ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2015/09/18
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 問題6 時代祭歴史の再出題分の解答です、

 そうだ京都、行こう。毘沙門堂2011年秋
(下記行をクリック)

https://www.youtube.com/watch?v=8FI-cfJQLww

毘沙門堂2011年秋.jpg


 自分で出題し投稿した問題への解答です。正解の場合は、何も記入していません
不正解の場合▲→の後に正解を示しています。




・昭和15年(1940年)には、京都で最後の天皇となった孝明天皇も合祀された。
 時代祭は桓武・孝明両天皇の御霊代を鳳輦に移し行われる、神幸祭・
 (行在所祭)・還幸祭が中心。

・1回目の時代行列は、明治28年10月22日から24日まで行われた記念祭の奉祝行事と

 時代考証は(XX錦二▲)→金子錦二、(久保田米せん▲)→久保田米僊
 らが選ばれた。


・同41年(孝明天皇百年▲)→孝明天皇百年祭を記念して、坂本龍馬、(高杉晋作)
 といった維新志士列も加わった。

・平安神宮の維持保存のために、全市から成る平安講社という市民組織が整えられ、今も
 この祭の執行母体となっている。
 この講は市内の(旧学区単位)ごとに編成される「組」を単位とし
 て構成されたもの。

・最初は、市役所から寺町通を北上、二条通を西進、烏丸通
 を南下、四条通を東進、(縄手通)を北上、三条通を東進、
 平安神宮へ向かうというルート。


 烏丸通を南下、四条通を東進、(河原町通)を北上、三条通
 を東進、神宮道を北上。
 現在は、四条通が御池通になった。

・(新洞)・錦林両学区は、それまで第3社に属して、前列を
 担当していたが、独立して第7社を組織した。


 それぞれ、新たにできた(楠公上洛列)、(▲)→豊公参朝列に参加した。

◆現在の隊列

・維新勤王隊列
  維新に際して、幕臣が東北地方で反乱したとき、丹波北桑田郡(山国村)
 (現在・右京区京北)の有志が山国隊を組織して官軍に加勢した。
  そのときの行装にならったもの。

・幕末志士列
  桂小五郎、西郷吉之助、坂本龍馬、中岡慎太郎、高杉晋作、
  頼樹三郎、梅田雲浜、吉村寅太郎、(▲)→橋本左内、吉田松陰、
 (▲)→平野国臣等幕末の知識階級の武士で、明治維新はこの人たちの大きな働きに
  よって基礎が築かれた。このほか、幕末に対抗するため天皇を動かさんとした7人の
  公卿のいわゆる七卿落ちの列など、当時の公卿達も列に加わる。

・(▲)→徳川城使上洛列

・江戸時代婦人列
   和宮 孝明天皇の皇妹
   蓮月 江戸時代の女流歌人
  (中村蔵之助▲)→中村内蔵助の妻 
      京都銀座に巨万の富を有した(中村蔵之助▲)→中村内蔵助の妻、
      当時妻女の衣裳比べの会で抜群の誉を得た人。
   お梶→女流歌人で、祇園に茶店を営んでいた。
   玉蘭 池大雅の妻で、閨秀画家として南画をよくした。
  吉野太夫 寛永の頃、京都六条三筋町の名妓。
  出雲阿国 歌舞伎の創始者とされる人

・(豊公参朝列)
   (豊公)の参朝のうち慶長元年五月の秀頼初参内の列をあらわしたもの。

・ 織田公上洛列

・(室町武官行進列▲)→室町幕府執政列
   武家風俗を中心とするもので、(足利将軍)を中心とした当時の武士の
   軽武装姿を表現している。
   (足利将軍)に幕府の執政にあたる(三管領・四職)に任ぜら
   れる主要氏族が御供衆として従い、公家・法中・御博士・医師などの特色ある風俗
   が表現されている。

・(▲)→室町洛中風俗列
   室町時代後半に京の町衆によって盛んに催された(風流踊り)を再現したもの。
   風流傘を中心に、囃子方、踊り手で構成される。
   この風流踊りは全国各地に伝わり様々な芸能を生み出すとともに、江戸時代以降の盆踊り
   の原型ともなっている。

・楠公上洛列
   後醍醐天皇が隠岐から還幸された際、(楠木正成)は一族郎党を率いて
   鳳輦を兵庫に迎え、先駆として上洛した。その(楠公)一代を通じての盛事で
   あった行列。

・中世婦人列
  (大原女) 洛北の婦人で古来薪、炭等を頭にのせ京の町へ売りに出た
   桂女  洛西の女性が髪を白い布で包み、着物を短く着た装束で、主として鮎と飴を京の
       町々に売り歩いていた。
   淀君  豊太閤の側室で(浅井長政)の娘
  (阿仏尼) 藤原為家の室
   静御前  源義経の愛妾で白拍子。

・城南流鏑馬列
   承久3年、(後鳥羽天皇)は朝威回復をはかられ、(城南離宮)で
   流鏑馬に託して近畿十余国の武士を召された。 この列は狩装束の射手の武士を
   中心とした5組をあらわしている。

・(藤原公参朝列)
   平安中期以後、藤原氏の盛時における文武両様の姿をあらわしたもの。

・平安時代婦人列
  (巴御前) (木曾義仲)のちょう愛をうけ、(義仲)没後尼となったと伝え
       られている。
  横笛   建礼門院の雑仕女で滝口の武士斎藤時頼と恋におち、嵯峨へ
       時頼を尋ねて行く姿。
  常盤御前 (源義朝)の夫人で、(義朝)亡き後、三児を連れて六波羅
        へ名乗り出るところ。
  紫式部  (藤原宣孝)の妻で、源氏物語の作者。
  清少納言 (清原元輔)の女で、枕草子の著者。
  紀貫之の娘  貫之は延喜の頃の名歌人でその娘。
  小野小町 (小野良貞▲)→小野義貞の女で才色ともにすぐれた人。
  和気広虫  和気清麻呂公の姉で、慈悲深く多くの孤児を養育した人。


・(延暦武官行進列)
   本列に大将に当る者は征夷大将軍坂上田村麻呂を擬したもの。

・(延暦文官参朝列)この時代の公卿諸臣の参朝の状景をあらわしたもの。

・(白川女献花列▲)→神饌行進列

・ 前列
  (神幸列)に前行する故にこう呼ばれる。(雅楽)の伶人、
  (▲)→迦陵頻伽、(▲)→胡蝶等優美な行列で、また多数の狩衣姿の供奉もある。

・(神幸列)
  御賢木(おんさかき)を先頭に、御鳳輩を中心とする神幸の本列。
  先の御鳳輦が(孝明天皇)、後の御鳳輦が(桓武天皇)で即ち御神祭が
  この京都を御巡幸になって、市民の安らかな様を親しくご覧になるのであって、全各行列は、
  この御神祭におともをして行進するわけで、本行列中、主たる意義をもつ列である。

・(▲)→白川女献花列

・ 弓箭組列
   丹波国南桑田、船井両郡には、源頼政に従って弓箭の術を究めた者が多く、
   その子孫も平素、弓箭組を組織していた。桓武天皇平安遷都の際その御列の警護に
   あたったとも、また、維新の際には山国隊とともに活躍したともいわれている。





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最終更新日  2021/03/07 11:14:12 AM
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