ひーちゃんのゼミナール 名古屋産業大学(現代ビジネス学科)・大学院環境マネジメント研究科)現代の社会・経済・環境・芸能・スポーツ・宇宙

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2018.03.14
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勤労者高等教育機関・国立短大の消長に見る大学問題の実像

国立短期大学での終身雇用

筆者が、はじめて大学で終身雇用の教員の職を得たのが、一九七九年四月のことであった。東京の大学の経済系の大学院博士後期課程で三年が経過し、職が得られなかったので、単位取得終了を一年延期し、博士後期課程四年次の秋に、これから紹介する静岡大学併設短期大学の財政学の教員募集を知り、公募に応募した。それまで、大阪の桃山学園大学などで話はあったのだが、採用には至らず引き続き受け入れてくれる大学を探していたところ、指導教員から「応募せよ」という情報が入った。

審査に時間はかかったが、正月明けだったか、面接したいという連絡が入り、悠長な話ではあるが、東京駅で担当者と面談した結果は採用「可」であった。あとで聞いた話ではあるが、このポストに応募したのは三〇名ほどおり、専門分野は経済学、経済政策など近接領域からの応募が多かった。正直なところ、短大ということで多少抵抗感はあったが、経済学の専門が活かせる大学だったし、オーバードクターの就職難が大学院共通の問題でもあったので、将来はまたゆっくり考えるということで、就職することとした。これが、筆者の終身雇用の大学教員のキャリアの始まりであった。

夜間勤労者高等教育機関へ来てみて

爾来、一九九二年三月末に退職するまでの一三年間、静岡市の同短期大学で教員生活を続けるわけだが、今回の小論の表題を考える前に、この新しい職場の概要を紹介しておきたい。この一般的にはあまり知られていない国立短期大学というのは、日本国が設置・運営していた短期大学で、まず工業系の設立の変遷を示すと、一九五一年より国立大学に実業系の夜間短期大学が併設されたのを機に順次設置されていった。この当時は、名古屋工業大学短期大学部、京都工芸繊維大学工業短期大学部、九州工業大学短期大学部、長崎大学商科短期大学部(当初は、長崎大学商業短期大学部)があった。一九五五年に、筆者がまだ小学生に入ったばかりの頃だが、法律経済系の静岡大学法経短期大学、一九六七年には大阪大学医療技術短期大学部を皮切りに、国立大学医学部に併設されるようになった。

以上が国立大学に併設されていた短期大学で、独立の短期大学としては、一九五八年の久留米工業短期大学、一九六〇年の北見工業短期大学、一九六一年の宇都宮工業短期大学、長岡工業短期大学、宇部工業短期大学、一九六四年の図書館短期大学、一九八六年の高岡(工業)短期大学、一九九〇年の筑波技術短期大学が設置されている。最後に開学したのは、一九九二年の岐阜大学医療技術短期大学部で、その数一四を数えていた。

従って、筆者が国立短期大学に就職したときは、高岡短期大学と筑波技術短期大学それに岐阜大学医療技術短期大学部を除く十一の短期大学で、横の連絡組織として「併設短期大学協会」が組織されており、毎年持ち回りで宿泊込みの会議が開かれていた。私が就職したときの大学数は、私立大学を中心に、少しずつ大学の数が増え始めた時期であったが、それでも、まだ増え方は緩慢だった。静岡県内でも、当時は経済的理由から、なかなか大学進学もままならず、また高卒での就職も一般的な時代だったので、夜間勤労者教育機関への需要も大きく、会社員や公務員を中心として応募者が多く、勤労者教育機関としての体裁は十分保っていたように記憶している。

ところが、毎年一〇くらいの数の大学が新設されるとともに、所得水準の向上や経済状況の改善から大学進学率が上がり、それでも狭き門の大学受験に失敗し、国立短期大学の受験者が、勤労者から、昼間大学の受験失敗組みの滑り止めへとシフトして行き、教室の顔ぶれが徐々に変化してきました。それでも、一応は勤労者教育機関ですから、受験前にアルバイト職を得て「勤労者」の資格を得、あるいは入学後に就職すると言う条件で、在学中あるいは三年間の修了時点で正社員として就職するものの割合が増えて行った。

もちろん向上心の高い勤労者も入ってくるのですが、大学の増設にともなう進学希望者の最終的な受け皿としての「勤労者」教育機関へと変質し始めたのです。まじめな勤労者に混じって、目的意識のない、しかも大学受験を失敗して疲れきった者との間のギャップが目立ち始めたのが、筆者が職場をやめた頃の状況でした。

夜間主コースへの改組

こうして実業系の夜間短期大学は、時代の流れとともに、四年制大学の「夜間主コース」に改組する方向へ流されていき、最後に残ったのは長崎大学商科短期大学部であったのですが、これも二〇〇〇年に廃止されることになります。医療技術短期大学部も一九九四年度より大阪大学医療技術短期大学部が募集停止になるのを機に、医学部の学科に改組されつつあり、二〇〇三年度には、残り全ての短期大学で学生募集が最後となり、京都大学医療技術短期大学部をはじめ四校は、二〇〇六年をもって廃止された。高岡短期大学と筑波技術短期大学も二〇〇五年度をもって募集停止となり、現在国立の短期大学は全て廃止されている。

もしも、筆者が短期大学を辞めていなければ、この「夜間主コース」で働いていたことになるのですが、筆者は、その後、愛知県三好市(現在はみよし市)に開設された東海学園大学経営学部へ就職することになった。

話を元に戻します。一九五二年に設置された静岡大学法経短期大学部は、静岡市大谷に本部を置いていた日本の国立大学ですが、筆者が、一九九二年に辞めたあとの一九九九年に廃止された。学生募集は一九九五年度までで、一九九六年度より、静岡大学人文学部夜間主コースへの改組により、法経短期大学部は募集停止され、一九九九年三月廃止された。廃止後は、静岡大学人文社会学部の「夜間主コース」として存続しており、その概要は以下のとおり。

夜間主コースへ

夜間主コースは、静岡大学のサイトでは次のように紹介されている。社会人・勤労者のための大学教育 (法学科・経済学科)を行なう教育機関であり、夜間主コースは、昼間に通学ができない社会人・勤労者に大学教育を提供することを目的として、一九九六年四月に、法学科と経済学科に開設された。夜間主コースの講義は、学生が社会人・勤労者であることに配慮して、月曜から金曜日の夜間と土曜日の午後に開講されている。また二〇一二年度以降は、近年の勤務形態の多様化を考慮して、昼間に開講されている専門科目を「六〇単位」まで修得することができるフレックスタイム制度を採用している。夜間主コースでは、法律学、政治学、経済学及び経営学に関する専門科目の講義だけでなく、一・二年次には、幅広い教養を修得するための共通科目を履修、専門科目については、初めて大学で学ぶ人のための入門的な講義科目を一年次に設置し、二年次には、基礎科目と専門科目を並行して、そして三年次及び四年次には、応用的な専門科目を履修する。

さらに、学生自身による報告と議論が中心の演習形式の授業 ( ゼミ ) もあり、四年間の在籍期間の間に、専門演習等の少人数教育を中核とした、多様かつ体系的な法学または経済学を学習することができる。夜間主コースには、年齢、職業、経歴などの点で多様な人たちが学んでおり、昼間コースには見られない社会人固有のネットワークの広がりがあるとされている。

夜間勤労者教育機関の回顧

静岡大学法経短期大学部は、一九五二年に、公立である静岡法経短期大学(静岡県立静岡法経短期大学)として発足し、法経科Ⅱ部を置いていた。先にも述べたように、一九五五年に静岡大学に併設されて国立短期大学となったときは、設置学科は法経学科一つのみで、勤労の傍らで学問に勤しむ人々に対する教育を行うことのねらいとする夜間部のみが設置されていた。最初公立だったものが、国立に移管された唯一の短期大学でもあった。毎年新入生を対象に、大型連休の前後に合宿研修やスポーツ大会のほか、懇親会が行われていたし、もっとあとになってから、カナダにある大学への留学制度があったとされるが、筆者の在籍中にはなかった。

学長は静岡大学の学長が兼ねており、実質上の学部長に当たる責任者が「短期大学長」でも「学部長」でもなく「主事」という名称であった。筆者の記憶に寄れば、「主事」は順番制であり、筆者が辞職したのは、その「主事」の順番の直前であったように記憶している。静岡大学の自治会は、基本的に民青系の「全日本学生自治会総連合」加盟であったが、短期大学のみ中核派が握っていた。彼らが、一九九一年の PKO 法案反対を叫んで活動していたことを覚えている。自治会室が校舎の地階(駐車場の下の通路)にあり、数人が活動していた。

静岡大学人文学部とキャンパスを共同使用していた他、現在は取り壊されたが二階建の所謂「法短校舎」を使用していた。筆者が在籍していた頃は、人文学部の教員の研究室が同じ建物にあり、交流は活発であった。その後、人文学部は、上方の校舎に移転した。学生の大半は勤労学生だったが、在学中はアルバイト程度の職に付き、卒業後に一般企業や公務員に就く人もいた。公務員志望の学生は毎年一〇名程度おり、筆者は、志望者のために模擬試験対策などの講座をボランティアでやったり、実際に模擬試験の受験をさせていた。

再び勤労者教育の重要性

この論考は、国立大学の夜間主コースについて論じる場ではないので、例えば、岡山大学夜間主コースの就職実態を次のサイトで参考にされたい。

< https://ameblo.jp/ssasamamaru/entry-12259489887.html>

筆者は心の中では、夜間勤労者教育の歴史手使命は終わったと考えるのであるが、筆者が静岡大学短期大学にいたときの県庁・市役所等の学生との真剣な勉学、合宿、懇親会の記憶を呼び覚ますとき、その後大衆化した大学での勉学や研究へのモチベーションの低下(劣化?)が強く意識されてしまう。今一度かつての夜間勤労者高等教育機関での実践を思い起こし、「働き方改革」の方向をも見極めつつ、広く社会人教育を再構築することが求められるのではないだろうか。( 2018.3.14







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最終更新日  2018.03.14 16:58:47


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