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父は「飴、飴」と欲しがり、
今日は1個だけと渡したノンシュガーの飴を食べたはずなのに、そのことを忘れてまた飴を買いに行こうとしている。
「飴は買わないで!」と何度伝えても、その言葉は残らない。
歌の練習をしていて「飴のおかげで声が出るんや」と言って飴が有効である事を伝えてくる。
さっき飴を舐めるのではなく、噛んでいたことすら 食べたと結び付かない認知症という病気の現実を目の当たりにした。
一方で、母の行動にもため息が出る。
父がおやつを欲しがったわけでもないのに、回転焼きを温めて「はい!」と当たり前の様に渡している。甘い物はできるだけ控えてほしいと何度も何度もお願いしても変わらない。
掃除機のゴミは毎回捨ててと言ってもそのまま。包丁は縦に置かないでと言っても変わらない。生ゴミもその日のうちに処分してと言っても変わらずそのままを維持。
今日感じたのは、この苛立ちは今始まったものではないということ。
私は昔 23歳でがんを経験した。
でも、それ以前から何度も激しい腹痛に苦しんでいた。後になって食物アレルギーがいくつもあることが分かった。特に雲丹は、食べるたびに30分以内に激しい腹痛が起きていた。それなのに、母は何度も瓶詰めの雲丹を食卓に出していた。
今振り返ると、「どうして子どもが毎回同じように苦しんでいるのに、食べ物との関係を考えてくれなかったんだろう」という思いが消えない。その頃から母への不信感は心のどこかに残っていたのだと思う。
だから私は食べ物にうるさいのではない。
自分自身が、食べ物によって苦しみ、病気を経験したからこそ、健康管理を大切にしたいと思っているだけ。
父の認知症は病気だから仕方がない部分もある。でも、母の行動を見るたびに、過去の記憶までよみがえり、どうしても複雑な気持ちになる。
現時点の介護の大変さだけでなく、昔から抱えていた思いが、今も自分の中に残っていることを改めて感じる今日このごろ。
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