醸成され始めないことに、危機感を覚えていた。特に、君のご両親自身でさえも。なのに、臨月は、どんどん近づいていた。そして、目前に迫っている。君のご両親は、親としての心構え、その芽生えが本当に遅かった。いや、もしかしたら心の内底には秘めていたかもしれないね。ただ、自信が持てなかったのかもしれない。臨月が目前になった今、いつ、僕から切り出さなければいけないか、考えていた。僕が言う類のことではないのに。僕は、ドクターとして、恐かった。このまま、君を出産させることを。本当に、君の誕生が、皆の幸せを運んでくるのだろうか、と。もしかして、君のことを真剣に考えているのは、ドクターである僕だけなのではないか、と。しかし、僕が諭して、持たせた当事者意識など、その後も継続的に能動化しない。自分自身で、自ら、心の底から、自分の子だ、育てたい!!! という強い思いが芽生えなければ、意味がない。僕は、不安を押し殺しながら、出産準備をドンドン進めていた。一ドクターとして。―――――――――――そんな中、今日、ようやく、君のママの口から、「ずっと考えてきたが、この子を育てるには、このようにしなければならない」「ずっと考えてきたが、私だけでは力不足だ、夫の協力も必要だ」「夫に対して話していくにあたり、ドクターも協力をして欲しい」という、強い責任感を伴った、極めて能動的な言葉が出てきた。僕は、ずっと我慢して、この言葉が出てくるのを待っていた。しかし、君のママには、予想以上の強い当事者意識と、覚悟が含まれていた。僕は、涙が出るほど嬉しかったです。僕も、恐かったのです。こんなママの元に生まれてくる君は、きっと幸せになると思う。はやく生まれてきてください。無事に。以上
2005/08/31
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