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3年ぶりの更新です。ちょっとだけ、弱音を吐かせてくださいな。今日、何となくFBに上がってくるオットのサイトをクリックしてしまったら・・・新しい家族と、新生活を始めていることが記されていました。胸がキュッと痛くなったのは、どういう意味?強くならなきゃね。
2012.04.19
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3月も終わり、もう4月も5日。卒業式、入学式、入社式、いろんなところで新たな事が始まるこの時期、ずっと胸の中にあったモヤモヤを整理してみようと思った。いやいや・・・ずっとキレイにスッキリさせたいと思っていても、それを実行に移す勇気がなかったのだけれど。何気ないこと、当たり障りの無い内容で、ずっと続けられてきた私とオットの、ごく稀にある交流。何らか決定的なことを私が匂わせると、「もう二度と連絡が来なくなるだろう」と思って、出来るだけ感情的な内容を避けて連絡を取っていた。それは「自分から送ったメッセージに何も反応が無かったら・・・」と考えるだけで、怖くて怖くて足を踏み出せなくなる私が見えていたから。一昨年だったか、私が彼に長文なメールを送ったことがある。内容は「貴方に迷惑をかけたことを悔いているし、出会えて一緒にいられたことに感謝している。もし機会が与えられるなら、もう一度出会いなおせたら。」といったもの。これには、彼から見事な「はぐらかし」の返信がすぐに届いた。そのときは、それで充分に自分の気持ちを整理できると思った。でも、もうそれではどうにも出来ないぐらいに私のモヤモヤは膨れ上がっていて、そして今なら彼の「無反応」にも立っていられそうな自分を感じたのが今年初め。先週、自分でも「こんなメールが来たら、もうどうにも逃げ場が無いなー」って言うメールを、オットに送ってみた。今まで、こんなことを言ったら彼が苦しむかもしれない、彼を傷つけるかもしれない、と思って、言えそうも無かったこと。彼が幸せでいてくれれば、それで私は幸せなのだから、ずっと封印してお墓まで持っていこうと思っていた私の気持ち。たった3年半でギブアップしてしまった。苦しくて、歯がゆくて、虚しくて、寂しくて、何もかもが無意味に感じられて。前向きな人や、希望に溢れた人を見たとき、後ろめたく嫉妬する自分が出現した。心の大半では、明るい光を嬉しく見ているのに、そのあまりの眩しさに目を細めて日陰に駆け込みたくなる私がいた。自分が醜く歪んでいくことに、焦りや不安が募って行ってた。この他にもいろんな事があいまっているのだけれど、ここ1ヶ月ほど、かなりの頻度で胃の辺りからの出血が起こっていて、医者に何度も駆け込んだ。もう、いい。私、彼にとって「いい子」でいる事は諦めた。お互いが傷つかない離婚なんて無い。3年半苦しんだ、もう、楽にして。弱い自分を、もう責めない。こんな自分が嫌いだけど、私はまだここにいる。明日、爆弾に当たって死ぬかもしれないけど、今はここにいる。
2009.04.05
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無邪気に笑うって楽しい強がってみせたって空しい優しくされると嬉しいそう当り前のこの感情戻らぬあの日々愛しい失って気がついて哀しい今でもあなたが恋しいなぜ忘れられないこの恋情刻んだ記憶たどって夢にうなされたなら溢れ出る涙で洗い流してしまえばくるおしい想い出もまた燃える世間の目はいつも厳しい傷つけ傷ついて苦しいそんなのなんだかおかしいでも変わらないんだこの実情気持ちも疲れ果てて押さえきれないのなら溢れ出る涙で洗い流してしまえばくるおしい思いでもまた燃える「笑顔は誰だって可愛い」しょげてるばかりじゃ悔しい思いやれるのって素晴らしいもう忘れたくないこの温情心よ今日はどこ向かうのだろう悲しいのなら泣いてもいいよほんの少しの幸せでいいんだそのきっかけを探してるよ(by 木村カエラ)====================================私の心はどこへ向かってるんでしょう?
2009.02.08
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今年も残すところあとわずか。毎日があわただしく過ぎて行っている様な気がする。なのに、それは夢の中の出来事のよう。痛みから切り離されて現実感を失うように、今の私の毎日もリアルを感じない。先日の日記で書いたように、オットとのライブで気づいてしまったことが、私には大きかったのだろうと思う。離婚して3年。心の奥底でずっと「よりを戻したいわけじゃない。いい友達としてこれからも繋がっていたい。」なんて、キレイごとを拠り所にしていた。でも、それが「思い違い」だったと気づいた。やっぱりまだ好きなんだ、オットのことが。「友達」なんかになれない。そう、認めよう。まだ彼のことを「好き」なんだ、私は。この「好き」が成就しない場合の選択肢は、「嫌いになる」や「友達になる」ではなく「忘れる」こと。心にシンシンと、そんな想いが降って来る。私は人生の中で、自分から「好きだ」と告白をしたことが無い。それは「No」と言われるのが怖かったから。そう言われることは、自分の全人格を否定されるように感じるから。好きな人が出来たとき、全身で「私は貴方に好意を持っています」と表現しながら、相手から告白されるのを待つ、そんな今までだった。そして今思うのは…私のこの片思いにけりをつけるのは、人生ではじめての「告白」なんじゃないかと言うこと。自分から能動的に思いを断とうとしても、それはやっぱり決定打とはならず、自分の中の希望的観測を否定しきれない。決定的に相手から否定されれば、肯定的解釈の余地もないだろう。そんなことをウツウツと思い巡らせ、実行できないでいる今。そう、これが経過報告。
2008.12.21
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オットとのライブ、行って来ました。追い詰められるような、急かされるような、そんな毎日が終わりました。久しぶりに会った彼は、私が知っていた頃とほとんど変わっていなくて、黒のライダースジャケットにジーンズ、真っ赤なスニーカー、暖色系のメッセンジャーバッグで立っていた。出来るだけ自然体で…と、お互いが思っているからか、普通に1週間前にも会っていたかのような会話が続く。仕事の話や趣味の話、途切れることなく続く会話。ライブ会場前で、気持ち悪くなってしゃがむ私。「吐きそうなんか?」と、中身を見透かしながら尋ねる彼。「違う、ライブ前やし緊張してるねん」と誤魔化す私。ライブ後、新幹線で帰ると言う彼を送ってJRの駅まで行った。改札をくぐった彼が私を振り向く、そして手を振る。そして、悲しい情景を見る。一旦、手洗いに消えた彼。私は立っている場所を変えて、なおも彼を待っていた。手洗いから出てきた彼は、さっき私が立っていた場所に目をやり、私の姿を探す。そこに私がいないことを確認し、足早に新幹線のホームに向かって去っていった。途切れない会話、言葉が無くても見透かされる感情、こんなに近くにいるのにとても遠い心。虚しい気持ちと、切ない気持ちが入り混じる。帰り道、涙がこぼれた。もう二度と会わない、そんな気がした。私の姿を探す彼の目にその痛々しさを見た、そんな感覚。彼を「可哀想に」と思う自分と、彼が私を見つけて改札を出てこられるようになって欲しい自分。彼は絶対に自分の言葉で語らない。たとえ彼が「こうなって欲しい」と思うことがあっても、誰かがそうしてくれるならそれでいいし、そうならなくても自分が言葉にしてないのだからそれでいい、自分に逃げ道を作っているんだろう。彼は、私と完全に切れてしまうのは怖い、けれど私の将来に責任を持ちたくない、私が新しい人生を手にすることを阻んではいない、ただ私が自分の意思で同じ場所で足踏みしているだけ。それは私本人の意思であって、決して彼に責任は無い。それが彼のスタンス。分かっていた、いや、今も分かっている。彼はいつも塀のなかで、外を通っている人から忘れられたくないし、声を掛けて欲しいと願いながらも、自分から外を行く人を呼び止めたり、塀から出てきて話しに来たりはしない。いろんな出来事を繰り返し、改めて胸に刻む。彼には、過去も、現在も、将来も、切り開く術が閉じられている。それでいいんだと、自分に言い聞かせて。いつか、彼が自力でその塀を出てこられるように手伝うつもりだったけれど、私には出来なかった。もう私の出番は無い。何度も同じ過ちを繰り返す。彼を助けられるのは私なんじゃないのか、と。そして、自分の無力さに落胆する。そう、もう私の出番は無い。
2008.11.16
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もうさー、自分が何考えてるんだかわかんない。 自分がまいたタネだけど、何事も落ち着かなくて、時間がザワザワと過ぎていきます。 私、オットとこの11月に再会します。 もう忘れたツモリ、切ったツモリ、気にならないツモリだったのに…。 一緒につじあやのライブ行く約束しちゃいました。 それも、別に望まれたわけじゃなく、彼がチケット無駄にしたくないから仕方なしに。 実は今年になって、彼は携帯会社を変更してメールアドレスが変更になったんだけど、その際に「メアド変わりました」って言う知らせが来た。 「メアドが変わった連絡をくれるってことは、私からのメールが来なくなるのがイヤなの?(私からメールが欲しいの?)」なんて、やっぱり自分に都合のいいような考えが浮かんできて、まだ奴を心の大事なところに住まわせているワタシに気づいた。 でも、それを一生懸命に否定するワタシ。 で、事情を知っている友人達にその話を否定的に話すことで納得しようとする、んだけど、その友人達のほとんどが「それってやっぱりアンタのことを忘れたくないんだよ、元ダンは」なんて言う肯定的な意見を述べるワケ。 そうすると、また自分の心が揺らぐ。 今回のライブ、平常心で臨もうと踏ん張ってるのに、心の奥底が期待に泡立つ。 「もう一度、会えるんだ」、「一緒に音楽が聴けるんだ」、「ふたりが好きだった曲、まだ彼は好きなんだ」いろんな言葉が浮かんでくる。 二人が別れた後、彼はコアなaikoファンになった。 そして私は、結構好きだったaikoが嫌いになった。 なぜなのか…、多分彼の横で勝ち誇ったような顔で笑うaikoが目に浮かぶから。 もんのすごいストーカーっぽい妄想。 分かっていたから、自分で否定した感情。 そして、つじあやの。 私は彼に教えられて、つじあやのの曲をウクレレで弾くようになった。 ウクレレを見るたび、彼女の曲を聴くたび、切ない気持ちになった。 その曲を二人で聴く。 もう心臓の鼓動が鈴のように転がる。 でも、彼はどうしてチケットを2枚買ったのか? 以前にもaikoのライブチケットを2枚買って、仕事が休めずボツにした話を彼から聞いた。 やっぱり、一緒に行く予定の女性が居たのだろう。 それがドタキャンになったから、私が代役で行く。 とても複雑で、混乱してしまう自分に戸惑ってる。 もう、どうにでもなれ~!って。 先に自分が苦しむかもしれない、って心配することに疲れた。 どうして、行くのをやめなかったんだろう、って悔やむことにも疲れた。 ドキドキしたり、微かに期待している自分をいさめることにも疲れた。 もうすぐ、自分の内面をコントロールする箍(たが)が壊れる気がする。 もうさ、もう、ダメだ。
2008.11.03
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しばらくグダグダしてると、急にスッキリすることがある。先日の日記でぶちまけてた郵便物転送の話。モヤモヤ第4日目にして、自分なりの解法がヒラメイタ。ってか、すぐに思いつけ自分!ってぐらい、簡単な方法だけど。結論。転送されてきた郵便物に、自分で「宛名人不在につき、送り主に返送願います」と書いて、自分ちの近くの郵便ポストに投函、することにします。これで送り主に返送されれば、私は「住所不明の過去の知人」になることが出来る。もし、手違いで婚家に再送された場合は、姑にも、この送り主に対して私が抱いている感情の、何らかのアウトラインが見えるだろう。どうも、私には「誰々が、~してくれたらいいのに」という、受身な考え方があるんだと思う。自分でよく思う「末っ子根性」とでも言うのか…。何らか、自分で納得できる解決策が見つかるまでに、悶々と苦しむ時間がかかるのが苦痛だけど、やっぱり悩み考える作業をする時間を過ごさないと、出口は見つからないんだよね。ホント、私って厄介。こんな小さなことでも4日間かかる私は、もっと大きな問題を抱えたときには数ヶ月、数年、或いは十数年(数十年とはどうしても言いたくない)かかることもあるんだよ。しんどくても、やっぱり出口の明かりをイメージして、毎日を過ごさなきゃね。そういう当たり前の自分をシッカリ持って、これからもやっていくツモリ。
2008.09.23
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今日は単なる愚痴。いい歳なんだから、いろいろあるよ。それは当然。仕事とか、家族とか、もろもろ。でもさー、もう解放されてもいいでしょ?って言う事もある。それは、元「姑」。オットについては、未だ円満感のある関係だと思ってるんだけど、姑のことは思い出したくない、いや、忘れたいんだよね。悪人じゃなかったし、世の中の嫁と姑って言うのは、あんな関係であってもおかしくない、って判ってるんだけど、どうにもこうにも、心がブルーになるしかない思い出ばっかなの。もうさ、いい思い出の一つや二つあってもよかろうに、なーんにも思い出さない。それが、やっぱり未だに追いかけてくる、姑が…。昨日のことなんだけど、私宛の郵便物が向こう(婚家)に届いたらしく、わざわざ手紙をつけて、封筒に入れて、切手を貼って、現住所に転送されてきた。もう何度も言ってるじゃん、申し訳ないから郵便局に差し戻してくれって。そしたら「宛所不明」で送り主に返送されて、その人も私が行方不明と言うことで、もう婚家の住所に送って来なくなるんだから。こんなに長く私が放置してる、って言う相手とは、私がもう付き合いをしたくないから、わざと近況を知らせてないのに、やっぱりこちらから連絡をして、「離婚しました」って言ってから、連絡を途絶えさせるのか?いーや、それは絶対したくない!そういう相手なの。姑が、素直にオットに「Sallyさん宛の郵便が届いてるんやけど、アンタから連絡とってあげて」と、言ってくれたら、丸く収まる話なのに。きっとオットが携帯メールで「郵便来てるで」と言ってきて、私が「ソコとはもう連絡とらへんつもりやし、差戻しにしておいて」と言えば、「あ、そうか。分かった」と了解してくれるはず。思うのは、姑が気を遣って、「あの子(息子)に元嫁宛の郵便物を見せるのは可哀想。私が代わりに元嫁に送ってやれば、そんな辛い思いをさせずに済むし、元嫁も有難いだろう」っていう、浅はかな母親心。嫁の立場になって考えたことが無いのだろう。姑本人が、思うと思わざるとに関わらず、「郵便局に差し戻さずに、料金を払って、手紙までつけて礼儀を尽くしているのだから、有難いはず」(だからお礼をするのが人の道?)「手紙の内容は『季節の挨拶と、体調を心配していること、両親を大事にするように』だから、嫁を傷つけることなど無い」(思いやりを感じるというより、分かっていることを他人から干渉される煩わしさ&オットからなら、オットの近況もわかって気も紛れるのに)「毎年暑中見舞いを送ってくるこの送り主に、いい加減連絡を取ってみては」(私の悪い噂を風の速さの数倍で広めてくれる、過去の義理のみのお付き合いだった人とは連絡を取りたくないのに、連絡してない自分がどうしようもなく悪い人間に思えてくる)なんていう、「姑の思い」(嫁の思い)の複雑な絡まりが見えてきて、もうウンザリ以前の激しい拒絶反応さえ感じる。もう、解放してよー。
2008.09.21
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どうにもできないことを、どうにかしようとするから、無理がある。これが今の私の状態。仕事とか、オットとの関係とか、自分の将来とか、そういうことは、今のところ「深く考えずに出たとこ勝負!」って、自分に呪文を唱えてる。私を、ため息沼の淵からどん底に突き落とすのは両親。かまい過ぎているのはわかる、過剰に心配してるんだと思う。どうやら、夏の疲れが出てるんだと思うんだけど、両親それぞれが攻撃的で、互いを傷つけ合って日々を過ごしているのが、目に見えてわかる。ほんの些細なことがきっかけで、毎回同じ不平不満をぶちまけ合っていて、仲裁してもキリがない。家族だけでいるときの父の精神状態が急激に変化していて、言葉の理解力や運動反応がかなり鈍くなった。で、それを補う為に、他の人間に対して(多くは母に対して)暴言や暴力で対抗する。大声で相手を威嚇して、外界とのつながりを断ち切らせようとする。常に父から怒鳴られ通しの母の、電話や外での立ち話を許さない。物理的な暴力と精神的な暴力で母も攻撃的になり、「父は病気なんだ」という意識が無くなって、正常だったときの父に対するのと同じ気持ちで、今となっては何も出来ない父をなじる。母も少しではあるけれど、老人性の鬱病の症状を呈している。目の前で、この堂々巡りな状況を見るのは私ぐらいで、他の人間がその場にいるときはそこまで自体は悪化しない。のに、他の人間がいることは1~2ヶ月に1,2回しかない。ま、もっと両親の症状が悪化すれば、誰がいようと同じことが起こるんだろうけれど。私が母の愚痴を聞いて「彼女のストレスのはけ口になればいいんだ」と思って、話を聞くも、もう正常ではない父への母の理不尽な不平や愚痴の繰り返しに、私すら怒りを感じて「そんな事を言っても、お父さんは病気なんだから仕方ないやんか!同じことを繰り返すのもいい加減にして!」という怒声が、口をついて出そうになる。そして、ついつい母の話を上の空で聞いてしまい、母は母で「誰も私の辛さをわかってくれない」と、殻に閉じこもってしまう。この負のスパイラルからどう抜け出たらいいのかわからない。私は全力で両親を幸せにしたい、と思っているけれど、私のすることでは何も効果がない。この先、症状が悪化するのは坂を転げるようなものだろうと予想できるけど、症状が無くなるという希望が見えない今、自分のしていることが何事をも成さないと言うのは、本当に辛い。この状況をどうにも出来ない無力感だけが、私の中で大きく育つ。私がいても、空気のように無視される空間。努力は独りよがりで功を成さない。誰にも気づいてもらえず、もがくだけのちっぽけな存在。そういうとき「誰かの近くで思い切り泣きたい」と思うのに、どこで泣いていいのかわからない。でも、これは進歩。今までは、その気持ちさえ気づかなかったから。
2008.07.29
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とんでもないタイトルで申し訳ない。こういうことって、ずっと何かの拍子に考えてしまう、答えのない問題。数年前「女王の教室」と言うドラマで、小学生が主人公(って言えるのか?)の教師に問いかけた言葉が、このタイトル「人はなぜ、人を殺してはいけないのですか?」でした。ドラマを見ながら、自分ならどう答えるだろう?と、それ以後、何かの節目節目で考えてきたような気がする。最近の、目も塞ぎたくなる様な殺人事件の多さに、改めてこの言葉を思い返しています。私にとっての答えは。人間は自分の為に生きているのではない、と言うこと。一人の人間が関わりあう人々は、親兄弟、友人、恋人、配偶者、子供達、影響しあう人々を考えると膨大な数の関係が、一人の人間を取り巻いている。これは、殺される人間に関してだけではなくて、殺す人間にも同じことが言える。例えば、殺された人間の親は、子に託してきた希望、思い描いていた自分たちの未来、子々孫々続いていくだろうと描いていた家族の和を一度に失い、絶望を墓場まで抱えていくだろう。例え他に子供がいたとしても、その絶望と言う傷は癒えないし、消えないし、忘れない。その絶望に自らの命を絶つかもしれない。例えば、殺された人間の子は、親の暖かさ、信頼、家族がいるという安心感、ゆるぎなく注がれるはずであった愛情を失う。帰る場所を失う。何を糧に成長するのか、それさえも見失うのではないか。或いは殺意さえ抱き、罪の連鎖を招くかもしれない。たとえ、殺された人間が「死」を望んでいたとしても・・・その命はその人間のみのものではなく、それを取り巻くすべてのものに影響しあう命。その命を奪う事は、それ以上の命を奪うこと。そして殺人を犯した人間についても然り。その親は、子の犯した罪の重さに狂ってしまうかもしれない。周囲の人間の迫害に屈して、生きる事も困難になる事もあるだろう。殺人者の妻は、子は、孫は、恋人は・・・すべてのものの人生に、その殺人者の罪は影を落とす。本人が罪を償えば、それですべてがチャラになる罪などどこにも無い。何より、「命」はその人間の自由に出来るものではない。「命」は誰のものなのか。誰から授かったものなのか・・・。子供が欲しくても授からない夫婦もいる。望んでいないのに、孕んでしまう母親もいる。それなら、「命」は神から授かったものではないのか、と私は思うのです。そんな神聖なものを絶ってしまうのは、たとえ自分の「命」であっても重罪であるはず。「自分のものだから自由にしていい」命も無ければ、「自分の命を守るためには絶っていい」命も無い。すべての人間が生かしてもらっている、そう思うと、「命」はとてつもなく貴重な「神」そのものに見えてくる。
2008.06.24
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このしばらく、とにかく消耗が激しいわけで・・・自分でも、這い上がり方が、もうわからない。かねてから私の中にあって、消えることのない「誰かの役に立ちたい」と言う気持ち。ひいては「誰かに必要とされたい」と言う気持ち。今の自分を必要としてくれているのは、間違いなく両親だということ。そして、その両親に「幸せだ」と実感して欲しい、と言う願い。けれど、それは空回りするばかりの欲望で、この最近では父親に首を絞められる、と言う考えてもいなかった経験をして、自分が何をしてきたのか、さっぱりわからなくなった。彼らは、私の苦悩を取り除いてやるから、何でも悩みを相談しろ、と言う。とは言え、今の私の奇妙奇天烈な(と、自分でも理解不能な)感情の動きはニュアンスでさえ伝わらず、とにかく「そんなことをグダグダ考えるから、頭がおかしくなるんだ!お前の考え方が悪いんだ!」と、有難くもコテンパンに私が打ちのめされるまで、ダメだしをしてくれる。そして、そんな私を見て、自分たちは不幸だと、のたまってくれるワケ。また、かねてから自分の仕事の正当性を疑うような業務を担当中の私であって・・・ここで公にすると、会社が破綻してしまうようなシークレットを、気づかぬ振りをしながらこなしているのが、私。そんな私の中にも良心がありながら、上司の命であれば、それを無理矢理納得させながら、法的には許されないのかもしれない事を重ねる。そうせねば生活できない弱者な自分に、すっかり嫌気がさしているのも真実。本当に私はこのままでいいの?!と、自問自答の日々。そんな中、体調も思わしくない。日々のこまごまとしたことが神経症的に気になり、ありえないぐらい過敏になっているため、周りの人と足並みを揃えるのが、ものすごく苦痛になっている。攻撃的な口調と、自嘲気味な会話、言いたくないのに口をついて出てしまう嫌味な言葉、それだけでおぞましい自分と遭遇する。ここしばらく体中のムクミがひどく、薬を飲んでいるわけではないのに、顔が腫れ、ぶつけてもいない場所の毛細血管が破れる。何が原因かわからないし、注意のしようもない。ここへ来て、またしても癌検診にひっかかり、体温の乱高下で女性機能もここまでか?(更年期?)などと、不安要素も増え、さっぱりイイとこなし。ま、こんなこと書いてどうなるの?と言えば、どうにもならないんだけれど。どうにも食い止めたいことがある。先日来、話題になっている某女子アナウンサーの練炭自殺ニュース。これを初めて目にしたとき、胸にさざ波が立った。甘くて、この上ない悦びの声を聞いた気がした。このニュースに、強い憧れや抗いようのない魅力を感じてしまった自分を知って、とてつもなくショックだった。嘗て「対岸」に渡りたい、と、思ったのは、リコン直後の鬱治療中だった。あれから2年弱、回復しているものと思っていた矢先に。そして、2日前のこと。とあるライブに行った。癌宣告され、長い闘病生活から生還した彼。昔と変わらず、それよりも強い生命力で「生きろ!」と言うメッセージを発信する。Love & Peaceを体中で訴える彼の姿勢が、対岸に引っ張られる私を3歩後ずさりさせた。おかえり、私。
2008.05.30
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ゴールデンウィーク、カレンダーどおりの4連休でございます。初日の5月3日は、かねてからリコン仲間としてお世話になっていたお友達のお誘いで、某水族館へ足を運び(人ごみ嫌いの私だったらありえないチョイス)、かなりお疲れで帰宅でありました。帰りがてら行った居酒屋さんで飲んだ、生中2杯と焼酎お湯割り1杯ごときでかなり酔ってしまい、途中の記憶が途切れる、と言う、老齢ならではのお約束もあり、気づけば、化粧したままパジャマに着替えてベッドで寝てた、と言う今朝の午前4時。あまりの頭痛で目覚め、鎮痛剤を飲もうとしていると「ブーン、ブーン、ブーン」と携帯メール受信バイブ。朝4時に誰??と、メールを見てみると・・・昨年初めから、ちょくちょく食事をしたり、ドライブをしたり、映画を見に行ったり、と行動を共にしていた男性からのメール。彼とは、10月ごろに結婚したいと話をされ、それが元で連絡を絶ったきり、かれこれ半年少し。さぞ、次の嫁候補探しに忙しかったと思われるが、なぜか「話をしたい、顔が見たい」とのメールだった。そして、鎮痛剤の助けを借りて二度寝から目覚めたのは朝9時。今日も出かける予定だったので、洗濯したり、風呂入ったり。テーブルの上に、鎮座ましましていた、ポンジュース味のチロルチョコ1個と紫芋餡饅頭1個を平らげたり。(記憶には無いが、昨夜の帰り道に自らコンビニで購入した模様。)すると、11時ごろにまたしても「ブーン、ブーン、ブーン」と携帯メール。見てみると・・・今度は、結婚する前、今から言えば11~2年前に2年弱お付き合いしていた彼からのメール。「健康の為に、ウォーキングしていたらキミとの思い出のあるXXの地に着いた。元気かな?と思ってメールしてみたんだ。届いてるかな?」なのだそう・・・。そして、夕方。最近お気に入りのギャル友(35歳独身)と夕食をいただいていた折。今度は、高校卒業前に私が回したサイン帳に「趣味:君のことを考えること」と書き、軽く私から敬遠されていた友人男子からメール。「明日、会いましょう」とて。(これはどうやら、昨夜酔っ払って、私がメールしまくったのが原因と見られるが・・・)ま、3個目の話は別として、1個目、2個目はすごい偶然だと思う。ゴールデンウィークとは、昔のオンナを思い出すものなのか?単に彼らがヒマだったからか?4連休もあるのに、それは2日目にしか起こりえないものなのか?なーんて思っていると・・・・・・ってことは、オットも私を思い出してる?!なんて、よからぬことを思い始め、「彼も本当は私に連絡取りたいのに、きっかけが無いのかもしれない」なんて、考え出してしまった・・・。悶々考えているうちに、「電話しちゃおうかな?」とか、「やっぱりメールしようかな?」なんて思い始めて、かなり確信に近い状態で「絶対待ってるし、メールした方がいい!」なんて自分に都合のいい方向に考えてみたり。で、気を紛らわすのに、テレビ見たり、テレビ見たり、テレビ見たり。昨年末に彼宛に送ったメールを読み返してみたり・・・。ようやく正気を取り戻した。こっちから出すメールには返事があるけど、向こうから来るメールはこの1年以上、1通も無いんだった・・・。もし、会いたいとか、声が聴きたいとか思ってたら、メールしてくるだろ?!って、思うと頭が冷えた。よかった、気づいて。何度も同じことを繰り返しているけど、いつかこういうこともいい思い出になるはず。「ホンマ、アホやったなー私。」って。頑張れ、私。偉いぞ、私!
2008.05.04
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かねてから、よく私が口にする言葉。「むかつく!」「腹立つ!」「ぶっ殺す!!」乱暴だし、物騒だし、レディとしては失格だわね(呆)よく言われるのは、「言霊」と言うのがあって、そのクチから発する言葉が汚ければ、その心が(魂が)汚れる、と。そうなのかもしれない。けど、怒りの言葉を発し続けないと立っていられない日があるのだ。小さなことが積もり積もって、行き場を失った日。体も悲鳴を上げている日。ふと気を許すと、涙がこみ上げてくる日。そんなときは、自分でも大事なことを忘れている・・・それは、「心の奥の涙を引っ張り出す」こと。自分の気持ちが臨界点に達していることに気づけない日々が続くと、やって来る日。この木曜日、自分でも怒りの感情がコントロールできず、持て余していた日がやってきた。怒るだけではやり過ごせず、何が悲しいのか、何が悔しいのか、さっぱりわからず1時間泣き続けた。そうして、いっぱいいっぱいだった心に空間が出来た。結局は、怒り続けられないもの。ありがとう、涙。
2008.04.05
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何だ?このタイトルは!そうですね、あまりにも昔過ぎて、記憶に無い方もいらっしゃるかと・・・おそらくそう仰る方は、平凡に、穏やかに、幸せにその日を過ごされたのかと推察致します。私にとっては、この日の出来事が、今の自分、そしてこれからの自分を大きく変えた、そう思えるんです。起こったこと自体はそんなに大事件じゃなかった。ホント、小さなこと。お稽古事の集まりでクリスマスパーティがあり、その帰り道、なぜか「私、手相を観てもらわなきゃ!」とひらめいた。今まで、プロの手相観さんにお金を払ってみてもらったことは無いし、誰かに勧められたわけでもない。けど、「観てもらわなきゃ!」と確信した。で、吸い寄せられるように、昔からよく見かける花街道端にいらっしゃる手相観さんのところへ。手相観さん「何を観てほしいんですか?」私「仕事のことと、プライベートのことを・・・」説明を始めようとした瞬間、思いもかけず目から涙が溢れ出た。止めようとしても止まることなく、その手相観さんの顔を見つめながらかなりの時間、涙がこぼれるばかり。仕事のことよりも何よりも、オットのことが口をついて出てきた。つっかえ、つっかえ、喉から言葉を引っ張り出すように話し出すと・・・「そぉりゃ、あなたが今そういう気持ちになるのは当然のことです。周りの人がわかってくれないのは、無神経なんですよ。あなたが意気地なしとか、未練がましいんじゃないんですよ。」と、ストレートに私の内なる「(オットに対する未練についての)後ろめたさ」を肯定してくれた。そして、「でもね、究極的に考えて、あなたはその元ご主人と再婚される気があるんですか?」と、問われた。今まで、自分の心の中のうやむやにしたい部分にあって、靄に包まれていたその答えが突然浮き上がってきた。「それは、ありません。」初めて声に出して、自分でも驚くほどクリアーに発音できた。オットは今、寂しい思いをしているかも?罪の意識で苦しんでいるかも?本当は私をまだ想ってくれているかも?会えば、恋愛時代の2人に戻れるかも?他人の都合や、たくさんの「かも?」で、自分の意思を覆い隠していたと言う事実に気づく。そして、最後にその手相観さんが言ったのは、「あなたの元ご主人さんは、寂しい人ですね。そういう人だからあなたが断ち切らないと、いつまでも縁は切れませんよ。」だった。これまでずっと、オットも私と同じ思いを持っているはず、同じことを感じているはず、と思ってきた。ならば、そのときクリアーに脳裏に浮かんだ「再婚の可能性は無い」という私と同じ答えを、彼も持っているのかもしれない。他愛無いメールをしたり、困ったときに質問したとき、その返事が即座に返って来たり、丁寧にいろいろ調べてくれたりするのは、それは彼が寂しいからであって、「未だ私を好きだから」ではないんだ。その考えを、私の「正解」にしよう、そう思えた。その2日後、私は地元で有名な縁切り神社に一人でお参りをし、衆人の好奇の目に晒されながら、縁切りの儀式をやり遂げた。かなり、恥ずかしかったし、怖かった。その帰り道、少しだけ泣いた。
2008.03.22
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エクササイズジプシーなワタクシ。 また、次のターゲットを見つけました。 過去にホットヨガ、ピラティス、ストレッチヨガ・・・ とまあ、いわゆるコアマッスル(インナーマッスル)を鍛える、と言われるエクササイズに惹かれて、トライアルレッスンを受けたり、DVDと一緒にやってみたりしておりました。 が、コレが続かない! ゆっくりな動きをしているうちに眠くなってしまい、どうでもよくなっちゃうんですよね、あーあ。 で、今回は「コアリズム」♪ ラテンダンスのステップをアレンジした基本38分、上級25分と言う短時間の有酸素運動で、DVDに合わせてエクササイズ~♪ (女性版「ビリーズブートキャンプ」と言うのか・・・) ラテンダンスの基本は、柔軟なヒップムーブ! それを、メレンゲ、サンバ、ルンバのリズムを使ってウォームアップ、メイン、クールダウンとすすめて行くわけです。 ポイントは・・・ 「杉本彩、小雪がおススメ!!」 っちゅー部分です。 ま、あの二人はこのコアリズムだけで、体を保っているわけではもちろん無いんだろうけど、筋肉ムキムキではなく、うっすらと線の浮き出る女らしいウエストを持った彼女達になれるなら~♪♪ と、ハート目になる女性が大層な数いるだろうと言うことは、想像に難くありませぬ。 もちろん私もそのヒトリ。 先日、昨年からのダイエットの成果か、高校時代のウエストサイズを復活させた(が、下っ腹は出ている)ワタシも、いつリバウンドするのか?と言う恐怖を捨てきれず、このプログラムでガンバってみます。 【キーワードは『セクシー!』くびれの法則を手に入れろ!】【予約販売】アメリカ版 コアリズム
2008.03.20
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「ブースター」最近知った美容用語。何かと言うと、洗顔後、化粧水の前につける美容液。用は、人間歳を経ると吸収力が低下するらしい。(それは肌であり、脳であり、内臓でもある・・・)で、肌にいくら水分を与えても、吸収しないのであれば意味がなく、それを助けるのがこの「ブースター美容液」。(サラサラして吸収されにくい化粧水が肌の上で止まりやすい状況を作ってやる、ネバッとした状態にするような感じらしい。)ワタクシ、5年ぐらい前から手作り化粧水一本やりでずっと調子良くやってきたが、このしばらく肌の疲れが隠せない。で、このブースター理論を応用する為、こんなものを買ってみた↓「ソンバーユ」、いわゆる馬油である。成分にまじりっけがなく、悪者ミネラルオイル等は含まれてない分、安心できるかと思って・・・。結果。コレはいいかも?翌朝の洗顔時、気持ちよく洗いあがったお肌の化粧ノリのよさ!いい感じ。実はこの前に「ホホバオイル」も試してみたら、コレはメチャメチャ良かったー。翌日の肌の調子は、劇的に変化があり、プルンプルンだった・・・が、高価すぎる。毎晩のお手入れには使えない小心者な私。で、この馬油はそれほど高価でなく、激安ドラッグストアで70mlが1000円強で購入できた♪そんな話を、今夜一緒に食事に行ったギャル友と話していると・・・「Sallyちゃんって、すごく美容のこと頑張ってるよね?そのままでもいいじゃん、気にするほどじゃないよ」と、言われた。で、私も考えた。「確かにそーよねー、歳相応に老けていくのが人の道だよね。無理に頑張らなくても?」とも思ったんだけど・・・思い出した!なぜ私がこんなにこだわるのか!それは、いつかこの先オットに会うかもしれない、って思ってるからだ!いやいや「会わないかもしれない」でもあるんだけど、けど、やっぱり「キレイ」に手抜きしたくないのよね。会わなくても、その努力がオットを好きだった印って言うか、忘れないでいる敬意って言うか、そういう気がするんだー。複雑だけど、この気持ちを忘れたときに、自分は心からオバサンになるような気がして・・・。そんな理由だけど、やっぱオンナとして、キレイを頑張りたいと思う。
2008.02.17
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ちょっと、吐露グ。ちょっと、報告。昨年末から、少し心境に変化が起こっています。まだまだ変化中なので、自分でも受け止め切れてないし、戸惑っているような状態。ただわかるのは、オットの事を忘れたくないと思っているし、オットの事を好きな自分を忘れたくなかっ「た」と言うこと。「忘れたくなかった」という過去形が、大きな変化、いや小さな変化、かな?オットと言う存在については忘れてはいけないと思っているけど、そこに思いを募らせる自分はもう必要ないんじゃない?と、感じ始めてる。なぜかずっと心の底にあった思い、「彼も私のことを思って、寂しいことがあるかもしれない」、「まだ好きでいてくれてるかも知れない」、そういう思いが私の許容量からこぼれ始めた感覚。もう、重いの。もう、しんどいの。そうやって、いくつもの「かもしれない」を考え始めるとキリがなくて、どんどん罪の意識ばかりが膨れ上がって、辛く、辛くなるの。これまでは、この「かもしれない」で作り上げられたお城でうずくまっているのが、居心地よかったのだけれど・・・何だか外に足を踏み出したくなった。外の光を見たくなった。外の風を感じたくなった。今までは、想い出に囲まれて、それを思う毎日に満足してたし、幸せだった。それが、また「想い出」を作りたいと思うようになった。気持ちが外を向き始めた、そう感じる。そう、誰かを好きになりたい、そんな気持ち。世の中に、私の「好き」はたくさんあるけれど、その「好き」を増やすのでなく。触れたい、知りたい、そして「知ってほしい」。生々しい、「生きた」愛情を注ぐ対象を欲する、そういう気持ちがふと見えるときがある。少しずつ増えてきた。いいことだと思う・・・んだけど。けど、それは相手が誰でもいいわけじゃない。偏屈な自分にうんざりする事も。そして、そういう関係を築く為に繰り返されるプロセス、それは苦痛でしかない。だから、やっぱり外界への入り口でうずくまる・・・。
2008.02.10
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私によくあること。 久しぶりに友人から連絡があるのは、それは彼らに何か辛いことがあったり、聞いてほしい愚痴があるとき。 そして、それは大抵タイミングが悪い。 誰かほかの人との約束の時間の直前だったり、仕事に遅刻ギリギリで出かけるところだったり。 そんなとき、電話の主が発する言葉は「Sallyちゃん、今大丈夫?」。 もちろん大丈夫じゃない。 けど、その言葉を自分が発するのは、「そのとき」に「その人」の声が必要なときで、明日でも、1週間後でもダメなんだ、ってとき。 うっかり、「ごめん、今から出かける約束があるし、また明日電話するわ」なんて言ってしまうと、相手は「ううん、大丈夫。大した用事じゃないから」と殻に入り込んでしまう。 そう言って、彼らの中に再び取り込まれた心のウミは固まって沈殿して、ちょっとやそっとでは引っ張り出せなくなる。 まだ柔らかいうちに、まだ取り除きやすいうちに引っ張り出してあげないと、どんどん大きくなって、本人にさえコントロール不能なものになる。 そうなってしまったことに気づいたとき、私は(本人も気づかぬうちに)シグナルを出してくれたのに、気づいてあげられなかった事に、悔やんでも悔やみきれないほど後悔をする。 だから、出来る限りの自分の時間をやりくりして(化粧や食事を諦めたり、約束の時間を変更したり)、「今」そのときに話を聞くようにしてる。 若い頃には、何か辛いことがあると電話してくる友人達に、「イイことや楽しいことがあった時には連絡してこないのに、何か嫌な事があると電話してくるって、友達甲斐がないんじゃないの?」なんて思っていたことがあった。 歳を経て思うのは、友たちが辛いことや愚痴をぶちまけたいときに私を思い出して連絡くれるのは、有難いことなんだということ。 単なる「はけ口」ではなくて、永年の付き合いから「Sallyなら、この辛さを軽くしてくれる」と信頼してくれてるんじゃないかと思うから。 そういう「気持ち」を預けてくれる友達が、増えていく幸運に感謝。
2008.01.19
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旧年中は後ろ向き発言満載の私の独り言にお付き合いいただき、有難うございました。今年もよろしくお願いします。2008年が皆さまにとって素晴らしき年となりますよう・・・。Sally
2008.01.01
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離婚から2年。この5月、子宮がん検診に引っかかってからずっと考えていたこと。オットに手紙を書きました。別にたいした事じゃないけど、やっぱり自分がいつ死ぬかわからないし、伝えたいことは伝えてから死にたいと思ったので・・・。================================================(前文省略)私が離婚して失ったものは、旦那さまでもあったけど、一番信頼できた仲良しのお友達でした。何でも話せて、私が思いも寄らないような素敵な言葉をくれる、そして尊敬できる、唯一のお友達を無くしました。大げさに言ってるんじゃないのよ。本当に今まで自分が知っていた人達の中で、一番信じられてん。何かと私は疑り深いので、相手の得意分野によって、「この話は半分に聞いておこう」みたいな、無意識の判断をしてたけど、あなたはわからないことは「わからない」ってはっきり言うし、知ってることも、知ってる限りのことを話してくれるから、そういう気持ちになったんやろね。私が見てたあなたが、あなたのすべてじゃないかも知れんけど、私が知ってる限りは「自慢できる」旦那さまでした。 そんな旦那さまを苦しめたのは私です。あなたの存在に安心しすぎて、「大事にしたい」と思っていたあなたを大事にせず、おかあさんとうまくやりたいが為に、あなたに協力「させて」ばかりでしたね。仕事で疲れているだろう週末に、「おかあさんに怒られるから庭の梅を切って!」だとか、「夕食に間に合うように帰って!」とか、命令ばかり。大事にする順番を間違えていました。 ストレスで調子悪くなる私を見るのは辛かったやろね。徐々に笑わなくなる私を見て、心配したり、イラだったりしたやろね。パニックの発作を起こす私の体を押さえながら、悲しかったやろね。愚痴ばっかり聞かされて、憂鬱になったやんな。きっと嫌味言われて、責められてる気持ちになったやろうね。何より、身内のおかあさんのことを言われて、キツかったやんね。それがわかってるつもりで、頑張ってるつもりやったけど、それは私の一人よがりやったんやと思う。「私は頑張ってるのに・・・」って、勝手に自分一人で苦しんでる気になって、「おかあさんもあなたもしんどいんや」、ってアタマでは判ってるつもりになってたけど、気持ちではわかってなかったんやね。あなたの辛さの半分もわかって上げられなかったね、私。ごめんなさい。あなたがあんなに苦しむまでに、楽にしてあげればよかったんかな?と、思うこともあります。けど、苦しかっただけじゃないよね?楽しいこともあったはず、と、信じたいです。私には、あなたと一緒に居たから得られた「いろんなこと」があります。音楽も、アロマも、写真も、パソコンのことも・・・。一緒に何かを見るたびに、あなたの気づく事それぞれに、いつも感心していました。それまで、自分に見えているものとほかの人に見えているものは同じだと思ってたけど、あなたと知り合って、そうじゃない事を知りました。山々の季節の入れ替わりに気づいたり、雨の予感を感じたり、昔の人の技術に感心したり・・・私には思いを馳せられなかったような、いろんなことに気づくあなたを「すごい!」と思っていました。私には見えていなかった、いろんな事に気づかせてくれた、あなたを尊敬していました。あなたは、「大げさな」というかもしれません。でも、本当にそうなんです。本当にありがとう。 離婚したときには、「離婚してからも、また付き合う夫婦もいるし」と言う、あなたの慰めの言葉に現実感を持っていました。「あなたには私しかいない」なんて、何故か信じていました。私がいなくなったら、絶対寂しくなるはず!なんて、自分に言い聞かせてました。ホント、都合のいいオバカですね。それは、裏返せば「私にはあなたしかいない」って、私が思ってたから、そんな馬鹿らしいことを考えてたんだよね。私にとってあなたは「特別」だったけど、よく考えたら、あなたにとって私は特別じゃなかったから、こうなったんだもの。離婚って言うのは、あなたに「特別」な存在を得るチャンスが出来た、って言うこと。 長々と書いたけど、言いたかったことは、「ごめんなさい」と「ありがとう」。 結婚したことは後悔していません。そして、離婚したことも後悔していません。二人がお互いを必要をするときがあったなら、あらためてまた「出会い」ましょう。(これは、私の勝手な希望・・・) 願わくば・・・あなたが私を思い出してくれるときがあるなら、それはクスッと笑える思い出でありますように。=====================================================================驚くなかれ、これって全文の半分以下です(笑)前半は個人的な思い出やお詫びが満載なので省略。何ヶ月も、伝えたいこと、知っておいてほしいことをメモっては消し、消してはメモり、を繰り返し、そぎ落として、そぎ落として、残った言葉達がコレ。これで今年の目標だった、オットに「ごめんなさい」と「ありがとう」と、「あなたを好きだったこと」が伝えられました。意気地なしだった自分を、コレでちょっと褒めてあげます。
2007.12.14
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「小さな親切、大きなお世話」とは、上手く言ったもの。 私はどちらかと言うと、「大きなお世話」をするタイプである。 好んでそうするのではないが、基本が「おかん」目線なのでそうなる。 例えば、(男性に多いのですが)寒い季節、車の運転をするときや、暖かい室内に居るときに防寒用の上着を着たままだと、「こんな暖かいところで上着を着てたら、外出たときに寒いから、上着脱ぎよし!」なんて、オカンのお小言のように言ってしまいます。(我ながらお恥ずかしい) 以前、セクシー女医西川センセが「男性との接し方」をこのように語っていた・・・。 オトコがガビョウを踏む前に、「危ない、そこにガビョウがあるから気をつけて!」と言うのではなく、ガビョウを踏ませてから「まぁ~~、可哀想に。さぞかし痛いでしょうに・・・」と慰めるのが、オンナの格を上げる のだそうだ。 これは極論だが、確かにそうかもしれない。 人間と言うものは男女関係無く、「危ないからやめておきなさい」と言われると益々反抗し、実際に自分が危ない目に遭って初めて「あの時やめておけば・・・」と、後悔とともに学習するものなのだ。 最近、会社の後輩が心配で仕方ない。 私は専務付秘書なのだが、後輩の常務付秘書の女性が職務の範囲を超えてこき使われているのが、気になって仕方がない。 私のわかる範囲でいろいろ手伝ったり、アドバイスをしたりするんだけど、「いえ、私はいいんです。大丈夫ですから。」と取り合われない。 そう、これが「大きなお世話」なんですね。 多分、彼女にとって私の心配は、「大きなお世話」なのでしょう。 まず「痛み」は彼女自身に経験させて、その後フォローしてあげる、或いは立ち直る手伝いをするのが私の役目だと思うことにしました。 如何に「あー、あんなことしたら痛い目に遭うでー」と思っても、会社の存続に関わらない限り、口出しせず優しく見守りたいと思います。 これで、オンナの格は上がるかしら??
2007.11.29
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不妊治療をしている人の間では有名なお寺、京都の華厳寺。通称「鈴虫寺」。私とオットも例に漏れず、二人でお参りしたことがある。もちろん「子供を授かりますように」と願掛けをした。このお寺では「幸福御守り」という守り札があり、それを両手の親指と人差し指のまたに挟んで、お寺の方向に祈れば、お地蔵様がそこまで歩いてきて願いを叶えて下さる、と言うご利益があると言われている。そして、願いが叶うとそのお札を返しに、またお寺までお礼におまいりする、そういういわれのあるお寺。そのお札をなかなか処分することが出来なかった。財布に入れて、ずっと持ち歩いていた。二人が同じお札を持っていることにしがみつきたかった。同じ想いで、ともに祈ったことを忘れたくなかった。けど、正式に離婚してもう2年が過ぎようとしている。少しずつ、想い出は減らしていかなきゃね・・・。子供を授かりますように・・・願いは叶わなかったけれど、もう願うことも無くなった。御守りはその役目を果たさなかったけれど、もうお役御免だなぁ、と思うと泣けてきた。そして、手離す勇気が湧いた。今日、郵便でお寺宛に「願いは叶わなかったけれど、供養したいと思います」とお札を送り出した。二人が、一つ心で願掛けをしたあのひとときに感謝して・・・。お地蔵様、ありがとうございました。
2007.11.26
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このブログ、とあるネッ友から「Sallyちゃんって、吐露ってるよねー、かなり。」と言われたことがあります。そう、内面のドロドロしたことを、起承転結意識せず、単にダラダラ「吐露」しているということです。初めはさー、「明日のために」なんて前向きなことも書くつもりだったんだけど、そういうことって、結構リアル友達にでも気軽に話せるんだよね。だし、自分の中の整理もつきやすいし、話を聞いた人のダメージもなくてテンション盛り上がるし・・・。なので、ここでおおっぴらに発表せずとも気が済むわけですな。が、それと反対の負の感情はと言うと・・・これはリアルで、誰かと面と向かって話すにはおどろおどろし過ぎてて、かなり飲んだくれないと話せないし、聞き手にかかる負担の大きさは例えようがないだろうと推察される・・・。オマケに誰とでもそんな話が出来るわけもなく、特定の友人に負担をかけず、そして気持ちを整理したり、折り合いをつけたい。それが私の本心。で、ここでこのブログの本領発揮~!だと思うわけであります。一応、このブログを始めたときからの目的は、世の中の、私と同じような境遇を経験した人に「私だけじゃないんだ」とか、「こう感じるのは異常じゃないのね」と思ってもらえるようにしたかったのね。だから、少しネガティブなことを書くときは、内容を「離婚」、「不妊治療」、「同居」、「鬱病」に絞る事にしていたのです。が、この縛りを解除することを宣言することにしました~。「他人様の役に立ちたい」と言う気持ちも、もちろん未だ持ち合わせておりますが、それと同時に「自分の為」の場にもしたいと思います。読む方の体力を消耗しない程度に、ネガティブでドロドロしたことも「吐露」していくことになるかと・・・。そう、ブログならぬ「吐露グ」の誕生です。ヨロシコ~♪
2007.11.14
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過去日記でお話しておりましたアロマセラピー講座、無事修了しました(嬉!)簡単に言うと、精油とか、人体の骨格、筋肉組成に関する知識は置いといて、まず実践!と言う形式で、親類や私的な友人対象に行うホームトリートメントを目的としたアロマ講習でした。なので、フェイシャルやヘッドリフレ、本格的な足裏反射区を応用したリフレクソロジーなどには手を出さず、あくまでも精油を使って全身のリンパの流れを「促すお手伝い」ぐらいの感覚で講習を受けました。ハンド、腕、脚(前面と背面)、背中、デコルテ(鎖骨周り)の簡略化したマッサージの流れを習ったのですが、受講者達が変わりばんこで施術したり、施術されたり・・・。もちろん、施術され中に寝る奴続出~!めちゃ、みんなでウケマシタ。楽しかった~。一応私たちが、このコースが設置されてから第一期生になるらしく、先生も感慨ひとしおのご様子。ホント、このクラスはみんな仲がよくて、明るく講習を受けてくれたから、こちらも楽しかったです。これからは、用事が無くてもこのサロンに遊びに来て、練習したいときにはベッドを使って練習してくれていいからね。ディプロマ(修了証)送るときに、みんなの住所録を送るから、これからも連絡取り合って仲良くしてね。と、嬉しいお言葉を頂きました。また、ハンドトリートメントについては医療行為では無いので、先生がされている老人ホームや病院施設でのボランティアトリートメントの時には、私たちも手伝わせていただけるそうで、何だか「誰かの役に立てるかも?」と、すこしカンゲキしてしまいました。そして、もう一つ嬉しいことが♪終了日当日、今までのおさらいと言うことで、先生が脚の前面のトリートメントを私をモデルにして施術してくれたんだけど、そのときに・・・オイル塗布は肌の様子を見て調節します。このクライアント(施術されるヒト、私のことね)さんは、水分が充分足りているので、オイルは少なめでオッケーです。ヒトによっては、乾燥されてる方も多いので、そのときは多めにオイルをつけてください。って、言われたのー。常々、歳とともに潤いがなくなってきたなー、シャワーもはじかない肌になってきたかも?なんて思ってたのに、水分が充分足りてる、だなんて~♪9月頃から、肉体改造(って単なるダイエット)の為に、水分補給を意識的にマメにするようにしてたんだけど、その効果が出てきたのか~?と、かなり喜んでしまった(汗)効果は徐々にしか現れないけど、努力はいつか報われる!と信じて、これからも精進します!!
2007.11.07
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ここしばらく、ウォーキングとプチジョギングをしております。(ワケは9月初めに、とある機関で測定してもらった体脂肪率がありえない高数値を記録し、そのショックのあまり、自分流ダイエットを開始したのであります。) 仕事が終わってから実家に立ち寄り、夕食をとる習慣なので、実家で服を着替えて夕食までの時間にウォーキングをしとります。 いつもは、一人でipodを耳に突き刺して、心のままに自分のその日の気分の音楽を聴きながら、好きな調子で歩いたり走ったりしてるわけで、その気持ちよさにメロメロなんですな・・・。 が、そんな毎日のうち数日は、母が「連れて行って」欲しそうに、光線を出してくる。 カレーとかおでんなどを昼間に作っておいて、私が帰ったら「食事の準備は終わってるし、いつでもウォーキング出来るで」と・・・。 そうなると、可哀想になって一緒にウォーキングに出るわけだけど、私のペースで歩くと、彼女の体がついて来れず、ましてや走ったりなど出来るわけも無く。 最近は日の入りも早く、ウォーキングに取れる時間も30分がせいぜいで、走らないと爽快感が得られない。 なので、不完全燃焼なまま、母のウォーキングの早さに合わせて、無理矢理ジョギング30分してます。 けど、ソレが毎回だと本当につまんなくて、つまんなくて・・・。 とは言え、行く気満々の母を置き去りにすると、捨てられた犬のようなまなざしを私に向けるので、ソレも辛いし。 で、思うことがある・・・。 人間には自分のペースとか、スタイルがあって、それを崩されるのは本当にキツイことだろうなぁ、と。 けど、家族と一緒に住んでいると、ソレが当然で、それが生活と言うものなんだよねー。 生まれてこの方、実家にずっと住んでいるときには感じなかった違和感も、一度家を出てしまうと、当然のように「しっくりいかない」感が生まれてくる。 (例えば・・・外で深酒をして帰ってきて、何も出来ずに寝てしまった後、夜中の3時に頭痛で起き出し、シャワーの下で三角座り・・・これって、今の私にはしょっちゅうのことだけど、これが実家だったら、間違いなく人非人扱いだわね。いや、別に正当化する気はないけどさ。) それだから、人と暮らすのは難しい。 そう、ヒトと歩調を合わせることの難しさよ・・・。
2007.10.27
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だめだ、ダメだダメだダメだダメだ~~~!ギャルになれないー。「は?」ってお思い?何もルックスとか体力とか、そういうんじゃなくて。ギャル時代の「ウキウキ」感に浸れないっす。ま、そりゃ歳を経てるんだから仕方ないんだけど、所帯持ちじゃなくなって、独り暮らしで、あるお金は、あるときに、あるだけ使え~って感じで、意識的にストレスフリーな生活をしているのに・・・。一応、私「プロフィール」にこんな事書いてるんっす。夢・目標 (他の人は?)離婚をしたことで、恋愛に臆病にならず、どんどん恋をすること。(http://plaza.rakuten.co.jp/sallystomorrow/profile/ご参照)な、ワケで深く悩まずに、飛んできたボールは「取れる範囲ならキャッチする」んですよ。だし、ご飯行ったり、お酒行ったり、映画行ったり、ドライブ行ったり、もします。けど、何故か相手の詳細を忘れます。お誕生日とか、血液型とか、名前の漢字とか、住んでるところとか、そういうことを。何回も同じ事を訊いちゃったりします。で、うっかり「●●ちゃん」と、元オットの名前で呼びそうになるし。恐らく、かなりの確立で拒否反応起こしてますね、恋愛に。先日、茶飲み友達との会話の中で・・・「結婚したい・・・」と言われ、「ケ。コ、ン?」と、私の思考が、滝つぼに吸い込まれるがごとく、遠く、深く、暗い水の底まで落ち込んでいくのを感じました。イヤだ、イヤだ、イヤだ、イヤだ、イヤだ、イヤだ、イヤだ、イヤだ、イヤだ、イヤだ~~~!もう、その人とはお茶も飲めないぐらいにストレス状態に陥ってしまった。「もうヤダ」、その一言につきる。あの言動がなければ、今もいい茶飲み友達だったのにな。こんなに懲りているとは思ってもみなかったけど、また逆戻りしたのではない、と思いたい。「結婚がイヤだ!」と言うことを、ちゃんと自覚した、「新しい一歩」だと信じたい。
2007.10.08
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先日のガン検診結果、めでたくシロ。本当によかったです。で、数人の友人等には、前回「検診引っ掛かった」ことを知らせていたので、「シロでした報告」をしました。で、以前の日記にも書きましたが、オットにも知らせていたので、思い悩んだ挙句、一応簡単に「ようやくシロ判定でました、ご心配おかけしました」とだけメール。すると、すぐに返信メール。「よかった、よかった。長い間不安やったやろうなぁ。健康に乾杯やね。」あぁ~、まさに私の心境を言い当ててる。すごいなー、この人。と、感心しました。で、「ありがとう。お互い健康には気をつけなね。」と、私。すると、「そやね。ほんまによかった。」との返信。びっくりするぐらい、私が欲しかった反応を見せた彼に感嘆。あぁ、これでいいなぁ、と、しみじみ思いました。以前は今彼がどんな生活をしているのか気になって、ブログを覗いたり、HPをチェックしたりしてたけど、この数ヶ月は一度も見ないで過ごしてきました。ふと気になるときもあるけど、そこはぐっとこらえて見ない。その効果か、最近は本当に気にならなくなってきました。必要なことだけ連絡があるし、それに対しての返事は簡単にしてます。で、私からの連絡も用件だけ。その反応は、私が求めるような反応が返ってくる。あぁ、これだなー、これでいいんだなー、と、今は思ってます。(また、変わるかもしれないけどね。)
2007.09.08
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ってか、どっちかと言うと・・・「楽しくない」と、続けられない、が正解。過去の日記でお話しました「アロマ教室」。アロマセラピーの理論を勉強し、その後、実践講習、などと言うコースでしたが、そこが曲者。もともと、「親とのスキンシップを図りたい」などと言う、ヨコシマな目的で通い始めたこのコース、理論コースの受講が面倒くさくて、面倒くさくて・・・。ぜーんぜん、やる気ナッシングで続きませんでした。アロマセラピストを目指そうかな?なんて思ってらっしゃる方には、有意義な講座だったと思うんですよ、ホントに。(実際に病院や老人介護施設で施術されてる方の講義だったし・・・。)そして、その講座!遂に昨日から、「オイルを使って実践!」と言うことに相成り、俄然やる気アップで臨んできました。楽しかったぁ~♪昨夜はオイルを使って、初歩的なマッサージを習いつつ、ハンドマッサージ(肘から先のマッサージ)の実践講習でした。受講者がペアになって、施術し合い、「人の振り見て我が振り直す」みたいな感じ。すごく面白くて、いつもは施術されるばかりで、施術者の視点なんて考えたことも無かったけど、その辺りも見えてきて楽しかったですー。次回も楽しみで、楽しみで~。メチャメチャ、やる気満々でっせ~♪で、早速、今日会社帰りに実家に寄って、目論見どおり、両親に「練習台になってくれる?」と言う誘い文句でマッサージしてきました。結局、昨日はその講座を受講する為に、実家には顔を出さなかったのですが、それが影響したのか、またしても我が両親は、かつての米ソ二国間よりも冷たく激しい「冷戦」中でした。ま、そんな雰囲気も温かくなれば・・・と、まずは父親に施術。「別にどこも体に悪いところはないけど、仕方ないから練習台になってやる」と、素直じゃない父ですが、やはり娘に手を握られるのは嬉しいらしい。ごつくて肉厚の父の腕と手をマッサージするのは、はっきり言ってキツカッタ・・・。指がツレそうになったけど、これも親孝行!と、頑張った。じゃ、途中で「痛い」とか「気持ちいい」とか言うようになったので、効果アリ。片手が終わると「お前の肩が凝るからこれでいいわ」と、謙虚に遠慮され、ある意味解放された。すると、母親も「お母さんはしてくれへんの?」とうらやましげ。夕食後、父が入浴中に施術したら、「わー、メチャメチャ手が軽くなったー!もう片方の手もしてー!」と、感嘆の声。母の手は父の3分の1ぐらいの太さしか無く、施術は簡単なのでもう片方(なので、結局両手)もマッサージしたら、母曰く「アロマってすごいなー、腕の表面のマッサージじゃなくて、内側に油挿したみたいに動きが滑らかになったわー!」とカンゲキしておりました。これはこれでよかったんだけど、その途中で父親が風呂から上がってきて、自分は片手しかマッサージしてもらわなかったのに、私に頼んで両手をマッサージしてもらってる母に対して怒る、と言う事態が発生・・・。ま、私の不注意と言えば、不注意だけど・・・。もう、知らん。面倒、見切れんわ。こんなしょーもない事で、いさかい起こし続けられる、アノ夫婦に乾杯!?
2007.09.05
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少し前の日記で言うだけ言って、そのまま放置だったお話について・・・結局、5月初めに受けたガン検診でグレー判定が出て、5月末に再検査をしましたが、その結果はもう一度グレー判定。仕方ないので、そのまま3ヶ月放置してました。で、先週月曜日に再々検査に行き、今日結果が出まして・・・めでたくシロ!でした。これで一つ心配事が消えました。とりあえず、ご報告まで。
2007.08.27
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胸の中がザワザワする感じ、わかりますか?何をするときも集中できなくて、絶えず「間違わないように」、「失敗しないように」と、ドキドキする感覚から抜け出せない状態です。「ワクワク」とは明らかに違って、とっても苦しいんだけど、原因がわからない。どうしてこうなるんだろう?こうなると匂いにも過敏に反応して、魚のにおい、口の匂い、湯船の湯の匂い、微かに漂ってくるだけで体中が痒くなって、ジンマシンのようなものが腿の内側や、二の腕の柔らかいところに出てくるし、頭の中っていうのか、髪で覆われている頭皮が無性に痒くなる。いつもなら反応しない、オシロイバナの香りにまでむせて、涙が出る。体中が、イライラする感じでカユイ。わぁ~~~~、と叫んで何かにぶつかりたい衝動に駆られるんだけど、そうしたからと言って、このイラがゆい感覚からは逃げられない気がするんだよね。やっぱり、またお医者に行かなきゃなんないのかな?もう、クスリは嫌だ。絶対イヤだ。・・・できれば、嫌だ。
2007.08.06
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数週間前、とあるサイトでオットが撮った写真を見つけました。私たちが離婚したのは2005年12月12日。その写真の日付は2006年1月3日、離婚から2週間少しがたったころの写真。彼は誰か白いコートを来た女性と初詣に行っていました。おみくじを持つ女性の両手がアップに撮られた写真。オットはスナップ写真をほとんど撮らない人で、身近で撮っていたのは義弟家の甥っ子達ぐらいでした。私が居る頃は、私とわからぬようなアングルで足元だけ、とか、遠く離れた後姿を撮ってはいましたが、それ以外の写真は残っていません。後は、私を傍から動画で撮り、それを再生しては優しく笑っていました。そういう想い出を、とても大事に思っていたのですが、その初詣の写真を見たとき、その想い出は辛い想い出に変わりました。ファインダーの向こうに見えていた優しい目は、あの頃からもう私以外の人に向けられていたのかもしれない、と。私が「オットも私と同じだけ苦しいはず。私が彼を心配しているのと同じに、彼も私を心配しているはず。」と、無意識に、というか、自然にそう思っていました。離婚してからも「結婚していた4年間の大切な思い出があるから、今の私がある」と、その4年間にした苦労よりも、その幸せだけを支えに頑張ってきたこの1年半。けど、それがすべて帳消しになるぐらいショックでした。4年間がただの空白になり、浮気じゃない、心変わりじゃない、と信じてきた自分がとてつもなくオバカに思えてきて、毎日が無駄で無意味になった気がしました。自分が「価値あるもの」と思っていたものが、ただのガラクタに見えてきました。ガラクタの記憶を消し去りたい、毎日願って止みませんでした。そりゃ、こんなことや、こんなことも考えてはいたけれど、心の奥底では否定して、否定して、「相手は友達だ」とか、「単なる興味でピッチを買ったんだ」とか、「誰の影響でもなく、急にaikoファンになったのかもしれないやん?」とか、自分を納得させてたけれど、第三者としてみている私が「キリをつけよう」と言い出した。もし私が私の友達だったら?「Sallyちゃん、もう諦めよし。誰がどう考えても『心変わり』やで。だからメールも返信しか来ないんよ。だから、残してきた荷物も送ってくれへんのよ。もう、向こうは想い出もどんどん忘れてるんよ。」と、なだめ、諭してると思う。そう思ったら、今まで消せなかった彼の携帯メールもメアドも電話番号も消去できた。もう解放された、と思った。けど、やっぱり気づく。「あの、おみくじを持っていた手は姑だったんじゃない?」と、思っている自分がまだ居ることに。バカらしくて、開いた口が塞がらない。
2007.07.18
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ちまたは夏のバーゲン真っ盛り、ですね。さっぱり興味の無い私ですが、他の用事で出かけた折、帰り道に「バーゲン民族大移動」に遭遇。一人で店を徘徊するOL風女子、友達同士で笑い続けるコギャル風中高生、彼氏に荷物を持たせて買いまくる女子大生、などなど。で、かなりの確立で存在したのが、母親と娘のペア。ママは自分の服を買う風は一切無く、ひたすら娘のショッピングに付き合っている。そして、とあるランジェリーショップから漏れ聞こえた会話。ママ「最近の下着はいろいろあるんやねぇ~。こんなところでもオシャレできて素敵ねぇ♪」娘「そうそう~♪」微笑ましいわー。女の子をもつ母親って、娘がオシャレすることが嬉しいんですよね。娘が可愛いことに喜びを感じてるみたいで・・・。ニコニコしながら、バーゲンの街を通り過ぎました。
2007.07.01
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「涙の効能」を知ってますか?涙には、血液の30倍の濃さで「マンガン」と言う物質が含まれているらしい。「マンガン」は、骨を強くしたり、酵素の働きを高める効果があり、人体に必要なミネラルではあるが、摂取しすぎると精神面に悪影響を及ぼすらしい。その悪影響とは、気分が不安定になったり、鬱症状を引き起こすこともあり、感情面に対するストレス物質といえる。一説には鬱病患者の死後、脳内にはマンガンの残留が見られるという。ひいては集中力の欠如や言語障害、記憶障害がひきおこされ、進行すると、筋肉のふるえや衰弱など神経麻痺症にまで進展する。BSE(狂牛病)の原因物質でも有るとも言われている。涙はそのストレス物質を凝縮して、体から排出する。だから人間は、泣いた後、気持ちが少しリリースされるのかもしれない。私が健全であるとき・・・ストレス過多な状態になると、自然と映画ばかりを見始める。それが何故か、ストレス発散に良さそうなコメディなどではなく、絶望の涙、感動の涙を誘うものを自然とチョイスしてたりする。(時にバイオレンスだったりして、自分を疑うときもあるが・・・)これは、自己防衛本能が自然と「マンガン排出」を目論んでいるのだろうか?私が鬱病治療を集中的に受けていた頃、実はそれまで大好きだった映画が見られなくなっていた。短時間のドラマでさえも、意味が取れなかった。読書なんて、出来るわけもなかった。人と話をしても、会話の意味がわからなかった。当時、私は泣けなかったのかもしれない。その頃の記憶があやふやなので明言できないが、あの時期私は涙の「恩恵」さえも拒んでいたのかもしれない。
2007.06.26
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最近になって、会社の同僚に「Sallyさんは、離婚してよかったと思う?」と訊かれた。暗に「いつも楽しそうだし、よかったと思ってるよね?」と言う響きを持っていて、彼女がある意味、離婚に対して過剰な憧れを抱いている様子が見て取れたので、私はその意を汲んで「そうやね、良かったと思ってるよ、気楽だし」と答えた。が、妙にその憧れを煽るだけではいけないので、正直なところを少し話してみた。けどさー、やっぱり不安はあるよ。だって、自分が働けなくなったら、そのまま自分の生活が破綻するんだし・・・。健康のこと、収入のこと、将来、老後のこと、心配は尽きないよ。あと、離婚した人への世間の偏見もあるしね。↑コレは一般的に、誰もが理解する、離婚のリスク。あとさー、私が一番苦しんだのは劣等感だよ。他の多くの人は結婚生活を死ぬまで続けられるのに、自分には出来なかった、って言う気持ちがわいてくるの。↑コレ、かなり自分の中で大きなウェイトを占めているコンプレックス。ってか、普段は表に出てこないけど、心の奥底で常にうごめいている魔物。なのに、周りの人には「何でそんなこと考える必要があるのん?」と、あまり判って貰えない感情。周囲の人には、「今の世の中、離婚する人なんて星の数ほどいるんだし、みんな次の幸せをすぐに見つけてはるし、もう気にすることなんて無いでしょう?」と励まされる。私に対する、心の底からの気持ちで「誰も貴女を蔑んでいませんよ」と、言ってくれてるんだと思ってます。とは言え、日本人の大方の人の中にある常識とは・・・結婚しないよりはした方がいい。離婚するよりはしないほうがいい。ひいては、離婚したなら、再婚しないよりはした方がいい、と。この常識を踏まえつつ、離婚を選んだ自分、そしてそれを乗り越えようとあがく自分を、たまに「褒めて」みたりする。「アンタ、ホント頑張ってるよ、よくやった」なんて。その後、劣等感と一緒に虚しい風が吹く。たまに見るテレビや雑誌の情報の中に、信頼も無く、愛情も無く、家庭生活さえ破綻しているような夫婦の姿がある。それを見ながら、「私がしていた努力はあの人達よりも劣っていたのか?だから離婚したのか?」と言う思いを抑えることができない。努力が足りなかったのか、我慢が足りなかったのか、答えは見つからないけど、劣等感だけが膨れ上がる。以下、軽く愚痴です、お気になさりませぬよう・・・。今日も自分の兄の言葉(彼の個人的ブログ内)に大コケした。「愛されるということは、過去、成り立ちに興味を持たれ、未来に期待される、ということ。」確かに・・・いい事言うよね、わかるわかる。「だから、話題にはなるけど愛されない店はすぐ、潰れ、綺麗なだけの女性とか、カッコいいだけの男はすぐ離婚する…」嘆息。なんで、最後が「離婚」なの?だってさ、「綺麗なだけの女性とか、カッコいいだけの男はすぐに飽きられる」でいいんじゃないのか?何故に「失敗=離婚」と断定するか?これが世間の常識、「離婚(失敗)はしない方がいい」なんですね。日々、こんな些末なことに躓く、そういう劣等感、これが私の「リコンの痛手」です。
2007.06.24
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記憶喪失になりたいです。
2007.06.21
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会社帰りに実家によると・・・我が母校から郵便物が届いていた。ってか、住所も大学名も手書き?!(ありえない!!)どう見ても元姑の文字でした。が、差出人名は住所も何も無く「●●●●●大学」と一行あるだけ。宛名と住所以外は、文字は皆無。住所変更してなかったので、旧住所に大学からの書類が届いた様で、転送してくれたのでしょう。きっと、嫌だったろーなー、宛名書くの。ごめんよー。リコンしてから1年半、別居からはおおかた2年。当初、必要に迫られて銀行やクレジットカードの住所・氏名変更をしたものの、毎回「ご結婚ですかぁ~?」と訊かれるストレスから、最低限の変更だけで断念した次第。今になって、まだ変更していないものに気づく。大学の同窓会名簿も変更しなきゃねー。多分、来年の年賀状もまだあっち(元婚家)に届く分があるだろうなー。まだまだほとんど連絡とってないからな、友達に。今になって、また「リコンしたんです」とアピールしまくらなきゃいけないのか・・・やだなー。もう、事情説明やだー。また放置しそう・・・。
2007.06.19
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って、前からやないかい!と思われるかと存じますが・・・。今までは、本などを買って独学でアロマを生活に取り入れていたのですが、本日より「アロマセラピー教室」なるものに通い始めました。基本は「アロマとは何ぞや?!」を教えていただく講習なのですが、本来の目的はそれではありません。この講習2段階に分かれていて、知識としてアロマの勉強をした後、実際にオイルを使って部分的、全身、共に使える「アロマトリートメント」の実習もさせてもらえるのです。このアロマトリートメントこそが本来の目的です。年老いた両親を抱えていると悩みは尽きません。通常では考えられないいさかいが頻繁に起き、石原真理●を髣髴とさせる、いやそれをはるかに通り越した「理屈無き感情の暴走」を目の当たりにすることの多さ、本当に世界の七不思議です。と、そんなバカなことを言ってる場合ではなく、鬱と軽い認知症の症状を示すこの老人達をいかにハッピーに過ごさせるか、それが今の私の目の前の課題です。で、もう言葉とか状況とか正常な判断を期待するのは諦め、彼らに何か新しい刺激(経験)を感じてもらおう、と言うのが、私のたどり着いた答えです。で、アロマ。今までアロマの「ア」の字も知らなかった人達に、「私のお稽古事の練習台になってくれる?」なんて言って、アロマトリートメントを経験してもらったら、何かしらいい方向に向かってくれないかしら?と、言う私の希望的観測。(甘い!!なんて言わないで・・・)1. アロマ本来のリラックス、鎮静効果。2. スキンシップによる安心感。3. 娘の「役に立ってやっている」という達成感。そして、コレが一番の目的。4. 「今までにしたことがない、新しい経験をしている」と言う興奮。何もかもに無気力になって、「新しいことなんて自分に始められる訳がない!」と決め付けて、好奇心も興味も何もかもを失ってしまった彼らに、もう一度周りのものに目を見開いてほしいのです。そんなわけで、アロマセラピー講習受け始めたのですが、実際続くかどうかは疑問です。もともと勉強嫌いの私のことなので、早く実技に入ってもらわないと、やる気が続かないかも?という危機感を感じつつの日記投稿です。
2007.06.12
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今日、うれしい事があったので書き留めておきます。以前の日記で話題に上がった、私の新卒入社同期のTちゃんのこと。あの後もう一度辛い思いをして、体外受精の為の採卵、胚移植を経て、無事、妊娠反応が出ました~~!彼女のかれこれ1年程になる、体外受精への取組みの結果が、ようやく結実しました。本当に嬉しいです。それでもまだ、「枯死卵(着床しても成長しない受精卵)かもしれないから・・・」と、自信無げで、喜ぼうとしない彼女。今までの(治療をしても実を結ばなかった)苦い経験が、彼女に楽観視を許さないのでしょう。「何言ってんの、今喜ばなくてどうするの?そりゃ、歳も高齢だから心配し出したら、誰でもキリがないよ!障害があったら?アレルギーがひどかったら?それ以前に流産したら?って、思う気持ちもわかるけど、今は素直に喜ぼう!」と、鼻息も荒く私が彼女に言うと、彼女もそれまで暗かった声を明るくして、「他の人にはまだ言えないけど、Sallyちゃんには少しの事でも報告するわ♪」と言ってくれました。また、「けど、そのかわり残念なことになっても話すから、聞いてね。」とも。もちろん、私もハッピーな結果を期待していますが、そうでない結果が出た場合も話をしてくれる、と言う彼女を、とても大事に思います。神様、仏様、彼女と彼女の赤ちゃんを守ってあげてください、お願いします。
2007.06.09
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ちょっと自分の中で変化があったので、つらつら思いつくまま書いてみる。離婚して以後、何となく社会生活を送っていれば、新しい友人も増えていく。その中には女友達もいれば、男友達もいるわけで・・・。一緒に映画に行ったり、ドライブしたり、ご飯、飲み、いろいろパターンがあり、それなりに気分転換にもなったりして、無理矢理そんな男友達を遠ざける必要も無い、と思ってきた私。で、ライトな会話で笑いあったり、ちょいとギャグなんかをちりばめてみたりするうちに、ジョークなのか、「ハラの探りあい」なのかわからなくなる事が増えて、とりあえずすべては「軽く受け流す」でやり過ごしてきたけれど、それが良かったのか、良くなかったのか?今回、「がん検診」の一件で非常にテンションが低かった或る日、ある男友達に「がん検診」引っかかったんだよ、と、ブルーに告げた。何らかの慰めの言葉が続くものと思ったら、「もし癌でも、治療したら子宮残るんでしょ?子供産めるんでしょ?」と訊かれた。畳み掛けるように「不安を取り除く為にも、早めに子供を作った方が良いんじゃない?ボク達。」だと。「どういう意味?ふざけてるの?!」と、喉元まで出かかった怒声を呑み込んで、やっぱり「受け流し」た。今、オットの為に「産んであげられなかった」ことを悔やむことは有っても、「子供がいないこと」に後悔はしていない。もう、この先子供は産まないかもな、ぐらいの事は覚悟している。「産めるけれど、産まない」ではなく、「産めない」体になることが怖かった。自分の人生が、まるっきり違うものになるのが怖かった。転移や治療が怖かった。子宮がなくなっても、女として受け容れてもらえるのか?それが怖かった。そして、その彼の言葉は真っ向から、それらの私の恐怖を肯定していた。「産めなくなる前に産んでおけば、問題なし」なのか?それまで「受け流し」ていた彼の存在が、受け流せないほど重苦しく、鬱陶しくなった。--------------------------------------------------先週の月曜日、女友達と会った。ネットを通して知り合い、個人的に携帯メールをくれたり、電話で話したこともある友達。私がこーんなクラーい日記を書いていることもよく知ってくれている彼女。穏やかで、可愛い人。彼女が一言、「サリーちゃんちは夫婦お互いが好きすぎたんだよね。だからこうなっちゃったんだよ。」何だかものすごく的を射ていると思った。「人それぞれのカタチがあるんだから、今の二人(私とオットのこと)もそれでいいのよ。」と言ってくれた時、言い表せないくらい気持ちが緩んだ。受け容れられた、と、感じたし、「このままでいい」と言ってくれる人に、久しぶりに会った気がした。そして何故か、彼女が私の今年の課題をまとめてくれた「不思議」。今年、私はオットに伝えるべきことを整理する。「どんな気持ちでワタシがリコンしたか」「リコンでワタシがどう変わったか」「オットのどんなところが好き(だった)のか」「これからオットにどう生きてほしいと、ワタシが思っているのか」そして、「オットにいかに感謝しているか」本当に単純でクリアーなゴールができて、視界が澄まされていく感じ。実際に伝えられるかどうかは、私の「勇気」に負うところが多いけど、これも先日この場で頂いた言葉、「勇気を失えば、生きている値打ちが無い」を胸に、ちょっとだけ踏ん張りたい、そんな気持ち。最近の「受け容れられない」経験と、「受け容れられた」経験。
2007.06.04
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昨日の日記でお話したとおり、3ヵ月後の子宮がん再検査を指示されていたのですが、小市民な私がその長さに耐えられる筈も無く・・・。偶然、今日はお友達と会う約束で会社を午後半休にしていたので、彼女を見送った後、飛び込みで検査をしてくれる病院へ直行、そして、検査を受けてきました。(彼女と会ったことで、気持ち的にも救われた部分があったのですが、この話はまた後日)癌検診だけだと、同じ結果が出て、やっぱり3ヵ月後に再検査になるかもしれないのですが、年齢が年齢なので、かねてから気になっていた子宮筋腫も同時に診てもらいました。そんなワケで、「がん検」に関しては、結果は1週間後。で、今日はそれとは別の「子宮筋腫」の検査についてのお話。今日行った病院のドクターはとても感じのいい人で、問診の際もわかりやすい言葉で説明を受け、今までの私の症状のヒアリングも懇切丁寧でした。状況的に過去の私の不妊治療の話もしたのですが、そのドクター「そんな治療をしたら、お腹が腫れて立てなかったでしょう?」と言われ、私も「まさにその通り!」と膝を打たんばかりでした。(そんな治療とは・・・クロミッド5日間服用とヒュメゴン300単位の注射による排卵誘発…だったはず)その問診の後、内診をしたときに画像を見せてもらうと・・・考えられない事が起こっていました。まず、筋腫は見当たらないし、且つ形状的には問題は無い、と言う本目的に対する診断。それとは別に、排卵前のタイミングであった為、内膜の厚さと卵胞の直径まで計ってもらったのですが、そこからが驚きなのです。通常、排卵前の内膜は8ミリ以上あれば受精後着床可能と、不妊治療中は言われていたのですが、私は年齢的なこともあり6ミリを超えることがありませんでした。当時のドクターからも「だから30才超えると急がなイカンのや」と言われ、かなりブルーになっていたものです。それが、今日の計測結果では11ミリもあったのです。卵胞の大きさも、すごく良く育っていて、もし不妊治療中の私だったら、嬉しくて泣いていたことでしょう。ドクターも何を勘違いしたのか、「今日あたり、すごくいいタイミングですよ。頑張ってくださいね。」なんて、励ましてくれた・・・(カルテ見ろよ、「独身」って書いてあるべ?)言ってみれば「便所の100ワット」的な話だけど、この結果を見て「絶対にこの事は今治療をしている人に知ってもらうべきだ!」と思ったのです。私には同居のストレスもあったけど、それに加えて不妊治療自体のストレスも大きかった筈。それが積み重なって、子供の出来にくい体質になっていたんだろうと思います。当時のドクターには「歳のせい、歳のせい」と言われて、すごく自分を責めたりしましたが、あれからかれこれ3年ほど経過した今(気づけばもう30代後半)、また体の状態は回復しているようです。テーマからここに飛んでこられた、治療中の皆さま!「諦める」のではなく、ストレスフリーの状態を作る為にも、一旦治療を休憩してみては如何でしょうか?私みたいに「産める時には独身」なんてバカなことにならない様に、旦那様との素敵な時間を取り戻してくださいませ。
2007.05.28
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自分に関すること、誰に知っておいてほしいですか?誰に知られなくても、自分さえわかっていればいいのでしょうか?子宮がん検診で、「異形の細胞を認める」と診断が出ました。ソレが本当の癌に進行したかどうかをみる為に、3ヵ月後に再検査を受けるよう指示がありました。もちろん、ソレは今後消滅して健常な細胞に戻る可能性は高く、本来は癌ではないものもたくさんあるのですが、今現在は不安で仕方がありません。その不安は私の中で増殖して、恐怖とか、後悔とか、絶望とか、いろんなものに形を変えて、私を息苦しくさせます。もし、本当に癌だったら・・・もし、子宮が無くなったら・・・体のバランスはどう変わるんだろう、どうして子供を産まなかったんだろう?今までは、「子供を産まないかも?」だったけど、決定的に「産めない」ことになる・・・女としての機能は無くなるの?これまで、離婚もして、周囲からいろんなことを言われたり、辛い仕打ちにあったりもして、「もう、何も怖いことなんかない」と思ってたけど、こうやって「今まで普通にあったもの」が無くなるかもしれない、そんな怖れを抱いたことはありませんでした。そんなとき、この今の自分の状況を知っておいてもらいたい人がいました。オットです。何故なんでしょう?ウソでも、何でも良いから、オットから「大丈夫やで」と言ってほしいと思いました。結婚していた頃、彼は「sallyが幸せそうに寝てる顔を見るのが幸せや」と言っていました。それを聞いた時私は、「私は優等生を演じなくても、このままでいて良いんや」と妙に安心したのです。料理が上手い、とか、顔が可愛い、とか、頭が賢い、とかの、条件を好いてくれてるんじゃなくて、私が「寝て、存在する、ソレが彼には重要なんだ」と理解しました。ソレと同じように、「癌でも、そうでなくても、子宮があっても、無くても、それでも居てくれたらいい、大丈夫。」と、言って欲しい、すごく思いました。バカな事に、私はオットに「子宮がん検診、引っかかってしまいました。大丈夫、って言って欲しい。」とメールしたのです。それは3日前のこと、そのあと、返信はありません。私は「知っていて欲しい」と思いましたが、オットは「知りたくなかった」のかもしれません。多分、そうですね。このまま返信が無い方が、私にとってはいいのかもしれません。元には戻れない、それがよくわかります。癌の再検査まで気持ちは揺れますが、それまでに、私のオットに対する気持ちには変化が起こるかも知れないです。コレがきっかけで、オットにこれまで辛い思いをさせた事を謝ったり、私がどういう気持ちで離婚し、離婚後どういう気持ちの変化があったのか、彼のどんなところが好きだったのか、これから彼にどうなってほしいと願っているか、を上手く伝えられる様になるかもしれません。今までずっと、いつかはそれらのことを彼に伝えたい、と思い続けていたものだから・・・。両親や兄弟、周りの友達には、まだこの検診結果について話せる気持ちにもなれず、普通に毎日を過ごしています。いずれ、再検査を受けて、「問題なし」と言われることを祈りつつ・・・。
2007.05.26
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気が付けば、5月。4月丸々一月更新して無いっす(汗)そろそろ真剣に自分に嫌気がさして来た。世間は「わ~い、ゴールデンウィークだ~!」なんて感じで、明るい気配。そして、私にも飲み会や、旅行など、楽しいイベント計画が盛りだくさん♪・・・なのに、まだオットの亡霊に悩まされてるなんて(ため息)ここであらためて、私が何を恐れているのかを明らかにしたい。オットに「私以外の」オンナがいる、と言うことを認識する↑コレが、どうしても受け入れられない。どんなきっかけがあっても、「違う!絶対そんなはずは無い!」と、強く否定する自分がいて、コレがとっても性質が悪いのである。常識人としての自分の理解の範囲を超えて意固地なキャラなのだ。あぁ、馬鹿げてる、馬鹿げてる。しょーもなすぎる・・・。ここでファクタリング。1)離婚してすぐ、外食嫌いだった筈のオットが日曜のランチを誰か(女性らしい)と食べに出かけていた。(本人のネットサイトにアップされた写真で確認)2)今まで恋愛論なぞブログに書かなかった彼が、バレンタインの時期に「女性からの告白を応援します。歳の差なんて気にしない。10歳ぐらい女性が上でも問題なしです」なんて事を書いていた。(まさにその通りのシチュエーションを地で行ってたんじゃない?)3)別居前にオットは形態をドコモからauに変えたにもかかわらず、ソレとは別にウィルコムのピッチを買っていた。(ウィルコム同士だと通話料金がかからない為、恋人同士がペアで持ち、それ以外の通話は携帯電話を使う、と言うパターンが一般的。もちろんオットもその手段を知っており、彼のアフィリエイトサイトでも紹介していた)4)aikoのライブに大阪まで来ていた。(人ごみが嫌いで「大阪には行けない」と断言していたのに、神戸ではなく大阪会場に来ていた。ましてや、元々のファン度合いからして、aikoのライブに男性一人参戦など考えられない。)5)つい最近、彼はウィルコムの機種変更をしたらしい。まだ持ってるじゃん、って事は?上記の事由により、やっぱり踏ん切りをつけなきゃ、なんて思いながら悶々とする日々。いかん、いかん。今日一日、体を休める名目で何も予定を入れなかったのが悪かった・・・。洗濯してても、掃除をしてても、買い物してても、衣替えをしてても、ずっとソンナコトを考えながらだった。家事をする、と言う意味では、いつもより大忙しの1日だったのになぁ。
2007.05.03
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今日は、元配偶者のお誕生日。去年の12月中旬から、意識的に控えてきたオットへのメール。やっぱり今日は送ってしまった。もし、メアドが変わっていたら・・・もし、無視されたら・・・と、「拒否」されることを恐れながらメールしつつ、もう一人の自分は、いっそのこと、連絡無しにメアドを変更していてくれたら・・・いっそのこと、メール自体を無視してくれたら・・・という、自分がかなり凹むだろうけれど、反対の期待もある。微妙すぎて、経験のない人には「バカじゃない?」と思われるかもしれないけど。果たして、オットからは丁寧な長文メールの返信が来た。内容は、「今年のバレンタインも風邪で寝込んだよ。そのあと咳が酷いので医者に行ったら『咳喘息』だと診断されたよ」と言う、本当に穏やかなメール。そんなメールを読むと、やっぱり胸にさざ波が立つ。無くしてしまった物への郷愁というのか、何と言うのか、恋うような気持ち。「あのお店がつぶれた跡地に、XXXの店が建つんだよー」「○○のCMソング、XXちゃんの好きな曲だよね?」「今日、会社でXXっていうお菓子もらったんだけど、めちゃ美味しいでー。おすそ分けもらってきたし、食べてみそ?」と、他愛のない話をふとしたくなる。けど、こんな話をしたい相手は、友達でも、両親でも、同僚でもなく、オットにだけだ。たまに食事に行く友人が、「もし、僕達二人に子供が出来るんだったら、男の子と女の子一人ずつがいいなー」などと言う事がある。付き合っているわけでもないのに、突飛もない話題だけど、私は答えず笑いながら、「もし、この人との間に子供が出来たら、とてつもなく後悔するだろうなー」なんて考えている。はっきり言おう。「私は、オットの子供を産んであげられなかったことを、酷く悔いている。」離婚するとき、オットは言った。「僕達の結婚生活に悔いはない。離婚しても、またよりが戻るかもしれないし。」と。単に、私を納得させる為に彼が吐いた、優しい嘘だったかもしれないが、私はその言葉にすがって離婚した。本当に二人が必要な相手なら、もう一度やり直すチャンスが必ず来るだろう、と。そして、彼が信じて疑わなかった離婚後の私の姿。「すぐ、新しい相手を見つけて、子供を産めるだろう」なぜなら、私たち二人には不妊の決定的な原因はなかった。もっとストレスの少ない結婚生活さえ送れれば、今こんなに出来なくて悩んでいる子供もすぐに授かるだろう、そう彼は思っていた。自分さえ身を引けば、この女は(自分を忘れて)幸せになるだろう、と決め付けていた。万に一つも「この女は自分でなければ幸せに出来ない」などとは考えもしなかっただろう。人間というものは、幸せな奇跡に気づけないものだ。人生の早い時期(十代、二十代というのではなく、人生の前半にということ)に結婚してしまうと、その結婚したいと思うほどの相手に出会ったのは、特別なことではない様に感じてしまう。万一別れても、またそのあとに「いい人」との出会いがあるだろう、などと推測してしまう。本当はその配偶者との出会いが、一生を変える「奇跡」だったかもしれないのに・・・。私から思えば、人生をともにしたいと思える人との出会いも、その人との間に子供を授かることも、その人と本当に残りの人生を過ごせることも、すべてが「奇跡」なのだ。そんな奇跡はあちこちに落ちているわけじゃない。手にしたとき、深く感謝し、大事にしなければ、人生は無味乾燥なものになる。私は、結婚生活を手放しはしたが、その「奇跡」を知ることが出来た。そしてそれを「大事にする」ことの大切さを知ることも出来た。知らないよりも、知っている方がいいに決まっている。この先、いかなる「奇跡」にも感謝して生きたい。
2007.03.30
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今朝、目覚めたとき何故か楽しかった。???何故だか、さっぱりわからない。ここしばらく色々あったので、すっきり目覚めることがなかったのに・・・仕事のこと、家庭のこと、プライベートにも、気持ちの平穏を脅かすきっかけはあちこちに転がってるのに・・・「はぁ~~、スッキリした~~!!」と、自然に伸びが出来た今日の夕方。ふと思い出した。今朝方、私はオットと仲良く遊んでいる夢を見たのだった。もちろん夢の中で過去を振り返ってるわけでなく、離婚後、再会して友達として会っていた。まじめに考えると、かなりブルーになるシチュエーション。どうして、そんな夢見で一日をハッピーに過ごせるんだ?深く考えずに、今日は寝ることにしまっす。
2007.03.13
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私、結構モノ持ちいいオンナです。13年前に買ったドレスを未だに着たりしてます・・・。(いろんな意味でシツコイと言ってもいいかと?!)それとは対照的に兄家族の、モノの消費スピードは快速です。今日は何が引っかかってるかと言うと、貰い物の消費も激しいことにちょっとショックを受けて、悲しくなってしまいました。姪が生まれたとき、出産祝いにハンディビデオカメラをプレゼントしました。当時の私の月給手取り2か月分。ほとんど使われないうちに、3~4年程で「あれ、壊れたわ。ま、デカかったしつかいにくかったしな」とオシャカに。ま、こういうAVものは型も新しくなるし、買い換える人は毎年ぐらいかもしれないし、仕方ないかーと納得しました。甥が生まれたとき、CDコンポをプレゼントしました。3年後ぐらいかな、姪の友達がコンポの上に飛び降り破壊されました。「子供に壊されてむかつくし、修理するのも腹立つし、見るのも鬱陶しいから捨てたった」と、廃棄されました。本当は修理して使ってほしかったんだけど、キレやすい兄の性格上、「やむを得ないか?」と、諦めました。私が独身時代に買ったパソコンとディスプレイとプリンタ。結婚後、両親とメールのやりとりをしようと思って実家に置いてたら、知らぬ間に兄が自宅に持ち帰って、子供の勉強やインターネット用に設置。その後、どうなったかわからなかったのですが、今日義姉が「あれ、壊れたわ。もうわからんし放置してる」と言ってました。IT機器も、4~5年で買い換えるものなのかなぁ?私はOSやソフトをバージョンアップしてもらって、長い間使うタイプなのでわからないんだけど、婚家にいた頃は、義父が数年前に自作していたパソコンを、作り換えてもらって使ってました。皆さんの耐久消費財寿命、どれぐらいですか?非常に疑問を感じての、記事投稿です。
2007.03.12
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ブログを続けていて感じるのですが、どうしても書けない日とか、何を書いても上っ滑りな感じがして結局消してしまう日があります。かと思えば、書かずにいられない日、言葉がスルスルと出てくる日もあって・・・ずっと前から別館サイトでレビューを書きたいと思っているアルバムがあります。aikoの「夏服」かなーり昔のアルバムですが、去年あたりにCDを買い、それまで好きだった「ロージー」や「ボーイフレンド」よりも、何よりも自分の気持ちにぴったりな曲に気づいてしまった。認めたくないけど、その歌詞が頭から離れない「飛行機」。ずっと否定し続けて来た自分の本当の後悔。-あたしの歩いた道には花が宿ってたのに、声も愛も注がず枯らしたのはあたし-そして、アルバムのコンテンツには載ってないけど、一番最後に隠されて収録されている「夏服」。本当に切なくて、何年も前の曲なのにいつ聴いても胸が痛む。この、「思い出したくないけど、私にとっては酷く大きな衝撃」を書き残したいと思う。私のバックグラウンドを知らない人にも、この曲達に耳を傾けて欲しいという思いもあって、別館にアップしようと思うのに・・・なぜかaikoネタがオットとカブる。「あなたのブログを読んでいます」とオットに公言してからは、ちょくちょく読みに行っている懲りない元ヨメです。今日も書く気満々だったのに、オットブログを見てみると・・・しばらくブログ更新してなかったのに「aikoのライブに行って、最高でした」などと、記事アップしておりました。(誰と行ったんだ?いやいや、そんなことは置いといて・・・)先に見るんじゃなかった・・・。私がブログ読者であることを公言しているせいか、彼も私の別館サイトのみはチェックしていることもあるようです。(以前自動車CMの年代を間違ってアップしてたら、訂正するように、とメールが入った(汗)ただそれだけの為だけど。)そんなわけで、記事がカブっていると怖気づいてしまい、またしてもレビューアップ断念。過去にも「斉藤和義(ゼク●ィのCMソングを歌ってる人ね)」ネタをアップしたとき、何気に彼のサイトをチェックすると、その2日ほど前に斉藤くんネタを彼もアップしていた(驚!)今日の話、前半と後半でテンションがかなり違って、読みづらい部分ご容赦の程。
2007.02.05
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こう書くと、私が細木●子の言いなりなのか?!と言うことになるが、そういう訳ではないので、念のため。まぁ、相変わらず2007年になっても、過去を振り返り、振り返り、しているわけだが、離婚する前からずっと心に持っていた「もし~たら?~れば?」が、私にはある。それは「もし、あと一年待ってから結婚していたら?」なのだ。なぜなら、結婚の1ヵ月半前にオットの父親(未来の舅)が急死し、私は婚家の中が安定しないうちに「長男のヨメ」となった。が、もともと田舎で閉鎖的な地方であり、その中でも群を抜いて閉鎖的な家庭であったオット家では(ってか、主に姑)、新しく入り込んできた異物(ヨメ)を白血球のごとく攻撃したのだった。その姑の行状については、「物言えば、唇寒し・・・」の感も否めないので、省略。(当時の私のブログをご覧だった方はよくご存知の筈)が、これが舅が亡くなってから時間が経ち、オット母子でひとしきり「家族の不在」の空虚さや、新しい家族に対する渇望を経験した後なら?寂しくて、心に穴が開いたような気持ちを抱えた人達のところへ、新しい家族がやってきたなら?そう思わずにはいられない日々だった。そして、そこで細木●子の登場、いや六星占術の登場である。先日、職場の友人が「Sallyさん、旦那さんとであった年と結婚した年教えて」と言って来たので、素直に教えたところ、なぜか彼女は私の年運を調べてきてくれた。「Sallyさん、結婚した年が良くないわ、中殺界やし。中殺界に結婚した人はその次に来る大殺界に離婚する可能性が高くなるねん。出会った年はすごくいいし、あと2ヶ月ほど結婚が遅かったらメチャメチャ運勢よかったのに。」なのだそうだ。「大きなお世話」と言えばそれまでのことだが、かねてから自分が考えていた事と重なった為、妙にハマってしまった。そうなると、検索エンジン好きのワタクシのこと。メチャメチャ読み漁ってしまった(汗)どうやら大殺界は3年あって、その1年目は「離婚の危機」がやってくるらしい。(まさにその年に離婚したのだが)そして、3年目に仕事を辞めたい病が発症して、転職する人が多いのだそう。(まさに今、ワタクシ転職活動中・・・どーするよ、オレ!?)本当はこの3年間、何も変化を望まずじっとするのがいいらしいが、もう離婚しちまったもんはしょーがない!それに、転職したいのもしょーがない!ただ、縁あって「この時期」に気になり始めた「六星占術」。これも何かの兆しと考えて、転職活動は慎重且つ長期的な視点で考えることにします。あくまでも、自分の成長に投資する意味で「プレ転職活動」と「自己啓発」、「自分磨き」に精を出します。そんなわけで今年、2007年のスローガン。じっと、笑顔!
2007.01.22
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今年もお世話になりました。2007年もよろしくお願いします。さりぃ
2006.12.30
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先日、年賀状ネタの記事を書いたばかりですが・・・。やっぱり、だめだぁ~。書けない~~!書き出すとコメントが長い私。ついつい、手紙気分になって何か書いてしまう。それがいけない、実にイケナイ。お世話になった親戚と、私が離婚したことを知らない友人達だけにでも・・・と、砂を噛む思いで(使い間違ってますね、この慣用句)書き綴るも、それが拷問!私信とは言え、葉書なので、宛名人のご家族の目に留まることも想定すると、あまりに後ろ向きな事は書けず、ドギツイことも書けず。「今年こそはお会いしたいものです。(っぜんぜん、誰とも会いたくないんだよ~)」「昨年はご心配をおかけしましたが、気持ちも落着き、元気にやってます。(んなワケないよぉー、まだ1年しか経ってないんだよぉ?)」こんな葛藤を抱えつつ、5通も書くと、もんのすんごぉぉ~~く、イヤ~ぁな気分になってくる。やっぱさー「書きたくないなー」と、直感的に感じたのは、私の野生が自分を守ろうとしてたのね。書くと体力を消耗してしまうから。このブログを読んでくださってるお友達の中にも、今までお年賀を出させていただいてた方がいらっしゃいますが、ごめんなさい、そんなこんなで、今年はお年賀送れそうにないです。ホントにホントに、失礼をしますがお許しくださいませ。ってか、いつかまた、楽しくお年賀出せるようになるのかしら?どんどん変わっていく自分がとっても怖いです。自分の中で起こっている変化に対応しきれていない、そんな状況ですが、とりもなおさず、これがワタシなので、上手く折り合いをつけるしかないんですよね?そーだよね、そうだよね、そうだよね??
2006.12.28
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タイトルの通り、思考が停滞していたsallyです。もう、問題外の外!ぐらいに思考停止状態でした。ま、何ヶ月かに一回はそうなるのですが、今回は数年に一度、位の規模だったかと・・・。って、まだ流れが滑らかになったわけではありませんが・・・。月に1度ぐらいのペースで、ネット友に紹介してもらったアロマサロンにお世話になってます。4ヶ月ぐらいになるかな?もう、施術してくださる方が私の状態を良く知ってくださってるので、有無を言わさず、背中とデコルテ(鎖骨下10~20センチの場所より上)をマッサージされます。毎回、「肩に鉄板入れてますか?」と言われるぐらい酷い凝りで、体が変形しています。リンパの流れが滞っているのだ、と言われます。が、マッサージを受けると、首が長くなり、あごが細くなります。あら、不思議~。で、そのあとしばらくは、気持ちも落ち着き、しょっちゅう起こっている精神的な混乱が治まります。やっぱさー、連動してるんだよ、リンパと思考!と、思わずにいられないワケです。
2006.12.18
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