元宮城県知事の浅野史郎さん(66)は2009年6月4日、東京大学医科学研究所付属病院に入院した。血液がんの成人T細胞白血病(ATL)と診断され、10日目だった。
病院を訪ねたのは、妻の光子さん(65)や友人のアドバイスだった。同研究所のセカンドオピニオン外来を訪ねると、1週間後の入院が決まった。
入院時の主治医の説明で、「余命(生存期間中央値)は13カ月」という厳しい数字も告知された。それを浅野さんは「中央値ということは、患者の半分は13カ月以上生きるんだ」と解釈した。
そんな楽観的な態度が影響したのかもしれない。骨髄移植前の抗がん剤治療も、「軽い二日酔い」程度ですんだ。副作用の吐き気、脱毛、手足のしびれ、便秘、不眠、食欲低下などには襲われたが、「こんなもんだろう」という気持ちで乗り切った。
当時を振り返って、浅野さんはこんなことを言う。
「『復帰して仕事を』とか、『どこへ行きたい』とか、『これをやらないと死ねない』とか、なーんにもない。病気と闘うことが仕事になったんですから。ふざけた言い方ですが、ゲーム感覚という感じでした」
当時61歳。体力的に骨髄移植の前に強力な抗がん剤を使ったり、全身に強力な放射線を照射したりすることに耐えられない。このため、患者の骨髄を完全に破壊するという前処置が条件の「フル移植」は受けることができない。弱い抗がん剤投与と少量の放射線投与だけを行う「ミニ移植」が採用された。一般的に、ミニ移植は70歳ぐらいまでが対象になる。
「いい病院に入院できたり、ミニ移植が受けられるということも、運がよかったと考えなかったのですか。もう少し年をとっていたら、ミニ移植も受けられないと思いますよ」。記者がそう聞くと、すぐさま切り返された。
「こんな病気になってしまって苦しんで、どこが運がいいんでしょうか」
ただ、浅野さんは運がよかった。浅野さんの前に、国立がん研究センター中央病院(東京都中央区)の田野崎隆二(たのさきりゅうじ)・輸血療法科長(55)が現れた。
写真:闘病中の病室で=2010年1月、国立がん研究センター中央病院

>入院時の主治医の説明で、「余命(生存期間中央値)は13カ月」という厳しい数字も告知された。
>それを浅野さんは「中央値ということは、患者の半分は13カ月以上生きるんだ」と解釈した。
私の場合は抗癌剤が効く人は20%くらいと言われました。私は物事を悲観的に考えるほう。やはり大半の人が効かないと落ち込みはしました。しかし、ゼロではないんだと思い、可能性があるのだとどこかでは思っていて、それが治療に向かう精神的な支えになりました。
家内や娘たちも「効く人もいるから、それにかけよう」と言ってくれたのも支えになりました。
>骨髄移植前の抗がん剤治療も、「軽い二日酔い」程度ですんだ。
>副作用の吐き気、脱毛、手足のしびれ、便秘、不眠、食欲低下などには襲われたが、
>「こんなもんだろう」という気持ちで乗り切った。
この部分は私も同じでした。
>『復帰して仕事を』とか、『どこへ行きたい』とか、『これをやらないと死ねない』とか、
>なーんにもない。病気と闘うことが仕事になったんですから。
>ふざけた言い方ですが、ゲーム感覚という感じでした。
私の場合も『復帰して仕事を』という気持ちはありませんでしたが、『これをやらないと死ねない』というのはたくさんありました。でも、これが病気に立ち向かう気持ちの支えにはなりませんでした。 病気中、毎日を充実して過ごせるかどうかだと思います。「入院で暇で仕方ない」とは思いませんでした。忙しくて仕方なかったです。
ブログを書いて、少人数だけど誰かがこれを読んでくれているといようなことは支えになりました。あと日々の体の色んな測定値(例えば、体温、血圧、尿量など)を自分でグラフを使って分析するとか。そういう意味でパソコン持ち込み可だったのは助かりました。
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