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わしのいた大学は推薦入学制度が無かった為強い選手をスカウトしてくる事はできませんでした。
ただただ強い選手や強くなる選手が入ってくるのを待つだけです。
ただ高校まで強くても大学に入ると伸び悩み普通の人になる人もかなり多いです。
どちらかというと高校まであまり目立たず大学に入って急激に伸びる人や大学を卒業してから伸びる人のほうがとても強くなるようです。
毎年、岡山県ランキング1位とか中国ランキング2位だとか言うのが入ってきますがそういう人に限ってあまり活躍しませんね。
僕の代の岡山県ランキング1位のM田君は岡山大学、広島県ランキング上位だったM川尻君は大学に入ってから伸び悩みわしに追いつかれてしまいました。
中国五大学対抗で一緒に走った時、「M田がこんなに近くにおるがな」とびっくりしたもんです。
そんな中で一際輝いていた奴がいました。1つしたのT崎君です。
高校時代は大した事なかったんですが大学に入ってから2年目までコツコツと練習を続け3年生で一気に花開きます。
中四国インカレ優勝、中四国学生駅伝区間賞、バルセロナマラソン優勝(その他は長距離だったのでよくわからん)など全国的に有名になっていきます。
そして中国駅伝、全国の実業団やら大学の有名どころが参加する歴史ある福山広島間の駅伝であります。
監督のN畑先生はT崎君に全国の強い選手と競わせる為1区に起用しました。
強いT崎君なんと4位で来てしまいました。前には旭化成とかカネボウしか居ません。
広大が順天堂大学の前を走っていると言う珍事が起きました。
しかし、悲劇は2区から始まります。2区のO君は弱い選手ではありませんが所詮普通の大学生、もう、ごぼう抜かれ(笑)
一人目や二人目は追い抜いていく時に「ゴォー」って音がしたそうです。
抜きに抜かれて16人、結局普段の順位に戻るまでに4区かかったらしいですが、その後O君はショックのあまり極度のスランプに陥りました。
その後T崎君は大学を卒業し実業団に行くこともなくあっさりと陸上競技を引退します。
彼にとって陸上競技は学校でのクラブ活動以外の何物でもなかったのです。