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2008.06.24
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とんでもないタイトルで申し訳ない。


数年前「女王の教室」と言うドラマで、小学生が主人公(って言えるのか?)の教師に問いかけた言葉が、このタイトル「人はなぜ、人を殺してはいけないのですか?」でした。
ドラマを見ながら、自分ならどう答えるだろう?と、それ以後、何かの節目節目で考えてきたような気がする。

最近の、目も塞ぎたくなる様な殺人事件の多さに、改めてこの言葉を思い返しています。

私にとっての答えは。

人間は自分の為に生きているのではない、と言うこと。
一人の人間が関わりあう人々は、親兄弟、友人、恋人、配偶者、子供達、影響しあう人々を考えると膨大な数の関係が、一人の人間を取り巻いている。
これは、殺される人間に関してだけではなくて、殺す人間にも同じことが言える。


例え他に子供がいたとしても、その絶望と言う傷は癒えないし、消えないし、忘れない。
その絶望に自らの命を絶つかもしれない。

例えば、殺された人間の子は、親の暖かさ、信頼、家族がいるという安心感、ゆるぎなく注がれるはずであった愛情を失う。
帰る場所を失う。何を糧に成長するのか、それさえも見失うのではないか。
或いは殺意さえ抱き、罪の連鎖を招くかもしれない。

たとえ、殺された人間が「死」を望んでいたとしても・・・
その命はその人間のみのものではなく、それを取り巻くすべてのものに影響しあう命。
その命を奪う事は、それ以上の命を奪うこと。

そして殺人を犯した人間についても然り。
その親は、子の犯した罪の重さに狂ってしまうかもしれない。
周囲の人間の迫害に屈して、生きる事も困難になる事もあるだろう。

すべてのものの人生に、その殺人者の罪は影を落とす。
本人が罪を償えば、それですべてがチャラになる罪などどこにも無い。



何より、「命」はその人間の自由に出来るものではない。
「命」は誰のものなのか。
誰から授かったものなのか・・・。

望んでいないのに、孕んでしまう母親もいる。

それなら、「命」は神から授かったものではないのか、と私は思うのです。
そんな神聖なものを絶ってしまうのは、たとえ自分の「命」であっても重罪であるはず。

「自分のものだから自由にしていい」命も無ければ、「自分の命を守るためには絶っていい」命も無い。

すべての人間が生かしてもらっている、そう思うと、「命」はとてつもなく貴重な「神」そのものに見えてくる。





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最終更新日  2008.06.25 01:45:47
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