ひーちゃんのゼミナール 名古屋産業大学(現代ビジネス学科)・大学院環境マネジメント研究科)現代の社会・経済・環境・芸能・スポーツ・宇宙

ひーちゃんのゼミナール 名古屋産業大学(現代ビジネス学科)・大学院環境マネジメント研究科)現代の社会・経済・環境・芸能・スポーツ・宇宙

2021.06.06
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カテゴリ: 芸能資本主義
スポーツ資本主義と芸能資本主義の共通性ー資本主義の最高の発展段階としての情動資本主義についてー
 平成最後の時代、表向きは未曾有の景気が続いているとされる。実際、リーマンブラザーズショックの後遺症によって、長期の景気停滞が生じ、その後アベノミクスが功を奏して、戦後最長の好景気を記録したとの論説も出ている。しかしこの解釈は皮相すぎる。実際は、バブル以降経済界とそれを後押しする政治が、剰余価値の果実の運用方法について知恵を絞り、投資の運用先をスポーツと芸能の世界へ巧みに絞って利益を上げることに成功した結果だというのが、事の本質をとらえていると思う。資本主義は、今新しい発展段階に入ったと言うべきだろう。
 資本主義はこれまで、資本の原始(本源)的蓄積過程、重商主義(初期資本主義)、産業資本主義、資本主義の最高の発展段階としての帝国主義と呼ばれた金融資本主義、国家が経済に介入し両者が超独占体となって支配する国家独占資本主義、これが地球規模へ広げられたグローバル資本主義云々と姿態変化を遂げてきた。
 こうした発展段階の解釈を踏まえながら、いま資本主義はその剰余価値搾取機構を最大限に稼働させた、スポーツ資本主義と芸能資本主義(アート資本主義)、それらが融合して展開しつつある情動資本主義の段階へと姿態転換を遂げつつあるというのが本稿の問題意識だ。
 アベノミクスが想定した、剰余価値の生産者・所得階層を基礎にして形成されるピラミッドの頂点のワイングラスから、財政・金融・成長戦略の三つの矢が放たれた結果、あふれたワインが所得階層の最下層へ滴り落ちた結果の好景気であるかどうかは、はなはだ疑わしいが、この疑義は一応おくとしよう。
 剰余価値の現象形態である利潤や利子、配当所得、投機資金がもたらす利益が、果たして剰余価値生産者(農耕作業従事者、労働者、サラリーマン等給与所得者、派遣労働者、日雇い労働者)に還元されるかどうかは、また別の問題になるので、このことを置けば、表面的に見れば、有効求人倍率の高さのような指標で、確かに景気は沸き立っているように見える。
 外国人労働者の確保法案が強引に可決されるなど、待ったなしの景気対策が取られることは、やはり中小企業の人手(人材ではない)不足を物語っている。しかし、外国人労働者の強引な確保は、その低賃金、労働諸条件から見て、それは総資本のための剰余価値生産体制の強化策である。
 見た目の良い経済成長は、アベノミクスの成果というよりも、長すぎた景気循環の底からの脱出が、いくつかの好条件に支えられて、「泡」を生じているために生じているのであって、泡の一つは言うまでもなく東京オリパラを引き金にする、一過性の設備投資と最近の芸能資本主義の大躍進だ。この景気循環型好景気は、設備投資が一巡すると経済が下降曲線をたどることは、過去のオリンピックとその後の反動不況の経験から明らかだ。ただ例外はアトランタオリンピックのケースだが、なぜ反動型不況にならなかったのかは、筆者にもわからない。
 しかし、今回の東京オリンピック・パラリンピックと経済の関係は事情が異なる。経済の中に構造的体質変化が起きており、それがスポーツと芸能関係への投資の急拡大であるように思うのは、私だけであろうか。スポーツ資本主義の台頭の中に、資本主義の構造変化を見つける人は、私だけではなく何人もいる。オリンピックを目指して、まっしぐらに「スポーツ関連業界」は「感動と情動」を売り物にするスポーツビジネスが急成長していることに気付いている。

 それをもっとも端的に表しているのが、いわば「芸人化」された資本主義、スポーツ資本主義と表裏一体の関係をなし、それと融合して強力なエンジンとなりつつある資本主義の発展段階である。スポーツが大衆化すればするほど、またその競技種目が増えれば増えるほど、その本来持っていた娯楽や楽しみといった牧歌的な価値を超えた、見る者の「情動」へと昇華し、競技者はその担い手となっていく。
 フェンシング競技の最近の動向は、これを端的に示している。このようなものとして、私たちはスポーツ資本主義の構造規定を行うことができるし、従来からの音楽ビジネスのような、提供者と消費者をエイジェント(芸能事務所または芸能プロダクション)が結びつける経済構造が、資本主義の特徴を彩りつつあると考えてよいのではないか。両者を併せて「情動資本主義」ないしは「芸能資本主義」ということができよう。
 この情動資本主義の中では、生産されるのは、単なる商品ではなく感動と情動を生む肉体の商品であり、人工知能が一役買う。将棋はスポーツではないが、AIから学んだ棋士が新たな手法を開発して勝負を仕掛けていると言う。肉体自体が商品となるのではあるが、かつての奴隷労働における「肉体」ではなく、芸術的表装を施した「肉体」である。工場労働者は、労働力として剰余価値を生むものとして、資本家にやとわれ工場の中で剰余価値生産に携わったが、情動資本主義においては、労働者(スポーツマンと芸能人)は、競技場やライブ会場もしくはスタジオに於いて、剰余労働(過酷で危険な長時間労働)をして「資本」のために働くのである。
 労働者の再生産費用を超える剰余価値は、スポーツ及び芸能資本によって獲得され、資本の自己増殖が行われていく。このように情動化する資本主義は、政治や行政そして大学の中にも入り込んで、社会全体の情動化を進めているように見える。最近のオープンキャンパスは、明らかに人集めのイベントである。しかし、政治・行政、大学教育の「情動化」に関しては、別の機会に譲らざるを得ないが、「嘘」「忖度」「改ざん」の政治行政がまかり通っている現状は、この「情動資本主義」によって、容易に説明できるのではないだろうか。
(2018年12月6日)

情動化する資本主義(その一)
 バブル景気が終わり、失われた20年を経て、21世紀もすでに20年。疾風怒濤の時代があっという間に過ぎ去った感じがする。2018年12月24日、天皇陛下が美智子妃殿下とともに、最後の記者会見をされ、昭和・平成の時代を目に涙して振り返り、新しい時代が平和であるようにと、国民に語りかけました。
 こんな平成最後の時代、表向きは未曾有の景気が続いているとされる。アベノミクスが想定した、所得階層のピラミッドの頂点のワイングラスから、財政・金融・成長戦略の三つの矢が放たれた結果、あふれたワインが所得階層の最下層へ滴り落ちた結果の好景気であるかどうかは、はなはだ疑わしいが、この疑義は一応おくとしよう。
 有効求人倍率の高さのような指標で、確かに景気は沸き立っているようだ。外国人労働者の輸入法案が強引に可決されるなど、待ったなしの景気対策が取られることは、やはり中小企業の人手(人材ではない)不足を物語っている。
 それは、アベノミクスの成果というよりも、長すぎた景気循環の底からの脱出が、いくつかの好条件に支えられて、「泡」を生じているのだろう。泡の一つは言うまでもなく東京オリパラを引き金にする、一過性の設備投資だ。この景気循環型好景気は始めると、経済が下降曲線をたどることは、過去のオリンピックとその後の反動不況の経験から明らかだ。ただ例外はアトランタオリンピックのケースだが、なぜ反動型不況にならなかったのかは、筆者にもわからない。
 しかし、今回の東京オリンピック・パラリンピックと経済の関係は事情が異なる。経済の中に構造的体質変化が起きており、それがスポーツと芸能関係への投資の急拡大であるように思うのは、私だけであろうか。スポーツ資本主義の台頭の中に、資本主義の構造変化を見る人は、私だけではなく何人もいる。

 農業と製造業の省力化・生産性向上が進み、サービス業への余剰人員と資金の移動が進めば進むほど、資本主義は、マルクスの『資本論』が想定していた「剰余価値」生産の在り方から離れて、情動を生産する方向へ姿態変換を遂げていると言えよう。それは、サービス業に於ける価値創造よりも、はるかに次元の異なる「欲望を再生産する経済構造」の出現であるとは考えられないだろうか。
「経済のソフト化サービス化」の延長線上に位置してはいるが、より高次元の感情と情動を備えたサービス経済の出現である。スポーツが大衆化すればするほど、またその競技種目が増えれば増えるほど、その本来持っていた娯楽や楽しみといった牧歌的な価値を超えた、見る者の「情動」へと昇華し、競技者はその担い手となっていく。競技は本質的に「見せ物」であって、競技者は「見せ物」になることを人生の喜びとする。感動を与えるというのはそういうことだ。映画俳優など芸能人が感動を与えるのと本質的に何ら変わらない。「自己修練」という要素は薄れていく。
 このようなものとして、私たちはスポーツ資本主義の構造規定を行うことができるし、従来からの音楽ビジネスのような、提供者と消費者をエイジェント(芸能事務所または芸能プロダクション)が結びつける経済構造が、資本主義の特徴を彩りつつあると考えてよいのではないか。両者を併せて「情動資本主義」ないしは「芸能資本主義」ということができよう。
 この情動資本主義の中では、生産されるのは、単なる商品ではなく感動と情動を生む肉体の「商品」である。肉体自体が商品となるのではあるが、かつての奴隷労働における「肉体」ではなく、芸術的表装を施した「肉体」である。工場労働者は、労働力として、剰余価値を生むものとして、資本家にやとわれ、工場の中で剰余価値生産に携わったが、情動資本主義においては、労働者(スポーツマンと芸能人)は、競技場やライブ会場もしくはスタジオに於いて、過酷な長時間労働をして「資本」のために働くのである。労働者の再生産費用を超える剰余価値は、スポーツ及び芸能資本によって獲得され、資本の自己増殖が行われていく。
 このように情動化する資本主義は、政治や行政そして大学の中にも入り込んで、社会全体の情動化を進めているように見える。しかし、政治・行政、大学教育の「情動化」に関しては、別の機会に譲らざるを得ないが、「嘘」「忖度」「改ざん」の政治行政がまかり通っている現状は、この「情動資本主義」によって、容易に説明できるのではないだろうか。(2018年12月24日)





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最終更新日  2021.11.30 21:05:55


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