ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2015/09/17
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 「茶道」の解答です。

そうだ京都、行こう。神護寺2004年夏
(下記行をクリック)

https://www.youtube.com/watch?v=AfbqoWZE_hE

神護寺2004年夏.jpg


自分で出題し投稿した問題への解答です。
正解の場合は、何も記入していません
不正解の場合▲→の後に正解を示しています。


●茶道

・喫茶が本格的に普及するのは、鎌倉初期、僧(栄西)が(宋)から
 (臨済禅)とともに(茶種)と(喫茶法)を伝えて以来のこと。

・寺院を中心に喫茶が広まり、京都の(梶尾▲)→栂尾や(宇治)など、各地で

 された(梶尾▲)→栂尾の茶と、他の産茶を飲み分けて賭け物を争う、
 (▲)→茶寄合、別名(闘茶▲)→闘茶会が、武家や庶民の間に流行した。

・この頃から(▲)→茶礼と称する茶会の方式が次第に定まり、室町末期には
 (村田珠光)によって(わび茶▲)→禅の精神を取り入れた(草庵の茶)が創始され、
 安土桃山時代、これを受け継いだ(千利休)が茶の湯を大成した。

・その後、江戸初期にかけて、茶の湯は諸大名に好まれて全盛を極め、
 三千家などの茶道宗匠も大名のお抱えとなるが、その家は京都にとどまって
 町人社会への普及を図り、江戸中期には、(宗家▲)→家元を中心とする、段階的な
 (免許)制度により、門人の組織化を進めた。

・江戸後期には、中国の(文人)趣味の影響を受けた(煎茶)が、京都の文人
 たちの間に流行し、家元も生まれた。


 ・生家は和泉国(堺)  幼名は(▲)→与四郎 法名(宗易)
 ・(武野紹鷗)に師事、(村田珠光)が創始した(わび茶▲)→草庵の茶を習得、また
 ・(▲)→大徳寺で(▲)→禅を学び、(▲)→茶禅一味をとなえて(▲)→わび茶を
   大成した。
 ・ 織田信長・豊臣秀吉に(茶頭)として仕えた。

 ・墓は(聚光院)にあり、その茶室(昨夢軒)▲→閑隠席は、利休150回忌に建立された
  という。方丈庭園(▲)→百積の庭は利休作庭という。
 ・高桐院の書院(意北軒)は、千利休聚楽屋敷の広間を移築したといわれる。
 ・大徳寺塔頭(瑞峯院)に、平成待庵がある。
 ・(金森宗和)が、宇治の茶の木で作ったという利休像が(天寧寺)にある。 

・三千家
  表千家(三男)(江岑宗左)紀州徳川家 不審菴
  裏千家(四男)(仙そう宗室▲)→仙叟宗室 加賀前田家 今日庵
  武者小路千家(二男)(一翁宗守)讃岐高松松平家 官休庵

・下京区西洞院正面下ルにある茶道家元~(藪内家)
  当主は代々(紹智)を襲名
  (紹鷗)門下で(千利休)の弟子にあたる(剣仲紹智)を初代として現在に至る。
  代々、西本願寺の庇護を受けた。邸内には茶室「燕庵」)ある。
  三千家を「上流」、同家を「下流」と呼ぶ。

・村田珠光
 ・(わび茶の開祖▲)→侘び茶の祖とされる。
 ・(大徳寺)で(一休宗純)に参禅していたともいう。
 ・その茶の湯は養子・(宗長▲)→宗珠をはじめとする弟子によって広められ、のちに
  千利休から(▲)→茶の湯の開山として評価された。
 ・墓は大徳寺塔頭(真珠庵)で、本堂東庭の庭園は(七五三の庭)と呼ばれ、珠光作
  とも(宗長)作庭ともいわれる。(手水鉢)は珠光遺愛と伝える。
 ・(▲)→酬恩庵の(▲)→虎丘庵庭園も珠光作庭と伝える。

・武野紹鷗
 ・(▲)→珠光の(▲)→草庵茶を磨き、理想とした(▲)→侘び茶を完成させ、
  引き継いだ(▲)→千利休の師匠に当たる。
 ・(▲)→茶道中興の祖といわれる。
 ・大徳寺塔頭の(▲)→黄梅院の囲式四畳半の茶室(▲)→昨夢軒は紹鷗作と伝える
 ・四条室町上ルは紹鷗茶室(大黒庵)のあったところ。
  (菊水の井戸)は山鉾名の由来にもなった。

・灰屋(佐野)紹益
 ・江戸初期の豪商。(角倉家)、(茶屋家)、(後藤家)と並ぶ上層町衆であった
  佐野家の養子。和歌、連歌、書道、茶の湯、蹴鞠などに精通。
 ・随筆(にぎはひ草)を書く
 ・六条三筋町の名妓・二代目吉野太夫を公卿(近衛信ひろ▲)→近衛信尋と競って見受け
  し妻とした。
 ・常照寺に太夫と紹益の(比翼塚)と歌碑がある。
「都をば花なき里になしにけり、吉野は死出の山にうつして」
・墓は(立本寺)

・金森宗和
 ・江戸初期の茶人。(古田織部)や(千利休▲)→小堀遠州の作風を取り入れながらも、
  その茶風はやわらかく、優美であり(姫宗和)と呼ばれた。一方で千宗旦の茶風は
  (乞食宗旦)と呼ばれた。
 ・華道家(池坊専好)などと交わり、陶芸家(野々村仁清)を見出した。
 ・遺構は(▲)→真珠庵書院(▲)→通僊院の(▲)→庭玉軒。金閣寺の(夕佳亭)。
 ・三千院庭園(しゅう碧園▲)→聚碧園の修造も手掛けたという。
 ・(天寧寺)には、宇治の茶木で作ったという「利休像」、宗和が献上した仁清をはじめ
  とする茶道具、宗和の木造などがある墓もある。

・古田織部
 ・(織田信長)、(豊臣秀吉)に仕え、茶を(千利休)に学び、(利休七哲)の一人。
 ・利休なき後、(豊臣家)の筆頭茶人。弟子に(▲)→金森宗和、(▲)→小堀遠州
 ・墓は(三玄院)(大徳寺塔頭)
 ・おりべ寺と呼ばれる(興聖寺)(上京区)には、一族の墓と木造坐像がある。
 ・織部好みの茶室(燕庵)が藪内家に残る。  






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最終更新日  2018/10/02 09:37:49 AM
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