1944年11月、アンネはマルゴーとともに再び移送され、ドイツのベルゲン=ベルゼン強制収容所に連行される。一方、エーディトはアウシュビッツに残り、翌年1月に飢えで亡くなった。ベルゲン=ベルゼンの衛生状態は劣悪で、収容者に食料はほとんど与えられず、疫病が蔓延していた。
やがてアンネとマルゴーは発疹チフスにかかり、1945年2月に先にマルゴーが、そしてその数日後にアンネが息を引き取った。正確な日にちや埋葬された場所は分かっておらず、ベルゲン=ベルゼンの敷地内のどこかにほかの犠牲者とともに眠っている。英国軍がベルゲン=ベルゼン強制収容所を解放した、わずか2カ月前のことだった。アンネのようにホロコーストの犠牲となった子どもの数は150万人と言われ、彼女の体験はその1つに過ぎない。
2015年にベルゲン=ベルゼンに建てられたアンネとマルゴーの墓石
1929年6月 | アンネ、フランクフルトで生まれる |
---|---|
1933年1月 | ナチス政権誕生 |
1934年2月 | アンネ、アムステルダムへ移住する |
1939年9月 | 第二次世界大戦勃発 |
1942年6月 | アンネ、日記を書き始める |
1942年7月 | 隠れ家生活が始まる |
1944年8月 | 隠れ家の住人全員が逮捕される |
1945年2月 | アンネ、ベルゲン=ベルゼンで亡くなる |
1945年5月 | 欧州における第二次世界大戦が終わる |
1947年6月 | 父オットーがアンネの日記を出版する |
日記を読んでいると、アンネは想像力豊かで意志が強く、思春期らしい悩みを抱えたティーンエイジャーだったことが、手に取るように分かる。そして、アンネは自分の将来に希望を持ち、差別のない世界を夢見ていたこともつづられている。ここでは、日記から見えてくるアンネの素顔に迫る。
執筆者:アンネ・フランク
執筆期間:1942年6月12日~1944年8月1日
初版出版:1947年6月(オランダ語)
1942年6月12日 アンネ・フランク『アンネの日記』(文藝春秋)より
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