ワルディーの京都案内

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2015/07/27
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テーマ: 癌(3527)
カテゴリ: 癌治療情報
朝日新聞「患者を生きる」2014年10月24日の記事です。

 脳腫瘍(しゅよう)の手術を受けた医師のM.M.さんは、56歳だった2013年9月、放射線治療を受けていた東京大医科学研究所の医師から、脳の別の部分に腫瘍が転移していることを告げられた。手術から1年5カ月後のことだった。

 その日のうちに、NTT東日本関東病院(東京都品川区)に移り、5日後に「ガンマナイフ」という放射線治療を受けることになった。ガンマ線をピンポイントで集中照射して腫瘍をたたく。精度は0・2ミリ。腫瘍部分以外はほとんどガンマ線が当たらず、副作用は最小限に抑えられる。

 ただ、照射する部位を精密にコントロールするために、治療中は身動きができない。松村さんはブログに書いた。〈途中短時間の休憩を挟んで5時間以上身体を動かせないのが辛(つら)かった。目を瞑(つむ)ってじっとしているしかない。修行ですな、これは〉

 O病院の院長を務めていた。副院長だったK.Iさん(55)には当時、「先が見えたよ」というようなことを言っていた。

 ブログにも〈自分がいかに小さく 儚(はかな)い存在なのか 唯一無二の自分は 無限の宇宙からすれば 時空の塵(ちり)にも ならないけれど 僕はここにいた〉と書いた。

 ひとつ心残りがあった。医師としての引き継ぎも済ませた。1年前の講演会で友人には「さよなら」を言った。ただ、ミュージシャンとしての「幕引き」がまだ終わっていなかった。

 1973年から79年までニッポン放送などで放送された深夜ラジオ番組「たむたむたいむ」で、バンド「ハックルベリーフィン」の「まーくさん」として活動していた。ヒット曲「流れ星」もある。

 念願のライブ演奏会は13年11月23日、東京・自由が丘のパブで開かれた。ラジオ番組の司会だった放送作家のK.K.さん(70)、バンドの相方のS.S.さん(57)らと一緒に、赤いバンダナを頭に巻いて往年の曲を歌った。

 M.M.さんは覚悟を決めていた。最後に、夫として、父親として、家族への責務を果たすという「仕事」が残っていた。この年の暮れ、妻Nさん(55)の故郷、岩手県北上市に、Nさん、三女のSさん(24)の親子3人で旅立った。


写真:2013年11月、東京・自由が丘でのライブ演奏会






(お名前は、頭文字表記に変更させていただきました。写真掲載も控えさせていただきました。)


 私は重粒子線治療を受けましたが、この記事の治療同様、正確に粒子線を当てるため、治療中じっとしておく必要があります。これを延べ30数回、1ヵ月半にわたって続けました。でも1回せいぜい30分くらいで、痛くも痒くもないので、全く体への負担はありませんでした。

 私の再発の可能性は3割から5割程度。いつ再発するかもしれません。でも、どちらかと言うと、今までできなかったやりたいことをやっている感じで、なかなか幕引きの準備ができていません。

 相続のことはある程度目途がつきましたが、母が亡くなって空き家になっている三港の実家のこととかお仏壇のこととかがそのままです。維持で精いっぱいです。幸い地理的にはそれほど遠くではないので、季節がよくなったら、やりたいこともやりながら、少しずつでも進めなければならないと思っています。


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最終更新日  2018/09/08 10:29:27 AM
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