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甥っこの結婚式に呼ばれましたなんと、箱根のホテルということで、ちょっとパニックっています。 おばあちゃんは、着物ででるというし…着付けの時間も考えれば、少し早めに着くように新幹線の切符を、手配当日、朝早い新幹線で行くと、最短で、14:00には、小田原に着きます 結婚式場へは、千葉から、車で行くという義姉夫婦と小田原で合流予定。マイクロバスバスで来てくれるそうです。 小田原に行くには、東京駅で乗り換えになるのだけど、青森から、東京まで乗り換えなしで行けるのは、嬉しい乗り換えの時間が短い⇒そこで 歩くのが非常に遅い、おばあちゃんと私の2名の車椅子貸しだしの、「乗降介助」を頼むことにして、乗り換えの不安は少し解消しました さて、うまくいくかどうか、少し不安もありますが、切符の手配は終わりました。 そして次に、「何、着て行く?」が始まりました おばあちゃんと、あっちこっち引っ張り出して、あれがいい、これがいい…リュックもいい 夫、義弟、おばあちゃん、私4人の珍道中結婚式が終わって帰るまで、続きます。というより、もう始まってまーす おっと、その前に、新一年生の入学式もあるし なにかと気ぜわしい4月になりそう
2014.03.31
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自分が脳卒中を発症するまで、糖尿病とは、知らなかった 最初の1年くらい、インスリンを打っていたが、そのあと、インスリンの量を減らし、経口薬に変わり、経口薬の量を減らしとうとう経口薬も飲まなくなりました薬を飲まなくなって、3年ぐらいになりますhba1cは、今6.6です決して良い数字ではないけど、主治医は、≪体重を増やさないように、運動して、がんばりましょう≫と、薬を処方してくれない≪できるだけ薬を、飲みたくないというのは、私の希望≫数値は、まだ、許される範囲らしい 血糖値は毎朝測らなくてもいいと言われたけど体重と血糖値を測るのは私の1日の仕事始めなのです。体重は増えないように…でも血糖値は、120⇒140前後になってきている 食事制限とかは、していないので冬場の運動不足が、血糖値にも表れているのだと思っている 毎日、山ゴボウの葉を煎じて飲んでいます≪効果はどうなんだろう≫チラシの「豆豉粒」は、はたして血糖を下げる効果はあるのだろうか まずは、しばらく試してみる事に…
2014.03.30
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青森市の積雪が0cmになったと夕方のニュースに入っていた。 でも、でも、家の前の歩道には雪がまだいっぱーいこれは、道路を除雪したブルドーザーが、歩道に雪を寄せて行くからなの車道は、車が通りやすくなるけど…冬は、歩道が無くなってしまう毎年の事だけど、これって変 たぶん、2~3日中には、もっともっと、歩道の雪も少なくなって、歩きやすくはなると思うけど 我が家の新一年生通学路の探検、確認は、大丈夫かなと、心配しています…(心配性の、大きなお世話のばあちゃん) 明日の予報は、雨春は、いったりきたり、足踏みしてるようダワ
2014.03.29
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miomamaちゃんからのお誘いで、出かけてきました。miomamaちゃん主催、中途障害者、初心者のための、料理講座です。 一緒にピザを作ったのは、昨年脳梗塞を発症、まだ一年もたっていない、娘と同世代の、若い方です。脳卒中というだけで、お友達になれました。 自分が、発症した当時を思い出し、彼女の今の胸の内が、痛いほどにわかったよ。 まだ、料理する気に、なれないようだったけど… 大丈夫!大丈夫!元気になれるから…できる事から、やろうね。 出来上がったピザは、美味しかった―! 家族に見てもらおうと、残ったピザを、持ち帰ったけど、もしかして、これがきっかけで、お料理を始めるかも? そうなったら、嬉しいな。 誘ってくれたmiomamaちゃん、ありがとう!アシスタントのmiomamaちゃんの娘ちゃんにも、ありがとう!
2014.03.25
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あれから、早いものでもう5年目です。21年3月8日朝7時半頃、お風呂掃除をしていて、急に身体が変に!浴槽の掃除中だったので、急いで、脱衣所に行ったときには、もう手が動かなくなっていた。大声で、「お父さんー、身体が変!」と叫んだら、居間にいた夫がすぐに来てくれ「だめだー、救急車」と叫んだまでは、わかっているが気がついたときは、救急隊員の方が「名前を言ってください。生年月日を言ってください」と言っていた。そのあとはとぎれとぎれの記憶で車の振動が、気持悪かった。 「あだってしまった」私は自分に何が起きたか、わかっていたが後遺症の事は、わからなかった。 私が、中学生のころ父方の祖母が、脳梗塞で倒れ、そのあと、寝たきりで、一年後に亡くなっていたので私もそうなってしまったのだと、思った。 今から50年も前の頃は、自宅で、介護があたりまえの時だったからおむつも布で、母がとても難儀していたのを覚えている。夜中に、「かあさん、かあさん」とか細い声で、呼ばれて何度も起こされていた。病院の先生が、往診に来てくれていたが…1年ほどで亡くなったが、正直、亡くなった時には、ホッとした。あれからずーっと、ホッとした自分に罪悪感を感じていた。 脳卒中というのは、寝たきりで、みんなに迷惑をかけるだけだと本当に思っていた。 実際、最初の病院では、一人では起き上がれないし、体位の交換もできなかった。病室の窓から、外を見ながら、便器をあてがってもらい、用を足した左の足の感覚が何もないので、ベッドから足が落ちたのにも、気がつかなかった。 OT・PT・STという言葉も、意味も初めて耳にするものだった。言葉が、不明瞭だったので口の訓練。「ぱぱぱぱぱ、らら、らり、らる、られ…」短い文章の朗読その時は、そんなものだと思ったOTの指導手は、肩から、三角巾で、つるしてたけど、いつの間にか、だらんと。すぐに始まったリハビリだったけど、三角コーンも握れない。左手は肩から手にかけて、ピクリとも動かない。 車椅子に移譲するのも、ヘルパーさんの手を借りた。歩けない。 自分のこれからを考えると、その時は、家には、帰りたくなかった。そのまま、消えてしまいたかった。 友人が、持ってきてくれた≪窓際のとっとちゃん≫を読んでおかしくて、おもしろくて、こんなに身体が不自由になっちゃっても、「まだ笑えるんだ」と、変に感心したっけ。 初心を思い出しながら、5年の月日を感慨深く思い出しています。 今、穏やかな気持ちで、自分を見つめなおしています。今の自分のために、今までがあったと… 死んだ方がいいと思ったこと。でもまだ生きてる。 いつか死ぬだろうけどたぶんちょうどいい時に… その時まで、「気持元気」でいこうと、思います 日々 反省日々 決心日々 前進日々 感謝
2014.03.08
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片麻痺になって後もう少しで、5年になる 気持の変化 1年目・もう人生終わりだ2年目・もっとリハビリがしたい、装具(ゲートソリューシュン)をつける、車の運転再開3年目・歩けるのが嬉しい4年目・行動範囲が広がる、そして5年目を迎えようとしています。なんとかなるもんだ。 そして今の自分の状態左手・グーパーは、できない万歳はできない物を持って歩けない。でも杖歩行で30分くらいは歩ける右手だけでも、お料理はできるようになる あの、「最初のころのリハビリが、したい・したい」の気持に変化が…リハビリって、なあに?って悩んだけど日々の生活こそリハビリ 後遺症にも、痛みや、麻痺があり、麻痺は、病気や、怪我と違って、どんなにたくさん、リハビリをしても目覚ましく、変わっていくということは無いということが、わかってきた。リハビリも、その人の、状態によって、みんな違うというのもわかってきたそれぞれ、運・不運があり運命があり? 麻痺に関しては、私は、だんだん変っていく状態を「進化」という言葉で表現するのが、好きです。決して、治っているんじゃあない 現在の私のリハビリ状況月曜 マッサージのみ、デイサービス(午前中)火曜・木曜 ディサービス(リハビリ・風呂・食事付、午前中のみ)水曜 訪問リハビリ(午後1時から2時まで) 核施設にある、器具を、好きなように利用しています。 自分の都合で、お休みする日が、けっこう多いけど… リハビリをしてるという自己満足が、できれば、≪良し≫としています。 時が過ぎるとともに、自分の身体にも慣れけっこう楽しく暮らしています
2014.03.01
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