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ワタシの第二の師匠はとある本の著書でした。世間一般では経営コンサルタント的に見られている方ですがこの方の本質は、人と仕組みを研究する研究者のような感じです。人の考え方や行動を研究していてこれはビジネスに応用できるとそっちで有名になった感じです。当時、商売に行き詰っていたワタシはヒントを求めていろいろな本を読み漁っていましたがこのY氏の著書を読んだ時にこういう考えもあるのかと衝撃を受けたのです。当時ビジネス書は「どうやって商品を売るか?」のような技術的な手法を書いたものが多かったのですがこのY氏は根底から違っていて「人は何を考えどう動くのか?」から始まって「どうすれば商品を欲しくなるのか?」に誘導します。通常のビジネス本が商品に重点を置くのに対してY氏はお客という人に重点を置く手法なのです。本だけでも衝撃的な内容でしたが、Y氏の主催する勉強会のような集まりがあり(もちろん有料)決して安くない金額でしたがワタシは速攻で入会する事にしました。その勉強会には当時1500社ほどの会員が在籍していて各々の試した手法を皆で共有するという仕組みがありました。本だけでは得られない生の情報が手に入るのです。もちろん、1500社といっても大企業から個人事業主まで業種も多種多彩で会で得られた知識が即自分の役に立つという訳ではありませんが自分なりに工夫や改良してそれを試し、結果を会に報告する。するとまた誰かがそれを試して工夫を加えて試し発表するという実に良い循環になっていました。また、年に数回の講演会でY氏の生の声を聴く事も出来たし会員限定のパーティー的なものがあって志を同じくする同志と直接会えるような催しもありました。Y氏の提唱する手法は決して即効性はありませんしかし、極めればそれこそ何でも売る事ができるようなミラクルな力がありました。会に入会したワタシはさっそく黙々と実践し続けました。1年目はほとんど何も変わりませんが2年目あたりから少しづつ変わり始め3年目には相当に変わっていたと思います。また、会の中で知人も増え一生涯の友人にも巡り合えました。そもそも、ワタシ自身突拍子もない事をとりあえずやってみる的な事が多くその突拍子もない実践例がY氏の目に止まり懇意にさせていただく事も増えました。ワタシはY氏の事を師匠と思っていますがワタシが勝手に思っているだけで、一応は主催者と会員の関係です。Y氏の考えを学ぶにつれてお店の売り上げが上がった事は間違いないのですがそれ以上に商売抜きの人間関係も変わりました。Y氏の「人は何を考えどう動くのか?」は何も商売に限った事ではなく日常生活のありとあらゆる事に応用が効くのです。Y氏のおかげで視野が劇的に広くなったような気がします。それまでは自分を中心に100mほどしか見えなくてそれ以上は霧に包まれていたようなイメージですがY氏に学んでからは霧が晴れて水平線まで見通せるようになった感じです。世の中の事がわかったとは言いませんが世の中がどう動いているのかが見えるようになった気がします。正直言うと、Y氏の教えはワタシの細胞レベルまで染み込んでしまってどこまでがワタシの持っていた持論でどこからがY氏に学んだ教えなのかがまったくわからない状態です。融合してしまっています。ワタシが偉そうな事を言っても実はそれはY氏の受け売りなのかもしれません。第一の師匠S氏には人間や人生について大事な事を学びました。第二の師匠Y氏には人間の心や社会の仕組みについて学びました。ワタシの人生を大きく変えた二人の師匠には感謝しても感謝しきれません。必要とした時に師は現れると言いますがワタシの場合もまさに最適なタイミングで表れた師でした。「私には師が現れない」と言ってる方もたまにいらっしゃいますがそれはまだ師が現れるタイミングではないのかもしれません。まだやれる事があるはずです。それをやり切った時に師は現れるような気がします。
2026.06.30
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騙し騙し使っていたDVDレコーダーのリモコンがいよいよダメっぽい。なので今回はこれを修理する。前回ブログのキッチンタイマーと同じでボタンが効かないのだ。まずはサクッと分解する。修理方法も同じだ。基盤とゴムボタンの裏側を溶剤で洗浄する。これで大半の効かないボタンは復活する。・・・・・・・・・・・・・・・・・なんだけどリモコンの十字ボタンの構造がちょっと違っていた。理由は知らんがここだけゴムボタンじゃなくて基盤埋め込みのスイッチになってる。埋め込みなので同じように洗浄できない。十字ボタンも調子悪いのでここが直せないと痛い・・・(;^ω^)よー--------------く観察してみたらこの十字ボタンだけ何やら透明なシールが貼ってある。剝がしてみると・・・・・なんと埋め込みボタンが取れた。あれ?これだけ???おわん型のパーツが透明シールで貼ってるだけであった。こんなんで良いのか?しかもここだけ別構造にする意味がわからん。まぁ、悩んでもしかたないので基盤とおわん型パーツの裏側を洗浄して元に戻しておいた。ここで動作テストしてみる。皆さん、リモコンはどうやって動いてるか知ってますか?赤外線を使ってるんです。普通、赤外線は目に見えないですが見る方法があるんです。それがこれスマホのカメラで見るです。スマホのカメラは人間の目よりも幅広い波長をとらえる事ができるので目には見えない赤外線もスマホカメラを通すと見えるんですよ。これでリモコンのボタンを押して光るかどうかで動作確認ができるのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・動作確認の結果、洗浄してもダメなボタンが発見された。今度はこれを復活させる。具体的に言うと、ボタンの裏側の電導ゴムがすり減ったりして電気が通らなくなっているのでこれをなんとかすれば良い。昔はアルミホイルを小さく切って張り付けたりしたものだがこれって地味に大変なのだ。ところが、便利な世の中ですね。最近は丸く加工されたアルミシートが売ってるんです。しかも、粘着剤付き。つまり、洗浄しても効かないボタンの裏側にこいつを張り付けるだけである。こんな感じ。動作チェックもばっちりでリモコンは完全に復活しました。めでたしめでたし。余談ですが、ワタシはスマホなど細かいネジがたくさんある物を分解する時は画像のような100均で売ってる薬ケースを使っています。分解した順にケースに入れておけばネジが混じらず紛失する事もありません。修理後に組み立てする時は逆の順のネジを組み込んでいけば良いので超便利です。
2026.06.29
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百均の商品でありながら便利に使わせてもらっているキッチンタイマー。10キー付きで任意の時間がサッと設定できるし、時間計測もできるしこれが百円で買えるなんてもはや脅威でしかありません。そんなキッチンタイマーが不調です。時間がセットできないしセットしても音が鳴らないし・・・・・・・・・・・・・・・・・捨てるか?また同じの百円で買えばいいし・・・・とは、ならんのがワタシの悲しい性であった(笑)とりあえず分解する。ショボッ!!!何にも入ってない。基盤を外して裏返すと出てきた。どうやら基盤の埋め込みチップの中に全てが集約されているようだ。とりあえず、溶剤で基盤とボタンの裏側のゴムを洗浄しておいた。ワタシはIPAなんてお上品な物は持ってないのでホワイトガソリンです。どーだワイルドだろう? (笑)直ったっぽい・・・これでラーメンがつくれる(爆)ちなみに、百均製品を修理するなんて時間と手間の無駄じゃない?と、思う方がいらっしゃると思いますが。100%正しいです。( ̄▽ ̄;)でもね・・・・「修理のススメ」でも書きましたがこんなクダラナイ事の積み重ねが強いメンタルをつくるとしたら・・・・・時間と手間の無駄じゃないかもよ・・・・・( *´艸`)
2026.06.28
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またまた知人にiPhoneの修理を頼まれたのでやってみた。なんだかんだ言って一番難しいのがやっぱり殻割。これが難易度の9割のような気がする。プロはスマホケースの殻割が簡単にできる工具を持ってるようなので今後、このような修理が多くなるなら欲しいかも(笑)液晶側に付いてる各種センサーを外す。今回のスマホはカメラが本体側にあるので微妙に楽かもやっぱりネジは小さい。クシャミ一発で詰みます。(笑)地味に苦手な防水シール貼り。ここで手を抜くとえらい目に遭いそうなので慎重にする。なんやかんやで修理完了。・・・・・・・・・・・・・・今の仕事に飽きたら今度はスマホ修理業でもやろうかな(笑)( ̄▽ ̄;)ちなみに今回の修理に関して知人にお小遣いをもらったのだが子供のゲームソフト代に没収されましたとさ・・・・・
2026.06.27
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新たな試練の到来である。順調だった商売も徐々に陰りが出始めた。当時の酒屋は強固な免許制度に守られて既存の酒屋の近くには新しい店は出店できない仕組みがあった。お客は余程の事がない限り近くの酒屋でしか酒を買えなかったので例え店主がアル中であってもそこそこ売上があったのである。映画館の中の売店のようなものであるところが、国による酒免許制度の見直しがあり人口基準や距離基準が順次撤廃される事になり既存の酒屋の近くでも新しい酒免許が下りるようになったのである。ワタシのお店の近くでもスーパーやコンビニに酒免許が下りて酒の販売を開始しはじめた。既存の酒屋でも安売りに走る店が出始め激安酒屋がもてはやされたのもこの頃である。今まで定価販売が当たり前だった酒の値段が崩れ始め至る所で酒を売るようになった。この影響を受けないハズがなく、ワタシのお店の売上も陰りが見え始めたのである。それまでのワタシは勢いで売っていた事もありこの酒免許の規制緩和という大波を乗り越える術を持ってなかった。当時、日本酒のブームのようなものがあり幻の酒といわれるような物は値段に関係なく売れるような感じではあったがそれらの酒は仕入れる事はできなかった。それ以外の酒は値下げしないと売れないような状態だった。そもそも、酒、塩、タバコ等は法律による規制で守られていたのだが反面、極端に利益率が悪いのであった。ビールなんかは定価で売っても利益率が18%ほどしかなく値引きして売ろうものならあっという間に利益が削らられて何をやっているのかわからない状態であった。想像ではあるが激安店はビール1ケース(5-6000円程度)の利益が100円くらいだったのではなかろうか?値引きして売るのは駄目かと言って、定価販売できるような商品は手に入らない。八方塞がりの中でワタシは活路を求めて色々な本を読み漁った。その時に書店で手にしたのがY氏の本であった。結論から言うと、Y氏はワタシの2人目の師匠となった。
2026.06.27
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長年に渡る父親の確執と、警察に犯人扱いされた怒りが警察署に営業に行くという暴挙に出てしまったワタシですがそれをきっかけに売上が上がってしまいました。実は、この話には続きがあります。数年も後の話です。知人のK氏は飲食店を営んでいたのですがボヤを出してしまいお店が焼けてしまいました。ワタシはK氏のお店の後片付けを手伝う事にしました。焼けた物、使えなくなった物を片っ端から車に積んで処理センターを何度も往復しました。なんとか後片付けは終わったのですが問題はこれからです。厨房設備は無事でしたが店内は焼けてしまいとても営業できる状態ではありません。それまでK氏のお店は経営的にギリギリだったそうでお店を再建する余裕などなかったのです。そこでワタシはK氏にお弁当をつくる 事を提案しました。シンプルな事です。お客が来ないならこちらから持って行けば良い。お弁当の配達です。厨房設備は無事なので容器さえ買えば作れるはずです。早速、ワタシはチラシを作成。商工会の輪転機を使わせてもらって1000枚ほど印刷しました。そのチラシを近隣にバラ撒いたのです。ここでワタシは警察署へ営業に行った事を思い出していました。●警察署に営業に行くヤツはいない。●警察官は忙しくてきちんと昼食を取れないかもしれない。●安価でボリュームのある弁当を配達すれば売れるのでは?と、思って真っ先に最寄りの警察署に突撃しました。(ちなみにワタシが昔突撃したのとは違う警察署です)すると・・・・・チラシを配り始めて1時間も経ってないのにK氏のお店の電話が鳴り止まなくなったのです。こちらが想定していたよりはるかにたくさんの注文が舞い込みました。調子に乗ったワタシは火事の時に迷惑をかけたであろう消防署にも突撃。厚顔無恥とはこの事ですがなんと消防署からも注文が殺到しました。それからもチラシを撒き続けたワタシですがK氏からもう止めてくれと言われたのでしぶしぶチラシの配布を中止。弁当の作成、弁当箱の手配、配達等全てが追いつかなくなったのです。その後、K氏のお店は急激に回復どころか以前よりも遥かに売上を上げるようになり従業員を入れ数年後には複数店舗を出すようになりました。そもそもこの話はワタシに訪れた試練が発端になっていますが結果的にワタシ自身やK氏までもが多大な恩恵を受けられました。試練を乗り越えるとご褒美があると言われますがこの経験はワタシのその後の人生に大きな影響を与える事になります。
2026.06.26
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父親が亡くなって数年・・・・・何もかも全てが変わりました。お店の売上も上がり商売は順調。結婚して子供も生まれました。正直、父親と暮らしている時は結婚なんて全く考えられませんでした。基地外と一緒に暮らして平気な女性など世界中探しても一人もいないでしょう。ましてや子供なんて想像すらしていませんでした。・・・・・・・・・幸せなんですよ。幸せのハズなんです。・・・・・・・・・・・でも、気が晴れないというか喉に小骨が刺さっているというか・・・・原因ははっきりしています。父親への思いがずっと引きずったままなのです。父親がアル中になったのは本人の心の弱さが原因なのは間違いありません。聞いた話によると父親は4人姉弟の末っ子。姉3人なので男は父親一人もともと気が弱く人付き合いが得意ではなかった父親はとても商売に向いてなかったのですが無理やり酒屋を継がされたそうです。そういう時代だったそうです。気が弱く人付き合いが苦手な父親の生存戦略はシンプルでした。人に対してひたすらペコペコして絶対に逆らわない。自分というモノがなく全て他人に合わせるといった感じでとにかく敵をつくらず憐れみを誘うような生き方だったのです。当たり前ですが、そんな事は長く続きません。父親は酒に溺れて病院に通うようになったそうです。父親と母親の馴れ初めは聞いてませんが家族ができると次第に父親の裏の顔が現れて絶対に逆らわない家族にだけ対して暴言や暴力をふるうようになりました。母親は私たち兄弟を連れて何度も家出をしたものです。そんな事なので、家族も父親を避けてなるべく関わらないようなりました。すると父親はますます酒に逃げて酔って暴言暴力に走ります。全て悪循環でした。その成れの果てに肝硬変になり最終的に浴室で吐血して逝ってしまったのです。もう、完全に自業自得としか言いようがありません。ワタシも母親に次ぐ被害者なので父親が亡くなってもしばらくは冷めた気持ちでいましたがなんというかモヤモヤが消えないというかモヤモヤが年々大きくなるのです。そうなんです。ワタシの喉に刺さっている小骨は「父親を殴った事」なのです。たとえ基地外であっても実の父親。父親がいなかったらワタシは存在していません。師であるS氏にも「父親を恨むな」と言われていたのに父親が酒に溺れるのは寂しいからなんだとわかっていたのにワタシは自分を抑えられなかったのです。父親を殴ってから父は借りてきた猫のように大人しくなりました。その時からずっと罪悪感に苛まれていたのです。悪いことをした謝ろうとずっと思っていたのです。でも、謝るタイミングがなかったというか謝れなかったのです。父親が急に大人しくなったのは力関係が逆転したというよりは実の息子に殴られたという事実が父親の心を完全に壊したのでしょう。壊したというか、心が◯んだのかもしれません。つまり父親は浴室で◯んだのではなく、それ以前に心が◯んでいたのです。つまり、ワタシが◯したようなものです。これがワタシの喉に刺さっている小骨の正体です。ワタシは父親に謝りたかった。でも、謝る前に逝ってしまった。小骨はずっと喉に刺さったままです。・・・・・・・・・・・・・・・・そこでワタシは父親に手紙を書く事にしました。ずっと持っていた思いと謝罪の気持ち。全て残らず文字にしました。そして、墓参りに行った時に、墓の前で読み上げて燃やしました。父親に届いたかどうかは分かりませんがワタシの小骨の痛みは少し和らぎました。でも、こんな事でワタシの罪が許されるとは思っていませんワタシはこの痛みを抱えたまま墓まで持っていきます。一生苦しむのがワタシの罪だからです。
2026.06.25
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父親の葬儀やなんかかんやで怒涛の日々を乗り越えたワタシですが落ち着いて考える余裕ができた頃警察に容疑者として疑われた事が無性に腹立だしく思えてきて腹の虫が治まりません。なにか警察に復讐したくなったのです。そして、ワタシの考えた復讐方法はチラシを持って警察に営業に行く(合法的に刑事の財布からお金を巻き上げる)と、いうものでした。さっそく、ワタシはチラシの束を抱えて警察署に突撃しました。そして、刑事課に堂々と入り、先日疑われた刑事さんを見つけてこう言いました。「先日はお世話になりました」そして、満面の笑顔を浮かべて商品をセールスしたのです。ワタシ的には不法侵入で逮捕してみやがれ!どうせネタになる・・・・・くらいに思っていましたが刑事さんは苦笑いするだけでお咎めなしでした。調子に乗ったワタシは一般人は絶対に入らないような警察署のありとあらゆる部屋を訪問して営業していきました。結果的に刑事さんは商品を買ってくれませんでしたが同じ警察署内の交通安全協会の職員さんが面白がって買ってくれました。交通安全協会は警察の建物内にありますが警察とは別組織でワタシが容疑者として疑われていたなんて事は一切知りません。普通に営業の結果として買ってくれました。こうやって、復讐に成功したワタシですが当たり前の事実に気がついたのです。それは、警察署で営業するヤツはいない。まぁ、普通はしませんよねぇ(笑)こうしてワタシの復讐は終わったのですがそれに味をしめたワタシは次々と普通誰も行かない場所に営業をかけていきます。消防署、税務署、裁判所などなど・・・・・民間企業でも大手になると個人的に伝手がないと入りにくいものですが警察署で営業したワタシにとっては赤子の手をひねるようなものでした。当時は池田小学校事件の前でしたので学校という学校も勝手に入り込んで職員室で営業していました。そんな事をしているうちにお店の売上がどんどん上がっていったのです。お客もどんどん増えていきました。よく自己啓発本とかで幸福は試練のあとにやってくるとか試練を乗り越えたら幸福が待っているとか、当時、父親との争いでいろんな本を読んで耐えていたワタシでしたが上記の言葉は絵空事としか思えずそんな訳あるかい!!!!と、信じていませんでしたがアル中父親との長い戦いや警察に疑われた事全ての試練が今、お店の売上アップという事実に変わっていました。試練を乗り越えると幸せとは言わないがご褒美があると、腹の底で理解したワタシでした。
2026.06.24
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父親との立場が逆転したワタシはある程度まともな生活ができるようになっていました。父親はというと昼頃まで寝ていて、起きたら酒飲んで、夕方頃になったら出ていき、夜中に帰ってきて寝るような感じです。どこかスナックかどこかで飲んでるようでした。ワタシ的には父親と顔を合わす時間帯が短いので楽でした。そんな、一見平和な生活が続いていましたがその日は突然にやってきました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・朝、普通に起きてトイレに行くと浴室の電気が点いていました。父親が朝まで飲んでいて朝風呂に入るのは普通の事だったのでまた朝風呂に入っているのだろうと気にもとめませんでした。それから1時間経っても父親は風呂からでてきません。なんぼなんでもおかしいと思い浴室のドアを開けてみると恐ろしい光景を目撃する事になります。父親は真っ赤に染まった浴室の中で沈んでいたのです。なぜか蛇口からお湯がちょろちょろ出ていて父親の身体は茹でダコのように真っ赤そまり頭はお湯の中に没しています。いかん!慌てて父親を引き出そうとすると真っ赤に染まった皮膚がズルリと剥けたのです。もう、ダメやん!と、思いながらも救急車を呼び父親は運ばれて行きました。運の悪い事にその日は地元商店街一斉のセールの日でお店にはお客さんがどんどんやってきます。父親がすでに●んでる事は明らかなので弟に病院に行かせてワタシはお店を続ける事にしました。今後はワタシの力で生きていけないのは確定しているので救う術のない父親よりも将来を取ったのです。父親の自業自得だと冷めた目で見ていたのもありました。その後、消防から父親の状態が「変●」だと判断され警察に通報されました。なんとか商売で忙しくしている事で正気を保とうとしているワタシに次の試練が襲いかかります。ワタシは警察から完全に容疑者扱いされていたのです。父親が◯なっているのに黙々と仕事を続けていたのも疑われた要因になったようです。事情聴取か取り調べかよくわかりませんがワタシは警察に延々と同じ事を質問されてブチギレそうになってました。後で聞いた事ですが、警察は同じ質問をして返答が変わらないか見ているそうです。咄嗟についた嘘は一貫してないのでバレるとか。そんな怒涛の一日でしたが父親の◯体が帰ってきたのでは夕方でした。検視の結果、事件性はないの事で警察はさっさと帰っていきました。永遠に続くと思われた地獄がある日突然終わったのです。人生でここまで追い詰められ無我夢中で乗り越えた経験はその後の人生で何が起こってもあの時よりはマシだな。と、思えるほどになっていました。
2026.06.23
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父親の異常な言動は日に日に酷くなりました。ある日の事、父親は泣きながら喚いていました。何を言っているかわかりませんが要約すると「自分は何もしてないのに太陽が槍を飛ばしてくるんだ」と、泣きながら訴えるのです。太陽の直射日光が槍に見えて自分に刺さったように思ってるようです。ワタシはここまで来たかと、背筋が寒くなりました。父親の言動には波があり、落ち着いている時はまともに見えますが酷い時は上記のような奇行に走ります。正直、夜中に刃物でも振り回しかねないのでワタシは就寝時は部屋の鍵をかけて、枕元に鉄パイプを置いていました。本当の話です。それからも父親との対立は続き日常的に喧嘩をしてました。ワタシは普通に仕事して普通に生活したいだけでした。そんなある日の事、ついに事件が起こります。詳細は言えませんがワタシの精神が限界を超えたのです。ワタシは大声を張り上げながら父親の顔面を拳で殴ったのです。何度も何度も父親は顔面が血まみれになりながら部屋を出ていきました。まさに、「やっちまった」と、いう感じです。ワタシは直後から罪悪感に苛まれました。基地外とは言え、父親に手をかけてしまったのです。図らずもこの事件から生活が一変します。父親が家の中でも借りてきた猫のように大人しくなったのです。力関係が逆転したというのが正解です。ワタシはある程度普通に生活ができるようになりました。お店のお金も持ち出せないようしました。ただ、酒だけは売るほどあるので父親が酒を飲むのを防ぐ事はできず飲酒量はさらに増えていったような気がします。そして、ある日の事父親との地獄のような生活は突然に終わりを迎えます。
2026.06.22
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地獄のどん底に落ちたワタシはどんどん病んでおりました。おそらく大勢の方に愚痴っていたと思います。「なんで家を出ていかないんだ?」と、思うかもしれませんが一応ワタシは給料をもらっていて母親に仕送りしていたのです。出ていかない理由はそれだけでした。そんなある日の事、友人から合わせたい人が居ると持ちかけられました。その方は某酒蔵の営業部長のS氏です。ちなみに商売上の関わりは一切なかった方です。「酒の売り込みか?」みたいに想像していたのですがまったく違いました。会うや否や「なんだその暗い顔は!」と叱咤されました。ワタシが事の次第を打ち明けるとS氏は涙を流しながら話を聞いてくれてその上で「いいか、父親を恨んではいけない。父親が居なかったらお前もいない。だから感謝はしても絶対に恨んではいけない」と、言われ「何があっても前を向いて歩け!後ろは向くな!ネガティブな感情は捨ててしまえ!」S氏とは長々話しましたが上記の言葉が全てです。ワタシが驚いたのはS氏の言葉ではなくS氏が涙を流した事です。取引先でもなんでもない初対面の赤の他人の為に涙を流す人がいるんだ!それ以降、ワタシはS氏とやりとりを続け次第にS氏の事を師と仰ぐようになりました。S氏から具合的にこうすれば良いみたいなアドバイスは一切なく父親の狂った行為は相変わらずでしたが、地元の友人の助けもあってワタシはなんとか精神崩壊せずに耐え続けいました。今、家を出ていったら涙を流してくれたS氏に申し訳がない。その思いがワタシに力を貸してくれていたような気がします。
2026.06.21
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両親の離婚が決定し父親側に付く事にしたワタシですがあらためて実家の酒屋に帰って仕事を手伝うようになると目を覆う現実に直面する事になります。酒屋と言えどお店なのですが店に商品がないのです。本当ですよ。厳密に言うと多少は置いてますが値札等いっさいありません。じゃ、お客が来たらどうするかというとお客が欲しいものを聞いて倉庫から出すような感じでした。値段は聞かれたら言う感じでした。当時、酒屋は免許制度というものに守られていました。人口基準と距離基準。人口○〇人に対して酒屋は●件まで既存の酒屋の半径××m以内は新規免許は出さないと、いう風に既存の酒屋の近くに新しい酒屋は出店できないという規制があり映画館の中の売店のように酒が欲しい人はよほどの事がなければ近くの酒屋で買うしか選択の余地がなかったのです。店主がアル中で酒浸りでも店がどんなに汚くて散らかっててもある程度の売り上げと利益が出るという恐ろしい状態でした。数年の間実家から出て外の空気を吸っていたワタシは実家の酒屋の現実を見せられて言葉も出ませんでした。しかし、まだ20歳そこそこでエネルギーに満ち溢れていたワタシです。店を徹底的に作り直す決心をしました。どうせ父親は酒を飲んでるだけで何もしません。勝手にやる事にしました。とりあえず、掃除しないと始まりません。何日も何日も掃除して、大量のゴミを何度も捨てて掃いて、拭いて、磨いて・・・・・汚い什器は捨てて木製の什器を手作りしたり商品を並べて綺麗なプライスカードをわかりやすいPOPで店を埋め尽くしました。そうして、ようやくお店と呼べるような状態になりお客さんからも「見違えるほど綺麗になったね」と褒めてもらえるようになりました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ところが、父親はこれが気に入らないようでした。ワタシが勝手にお店を綺麗にしてお客さんに好評な事が父親は威厳が失われたようにとったようです。まったく酔っ払いの理論は理解不能です。父親は手は貸さない、金は出さないが口は出す!というふうに訳の分からない謎理論を展開してケチをつけまくります。それだけなら大したことないのですがお店のおつまみコーナーのつまみを食い尽くす。レジのお金を持って飲みに行く飲みに行った後、ワタシは寝てしまっている夜中に帰ってきてお店のシャッターを開けて商品の酒を持ち出してまた飲みに行く夜中に誰もいないお店のシャッター開けっ放しです。夜中にふと何の気なしに目を覚ましたワタシがお店のシャッターが全開になっているのを見て絶句したのは1度や2度ではありません。また例によって父親がなぜか酔っ払い呼び寄せて営業中に店で大勢の酒盛りが繰り広げられたりするのです。当時、家庭用カラオケマシンが流行っていたのですがそれを手に入れた父親が酔っ払いを呼び込んで大音量で歌いまくるのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・正直言うと、父親の気持ちはわからんでもありませんでした。母と離婚して姉弟も家を出て、ワタシは戻ったもののまともに相手しません。近所の人からはアル中と認識されていたので誰も相手にしません。つまり父親は寂しかったのです。その寂しさからさらに酒に溺れ、酔っ払いを集めて騒ぐ事で憂さを晴らしていたのでしょう。わかっていたんです。わかっていたけどワタシには地獄の日々でした。さらに、どうしてそうなったのかは知りませんが父親は韓国に入り浸るようになります。店のお金を握りしめて1週間ほど韓国に行くようになりました。韓流ブームが起こるよりもはるかに前の事です。物価も当時日本の1/16くらいだったように思います。父親は韓国では訳の分からない偽ブランド商品を大量に買ってました。グッチとかエルメス、シャネルの偽物です。素人のワタシが見ても造りの悪い粗悪品でした。それを日本に帰って近所の方に配るのです。韓国では大金(物価1/16ですから)をばらまく日本人としてちやほやされ地元では大量のお土産をばらまく事で一時的にちやほやされそれに気をよくした父親はさらに韓国に入り浸るようになります。もちろん、お店の現金を持ち出して行くのです。ワタシにはそれを止める術はありませんでした。アル中とはいえ店の代表取締役社長であり世帯主であり実際に店を回しているのはワタシでしたがワタシには法的には何の権限もなかったのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・当たり前ですが、こんな事してると現金が足りなくなります。現金がなくなったら父親は借金を繰り返すようになりました。当時はお店のあった場所の地価は結構高くてそれを担保にお金は借りられました。ワタシはなんとかお店を繁盛させようと努力したのですが父親が全てをぶち壊し、店のお金を持ち出して散財し借金がどんどん増えていったのです。もう、ワタシの精神も限界を迎えようとしていました。
2026.06.20
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某3流大学に進学したワタシはアパートで一人暮らしを始めました。アル中の父親から離れてもう怒鳴ったりされない事そして、自分の城を持った事また新しい友人に囲まれてまさに生まれ変わったような気分でした。もともと勉強したくて進学した訳ではありませんので勉強なんてやらずにバイトに明け暮れていました。それまでは自転車小僧だったワタシですがアパートが急な坂の上にあった事から原付バイクに乗り始めそれ以降バイクにのめり込む事になります。400ccのバイクを手に入れ峠道を爆走したり荷物を山のように積んで旅したりしました。当初自転車小僧だったワタシはバイクに対して懐疑的だったのですがあっという間にバイク小僧と化していました。そんな充実した日々を送っていたワタシですがある日突然現実が襲いかかります。両親が離婚する事になりました正直言ってかなりショックでした。もちろん、酒を飲んで暴れる父親に対して母親が可哀想でたまらないので早く離婚した方が良いとずうっと思ってはいたのですがいざ、実際に法的に離婚という事になると天変地異で全てが崩れ去るような恐怖に襲われたのです。それと同時にワタシは父親と母親どちらに付くか選択を迫られます。絶対に父親に付くのは嫌でしたが母親に付くのも問題がありました。母親は家を出てたのは良いですが収入がありません。ワタシの姉弟は母親と一緒に家を出ましたがワタシまで母親について行くと経済的に破綻する事が目に見えていたのです。当時の酒屋は免許制度に守られていて店主がアル中でもそこそこの売上と利益があるという恐ろしい世界でした。アル中の父親は嫌だが父親に付いて酒屋をすれば母親を経済的に支える事が出来るのではないか?苦渋の決断でしたがワタシは大学から実家の酒屋に戻る事になったのです。
2026.06.19
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ワタシが高校生の頃になると父親のアル中がかなり酷くなってきました。気に入らない事があると怒鳴る。何かあったら全て家族のせいにして大騒ぎするなんてのは普通の事です。実家は酒屋ですので文字通り酒は売るほどあるので酒を隠すなんて事もできません。また、類は友を呼ぶなんて言いますが夕方になると仕事帰りの酔っ払いが集まってきて父親を交えてお店の中で酒盛りを始めます。もうこうなったら普通のお客さんは誰も来なくなります。夜、お店を閉める時間になると父親はお店に来た酔っ払いを家に上がらせて飲み会の続きが始まります。ワタシの実家はまさに地獄絵図と化していました。高校生になると将来の進路について考えなければいけませんが父親はワタシが高校を卒業したら即、店を手伝わせると考えていたようです。その当時は長男が家業を継ぐというのはごくごく普通の事でしたがワタシにはそれは地獄の入口にしか思えなかったのです。将来の進路を悩んでいると母はこう言いました。どこでも良いから進学してこの家を出なさい。あなたはここに居てはいけない。母の言葉に励まされてワタシは三流大学を受験して家を出る事になります。ほとんど家出同然でしたが、家を出る前に父親に一言「行ってくる」と、言いましたが父親は布団から出ず何も言いませんでした。そして、ワタシは一時的にではありますが自由の身となったのです。
2026.06.18
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ワタシの前半生でも本当は語りたくない黒歴史です。正直に言いますがワタシが物心ついた時には父親はすでに酒浸りでした。朝起きるとまるでコーヒーを飲むようにカップ酒を飲んでいました。ワタシが幼い時は他所の家の事情なんてわかりませんのでそれが普通なんだと思っていました。朝、起きたら酒飲んでそのまま仕事してバイクや車も運転してました。もちろん、酒の臭いをさせながらお店で接客もしてました。不思議ですがなぜか飲酒運転で検挙されないのです。本人が酒飲んでるという意識がないのか車を運転してもこそこそしないので怪しまれないのでしょう。(夜にこそこそと裏道を走ると捕まるという話を聞いた事があります。)うちの父親はなんか変だぞ! と、思い始めたのがワタシが中学生の頃高校生の頃にはだいぶおかしくなってきてました。父親は昼間、商売しているときは借りてきた猫のように大人しくお客にはいつもオドオド・ペコペコしていました。それが夜になると豹変して家族に対して、怒ったり怒鳴ったり傍若無人の振る舞いをするのです。機嫌よく飲んでたかと思うと、急に昔の嫌な事を思い出して急に家族に対して怒り出すなんて日常茶飯時でした。時には暴力をふるう時もありました。冷静に父親の事を分析すると、父親は基本的に気が弱くて自分というものがありません。そこで酒に逃げて絶対に抵抗しない家族にだけ怒鳴り当たり散らすという感じでした。ワタシはそんな父親が大嫌いで嫌な事、困った事から逃げてると父親みたいな人間になる。絶対にこんな大人にはなりたくないと心に誓いました。何があっても逃げないという今のワタシの基本姿勢はこの父親の影響を強く受けています。父親がアル中で家庭崩壊したのは事実ですが反面教師としてワタシの人生を支えてくれていたという事に気づくのはずっと後の事です。
2026.06.17
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なんだかんだ言いつつも観ています。豊臣兄弟。ずー-----------と、もやもやしていたのですがここ最近の展開はさすがに辛くてしんどかったです。なんといいましょうか?大河ドラマというのは史実が基本にあって史実だけだと年表になってしまうのでその行間を膨らませるのがドラマの面白さであるはずなのですがどうする家康あたりから映像にインパクトがあれば史実なんてどうでもいいという開き直った感がありました。豊臣兄弟はどうする家康ほどではないにしろ史実軽視でオリジナル要素に尺をとるという嫌な展開が続いておりああ、どうする家康の二の舞か・・・・と、半ばあきらめかけておりました。そして、今回 第23回は「さらば半兵衛」タイトル通り竹中半兵衛の死を描く回です。史実というか通説では黒田(小寺)官兵衛が敵に寝返ったと勘違いした織田信長が人質である官兵衛の息子を●すように命令するが余名わずかの竹中半兵衛の機転で官兵衛の息子を救ったという感じ。なんだけどまた、いつものように史実はさらっとスルーするか、大幅改変してとって付けたようなお涙頂戴シーンに尺をさいてさぁ、みんなここは泣くところですよぉ!みたいな感じになるかと思ったのですが今回だけは良い意味で裏切られました。史実の枠組みは守りつつ実は竹中半兵衛は本当に人質を●そうとしていて人質を守ろうとする人達との頭脳合戦を繰り広げます。そこに秀長の子の誕生(番組オリジナル要素)を絡めて思いもよらない方向に話が進みますが結局は通説通り竹中半兵衛が人質をかくまう結果になる。一旦通説の逆張りを張りながら元に戻すというちょっとハラハラ展開。そして、偽の人質の首を織田信長に差し出すのですがこの辺のやりとりの演技が素晴らしかった。以下は画面にでてこないワタシの推測(妄想)です。●織田信長 人質の子供を●せと命令したけど、ホントはそんな事やりたくないんだよね。 でも、ここで示しを付けないと裏切者がどんどん増えるからしかたないよねぇ 竹中半兵衛!お前ならわかるだろ!俺の気持ち!●竹中半兵衛 もちろんです。これは偽の人質の首ですが私が勝手にやった事です。 これは本物という事にしておいて下さい。●織田信長 さすが天才軍師じゃ、ご苦労だった。●竹中半兵衛 どういたしまして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・実際のシーンは以下のような感じです。竹中半兵衛が首桶に入った首を差し出す。それをのぞき込む織田信長そして、「損な役回り大義であった」とねぎらうと、たったこれだけなのですが小栗旬と、菅田将暉の圧倒的な演技力、セリフじゃなくて表情だけで上記のワタシの妄想のようなやり取りが伝わってくるのです。いやぁ、この2人凄いわ!その後、竹中半兵衛の死が描かれるのですが菅田将暉さん、ホントに痩せてるんですよ。死の間際みたいに。特殊メイクでここまでできるのかな?ひょっとして役作りで本当に痩せたのかも。いやはや、頭が下がります。ほんと、凄い役者さんです。ってな感じで今回は正直、面白かったです。23回目にしてようやく本気をだしてきたか?なんだ、やればできるじゃないか。諦めかけていたんですが、ちょっと希望がでてきましたね。頼みますよ!頑張れ! 豊臣兄弟
2026.06.14
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高校時代の頃、実はいじめを受けていました。きっかけはささいな事だったと思います。いじめと言っても巷で騒がれているような悪質なものではなく●物を隠す●無視する●背中から蹴る●不意に足をひっかける●数人で押さえつけるなどなど、金銭要求や暴力行為まではいきませんが当時はそれなりに辛い状態でした。ワタシは明確な反撃をしなかったのでいじめはどんどんエスカレートしてきて加担する人数が増えていきました。そうなるとクラスの中でこいつはいじめても良いみたいな変な雰囲気ができてくるのです。ワタシが反撃しなかったのには理由があります。反撃するとおそらく結構な殴り合いになります。そうなると、双方停学処分になるでしょう。今はどうか知りませんが、昭和の当時でも部活動の部員が停学になると部活動全部が自粛され最悪、大会の出場辞退なんて事にもなります。卓球下手で部に貢献していないワタシが停学処分によって部に迷惑をかける訳にはいかない。それだけの理由で反撃しませんでした。正直言うと、反撃しようと思えばできました。当時のワタシは前回の記事で書いたようにそこそこ強靭な筋肉を持ってました。また、趣味で自転車で走り回って何度か死にそうな目にも遭っていたのでメンタル的にも「少々の事ではめげない精神力」が身についていたのです。いじめをしていた人は多かったのですが中心人物は3人程度だったので勝てないにしても相手の顔面にパンチを入れて鼻血と歯の本を折るくらいの自信はありました。もちろん、いじめが暴力行為にまで発展していたらワタシは迷わず反撃していたと思います。いじめが暴力行為までいかない陰湿なレベルだったのはおそらくですが外観から分かるワタシの筋肉でしょう。また、高校の体育の授業では柔道があったのですが実はワタシは柔道が強かったのです。特に寝技には自信があって負ける気はしませんでした。(じゃぁ何で卓球部なんだという突っ込みを自分でしています)ワタシ自身3年間いじめを受けていたのでそれなりに知見を得る事ができました。●いじめはほんのささいなきっかけで始める●最初のいじめをスルーすると徐々にエスカレードする●いじめは基本的に放置では終わらないいじめが放置では終わらないというのは簡単に言うといじめは娯楽だからです。いじめを行う方は楽しくてたまらないので辞める理由はありません。徐々にエスカレートするのももっと楽しみたいからです。またいじめを行う中心人物は少なくても雰囲気が周りに伝染します。大雑把な感じとしていじめをする人がクラスで10%、しない人が10%、どちらでもない人が80%ってな感じです。最初は10%の人のいじめを受けるのですが、いじめがエスカレートするとどちらでもない80%の人も雰囲気の飲まれて積極的ではないにしろいじめに加担しはじめます。こうなったらかなり辛い状態になります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・じゃぁ、どうすればいじめを辞めさせる事ができるのでしょうか?ワタシの個人的な意見では戦うのが手っ取り早いです。いじめを受けたそのタイミングで一人で良いです。顔面にパンチを入れて反撃します。相手は鼻血くらい出るでしょう。いじめ組に加勢が入って1人対3人になるとこちらが一方的にやられるでしょう。でも、それで良いです。一人で良いので相手の顔面にパンチを入れたという事実は揺るぎません。おそらく十中八九その後いじめは収まると思います。もちろん暴力行為を推奨している訳ではありませんがそもそもいじめをしてくる輩は頭が弱いので言葉ではどうにもならないのです。学校でいじめを受けた場合、卒業まで我慢すればいじめは終わると、考えるかもしれません。確かに終わります。でも、社会で出てもいじめはどこにでも転がっている事に気が付きます。そうなんですよ。いじめから逃げてもいじめは次々とあらわれます。いじめの根底にあるのは人間の本能なのでいくら綺麗事を並べても結局いじめはなくなりません。ではいじめにはどう対処するべきでしょうか?最初のきっかけが一番重要です。いじめはほんの些細な事からはじまります。その時に明確に反撃しておけばいじめの芽を摘む事ができます。いじめのきっかけはほんの些細な事なのでいきなり顔面パンチで流血は不要です。演技で良いのでブチ切れて大声を張り上げる程度で充分です。これだけで大半のいじめは収まります。要は威嚇ですね。今回はいじめの話になりましたがいじめを受けた時にワタシを支えてくれたのが筋肉と精神力です。筋肉があると、いざというときは反撃できるという自信が持てます。自分の中で反撃するしないの選択の余地が生まれます。筋肉がないと反撃するという発想がなくなり、いじめを受け続ける事になります。そうなんですよ。筋肉の有無で精神力が変わってくるんです。筋肉は絶対裏切らないと、いうのは本当に名言だと思います。結局高校3年間いじめを受けていたワタシですが今にして思うと、いじめはワタシにさらなる強靭な精神力を与えてくれたような気がします。厳しいトレーニングによる筋肉といじめによる精神力。この2つがワタシが中高生の頃に手に入れた宝物です。
2026.06.13
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中高生の頃といえばやはり勉強と部活動。勉強の方は学校の成績でいうと100人中80位くらいでしたね。(笑)なぜか理科だけは90点以下は取った事がない感じですが他の教科は酷いものでした。理由ははっきりしてます。興味がなかったのです。今は歴史大好きなワタシですが、学校の歴史の勉強は年号と人名を覚えるだけでぜんぜん面白くなかったのです。歴史の時間に大河ドラマのビデオを流してくれてたらめっちゃ勉強していたと思います。(当時はそんな機材は一般的ではありませんでしたが)勉強はまるっきりダメだったワタシですが部活動は頑張っていたと思います。中学入学当時仲の良かった友人に誘われて卓球部に入部しました。実はワタシは球技は苦手でなんかダメなんですよ。野球なんかも苦手です。(笑)どうも向いてないみたいです。(;´∀`)ただ、当時はあまり深く考えてなくて友人に誘われるまま入部。ところが、友人はすぐに辞めてしまってワタシはハシゴを外された状態でしたが部活で新しい友人も増えた事もあってそのままずるずると卓球部に在籍し続けてしました。卓球というのは卓球台でプレイする訳ですが1台の卓球台に2人しかプレイできません。卓球台が3台あってもプレイできるのは6人。例えば部員が20人いたら14人はプレーできないのです。で、そのプレイできない時間は素振りとかトレーニングをする訳ですが球技の下手なワタシはトレーニングばっかりしていました。(笑)腹筋、腕立て伏せ、背筋、スクワット、鉄アレイ田舎の学校ですので裏山の山道のランニングはかなりキツかったです。続いて高校でもなぜか卓球部に入部したワタシですが下手なのは相変わらずでした。今、考えるとワタシの性格が悪い方向に作用していたと思います。スポーツなんかは特にですが基本が大事です。セオリーというのがあって初心者は徹底的に基本練習をするべきです。基本ができて伸び悩むようになって初めて自分なりの工夫をするべきです。ところが、部活ではワタシの悪い癖がでちゃったんですね。基本を知らないのに最初から自分なりの工夫をしちゃうんですよ。もちろんセオリーから外れてるので上手くいくはずがありません。上達しないし、当然勝てません。上達しないのでさらなる工夫を重ねていき、どんどんセオリーから外れていくのです。結局、6年間卓球をやったのですがからっきしダメで練習でもほとんど勝てず試合にはほとんど出してもらませんでした。じゃぁ、6年間の部活動は無駄だったのかというとそうではなく6年間のトレーニングで自分で言うのはなんですがかなりの筋肉質の体になってました。腹筋なんかはチョコレート板のようにボコボコになってました。筋肉は裏切らないと、言ってた方がいらっしゃいましたが100%同意します。筋肉って何もしない状態(例えば寝てても)エネルギーを消費します。エネルギーを消費すると熱が出ます。熱が出ると体温が上がります、体温が上がると免疫が上がります。筋肉が多いと、病気しにくいし、怪我してもすぐ治る。たくさん食べても太りにくい身体になるのです。まさに良いことづくめ。部活の時に身に着けた筋肉って学校を卒業して部活を辞めると減りそうな気がしますが意外と減らないのですよ。社会人になっても歩く、走る、物を持ち上げる等々筋肉って使いますので増えこそしませんが急激にも減らない感じです。現在、還暦を過ぎたワタシですが3階くらいの移動なら階段を1段飛ばしで駆け上がりますしお腹もそこそこ固いです。病気もほとんどしませんしインフルエンザにかかってもタミフル飲みません。全ては筋肉のおかげです。(*^^*)表面的には努力してもまったく報われなかった部活動ですが一生涯ワタシを助けてくれる強靭な筋肉が手に入っていたという事に気が付くのは中年過ぎてからの事です。また努力の方向を間違えるとどれだけ頑張っても報われないという事を身に染みて理解できたのも良い経験だったと思います。
2026.06.12
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小学生の頃は段ボールで遊んでいたワタシでしたがどうにもならない事がありました。それは自転車です。同級生達は自転車を買ってもらって学校から帰ったら自転車に乗って遊びに行ってました。ワタシも自転車が欲しくて親にねだったものですが結局買ってもらえませんでした。今にして思えば、経済的に買えなかったのではなく、自転車なんか買い与えたら飛び出してどこに行くやらわからない。そんな危機感もあったのかもしれません。(笑)当時、フラッシャー自転車というのが大流行していました。自転車に電子式のウインカー(方向指示器)が搭載されていてしかも、電子音が鳴り、流れるように光が移動したりまさに、未来の自転車だったのです。また5段変速ギアや当時のスーパーカーブームの流れでリトラクタブルライトなんてのもありました。そんな最新型の自転車を乗り回す友達を垂涎の眼差しで見ることしかできなかったのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ところが、中学生のなった頃に転機が訪れます。親がどこからか自転車をもらってきたのです。自転車 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!と、なったのは言うまでもありません。自転車を手に入れたワタシはあっちうろうろ、こっちうろうろ。それまで抑圧されていた反動が一気に爆発したのかもしれません。日曜日は1日かけて50~60㎞は走っていたんじゃなかろうか(笑)ワタシのもらった自転車は古い物でしたが10段変速+ドロップハンドルというどちらかというと高校生もしくは大人用の自転車でしたがワタシはそれがとても気に入っていました。同級生達は前述のフラッシャー自転車に乗っていましたがワタシ的にはそれがとても子供っぽく見えるようになってしまいました。その影響か?最近の高級車等に装備されている流れるように動くLEDのウインカーを見るとちょっと小っ恥ずかしく思っちゃいます(笑)高校生くらいになるとだんだん自転車に物足りなさを感じるようになり自分でパーツを買ってきて改造するようになりました。最終的には元のパーツはフレームとホイールのリムだけという有様でフレームも自分好みに塗装していました。また休みを利用して泊まり込みで遠出するようになり四国1周したり、北海道1周もしてました。最初はユースホステルに泊まったりしてましたが、寝袋を手に入れてからは公園とかで寝るようになってましたね。公園で寝てたら野良猫がやってきて寝袋の中に潜り込み朝まで一緒に寝たりしてました。野生動物と一緒に寝るなんてなかなかできるものじゃないですよね。(笑)北海道では地震による鉄道の運休によりスケジュールがめちゃめちゃになったり集中豪雨で予定の道路が通れなくなったりしました。四国1周の時は高知で台風の直撃を受けたりとにかくトラブル続きでしたね。台風の直撃を受けた時は自転車もろとも吹き飛ばされて「あれ? 死ぬかも???」と、何度か思いました。(笑)それでも旅は苦しくも楽しかったのですが今では良い思い出です。ワタシのアウトドア好きの素地はこの頃に始まったように思います。学校の野外活動か何かでテントで寝た事はありますが当時はテントなんて子供が買えるような物じゃなかったし個人でテントを持つなんて発想もありませんでした。寝袋があればどこでも寝られる。それだけの思い込みで実際に自転車で旅をしていたのです。子供の頃に芽生えた物の中身や仕組みを知りたい、分解したい。あこがれの自転車に思い切り乗って知らない世界に行ってみたいそんなワタシの鬱憤を満足させてくれたのが自転車でありそして、アウトドアへの素地というかできたのもこの頃だったように思います。自分でルートを決めて実際に行ってみる予定通りに行く事は少なくてたいていトラブルに見舞われる。当然スマホもなければ頼れる人もいない己の頭と力だけでなんとかしなければならないどうにもならなければ現地の赤の他人に聞いたり教えてもらったりした。やってみるとなんとかなるものです。そんなのがワタシが中高生の頃から始めた旅でした。その反動か?今時の観光地を巡ってお土産を買いまくるような旅行はどうにも性に合わないのです。(笑)自転車の旅の途中で何度か死を感じた事はワタシのメンタルに多大な影響を与えていてその後、高校でいじめを受けた時に思わぬ形で役に立つ事となります。
2026.06.11
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ワタシの小学生の頃はいわゆる高度経済成長期というのでしょうか?世の中に大量の物が溢れ出した頃です。それまで子供は自然の物や身の回りの物で遊ぶというのが基本ですがだんだんと魅力的な玩具が世に出回るようになってきてて同級生の友達はいろんな玩具を買ってもらっていました。で、ワタシはというと、親は基本仕事で忙しく、子供は放置だったので玩具的な物はあまり買ってもらった記憶がありません。そこでワタシはお店に大量にあった段ボールで遊んでいました。段ボールだけはたくさんあったし、ハサミやセロテープもいつでも使えました。大きな段ボールは窓を開けて秘密基地をつくったり小さな段ボールは広げて板にしてパーツを切り出していろんなモノをつくっていました。当時は仮面ライダーとかが大人気だったので返信ベルトやマスクが欲しくて自分で作っていました。しかも、被るだけでは面白くないので、マスクの目の部分に豆電球を仕込んで光るようにしたり、マスクの内側の頭頂部にスイッチ的なモノを仕込んでマスクを被ると目が光る的なギミックも実現していました。正直、今でも段ボールの束を見たらワクワクします。(笑)今のワタシは●無い物はつくる。●周りにある物でなんとかしてみる●上手くいっても失敗しても改良を加えてみるという、感覚を持っていますがそれらは小学生時代の段ボール遊びから培われたような気がします。もし、ワタシの親が簡単に子供に玩具を買い与えるような事をしていれば上記のようなワタシの感覚は培われずにワタシの人生は違ったモノになってたような気がします。子供の欲しい物を買い与えるのは今では当たり前ですが子供の中に眠っている色々な可能性を潰しているかもしれないというのは頭の中に入れていた方が良いかもしれません。
2026.06.10
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それではぼちぼち始めていきましょう。忘れてしまっていたり記憶違いもあるかと思いますがご了承下さい。ワタシが生まれたのは田舎の小さな酒屋でした。3人兄弟で両親共働きという構成はこの時代はごくごく普通の事です。昭和のこの頃、まして田舎では営業時間や定休日という考え方もあまりなくお店は朝から夜まで閉店後でも電話が鳴れば配達に行く、休みは正月元旦のみと、いう感じで当然子供は基本放置という感じでした。ワタシは一人でじっとできない子供だったらしくちょっと目を離すといなくなるために常にお店の店内で紐に繋がれていたそうです。さすがにこの時代でも子供を紐で繋ぐというのはあまりなかったようでお客さんか近所の方が可哀想に思って紐を解くとすぐにいなくなって大騒ぎになったそうです。そんな事があったせいか、ワタシは日中は知人の老夫婦宅に預けられる事になりました。前々回のブログと内容が被りますが、その老人宅には子供の玩具的な物は何一つなかったのですが、ワタシはその家にあった壊れた目覚まし時計が気に入ってその老人宅に行くのがとても楽しみでした。ワタシが4〜5才の頃だと思うのですが、その目覚まし時計の事は今でも覚えています。その目覚まし時計は逆さにすると中身の機械(モジュール)が取り出せて壊れていましたがゼンマイを巻くと中のたくさんの歯車が動き始め、それを見るのが楽しくていつまででも遊んでいたそうです。ワタシは今でこそ家電から車、パソコン、スマホに至るまで分解・修理したりしますが、物には外から見えない中身があってそれを見たいというワタシの基本的な性癖はこの頃の経験が元になっているのは間違いありません。繋がれてた紐を解いて脱走を手助けして下さった方がいなければワタシの性格も人生もまた別なモノになってたような気がします。いやはや、人生ってのはホント楽しいものです。(笑)
2026.06.09
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皆さん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか?ワタシがこのブログを始めたのが2004年4月なのでもうこのブログは22年も続いている事になります。いやぁ、我ながらビックリですね。元々ブログを始める気はなかったのですが、当時流行り始めた友人のブログを見ようとしてたら知らない間にアカウント登録してしまって気がつけば自分のブログがでてきていました。せっかくできたので日記的に戯言を書き込んでみたり忘備録的な使い方をしているうちに今に至ります。まさか、これほど続くとは本人が一番びっくりしています。気がつけば私自身も還暦を過ぎて豊臣秀吉の没した年齢を超えてしまっています。つまり、ワタシ自身に何が起こってもおかしくない年齢になってしまった訳です。そんな事を考えてると、今までは前ばかり向いてきたワタシですが、今までの過去を振り返り文字に書き起こしてみたくなりました。そこで、今後は不定期ではありますが自分の自叙伝的な物を言う書いてみようかと思い立ったであります。正直、結構波乱万丈の人生だったと思うし、ブログには書いてこなかったネガティブな事も多々ありました。それらを振り返りつつ自分の人生を書き綴ってみたいと思います。大して面白くないと思いますが生暖かい目で読んで下さると幸いです。(;´∀`)
2026.06.08
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続きです。自分で修理する人はメンタルが強いその記事を要約すると以下のような感じです。現在は物が壊れたら買い替えるか専門家に頼むかのどちらかである。修理するより買い替えた方が安い事もあり時間的にも早く非常に合理的でるそこをあえて自分で修理する人は少数派である。ところが、自分で修理する人はメンタルが強い。らしいそれはなぜか???多くの方は外的要因で幸せを感じてします。例えば●SNSで「いいね」をもらった●高級な持ち物や高級な服、りっぱな家や高級車を所有して周りの人にすごいねと思われる●流行に乗り遅れないまた、●応援している野球チームが勝ったなんてのも外的要因です。簡単に言うと心エンジンの燃料を外から入れている感じです。燃料をガンガン入れている時は問題ありませんが燃料がなくなったらたちまち不幸になります。●推しの野球チームが負けた●SNSで「いいね」をもらえない●周りに変に思われた●家計が苦しくなって最新型を買えない些細な事で幸福感がなくなり挫折します。これがいわゆるメンタルが弱いという事です。自分の感じている幸せが外からまかせだとこんな事になります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これに対して内的要因で幸せを感じる人がいます。つまり心エンジンの燃料が自分の中から勝手に湧いてくるのです。こういう方は他人の目や言動を気にしません。他人が何をしようが何を言おうが関係なく自分は幸せなのです。具体的に言うと長年の下積み生活を経て大成功したような方です。このような成功体験を持っている方は自分に自信があり大抵の事には動じません。それが心の平穏の元になっています。ところが、そんな簡単にはイチロー選手のようになれません。ここでやっと話は修理に戻ります。今のご時世、自分で物を分解して修理する事は金額的にも時間的にも非常に不合理ではあります。ところが、自分で分解・修理すると何が起こるか脳の中に成功体験として脳内ホルモンが分泌されます。自分の中に何かを成し遂げたという自信が付きます。一つ一つの修理体験ではそれほどの効果はないかもしれませんがそういう体験が積み重なると大量の自信につながります。実のところ、今のご時世、成功体験を得るのはなかなかに難しいです。仕事で頑張ったとしても結果が出るのは半年、1年先だったり目に見える形で成功が見えないのです。ところが、分解修理はシンプルです。壊れた物が直るか直らないか結果がダイレクトに現れます。つまり、成功体験を積み重ねるのに日用品の修理はとても適しているのです。そうして積み上げた成功体験は強いメンタルを生み出すというものです。自分で修理するというと貧乏くさいだの、変わり者だのと言われそうですが他人の目や言動が気にならなくなる鉄のメンタルが手に入るとしたらどうですか?自分の一生が変わるかもしれませんよ。ますは、百均で買って壊れた物なんかを分解してみる事をおすすめします。えっ?ワタシ???ワタシはメンタルがどうのこうのではくただの変なおぢさんです(笑)(*^_^*)
2026.06.02
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このブログをご覧の方ならうすうすお気づきでしょうがワタシはけっこう修理好きであります。(笑)身の回りにある物でも分解した事がない物は思い浮かばないほど大抵の物は分解してます。一番よく壊れるので分解比率が高いのは車でしょうか?その他エンジン関係なら、バイク、ガソリン草刈り機モーター関係ならチェーンソーや電動工具。電子機器なら、パソコン、スマホ、オーディオ機器、ゲーム機家電なら、炊飯器、電子レンジ、冷蔵庫、照明機器あと、水道設備やガス設備も(笑)考えてみたら分解した事のない物はほぼないかもしれません。(注:電子レンジはコンセントをつながない状態でも内部に数千ボルトの電圧がかかっている場合があります。絶対に分解しないで下さい。普通に死にます)なんといいましょうか?普通の方だったら物が壊れたらストレスを感じますよね。ワタシの場合は逆なのです。物が壊れたら「分解する大義名分」ができたと喜んでしまうのです。(爆)なんでこんな人間になっちゃったんでしょうか?思い起こせばワタシの幼少期に原因があるように思います。ワタシの小さい頃は玩具的な物を買ってもらったような記憶があまりありません。また、保育園に入る時期に他人の家に預かってもらっていたのです。おそらく保育園が定員一杯でしかたなく知り合いの老人宅に日中だけ預けていたような感じでした。その老人宅(実は今でも記憶がある)には子供の遊ぶような物は何一つありませんでしたが1つだけワタシのお気に入りの物がありました。それは壊れた目覚まし時計で、今時の電子式などではなくゼンマイや多くのギアのいわゆる機械式というやつです。(こんな感じ 画像はイメージです)さかさにすると、ぽこっと機械部分だけが外れて中身を見る事ができました。時計としては機能していませんでしたがゼンマイを巻くと中の大小さまざまなギアが動き出してそれを見てるだけで楽しかったような記憶があります。おそらくそれがきっかけとなって物には外からは見えない仕組みがあって動いている。と、いう強烈なイメージが頭に焼き付いてしまい。それ以降は物を見ると中身が知りたくなる妙な性癖が身についてしまったのでした。それから時が経ってワタシが小学生高学年の頃巷では電子フラッシャー付きの自転車が流行っていたのですがワタシは買ってもらえませんでした。そして、中学生になった頃、親がどこからか自転車をもらってきたのです。長年抑圧されたストレスがここに爆発という感じで自転車小僧と化したワタシが誕生しました。自転車を買ってもらえなかった反動が出たんでしょうね。しかも、自分の自転車なので分解しても誰にも咎められません。パンク修理なんかは当たり前。古い自転車だったので気に入らないパーツはジャンジャン外して自分好みに改造していきました。自転車は自分の分解欲を満たせしかも、自分の知らない場所に連れて行ってくれるまさに翼だったのです。ワタシの自転車はクイックレリーズだったかな?レバー一つで車輪が取り外せるように改造され、ものの数分で袋に詰めて鉄道に積み込めるようになり、交通機関+自転車でかなり遠い距離も行けるようになりました。最終的には寝袋もって四国一周したり、北海道1周とかしましたね。おそらくこの頃からワタシのキャンプ好きも始まったと思われます。それからバイクや車に乗るようになっても同じような感じですね。今でこそ、何でも分解おじさんですがワタシの原点は壊れた目覚まし時計と中古自転車だったのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さて、前置き終わり(前置きやったんかい笑)先日、ネットを見ていると面白い記事を発見しました。それは、自分で修理する人はメンタルが強いと、いうものです。・・・・・長くなったので続く。
2026.06.02
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