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脳裏に焼き付いている京都の紅葉は日本一綺麗なモミジの紅葉、真っ赤な紅葉である。人の出は東京の正月のような混みようだった。カメラのシャッターを押せないくらい長蛇の列と幅、少し油断すると他人の足を踏みそうになる。訪れた人たちの中には、リピーターらしい方もたくさんいて「こんなんじゃないよ。もっと真っ赤な紅葉だが、今年の紅葉は良くない。こんなもんじゃないよ」と言っていた。ちょうど4日ほど前のこと、テレビを見ていたら、苦肉の策だったのだろうか?散紅葉をやっていたのを覚えている。そういえば木上の紅葉があまりなかったなあと思い出した。そして昨日今日の私が見た紅葉は散紅葉などなく、すっかり枯れ紅葉だった(-_-;)ホントカ・・・オイ・・ホント。紅葉を楽しみに京都へ観光旅行に来た人たちは、自然だから仕方がないとがっかりした人も多くいた。私もガッカリした人の一人だが、そう言う時もあるさ、また来るよのような寛大な気持でもあった。そして市内のお寺巡りではは男女とも着物姿が多かったので、黙っていること永遠に知らずに過ごすかもしれないかな・・・。思い切って着物姿の若い方に聞いてみた。「行事や意味などはないです。京都の観光旅行は着物を着て行くと言うのが、若者の間で流行しているんです」と楽しく優しく質問に答えてくれた。「京都に行くなら着物で」と言うのが流行っているのだそうだ。若者の着物離れを懸念していたこともあったが、今の若者はその逆で発想が良いね。、着物を復活させてくれている。また着物の着方や着物そのものにも変化が・・・。なんとなくユカタと振袖の中間型。でも頼もしいじゃん(^_^)ニコニコ 八瀬比叡山口駅 八坂神社:鴨川から祇園の突き当りにあるのが八坂神社。着物姿の若者が多かった。若い男の子も着物姿で、たいていカップルで歩いていた。何か行事でも?と思って聞いてみると。「何も意味はありません。今若者の間では、京都観光に着物で行くのが流行っていると私の疑問に答えてくれた。 東福寺の紅葉。本来この辺の紅葉は真っ赤なはずだが・・・。 通天橋を歩く。人がごった返していたので、中々写真は撮れなかった。 これも東福寺の紅葉。なんだか中途半端なモミジの紅葉。 お寺の店先で見つけたメニュー。きつねうどんとは関東の呼び方だよね。 帰りの新幹線の中よりシャッターオン。
2015.11.29
38年前に8カ月だけ住んでいたことがあるので、ちょっと軽い気持ちで散策を楽しんだ。でもあまりの変わりように大阪と言う感じがしなかったのである。電車の中で大阪弁を話す若い人の話を聞きながらニヤニヤしていた私であった。今回の旅では電車の中の会話にあまり大阪弁を感じなかった。またホテルは中国人に占領されて毎日満室のようだ。ホテルだけではなく、中国人がマンションや一戸建ての家を借りて中国人に貸しているのも多いとタクシーの運転手が言っていた。百円ショップからスーパーまで中国語が飛び交っているととも。まあ今日の写真を見てd(^-^)ネ! ユニバーサルスタジオ 神戸港
2015.11.27
今日は朝から爽やかな青空が広がっている。でもちょっと風がある。今朝はなぜか寒いわけでもないのに喉がイガイガしてきた。今風邪をひくわけにはいかない。行事がいっぱい詰まっている。それに夏風邪がやっと治ったばかりである。今年は一月から体調不良が続き、いまだにひ弱になっている私である。風邪薬でも買いに出かけなくちゃ・・・。その前に写真をアップしよう。二階建てバスの中より撮ったもの。見てd(^-^)ネ! 二階建てバスより二階建てバスを撮る。狭い道路も走る。観光バスである。 カニ料理店らしい。マングローブの下に住んでいると思われるカニ。結構有名のようでスーパーで硬いカニの甲羅を叩く道具が売られていた。 カフェテラス。テーブルに色々な模様が描かれている。 こちらもカフェテラス。テーブルに描かれた模様が面白い。 靴磨き 英語の部分はわかる。ガラパゴスに案内しますよでしょうね。 赤信号になると人二人が飛び出てきて、いきなりパフォーマンスを始めた。妨害しているのかと思ったら、そうではなかった。青信号になる前には終わっていた。 青信号になる前に終わって、どうするのかなと見ていたら、賛同した運転手がチップを渡していた。前列にいた車の運転手はチップをあげていた。おおらかなお国柄だ。 静かな街の中にもバスが。このバスはたいていどこでも乗せてくれる。 ごった返す街の中。タクシーは黄色でナンバーの上にオレンジ色があるものでドアに登録番号のあるものに乗るようにとのこと。決して値切らないことだそうだ。身の安全のために。 新市街はどこの首都も同じ感じだね。
2015.11.03
今日は一日お絵かきで終わった。毎日遊んでばかりで学園祭に出す水彩画クラブの出し物が完成していなかったのである。タイトルを何にしようかなあ。('-'*)フフ書き始めるにも時間がかかって、出来上がるとタイトルは何にしようと考えてしまう。ちょっと変だあ~~!出来栄えは今一つだが、これ以上いじると落書きになってしまう(^0^)/キャハハ。色が作れない。色が不足しているようだ。そんなことも知らない。真剣さが足りないと分かっているのだが、優先順位が後回しに・・・。でも苦手でも逃げないでやるつもり。80歳になったときに描ければ良いが目標('-'*)フフ。ノンキ。エクアドルの6日目は2階建てバスに乗ってキト市街観光。バシリカ聖堂とパネシージョの丘で下車して聖堂と聖母像の見学。バシリカ聖堂とパネシージョの丘にある聖母像は市街を守っているかのように向かい合わせにある。バシリカ聖堂はお金を払って中に入り、時計塔のさらに上まで行った。エレベーター、階段、ハシゴとよじ登っていくのだが、キト市街がすでに2850mあるので、高山病、高所恐怖症の方は気を付けよう。 バスが信号や渋滞で停車した時に撮ったもの 高さも長さもビッグなのでカメラに入りきれなくて・・・/(-_-)ヽ コマッター。長い屋根の上の時計塔のさらに上まで恐る恐るよじ登った。 中はバシリカ様式の聖堂 ステンドグラスがとても奇麗だった 階段を上ったと思ったら、さらにハシゴで上まで、終わりと思ったらさらにハシゴをよじ登った。下を見ると恐ろしいが、ハシゴの下に網があったので恐怖感は無し。山姥だから・・・。 向こうの奥に小さう見えるのはパネシージョの丘の聖母像。 キト市街を見守っている優しい顔。台座の部分に入館することができる。中はステンドグラスがとても奇麗だった。パネシージョの丘は標高が180メートル。キトが2850メートルあるのでパネシージョの丘は3000メートルを超えていることになる。 パネシージョの丘直下の住宅街
2015.11.01
エクアドルからの帰途、アトランタからの航空機でお腹に異変が・・・。帰国後もず~~っとお腹だけ不調が続いていたが、快方に向かっていたので旅行に参加した。夜の宴会ではアルコールでお腹を消毒しようかと自分に有利なように勝手に判断。すると消毒になったかのようにお腹はすっかり良くなった(^0^)/キャハハ。リーダーが山の会の副会長で、声をかけてくれたおかげで、私は孫たちに田植えを一回だけ体験させた。それを機会に孫たちに田んぼの色々を体験させたくて会員になったのである。自分の畑で忙しいので、中々作業には参加できないということを前置きにして甘えているのだが・・・。湯田中温泉、世界平和聖観世音菩薩、地獄谷野猿公苑、など旅行は楽しかった。高齢になると、多くの方が何らかの不自由を感じるものである。私自身も含めて。今回は化粧品をごっそり忘れて慌てたよ。ホテルでファンデーションを買って一件落着。高齢者が集まると、年金の話と病気の自慢話ばかりと笑っていた時があるが、今では笑ってばかりではいられなくなった。困っている人に手を差し伸べようと常々思っている私のこと。困っている種類が多くなっていた。高齢者の困った多種多様を考えた。有りえないと思っていたことが普通にありえる。今の私にできる事は・・・。頭の切り替えスイッチを2~3個持っている必要がある。それぞれの困った場面で、それぞれにあったスイッチをオンにして、お互いが気分良くお付き合いできるといいなあ・・・とつくづく感じた。仲間や友達を大事にしたいd(^-^)ネ! 長野県山ノ内町 にある世界平和聖観世音菩薩。日本三大平和観音の一つで、世界の平和を見守っている。高さは25メートルで青銅製としては日本一の高さだそうだ。信州中野ICより13キロメートルのところにある。その菩薩像の台座の内には西国33番札所観音が遷座している。私にとって今年は1月から不調が続いていたので、丁寧に手を合わせてお辞儀した。知らず知らずのうちに私は悪いことをしていたのかも・・・と反省も含めて('-'*)フフ。 厄遂太鼓。 33札所観音をお参りした後に、 思い切って一回鐘を突いた。 最後は落ち葉をサクサク踏みながら、日本の秋を満喫した。
2015.10.31
赤道直下にある国だから熱いかと思えば熱くない。一年中が春とか、2シーズンの国という。標高が2850mだからハイマツの世界かと思えば、ジャングルのように樹木が生い茂っていた。そして熱帯植物にたくさんの花が咲いていた。私のふるさと沖縄で咲いている花にもたくさん出会ったが、その植物はどれも大木で、まさにこれが本当の熱帯植物だよという感じで誇り高く、そして情熱的に咲いているように見えたのである。熱帯に亜がついている違いって大きいね。でも赤道のある国に来ていたのにライトダウンを着ていた。本当に不思議な不思議な国であった。キトから北方へ22キロ行ったところのサンアントニオ村に赤道があった。赤道記念碑公園になっていた。赤道には線が引かれていて、北半球と南半球の境界線である。それを跨ぐと体の半分が北半球に半分が南半球にあるということである。 奥に見えている丸い頭のついたのが赤道記念碑である。その周辺は公園として整備され、お土産屋さんやレストランなどもあった。とても広い公園だった。熱帯植物や広葉樹の大木が目立つ。 我3人官女隊は赤道(黄色い線)を跨ぎ、北半球南半球で遊んだ。 公園内にあるレストランで。このスープは美味しかった!!ジャガイモスープ。 赤道記念碑の最上階の展望台より。ちょうど真ん中ほどの黄色い線が赤道の印である。 GPSが開発されて本当の赤道がこの博物館内にあることが分かったそうだ。 GPSによって発見された本当の赤道。ピンの上に卵を乗せる実験を体験している。 GPSによって発見された本当の赤道はこの博物館(敷地)の中にあった。そこでは卵の実験や水が吸い込まれる際にできる渦は南半球と北半球とでは違うという実験を見せてくれた。北半球では左回り、南半球では右回りということを、流し台の水に葉を数枚浮かべて渦の実験をしていた。赤道上では渦は巻かないでそのまま下に流れる。実際に目で見て納得したが、科学的なのかどうか、何か仕掛けがあったのかどうかはわからない。ちょっとした遊びと思ったほうがよさそう。
2015.10.28
ミンドはエクアドルの首都キトから車で北西方向へ2時間ほど行ったところにある。キトより約1100m標高の低いところにあるせいか体がとても楽に感じた。赤道直下にありながら,暑くなく寒くなく適度に湿度があり、人間の体に良さそうだった。(・_・)......ン?人間に良さそうということは動植物自然にっとっても最適な環境なのかもしれない。雲霧林(Cloud Forest)と言われ湿度にとんだ森という意味だそうだ。森の中はジャングルのように樹木が生い茂り、着生植物の繁殖振りが目に焼き付いた。自然の豊かさを感じた。ミンドでは乗馬体験やバードウォッチング、ラン園を見学した。そして小さなチョコレート工場も。 2泊したロッジ蚊に刺されたら大変だ!ミンドは蚊や小さな虫にも住みよいところのようだ。 ロッジの木の枝にとまった ハチドリが羽をばたつかせていた これもハチドリ、静かに止まっている 乗馬体験 バードウォッチング。ここからは現地のバードウォッチングのプロと一緒に森の中へ。途中まで車で行き、途中から歩きながら野鳥を見つけて、私たちに知らせてくれた。肉眼で野鳥を見つけて、すぐに望遠鏡に映し出し私たちに見せてくれた。私はその場所を確認して自分のカメラに収めたのである。その現地の方の視力はいったいどのくらいあるのか気になった。そう言えば眼鏡をかけた人は見たことなかったような気がする。自然の恵みで視力にも影響しているのだろう。野鳥の名前は覚えられなかったので、ただただ列挙してみたよ。 ミンドの人たちの生活を支えるために小さな工場で、ミンドの人たちの手でチョコレートを作っているという。カカオ100パーセントのチョコレートはとても美味しかった。カカオ
2015.10.27
アトランタから乗ったデルタ航空機の食事にあたったのだろうか、おなかの調子が今一つ、ゴロゴロ言っている。昨日から梅干し入りのお粥だけ食べている。体は元気だが・・・。外出しないで山の会の「山行計画書」を作り、集合写真の印刷に専念した。どちらも明後日の水曜日まで仕上げなくちゃならないのである。忙しい!!盗難、強盗に会うことなく、楽しかった思い出だけが頭に残っている。短期間だったので、まだまだ観光したいところや体験したいことがいっぱいあるのだが・・・。あ~~もうダメかな。年だし次女も帰国しているし(4月から日本)・・・。今回の旅は次女が英語スペイン語の通訳でガイドもバッチリ。二日目三日目は新市街と学校訪問を体験した。というよりも体験させてくれた。 セント・ドミンゴ教会。スペインの植民地時代にキリスト教がキトの街に布教したということで、旧市街のいたるところに立派な教会が立っていた。写真撮影の禁止のところも多くあった。どの教会も厳かを感じながらステンドグラスや金色に輝いた壁や装飾品で奇麗だった。海外で教会に入りたくなるのは私の趣味かもしれない。特にアメリカでもそうだった。讃美歌を知っているところだけ歌うとかね・・・。 キトの旧市街の建物、つぎはぎの建物もあれば、このような可愛らしい建物。これもスペインの植民地時代の建物のようだ。 独立広場の前にある大統領府。 3日目からはバス、エコビア(2両の連結バスで専用の車線を走る。路面電車みたい)を体験した。乗り降りは意外と楽であった。バスはどこでも乗せてくれた。それだけ必要とされていることかも。人口の多さかも。 次女が活動している学校を訪問。休み時間に学校の子供たちに折り紙を教えているという。次女を見つけると子供たちが集まって、たちまち教室に溢れて、返される子もいた('-'*)フフ。学年関係なく集まってきていた。人数が多くなったので、母も長女も教えてあげてというので手伝ったよ。子供たちは生き生きしていて、特に女の子の髪の毛は奇麗に手入れされ、三つ編みや飾りがついていた。上流の子供たちだったのかな。 帰り際に撮った学校の建物。始業のベルが鳴って、生徒たちは教室の中に入り、周りは静まり返っていた。夢のある建物だったよ。キトは坂の多い街で、この学校もちょっと小高い所にあり、校庭からの眺めは素晴らしかった。校長先生に挨拶して学校を後にした。次女は5日間休暇をとって私たちに付き合っていた。次女の活動振りをほんの少しでも見ることができてヨカッタヨカッタ。娘たちと一緒に海外の学校生活(アメリカ、北京、エクアドル)を共有したことは宝物である。
2015.10.26
長女と二人で次女が暮らすエクアドルへ行ってきた。治安さえ良ければ素晴らしい世界文化遺産のある国と感じた。第一日目は旧市街が世界文化遺産というキトの旧市街にあるホテルだった。治安が悪いというので、強盗を見分ける必要があるのかなと恐る恐る窓を開けると、夜空に聖母像が浮かんでいた。なんとなく外を歩きたいと思っていたら、次女が余力があるのなら外を歩いてみようかというので喜んでついていった。コロニアル様式が色濃く残った路地には、人で溢れていた。気をゆるめないでよと次女はしつこいくらいに忠告してくる。もちろんの忠告はしっかり守っていた。貴重品はブラジャーの紐に結び付けて、ブラジャーの中か腹に垂らして・・・。 ホテルに到着して、恐る恐る窓を開けるとなんとなんと素晴らしい像があった。それはキトを守っているという聖母像であった。その対面には大きなパシリカ教会があった。旅の最後の日にパネシージョの丘にある聖母像と、それに対面するパシリカ教会を見学することになった。 ホテルを出たところの路地を散歩。このアーチを境に丘に向かって歩くことは禁止されていると。Jikaのおきてのようだった。かなり危険な場所であると・・・。 朝起きたら青空に聖母像が浮かんでいた。\(^O^)/ヤッター旅日和だ!! 昨晩の賑やかさが嘘のように静かだった。窓際の花に、世界共通の癒しを感じた。 ホテルの中庭は吹き抜けになっていて、とても明るかった。朝食は果物とジュースとサンドイッチとコーヒー。 1日目の観光はまずはコロニアル様式の街の散策から。 通りで民族衣装を着た女性が踊っていた。 土曜日で街はとても賑やか 独立広場。向こうの旗の立っている白い建物が大統領府。標高2850mというと日本の山では森林限界を超えてハイマツの世界であるが、ここキトでは赤道の国、熱帯の国との違いなのだろうか?大きな樹木、大きなハイビスカスの木にたくさんの花が咲いていた。一年中が春というのも不思議な国であった。
2015.10.25
今日は久しぶりに家庭的に過ごしたかな。早起きして雑紙、段ボールを束ねてごみ集積所へ出した。一ヶ月に2回だから結構溜まってしまう。ベランダの野菜たちを日当たりのいい場所に移動したりさ、水やりもしたりさ。お昼ご飯後には畑へレッツゴー。あっという間に雑草が成長し慌ててしまった。草むしりするごとに砂埃が舞うほど土はからっからに乾いていた。草むしり、畝作り、収穫、水やり、頭の中はあっちこっち彷徨いながら作業していた(^0^)/キャハハ(-_-;)ホントカ・・・オイ・・ホント。昨日参拝散策した東京府中にある大國魂神社で見たものを写真で紹介しよう。府中本町駅の近くになり、交通や商店街の中にありながら緑の多く、もう一度訪れてみたいところであった。~~大國魂神社は大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]を武蔵の国の守り神としてお祀りした神社です。この大神は、出雲の大国主神と御同神で、大昔、武蔵の国を開かれて、人々に衣食住の道を教えられ、又、医療法やまじないの術も授けられた神様で、俗に福神、又は縁結び、厄除け・厄払いの神として著名な神様です。~~(インターネットより) 車道に面した表門には2本の大きなケヤキがあった。樹齢はかなり古いのだろう。樹木のあちこちが修理されていた。たぶん樹木医の治療を受けたんだろう・・・。 大國魂神社の表門 中雀門 手水舎 随神門 拝殿 鼓楼 大イチョウ ムクノキ
2015.05.28
やっと憧れの三保の松原に行くことが出来た。頭の中に描いていた三保の松原と富士山の風景はちょっと崩れてしまった。行かないで永遠に憧れのままが良かったのかということとも違うかな・・・。行って見て心が落ち着いたというところかな・・・。松原と砂浜と波打ち際の白波と富士山。ちょっと期待が大きすぎた('-'*)フフ。人間が小さく見えるほど砂浜は大きかった。久能山の東照宮は目の高さからさほど遠くないところで見ることが出来た。煌びやかさが頭に直通に伝わってきて素晴らしかった。 バスの中より富士山。綺麗だった!! 三保の松原の羽衣の松 頭の中で描いていた風景とはちょっと違っていた。明日の天気は雨かな。富士山の頭に雲が乗っかっている。広い砂浜は遊ぶのに最高だd(^-^)ネ! 久能山の桜。これから東照宮の見学に行く。 煌びやかさが目の近くで見ることが出来て幸せって感じた(-_-;)ホントカ・・・オイ・・。
2015.03.25
パソコン病だろうと。肩から首までガチガチに硬く、「☆ ̄(>。☆)イテェテー、イタイイタイイターイ」とうめき声を発しながら起き上る日が2~3日続いた。土日は我慢。でもその土日が一番痛みが強かったのである。今日はなんとか良くなってきたが、まだまだ普通ではないので病院へ駆け込んだんだ。約一ヶ月パソコンに向き合わなくちゃならないと言ったたら、「それなら痛み止めの薬を出しましょう」と、他にレントゲンとリハビリにライザー(光線療法)。少し楽になった(^。^;)ホッ。今日の写真は先週の金曜日23日に撮ったもの。小江戸川越の蔵づくりの街。首をいたわりながら歩いていた。首が回らない首が回らないと言いながら('-'*)フフ。目的は川越のクレアモールでショッピングすることだった。蔵づくりの街が近づいてくると、?(°_。)?(。_°)?こんな青空の日は川越蔵づくりの街を久し振りにぷらり散歩しようかと、途中で勝手に駐車場に入ってしまった(^0^)/キャハハ。お日様が眩しいくらい良い天気だった。いつ見ても観光客でいっぱいの街である。カメラを取り出して観光客に混じって高齢者の足取りで・・・(-_-;)ホントカ・・・オイ・・・。 蔵づくりの街である。いつ通っても観光客であふれている。小江戸川越と呼ばれているが、小江戸には定義があるようだ。まあ下手な説明は抜きにしよう。とにかく歴史を感じさせる建造物や人間味を感じさせる風情が魅力的な街である。 時の鐘 時の鐘の反対側より。 川越散策の良いところは食べ歩きが容易である事。この小江戸川越蔵づくりの街では、歩きながら・・・行儀が悪いよと言う人はいない。しっかり道徳教育を受けてきた私やもっと高齢の方たちも、子供からお年寄りまで楽しそうに美味しそうに食べている姿がなんとも幸せそうで(..)(^^)(^。^)(*^o^)(^O^)ウレシーーーー気持ちになる。川越と言えば芋で有名の街でもある。この蔵づくりの通りにも、いも料理、いもスイーツが沢山ある。お試しあれ・・・! これも歴史的建造物。時の洋館は埼玉りそな銀行。蔵づくりの街の中ほどにあり、ひときわ目立っている。目的のクレアモールは蔵づくりの街を散策した後になってしまった。若い頃は何度も何度も足を運んだショッピングモールである。
2015.01.26
振り返って、とても楽しく素敵な旅だった。山仲間の友人で、韓国の方に2年ほど前から漢拏山に誘われていたが、やっと実現したのであった。目的は漢拏山登山と観光。韓国という響きに誰しも戸惑うかもしれないが、行ってみると、人は気さくで、話しやすく、冗談もいい、感動したことがいくつもあった。非常に丁寧で礼を重んじる国民であるということは、海外生活で良く知っていたのだが・・・。国内ではどうなんだろうかと少しビビッていた。テレビで報道されるのは政治界でのこと。民間レベルでど~んどん交流していけば、子や孫の時代には良い関係の2国間に発展しているだろうと感じた。若者よ!ガンバレ!と言いたいのである。歴史認識、従軍慰安婦、男女、食文化、経済など少しではあるが垣間見ることが出来たように思う。どこの国にも民族性とか文化を持っているのだから、お互いがお互いの文化を認め尊重する心を持つことが大事だと思う。漢拏山登山道で小学校2~3年生だと思われる男の子が友だちと3人で歩いていた。私が「アニハセヨ」と挨拶したら「アニハセヨ」、そして日本語で「日本人ですか?」と聞いてきた。「ぼくのお母さんは日本人です。お父さんは韓国人です」と。「日本のどこ?」「名古屋です」・・・その内分岐点で別れたけど、人ごみの中で最後まで話することが出来ないまま消えてしまった。「気を付けてね、元気でね」ぐらい言いたかったのに心残りがあった。大きくなったら韓国と日本の懸け橋になってねと願う。仲間にも恵まれ楽しい韓国の旅だった。最後に私がヘソをまげて悪酒悪酔い、帰国の日は二日酔いで最悪だった。自分の考えを他人に押し付けるつもりはないのだが、なんだか悲しくてプイとしてしまった。辛い場面にある人をたいてい擁護してきた私の事、自分が悪いことを重々と知っているところに、誰一人擁護する人がいなかったのがとても悲しくて辛くて悔しくて・・・。でも兄弟のような仲間だ。今ではすっかり打ち解けている。帰国してお喋りした。なんでそんなことで怒った?「一人ぐらい助け舟出す人がいてもいいんじゃない?私は困っている人を見たらいつも助け舟出しているよ」「そうだね、自分の事しか考えていなかったし、今までもそういうことを考えたことがなかった」と。その人の生き方と言うよりも素質なのかもしれない。でも今では理解してもらえたし、良い仲間であることも再認識して、もっと良いお付き合いが出来て、また一緒に旅が出来ればいいなあと思う。 サングムブリ噴火口の途中はススキが原で風情があった。ススキと何と言っても火山岩で出来た囲いは珍しいかな。また広い噴火口は草が生い茂っている感じだったが民有地のようだ。入場料は6000ウォン。 守り神の石のオジサンは「トルハルバン」という。お腹の上と下に手がある。右手が上?左手が上?は文官か武官というが良く覚えていない。まあ~~、沖縄のシーサーのようなものだd(^-^)ネ!
2014.10.28
台風が去って雨も風もなく静かな一日であった。朝から青空が時々覗き、雲の多い天気ではあるが、雲間から漏れた日差しがとても暑かった。気温的にはそう高くないが、外は相当暑い熱い!うだるような熱さだ。ジャングルな庭の手入れをやる気にはならない。家政婦業で精いっぱい。友だち夫婦を観光案内した首里城と南部戦跡めぐりの写真を紹介しよう。 守礼の門。上の額に『守礼の邦』と書かれている。琉球は礼節を重んじる国と言う意味である。 歓会門:首里城の正門。中国皇帝などの使者や冊封使など、訪れる人への歓迎の意味が込められている。 瑞泉門。瑞泉とは立派なめでたい泉と言う意味だそうだ。門の前にある龍樋にちなんでつけられた。 漏刻門を通った広場より遥か東シナ海を望む 首里城正殿。世界遺産登録は「首里城跡(しゅりじょうあと)」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではない。と言うことはこの復元された首里城正殿その物は世界遺産ではないことになる。その周辺には世界遺産に登録された玉陵、縁日藪三竹石門のほか、文化財も無数にある。 首里城正殿の屋根の龍。龍は琉球国王の象徴であり、権力の象徴でもあったようだ。 市場通り。その奥に行くと公設市場の肉屋さんやお魚屋さんがある。 公設市場で買って二階の食堂で調理してもらって食べることが出来る。 「いわ枕かたくもあらん 安らかに眠れとぞ 祈る学びの友は」中学の修学旅行で初めて訪れて、その悲しみがジワジワと伝わり、その詩は今でも忘れることはなく今でも心に残っている。 平和の礎。沖縄戦終結の地「摩文仁の丘」にある。世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ刻銘碑である。たくさんの刻銘碑に刻まれた名前を見ると、二度と戦争などあってはならないと悲しみが込み上げて、目頭が熱くなり目がうるうるしてくる。何と表現したら良いのだろうか、本当に戦争は酷だ!! 摩文仁の海。この海に身を投げて亡くなった方もたくさんいると聞いた。美しさと激しさと悲しさを感じる海であった。
2014.08.02
朝から降り続けていた雨は、今では上がり風だけが時々遠慮気味に感じる。台風12号は方向を少し変えて九州に向かっているね。地球環境の変化で台風の道も少し変わってしまったように感じる。何処へも被害が出ないように願う。沖縄の家は鉄筋コンクリートが多く、中にいると風の音も雨の音さえも聞えない。頑丈である。一番頑丈なのはお墓かもしれない('-'*)フフ。友だち夫婦を観光案内した時の三日目を写真で紹介しよう。三日目は朝の8時より北部、本部半島にある海洋博記念公園内にある美ら海水族館へ。私は実家籠りで同行せず、ご夫婦二人だけで行かせ、10時待ち合わせでヤンバルを北上。ワルミ海峡(大橋)→古宇利島大橋→マンゴー園→辺戸岬(祖国復帰運動記念碑)→奥→東海岸→名護→高速道→那覇(宿泊) 古宇利大橋を渡ると両側に砂浜が広がる。海の青と空の青が綺麗が大好きだけど、その日は入道雲がモクモク。それもまた良いかな・・・。白砂がまた綺麗だよ。 古宇利島のやや中腹にある軽食喫茶店『村の茶屋』で、この古宇利大橋と海の景色を眺めながら昼ご飯を食べた。友だちご夫婦はウニ丼を、私はモズクそばを食べた。 従兄のマンゴー園へ。写真のハウスの他にそれ以上に広いハウスを持っている。ちょっと広げ過ぎと自他ともに認めているのだが・・・、その内御殿が出来るのかな('-'*)フフ 沖縄本島最北端の辺戸岬は祖国復帰運動に寄与した岬である。沖縄本島の南端、沖縄戦の終焉の地として知られる摩文仁丘を出発して、東西両コースに分かれて北上、16日間歩き続けて4月27日に最北端辺戸岬に到着、海上の27度線を距てて沖縄側の辺戸岬と本土側の与論島(鹿児島県)で焚火がたかれて、祖国はすぐ近くにあると復帰を叫んだようだ。岬の広場で「沖縄を返せ」を合唱したようだ。私が中学生高校生の頃なので鮮明に覚えている。 辺戸岬の岸壁。岩は鋭く尖っていて、歩行困難危険である。 辺戸岬の岸壁。怖いもの見たさに覗きたくなる(^∇^)アハハハハ! ひたすら東海岸側の林道を走り、途中コーヒーでも飲もうかとなり、やっと見つけたコーヒーやさんへ入った。入口に目立たない看板があっただけだが、駐車場に車を向けると、何と広大な庭と手作りの飾物、綺麗な音色の風鈴が爽やかだった。もっと奥に行くと滝もあった。あまり遊んでいると那覇にたどり着かないぞと今回は遠慮した。コーヒーとケーキ、パイナップルを食べて元気をもらい那覇へ向かった。 那覇へ到着。国際通りをぷらぷら。夜は国際通りのライブ居酒屋へ。生憎月曜日はライブは休みと言われたが、バックミュージックは沖縄曲で、沖縄料理と泡盛楽しんだ。その後同級生の経営するスナックへ。
2014.08.01
山仲間の老夫婦を沖縄観光案内してやっと昨晩実家に戻って来た。最終日の昨日は不安定な天気であったが、天が味方してくれたかのように要所要所では青空を見せてくれて喜んだ。最後の観光は世界遺産斎場御嶽(セーファーウタキ)。琉球王国の最高の聖地で神の域。私はもう歩きたくないので老夫婦二人だけで行かせた。説明書きがされているからゆっくりどうぞと・・・。私は一人で『恋人成就のまち』を堪能した(*´σー`)エヘヘ。最終日の昨日の写真を紹介しよう。公設市場でお土産の買い出しに行きたいと言うので、二度目の公設市場を楽しむ。昨日は公設市場で魚を買って二階で調理してもらってお昼ご飯を楽しんだ。今日はお土産を買いたいと・・・。 今日のお昼は公設市場通りの入口の国際通りの、板焼きの『サムズ』で牛ステーキを楽しんだ。 牛ステーキの他に海鮮(エビや魚)がプラスされて、野菜も盛りたくさん、ガーリックライスも美味しかった。飲み物の器は持ち帰りオーケー。満足のようだった。 鉄板焼『サムズ』のトイレに行くとこんな素敵な洗面所に出会った。 知念岬に続く海岸線 知念岬公園。知念体育館の裏側にある。 可愛いd(゜ー゜*)ネッ!知念体育館の入口。海に浮かぶブイで出来ているのかなあ・・・。 南城市はハートの形をしていることから『恋人成就のまち』となったそうだ。
2014.07.30
沖縄の二日目はホテルをチェックアウトして西海岸を北上しながら青い海を満喫。老夫婦と言っても私と10歳違い。(; ̄ー ̄)...ン?私も10年経つとそうなるのかなと秘かに考えてしまった。行動がゆっくり。私もかなり行動はゆっくりの方だが、・・・・・でも考えてしまった。18年前からの山仲間である。大事にしなくちゃ・・d(゜ー゜*)ネッ! めんそ~れ。 宜野湾市にあるマリーナからコンベンションセンター。青い海と帆船とコンベンションセンターは美しかった。 背景の青い屋根のコンベンションセンターはコンサートや演劇などの大きなイベントが行われる。音響効果が美しい姿になったのだろうか・・・。 基地の街北谷町にあるアメリカンビレッジをショッピングしながら、お腹が空いたので沖縄生まれのタコライスを食べた。600円でお腹がいっぱいになった。 万座毛:ほんの一部の像の鼻だが、左側に高麗芝の草原がひろがり、万人が座することが出来る広場と言う意味だよ。 二日目最後の観光はガラス底ボートに乗って海の底のサンゴや魚たちを見た。海の青が透明でとても綺麗だった。
2014.07.27
毎日坂と階段を見ない日はないくらい坂道と階段道が多い長崎市である。まあ長崎市の一部かもしれないが・・・、そこで生活している人たちにとっては普通かもしれない。若い頃に関東の鎌倉や横須賀に住んでいた時に坂や階段が多く、汗をかきながら、時には泣きたくなったり、抱っこしていた子どもを捨てたくなったこともあるくらい辛かったことを思い出すのである(^∇^)アハハハハ!でもホント!子育てはそれほど重労働である。だから子育て中の若いお母さんを見ると優しい声をかけてあげなくちゃと思うのも事実である。「赤ちゃん可愛いね」と声をかけられるだけでも元気になれるのである。それは私の経験。核家族世代の若いお母さんを応援しなくちゃd(^-^)ネ! ちょっと脱線したが・・・、坂道で乳母車を押して歩くお母さんガンバレ!! 坂道を歩いて、さらに階段を登る。足が丈夫になるのかな・・・?? ムラサキケマン:ケシ科、多年草。ムラサキケマンの別名をヤブケマンとも言うそうだ。 ユキヤナギ:バラ科、落葉低木。3月から5月にかけて咲く花であるが、ここ長崎では満開で散りかけている。 グラジオラス:アヤメ科、多年草(球根)。夏に開花するものと思っていたが・・・。
2014.03.20
長崎に来て3日になるが空がいまいちだね。2日目は小さい雨が降っていたが・・・。外はなんとなく生温かい。どうやら花粉症ではなさそうだ。九州地方はもう終わったのかな。街を歩く人の服装を見てももう春だ。ダウンジャケットを着ている人など見かけない。薄手のジャケットか上着なし。毛のセーターやダウンジャケットは野暮ったく感じる。あんなにお世話になったのに・・・(^∇^)アハハハハ! いきなりダウンジャケットを脱いで風邪ひくと損とばかり小まめに脱いだり着たり。小さな日本国でも日本列島は北から南へ長いと感じるね。空色のいまいちは多分春霞だけではないだろう。最近問題になっている中国からの越境汚染公害pm2.5。このpm2.5は防ぎようがないと言う。花粉症や風邪のウィルスのマスクでは何の役にも立たないという。身体の中に入って内臓がやられるという恐ろしい空気中微粒子汚染。長崎では注意報が出され、外出を控えるように言われるようだ。特に体の弱い子どもやお年寄りは気をつけなくちゃ・・・。私も年寄りだが、今すぐには影響ない年寄りかな(^∇^)アハハハハ! 長崎の街。住宅地は山と言うのか森というのか高いところへ続いている。いつもはもっと奥の山も見えるのだが今日は霞みがひどくあまり見通しは良くない。マンション5階より。マンションその建物も坂の上に建っている。しかも15階建て。毎日見ても感心する。こんな坂の上にこんな高層ビルが・・・と。 この写真は東京。空港行きのモノレールのガラス窓より撮った。東京の空の方が青いねと感じる。
2014.03.19
朝起きたらマンション管理室から断水の放送があった。そうだった!それならどこかへ出かけよう~~っと!房総半島へ花見にでも行こうかというハッピーというか単純と言うか気ままな人間である。時々観光案内所へ立ち寄ってお花情報を聞いた。水仙は咲いているが、外房のお花畑はまず咲いていないという。咲いているのはキンセンカぐらいと。観光客が1月に花摘みに来るので何とか花を咲かせる努力をしているところもあるが、通常は3月4月が花の時期ですよ。・・・と。キンセンカやフユシラズ(カレンデュラ)は冬の花。そうだよね、亜熱帯の私の故郷だって今の時期に花はないよ・・・。納得納得!!そしてひたすら海岸線を走った。荒海の写真を撮って満足。何~~んにもない、ただ海風が吹き荒れているところで一泊は寂し過ぎる。今日のうちに帰ろう~~と。 海ほたるの千葉県側にある幸せの鐘。ここへ訪れた人の歓迎と、これからの幸せを願ってあるという。四方海に囲まれたというのか、海上のど真ん中で鳴らす鐘は遠い遠~いところまで届きそうな感じがしないでもないねぇ~。ちょっとロマンチックかも。 うみめがね:東京湾アクアラインについて学べる技術資料館。アクアラン建設中に使われたあらゆる道具なども展示されているようだ。見る価値はあるよ。面白そうだ!今度たっぷり遊びに行こうと決めた(^0^)/キャハハ。 海ほたる駐車場からのエスカレーター。駐車場の他に展望エリア、レストランも完備されて快適。5階までありエレベーターもあった。 大荒れに荒れていた海。風も波も冬を思わせたが、それほど寒さは感じなかった。押し寄せてくる波、しぶきをあげて来る高波、さらさらと消えていく波、釘つけになってしまう。
2014.01.09
家の中からは本日は晴天なり・・・。ところが外に出てみると北風が強く、耳がちぎれそうなくらい寒かった。w(゜o゜)w オォー北風だ!木枯らしだ!と心の中で叫びながらも出かけた。用事をさっさと済ませて、そのまま車を川越へ走らせた。喜多院、成田山、熊野神社、蔵の街を散策した。寒さが体に慣れてきたのか、風が収まったのか、・・・若者に言わせると歳をとって暑さ寒さの感覚が鈍感になっているという。バカを言うじゃない!今日の寒さは耳が冷たく痛くちぎれそうなくらい寒かったんだ!!老体だからこそ自分に鞭打って出かけているんだよ(^0^)/キャハハ。 喜多院慈恵堂(本堂) 喜多院多宝堂 川越 成田山 川越 熊野神社 蔵の街大通りから一つ中に入った通り。蔵の街寄りではなくて本川越駅に近い。蔵の街ではない商店街に並行してある。とても綺麗でオシャレな通りだった。どのお店も覗いてみたくなるほど古いものから新しいものまでオシャレに並んでいた。何となく今と言うより、昔の香りのする・・・。どこかロマンを感じる通りだった。今度ゆっくり歩いてみたい。
2014.01.06
今日は卓球だあ。何が何でも行かなくちゃ・・・、長期留守で会計業務が滞って皆に迷惑をかけてしまっては大変だ。昨日まで足を引きずるように歩いていたが、今日はだいぶ良くなってピンポン玉追っかけて走ることが出来た(^0^)/キャハハ(-_-;)ホントカ・・・オイ。やっと仲間との交流が平常に戻ってきて元気になってきたようにも思う。よ~~し!一人旅一人ドライブを復活させようという気持ちにもなってきた。先ずは国道299号線大好きになろうかと単純だね。7年前まではよく走っていたところである。今日の写真は白神岳、二ッ森山行の初日に泊った不老不し温泉を紹介しよう。日本海に面した露天風呂が有名である。その日の不老不し温泉到着はちょうど日が沈む頃であったが団体行動で夕日を見ることが出来なかった。かろうじて赤い色が残っていた。そして生憎その日は波が高いということで露天風呂は入浴禁止になっていた。翌朝には入浴オーケーになっていたが、分かった時には遅かった。混浴:波が荒く入浴禁止になった浴槽はお湯が張られていなかった。 女湯:すごい高波にさらわれてしまいそうだね。 露天風呂の全体:真ん中辺が混浴、右が女湯となっていた。
2013.10.17
恒例のひと夏の楽しいテニスの合宿が終わった。そして今日からは帰省の準備に取りかからなけらばならない。兄(長男)がアル中とニコチン中にとうとう体を壊し認知症も発症。この夏秋は忙しいので帰らないよと伝えていたのに、兄嫁から電話あり。家族がいるのに?(_。)なぜ私が?と思うのだけど・・・、腹も立つが兄弟だから仕方がない、病気だから仕方がない、支援と放置をコントロールしながら自分メンテナンスもしなくちゃ・・・と思っているところ。今日は大急ぎで畑のヘチマ水の取水。一升瓶にヘチマの蔓をセットしてきた。また二畝に葉野菜2種類の種を蒔いてきた。明日はセットしたヘチマ水を持ち帰ることと、ダイコンの種を蒔いてこなくちゃ。それが終わったら安心して帰省できるし、しばらく畑の事は忘れても大丈夫。写真は台湾旅行4日目の思い出をのせよう。旅の最後の日で、観光のメインは故宮博物院と昼食のカニおこわ。生憎朝から雨になった。コンビニで傘を買って、出来るだけタクシーを利用しようと歩き出した。 青と赤と白の豪華さが抑えられた、落ち着いた色合いの品のある博物院だった。展示物は歴代中国皇帝の宝物。どうやって台湾へやってきたかは日本軍の侵攻とも大きな関係がある。個人的な考え方を書くのはやめる。改めてもう一度中国関係の本を読見直してみたいと思っている。中の見学はカメラ、水(ペットボトル)、ザックの持ち込みは出来なかったが、ハンドバックはオーケーだった。私のハンドバックは大きかったので、ペットボトルとカメラはハンドバックの中に入れて良いと。なんと親切で規制も厳しさの中に穏やかさを感じた。 故宮博物院のトイレ内の鏡と手洗い水道と流し台。シンプルな中にも上品さを感じた。中国北京に3年間住んでいたことあるので、何かと比較した目で見ているm(。-_-。)mス・スイマセーン。 旅最後の昼食にはカニおこわ。美味しかった!! 最後だから台北ビール飲もう~~っと。真ん中がもちろんカニおこわ、左がヘチマ料理、右がナッツの唐辛子炒め。どれも美味しかった。満足満足。
2013.08.26
降りそうでまだ降っていないという感じかな。今日はどこへも行かずに家の中でゴロゴロウロウロ。台湾の旅3日目は8月19日。見たもの食べたものを紹介しよう。というより写真の列挙(^0^)/キャハハ。台北駅駅舎。ホテルのある中山駅から地下街を歩いて台北駅へ。表の台北駅舎を見たのは初めてだった。「これが台北駅舎だよ」と次女のガイド。中の地下街とプラットホームの賑やかさと比べて、表からの台北駅は静かでシンプルな駅だった。 これが3日目の朝ご飯。次女が狙っていた食べ物の一つみたいだった。歩きながら一個を二人で一つ。交代交代にかぶりつきながら、次の目的地へ。 台湾総督府。台湾総統が執務を行う行政府。赤いレンガと白い花崗岩が美しい。日本統治時代の台湾総督府の建物。建物の中を見学することが出来るが、私たちが訪れたその日は特別な日で中に入ることはできなかった。外に軍用車や警察の車があったので、すぐに普通ではないと感じた。 中正紀念堂。蒋介石の功績を讃えるために、逝去後に創建された記念公園の中にある。八角形の屋根は「忠、考、仁、愛、信、義、和、平」を象徴するようだ。階段の数は蒋介石が亡くなった年齢(数え歳)の89段あるようだ。 中正紀念堂の中、蒋介石像の前で毎正時に衛兵交替式が行われる お昼ご飯は火鍋にしよう。ビールで乾杯といきたいところだが、コーラで我慢我慢。夜中まで台湾を歩かなくちゃならないので・・・、酔いつぶれるわけにはいかないのだヾ(@^▽^@)ノわはは。そういえば昼、夜でもお酒を飲んでいる人は見かけなかったなあ・・・。たまにビールを飲んでいる人を見かけたら日本人の男性だった。お酒は日本の文化なのだろうかとさえ感じた(-_-;)ホントカ・・・オイ・・・。 台北市街から電車で約40分。台北の雑踏から逃れて、郊外の海辺に沈む美しい夕景をみたかったのである。 綺麗だった。時々空の上には飛行機が、海の向こうから船がやってくる。とてもいい眺めだった。感動感動! 太陽が沈んだ後もその余韻を楽しんだ・。 太陽が沈んだ後に橋がライトアップされ、また違う美しさを見せてくれた。夜の顔、まだ橋の上には人の波が消えない。私たちもその波の中に呑まれていった(^0^)/キャハハ。 ホテルに戻り、最後の夜は足裏マッサージ。頑丈に歩いてくれた足に感謝感謝。
2013.08.23
二日目は8月18日日。朝ご飯は台湾式で屋台のものを軽く食べ歩きながら。屋台ではない!ちゃんとした水道のある常設のお店で、衛生面ではあまり気になることはなかった。食べ歩きが終わったら、大型スーパーへ行き、まずはお土産を買いに。お土産よりもお惣菜の前から離れられないくらい目が点!!豚の太もも、足、耳丸まんま調理したもの、どれも食べてみたいと思ったり・・・、何とも不気味でもあった。お土産をホテルに置いて、お昼ご飯を食べてノスタルジックな街九份へ。うんうん(^-^)お昼ご飯はフカヒレとアワビ。サービスがいっぱいついて、もうお腹がパンパン、歩けそうにないくらいお腹が膨らんだ(-_-;)ホントカ・・・オイ・・ホント。さてさて今日のメインの観光は九份。バスが満員になったので、次のバスを待たないで他の人たちと乗り合わせてタクシーで。約一時間で一人二〇〇元。街の提灯に明かりが灯って写真を撮って帰る予定。天気に恵まれて夕日も提灯の夜景も、お茶屋さんでのんびり台湾茶を楽しみながら過ごした。通りは人人人で埋め尽くされていたが、茶館に入ると、その騒々しさが嘘のように静かでゆったり過ごせたのが気に入りって、何倍もお茶を楽しんだのである。豚の耳食べたいと思う?思わない?沖縄では茹でた豚の耳を薄切りにして和え物にしたものは普通に食べるが・・・、丸まんまを煮付けているのを見るのは初めてでびっくり( ゜_゜;)!! 豚の舌 牛の胃 牛筋肉 予定通りにお昼ご飯にはフカヒレとアワビ。まずはフカヒレ、(゜゜;)ワーッ!本物だ!! 左がアワビ。他はサービス品。 食事の終わりにデザート。左が白きくらげ、甘かった。トマト、パイナップル、グアバ。 九份の街で夕日に照らされた海を見て、提灯に明かり灯るまで過ごした。提灯に明かりが灯り、三〇分ほどすると閉店の準備に入るようだった。帰りはバスに乗って台北駅まで。 九份茶坊よりの景色。表の観光通りの雑踏とは違って静かに景色が眺められた。 そこは九份茶坊。日の入りの時間ちかくまでお茶を楽しんだ。
2013.08.22
次女と二人で台湾旅行を楽しんできたよ。8月17日~20日まで。空港から電車で中山駅で降りてホテルへ。先ずは駅からホテルまで歩きながら感じたこと、ホテルの部屋から外を見渡して感じたことは、池袋西口の風景に似ていると思った。ビル、道路、人間、都会だった。荷物を置いていっぷくしてから街を散策しながら今日の夕飯は小龍包を食べようっと!そして台北101という展望タワーで台北の夜景を楽しんだ。その後は夜市を楽しみながら電車を乗り継いでホテルに帰った。第一日目から夜遊びたっぷり。この老人は歳を忘れ、また娘も私の歳を忘れていたのかな(^0^)/キャハハ。それは違うか・・・。台湾の国民性なのか台北の繁華街なのか、とにかく夜遅くまで賑やかだった。夜遊び族(^0^)/キャハハ。 台北松山国際空港に到着 台北街散策。違和感のない綺麗な街だった。 台北街散策。自由広場にある劇場の建物の内外で自由で気取らない人を感じた。 小龍包で有名なお店。どこへ行ってもたいてい日本語の出来る店員さんがいた。「この店で小龍包を食べてきて」と言われていた。リピーターの次女が真っ先に向かったところがそこだった(^0^)/キャハハ w(゜o゜)w オォー!!展望塔のほぼ真上にお月さん!大きい声で叫んで次女に注意されたヾ(´▽`;)ゝウヘヘ。台湾で最も高い台北101展望塔へ。夜の10時まで開業していた。「30分待ちで20分の見学になるけど良いですか?」と言われたが了解のもとエレベーターに乗った。30分も待たずに行けたのでゆっくり夜景を楽しむことが出来た。
2013.08.21
今日は雨が降らなかったら卓球の後に畑に行かなくちゃ・・・と、遊んだ後の元気回復で意気込んでいたのだが。どうやらお天道様の気づかいかな。畑にとっては恵みの雨、私にとっては自愛の雨(^0^)/キャハハ。野菜たち元気になるよ(^_^)ニコニコ 。昨日一昨日はビデオクラブの撮影旅行で東北方面へ。栃木県鬼怒川の龍王峡、福島県の大内宿と鶴ヶ城。台風3号接近と台風3号東へ、雨は避けられるかもしれない・・(・_・)......ン????。晴れ女返上かなと思っていたが、なんと二日間とも青空が顔を出した。\(^O^)/ヤッター!やっぱり晴れ女だあ・・・ヾ(´▽`;)ゝウヘヘ。でもね、撮影はやっぱりごまかしは効かないというのが分かった!!一番の新人、何もわかっていない。積極的に撮影に加わったり、ムービー作りをして鑑賞会に参加しないといつまでも上達しないというのがよくわかったのである。立派な三脚を持っていながら、駆使できないで自己流に・・・、わずかな揺れにも不愉快な私であった。三脚を使いこなそうと大きな反省だった。・・・撮影以外はとても楽しかった(^_^)(^_^)(^_^)(^_^)( ^ _ ^ )。龍王峡の虹見の滝と虹見橋。虹見の滝は五龍王神社の境内より迫力のある滝を見ることができる。ま奥に見える虹見橋に立つと下流上流の異なる景色を見ることができる。 虹見橋に立ち五龍王神社方面の虹見の滝と下流の渓谷を楽しむ。 大内宿:親しめる宿場町だった。青空と茅葺き屋根似合っているd(^-^)ネ! 一人列から離れて、駐車場に戻る時間までまだ十分あるなあ~、それなら団子でも食べようかなあ。じゅうねん味噌焼き団子を一本食べた。一人歩きが好きな私のこと、ベンチに座って団子とお茶を飲みながらお店の人とお友達のように話をしていた。大勢の中にいても一人でいる時間は心が癒される時間なり…ヾ(´▽`;)ゝウヘヘ。じゅうねん味噌とはエゴマを練り込んだ味噌の事。 会津、鶴ヶ城。とっても上品なお城だった。天守閣の内部は郷土博物館となっていて会津の歴史に触れることができるそうだ。私もこれから勉強する。旅行に行くまではただ付いて行くだけだったが、その後の勉強が私の唯一の楽しみ、歴史嫌いだった私に歴史を学ぶ楽しさを教えてくれている。学校時代を卒業して歴史の面白さというのか、大事さをつくづく感じている私である。数学が好きだった私に弟が「歴史なくして数学はあり得ない」と言った言葉が今も忘れないのである。
2013.06.13
今日は久しぶりの卓球と畑作業を楽しんだ。卓球クラブに新入部員が参加した。新人と私とのやり取りを聞いて皆大笑いした。漫才聞いているより面白いと。卓球の後は畑を2畝耕し、草むしり、隣の畑の方にレタスとサラダ菜を分けてあげた。夏野菜を植える準備がほぼ出来上がり、連休明けを待つだけである。今日も写真は熊野古道と自然を紹介しよう・・・っと。和歌山県串本町の橋杭岩。右に左にまだ続いていて島に繋がっている。海もとても綺麗で圧巻な自然美である。 串本ロイヤルホテルの部屋の窓から。橋杭岩の向こうからあがってくる朝日に歓声! 熊野古道館:熊野古道館で語り部の話を聞いて滝尻王子、熊野古道中辺路、一里塚跡、牛馬童子、近露王子へと出発した。 熊野古道全体図と熊野三山。すっきりしてわかりやすい。 間もなく牛馬童子へ。山の会の私たち3人にとっては古道歩きはそう難しいものではなかった。グリーン帯を歩くこと楽しんだ。 牛馬童子:中辺路の箸折峠の近くにある。高さ50センチの小さな石像。牛と馬の2頭の背中にまたがっている。 オガタマノキオガタノキに着床しているセッコク。熊野速玉大社の方に聞くとボウランと言われたが、セッコクと思う。間違っていたらゴメン。ボウランとは葉も花も違う
2013.04.25
今日は寒い。もう春かと思えばまだ寒い。三重県に住む友人から今日は嵐だとメールが来た。昨日までの熊野古道と三山詣の3日間はとても快適な天候に恵まれていたんだとお天道様に感謝感謝!4月21日、22日、23日は観光ツアーで熊野古道と熊野三山へ行ってきた。熊野古道歩きは途中割愛が多かったけど、それでもとても楽しかった。というよりも充実した歩きと三山詣でと柔らかな春の自然美と南紀から鬼ヶ城の海岸線の美しさは格別だった。ショッピングもまた楽しかった。次回は古道を歩いてみたい。自然をゆっくり楽しみながら・・・。とりあえず写真をアップしてみよう。熊野本宮大社への長い階段。熊野本宮大社:山門の鳥居からたくさんの階段を歩いた。 熊野速玉大社熊野速玉神社その2 熊野那智大社:こちらも山門の鳥居から長い長い階段を歩いた。熊野那智大社その2 熊野那智御滝と三重塔 鬼ヶ城:帰路に立ち寄った三重県の海岸線にある鬼ヶ城。鬼ヶ城その2鬼ヶ城その3
2013.04.24
ノロウィールスではないが、ウィルス性の胃腸炎で動けなくなった三女の家族を応援するために長崎に出かけた。三女が治りかけたころに二人の孫、と私にしっかり感染していた。三女のような重症ではないが嘔吐。三女がしっかり回復し、孫たちも元気になったので安心して昨日夜埼玉に戻ってきた。さてテニスに行こうと張り切っていたのに、胃の辺りにまだウィルスが居座っているのかチクリチクリするので、テニスを休んだのである。私はいたって元気なのだが、仲間に感染させては困るので自主的に休んだ。今年最後のコーチ付きの練習だったのにと残念がったが仕方がない。電話があって飛行機の最終便に間に合うかどうかぎりぎりの時間だったが、パソコンで検索している暇はないと空港に駆けつけた。でもやっぱり間に合わなかった。翌朝一番の長崎行きはソラシドエアの6時50分。初めて聞く名前、初めて乗る飛行機だったが、すっかりお気に入りになってしまったハハハハ。帰りも利用した駆け込み割引だった。早朝は羽田の朝日が綺麗で、飛行は高度がそれほど高くなく山々の雪景色や町並みが楽しめた。
2012.12.18
今日は昼にテニスの忘年会、夜は市民大学の山の会の忘年会があった。テニスの忘年会は毎回平和な会である。私が最も大好きな会でもある。たわいのない話で盛り上がり、講師も素晴らしい人間である。夜の部の市民大学の忘年会も大のお気に入りである。テニスの会から戻って来たところで、仲間の女性から一緒に行こうと電話があり、喜んで参加した。カラオケにも参加して盛り上がったところで、一人の男性から話があると言われ、聞いてみると色恋、女と男の関係の話であった。70前後の色恋にはついていけない。『男の都合の良い女にはなりたくありません。はっきりお断りしますと伝えてください』と伝え、悲しくて悲しくて、自然に涙が流れ止まらなかった。泣かないでと女性に励まされ、すぐに気を取り直して歌を歌ってごまかした。でも私には理解できない男のエゴと言うのか。男気質の私であるが女っぽさを見せてしまった涙であった。駅から自宅に戻りながら空しさと悲しさでまた涙が流れた。私はまだ60になったばかり、市民大学、山の会は70前後の高齢者が仲間で、なんとなく生き急いでいるようにさえ感じる。でもそんな中でも人間らしさを失わず素敵に生きている人間が大好きである。残り少ない人生、思う存分好きなように生きれば良いというものではないだろう。人を多少傷つけても自分の思う生き方をしたいという考え方は大嫌いである。私はそんな男性に翻ろうされたくありませんとはっきり言い切った。私の関係無いところでそんな男と女の話が飛び交っているなって許せない!!私の姿。のんびりのほほんと過ごしたい。多分何もない自分と同じだろうと思いながら眺めていた。 マングローブ。マングローブと言う樹木はなく水生樹林帯をマングローブと言うのだそうだ。私の故郷にもマングローブはたくさんあるが、初めて花や実を見た。おっとりした時の過ぎ方がもしかしたら私にぴったりかもしれない。
2012.12.04
コタキナバルはマレーシアのサバ州にある。サバ州はマレー半島にあるのではなく、ボルネオ島にある。もっとも赤道に近い熱帯雨林気候でモンスーン地帯である。雨が降る時はバケツをひっくり返したような雨が降るようだ。スコールと言うらしい。私はまだ経験していない。滞在していた1週間のうち一回だけ雨が降った。食事をしている間だけで小雨で1時間も降っていなかった。天候に恵まれて素晴らしい青空だけが脳裏に残っている。もう一度行ってみたいくらい美しい青空と風景を紹介しよう。コタキナバルのホテルより眺めた景色。国内の夏の40度を経験していたせいか、とても過ごしやすい気候だと思った。道路も思ったより綺麗で美しかった。海岸沿いはなんとなく故郷沖縄と似ていた。 ホテルの朝食は美しい海を眺めながら。 ホテルの4階からの朝食時に、水上生活をしている地域を見ることが出来た。少しずつ陸に移動しているようだ。 キナバル山麓へ向かうバスの中より。1週間青い空に恵まれた。
2012.12.03
奥日光と言えば湯元温泉、湯元温泉と言えば奥日光、温泉と紅葉で有名である。1日目の昨日は天気に恵まれて紅葉に大喜び、2日目は朝から雨でも紅葉に大喜び楽しい旅行だった。とっても綺麗な紅葉だった。初めてのクラブ撮影旅行はビデオカメラの勉強と決めていた。あ~~あ、ブログ用の写真が2枚しかないと今気づいても遅い(_ _。)・・・シュン。湯ノ湖:標高1478mのところにあり、周囲約3Kmで約1時間で一周できるようだ。半周しただけだが満足に歩き、満足な撮影が出来た。湯ノ湖の湖水は湯滝に流れ、湯川を通り戦場ヶ原の湿原を通り、竜頭の滝を流れて中禅寺湖にたどり着く。夕景を待ったが残念ながら黒い雲が来た・・・。 散歩したくなる景色だd(^-^)ネ! ビデオクラブに入会してもう1年以上になるが、まだ迷い道くねくねが続いている。最近山に行く時にはカメラを首にぶら下げて、ビデオカメラをザックや手にぶら下げて歩いていた。そんな自分の姿を滑稽に思うのだが、どちらも手離せないでいた。迷ってばかりいるからビデオの仕様が頭から抜けてしまうんだ。(; ̄ー ̄)...ン?ビデオカメラは動画と静止画の切り替えが簡単に出来ることを忘れていた。説明文のある案内板とか、額に入れて飾りたい写真は静止画に。楽しい撮影旅行が終わって、自宅に帰りビデオを再生して初めて間抜けな自分に気がついた。動画と静止画の使い分けがスムーズに出来るとビデオカメラに何の迷いもなく楽しめるだろうと思った。あ~~あ!!気がつくのにずいぶん時間がかかった。道くさ、寄り道大好きな私のこと、少し遠回りしたが頑張ってみるかあ~っ。
2012.10.23
今年の市民大学4期校友会の恒例の旅行は被災地復興支援旅行だった。二日目の今日は海岸線へ向かった。ガレキは片づけられていたが、家が流され土台だけが生々しく残っていた。昨年泥のかき出しに行った時の状態を知っているのでなぜか涙がこぼれた。塩谷崎灯台の近くにあるお店で津波の様子の写真が展示されていてその説明を聞いた。私は自分が疑問に思っていた義援金の事について質問した。「すぐにでも役立ててほしいとの願いからたくさんの義援金で応援したつもりですが、実際に皆さんの元にどのように届いていたのでしょうか?」「私たちにはわかりません」と。「何処へ消えて行ったのだろうかと思うと悔しいですよ。」国からの支援金と国民のポケットマネーから出した義援金とは使い道が違うはずだあ~。物資は直接配られていたがお金に関してはどうなっていたのだろうか?疑問。個人が1円、10円、100円、1000円、1万円、またそれ以上を募金箱に入れたとして、全国から集まったお金はばく大だよね。建物、お店も見た目は普通に活発だったが、辛さを押し殺して頑張っているのだろうと察した。 ガレキな片づけられ、家が流された土台だけが生々しく残されていた。 塩谷崎灯台の下方にある美空ひばり歌碑と追悼碑。こちらは被害がなかったようだ。波はあがってきたけど足元程度だったと。小名浜のまるかつで昼食 昼食の後少し時間があったので、一人でこっそり漁港に行ってみた。見た目は復興しているように見えるが、見えないところに大きな打撃があるんだろうなあと。滅入ってばかりいても前に進めないもんね。ガンバレ!
2012.10.16
8月も半ばを過ぎてしまったd(^-^)ネ! こちらは娘たちとの楽しい夏休みも終わった。ちょっと寂しいようなホッとしたような気持ちだ。昨日は巣鴨の地蔵通り商店街へ散策とショッピングに出かけた。暑さで人通りの混雑はなかった。元気なおばちゃんの声が時々聞こえたが・・・。名物の開運赤いパンツは冬に流行るのだろうか。赤の熱でお腹を守ると言えば納得。こんなにうだるような暑さでは遠慮するはずだ。冬に備えて買っちゃった(^∇^)アハハハハ!すがもんのおしり:巣鴨駅を出て巣鴨地蔵通り商店街の入口に『すがもんのおしり』と言うのを見つけた。「やさしくさわって、やさしい気持ちをおみやげに」と書かれていた。優しく( ^o^)\(^-^ )ナデナテ"して触った。私の頭には優しいおばあちゃんをイメージしていたのだ。巣鴨はお年寄りの原宿という先入観があったのだ。だからてっきりおばあちゃんのお尻かと思っていたのさ。なんとすがもんは12歳の男の子だった(_ _(--;(_ _(--; ゴメンペコペコ。いつか、すがもんが地蔵通り商店街を歩いているところに会えるかなあ。 年寄りにも若者にも優しい地蔵通り商店街である。暑さのせいかお盆のせいか商店街はいつもより閑散としていた。涼しくなる頃また出かけよう~~っと。
2012.08.17
見栄を張ったわけではないが、薄着で観光地を楽しんでいたらすっかり風邪をひいてしまった。分かってはいたんだ。これじゃ風邪ひくと。今日は夜の7時より山の定例会。黙っていられないのでついつい意見を言ってしまった。終わって飲みに行こうと誘われたが車で来ている事と風邪ひいていると断り帰ってきたのである。今日は18日の伊勢の二見と伊勢神宮を私の撮った写真を紹介しよう~~っと。夫婦岩に行く入口。伊勢神宮を参拝する人たちが身を清める場所として栄えたようだ。 二見の夫婦岩。 伊勢神宮境内の大きな木を見つけて癒されている。
2012.05.23
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