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昨日は朝からまたお腹がシクシク痛く、自分でもどうしようかと悩んでいました。朝、ブログを投稿してから、主人のお弁当を作り、主人をお見送りして、お庭でお花の水やりをして、2階のベランダに洗濯物を干して、汗だくになりながら、さえりんのいる2階のリビングに戻って、パソコンを開いてみたら、ビックリΣ(゚Д゚)もう8件くらいコメントが・・・みなさん、私の「謎の腹痛(;^ω^)」のブログを見て、「すぐに病院へ」と書き込んで下さっていたのです。それで、ようやく重い腰を上げて病院へ行こうと思いました。実は私は病院が大っ嫌いなんです!!こんなにたくさん病気をしていて、今も健康診断をすれば絶対にたくさん引っ掛かりそうな状態なのですが・・・(;'∀')病院嫌いな理由は・何時間も待たされる。・検査ばかりでお金ばかりとられる。・挙句の果てに、「原因がわかりません。病名もつけれません。」 と匙を投げられて、紹介状を書かれて違う病院へたらい回しされる。 たらい回し先でも、再検査の末、原因不明で簡単に処理されてしまう。・病院へ行っても、その症状が劇的に治ったと思えることが少ない。どの病院でもここ10数年そんな思いばかりさせられてきたのです。だから、なるべく病院へは行かずに、時が来たら自然に治ったらいいなあといつも思ってしまうのです!!それでも昨日は意を決して、家から車で5分くらいの近くの胃腸科の病院へ初めて行きました。案の定、予約もない初診なので1時間半くらい待たされて、もうやめて帰りたくなったころ、ようやく診察に呼ばれました。年配の医者に問診と触診され、謎の腹痛の正体は「急性胃腸炎」でした。「原因は、ウイルスか細菌ではないかと、薬を5日間飲んで様子を見て、まだよくならなかったら来てください」と医者に言われました。私は面倒な検査もせずに簡単に終わってホッとしました。何よりすぐに病名がついて、薬をもらえたことにも安心しました。病院へいって悶々と不快な思いをしなかったのは本当に久しぶりな感じです。それほどまでに今までは原因不明のたらい回しで嫌な目にばかり遭ってきたのです。こんなに簡単に原因と対処法がわかるのなら、来て良かったと思いました。これも、みなさんが「病院へ」と勧めて下さったお蔭さまだと思いました!!家に帰ると次女が起きてきて(次女は夏休みで昼夜逆転生活をしている(;'∀'))「ママが自分から病院へ行くのは珍しい。パパや私が何を言ってもママは絶対に言うことを聞かないのに、ブログの力はすごく大きいね!!」と驚いていました。次女に「急性胃腸炎」だったというとネットで調べて、「それでもママの場合はストレスも凄く関係してると思うよ!!大きな病気じゃなくて良かったよ!!」と言ってくれました。そうなんです!!私はこの家の中でも、母(姑)と並んで、病気メーカーなんです!!言い換えれば、トラブルメーカーのような存在です・・・(;'∀')次々に大きな病気をしたり、原因不明の症状が出たり、慢性的な不健康で病気の宝庫、家族にも心配ばかりかけているんです・・・(;^ω^)自分でもあまり長生きは出来ないだろうなと思っています。今までは、娘たちをこの世に残しては死ねないとと思っていたのですが、今となっては、次女はもう少ししたら大学を卒業し自立するだろうし、早くさえりんに逢いたい気持ちもあって、長生きできなくてもいいやって思うようになっていたのです。それでも、今はまだまださえりんのために民事裁判もあるし、さえりんの遺志を継いでやりたいこともあるし、メッセンジャーデビューもまだ出来ていませんし、今死んだらやり残したことが多くて後悔ばかりが残るだろうって思うようになったのです。だから、あと数年、もう少しの間は、あの世へ逝く訳にはいかなくなってしまったのです。私としては早くあの世で、さえりんに逢いたい気持ちはやまやまなんですが、でも、今逝ったとしたら、さえりんは何ていうのだろうかとも思うのです!!ママはまだ私の代わりにやらなきゃいけないことがあるでしょ!!ママはまだ頑張って私の分まで人生を全うしてから来てね!!さえりんは、こんな風に言うのかな??それとも早く来て!!っていうのかな??どちらにしても、ママのこれからの人生はさえりんのために精一杯生きて、さえりんのために死んでいこうと決めたからね!!それがママの使命であり、ママの役割なんだと思っているんだよ!!少しは次女のためにも時間を使うけどね(≧▽≦)さえりん、もう少しあの世から見守っていてね!!ママなりにやれるだけ、頑張ってみるよ!!その時がくるまで待っていてね!!さえりん(さえりん5歳 幼稚園にて)夜、主人に私が自分で病院に行ったことを伝えたら、主人からも「お前は俺の言うことは全然聞かないのに、ブロ友さんの言うことなら素直に聞くんだな!!これからなんかあったらブロ友さんに言ってもらおう!!」って言われちゃいました(≧▽≦)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年08月21日
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一昨日の夜、急に吐き気と腹痛に襲われました。一昨日はお昼に友人2人が来てくてれて、夕方Hちゃんに少し頼みごとがあり寄ってもらって外で1時間くらい立ち話をしました。そして、夕方晩ごはんを作ろうとしたら、急に吐き気と腹痛が・・・(;'∀')それでも、仕事で疲れて帰って来る主人に迷惑をかけてはいけないと思い簡単なものを急いで作り、ベッドで横になりました。軽い熱中症かな??何か悪いものでも食べたかな??それとも病気??横になっても右わき腹の腹痛は酷くなるばかり・・・そのうち1分間隔くらいでキリキリと差し込むような痛みに変わりました。これってもしかしたら盲腸の時の痛みに似た感触。でも、盲腸は数年前に手術したから違うと思うし、いったいなだろう・・・冷たいものの飲みすぎ??便秘??それともストレス??思い当たることはたくさんありますが、原因はわかりません。主人が仕事から帰ってきました。事情を話して一人でご飯を食べてもらいました。その間も痛みは酷くなるばかり、私は主人がご飯を食べるリビングの隣の寝室で唸っていました。主人は「大丈夫??」と一応心配はしてくれますが、テレビを見ながら、黙々とご飯を食べています。いつものことながら、少し寂しい私・・・次女も遊びから帰ってきましたが、調子が悪いことを伝えても、「大丈夫??早く寝なよ」でおしまい。次女の反応はよくわかっていることけど、虚しい・・・主人がネットで調べて「こんな病気なんじゃない??」といくつか病名を言います。「明日病院へ行くか??」と言う主人に、「明日になっても治らなかったら決める」と苦しみながら言う私。そして私はつい思ってしまうんです・・・こんなとき、さえりんがいてくれたらなあ・・・(>_<)さえりんは、いつもいつも私の体を心配してくれました。さえりんがいたら、もっと優しい言葉をかけてくれたのかな??さえりんがいたら、私の心はきっと寂しく虚しくなんかならないのかな??さえりんは、いつも私の顔や様子を察してさり気なく気遣ってくれたなあ・・・さえりんは、私のことが大好きで、元気でいてもらいたいって思ってたよね。さえりんは、いつもいつも私のことをよく見ていてくれていたなあ・・・さえりんみたいな、優しい子他にいないよね。さえりんに、また逢いたいよ!!毎日逢いたいよ!!さえりんの、温かい言葉聞きたいよ!!さえりんの、温かい体に触れたいよ!!さえりんは、いつもいつも私に何かを与えてくれたよね!!さえりん、早くママを迎えに来てよ!!頭の中でさえりんへの思いがグルグルと回ります。気が付いたら、いつの間にか寝ていました。朝、目が覚めたらお腹に違和感と鈍痛は残っているものの差し込むような強い痛みは、いつの間にかなくなっていました。あれは何だったんだろうか、原因はわからぬまま・・・もしかしたら病気かも知れませんが、そうじゃないかもしれない。とりあえず、落ち着いたので様子をみることにしました。でも、私は思ったのです。さえりんが心配して来てくれたのかな??もしかしたら、さえりんが治してくれたのかな??本当のことは誰にもわかりませんが、そういうことにしておこうと思いました。そして、体のどこかが痛かったり悪くなると必ず思うのです。今までどこも悪くなく元気でいられたことは、本当は当たり前じゃなくて有難いことだったのだと。元気な時は当たり前過ぎて、何の感謝もしないけど、それでも、調子が悪くなって初めて、元気だったことに感謝できるのです!!自分が痛い思いをして初めて気付くこと、その立場にならないと分からないことってたくさんあるのだと思うのです。さえりんのこともそれと同じかも知れません。今まで当たり前のように側にいてくれた時は、それほど感謝も少なく当たり前で、いなくなって初めて、どれだけ大切で大事で大きな存在だったのか気付くのです。でも、気付いたときには、もう遅いのです・・・(>_<)もっともっと、側にいてくれた時に大事にしておけばよかった。もっともっと、側にいてくれた時に優しく愛してあげれば良かった。と、また後悔が怒涛のように押し寄せてくるのです・・・それでも、私の心の中のさえりんは、いつもいつも笑っているんです!!「ママ体大丈夫??」「ママいつもありがとう💛」「ママずっと大好きだよ💛」って、ふわっと柔らかくて温かい大きな体で私をぎゅっと抱きしめてくれるのです。さえりんは私の娘なのに、私がさえりんの大きな愛に包まれているようなさえりんに優しく守られているような気持ちになるのです。(さえりん幼稚園年長、次女年少の親子遠足 日本モンキーパークへ)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年08月20日
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昨日は午前10時半ごろ、我が家のチャイムが鳴りました。いつもの宅配便かなと、父が対応してくれるだろうと思っていたら、私の友人2人が突然遊びに来てくれたのでした。この2人は私より1歳上と3歳上の、もう15~20年来のお付き合いの方々です。お一人のMさんはご主人を癌で若くして亡くしておられます。もう7、8年前のことです。当時高校生だった下の息子さんお2人も立派に社会人になられて、長女さんも医療関係のお仕事で頑張っておられます。お2人が買って来てくださったロールケーキを頂きながら、「おばさん女子トーク」にたくさん花が咲きました。お2人はさえりんが小さい頃からよく知っていて下さった方ですし、今はさえりんのために何かしていきたいという私の思いもよくわかってくださり、「頑張るんだよ!!応援するからね!!」と理解を示してくださいました。会話の中でも一番の関心事は、子ども恋愛や結婚や、将来のこと、自分の老後のこと、家の跡をどうするか、お墓問題などなど。涙あり笑いありの楽しいお話の中で、Mさんが私にこんなことを言いました。「それは、やっぱりあなたには旦那さんやお父さんがいるからだよ!!一家の大黒柱がしっかりいてくれるのと、いないのでは全然違うんだよ!!」私はそうなのかな??くらいにか思いませんでしたが、もう一人のNさんも頷いてみえました。しかし、その時思いました。みんな自分がその立場にならないと分からないことが、たくさんたくさんあるんだと。きっと旦那様を亡くされたMさんの本当の気持ちはMさんにしかわかりません。娘を事故で亡くした私の本当の気持ちは私にしか分からないのと同じように。それでも、それでも、たとえ本当の気持ちはその本人にしかわからなかったとしても、人の話に耳を傾け、心から共感することは出来るんだと思うのです。それで、いいのだと思いました。私は今までこうして一人で家に引き籠りパソコンにばかり向かって、ブログやメールを通して理解してよくわかってくださる方とだけしか関わっていませんので、心乱されたり、荒されることも少なく、守られた生活をしていますが、それでも、世間にはいろんな思いをしながら、一生懸命に生きてみえる方は大勢みえるんだと思いました。決して私だけが不幸だなんて思っていませんが、他の方の波瀾万丈な人生を知ることで、その方を理解して共感できるだけの心は持ち合わせていなければと思ったのです。先日、畑で水やりをしていたら、ご近所の奥様に声をかけてもらいました。ほんの少しの時間世間話をする中で「うちなんて娘3人のうち2人結婚して孫も出来て、周りからは安泰でいいねって言われるけど、本当はいろいろあるんだよ。言わないだけで、何にもない家なんてあまりないと思うよ。」とご家族の悩みを少しお話しくださいました。私は、大変な思いをしてみえる方は身近にも大勢見えるんだなと思いました。今まで私は、決して不幸自慢はしたくはありませんが、それでもこんな波瀾万丈の人生はもう嫌だ、二度としたくないと思っていました。だけども、こんな地獄のような経験と共に、人の優しさや温かさに救われて今もまだ生きていられるのです。そういった意味では、地獄と天国を一緒に味わっているようなものなのです。そして、昨日のMさんもそうですが、ご近所の奥様も、ブログを通して知りあえた大勢の皆様も、みんな与えられたご自分の人生を一生懸命に生きて、精一杯その役割を全うしてみえる方々ばかりなのです!!本当に、たくさんの方々から、人生の大切なことを教えていただいているのです!!そう思うと、私の人生もまんざらでもないかもしれないと思えるのです!!まだまだ大先輩のmeronさんのように「おまけの人生を楽しむ」境地にまではなかなか時間がかかりそうですが・・・(;'∀')先日、Facebookにこんな素敵な文章を載せて下さった方がみました。勝手に載せちゃってごめんなさい・・・(≧▽≦)嬉しいとき、悲しいとき、悔しいとき、涙があふれるのは心が綺麗なあかし。心が素直なあかし。あなたが一生懸命に生きているあかし。あたりまえのようであたりまえじゃない。今日の日に感謝して愛する人と一緒に愛する仲間と一緒に今日も笑顔で歩いて行こう。泥にまみれ汚れるときもあるけれど一生懸命生きるあなたの涙がなんどでも私の心を綺麗にしてくれる。無理に笑わなくていいんだよ。弱さを見せてもいいんだよ。人を頼っていいんだよ。泣いてもいいんだよ。私もこんな風に生きていけれたらと、心からそう思ったのです!!いつまでも、いつまでも、いつまでも、さえりんと一緒に(さえりん5歳 はじめてのピアノ発表会)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年08月19日
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<少し前の話に遡ります>お盆の後半、8月15日に実家の父のお墓参りへ行きました。いつもよく、浜松に住む妹家族と日にちを合わせて行くことも多いのですが、今年はコロナが心配なため妹家族はまた少し治まってから来るとのことです。私もどうしようかなと思いましたが、やっぱりさえりんのことを父にお願いもしたくて、お墓参りに行くことにしました。実家の父は今から11年前に胃癌で亡くなりました。70歳の誕生日の3日後でした。胃癌が見つかった時はもうすでに手遅れで、手術も手の施しようもありませんでした。父はもっぱらの呑兵衛で、タバコも吸っていました。胃癌の末期で治療も出来ないと宣告された時、母と私と伯父が立ち会いました。父は静かに「じゃあもういいです。何もしないで自然のまま生きて、自然のまま死んでいきますから」とうろたえることもなく穏やかにそう言いました。延命治療はしないという父の決断です。私たちは父の意向に沿うことにしました。しかし、父は最終的には抗がん剤治療をし、最初の余命宣告より長く、1年4ヵ月生きてくれました。父の心を動かしたものは何だったのかはわかりません。でも、一番は母のことを想ってのことかもしれないなあと今ならそう思うのです。父と母はお見合い結婚です。母は一人娘で家の跡をとらなければならず、父は四国から集団就職で愛知県の車関係の会社で働いていました。取り持ってくださる方がみえてお見合いしたそうです。しかし、その時、母にはもうすぐ2歳になる私がいました。最初の結婚が上手くいかず、母は今でいうシングルマザーだったのです。私は昼間祖父母が面倒を見て、母は近くの工場で一日中働いていました。それでも、父は養子にきて、私の父親になってくれたのです。その後、妹、弟、弟が産まれ、大人4人、子供4人の大家族になりました。父は4人の子供を分け隔てなく、育ててくれました。私も何不自由なく普通に育ててもらえたことは本当に父のお陰だったと思います。父は私がお嫁に行くとき結婚式の招待状に『「養女」ではなく「長女」と書いてちゃんと俺の娘としてお嫁に行きなさい』と言ってくれました。また、私が癌を患いながら次女を出産することを嫁ぎ先の家族に反対された時も「もし何かあったら俺が責任をとるからお前の思ったように、産めばいい」と一番先に味方になってくれたのです。その時から私はこの小さい体の父のことを器の大きな人だと心から尊敬しました。そして、血なんか繋がっていなくたってちゃんと親子なんだと、私の父なんだと思いました。そして、父が亡くなる2日前実家で母に看病されていた父に会いに行ったとき、お饅頭を持って行きました。今までお酒が大好きな父はあまり甘い物は食べませんでしたが、その時はなんとなくお饅頭を買ったのでした。そして父の寝ている部屋の近くのテーブルに置きました。帰る時、私は父の手をぎゅっと握り「お父さん今までありがとう!!また来るね!!」と握手をして別れました。父は何もしゃべれず「おーーー」と言って笑顔で手を握り返してくれました。その2日後の早朝母から私の携帯に電話が入り「お父さんが危ないからすぐ来て」と言われました。私はすぐに主人と子供たちを起こして実家へと向かいました。車で約40分、急いで実家へ着くと父は近所の主治医と看護師さん、弟たちに交代で心臓マッサージをされていました。私たちが実家へ着くと主治医は、「娘さんが来たからもういいね」と言い、心臓マッサージをやめました。私に最後に逢わせるために頑張っていてくれたんだと思いました。私は妹に心から申し訳なくなりました。本当なら、父は自分の最初の子である妹のことが可愛かったに違いないのに。妹もお父さん子で父のことが好きだったはずなのに、妹は遠く九州の地にその時は住んでいて、亡くなる前も、死に目にも逢えず、私が妹の代わりになってしまい「本当にごめんね」と心で謝りました。あとで母に聞いた話ですが、父はもう何も食べれなくなっていたのに、亡くなる前の夜、テーブルに置いていった私が買ってきたお饅頭を最後に食べたのだそうです。「夜中に起きて這っていき、一人で食べたみたいだ」と教えてくれました。私は、この世の最後に父が食べたのが私が買ったお饅頭だったことが嬉しかった。私は心配ばかりかけて育ててもらっただけで、何も恩返しができなかったけど、些細なことですが、ほんの少しだけ心がほっこりしました。そんな父が亡くなり10年後に、思いがけず孫のさえりんがあの世へ逝ったのです。さえりんは一緒に住んでいる祖父母も、私の実家の祖父母もどちらも大好きでした。最後に実家へ行ったのは、2019年1月、成人式の日でした。事故の5ヵ月前です。市の文化会館で成人式を終えたさえりんに「今から実家へ行って振袖姿を見せにいかない?」と言う私に、さえりんは「うん!!いいね💛」と喜んでパパと3人でその足で実家へと行きました。さえりんは得意そうに振袖姿をお披露目して、お祖母ちゃんと遺影のお祖父ちゃんとさえりんは3人で、ニコニコ嬉しそうに写真を撮りました。これが、最後の実家になってしまうなんて、思いませんでした・・・今年のお盆はコロナもあってお墓参りも辞めようかとも思いましたが、せめて私だけでも、父のお墓にさえりんのことをお願いしたくて行ったのです。さえりんがあの世で知っている身内は唯一、父だけなんです。あとのご先祖様はさえりんにとっては、見たこともない、会ったこともない人たちばかりなのです。お墓参りには、次女も一緒に来てくれ、母にお小遣いをもらいご機嫌でした。次女と2人で父の墓前に手を合わせて、私が「お父さん、さえりんをどうかよろしくお願いします!!」と言うと、次女が「お祖父ちゃんはお姉ちゃんにあの世でお酒飲ませてるんじゃない??」と笑いました。私は「さえりんはまじめだからお酒なんて飲まないよ!!」と言うと、次女は「お姉ちゃんはもうお酒が飲める年だよ!!私だってもうすぐ20歳になるんだから、お祖父ちゃんが生きていたら一緒にお酒飲みたかったよ!!」と言いました。父もきっと孫と一緒にお酒が飲めるくらいまで、長生きしたかっただろうなと思いました。父は、こんなに早くさえりんが突然あの世にきて、さぞ驚いただろうと思います。それでもきっと父なら、親身になって面倒を見てくれていると思うのです!!だって生前父は、よくこう言っていました。「縁あって俺の元に来た子は、みんな俺の大事な子供だ!!」と。私は『お父さん、今まで本当にありがとう!!今度は、私がそっちに逝くまで、さえりんのことをどうか可愛がってやってくださいね!!』と父の墓前に、心の中で強く強くお願しました。(さえりん5歳 交通公園・お墓・自宅にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年08月18日
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昨日でお盆はあけてしまいました。この地方では送り火は焚きませんが、せめてもと思い夕方お墓参りに行きました。さえりんはお墓には入っていないのでお墓からではありませんが、ご先祖さま方と一緒にあの世へ帰っていくのかなと、空を見上げました。どこかもの悲しく、また寂しくなって、心が空虚になりました・・・(>_<)帰省していた子供が帰っていくときの親の気持ちってこんな感じなのかな??私にはそんな経験もないまま、さえりんと離れ離れにされてしまったので、自分でもこの感情のやり場がよくわかりません・・・子供を亡くした親はみんなこんな気持ちを毎年、毎回、毎日、毎分・・・永遠に抱えて生きていかなくっちゃいけないのでしょうか???私は、娘の事故の真実を明らかにしたいという熱意だけが支えになって、なんとか、なんとか、日々を生き抜いているという感じです。昨日は夕方4時ごろ親戚の伯父ご夫妻がさえりんのお参りに来てくださいました。親戚といっても、伯父さんは母(姑)の従兄にあたる方でどちらかというと遠い親戚です。ただ、隣町でお店をされてみえるので私は伯母さんにはよくお会いします。昨年、さえりんの通夜葬儀にも来てくださり、初盆にもお参りに来てくださいました。その時は私が出かけていたので、父と母が対応してくださいました。決して悪い方たちではなく、面倒見の良いお世話好きな伯父さんと優しい伯母さんです。それでも、昨日は特に私の心がナーバスだったので、朝「夕方行くからね」と伯母さんから電話をもらった時から少し憂鬱でした。主人は仕事で、私一人では心もとないので、父にも一緒に対応をお願いしました。夕方4時、伯父さんご夫妻は来てくださいました。まず、1階のご先祖様のお仏壇にお参りしてから、2階へ上がり、さえりんの仏壇をお参りしてくださいました。私が「お茶でもどうぞ」と言うと、ソファに座られました。伯父さんは部屋を見渡しながら私にこう言いました。「まだ1年少しだから忘れろとは言わないが、これだけ写真や思い出のものに囲まれていたら、かえって辛くないか??徐々に減らした方がいいと思うぞ」私「・・・・・・・」内心(そんなことは余計なお世話です)と思った(>_<)黙っていたら、父が助け舟を出してくれました。その後も、伯父さんは戦後の話や、災害の話などずっと話し続けた。伯母さんが時々、ゴメンねと言うような顔で、私にニコニコ笑いかけてくれた。私も伯父さんを嫌な気持ちにさせてはいけないので、頷きながら話に加わった。約1時間半、父がうまく区切りをつけてくれて帰っていかれました。伯父さんご夫妻はとってもいい方々で、お忙しいのにわざわざさえりんのお参りに来てくださったことは本当に有難くて、心から感謝しました。それでも、私の心が今、特に傷つきやすくもろくなっているので、帰られてから、心が疲れて、泣きたいくらい悲しくなってしまいました・・・決して伯父さんご夫婦のせいではありません。ただ、今の私はそれほどまでに、外の世界の刺激に敏感で弱くなっているのです。さえりんの気配いっぱいのこの部屋の中で、引きこもって自分を守っているからなんとか、生きていけているだけなんだとつくづく感じました。私はまだまだ、決して立ち直ったわけではないのです。昨日はあらためてそう実感した出来事でした。そして、私の感情は噴出した。決して、元気になったわけでも、明るくも、楽しくもありません!!決して、強いわけでも、行動力があるわけでもありません!!ただ、娘を愛してやまない、普通のどこにでもいる50代の主婦なんです!!ただ、ひっそりと家族に囲まれて、ささやかな幸せの道を生きていきたかった!!ただ、娘たちには幸せになってもらいたかった!!ただ、娘たちには私より長生きしてもらいたかった!!ただ、さえりんを守ってやれなかった自分が悔しく、憎い!!それなのに、未だ生きている私は、いったいこれからどう生きていけばいいの??さえりんは、どうして未だにママを迎えに来てくれないの??さえりんは「まだママにはやることがあるでしょ!!」って言うのかな??だったら、こんなママに、勇気をください!!これから、強く生きていくための、勇気をください!!真実を明らかにして、社会へ、司法へ、こんなことが許されてはいけないと強く訴えていけるだけの、勇気をください!!もう二度と青信号の横断歩道で理不尽に命を奪われることのない社会になるように、声をあげて皆さんに呼びかけられる、勇気をください!!こんなママでもこれからも生きていけるための、勇気をください!!さえりん、お願だよ!!!!ママに勇気をください!!!今はなんだかとっても、ナーバスで弱気です・・・(>_<)それは、お盆が終わってしまったからかな??さえりんが、またあの世へ帰って行ってしまったからかな??途方もない大きな断崖絶壁に阻まれて、力なく立ち尽くす私。どんなに叫んでも、喚いても、誰にも気づかれず、誰も助けに来てはくれない。絶望と、自暴自棄を繰り返しながら、このまま死んでもいいかと投げやりになる。こんな奈落のどん底から何度も這い上がったつもりなのに、また真っ逆さまに落ちる。私の人生なんて、この繰り返しなのだろうかとつくづく嫌になる・・・ここは「生きたまま落ちる地獄」なのではと思える。ふと思った・・・加害者もこんな地獄のような苦しみを味わっているのだろうか????人の娘を一方的に殺しておいて、今までずっと知らん顔ができるような人間が果たして、こんな苦しみを味わうのだろうか????だとしたら、どうして被害者と遺族だけがこんな目に遭わされるのだろうか???こんないい子のさえりんが、いったい何の悪いことをしたと言うの???私はますます、人間が作った不合理で理不尽極まりない法律も、神が作ったこんな不公平な人生も、もう何もかもが信じられない!!!何もかもが、もうどうでもよくなっちゃいそうだよ!!!さえりん、こんなママでもまだ生きていかなくっちゃいけないの??もし「そうだよ!!」っていうのなら・・・この先も、生きていけるだけの、勇気をください・・・(>_<)(さえりん5歳 地元の神社のお祭り)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年08月17日
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夢でもいいから、亡くなった娘に逢いたい・・・それはささやかな、親の願いなんです・・・一昨日の夜、次女が昔好きだったアーチストの曲を久しぶりに聞いてと言って私の寝室へやってきました。ラジオを聞いてたら懐かしくなったらしいのです。次女のスマホから流れる曲を聞きながら、私は涙が止まらなくなった・・・それは、次女が高校生の時、大好きで良く聞いていたアーチストの曲、そして、その頃から次女とさえりんと私はよく3人でカラオケに行きました。次女の歌の練習に。さえりんは歌がとっても上手だった。さえりんはソプラノで声量のある高音がよく透りました。次女はお姉ちゃんには敵わなかった。カラオケでさえりんと次女は一曲ずつ交代で好きな歌を歌って、得点をだしていた。競っていたわけではないけれど、次女はさえりんに勝てたことはなかった。さえりんは時どき妹に、こうやって歌ってみたらとアドバイスしたり、同じ曲を二人で一緒に歌ったり、交互に歌ったりしていた。さえりんの好きな歌と次女が好きな歌は全然ジャンルが違っていたけど、次女の好きな歌をさえりんもよく歌ってくれていました。まるでお手本を示すように。カラオケは次女が「お姉ちゃんは凄いな」と尊敬していたものの一つでした。さえりんも妹に「うまいね!!」と優しく褒めたり、とっても仲良しでした。私は音痴なのでカラオケに行っても歌ったことはない。ただの保護者でスポンサーそして車で乗せていってくれる人。でも、2人が仲良く歌っている姿を見るのがとっても楽しく、幸せを感じていました。さえりんはよく私にこう言いました。「私、パパに似て歌が歌えて良かった(*^^)vママに似なくて良かった!!」と。次女も「私もママに似ていないからね。音痴じゃないから!!」と2人は笑った。最後にカラオケに行ったのは、さえりんの交通事故のちょうど1ヵ月前。ゴールデンウィークで次女が休みで、さえりんがS勤務の早上がりだった日。午後1時半仕事終わりのさえりんを、次女と一緒に職場まで車で迎えに行って、途中コンビニでお昼ご飯を買って、予約しておいたカラオケへ行きました。いつもの3時間。2人はお昼ごはんを食べながら、思う存分カラオケを楽しんだ。それが、姉妹で楽しんだ最後の時間になってしまうなんて・・・誰も思わなかった・・・(>_<)昨日次女が私に聞かせたのは、まさにカラオケで2人がよく歌っていた曲だったのです・・・私は急に、さえりんの綺麗なソプラノの歌声が聞きたくなった・・・そして、さえりんに逢いたくて、逢いたくて、溜まらなくなった・・・涙は次から次に流れて、止まってくれなかった・・・なかなか眠れなくて、夜中に隣のリビングの冷蔵庫のお茶を飲んで、冷蔵庫を閉めるとドアに貼ってあるさえりんの遺影のポスターが、優しくまるで私を心配してくれているように見えて、私はそれを抱きしめたまましばらく、また泣きました・・・「さえりんお盆で帰ってるなら、逢いに来てよ!!」・・・(>_<)ベットに入っても、いつ寝たのかよくわからなかった。何度も目が覚めた、明け方・・・さえりんが夢に出てきてくれました!!さえりんは5歳くらいの子どもでした。(さえパパの写真の影響かな(*^^)v)さえりんが「ママーーー!!」って呼ぶんです。私は「はーい!」とさえりんのところへ行くと、ニコニコしながらさえりんは「私こんなものも食べられるようになったんだよ💛」と嬉しそうに何かを食べて私に見せるんです。私は「さえちゃん良かったね!!偉いね!!」って褒めるとさえりんは得意げな嬉しそうな満面の笑みを浮かべていました。隣にいた次女も3歳くらいでした。パパも近くにいました。そこで目が覚めました。たった、それだけの夢。だけど、私の心は温かく優しい気持ちに包まれました。さえりんは私に逢いに来てくれたんです!!「ママ、泣いてもいいけど、前に進んでね!! 私だって頑張っているんだよ!!」って言いたかったのかも知れません。私は確かに、さえりんからのメッセージを受け取りました!!さえりん、ありがとうママは泣いたって、負けないからね!!そして絶対に、諦めないからね!!ママのこと、これからもずっと見守ってね!!大好きだよ!!さえりん(さえりん5歳 掛川花鳥園part2 鳥とペンギンとも触れ合いました!!)(さえりんまたソフトクリーム食べてる!!🍦(≧▽≦)🍦)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年08月16日
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今日で、あの悔しい煮え湯を飲まされた刑事裁判の判決から1ヵ月が経ちました。私はあれほど激しく人を恨んだことも司法の壁を憎んだこともありませんでした。私は今まで、平凡で人を疑うこともなく、世間知らずな普通の主婦でした。刑事ドラマや推理小説やマンガはあまり見ない方ですが、それでも漠然と、人生の最後にはきっとハッピーエンドが待っていると思っていました。事件や事故の本当の真相や真実は、必ず最後には正義の力で明らかになって、犯人は捕まり刑務所へ入って正しく罪を償う。そして、被害者や被害者遺族は無念の思いを晴らすことができて、救われる。こんなことが現実にあるのではないかと、どこか期待していたのです。でも現実は全然違ったのです!!現実の世界には、純情熱血刑事も、常に被害者の立場に立った悪を許さぬ正義の味方の警察官や検察官も、名探偵コナンも、金田一少年もいません。すべては理想を絵に描いた、フィクションの夢物語なのです!!私は昔あるテレビ番組で、交通事故再調査をたまたま見ました。それは、確かトラックに横断歩道上ではねられた小学生の男の子の事故です。男の子は自転車で横断歩道を渡っていました。しかし、トラックは右折か左折かは忘れましたが、男の子に気付かず下敷きにして男の子は即死しました。裁判ではトラック運転手の証言が通り確か、執行猶予だったと思います。そこで、その男の子のご両親が真実を明らかにするため、民間の専門家に依頼して再調査をするという番組でした。その調査の結果、トラックの前のバンパーの上に男の子の手の跡と指紋が付いていることがわかり、トラックが男の子と接触したという位置が違っていて、過失の程度が本当は重くトラック運転手の責任が重いことが判明した。というような内容でした。もう一つは山道のカーブで大型車とバイクがぶつかりバイクに乗っていた青年が亡くなったという事故。その事故で生き残っている大型車の運転手はバイクが大きく車線をはみ出して向こうからぶつかってきたと証言して、自分は無罪になっていました。そこで、バイクの青年のご家族が同じく民間の専門家に依頼して、検証を重ね大型車とバイクの軌道を計測した結果大きくはみ出してぶつかっていったのは、バイクではなく大型車だったという真実が判明したという内容でした。どちらも、警察の初動捜査と、加害者の証言だけを信じた調書の誤りからこのような事態になっていたのです。まさに「死人に口なし」だったのです。私はこの時初めてこんなことが現実にあるんだ、警察も検察も裁判官も信じられないと、絶望したのを今でもよく覚えています。でもその一方で、こんな交通事故に遭ってしまうなんて殆どないことで普通に暮らしていたら、一生関係がないことだとも思っていたのです。さえりんが大好きな番組の一つ「志村どうぶつ園」をよく一緒に見ていました。ある時のスペシャル版で、ハイジという動物の心が読めるという外人女性のコーナーで、風見しんごさんのお宅の犬の気持ちを読むという内容でした。その犬は交通事故で亡くなった長女さんの代わりに次女さんを守ろうとしていると、そのハイジは犬の心を読みました。風見しんごさんの長女さんは、小学校へ登校途中に家のすぐ近くの横断歩道で、前方不注意で曲がってきたトラックの下敷きになり亡くなりました。その犬は、亡くなった長女さんの代わりになって、一番大事な次女さんを守りたくていろんな行動に出るのだと。私は風見しんごさんの娘さんの事故のニュースは知っていましたが、あまり詳しくは知りませんでした。その番組をさえりんは涙をいっぱい流しながら、「酷いよ!!あんまりだよ!!どうしてえみるちゃんはトラックの下敷きにならなくっちゃいけなかったの??えみるちゃんも、お父さんお母さんも、妹も、犬もみんな可哀そうだよ!!」とさえりんは顔を真っ赤にして怒りを露わにし、大泣きしながら見ていました。私はそんなさえりんをぎゅっと抱きしめて、一緒に泣きながら見ました。それから数年後、まさか、さえりんが同じく青信号の横断歩道の真ん中で、前方不注意で左折してきたトラックの下敷きになって亡くなるなんて思いもしませんでした。本当にこの世は、何が起こるかわかりません。「一寸先は闇」だと言いますが、まさにそうだったと実感しています。まさか、自分の大事な娘が、ある日突然、大型トラックの前方不注意で一方的に轢き殺されてしまうなんて・・・まさか、自分の大事な娘が「死人に口なし」でずさんな警察の初動捜査のせいで、到底納得のできない判決が出るなんて・・・まさか、自分の大事な娘が、何の落ち度もないのに、「加害者の罪はそれ程重いものとは言えない」と執行猶予が付くなんて・・・まさか、自分の大事な娘が、トラックが来ていたのに横断歩道へ突っ込んだと、ありもしない濡れ衣を着せられたまま、不名誉な言われ方と捜査をされて、このまま真実を闇へ葬り去られようとしているなんて・・・私にはどうしても我慢できません!!!このままでは、さえりんは一方的に命を奪われたまま、警察と検察はあくまでも「娘さんに過失は何も無かった」という事実は認めながら、それなのにいかにもさえりんにも過失があったかのような加害者の証言を基にした捜査で、加害者の罪を軽くしようとする不公平な警察も、検察も、裁判官も、このまま許すことなんて到底できず、納得することは出来ないんです!!今、民間の交通事故調査の専門家の方に、事故の本当の真相を追求するために調査を依頼しています!!まだ、調査の内容はここには書けませんが、警察の初動捜査と調書には確かに間違いがあります。それは私もずっと、疑問に思っていたことです。それが原因で、加害者に執行猶予が付いたことに間違いないのです!!私は、あの時テレビを一緒に見ながら、顔を真っ赤にして悔しそうに怒りを露わにするさえりんの顔が、今も頭から離れません!!きっと今も、さえりんは怒ってこう言っています!!「私は、トラックに突っ込んでなんか行かないよ!!私が青信号の横断歩道を先に渡っていたら、横からトラックがぶつかってきて下敷きにされたんだ!!私はまだまだやりたいことがたくさんあって、死にたくなんかなかったよ!!それなのにあのトラックは私に突っ込んできて頭を轢いて殺されたんだ!!」と、泣きながら、無実を証明して欲しいと私に訴えているのです!!だから、私はさえりんのために、真実を明らかにする、義務と責任があるのです!!(さえりん5歳 掛川花鳥園 初めて鳥と触れ合う)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年08月15日
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昨日からお盆に入りました。私の心は、少し寂しい気持ちと、それでももしかしたら、さえりんが帰って来てくれるかも知れないという期待で、複雑でした。さえりんが帰ってきたら、喜んでもらいたくて、何をしたらいいのかをずっと考えていました。お仏壇にはほおずきとお花をいっぱいに飾り、作りものだけど「きゅうりの馬と茄子の牛」、Tさんにもらった綺麗なお花のロウソク、お盆用の可愛い落雁、お饅頭は「なごやん」(名古屋の名物、さえりんが好きだったから)、桃とオレンジとデラウエアはさえりんの大好きな果物もお供えしました。あとは何をしたら喜んでくれるのかなと一日中そんなことばかり考えていました。先日crakoさんに書いて頂いた、さえりんの似顔絵もお仏壇の隣のテレビの上の壁に、一昨日主人に飾ってもらいました。お仏壇の両隣のぼんぼりのようなライトも暗くなっていたので、主人に新しくLEDに替えてもらったら、めちゃくちゃ明るくなりました。たまにしか付けないグラジオラスの形の点滅するLEDランプも付けました。さえりんは喜んでくれるのでしょうか??我が家にはお盆だからといって、親戚が来ることはありません。主人で3代目のこの家には外に出て行った人がいないからです。最初の祖父母には子供は母一人で、父を養子に向かえ跡をとっています。その子供は主人と2歳年下の弟で、弟は結婚しておらず家に同居しています。そして、長男の主人と嫁の私、子供はさえりんと次女は同居だからです。ですので、我が家へ里帰りしてくる人はいないのです。親と同居で長男の嫁といっても、私は至ってお気楽な嫁なのです。実家は嫁に行ったのが私と浜松に住む妹、あと弟2人は独身で同居です。妹にお盆は実家に行くのか聞いたら、コロナが心配だから今回は辞めとくと言いましたので、私もどうしようかと思っています。母は「うちの娘たちは本当に帰って来ない!!」とぼやいているみたいですが。それでも、何かあればいつでも飛んでいくつもりでいます。便りがないのが元気な証拠です(≧▽≦)ですので、お盆だからと特別なことは何もなく、帰りを待ち、お迎えしたい人は、ご先祖様の祖父母と、さえりんだけなのです!!昨日夕方5時半少し前、私が先にお花とほおずきを持ってお墓へ行きました。少し後から、父と次女もきました。次女は小さい頃の倒れた記憶がトラウマになって、いやいやでしたがそれでも父の車で一緒に来てくれました。我が家のお墓は一番外側の列の中央にありその隣が少し空き地になっているので毎年そこへテーブルが置かれ大きなロウソクとお線香をたくさんたいて、今年は住職ともうお一人のお寺さんと住職の息子さんの3人で「墓盆経」をあげて下さいました。私たちはお墓の前に立ってお参りしながら、ご先祖様へ想いを馳せました。そして、少し曇が多い空の彼方から、さえりんが降りて来てくれないかと、私はずっと遠くの空を見上げてお参りしていました。お経が終わると、父がお布施を住職に渡しました。お墓に供えてあった紙袋には、今年はあんパンとジャムパンが入っていました。パンは父がもらって行きました。父と次女はすぐに家に帰りました。私は、さえりんが喜ぶものを買いたいと思い、近くケーキ屋さんに寄って、さえりんの大好きなチーズケーキを買いました。家に帰って、お供えしようと思ったら、仏壇周りは食べ物とお花でいっぱいになりました。晩ごはんはさえりんが好きな焼き肉がいいかなと思いお肉を買ってきました。これで、さえりんは喜んでくれたのかなと考えました。先日被害者遺族の先輩のSさんが送って下さった資料やお手紙と一緒にグリーフケアのチェックシートを頂いていましたので、やってみました。「哀しみのチェックリスト」というものです。5つの項目でそれぞれ10問ずつの質問ががあり、自分の感じたとおりに0、1、2の評価をつけて合計します。すると、私は素直に正直な気持ちでやってみたら、51点でした。自分でも意外に少ない点数に驚きました。メンタル面は重かったのに対し、身体面の症状が比較的軽かったようです。「51点~60点=心と体が楽になる時間を意識的に持つようにしましょう。」と書かれていて、軽い方から2番目でした。私は自分では精神状態がもっと酷いのではと思っていたのですが、テストをしてみたら、意外とましだったことにビックリです。これは医療的な診断ではなく、自分を客観的に見るための目安ですと書いてありましたが、それでも少し安心したのです。これは、ブログのお蔭さまであり、友人達のお蔭さまであり、さえりんがあの世からご縁をつないでくれたたくさんの被害者遺族の皆様との関りのお蔭さまなのかなと思いました!!だとしたら、私が少しでも元気でいることがさえりんが一番喜んでくれること!!なのかなと思ったのです!!(さえりん5歳 近所の神社へ おじーちゃんとまだパジャマ姿で早朝散歩)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年08月14日
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私は長女、さえりんが突然亡くなってから、1年2ヵ月殆どどこへも行けず引きこもり生活がはじまり、今ではコロナもありずっと続いています。しかし、不思議なことはたくさんあるのです。そんな引きこもり生活の私ですが、友人たちは時どき顔を見にきてくれたり、メールやLINEで連絡を取ったり、私のブログを見て下さったり、なにかと繋がってくれています。そして、このブログ『さえりんの部屋』をはじめてから、たくさんの方々との温かいご縁をいただきました。そして、今回突然の署名活動やYahoo!ニュースのお陰でさらに大勢の方々との尊いご縁も繋いでくださいました。その方々とのやり取りの中で、これはただの偶然とは思えないほどの繋がりや一致を知ったとき、いつも私は想うのです!!これはさえりんが向こうの世界からつないでくれたご縁なのだと!!私はそうしたたくさんの方々との繋がりに励まされて、生きているのです!!こんな引きこもり生活で、さえりんを喪った悲しみは毎日のように続きますがそれでも不思議なことに全然、孤独ではないのです!!それは、同じようにご家族を亡くされた方々や、さえりんのことを理解し、慈しんで下さる方々との、尊いご縁があるからなのです!!今日はお盆初日です。お寺では夕方4時半からと5時半から「墓経」があると黒板に書いてありました。私たちの宗派のお寺では毎年お盆の初日に、お寺のすぐ裏にお墓があるので、そこへテーブルを出しお線香とロウソクを焚いて、住職がみんなまとめてお経をあげて下さるのです。私たちはその時間にお墓参りに行って、住職にお布施を差し出すのです。住職からはお墓のひとつずつに白い紙袋に入ったパンが2つ供えて下さっていて、それをお下がりとして頂いてくるのです。これが毎年恒例のお盆の行事なのです。今年はコロナだからやらないのかなと思いましたが、外でのことなので例年通りされるようです。父に聞いたら暑いからという事で、今日は5時半から行くことにしました。そういえば以前こんなことがありました。夕方とはいえ、真夏の炎天下の中行われる「墓経」お経の時間は多分15分か20分くらいだと思いますが、それでも暑さもあるので大人でも結構堪えます。この「墓経」をあげて頂く間家族でお参りをしていたとき、当時小学生だった次女が、急にふらっと倒れたのです!!隣にいた私はすぐに気づいて次女の体をさっと支えたので、ひっくり返って後ろのお墓に頭をぶつけずに済みました。主人がすぐに次女を抱えて車へ戻って、エアコンをかけ飲み物を飲ませました。多分軽い熱中症だったと思います。次女はすぐに意識が戻り一安心したのです。ですが、この時私はもしかしたら、次女がこのままご先祖様に連れて行かれるのではないかと、言い知れぬ恐怖に怯えたことを今でも忘れません。あれから、約10年後まさか、あんなに元気だったさえりんがご先祖様になってしまうなんて、思いもしませんでしたが・・・(>_<)さえりんは去年の初盆の最後の16日の午後、亡くなってからはじめて私に逢いに来てくれたのです。もしかしたら、あの世に帰る前だったのかな。お仏壇の前でうたた寝した私の前に、元気な姿で現れて「さえちゃん、逢いたかったよ!!どうしてママに逢いに来てくれないの??」と言い、ぎゅっと抱きしめる私に、さえりんはニコニコしながら、「ごめんごめん。いろいろ忙しくって(≧▽≦)でもお友達とはよくゲームをして遊んでるんだー!!」って楽しそうにしていたのです!!そこで目が覚め気が付くと、さえりんはもういなくなってしまいましたが、私はあれは確かに本物のさえりんだったと感じたのです!!確かにさえりんはにこにこ楽しそうで充実した毎日を送っているように見えました。私はさえりんの柔らかくてふわっとした温かい余韻を感じながら、「さえりんがあの世で、お友達と元気に楽しく暮らしているのなら・・・」とほんの少し、温かく穏やかな気持ちになれたのでした。さえりんは、きっとあの世とこの世のホットラインを使って、あの世で出会ったたくさんのお友達の、ご家族と私をこの世でつなげてくれているのではないかと想えたのです!!ママが寂しくて、泣かないように!!ママが少しでも、元気になれるように!!ママが希望を捨てずに、これからも生きていけれるように!!そうだよね!!さえりん今年のお盆も、また逢いに来てよね!!そうしたら、ママはまた頑張れるんだよ!!(さえりん5歳 吉良吉田海岸にて潮干狩りへ)昨日は、納骨の件でたくさんの方々からのコメントありがとうございました!!昨年、初盆のお参りで住職に我が家へ来ていただいたとき、納骨のことを尋ねました。すると、住職はたぶん私の思いを察してくださったんだと思いますが、「人生80年の時代、本当ならばまだあと60年は生きられた娘さんなんだからそんなに早くお墓に入れなくれもいいのですよ。お好きなだけ側に置きなさい」と言って下さったのです。父もそれを聞いて以来、もう納骨のことは何も言わなくなりました。私は本当は何が正しくて、どうすれば故人であるさえりんが喜ぶことなのかはよくわかりませんが、今は私の思う通りにさせてもらおうと思っています。たとえ、わがままかも知れませんが、それでも許してもらおうと思います。だって、もうこれ以上の後悔は二度としたくはないのだから。せめて、もう少しさえりんの遺骨と魂と一緒に生きていきたいのだから。ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年08月13日
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もうすぐわが地域ではお盆がきます。今年、さえりんがあの世へ旅立って2回目のお盆を迎えます。「お盆には先祖や亡くなった人たちが浄土から地上に戻ってくるといわれています。先祖の精霊をお迎えし、供養する期間を、お盆と呼んでいます。」とネットには書かれていました。私は今年になるまで、お盆の本当の意味もあまりわかっていなくて、お盆が地域によって7月15日のところと、8月13日~16日のところがあるなんて全く知りませんでした。ただ、小さい頃からお盆には亡くなったご先祖様が帰って来る日だから、お仏壇は綺麗なお盆提灯を飾り、果物やお饅頭、亡くなった人の好物を供えて、8月13日の夜にはお提灯を持ってお墓参りをして家へお迎えし、16日の夕方にはもう一度お提灯を持ってお墓参りをしてお送りすると両親や祖父母から教えられてきました。今までの私はご先祖様といっても遠い存在でしかありませんでした。それが、祖母が亡くなり、祖父が亡くなり、父が亡くなり、どんどん身近な存在になってきたのです。私は時々「こんな時父だったら何と言うんだろう?」「こんなこと祖母だったらどうしていただろう?」と故人を身近な存在として、魂に訊ね、問いかけるようになったのです。ところが、昨年突然のさえりんの死、逆縁を体験してしまってから、私の「生と死への感情」は大きく大きく変わってしまったしまったのです。昨年のお盆は今考えても何をどうしたのかよく思い出せないくらい混乱していて頭が放心状態でした。さえりんを突然亡くしてから、2ヶ月後に「初盆」だと言われても、何をどうしていいのかさえさっぱりわからず、ただただ絶望のどん底と深く残酷な悲しみしかありませんでした。それでも、同居の父(舅)に言われるがまま、お寺さんに初盆のお参りを家でしていただくように頼んだり、我が家には先祖の仏壇は1階の仏間にありますが、それとは別に2階にもさえりん専用の小さな仏壇を買ったり、提灯を買ったり、心が伴わないまま準備だけはしたのでした。その中で一つだけ、父に逆らったことがありました。それは納骨のことです。父の勧めで、私が小さな仏壇を買った時、ついでに「墓石にも戒名を掘ってもらうように頼みなさい」と言いました。私は何も考えず言われた通り仏壇店に頼んできました。下見にも行っていただき、お寺に生抜きも頼んで、掘る日を決めた時、父が私にこう言いました。「戒名を掘ったらすぐに納骨するんだぞ」と・・・突然、私の頭はパニックになりました???それは、まださえりんをお墓に入れる気持ちなんて全くなかったからです。私は、はじめて父に逆らいました!!「嫌です!!私はまださえりんを手放すことなんて出来ません!!」父「じゃあ半分だけ入れてあとは大事に持っていればいいじゃないか!!普通は初盆までには納骨するのが当たり前だ!!お骨が入っていないのに墓石に戒名を掘るなんておかしいに決まってるだろう!!!」私は、さえりんの遺骨は箱に入りきらなかった分も、火葬場に置いてくることができずに、係の方に無理を言って木の箱をもう一つもらい細かいものまで全部もらってきたのです!!だから大きい箱が2箱、家にあるのです。私「嫌です!!さえりんを半分ずつにするなんて絶対に出来ません!!だったら、まだ墓石に戒名を掘ってもらうことも辞めます。さえりんはきっとまだこの家にいたいんです!!ご先祖様といっても、誰も知っている人がいないお墓になんかに入れたくありません!!私が死んだとき一緒に入れますから!!」父「もういい!!勝手にしろ!!!」私はすごく久しぶりに父に反抗し、怒らせてしまいました・・・(>_<)でもこのことだけは、どうしても譲れなかったのです!!仏壇店とお寺さんには丁寧にお断りしました。冷静になって考えたら、父の言われることは正論です。何も間違っていません。どちらかというと私の方が、非常識で、ただのわがままなのかも知れません!!だけど、どうしてもこれだけは嫌だったのです!!こんなに早くさえりんを手放せと言われても、心の整理が付かないんです!!そこで、自分なりにどうしたらいいのか真剣に考えました。しかし、考えてもいい案は浮かびません。きっとこれは答えなんてないのかもしれません。私の気持ち次第なんだから。それで、少しでも私が気が済むように、納得できるようにと思ったのがやはり納骨は私が死んだときに一緒に混ぜて入れて欲しいと次女に頼みました。(もしかしたら、私の気が変わりもっと早くするかもしれませんが)とにかく、それまでなるべく毎日お墓へ行き、さえりんが顔が名前も知らない、お会いしたことのない我が家のご先祖様方に「娘の事をよろしくお願いします」とお願いをしにお墓参りに通うことにしたのです。だからといってどうなるわけでもありませんが、私の心が少しでも穏やかに優しい気持ちになれるのなら、それで良かったと今ではそう思えるのです。明日はさえりんがあの世へ旅立って、2回目のお盆です!!さえりんは果たして帰って来てくれるのでしょうか??それとも私が遺骨を手放せずにここへとどめているから、お墓にも入れず、まだあの世へ逝っていないのかな??もしかして、ずっとここにいるのかな??経験したことのない私には、さっぱり分からないことばかりですが、それでも、もしも逢えるのなら、こんな嬉しいことはありません!!とにかく今日はさえりんの喜ぶものを買い、喜ぶことをしようと考えるだけでも、ほんの少しは明るい気持ちになれるのです。どうか、道に迷わないように、寄り道しないで、まっすぐおうちに帰って来てね!!さえりん(さえりん幼稚園年長 妹の入園式part2)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年08月12日
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さえりんが突然亡くなってから、私の心は空虚になり、「愛ってなんだろう??」「人を深く想うってなんだろう??」って答えが見つからない問いを考え続けていました。さえりんが亡くなったあと、私は毎日毎日、泣いて暮らしましたが、1ヶ月くらいたったある日「亡くなってしまった人はその後どうなるのだろう」と、とっても気になって本屋さんや図書館で本を探しまくりました。そんな時最初に出会ったのが「あの世の仕組み」が書かれている本でした。そこにはこんなことが書かれていました。・死とは肉体との別れであり、肉体が必要のない世界に行くためのひとつの 過程である。・死を迎えるときは、だれもが痛みと軽さを感じる。・「お迎えが来る」とは光の衣を目にすること。・あの世で行う人生の振り返り、言い訳のできない世界がまっている。・あの世では、生あるものはすべて、地球に生かされていたことを知る。・生の意味を追求することが、あの世では大切なこと。・あの世では、この世の少し先の未来が見える。・光の衣を濁らせないように、気づきや学びを多く持つことが大切。・あの世とこの世をつなぐ「ホットライン」は存在する。・ひらめきや虫の知らせ、勘が働くなどは「ホットライン」からのメッセージ。・あの世に逝った人を思い出してくれる人がこの世にいる間が、 「ホットライン」がつながる期間。などの項目で書かれていました。私は無我夢中で読みました。書いてある内容が本当か、嘘なのかなんてどうでもよかったのです。とにかく、どんな些細な事でもいいから、さえりんがこんなに早くたった一人で逝ってしまった「あの世」のことが知りたかった!!!さえりんがあの世でどんな風に暮らしているのか、亡くなった先はいったいどんなことになってしまうのかをほんの少しでも探ってみたかったのです!!そんな時、私が気になったのは「あの世では地球と私たち人類の関係に気づく」という項で、「この地球は、息づいている、まさに生き物のような存在です。あの世で時を過ごすと、地球に生かされていたことを実感できるようになり『地球あっての自分だった』と深く理解します。さらに、気づきが進めば、この世に生まれた本当の理由がわかり、それとともに前世の生き方もなんとなく理解が出来るようになります。」と書いてあったところです。私はこの本に書かれていることが絶対に正しくてすべてだとは思っていません。ですが、本を読んでいる間は少し落ち着いて穏やかな気持ちでいられたのです。それだけでも、その頃の私は充分に救われたのです。さえりんは、今頃きっとあの世で自分の生き様を振り返り、地球に生かされていた自分だったことに気づいて、感謝して、私たち家族や友人たちを、優しく、温かく、見守り、深い愛で包み込んでくれているのではないかと思えたのです。これは私の妄想でしかないかも知れませんが、私はそう信じたい!!と強く思ったのです!!昨日は家で大学の宿題のレポートを書いていた次女と、少し話しをしました。いろんな人間関係や宗教の話なり、次女はこう言いました。「宗教を信じるかどうかは自分次第ではないか。何にも頼らなくても自分の考え方を信じて生きていければそれでいいのではないか??」私は、次女の血気盛んな意見を聞きながら、自分の若い頃もそう思って意気込んでいた頃の事を懐かしく思い出し、次女が微笑ましくなりました。私は「ママは宗教ではないけど、ある活動に精を出していたのは、実はさえりんのためだったんだよ。この世の中でちょっとだけ生きていくのが辛く、大変な症状を生まれ持つさえりんが少しでも、人に愛され、人を愛し、人に助けられ、幸せな人生を歩んでほしくて、だから私は少しでも、人の役に立つことがしたかったんだよ!!そして、仕事をしていたのは、あなたの大学の学費の足しにするためだけどね(;^ω^)とにかくママは2人のことが一番大切なんだよ!!」と話しました。次女は「それは私も知ってたよ!お姉ちゃんもそのことよく分かっていたよ!!お姉ちゃんはママの体を一番心配していたんだよ!!もしかしたらお姉ちゃんはこんな風になってしまったけど、ママの事を守りたかったんじゃないかな??だって、お姉ちゃんはママの事が一番大好きで、誰より愛していたからね💛」そう涙ぐみながら話す次女を見ながら、私も自然に涙が出てくるのです。私はさえりんと、次女のことが、誰より大好きで、命をかけてでも守りたいと思っています。その想いは娘たちが産まれたときからずっと変わっていませんが、でも、今はその想いが「さえりんを守ってあげられなかった・・・」という深く苦しい後悔と、心の傷にもなっているのです。しかし、さえりんも次女も、私が今まで娘たちを守るため必死でやってきたことも全部お見通しだったのです。そして、心優しいさえりんは、何とかして私を助けたいと思っていたのです!!亡くなる少し前さえりんは、私にこう言いました。「ママ、体は大丈夫??ママの体が心配だよ!!無理しないでよ!!妹の学費なら私がお給料で助けるから、私はもう大丈夫だから、ママはもう働かなくていいから家にいてよ!!元気で長生きしてよ!!」と・・・(>_<)思い返せば、今までは私が娘たちを守っていると思っていたけど、でも本当は違っていたのかもしれない・・・私は、あの頃も、亡くなってしまった今も、さえりんの大きな大きな愛で包まれ、守られていたのかも知れないとそんな風に想うと、不思議に心が優しく温かくなれるのです!!すべては、さえりんの大きな愛で・・・(さえりん幼稚園年長 妹の入園式)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年08月11日
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私は2人の娘を育てるにあたって、その時は精一杯で気づかなかったんですが、後になって深く反省したことがあります。それは主人にあまり子育てに参加してもらわなかったことです。我が家は主人の両親と結婚したときからずっと同居生活で、寝室以外は全て共有していましたので、結婚して1年半後さえりんが産まれたときには、初孫に加え、待望の女の子の誕生に主人の両親はそれはそれは大喜びで、全面的に協力してもらっての子育てが始まりました。私は主人より6歳年上でしかも、結婚前に卵巣ガンで片方の卵巣を摘出していて子供が出来るかどうかわからないにも関わらず、長男の嫁として両親は快く受け入れて下さいました。もしかしたら、両親は孫が抱けないかも知れないと思っていたのかもしれません。そんな中で授かった、長女さえりんはそれはそれは可愛くて、まるで家の宝のように大切に慈しんで育ててくれたのです。娘もいつも側にいて無条件で自分を愛して、可愛がってくれる祖父母に懐かないわけがありません。しかも、次女を産む時の私の病気再発でも、両親はさえりんを預かり全面的に引き受け面倒をみてくださいました。そしてさえりんが幼稚園に入ると、平日休みの主人とはあまり遊べなくなり、その父親代わりをするかのように父と母は、毎週のように子供たちを遊びに連れ出してくれたのです。子供たちと祖父母、私との思い出がたくさんになればなるほど、パパの存在が薄くなり、時々、叱られる怖い人だと思うようになってしまったのです。その頃の私は主人の気持ちなんて推し量る余裕もなく「私は世に言う核家族の妻と違って、主人の両親とも仲良くしてるし、主人に子育てに参加してと求めずに自由にさせてあげて、良い妻でしょ!!」くらいにしか思っていませんでした。そんな私の間違いに気づいたのは、子供たちがある程度大きくなってからでした。娘たちが成長期に差し掛かったころ、主人の存在を怖がり、パパと娘との絆が上手く結べていなかった事に気付いた時はもう遅かったのです。いつの間にか、家族の中で主人だけがのけ者のように、蚊帳の外にしてしまっていたのです。私は主人に本当に申し訳ない子育てをしてしまったんだと反省しました。それでも、そんな私の心を察したのか、心優しいさえりんは小さいながら例え叱られても泣きながらでも、パパに歩み寄って行きました。主人も、小さい頃は多動で何を仕出かすか分からないさえりんを受け入れ難く思っていたようですが、そんなさえりんのいじらしさが可愛く思えたのです。小学生、中学生、高校生になるにつれて、主人なりに娘たちと仲良くなるための努力をしてくれるようになりました。平日の学校行事に参加したり、娘たちとの楽しい思い出を作ろうと、春・夏・冬の長いお休みには自分の仕事の休みを合わせて、テーマパークや遊園地、旅行に連れていってくれるようになったのです。こうして、親子4人の関係も少しずつ絆が芽生えてきたのです。さえりんはよくこんなことを言っていました。「私、顔や体系もパパそっくり!!パパに似て本当に良かった!!」と。きっとパパとの間に出来てしまった溝を埋めようと子供なりに架け橋になってくれていたのです。私は健気なさえりんをぎゅっと抱きしめました!!さえりんが高校を卒業し就職してからは、さえりんもサービス業で平日休みになり主人とお休みが一緒になることも多く、お昼はよく3人で外食へ行きました。お給料が出たり、さえりんが食べたいものがあるとよく奢ってくれました。事故の5日前にも、さえりんが「木曜日は私もパパもママも休みだから、私がステーキ奢ってあげるからブロンコビリーへ行こうよ!!」とそれはそれは嬉しそうに喜んで、3人で楽しくステーキランチを食べに行きました!!これが、さえりんとの最後の外食になってしまったのです(>_<)最近になって主人が私に言いました。「本当は次の木曜日には俺がさえりんにお返しに、スシローで大好きなお寿司をいっぱい奢ってやろうと思っていたのに・・・(>_<)」誰だって、一寸先のことはわかりません。しかも、親だって完璧な人間ではありません。だから、みんなこんなことになってはじめて気付くのです!!「当たり前のようにいるこの家族の存在が、どれほど尊く、幸せで、かけがえのないものだったのか・・・」と。『命日占い』でのさえりんからパパへのメッセージは、『合奏』でした。以下は抜粋です。『合奏』私とお別れしれから、あなたは「心震わせること」に目を背けているかもしれない。でも、私はあなたと合奏するように、共に魂を震わせる体験をしたいんだ!あなたが泣きたいときには泣いて、笑いたいときには思いっきり笑って欲しい。私はそばで魂を震わせている。そして、それは2人の魂の音楽となって宇宙いっぱいに美しく響き渡るんだよ。「人間ってすごいね」「人間の震える心って素敵だな」宇宙中がそう言って、私たちのハーモニーを堪能してくれる。だから、あなたは安心して自分が感じたいように感じていい。全部、許していいんだよ。あなたと故人の関係は、魂を震わせ合い、1つの音楽を奏でる、いわば『合奏』のような絆です。それは「外の世界との”繋がり”を認めていくこと」が課題となります。「心震わせる体験」とはつまり自分の外側にある世界を見て、聞いて、体験して、「感じる」ことです。感動という言葉でも表すことができます。2人はその体験をエネルギーに変えて成長し合います。あなたはこのお別れを機に、悲しみとショックが大きく「心を震わせる」ことから目を背けてしまっているかもしれません。しかし、あなたが地上で心を震わせた時、その感動のエネルギーを頼りに、故人はあなたと繋がってくれています。故人にとってあなたの感情に「良い・悪い」はありません。どんな感情も、故人にとっては「心の震え」です。故人はすべての感情を温かく受け取り、見守ってくれています。さらに、あなたは外との繋がりを持つことで自分を発見していく人です。なので、あなた自身の「小さな感動」を自分だけで消化せず、周りの人に共有すると、人生はより良い方向へ向かうでしょう。例えば、SNSの投稿に日々の小さな感動をアップするなど些細なことで十分です。故人はあなたが、生き生きとした自分の感性や感情を大切にすることを何より望んでいます。あなたの悲しみが深くなる理由に「故人を死から救えなかった自分」を責めてしまう、というものがあります。人一倍、人との繋がりを大切にするあなたですから、それができなかった自分や、何もできなかったことに対する悲しみが深いのです。また、死に目に会えなかったこと、お別れの時そばにいることができなかったことでさらに悲しみを深くする方もいらっしゃいます。しかし、故人はあなたにこう伝えています。”お別れのことで、あなたにとても辛い思いをさせてしまったね。でも、しっかり私を見送ってくれたことにとても感謝しているよ”実際に死に目に会えなかったことは心残りかもしれませんが、今、あなたが抱えている悲しみそのものが故人を見送っていることに値します。つまり、故人への愛の表現です。故人はそんなあなたの愛を十分に理解していて、感謝してくれています。そうすることで「後悔の念」ではなく「感謝の気持ち」で故人と繋がることができます。たかが『命日占い』誰にでも当てはまる本で、内容かも知れません。でも、今の私たち家族にとっては、この本に書かれいる内容が、まるでさえりんから私たち家族へのメッセージのように感じられ、ほんの少しでも心の支えになるのです!!ブロ友Mさん、素敵な本をご紹介下さって、ありがとうございました!!私たちはこれから、少しずつでも前に進んでいけたらと思います!!(さえりん5歳 蒲郡市竹島にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年08月10日
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先日、真夜中に次女と語り合ってから、私は気になったことがありました。そういえば「さえりんは妹にどんなメッセージを残したんだろうか??」と。私には『未来列車』さあ旅に出よう!新しい未来を一緒に見に行こう!!です。私にメッセージをくれたさえりんは、妹やパパにはどんな想いが込められたメッセージを残してくれたんだろうかと、もの凄く気になったのです。それで、その翌日早速、本屋さんへ走りました。そして、買ってきました!!『命日占い』の本を!!調べて見ると、さえりんと次女との関係は『真っ白な紙』でした。以下は、命日占いの本からの引用です。『真っ白な紙』私との別れを機に、あなたの目の前には、一枚の真っ白な紙が現れる。何のために現れたのだろうか?「答えを知りたい」「空白を埋めたい」その思いを原動力にあなたは前に進むだろう。そうやって一歩、一歩と進む度に、あなたはたくさんの人と出会う。そしていつの間にか、あなたの真っ白な紙は、出会いの軌跡でいっぱいになる日がやってくる。そこであなたはふと気づくのだ。「答え探し」にこだわらなくなっている自分に。「答えのない答え」を見つけた自分に。そう。大切なのは「答え」じゃない。あなたがどう生きるかだ!故人とのお別れを機にあなたの目の前に「真っ白な紙」が現れます。もちろんこれは例えですが、文字通り、あなたの心が真っ白になってしまうような、そんなお別れを経験された方も多いでしょう。何も考えられない、何も分か、らないどう受け止めていいかも分からない・・・あなたはこの「真っ白な紙」を目の前に最初は戸惑うかもしれません。しかし、「答えを知りたい」「空白を埋めたい」という気持ちがあなたを前へと進ませます。そして、あなたはその道のりの中で未来の可能性に満ちたいくつかの重要な出会いを果たしていくことになります。そうやってしばらくの後、いつかその道のりを歩いてきた日々を振り返る日が来た時。その真っ白な紙にはたくさんの「出会いの軌跡」が記されていることに気づく日がやって来ることと思います。あなたが歩き続けてこれたのは、誰よりもあなたの人生を、あなたの未来を信頼して見守っている故人からの祈りがあったことに気づく、ということです。 これを次女と2人で読んだとき、本当にお姉ちゃんならこうするだろうなあとすごく納得しました!!『この絆において、出会いは故人のサポートによるもの。あなたが出会う人たちは「真心」を差し出してくれたり、新しい景色を見せてくれたり、叱咤激励したり、あなたを成長させてくれる、貴重な財産となるでしょう。』とも書かれていて本当に次女と私は、2人で顔を見合わせました!!さえりんと次女は2歳4ヵ月違いです。さえりんがやんちゃ盛りの時に、次女が産まれました。最初はお人形遊びのように、妹にミルクをあげたり可愛がっていたさえりんも、次女が1歳頃歩いたり動き出すと自分のテリトリーを荒らす侵略者が来たと思ったのか、3歳のさえりんは次女に馬乗りになって泣かせていました。さえりんを叱っても治まりません。私はこれではいけないと考えました。それならばとさえりんを褒める作戦にしたのです。さえりんが妹におもちゃを貸してあげたり優しくしてくれた時、私はオーバーに喜んでさえりんを抱きしめて褒めました。するとさえりんはどんどん妹に優しくなったのです。言葉の理解が進むと、私は「さえちゃんは優しいお姉ちゃんだね」と毎日言っていました。妹には「お姉ちゃんは優しいよ。良かったね」と言いました。さえりんと次女は、顔も性格も体系もタイプも全く違いました。それでも、2人は何故か大きくなってもお互いを理解して仲良く育ちました。さえりんは大人になってもずっと妹を思いやる優しいお姉ちゃん。次女は要領がよく、甘え上手で、お姉ちゃんを頼りにする可愛い妹。大人になってもさえりんは、何かを買うとき必ず妹の分も一緒に買ってきます。次女は「お姉ちゃんありがとう💛だいすき!!」と上手に甘えるのです。さえりんは、妹が自分を頼りにしてくれることが嬉しいのか、嬉しそうな笑顔を見るのが喜びなのかわかりませんが、妹は私が守らなきゃと思っていたようです。だから、さえりんから妹へのメッセージは『真っ白な紙』答え探しをしよう!私があなたの良い出会いをサポートするよ!!だったのです。突然、さえりんが亡くなったと知った時、確かに次女は「頭が真っ白になって、何も考えられず思考が停止した」と言っていました。きっとそのとき『真っ白な紙』はさえりんから次女へ手渡されていたのです。本当にさえりんからの妹への優しさと愛情がたくさんたくさん感じられて、私と次女は思わず涙が出そうになりました。さえりんからのメッセージに心が温かく微笑ましく、切なくなったのです。『命日占い』はただに占いの本ですが、それだけではない故人になってしまったさえりんからの温かいメッセージがたくさん詰まっているように感じたのです。明日は、さえりんからパパへのメッセージを読んでみようと思います!!(さえりん5歳 運動公園で遊ぶGIF動画)昨日も、また最高のギフトが届きました!!この方も私が署名活動をした時に、ご協力くださった方で、同じく娘さんを交通事故で亡くされ、理不尽な司法に苦しめられた方です。その方から、昨日は心のこもったお手紙と資料と本を送って下さいました。お手紙の中の「一緒にかんばろう!!」のお言葉が、本当に温かく、とっても心強い味方を得たような、安心感で嬉しくなりました!!Sさん、本当にありがとうございました(≧▽≦)これからも、どうかよろしくお願いいたします!!他にも、インターネットでさえりんのことを知って下さった方からもはじめてメールをいただきました。みなさん理不尽な交通被害者遺族の方ばかりで、あらためてこんなにも辛く苦しい想いをされてみえる方が、全国各地には大勢みえることを現実に知りました。私はまだ具体的に何をどうしたらいいのか全くわからず模索中ですが、こうして大勢の被害者遺族の方々から、ご連絡を頂けただけでもすごく励まされ、心の支えになります!!本当にありがとうございました!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年08月09日
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昨日夕方、私の元に最高のギフトが届きました!!送り主は「チャコの似顔絵工房」chakoさんです。この方とお出会いしたのは、私が署名活動を始めた時です。インターネットでさえりんの事故を知り、理不尽な司法の判断を感じてくださり署名活動にご協力を頂いたのです!!そしてお励ましのメールもくださいました。その中で『似顔絵による社会貢献活動』の第一号にさえりんをとおっしゃってくださり、光栄にもとっても素敵なさえりんの似顔絵を書いて下さったのです!!添えられたお手紙の中には「ブログを読ませていただき、明るい文面の中にも悲しみや後悔のお気持ちが読み取れて、これまで似顔絵をたくさん描いてきましたが、感じたことのないような感情を抱えながら、制作を進めて参りました。ご家族の皆様、関係者の皆様の中に生きる紗愛理さんの姿を精一杯描きました。この絵が皆様の心を癒し、紗愛理さんとの再会の時まで平穏に暮らせる手助けが少しでもできれば、幸いに存じます。今回のご縁に心から感謝しております。」とお書きくださいました。本当にこのご縁に、心から感謝しているのは私の方です!!この絵を見ているとまるでさえりんが生き返ったかのように、もの凄い元気とパワーを感じるのです!!それは描いてくださったchakoさんが絵に、さえりんの命を吹き込んで下さったからだと思います!!描く人の想いと魂が宿っているから、人を喜ばせたり、元気をいただくことができるのです。絵の中のさえりんは頬を赤らめはにかんで微笑み、ピースサインをしています。頭にのせているハムスターはさえりんと一番の仲良しだったジェリーです。ウサギは仲良しだったミケとレオ。大好きなシナモンもいます。大好物の苺のケーキの上には花火が。陰に隠れて、いつも遊んでいたDS。バラのカゴには、私が作ったクラフトのキーホルダーも付いています。光がキラキラと輝いて、虹の景色と一面ピンク色のお花畑。まるで花嫁さんのようなピンクのドレスがとっても似合っています!!私は、さえりんが今こんな素敵な姿で、こんな美しい場所にいるのだと想像しただけで、心が温かく嬉しくなり、良かったと安心するのです!!我が家の家宝、私の宝物にします!!本当にありがとうございました(*^▽^*)そして、私の最高のギフトは他にもたくさんあります!!それはこうしてブログを通してお出会いしたみなさんです!!私はこのブログ「さえりんの部屋」が無かったら今頃、心が病んで自殺していたかも知れません。それとも、復讐に走り犯罪者になっていたかも知れません。どちらにせよ、未来や希望なんてとても持つことが出来ず、一生泥沼のどん底の人生だったに違いありません!!夫婦や親子関係も壊れていたかも知れません。いつそうなってもおかしくない過酷な状況だったのに、そうならなかったのは、ブログでお励ましの皆様のコメントで心から救われ助けられてきたからです!!そして、今回最悪な刑事裁判の判決が出てしまい、どう足掻いても結果は変わりませんでしたが、それでもこうしてYahoo!ニュースに取り上げて頂いたり、署名活動にこんなにも大勢の方々のご賛同を頂いたことで、皆様からのお優しいお励ましのメッセージをたくさんたくさんいただいたからこそ、私はヤケを起さず、それどころか温かい感謝の気持ちをたくさんもらうことが出来ました!!どんなに苦しく深い悲しみも、こうして大勢の方々と共有することで、少なからず和らぐこともできるんだと、体験することが出来たのです!!皆様には心より感謝申し上げます!!本当にありがとうございます(≧▽≦)さえりんが繋いでくれた皆様との尊いご縁は、私の一生の宝物です!!これからも、さえりん、さえパパ、さえママ、(時々次女)と末永くお付き合いいただけますように、どうかよろしくお願いいたします!!「チャコの似顔絵工房」chakoさんに描いていただいたさえりんの似顔絵(さえりん17歳 お菓子の城にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年08月08日
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昨日8月6日は、広島に原爆が投下された「原爆の日」75年経って、当時子供だった方も記憶として覚えていらっしゃる方々は、みなさんご高齢の方々ばかりです。被爆者の平均年齢は83歳を超えたとニュースで言っていました。でも、やっぱり決して風化させてはなりません!!私は、あらためて人の死について考えました。一昨日の夜、真っ暗にしてベットに入り寝ようとしても寝つけずにいました。隣で主人が大きないびきをかく中、ふと気になってスマホでブロ友のKさんのブログを開きました。すると、タイトルを見た瞬間、私は涙が溢れました。Kさんの会社の部下の方が癌と闘い、闘病の末まだお若いのにご家族を残され会社のみなさんの祈りである千羽鶴の到着を待って、天に召されたと・・・私は見ず知らずのものですが、Kさんの悲しみが伝わって涙が止まりません(>_<)私の友人2人もまだ働き盛りのご主人様を癌で亡くされてみえます。お一人の方の亡くなったご主人様は40代中半で、うちの主人と同い年です。まだ中学生のお子さんも見える中での、訃報に胸が詰まりました・・・(>_<)そして、少し前にはとってもお優しいご婦人Tさんの息子さんも同じく癌で亡くなってみえます。この息子さんは主人と小学校の時の同級生でした。私の周りでもこれだけ多くの方が、志半ばで若くしてお亡くなりになっています。私は「人が亡くなるとは、どういうことなのだろうか??」と真剣に考えました。きっとこの問いの答えは、人類の永遠のテーマだと思うのです。だから、私ごとき無知な人間がいくら考えても答えなんて出ません。それでは、発想を変えて「人が亡くなると、どうして悲しいんだろうか??」と考えました。すると、私の答えは「もし、自分だったらきっと天寿を全うしてもうやり残したことはないと思って死ねたら本望だ」と思いました。それならば見送る人も「この人はいい人生で幸せだったね!!」と笑顔で見送れるはずです。それでも、人の死が悲しいことに変わりませんが、せめてもの救いにはなります。では、何が嫌なのかというと自分のやりたい事、志し、夢、未来への希望、家族などを残して心残りがある場合、悲しく無念で悔しい、もっともっと生きたかったと想うことだと、思います。それは、この世に未練を残す死に方だからではないでしょうか???という事は、この戦争や原爆によって犠牲になられた大勢に方々も、殺人も、癌や病気、災害で亡くなられた大勢の皆さんも、交通事故という車社会での理不尽な被害者も、みんなみんな、この世に未練を残していらっしゃいます。「本当はこんなところで死ぬはずなんかじゃなかった!!」「本当はこんなに早く、こんなに突然死んじゃうなんて思わなかった!!」「本当はもっともっと元気で長生きして、幸せになりたかった!!」「本当はもっともっと人生を楽しんで、家族や愛する人と一緒に居たかった!!」「本当はやり残したこと、行きたかった場所がもっともっとあったのに!!」「本当はもっともっともっと、大切な人に『愛している』と伝えたかった!!!」これは、この世に未練を残し、志半ばで亡くなった方々の悲痛な叫びではないでしょうか??そして、残された私たち遺族は、亡くなった故人のこうした悲痛な叫びを身に沁みて感じるから、余計に悲しいのです!!もう二度と遭えなくなってしまった故人の思いを、感じれば感じるほど自分のこととして痛いほどに、苦しく辛くなってしまうのだと思うのです!!一作日、布団の中でこんなことを考えていたら眠れなくなってしまいました。すると、次女が、まだ起きていたようでリビングでお茶を飲みにきたので、私もリビングへ起きていき、次女と少し話をしました。次女はまだ大学生ですが、看護系の勉強をしていることもあり、特に「生と死」は永遠の課題だと、自分なりの意見も持っています。私は次女にこんな質問をしました。私「お姉ちゃんが突然亡くなって、あなたはどう思った??」次女「大学の帰りにママから突然『お姉ちゃんが亡くなりました』とLINEをもらった時はショックで頭が真っ白になって思考が停止した。帰りの電車の中で自然に溢れてくる涙を堪えるので必死だった。諸行無常ってこういう事なの??頭の中がグルグル回りながら、朝は元気だったお姉ちゃんが死んじゃった???人は死ぬとどうなるの??肉体は無くなっても魂はまだあるの??って思った」私「あの時は私も気が動転して、あなたに残酷な事をしたと今でも心が痛いよ。人は死んだらどうなるんだろうね。無念や恨みつらみ怨念は残るのかな??わからないけど、私はさえりんの魂は絶対にここにいると思っているんだよ!!というか、そうだと信じたいんだよ!今も家族の側にいて見守ってるんだと!!」次女「ママがそう思うのなら、そうかもしれないね。本当のことは誰にもわからないけど、そう信じているならきっとそうなんだよ!!」次女「ねえ話は変わるけど、もし私が将来結婚して子供を産む時、ママみたいに妊娠中に癌が見つかって命の保証はできないと言われたら、ママは、私が子供を産むことを賛成する??それとも反対する??」私「あなたの気持ちを尊重するよ!!もしあなたが強い意志で産むと決めたのなら、ママは何があってもあなたの味方でいるよ!!まるごと受け入れるよ。もし、あなたが産まずに病気の治療をするなら、ママは全力で看病するよ!!」次女「やっぱりママは凄いよ!!無償の愛だよ!!ママの娘で良かったよ💛」私「ママの本当の気持ちはあなたには、絶対にママより長生きして欲しい!!だけど、あなたの意志がたとえ自分が死んでも子供を助けたいと思うならママはあなたの意志を曲げることは出来ないよ。だって私もそうだったからね(≧▽≦)あとは、絶対に大丈夫だと、絶対に助かると、そう信じて祈るだけだよ!!」真夜中に、次女とこんな会話をしながら、私は思いました。あの世と、この世には、生と死を超えた、人間の強い遺志と、魂の繋がりが必ず存在するのではないかということ。目には見えなくても、亡くなった人の魂は実在して、大事な誰かを守りたい、助けてあげたいと、その心と遺志は実在するのではないかと感じたのです。だとすると、志半ばで、この世に未練を残して亡くなってしまった人たちのことは悲しく辛い出来事に変わりはないけれど、もしかしたら目には見えない大きな遺志となって、私たちにこれから先どう生きていってほしいのかを、未来の望みとして託してくれているのかなと思えたのです。なんだか難しいことになってきましたが、やっぱり私の心の中では、あの優しく温かいさえりんの可愛い笑顔が、今もはっきりと浮かびます!!そして、私はどんなに悲しみのどん底でも、理不尽な現実に苛まれ苦しんでも、このさえりんの魂を感じて、さえりんの遺志を受け取って生きていきたい!!さえりんが大好きな、明るくて、お茶目で、優くて、逞しくて、温かい、自慢の母親でありたいと強く願うのです!!いつか、あの世でさえりんと、もう一度再会する日まで!!(さえりん5歳 堀内公園にて)※人の死についての考え方は、もちろん人それぞれ違います。これはあくまでも、私の拙い考えですので、ご了承ください(>_<)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館一昨日と昨日は嬉しいことが続けてありました。一昨日は、ブロ友のSさんがこんな可愛いシナモンのオリジナルのマスクをさえりんのために依頼して手作りして頂き、送ってくださいました!!Sさん本当にありがとうございました!!昨日は、私の独身時代からの友人Hちゃんが、会いに来てくれてすっごく久しぶりに2人でランチを食べに行きました!!個室でゆっくり話をしながら、Hちゃんにも熱血刑事ドラマみたいには絶対にならない警察や検察の、理不尽な法の壁の現実も知ってもらいました。昨日、一昨日も、大勢の皆さまからの温かいお励ましのメールにも嬉しい心をいただき、これも全てさえりんが繋いでくれた尊いご縁だと心から感謝するのです!!
2020年08月07日
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昨日午後12時42分、このブログ、『さえりんの部屋』が20万アクセスに達しました!!皆さま本当にありがとうございました!!私が書くこのブログは決して、明るく楽しい内容ではありません。ある日突然、娘を交通事故で奪われた母親と家族の嘆きや悲しみ、葛藤、絶望のどん底の人生の中でもがき苦しみ、加害者や法制度を恨んだり、時には悲しみに打ちひしがれて、酷い暴言を吐いたこともあります。こんなに重くて、暗くて、ドロドロした内容のブログにも関わらず、皆様には毎日お付き合いいただき、心から感謝でいっぱいです!!また最近は、娘の交通事故の事を、Yahoo!ニュースで取り上げて頂いて、そちらから来てくださった方々にも、こんな拙いブログを読んでいただきまして本当にありがとうございます!!もしよろしければこれからも、お付き合いいただけましたら嬉しく存じます。どうかよろしくお願いいたします!!私がこのブログをはじめたきっかけもそうですが、私の願いは2つあります。一つは愛娘さえりんの、20年11ヵ月の短すぎる人生を一生懸命に生きた娘がいるという真実を、一人でも多くの方々に知っていただきたい!!生前のさえりんを知る方々には「紗愛理」という女の子のことを忘れないで欲しいと強く願ったのです!!というのも「人は人々の記憶から消えた時、二度目の死を迎える」と知ったからです。私の切なる望みは「もう2度とさえりんを死なせてはならない!!」と強く強く願うからです!!!人々の記憶から消えて、忘れられて「そんな娘いたっけ??」となってしまうことが、親として一番切なく、辛く、悲しいことなのです。ですから、この通算20万アクセスの意味するものは、ただブログを見て下さった方のトータルではありますが、私にとっては、さえりんのことを忘れないでいて下さる皆さんのお心の証だと思えるのです!!!そして、このブログを通して初めて、さえりんを知って下さった方々のお心の中にも、さえりんはずっとずーと生き続けられるのです!!!私は母親として、こんなに嬉しいことはありません!!一度は喪った我が娘の魂が、大勢の方々のお心の中で生きてゆけるのですから。そして、私のもう一つの願いは、このさえりんの事故を知っていただくことで、「青信号の横断歩道で何の罪も過失もない歩行者や自転車が、右左折での車運転手の確認ミスによって、無惨に命を奪われていく理不尽で悲惨な交通死亡事故」があまりにも多い悲しい現実と、加害者は青信号の横断歩道というセーフティゾーンでの大きな過失にもかかわらず、刑事裁判では殆どが執行猶予が付いてしまうという定型通りの判例から抜け出せない理不尽な司法の実態を、多くの方々の知っていただき、こんな法制度は変えなくてはいけないと多くの皆さんに声をあげていただきたいと思ったからです!!そのお声は、3602筆もの自筆のご署名となって、また出来なかった皆さまのお心の中にも「こんなことがあってはいけない!!」と思って頂けたのなら私にとって、これほどのお励ましはありません。この加害者への厳罰化の願いは、決して子供の命を奪った憎き加害者を懲らしめたい、罪を償わせたいためだけではありません!!個人的な恨みつらみの次元を超えて、もう二度とこんな悲しく悲惨な横断歩道での交通死亡事故を出してはならない!!第2、第3のさえりんを産んではならないと、強く強く社会へ叫ぶのです!!それは私個人の願いではありません!!多くの被害者遺族の願いであり、そして、亡くなってしまった大勢の方々の悲願でもあると思うのです!!なによりもそれは、さえりん自身が一番願っていることなのです!!だから、私はこれからも、このブログを通して大勢の方々と繋がり、多くの方々と共感しながら共に、誰もが安心して暮らせる社会への希望を持ちたいと強く強く願うのです!!!これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます!!(さえりん5歳 家の近くの公園にて)Yahoo!ニュースに取り上げて頂きました。(8月4日付)「青信号の横断歩道で死亡事故、執行猶予つきの定型判決に遺族の怒り」(この文字を押すとYahoo!ニュースへ飛べます)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年08月06日
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昨日はさえりんの14回目の月命日でした。 朝10時、加害者が花を手向けに来るかどうか見に行こうかと思ったんですが、 もしも、出くわしてしまったら、私の怒りの衝動が抑えられるか心配もある ので悩んで、私たちは時間をずらし午後4時にお花を手向けに行きました。 午前中は主人と買い物や、ご署名でお世話になった方々のところへお礼に 伺いました。そして、さえりんの大好きな桃とデラウェアとスイカと サーモンのお寿司とピンク色のお花を買って仏壇にお供えしました。 午後4時、まだ暑い中、さえりんの事故現場へと主人と行きました。 いつもの現場を通り越した先のローソンへ、現場を通らないように大回りして 駐車場に止めて、歩いて2か所目の横断歩道がさえりんが轢かれた場所です。 青信号を待って歩いて渡ります。陽射しが暑く道路の照り返しで汗が吹き出し ました。 さえりんの進行方向先から逆に歩いてくると、さえりんが倒れて血だらけに なっていた場所の近くを通るので、毎回ながら胸が張り裂けそうになるのです。 さえりんはこんなところで、こんなに早く、死んでしまうために育てたんじゃ ない!!!!!あんなトラック運転手の女にさえ出会わなければ!!!!! と怒りと憤りで、また気がおかしくなりそうになるのです!!!!! 信号を2つ渡った先の電柱の下に、加害者の運送会社が買ったお花がありました。 いつもと同じ花屋のシールが貼ってあり、私は「来たんだな」と思いました。 心のどこかで、約束をまだ破らなかったことに少しはホッとする気持ちと、 逆に「こんなことで許すことなんて出来ない!!」と怒りで複雑な気持ちです。 それでも、未だ私たちの家には一度も謝罪に来ない加害者への許せない気持ちは 私の中で揺らぐことはありません!!こんな誰も何の文句も言わないラクな場所 へ、ただお花を置いてくれば謝罪が済むようなら、誰だって出来ます!! それも、運送会社が買ったお花を、会社の人間と一緒にならラクラクです。 私はやはり、本当に謝罪する気持ちがあるならば、我が家へ一人で来るべきだと 思わずにはいられません!!!そして、この会社が買った花だって、いつ来なく なるかわかりません。私には加害者の思いが少しも理解が出来ないのです!! わたしたちはお花を供え、主人と2人で手を合わせて、帰宅しました。 昨日は、Yahoo!ニュースに取り上げて頂きました。 「青信号の横断歩道で死亡事故、執行猶予つきの定型判決に遺族の怒り」 (この文字を押すとYahoo!ニュースへ飛べます) 今年2月の大久保さんの息子さんの事故と、昨年6月のさえりんの事故、 そして佐藤さんと長谷さんのお子さんの事故の悲しい現実が載っていました。 いずれも「青信号での横断歩道での左折巻き込み死亡事故」の現実です。 私はあらためて何度も読んで思ったことは、何年、何十年経っても変わらない、 一向に減るどころか増え続ける、こうした安全地帯だと思われ、教えられている 「青信号の横断歩道」で繰り返される悲惨な悲劇を絶対にこのままにしておいて はいけないんだと強く強く思いました!!! 昨日もYahoo!ニュースから来られた方が大勢、私のブログも読んで下さいました。 中には批判的なご意見の方もみえます。私の目的は決して加害者を攻撃すること でも、お金をたくさん取りたいわけでもありません!!ただこうした悲劇をもう これ以上繰り返してはいけないと、そんな強い思いで、娘の事故を世間に知って もらうことにしたのです!!もうこんな悲しい思いをする被害者を出してはいけ ないと思ったからです!!これからの私たちの生き方は手探りで見つけます。 だから、誤解しないでいただきたいのです!! そして、共感して下さる方々も大勢みえました!! 私の元にコメントやメールを下さった方の中には、同じようにご家族を悲しい 交通事故で奪われてしまったり、加害者や、警察・検察の理不尽な対応に苦しめ られて、怒りを持ってみえる方々のご意見もたくさんお寄せいただきました。 私はお一人お一人の方の切なるメッセージを読ませていただきながら、 涙が止まらず、震える思いで心から叫びたくなりました!! 「もうこんな交通死亡事故は、二度と起きてはいけないんだ!!」と。 みなさんどなたもお辛いお気持ちを抱えながら、勇気を出してメッセージを 送って下さったことに心から感謝いたします!! そして、交通被害者遺族の方ではない方々からの、お励ましのメッセージも 本当に温かいお気持ちが身に沁みて、感謝でいっぱいです!! 私は思ったのです。もし自分が被害者遺族ではなかったとしたら、このように 自分事として捉え、相手の気持ちを考えた励ましのメッセージが送れるんだろう かと。想像力と、思いやりが足りない私には難しいことだと、思いました。 本当に元気や勇気をたくさん頂きました!!心からありがとうございました!! こうして、さえりんの14回目の月命日は、私にこれからのたくさんの課題と、 心の闇と、未来へ向かう希望の光を見せていただいたのです!! パパとママは、まだまだ頑張るからね!! さえりん大好きだよ!! (昨日の現場のお花) (さえりん5歳 自宅にてひな祭りの日に) ご訪問いただきありがとうございます!! いつも温かいコメントありがとうございます よろしければ応援お願いします。 よろしければこちらも応援おねがいします。 さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!! さえりん動画はこちら さえりんの部屋別館 <ご署名にご協力いただきました皆様へ> 皆様、本当にありがとうございました!! 昨日はご署名を集めていただきました代表の方に一部ではありますが、 ほんの心ばかりのお礼のお手紙を送らせていただきました。しかし、何分 私の不手際もあり、いただいた方全員にはとても送ることが出来ません。 もしも、何かご迷惑や、「うちには来ていないけど」と思われた方がお見えに なりましたら大変申し訳ありませんが、下記のアドレスまでご連絡いただければ 幸いです。どうかよろしくお願いいたします!! <メールアドレス> saerinsaeri@gmail.com
2020年08月05日
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今日は愛娘、さえりんの14回目の月命日です。さえりんは、桃や葡萄やスイカが大好きだったので、買ってきてお供えしたいと思います。あとピンクの綺麗なお花も。今日は主人がお休みを取ってくれて、10時になったら現場へお参りに行きます。私一人で行く勇気が未だにもてなくて、それでも確認しなくてはいけないこともあるんです。それは、加害者が刑事裁判で裁判官に「これからも月命日にはずっと現場へ花を手向けに行きます」と言った言葉が嘘だったのかどうか???私の予想では、裁判が終わればこっちのもので知らん顔だと思いますが、これもちゃんと確かめておかないと、次の民事裁判の時に言ってやろうと思うからです。相手の出方次第で、こちらの闘う姿勢も変わるのですから。それと、私はさえりんに謝らなくてはいけません。ママの力足らずで、控訴が叶わなかった事・・・(>_<)パパもママも必死の覚悟だったのに、法の壁には太刀打ち出来なかった・・・さえりんは絶対に左折してきているトラックに突っ込んでいったわけないって信じていても、それを証明してあげられなかった事。さえりんの名誉にかかわる大事な問題なのに、警察も検察も加害者の言いなりの証言に惑わされて、最後まで覆すことが出来なかったことを、さえりんに謝らなくっちゃいけないんです!!そして、民事裁判では現場検証のプロに頼んで必ず真実を明らかにすることもさえりんと約束するのです!!!!!今日は月命日なのでさえりんにお手紙を書きます。大好きな大好きなさえりんへさえりんに逢えなくなって今日で1年2ヵ月になりますね。その間にあなたは2回も誕生日がきて20歳だったさえりんは22歳になったね。私は22歳の一番きれいな娘盛りのさえりんに逢いたかったです。今でも、毎日、毎日、毎日・・・逢いたいです・・・(>_<)最初に報告。刑事裁判ママたちの願いは叶わず、加害者は一方的に悪くて誠意の欠片も無いのに執行猶予が付く理不尽な判決を控訴することも出来ませんでした。さえりん本当にごめんね(>_<)パパやママに権力や力があったら良かったのにって真剣に恨みました。でも一般市民に出来る事なんて限られ、法の壁を突き破ることなんて敵わず見事に惨敗してしまいました。さえりんが一番悔しかったよね!!ゴメンね・・・こんな無力なママで・・・許してね・・・(>_<)だけどね、凄いこともあったんだよ!!それはね、さえりんの裁判の判決に異議を唱えて控訴を求めて、署名活動をお願いしたら、なんと3602筆も集まったんだよ!!ママはビックリしたよΣ(゚Д゚)でも、それだけの方々がさえりんの事を想ってわざわざ手書きで送って下さったお気持ちは本当に有難くて、ママは感謝の涙がいっぱいこぼれたんだよ。さえりん、どう思う??この方々はみんなみんなさえりんの味方なんだよ!!!検察や裁判官や法律が何と言おうと、さえりんの無実はこの大勢の方々が信じて「ガンバレ!!」って応援してくれたんだよ!!凄いことだよね!!パパとママは一生、この感謝と皆様からのお気持ちを忘れません!!!そして、次の民事裁判に必ずこの想いは生かすからね!!真実を明らかにして、さえりんの無実潔白を証明するから、待っていてね!!パパとママはその前にやりたいことがあります!!それはさえりんを「生命のメッセージ展」に命の大切さを伝えるメッセンジャーとして、就職させることです!!さえりん本当は職場の人間関係に悩んで転職したかったのに頑張ったんだよね。ママは今でも、その時どうしてすぐにさえりんを転職させてあげなかったのか、「もう少し今のお仕事頑張ろうね」って言ってしまったのか、どれだけ後悔してもしきれません。あの時仕事を辞めていたら、さえりんは仕事帰りにあんな道を通らず交通事故になんて遭わなかったのに・・・(>_<)今もまだ元気で生きていられたのに・・・(>_<)この後悔はママの一生の楔となって、死ぬまで持ち続けるしかありません。さえりん本当に本当にごめんね!!ママはさえりんがこんな目に遭うなんて思ってもなかったんだよ!!ママはあなたの幸せと将来のことしか、思っていなかったんだよ!!ママのせいでこんな目に遭わせてしまったこと、本当にごめんね(>_<)だからね、今度の就職先はさえりんがやりがいのある仕事にしたんだよ!!さえりんの魂で命の大切さをみなさんにお伝えするんだよ!!そこには仲間も大勢いるんだよ!!きっと仲良くなれると思うんだよ!!コロナが少し終息したら、パパとママと東京の生命のミュージアムへ行って、さえりんはメッセンジャーとして、また新たな命が誕生するんだよ!!素晴らしいことだよね!!新しい出会いもたくさんあるよ!!待っていてね!!この前ね、Mさんが『命日占い』のコピー送ってくれたんだけど、さえりんとママは『未来列車🚋』なんだって(*^^)vママはこの未来列車すごく私たちにあっていて素敵だと感動したんだよ!!その中で「後悔はしなくていいよ」「さあ、未来の景色を見にいこう!」はさえりんからママへのメッセージなんだと思ったよ!!この本の最後に「この未来列車という絆ではご本人が強い『罪悪感』を抱えることもしばしば見られます。ですが、故人は『罪悪感を手放していいよ』と、悲しみを洗い流してくれるような存在でもあるのです。」と書いてあるのを読んだとき、ママの心は悲しみのどん底の中でも少し救われた気がしました。そうだよね!!さえりんはいつまでもずっとずーっとママの味方だよね!(^^)!ママもいつまでもずっとずーとさえりんの味方だよ!!この世で、あの世でも、一番大好きだよ💛一緒に未来列車に乗って、新しい未来の世界をワクワクしながら、見にいこうね!!!絶対だよ!!約束だからね、さえりん ママより(さえりん5歳 ひな祭りの日に)今朝、Yahoo!ニュースに取り上げられました!!「青信号の横断歩道で死亡事故、執行猶予つきの定型判決に遺族の怒り」(この文字を押すとYahoo!ニュースへ飛べます)大久保海璃君の事故とさえりんの事故の事が書かれています。ぜひ、お読み下さい!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年08月04日
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先日、主人にある相談事を持ちかけると、どんどん主人の顔が険しくなってとうとう言い争いに・・・(;'∀')そういえば、昔はこうした言い争いも1年に1回くらいだったのに、1年2ヵ月前、さえりんが亡くなってからは、主人と私は何度、言い争いや意見のぶつかり合いをしたのでしょうか??明日は、さえりんが亡くなって14回目の月命日です。昨年の今頃は毎晩のようにこうした言い争いや意見の食い違いで私は毎日泣いて喚いて、主人は毎日怒って怒鳴っていました。次女はよく友達の家に泊まったり、自分の部屋へさっと逃げていきました。次女なりに自分の身を守る術を自然に身につけたのでしょう。私は家にいてさえりんが突然亡くなった現実を受け入れられませんでした。毎日毎日悲しくて、辛くて、後悔して、泣いて泣いて泣いて、さえりんを守ってやれなかった、自分を責めて憎んで悔やみました。主人はさえりんが亡くなった現実としっかり向き合う間も、余裕もなく、真夏の仕事の忙しさに追われ、身も心もクタクタになっていました。そして家に帰ると、私が真っ暗闇のどん底の心で攻撃を仕掛けるのです。主人と私は、はぼ毎晩のようにケンカをしていました。大声で怒る主人と、泣いて悲観的になる私。私は主人がもう家に帰って来なくなるんじゃないか、病気になるんじゃないかと真剣に心配しました。遺影のさえりんも悲しそうに泣いてるように見えました。主人も私もこれでは家庭崩壊してしまうと、危機感を持つようになり、仕方なく2人とも今までは全くお酒を飲まなかったのに、毎晩酎ハイを飲んで、睡眠薬代わりにして、酔った勢いでサッと寝るようにしていました。こうでもしないと、お互いにどうしても悲しみに耐えきれなかったのです。こんな悲しみに耐えきれなくなった私は、何とかこの気持ちを整理して、こんな悲しいく辛い現実が本当に起こっていることを、大勢の人に知ってもらいたい、20年11ヵ月の短すぎる人生を一生懸命に生きたさえりんの事を忘れないで欲しい、大勢の人に知ってもらいたいそんな切なる想いが突き上げて昨年9月からこの『さえりんの部屋』ブログをはじめたのです。それからというもの、私は今まで知らなかったブログという世界に出会って、たくさんのブロ友さんや、私の拙い文章を読んで下さる皆さんにお出会いして少しずつですが、毎日ただ悲しいだけではなく、さえりんの事をブログで大勢の方に知ってもらいたいという目標が出来たのです!!しかしその頃、秋になり仕事が暇になってきた主人が私より2ヶ月くらい遅れで悲しみのどん底に陥りました。精神的な落ち込みも激しく、何もしていないのに不意に涙が出たり、時には仕事が手につかなくなり支障をきたすことも・・・私もそんな主人を見て、ただ側にいるだけでどうすることも出来ませんでした。その頃から、弁護士問題や、検察に呼ばれたり、紛議調停を起こして最初の弁護士から着手金を取り戻したり、加害者が起訴に至り、刑事裁判がはじまり、私たちは夫婦で力を合わせなければ出来ないことばかりに直面したのです。そして、今年3月から主人もアメブロ『さえりんの部屋 別館』でさえりんの子どもの頃の動画や写真のブログをはじめたのです。主人は最初は俺はブログなんて絶対にやらないと否定的だったのに、パソコンが全くできない機械音痴の私がブログをやりはじめた時、文句を言いながらも毎日さえりんの写真をアップしてくれました。(今もです(;'∀'))そして、主人もアメブロをはじめてからは自分のブロ友さんも大勢できて、ブログを通しての温かい心の交流に、少しずつ癒され、励まされて、元気がでてきたように思うのです!!私たちはこうしてブログの皆さまや友人先輩からたくさんの応援と元気をもらって刑事裁判に臨みましたが、結果は加害者に執行猶予が付き到底納得のいかない判決になり、私たちは再び夫婦で意見をぶつからせることになりました。判決が出た帰りの車中、主人と本音を交わしました。私は「署名を集め、たとえ状況は難しくても、少しでも望みが残されているのならそこへかけてみたい」と強く望みました。しかし、主人は私ならそう言うだろうと理解はしてくれても、自分自身の気持ちの中では手放しに賛成とはいかず、そんな世間を巻き込んで大胆な行動に出ることに、かなり抵抗があったようでした。男の人は社会性を重んじるので当然の意見だと私でも主人の気持ちは理解できました。しかし、時間はありません。私たちはすぐに決断しなければなりませんでした。主人は言いました「もし俺がやらないと言っても、お前は絶対納得しないだろう。その結果をお前は一生死ぬまで根に持って俺を恨むんだろう」と。私「そうだよ!!もし何もせずに後悔することになったら、一生あなたのことを許すことは出来ないと思う。もしかしたらそのせいで夫婦が壊れるかも知れないね」主人「今まで結婚して24年大事な決断は最後にはいつもお前の意見だな!!」私「ごめんなさい(>_<)でも娘の事だけは死んでも譲ることは出来ません!!」主人「どうせ最後にはお前の言う通りにするんだから俺の意見なんか聞くなよ!!」私「だって、私はあなたの後ろ盾がなければすぐにくじけて折れてしまうんだよ。あなたに同じ気持ちになって、一緒に闘って欲しいんです!!お願いします!!」主人「わかったよ!!でも俺の名前は世間に出さず、宛名はお前だけにして、住所も出せばどんな被害が来るかわからないから、近くの郵便局留めにしよう。メルアドも新しいものを取ろう」と主人は次々に方法を考えてくれたのです!!私は1万人の味方を得たよりも心強く、頼もしく思えました!!そして、たった6日間でいただいた3602筆もの大勢の皆さまからのご賛同の署名を携えて、たった2人で検察庁へ控訴の結果を聞きに行ったときも、願いが叶わず絶望して半狂乱になる私に、主人はたくさん援護射撃をしてくれました。もちろん主人自身の納得できない気持ちもありますが、検察官に土下座までして頼んでくれたのは、他でもない私のためだったと思いました。私はこんな絶望のどん底で、あらためて主人の偉大さと深い愛情を感じました。私たち夫婦はこれからもきっと言い争ったり、意見の食い違いでケンカになったりそんなことをたくさんたくさんすることでしょう。私は主人に聞いてみました。「こんな私と結婚したことを後悔したでしょう??」主人は「俺は良かったと思う!!波乱万丈だけど、さえりんの事はこれ以上にないくらい悲しく辛いことだけど、お前が一緒ならこれも楽しい人生だよ!!」私は、多分主人も、思ったのです!!私たちはもうどんな状況でも『運命共同体!!』なんだと!!そして、こんな私たち夫婦のドタバタ劇を、さえりんはお空から微笑ましく見ていてくれているんだと!!「パパもママも大好きだから、ケンカしてもいいけど仲良くしてね💛」と。(さえりん幼稚園年中 作品展)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年08月03日
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少し前の私のブログのコメントにMさんからこんなコメントで、「『命日占い』という本を買ったら、さえママとさえりんの関係は『未来列車』だったよ!!またコピー送るからね」と書いて下さいました。私はこの時からこの『命日占い』と『未来列車』がずっと気になっていました。先日、我が家で作業していた時、こんな会話になりました。Tさん「そういえば『命日占い』って本が出てるんだって知ってる??」私「知ってるよ!!コメントに書いてくれてた人がいて気になってたんだ!!」Tさん「私もそのコメント見たよ。新聞の広告欄に本の紹介があって気になった」私「今はバタバタしてるけど、落ち着いたら読んでみたいんだよね!!」Tさん「うん。そうだね!!読んでみるといいかもね」その時です!!「ピコン」と音がして、私のパソコンにメールがきました。なんとMさん!!!!!「『命日占い』のコピー送ったからまた見てね」なんとタイミングがいいMさん!!!!!Tさんと私はお腹を抱えて笑いました(≧▽≦)そしてその翌日、郵便で届いたときは物凄く嬉しかったです!!『命日占い』からの引用です。『未来列車』君の旅はこれから始まる。私の旅もこれから始まる。地上に住む君には、まだまだ見つけたいものがあるだろう。まだまだ掴みたいものがあるだろう。そんな君を乗せて列車は未来へと導いていく。先に進むための理由なんて探さなくていいんだよ。列車はおのずと君を連れていくさ。君は子供が絵本のページをめくるようにただただ次の新しい景色に進んでいけばいい。君が進む姿は、私へのギフト。遠慮なんかいらないよ。「未来」という名の列車が君に見せてくれる新しい景色は、私への贈り物。君からの贈り物を受け取って、私も天で新しい景色を見る。そう一緒に成長していけるんだ!あなたがこの世で、純粋にワクワクした気持ちで人生を進めば進むほど、故人もそんなあなたに刺激を受けて成長し続けます。切磋琢磨で結ばれているのです。『未来列車』という関係性は、実際の兄弟や姉妹がそうであるように、共に成長していくのです。あなたが未来を切り開いていく姿がそのまま故人の喜びと成長に繋がります。まだ見ぬ世界へ歩みを進めるのは、誰でも不安を伴うものですが、あなたが未来に進む姿は、故人へのギフトとなり天に届くのです。 「成長したい自分に許可を出す」「後悔はしなくていい」これがこの命日が残したあなた自身の課題です。あなたはこのお別れによって、「もっとこうしてあげたかった」「私がもっと気づくことがあったのではないか?」と故人との関係において心残りを抱えてしまうことがあったのではないでしょうか。でも、心配しなくて大丈夫。天に旅立った故人の魂はこだわりや苦しみから解放されています。そして、あなたに与えているメッセージも「さあ、未来の景色を見にいこう!」とワクワクしたものです。故人はあの世でさらなる進化に向かって進みたいと願っています。だから、地上にいるあなたが自分らしく生きていく姿を自分の勇気に変えていきたいと思っているのです。 課題を解く「鍵」は、”純粋な好奇心”です。純粋に心がワクワクする感覚を思い出していくことが、2人の絆を育むきっかけになっていきます。故人はそんなあなたを見守りながらこうエールを送っています。”もしも、あなたの悲しみが少し和らぐ日があったなら、少しだけ子供の頃の気持ちに戻ってみて。未知の世界は誰もが少し怖く思うもの。だけど・・・、あなたが子供の頃のようにワクワクした気分で進めば進むほど、私もそんなあなたに影響を受けて成長しつづけられるんだよ!” 故人は、あなたが”純粋な好奇心”を思い出し、歩みを始めるのを温かい眼差しで見守りつつ待ってくれています。そう急ぐ必要はありません。あなたのタイミングで。 もしも、悲しみに飲み込まれそうになったら。故人はあなたに後悔することを望んでおらず、あなたにメッセージを送っています。”あなたが歩んできた過去に「間違い」など1つもないんだよ。もし過去の何かが未来へのあなたに影を落としているような気がするなら、何も心配はいらないよ。天にいる私が星の光にかえておこう。すべてを前に進める力に変えておこう。さあ、未来へ向かう列車に身を任せて。”あなたは1人だけで先に行くような気持になっているかもしれませんが、あなたが未来へ進むことで「故人も一緒に進む」のです。どうぞ安心してくださいね。 はっきりと言います。私たちは一人一人が自分発信することで、世の中を良くしていくこと(未来を良くしていくこと)ができます。もちろん、あなたもその力があります。「たった1人」から「たった1人」へ伝わる力を舐めてはいけません。 まずは、あなたが未来への信頼を取り戻すこと。さらにその思いを誰かに伝えていくこと。そうやってあなたの背中や生き様を周りに見せていくことで、誰かの勇気に繋がることでしょう。その結果、故人とあなたの絆もそんな日常の中で強く育まれていくのです。私はこれを読んだとき、感動の涙と震えが止まりませんでした!!何より嬉しかったのは、さえりんと私はあの世とこの世に離れ離れになってしまったけれど、未来へ向かう同じ列車に乗って、未知の世界へワクワクしながら共に進み、成長していくことが出来る!!一緒に旅ができる!!というところでした。ただの占いですが、それでも信じたいと思いました!!そう信じることで、私自身の心が救われ、勇気をもって未来へ進むことができると思いました。そして、こうしてブログで私に起こった出来事を発信していくこともまた未来が良い方向へ向かう、誰かの勇気になれるのかなっと思ったら、本当にこれで良かったと、自己肯定感を持つことが出来ました!!Mさん、本当にありがとうございました(≧▽≦)私は昔から失敗も多く悩み多き人間んでした。子どもの頃は何も無い場所でよく一人で転んで、親や祖父母を心配させました。「あなたは危なっかしいから人一倍気を付けなさい」と言われ続けるうちに自分に自信が持てなくなり気の弱い引っ込み思案な人間になってしまいました。今でもよく判断に迷うことがあり、何かしようと思ったことに対して最初に出鼻をくじかれると途端にダメになって何も出来なくなってしまうのです。それでも、最近はだんだん強くなってきて、自分の魂が揺さぶられるような感覚を自然に感じられると、勇気が湧いてきて前に進むことが出来るのです!!meronさんに連絡出来たことも、『さえりんの部屋』のブログをはじめたことも、刑事裁判へ望めたことも、控訴を求めての署名活動も、検察への直談判も全てはもしかしたら、さえりんがあの世から私の背中を押してくれたから出来たことだったのかもしれません!!!そう思ったら私とさえりんは今も強い強い絆で繋がっているんだと確信出来ます。『未来列車』はもしかしたらこれから先の私の人生の課題なのではと思うのです。今はまだ、悲しみが強すぎて、未来へ進むにはもう少し時間がかかると思います。だけど、いつかきっと私はさえりんと一緒に、新しい未来を見つける旅にでるんだと、そういう目標が出来ただけでも、私は魂が揺さぶられ、また勇気が湧いてくるのです!!さえりん待っていてね!!必ず一緒にワクワクしながら、新しい世界を見に行こうね(さえりん5歳 幡豆こどもの国で遊ぶ)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年08月02日
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今日から真夏の光眩しい8月です。7月は私にとって人生の中で忘れることの出来ない、怒涛の日々でした。昨日も一日中、私はあることのために必死で過ごしました。それはやらなくてはいけないわけじゃなくて、私がやりたくてやっているだけ。でも、こんな私のただの自己満足に、昨日もまたTさんとNちゃんはお忙しい中時間を作って、快く付き合ってくれました!!本当に本当に助かりました!!!お陰様で何とか目処が立ちました!!!何とお礼をしていいのやら・・・(≧▽≦)考えてみたら、今までも私はいつもこんな人だったように思います。何かを思いついて、やりたいと思ったら、やらないと気が済まない。もちろん自分も大変な思いをしてでもやるのですが、周りの方もこんな私のヘルプ要請にいつも快くお手伝いしてくれるのです。周りの友人も、主人や次女も、いわば私の被害者です・・・(;'∀')もしかしたら、私はトラブルメーカー的な存在かもしれません。嫁いだころ父(舅)に「明るい疫病神!」と言われていたのもその由縁なのかも。それでも懲りずにこんな私に付き合って下さる皆さんは本当に人間が出来た方々ばかりで、いつもいつも尊敬するのです!!!そして、思うのです!!私はそうした周りの方々の優しさと愛情に、どれだけ支えられているのだろうかと。そして、私はそうした周りの方々に常に感謝を忘れてはいけないんだと。もし私が感謝を忘れ、自分勝手に傲慢になったら、きっと私の周りには誰一人として寄り付かなくなり、家族にも見捨てられて、孤独死するしかないでしょう。7月の怒涛の日々が少しずつ終わりを迎え思ったことは、もしこれをしなかったら果たして私は生きていられたのだろうか・・・と。7月15日の刑事裁判の到底納得のいかない判決から、急遽の署名活動に全国の皆さんからご協力いただき、そのご署名と皆さんからの熱いお気持ちを心強い味方にして、地検岡崎支部へ何度も足を運びなりふり構わずお願いに行き、文字通り「当たって砕けた」のです(>_<)そして、思いっきり粉々に砕け散った私の心は絶望の淵へと再び落とされ、「自分が死のうか」「復讐に走ろうか」その2者選択しか考えられないような悔しくて絶望で眠れない夜を過ごし、一度は廃人になりかけた・・・(>_<)それでも、私が本当の廃人にならなくて済んだ理由は、ご署名と共に頂いた、皆さまからの応援と温かいお励ましの声でした。皆さんが私を救ってくださったのです!!!あの日、「何としても控訴したい!」冷静に考えたら無謀かもしれないのに、こんな私の声を聞いてたくさんの方が大変な思いをして動いて下さったこと、お寄せいただいたお気持ちの数々を、私は決して忘れてはならないんだと強く強く、心に刻むのです!!!!この7月の一生忘れられない怒涛の日々が、これから私が生きていくための道しるべになった気がします。まだ具体的な方法は全然見つかっていないけど、それでもほんの少しですがこれから私が進むべき道があるんだと、まだ生きてやっていきたいと思えることが出来たんだと、真っ暗闇のどん底の中で、遠くに希望の光が見えた気がするのです。私は20年前と変わらず、こんな「明るい疫病神!」ですが、それでも心の中は皆さんからいただいたたくさんのお心に決して感謝を忘れずに、これからも精一杯、時には休憩や寄り道もしながら、また自分を見失っても、それでも生きていかなければと思えたのです!!こんな私でも、それでも諦めずに生きている姿を見て、いつか誰かの励ましとなれる日が来るまで、私は生き続けようと想えたのです!!皆様、本当にありがとうございました!!!(さえりん5歳 幡豆こどもの国)(さえりんはじめてのアイススケートに挑戦!!)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年08月01日
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私は本当に世間知らずで無知で自分がこうなるまで、被害者遺族の過酷な現実も全く知らず、のほほんと暮らしていました。その癖がぬけないせいか、今でもまだ世間の常識というものを知らず危なっかしく、道を踏み外しそうになることがよくあります。民事裁判で闘うと息巻いても実は民事裁判はどのように行われるのか、私はどうすればいいのか全くわかっていません・・・(;'∀')昨日もブロ友さんにメールをいただきご忠告頂きましたが、もしかしたら私の迂闊な行動や言動が裁判でマイナスに働いてしまうかも知れません。もし気付いた方がみえたら教えてください!!お願いいたします!!昨日は、実は私がこの署名活動をしたことで少しやりたいことがありそのお手伝いを友人のTさんとNちゃんにお願いすると快く我が家へ来て手伝ってくれたのです!!その作業が朝から夕方までやりましたがまだまだ終わらず、2人は明日もまた来てくださると言ってくれました(≧▽≦)その中での会話は「今まで人を轢き殺したら、たとえ過失であっても絶対にみんな刑務所に入るのが当たり前だと思っていた。こんな結果になるなんてさえちゃんが浮かばれないよ!!あんまりだよ!!」「私たち2人で『またいつかさえママのお手伝いをしようね』って言っていたけど、こんな直ぐにこんな形でお手伝いできるとは思わなかったね(^^♪」突然の私の思いだけでのお願なのに2人は嫌な顔一つせずに、終始笑顔!!「家にいたってどうせ外には出られず自粛でテレビの番してるだけだから全然大丈夫だよ!!むしろ、頼ってもらえて嬉しいよ!!」って言って下さるお2人。本当に本当にありがとうございました!!また明日も続きをどうかよろしくお願いいたします!!すごく有難くて、感謝いっぱいだったけど、夕方お2人が帰ったら、また孤独になって憂鬱が押し寄せてきた・・・今回こんなに大勢の方々を巻き込んで急遽の署名活動をして、それでも叶わず。私だって最初から署名の数だけでは控訴の理由にならないことも、多分そうだろうなって気付いていました。判決を覆せるだけの実証が無ければダメなこともだから自分なりに精一杯その実証を見つけようと必死だった・・・民間の調査会社に衝突タイミングシュミレーションを作ってもらえたときはこれで実証になるのではと期待もした。でも・・・・結局ダメだった・・・・往生際と口と柄の悪いおばさんになって3日間続けて、検察に乗り込んでもダメだった・・・私の心は本当はかなり、へこんでいます・・・(>_<)最後の最後までドラマみたいに奇跡が起きることを願っていた。でも、奇跡は起きず、控訴期限はあっという間に過ぎてしまった・・・本当は死ぬほど悔しいよ!!!!!!どうして、さえりんだったの????どうして、さえりんはあんな酷いトラックに出会っちゃったの????どうして、さえりんは何も悪くないのに轢き殺されたの????どうして、さえりんは無実なのに加害者は実行猶予がついて刑にならないの????どうして、さえりんはもう二度と私たちに逢えないの?????どうして、私はこんなに酷い目にばかり会うんだろう・・・どうして、私は世間へ向かって吠えて、喚いて、叫んで、砕けて・・・どうして、私は理不尽な司法と一人相撲を取って・・・どうして、私はこんなに心も体もズタボロになっているんだろう・・・どうして、私はいつもいつも大変な目にばかり遭うんだろう・・・もはや、生きるのがこんなに辛くて・・・さえりんのいない現実が当たり前になっていくのが怖くて・・・生きていることすら嫌になってくる・・・もう早くさえりんのところへ行きたいなあ・・・・さえりん早くママを迎えに来てよ!!!「苦しみのない、自由な空へ、翼はためかせ、ゆきたい・・・」小さい頃さえりんもカラオケで可愛い声で歌っていたよね。今、ママはまさにそんな心境なんだよ・・・(>_<)さえりん、もうママは疲れたよ・・・くじけそうだよ・・・さえりんに逢いたいよ・・・逢いたくて仕方ないよ・・・ママを助けてよ!!だけど、こんなママだけど、どうしてまだ生きていると思う???それは、パパと次女がいるから。こんな絶望的な人生のどん底なのに、優しく応援してくださる「協力者」がたくさんいてくれるから・・・だから、まださえりんのところには逝けないんだ・・・すっごく逢いたくても、まだ我慢しなくっちゃいけないんだ・・・ゴメンね・・・さえりん。そして、ママに大勢の協力者に出会わせてくれて本当にありがとう💛さえりん!!(さえりん5歳 日本モンキーパークpart4)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館昨日も気が付いたら一日があっという間に終わってしまい・・・皆さまのブログ読み逃げでごめんなさい(>_<)
2020年07月31日
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昨日は控訴期限の日でした。私は一昨日名古屋地裁岡崎支部の副支部長に「また明日も来るかもしれません!!」と言いましたが昨日はもう行きませんでした。26・27・28と3日間検察庁に通い続けて、こちらの想いをどれだけ伝えても捜査資料が間違っているという民間の交通事故調査機構の衝突タイミングシュミレーションで衝突地点は3メートルでなく、約5メートル地点でトラックより先に紗愛理は横断歩道に入っていたことを実際に見て頂いても、結果は控訴不可のまま変えてはいただけませんでした。昨日私がもう検察に行かなかったのは決して、控訴出来ないことを納得したからではありません!!もうこれ以上検察に行っても身内びいきで自己保身でしかない検察庁のやり方に呆れ果てて、絶望し見切りをつけたからです!!!!私たちはもう刑事裁判では闘いに負けて、次の民事裁判へ供えるしかありません。しかも、民事裁判ではこの判決のお陰でマイナスからのスタート、まず真実を実証するところからはじめなくてはならず、過酷な闘いとなることでしょう。それでも、さえりんのためにもう絶対に負けてはならないのです!!!ほんのせめてもの救いは3日間粘って検察庁に通い続けて訴え続けたことで、最後に見せた副支部長の涙が嘘でなければ、これからは少しでも検察側も被害者遺族に寄り添った対応をしてくださることを切に願うばかりです!!!出来ればこれからも一被害者遺族の心情と思ってこのブログを読んで頂きたくいつまでもさえりんの事、私たちの悲痛な叫びを忘れないで頂きたいのです!!昨日はご署名をたくさん集めて頂いたご近所の方へ主人と一緒にお礼に伺いました。一軒一軒お尋ねすると、皆さん本当にお優しく声をかけて下さいました!!そして必ず「どうして??さえちゃんは何にも悪くないのに加害者は刑を受けないなんて信じられないし、許せない!!この国の法律は間違っている!!」と私たちと同じく腹を立てて下さいました。直接伺えないお宅にはメールやLINE、お電話でお礼を言わせて頂きました。その返信も皆さんおしゃることは同じで、「これからも何かお手伝いできることがあったらいつでも言ってね!!」でした。こんなにも周りの皆さんはお優しい方々ばかりなのに、さえりんはどうしてたった一人のあんな誠意の欠片もない加害者に出会ってしまったんだろうと悔しくてやるせなくてたまりません!!!私は思いました!!今までの遺族の方々も同じ気持ちだったに違いありません!!そしてこれからもこの無念の判決は「判例」という名のもとに、またずっと永遠に続いてしまうのです!!だからこそ、今おかしいことはおかしいとみんなで声を大にしてあげていかなければならないのです!!私は今回たくさんの方々にご協力いただいて、たった6日間という短い時間ではありましたが、これだけたくさんの方々にご署名に賛同いただいて本当に良かったと心から感謝しています!!この署名に出会ってはじめて交通死亡事故の理不尽な現実を知ったという方も大勢みえました!!それまでは「たとえ過失であっても人を轢き殺したら刑務所に入るのが当たり前だと思っていた」とみなさん驚かれました。私も自分の娘がこうなるまでは、そう信じていたのです。警察や検察、裁判は正しく悪を取り締まって、公平に罪を課してくれるものだと、信じて疑いませんでした!!他の罪に比べ、この交通事故の刑罰だけが甘いというおかしな司法の常識と壁もいつか皆さんのお力で必ず変えていかなくてはと強く強く願うのです!!!昨日地元の郵便局へも職員さんに、ご署名のお礼に伺いました。すると職員の女性が私の顔を見るなり「坂田さんに局留めであの後もお手紙が届いていたんですよ!!電話番号がわからなかったから待っていたんですよ」と3通の封筒を渡してくださいました。私は最後に先週水曜日に頂いたものも合わせ検察庁に提出し、その後木曜日から祝日だったこともあり、日、月、火と控訴を求めて検察庁通いで慌ただしくて、郵便局に行けなかったことを申し訳なく思いました。3通の封筒には6名の方がご署名を送って下さっていました!!本当に心から感謝いたします!!いただいたご署名は絶対に無駄には致しません!!これで全部で3602名の方の心強い応援を頂いたのです!!!!皆さまからの心の籠ったご署名用紙は検察庁から返していただきましたので、私たちの一生の宝物として、我が家で大切に保管させていただきます!!決して悪用など致しませんのでご安心ください!!皆さまから送っていただいた封筒や応援のメッセージは全てファイルに整理して、メールで送っていただいた温かいメッセージも全てコピーして大事にファイルに保管しました!!昨日あらためて皆さまからの声であるメッセージやお手紙を読み返していたら本当に温かくて、お優しくて、共感してくださって、有難くて、また感謝の涙が止まらないのです!!娘亡き後、こんなにも嬉しいことは初めてです!!皆さまからいただいた、心からの声は絶対に無駄には致しません!!必ずや次の民事裁判へ向かう励みとして、いつかきっと最後には必ず、「正義は勝つ!!」と証明して見せます!!どうか皆さまそれまでこの『さえりんの部屋』ブログをご覧いただき、私たちの奮闘ぶりや、泣いて笑って転んでもただでは起きないド根性を見て応援くださると有難いです!!どうかよろしくお願いいたします!!私たちはただの親バカですが、全ては愛する我が娘、さえりんのために(さえりん5歳 日本モンキーパークpart3)(署名と一緒に皆さまから頂いたメッセージやお手紙です(*^▽^*)ファイル4冊いっぱいになりました!!)(皆さまからの心のこもった声は私の宝物です!!ありがとうございました💛)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館※私が民事裁判を起こそうと思う理由は、決して保険金がたくさん欲しいためではありません!!!娘の価値をお金に替えようなんて思いません!!!決してお金持ちではありませんが、娘の命をお金に替えなくても生活出来ます。しかし、このままでは加害者には何の制裁も反省もなくきっともう二度と謝罪や献花になんて来ないでしょう!!!自分の運転ミスでさえりんを轢き殺したことさえ思い出さず何食わぬ顔でのうのうと生きていくでしょう!!!それが許せないのです!!!だからせめて民事裁判で、事故の真実を明らかにして、加害者には「自分が悪かった」と心から反省の涙を流してもらいたのです。私の願いが叶うかどうかはわかりませんが、民事裁判が加害者に少しでも制裁を促し、反省を促すためのチャンスになればと思うからです!!!このまま「さえりんが飛び込んだ、加害者の罪はそれほど重いものではなかった」という誤った判決を覆すためなのです!!!さえりんの名誉のためです!!!昨日の私のブログにコメントを頂いた「ラーコさん」のご主人様もそうですが、どこの世界に、自分の娘が生まれたばかりの喜びの時に自ら車に飛びこんで自殺する人がいるのでしょうか???どこの世界に、仕事帰りに美味しいお寿司を食べに行こうとして、これから楽しいことがたくさんあるのに、自らトラックに突っ込んで自殺しようとする20歳の娘がいるのでしょうか???加害者の矛盾した供述ばかりを鵜呑みにして、亡くなった被害者の人権も想いも全く無視した捜査を平気でする警察も検察も裁判官もみんな節穴です!!!だからこそ、真実を明らかにし、こんなずさんな捜査や司法の現実を明確にし、広く世間に知ってもらうためなのです!!!!!「こんな交通死亡事故の虚偽の悪法は絶対にあってはならない!!」と皆さんと声を大にして社会を変えていくためなのです!!!
2020年07月30日
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昨日の夕方、Facebookにてショッキングな投稿がありました。先日、このブログでもご紹介した東京の大久保祐三さんからでした。大久保さんも、8歳の息子さんが青信号の横断歩道で登校中にワゴン車に轢かれお亡くなりになり、刑事裁判の判決はうちと同じく禁錮3年、執行猶予5年でした。控訴を求めて署名活動をされてみえ、ネット署名で1万名以上の方がご賛同されて検察庁へ提出され、控訴の結果を待っておられました。ところが昨日検察庁から、控訴断念の連絡があったそうです。控訴断念の理由は木曜日に説明を受けられるそうです。私はこの残念な結果が、自分の事のように大ショックでした(>_<)うちはダメでしたが、せめて大久保さんは控訴が叶って欲しかったです!!理由はわかりませんが、なぜここまで被害者遺族が苦しめられなければならないのでしょうか???大事な大事な我が子を突然奪われただけでももうこの世の終わりかと思うくらい絶望のどん底なのに、さらに追い打ちをかけられるなんて、こんな地獄のような苦しみはもうたくさんです!!!いつまでたったら、こんな悪い判例に歯止めがかけられるのでしょうか??このままではこんな理不尽な被害者は増える一方で、人を轢き殺しても執行猶予がついて何の反省も誠意もなくのうのうと暮らす加害者は増える一方なんです!!いったい、いつ誰がこの悪循環を変えられるのでしょうか????このブログから大久保さんのご署名にご協力してくださった皆さまへ私からもお礼を言わせてください。本当にありがとうございました!!大久保さんもきっと私同様に、これからも闘っていかれると思います。どうか温かい応援をよろしくお願いいたします!!私はまだ小学生くらいの子どもの頃、明治生まれの祖母から「この世で生きていくために何が一番大事だと思うか」と聞かれ、まだ幼かった私には難しい質問でした。祖母は私に「この世で生きていく上で一番大切なのは、信用だよ!!信用が無ければ人はこの世の中で生きてはいけないんだよ。覚えておきなさい」と言いました。あれから45年ほどたってその言葉をまた思い出しながら、今の自分の立場で考えてみると、もちろん信用も大事ではあるけれど、私の今までの人生の中で経験したことからの答えは、信用を得るためにも大切なのは『人の心』すなわち『良心』だと思うのです。『人の心』を持たぬものはこの世の中で、人と人とが関わる社会において生きていくことは不可能だと思うのです!!だから、私は「この世で生きていくために一番大事なのは人の心」と答えます。綺麗ごとだと、世間知らずで、能天気だと笑う人もいるかも知れません。確かに自分でもそうだと思います。でもやっぱり、こんな状況になってしまったからこそ何もなく能天気に暮らしていた頃より、より一層その気持ちは大きく強くなったのです。昨日は実はまた名古屋地裁岡崎支部へ行ってしまいました。本当に往生際が悪いめげないおばさんです・・・(;'∀')昨日はちゃんと電話で事務官にアポをとりましたよ。実は一昨日依頼した日本交通事故調査機構のSさんより、昨日送った資料から早速、衝突タイミングシュミレーションを作っていただきました。そのシュミレーションによると、やはりさえりんとトラックが最初に接触した位置は横断歩道の5メートルくらい先だという事でした。最後にトラックが停止した位置からしても3メートルでぶつかるのは不可能だという結果でした。という事は、警察が最初に作成した書類が間違っていて、検察も検証せずにそのまま起用してしまった責任があります。私はその証拠を基に、控訴の理由にならないかと最後の最後の微かな望みをかけて名古屋地裁岡崎支部へパソコンを持って駆け込んだのです!!昨日も、また副支部長が対応してくれました。3日連続できっと呆れていたと思いますが、それでもこんな執念深いおばさんに付き合って下さったことには頭が下がりました。早速、パソコンの衝突タイミングシュミレーションを見せました。私「もしこれが証拠として実証されるなら警察の初動捜査に誤りがあり、それを見抜けなかった検察にも責任があります。」と自信満々に言いました。副支部長「これがどのくらい信憑性がある証拠になるかは疑問です。もし仮に衝突地点が5メートル先だったとしても、時間に直すと0.5秒くらいの違いです。それだけでは判決を覆すだけの理由にはなりません。控訴は出来ません!!」私は食い下がります!「ではこの事故がそれ程過失の程度が大きいとは言えないのならば、他に何が過失が大きいんですか??青信号の横断歩道での死亡事故は実刑にはならないんですか????」副支部長「信号無視や飲酒、轢き逃げなら過失は大きいと言えます。今の現状では青信号の横断歩道でも殆どが執行猶予が付いて、実刑はそれ程多くはありません」私「そんな理不尽な交通事故の甘い法律が判例によってまた繰り返していく現状をいったい誰がどうやって変えていけるんですか??いつまで経っても理不尽な判決に苦しめられる人が増える一方なんですよ!!!!」副支部長「私も一個人としては、人を轢き殺したら即実刑になることを望みます。もし自分の家族だったらと考えることもあります。しかし、検察官として職務を全うするうえでは、今の法律や判例に従わなくてはならないのです。」私「私は娘が突然死んでしまったとき、私も死のうと思いました。そして、執行猶予の判決が出た時も、控訴が叶わなかったときも、自分が死ぬが、加害者に報復するか2者選択しか浮かびませんでした。しかし、やっぱりまだ生きています。犯罪も犯さずに。私はもう一度死んでいるので何も怖いものはありません。これから先の人生は守ってやれなかった娘のために、娘の無念を果たすために使おうと思っています。だから必死なんです!!遊びでこんなことしてるんじゃありません!!これから先、こんな目に遭う人が増えないように、こんな理不尽な法律に悔し涙を流す人が出ないような社会にしなくっちゃいけないんです!!それが亡くなった娘の死を無駄にしないという事なんです!!」私は訴えながら涙が次々こぼれました。副支部長「ブログは拝見しています。そのように声をあげて行かれることは大切なことだと思います。そういう皆さんの声で法律を変えていかなければいけないと思っています。私たち検察官が中から変えることは出来ないんです」私「今日のブログでは検察や裁判官の事がぼろくそに書いていますね。これからも嘘偽りなく私の感情は入りますが、なるべく事実に沿って正直に書いていきます。また検察やこの国の法律の悪口を書くかもしれません。でも、私は書き続けます!ありのまま私たち家族に起こった悲劇もそのまま大勢の方に知ってもらいたいんです。そしてみんなでこんな現実を変えていく原動力になればと思うのです!!」副支部長「ぜひ頑張って下さい!!そのようになればと願っています!!」副支部長は前に起きた交通事故の事例を話し、涙ぐまれました。その涙は、もしかしたらパフォーマンスかも知れません。だけど私はそうではないと、信じたいと思いました。それは、名古屋地裁岡崎支部へ3日間通ってこの副支部長に思いっきり時には怒鳴って意見をぶつけ、はじめてほんの少し気持ちが通じた気がしたからです。この人も、検察官という立場はあっても、家に帰れば夫であり、父親であり、息子であり、家族を守る一人の人間なんだと、『人の心』を持った私と同じ人間なんだと思えたからです。帰る時私は「また明日も来るかもしれません!!」と言うと副支部長は「どうぞ!!」と言いました。帰りの車中で私は考えました。私はいったい何がしたいんだろうか??と。誠意のない加害者がもし刑務所に入ったとしても、それで満足なのだろうか??それで、さえりんの無念は果たせるのだろうか??私にとっての復讐は、加害者が心から反省し「さえりんに申し訳ないことをした」と誠心誠意、さえりんの遺骨の前で謝罪することではないかと思ったのです!!今は許せない加害者でもいつか、『人の心』を持った一人の人間なんだと和解できる事が、本当の意味での私の復讐ではないかと思えたのです!!それはきっと遠く遠く長い長い道のりかも知れません!!次の民事裁判でももっとズタボロに辛い現実が待っているかも知れません。それでもいいから、真実は明らかにしたいのです!!私はいつか必ずきっと目の前の人と心を通わせ、その人の輪の広がりでみんなが安らかに暮らせる日を願わずにはいられません!!綺麗ごとだと笑われるかも知れませんが、いつかきっと憎き加害者でさえ『人の心』を持った人間なんだと思える日が来ることを望んでいるのです!!それは、人が大好きで、みんなの笑顔が好きで誰よりも平和をこよなく愛するさえりんの願いでもあると想えるからです!!そうだよね!!さえりん(さえりん5歳 日本モンキーパークpart2)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月29日
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控訴却下の決定を聞いて1日経ちました。私は絶望のどん底の中で今できる事はなんだろうかと必死で考え出来うるすべてのことに全力を尽くして、行動に移そうと思いました。昨日は地元の某新聞社が午前中取材に来ました。内容は詳しくは今は書けませんが、すぐに記事にしてもらうのは叶わず、正しい事実確認をとらなければいけないため、日にちがかかるとの事でした。少しがっかりしましたが、マスコミの力を使って何とかしようなんて虫が良く私が間違っていたんだなって思い諦めました。その後、私はもう一度しっかり位置を確認するため現場へと向かいました。そこは相変わらず交通量が多い交差点で、車の流れを良く観察しました。すると左折してくる車は国道23号線バイパスにのろうとするなら、必ず右の車線、歩道から遠い方の2車線目に入らないといけません。だから、私は左折して2車線目に入る車の道筋を目で追って何台もじっと観察しました。すると、やはり横断歩道を通過する位置がある程度真ん中になるのです。加害者の証言からも「国道23号線バイパスに入ろうとしてこの交差点を左折した」と言っています。実際にさえりんを轢いて下敷きにしたまま止まっているトラックの位置は2車線目の横断歩道を少し過ぎたあたりに真っ直ぐに止まっています。となるとこの位置に真っ直ぐに止めるためには、横断歩道を大回りして大きく曲がったとしか思えません。だとするとやっぱり横断歩道に入って3メートル地点でさえりんと接触したという証言はどうしてもおかしいのです。もし3メートル地点でさえりんを倒して下敷きにしたのなら、最終的に止まった位置は斜めに曲がっていないと不自然で、真っ直ぐとまれるなんてそんなことはあり得ないのです!!たくさん通り過ぎていくトラックを見ながら、やはり最初の6メートル地点ならトラックの左前輪が通過する位置とピッタリなのです。記者さんが道具で図ったら、横断歩道の全長は15メートルでした。私は急いで家に帰りもう一度事故の資料や写真、図面をしっかり確認しました。すると、さえりんの着ていた上着のボタンと、かけていたメガネのレンズが片方落ちていた場所が横断歩道の5~6メーター先でした。ということはこの場所でさえりんはトラックと接触して地面に倒された可能性が高いという事になります。この遺品が落ちていた場所の図は事故当日のもので、加害者がこの辺りでぶつかったと指をさして証言している写真は事故から数か月たった時のものです。皆さんなら、どちらが信憑性が高いと思われますか??私の疑問は固まり、確信へと変わりました。そして、すぐにもう一度、最後の望みをかけて、名古屋地裁岡崎支部へとアポなしで一人で車で向かいました。岡崎支部へ着くと、また昨日の事務官が飛んできて待合室へ通されました。アポなしで来たことを詫びて、事情を説明すると少しお待ちくださいと次に昨日の大きな会議室に通されました。暫く待っていると、昨日対応した副支部長が一人できました。昨日のもう一人の検事は今裁判所へ行っているとの事でした。そして私は持参した資料の写真と図面を開いて、私の確信を説明しました。ところが、副支部長「調書に3メートル地点で接触と書いてある以上覆すことは不可能です」の一点張りでした。私「もし警察の調書が加害者のいいように真実を捻じ曲げて作られたものだとしても、撤回はして頂けないんですか???」と力を振り絞って訊ねた。副支部長「もし仮にそうだったとしても、他にこの供述は嘘だったと立証できる証拠がなければ、これが正しいということになるんです」と言いました。私「じゃあ検察は加害者の言いなりなんですね!!人を殺して死んでしまった人は何も言えないのだから、加害者の思うつぼなんですね!!怪我や重傷を追わせて被害者の人権を主張されるより、いっそのこと轢き殺してしまった方が死人に口なしで、被害者に人権はもうないんだから好都合といいことですね?」と嫌味たっぷりに言った!!!副支部長「残念ながら、今の法律では結果としてそういう事になります」私「あなた達はろくでなしのぼんくらですね!!!!そんなことが当たり前にまかり通るような司法なら、この国に正義なんてありませんね!!!!人殺しを推奨し法律で守っているのと同じです!!殺人なら刑務所なのに!!検察も裁判官もみんなグルなんじゃないですか??刑事裁判なんて最初から結果は決まっていて、形だけの茶番だったんじゃないですか????」副支部長「そんなことはありません。しかし、裁判官の判決を覆すだけの証拠がない限り、検察は控訴には踏み切れません。遺族の強い控訴希望や署名の件も上に伝えましたが、やはり無理だという結果です」私「それはあなた達検察が自己保身のためか、ノルマのためか、見えない力が働いているのかわかりませんが、やる気がないだけですよね??」副支部長「どう思われようが構いませが、控訴はできません」私はもうこれ以上この人と話しても無駄だと思いました。堂々巡りです。私が何を言おうとどんなに叫んで喚こうが、何も変わらないと悟りました。そう思ったら、どこか開き直って逆に諦めが付きました!!もうこの刑事裁判という茶番の中で闘うのは無駄なことだったのだと、バカな私でも気が付き、見切りが付きました。そう思ったら、もうフィールドを変えるしかないんだと、民事裁判で闘おうという気持ちに切り替わりました!!検察は最後まで若い担当M検事を私たちに会わせてくれませんでした。私は最初から検察の人間を信じてはいませんでした。それは捜査担当のK検事も「紗愛理がトラックとぶつかった位置は横断歩道の入り口だった」と言いました。私は「トラックの停止した位置から見てもそれはおかしい」といくら訴えても聞き入れてはくれませんでした。今思えば、警察の捜査資料がそうなっていたからです。本来ならば、おかしいと疑問に思う所を再調査するはずの検察が捜査を怠って、警察が加害者の言いなりに作った資料を鵜呑みにしているんです。これは経費削減なんでしょうか??手間を省くためでしょうか??怠慢なんでしょうか??しかし、公判検事に代わった時、若いM検事は最初の面談で私の疑問に対して「紗愛理さんがトラックとぶつかった位置は横断歩道を6メートル渡った位置で紗愛理さんに過失は何一つありません!!相手が100%悪いのです。必ず実刑を取りましょう!!」と言って下さり、初めてこのM検事を信じてみようと思えたのです。ところが、判決で執行猶予が付いたとたん、このM検事に電話をかけても「M検事は自宅待機でいつ出社するかわかりません。」と言われ、一度も連絡すらも取れません!!事務官に聞いたら「ちょっとコロナの疑いがあって自宅待機で」と言いにくそうに言いました。でも考えてみたらおかしな話です。もし本当にコロナの疑いならば、私たちも一緒にいた先輩検事も濃厚接触者になるはずです。私はこれはコロナの名を借りた隠ぺい工作だと思いました。M検事なら私たちの味方に肩入れしかねないから、離されたのだと思いました。本当のことはわかりませんが、それでも検察には不信感しかありません!!私たちはもう、裁判官も検察もやる事が汚すぎてとても信じられません!!司法の壁もそれに纏わる国家公務員も皆腐っています!!だから、逆に清々した気持ちで諦めが付いたのです!!!皆さまには大変ご心配と、ご署名へのご協力、コメント・メールでのお励ましのお言葉をたくさんいただき、心から感謝でいっぱいです!!私たちは、最後の望みをかけて、昨日まで精一杯闘いました!!それなのにこんな結果になってしまい、本当にごめんなさい(>_<)しかし、分かったことは検察も決して被害者の見方ではなく、裁判官も含めてみんな加害者の味方だったという事です!!だから、もう刑事裁判に夢や希望や未来を求めても無駄だという事です!!今回のことで嫌というほど、司法の矛盾さと理不尽さが身に沁みました。今日からは、フィールドを民事裁判に切り替えて、まずは専門家にしっかり事故の真実を検証して頂くことからはじめたいと思っています!!腐りきった司法やお役所仕事な国家公務員たちより、民間の調査機関の方が余程信用に値します!!私は皆さまからのたくさんの応援を糧に、これからも転んでもめげずに、最後まで闘います!!それは誰よりも一番大事なさえりんの無念を晴らすためだからです!!(さえりん5歳 日本モンキーパークへpart1)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございます!!よろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館昨日も皆さまのブログへお邪魔できずゴメンさない・・・(>_<)
2020年07月28日
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昨日は午後1時30分、名古屋地方検察庁 岡崎支部へと控訴の有無を聞きに主人と2人で行きました。N弁護士は大阪から新幹線でこちらへ向かう途中、大雨のため新幹線が岐阜羽島駅で何時間も足止めになり岡崎支部へ辿り着くことが出来ませんでした。午後1時20分岡崎支部の玄関前で待っていたら、事務官が迎えに来ました。日曜日のため正面玄関は締まっていて、私たちは事務官に案内されて裏口から合同庁舎の中へ入った。案内されたのは広い会議室。窓側の席に主人と私が座り、暫くすると、検察の副支部長という人と私たちの担当検事の上司のT検事が私たちの向かい側の席に座った。事務官は入り口の机に一人で座った。最初に副支部長が担当のM検事が事情により来れないことと電話の対応を詫びた。私はハッキリ言ってそんなこともうどうでもよかった。そして、本題に入った。副支部長は「申し訳ありませんが、名古屋地検にも相談し岡崎支部で検討した結果、今回の控訴は大変厳しい状況だと判断したため控訴は出来ません」と言われた。私はその瞬間から、頭をバットで殴られたくらいの物凄い衝撃で気を喪いそうになった。暫くしてようやく声が出た「どうしてですか????」と。副支部長の理由はこうだった。「加害者は謝罪もなく誠意がない態度はあまりにも酷いものと認めます。しかしそれだけでは控訴の理由にはなりません。一番の焦点は、加害者のトラックが交差点に差し掛かった時、娘さんがどの位置にいたのかという事です。裁判官はトラックが交差点に差し掛かった時、娘さんは未だ横断歩道には入らず歩道にいたと判断している。トラックと娘さんが最初にぶつかった位置は横断歩道から約3メートル入ったところ。娘さんの自転車の速度は約時速11㎞くらいだと推測しトラックは時速16㎞、事故の1秒前には娘さんは横断歩道内にいなかったと判断。従って、裁判官の『被告人は確認を怠ったという罪は大きいが、その罪の程度は即実刑にというほど重いものではない』という判決を覆すことが出来ないと、判断したため控訴は出来ないという結果に決まりました。」私たちはさらに衝撃を受け怒りが込みあげ、副支部長に抗議しました!!!!!「私は担当のM検事から最初にトラックと娘の自転車がぶつかった場所は2車線分の横断歩道のほぼ中央で6メートル入った場所だと聞いています。それが何故3メートル地点と変えられているのか???もし仮に3メートル地点だったとしても、娘の自転車の速度よりトラックの交差点進入速度の方が早いのなら当然トラックが交差点に差し掛かった時、娘はすでに横断歩道の中にいたことは間違いない問題です!!それなのにどうして娘はまだ横断歩道には入っていなかったと言えるのか、それが重大な過失とは言い切れないと加害者を擁護するのか私には理解できない!!!娘はトラックが曲がってきているのにトラックめがけて横断歩道に突っ込んだという事ですか???娘が悪かったという事になっているんですか????それならば娘は自殺したという事になってるんですか????」副支部長は言葉を選んでこう言いました。「私たちも裁判官も娘さんに過失はなかったと認めています。過失は全て左を十分に確認せずに左折したトラック運転手の加害者だったと認識しています。しかし、横断歩道に娘さんが入った位置と時間、トラックが交差点に入った位置と時間、双方がぶつかった地点などを詳しく調べ想定したところ、このような判断を裁判官が下した以上、それを覆すだけの証拠がないのです。」主人と私は机を叩いて怒鳴りました!!!「紗愛理はもう亡くなってしまったんです!!!どんなにそれは違うと、私はもう横断歩道に入っていたのにトラックが突っ込んできたんだと言いたくても、もう何も言えません。すべては加害者の都合のいい証言に基づいたいわば偽りの証拠でしかないのです!!!!裁判官も検察も警察もそんなことは百も承知のはずです!!!わかっていてそれでも、加害者に有利な判決を下す裁判官も最低だが、それを鵜呑みにして控訴すら出来ない検察も役たたずとしか思えない!!!可能性は低かったとしても、もし負けてもいいから控訴して欲しい!!!高裁での闘うチャンスすら奪わないで欲しい!!!!」と懇願しました!!!主人は検察官に土下座して「どうかこの通り僕らに最後のチャンスをください!!!」と泣いて頼みました。私も「一生懸命皆さまが全国各地から『こんな横断歩道で何の罪もない娘が轢き殺されて執行猶予が付くような判決は不当である』と3596名もご署名を頂いたそのお気持ちを決して無駄にしてほしくはありません!!!皆さんがこのご署名以上の大勢の方々が異議を唱えて下さっているんです!!こんな理不尽な殺人が刑にも服さず罰金も払わず、執行猶予という法に守られて何の罪にも問われずに許されてしまう現実があってはならないんだと!!!だから交通死亡事故が一向に減らないんだと危機感を強く持っていらっしゃるんです!!!明日は我が身です。いつ誰がどこでこんな理不尽な交通死亡事故に遭うのかもうわからないこんな社会はおかしんだと、だから今ここで悪い判例を断ち切らなければいけないと皆さんが強く切実におしゃっているんですよ!!!!」と泣きながら訴えました!!!!しかし、副支部長も検察官も決して態度を崩すことなく、淡々と「控訴は検討した結果難しいと判断しました」と何度もそればかりでした。私たちは粘りました。私は朝まで帰らないつもりで何度も抗議し続けました。副支部長も検察官もそれなら付き合いますと、姿勢を崩さなかった。私たちは精一杯訴え続け、2時間半粘りましたが駄目でした。最後に主人と私は「私たち遺族の切なる願いをもう一度上司に伝え、最後の検討をしていていただくことを強く強く強くお願いします」と頭を下げました。事務官に付き添われ駐車場まで行こうとしたとき、TAVの方からお電話をもらい、状況を伝えると信じられないと絶句しておられました。車に乗ると、私は悔しくて悔しくて怒りの涙が止まりませんでした。それから、帰る道中でTAVの方やmeronさん、中京テレビの方など電話で控訴却下されたことを泣きながら報告し続けました。控訴期限は7月29日あと今日を含め3日あります。何とか方法はないものなのでしょうか????どなたか、いい提案がある方は教えていただけると有難いです!!!!事故の鑑定を専門家にしてもらうことも考えましたが、時間が足りず間に合いません。それに頑なに姿勢を崩さない検察側を崩すのは容易なことではありません!!!このままでは、私は一生立ち直れません!!!さえりんが如何にも悪かったことにされている判決を絶対に認めることは出来ません!!!皆さまからの想いも絶対に無駄には出来ません!!!!そんなことになったら、私はもうこの先生きていく希望も気力も無くなってしまうのです!!!!どうか、どうか検察のこの判断が覆る方法が見つかりますように、祈るばかりです・・・(>_<)私たちはこんな理不尽な交通死亡事故の到底納得いかない司法の壁に強く深く憤りを感じることしか出来ません・・・・土砂降りの雨の中、私たちは最後の希望を断たれ、絶望の海の中へ放り込まれました!!!!交通死亡事故の被害者と被害者遺族はただ泣き寝入りするしかないんでしょうか?????ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございます!!よろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月27日
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たった今、家に帰りつきました。今日はいろんな事がありすぎて、まだ頭の仲が錯乱しています。結果が出ました。控訴は叶いませんでした!!おかしい!!!おかしすぎる!!!!絶対に納得なんか出来ません!!!!!2時間半粘ってお願いしてきましたが、結果は覆りません!!!私たちは人生の中でこれほど法律の壁を憎んだことはありません!!!結局、加害者はさえりんを殺しておいて、1円の罰金も払わずに済んでしまい、刑務所にも入らず、何の痛手も追っていません!!!私は絶対に許しません!!!!!私たちは絶望しもうどうしたらいいかわかりません・・・生きる気力すら無くなってしまいました・・・皆さま本当にごめんなさい(>_<)詳しいことはまたのブログに書きます・・・・今は絶望が大きすぎて頭の整理がつかず、これ以上は書くことができません・・・(>_<)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございます!!よろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月26日
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私は昔からずっと疑問に思っていました。『大切な家族、大切な我が子が、ある日突然にこの世からいなくなってしまったら・・・その先の家族の人生はいったいどうなってしまうのだろうか??と・・・・テレビや新聞のニュースでは、こんな悲惨な交通死亡事故が、こんな凶悪殺人が、こんな災害での死者が、こんな自殺が・・・と毎日のように人が亡くなった事件や事故が報道されています。今までは、そんなニュースを見る度に胸が締め付けられて、もしもこれが自分の家族だったら、私はどうなってしまうんだろう??と、思っていました。そして、この被害に遭ってしまったご両親のお気持ちはどれ程のものだろうかと・・・もしも、うちの娘がこんな目に遭ってしまったら、果たして、私は生きていけるだろうか??娘の後を追って、あるいは加害者を殺して、私も死ぬ道を選ぶのではないだろうか??』と。ところが、昨年6月4日、最愛の娘さえりんはトラックに轢かれ帰らぬ人になってしまったのです(>_<)今までのこうした私の疑問は、私の目の前に試されるかのようにリアルに現実のものとして襲い掛かっているのです!!まさか、娘が本当に殺されてしまうなんて・・・まさか、私たちは被害者遺族になるなんて・・・どうしてさえりんじゃなきゃいけなかったの????代われるものなら、私が代わってやりたかった!!!!!何故????どうして????さえりんに限って????答えの出ない疑問ばかりが、堂々巡りで私はあの日、突然、地獄へ突き落されたのです。さえりんが亡くなる数ヵ月前、家族で外食しながらこんな話をしました。ある講演会でのお話「東日本大震災で高校の卒業式を終えたばかりの女の子が家が流され目の前で家族が波にさらわれて、最後にお母さんが何かの下敷きになって動けなくなりその時お母さんは女の子に『行かないで!』と言いました。でも女の子はここにいたら死んでしまうと思い、泣く泣く『お母さんゴメンね。今までありがとう!!』と言い残しその場を離れて逃げて助かりました。でもお母さんは波に飲まれて亡くなりました。女の子はお母さんを置いて一人逃げてしまったことをずっと後悔していました。」こんな話を聞いてきた私は、2人の娘たちに言いました。「ママは何があってもあなた達には生きて欲しい!!たとえママが死のうとあなた達はどんなことをしても逃げて欲しい!!ママの命に代えても、紗愛理と妹は必ず守るからね!!!どんなに辛くても、生きていたら必ず幸せはあるんだから!!」と、2人の娘と約束をしました。その時さえりんは、大きな体で私にぎゅっと抱きついて「ママありがとう💛私、ママの娘に生まれてきて本当に良かった💛」と涙ぐんでそう言いました。その時の嬉しそうな安心しきった、さえりんのかわいい顔を私は一生忘れることが出来ません!!!それなのに、私はさえりんを守ってあげることが出来ませんでした(>_<)その数か月後に、さえりんはたった一人で、10トントラックの下敷きにされて頭を踏み潰されて轢き殺されてしまったのです!!!!どんなに驚いたことでしょう!!!どんなに痛かったことでしょう!!!どんなに怖かったことでしょう!!!どんなに無念で悔しかったことでしょう!!!どんなにもっともっと生きたかったことでしょう!!!!私はさえりんと交わした約束を守ってあげることが出来ず、自分の無力さと、後悔の念に襲われました!!!!出来る事ならば、私が代わってやりたかった!!!!私が代わりにトラックに轢かれ死んだ方がどんなに良かったかと思いました!!!!さえりんの命を守ってやりたかった!!!!この先もっともっと楽しいことも、嬉しいことも、幸せなこともたくさんたくさんあったのに!!!!私は交通事故を憎みました!!!娘を殺して知らん顔の加害者と運送会社も死ぬほど憎みました!!!そして今、こんな誠意の欠片もない加害者に執行猶予をつけた裁判官と、この国の法制度も死ぬほど憎んでいます!!!!!!!私は今までの平凡で幸せな主婦であり母親であった生活には、もう二度と戻れなくなってしまったのです!!娘の命を理不尽に奪われてしまった今、私は復讐の鬼と化しています!!!その復讐は加害者に直接危害を加えれば、加害者のあの女と同罪です!!一番悲しむのは、他でもない死んでしまったさえりんと、生きている次女の、最愛の娘2人です!!だから、私は闘うのです!!!!私にとっての復讐は、加害者をこのまま処罰なしでは、絶対に許さないことです!!この国の不条理で理不尽極まりない法制度ととことん闘います!!!復讐の鬼と化した私にはもう怖いものはありません!!!無くすものもありません!!!どんなことがあろうとも絶対に諦めません!!!!だってこの世で一番大事な、娘の命を理不尽に奪われてしまったのだから(>_<)いよいよ、今日午後1時30分 名古屋地裁岡崎支部にて「控訴」出来るかどうかの結果を聞いてきます!!!私の腹はもう決まっています!!!もし「控訴」が叶わなければマスコミに、この法制度の不服を訴えます!!!そして、もう一度検察に懇願してもどうしても控訴が叶わなければ、民事裁判で必ずさえりんの無念を晴らします!!!!もしかしたら、ご署名いただいた皆様のご好意が報われないかも知れません。でも、私は皆さまからいただいたたくさんのご署名と応援を絶対に絶対に、無駄にはしません!!!これからも皆さまからいただいたたくさんの応援を糧に最後まで闘います!!どうか宜しくお願い致します!!!!(さえりん5歳のお正月に自宅と地元の神社にて)※「控訴」出来るかどうかの結果は今日の夕方、この「さえりんの部屋」ブログにてお知らせします!!どうか良い結果が出ますうに、皆さんも願っていてください!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございます!!よろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月26日
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N弁護士が依頼してくださった、刑事裁判の判決分のコピーが昨日やっと届きました。私はあらためてこの判決文を読んで、震えるほど驚愕したのです。この文章をそのまま出すことは出来ませんが、私があまりにも酷いと思ったところだけ、抜粋します。被告人を禁錮3年に処し、情状によりこの裁判が確定した日から5年間その刑の執行を猶予することとする。<量刑の理由> 本件は、被害者を死亡させた交通死亡事故の事案であり、生じた結果はもとより重大である。被害者は20歳と若く、突如としてその後の人生を閉ざされてしまったものであり、その無念は察するに余りある。被告人において、加害者遺族に対して適切な対応をとっているとは言いがたいことも併せ、同人らが被告人に対して峻烈な処罰感情を表わしていることも十分に理解できる。 本件のような左折時の交通事故は、過失による交通事故の類型の中でも過失の程度が比較的重い類型といえる。本件では、被告人は、被害者と実際に衝突した横断歩道内へ自車を進行させる前に、横断歩道上の歩行者の有無に加え、横断歩道を進行しようとしている歩行者等の有無についても十分に確認すべきであり、これを怠った過失は小さいとはいえないが一方で、被告人は安全確認を完全に怠ったわけではなく、左折をするために交差点内に進入するにあたっては、横断歩道上の歩行等の有無を確認している。本件では、被告人が左折進行するために交差点内に進入した時点では、被害者は未だ横断歩道上まで進入しておらず、歩道上にいたことから、被告人はその存在を見落としたものと考えられる。結局、被告人はその後横断歩道上を進行するに当たって、横断歩道左方から横断者等の有無を十分に注意しなかったことから、横断歩道上左折中に自車左側面を被害者に衝突させる本件事故を起こしたものであるが、被告人が大型貨物自動車を運転する職業運転手であるという点を考慮しても、左折進行時の交差点左折先で出口での横断歩道上の交通事故という類型の中でその過失の程度が特に重いものであるとまでいえない。 その他の事情として、本件車両には対人賠償無制限の自動車保険が付されていること、被告人は事実を認めるとともに、今後は運転を一切と述べて反省の態度を示していること、被告人の夫が運転をさせず監督する旨述べていること、被告人に前科前歴はないことなどの被告人のための酌量できる事情も認められる。 以上の諸事情に加え、本件と同種の過失運転致死事案との刑の均衡という点も、被告人に対して、直ちに実刑をもって臨むことが相当であるとはいえない。これが、裁判官が下した判決の内容です!!!皆さまこれを読んでどう思われましたか????私には不服と疑問でいっぱいです!!!!!!まず、減刑の理由として、被告人が横断歩道に進入しようとしたとき、娘は横断歩道にいなかったと言いましたが、私はそれは嘘だと思います。遠くからの見えずらい中古車車販売店の防犯カメラの映像がついていましたが私が見てもよく確認は出来ません。加害者が左折するときにすでに確認を怠っていたのに何故、娘は未だ横断歩道上に進入していなかったと言えるのか???さえりんはトラックが曲がろうとしているのに横断歩道に突っ込んでいくほどバカではありません!!!!もしそうだったとしたらトラックにぶつかった場所はもっと手前の横断歩道入り口のはずです!!横断歩道を6メートルも渡っていてぶつかったのは、さえりんはもうすでに横断歩道上を渡っていた証拠です!!!裁判官はそんなこともわからないんでしょうか????最初から加害者の刑を軽くするために取って付けた理由としか思えません!!!!次に、加害者は職業運転手なのだから、歩行者を見逃して左折した罪は非常に重くしかし「過失の程度が特に重いものであるとまでいえない」という裁判官の認識の方が余程おかしいと言えます!!皆さんはどう思われますか???その他のところで「本件車両には対人賠償無制限の自動車保険が付されている」とありましたが、それは最低限度の常識であり、運送会社として当然なのでこれが酌量の余地というのはおかしい。「被告人は事実を認め、反省の態度を示している」?????????????「夫が運転させないように監督すると言っている」?????????????「被告人は前科前例がないから酌量の余地がある」?????????????この3点においては、裁判官の目は節穴ですかと訴えたいです!!!全く反省も誠意の欠片もない加害者と、一般常識に欠けたやくざのような夫のどこにこのような酌量の余地があると言うんでしょうか?????「被告人に前科前歴がないことが量刑の余地」になるというのなら、1人なら殺しても許されて、2人目からはダメという事になりますよね??これも本当におかしな話です!!今までがいくら無事故無違反であっても一方的に人を轢き殺したら、これは罪を償い刑に服さなければおかしいのです。裁判官へ、あなたは人を見る目が全くないんですか???それとも、書面上の判断でしか出来ない堅物なんでしょうか???人として正しく公平な目で見たら、加害者の態度に反省が全くないことなんて誰が見ても、一目瞭然ですよ!!!それほどまでに、過去の判例ばかりに頑なにこだわって、情状酌量の要素を探し、執行猶予を無理やりつけて、罪を軽くしたい理由は何ですか????重い罪を言い渡して自分が後で叩かれることが怖いんでしょうか??????そんな保守的で心無い裁判官なら、もう裁判なんてする必要はありません!!!全ては過去の判例にならってというのなら、ただ内容をデータ入力するだけで裁判なんてパソコンでも出来るじゃないですか!!!!なんのための裁判であって、裁判官なんでしょうか?????皆さんならこんな交通事故の刑事裁判の現実をどう思われますか???裁判では生きている加害者の人権ばかりが主張されて情状酌量の要素を探して、理不尽に突然命を奪われてしまった被害者の人権はもうありません!!!死人に口なしです!!!!さえりんがもしも生きていたら、絶対にこう言います!!「私は自分からトラックに突っ込んでいったりするはずがないよ!!!横断歩道を渡っていたら突然右側からトラックが突っ込んできて、倒されてキャーーーって叫んだのに、トラックは止まってくれなかったんだよ!!そのまま下敷きにされて頭を踏み潰された!!私は絶対に悪くなんかないよ!!」私はさえりんの想いを信じます!!さえりんの無念は必ずママが晴らすからね!!!ママは絶対に諦めないから!!!さえりんに落ち度なんて、なんにもないんだから!!!さえりんの命がこのように軽視されることを私は絶対に許せません!!!こんな理不尽な判決が当たり前のようにまかり通るような司法ならば、もうこの国の法律は終わりで、無法地帯です!!!私たち国民の正しい判断とご意見で、今までの裁判の悪判例を変えていかなければいけないのではないでしょうか??そうでなければ、次もまた次も、理不尽な裁判の判例に、悔し涙を流す遺族は増える一方で、何一つ変わっていかないのです!!(さえりん5歳 自宅にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございます!!よろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月25日
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昨日は嵐のような怒涛の一週間を終えて、我が家に再び静かな生活が戻ってきました。主人はいつも通り仕事へ行き、私は前日ほぼ徹夜だったので、昨日午前中は寝てしまいました。パパごめんね(≧▽≦)7月15日(水)刑事裁判判決刑事裁判の判決が出てからいろんなことが一変してしまいました。判決に、執行猶予が付いてしまったことがどうしても納得がいかなかった私は、立っていることもままならないくらいの怒りの衝撃を受けて、絶望しました。しかしTAV交通被害者遺族の会の方々、meronさんに支えられて、このまま何もしなかったら私は加害者を深く恨み、自分は一生後悔すると思いました。それで、実際に息子さんの事故の裁判の判決で執行猶予が付き不服を訴え、たった数日間の署名活動で大勢の署名を集めて控訴が叶い実刑を勝ち取った経験があるご夫婦のお話を伺い、私も最後の望みをかけて挑戦してみようと思えたのです。そのご夫婦のお宅へ裁判の帰りに伺い、署名用紙の見本をお借りしてきました。帰りの車中で主人の本音を聞くと私とは少し食い違いがあり、衝突もしました。それでも主人は「お前がやるというなら、俺も手伝うよ!!」と言ってくれてあくまでも私が主催で、名前出しは私だけという事に決まりました。家に帰ったら、早速主人が署名用紙を作ってくれました。私は裁判傍聴に来てくれた友人達や他にもたくさんの方々にラインやメールでことの詳細を伝え、ご署名のお願いをしました。誰一人として否定的なことは言わず、皆さんがすぐにご協力いただいたことがどれだけ私の勇気と勢いになったことでしょうか!!!その晩早速出来たばかりの「署名用紙を持ってきて」と言ってくれた友人もいました。みなさんのフットワークの軽さと、さえりんのことを思って下さるお気持ちの温かさに、主人と2人で涙したのです!!!7月16日(木)署名活動開始1日目ブログにて署名の呼びかけ開始!!期限はたった6日間、時間と勝負です。友人知人へライン、メールをしてご署名のお願いを開始しました。中にはもうブログからダウンロードしてコピーして下さった方もみえました。実家へ妹家族が来るというので実家へ、その帰りにさえりんの卒業した特別支援学校へ、さえりんの職場のお店へ、小中の同級生のお母様方のお宅へ、主人の同級生や友人、私の友人、ご近所の方々と署名用紙をお願いに行きました。用紙をお渡しした方は30名以上で約400枚以上でした。早速、ネットでもメールに添付して送って下さる方もいらっしゃいました。7月17日(金)署名活動2日目友人Tさんの提案で「近くの自動車学校にも行こう!!」と言って下さり、一緒に地元と隣の市の自動車学校へ署名用紙を持って伺いました。アポなし飛び込みでめちゃくちゃ緊張しましたが、地元の自動車学校は思いのほか快く引き受けて下さいました。Yさんも、Tさんも、Nちゃんも、Yちゃんも、さえりんの同級生のお母様方も、ご近所の方々も、主人のご友人も、私の元職場の方々も、皆さんがご家族以外にもたくさん広めて回って集めて下さいました。中にはご主人様が職場で回して大勢に方に集めて下さった方もいらっしゃいました。郵便局にも早速、局留めで送って下さった署名用紙が届いていました。私たちは夜、皆さんが届けて下さったり添付してくださった署名用紙を印刷し集計しながら、お一人お一人の思いが伝わり感動感激しました。7月18日(土)署名活動3日目さらにたくさんの方々に広げてお願いに回りました。皆さんが持ってきてくださるご署名も増えてきました。7月19日(日)署名活動4日目この日は主人が休みを取り、朝から主人と2人で部屋の大掃除をしました。連絡をいただいた方のところへ主人がご署名をいただきに伺いました。午後中京テレビの取材がきて下さり、午後1時から6時過ぎまでかかりました。午後、Yahoo!ニュースに取り上げて頂き、ものすごい反響にビックリΣ(゚Д゚)Yahoo!ニュースを見て知ったという方々から続々とメールに添付でご署名が送られてきました。さえパパのアメブロからも、私のブログからもたくさんのブロ友さん方が応援メッセージと共に送って下さいました!!7月20日(月)署名活動5日目ご署名用紙は直接やメール添付などで続々と我が家へ送られてきました。郵便局にもたくさん届きました。郵便局員さんにもお願して書いて頂きました。この日までに集まったご署名用紙は1200筆に登りました。私たちの当初の目標は1000筆だったので、こんなにも集まったことに主人と2人で感激しました!!皆さんからの大切な署名用紙を持って行くべく名古屋高検へ電話するも、岡崎地検とたらいまわしにされて、検察庁の対応の悪さに唖然としました。7月21日(火)署名活動6日目、最終日今まで署名用紙をお配りした皆さまのところへいただきに伺いました。郵便局へ行くと局員さんが私の顔を見て「こんなにたくさん来ているよ!」と封筒や速達便を抱えて持ってきてくれました。局員さんも書いてくれていました。地元の自動車学校へ行くと、若い男性の先生がたくさんの署名が書かれた用紙のファイルを持ってきて下さり驚いてお礼を言うと先生が「実はこの事故のことは管轄の警察署から連絡をもらって掲示板に注意喚起として貼ってあったんです。見ていかれますか?」と2階の生徒用のロビーへ案内してくれました。掲示板には、さえりんの事故の様子が見取り図と共に書かれていました。先生は私に「我々としても生徒が交通事故を起こさないように指導するのが義務ですから」と言って下さいました。私は勇気を出してこの自動車学校へお願いに来て本当に良かったと、次女もこの自動車学校で教えていただいて良かったと思いました。この日は最終日なので、我が家にもたくさんの方々が数多くのご署名を届けて下さり、私はその度に感謝で胸がいっぱいになり泣きそうになるのです。郵便や、メールの添付で送って下さる方々も殆どの方が「頑張れ!!」「負けないで!!」「応援しています!!」とメッセージを添えてくださり、お一人お一人のお気持ちが本当に温かく嬉しくて心に染みて涙が出るのです!!この日一日で2350筆以上が集まりました!!7月22日(水)検察庁へ嘆願へ名古屋高検から、岡崎地検へと2か所も行きましたが、最終的に岡崎地検に皆さまからのまごころのご署名は受け取って頂き、皆さまの想いをしっかり伝えてきました。あとは7月26日(日)午後1時30分岡崎地検に、控訴の有無を聞きに行くだけです。私たちは、急遽こんな形で署名を始めてしまったので、何の準備もなく無計画にただひたすら目の前のことに精一杯で1週間が過ぎてしまいました・・・(;'∀')ですので、もしかしたら大切な方にお願いすることがすっかり抜けてしまったり連絡不足だったりして、いろんな複雑な思いをされた方がお見えになったら、本当にごめんなさい(>_<)失礼をお詫び申し上げます。それでも、今回時間もなく急遽で、皆さまには大変ご迷惑やご心配をおかけしてしまいましたが、私たちは心から感謝でいっぱいです!!皆さんが「口々にもっと時間があったらたくさん集めたのに!」と残念そうに言って下さったり、「こんな酷い事故に執行猶予が付いて簡単に許されてしまう裁判を何とかしないと交通事故は一向に減らないから」との嘆きのメッセージを私たちは絶対に一生忘れません!!もしも、今回控訴が叶わなかったら、私は皆さまに申し訳なくて多分一生お詫びし続けると思います。でも、もしそうだったとしても私は署名をしたことを後悔はありません!!それは、この3596筆ものご署名と皆さまから応援こそが私たち夫婦の宝物であり、これから人生を生きていくための大きな心の支えになると思うからです。こんなにも大勢の皆さんがさえりんのために、そして私たち家族の悲劇をまるで自分事のように思ってご協力いただきましたことを、私は一生忘れません!!!皆さま本当にありがとうございました!!さえりん5歳 愛知こどもの国part2)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月24日
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昨日は、皆さまからの温かいまごころのご署名は、最終的には昨日の朝届いた分も合わせて3596筆となりました!!こんなに大勢の皆さまからのお気持ちを絶対に無駄にすることなんて出来ません!!昨日午後1時30分、名古屋高等検察庁に到着しました。すると約束していた中京テレビの取材の女性の他に、地元の中日新聞の男性記者の方も取材に来ました。報道機関の取材は検察庁の敷地内で出来ないという決まりがあるので、私たちは駐車場からいったん門の前まで出て、取材を受けました。私は皆さまからのまごころのご署名用紙3596筆を抱えて、主人はさえりんの遺影を抱えて、名古屋高検の合同庁舎をバックに今の気持ちとこんなに大勢のご署名に感謝の想いを伝え、写真も撮りました。取材の方々も、たった6日間という短い時間でよくこれだけの方の自筆のご署名が集められたことに感心し、興味を示してみえました。そして、いざ名古屋高検の検事と面談です。合同庁舎の厳重注意な入り口を、事務官の方の後についてくぐりました。そこは9階のとても見晴らしのいい会議室でした。先に通され、その後女性の検事とその上司の男性検事と事務官の3名で話を聞いて下さいました。私たちはまずご挨拶とここへ来た敬意を話し、上申書を渡して、一審の裁判の判決がどうしても納得が出来ないこと、こんな誠意のない加害者の執行猶予が付くことがおかしいと思うこと、加害者は前方を全く確認せず青信号の横断歩道をもう真ん中まで自転車で走っていた娘と接触し悲鳴を聞いてはじめて娘の存在に気付いてもうブレーキが間に合わず娘をトラックの下敷きにして踏み潰したのに、こんな状況でも裁判官の判決文の中で「加害者は不十分であったものの確認はしていた」と情状酌量の要素としてあげるのか納得がいかないこと、事故後1年1ヵ月以上経つのに未だにまともな謝罪もなく誠意のない態度などを私たちは強く強く訴えました!!そして全国各地から、こんな酷い事故にも関わらず執行猶予が付いてしまう裁判の判決に異議を唱える多くの声が3596筆もの自筆の署名となった経緯を伝え、皆さまからの署名用紙を検事に渡しました。すると検察方もこの短期間にこれだけの方がご賛同いただいたことに驚かれて見えました。私たちは40分ほど話を聞いていただきましたが、最後に、検察の上司から「控訴の決定はあくまでも岡崎地検に決める権限があること、高検からは地検に口出しは出来ない」ときっぱり言われました。私たちは少しがっかりし、それならば名古屋高検へこの署名用紙をお渡ししても意味がないのならせっかくの皆さまからのまごころを無駄にはできないと思い「それならこの署名用紙は岡崎地検へ持って行きます!」と高検を後にしました。ただ置いておかれるだけになってしまったら、勿体無くて申し訳ないからです。門の前では中京テレビの取材の女性が待っていてくれました。面談の内容を話し「今から岡崎地検へこの署名を持って行きます!!」と言うとその女性は「では私も行きます!!」と岡崎地検まで付いてきて下さいました。中日新聞の男性記者はもう帰られていました。私たちは急いで車で名古屋から岡崎まで高速も使い走りました。午後5時には検察庁が閉まってしまうからです。岡崎地検に着いたのは午後4時半近くで何とか間に合いました・・・(;'∀')中京テレビの取材の女性はタクシーで一足先に待っていてくれました。玄関前で再びインタビューを受けて、その後アポなしで担当検事を尋ねました。すると先日電話で対応した事務官が飛んできて、小さな待合室に通されました。もしかしたら、さっきの名古屋高検から連絡が入っていたかも知れません。待合室で事務官に皆様からのご署名を検事に渡しに来たことを伝えると担当のM検事は留守だがその上司の検事ならと、少し待ったらきてくれました。私たちはまたさえりんの遺影を持ち、検事に上申書を渡して控訴を強く望んでいることを伝え、皆さまからの判決の意義の表明であるご署名を渡しました。すると、高検の検事より丁寧に中身を見て下さり「お預かりします」と受け取ってくれました。私たちは、この皆さまのまごころとこんな事故が執行猶予で簡単に済まされてはいけないんだという大勢の方々の声を伝えて、控訴を求めました。すると、検事は「お気持ちはよく伝わりました。上司と検討し、控訴の有無の結果は26日(日)の午後1時半にここで上司よりお伝えします」と言われました。私たちは退室すると、もう5時を回っていました。中京テレビの取材の女性に終わったことを電話すると玄関先にいてくれて、私たちはまた感想のインタビューを受けました。私は「ひとまず皆さまからのご署名を無駄にせずに渡して来れたことを一安心し、控訴の気持ちは強く訴えましたが、検事は上司と検討し26日(日)に決定事項を伝えるので来てくださいと言われました」と言いました。ご署名をたくさん集めて下さった皆さま、遠くから送って下さった皆さまへの心からの感謝の気持ちもインタビューで私なりにしっかり伝えました。最後に中京テレビの取材の女性は「日曜日、私も来ます!!」と言いました。私たちは、中京テレビの取材の女性にお礼を言って岡崎地検を後にしました。帰る途中、次女の夕食用にお寿司を買って家に着くともう夜7時近くでした。その時、中日新聞の男性記者から私の携帯に電話がありました。「娘さんの事故の事を詳しく取材したいので27日(月)午前中に伺います」と。私は、27日(月)ではもう控訴の結果が出ているので遅いと思いましたが、取材を受けることにしました。もしもダメだったら、その事と無念の思いをありのまま書いて貰おうと思ったからです。中京テレビも最後まで取材してからの放送になると言われましたので、私たちのやってきたことがどんな結果になったのかを赤裸々に放送してもらうしかないと、どんな結果でも今後誰かのお役に立てばと思いました。こうして、私たちの長い長い一日は終わりました。夜、N弁護士、TAVの方々、meronさんにはお電話で内容を報告して、今後のことを相談しました。皆さんからはお励ましのお言葉もいただき、「やれるだけのことは精一杯やったんだから、あとは結果を待つだけだよ。もしも控訴が叶わなかった時は、次は民事裁判で闘えばいいんだよ!!刑事で敗訴しても、民事で勝訴した人もいるんだから」と言って頂きました。私たちの闘いはまだまだ、遠い道のりを行かなければいけないんだと、果てしなく気が遠くなりました・・・(>_<)しかしもうここまで来たら進むしかないと、最後まで闘う覚悟を決めました。昨日は主人も私も一日中、目いっぱい気を張っていたせいか帰ったら物凄くクタクタになってしまいました(;'∀')(名古屋高検の入っている合同庁舎の前で主人と私とさえりん)(皆さまから頂いた3596筆のご署名)ご署名にご協力いただきました皆さまへ皆さまから尊いご署名は確かに、検察官に届けて参りました!!私の拙い説明で皆さまからのお気持ちが全て伝わったかどうか不安ですが、高検でも地検でも取材の方々も「この6日間という短期間でこれだけの署名がしかも電子ではなく書類に自筆でよくここまでたくさん集まりましたね!」とどなたもすごく関心を示してみえました。本当に皆さまからの応援が励みとなり、出来るだけのことは精一杯向かえました。あとは天にお任せの心境です。皆さまからの応援が追い風になってくれることを願うばかりです!!さえりんのために惜しみなくご協力いただきましたこと私たち夫婦共々、心より感謝いたします!!本当に本当にありがとうございました!!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月23日
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いよいよ今日は午後2時から名古屋高等検察庁へ、皆さまからのご署名と上申書を持って、控訴の嘆願に主人と行く日です。昨日、お昼頃私の携帯電話に知らない番号から電話がきました。出てみると、名古屋高検の事務官からでした。一昨日、高検と地検をたらいまわしにされてあれ程酷い対応だったのに、昨日は手のひらを返したような丁寧な対応?????意味がわかりません?????もしかしたら、中京テレビの取材と一緒に行くと言ったので、マスコミの力がそうさせたのでしょうか?????Yahoo!ニュースで取り上げて頂いたことも関係があるんでしょうか?????高検の事務官は「検事とその上司の2名で会議室でお話を伺いますので。お車でみえるなら駐車場を確保しておきます。」と、この対応の違いはいったいどういう事でしょうか?????本当に検察庁もお役所仕事で、マスコミや世間の反応には敏感で、ただの一市民ならぞんざいに扱うのに、ますます信用が置けないと思えてしまいます!!!!!!とりあえず、今日は門残払いはなくなり、話は聞いていただけることになったので、皆さまからのまごころのこもったたくさんのご署名と、上申書、そして一番大事な、さえりんの遺影と、パパとママと3人で行ってきます!しかし、話は聞くと言っても、ただ要望を聞くだけで、聞いてくれたからといって、控訴してくれる保証はありません。本当に控訴してくれるまで楽観視や信用は出来ないのです!!今の私には裁判官も検察官もみんな加害者の味方のように感じるのです。だから本当の勝負はまだこれからなんだと思います!!昨日はご署名の締め切りだったので、皆さまから本当にたくさんたくさん届けていただきました!!たった6日間という短く限られた時間の中で、しかも電子署名ではなく、手書きの自筆というアナログな方法にも関わらず3550筆のご署名を頂きました!!本当に心から感謝でいっぱいです!!これは皆さまから寄せられた「交通事故でもう二度と悲惨な目に遭う被害者を出してはいけない!」という切なる願いだと感じるのです!!!メールに添付して送って下さった方々、郵送で送って下さった方々の中にはご自身やご家族が事故に遭われて悔しい想いをされてみえる方や、ご自分も娘や息子がいるからこんな判決は許せないと共感して下さる方々、ご自身が職業ドライバーだという方、とても他人事とは思えないという方々、こんな判例という理不尽な理由で執行猶予付きはおかしいと意義を唱える方々、新聞やテレビでのさえりんの事故の報道を覚えてみえた方々、大勢の方々がご署名と共に、私たち家族へ頑張れをいう応援メッセージを添えて下さいました!!私はたちはその皆さまお一人お一人の交通安全への心からの願いを、しっかりと胸に受け止めさせていただき、応援お励ましに、お力と勇気を授けていただきました!!そして、手渡しで署名用紙を友人や知人、職場や学校で回してくださってたくさんのご署名を集めて、我が家へお届けくださった、さえりんや主人私の友人達、ご近所の方々、同級生のお母様方、本当にこんなコロナが心配な状態の中、暑さが身に沁みる中、たくさんまごころで動いて下さったこと心から感謝でなりません!!お届けくださった、皆さんは本当にさえりんのことをよく知って下さってみえ「さえちゃんの無念を少しでも晴らしてあげたい!!」とその一心で何の見返りも求めず精一杯ご署名の呼びかけに動いて下さったのです!!皆さんは口々に「もっと時間があったらまだまだたくさんまわって集めることが出来るのに」と残念そうに言って下さるのです!!私は今までこんなにも人のために一生懸命に誠の足を運んだことがあるのだろうか、人のために無心で頑張ったことがあるのだろうかと思いました。それほどに有難く深く感謝が湧いてきました。皆さまからのご署名を毎日夜、主人と2人で集計させていただきながら強く感じたのです。これはただの数ではないんだと!!ただ何人やってくれたではなく、お一人お一人の熱く切なる願いをしっかりと重く受け止めさせていただき、私たちはその想いを必ず、この理不尽な司法の常識を覆すための原動力にしなければいけないと、強く心に誓ったのです!!もはや、さえりん一人の無念を晴らすためだけではありません!!今までたくさん涙を流してみえた被害者や遺族皆さまの願い、これから先こんなことが絶対に遭ってはならないという皆さまの願いを背負っているのです!!!いよいよ今日午後2時名古屋高検へ、皆さまからの想いと願いがたくさんたくさん詰まったご署名を携えて、控訴の嘆願へと行って参ります!!どうか、皆さまからのこの熱い想いがしっかりと検察官に伝わり、控訴の願いが叶いますように、精一杯頑張ります!!ご署名にご協力いただきました全国各地の大勢の皆さま本当にありがとうございました!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月22日
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毎日猛暑の中、皆さまからの温かいお気持ちのご署名は、こんな原始的な手書きで用紙を集めるという方法にも関わらず、当初の私たちの予想をはるかに超えて、1000名以上の方々からお寄せいただき、私たちは驚きと感謝でいっぱいです!!!本当にありがとうございます!!まだあと今日一日あります。どうかよろしくお願いいたします!!このブログから用紙をダウンロードして印刷し手書きでご署名頂いても、「添付のやり方がわからない」とたくさんの方からお問い合わせいただきました。その場合は、スマホの写メで撮って用紙の下に書いてあるアドレスへ送っていただければ大丈夫です。よろしくお願いします!! 裁判の判決が出た時、最後に裁判官が「この判決に異議申し立てがある場合は申し出て下さい」と言われました。もちろん裁判官に直接「判決は不当」だと文句を言うことは出来ません。私たちが異議申し立てが出来るところは、検察官です。判決の日、すぐに検察官に「控訴をお願いします!!!」というと「上司に相談して検討します」と、何度言っても同じ答えしかいただけません。TAVの方々もmeronさんも皆さんで検察に頼んで下さいましたが、返事は同じです。そこで、私たちの想いがどうやったら検察官に伝わるのだろうと思い悩み、この方法で皆さまからのご署名を集めて直接お願いにあがろうと思ったのです!!昨日、名古屋高等検察庁にその旨をお願いしようと電話をしました。しかし、高検の男性職員は「この控訴の決定は岡崎支部なのでこちらに来ても困ります。」ときっぱり断られました。その後、岡崎支部の事務官の方から電話が来ました。私はその事務官に金曜日に私が電話をしても、月曜日にN弁護士が電話しても担当検事は不在、いつ出社するか不明だと言われて検事に連絡が繋がらないことを言いました。「私たちはいったいどなたに異議申し立てをしたらいいのですか???」というと日曜日に上司の検察官が会って下さると言われましたが、その時に控訴するかどうかの結果を伝えるというのです????という事は、日曜日にはもう決定しているという事です。それでは、皆さんからこんなにたくさん集めていただいた真心のご署名は、いったい誰が受け取ってくれるんでしょうか???????????私は、話にならないと思い電話を切り、また名古屋高検へかけ直しました。すると、最初に話をした男性は電話中という事でかけ直すと言われましたが、30分経ってもかかってきません。もう一度かけても同じことを言われて、さらに待つこと1時間、ようやく高検から電話がきました。その男性に、岡崎支部での対応を話し、「やはり支部では話を聞いてもらえる状況ではないので、全国の皆さんからたくさん送っていただいたご署名と上申書を持参して、22日水曜日の午後、中京テレビの取材の方と共に伺います」と言いきりました。相手の男性は困った様子で「内容は上に伝えます」と言いました。私はあまりにもお役所仕事でたらいまわしの状況に腹が立ち、検察庁の対応の傲慢さに愕然としました。もうこうなったら、会って話を聞いていただけるかわかりませんが、名古屋高検へ直訴しに直接行くしかありません!!!中京テレビの取材に方には「もし名古屋高検で門前払いされたら、その様子をありのまま放送してください!!」と頼みました。私は自分の感情だけで怒っているんではありません。皆さんか心から、こんな交通事故が二度と遭ってはならない、加害者に執行猶予がついて簡単な罪で済ませば交通事故は増えるばかり、悪い判例は断ち切らなければいけないという思いまで無駄にしてしまうことに怒りが納まらないのです!!!!!私は何としても、皆さまからさえりんのことを想って集めていただいたたくさんの尊いお気持ちのご署名を高検の検事に渡してきます!!!とたえ受け取ってくださらなくても、受け取るまで帰らないつもりです!!!!どうか皆さまからのお気持ちまで無駄にするような結果になりませんように、天は正しく味方になってくれますようにと、祈るばかりです!!!(さえりん5歳 子供の国で遊ぶ)ご署名の最終お願い!!PDFファイルのダウンロードはこちらから上記のファイルをダウンロードして印刷し、 直筆でご署名頂き、問い合わせ先のメールアドレスに添付して送っていただけると有難いです!!!皆さまからのご協力をどうかよろしくお願いいたします!!Yahoo!ニュースで取り上げていただきました!!大久保さんの記事は、Yahoo!ニュース国内版に、7月20日付『カーナビ見ながら左折で登校中の8歳即死 息子奪われた父「甘すぎる判決に風穴を開けたい」』に詳しく出ています。どうかご協力をお願いいたします!!そしてさえりんも、Yahoo!ニュース国内版に、7月19日付『青信号の横断歩道で奪われた娘の命 危険な「巻き込み事故」に執行猶予は必要ですか?』に詳しく載せていただきました!!どうかご覧いただきたいです!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館※昨日、コメントで書いていただきました件ですが、テレビ放送は水曜日の名古屋高検での様子も撮っていただくのでそれ以降になってしまいます。地元の中日新聞には判決の翌日から電話でこの事故の判決を記事にしてほしいことを頼んでいますが、「上司と相談してそのうち取材に行きます」とすぐには動いてはいただけない状態です!!
2020年07月21日
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一昨日、Facebookから連絡を頂いた方がみえました。私もブログにもコメント頂きましたが、その方は東京の大久保さんという方です。大久保さんの息子さんも、学校へ登校中に青信号の横断歩道で前を見ずに左折してきたワゴン車に轢かれて即死されました。そして7月17日の公判判決で、さえりんと同じく、禁錮3年、執行猶予5年のあまりにも軽すぎる判決が出てしまいました!!大久保さんは「刑罰はなぜこんなに軽いのか!ただでさえ苦しい遺族に追い打ちをかけるような判決が後を絶たない現状に、私はなんとか風穴を開けたいと思います」と、検察庁に控訴を求める署名活動を開始しています!!皆さまどうか、大久保さんの署名活動にご協力をお願いいたします!!大久保さんの記事は、Yahoo!ニュース国内版に、7月20日付『カーナビ見ながら左折で登校中の8歳即死 息子奪われた父「甘すぎる判決に風穴を開けたい」』に詳しく出ています。どうかご協力をお願いいたします!!そしてさえりんも、Yahoo!ニュース国内版に、7月19日付『青信号の横断歩道で奪われた娘の命 危険な「巻き込み事故」に執行猶予は必要ですか?』に詳しく載せていただきました!!どうかご覧いただきたいです!!お互い控訴が決まりこんな理不尽な判決が覆りますように、青信号の横断歩道で家族の命を突然奪われた悔しさが少しでも法廷で反映されますように、頑張っていきたいと思うのです!!!そして昨日は我が家に、なんと地元のテレビ局、中京テレビの取材がきました。TAVのOさんが中京テレビに知らせて下さったのです。お電話をいただいたとき、私はビックリΣ(゚Д゚)でした。とてもとてもテレビに出られるようなビジュアルでもないし、50歳過ぎのおばさんのみっともない姿をさらすのには抵抗はありました。でもそんなことを言っている場合ではありません!!全てはさえりんの理不尽な判決を何とかする為なんです!!それで、お見苦しい姿をさらす覚悟を決めたのです(@_@)昨日午後1時、中京テレビの取材の20代の女性、カメラマン、音声の方の3名が我が家にみえました。まず、さえりんの事故現場へ行きました。花を手向け、横断歩道と交通の様子を撮影して、事故の様子とその時の状況、私たちの想いを伝えました。次に、署名活動の様子を映してもらいました。近所の同級生のお宅へ署名用紙をいただきに伺い、さえりんとの思い出などを取材されました。Nちゃんは快く取材を受けて下さり、語ってくれました。もう一軒、お隣の区長さんのお宅へも伺い、小さい頃からさえりんのことを可愛がってくださった奥様に取材されました。次に、我が家でさえりんのお仏壇の前でインタビューされました。さえりんの小さい頃からの写真や、私のブログも紹介しました。そしてさえりんの部屋の中を映し、遺品のリュックサック、着ていた血の付いた服と靴、持ち物などを映しました。最後に庭へ出て、さえりんのハナミズキの木と庭の花、そして、さえりんが乗っていた、ピンク色の自転車を映しました。頑丈に縛ったブルーシートを剥がすと、中からはぐちゃぐちゃにひん曲がったさえりんの自転車が、事故の無惨さを物語っていました・・・(>_<)私ははじめて自転車をまともに見てしまい、立っているのもままならず、胸が苦しく動悸がして、押し潰されそうになりました・・・こんなにも酷い事故だったと、さえりんの代わりに自転車が訴えかけてくれました。取材が終わったのは、午後6時半を回っていました。これだけ入念に取材してくださっても、編集されて放送されるのはきっと少しだけだと思いますが、それでもメディアの力は大きいです。このことが追い風となって、社会や法廷を動かす助けになってくれたらと願わずにはいられません!!!放送はもう少し先でまだ決まってはいないそうです。多分、中京テレビ夕方のニュース番組キャッチ!の中でだそうです。決まり次第お知らせいたします!!中部圏内の方はぜひ、ご覧ください!!昨日は朝から、取材中にも、そして夜にも、さえりんや主人や私の友人が署名用紙を我が家へ届けて下さいました!!みなさんのまごころが本当にありがたくて、また涙が出そうでした。そして夜、パソコンを開くと物凄いアクセスが・・・いつもの10倍くらいに上がっていました。これも、Yahoo!ニュースを見て下さった方が私のブログにもご訪問下さったのだと思います!!本当にマスコミ、メディアの力は大きく偉大で、でも一つ間違えば相手を誹謗中傷して陥れる手段にもなってしまう恐ろしさもあるのだと心しなければと肝に銘じるのです。私たちの署名活動は、ネットでではなく、手渡しや、ダウンロードで原始的な方法の手書きで書いていただいています。そのために皆さまには大変面倒をおかけして、申し訳ありません。数もネットでするのとでは、けた外れに少ないのは重々わかっています。それでも、お一人お一人の自筆のお名前を見させて頂きながら、私はこんなにも温かい、心のこもったお励ましを頂いていることに、勇気をたくさんたくさん頂いております!!あと残すところ、今日と明日の2日間です!!どうかご協力をよろしくお願い申し上げます!!!(さえりん5歳 幼稚園リズム発表会2日目の一休さん)ご署名にご協力をお願いいたします!!PDFファイルのダウンロードはこちらから上記のファイルをダウンロードして印刷し、 直筆でご署名頂き、問い合わせ先のメールアドレスに添付して送っていただけると有難いです!!!皆さまからのご協力をどうかよろしくお願いいたします!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月20日
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毎日、皆さまからのご署名に毎日主人と共に感激しています!!心から感謝申し上げます!!昨日も朝から友人のTさんが一緒に署名のお願いにまわって下さいました。途中友人のYさんにも車ですれ違い、本当にお忙しい合間を縫って署名を集めてくださること心から有難いと感謝の想いが込み上げるのです!!そんな時、meronさんからスマホにこんなメッセージが届きました!!「お誕生日おめでとう!!」あっそうだった・・・昨日7月18日は私の誕生日だったのです。私はさえりんの署名を集めるために毎日頭がいっぱいですっかり忘れてました。まあ誕生日が嬉しくもない年齢だから、どうでもいいんですが・・・(;'∀')でも、ふっと思うのです。もしもさえりんがいてくれたら、朝起きた時に「ママお誕生日おめでとう💛」って、そしてお得意の苺のレアチーズケーキを作ってお祝いしてくれたんだろうな・・・(>_<)そして、勤め先のお店で洋服や靴を買ってくれるのです。ハッと我に返り、泣いている場合ではないと自分に言い聞かせ、友人、知人Tさんの親戚の方のところへ1件1件、丁寧にさえりんの事故と裁判の経緯を説明して署名用紙をお願いしてまわるのです。午後は、署名用紙が足りなくなったと近くの保健センターの駐車場まで取りに来てくださった、さえりんの同級生のお母さんや、「全部書いて貰えたから取りに来て」とお電話を下さった母(姑)の友人のご年配のご婦人さんはお1人で50名もの署名を集めて下さいました!!合間合間にパソコンを開いてブログを確認したり、メールで送って下さった方々にお礼のメールを送ったりしながら、気が付けは一日があっという間に終わってしまうのです!!そして、主人が仕事から帰る時間が迫ってきました。ヤバい、晩ごはんが間に合わない、米も炊いていないと気付いた私は仕方なく近くの「吉野家」へ牛丼を買いに行きましたが、土曜日なのでドライブスルーも店内のテイクアウトコーナーも激込み・・・(;'∀')もうこんな時間では近くのスーパーのお弁当は売り切れだし、遠くまで行く時間がない!!そこで仕方なく、思い切って約1年2ヶ月ぶりに近くの「かつや」へ行ったのです・・・ここの「かつや」はさえりが大好きでよく一人でお昼ご飯を食べに行ったり、家族で行ったりした想い出深いお店です。さえりんが亡くなってから、私はここの看板を見るだけでも辛くて、店内になんてもう一生入れないと思っていました。車をとめて店内に入ると、正面のレジでテイクアウトの注文をしました。ロースかつ定食と豚汁(大)・・さえりんの大好物でした・・・会計を終えて、椅子に掛けて待っていると、真正面のテーブル席にはお父さんお母さんと向かい合って座る女の子が美味しそうに食べている姿を見たら、もう私の涙腺は崩壊してしまいました・・・(>_<)その席はよく私と主人、向かい合ってさえりんが座っていたテーブルです。昨年5月末に最後にさえりんとパパと3人で(次女は遊びに行っていた)食べに来た時も、あのテーブルでした。どうして、どうして、どうして、さえりんは今ここにいないんだろう・・・私の涙はもう止めることが出来ません・・・(>_<)テイクアウトのお弁当が出来上がって、レジに取りに行くのが店員さんに恥ずかしいくらい泣いていました。私は後悔しました、どうして次女を連れて買いに来なかったんだろう・・・と。そして、店を出たとたん私は我慢できず声をあげて号泣してしまいました(>_<)泣いている声がさえりんが泣く声にそっくりで、まるでさえりんが私の体を借りて泣いているように想えてまたまた号泣がさらにエスカレートしました。車の中で暫く大泣きしていたら、食事を終えて出てきたカップルが私を見て怪訝そうな感じで隣の車に乗り込みました。私はようやく車を走らせましたが晴れていたのに、目の前は大雨が降ったみたいに視界が最悪でした。何とか家に入ると、また声をあげてわんわん泣きました・・・(>_<)すると自分の部屋でレポートを書いていた次女が飛んできました。私の姿を見て次女は察したようで、黙って私を抱きしめて泣き止むまでずっと背中を擦ってくれました。私は次女を抱きしめて治まるまで泣きました。次女の優しさが心に染みました・・・でも、次女は痩せていて、ふくよかなさえりんではありません。やっぱりさえりんの代わりなんて、もう何処にもいないのです・・・(>_<)さえりんに逢いたいよーーーーーー!!!どうしてもう二度と逢えないの??????????どうしてさえりんは何も悪くないのに死ななければいけないかったの??????私は心の中で何度も何度も何度も、そう叫びました!!!暫くすると主人が仕事から帰ってきました。私は急いで涙を拭いて、「晩ごはんはお弁当でごめんなさい」と、かつやのロースかつ弁当を渡すと主人は「よくかつやで買ってこれたね!!」と私を褒めてくれました。そして、主人は「はい、ママお誕生日おめでとう💛」とケーキを買って来てくれたのです(≧▽≦)すると次女も「私もケーキ買ったんだよ💛」と。思いがけずたくさんのケーキのプレゼントをもらった私は、今度は主人と次女の優しさが何より心に染みて(≧▽≦)、また号泣したのでした・・・昨日は本当に、悲しくて涙・逢いたくて涙・嬉しくて涙の私の誕生日でした。そしてもうひとつ、皆さまからの温かい真心のたくさんこもった署名用紙が少しずつ少しずつ増えて、さえりんのことを想って全国からたくさんの方々がこうしてご賛同いただいている現実にも感動と感謝の涙が止まりません!!!検察が控訴を決めて下さる見込みは限りなく低いと言われています。皆さまからの真心のご署名ももしかしたら無駄になってしまうかも知れません!!それでも、私は何もせず、黙ってただ検察任せになんて出来ないのです!!さえりんの無念をほんの少しでも晴らすためなら、何だってします!!!!何もやらない後悔より、精一杯やって後悔する方を選びます。皆さま、どうかよろしくお願いいたします!!ご署名のお願いPDFファイルのダウンロードはこちらから上記のファイルをダウンロードして印刷し、 直筆でご署名頂き、問い合わせ先のメールアドレスに添付して送っていただけると有難いです!!!皆さまからのご協力をどうかよろしくお願いいたします!!※皆さんから郵便局の窓口に持って行くと私の住所が無いので受け取れないと言われるそうですが、原則としてはそうなのですがうちは田舎なので、記載の郵便局では住所なしでも、私が受け取ることは可能だと確認しています!!そのまま切手を貼ってホストへ投函していただければ届きますから大丈夫です。ご安心して送っていただけたら有難いです!!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館昨日は、な、なんと凄いことが起こりました・・・Σ(゚Д゚)その様子は次のブログにて書きますね!!最近、皆さまのブログにお邪魔できず、申し訳ございません!!どうかお許しください・・・(>_<)
2020年07月19日
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昨日も皆さまからの温かいお励ましのメッセージとご署名をいただき心から感謝申し上げます!!今日は、今までの『さえりんの部屋』の総集編2を書きます!!<刑事裁判編>さえりんの交通死亡事故から約1ヶ月半後の7月末に警察署に事情聴取に呼ばれました。最初は若い警察官で私たちが「娘に過失はなかったんですよね?」と訊ねると、警察官は「横断歩道上は自転車も気を付けて渡らなければならないから、車だけが悪いわけではない。」と言いました。「それでは横断歩道の真ん中まで来ていきなり左折のトラックが巻き込んで来たら、どうやって逃げるんですか??気を付けていたって向こうが見ていなかったら、どうやって防げばいいんですか??」と怒りが込み上げ、私たちは激怒して帰りました。後日、再びベテランの警察官の方に調書を取ってもらいました。9月初め、警察から検察に書類送検されました。管轄は名古屋地方検察庁 岡崎支部で担当は副検事だと連絡がきました。その頃、TAV交通事故被害者遺族の会の方に、連絡を取っていて相談したら「副検事では正式起訴されない可能性が高い。不起訴もしくは略式起訴の罰金で終わってしまい、加害者の刑事責任を問うことは出来なくなってしまう」と伺い裁判に対して何の知識もなかった私たち家族は憤りました。当時お願いしていた保険会社から紹介されたK弁護士に「正検事に代えてもらいたい」と要望すると「そういうことは出来ない」と断られ、驚くほど高い着手金を払ったのに動いてくれず、解任しました。そしてTAVのOさんから大阪のN弁護士を紹介して頂いたのです。早速N弁護士が掛け合っていただいて、ようやく正検事に担当してもらえたのです。令和2年2月、初めての担当正検事との面談、事情聴取が始まりました。3月19日、加害者のトラック運転手は正式起訴されました。5月28日、初公判 担当検事の証拠調べのみ6月12日、2回目の公判 1.証人尋問=加害者の夫 何故1年もの間、妻は謝罪に行かなかったのかという質問に 夫は「謝罪に行ったら妻が殴り殺されるから止めた」と証言した。 2.被告人質問=加害者の女 何故1年もの間謝罪にも連絡もよこさなかったのかとういう質問に 加害者は「謝罪に行くと両親を嫌な気持ちにさせると思ったから」 と平然と答えた。 自分の子供がさえりんと同じ目に遭ったらどう思うかという質問に 加害者は「絶対に許せません!!子供は一番大事だから」と悪びれも なく答えた!!私たちは怒りに震えた!!!!!!! 「左折時に左を見ていなかった」という証言を、法廷では「見ていた けど見えなかった」と泣き前をしたり逆切れをしてふてぶてしい態度で 答え、私たちに対する謝罪の意は何一つ示さなかった!!!!!!!帰る時、裁判所前で友人と話していた主人に鉢合わせた加害者夫婦は、会釈すらせず、ガン無視で憎たらしい態度で平然と帰って行った。反省の様子なんて全くこれっぽっちありませんでした!!!!人の心を持っているとは思えない!!!6月22日、3回目の公判 1.被害者遺族の意見陳述 私がしました。 2.検察官の論告求刑 求刑禁固3年(実刑) 3.被害者参加弁護士による意見陳述 N弁護士 求刑禁固3年(実刑) 4.加害者側弁護士による弁論 加害者は反省している。現場に花を手向けた。免許はもう取らない と言っている。名前が公表されて社会的制裁をもう受けている。 運送会社の保険に入っている。今まで事故が無く優良ドライバー だから罪を軽く執行猶予をつけて欲しい。など弁論した。7月15日、公判判決 「禁錮3年、執行猶予5年」が言い渡された・・・その理由として、加害者は一応確認行為はしていた、しかし見落として結果的に轢いてしまったがその責任は猶予に値する。夫が監督しもう免許は取らない事、運送会社の保険に入っていて保険金が支払われる見込みがあること。今までの判例に従って、禁錮3年、執行猶予5年が妥当とされる。私たちと傍聴支援に来てくださったmeronさん、TAVの皆さん、私の友人達は全員激怒した!!!検察官に控訴を求めたが、検察官は「上司と検討します」と何度言ってもそれしか言わなかった・・・・こんな理不尽がまかり通って果たしていいのだろうか????信じられない思いいっぱいで悔し涙を飲んで法廷を後にした!!!裁判官は運送会社の保険に入っているからお金で保障されると言ったのだろうが、私はお金が欲しいのではありません!!!!お金なんてたとえ1億円払ってでも、さえりんを元通りの元気な姿で返して欲しいのです!!!!!判例にならってと言いましたが、今まで通りの理不尽な判例にならってまた悪い判例を増やしただけではないか!!!!!これではいつまで経っても、悪い判例しか出る訳がありません!!!!こんな理不尽がまかり通るこの社会に未来なんてありません!!!!!よく交通事故は自分もいつ人を轢き殺して加害者になる可能性があるのだからと言いますが、では逆に自分や家族がいつ被害者になる可能性だって充分あるんですよ!!!!!自分や大事な家族が被害者になって地獄のどん底に落とされ悔しく理不尽な思いをすることは考えないのでしょうか?????誰だって明日は我が身なのですよ!!!!私だってそうだったのですから。どうか皆さん他人事と思わず、もしも自分だったらと考えていただきたいのです!!!!(さえりん幼稚園年中リズム発表会合唱)<ご署名のお願い>PDFファイルのダウンロードはこちらから上記のファイルをダウンロードして印刷し、 直筆でご署名頂き、問い合わせ先のメールアドレスに添付して送っていただけると有難いです!!!皆さまからのご協力をどうかよろしくお願いいたします!!※皆さんから郵便局の窓口に持って行くと私の住所が無いので受け取れないと言われるそうですが、原則としてはそうなのですがうちは田舎なので、記載の郵便局では住所なしでも、私が受け取ることは可能だと確認しています!!そのまま切手を貼ってホストへ投函していただければ届きますから大丈夫です。ご安心して送っていただけたら有難いです!!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館/
2020年07月19日
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いつも『さえりんの部屋』へご訪問いただき誠にありがとうございます!!連日、さえりんのために、尊いご署名を送っていただき、大勢の方々にこのコロナが心配な時期にもかかわらず、各地で署名集めをしていただき心より感謝申し上げます!!本当にありがとうございます!!皆さまのさえりんを想ってご署名くださる、またたくさんお呼びかけして1人でも多くの方へと広げてお集め下さるまごころのお気持ちが、私には何よりの勇気と励みになります!!もうこうなったら、とことん当たって砕けるつもりで頑張ります!!さえりんもお空から、きっとニコニコしながら「みなさんどうもありがとう」と喜んでいることと思います!!今日は、今までの『さえりんの部屋』の総集編を書きたいと思います!!<交通事故発生からブログ開設編>交通事故発生令和元年6月4日(火)その朝も私はいつものようにさえりんに言いいました。「さえちゃん、気を付けてお仕事行ってきてね!!」自分の部屋でまだ寛いでいたさえりんは、私に言った。「うん!!ママもお仕事頑張ってね!!いってらっしゃーい💛」私はさえりんに見送られて先に家を出ました。それがさえりんとの永遠に最後の別れになってしまいました(>_<)さえりんは午後1時15分早上がりの仕事を終えて、一人でお昼ご飯を食べようとあの横断歩道を渡ったのです。青信号で横断歩道のほぼ中央まで渡っていたとき、突然前方確認をせずに左折してきた10トントラックに自転車ごと巻き込まれて下敷きにされてトラックの右後方のタイヤで頭を踏み潰されて即死しました。救急車もきましたが、搬送不可となりさえりんは病院にすら運んでもらえませんでした。午後3時過ぎ、私の携帯電話に警察から電話が・・・「○○警察です。娘さんが交通事故に遭われました。娘さんはお亡くなりになりました・・・・・」と信じられない悪夢のような電話に、私たち家族は地獄へと真っ逆さまに奈落の底へ突き落されたのです。午後5時頃、主人と私が警察署へ駆け付けると、さえりんは安置所に寝ていて目から上は踏み潰されて、あの可愛いさえりんの顔は上半分がありませんでした。私はとても怖くて見られず、主人がさえりんの最後の姿を見てくれました。事故の翌日夕方、葬儀場でエンバーミングして頂いたさえりんはやっと自宅へ無言の帰宅をしたのです。しかし、潰れた目は再生できずありませんでした。事故から2日後、運送会社の重役4名と加害者の女運転手とその夫が我が家へ来訪。加害者は「私が左を見ていなかった。全ては私の責任です。」と泣いた。事故から3日後、さえりんの通夜にはテレビや新聞で訃報を知った方々や、友人知人、恩師、同級生、職場の方など約200名が駆け付けて下さいました。事故から4日後、葬儀にもさえりんとの最後のお別れを名残惜しみながら遠方からも大勢の方々が、ご参列下さいました。私たち家族は、突然さえりんの命がこんな無惨な形で奪われてしまったショックはとてつもなく大きく、幸せだった生活からいっきに地獄へと突き落とされました。私はその後2ヶ月以上車が怖くて乗ることも外出もままならなくなり、家に引きこもり、毎日毎日さえりんの遺影の前で泣いて暮らしました。しかし8月の初盆が過ぎた頃から、このままさえりんのことがいつか皆さんの心から消えてこの世にいなかったことにされてしまったらと恐怖感に襲われ、交通死亡事故の被害者遺族はその後どんな風に生きていくのかを藁をも掴む思いで、ネットをむさぼり検索に明け暮れました。そんな時、meronさんのブログと出会って、9月に勇気を出して連絡しました。そして私のこの想いと、さえりんが20年11ヵ月の間確かに生きていたという証を残したいと思い、令和元年9月17日楽天ブログ『さえりんの部屋』を開設。それ以来毎日さえりんへの想いやこんな悲惨な遺族の現実、その後一度も我が家へ謝罪にも連絡すらない信じられない非道な加害者への怒りなど、私の素直な気持ちと真実を赤裸々に綴ってきました。加害者の女は私と同年代で自分も20代の子供がいながら、さえりんを殺して何故今まで1年1ヵ月以上知らん顔が出来るのか神経がわかりません!!!!私たち家族は散々煮え湯を飲まされ、運送会社の対応、金目当ての弁護士に翻弄されたり、加害者が起訴されるかどうかも裁判もなかなかことが進まず風評被害や、辛く悔しく死にたいくらい過酷な1年以上を過ごしました。私は、こんなに家族思いで優しいさえりんが何故こんな酷い目に遭わなければいけないのか??こんな悲惨で理不尽な交通事故の現実を大勢の方々にぜひ知って頂き、もうさえりんのような被害者が出ないことを強く願っています!!<刑事裁判編>は明日のブログへ続きます。(さえりん20年11ヵ月の短い人生)<ご署名のお願い!!>PDFファイルのダウンロードはこちらから上記のファイルをダウンロードして印刷し、 直筆でご署名頂き、問い合わせ先のメールアドレスに添付して送っていただけると有難いです!!!皆さまからのご協力をどうかよろしくお願いいたします!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館皆さまからコメントで頂きました「裁判を覆す法的根拠」は今、N弁護士と検討中で上申書にして、名古屋高検へ署名と一緒に持って行きます!!皆さまからの温かいお気持ち心から感謝したします!!
2020年07月18日
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昨日から嵐のような忙しさで署名集めが始まりました。そんな昨朝、私のガラケーの電池がすぐに減ってしまうことが前々から気になっていましたが、皆さんに電話したりメールやLINEをしながら(ガラケーが通話とメール専用、スマホがラインとブログ専用で2台持ち)一日回らなくてはいけないため、電池がないのは致命的です。仕事の休みをとってくれていた主人に話すと、さえりのガラケーの電池と入れ替えようと言ってくれました。さえりんと私のガラケーは色違いの同じ機種なのです。さえりんのガラケーはパパが充電していてくれたので、早速蓋を開けて電池を取り出そうとしたら、なんと・・・・中には、さえりんの血液がたくさん固まっていたのです・・・(>_<)私は思わず涙がこぼれて、胸が締め付けられるほどに苦しくなりました・・・さえりんはいつもピンクのリュックサックのポケットにガラケーを入れて背負って自転車に乗っていました。あの事故の日も・・・いきなり左折の10トントラックに、なぎ倒されて踏まれて下敷きになったとき、辺り一面さえりんの血の海だったのです!!その証拠が、背負っていたリュックのポケットの中のガラケーにもさえりんの血液がたくさん入ってしまったのです・・・(>_<)あなたは想像できますか?? 正常でいられますか??もしも自分の大切な大切な我が子が、自分の知らないところで、たった一人でトラックに頭を踏み潰されて、大量の血を流して無惨な姿で、息絶えるところを・・・我が子がこんなにも酷い目に遭ったのに、執行猶予が付き何のお咎めもなく、謝罪にも来ずに知らん顔の加害者をあなたなら、許すことが出来ますか?????私は今考えても身の毛がよだち、血の気が引いて発狂したくなるのです!!!「さえりんを返して!!!さえりんを返せ!!!お願いだから、さえりんを殺さないでーーーー!!!!!!」気が狂ったように号泣し叫びたくなるのです!!!!それでも、さえりんのガラケーの電池は健在でした。さえりんの大量の血を浴びながら、それでもさえりんが生きていたという証拠を残すかのように、元気に生き伸びてくれました。主人が、さえりんの最後の血液がたくさんついた電池を私のガラケーに入れてくれました。私はこの電池はさえりんの魂の形見のように感じいつでも側に置き、いつまでも大事にしたいと想いました。遺品やリュックサック、着ていた服、靴などは警察の方が綺麗に洗って持ってきてくださいました。もちろんガラケーも綺麗にしてくださいました。それなのに電池パックの中にはまださえりんの血液が残っていたのです・・・これは、さえりんからのメッセージではないかと思いました!!!私は未だ、これらの遺品を悲しくて触れることが出来ず、さえりんの部屋のベットの下の引き出しにしまったままです。ソウルジュエリーの遺骨を入れるペンダントもいつか欲しいと思いますが、今はまだ骨を見たら気絶してしまいそうだから、とても無理です。でも、この最後のさえりんの血液が付いた電池はさえりんが生きていた証としてたとえ、いつかガラケーは使えなくなっても、一生手放すことは出来ません!!(さえりん幼稚園年中 リズム発表会 劇「金メタル星人」)(劇がさえりんの本当の出番でした!さえりんは踊りと2つ出れました(*^^)v)<署名のお礼とお願い>一昨日と昨日はたくさんの方々が、私たちのあまりにも急な署名活動にも関わらず、ご賛同下さり、もうすでに送って下さった方々もたくさんみえて、主人共々、心から感謝でいっぱいです!!本当に本当に、ありがとうございます!!この皆さまからの温かい応援のお気持ちは一生忘れません!!!!またブログに掲載してくださったブロ友さん、リブログやリツイートして下さった皆さま、本当にありがとうございます!!!ご近所の方々、さえりんの母校の先生方、私とさえりんの元職場の皆さま、同級生のお母様方、主人と私の友人たち、皆さんこのお忙しく、しかもコロナでまだ心配な時期にもかかわらず、快く署名用紙をたくさん受け取って頂きました。誰一人として嫌な顔もされず、さえりんの無念さに涙を流して下さったり、「他の方にも声をかけてみるね!」と頼もしいお言葉を頂き、心から感謝でいっぱいです!!皆さまからの尊いご署名は7月22日(水)に主人と共に名古屋高検へ控訴の直談判に行くときの、心強い味方にさせて頂きます!!まだまだ21日(火)まで受け付けております!!どうかこれからもお一人でもたくさんの方に、ご賛同いただければ幸いです!!PDFファイルのダウンロードはこちらから上記のファイルをダウンロードして印刷し、 直筆でご署名頂き、問い合わせ先のメールアドレスに添付して送っていただけると有難いです!!!皆さまからのご協力をどうかよろしくお願いいたします!!ご訪問いただきありがとうございますいつも温かいコメントありがとうございます!!よろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月17日
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昨日7月15日(水)私はこの世の終わりかと思うほどの絶望を味わいました・・・・・刑事裁判の判決は、禁錮3年、執行猶予5年この判決が意味するものは何だと思いますか???加害者は、刑務所にも入らず、罰金も取られず、実質無罪?????という事です!!!!!さえりんは何の落ち度ももなく、ただ青信号の横断歩道を自転車で渡っていただけなのに・・・いきなり確認もせずに左折してきた10トントラックの下敷きになり殺されたのです!!!!!!!それなのに、加害者の女トラック運転手は、最初は「左を見ていなかった」と供述調書にもそう言っていたのに、裁判の場で「見ていたけど見えなかった」と開き直って泣きまねをして供述を変えてきたのです!!!!!あきらかに自分の罪を軽くするための嘘です!!!!!加害者の女はこの1年1ヵ月の間、全く謝罪に来ていません!!!!さえりんを殺しておきながら、知らん顔で、自分だけ何のお咎めも受けずに、今までも、これからも、一生のうのうと暮らしていけるなんて、あまりにも、あまりにも、理不尽過ぎるではありませんか???????さえりんは20歳という若さで突然無惨に殺されて、私たち家族は奈落のどん底に突き落とされて、一生、死んでも辛く悔しい想いから解き放たれることはありません!!!!(さえりん20歳成人式の当日に私と一緒に玄関で)(私はこの写真を持って裁判の判決に望み、今も署名集めに持ち歩いています)判決の時、裁判官の様子はあきらかに変でした!!!最初に、判決を言い渡し「禁錮3年、執行猶予5年」と言ったとき物凄く早口で声が聞き取れなかった。そのあと、判決内容を言う間私の顔を4、5回見て睨んでいる私とその度に目が合いました。これは何故だと思いますか????私は裁判官は、引け目があるから私の様子を伺っていたとしか思えません!!!そんな前例通り、教科書通りの判決しか出せないのなら、裁判官なんか要りません!!!!パソコンで済むではありませんか?????そこに人の感情や心や被害者遺族の想いを考慮してくれないのなら、こんな法制度はもう要りません!!!!!血も涙も心もないのなら、裁判なんてしなくても、パソコンのデータ入力で全てが決められてしまいますよね?????何のために裁判官や、検事や、弁護士や、警察はいるんですか???????私は一生許しません!!!!!!!!加害者も、裁判官も、検事も、こんな理不尽がまかり通るこの国の法律も!!!!私たちは何としても、控訴をと願っています。しかし、そう簡単には検察は控訴を考えていただけないのが現状です!!!!!そこで、こんなことをしても事態が動くのか全く未知数ですが、このまま黙って不条理な判決を受け入れることはどうしても出来ませんので、皆さまからのご署名を集めることに急遽なりました。といっても、なかなか街頭で呼びかけることもままならず、知り合いの方々とブログにてネットと郵送で受け付けるしかありません!!!どうか、皆さま一人でも多くの方にこの理不尽な交通死亡事故の現実を知っていただき、ご協力をお願いしたいのです!!!!!誠に勝手なお願いだと、重々わかっておりますが、日にちがなく一週間で出来るだけ多く集めなければいけないのです!!!!どうか、御家族、ご近所、親戚、ご友人の方々にも書いていただけたら有難いと思っております!!!!期限は7月21日までですので、どうかよろしくお願いいたします!!!PDFファイルのダウンロードはこちらから上記のファイルをダウンロードして印刷し、直筆でご署名頂き、問い合わせ先のメールアドレスに添付して送っていただけると有難いです!!!皆さまからのご協力をどうかよろしくお願いいたします!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございます!!よろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館今日は朝からずっと署名のお願いに用紙を持って友人、知人、ご近所、元職場、さえりんの職場や学校、友人のお母様を回っていました。皆さまのブログのご訪問が出来ず大変申し訳ありません(>_<)皆さまの温かいお心でのご署名、心から嬉しく感謝でいっぱいです!!暫くこんな日が続くかもしれません、本当にごめんなさい!!
2020年07月16日
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今日は人生で2度目の、死ぬほど最低最悪な日となってしまいました。相手を殺して私も死のうかと本気で考えました!!!!!!52年の人生の中でこれほどまでに本気で、人を殺したいと思ったことはありません!!!刑事裁判の判決は、禁錮3年 執行猶予5年一番恐れていた最悪の結末!!!!!!こんなことが現実にあっていいのでしょうか????????????何一つ悪い無い、ただ青信号の横断歩道を自転車で渡っていただけのさえりんは、あんな酷いトラック運転者に、あんな無惨な殺され方をしたのに、さえりんは死に損ですか?????????あの女運転手は、結局罰金を1円も払わず、会社の雇った弁護士に守られてこの理不尽な法律に守られて、何のお咎めもなく無罪で、今までもこれからもさえりんに謝罪もなく!!!!!知らん顔でのうのうと生きていくなんて、世の中にこんな理不尽でおかしいことがあっていいのでしょうか??????加害者の女は今頃喜んで祝杯を挙げていることでしょう!!!!!!こんな不条理な状況をみなさんどう思われますか???????裁判官はもし、自分の子供がさえりんのように殺されても同じ判決を出すのか????????私たちは絶対に納得できません!!!!!!怒りでおかしくなりそうです!!!!!!!このままではさえりんが浮かばれません!!!!!!今は控訴を希望していますが、検察で認めてもらえるかわからない状況です!!!そこで急遽ではありますが、皆さんのご署名をお願いしたいのです!!!!!!期間は一週間しかありません!!!どうかどうかよろしくお願いいたします!!!!!ダウンロードはこちらから上記のファイルをダウンロードして印刷し、直筆でご署名頂き、問い合わせ先のメールアドレスに添付して送っていただけると有難いです!!!皆さまからのご協力をどうかよろしくお願いいたします!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございます!!よろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月15日
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いよいよ今日は、さえりんの加害者の刑事裁判の判決の日です!!私は朝から、いやこの数日ずっと緊張しています・・・判決は16時15分からなので、結果は明日のブログに書くと思います。多分・・・(>_<)というのは、判決の内容次第で、私は荒れ狂い人格を喪ってしまうのか??気が狂うのか??ブログを書くだけの気力が果たして残っているのか??正常でいられるのか??自分でも全くわからないからです!!meronさんが来てくださいますので、先に書いて下さると思います!!今の心境は「運命の分かれ道、果たして、この世に正義なんてあるのか??」という気持ちです。さえりんは、1年1ヵ月前のあの日、あの時間に、あの場所で、あの横断歩道さえ通らなければ、あの女が運転するトラックにさえ出会わなければ・・・今も元気に生きていたのです・・・さえりんは今も、毎日仕事に行って、もしかしたら転職してるかも知れませんが美味しいものをたくさん食べて、大好きなお友達とも一緒にゲームをして、同窓会でみんなに会えるのを楽しみにして、たくさん笑って、たくさん旅行もして、どこにでもいる普通の22歳の娘、青春真っ只中を堪能していたはずです。あの運命の分かれ道を間違えさえしなければ・・・こんなはずではなかったのです!!!先日N弁護士が裁判所の記録のコピーを取り寄せて送って下さいました。それは、2回目の裁判の被告人質問の内容です。加害者の女が言いたい放題だったあの時の記録です。私と主人はこの時ほど、黙って聞いていることの辛さはないと煮え湯を飲まされたあの時の悔しさは一生忘れることが出来ません!!!二度と見たくはないのですが、私はそういえば加害者はこんなことを言っていたことを思い出しました。「仕事はあと6ヵ月休業期間があるから、その間に復帰すれば首にはならない」と、いう事は加害者は今は体裁を整えるため休業しているがあと6か月のうちにまたあの運送会社に復帰をしようとしているという事です!!それは何を意味するんでしょうか??裁判では「もう二度と免許は取らないし、トラックは運転しない」と言ったのに実はまたあわよくばトラック運転手に戻りたいという事ではないでしょうか??そんなことをしたら、更なる犠牲者が出るかも知れないのです!!!だから何としても、加害者には執行猶予が付かない有罪判決がでて刑務所に入って心から反省してもらわなければならないのです!!!!!私のこんな切なる思いは、裁判官に届くのでしょうか??理不尽な被害者遺族の切なる願いは、不条理な法制度に届くのでしょうか??私は50数年の人生の中で、最悪の運命の分かれ道を一度味わってしまったのです。あの日以来、すっかり悲観的で、疑い深く、常に最悪のことを考えてしまう卑屈な癖がついてしまいました。あの日・・・・まださえりんの身に起こった最悪の事態も何も知らなかった幸せだった頃の私が、あの警察からの電話で真っ逆さまに地獄へと突き落とされた時の恐怖は私にとって重く果てしなく苦いトラウマとなって、一生消えることはありません。「○○警察署です。娘さんが交通事故に遭いました。娘さんはトラックに轢かれて亡くなりました。娘さんは警察署の安置室で大切にお預かりしています。今病院の先生を呼んで検死をしています。終わったら警察署に来てください。」「??????????????????????????????????」「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」これは新しい形の詐欺か??何かの悪い冗談なのか??ドッキリじゃないのか??私は耳を疑いました!!そして警察官の言葉も疑いました!!!「嘘です!!嘘です!!嘘です!!嘘です!!嘘です!!嘘です!!嘘です!!うちの娘に限って絶対に絶対に、そんなはずはありません!!!!!」だけど、運命は無常だった・・・私は神も仏ももういないと、こんな運命を恨み呪いました・・・あれから月日が経って、今また更なる地獄へと突き落とされるのか??それとも、まだ世間は捨てたものではないと少しでも思うことが出来るのか??今再び、運命の分かれ道・・・全ては今日の夕方、判決で決まるのです!!(さえりん幼稚園年中 リズム発表会にて)※さえりんは年中の時も劇でした。しかし、本当は一休さんの踊りがやりたくてずっと窓越しに見て一人でマネして練習をしていました。当日一休さんの踊り担当の子が風邪で休んでしまい、さえりんが練習していた姿を知っていた担任の先生が急遽さえりんを代役に選んで下さり大喜びで代役を務めた時の写真です(*^^)vご訪問いただきありがとうございますいつも温かいコメントありがとうございます!!よろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館☆彡今朝、二度寝したとき、さえりんが夢に出てきてくれました(≧▽≦)まともに出てきてくれたのはすごーく久しぶりです!!『さえりんはいつもの通り、自分の部屋でソファに寝転がって寛いでいました。私は何か勘違いしていて、さえりんに振袖を着せようとしていました。いつもの赤い振袖になぜかピンク色の帯を私は用意していました。美容院に連れて行こうと慌てていた時、さえりんはもう成人式が終わったことに気付いて「間違えちゃってごめんね」って言っていたらさえりんは笑って(⌒▽⌒)アハハ!「いいよいいよ!振袖は次は妹の結婚式の時に着るからね」「それよりいつものあのイオンに買い物に連れてってよ!!ねっねっ!!」って甘えてきました。』そこで目が覚めました・・・なんてこともない普段の様子のさえりんでした。だけど、それでも、嬉しかった!!!!今日夢に出てきてくれたのは、きっと偶然ではないと思うのです!!今日の判決どう出たとしても、私が普段通り冷静にいられるようにさえりんからの優しさだったんだと受け取りました。ママは頑張るよ!!ありがとうね!!さえりん
2020年07月15日
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少し前にもこんなブログを書きましたが、『命の尊厳』ってなんでしょうか??『命の尊厳』は果たして平等なんでしょうか??なぜさえりんの命の尊厳は守られないの???今までの私は、国の違いや時代の違いはあるけれど、少なくとも今の現代の日本においては『命の尊厳』は平等にある、もしくは平等でなければならないと信じて疑いませんでした。娘が交通殺人で無惨に殺されるまでは・・・娘が突然命を奪われてから、私はこのことを嫌と言うほど考えさせられたのです。それは、私が今まで無知で平和で幸せボケで知らなかっただけで、本当はもうずっと前からこの『命の尊厳』の理不尽な現実に悔し涙を流してみえたたくさんの交通死亡事故被害者遺族がどれだけ多いかという事実を・・・私も自分の身に降りかかるまでは他人事だったのです・・・テレビや新聞のニュースになっていてもその時は衝撃を受けても、すぐに「うちは無事でよかった」と安堵してしまうのでした。今思えば何と他人事で、利己主義で、自分さえ良ければと思っている身勝手で自分勝手主義の私だったのだろうかと申し訳なさでいっぱいです。こんな私だから、娘がこんな理不尽な被害者になっちゃったんだろうかと、思うと自責の念に駆られて、辛くて苦しくてどうしようもまくなります。でも、思うのです。私が自分を責めるのは勝手ですが、相手の責任はどうなんだろうか??私が一人で自責の念に駆られている今も、加害者は何も思わず普通にのうのうと暮らしていると思うと、世の中にこんな不公平なことがあっていいのだろうか??こんな理不尽な現実が誰にも咎められず起きているこの社会の歪みを絶対に許すことは出来ないと、私の怒りは一機に沸き起こるのです!!加害者の女が、さえりんに1年間以上謝罪に来ないのは何故でしょうか??私には到底理解できませんが、それでも考えてみました。1.自分のせいでさえりんを殺してしまったことがわかっていない。2.自分は悪くないと自分を正当化している。3.見ず知らずの娘だから、どうなっても自分には関係にと思っている。4.自分が嫌な思いをするのが嫌だから。5.知らん顔してても殆どの交通事故は罪が軽く済んでしまうのが 現状だから自分も大丈夫だと安心している。もしも人に怪我を負わせてしまったら謝罪するのは当たり前、もしも人を殺してしまったら逮捕されて刑務所に入る又は死刑なのは当たり前、殺人未遂でも逮捕されて刑務所に入るのが当たり前なのに・・・さえりんは殺されてしまったから、もう人権がないんでしょうか????死人に口なしで、生きているものの人権だけが守られるこの世の不公平な法律では、生きている加害者の人権だけが守られるなんておかしいでしょ!!!!さえりんの『命の価値』って何ですか????さえりんの『命の価値』はそんなに簡単で軽いものなんですか????私にはさえりんの命がそんな風に粗末にないがしろにされて、簡単に扱われることがどうしても、どうしても、許せないんです!!!!!!どうして、交通死亡事故だけが罪が軽いんですか????さえりんの場合は青信号の横断歩道上でさえりんに全く非はなく、加害者が一方的にトラックで、さえりんを自転車ごと踏み潰しているこれはもはやただの交通事故ではなく、交通殺人です!!!!それなのに、加害者は何の罪にも問われずに済まされてしまうのならもはや警察なんか要りません!!検察も裁判官も要りません!!こんな理不尽がまかり通る世の中なら、もはや法律すら要りません!!!!政治家も総理大臣ももはや要りません!!!!!この国はもはや法治国家ではなく無法地帯だと言わざるおえません!!!!!いよいよ明日、7月15日(水)が刑事裁判判決の日です。明日、加害者は刑務所に入るのか??それとも執行猶予がついて何の罪にも問われず、罰金すらも払わず何食わぬ顔で、さえりんを殺したことなんてまるで忘れて、何も無かったかのように暮らすのか??が決まるのです!!!この判決次第で私のこれからの人生はいったいどうなっていくんでしょうか??私の心は、とてもとてもとても穏やかではいられないのです・・・(>_<)(さえりん5歳自宅にて)(さえりんパジャマで暴れてる??それともダンスかな??)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月14日
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最近、スピリチュアル的な本をたまに読んだり、スピリチュアル系な方のブログをたまたま見たりしながら、想うのです。それは「死者の魂は本当にあるのだろうか??」と疑問になるのです。もしも、本当ならばさえりんもやっぱりこの家にいるんだよね??きっと!!私は神仏はもう信じていないし、霊感もないし、無知で、スピリチュアル系なことには興味はあるけど、よくわからないというのが本音です・・・今までは霊的なことや心霊現象、幽霊に対しては怖いと思っていたし、スピリチュアル系なことを言われるとどこか詐欺まがいで、胡散臭いなんて思っていたのです。確かに今でもその気持ちは変わらないのですが、でも最近は少し考えが変わってきたのです。先日の夜、いつもいる2階のリビングで次女と2人で夜遅くまで女子トークで盛り上がっていたら、急にさえりんのお仏壇の方からカチャカチャ音がするのです。偶然かなと思いながら「さえりんゴメンね。さえりんも一緒に3人でお話しようよ!」とお仏壇に向かって話しかけたら音はやみました。偶然だよねって思いながらも、それでも私はさえりんがヤキモチを焼いて怒っていたのかななんて思うと、なんだかちょっと微笑ましいというか、嬉しい気持ちになるのです。霊的なことはよくわからないのにそんないい方をしたら変かも知れないけど、やっぱりさえりんの魂はここにいるかも知れないと思えたからです!!そう思えたことは、この1年1ヵ月の間に何度も数多くありました。今の私はたとえ夢でもいいからさえりんに逢いたいですし、蝶や虫や鳥だってさえりんの魂が姿を変えて来てくれたのかと思っちゃうし、姿形は見えなくても魂でもいいから側にいて欲しいと真剣に想っているのです!!ちょっと頭がおかしいかもしれませんが・・・それが子供を亡くした親のささやかな願いなのです!!今読んでいるスピリチュアル系な本には、死者の魂と出会う方法や、天国からのメッセージやサインを受け取る方法が書かれていますが、私にはまだまだ実現出来ません・・・今までも無神論者だった自分がいけないのか、霊感が足りないのか、日頃の行いの問題なのかはわかりませんが・・・それでも、さえりんのハナミズキやお庭のお花を眺めているときだけは不思議な安らぎのような安心感と温かくて優しい気持ちになれるのです(*^^)v(最近は暑くて汗が出てきますが(;´・ω・))先日、私は本に書いてあった死者と夢で逢える方法に挑戦しようと思い、一年前の成人式に振袖姿のさえりんと私が玄関先で笑顔で映っている写真を、枕の下に置いて寝てみました。しかし、やっぱり夢には出てきません(>_<)だけど、起きた時に不思議な何とも言えない安心感と穏やかで優しい気持ちになっていました。もしかしたら夢は私がすぐに忘れてしまうだけで、本当はさえりんは私に何度も会いに来てくれているのかも知れないと思いました。なかなか夢に出てきてくれないのは、私に原因があったのかもしれません。もしかしたら、私が鈍感で気が付かないだけだったりして・・・「もうママったら、鈍感なんだから!!私のサインにちゃんと気付いてよ!!」って、さえりんは呆れて怒ってるかも知れません・・・(;'∀')そう思ったら、私はどんな些細なことでもさえりんを感じて、いつも側にいてくれるんだと気付ける感性を磨いていくことが、さえりんの魂は本当にいるんだと実現するための一番の近道なのではと思いました。何事も「信じる者は救われる」のです!!きっと!!絶対に!!今日も私は、またさえりんの魂を感じながら、これからもずっと一緒に生きていきたいと、心からそう願うのです💛(さえりん5歳 大好きな幼稚園の先生の結婚式のお祝いの帰りに公園で遊ぶ)(さえりんお花見団子食べてる(*^^)v)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月13日
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今日で私がブログをはじめて300回になりました!!今まで続けてこられたのは皆さんのお陰です!!私はブログで皆さんからどれだけ励まされたかわかりません。本当にありがとうございます!!これからも続けていきたいと思っています!!拙いブログですが、どうかよろしくお願いいたします!!昨年9月17日、meronさんに教えていただいてから毎日1回ずつ休まず投稿してきました。最初はさえりんを喪って3ヵ月半、まだまだ気が動転していて何をどう書いたのか、自分でも全く覚えていません・・・見返すと恥ずかしいので見ないようにしています(;^ω^)私は、さえりんの事をこの世からいなかったことにされたくなかった、いつかさえりんが皆さんの記憶から消えてしまうことが怖かった、「人の記憶から消えた時、二度目に死ぬ」と知り、もう二度とさえりんを死なせたくはなかったのです。ただただその思いだけで、アナログ人間が訳も分からず無我夢中ではじめたブログだったのです。そのかいあって今ではたくさんの方々に「さえりんという、20歳の娘」を知ってもらい、愛着を持って頂きました!!本当にありがとうございます!!今まで「紗愛理」のことを知ってくださっていたご近所の方や同級生、主人や私の友人達にも、あらためてさえりんのことを知っていただいて「さえちゃんのことずっと忘れないよ!!」って言っていただけることも心から有難く感謝いたします。昨日もこっそりアメブロの死別の方々のブログを見させていただきました。読み逃げで申し訳ないのですが、見させていただくほどにお子さんを亡くされた方でも本当に様々な状況で、様々な考えの方がいらっしゃるんだと思いました。中でも私が気になったのは、「死別の方以外お断り」と書かれている方や、「死別でも他に子供のいる方はお断り、一人っ子が亡くなった人のみ」と書かれている方です。私はこっそりブログを見させて頂きながら、何故か罪悪感で物凄く心が痛むのです。それは私なんかよりずっとお辛い想いをされてみえる方だと思うんですが、こんな私でごめんなさい(>_<)と思ってしまうのです。そして、私も少なからず「子供を亡くした親の気持ちは経験者にしかわからない」という気持ちも無きにしもあらずなのです。そして、同じ想いを味わった方と関りを持ちたい、共感したいと思う気持ちもよくわかります。でも、だからといってそうでない方をシャットアウトしようとするのは、みんな考え方はそれぞれですし、私も実際心無いコメントを書かれたこともありますが、そういう人は自然に消えていきました。だから私は違うと思いました。それは、今はそれ以上にこの楽天ブログで、meronさんのところから、来てくださった方々や、私のブログを見つけてきて下さった方々にお出会い出来て本当に良かったと心から感謝に思うからです!!そして、皆さんはこんな娘と死別した暗ーいドロドロした私のブログでも温かく優しく受け入れてくださり、きっとコメントを書く時も気を遣わせてしまっているんではないかと申し訳なるときもあるのですが、それでも皆さまのお励ましがあったから今もこうして生きていられるんだと、心からそう思えるのです!!今まで300回、こんな私にお付き合いくださり心から感謝申し上げます!!これから、もしかしたら更なる絶望と泥沼にハマってしまうのか、悶々と堂々巡りをしながら浮いたり沈んだりを永遠にループしてしまうのか、ある日、なんらかのきっかけが見つかって自然に変わっていくのか、私にも自分がこの先どんな人生を辿るのか、もうさっぱりわかりません。ですが、どんな状態になろうともこのブログだけは、さえりんのためにもこれからも続けていきたいと思っています!!!どうか皆さま、これからもよろしくお願いいたします!!(さえりん5歳 大好きだった幼稚園の先生の結婚式へお祝いに行ったとき)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館最愛の娘のパパさんへ来年の春、娘さんの桜の花が咲くのがすごく楽しみですね🌸私もまた来年ハナミズキが咲いたら娘が帰ってきたかのように喜ぶと思います!!こんなささやかなことでも未来に希望が持てることがせめてもの救いですね!!来年桜の花が咲いたらまた教えてくださいね!!私も一緒に喜びます(*^▽^*)
2020年07月12日
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最近どんより落ちてばかりの私の心・・・(;'∀')ずっと雨だった、お天気のせいもあるのかな??やっぱり来週の判決のことが、頭から離れないからなのかな??昨日はお昼過ぎから雨が上がり少しは気持ちも建て直さなくっちゃと思いながら窓を眺めると出窓に置いてあった、さえりんの同級生のMちゃんにもらった胡蝶蘭の花が全部落ちていました。胡蝶蘭は上手に管理すれば2度目の花を咲かせると聞いたことがありますが、私は今まで成功したことがありません。でも今回はせっかくさえりんのために頂いた胡蝶蘭、何としても咲かせたいと思い、ネットで検索してみました。すると今の時期なら良さそうだったので早速ネットのマネをして支柱だった針金を抜いて、下から4節目のすぐ上で斜めに茎をカットしました。2本とも出来たら、出窓の陽当たりが良い場所に移動して水は10日くらいあげずに、様子を見ることにしました。それから外へ出て空気をいっぱい吸いながら、久しぶりにお庭を見て回ると、3日前暴風雨の時に倒れてしまった薔薇の鉢のつるバラの枝が3本ぐらぐらに折れそうになっていました。幸い、枝はまだ枯れていません。これももしかしたら挿し木が出来るのかなと思い、ネットで調べたら7月は挿し木に適していると書いてあったので、早速やってみることに。赤玉土はなかったけど、鹿沼土が家にあったので空いているプランターに入れて水をたっぷり与えて湿らせました。1時間くらい切ったバラの枝は水につけて棒で穴を空けた鹿沼土に挿し込みました。ついでにまだ場所があったので違う薔薇の枝を2本と、紫陽花を3本切って、一緒に挿してみました。受け皿にも水をたっぷりにして日が当たらない明るい場所へ置きました。これで本当に挿し木が出来るのか?また花を咲かせることが出来るのか?全てが初めてで未知数なのでわかりません。でも、昨年秋にさえりんのイオンポイントで買ったピンクのシクラメンも、子育てサークルの時のお母さん方がさえりんのためにお供えしてくださったシクラメンも、花数は少ないけどまた可愛い花を咲かせています(*^^)v今までの私ならこんなに長く持たせることも、また再び花を咲かせることもとっくの昔に諦めて世話もせずに枯らして、ポイっと捨ててしまっていたのです。だから今度は、胡蝶蘭の2番花や、バラと紫陽花の挿し木が上手くいってくれたらいいなあと少しは明るい気持ちでそう思えるのです。最近読んでいる本の中に、「死者の人生を祝福する」という項目の中で「故人を記念する庭や広場」を作るとよいと書いてありました。1.木を植える。(故人の名の記念板をつける)2.バラの木を植える。3.大きな鉢を埋めこみ天使や妖精のついた棒をたてる。(子供の記念碑として)4・庭の片隅に座る場所を設ける。ベンチやテーブルを置きそこで故人を偲べる ようにする。照明や像を置き、鳥や蝶が集まる植物を植える。「お墓参りに行くより、故人は私たちがいる場所や、心地よく過ごせるスペースに、愛する人の霊(魂)は引き寄せられてくるのです。」と書いてあり、私はすごく納得しました!!今まで知らずにでしたが、今年の3月さえりんのメモリアルとしてハナミズキを植えました。「さえりんのハナミズキ」と書いたプレートも付けました。それをきっかけに、ハナミズキの下周りや花壇に可愛いお花を植えたり、シナモンの陶器の置物が座った水色の小さいベンチを飾り、壊れたベンチをリメイクしたり、テーブルを作ったり、ミニドールガーデンやバラの花を植えたり、お庭に遊びにくる蝶や鳥に話しかけたり、ほんのささやかで小さなお庭だけどそれでもこれも全部「さえりんの人生を祝福する行為だったんだ」と思うと、本当にこれで良かったんだと嬉しくなりました!!私の人生は長くてあと30年弱。大きな病気ばかりしてる体なのであと20年くらいかも知れないし、もっと短いかもしれません。でも私が死んだ後もこのお庭が残ってくれたらいいなあっと、お花は手入れしないと無理でも「さえりんのハナミズキ」だけはずっと残したいと思うのです!!もう、さえりんがこのうちに帰って来ることは出来ません。私がさえりんの生まれ変わりを産むことも、もう出来ません。でもさえりんの魂は、この家とこのお庭のハナミズキの木に宿ってくれたらって思ったら、幾分か、どれだけ私の心は救われるのでしょうか!!!そう思ったら大げさだけど、このお庭はさえりんの二度目の人生なのかなってほんのささやかでも私にもまだ、さえりんのために出来る事があるのかなって勇気が湧いてくるのです!!二度目の花を咲かせることは、ほんのちょっとしたことかも知れませんがでも、今の私にとっては死んでしまった自分の心を蘇らせることなのです。そして、姿は見えなくてもさえりんの魂を蘇らせることのように想えるのです。これからまだ刑事裁判の判決がどう出るのか??その後は民事裁判で、しっかり加害者の無責任な謝罪のない態度と運送会社の責任問題を追及しなくてはなりません。そうしなくてはまた次も第2、第3の青信号の横断歩道で理不尽な犠牲になる被害者は一向に後を絶たないからです!!私の心はそのたびに断崖絶壁のどん底へ落ちたり、復讐の鬼と化したり、浮いたり沈んだり、死にたくなったり、心乱れることばかりだと思います。だけどやっぱり私は、さえりんのママであることだけは捨てられません!!どんなに心がズタズタボロボロに壊れても、このお庭だけは、またさえりんの魂と触れ合いながら復活できるような、心の癒しの場所にしたいのです。そしていつかすべてのことが終わったら、のんびりとさえりんの魂と一緒に穏やかに生きていけれたら、私の心の中にも、二度目の花が咲くことでしょう。(さえりん5歳 南知多ビーチランドpart2)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月11日
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昨日はまたも雨☂。朝、大学へ行くために電車に乗り、岐阜県へ向かう次女を駅で見送りました。一昨日は大雨特別警報が出た岐阜県へ行くことをとても心配しながら、それでも「何とか無事に帰って来て!!」と祈るような気待ちになりました。雨が降るたびに思い出すのです。私はずっと前から疑問に思っていたことがありました。「何らかの原因で突然、子供を亡くした親のその先の人生はどうなっちゃうんだろうか??」交通事故、殺人、不慮の事故、災害、病死、自死・・・死因は様々です。以前の私は子供の命が突然亡くなってしまったら、私はもう生きていけないと想像していました。天と地がひっくり返って、いきなり天国から地獄へ落ちて加害者をいるのなら恨んで呪って復讐を考えて、恨む相手がいないのならこうなってしまった運命と神を恨み、自分のせいだと責めて呪うのでしょう。私は新聞やニュースで子供が犠牲になる事件事故を見る度にそう思っていました。今から4年くらい前、次女が高校1年生の頃こんな殺人事件がありました。『能登の高校で部活を終えた1年生の女子生徒が母にラインで学校まで迎えに来てと頼んで学校近くのバス停で母の迎えを待つ間に、男子大学生がわいせつ目的で近づき頭を殴って車に乗せて空き家に連れ込みその女子高生を殺害して、その後男子大学生も高速度道路に飛び込んで自殺したという事件。』数ある事件事故の中でも鮮明に覚えていたのは、次女と同い年の女子高生という事と、私も次女に頼まれて高校までよく迎えに行っていたからだと思います。次女の高校も周りも田舎で田んぼと畑と裏には山があり、車は通るけど、人はあまり通らず少し離れたところにコンビニがあるくらいです。帰りが遅くなると毎日のように心配になりました。変な人に出会っていないかと。次女が私にお迎えを頼む時は雨の日、夕方真っ暗な中、高校下の工事現場の横で待っていた次女。私は何度も「人がいるコンビニの中か駐車場で待っていなさい」と言っているのに、面倒だから言う事を聞かない次女。本人は平気でも私は車を走らせながら気が気ではありませんでした。その度にこの殺人事件を思い出し、もしも私の迎えが遅かったせいで次女が変な事件に巻き込まれでもしたら・・・と思うと1分1秒でも早くと焦って超特急で2つ隣の市まで飛んで行くのでした。私は娘たちの命が理不尽に奪われてしまうことが人生の中で一番、死ぬほど怖かった!!絶対に起きてはならないことだと思っていた!!私は2人の娘が無事に大人になって、楽しい人生を送り、愛する人を見つけて、結婚し新しい家庭を築くまでは、責任を持って守り育て、送り出すことが母親としてのささやかな願いであり、喜びであると信じてやまなかった。さえりんはしっかり者で危ないことは絶対にしないから大丈夫だと信じていた。それより次女の方が自由人で危なっかしくて心配だとずっと思っていた。それなのに、どうして・・・どうして・・・どうして・・・・・さえりんがこんなことになっちゃったの????大丈夫だと信じていた私がいけなかったの?????何故もっともっとさえりんにことも心配してやらなかったんだろうと怒涛のように後悔が押し寄せる・・・・・人は皆、「さえりんは交通ルールを守り何にも悪くなかったんだから、加害者の女トラック運転手が全部悪いんだから、仕方なかったんだよ。」って言ってくれるけど、だけどどうしても「仕方なかった」なんて諦めなんて付かないし、思えないし、思いたくもない!!!!ましてやさえりんはたまたま運が悪かっただけの可哀そうな子なんて絶対に思いたくもない!!!!そんな風に簡単に片付けたくもないし、割り切れないから、私は自分で自分を苦しめるのです・・・・人は良く時間薬って言うけれど、いったいどれほどの時間を過ごせば薬が効くの???私はいつまで自分を責めて悶々と過ごせばいいの???私は今まで想像でしかなかった、「子供を亡くした親の、その先の人生・・・」を今、自分が歩いて行かなければならなくなってしまったのです・・・(>_<)きっとあの殺人事件の高校生の母親も、他のたくさんの交通死亡事故や事件の被害者の母親も、震災で子供が犠牲になった母親も、病気で辛い闘病の末に子供が亡くなった母親も、みんなみんな同じなのかな??????????15日(水)の判決の日が近くなったせいでしょうか???私の心は穏やかではいられないのです・・・(>_<)(さえりん5歳近所の公園と南知多ビーチランドにて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月10日
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昨日は主人が休みだったので、早速カー用品のお店にN-BOXのタイヤを探しに行きました。後ろのタイヤが2本溝がすり減っていると一昨日ディーラーで言われたので触ってみましたが、私にとっては今までよりまだ全然大丈夫な状態です。今まで私が乗っていた車はもっと触ってもわかるくらいツルツルになるまで節約のために頑張って乗っていたのです。「こんな状態で替えたらまだ使えるのに勿体ないなあ・・・」一瞬ケチ心が出る私ですが、そこは「いや違う!!次女と友達の安全のためだから!!」と振り切って、「もう少ししたら替えた方がいいよ」と言われた前のタイヤもこの際一緒に4本セットで替えることにしました。昨日主人がよく行くカー用品店で、広告の品の安いものにしようかとも思っていたんですが、店員さんに話を伺うと今なら良い商品が更にキャッシュバックセールで1万6千円もキャッシュバックされるのでと、お勧めされたタイヤをお願いする事になりました。交換してもらえるのは再来週の月曜日。少し先ですが、それまでは次女もまだ遠出に行く予定はないので安心です。私はホッと肩の撫でおろしながら、主人と近くのイオンモールへ買い物に行きました。このお店は我が家のみんながよく買い出しに行くお店です。駐車場の一角にはテナントとして以前私が働いていたうどん屋もあります。さえりんも就職してお金を稼ぐようになってからは毎週のように私や主人とまたはじーちゃんに頼んで車に乗せてもらい、いつも買い物に来ていました。私はさえりんが亡くなってから半年くらいはこのお店に来れませんでした。でも最近は主人と一緒に少しずつ馴らして来れるようになっていました。なのでもう自分でも平気だと思っていたのです。ところが昨日は違いました。いつものようにまずはお花を選んで、野菜、豆腐製品、魚類、肉類、調味料でカートに2カゴ分たくさんいれてお惣菜コーナー、冷食コーナーへ進んで行くとどんどん悪寒がしてきて、胸が締め付けられるように苦しくなってしまいました。最初は人が多いからかと思いましたが、すぐに違うと思いました。昨年さえりんが亡くなる少し前、パパと3人で買い物に来た時私がさえりんに「会計をパパも一緒にしたいからパパを探すのでここで待ってて」と言うとさえりんは「うんわかった!!」とお利口に待っていてくれました。ところが私はパパを見つけると別の場所で会計に並んでいて、私はさえりんを待たせていたことをすっかり忘れてしまいパパと一緒に会計を済ませてしまいました。あとで思い出して待っていてねと言った場所に行くとさえりんはそこで私が来るのをずーっと持っていました。するとさえりんは「もう私はずーっとママが来るのを待っていたんだよ(; ・`д・´)」と口を尖らせて怒りました!!私はさえりんに「ごめんね、ごめんね!」といっぱい謝りました(;´・ω・)そんなまだ何も知らずに幸せだった頃の日常生活の何気ないひとコマを、何故か昨日は急に思い出して、胸が締め付けられるくらい辛くなったのです。確かあの時さえりんが待っていたのはここだったと人ごみの中探しに行っても、当たり前だけど、さえりんはもうどこにもいません・・・(>_<)お店の中にも、長いレジ待ちの列の中にも何処にもいないのです・・・私はもう苦しくて辛くて、パニック寸前、買い物どころではなくなってしまいこのカートの中身も全部そのまま置き去りにして逃げて帰りたくなりました。その時他の物を見ていた主人がちょうど来てくれたので、私は主人に事情を話して会計と袋詰めを頼んで、逃げるように外へ出ました・・・(>_<)自分でも久しぶりの感情にビックリしました。さえりんを喪って1年1ヵ月・・・家で泣くことはあっても、もう外ではパニックもフラッシュバックも起らず、普通に暮らしていけると思っていました。だけど、違ったのです。さえりんを喪った心の中の喪失感は、そんなに簡単に治るものではなかったのです・・・私はあらためて、自分の心がまだ正常な状態ではないことがわかりました。次女の母親として何かしてやりたいと思う時はしっかりと強くいられるのにそう思えば思うほどに、その反動からでしょうかさえりんに申し訳なくなって、さえりんとの思い出深い何気ない日常のひとコマの中で、やっぱり・・・さえりんの面影を探して、胸が締め付けられて辛く苦しくなってしまうんです。今まで大丈夫だったとしてもその心は不意に顔を出し、私を苦しくさせるのです。一体いつまでこんな状態が続くのかな??それとも私の心は、あの日さえりんと一緒に死んでしまったからもう今の私は昔の私とは別人になってしまったのかな??だから一生このままなのかな??このまま半分元気で、半分死んでしまった心のまま一生過ごしていくのかな??昨日は家に帰ってもそんなことを漠然と考えながら、やっぱりまたさえりんに逢いたくて、逢いたくて、溜まらなくなるのです・・・さえりん夢でもいいから逢いに来てよね!!ママは時どき、壊れちゃいそうだよ・・・お願いだよ!!さえりん(さえりん5歳 市の盆踊り大会へ行ったとき)(まだ歯が痛いのにかき氷食べちゃった(;'∀')かき氷が歯に染みる~(^^;))ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月09日
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車は人の命を乗せて走ります!!と同時に道行く人や、他の車の人の命も守る責任があります!!だから、常に点検整備して危険な要因は極力取り除かなくてはなりません!!最近次女が私の車を運転するようになって、特に身に沁みてそう思うのです。昨日は私の車、ピンクのN-BOXの定期点検のためディーラーに行きました。新車から4年目。昨年3年で初めての車検を終えてその後1年の定期点検です。先日もドライブレコーダーを取り付けてもらうために来たばかりですが。昨日点検を終えると、後ろのタイヤが2本擦り減っていると言われたので、主人に相談して早速この際4本とも全部交換してしまおうかと思っています。これで私の残り半分の特別給付金はぜーんぶ飛んでいきますが・・・(;'∀')それでも、今、次女が友達を乗せてよく遠くまでこの車で遊びにいきますのでもうお金なんてどれだけかかってもいいんです!!大事な娘たちの命には代えられません!!!この車は次女が高校に入学した年に、雨の日に高校まで次女を迎えに行って自転車を積んで帰って来るため自転車が乗せやすい便利な軽自動車が欲しくて、そのためにN-BOXを買いました。雨の日にさえりんの自転車もよく乗せました。その前はスズキのパレットに乗っていたんだけど、同じ箱型でも自転車が積みにくくて新古車で8年も乗っていたから、買い換えたのです。この車を買うとき、今度の車は娘たちもいずれ乗るようになるからと思い、娘たちの意見も聞いて、さえりんの希望通りピンク色に決めたのです。次女は本当は、カッコイイ白黒のカスタムが良かったので不満でしたが。遠出も考えて、高速でもラクに走れるように馬力があるターボにしました。このN-BOXを買ってから私たち家族は、よくこの車に乗って遠出や旅行にも行きました。いつも運転はパパ、助手席はさえりん、後ろが私と次女でした。さえりんが大のお気に入りだった、ピンクのN-BOXちゃん。家族の夢と希望と想い出がいっぱいでした・・・あの日までは・・・去年の今頃、新車から3年経ち初めての車検の時、我が家は奈落の底でした。私はさえりんを喪った絶望のあまり、車に乗る事すら出来なくなっていました。もう車検どころではなく車も怖くて一生乗れないかも知れないと思っていました。だけど、さえりんの大のお気に入りだったN-BOXちゃんを手放すことも出来ません。仕方なく車検は主人が頼んで、ディーラーの担当の方にうちに取りに来ていただき何とか出来ました。私は絶望と先の見えないどん底と恐怖で約10ヵ月この車を運転する事も、車の中に座る事すら出来ず、見るだけでも辛かったのです。ところが、今年の4月次女が運転免許を取り、自動車保険の関係でこの車だけを次女も乗れるように年齢制限を変更し、それを機会にようやく私も乗れるようになれたのです。本当に次女のお陰です!!でもだからこそ、私は強く思うようになったのです。車の点検整備は定期的に出来るだけきちんと必ず行うこと!!どんな小さな不備でも、もしもそれが原因で交通事故でも起こしてしまったら、一生取り返しがつかず、一生後悔するのです!!亡くなってしまった命はどんなことをしても、もう取り戻すことが出来ないんだから!!これは自家用車に限らず、トラックでもオートバイでもバスでも皆同じです!!何度でも言います!!車は人の命を乗せて走るものです!!どうか、自分の命も、同乗する家族や友達の命も、見ず知らずの通りかかっただけの誰かの命も、前や後ろや近くを走っている車に乗っている人の命も、みんなみんな平等に、等しく、かけがえのない大切な大切な命なんです!!!ハンドルを握る以上は、そのことを絶対に忘れないで頂きたいのです!!!もし仮に突然、命が奪われてしまったら・・・その人の残された家族は永遠に幸せを奪われ、地獄へ突き落とされるのです。もうこんな思いをする人は増やしてはいけないのです!!!仮にもしあなたが交通死亡事故の加害者になって、誰かの尊い命を奪ってしまったら・・・あなた自身も同じように、一生地獄を見るのです!!だから、どうかお願いです!!車は楽しく、便利な乗り物です。流通や仕事にも欠かせません。だからこそ安全運転で、もうさえりんのように・・・こんなにも悲しく理不尽な交通被害者がでませんように、心から強く強く願うのです!!!!(さえりん5歳 公園水遊びpart2)(さえりん水遊びしてたら急に歯が痛くなっちゃった:;(∩´﹏`∩);:)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月08日
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我が家には一人「自由人!?」がいます!!それは、もちろん次女のことです・・・(;'∀')今回もまたやってくれました(-_-;)ある意味話題に事欠かない、ハラハラドキドキさせてくれて親をマンネリ化させない、飽きさせない、ボケさせない親孝行な娘???それでも悪気があるわけでもなく、ただ自然に思うままに生きているので憎めない、つい世話を焼きたくなってしまう、愛おしい娘なのです!!事件??やらかされた??のは、7月4日(土)のことです。さえりんの13回目の月命日の日の午前中、私は現場へお花を手向けにくる加害者を偵察に行こうか、迷ってにいました。すると、友達と滋賀県へ出かけると言っていた次女が私に言いました。次女「ねえママ、今日暇??」私「暇ではないよ!!お姉ちゃんの月命日なんだから!!」次女「そうだよね。でも今からちょっとだけ付き合ってくれたら嬉しいなぁ~」私「何処に??」次女「今から岐阜の友だちの下宿まで車で高速に乗って行って泊るんだけど、 岐阜は車で行ったことがないから、ママ一緒に乗って来てくれない(≧▽≦)」私「えーーー??じゃあママは岐阜まで行ったらどうやって帰るの??」次女「近くの駅まで送るから、電車に乗って帰って!!」私「・・・・・・・・・」次女「ねえ、行ってくれると嬉しいなぁ・・・おねが~い!!(≧▽≦)」私「もう・・・仕方ないなあ(-_-;)」という事で、急遽、次女の高速運転の監視役で岐阜まで行くことになってしまいました・・・(;'∀')午前11時過ぎに家を出発!!途中、次女がお昼ご飯は久しぶりにケンタッキーが食べたいというので、まず国道1号線を走って豊明のケンタッキーへ。ドライブスルーしようと思ったらめちゃ混んでいたので店内で買って、車の中で2人で食べました(^^♪そのまま23号線バイパスへ入って、名古屋高速へ、一宮有料道路を通って、名神高速道路へ入り、岐阜羽島インターで降りました。ガソリンを入れるためすぐ近くのコストコのガススタに立ち寄り、次女がみんなで食べる晩ごはんを買いたいというのでコストコでお買い物する事に。土曜日だったのでコストコはめちゃめちゃ混んでいて駐車場を見つけるのも一苦労でした( ゚Д゚)何とか見つけて店内へ入るとまた大混雑・・・(;'∀')次女は友達にラインや電話をしながら、お寿司とハイローラーとマスカットを買っていました。私もさえりんの現場に供えるための白いユリとピンクのバラを買い、帰りはエコバックに入れて電車で持ち帰ることにしました(;´・ω・)次女に、名鉄「柳津駅」で降ろしてもらい、私は一人電車で帰ります。「ママ、ちゃんとマスクして電車に乗るんだよ!!乗り換え間違えないでね!!」と私に世話を焼く次女に「全部あなたのせいでしょ!!」と言いたかったのをグッと我慢して、笑顔で手を振って車で走って行く次女を見送りました(=゚ω゚)ノ次女からはその後、友達の下宿先のお部屋でコストコで買ったものを楽しくみんなで食べている様子が写真で送られてきました。そして翌日には、友達と3人で滋賀県へ遊びに行き、お洒落なカフェや、パン屋、彦根城でひこにゃんの写真、美味しそうなお昼ご飯の写真が送られてきました。そして帰りは岐阜まで帰りまた友達の下宿に泊って、月曜日に帰って来るとの事。「帰りもまた高速道路の乗り換えが無事に出来るか心配なので、電車に乗って柳津駅まで迎えに来て~!!」と調子よく甘えてくる次女('◇')ゞでも夜にまたラインで「やっぱり月曜日は高速はやめて下道でゆっくり自分で帰るからママは来なくてもいいよ」だそうです・・・・・???私はほとほと呆れながらも、ついつい次女のペースに巻き込まれている自分に一番呆れています・・・(;'∀')ホント!!次女は自由人!!!そして、そんな自由人に振り回されている私は、ただの親バカでアホだなとつくづく思うのです・・・(;´д`)トホホそれでも、それでも、必要とされれば喜んで手を差し伸べてしまうこんな救いようのない、あまあまなバカ親ではありますが、やっぱりこの次女がいてくれるだけで、どんなに迷惑や世話をかけさせられようが、それでも、生きていてくれるだけでいいと思ってしまうのです(;^ω^)これからも次女との関りは、こうやって次女のペースに巻き込まれながらずーっと続いていくのでしょう・・・呆れながらも、まんざらでもない私は、完全にドエムですね・・・けれども、こんな次女との時間もかけがえのない尊い時間なんだとそう思えるのは、さえりんのお陰かも知れません(>_<)さえりんにしてあげられなかったことを、次女には何でもしてあげたいと思ってしまうのです。私は娘たちの笑顔に一番弱いのです!!さえりん、本当にゴメンね・・・不公平で、寂しいかもしれないけど、でもきっとさえりんも、そう望んでくれているよね!!(さえりん5歳 公園で水遊び)(次女からさえりんへのお土産のガラスのオルゴール🎵曲はメモリー🎵)7月6日(月)午後3時半ごろ、次女は無事に帰ってきました!!雨がたくさん降っていたこともあり帰って来るまで心配でしたが、当の本人はあっけらかんとして「楽しかった~~(⌒▽⌒)アハハ! これ凄く可愛かったからお姉ちゃんにお土産!!」とガラスの天使のオルゴールを買ってきてくれました!パパとママにはまるいパンと、ひこにゃんのキーホルダーをくれました。私はさえりんに「次女を守ってくれてありがとう💛」とお礼を言いました!!まあ本当に無事に帰ってきて何よりとホッと安心したのもつかの間、自由人の次女はまた新しい冒険旅行はどこへ行こうか、いつ行こうか、誰と行こうかと、すでに次の計画を企てているのです・・・(;'∀')ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月07日
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先日、さえりんの13回目の月命日の日の夕方、事故現場へ主人と一緒に行ったときのことです。急に雨が激しく降ってきて、古いお花を片付けて新しいお花をお供えする間に私たちはびしょ濡れになりました。そんな時、ふと先月私たちが供えたお花以外のお花が3つ供えてあったことに気が付きました。そのお花たちは枯れていましたので多分1ヵ月前祥月命日の辺りに供えてくださったものだと思います。私と主人は心から感謝し、お花たちにお礼を言って片付けさせてもらいました。その中に一つメッセージが書かれたメモを見つけて取り出しました。それは、さえりんの同級生のN子ちゃんからでした。N子ちゃんは4月に看護の仕事に就くことが出来たと、さえりんに報告に来てくれた心優しい子です!!メッセージの中に「毎日さえちゃんのことを思い出すよ。夢にも出てきてくれてありがとう!さえちゃんとまた逢いたい。」と書いてくれていました。私は思わず涙がこぼれました。本当にさえりんの事を思ってくれて心から有難く感謝でいっぱいになりました!!メッセージのメモは持って帰り、さえりんのお仏壇に供えました。せっかくお花を持ってきてくださったので、こうしてメモを残して下さるとどなたからなのかよくわかるので有難いなと思いました。私はこの1年と1ヵ月、さえりんの死をきっかけに、たくさんのことを想い、考えて、想像して、学びました。その中で一番思ったことは『人の想い』ってなんだろうかという事です。もちろん私や主人がさえりんの事をいつまでも深く想うのは、親なので当たり前です。家族なんだから大事でかけがえのない娘に決まっています。だけど、それが他人だったら、最初はショックで悲しいかも知れませんが気持ちはどんどん薄れていくものだと思っていました。ましてや、赤の他人で今まで関わったことも、話したこともない相手だったのなら、余計にそうです。それほど関わりのない同級生や同僚だったとしても徐々に疎遠になったり、忘れたとしても、決して相手を責める気持ちにはなりません。私だってそうだし、それが普通だからです。腹立たしく許せないのは、加害者がそういう知らん顔の態度です!!!だけど、その逆の人たちがこんなにもたくさんいてくださったことが私には驚きだったのです。さえりんは決して人付き合いが得意でもなく、友達もそれほど多くはいません。だけど、それでもこうしていつまでもさえりんの事を忘れずに想ってくれる人がいるのです。こんなにも早く突然のお別れだったからかも知れませんが、それでもどうでもいい人にお参りに行こうなんて誰も思わないと想うのです。うちに来てくださる私の友人達にも、さえりんの友人知人の皆さんにも、私はそうした皆さんの「優しい想い」にどれ程励まされたかわかりません!!本当に心からお礼を言いたいです!!さえりんのこと忘れないでいてくれてありがとうございます!!そして私が他にも、お礼を言いたいのはブログで知り合った方々です!!私はさえりんが亡くなって3ヵ月と約2週間後の9月17日からブログをはじめました。ですので、ブログで知り合った方々はさえりんと直接、逢ったことも、見たことも、しゃべったことも無い方々ばかりです。それなのにさえりんの事を可愛いと思って下さったり、こんな理不尽な交通死亡事故が遭っていいのかと一緒になって怒って下さったり、一緒に涙を流して下さったり、本当に感謝でなりません!!!昨日の夜、さえりんの誕生日をパパと2人でささやかにお祝いしました。夏バージョンのイチゴのチーズケーキを買ってきて、ローソクは大2本と小2本で22歳に。ロウソクをつけて電気を消して、ハッピーバースデーを歌っても、はにかみながらフーっとロウソクを消してくれるはずのさえりんはもういません・・・(>_<) 思わずまた涙が込み上げました。それでも、それでも、メールを下さり同日同時刻に一緒に同じ気持ちでいっぱい泣いて下さる方や、皆さんからのお優しいコメントに私はいったいどれだけ救われたことでしょうか!!今私は、自分が交通被害者遺族になってはじめて、人の想いの温かさに心から気付けたような気がします。本当ならこんな風にならなくても気が付けたらよかったのにと後悔しています。でもこんな私だから、一番大事な娘を喪わなければ人の世の大事なことに気付けなかったのかもしれません・・・(>_<)私の人生はまだまだ修行途中です。もっともっと大事なことがわかるまで修業は終わらず、きっとさえりんは、まだ私を迎えに来てはくれません・・・もっともっと「人の想い」を推し量かり、無償の愛で相手のことを深く想えるような、温かい人になりたいです!!さえりんのように(昨夜、さえりん22歳の誕生日をパパとママでお祝いしたよ💛)(ケーキ屋さんで「さえりん」って書いて貰えば良かったと後悔・・・(;'∀'))(さえりん5歳 お出かけ)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月06日
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