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昨日は前の夜からずっと雨が降り続き、我が家の近くの川も増水し、あわや氾濫するのではと、河川洪水警告レベル3になっていました。私は避難することなく、一日中家に閉じこもっていましたが、久しぶりにもし川が氾濫したら怖いなって、恐怖を感じました(>_<)被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。このところ酷くなってくる、台風や自然災害に遭われた地域の方々はもっともっと怖くて大変な思いをされていることを、自分も身近に、身に迫ってきてはじめて感じるのです。自然界の猛威を前に人間は無力です・・・ただなすがまま、避難して通り過ぎるのを待つだけ・・・その時の、何もかも失うかもしれないという恐怖、死の恐怖・・・そういう体験をされた方にしかわかりません・・・私などでは想像すら、及びません。(11歳の時のさえりん)ただ、思うことは、私は体験したわけでもないのに、時どきフラッシュバックするのです・・・娘が、10トントラックに轢かれるその瞬間、大きな物体が突然、襲い掛かってくる恐怖を・・・どんなに、どんなに怖かっただろうか・・・どんなに、どんなに痛かっただろうか・・・どんなに、どんなに悔しかっただろうか・・・どんなに、どんなに、もっともっと、生きたかっただろうか・・・ということを・・・今の私には想像することしか出来ず、でも想像にも及ばず、娘の事を、さえりんの辛さを思うことしかできません・・・人間は無力です、親としても無力さに苛まれます・・・そして、ある日、突然の警察からの「娘さんが交通事故でお亡くなりになりました」という、悪夢のはじまりのような電話の恐怖を・・・一生忘れることはできません。昨日は一日中、家に引き籠っていたせいか、ネガティブです。夕方、まだ小雨が降っていたんですが、日が差してきて、東の空には、綺麗な虹が・・・さえりんも見ていたかな虹・・・それとも虹の橋で、喜んで遊んでいたのかな?生きていれば、大雨の後には虹が出て、悪いことの後には、きっといいことがあるって希望が持てる・・・さえりんも何か希望が見つかったんだろうか・・・私にも何か希望が見つかるのだろうか・・・そんな思いに苛まれます。きっと、これからも、こんな繰り返しなんだろうな・・・頑張ろって思えたたり、絶望的に思えたり・・・昨日さえりんのカゴを作っていたら、さえりんの凄さや、優しさ、息づかい、温もりを身近に感じて、また泣けて、泣けて、泣けて・・・でも、今の私にはそういう時間が必要なんだろうなって、決して逃げてはいけない、避けては通れない、さえりんの現実に向き合う時間・・・これもれっきとした、さえりんとの思い出なんだから・・・決して忘れることなんて出来ない。だけど、今は一人じゃない・・・って、思えるから、また今日も頑張ろって、力が湧いてくる。これからも、こうやって生きていくんだろうな・・・私は。さえりんと一緒に・・・(まだ落ちていなかった、満開のさえりんのキンモクセイ) どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2019年10月26日
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昨日は朝からどんより曇り空、午後から雨の予報。雨が降る前に、やりたいことがあり、朝一番でお墓に行き、その後近くのホームセンターへ。買ってきたのは腐葉土。(一番安いものだけど)一昨日、実家に行った帰りに、お花屋さんの前を通り、お花の苗を買ってきた。ビオラ、パンジー、ガザニア、チューリップの球根。ありふれた花だけど、花壇に植えたら綺麗かなって思って。毎年、庭の小さな花壇は私の担当で、春と秋には花を植え替えてきた。それなのに、この春は仕事が忙しく後回しになっていたところへ、突然のさえりんの事故・・・花壇どころではなかった・・・花壇はぐちゃぐちゃになり、草だらけになり、それでも、もうどうでもよかった・・・無気力だった・・・しかし、見かねた父が草だらけの庭に黒いシートをひいて、その上に人工芝をひいてくれて、庭は見違えるほど綺麗になった!!さえりんが見たらきっと喜んで裸足で走って「ここでバーベキューやろうよ!!」って言っただろうな・・・って、嬉しいけど、悲しくなった(>_<)それでも、ブログをはじめてみなさんの、素敵なお庭や、綺麗なお花の写真を見ていたら、私もやってみようかなって心が動き出した。だから昨日は、秋の花を植えた。春になったら咲くようにと、花壇の周りにはチューリップの球根も植えた。チューリップが咲いたら、さえりん喜んでくれるかなって思ったら、久しぶりに、ワクワクした!!こうやって、私の壊れた心も少しずつ、少しずつ回復していくのかなぁ・・・って思った。少し前に植えたペンタスとキンギョソウ昨日植えたパンジーとガザニアもう一つ、やりたいことがあった。それは、さえりんのカゴ作り!!やろうと決意したものの、風邪をひいたり、実家へ行ったり、後回しになっていた・・・と、いうより、なかなか取り掛かる勇気が出なかったのかも知れない。だけど、嬉しいことがあった(*^_^*)それは、はじめての注文が2つ入った!!ブロ友のRさんが、大切な人の分と2つほしいと言ってくれた。本当に嬉しかっただから、勇気を出して、作ることが出来た。作り方はある程度分かっていた。でも実際作ってみて、気付いたことがたくさんあった・・・さえりんは作業は、とても正確で丁寧だった。使う人のことを考えて、怪我をしないように角を丸めてあったり、見えないところもボンドできちんと止めてあった。こんなにも手のかかる作業をいとも簡単に、たくさん作り、無償で差し出す。さえりんは本当に凄いって、わが娘ながら、あらためて、さえりんという人間の偉大さを感じた・・・そして、さえりんはいつか私が作ることがあると直感してたのだろうか?材料を切るためのサンプルや、作りかけのベースが段階ごとに置いてあった。パーツも道具も全部揃っていた。まるで「これならママでも出来るでしょ!!」って得意げに言ってるさえりんの声が聞こえるようだったさえりんありがとうこれならママでも頑張れそうだよ。ひとつ作るのにかなり時間がかかるけど。でも夢中になれた・・・泣きながら・・・さえりんもこんな気持ちで、あげる人の喜ぶ顔を想像しながら、ひとつひとつ丁寧に作っていたのかな・・・って、さえりんの作る姿を思い浮かべながら作った。「ママ下手だなー。でもそのうち出来るようになるって、ママ頑張って!!」って、笑い声が聞こえてきそうだった・・・さえりんの後姿を追いかけているような気持になった・・・出来上がったカゴはさえりんには到底及ばず、歪だった・・・Rさんもうちょっと待っててくださいねー(;^ω^)でもママは諦めないからね。見ててね、さえりん・・・さえりんが用意しておいてくれた材料真ん中の赤がさえりんの作品 両脇(ピンクと黄色)の歪なのが私の作品今までだったら、なんだそんなことくらいって思うような、ほんのささやかな日常のひとコマ。だけど、今の私にはひとつひとつが、さえりんの魂と繋がる、貴重で大切な出来事・・・こんなひとつひとつを積み重ねながら、さえりんと私はずーっと一緒なんだって、確信していく時を、たくさんたくさん、紡いでいきたい・・・これからも、ずっとずっと、さえりんと一緒に生きていくんだから・・・ どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。ミヤちゃんさんへコメントありがとうございます!!大切なお母様が亡くなられたんですね。悲しいですね・・・よく「孝行したいときに親はなし」っていいますよね。今日こそは素直に母に、お礼の電話してみます。応援ありがとうございます!!宝ママさんへいつもありがとうございます!!宝ママさんに「今日も一日頑張りましょう」って言われると何だか悲しいのは私ひとりじゃないんだって、嬉しくなります!!明日もお互い頑張りましょうね一歩ずつ・・・(*^_^*)
2019年10月25日
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昨日は、久々のすっきりした晴れ模様。体調の方もスッカリ回復し、今日こそはと、主人と一緒に、私の実家へと車を走らせました。しかし、朝から何度、電話をかけても出ない母。もしかして病院の日だったかな?(母は糖尿病で通院している)と思いながらも、「まあ取りあえず行ってみようか」と主人。実家に着くと玄関が空いていて中から母が出てきた。「なんだ居たんだ」って上がり込むと、母は「朝からずっと畑に行ってて今帰ってきた、ちょうど良かった」と。畑は実家のすぐ裏にあり、ずっと昔から借りている。しかし、この頃は母も年を取り縮小して以前の1/4くらいしかやってない。「この前日曜日に妹と二人で来ると思って、サツマイモ用意してたんだよ」と、母は奥から段ボール箱を抱えてきた。「ごめんね、ありがとう!!」って受け取る私。「今朝ねえ、勝手にうちに住み着いている野良猫のクロちゃんがね、息子に焼こうと思ってトースターに入れといた食パン食べちゃたんだよ!!」って、しがない話題で一人で盛り上がる母(-ω-)/だけど、これももしかしたら母なりに、私に気を遣ってくれたのかなって思う。さえりんの話題に触れないように・・・私はあれから一人では実家に行かなくなった。それは、また母の無神経な言葉で傷つくのが嫌だから・・・母はそのことをどう思っているのか、何も感じていないのか、よくわからない(-_-;)母はうろうろして、冷蔵庫の中をもそもそと探しだし、冷凍のタケノコやお餅を持って行くようにとくれた。別にいいのにと思いながら、母の行為に甘える。そうだ「次女にもおこずかい」と言って銀行の封筒にお札を入れてくれた。いつももらってばかりで、本当にありがとう!お母さん。これが母なりの愛情表現なのかなって、いつも甘えてばかりの私です。そういえば昔は、冬になるとよくストーブでアルミホイルに包んで、焼き芋作っておいてくれたっけ。さえりんも次女もマロン(犬)も大好きで、よく近くの公園まで持って行って、遊びながら食べてたなぁ(*^^)vゲームもない、大した遊具もない神社の公園や、田舎だけど、子供たちは畑や田んぼで走り回ったり、近くの川でカモにエサをあげたりして、実家に行くのを楽しみにしていた。もちろん、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんも大好きだった。(さえりん6歳、次女4歳の時 実家近くの神社にて)何だか、私ってこんなにも良くしてもらってるのにほんと贅沢だなって、ちょっと反省・・・(-_-;)まあ今日は、元気な母の顔を見れて良かった!!サツマイモもたくさんもらえたしね(^_-)-☆帰りに父のお墓にいった。私は父にお祈りすることは、ただひとつ。「さえりんのことをどうかお願いします!!お父さんだけが頼りだから」と。主人は「ブログに写真を勝手に載せちゃってごめんなさい」って言ってた。「え、お父さんだけにそれ言う??お母さんには??」って聞いたら、主人は「お母さんはブログって、何だかわかんないからいいんだよ」だって( ゚Д゚)「まあそうか、説明するのも面倒くさいからね」(-ω-)/って納得。昨日は体調も治って、主人と穏やかな一日。こんな日がずーっと続くといいんだけどなぁーって思った。晩ごはんには、サツマイモの天婦羅!!さえりん喜んでくれたかな どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。いつもたくさんの方に『さえりんの部屋』へ遊びに来ていただき心から感謝しています!!楽天ブログ以外の方にはコメントがお返しできず、本当にごめんなさい・・・みなさんの温かいお心のコメントに、いつも励まされています。本当にありがとうございますこれからもよろしくお願いいたします。
2019年10月24日
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昨日は朝から、体が重たくて、寒かったり暑かったり、なんか変だなって思ったら、急に頭が痛くなって、節々が痛くて、こりゃ風邪ひいたなって、お昼から夕方まで汗かいて寝てしまいました・・主人がお休みで、実家にサツマイモもらいに一緒に行ってもらおうと思っていたんですが、私がダウン(>_<)してしまい後日に持ち越し。私は大きな病気はするんですが(ガンや盲腸など)、風邪とかで寝込むことは、今まではあまりありませんでした。しかし、この頃は体の変化する年齢に加え、心の変化が大きく、体のバランスが崩れやすいんです。こんなにも、ひ弱な自分になっちゃったんだってちょっと落ち込んでしまいます・・・そんなとき、今日は主人が大活躍!!主人は今まで家事はほとんどやったことがない人でした。結婚と同時に、主人の両親と同居だったこともあり、今までほとんどお手伝いも頼んだことがなく、それが当たり前になって、20年以上が経っていました。昨日は朝、主人と一緒にお墓参りに行って、スーパーでパンや巻きずしなどすぐ食べられるものを買って帰ったら、急に熱が出てきて私はそのままベットで(-_-)zzz。夕方起きたら、主人が洗濯物をたたみ、晩ごはんを作っていた。次女の駅までのお迎えも。ビックリです最近の主人はとっても優しいです。(前からかも知れないけど、私が気付いてなかっただけかも)今日は大学が休校で遊びにいっていた次女も、夕方からラストまでアルバイトにいきました。次女も私が世話を焼かなくても、もう自分のことは自分で出来る年頃なんだなぁって。次女も私が知らないところで、気を遣っているのかなと思います。あの日、突然さえりんがいなくなって、我が家はどうなちゃうんだろって、怖くて、不安で仕方なかった・・・真っ暗闇で、先のことなんて全く考えも、想像も出来なかった・・・このまま家族が壊れてしまうんじゃないかと、恐怖に襲われた・・・でも、壊れることなく、いられた・・・主人もきっと、私以上に過酷な体験をしたと思う。それでも、主人は出さずに耐えた・・・というより、私の状態が酷すぎて、出すことが出来なかったと思う。さえりんが亡くなって暫くしたとき、主人とケンカしていたことがある。私があまりにも激しい感情をぶつけどころがなく、主人に当たっていたら、主人も耐えきれなくなって、切れた・・・そのときふと目に入った、さえりんの遺影が泣きそうな顔していた何やってるんだろって、急に我に返った・・・私たちがケンカをしたり、家族がバラバラになってしまったら一番悲しむのは、さえりんなんだ!!さえりんが「私が死んじゃったからいけないんだ」って、自分を責めて苦しむに違いないって、そう感じた・・・残された私はたちが出来ること、それは、今まで通り仲良く暮らしていくこと!!それが、さえりんの願いだって、気が付いた・・・たぶん、主人も次女も同じ思いだと。そうして、今の家族の形に・・・私も、主人も、次女も、みんな変わった。今までの私たちにはもう戻れない・・・きっと、これからも試練があり、変わっていくと思う。だけど、どんなに変わっても、さえりんを悲しませ、苦しめることだけは絶対にしたくない、そう誓った!!絶対に変えてはいけないもの・・・それは、さえりんがいつでも帰れる温かい居場所。そんな家族で、これからもいられますように・・・ どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2019年10月23日
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昨日は一昨日(日曜)次女と名古屋へ買いもに行って疲れが出たのか、お天気がどんよりしていたせいなのか、一日ボーっとしてました(-_-;)実は日曜日は、浜松に住んでいる私の妹からも「実家に行くからお姉ちゃんも来ない?」って誘われていました。私は午前中次女がまだ寝ている間に実家に行こうかとも思ったんですが、思いのほか次女が早く起き(いつもはなかなか起きないのに( ゚Д゚))私も実家と、その後次女に付き合うほどの元気がないと判断して妹のお誘いは断ったのです(>_<)ゴメンね・・・妹はそんなこと全然気にしていないですが、夕方ラインが来て「実家の母がサツマイモ採れたからおいでって言ってたよ」と。実家は我が家から車で30分。距離は近いのに、私はあまり行かない、遠い実家です・・・ 何故でしょうか??前に「実家の母の言葉に腹が立った」とブログに書いたことがありますが、実家の母は決して悪い人ではありません。ただ、マイペースで相手がどう思うかとか考えて言葉に出すことが出来ない人。つまりは、どこにでもいる陽気な田舎のおばあちゃんです(-_-;)そして、たぶん私だけが思っていることですが、私と母は相性があまり良くない・・・妹と母は相性がいいんじゃないかな、たぶん。妹に言わせると「お母さんとケンカするのってお姉ちゃんだけだよ」だそうです・・・あとの妹弟は言っても無駄だからと、諦めてるらしいです。母は養女で一人娘。子供の時から実家に住み、父に養子にきてもらい、10年前父が病気で亡くなった今は、まだ独身の弟二人と暮らしています。実家に行くと、母は開口一番「弟二人に誰かお嫁に来てくれないかな」毎回こうです。そんなこと言っても本人たちがその気がなければ仕方ないと思います。まあ母の親心はよくわかりますが・・・帰るとき必ず、畑で採れた野菜や、ご近所さんからのもらい物や自分で作った巾着袋をどっさり車に積んでくれます( ゚Д゚)人にものをあげて喜ぶところ、さえりんはおばあちゃんに似たのかな。母は子供に対して、とても愛情深い人だと思います。ただ、お節介で、自分の気持ちを押し付けてきて、人の話を聞かない人、ちょっとズボラで無神経です(-_-;)そういう所が、私は苦手です・・・昔は母のような母親にはなりたくないって思っていました。しかし、今、書いたことはすべてそっくりそのまま、次女が私に言っていることと一緒なんです!!!と、いうことは次女にとって私は、母と同じ存在・・・(>_<)なりたくないって思いながら、いつの間に、母そっくりな私。ショックです!!!と言いながら、本当は母の有難さは充分わかっています。懐が大きく、肝っ玉母ちゃんの母。なりたくないって思いながら、一方では母をお手本にしている私。矛盾してるなーー(-_-;)一番いけないのは、私が素直になれないからだよね。4人姉弟の一番上で、母に甘えた覚えがない。母は仕事が忙しく、私はずーっとおばあちゃん子だったしね。だけど、私が自分の命に代えても娘たちを守りたいっていう気持ちは、母の無償の愛情からもらったものだって、感謝しています。(母には照れ臭くて、直接言えないけどね・・・)父も母と同じくらいに愛情深い人だった。親ってやっぱりすごいなぁ。どんなに年をとっても、病気になっても、いつまでも親は親。たとえボケたとしても、私は一生、親を超えられない気がする。私もそう思ってもらえるような親になりたかった・・・さえりんは私の事どう思っていたのかな・・・今ではもう聞くことは出来ないけど・・・やっぱり順番が一番だよね。逆縁だけはしたくなかった・・・それは親に素直になれず、心配ばかりかけてきた、私への罰なのかな・・・もう何もかも遅い後の祭りなのかな・・・さえりん、ごめんね・・・今から親孝行なんて何にも出来ない私だけど、たまには、何にもなかったような顔して、実家に行ってみようかな。サツマイモもらいに。サツマイモの天婦羅、さえりんの大好物だったからね。 どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2019年10月22日
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昨日の日曜日は次女が久しぶりの家にいて、「お昼から買い物行こうよ!」って珍しく誘ってきた。「どこに行くの?」って聞く私。次女は「電車に乗って名古屋駅のデパート」。「無理無理。車ならいいけど電車は面倒くさいし、行きたくない」と私「いいじゃん、電車なら20分で名古屋に着くからすぐだし、来月の私の誕生日プレゼントに服買ってよ!!」と引き下がらない次女。そんなとき、ふと頭を過ぎった言葉が、〝明日やろうは、馬鹿やろう〟長女のことで、散々後悔して、自分への戒めにしていた言葉・・・明日は何があるのか、どうなるのか、誰にもわからない。だから、今日やろうと思ったことは、今日やらなければ後悔するかもしれない。「仕方ないなぁ。じゃあ行こうか!」と私。「やったー」と無邪気に喜ぶ次女。次女が大学生になって、友達付き合いやサークル、アルバイトで忙しくなり、こんな機会もあまりなかったなって思った。あと何回、何十回、一緒に出掛けるチャンスがあるんだろうって考えたら、急に貴重な時間に感じられた。お昼少し前、電車に乗り名古屋へ。次女が「ここでいいや」って入ったのが近鉄パッセ。早速何件かのテナントに入って、さっさと洋服を選んでいく次女を見ながら、〝いつの間にか大人になったんだなぁ〟って感心・・・していると、「この服可愛いから買って!!」「あの靴も、リックも」と、どんどん増えていき「あーーやっぱり来るんじゃなかったよ・・・」まあ次女と買い物に来るといつもこんな感じですわ(-_-;)私はスポンサーです(-。-)y-゜゜゜午後3時、買い物が終わり、大きな荷物を抱えて満足そうな次女と遅いお昼ご飯を食べに、駅に戻って12階のレストラン街へ。次女お薦めのパスタのお店『かまあげスパゲッティすぱじろう』でランチ。そこはラージもミディアムもスモールも全サイズ同じお値段。ラッキー!!お腹が空いていた私は「あさりアラビアータのラージ」次女は「カルボナーラのミディアム」結局小皿であさりアラビアータを次女に分けてあげて、最後次女が食べれなくなったカルボナーラを私が食べて、二人とも満腹に美味しかった~!!帰りに街頭で盲導犬の募金をやっていたので、ほんの気持ちだけチャリーン盲導犬の頭をなでなでさせてもらい、めちゃ可愛かった!! 名古屋にはジブリのお店も。さえりんが見たら喜ぶだろうなって・・・思った・・・さえりんには行きたいところがいっぱいあった。温泉も、旅行も、遊園地も、テーマパークも・・・亡くなる前さえりんは、「ママと二人でディズニーランドに行きたい!!」って言ってた。「うちのすぐ近くから直行の夜行バスが出ているよ」って私が言ったら、「じゃあおごってあげるから絶対に二人で行こうね、約束だよ!!」って指切りまでしてた、さえりん・・・結局行けなかった・・・約束守れなくてごめんね、さえりん・・・さえりんとの時間がこんなに短いってわかっていたら、仕事なんていっぱい休めばよかった、もっと、もっと、もっと、楽しいところへ、さえりんが喜ぶところへ一緒に行けばよかった・・・仕事も、お金も、何にもいらなかった・・・でも、もう遅いよね・・・〝明日やろうは馬鹿やろう〟私の一生の苦い教訓になってしまった・・・夕方、次女と一緒に電車に乗り家に着くと、次女はすぐに寝てしまった(-_-)zzz一昨日はアルバイトがラストまでで、家に帰ったのが深夜1時ごろ、それから友達と電話でおしゃべりし、寝たのは朝5時過ぎだって。ほんとうに次女は自由だなぁって('◇')ゞちょっと呆れるけど、さえりんのことを思ったら、これでいいのかなって、寛大にみれる。今やりたいこと、今しか出来ないこと、やらなければいつする??もう出来なくなってから後悔するより、よっぽどいいからって!!今日は次女との買い物デート楽しかった!!面倒くさがらずに行って良かった(*^^)v娘との貴重な時間、出来うる限り大切にしていきたいって心に刻む。もう、二度と苦い後悔はしたくないから・・・ どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。宝ママさんへ手作りのカーテン娘さんも絶対に喜んでますよ!!だって大好きなお母さんが、自分のためにやってくれたことですから。娘が出来なかったこの先の人生、全部は無理ですが一つでも私が引き継いでやれたらいいなって思っています。そして、それがいつの日か、私自身の楽しいおまけの人生に繋がったらいいなって、それが今の私の目標です。これからもお互い頑張りましょう!!ゆっくりと、心のままに・・・
2019年10月21日
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昨日は、一昨日の東京の疲れが出て、雨も降っていたので、一日家で、ボーっとしてしまいました( ^ω^)・・・一昨日は、さえりんもママと一緒に東京まで行ってくれて疲れたよね(>_<)でもさえりんのお陰で、迷子にもならず、電車が止まることもなく(私が家に着いた後、名鉄電車は事故で止まっていました)雨にもほとんど降られずに、無事に帰って来れました!!さえりん、ありがとね東京から帰って来てから、久しぶりに、やってみようと思ったことがあります。それは、クラフトテープでカゴ作り!!これはさえりんが残してくれたもの・・・さえりんの趣味でオリジナルで考えて作ったカゴです。さえりんは地元中学の特別支援学級でクラフトテープのカゴ作りに出会いました。そして特別支援学校 高等部に入学し、2年、3年の時は作業班がクラフト班に。週に3回実習の時間に、もう少し大きい12本どりテープを使ったカゴをみんなで作って、文化祭のなどで販売していました。本人は違う作業もしてみたかったみたいですが、先生が決めてくれて得意なので楽しそうに作っていました。そのうち家でも、カラフルなクラフトテープをネットで注文して、お気に入りのオリジナルのカゴを、趣味として淡々と作っていましたそして、今までいくつ作ったことでしょう、400個、500個くらいは作ったと思います。しかし、そのほとんどは私の友人をはじめ、たくさんの人にあげたり、バザーに出したりして、今、家に残ってるのは30個くらい。さえりんの魂・・・分身・・・これが形見となってしまいました・・・さえりんはとっても優しい子。人にあげて喜んでくれることが、喜びとなり、励みになっていました。そして、娘の部屋には、たくさんの材料と作りかけのカゴが・・・今もそのままになって、残されていました。主人からはママが、さえりんの遺志を継いで作ったらどうかと言われていましたが、今まではまだ、そんな気持ちにはとてもなれませんでした。悲しくて、淋しくて、泣けてしまいそうで・・・しかし、いのちのミュージアムに行って、遺族の方々が作られた、たくさんの願いが詰まった可愛らしいグッズの販売コーナーを見て、私の心は動きだしました。さえりんがメッセンジャーになれる日は、まだ先だと思うけど、まずは、さえりんの残してくれたこのカゴが、何かお役に立てないかとただ問題はさえりんは器用だけど(パパ似)、私は不器用・・・親なのに・・・(-_-;)12本どりのクラフトテープをそのまま使った大きいカゴは私も作るけど、さえりんみたいに半分に裂いて6本どりにして作るのは細かいので苦手です・・・それでも時間をかけて、ゆっくり、ゆっくり、心を込めて、手にした人の幸せを願って・・・さえりんのように・・・作ってみようと思ったのです。さえりんの願い・・・それは、交通死亡事故を無くすこと。理不尽に命を奪われる、悲しい人を無くすこと。 ってさえりんなら言うと思う・・・だから、ママも頑張るね。細かい作業は苦手だけど(>_<) ゆっくりマイペースで!! どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2019年10月20日
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私が娘のために、してあげられる事ってなんだろうって考える。次女とはまだまだいろいろ世話やいたり、一緒に楽しんだり、笑ったりできる。でも、さえりんには・・・もう大好物のおかずを作っても、食べられない・・・大好きなお寿司も、ステーキも、とんかつも、食べに行けない・・・家族旅行も、ドライブも、遊園地も行くことが出来ない・・・一緒にテレビを見たり、ゲームをしたり、マッサージしてもらうことも、一緒に楽しんだり、笑ったり、おしゃべりしたり、時々ケンカをしたり、ぎゅっと抱きしめることも出来ない・・・私はこれから、さえりんに何をしてあげられるんだろうか・・・さえりんには、たくさんたくさん〝愛” をもらったのに・・・ もしかしたら、その答えが見つかるかもしれない・・・そんな期待も持ちながら、昨日は、東京へ昨日の珍道中です!!朝、駅でメロンさんと待ち合わせ、新幹線こだまに乗って出発!!約2時間東京品川駅に着き、平日なのにたくさんの人に圧倒される私・・・メロンさんとはぐれない様に小走りで必死でついて行き(>_<)、満員の電車を乗り継いで、降りたのは高幡不動駅。そこでお昼ご飯におそば屋さんに入って、その後タクシーに乗り、着いた場所は百草台コミュニティーセンター。廃校になった小学校の3階フロアの、いのちのミュージアム!!メロンさんに連れられてまずスタッフのみなさんにご挨拶。緊張して、何も言えず頭だけ下げる私・・・(>_<)次にメッセンジャーのみなさんとご対面。等身大の真っ白なパネル・・・胸には赤いハートと写真とメッセージ、足元には生前の靴が。おひとりおひとりの命を刻む秒針が、心臓の鼓動のように感じられた・・・おひとりおひとりのメッセージを真剣に読みながら、一生懸命に生きてこられた人生を感じさせていただく・・・なんで、どうして、こんなことに・・・と、感情が込み上げる。小さいお子さん、10代、20代、30代の若者、大人の方、みなさんまだまだこれからご活躍されるはずの、希望を持った素晴らしい方ばかりなのに・・・ほんとうに悔しい・・・やるせない・・・理不尽・・・辛い・・・心が揺れる、震える・・・つながれ つながれ いのちみなさんが結ばれた赤い毛糸玉がこんなに大きく!!いのちのミュージアム、いつでもメッセンジャーと出逢える、メッセンジャーさんたちの大切な居場所。とても悲しく、だけど温かい、そう感じられる場所。はじめて来たのに、なぜか懐かしい・・・なんて言ったら失礼かも・・・(>_<)ゴメンナサイ。廊下にはこんな展示とグッズ販売が。事務所に戻るとコーヒーを淹れてくださった。私はここへ来てから確信していた言葉がやっと出た・・・「娘もみなさんのお仲間に入れてもらえませんか??」はじめてお目にかかった代表の鈴木共子さんが優しく、「ここは来るものは拒まず、去る者は追わずの会だから、ご主人とよく相談して、娘さんをメッセンジャーとして誕生させるならご家族で一緒にのほうがいいわよ」と言って下さった。「はいっ!!」思わず声がうわずってしまいました(≧▽≦)帰る前、鈴木共子さんからミュージアムの本を2冊いただいて、ブログのnaominさんから手作りの素敵なプレゼントをいただきました本当に本当に嬉しかったです!!ありがとうございました!!メロンさんと帰宅ラッシュになる前に、ミュージアムを後に帰路に・・・帰りはわりとスムーズに雨にも降られることなく新幹線に。そして愛知県へ、駅でメロンさんとお別れ。メロンさん今日は本当にありがとうございました!!メロンさんがいなかったら、メロンさんと出逢っていなかったら、絶対に一人では辿り着けなかった場所です。そして、いつかさえりんがみなさんのお仲間に入れてもらえるかもという希望をあたえて下さって、心から感謝します!!!娘のためにしてあげられること、ひとつ見つかった気がしました。さえりんの居場所を作ってあげること、お友達や仲間を作ってあげること。そしていつかメッセンジャーとして誕生し、魂を吹き込み、命の大切さを伝える、そんな大事なお仕事をさせてあげられたら・・・さえりんが生きていた、これからも生き続ける証となれる!!さえりんが亡くなって、落ちた奈落の底の真っ暗闇のトンネルの中から、はじめて夢と希望の光が、少しずつ見えてきたような気がしました。まだまだ道のりは長く、果てしなく、過酷で、さらなる試練も待ち受けているとは思いますが、この光を頼りに、一歩ずつゆっくりと歩いていきます!!さえりんと家族とともに・・・ どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいしますいつも『さえりんの部屋』へ来てくださるみなさんの応援、本当に心から感謝しています!!この先まだまだどうなっていくのか、私にもわかりませんが、これからもどうかよろしくお願いいたします!!
2019年10月19日
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キンモクセイの花が咲きました!!いい匂いでいっぱいです今日は朝から電車に乗り、新幹線に乗って、なんと東京へ!!!田舎でひっそり暮らしている私には、大、大冒険です(>_<)今日は、メロンさんにお願いして、東京の生命のミュージアムへ連れて行っていただく日。初体験なんです・・・ワクワク、ドキドキドキドキ・・・昨日から、緊張いっぱいです(>_<)メッセンジャーの方々にお目にかかるのも、生命のミュージアムへ行くのも、携わってみえる方にお会いするのも。東京の街も何年ぶりでしょうか・・・メッセージャーの方々が発する生命のメッセージ、私にも感じることが出来るでしょうか・・・田舎者で、人見知り、ドンくさい、迷子になりやすい、頭が真っ白に・・・何をしでかすかわからない・・・あーーーどうしょう・・・(>_<)どうなることか全くわからない珍道中???メロンさんお忙しいのに、お時間作っていただいて、ほんとうにありがとうございます!!こんな私ですが、どうかよろしくお願いしますっ!!!さえりんもママと一緒に行こうねママが困った時は助けてね、さえりん。頼りにしているよ!!いざ今から出発!!!珍道中の様子はまた明日さえりんの木、キンモクセイの花が満開に。 どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいしますブログをはじめて1ヵ月が経ちました!もう1ヵ月。まだまだ1ヵ月・・・1ヵ月間、こんな私のつたないブログにお付き合いいただき、ありがとうございます!!みなさんの優しさ、心の広さに、感謝でいっぱいですまだこれからも続けていきます!!
2019年10月18日
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昨日岐阜に行った、続きです!昨日は朝8時前に家を出て、ガソリンスタンドで給油してから出発しました!!もちろん、さえりんも一緒に出発朝は曇っていて寒かったけど、そのうち晴れて暖かくなってきました。伊勢湾岸自動車道に乗って、何故か湾岸長島インターで降りて??(岐阜に行くのになんで三重??)って思いましたが、朝は名古屋市内が混んでいるからこの行き方の方が早いそうです。インター降りてから、木曽川と長良川の間の堤防道路をずーっと走って行くと、途中、道の駅でトイレ休憩。「クレール平田」という産直の道の駅、ちょっと野菜も買って(*^_^*)いざ再出発!!それからしばらく走るとあっという間に、目的地、次女の通う大学に。9時50分。思ったより道が混んでなくて早く着いた!!自転車置き場から持ちだし車に積んで、近くのイオンバイクをスマホで探すと、隣の市のイオンタウンの自転車ショップに親切なおじさんがいるらしいとの情報が。早速行ってみると、「こりゃ錆びとるなぁ、雨ざらしがいかんよ」とおじさん。ライトの修理と点検とチェーンの錆おとしのスプレーを無料でやってくれました。「毎日、駅に置きっぱなしなので・・・」と、お礼も言い、外付けでハンドルにLED自転車用ライトを買い、取り付けてもらいました。これで万全!!あとは次女の大学の自転車置き場に元通りにもどして、ミッション完了!!調べて分かったことは、当初、次女が自分で持って行こうとしていた最寄り駅近くのイオンの中の自転車屋さんは、イオンバイクではなく修理、点検などは出来ないそうで、やっぱり今回私たちが行って隣の市まで運んだから、良かったんだということでした(#^.^#)本当に主人のお陰です!!!保証書とお金忘れていった、次女のお陰もあるのかな??そのあと、岐阜城へは駐車場から見ただけでしたが、さえりんと一緒に写真を撮り、お昼ご飯は食べ放題のしゃぶしゃぶ!!昨日は晴天ドライブ日和、さえりんも喜んでくれたかな行きの車の中で見た、ナガシマスパーランド。さえりんが大好きで何度も行って、絶叫系のコースターに乗ってたっけ・・・もう一回連れてってあげたかったな車の中で景色をスマホで撮ってたら、主人がデジカメの方がズームが出来るからって渡してくれて、そのデジカメ再生してみたら、たくさんの風景が・・・主人が「これは最後の家族旅行の富士急ハイランドに向かうとき、さえりんが撮ったんだよ。ママと次女は後ろで寝てたからね」って。さえりんの目線、さえりんの心、優しさ、温もり、息づかい、感じる・・・会いたい・・・会いたい・・・会いたい・・・もっともっと、たくさん、たくさん、一緒にいたかった・・・ナガシマスパーランド(車中から)道の駅 クレール平田次女の自転車、修理完了、ライト装着!!岐阜城やっぱり、昨日は主人と、さえりんと3人でドライブに行けて本当に良かった!!さえりんありがとうね今日は一日中、主人とさえりんと3人でゴロゴロ休憩です(*^_^*) どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします明日はmさんと遠出です(^_-)-☆とっても嬉しいけど、今から緊張です・・・
2019年10月17日
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今日は、突然ですが、今から岐阜県に行きます。家から高速使って車で約2時間。運転は主人(*^^)v 私は、助手席に・・・もちろん、さえりんも一緒に(小さい遺影も持ってきた)岐阜県へ行くその理由は、2日前の月曜の夜にさかのぼる・・・次女は今、お隣の岐阜県の私立大学に、電車でほぼ1時間と、最寄り駅に置いてある自転車に乗り20分くらいで通っている。月曜の夜、私に「火曜日は学校が終わった後、先輩たちとカラオケに、そのまま女子友達の下宿に泊めてもらい、水曜日は学校帰りに友達と映画を見てくるから」と、なんともお気楽な次女・・・「やっぱり、自転車が向こうに置いてあると便利だわ、遊びに行けるし。でもライトの調子が悪くて、ものすごい音がするからつけれなくて、最近早く暗くなるから、ちょっと危ないんだよね」ってさらっと言う次女。えーーー、今のは聞き捨てならない!!!「いつから??? 早く修理に持って行きなさいよ!!!」急に興奮し、心配性が湧きだしてくる、私・・・( ゚Д゚)次女にイオンバイクで買った自転車の保証書と、ついでに明るいライトも付けてもらうようにと1万円入れて渡した。次女は「はいはい、わかったよ」ってちょっと面倒くさそう。その次の日、火曜日の朝。久しぶりの寝坊???起きたら7時30分。えーーーまさかーーーー( ゚Д゚)次女は慌てて出掛けた!!!やれやれと思い次女の部屋を見ると、あの保証書とお金がそのままに!!!次女めーーーー!!!ラインしたら「ごめん、慌てて忘れちゃった」って能天気(-_-;)学校が早く終わる水曜日を逃したら、修理はまた一週間後に・・・そんなのダメだ、その間にもし事故にでも遭ったら・・・そう思ったら、居てもたってもいられない、私(>_<)それで主人にお願いして、仕事休みの今日、次女の自転車を修理するため岐阜県へ、向ったのでした次女の自転車を積んで、岐阜のイオンへ運ぶため。私は過保護、過干渉、おまけに心配性・・・(-_-;)子育てには、あまりよくないって知ってるけど、主人にも「放っとけばいい!!」ってよく言われるけど、だけど・・・やっぱり・・・やめられない・・・情けないけど・・・もしも、もしも、次女まで事故に遭っていなくなっちゃったら・・・私はもう生きてはいられない・・・さえりんの、あの時のように、二度と絶対に苦い後悔はしたくない!!!あの時、なぜ、こうしなかったんだろう・・・と。だから・・・なぜ、早くライト治さなかったんだろう・・・って、後悔するくらいだったら、すぐ動こうって思った!!日頃から・・・主人からは「だから、子供が自立できないんだよ!」って言われ、次女からも「ママが過保護だから、私しっかりできないんだよ!!」っていつも散々に言われいる(-_-;)それでもいい、娘が生きてさえいてくれれば・・・と、私は思う・・・ごめんね、さえりん。ママが守ってあげられなくて・・・さえりんも一緒に行こうね。次女の大学へ!そして、一度行ってみたいって言っていた、岐阜城にも寄ってもらおうさえりん20歳 最後の家族旅行 富士急ハイランドにて どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。宝ママさんへ私も蝶を見ても、鳥を見ても、長女が帰ってきたのでは?と、思ってしまいます。でも、さえりんはずーっと私と一緒にいるとも思っています。次女には次女の人生をと思いつつ、まだまだ子離れできないダメ親です(-_-;)これから、次女がいつまで一緒にいてくれるかはわかりませんが、いずれ社会へ出て、我が家を巣立っていく時までに、笑顔で快く送る出せる親になれるように、頑張ります!!
2019年10月16日
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台風の後から、すっかり秋らしく涼しくなってきました昨日の朝庭に出ると、ほのかにいい匂いがしてきました。一年ぶりに、さえりんが大好きだった匂いが・・・庭の門の脇のキンモクセイの木には、いつの間にたくさんのつぼみが・・・まだ咲く前のつぼみからでも、こんなにいい匂いがするんだなぁってこのキンモクセイの木はさえりんの誕生記念樹。さえりんが生まれた年の秋に、市役所からのプレゼントで植えたもの。10年前家を建て替える時に、門の脇のこの場所に植え替えてもらい、すくすく大きくなって、今ではお隣さんの2階まで届いています。さえりんは「このキンモクセイの木は、私の木なんだー」って言っていつも、この時期に黄色い可愛い花が咲いて、いい匂いがするのをすごく楽しみにしてたっけ・・・今年もいつも通り、咲いてくれるんだね・・・ありがとう・・・さえりんもお空から見てるよ、きっと・・・さえりんは「どうして私の木はキンモクセイなの??」って聞いてきたことがあったね。私はなんて言ったっけ?たぶん「さえちゃんは、いい匂いがする素敵な女性になってほしいから」なんて言ったと思う(#^.^#) 確か・・・ちなみに隣に次女の誕生記念樹が。次女の木は、ナンテン。さえりんは「妹のはどうしてナンテンなの??」とも聞いてきました。これには意味があって、「ナンテンは『難を転ずる』って言われていて、災い転じて福となす。未熟児で小さく生まれた次女だけど、これをバネに大きく成長してほしいから」と答えました。次女の木の方が気持ちがこもっていて、さえりんにちょっと可哀そうなことしたかなって思ったけど、さえりんはそんなこと気にせずに、「私の木、キンモクセイで良かったー!!」って喜んでいたさえりん、いい匂いしてるのわかるかなぁ・・・今頃、また今年も咲いてくれるって、喜んでるよね・・・きっと・・・キンモクセイの近くで、ナンテンも大きくなりましたが、でも、いつまでもキンモクセイには追い付けない。やっぱり、さえりんはずーっと、お姉ちゃんだね。いつまでも・・・さえりん6歳、次女4歳の時さえりんの木、キンモクセイ次女の木、ナンテン どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。
2019年10月15日
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大型台風が各地で様々な被害をもたらしながら、通り過ぎて行きました。昨日は嵐の後の、雲ひとつない晴天(今日は曇雨ですが(>_<))日常のモヤモヤしたものまで、一緒に持って行ってくれたような爽やかさ!!キラキラ✨と見るもの全てが美しくみえる。風が心地いい感じ~久しぶりに近所を少しお散歩、気持ちいい♪台風のせいか、また心境が落ち込みがちだった私・・・青空のお陰で、少しずつ回復の兆しが・・・(*^_^*) 心にもリハビリがいるんだって・・・感じた。あの日、突然娘と一緒に、死んでしまった・・・私の心・・・ズタズタ、ボロボロになり、何も感じなくなった・・・もう、どうでもよくて、何もできなくて、死にたくなった・・・でも、体は死ねずに、心だけが死んだ・・・もう、今までの自分には戻れない・・・そう感じながらの、この4ヵ月余り・・・気が付けば、ブログをやっていた・・・毎日、毎日、自分の心と向き合い、パソコンと向き合っていた・・・いつか、娘の事を記録に残したいって思っていたが、まさか、こんなに早く実現するとは、思ってもいなかった・・・「何事も時期とタイミングがあるんだよ」って、meronさんが言ってた・・・私には今が、その時期だったのかなぁ・・・ 何が正しくて、何が間違っているなんて、誰にもわからない・・・ただ、ひとつ言えることは、元の自分にはもう戻れないけど、新しく生まれ変わった自分へと、一歩一歩、進んでいくしかない気がする・・・まだ、ひ弱で、傷つきやすく、壊れやすく、危なっかしいけど・・・心は自然に回復しょうと、前に進もうと、ゆっくりと動き始めている。人間って凄いなぁ、生きてるって凄いなぁって、思う・・・ブログをはじめて良かった事はたくさんある!!自分見つめができる事。頭と指の運動、ボケ防止。ストレス解消。(逆に疲れることもある)そして、何より良かったことは、自分以外のことに興味が持てたこと!!みなさんの温かいコメントに励まされ、救われたこと!!私は、独りぼっちじゃないんだって思えたこと!!今は外に出て、空を眺めたり、景色を見たり、花が綺麗って思えたり、急に飛んできたチョウチョが可愛く見えたり、鳥の声が聞こえたり・・・そんな毎日が愛おしいって、ようやく少しづつだけど思える✨・・・これも、みなさんのブログのお陰ですこうやって、ゆっくり、ゆっくり、ゆーっくりだけど、心境の浮き沈みを繰り返しながら・・・壊れてしまった自分の心を、紡いでいくこと、これが、心のリハビリかなって、思うんです!!そして、これはさえりんが私にくれた、貴重な時間・・・これからも、こうやって、ずーっと、さえりんと一緒に・・・ママは生きていくからね!!まだまだ、落ち込むときもあるけど、よろしくね!!さえりん5歳、次女3歳の時散歩してたら小鳥が水たまりで水浴びしていた(名前がわからない(>_<)) どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。昨日コメントくださった、宝ママさんへ娘さんのことお辛いですね。お察しいたします・・・宝ママさんは、今は職場復帰してみえるんですね。私はまだ仕事にも行けず、家で悶々としています。まだこれから裁判など控えていて、自分でもどうなるか不安です。コメントくださり、私も励まされました!!ありがとうございますこれからもよろしくお願いします。
2019年10月14日
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昨日は最強と言われる台風が来ましたみなさんの地域での被害状況はどうっだのでしょうか??まだ今真っ最中の地域、こらからのところもあると思います。どうか被害が少なく通り過ぎていくことを願っています!!我が家は有難いことにそれほどの被害はなく、仕事に出掛けた主人も、早めに無事に帰ってきて一安心です。しかし、テレビのニュースでは、川が氾濫し家や車が流される映像と、孤立してしまった家の人々の援助、救助活動が映し出され、「自分の命を守る最善の行動を!!」と呼びかけられています。そして、川を見に行った方が流されたと・・・毎日のように、事故、事件、災害などの様子や被害に遭った方の報道、ニュースが流れてきます。そんなこともあったんだ、大変だな、お気に毒にっていつも思っていた私・・・まさか、我が家の娘も、そんな数多くのニュースの中の一人になるなんて思いもせずに・・・そうなってみて、はじめて実感したのです!!ニュースの中の、お一人、お一人にも、家族がいて、友人がいて、同級生や、職場の人がいて、悲しみ泣いている人が、たくさんいることを・・・台風の思い出・・・こんなタイトルにしてしまいましたが、実はそれほどの被害に遭ったことはなく、大変な思いをされてみえる方には、ほんとうにごめんなさい・・・去年の9月だったでしょうか?この時期に台風が来たとき、やはり大きな被害が予想され、学校や会社、様々なお店などが、お休みや早く閉まりました。我が家も、次女は学校が休みになり、主人と私は職場が早く閉まり、早帰りに、そんな中、長女の働くお店だけが夜まで平常営業だったのです。その時の長女の「みんなズルいよ!!仕事は学校と違って暴風警報が出ても働くんだよ!!パパもママも仕事早く終わちゃって!!!」って、口を尖らせながら怒っていた顔を思い出しました・・・夜、閉店時間にさえりんを車でお迎えに行き、「最後までお仕事お疲れさま!!台風怖くなかった?」って聞くと、「ぜーんぜん大丈夫だったよ!!でもお客さんも荷物も来なくて、お掃除ばっかりしてたんだ」って笑う、さえりんの顔・・・一生懸命に仕事をする、さえりんの姿が浮かんできました・・・もう、あのお店に行っても、さえりんはどこにもいません・・・それでも、お店は何も変わらず営業している・・・もう、さえりんはこの世の中にいないのに、それでも、みんなは何も変わらず暮らしている・・・もう、この家にさえりんは帰って来ないのに、さえりんの部屋や大事にしていたものは、そのままになっている・・・使ってくれる人もいないのに・・・どんなに、どんなに待っても、帰って来てくれないのに・・・だめだ、台風を見ただけで、また思い出す・・・当たり前のように、さえりんがいたあの頃を・・・さえりんのことは一瞬たりとも忘れたことはない。そして、現実を受け止め、今もさえりんは、この家に私たちと一緒にいるんだって、固く信じている!!だけど、やっぱり淋しいよ・・・やっぱり、生きてるさえりんと話がしたいよ・・・さえりんをぎゅっと抱きしめたいよ・・・今は叶わぬ望みだけど・・・台風で家に引き籠っていたせいでしょうか??今日は心がナーバスです・・・とっても、とっても涙腺が弱いですさえりん7歳、次女5歳の時 どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。昨日コメントの中で、金子みすゞさんの詩のことを書いていただきました。「私と小鳥と鈴と」 金子みすゞ私は両手を広げても、お空は飛べないが飛べる小鳥は私のやうに、地べたを早くは走れない。私がからだをゆすっても、きれいな音はでないけど、あの鳴る鈴は私のやうに、たくさんの唄は知らないよ。鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。私も前から、この詩が大好きです!!みんな違う特徴を持っていて、それでみんな素晴らしいって私もほんとにそう思っています。私には、さえりんと次女の二人の娘がいて今の私という人間を、作ってもらってるんだって!!あらためてそう思えます。だから、私の中には、いつまでも、いつまでも、ずーっとさえりんが生きているんだって、また、思うことが出来ました。ありがとうございました
2019年10月13日
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よく「子は親の鏡」と言いますが、まさしく我が家はその通りだなぁって実感しています。長女のさえりんは、前にも書きましたが、まるでパパのコピー⁉のようですまず顔がそっくり!!ホクロが多いところも、色白なところも。食欲が旺盛で、ちょっとポチャとしているところも(^_-)-☆ぎゅっとハグすると、ふわっとしていてとっても気持ちがいい感じも性格も似ている!!穏やかで、包容力がある。長男、長女の器があり、家が大好き、家族思いなところも。人の意見に左右されず、自分の思った道を行くところも。ゲームが大好き、テレビが大好き、歌が上手なところも。(私は音痴(>_<))サービス精神が旺盛で、人のことを思える優しさも。ホント主人の良いとこばっかもらってる!!欠点を言えば、こだわりがあり、潔癖症なところくらいかな・・・(これは障害の特徴だから仕方ない)次女はというと、顔は主人にも私にも全然似ていない・・・(。´・ω・)?しいて言えば、お祖父ちゃん(舅)似かなと思います。だからか、次女はお祖父ちゃんっ子です。性格はというと、困ったことに私に似てしまいました・・・(≧▽≦)末っ子で甘え上手、要領がいい。(私は長女ですが・・・)出来なくても負けず嫌いで、猪突猛進。ちょっと危なっかしいのに、自分ではしっかりしてると思っている?お金なくても出かけるのが大好き、家でじっとしていられない。これ以上書くと悪口になるのでやめます・・・今週は特に忙しく、家に帰るのは毎日ほぼ11時過ぎ・・・何をしてるかと言うと、学校帰りにアルバイトが2回、サークルの人たちと食事会が1回、ライブを見に行くが2回(-。-)y-゜゜゜ホント家にいない子なんです・・・(≧▽≦)ちなみに土日もまたアルバイト三昧らしい。(台風でお客さん来るのかな?と思ったら土曜はお休みになった)決して次女をディスってるわけではありません( ^^) _U~~次女の甘え上手なところも、クールなところも、活発なところも、自分の夢に向かってひたすらに猪突猛進なところも、せーんぶ大好きだよ!!でも、次女を見てると、本当に私の鏡だなって思い当たる節が・・・(次女の方が私より、ましだと思うが)かつて、私も高校生の時からライブやコンサートに行く楽しみを見つけ、(次女は大学生になってから)そのうち、オートバイに乗る楽しみを見つけ、母親が早く結婚しろとうるさいので、家を出てアパート暮らしをし、(このとき主人に引っ越しを手伝ってもらい仲良くなる)そして、一年後に主人と結婚が決まり( ^ω^)・・・(出来婚ではありません)親から言わせれば、「お前はやりたい放題、好き勝手にやってきた!」だそうです・・・(≧▽≦)あーあ、次女の将来はどうなっちゃうんでしょうか???私みたいに危なっかしいのは、親としてはちょっと心配です・・・それでも私にとっての救世主は、主人とさえりん。いつも側にいて危なっかしい私を助けてくれます次女にもそんな相手が見つかればいいなって願うばかりです今はさえりんはいなくなってしまいましたが、私はいつもいつも、さえりんは私たちの側にいて、絶対に家族を守ってくれる存在になったんだと信じています!!頼むね、さえりん!!ママはさえりんのことが、一番大好きだよ今までも、これからも、ずっとずっと・・・・・ どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。
2019年10月12日
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水曜日に主人とドライブに行ったときは、楽しかったけど帰ってきたら、ドッと疲れた。久しぶりに人ごみに行ったからだろうか・・・やっぱりダメだなと、また落ち込んだ・・・昨日はNちゃんが仲間6人でのドライブに誘ってくれた。最初は行けるかもって思ったけど、やっぱりまだ、私にはハードルが高かった・・・一見元気そうに見えても、もう昔の私とは、全然違う今の自分・・・まだ、みんなとワイワイ楽しむまでには時間がかかりそうですNちゃんせっかく誘ってくれたのに、ごめんなさい・・・今日は主人のことを書きます。さえりんのこと、次女のこと、マロンのことに続いて、主人のことが最後になってしまいました(≧▽≦)主人は私より6歳年下です結婚したときは主人が23歳、私が29歳でした。最初に結婚することを私の両親に挨拶したとき、実家の父は主人に「6歳もおばさんだけどいいのか?返品されても困るから、やめるなら今のうちだよ」としかも、私は卵巣ガンもやっている。この先もどうなるかもわからない・・・こんなマイナスポイントばかりの私と、主人はよく結婚する気になったなぁと今でも主人の心の広さに感心・・・あれから20年数年、主人は、今は亡き義父との約束を守り???未だに返品せずに私を妻として置いてくれています私たちは幸運にも2人の娘を授かりました。長女のさえりんは主人に、顔も体系も性格?もそっくり!!次女は主人にも私にも似ていない??全然タイプも性格も違う2人の娘たちだけど、4人でワイワイ賑やかだったあの頃が、一番幸せだった・・・あの日までは・・・主人は、さえりんのことでひたすら苦しみ悲しむ私をいつも支えてくれる・・・事故の当日、さえりんの最後も姿を確認してくれたのも、さえりんの壊れたピンク色の自転車に、カバーを付けてくれたのも、主人だった!!事故後の様々な手続きも全部一緒にやってくれた。昨日も台風で、さえりんの自転車のカバーが飛ばされないように、ブルーシートとゴムを買ってきて頑丈に巻いてくれました。主人だって、さえりんが突然亡くなって、悲しくて、淋しくて、仕方ないはずなのに・・・やっぱり主人は凄いなぁ。私は頼って、甘えてばかり・・・本当にこんな奥さんでごめんね、だけど、ありがとう主人がいなかったら、私はさえりんと一緒に逝ってしまったかもしれない・・・今も、パソコンもネットもさっぱり解らない私が無謀にも、いきなりブログをはじめるにあたって、結局、主人に頼ってばかりこれからも、きっと思い付きで何かに突っ走る私のサポートしながら、応援し、責任を取ってくれるのは、いつも主人だよね。こんな妻ですが、これからもお願いします常滑セラモールのお店で、可愛かったので PHOTO,S さえパパ どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。みなさんの温かいコメント本当に嬉しいです!!お返事できないときもたくさんありますが、みなさんの優しさに支えられて、いつも心から感謝しています『さえりんの部屋』に来てくださるみなさんへいつも私のつたないブログ(日記)を見て下さり、本当にありがとうございます!!もしよろしければ、これからも応援よろしくおねがいします
2019年10月11日
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先日、少し心が病んでいた私を見て、昨日は仕事休みの主人が久しぶりに、ドライブ&お買い物に連れって行ってくれた。娘の事故以降、はじめてだった。私は、あれから家に引きこもりになり、美味しいものを食べたり、お出かけしたり、楽しいことをしてはいけないような、罪悪感に強く、苛まれていた・・・娘は突然、命を絶たれ、やりたいことも、行きたいところも、美味しいものも、未来も、希望も、全部無くなった・・・それなのに、私がそんなことをしてもいいのかと、自問自答した・・・まだまだ、その答えは出ていない・・・しかし最近、メロンさんや、他の被害者遺族の方々とお会いしてちょっとだけ、気持ちが軽くなった。自然に任せておけばいいのかなーってまだまだ、「おまけの人生を楽しむ」までには到底及ばないけど、こうじゃなきゃいけないとか、こんなことしちゃいけないではなく、もっと素直に、悲しいときは悲しい、嬉しいときは嬉しいって、自然に思ってもいいのかなぁって。だって私はまだ生きてるんだから・・・どんなに娘のところに行きたくても、生かされてしまっているんだから・・・そんな風に、少しだけ思えるようになれた。それでいいよね、さえりん!!さえりんのことはいつも思っているから、これからも、片時だって忘れることはないんだから・・・昨日は、主人と一緒に常滑市までドライブした家から1時間。目的はコストコ。出来てもう何年もたつのに、はじめて行った。それは、先日、「大学の先輩の下宿先で、コストコで買ったものをみんなでご馳走になったらとっても美味しかった。また買ってきてほしい」という、次女のリクエストがあったから。有料会員制の大量格安のスーパーで、わざわざそんなに遠くまで行かなくてもいいかなと思い、今まで行ったことがなかった。主人が「ドライブも兼ねて気晴らしに行ってみよう」と誘ってくれた。行ってみたら、ビックリ、こんな大きなカートで、何を買うんだろうと思いきや売っているものがぜーんぶデカい!!そこにみなさん溢れんばかりの大量お買い物。私ってやっぱり時代に乗り遅れてるのかな・・・って思った。それでも、次女に頼まれたものを次々カートに入れてたら結局、我が家も、大量お買い物に( ^ω^)・・・冷蔵庫にはいるかな(>_<)そして、帰りに隣の、めんたいパークちょっと寄り道。行きには、常滑焼き物卸団地 セラモールにちょっと寄り道、アウトレットで、かわいいお皿が安く買えた!!今日は暑いくらいの晴天、雲一つない青空。絶好のドライブ日和!!さえりんも一緒についてきてくれたよねセラモールで買ったアウトレットの食器コストコで買った食品コストコでのお昼ご飯めんたいパーク買ったものは全部、さえりんと次女の喜びそうなものばかり・・・買い物してても、景色を見てても、いつもさえりんと一緒に、来たかったなって・・・思うことばかり・・・やっぱりさえりんのことが頭から離れない・・・ どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。
2019年10月10日
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さえりんの事故の後、変わってしまったことはたくさんありますが、一番困ったことは、私の車の運転が出来なくなってしまったこと・・・私は3年前、車を買い替えるとき、当時高校3年生だった、さえりんがいつか運転免許を取った時、共有して乗ってもいいかなと、さえりんの好きな色の車を選びました。もちろん、可愛いピンク色!!車種は、軽自動車で自転車が積みやすい、NーBOX。(急に雨が降って娘たちのお迎えに行くとき自転車も積めるので)50歳近いおばさんにしては可愛すぎる車だったけど、さえりんも私も、とっても気に入っていたさえりんは結局、運転免許は取らなかったけど、いつも私のとなり、助手席に座った。そして、いつも私の運転を注意してしてくれた。「ママ、スピード出しすぎじゃない!!」「ママ、黄色は止まれだよ!!」「ママ、前、前。後ろの車にクラクション鳴らされちゃうよ!!」車線変更して道を譲ってもらったときなどは、必ず私と一緒に、さえりんも手を挙げて頭を下げた。運転はしていなかったが、私と一緒に運転しているみたいだった・・・さえりんは私の車に乗って、買い物やドライブするのが大好きだった・・・雨の日には、職場にも私が送り迎えした。毎日毎日、車に乗らない日はなかった。あの日までは・・・葬儀を終えた数日後、恐る恐る、自分の車の運転席に座って、エンジンをかけてみる・・・あれ、なんかおかしい・・・視界が曇る。私の涙だ・・・あれ、なんでさえりんがとなりに乗ってないんだろう・・・あれ、なんか苦しい、心臓の動機が激しい・・・あれ、足がガタガタ震える・・・あれ、どうやって動かすんだっけ、怖くて怖くて、前に進めない・・・もうダメだ。さえりんのいないこの車に乗ることなんて出来ない・・・そのまま、運転が出来なくなった・・・1ヵ月くらいたったある日、そのピンク色の車は、ディーラーの人に取りに来てもらい、車検に出した。その時、雨が降り次女が駅まで送ってほしいと言うので、久しぶりに台車の車を運転してみた。あれ、普通に運転できた!!乗れるんだ私・・・それから、私は主人の車も運転できることが分かり、今では主人と交換して、私が主人の車に、主人にはピンク色の車に乗ってもらっている。さえりんとの思い出深い、あのピンク色の車は我が家にとって、宝物!絶対に手放すことなんて出来ない。そんなことをしたら、さえりんが一番悲しむ・・・でも、私はまだ今は、運転席にも助手席にも後ろにも乗ることが出来ない・・・さえりんごめんね・・・今はパパが乗ってくれてるからね。あれから私たちは、運転するときの意識がものすごく変わった!!慎重にゆっくり、安全確認はしっかりと。特に歩行者や自転車には、細心の注意を払い、気を付けている。そして、横断歩道を横切るときは誰もいなくても、一旦停止し、徐行。法定速度を守り、思いやり運転。それでも、大型トラックが近くを通ると怖くて、ビクビクしています・・・もう二度と、さえりんのような、悲しい被害者は出してはいけない!!車は手軽で便利な乗り物だけど、ドライバーのハンドルを握る意識と責任次第で、自分の運命も、相手の運命も一瞬にして、変えてしまうのだから・・・どうか、みなさんにも安全運転をと、願うばかりです・・・ どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。
2019年10月09日
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季節はすっかり秋になり、涼しくなってきたので・・・またちょっと心が病んできました・・・この頃、目まぐるしく、状況が変わり、嬉しいこともありました真っ暗なトンネルの中でうずくまっていた頃に比べて、ずーっと先に光が見えてきたような、明るい兆しを感じています。と、同時に徐々に刑事裁判に向けての準備が着々と・・・何だか未知の世界へまた踏み込むときのような、得体の知れない恐怖感が・・・・・襲ってきます・・・・・ここで逃げてはいけません・・・ブログをはじめて、今日で22日目。分けも解らず、ただ目の前のパソコンに向かって、思いの丈をぶつけて突っ走ってきました。なんだか心も体も、疲れたなーって、感じです・・・ですので、今日はさえりんの話はお休みしますごめんなさい・・・こんなとき、さえりんにぎゅっとマッサージしてもらいたいな どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。12歳のさえりん 掛川花鳥園にて
2019年10月08日
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昨日メロンさんにお世話になって、初参加した場所とは、TAV交通死被害者の会、中部交流会です。メロンさんと電車で待ち合わせ、名古屋へ。久しぶりの都会で、ちょっと気後れしながら、地下鉄にも乗り会場へ。私はかなりの緊張・・・(人見知りなので・・・)それでもみなさんは温かく迎えて下さいましたみなさん私の先輩ばかりです。そして、言ってくださったのは、「よくここまでたどり着いたね。たとえ、情報を知って連絡をとってきても当日この場に来れない人も多いんだよ。ここまで来れただけでも大きな一歩だよ」と。私は、そうなんだと思いました。ある日突然、家族が事故に遭って、亡くなり、突然奈落の底に突き落とされる・・・そんな経験をされた方は、いばらの道を、傷だらけになって、血眼になって、通ることを余儀なくされる・・・そんな状態で這い上がるのは至難の業である。私は運が良かったのかもしれないと、はじめて思った。娘の事故の後、主人は仕事が忙しく1週間後には仕事へ。次女は大学の単位を落とせないため、葬儀の翌々日には大学へ。ひとりぽつーんと残された私は、さえりんに話しかけて、写真を見ては、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて・・・どれだけ、そんな日を過ごしたでしょうか・・・ふとある時、もの凄い不安に襲われる・・・これからどうやって生きていけばいいんだろうか?どうしてまだ私が生きているんだろうか?さえりんのいないこの世界に未来なんてあるんだろうか?不安・・・恐怖・・・絶望・・・罪悪感・・・で、押しつぶされそうになる・・・誰に聞けばいいのか、誰が答えを知っているんだろうか、その答えを見つけたくて、図書館へ、本屋へ、レンタル屋へ、でも見つからなかった・・・行きついたのはインターネット!(ほとんど使ったことはないが)むさぼるようにネット検索して、必死で探した・・・そして、やっと見つけたのが、メロンさんのブログ!!生まれてはじめてブログの人に恐る恐るメールを送った。メロンさんは、こんな私を大きな心で受け入れてくれました!!娘のことを忘れられたくない、なかった事になんてされたくない!!と訴える私に、ブログという未知の世界へといざなってくれたのです!そして、昨日はTAV中部交流会へ。もしメロンさんと出会っていなかったら、私は一人では絶対にたどり着けなかった場所。みなさん、キラキラ輝いていてとっても眩しかった!!メロンさんもそうですが、子供さんを亡くされた辛い思いを決して忘れず、しっかり胸に抱えながら、それでも今の人生を楽しんで一生懸命に生きている、そんな印象を受けました。メロンさんは「一度息子と共に死んで、今はおまけの人生だからね。おまけって楽しいのよ!」って凄いです!!尊敬しました!!「私もいつか、そんな人生を送れるようになる日が来るのかな・・・」って聞いたら「大丈夫、さえママはポジティブだから。さえちゃんを育てたお母さんだから」って、嬉しかった!!メロンさんありがとうございます私はどうして、こんなにいい人たちと出会えたんだろうって考えた。やっぱりさえりんだよね。私が泣いて、泣いて、苦しんでるのを見て、さえりんが出会わせてくれたんだよね。きっと・・・ママこっちだよ。ママは一人ぼっちじゃないんだよって。ありがとう、さえりんママは弱虫でまだ時どき泣いちゃうけど、前を向いて行くからね。まだまだこの先どうなっていくかはわからないけど、これからもママを応援してね!!『さえりんの部屋』は紗愛理がいつもいて、いつでも会える居場所にしたい!!そんな思いではじめました。私のつたない文章で、うまく伝わらないかも知れないけど、さえりんの性格そのままに、明るく、素直で、愛に溢れる、そんなブログに出来たらなって、思っています・・・だから、絵文字も使います。さえりんの写真も入れます。決してふざけているわけではありません!!ここへ来たら、さえりんに会える、温かくて、優しい気持ちになれるそんなふうになれたらと、願っています!!(今はまだ悲しいことの方が多いかもしれませんが・・・)いつもコメントをしてくださるみなさん、いつもさえりんの部屋を読んでくださるみなさん、本当に本当に、心から感謝しています!!!みなさんに支えられて、今も生きています。そして、さえりんもとっても喜んでいると思います どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。
2019年10月07日
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ときどきたまらなく寂しく、孤独を感じるときがある・・・なんでだろう・・・秋だからかな・・・涼しくなってくると、心が下がる・・・怖くて、不安で、悲しくて、自然に涙が出てくる・・・私には、主人も、次女もいるのに・・・両親も、マロンもいるのに・・・時々訪ねて来てくれる友達もいるのに・・・私たちは何も変わっていないのに・・・なんでだろう・・・さえりんだけがいない・・・どうしてだろう・・・こんなにこんなに、会いたいのに・・・どうして、もう二度と会えなくなっちゃったんだろう・・・さえりんが突然、交通事故でいなくなってから我が家では、変わってしまったこと、出来なくなってしまったことがたくさんあります・・・そのひとつが・・・晩ごはんです・・・暫くの間、私は晩ごはんを作れませんでした・・・1ヵ月間くらい・・・その間は何を食べていたのかあまり覚えていません・・・たぶんお弁当か、簡単に食べられるものを買ってきてたんだと思う・・・しかし、主人は娘の事故から1週間くらいで仕事に行き、次女もすぐに大学に行き始めていたので、お弁当だけは作れた・・・なぜだろう・・・疑問だった・・・そしたら主人が「今までもお弁当はさえりんに作ってなかったからだろう」って。あっそうか!!と、納得した・・・さえりんはいつもお昼はコンビニに行ったり、外食に行ったりして、自分で調達していた・・・その代わり、仕事から帰ってくると「今日晩ごはん何??」っていつも楽しみにしていた・・・だから、晩ごはんが作れないんだ!!キッチンに立つと妙に悲しくて虚しくてたまらなくなる・・・それは、「今日晩ごはん何??」って聞いてくれる人がいないから・・・美味しそうに、喜んで、たくさん食べてくれる人がいないから・・・張り合いがなくて、やりがいがなくて、生き甲斐がなくなった・・・そんな日が続いて・・・・・それでも今はちゃんと作れる(簡単なものばかりだけど)それは、さえりんのお仏壇に毎日お供えしてるから・・・今日はさえりんに何を食べさせてあげようかな?っていつも考えながら・・・そして、仕事から帰った主人は毎日、お仏壇にお供えしてあるさえりんのご飯の写真を撮る。我が家の新しい日課だ!!だから、また明日も作れる・・・ただ、カレーライスだけは作れない・・・事故の前の日、さえりんが「明日は仕事が早く終わるから、晩ごはんは私がカレーライスを作ってあげるからね」って、言ってたから・・・カレーライスはさえりんの得意料理だったから・・・さえりんのカレーライスはもう二度と食べれなくなってしまったから・・・それでも私たちはこうやって、家族で補い合って、支えあって、さえりんのいない生活を・・・これからもずーっと送っていくんだなって嬉しいけど、淋しい・・・こんな我が家に、「Nさんが朝、栗ご飯作ってくれたよ」ってYさんが朝から届けてくれました!ほんとうに嬉しいです!!Nさんご馳走様でしたさえりんにもあげましたよ!!(昨晩は栗ご飯、お好み焼き、野菜スープ) どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。今日は午後、電車に乗ってお出かけです!Mさんにお世話になって、ある場所に・・・初参加・・・とっても、とっても、緊張しています・・・
2019年10月06日
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昨日は月命日昨日の4回目の月命日には、義母(同居の姑)が2階のさえりんの仏壇をお参りして、一緒に泣いてくれました義母は「ごめんね、私はなんにもできなくて・・・」って言ってくれましたが、私には一緒に泣いてくれることこそ、一番嬉しかった!!遺品の自転車娘の遺品の中で、唯一持って帰れなかったのが、さえりんと最後まで一緒にいてくれた、お気に入りのピンク色の自転車。この自転車は高校を卒業し就職が決まった時、私と一緒に近くのイ〇ンサイクルで、さえりんが一目で気に入って買ったものです。家族からの就職祝いでした!!自転車での通勤がはじまり、毎日元気にさえりんと一緒に走る相棒でした。警察から遺品を引き取るとき、「自転車はどうしますか?」と聞かれ、一緒に大型トラックの下敷きになったのでかなり変形していると聞いていたので、とてもその時は見ることが出来ず、暫く警察で預かってもらうことにしたのです・・・その後も自転車のことはずっと気になっていました。さえりんの大事な愛車号だったから・・・気になりながらもどうすることも出来ずに3ヵ月が経ったある日、ふと思ったのです。9月11日(水)はさえりんの100か日。その時に自転車も一緒に自宅で、住職にお参りしてもらえないかと・・・そして、警察に電話をかけると、その日にすぐO警部が警察のワゴン車に自転車を積んで我が家まで運んでくれたのですしかし、私はやっぱり自転車を見ることが出来ず、駐車場で父と主人が自転車カバーとブルーシートで見えないように包んでくれました100か日当日、自転車の件は主人から住職にお願いしてもらいましたが、出来ないとお断りされてしまいました・・・どこにいけば事故に遭った自転車をお祓いしてくれるのか、未だにわかりませんが、100か日のとき、仏間のすぐ向こうのウッドデッキに自転車をおいて、私の心の中では自転車に「さえりんと一緒に成仏してね」とお祈りすることが出来ました!自転車は今もまだブルーシートに包んで我が家の自転車置き場に置いたままです。さえりんがいつも自転車を置いていた時と同じ位置に・・・裁判が全て終わるまでは、大事な証拠品になるかも知れないからです・・・さえりんと最後まで一緒にいてくれたピンク色の自転車。私の知らないことまで、ぜーんぶ見届けてくれた自転車に・・・「ありがとう痛かったね。お疲れさま」って言ってあげました どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。昨日の月命日は、朝、ユーチューブでお経を流して教本を辿って何とかお参りすることが出来ました昨日の午後は、私の友人のNちゃんが、「今日はさえちゃんの月命日だよね」ってタイ焼きを4個持ってお参りに来てくれました。覚えていてくれただけでも嬉しいに、仏壇の前で「さえちゃんの顔見たらまた泣けてきた。まるで自分の子供のように悲しかった」って言って泣いてくれたことが、一番嬉しかったよ!!Nちゃん、ほんとにありがとう
2019年10月05日
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今日はさえりんの4回目の月命日ですもう4回目、まだ4回目・・・・・こらからもずーっとこうやって、あの日からの月日を数えて生きていく・・・一生・・・決して忘れることなんてできない・・・言葉・・・人は言葉によって励まされもするし、無意識に傷つけられたりもする・・・悪気がないから仕方ない・・・しかし、悪気がないから余計に傷つけられるということもある。言葉の暴力、知っていたけど、実感したのははじめてかもしれない・・・友人の一人にこんなことを言われました・・・「人は生まれてくるときに自分はどんな人生を生きたいのか、人生のシナリオを自分で書いて生まれてくるんだよ」って・・・えっーーー、じゃあ今こうして娘が亡くなって、先が見えず途方にくれている・・・こんな人生のシナリオを私は自分で書いたの???これから楽しいことがたくさん待っている絶頂期に、突然、交通事故で命を奪われる・・・こんな人生のシナリオをさえりんは書いたの???ショックだった・・・実はその言葉は今も、ずーと心に引っ掛かっている・・・彼女は決して悪気があってそう言ったわけではない。それは、彼女の性格をよく知っているからわかる。しかし、今、私に、それ言う?????って思った・・・彼女の意図は解らないけど、もしかしたら何も知らなくて、ただただ悲しんでいる私を励ますつもりで、それは自分で書いたシナリオだからって教えてくれたのかも知れません・・・私も今まで、こうやって知らず知らずのうちに、良かれと思って発した言葉で、人を深く傷つけてしまっていたかもしれないなって思いましたもうひとつどうしても、納得できないのは、実家の母の言葉です・・・実家の母はまだ独身の弟二人と暮らしています。父は10年前に病気で亡くなっています。母は、さえりんが亡くなった時、「どうして、どうして、さえちゃんが・・・あんな優しい子なのに、ほんとうに天使になちゃって・・・」と悲しんでくれました。しかし、葬儀を終え暫くったある日、実家を訪ねると母は「だけどね、あなたが事故を起こして人を殺さなくて本当に良かった・・・さえちゃんが身代わりになってくれたんだね」と、言うのです!!私は腹が立って、母の言葉が許せませんでした「なんで、そんなことが言えるの!!私は娘が亡くなって人生でこんなに悲しいことはないのに!!このことで良かったなんてなにひとつない!!娘が事故で亡くなるくらいなら、私が事故で死ねばよかったんだ!!!」と、母に食って掛かりましたしかし、母はどうして私がそんなに怒るのかわかっていないようで、自分なりにこの出来事を前向きにとらえようとして、この結論を思いついたようでした。その後、母は会うたびに、「だけどね~・・・」と同じことを何度も何度も私に言うのです。我慢できなくなった私は、今、母と少し距離をおいています母は自分の娘の私のことを心配してこういう言葉を言ったんだと、良心的に考えればいいのかも知れませんが、今の私にはそんな余裕はありません・・・自分勝手に前向きな解釈をされるより、一緒に悲しんで、一緒に泣いてくれるほうがよっぽど嬉しいんです母には私のこういう気持ちはどんなに話をしても、きっと解ってもらえないんだと諦めています・・・私も自分がこういう立場になるまで、その人の心の痛みなんて想像はできても、心底解ってあげることは出来なかったのだから・・・これも仕方のないことと、諦めています・・・その一方で、家族、妹、友人、知人、新しく出会った方々、ブログで知り合った方たちの温かい言葉と、温かい心に支えられて、今は生きていられるのですそれも事実なんです最後の家族旅行 2019年3月 どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。
2019年10月04日
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弁護士問題私たち家族は今まで、裁判とか弁護士とか全く無縁の生活をしていました。あの日までは・・・今回この「二次被害のカテゴリ」で一番書きたかったのは実は、この弁護士の話です。事故から1週間くらいして、いきなり相手の運送会社の保険担当者が我が家に来ました。たぶん示談の話だと思うんですが、何もわからなかった私たちは、ただただどうしていいか解らず、主人が「今は話ができない」と言い帰ってもらいました。その頃から今後のことが不安でたまらなくなっていた私たち家族は、弁護士さんを頼もうと考えていました。そこで地域の弁護士会主催の無料相談に予約して、二度ほど違う弁護士さんに相談に行きましたが、どちらの方もあまりやりたくなさそうな感じ・・・「まあ他に頼む人がいなければ引き受けてもいいですが・・」みたいな雰囲気・・そんなに嫌々なら、頼む気にもなれません。そして、アドバイスもらったのは「私たちの車の任意保険に弁護士費用特約が付いていないか。そこから保険会社を通して頼んだほうがいい」ということでした。早速調べてみると、付いていました!私の車に、弁護士費用特約300万円まで!!電話をかけて保険会社に問い合わせると、最初は、私の車での事故でなければ使えませんと簡単に断られた・・・諦めようと思ったけど、もう一回主人にかけてもらうと、なんと「使えます」とOKでした!! 何ででしょうか???とりあえず、その保険会社から交通事故に詳しい弁護士さんをお願いしました。すぐに見つかりましたと電話がきて、早速その弁護士事務所に主人と二人で相談に行きました。40代初めくらいで落ち着いてみえ感じ良さそうなそのK弁護士は、「僕がやりますよ。安心してください」とすぐに引き受けてくれました。そして、その場で金額や様々な説明聞いて、委任契約書にサインしました。しかし、着手金がなんと150万円!!!高いとは聞いていたけど、こんなにするの弁護士費用って???あと成功報酬がその5~6倍??? いったいいくら???気が遠くなるような金額・・・しかし、k弁護士はにこにこしながら、「大丈夫ですよ。相手が悪いんだからたくさん取りましょう」と。なんか違うかなと感じつつ、やっと私たちの味方になってくれる弁護士が見つかったと安堵し、高いけど保険で支払ってくれるからと、言い聞かせて帰ってきたのです。その後すぐに保険会社から、弁護士報酬の一部を支払いましたという、通知がきました。金額は消費税込みで162万円!!!ビックリですそれからk弁護士は相手の保険会社と運送会社と警察に、「僕がさえりさんの弁護士になりました」という内容の手紙を3通送っただけです。k弁護士は、うちに一度さえりさんの仏壇に手を合わせたいのでと言うので、我が家へ来てくれました。車で40分くらいです。しかし、それからまたすぐ保険会社から通知が来たのです。弁護士費用を支払いました、10800円!!!えーーこれは着手金とは別なんですか???その後、交通事故に詳しい方と知り合うことが出来て、このことを相談しました。その方に書類を見てもらうと委任契約書に「民事交渉を請け負う」と書いてあったことがわかりました・・・私たちは全くの無知で、弁護士ならもちろん刑事裁判で相手に刑罰をと、こちら側に立って戦ってくれるものと思っていました。しかし、k弁護士は違ったのです。そういえば最初に「ついでに刑事裁判もやってもいいですよ。まあ大抵は出向猶予がついて実刑は難しいですが、だから民事でお金取りましょう」みたいな言い方を、さらっとされたような気がしました。私たちが望むことは、お金ではありません!!相手の運転手に罪を反省し、しかるべき処罰をきちっと受けてもらいたい!!そうでなければ交通死亡事故は、絶対に減らないのです!!翌日早速、保険会社に連絡しK弁護士を解任することにしましたk弁護士も悪い人ではなかったかも知れませんが・・・たぶん・・・きっと・・・(やっぱり私はバカでお人好しなのかな・・・)私たちの意向とは全く食い違っていたのです!!そんなことも気付かず安易に頼んだ私たちがいけなかったのですあとお金がいくら戻って来るかの交渉は保険会社に依頼し、私たちは同じ気持ちで共に戦ってくれる弁護士をまた探すことになりました。弁護士さんでも得意、不得意があり、みんなが刑事裁判をやれるんではないんだと初めて知りました!勉強になりました・・・その後すぐにある方からのご紹介で、N弁護士を紹介してもらいました。最初に会った時、N弁護士は「この事案は必ず実刑をとらんといかん事故だ。地域によって差があるから油断は出来ないが、一緒に戦っていこう!」と言ってくださいました!!ようやく私たちも求めていた弁護士さんと出会うことが出来た気がしましたしかも、着手金は驚くほどの安さでした(これが普通かもしれませんが・・・)戦いはまだまだこれからです!!さえりんのため、さえりんの願いを叶えるため、パパとママは頑張るからね!!お空から応援してね・・・さえりん!!! つづく・・・ どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。
2019年10月03日
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7月24日(水)警察 事情聴取事故から約2か月後、警察から調書を取るからと呼び出しがあり、主人と二人で出かけました。担当は若い警察官Kさん。まずはじめに事故の場所と時間を言われましたが、ここでも間違えて、私たちは腹が立ったが、冷静に正した。kさんは、警察用の事故の写真が載った書類をいきなり見せられた。そこには大きな青いトラックと、下敷きになって曲がったピンク色の自転車が映っていた。私は心の準備が出来ていなかったので、とっさに目をそらせた・・・さらにKさんは、「事故のとき運転手は、娘の存在に全然気付かず、轢いてから声が聞こえて気付いた」と供述していると言いました。私は頭が真っ白になりました・・・そして、「娘に過失はなかったですよね」と私が聞くと、Kさんは「横断歩道は歩行者も自転車も気を付けなければならないので、一概に車だけが悪いとは言えません」と言わた。私はカッとして「娘はあと少しで青信号の横断歩道を渡れるところだったのに、突然猛スピードでトラックが左折してきたらどうやって防げって言うんですか!!」と声が大きくなったしかし、Kさんは「あくまでも一般的に警察ではそう言っています」と意見を譲らず、もうこの人とは何も話したくないと思いました・・・その様子を察した主人が「もう帰ろう!Kさんでは話にならない。事故の時間と場所もまた間違えて、警察は謝罪一つしない。そのお蔭でこっちはどれだけ大変だったとと思ってるんだ!!」と机を叩いて怒りましたそして、二人で帰ってきてしまいました一週間後、今度は上司の警部Oさんが調書を取ってくれ、2時間くらいかかって無事、私たち両親の気持ちを話し二人分の調書を作ってくれました。そして、交通課受付に2つのカゴが飾ってあるのを発見しました。そのカゴは、さえりんが作ったものです!!中に可愛い花と植物が入っていました。これは警部Oさんが、警察で洗ってもらった遺品の服を届けに来てくれた時に、私が差し上げたものです。それを「Kさんがこうして可愛く飾ってくれたんだ」と教えてくれました。実は遺品の血まみれの服を手洗いしてくれたのもKさんだったそうです。私たちはKさんに申し訳ないことをしたと謝りました私たちはその頃、気が病んでいて正常な判断ができませんでした。Kさんは警察官として正しいことを言っただけです。しかし、私たちにはその言葉が受け入れられませんでした・・・これが被害者遺族の現実なんだとはじめて感じました。そして、これからもっともっとたくさんの現実が待っているんだと知ったのです・・・9月9日(月)検察庁へ書類が送致こらから検察庁で審査され、運転手が起訴されるか、不起訴になるかが決まります。私たちは、裁判で被害者遺族参加を希望しています!!この先はまだどうなるかは分かりませんが、その都度ブログに書いていきます。理不尽なこと、納得が出来ないこと、悔しいことなどたくさんあると思いますが、ぜーんぶ隠さずさらけ出していくつもりです つづく・・・ どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますさえりんのドレス姿(お菓子の城にて)よろしければ応援お願いします。
2019年10月02日
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二次被害二次被害とは事件、事故、災害が起こった際にそれに脈生して起こる様々な被害のこと。その事件、事故がなかったら起こらなかったであろう出来事も含めてそう呼ぶとしたら、私たちもたくさん受けてきました。そして、まだまだこれからたくさん受けることになると思うのです。事故の後まず最初に直面したのは、様々な、死亡手続き・・・ご家族を亡くされた方ならどなたも経験されることだと思います。さまざまな窓口に行ってその都度「娘が亡くなりました」と言いたくもないのに言わなければいけない辛さ、そして、その都度相手は一瞬止まって「そうですか・・・」と急に重い空気と丁寧な対応。有難いけど、心苦しい、何故こんなことしなきゃいけないのって何度思ったことか・・・最初は事故の翌日警察に言われて、病院に「死体検案書」を主人と取りに行った。その書類には死亡診断書に2重線がわざわざ引かれ、(死体検案書)になっていた。死亡ではなく死体・・・ショックだった・・・病院で亡くならず、道路で即死したからだろうか・・・そんな中お会計は約2万5千円・・・ショックなうえに高額・・・倒れそうになった警察へ行き、遺品受渡し書類を何枚も書いて、主人と私はDNA鑑定。もう娘だと分かっているのに、これってやる意味あるの???その後、事故証明書の取り寄せ、市役所には何度も行き、娘の職場の退職手続き、年金事務所、療育手帳返還の手続き、銀行の解約手続き、保険の手続き、・・・などなど、これも娘が未成年ではなく成人していたから大変だったらしいしかも、警察の手違いで死亡場所の住所と時間が間違えて記載されていたため、死体検案書、死亡届の取り直しに・・・それにまつわる書類もやり直しに・・・警察からはお詫びの連絡ひとつなく、病院経由で市役所に連絡が入り、市役所か知らされた・・・こんな酷いことってある???生命保険には何も入ってなかった。まさかこんなことになるなんて思ってもなかったし、思いたくもなかったから・・・ひとつだけあった!「自転車安心パック」自転車を購入したとき、3年間の盗難保険に入った。その盗難保険におまけでついていた死亡保険100万円。証書の裏に事故から1か月以内に連絡なければ無効と書いてあり、見つけたのはちょうど一か月になる7月4日、もう夜だったけどダメもとで電話したら出てくれて手続き出来ることにしかし、送られてきた書類には事故の詳しい状況や見取り図まで書かなくてはならず、かなり辛い作業となった・・・「脳挫傷のため即死」と書くのに手が震えた・・・主人と一緒に休日のたびに走り回り、一通り終わるまで2か月以上かかりました。ただでさえ悲しいのに辛くて耐えられないのに、何でこんなに被害者遺族がたいへんな思いをしなくっちゃいけないの???加害者の運転手は逮捕されたが翌日には釈放され普通の生活をしているのに、こんな理不尽で不公平なことってあるの???加害者の人権は守られ、命を奪われた被害者の人権、人生は誰が守ってくれるの???これからさらに警察の事情聴取、書類送致、弁護士問題、刑事裁判へとつづく・・・ どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。昨日は友人Yさんがうちに来てくれた交通死亡事故の加害者の罪の軽さ、被害者の理不尽さをたくさん聞いて共感してくれてありがとう葬儀の後一番先に我が家に来てくれたのはYさんでした。誰もが躊躇する中、あなたの行動力と人を想う心の強さを尊敬しています!!昨日のブログのコメントに「同級生のMさん」からのメッセージを見つけてすごーく嬉しかったです!!!ニュースを見てびっくりしてお通夜に駆け込んできてくれて、告別式には大きなお花を抱えて来てくれてほんとうに嬉しかったです!!さえりんのこと覚えていてくれて本当にありがとう「さえりのこと忘れない」って言ってくれて本当にありがとうもしよかったら、いつでも家へさえりんに会いに来てやってねブログで知り合った方々からの応援コメント・・・みんなみんなみーんな優しい人ばかり・・・人の心の温かさに支えられて今、生きています・・・感謝・・・今日のマロン
2019年10月01日
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昨日は友人Mさんのお母さまのお通夜に行ってきました。あの日以来のイ〇モ葬祭・・・Yちゃんが車で迎えに来てくれて、式場へ。スタッフのTさんが「体調が悪くなったらこっちの控室使っていいからね」と心使いがありがたい。受付してた友人Yさんが小声で「さえりんの部屋見てるよー」って、照れくさかったけど嬉しい・・・通夜式は神道だったため、仏式と違って焼香もなく、玉串奉奠でした。私は神式は初体験でしたが、とても厳かでした。曾孫さんお孫さんがたくさんいらして時々声がして、親戚の方が大勢みえて、最後のMさんのお父さんの喪主ご挨拶に胸がジーンときて、温かい式でした。心配していたメンタルも大丈夫で、帰りに何人かの知り合いの方、友人が声をかけてくださり、OTさんも「さえりんの部屋応援してるよ」って、Yちゃんもずっと側にいてくれて、こうなってみて改めて人の優しさが身に染みました願い・・・私の願いはただ一つ、さえりん帰ってきてほしい!!さえりんも一緒です。この世に帰りたい!!そう願っています、絶対に!!さえりんが亡くなって良かった事なんてひとつもありませんただひとつ、せめてもの良かったことは、成人式ができたこと。さえりんは振袖を自分が働いたお金で買いました。親に世話をかけないように、妹の学費にお金がかかるだろうからと。さえりんは、「振袖は私が一回着たら、あとは(2歳年下の)妹にあげるね、妹のほうが成人式のほかに大学の卒業式や友達の結婚式で着れるから」って言ってくれました。そして振袖を選ぶとき妹も一緒に気に入ったものを買ってくれたんです。私は棺の中に振袖も入れてあげようかと思いました。しかし、この言葉を思い出し、これはさえりんが願ったことだから・・・と思い、振袖はやめて、髪飾りと指輪だけをさえりんと一緒に入れたのです。せっかくの晴れ姿を見れて本当に良かったそして、写真館ではじめての家族写真撮っておいて本当に本当に良かった!!次女が「私の成人式にはお姉ちゃんいないんだね・・・」って淋しそうに言うので、「何言ってんの、ママが遺影を持って映るから、これからもずっとずっと4人家族だよ!!」って言いました。そして、もうひとつのさえりんの願いは、交通死亡事故を無くすこと!!事故の一週間くらい前、さえりんが急に私に「ねえママ、〇〇県はどうして交通死亡事故がいつもワーストワンなの?」って悲しそうに聞いてきました私はまともな答えが言えませんでした。情けなくて、悔しいです・・・さえりんは何が言いたかったのでしょう・・・自分が事故に遭う予知能力が働いたのでしょう??誰かが事故に遭い亡くなることが辛く耐えられなかったんでしょうか??それとも、私の危なっかしい車の運転を警告するためだったんでしょうか??今となっては後の祭りです・・・私はさえりんが事故に遭ってはじめて、交通死亡事故は人災なんだと思いました!!それは、運転手一人一人の心がけ次第で無くすことが出来るものだと。さえりんの場合も、もし運転手がもっと注意してゆっくり交差点を左折していれば、たとえ自転車が渡っていることに気が付かなかったとしてぶつかってしまっても、こんな酷い状態で即死することはなかった!!自転車が倒れて足をひくくらいだった。そして病院に運ばれて、まだ生きていたに違いない!!相当なスピードが出ていたから、足ではなく、いきなり頭を直撃してしまったんだと推測できる。これは、日頃の危険意識がしっかり出来ていれば防げる死亡事故だった!!それを運転手は怠った!!日々これだけ車が走っていれば、残念ながら交通事故な起こってしまうかも知れません。しかし、運転手が危険意識をしっかり持ち、思いやり運転を心がけていれば、必ず死亡事故は減らせるはずです!!!私はそう確信しています!!!私がこのブログをはじめた理由も、ひとつはさえりんのことをたくさんの人に知ってもらうことで交通死亡事故を減らしたい!!それは、さえりんの願いだから・・・もうひとつは、さえりんのことを覚えていてほしい!!人はみんなの記憶から消えたとき二度目に死ぬのだから・・・そして、ブログをやって良かったことは、ネットを通じてたくさんの方と知り合えたこと!!今までの友達とも、ネットを通じて繋がっていると感じられることです!!これもさえりんの、「ママに前を向いて生きて行ってほしい」っていう願いかも知れません どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。
2019年09月30日
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今日は朝から、緊張いっぱいです娘の事故以来、一人であまり出歩くことなく外出はお墓参りと買い物とたまに隣の市の図書館に行くぐらいで、あとは家でひっそり暮らしていた私が、今日は二つも用事があるんです。一つは被害者サポートセンターへ午前中に、もう一つは友人のお母さまが昨日お亡くなりになったと訃報をうけてお通夜へ行こうと思っているんです。しかも、場所は娘の葬儀をしていただいたあの市内のイ〇モ葬祭・・・精神的に耐えられるかとっても不安ですだけど、娘のときにはその友人Mさんはお母さまがその日に入院されたにも関わらず、お通夜にご主人さんが、告別式にはMさんがお忙しい中来てくだっさたのです、行かないわけにはいきません。さっきラインして、Yちゃんに一緒に行ってもらうことになり、一安心です・・・後悔・・・私はこの言葉が大嫌いです。後悔するような人生だけは送りたくないとずっと思っていました。しかし、今は後悔ばかりです・・・・・自分でもどうしてこんなことになってしまったんだろうかと、理由がわかりません。・娘の事故の当日、私は仕事が休みでした。しかし、朝慌ててさえりんより先に家を出たため、さえりんに「今日ママは仕事がお休みだよ」と、伝えられませんでしたもし、あの時伝えていたら、さえりんは絶対にあの道は通らずに家に真っ直ぐ帰ってきて、私と一緒にお昼ご飯を食べに行ったに違いありませんあの日に限ってどうして伝えていなかったんだろ・・・悔やんでも、悔やんでも、悔やみきれません。 ・娘はいつも朝から夜までの一日仕事なのに、あの日に限って久しぶりの早上がり(半日仕事)だったんだろう。そして、私はそのことをすっかり忘れて 事故から2時間たって警察から電話をもらうまで、帰ってこないことにすら気づいていなかったんです・・・親ならば娘が大変な事故に遭って苦しんでいるとき、なんらかの予感でもなんでも感じることが何故できなかったんだろうか・・・なんて薄情な親なんだろう・・・・出勤前、どうして「車に気を付けてね!」って、お見送りしてあげなっかたんだろう・・・その日、人と会うことを優先し、先に家を出てしまったことが、本当に悔しい・・・手を振って笑顔でお見送りしてあげてたら、違う結果になったにではないかと、自分を責める。・なぜあんなトラックに、娘は出会ってしまったんだろう・・・さえりんはただ青信号の横断歩道を自転車で渡っていただけなのに・・・もし1分、1秒時間がずれていれば、ただすれ違うだけだったはずなのに・・・どうして運転手は前方確認もしないで、左折したんだろう・・・慣れになっていたのか、運転に自信があり過信したのか!!危険予測すらしなかったのか!・いくら女性でもプロのドライバーとして左側が見えなかったでは、許されるはずがない!!そんな運転手にトラックにも乗用車にも乗る資格はない!!運送会社はどうしてそんなドライバーを雇ったのか!!この責任はいったい誰がとってくれるのか!!!どうしてもっとスピード落として左折してくれなかったのか、すぐ止まれば即死になんてならなかったのに!!!たとえ怪我をして、入院してもいいからもっとさえりんのお世話がしたかった!!!なんにもいらないから、さえりんを返してほしい!!!!!・運転手も運送会社も、葬儀後なんの謝罪も連絡すらない娘の命をいったい何と思っているんだ!!もし自分の大事な子供だったらと想像すら出来ないんだろうか。もし知らない人でも、みんな誰かの大事な人です!!突然いなくなったら悲しむ人がたくさんたくさんいるんです!!!他人のことなんて関係ないなんて思わないでほしい。もし、本当に申し訳ないという気持ちが少しでもあるなら、何故謝罪に来ないのか・・・たった一日で釈放されたのに、誠意のカケラも見えない運転手に人としての責任は最低でも果たしてもらいたい!!必ず実刑は受けてもらたい!!!もう二度とこんな悲惨な交通死亡事故は起きてほしくない!!!・さえりんとの時間がこんなに短いと分かっていれば・・・もっと楽しい旅行がしたかった・・・もっと美味しいものを一緒に食べたかった・・・もっとたくさん話がしたかった・・・もっとずっと側にいたかった・・・もっとマッサージをしてもらえば良かった・・・もっともっと大好きだよっていってあげれば良かった・・・もっともっとぎゅっと抱きしめてあげれば良かった・・・・私は娘たちを、命に代えても必ず守ると誓ったのに・・・次女を出産したとき、この先何があろうとも、二人の娘は必ず守ると誓いました。それなのに、さえりんはたった一人で10トントラックの下敷きになり、無念の即死をしてしまいました。どんなに痛かったことでしょう・・・どんなに苦しかったことでしょう・・・どんなに怖かったでしょう・・・どんなに淋しかったでしょう・・・どんなにもっともっと生きたかったことでしょう・・・この先にはもっともっと楽しいことがいっぱいいっぱいあったのに!!!後悔しても、後悔しても、もうどうにもならないことばかりです どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。今日はちょっと感情的で過激になってしまいましたごめんなさい・・・こんなママを許してね・・・さえりん2回目でしたがサポートセンターの方は優しい方ばかりでした
2019年09月29日
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私は「逆縁」という言葉の意味ををはじめて知りました「逆縁」とは、順当に反した法事。年長者が年少者の、親が子の供養をすること。何事もなく人生を過ごせたのであれば、親が先に亡くなり、その後に子が亡くなるというのが一般的な順序、その順番が逆になるということ。こんな言葉は一生、知らないままでよかった・・・こんなふうにだけはなりたくなかった・・・娘がお世話になったイ〇モ葬祭は我が家の近くの国道沿いにあるきれいな建物です。そこは数年前まではチャペルがある結婚式場でした。まだ娘が小さかった頃たまたまそこを通りかかると、結婚式が行われており、チャペルの階段から降りてくるウエディングドレスの花嫁を見た娘は「きれいー」って喜んでいました。それで、いつか娘が大人になったらこんなふうに結婚式が挙げられたらいいなって憧れていました。そこが葬儀場になり娘がこんなに早くお世話になると決まった時、主人が「葬儀ではなく結婚式のように見送ってやろう」って言ってくれたんです。私たちがムービーシアターや写真をパネルに飾ったのもそのためです。私たちはこんな辛く悲しい現実をいきなり突き付けられて、何かしていないと正常ではいられない、気が狂いそうだったのです・・・娘の葬儀・告別式6月8日(土)11時から12時9時半 家族、親戚が式場へ到着昨夜あまりのショックから体調が悪くなり通夜には出席できなかった母(姑)も今日は頑張ってきてくれた。10時 さえりん、主人、私スタンバイ!昨日に引き続き受付をやってくれる友人3人もスタンバイ!主人と私は昨夜同様に玄関ロビーでご挨拶をしお出迎え。さえりんの後輩の男の子Y君が一番のりで自転車に乗ってスーツでびしっと決めて一人で香典持ってやってきた。中学生の時から知っている子なので、随分おとなになったなぁって微笑ましく思った。続々と参列してくださる方々がみえた。もう一人の後輩Tくんのお母さんが「さえりんはおり紙がとっても上手でいつも折っていたから」とおり紙を持ってきて、ロビーで待っていた人たちにも勧めてみんなで折鶴を折ってくれた。小学校のときの友達が大きな花束やさえりんの大好きなシナモンのぬいぐるみを持ってきてくれて祭壇に飾る。11時 告別式がはじまる、席は満席、後ろにも立っている人がいっぱいに。静粛で泣いている人がたくさんいるのに、どこか温かい感じを受けたのはさえりんの人柄だったんだろうか・・・主人が最後に喪主の挨拶をする。カンペを見ながらだったけど、感情がこもっていてみんな号泣に通夜・告別式の様子はぜーんぶ私の弟がデジカメの動画で撮影してくれた。お疲れさまー・・・12時 出棺 最後にみんながお花と折鶴を棺に入れてくれたさえりんはまるで眠っているようだったけど、お花や折り紙でいっぱいになりなんだか照れ臭そうで、嬉しそうに感じた・・・主人が位牌、私が遺影、次女が骨壺を持って先に、そのあとをさえりんの棺が家族と親戚の男の人たちに担いでもらい式場の外へ(かなり重かったらしい・・・)車が出発するとき、「さえちゃんありがとー」ってみんなで言ってくれた主人と私はさえりんと一緒に霊柩車へ、あとの家族と親戚はバスに乗って火葬場へ。12時30分 火葬場到着 職員の方たちが外で立って待っていてくれた。いよいよさえりんと最後のお別れになったとき、クラクラして立っていられなくなった・・・ほんとうに最後のお別れなんだって厳しい現実が急に押し寄せてきた・・・私たちの市の火葬場には待合室がないので一度葬儀場へ戻った。Tさんたちスタッフがお昼の準備をして待っていてくれた。Tさんの顔を見たらほっとして我に帰り、ご飯を食べることが出来た。そして、再び火葬場へお骨を拾いに行った。さえりんの骨は大きくてとってもしっかりしていた。10年前の実家の父のときの病死で小さくなった骨とは全く違っていた。さえりんはまだまだ死んではいけなかったんだと強く思った!!持ってきた骨壺はすぐにいっぱいになり、終了となった。私は「この残った骨はどうするんですか?」と訊ねた。すると職員が「こちらで葬ります」と言われ、私は「嫌です!全部持って帰ります!!」と駄々をこねた。仕方なく職員が予備の骨箱を持ってきて全部残らず拾って入れてくれた。大きな骨壺が2つと喉仏1つの計3つになった。私は、こんなところにさえりんを一人で置いていくなんて、絶対に我慢できなかった・・・15時頃 葬儀場で初七日法要~精進落としすべて終わったのは17時頃最後までスタッフの方々は丁寧で心を込めて送って下さいました。私は全く何もわからず、突然で不安しかなかったんですが、Tさんが優しく側にいてくれて、ほんとうに心強くて助かりました・・・イ〇モ葬祭でさえりんのお別れが出来て本当に良かったです!!参列してくださった大勢のみなさんにもありがとうございましたと心からお礼が言いたいです!! どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。今日ははじめて、大学のレポートを書く次女と一緒に、隣の市の図書館でブログ書きました。外で書くと集中できていつもより早く書けました出勤前の忙しい時間にネットの接続の仕方を教えてくれた主人に感謝です
2019年09月28日
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さえりんが夢に出てきたさえりんのことは一瞬たりとも忘れたことはありませんが、夢にはなかなか出てきてはくれませんでした。今朝は、さえりんがたくさんのお友達と一緒にゲームをしていました!!笑っていてとても楽しそうでしたなんて言ったか忘れてしまいましたが、私も嬉しくなりましたこの世で私が誰かと繋がれば、あの世でも繋がるって聞いたからかも知れません!!私がネットを通じて知り合えた方々の大切な人と、あの世でさえりんが友達になってゲームをして一緒に遊んでもらっていたらいいなぁっていう、私の願望だったかも知れません( ^ω^)・・・今日は娘の通夜のことを書きます。6月7日(金)18時から 通夜 イ〇モ葬祭にて16時、主人と私も会場へ到着。さえりんは一足早く、控室で待っていました。主人と私は持ってきた特大の写真パネルを2枚飾り、お借りしたテレビをモニターに主人が心を込めて作ったムービーシアター(曲入りのスライド写真)を流して、さえりんの大好きだった、シナモンのぬいぐるみ、さえりんのお得意の手作りカゴ、成人式のときの家族写真、いつもやっていたDSなどを、ロビーのスペースに飾らせてもらいました!写真パネル2枚は次女と一緒に、さえりんとの思い出に浸りながら一晩かけて作りました。私たちはさえりんを葬儀ではなく結婚式のように送り出してやりたかったのです祭壇はさえりんらしくピンク色のお花で可愛く飾りたいという私の意向をくんで、スタッフの方々が素敵なものに仕上げてくださいました!!最初は父が家族葬でひっそりやったほうがいいんじゃないかと言っていたのですが、葬儀場のスタッフでもある友人のTさんに相談したところ、「椅子の数は少なめでも多くてもどのようにでもなるので、お部屋だけは一番大きなお部屋がいいですよ。若いしお友達がたくさん見えると思いますよ」とアドバイスをくださりこのような形になったのです。Tさんがその日スタッフの一員として入ってくださり、何より心強かったです17時、さえりん式場へスタンバイ!家族と私の実家の母、弟二人、隣県に住む妹、親戚の方も来てくださり、私たちもスタンバイ!しかし、母(姑)だけはあまりのショックで体調を崩し通夜に来ることが叶いませんでした。Tさんが受付を、当初妹と弟に頼んでいたのを、それでは式に参加できないからと、私の友人3人に頼んでくれました。こういうさり気ない心使いのひとつひとつがほんとうに有難かったです徐々に参列してくださる方々が来てくださり、主人と私は入り口でおひとりおひとりお礼のご挨拶をしました。さえりんの高校、中学、小学校のときの先生方、同級生、後輩、お母さま方、近所の方々、職場の方々(仕事が終わってから夜遅くに来られた方々も)、主人の会社関係の方々、私の友人達、私の職場の方々、次女の友達、続々と来てくださり気づけば200人近い人たちが、さえりんとのお別れに来てくださったんです!!中には小学生以来会っていなかった子が、テレビのニュースで見たからと駆け付けてきてくれた子も。そして、さえりんがずっと会いたいって言っていた、中学校の三年間担任をしてくださった先生、小学校一年生のときからお世話になった先生、高校の最後の担任の先生はわざわざ他県から・・・この日さえりんが会いたかった人が全員来てくださり、もし生きていたらどんなに喜んだことでしょう・・・18時、通夜は30分くらいで終わったでしょうか、そのあと最後に主人が喪主の挨拶をして「みなさんお時間の許される方は紗愛理の顔を見に来てやってください」と言うと殆どの方が残って、さえりんとのお別れをするため長蛇の列ができました。主人はそのお一人お一人に丁寧に、事故の状況やエンバーミングしてもらって綺麗に復元してもらったこと、しかし眼球は復元できずにガーゼをかけていることなどを説明し、2時間くらいみなさんと涙ながらに語らいあっていましたその後も続々と、お仕事が終わってから見えた方々、学校が終わってから見えた方の対応をして、さえりんと主人と私が一息つけたのは10時頃でした・・・その日は、葬儀場の控室で、さえりんと主人と私と次女の4人で泊りました。つい2か月少し前、家族旅行に行った時のようでした。だだしさえりんだけは立派な棺に入っていましたが・・・当初、あまり人が来てくれないかも知れないから家族葬でと思っていたのに、こんなにもたくさんの方々がさえりんとお別れに来てくださったこと、心から感謝しましたやっぱりさえりんの人徳なのかな?それとも出会った方々がみんな優しい方々ばかりだったからかなほんとうに有難くて、有難くて心が震えました・・・いよいよ明日は葬儀。テンションがおかしくなっているのかあまり寝ていないのに、疲れを感じない・・・現実ではなくまるで夢を見ているようでした・・・ どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。この頃悲しいことばかり書いているので最後に癒し・・・マロンです
2019年09月27日
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さえりんが来た!!パパが注文してくれて、シナモロールの巨大ぬいぐるみが来ました娘はこのシナモンが大好きなので、名前を「さえりん」にしました!今日から、我が家の家族の一員になりました(身長は約50センチです)今日は、昨日のつづきを書きます。令和1年6月4日(火)22時15分、主人と私は自宅に帰る。両親と次女が待っていました。私は次女と抱き合い暫く二人で泣きました実は次女には、16時30分頃、主人の帰りを待つ間ベットでうずくまりながら、次女にラインをしました。「お姉ちゃんが交通事故に遭った。急いで帰ってきて!」と。次女から「お姉ちゃん大丈夫??もしかして重傷??」とすぐに返信。私は躊躇しながらも、もし嘘をついたり誤魔化したりしたら、あとで余計に次女を傷つけてしまうのではないかと思い、ラインで「お姉ちゃんは交通事故で亡くなりました」と知らせてしまいました・・・(今思うと次女に何と残酷なことをしたんだろうと悔やんでいます)その後、次女からの返信は「・・・」ありませんでした。私は「パパとママはもうすぐ警察に行くから・・」とだけ返信しました。18時ごろ急いで家に帰った次女は、おじいちゃんに「私も警察に連れて行って!」と頼んだそうですが、父(舅)は「行かないほうがいい、家で待っていよう」と次女を宥めたそうです。もし次女がお姉ちゃんの最後の姿を見たら、きっとトラウマになりずっと苦しむかも知れないとの父の優しさからの行動だったのです。その夜は、主人と私と次女の三人で川の字になって一緒に寝ました。しかし、私はその夜一睡も出来ませんでした。頭の中には紗愛理の事ばかり浮かんで、事故の瞬間、どんなに怖かったんだろうか、どんなに痛かったんだろうか、どんなに家に帰りたかったんだろうと思うと、出てくるのは涙、涙、涙・・・・・・なんで・・・どうして・・・あんないい子の紗愛理が・・・酷いよ・・・理不尽だよ・・・神様なんていない・・・誰も、何も信じられない・・・・・答えの出ない問いが、私を苦しめ続けるのでした。6月5日(水)朝8時頃~ 親戚、紗愛理の職場、知人、高校の同級生のお母さん、卒業した高校、主人と私の職場へと次々に訃報を知らせる。(私は精神的に電話できる状況ではなく、主人が一人でかけてくれた)次女は大学を休んで、私の側にいてくれた。10時~12時イ〇モ葬祭で葬儀の打ち合わせを行う。紗愛理に会いたいと言ったが、まだ納棺師さんがエンバーミングの真最中なので会えないと言われた。通夜は7日(金)、告別式は8(土)になり、途中、友引もはいるのですが、これは異例で一日でも長く自宅に居させてあげたいとのイ〇モ葬祭の配慮だそうでした。これもTさんのお陰だと思います・・・打ち合わせのあと、警察へ遺品のリュックサック、壊れたメガネ、着ていた洋服をもらいに行きました。ただ自転車だけは娘と一緒にトラックの下敷きになったため変形が酷いらしく、今はとてもじゃないけど見ることが出来ないので暫く警察に預かってもらうことに・・・その後、遺体検案してもらった病院へ書類をもらいに行き、家に帰り娘の帰りを待ちました。15時頃、ようやく娘が家に帰ってきました!!かわいいピンク色の花柄の棺桶に入って、数人の男の人と主人と父がウッドデッキから、1階の仏間へと入れてくれました。(本当は2階の娘の部屋に寝かせてあげたかったんですが、階段が狭くとても無理だったので)それでも、帰ってきた紗愛理は、しっかり頭があり、髪の毛もあり、とっても綺麗な顔をしていました。眼だけは再生することが出来ずガーゼに覆われていましたが、今までの面影そのままで、まるでアイマスクをして寝ているみたいでした。ほんとうに納棺師の方には「紗愛理をこんなに綺麗にしてくれてありがとう」って、心から感謝しましたそして、その日、翌日、翌々日の3日間棺の隣で、最後にたくさんたくさん語り掛けながら一緒に寝ました。気が付けばまる2日間くらいなにも食べていませんでした。お腹も空かないのです。6日(木)事故から2日目、相手の運転手とご主人、運送会社の社長たちが我が家に謝罪に来た。「この度はほんとうに申し訳ありません・・・」と頭を下げられても、もう娘は帰ってきません・・・悔しくて悔しくて、言葉が出ません・・・・・父と主人がきつく「どうしてこんなことになったんだ!!!」と問い詰めても女性の運転手はただただ「ごめんなさい、私の不注意で、罪は一生償います」と泣くだけでした。不注意で殺されて、許されるわけがありません!!!(この運転手は葬儀のあと一度もお参りに来ず、なんの音沙汰もなしで本当に反省しているとはとても思えません)7日(金)15時、通夜のため葬儀場へ出棺。急に雨が大降りになるまるで、娘が家から離れたくないと泣いているみたいでした葬儀場の方も主人も父も弟も親戚の伯父さんも、ウッドデッキから棺を運びだすうちにびしょ濡れになりました・・・私も娘と一緒に大泣きました つづく・・・ どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。今日はブログ失敗してないですが、書いていたらやっぱり泣けてきました・・・
2019年09月26日
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今日は、朝いつものように休みの主人とお墓参りに行こうとしたら、軽自動車同士でもすり替わりがしにくい狭い道を、大型トラック(10トンくらい)がスピードも緩めず、しかも運転手の若い男性は携帯電話をいじりながら、私たちが端に寄って止まっているのも全く気付かずに走り去っていきました。主人は腹を立てクラクションを何度か鳴らしました。私も無性に腹が立ち「こんなトラック運転手がいるから、さえりんは殺されたんだ!!」と叫びたくなりました。娘の事故の事を書こうと思いました・・・ 令和1年6月4日(火)この日我が家の運命は大きく変わってしまいました・・・朝8時55分、私は知人と約束があり娘より先に家を出ました。「ママは今から出かけるけど、紗愛理も時間になったら気を付けて仕事に行ってきてね」というと、自分の部屋で寝転がってゲームをしていた娘は「うん。わかった。ママいってらっしゃい」と笑顔で答えてくれました。まさか、これが紗愛理との最後のお別れになってしまうとは、思いもよりませんでした・・・9時15分いつもの出勤時間、「さえちゃん、いってらっしゃい。車に気を付けてねー」と見送る祖母(姑)に「いってきます」と元気に、愛用のピンク色の自転車に乗り、職場に向かったのです。職場は家から自転車で15分の、市内のチェーン店の衣料品店。13時15分、久しぶりの早上がりの勤務を終え、職場の人に「お疲れさまでした」と元気に挨拶して、自転車で帰っていきました。途中、近くのローソンで絆創膏を買い店内で一枚指に貼って(後にこのカメラ映像が本人確認となる)たぶんお昼ご飯を回転寿司に食べに行こうと思ったのでしょう、事故現場へと走って行ったのです・・・13時36分、国道〇〇号線バイパスの〇〇〇インターを降りた交差点で、娘は青信号の横断歩道を自転車で横断中に、左折してきた10トントラックの前方不注意で、自転車ごと下敷きになり、即死しました・・・一瞬のできごとでした・・・トラックの運転手は私と同じくらいの年齢の女性でした。救急車は来ましたが、頭が潰れ損傷が酷かったため、病院には搬送してもらえませんでした。そのまま警察の遺体安置所に運ばれたのです。15時30分頃、突然、警察から私の携帯に電話があり「娘さんが事故に遭いました」と。私は気が動転して「娘はいまどこですか?病院ですか?怪我の具合はどうなんですか?」と尋ねると、警察官は言いにくそうに「娘さんはお亡くなりになりました。いま警察で大切にお預かりしています」と。私は何が何だか全く理解できず、パニックになり、「嘘です!嘘です!嘘です!・・・・・」と何度も何度も叫んでいました。異変を感じた父(舅)が電話を代わり、すぐに主人に連絡をして30分後に主人が職場から帰ってきました。17時30分、主人の車に乗り二人で警察署へ。体がガタガタ震え現実を認めるのが怖くて怖くてしかたありませんでした。信じたくない・・・きっと何かの間違いだ・・・娘は一日中仕事で夜帰って来るんだ!!と、ずっとずっと、頭の中でグルグル思いが巡っていました。警察署に着き、見せられた所持品のピンク色のリュックサック、携帯電話、靴は、無情にも娘の物に間違いありませんでした。娘さんかどうか確認をと言われましたが、私は怖くて認めたくなくて見ることが出来ませんでした。確認した主人が「頭は潰れていて目も両方無くて、顔はよくわからなかったけど、体はきれいで紗愛理に間違いなかった・・・」と・・・私は最後の望みが断たれて、その場に泣き崩れ、思考回路が壊れました。暫くして、主人が「紗愛理の最後の姿をお前も見てやれ」と私を抱えて、遺体安置室へと連れていきました。私は母親なのにやっぱり怖くて怖くて、全身を見ることが出来ませんでした。かぶせてあるシートを半分だけ開けて、鼻から胸までを見るのが精一杯でした・・・警察官は当初、DNA鑑定の結果が出るまで一週間は返せないと言われたのですが、私が「早く娘を返してください!!!」と発狂したためか、リュックの中の絆創膏とレシートをもとにローソンの防犯カメラ映像を取り、私たちが娘に間違いないと確認できたので、ようやく帰宅の許可が出ました。21時頃、警察から「娘さんを連れて帰っていいですよ」と言われたものの、壊れそうな娘をまさか車に乗せて帰るわけにも行かず、困っていたら「葬儀屋に連絡してください」と言われました。私たちはまさかこんなことになるなんて思いもよらず、何の準備もしてないので葬儀屋に取引もなく、思い浮かんだのは、イ〇モ葬祭で働く私の友人Tさんでした。Tさんに電話すると、ちょうど仕事が終わり帰るところだったようで、「紗愛理が交通事故で死んじゃった・・・」の言葉に、Tさんはとってもびっくりして「なんで、どうして・・・」と一緒に泣いてくれました。Tさんの手配で警察署に霊柩車が娘を迎えに来てくれました。私たちも一緒にイ〇モ葬祭へ行き、係の方と、通夜と葬儀の日取りだけ決めて今日は帰れることに。「娘さんはエンバーミングのため一日だけ預かります」とのこと。私は娘と一緒に居たいと懇願しましたが、「明日綺麗になったら必ずお家に連れていきます」と言われ、主人に抱えられて外にでました。駐車場の車のところでTさんが待っていていてくれて、抱き合って泣きました。Tさんは、何も食べていないだろうからと、お弁当とお茶を買って渡してくれました。Tさんの心遣いが本当に心に染みました・・・これから私たち家族はいったいどうなちゃうんだろう・・・と、突然、別の世界に放り込まれたみたいで、怖くて、不安で、絶望の淵に立たされたのです・・・ つづく・・・・ どうか温かい目で見守って下さい! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。スマホ機種変しました!またアンドロイドですが、まだ使い方がわかりません・・・ゆっくり慣れていきます( ^ω^)・・・今日のブログ最後のほうで間違えてぜーんぶ消えてしまい、半日かかって泣きながら書きました・・・
2019年09月25日
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今日は朝いいお天気かと思ったら、急に雨がパラパラしたり曇りの一日ですね。朝のうちにお墓参りに行ってよかった今日は我が家の大切な家族の一員である、マロン(ミニチュアダックスフンド)11歳をご紹介しますマロンは今11歳、犬の年齢だと60歳だうで、もう還暦ですマロンが家に来たのは11年前、次女が8歳の誕生日プレゼントにおじいちゃんに買ってもたったのですペットショップに行き最初はポメラニアンの女の子を抱っこさせてもらうとゴソゴソ落ち着きがなく嫌がっている様子、次にミニチュアダックスフンドの小さい女の子はブルブル震えて困った様子、次に次女が見つけたのがミニチュアダックスフンドの男の子、マロンでしたマロンを次女が抱っこすると、ものすごく嬉しそうでしっぽを思いっきり振って甘えてきました。相性ピッタリでした次女が「おじいちゃんこの子がいい」って言うと、父は「すぐ連れて帰れる?」って即お買い上げということで、その日からマロンは我が家の末っ子次女の弟になったのですマロンは家族の中で次女が一番大好きでメロメロに、さえりんのことはちょっとライバル的な感じ(時々吠える)、おじいちゃんはご飯をくれる人、おばあちゃんは一緒に寝てくれる人、パパのことはちょっと怖い人(触るとチビる)、私のことはおトイレに外に出してくれる人って思ってるような気がする・・・犬なりに順位をつけているらしい次女の帰りが遅いとよく玄関で待っていて、その姿がなんとも健気で・・・キュンとしてしまうよっぽど大好きなんだねーお散歩が嫌いでご飯はよく食べるので、今ではすっかりメタボになりお腹が地面に付いちゃいそうです・・・ダイエットしないとねー、私も一緒ですが( ^ω^)・・・今はマロンだけですが、過去にはこんなペットも飼っていました。ミニうさぎのミケとレオ、その間に生まれた子どもたち。まだ古い家だったころ二階には四畳くらいの屋根付きのベランダかあり、そこに私が日曜大工でうさぎ小屋を作って飼っていましたさえりんの情緒にいいだろうと飼い始めたんだけど、オスのレオの破壊力がすごくて二階建ての小屋の二階部分の針金を壊し外へ出て、次に一階部分のメスのミケと子供たちの部屋の扉を壊して侵入し、子どもがじゃんじゃん出来てしまい結局増えすぎて飼えなくなり、隣町の小学校に全員引き取ってもらいましたそれからもよくその小学校にはうさぎに会いに遊びに行ったけ( ^ω^)・・・次に飼ったのは、ジャンガリアンハムスターのジェリーとシナモン今度は失敗しないようにオス同士を一つずつのゲージで飼いましたさえりんのハムスターのジェリーはさえりんととっても仲良しよくこうやって頭の上にのせて遊んでたっけさえりんあの世でジェリーやミケたちに会えたかなきっと今頃一緒に楽しく遊んでるよね・・・ どうか温かい目で見守って下さい! いつも温かいメッセージありがとうございますよろしければ応援お願いします。
2019年09月24日
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今日は三連休の最後の日台風の影響で、朝は雨と風がひどかったんですが、我が家の次女は今日から、夏休みが終わり大学が始まりました!家でじっとしているのが苦手な次女は、こんな天気でも喜んで大学に行きましたそんなに、母より友達のほうがいいんだねってちょっと寂しい私ですまあそのくらいで普通なんだけどね・・・私の毎日の日課は午前中にお墓参りに行くこと、あとはお買い物、そのあとは家事と、パソコンとにらめっこです( ^ω^)・・・ゆるい毎日でごめんなさい・・・お墓にはまださえりんは入っていませんが、会ったことのないご先祖様に「紗愛理をお願いします」って毎日頼みに行くんです。さえりんの居場所を作ってあげたくて・・・さえりんはまだ家にいるとは思っていますが、あの世にも居場所が必要だから・・・今日は次女のことを書きます!バレると怒られそうなので、内緒で次女は今年から隣県の大学に通う一年生です。19年前、次女がお腹にいるとき私の卵巣癌が見つかりました実はその8年前にも卵巣癌で片方の卵巣をとっていました。そのとき卵巣がかなり大きくなっていてもう一つにも癒着がありましたが、もう一つは一部を切除しただけで半分くらいは残っていました。それから主人と結婚し、子供ができるか心配でしたが無事に長女のさえりんが生まれ、その2年後に次女を妊娠したのです。しかし、妊娠が分かった時すでに私の卵巣は癌に侵されていました。妊娠4か月に入ってすぐに一度手術をし少しとって組織検査に出したら、悪性ではないが癌ですと言われました。その時医師から「子供さんどうされますか?出産まで待ったら命の保証はありません」と。思いっきり頭を殴られたような衝撃が走りました。主人と同居の主人の両親はもちろん大反対子供は諦めてすぐに摘出手術をし、私だけでも助かったほうがいいと。そのほうが、さえりんのためだと、許してはくれませんでも私はどうしても次女を諦められませんでしたそれは、医師から組織検査の結果を聞いた日、どっと疲れてベットで横になっていると、お腹の中の次女が、突然私のお腹を蹴ったんです。何度も何度も・・・まだ妊娠4か月半くらいでした。こんなに早く胎動がこのタイミングであるなんて、まるでお腹の中の子供が私に産んでほしいと訴えているみたいでした。「私がママを守るから絶対に産んでよ」って言ってるみたいで涙が止まりませんでしたそのとき私はこのお腹の子も長女も、何があっても絶対守ると心に誓ったのですそして、実家の両親に相談に行きました。実家の父は私の実父ではありません。それでも私の話を黙って聞いてくれた父は「お前の好きなようにしなさい。今までだってずっとそうしてきただろう。何かあった時に責任を取るために親がいるんだよ。もしお腹の子を産んでお前が死んでも後悔はないだろう。子供の面倒は俺が見てやるから」と私の背中を押してくれたのです今は亡き養父が、ほんとうのお父さんだと心から感じた出来事でしたそれから主人と主人の両親にも必死でお願いし、私は頑固で言うことを聞かないから仕方ないと諦めてもらい、妊娠9か月に入った日に帝王切開でまだ未熟児だった次女を出産し、そのまま卵巣を摘出する手術をしたのです。ほんとうにもしかしたら癌が進行して、次女も私もダメだったかもしれません・・・無茶をして主人と両親には、どれほど心配をかけたかわかりませんそれから次女は2ヵ月間保育器と未熟児室にお世話になり、私は抗がん剤治療が始まったのでしたとまあいろいろありましたが、次女は未熟児の影響か今でも体は小さいですが、大きな病気もすることなく、とっても元気に育ちましたそして今は将来の夢に向かって、大学で頑張って学んでいます私は次女に「あなたはたくさんの人に支えられて、生まれて来れたんだよ」っていっています。しかし、それは私自身のことだったんですね・・・そんな感謝の足りない人間だったからでしょうか、「二人の娘たちは必ず守る」との誓いも虚しく、私は長女を守ってあげることが出来ませんでしたさえりんは私のいないところで、突然、一人で逝ってしまったのです・・・ごめんね・・・約束守れなくて・・・ごめんね・・・助けてあげられなくて・・・ごめんね・・・こんなママで・・・お彼岸って亡くなった人に会えないのかな・・・無理だけど・・・そんなことを考えてしまいます・・・ 温かい目で見守って下さい! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。
2019年09月23日
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今日は日曜日、世間では三連休の中日我が家は、パパはサービス業なので仕事、私は毎日が休日、大学生の次女は夏休みが今日で終わり、明日から大学です。大学の夏休みは思ったより短く(はじまったのがお盆前)夏休み中に自動車学校に通い始めたが、いろいろ遊んでいたので、まだ半分も終わってなくて・・(;´д`)どーするんだーって感じです・・・まあ生きてるだけでそれでいいって、温かい目で見守ろうと思います今日は私の友達のYちゃんが遊びに来てくれた。お葬式以来かな・・・さえりんのお葬式の時は、Yちゃんと、大学生の息子さんと、次女と同級生の大学生の娘さんと三人で来てくれた。出棺のとき折り紙の鶴を三人で入れてくれたことをよく覚えてるよ。あのときはありがとうYちゃんが手作りのとんかつとゼリーをたくさん持ってきてくれたので、早速さえりんのお仏壇にお供えしましたありがとうさえりんは桃が大好きだったから喜んで食べてくれたかなYちゃんとは子育て中からの友達。子供さんはうちとはぜーんぜん違い二人とも優秀だけどねYちゃんは私がブログを始めたのをフェイスブックで知って、久しぶりに連絡くれて、お仕事休みの今日会いに来てくれたんです二時間くらい話がはずみ、楽しく過ごせました。私はちょっと、今こんなこと(裁判に向けての準備やブログなど)をして毎日過ごしていることを昔の友達や仲間、職場の方たちはどう思うんだろうかって心配だったんです・・・だけどYちゃんは、「すごいじゃん!!」って認めてくれて本当にうれしかった!!私と同世代(私のほうが2歳上)のYちゃんは、もちろん私がネットもできずに機械音痴なのをよく知ってるから、今までと全く違う世界に飛び込んだこと応援してるよって、ほんとにありがとう 私はあの日、令和1年6月4日(火)さえりんが亡くなったと同時に 人生が大きく変わってしまいました・・・ 車が怖くて乗れなくなった・・・ 人が怖くなった・・・ 外に出られなくなった・・・ 人に会えなくなった・・・ ごはんが作れなくなった・・・ 人生に希望が持てなくなった・・・ 仕事に行けなくなった・・・ 人の輪の中に入れなくなった・・・ 死にたくなった・・・ 戻りたいけど、戻れない・・・ 進みたいけど、どこに進んでいいかわからない・・・お通夜と葬儀にはたくさんの人に来てもらったのに、その後、ろくなお礼も言えていない・・・今までの仲間の集まりにはもう行けなくなり、仕事にも行けなくなり、なんだか裏切ったみたいで申し訳ない・・・そんな思いでずっとずっといたから、こうしてうちに遊びに来てくれるとほんとうにほんとうに嬉しいです今までも心配して来てくれたたくさんの人に、心から感謝していますYちゃんは、「いま私が頼れる大先輩Sさんや被害者遺族の方、ブログの方々に出会えたのも、ぜーんぶさえちゃんのお陰だね」って言ってくれました さえりん、ほんとうにいつもママを助けてくれて、ありがとね どうか温かい目で見守ってください! 温かいコメントもお待ちしておりますよろしければ応援お願いします。Yちゃんとんかつお昼に次女と食べました。美味しかったです
2019年09月22日
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今日は台風の影響で、変な天気です・・これから台風の動きが気になります今日はカウンセリングに行ってきました!今日で3回目です。一時間先生に話を聞いてもらい、特にどうなるわけでもないですが、勧めていただいたので3週間に一回くらいのペースで通っています。今は心境がさらに下降気味なので・・・どうしょうもないみたいです・・・とりあえず、カウンセリングもそうですが、ブログでも自分の気持ちを飾らずにありのまま、吐き出していこうかなって思っています次女に頼まれたレンタルやに寄り、帰る途中に、久しぶりにパン屋さんに寄ってみました。そこは、「メープル〇〇〇」というランチもできる焼きたてのパン屋さんで、障害者が働ける作業施設にもなっています。さえりんが中学生のとき職場体験で一週間お世話になり、それ以来とっても気に入って、よく一緒にパンを買いに行っていましたそういえば、さえりんと一緒に、親子クッキー作り教室にも参加したこともあったなー。行ってみるとお昼をかなり過ぎていたので、品数が少なくさえりんが大好物だった枝豆チーズパンがありません店員さんに聞いてみると、今日は朝からたくさん買って行かれた方が見えたので売り切れです。とのこと、がっかりです「そういえば、娘さん枝豆チーズパンが好きでしたもんね」って店員さんに言われ、突然で「あっ・・・はい」と返すのが精一杯でした・・・覚えていてくれた嬉しさと、「実は娘はもう亡くなったんです・・」って言えない淋しさが急に込み上げてきて、急いでパンを買い逃げるように車に乗り込みました。運転しながら、ぽろぽろと涙、涙、涙・・・ダメですね、やっぱり。心構えしていないときに、不意打ちで来られるとこうなってしまいますそれでも家に帰り、長女にメロンパンとミニクロワッサンをお供えしてあとは次女と二人で遅めのお昼ご飯にいただきました!ソフト明太フランス美味しかったですこれからも、こんなことばかりなんだろうなーって、またちょっと落ち込みました・・・だけど仕方ない、それでも生きていくしかないんだから・・・さえりん、こんなママだけど頑張るねー!! 温かい目で見守ってくださりありがとうございます!! 温かいコメントもお待ちしておりますよろしければ応援お願いします。
2019年09月21日
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まだまだ昼間は暑いけど、風や空気はすっかり秋ですね今日はまた長女、紗愛理(さえり)のこと書きます「広汎性発達障害」って聞いたことありますか⁇広汎性発達障害とは、対人関係の困難、パターン化した行動や強いこだわりの症状がみられる障害の総称です。脳の機能障害を原因とする先天性のものですが、大人になってから症状に気づく場合もあります。いわゆる自閉症スペクトラム障害とほぼ同じです。娘の症状に最初に気づいたのは同居の主人の母でした。「紗愛理と目が合わないんだけど・・・」って、まだ1歳前だったかなそれから、こだわり行動や、独り言、多動と様々な症状が出て、幼稚園に入園する直前に、「広汎性発達障害」の診断が出ました。娘は比較的症状が軽く見た目、普通の子となんら変わりありませんでした。知的障害も軽度でちょっと人より遅れているくらいで、小学校までは普通クラスで過ごしました。中学校は地元の中学校の特別支援学級、そこで折り紙やクラフトテープのカゴ作りを覚えました。高校は、隣の市の特別支援学校へ一人で電車に乗り通学していた。卒業後は、衣料品のチェーン店に就職し、まじめに毎日働いていました。娘はその時々で、いい人にたくさん出会い励まされたり、心をかけてもらい、可愛がってもらい成長しました。娘は自分の興味のあることはどんどん吸収しゲームが大好き、ピンク色が好き、キャラクターのシナモンが大好き。趣味のクラフトテープのカゴを作り、苺のレアチーズケーキを作ってはみんなにあげて、相手が喜ぶ顔を見るのを楽しみにしていました。一般的に自閉症というと人との関わりが苦手というイメージですが、紗愛理は全く違いました。人が好きで、自分から積極的に関わり(関わり方が少し変わっていましたが…)素直で純粋で裏表がなくとっても優しい、私たちにとって自慢の娘でした紗愛理が小さかった頃、よく勝手に家を飛び出し一人で居なくなってしまうことがあり(本人は迷子ではなくただ遊びたいから出かけただけ)私はその度に、必死になって娘を探しました。心も中ではいつも「もうこの子には二度と会えなくなってしまうかもしれない・・・」という予感がいつも渦巻きとにかく必死でしたそして、無事見つかった時には、娘を抱きしめて泣きながら「ホントに良かった」と胸を撫でおろしたのですいま思えば、心の奥底で『いつかこの子とは早くお別れが来てしまうのかも知れない』って予感がしていたのかも知れません・・・それでも、就職してからの紗愛理は、家族思いで、妹に優しく、自分のことはきちんとできる、しっかり者のお姉ちゃんになっていて、私は紗愛理はもう心配ないと安心しきっていました。知らない人は、障害があるから事故に遭ったのではないかと思われるかも知れませんが、それは大きな大きな間違いです!!!彼女たちは決められたことはしっかり守り、間違ったことを嫌います。ズルいことや、いい加減なことをするのは健常者のほうです。私も車に乗ってついスピードを出しすぎたり、信号を黄色で渡ってしまうと、いつも娘に「ママ危ないよ!!」って怒られていました・それなのに、こんなに優しいいい子がどうして、交通事故で即死しなければいけな かったのでしょうか?????・娘はあの日もしっかり交通ルールを守り、青信号の横断歩道を自転車で渡っていただけなのに・・・・もう少しで渡り切るよころだったのに・・・・仕事帰りに、ささやかな楽しみのお昼ご飯を回転寿司に、一人で食べに行こうとしていただけなのに・・・・娘がなにか悪いことをしたんでしょうか?????以前、次女とこんな話をしたことがあります。「お姉ちゃんにはどうして障害があるの?」って次女に聞かれたとき、「お姉ちゃんはとっても優しい子だから、神様からだれか荷物を持ってこの世に生まれてくれないかなと頼まれて『いいよ』って快く引き受けてくれたから、障害という荷物を持って生まれてきたんだよ。妹のあなたに持たせちゃ可哀そうだからね」と言いました。次女は「やっぱりお姉ちゃんはすごいね!」ってますます尊敬していましたそれなのに、もしかしたら『短命』という宿命まで、紗愛理が引き受けてくれたんでしょうか誰かが早く死ななければいけないんなら、私が死ねばよかった代われるものなら、代わってあげたかったいまでもどんなに悔やんでも悔やみきれません・・・たったひとつ良かったことは、いつも「紗愛理のことが一番大好きだよ」って言ってきたこと。紗愛理も「わたしもママが一番大好きだよ」って言ってくれたことです!!紗愛理忘れないよ!!いつかママがそっちに行くまで必ず待っていてね!!!それまでママはどんなに悲しくても辛くても、頑張って生きていくからね。ちゃんと見ていてね どうか温かい目で見守ってください! 温かいコメントもお待ちしておりますよろしければ応援お願いします。
2019年09月20日
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昨日から、特に朝と夕方はすっかり秋の風が吹いてきたせいでしょうか、昨夜から、心のバロメーターが急に落ちてきてしまいましたこの一週間ほんとうに目まぐるしく、良い出会いもたくさんあってすごく有り難かったですしかし、変化の多い毎日に心がついていかなくなってしまったというか、疲れてしまったのです。本来のメンタルの弱さが出てきてしまいました・・・今日は娘の事故のことを書こうと思っていたんですが、どうしても書けなくなってしまいましたまた気持ちを立て直して、向き合えるようになったときにしますそして午前中、大先輩のSさんにSOSを出し電話したら、「まだ三ヵ月なんだから仕方ないよ!」って言ってもらい、私だけじゃないんだって、ちょっと心が軽くなりましたやっぱり経験者の言葉って説得力が凄いです!!電話を切ったら、急にお腹が空いてきましたそういえば、昨日の夜も今日の朝も、落ち込んでいて食欲がなく、なーんにも食べてなかった・・・そこへ、今日は仕事休みで歯医者に行ってた、パパが帰ってきたので、子供みたいに「ねえパパ、お腹空いたー、お腹すいたー」ってわめいていたらお昼ご飯を食べに連れて行ってくれました食べ放題のしゃぶしゃぶ屋さん一番お得な三元豚の食べ放題コースとドリンクバー、久々だったので美味しかったー! PHOTO,S さえパパ&さえママパパと二人で三元豚12皿食べてしまいましたデザートもごちそうさま!!!そういえば、さえりんもしゃぶしゃぶは大好きでした。冬になると、よく晩ごはんにしゃぶしゃぶしてったっけ・・・(手抜きで)美味しそうに食べる娘の顔を思い出しました「さえりんママと一緒に食べようね」って言いながら、かみしめて戴きました・・・こうして、一日一日ほんのささやかな幸せを見つけながら、明日も生きていきます・・・どうか温かい目で見守ってください!温かいコメントもお待ちしておりますよろしければ応援お願いします。またいつか事故のこと書ける日がきたら・・・Sさんありがとうございました心配して愚痴を聞いてくれた妹のTもありがとねー
2019年09月19日
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今日は、曇り雨もパラパラ、昨日までの暑さが、急に秋になったようです。私は秋がちょっと苦手です気温の変化でストーンと気持ちが落ちてしまうからですとはいえ、昨日は初めてのつたないブログなのに、たくさんの方々の応援が心に染みて久しぶりにあったかーい気持ちになれました皆さん優しいですありがとうございます!これもひとえにmeronさんのお陰です!!!これからも手のかかる私ですが、よろしくお願いいたしますうう今日は娘のことをたくさん書きます娘の名前は ″紗愛理” さえりと読みます。よく”さあり”ちゃんと呼ばれ、怒っていましたこの名前を付けた理由は、誰からも愛され、可愛がられる子に育ってほしいと願ったからです!そして、娘が気に入っていたあだ名が、”さえりん”です中学の時先輩につけてもらったそうです。だから、「さえりんの部屋」にしました娘は、自分の名前をとても気に入っていて(あまりいないので)特に真ん中の「愛」という字が大好きでした紗愛理には、二つ年下の妹がいます。紗愛理はとっても優しいお姉ちゃんでした。妹が「お菓子が食べたい」と言えば、ポテチを10袋くらい買ってきてくれます他にも自分が何か買ってくれば、必ず妹の分も買ってきます私にも、「ママ、あまり無理して働かなくてもいいよ」と生活費をくれて、晩ご飯にカレーライスを作ってくれたり、夜、マッサージもしてくれるんですほんとうに名前通りの「愛」ある、優しい娘に育ってくれました私はやっぱり紗愛理のことが、大・大・大好き親バカでごめんなさいもう一度だけでいいから、紗愛理に会いたいです・・・・・・・・変なこと書いて申し訳ないです…紗愛理は目には見えないけれど、いつも私の側にいるから・・・一緒に前を向いていこうと決めたから・・・明日から事故のことを書こうと思います。すごく辛いけど私が逃げていたら、紗愛理の死を無駄にしてしまうような気がするから・・・泣きながらでも、向き合っていこうと思いますどうか温かい目で見守ってください!!温かいコメントもお待ちしております よろしければ応援お願いします。 さえママより 2019年3月 富士急ハイランドにて Photo’s さえパパ
2019年09月18日
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今日から、ブログ始めました。今まで、全く経験なく未知の世界です50数年生きてきて、なんだかとても緊張しています…どうしてブログを始めたかというと、私の長女のことをたくさんの方に知ってもらいたいからです。長女、紗愛理(さえり)は、令和1年6月4日交通事故で亡くなりました。当時20歳でした。朝、いつものように、ピンク色の自転車に乗って、仕事に行きました。たまたま早上がりの仕事を終え、お昼ご飯を一人で食べに行こうと思ったのでしょう、家とは逆方向へ走って行ったのです。そして、事故現場となった横断歩道へ行ってしまったのです。私は、今まで朝、「いってきます」と言って家を出た娘が、「ただいま」と言って帰って来ない、現実を初めて目の当たりにしましたこんなことが、テレビやドラマ以外に本当にあるんだと、知りませんでした。 その後、私たち家族はどうなるのか、これから事故後の処理(裁判など)をどう戦っていくのか、わからないことばかりで、不安いっぱいです… これから少しずつ、娘のことを書いていきたいです。 どうか温かい目で見守ってください‼よろしければ応援お願いします。
2019年09月17日
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