花の乱 0
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※画像付きブログはアメブロに掲載中‥ちと使わぬ間に楽天さんの仕様に付いていけなくなっとりまして(~。~;)?行ってきました。久々の、狂言 チビあめがお腹にいたときに何度か行ったけれど、だいたい5年ぶりくらいか??こんなに観ないで禁断症状出ないとは思わなかった(笑) ひとえに『母性本能』のお陰かな 子どもを連れての日比谷は、疲れました…が、会場の日生劇場に到着すると 無造作に?いや、さりげなーくSOJA(茂山家ファンクラブ)の受付に逸平さん 今回ご一緒した保育園のお友達ママは、朝の連ドラファンなので、宗彦さん、逸平さんはご存知らしい。 あんまりにも『フツーに』座ってらしたので気づかないらしく、教えてあげると 『カーネーションの?』と驚いてました。 カーネーション‥観てないのだけど←会社に出掛けちゃうので知らなかった あ、でも、宗彦さんご出演『ちとてちん』はちょうど産休で観てたよ(・∀・) と、余談をしているうちに 松本薫さんのワークショップが始まりました 子どもたちは、すぐ覚えちゃうのね(^-^)チビあめも、たのしそうにやってました 今日は、『蝸牛』がないのが残念 【番組表】(敬称略)大蔵流狂言『柿山伏』山伏 茂山竜正畑主 茂山千五郎後見 茂山正邦 大蔵流狂言『棒しばり』太郎冠者 茂山茂次郎冠者 茂山童司主人 山下守之後見 井口竜也 新作狂言『はだかの殿様』殿さま 茂山正邦太郎冠者 茂山茂次郎冠者 茂山逸平三郎冠者 茂山宗彦四郎冠者 茂山童司仕立屋甲 茂山千三郎仕立屋乙 島田洋海後見 松本薫後見 井口竜也後見 山下守之 まず4歳の子どもたちの反応。 時折飽きてました(笑)コレ、仕方ないな…『柿山伏』と『棒しばり』は連続上演。しかも、結構遠い席だったのもあって、集中力が切れてしまう だけど、食い入るように観ている時もあって、トータルすると要所要所のストーリーはしっかり抑えていて、面白がって笑っていました。 チビあめに関しては、始まってすぐに山伏、畑主のキャスティング確認、そして後見の正邦さんのことを指して『あのひとはー?』 ‥えーっと。。黒子みたいってもわかんないか、えーっと‥あの人は、いないものとして‥←私も久々の狂言で半ばテキトーな答え だけど、何となく後見のひとは、物語に参加する人ではないらしいことは理解できたのか、棒しばりや、はだかの殿様では何も聞いてこなかった(笑) 竜正くんは、正邦さんとこの双子の息子さん。いつか見た茂山家ドキュメンタリーでは赤ちゃんだったのに、もう小学校2年なのだそう。 大きな声で、子どもらしく元気に演っていました(・∀・)立派、立派! だけど、千五郎さんの畑主や、次の『棒しばり』で若手の狂言師たちは、さすがで。 抑揚によって、より言葉が観ている人の脳に響いて、かつ、心地よい。 ホッと、するんだな。 ご一緒した女の子は、次郎冠者の棒さばきに『コワい~』とか言ってたけど。 お酒を呑む所作も、比較的サラーッとしていて、ちょっと野村家の万作さんや萬斎さんの美味しそうなお酒の呑み方も懐かしく思いました。 童司さんの次郎冠者も、なかなか面白かったですよ さて。明日も早いのでまた新作狂言『はだかの殿様』は、のちほど記録しますか(^-^)
2012年08月06日
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訃報:野村万之介さん-毎日jp-この訃報を聞いて、朝の通勤電車の中では今までに観た万之介さんの舞台を思い出していました。私自身、観劇自体は子育て真っ盛りでお休みしていたので、実際に「突然」と言っても実感も何もなくて、ただただ「もう観ることができない」と言う現実を噛みしめるのみです。聞くところによれば亡くなる5日ほど前にも舞台に出られていたとのことなので、12月に万之介さんの舞台をご覧になった方にしてみれば、信じられない気持ちでいっぱいでしょう。私、最後に万之介さん観たの、いつだったろう?出産による産休を目前に控えた2007年後半以降、結構残業の日々も続き、観劇レポページもなかなか作っている時間もなくて、レポに残していない公演すらある。忘れないはずの舞台も、こうして振り返ってみるとレポを読み返して思い出すことも多くて、自分の記憶力のなさに悲しくなっちゃう。・・・ちゃんと残しておけばよかった(後悔)だけれど、日記を読み返すと蘇る、思い出深いのは、ルビコンさんと一緒に行った八ヶ岳高原ロッジでの狂言会万作さんとの「寝音曲」「気色の悪いものじゃ」迷惑そうに眉を寄せる様子が、万作さんとの呼吸ひとつひとつが、可笑しげな狂言の物語の中に、ふんわりとホールの空気を引き寄せて包み込んでしまう温かさがあった。そしてなんといっても万之介さんの「すっぱ」は天下一品。大好きです。胡散臭くて(笑)だけれど、全く憎めなくて。そして、なによりかわいい(笑)2007年9月に観た「市川狂言の夕べ」ここでは「長光」のシテ、すっぱを拝見しました。ちょっと大きくなったお腹をさすりながら、心地よい想いで家まで帰った記憶があります。アドを演じられていてもシテの存在感を壊すことなく、かといって小さくなってしまわず、いつも相手がどのようなタイプのシテであろうと、うまくバランスを保って魅せてしまう。狂言を語るほどの知識もボキャブラリーも私にはないけれど人間国宝 野村万作さんと、メディアで活躍が続く若頭、萬斎さん この2代スーパースターを抱える「万作の会」において、華やかさや派手さという雰囲気はないのだけれど(重ね重ね個人的な感想です、偉そうにごめんなさい)、万作さんや萬斎さんと違った味わいを持った狂言師で、私はとっても大好きでした。万之介さん主宰の狂言会にも行きたかったな・・・。数回チャンスはあったのに、とうとう行けなかった。昨年は茂山千之丞さんの訃報にも接し、一気に貴重な重鎮を失ってしまった感じがします。もう、二度と万之介さんや千之丞さんの生の舞台が観れないのが本当に残念です。だけれど、こうして日記を読み返すと今も鮮明に思い出せる万之介さんの舞台は、今も狂言で幸せにした人々の記憶の中で生き続けるんだろうな。
2011年01月12日
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新春名作狂言の会平成20年1月25日(金)午後7時開演文京シビックホール【番組】解説 茂山茂・野村萬斎大蔵流狂言「貰聟」(もらいむこ)舅 茂山千作夫 茂山千五郎妻 茂山茂【あらすじ】※新春名作狂言の会パンフレットより抜粋しこたま呑んで帰宅した夫。酔った勢いで妻を追い出してしまう。実家の父は、子供を残して帰ってきた娘に戻るよう説得するが、度々の酒乱に愛想を尽かした娘の決意は固く、不憫になった父は、娘を奥で休ませる。翌朝酔いが醒めて後悔した夫は、舅の家を訪ね、妻を返して欲しいと頼むが、舅は娘は来ていないと突っぱねる。隠れて聞いていた妻は胸を空かすが、金法師(子供・息子の意)が母を恋しがる様子を聞いてたまらず出てきてしまう。すったもんだの上、舅は娘夫婦に振り払われ、結局一緒に家に帰って行く。和泉流狂言「六地蔵」(ろくじぞう)すっぱ 野村万作田舎者 野村萬斎徒ら者 石田幸雄 深田博治 高野和憲【あらすじ】六地蔵(萬華鏡 能狂言あらすじ)より【解説】例年は新宿文化センターでの催し。今年は改装中のため、文京シビックホールで行われました。ワケあって(爆)恒例の千三郎さんとのトークではなく、ピンチヒッター茂さん。緊張している様子の茂くんですが(笑)緊張しているがゆえに、喋る喋る!毎年どんな話題をということに立ち返って「茂山家のお正月」について。今年もやっぱり元旦から大忙しの茂山家。お正月といえば、奉納。「タダで観られます」と京都を売り込む茂くん(笑)これだけ奉納が多いというのも京都の狂言師ならではとのことで、同じ関西でも大阪や兵庫あたりでもあまり見られないのだそう。確かに東京も、滅多にないよねぇ。お正月といえば「翁」茂くんは彦根の多賀大社で面箱(=千歳)を勤めたそうですが、記憶にも新しいように今年の年始は大寒波。ものすごく寒かった、、、と。京都より1℃は寒い、という彦根。千歳は、約1時間近くもワキ柱あたりの定位置に座しているため、横から雪が吹き込んで「積もってしまった」狂言方がいたとか(苦笑)忍耐ですな( ̄▽ ̄:)「でも、お正月に翁を見るというのはいいものです。」「といっても、私どもは滅多に観る機会はないんですが・・・」「・・・一度、うちの正邦と宗彦が年末の同じ時期に足を怪我しまして、舞台には当然あがれなかったんですが、舞台からふと見ると甘酒を飲みながら「やっぱりお正月の翁はいいねぇ」と・・・(苦笑)」随分と羨ましいというか恨めしかった様子です、茂くん( ̄∀ ̄)年末は12月28日が千作さんのお誕生日なわけで、毎年お正月の準備をしたあとで「お誕生日会」があるのが通年の行事なのだそうですが、去年千作さんは東京にいたそうで早く終わったとか(?)←千作さん年末にお怪我されてたけど・・・聞き違いかな(すみません、記憶おぼろげで・・) そしてそろそろ萬斎さんを呼ぶ時間。「結構緊張してます」ドキドキしている茂くん。黒紋付袴姿で舞台袖から登場した萬斎さんを見ると「昨日は鞍馬天狗だったのに・・・同一人物なんて・・( ̄∀ ̄)」と思ってしまう(笑)一度、京都のとあるバーでご一緒したんですが覚えてますか?と緊張気味に質問する茂くんに「覚えてますよ。。。あそこかな」と意味深萬斎さん。他には千三郎さんと宗彦くん?がいらしたと言ってたよーな。。。でもあまり東京ではそういう機会もないという話になり、さり気なく「今度是非」と萬斎さんに「接待希望」のちゃっかり茂くん(笑)「お正月の話がでましたけれども」・・・と万作家でも数年前に上野の東照宮で奉納をやったことがあったそうで、その後も同じ話が出ても全員の反対にあい「お正月くらいは休もう」ということで、なくなったとか(笑)今後、東京で万作家のお正月奉納は観られる事はなさそうで。。。話題進行のリードはあくまで茂くん。(千三郎師ピンチヒッターとしての責務か?)茂くん「僕のとこには娘が二人おりまして」萬斎さん「うちにも娘が二人おりますよ」茂くん「3月にその娘が初舞台を踏むことになったんですが、どうしてもシャンとしないんです。どうしたらいいんでしょうね」萬斎さん「ほぉ・・・」クネクネしてしまう我が子のお稽古に手を焼いているというお悩み相談。萬斎さん「うちも、最近ようやく「骨があるのかな」と思うようにはなってきましたけれどもねぇ」こんな感じの質問で会話が展開。いつぞや人間ドキュメント(NHK)で「小さな狂言師誕生~野村萬斎・親子三代の初舞台」を観たという茂くん。小さな狂言師 誕生 野村萬斎・親子三代の初舞台我が子のお稽古シーンで、厳しく教える萬斎さんの姿がどうやら強いインパクトを持っているようです。萬斎さん「うちでは『猿に始まり狐に終わる』ということで靱猿のお猿さんが初舞台となるわけですが、お嬢さんは?」の問いに「業平餅の稚児です」と答える茂くん。裕基くんは同じ年に靱猿と業平餅のお稚児さんと一緒にやったそうで、茂くん「エリートですねぇ」と(笑)萬斎さん「業平餅の稚児役では「お父さんのお尻を見て着いてきなさい」と教えるんですね。お稽古のときには囃子方はいないのでちゃんと歩いてくるのですが、舞台となるとお囃子方がいるので、「この人たちなんだろう」というふうに、完全にお囃子方を見ちゃって・・・(笑)」と失敗談を語ってました。それはそれで見所にとっては可愛らしいエピソードですけれどねぇ。お稽古のあとのご褒美について、甘すぎるおじいちゃん(千五郎さん)への不満も漏らす茂くん(笑)「普通、大きな舞台を終えた後にご褒美をもらえるというのが普通なんでしょうけれど、お稽古ごとに京都の「ビブレ」に行くんですよ。」「うちの千五郎が連れて行くんじゃなくて、娘に連れていかれてるんです」「お稽古のたびに色々買わされているので、うちには玩具だらけで・・なんとか言って下さい」と茂くんにお願いされて苦笑する萬斎さん。千五郎さんに意見は言えませんよねぇ( ̄∀ ̄)萬斎さん「うちは、やっぱり舞台のあとにご褒美をもらえるという感じですけれど、お稽古のときにはブドウで釣ってましたね(笑)」そういえば、上記の「人間ドキュメント」でもお稽古のあと、万作さんと一緒にびわを食べるカットがありましたっけ。←普通にびわの段ボールが置かれていることに「セレブだわ」と思った小市民。びわの大人買いしてみたいわ(爆)萬斎さん「初舞台のときのことは憶えてます?」茂くん「あんまり憶えてないんですよ。ちょうど宗彦と同じ歳でむこうが少しだけ年上なので、同じ日に業平餅の稚児役を宗彦がやって、その日は小舞をしまして・・・。その年の夏(秋?記憶おぼろげ)逆の役をしました」萬斎さん「一応バランスは取っているわけですよねぇ」茂くん「でも、初舞台は小舞です・・・・」萬斎さん「トラウマになってますねぇ(苦笑)」萬斎さんは何をご褒美でもらいましたか?という茂くんの質問に、ファンならご存じ。「ウルトラマンセット」「色々な人から頂くので、一夜にして「ウルトラマン王国」の出来上がり、それはもう狂喜乱舞ですよ」と少年のように目を輝かせる萬斎さん(笑)よほど嬉しかったんでしょうねぇ~( ̄∀ ̄)そういうカワイイ一面が好きです←そんな萬斎さんを見て客席で静かに狂喜乱舞なファンがここにひとり(爆)人間ドキュメントでは怖い怖いお稽古をつけていた萬斎さん。結構同業の茂くんからしても、衝撃的なようで興味津々で聞いていましたが「お稽古場に入ったらお父さんではなくて、先生」そういった切り替えを教えていくことが大事。だけれど、お稽古が終わったらちゃんとお父さんに戻るON、OFFの使い分け。子どもの教育は根競べ。親が諦めてしまってはいけないそう語る萬斎さんの表情は立派なお父さんで。。。なんだかちょっとジーンとしちゃったな。とはいえ、裕基くんはお稽古をあまり嫌ってはいないそうで、幼少期の萬斎さんのほうが師匠でお父さんの万作さんから逃げ回っていたとか(笑)かくいう万作さんも著書「太郎冠者を生きる」で故・六世万蔵師に遊んでいるところを耳を引っ張られて稽古場まで連れ帰られたというエピソードを残していて、代々狂言の家に生まれた男の子の宿命なんだなぁとしみじみ思います。結構ここまでで長いトークが(笑)気付けば7時から始まって20分は超しているのに茂山家「貰聟」の解説もまだでした。簡単に貰聟のあらすじ紹介があり、茂山家ではよく出る狂言だという話に。茂くん「実は明日もセルリアンで同じ貰聟の妻をやります。夫を叔父の七五三(しめ)変えて(笑)」緊張からかそのままずっと時間を忘れて話続けそうな茂くんに対し、冷静に「そろそろお支度を」と冷静に司会進行萬斎さん( ̄∀ ̄)茂さんは盛大な拍手に送られて舞台を後にしました。次は萬斎さんが一人舞台に残り六地蔵の解説。「私、最近テレビのドラマに出ておりましてね」 ←デター!鞍馬天狗知ってますぞ~「さきほど茂くんの話にも出ましたが、彦根でのロケは随分と寒かった」と。おおお、寒そうです。つきうささん(陰陽師小箱)のご近所~♪と萬斎さんの口から彦根ロケの話が出たので嬉しくなってしまいここでも密かに(静かに)狂喜乱舞な怪しいアタクシ・・・(笑)すっぱ物解説だと必ず出てくる「新宿だと歌舞伎町あたり・・・ちょっとでもキョロキョロしていると、とても言葉ではいえないようなことで声をかけられたりする」とこれまた嬉しそうに解説。何度聞いても笑っちゃうんだなぁ(笑)・・・さて、続きは狂言。なかなかまとまった時間に書けなくて1週間遅れ・・・久々にパソコンでの更新。半年ぶりくらいにまともに書いたかな(苦笑)昨年12月ござる乃座レポも残しておけなくて残念ですが、しばし次の舞台はいつになるやらなので、鞍馬天狗第三回の感想とともにいつか・・・仕上げたいと思っておりまするヽ( ´ー`)ノ
2008年02月02日
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いざ八ヶ岳(旅日記編)八ヶ岳高原ロッジに到着(旅日記編)万作の会「八ヶ岳狂言の世界」(旅日記編)【寝音曲-ねおんぎょく-】狂言「寝音曲」太郎冠者 野村万作主 野村万之介 後見 深田博治【あらすじ】主人に謡を所望された太郎冠者は、いつも謡わされてはかなわないので、酒を飲まなければ声が出ない、妻の膝枕でないと謡えないなどと言ってもったいをつける。どうしても謡が聴きたい主人は、太郎冠者に酒を飲ませ、自分の膝に寝かせて謡わせる。上手に謡った太郎冠者は、起き上がって謡うよう命じられるが、そうすると声が出ない。寝かせてみるとよい声で謡う。起こしたり寝かしたりしているうちに、起きているときに上手に謡い調子にのって舞まで披露するので、さきほどまでの話は嘘だということがバレてしまう。【豆知識】太郎冠者狂言の代表曲。情緒溢れる「大原木」や、勇壮でドラマチックな「海人 玉ノ段」など、次々に登場する狂言小舞謡も聴き所。大蔵流では舞い留メでめでたく終わるパターンで大らかな空気に包まれる。【感想】万作さん&万之介さんの貴重な寝音曲。のらりくらりと、主人の所望する謡をかわすあたり、この寝音曲での主従関係は随分と昔から慣れ親しんだ、ちょっとのことくらいならば許される関係なのではないでしょうかね~酒を飲まねば謡えない妻の膝枕じゃないと声がよぅ出ませんそこで酒を飲ませ、挙句に主人は自分の膝まで貸してしまうあたり、どうしても太郎冠者の謡いが聞きたくて仕方がないんですね(笑)酔いも回り、主人の膝枕で心地よく謡っているうちに妻と間違え(?)ついつい密着!!!主人の「気色の悪いものじゃ」と迷惑そうな万之介さんの一言、間合いが絶妙で(笑)それでも懲りず膝を貸しては謡わせる主人は根気強いというか( ̄∀ ̄)普通横になっていると声が出ないはずなのに、起き上がらせると苦しそうに謡い出す太郎冠者。何度か横にしたり起き上がらせたりしながら謡わせると、いつしか勘違いして起き上がらせると良い声で謡う。気付けば、気持ちよく「海人 玉ノ段」を舞い謡いはじめます。結局は、太郎冠者。もったいぶっているけれど、謡も舞も大好きなんでしょうね~。万作さんの「海人 玉ノ段」は凛とした立ち姿と音楽堂に心地よく響く謡声にしばし見惚れてしまう吸引力があります。ことさら、この日の万作さんと万之介さんの寝音曲は「ほんわか」「しっとり」した心持にさせてもらいました。最後は追い込み留メという狂言の一般的なクライマックスなんですが、最終的には「こらこら、全くお前ってやつは~」と笑って許してしまいそうな仲の良い微笑ましい主従関係が見えるような気がしました。これも、万作さん&万之介さんの寝音曲ならでは???この狂言。大好きな曲のひとつになりました。千切木のあらすじはこちら狂言「千切木」太郎 野村萬斎当屋 石田幸雄太郎冠者 岡聡史立衆 野村万之介・深田博治・時田光洋妻 月崎晴夫 後見 野村良乍【感想】今年は「千切木」に縁があって、多分最多鑑賞なのではないかしら(笑)立衆としてズラズラと多くの演者が出てくる狂言ですが、八ヶ岳高原音楽堂は橋掛リ部分が湾曲しているだけではなく幕から舞台まで結構長いようなので、ものすごーくスタタタタタター・・と「早摺り足」のように思えたのが逆に可笑しかったのですが(笑)舞台形状などが違うと、出のタイミング、台詞のタイミングなども難しいものなのかなぁ、なんてことも思いましたがどうなんでしょうね( ̄∀ ̄)太郎冠者は万作家ではニューフェイスの岡野さん。ご覧になったことのない人も多かったようで「誰?」というような声も公演後に聞こえました。今までは立衆その4くらいのあまり台詞のない舞台しか拝見したことがなかったんですが、今回はたくさんの台詞がある太郎冠者。緊張もするのではないだろうかと、オバちゃん心境でドキドキしながら見守ってましたが←余計なお世話か(笑)さてシテの太郎(萬斎さん)やっぱりこういう「小憎らしい(爆)」「ふてぶてしい(爆)」いや、よく言えば「バイタリティ溢れるキャラ」は萬斎さん、よく似合う(笑)嫌味なく、「ああ、いるいる、こういう人~( ̄∀ ̄)」というようなまさに今年流行した「KY(空気読めない)人」の典型を見ているような(笑)ヘアスタイルがこざっぱりと短くなっていて、若々しく見えていたのは私だけじゃなくお隣で見ていたルビコンさんも同じだったようです。千切木では千切木棒を持って夫・太郎を侮辱した当屋や立衆に仕返しをするよう強い奥方が夫の尻を叩きます。月崎さんのわわしい女も2度目ですが、なかなかのハマり役です( ̄∀ ̄)私的にはやっぱり、高野さんの奥方が好きなのだけれど(笑)「のぅのぅ愛しい人~」「おでかしやった、おでかしやった♪」手放しで喜ぶ奥方と、意気地のない夫・太郎はまさにバカップルなのでしょうが、この微笑ましさが狂言らしくて良いな~クライマックスは太郎の舞いで終わります。さきほど万作さんが寝音曲で魅了した狂言小舞に引けを取らぬ存在感と、たちどころに心を奪うオーラって遺伝によるものなのか。。。「なさけない」「KY」な夫・太郎の面影がなくなっていて、若々しく清々しい姿に、すーーーっかりルビコンさんとボーーーっとしてしまいました(笑)徒然日記はつづく(はず?)その前に「狂言ござる乃座38th」レポートもありますね。ぼちぼちと行きます(⌒◇⌒)トップページへ戻る
2007年12月03日
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こまごまと・・旅日記をかねているので、番組表や曲解説などなど、常のレポとは進みも違い無駄ばかり書いておりますが~(笑)ぼちぼちと行きます。11月25日(日)午後4時ちかくホテル室内にて、ルビコンさんと止まらぬお喋りに没頭。あわわ、こりゃ準備しなきゃーと持参したワンピースに袖を通しジャケットを羽織る。うーん、アクセサリーしただけで普段の通勤と変わらぬ姿じゃん(笑)寒さ対策、「ズボンの下にタイツ+ハイソックス」完全防備だったのでワンピを着用したあと室内スリッパから靴に履き替えるときに「ハイソックス」を脱ぐのを忘れている自分に気付く・・・( ̄▽ ̄:) ←慌てん坊音楽堂への送迎バスに乗車。到着するとすでにお客さんはたくさん入っており~・・・自分の行動の遅さに気付く(苦笑)ルビコンさんは靴を履けば出発できたのに、私ったらゴメンなさい~送迎バスから降りると出迎えてくれる看板席は抽選。でも引けるカードはほんのちょっと。残り物には福がある!って嘘(笑)座席表で見るお席はややビミョーだけれど音楽堂に入ってみると、舞台までの距離が短く結構な近さ。ただ、傾斜していないフラットな客席に椅子が並べてある状態なので前に大きな人が座ると、ちとツライ。私の前は女性だったけれど、和装でヘアスタイルが結っていたのでルビコンさん側に傾いて観てました(笑)椅子はせめて半分ずつ、ずらして配置するとなお良いのでは?と・・・思いました。開演前。係りの方の許可を得て撮影しました。舞台の背景には鏡松ならぬ天然の自然。パノラマ状態で橋掛りが音楽堂の形にそって曲線を描いています。午後5時開演なので、徐々に夕陽が落ち外がグラデーションを帯び、静かに暗くなっていく様子が狂言舞台の天然特殊効果。美しいです。上を見上げると天窓から光が差し込みます。【番組表】※敬称略2007年11月25日(日)午後5時開演会場:八ヶ岳高原音楽堂解説 石田幸雄狂言「寝音曲」太郎冠者 野村万作/主 野村万之介後見 深田博治休憩(20分)狂言「千切木」太郎 野村萬斎/当屋 石田幸雄太郎冠者 岡聡史/立衆 野村万之介・深田博治・時田光洋妻 月崎晴夫後見 野村良乍◇石田さんの解説をちょこっと◇この八ヶ岳狂言の世界も13回を数えるのだそうです。通常、狂言の解説のときには「初めて狂言をご覧になる方」とアンケートをとるのですが、13回にもなってくると、そういう解説はしても仕方がありませんので、、と後ほど会場から質問を受ける形にしますと。「ただ、本に書いてあるような質問はお止め下さいね( ̄∀ ̄)」って・・・・超プレッシャー(←その前に質問できる勇気と準備がないのだけれど・笑)寝音曲(ねおんぎょく)と千切木(ちぎりき)の簡単な曲解説。和泉流の寝音曲には主人に所望されて渋々披露する「大原木」と「海人 玉ノ段」という狂言小謡と舞が聴き所見せ所。サラサラサラーっと説明してくれましたので、レポ感想など書ける時間があればまた触れます。(最近手抜きばかりで、、トホ、すみません)その代わりに解説ならではの質問コーナー3人ほど手を挙げ、そのうちお2人はそこそこよく解説で聴く内容。端折っちゃいますが一つだけ。「狂言は初めて拝見しますがいくつくらい物語(曲)があるのか」というような質問で・・・。Ans.和泉流は現行曲(現在演じられているもの)254曲。ただ、狂言師が全部やってるかというとそういうわけではありません。というのは、大変(ストーリーなどが)似たような曲が多いんですね。中にはあんまり面白くないものや、ちょっと"エッチ"なもの。上演するには相応しくないようなものもありますので、次第に遠くなってしまった曲も多いと。しばらく演じられていないものでも、復曲(台本しか残っていないような狂言を現代の狂言師が見直し、演じる)ことがあります。とのこと。"エッチ"←ここに反応するな、すけべ(笑)狂言「骨皮」などが、万作家で最近頻繁に演じられるようになった「品よくスレスレ(ちょっとエッチ)」の代表なのではないかと勝手に想像(笑)つきうささんが来年のびわ湖ホールでの狂言が、去年新宿狂言で上演された「骨皮」と聞いていたので浮かんじゃいました。ここんとこ、石田さんはサラリと解説してのけてしまいますが、萬斎さんだとまたピンクな解説方向に行くのであろうか?!(笑)さて、最後の質問。「狂言師の方が、日常生活でうっかり出てしまう職業病とは?」Ans.(イイ質問出たね~とニッコリした石田さん。私もNice!と思いました←全く思い浮かばぬ鈍なやつなので)基本的にそれほど変わりはないとのことでしたが、"萬斎さんなんかは常に姿勢が良い人もいます"というふうに背をピーンと伸ばして真似てました(笑)ふぅーん・・・石田さんから見て萬斎さんは「職業病が出て姿勢がいい」感じにうつっているのですね(笑)お父上の万作さんは確かに姿勢と品がとても良い独特のオーラを放ってらっしゃるけれど、"あの"萬斎さんの「定規を背中に入れて歩いている」状態ほどまでは過剰(←こら)じゃないような(笑)他によそで出た質問としては「1日どれくらい稽古をするのですか」という質問があったそうです。これについては1日何時間といった決められた稽古があるわけではなく、日々公演で狂言をやってますからそれが自ずと稽古となっているということですね。(もちろんプロの場合でしょうが)"武士道"を例に挙げて狂言師の日常を教えてくれました。いわゆる"スイッチング"(切り替え)によって、いつでも「構エ」を作って演じられるようにすること。確かに、武士はいきなり襲われても対処できるよう日頃日常からの訓練を怠りませんもんね。必ず横向きに、利き腕は上にした状態で寝ていて、寝込みを襲われてもすぐに対応できる、、とかね。狂言師もまた、すぐに「狂言を演じられるモード」に身体が持っていけるような訓練を日々行っているので、いわば「日常=稽古」であって、それもまた「自覚を越えた職業病の一つ」と言えるのかもしれませんね。大雑把なところで、解説で記憶に残したこと、私が聴きながら考えていたことはこんな感じです( ̄∀ ̄)次にはまた狂言のレポ。明日から仕事が始まってしまい、またも時間がかかるやもしれませんが書いていきたいと思っています。つづく。。。
2007年11月25日
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こんにった(・∀・)ノいやぁ…9月27日の話を今ごろなのですが( ̄▽ ̄;)横浜「無布施経」「釣針」もすっ飛ばしており(汗)もはや順番もめちゃくちゃでございますが~ローカルな市川は書く!と決めたので先に更新( ̄ー ̄)「長光」(敬称略)すっぱ 野村万之介田舎者 深田博治目代 月崎晴夫*【長光】のあらすじと感想「心直ぐにない者」すっぱ物ですが、シテの万之介さんは大髭をたくわえ何だか装束も通常よりきらびやか。ロケーションは近江の国、大津松本。琵琶湖の近くだそうで、関東より上方へ上がった田舎者から値打ちある太刀「長光」を盗もうと企むお話。色々なお店を珍しげに見物する男の後ろから、チョイチョイと袖を引き、煙たがられてもしつこく付きまとう「すっぱ@万之介さん」登場から何か憎めない愛嬌があってニヤニヤしてしまうんですよ(笑)夢中になってお店を見ている男の持っている太刀を知らぬ間に腰にくくりつけては「身供のじゃ」と宣言する始末。「自分のものだ」と言い争ってすったもんだとなり、見かねた目代(今で言う地方公務員かな)が仲裁に入りますが、お互いに主張を曲げず平行線。「ならばこの太刀の特徴を述べよ」と双方の話を聞くことにしますが、すっぱは田舎者の話した内容を盗み聞きして答えるので埒もあきません。「身供が田舎者で声高に話すので、ヤツが盗み聞きしているかもしれない」と目代にそっと太刀の寸法を耳打ちします。ヒアリング不能となったすっぱは困り、今まで盗み聞きした太刀の特徴を繰り返すもいよいよ誤魔化せなくなり、目代と男に捕まり来ていた羽織を脱がせられると、今までに盗みを働いた金品があらわに(笑)「許してくれぃ~」と追い込まれて終わります。詐欺の手口も巧妙になって犯罪の多い昨今。何だかここは微笑ましい捕物劇(笑)すっぱに扮した万之介さん、長髭のせいか妙に愛らしくて、ああして捕まっても次の日にはまた旅人の袖を引いていそうです(笑)「鐘の音」(敬称略)太郎冠者 野村萬斎主 野村万之介*【鐘の音】あらすじ太郎冠者の取り違えもの。主人から「成人を迎えた息子の祝儀に黄金の太刀を渡したい。価格調査に行ってこい」と命を受けた太郎冠者。意気揚々と出掛けるも、主人には「金の値」(萬斎風解説によれば(笑)=プライス オブ ゴールド(≧m≦))を聞いてこい、とだけ言われたのですっかり「鐘の音」(=サウンド)だと思い込み、鎌倉へ出かけては何の疑いもなく寿福寺、円覚寺、極楽寺、建長寺の順に周り、鐘をつきまくって音を確かめる。「やっぱ建長寺がナンバーワンっすね!」自信満々に結果を報告する太郎冠者に主人は呆れ果て家から放り出す。一旦はむくれるものの、主人は面白いことが好きなので機嫌を直してもらおうと道中の土産話を小唄にして唄う。そんな太郎冠者の姿を見て主人は許す。※大蔵流は他に仲裁人がおり、仲を取り持つ。和泉流でも、留メは「追い込み」もあるようです。【この日の感想】前回も釣針の太郎冠者でしたが、今回も♪ヽ(´▽`)/…って釣針のレポ更新してないな…鐘の音の大まかな筋書きと顛末は、すっぱが出てこないことを除いて末廣かりにも似てます。「ありえね~っ」…な取り違えとしては蝸牛と良い勝負(笑)解説は高野さん。小さい頃に親御さんからお使いを頼まれた高野少年。「消毒液買ってきて」と言われたのに「ショートケーキ」を買ってきたことがあったそうで(笑)…まさに空耳アワーですが(≧m≦)私にも何かそんな失敗があったような気がするけれど思い出せない(笑)太郎冠者が鎌倉を東奔西走して鐘をつきまくる姿と、鐘の音の擬音模写が最初の聞き所ですが、萬斎さんの声の通りと響き。聞き惚れる~(*´ー`*)身体を傾け、下向き加減の姿勢では声も出しづらいと感じるんですが、訓練の賜物なんだなぁと感じます。首筋には血管が浮き出て美白な顔色が紅潮するので相当パワー使うんでしょうね。序盤の鐘の音擬音模写からかなりの体力と技術を要する曲ですね。最後の最後まで気の緩みが感じられない舞台に魅せられました。主人@万之介さんに「アホか~!(*`Д´)ノ!!!」くらいの勢いで叱られ、「指示がわかりにくいんですもんっ( ̄ヘ ̄メ)」逆ギレ気味な太郎冠者@萬斎さん(≧m≦)現代の会社内における上司と部下の間にも日々発生してません?これ(笑)うちの会社にもよくありますよ( ̄▽ ̄;)でもね、この狂言の良さというか温かさが太郎冠者の忠誠心と主人の寛大な心。末廣かりでは、すっぱに教わった囃子物を言われたままに謡って果報者(主)のご機嫌を取り戻して円満に解決します。が、今回の鐘の音では、追い出され独りになった太郎冠者が自ら反省。「言われてみたら黄金の太刀を祝儀にって言ってたのに、あ~アホじゃ~」と。主人は「有興人(うきょうじん)」面白いことを好む人。主人の性格もよくよく知っている従者の様子が伺い知れます。舞台には上記のあらすじ以外の描写はありませんが、主従の堅い絆が垣間見れます。幕内に入ったあと、この主人に太郎冠者は末永く仕えたんじゃないかなぁと(^ー^)舞台上に描かれない余白や、人間の味わい深きおおらかさと面白さを観られたなぁと感じられる、今のところ今年ナンバーワンな舞台でした。(萬斎さんもくるりんパーマでカッコヨカッタしね(笑))さて。次は「首引」と行きたいのですが…、まとめてません( ̄▽ ̄;)あはあは月に数回の更新しかしていない状態ですが、いつも訪れて下さる皆さま、ありがとうございます(^ー^)ゆるりゆるりと参りまする(。-∀-)←ゆるゆるしすぎ(笑)そういえば、鞍馬の製作発表はいつかなぁ…
2007年10月11日
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日が空きまくりですが・・9月1日(土)万作さんの芸話レポ続きです。◇異流儀共演茂山千五郎家と万作家の共演は昨今では珍しくなくなってきましたが、万作さんのお若い時代にはあまりこういった試みはなかったようで、むしろ「すべきではない」「けしからん」といった風潮であったようです。大蔵弥右衛門さんと茂山千作さん、万作さんの3人で「萩大名」をされたことがあったそうです。(・・・大蔵弥右衛門家の家系図にはあまり詳しくないので、ずっと万作さんが弥五郎さんと言っていたと勘違いしていたのですが、千作さんよりも年上で生没年からして24世大蔵弥右衛門さんのようですね←誰が誰かよく分ってないうえ、メモ取ってないから超曖昧だった(苦笑))大名を大蔵弥右衛門さん、太郎冠者を茂山千作さん、庭主を万作さんという豪華絢爛なキャスティングだったようです。終演後には大蔵弥右衛門師の息子さんに「大変品の良い庭主ですね」と褒められたうえ、おせんべいまでお土産に頂いて嬉しかった、とか(笑)萩大名・・で書き忘れていましたが・・・千作さんが得意としているこの萩大名のシテ(大名)万作さんがお若い時分に演じたとき、「随分と神経質な大名だねぇ」と言われたことがあったとか(笑)必死に演じようとすればするほど、力が入ってしまい柔和な芸風に到達できない、この道の難しさがある、と言うことでしょう。◇狂言のアドリブ茂山家との共演の話題は先にも触れましたが、こんな話も出てました。万作家ではアドリブといっても、願い事をするときにせいぜい独身で若い演者に「良き妻を娶らせてください」と言わせるくらいで、その他の冒険というのはしないそうですが、茂山家ではかなり自由ですねぇ、と(笑)おそらくゲストさんが行かれた公演のお話を聞いた限り、演目は「小傘」だったと思うのですが、やっぱり参詣人がズラズラと現れて願い事をする場面があるんですよね。そのお話が今回の万作さんのお話と同じではないかもしれませんが、つい思い浮かべてニヤついてしまいました。「そこで、黒頭(カツラ)を持ってきて、"このようにフサフサの髪の毛にしてください"というような願い事を言ってみたり、楽屋にいる忠三郎さんの話まで出してしまったりで」「さすがに東京では出来ませんねぇ」「でも、あちらに行ったときには笑いながら観てます」とニコヤカにお話する万作さん。東京には東京の良さ、関西には関西の良さがあって然るべき。異流派共演によってお互いに刺激を受けつつも、同化してしまってはいけない。他家の芸風をどのような目でご覧になっているのかサラリと触れつつ、ご自分の家の芸風の方向性をしっかりと持たれているというお考えに触れることが出来ました。さて。ご子息、萬斎さんの活躍や活動をご覧になって万作さんはどう感じておられるのでしょうね(^^)◇鍋八撥の留メ東北方面での公演だったと思いますが(日が経ちすぎて記憶抹消済)鍋八撥のシテ(鍋売り)を万作さんがされたとき、最後はお腹に巻きつけた浅鍋がパッカリと割れて「数が多くなってめでたい」と留メるのですが割れなかったことがあったそうです。そのときには「割れなかった用の台詞」というものが用意されていて「丈夫な浅鍋だから、家に持って帰って家宝にしよう」(めでたし♪)と終わるのだそうで、このとき初めてこの台詞を言ったそうです。咄嗟のことで私のような素人ならば「ひぇぇぇーーー割れないーーー。もっかい腹ばいになる??えええ??」と・・パニくりそうなものですが(笑)←こういうやつはプロになれない◇狂言アトリエの会名門の誉れ高き文学座に「アトリエの会」と言うものがあって、狂言にも似たような試みを持って「狂言アトリエの会」というものを立ち上げたそうです。いわゆる、観客に見せるためではなくプロ同士の意見交換の場として設けられたものだそうですが、そこで構エについてとある方から「どちらかの肩(あまり覚えていないそうですが)が下がっている」という指摘を受けたことがあったそうです。「親(六世万蔵さん)にも言われたことがないこと」で必死に直すよう努力したそうです。構エの話題になったところで、人によって構エもそれぞれ、というお話になりました。「私の父親(六世万蔵さん)は祖父(初世萬斎さん)によく猫背だと背中を叩かれてました。いや、私は見たわけではないのですが(笑)そう言われてました。私が見ていた父は猫背ではなく、直っていましたけれどね。」「私の叔父はスルメ(実演付き)、どちらかといえば兄(野村萬さん)がよく猫背で注意されてましたね。・・・あ、あまりこういうことは言っちゃいけませんね」(会場も爆笑)とはいえ、様々な御家にいらっしゃる大御所の話題をサラリとぶっちゃけちゃうあたり。。。好きだぁ(笑)←これが聴きたいがためプチ遠征◇アドの心得?ここでも西の大御所、千作翁の噂話が(笑)六世野村万蔵師の著書でも「アドの心得」としてシテより目立ってしまうアドはよくない、と書かれているくらいで当然のことながら万作家の教えでは「アドはアドらしく」「あの方はアドでもシテを食っちゃうんですね」(爆)それはあの方の味だから良いんですね、締めくくりつつこれまたサラリと爆弾発言(ぷ)会場では爆笑の渦と化したことは言うまでもないでしょう(笑)【話はかなり前後しまくりで・・・】かなり自分の頭で脳内変換された箇所も多いかもしれませんが(爆)ホントに楽しい芸話でした。最後に「差しさわりのあるお話もしてしまいましたが、これくらい歳を取ればそれも許されるでしょう」と笑いながら言って、切り戸口に入っていかれたお姿がとっても親しみを覚え「もっと聴きたい~」と思ってしまうのです。さて。この前に、石田さんの解説や~、万作さんの無布施経などもあったのですが、そこはすっ飛ばして先に一番オイシイところを書きました。そして、かつ我らが(誰のじゃい)萬斎さんが登場する「釣針」の感想も当然ながらまだ。。。何話になるんじゃい、というほどスローペースですが幾分体調も戻ってきたのでパソコンの前に久々に座り(爆)芸話部分を書き上げました。さらに記憶が薄れる前に(月末の地元公演前に?)書きたいと思います(笑)リンク先の皆様の元へもはせ参じたいところですが~。こそこそロムっては帰宅してしまっていて申し訳ございません~・・・さらに復活したらご挨拶に伺います( ̄∀ ̄)
2007年09月12日
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9月1日(土)横浜能楽堂に行ってきました。解説は石田さん。狂言は万作さんシテで「無布施経」と、萬斎さんシテ「釣針」全アップは毎度ながらなかなか時間もないので、一番楽しみだった万作さんの芸話から先にちょっとずつ書き残していきます【狂言芸話】薄手の夏物黒紋付で切り戸口から現れた万作さん。一瞬、証明が全て落ちて真っ暗け。手違いらしいんですが、再び明かりが灯ったときには能舞台前方にお座りになるところで、思いがけないハプニングに苦笑いの万作さんでした(笑)聴くだけ聴いて、何も記録をしてない上にこれを書いている時は二晩以上経過しているので印象に残ったキーワードとお話をちょっと。思い違い記憶違いはご容赦を(笑)◇狂言十八選和泉流現行曲254曲を数えますが、100番以上ご覧になった方~と見所に挙手を求めましたがさすがに自信を持って手を挙げられる方はなく、50番以上でチラホラと手が挙がってましたね。狂言十八選の「十八曲」を選んだ基準は、普通「十八番(おはこ)」と思われがちですが、「この狂言を観たら大体、狂言はわかる」と言う曲を選んでいるとのこと。能の五番と言うと「神、男、女、狂、鬼」ですが、脇能と呼ばれるものがあって、「高砂」など神様がシテとなっているものが代表的ですが、狂言にも「脇狂言」と言う分類に神様がシテとなる「福の神」などがあります。ただ万作さん曰く「こういう狂言はあまり面白くない」とのこと(笑)「歳をとってこないと面白くない」「福の神の面を付けず(直面で)おやりになる方もいらっしゃいますが、私はできません。まだ若いですから(笑)」↑千作さんのこと?(笑)頬をピチピチと叩くふりをする万作さん、可愛い(≧m≦)←人間国宝に向かって失礼なやつ他には「果報物」と言って、「末広かり」と言う狂言を紹介。最近はよく異流派共演をして、千作さんと一緒にやったことがあるのですが、言い方も和泉流との違いが歴然で「こんなふうに言うんだなぁ」と発見もあるようです。和泉流では台詞の発音も様式的に「めでたいお正月(おしょうがち)でござる~」と言うスマート感じですが、茂山家では「めでたぁぁぁぁーーい」と強調するところが違うと実演。千作さんを真似てるんではないかと思われる万作さんのこの場面もまた貴重だったりして(笑)会場は拍手喝采( ̄ー ̄)//””◇万作さん「鬼丸」で絶句?!昨年、国立劇場で「鬼丸」という狂言をされたそうで「ご覧になられた方」と万作さんが挙手を求めるとチラホラ手があがり、「悪いとこ見られちゃったな」と照れ笑い。後ろの御簾からお弟子さんが助けを出してくれて免れたそうですが、万作さんには抜け目なさそうな感じなので、ちょっとホッとしたりして(笑)鬼丸はあまりかからない稀曲で、記憶力は年齢にはかなわないと。子ども時代に憶えた台詞は絶対に忘れないのだそう。頭をカキカキ、失敗談を語る万作さんの意外で親近感を覚えられた瞬間(笑)…ちびちび行きます(笑)日を追う毎に違う話しにすり変わらないか心配(苦笑)つづく覚書キーワード◇狂言アトリエの会~構エの話◇他流共演について…ほか【萬華鏡つれづれ】今後の予定。次は9月27日。地元の公演です。10月は国立能楽堂の企画公演、万作さんの「庵の梅」観に行きたいなぁ(^ー^)そういえば、万作さんの芸話上で「100番または50番以上ご覧になった方」と挙手を促されてましたが、私は何番くらい観たんだろう(笑)たくさん見りゃいいわけじゃなさそうですが、1公演で2曲はかかるから月1でも年間24曲。でもダブりもあるからなぁ(笑)二人袴、末広かり、小傘、千切木、茸、蝸牛、無布施経、宗論、内沙汰なんかはダブル、トリプル、それ以上となかなかよく観てます。稀なのに骨皮なんかもあったなぁ(笑)なんだかんだ予定考えてると、あっという間に年も暮れそうです(苦笑)
2007年09月06日
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1ヶ月かかって1つの狂言会感想書いてます(苦笑)山本家 大蔵流狂言「菌」今まで「茸(くらびら)」はひたすら万作家のものば~っかり観ていたので、他家で他流派の「菌」ははじめて。万作家だと、最初から「何だかうそくさい山伏(笑)」というイメージが強いのだけれど、山本家は格式高い正統な山伏に見える( ̄ー ̄)装束の違いもあるのかも。今までは、そのまま山に入って修行に出てもおかしくない出で立ちでしたが、山本家の山伏は能に出てくるような僧みたいで、とても高い位にあるような感じ。あれで山へ修行は行かれまい(笑)もうメジャーすぎて、今さらあらすじも聞き飽きたでしょうがこのお話は…。ある山伏は、家の中に人体ほどの茸が生えてホトホト困っている某の家に、得体の知れないお化け茸を退治に来るも、法力が効かず、祈れば祈るほどさらに増え続け、最後は追いかけられて終わると言うまことにホラーなお話(笑)菌が増えまくるところは、小さなお子さんもよく笑ってました。途中、菌が増殖して法力に窮した山伏が唱える呪文は「いろはにほへと~と唱えれば」とここは同じ。一匹、勢い余って前に転けてて思わぬ可愛いハプニングが私にとってはツボでしたが(笑)最後は鬼茸は出てこず、姫茸も目立たず、集団菌に終われて逃げていくだけなので、極めてシンプルです。正直な感想は、狂言の山伏っていうと万作家や茂山家で観てきた「いかにも胡散臭い山伏」のほうが好きですね(笑)私の中では万之介さんがナンバーワン山伏だから(≧m≦)【つぶやき】能楽堂は様々な能楽関係の物販が売られていたりして、毎回覗くのが楽しみ。今回の出演者は和泉流は万蔵家なんだけれど、販売物は軒並み「万作家」と「茂山家」あまり詳しく狂言の家の系図を知らない方々もたくさんいらしている公演だけに、狂言劇場のDVDパッケージを指して「この方が人間国宝?」 「息子さん亡くなられたのよね…」「テレビによく出てたわね」と。そこには万作さんと萬斎さんが映っている…ん~…。確かに万作さんは今年人間国宝になられた。が、息子さんが亡くなってしまったのは萬さんで…万之丞さんも萬斎さんもTVには出ていた…誤解なのかご存知なのか(笑)心の中でその疑惑に自ら100ホーンでツッコミ入れてたら、その方々は知り合いに声をかけられてどこか行っちゃった(>ω<)/。・゜゜・なんとも気持ちの悪い状態に(笑)公演中は、親子連れも多く二人袴ではお子さま方の反応も上々。言葉が少し難しくても、「古典という高い敷居」を意識しない子どもたちは動きだけで面白さを受け取っているようですね。とはいえ2曲目の附子ともなると、少しずつ集中力を欠くちびっこがチラホラ(笑)真後ろでヒソヒソ話はじめていたのでさすがに舞台の台詞が聞こえなくなり私自身が集中するのに苦労してしまいました(苦笑)さて。また週末まで猛暑なのだそうです。はぁぁ…。溜め息出ちゃいますね。酷暑の台所なんて、火を使うと拷問ですよね。なかなか、みなさんのブログに書き込みに行く体力が出せず、ご無沙汰しておりますが、どうぞ残暑も水分補給をして熱中症には気をつけてくださいね
2007年08月27日
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「附子」和泉流(敬称略)太郎冠者 野村万蔵次郎冠者 野村万禄主 野村萬附子の正体とは「甘い砂糖」主は太郎冠者と次郎冠者を留守番にして出掛けるのに、たびたび酒などの盗み食いをされているため、信用が置けません。そこで、附子の入った葛桶には「猛毒が入っていて風に吹かれただけでも死んでしまうから近寄るな」と言い残して出掛けます。もとより好奇心旺盛な太郎冠者は附子の中を見てやろうと言い出し、最初は恐る恐る近づきますが中身はただの砂糖であることがわかります。二人で夢中になって食べるうち、食べ尽くしてしまいます。主人に叱られるのは必定。はてさてどうするか…。学校の教科書にも紹介されているような狂言の代表的な曲。意外に。私、生で観るのはお初です。この日は万蔵家の附子でした。萬さんは、万作さんとはまた違ったオーラがありますね。今回は主で、あまり目立たなかったのだけれど多分、扇を振り上げ「やるまいぞ」と言う姿は万作さんの方が怖そうかな?(笑)万作さんのピリッとした佇まいが、何とも背筋が伸びる心持ちで好きなのだけれど、萬さんの穏やかでおおらかな雰囲気もいいなぁ。萬さん、万作さん、万之介さん。同じご兄弟でも三人三様ですね。萬斎さんの従兄弟にあたる万蔵さんと万禄さん。いつも観ている万作家の芸風と、どこがどんなふうに違っていて似てるかなぁと言うのはあまり気付かないまま終わりました(笑)同じ和泉流の同じ家系だから違和感を感じなくて当然なんだけれど、つい見比べてしまいたくなるんですね(笑)この附子の太郎冠者と次郎冠者。一人の人格は「やっちゃえ、やっちゃえ」と言う欲望、もう片方は「やめておこう、何かあったら怖い」と言う節制やモラルが働いている一対の人格なんですよね。結局は自制心より欲求が勝ってしまうのが人間の愚かなところなんでしょうけれどね(笑)全ての附子を食べてしまったあと、何を思ったか掛け軸や茶碗をことごとく破壊して、主人の帰りを待ちます。主人が帰宅すると泣きわめく太郎冠者と次郎冠者。何事かと尋ねれば、「留守番に眠くなってはいけないと相撲を二人で取っていたら、大切な掛け軸や茶碗を壊してしまいました。」「責任感じて死のうと附子を全て食べましたが死ねません(;o;)えーん」よく出来た言い訳だ(笑)万蔵さん@太郎冠者が、やや小心者の万禄さん@次郎冠者を引っ張って附子に近づくあたり、二人のコンビネーションは観ていて単純に笑えて楽しかったなぁ。身に覚えがあるからか(笑)万蔵さんの狂言もたくさん観たいなぁ。【徒然ばなし】あんまり暑いのと体調不良も手伝って、ケータイからも日記を更新できないくらいグロッキーでご無沙汰でした(苦笑)さて、この附子の感想を書きながら幼き我が身の悪行を思い出しました。夏と言えばカルピスでしょ。家にも頂き物のカルピスがありましてね、子どもの私にとってはご馳走でした(笑)ただ、虫歯になりやすいからと母は滅多に飲ませてくれなかったんですね。水玉の包み紙にくるまれた魅惑の飲み物「CALPIS」←もちろん白っ!母のちょっとした留守中に、少しなら…とコップに注いでチビチビ飲んで数日後。ある時、物欲しげにカルピスの瓶を見つめ続ける我が子に(←どんだけ卑しいんだ)飲ませようと母が瓶に手を伸ばしました。「う…うわぁぁぁぁぁん(;o;)」突然泣き出す私に驚いた母←そりゃそうでしょうとも(笑)包みを取れば盗み飲みしたことがバレる(・・;)…と、咄嗟に泣き出したわけです(笑)「ごめんなさぁぁぁい(;o;)」素直に謝ったのですぐ許してもらいましたが、私の太郎冠者的体験談です(笑)でも、この附子の太郎冠者みたいな言い訳をしたら怒られるのは間違いないでしょうねぇ(≧m≦)ま…、そんな頭は働かないけど(笑)みなさんにも太郎冠者的体験談はありますか?え。私だけ?(笑)
2007年08月17日
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7月27日。まだ悪三郎が兵庫で暴れているころ(笑)国立能楽堂に全然子連れじゃありませんが(笑)「夏休み親子のための狂言の会」に行きました。小学校低学年以下のお子さんも結構多くて、能面体験コーナーもありました。【番組表】(敬称略)◇大蔵流「二人袴」聟/茂山正邦親/茂山千五郎太郎冠者/茂山千之丞舅/丸石やすし◇和泉流「附子」太郎冠者/野村万蔵次郎冠者/野村万禄主/野村萬◇大蔵流「菌」山伏/山本泰太郎何某/山本東次郎立衆・菌/山本則重、山本則秀、山本凛太郎、荒井豪、伊東哲、内田敦士、内海周一郎、大音智海、金子雄平、ジポーリン周樞、山瑞光貴「二人袴」茂山家の二人袴はTVで一度観たきりでした。もっぴーと、いっぺちゃん兄弟の二人袴でしたが、今回は親子バージョン。千五郎さんの親と、正邦さんの聟でした。「いやだぁ、聟入りなんて行きたくないぃぃぃ」だだをこねまくり親を困らせ、挙げ句には「弁慶の人形を買うてくれたら行きまする」「犬ころを買うてください」聟入りのご褒美に子どものようなおねだりする正邦くん(笑)「あ~あ~、しょうがない。買うてやろう」と千五郎さん。すでにお嫁さんはオメデタだというのにこの聟は…(笑)昔は仲人がいて、聟となる人を嫁になる女性のもとへ案内し、めでたく子を授かった暁に、舅のところへ「ご挨拶=聟入り」をするような習慣があったことから、聟入り狂言の場合は必ず門前で「不案内にござる(はじめまして)」と言うんですね。だから、気が利かない聟は「夫婦仲良し」である証に「最近、青梅を好んで食べる(妊娠した)」などと言うわけで、今で言う「できちゃった婚」は当然の世の中だったんですね(笑)正邦さんも恰幅が良くて、普段から賢そうな堂々としたイメージがあるので初々しい聟とのギャップが開けば開くほど可笑しい。新春に「もう二人袴の聟はやらない」発言をしていた貴重な「野村萬斎、不惑の聟(笑)」の復活を観ましたが、幼さやたどたどしさより「計算されて円熟したおバカっぷり(爆)」が逆に観ていて笑いを誘うような(笑)和泉流では、二人で舅の前に出なければならなくなって、思案の末に一枚の袴を前と後ろに切り離し、前掛け状態にすることを思い付き親子の結束を見せますが、大蔵流では「身共がつける、身共がつける」と奪い合いになって気付いたら袴が真っ二つになってしまうという(笑)破れちゃったらこーするしかあるめぇ?流れとしてはこっちの方が自然ですが、和泉流はあまりに珍案ですよね(笑)←どっちもどっちか殆んど話の内容に万作家と茂山家の違いはありませんが、どちらも親が子を思う(つい過保護になりすぎてしまう)ところが「ダメ親、ダメ息子」でありながら和やかで非常に親近感のわく狂言ですね。舅役の丸石さんも人のよさそうな雰囲気でいつもニコニコしてるし。太郎冠者の千之丞さんは淡々と自分のパーツを演じているので、気が利くようで利かないような、二人袴だと最後に袴が前掛け状態だと言うことを舅にリークする以外あまり目立たない役なんだけれど、座ってるだけで不思議な存在感がありますね。「二人袴」はこれでもかってほど観ていて、過去には「もうつまらない」と思った時もありますが(爆)ここ二回の二人袴鑑賞にハズレなしです。出来たら万蔵さんの聟が観たい( ̄ー ̄)やらないかなぁ【つれづれ日記】悪三郎王就任イベントが終わっちゃって気が抜けました(笑)…その空虚を埋めるべくビリーズブートキャンプに励む日々←ってまだ3日目続きは万蔵家「附子」山本家「菌」についてボチボチと書きます
2007年08月07日
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いや、すごいなぁー そして嬉しいのだ 文化審議会が文部科学相に答申asahi.com ニュースそも、人間国宝の選定基準とかよくはわからないけれど お兄さんの萬さんがすでに人間国宝に指定されているから、ないのかなと。。(勝手な思い込み) 大蔵流では茂山千作さんでしょ。 和泉流では野村萬さんでしょ。 過去は善竹家や三宅家もいたみたいで 別に一流儀ひとりという話も聞きましたが、それもよくわかっておらず。なんとなく一家系一人なのかと、これまた勝手に思っていたので。 でもね、万作さんの功績を見たら、現在も世界に向かって活躍しているところだし。 当然、国の宝ですよね。 そういえば。 現・茂山千五郎さんもテレビのインタビューで千作さんの大きな存在に重圧を覚えて、一時期アル中になっちゃったって言ってたし 萬さんのご長男で亡くなってしまった八世万蔵さん(万之丞さん)も結構苦しんだ時期があったっていうし(志し半ばでお亡くなりになってしまって残念でしたが・・)当たり前のように世間から「時期人間国宝」と言われることのプレッシャーって・・・ 壮絶だぁ その後、偉大な父の跡を継ぐ人。。。。。。。 継ぐ人? 野村萬斎さん。 うわー。 とっても名誉なことで。 嬉しいのだろうけれど。 うわー。 国の宝というネームバリュー。 今までも大きかっただろうけれど。 より大きくなってしまった万作さんの背中。 どうやって追いかけるのかな。 うわー。 普通の人間なので。 想像を絶する。 なにはともあれ、めでたい( ̄∀ ̄) あー、狂言が観たいなー。 万作さん、名人の芸が( ̄∀ ̄) あんまり嬉しくて、昨夜は「太郎冠者を生きる」読みながら寝た(笑)・・・でもしばらく観劇の予定なし(しゅん・・)
2007年07月21日
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1:国立能楽堂7月普及公演 狂言「船渡聟」と能「経正」番組表と茂山千三郎さんの「船渡聟」レポートはコチラ【経正のあらすじ】ごく簡単に(笑)経正の兄僧だった行慶僧都は一の谷で命を落とした経正のために、管弦講を催します。いわゆる、楽器(青山)を手向けての法要です。その琵琶の音に経正の霊が現れ、懐かしげに舞いしばし修羅の地獄より解き放たれます。今まで見えなかった経正の姿がうっすらと見えたとき、修羅道に落ちた己の身を恥じ、灯火を吹き消して消えてしまいます。【覚え書き】今回の能のシテは「平経正(たいらのつねまさ)」でした。三宅先生の解説を交えて、記憶している内容を覚え書きします。経正は若くして一の谷合戦で熊谷次郎直実に討たれ能でも有名な「敦盛」のお兄さん。現代のメジャー度では負けちゃっていますが、この方も美貌の貴公子だったそうです。そう、弟の「敦盛」はパソコンで漢字変換できるのに・・・経正は出ない・・・経正という人は仁和寺の覚性法親王に仕えていました。いわゆる、「お稚児さん」で今ではちょっと考えられないけれど高僧の恋愛対象となるような人で美しい童がなるもの・・・というイメージがあります。教養を幼い頃から身につけ、美しく、12、3歳くらいで元服し、琵琶の名手で和歌も嗜む貴族中の貴族(エリート)、といった感じですね。琵琶といえば、唐の国より伝来した名器「玄象・獅子丸・青山げんじょう・ししまる・せいざん」が有名。宮中の火事の時一人で逃げ出したという「玄象」は特に、夢枕獏先生の陰陽師でも大活躍、有名ですが(笑)獅子丸は日本に来る途中で消失してしまったようですが、このうちの「青山」が天皇より経正へ与えられた、というくらいだから、相当の腕の持ち主だったんですね。経正は都落ちのときに、この名器「青山」を仁和寺に返しにきた、というお話が有名。そんな大変なときに・・・律儀ですね。よほど、この名器「青山」を、「楽」を愛していたということなんでしょうね。博雅みたいな人だねっ(夢枕獏「陰陽師」参照・笑)☆新刊「陰陽師 夜光杯ノ巻」結局、一の谷合戦で弟の敦盛と(多分同時期くらい)に討ち取られています。生年が不明なのですが、元服した年と一の谷合戦の年を計算すると30~32歳くらいであったろうといわれているようです。今回の解説でのテーマは「修羅能の中の貴公子」でした。平家武者の中には、学問や和歌などあらゆる芸術に長けるファミリー。笛の名手では敦盛もそうですが、世阿弥作の能「清経」でも有名で、叔父さんの忠度という人は和歌に優れ、こちらもまた能になっています。三宅先生曰く、平家の貴公子といったら、じゃあ誰か?と言えば「重衡しげひら」じゃないかと話されました。2005年の大河ドラマ「義経」では細川茂樹さんが演じていたのが記憶に新しい。美男子ですな(笑)重衡という人は平家の大将として戦っているうち、寺院を焼き払ってしまったことでも有名ですね。経正や敦盛が討ち死にしたこの一の谷の戦いでは捕虜にされ、鎌倉へ送られます。ここでまた能にもなっている「千手」と出会いますが、平家滅亡後には南都に引き渡され斬首されてしまいます。捕虜として鎌倉に置かれたときも、類稀なる器量ぶりに源頼朝や北条政子は厚遇したといわれるほどですから、人間的にも優れていたのかもしないですよね。お兄ちゃんの宗盛はとっとと殺されちゃいましたけれどね。。。平家物語の話になっちゃいましたが(汗)三宅先生のお話はこのようなもので、他にも色々あったのですが忘れました( ̄▽ ̄:) あははは能「経正」について。経正が亡くなったのは前述のとおり、30歳くらいで立派な大人ですが、「今若」とか「十六」という面を用いるのだそうです。今回使われる面は「十六」という少年の面だそうです。一番、人生の中でも栄華を極めた時代での姿で表現されるとか。とても短い演目で40分ほど。割と若いシテ方さんが演じることが多いらしいのですが、今回シテを勤められる櫻間金記さんはなんと初役。なんだかんだと演じる機会を逃していたそうです。もともと能楽堂に入ったときから睡魔に襲われる始末だったので、結構危なかったのですが(苦笑)清々しい若武者姿の経正は美しかったですね。管弦講の音色に誘われてスー・・・と出現する様は夢うつつ。後半のカケリ(興奮状態で囃子もテンポが速くなります)のあと、また修羅道に落ちていく切なさもあって、救われない悲しさがありますね。。。ちょっとウットリ(ウトウトか?!)しましたが久々の能楽鑑賞で癒されたな~【つれづれ】3連休も中日。台風がやってきて。お休みはもう明日だけになっちゃった(涙)関東の近くに台風はいるらしいけれど、房総の(館山とか)海の方は大変なのかしら。東京下町寄りのこの辺りは結構静かです。。。さて。まだ冬休みが1日残っている(夏だって、だから!)どうしようかな~。"ぬすびと"は終わっちゃったしなぁ~・・・(悲)でも、私の国盗人は終わっても萬華鏡日記の祭りは継続中・・・↑盗まれたまま
2007年07月15日
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7月14日(土)午後1時開演【番組】(敬称略)解説・能楽あんない「修羅能の中の貴公子」三宅晶子狂言(大蔵流)「船渡聟(ふなわたしむこ)」シテ/聟 茂山千三郎アド/舅 茂山あきらアド/太郎冠者 茂山童司アド/船頭 茂山千之丞能(金春流)「経正(つねまさ)」シテ/平経正 櫻間金記ワキ/僧都行慶 飯冨雅介笛 中谷明小鼓 久田蕣一郎大鼓 高野彰後見 守屋泰利 山中一馬(地謡略)【大蔵流狂言「船渡聟」】※和泉流は「舟渡聟」SePTでは国盗人東京フィナーレの最中、わたくしは雨の中、千駄ヶ谷へ。悪三郎の誘惑に引かれつつ・・・時間的にも三茶までは無理なので、なんとか振り切り(笑)今回は和泉流「舟渡聟」とは全く違う大蔵流「船渡聟」が一番のお目当てでした。聟・千三郎さんと船頭・千之丞さんの見事な呼吸お酒一つで何もかも愉しくなっちゃう、さきほどまで知らぬ仲が微笑ましく酒宴を繰り広げる様は観ていてホンワカします。特に千之丞さんの愛らしさったら(笑)和泉流「舟渡聟」は船頭と舅が同一人物。京から聟入りのため、妻の家へ舟で渡る途中、祝儀の御酒に目をつけた船頭が厚かましくも一杯所望するところは同じ。しかしクライマックスにかけてはまるで筋書きが異なります。三宅晶子さんの解説を引用させて頂くと、和泉流の聟は都から来た生真面目でいわば洒落た男(笑)船頭が気持ちよく酒を飲んでも自分は全く手を付けない堅物ぶりです。船頭は酒を貰って機嫌よく帰宅しますが、そこには先程の聟が。なんと娘の聟入りで挨拶に来た男だった…さぁ、困った、恥ずかしい(>_<)挙げ句、女房には自慢の大髭まで剃られ…というオチ(笑)一方、大蔵流ではどこの渡し守かは限定されておらず、聟のキャラと言えば、何だかんだ言って酒好きの男(笑)船頭にそそのかされ?船の中で飲めや唄えの宴会になってしまう、ここが見どころ。茂山家で聟、と言えば、いくらでも若手がいるのでねぇ、はぶさんの聟って言うのはなかなかオツでしょうやれやれ迷惑な…と言いながら意気投合。酒宴では千三郎さんの宇治の晒も観れました。…舞うって船の中ですからね(笑)ちりち~りやち~りちり~千三郎さんが舞いながら船首まで行きますが、思ったより船は大きいらしい(笑)全ての酒を飲み干しておきながら「お気の毒に」と頭を下げる船頭ですが(アンタが飲みたいって言ったんだよ・笑)、聟は別れるまで困った顔は見せないんですね。手ぶらでは格好もつかず、ひとまず空の酒樽を太郎冠者に渡しておきますが、舅に「せっかくだから持ってきた御酒を頂こう」と言うことになり、弱る聟。気の利かない(爆)太郎冠者は、舅と聟の目前で「空樽じゃ~(笑)」とばらすものだから聟は恥ずかしくなり逃げて帰ってしまいます。あのあとは、舅に慰められて後々の笑い種になったのでしょうか太郎冠者との関係は…きっと上手く行かない気がするけど(笑)和泉流も大蔵流も祝言性の高い狂言で、現在は絶えてしまった鷺流の筋書きはほぼ和泉流と同じだそうです。また、古くは天正狂言本(最古の狂言台本)にもある随分昔から演じられてきた名作なんですねどちらが好きかなぁ。シンプルな筋書きの大蔵流は船遊びをしている船頭と聟が微笑ましいし、今日は凪いだ水面が広がる湖と一艘の渡し船が三間四方の舞台に出現したような可笑しみがありましたが、観劇後の余韻としては聟と舅が相舞をし謡い留メで終わる和泉流が好きかなぁ久々だった国立能楽堂。いつぐらいぶり?実は今年初です。国立は…え~っと…釣狐以来かも。宝生はチラホラ行きましたけど。今年はホールやSePT通いばかりです(笑)国立能楽堂の見所に入った瞬間、すごく癒された気がしました国盗人のレビューも中途半端でどうしたもんか…なのだけれど(苦笑)能「経正」も平家公達のお話。美少年「敦盛」のお兄ちゃんで、弟より少しばかり影が薄い感じなのですが、琴の名手で美しき貴公子だったそうな。また暇を見て…
2007年07月14日
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【1】能楽現在形 劇場版@世田谷「鐵輪」 一噌幸弘+野村萬斎+亀井広忠はこちらから 【ポストトーク】一噌幸弘+野村萬斎+亀井広忠青ジャケ、インナーは黒のジッパー、黒っぽいズボンで野村萬斎世田谷パブリックシアター芸術監督登場。あああ、お洋服。いつくらいぶり?←記憶喪失山月記・名人伝-敦-ポストトーク以来かな。以下、青字箇所は台詞形式で書いていきますがニュアンスの相違があります。萬斎さん「出演しておりましたので自己紹介は要らないかもしれませんが、世田谷パブリックシアター芸術監督をしております野村萬斎です」「今日は能楽現在形という能楽堂を抜け出ての試み。同人を組んでいる一噌幸弘さん、亀井広忠さんをお迎えしてお送りしたいと思います。」と一噌さんと亀井さんが登場。途中から本日の「鐵輪」宝生流シテ方 金井雄資さんがトークに加わりました。一噌さんはそこそこラフな感じだったように思うのですが、亀井さんは完全に「リーマン」です(笑)会社帰りですって言っても違和感ありません(笑)普段は舞台の上では紋付袴ですが、現代人の我々がやっているということを実感して頂くために洋装で来て頂きました、と萬斎さん。亀井さん「スーツに足袋・・・座ったときに足首が見えるというのはどうも」(苦笑い)萬斎さん「舞台は檜舞台ですからねぇ、一応靴というわけにはいきませんから・・・だから私はちょっと長めのズボンを履いてきたんですが。」亀井さん「さすが慣れてらっしゃいますね」ここまで黙っていた一噌さん、いきなり一噌さん「足、短いんですか?」思いがけない一噌さんの突っ込みにやや戸惑いを少しだけ浮かばせた萬斎さんは「そうかもしれませんねぇ」と苦笑いのような複雑な笑みを浮かべると「いや、嘘ですよ(笑)」と一噌さん。うう、噂には聞いていたけれど面白い人かも(≧∀≦)今回の能楽現在形 劇場版ということで舞台構造の話題になると一噌さん「怖いですよ。落っこちるかと思いました」そして、どこでどうしてこんな話題になったか記憶が薄らいできちゃいましたが、演奏中に思い出し笑いをすると大変、なんて話になりました(笑)一噌さんが亀井さんに「ない?」と同意を求め、はっきり「ある」とは言わなかった感じがしますが(笑)萬斎さん「それは能の演奏をしているときにあるわけですか?」一噌さん「いや、楽屋でね、面白かったことを急に思い出しちゃうんですよ(笑)笑っちゃいけないと思うともう、おかしくておかしくて」亀井さん「思い出し笑いというやつですね。お笛は大変なんじゃないですか?」一噌さん「ホント、もうタ~イヘン。音が震えちゃったりして」(笑)会場は大いにウケてましたが、必死に亀井さんと萬斎さんが軌道修正(爆)亀井さん「いつもは後ろが鏡板になっていて、音が反射板に当たって跳ね返ってくるのですが、ここはそういったものが存在しないので不安になりますよね。演奏の仕方も工夫が必要だとやりながら思いました」「ネタばらしになりますが、能楽堂だと反響する屋根なり鏡板なりがあってかなり手が痛くなるほど強く叩くんですが、逆にここは後ろもなく横も広がっていて天井も高い、客席も上のほうまであるので、軽く叩いたほうが音が響くのかなと」萬斎さん「マイクを要所要所に仕込んでいて、これはお客様のためのものではなくて実は演者のためのものなんです。」つまり、音が近くになくそれぞれを離してしまったために生じる演者と囃子方の不安を解消するために音響を駆使した、ということなのだそうです。途中から登場した金井さん「後ろの、後座に囃子方がいつもいる。近くにいるものがないと非常に不安です。」「ここは三方が客席となっていて通常(客席を向いて)左側へはあまり向かって演技しないような演出になっているので今回は工夫をし好き勝手にやらせていただきました(笑)」「とはいえ、好き勝手なんて無責任なことを言いましたが、能の決まりごとから脱却せずに新しい工夫を考えなければならないと思いました。」萬斎さん「ちょっと(客席の)後ろから見させていただいていましたが、こっち(左)にもサービスしてましたね」↑ええーーっ、後ろにいたっすか??!万が一、存在に気付いちゃったら観劇どころじゃないよね?(未熟者の極み・・・)-能は能か演劇かということについて-萬斎さん「能は昔から習い事であったり技芸としてのものであったりして、一線引いた所に存在していますが、演劇的な要素も含んでいるんですよね。だから"伝承としての技芸"に納まってもいけないと思いますね。」一同、深く頷く亀井さん「室町時代で武家の庇護を受け、その後、明治維新~現代へと約650年以上続いてきた能楽は伝えられてきたことを忠実にやっていればそれなりにまとまるのでしょうが、その場その場に合った演じ方や演奏を考えていかなければならないということを、こういう(劇場で)やることによって考えさせられますね」-伝えることについてどうかと一噌さんへ質問が飛ぶと-一噌さん「話それますが・・・って、いつもそれてるんですけどー(笑)」「駐禁でパトカーに捕まって交番に連れて行かれましてね」萬斎さん「ちゃんと罰金払ったんでしょうねぇ?」↑そんな爆弾発言サラっと(爆)誰って某・・・最近"悪霊退散踊りをやるとかナントカ・・・"(爆)一噌さん「そのとき笛をたくさん持っていたのでね、吹きまくったわけですよ」萬斎さん他一同「交番でですか??」一噌さん「はい、交番で。」なんでまた・・という一同の不思議がる視線を浴びている一噌さん一噌さん「許してもらえるかなーと思ったんですが、許してもらえませんでした」↑大真面目に語る一噌さんと「そりゃそうだろう」と言いたげな他一同(観客含む・笑)一噌さん「俺の笛がタダで聴けるんだぜぇ~みたいな感じで吹いたんですけれどね、苦情が来たんですよ」一同&観客・・・再び失笑にも似た爆笑金井さん「そんな人いませんよ」←仰るとおり亀井さん「一体、"伝えることと"なんの繋がりが・・・?!」一噌さん「だから、お巡りさんに伝えたかったけれど伝わらなかった・・・」萬斎さん(ひたすら苦笑)しばらくして萬斎さん「ウソ吹いたわけですね?」←!!!(爆)~一噌さん以外、一同&観客 冷笑~一噌さん大真面目に「一噌(いっそ)吹いたんです」ぬぉーーーーーーー、オヤジギャグ「萬斎VS幸弘」炸裂でござるよ(笑)困った顔の優等生 亀井さんと汗が止まらぬ金井さん(→ω←)「時間がなくなってきますので」と必死に仕切る亀井さん(笑)←幸弘さんも好きになったけれど、これまた違ったキャラで好感度大♪亀井さん「鉄輪は萬斎さんがお決めになったんですが、これは連れ添った夫婦がいて、その男が他に女を作って、妻は夫を怨み・・・という現代に通じるからですか?なぜ鉄輪なのでしょう」萬斎さん「私事ですが、以前映画をやりましてね、この"鉄輪"が下地(モチーフ)になっているシーンがあるんですが、どうも納得が行かないというか・・・好きじゃないんですよね」←爆「女が生成(なまなり)になるんですが、なんかね・・」「虫みたいになっちゃうんですよ」(ツノが生えてね)「夢枕獏さんの原作でね、ちゃんとしたものなんですが、"鉄輪"というストーリーの下地が現代にあって、今一番"能の鉄輪はこういうもの"ということをお示ししたかったわけですね」亀井さん「萬斎さんが安倍晴明をやればよかったんじゃないですか?」←真面目な顔で仰ってるし(笑)萬斎さん(苦笑い)会場は拍手(笑)それでは「乱能」になっちゃうから能楽現在形の趣旨と外れちゃうんで?(笑)萬斎さん「まぁ、一応、今日は特別に白っぽい装束を選ばせていただいて、何か映画と被るようでイヤだったんですけれど、私は神主で安倍晴明は貴族の陰陽師であるので階級の差を出すためにワキ方には狩衣に指貫を着用していただきました」亀井さん「もう結構なお時間になりましたので・・」萬斎さん「仕切っていただいて(笑)ありがとうございます」普段の能楽堂から抜け出して劇場という通常の構造とは違うところで演じることにより、新たな発見と探求が湧き上がるということが要だったかな。演者としての舞台上の心の持ち様を聴いてきましたが、観客としても似たようなことは思います。能楽堂という屋根があって鏡板という構造の中で伝統的に演じられてきた能や狂言は、しっくり来て当たり前。出来たらこの演目は「能楽堂で観たい」とは思うけれど、劇場で能狂言を提供してくれる演者の工夫や探求を一緒に体感できることもまた楽しみでもありますね。観る側も、能楽堂の雰囲気というのは何か緊張感や縛りをもたらす空間だったりします。客席が明るいからでしょうか。心持の違いでしょうか。(未熟だからでしょうか・爆←おそらく私の場合大きい)演者や演奏者が慣れた能楽堂では集中力が分散しない場所、だから観客もその緊張感を浴びているからかなとも思ったりします。私の場合もやっぱり不思議と劇場よりも能楽堂での鑑賞のときのほうが感動を受けやすい状態にあるので少なからず上記のような空気の流れを感じているのかなぁ、なんて思ったりします。え・・・今回集中しきれなかったっていう言い訳に聞こえる?やっぱり?(汗)途中、お三方の話を聴いている芸術監督。髪を後ろになで上げ、それは悩殺するおつもりか? ←された人サラっとした髪が後ろになびいて、その後・・突っ立ったままに(笑)その後、元に戻そうとちょっと気にしてらっしゃったけれど、そーゆうことをするとゲストの方たちの話が全く耳に入らなくなる愚かな観客もおるので・・・ ←アタイだよっやめて・・・ほしくないけど(笑)それにしても、映画「陰陽師」。確かにね、あの特撮。祐姫の変化といい、お歯黒をイメージして牙が黒いのとか(イメージせんでも良い・・・)微妙だとは思ってはいたもののね・・・主演の晴明役もそう感じていたとは(笑)でも・・・納得(爆)トップページへ戻る
2007年05月20日
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能楽現在形 劇場版@世田谷「鐵輪」一噌幸弘+野村萬斎+亀井広忠於:世田谷パブリックシアター平成19年5月15日(火)午後7時00分開演番組表(敬称略)◇舞囃子「乱」宝生流シテ 辰巳満次郎 笛 一噌幸弘小鼓 成田達志大鼓 亀井広忠太鼓 観世元伯地謡 武田孝史 宝生和英 山内崇生 和久荘太郎◇能「鐵輪」宝生流シテ 女(先妻) 金井雄資ワキ(安倍晴明) 森常好ワキツレ(夫) 舘田善浩間 貴船の宮の杜人 野村萬斎 笛 一噌幸弘小鼓 成田達志大鼓 亀井広忠太鼓 観世元伯後見 武田孝史 渡邊茂人地謡 朝倉俊樹 辰巳満次郎 佐野登 宝生和英 山内崇生 和久荘太郎◇ポストトーク一噌幸弘+野村萬斎+亀井広忠+金井雄資舞囃子「乱」(宝生流)能「猩々」の中で舞う舞い。「乱」または「猩々乱」と各流儀によって称する、能のなかにあっても有名であり、扱いも特別。【感想】揚子の里にする高風という男は夢のお告げにより酒を造って売り富を得て、なおかつ海中に住む猩々によって泉のように湧き出る酒壷を与えられその後も末永く高風の家は栄える・・・という非常に羨ましい限りのめでたい祝言の能です。今回は舞囃子ということで、紋付で舞いました。劇場の演出によって、猩々が海中から出て波の上を舞い遊ぶシーンでは光で波模様の演出。雰囲気を出していました。といっても、まだ猩々を観たことがないので~・・・舞囃子だけ観てイメージに陶酔することが難しくひたすらボーっと観ていましたねぇ。。って全然感想になってないし。(ご許されませ・汗) 「鐵輪」(宝生流)あらすじ→「鉄輪」【感想】いつも、このシテの女性である先妻の鬼にならざるを得なかった心を想い悲しくなります。怖い、というより「悲しい」ストーリーですね。結局、この女は救われないのです。夫と新妻を呪詛により呪い殺し想いを遂げたとて、救われることはない。そこはかとなく、切ないお話です。安倍晴明は夫を先妻の呪詛から回避させることはできたとしても、この女を救うことはできない虚しさを感じていたのでは~・・・中央にも1本、向かって右側にも1本、奥側にも、横に通った橋掛リが出現。狂言劇場で使われた舞台と同じような感じですね。地謡や囃子方は橋掛リの向こう側に位置し、ほぼ客席からは暗闇でよく見えない状態です。ヒュルルルル~っと、激しい風の音が場内に響き渡り嵐の前触れを思わせる不気味な音響とともに舞台がはじまります。鉄輪は口開け間。右側から貴船の杜人(神官)である萬斎さんが現れ、夢のお告げを話し、例の女が現れるのを待ちます。白い装束、括り袴。やや暗くなった舞台にはピンとした空気が漂い始めました。激しい風音だけが響く夜の闇に紛れ、女が貴船神社にやってきます。奥の横に渡した橋掛リを、すー・・・っと歩いていく、その姿を目で追う「間」みたいなものが緊張度を増すような。安倍晴明の祈祷シーンでは、等間隔で刻む囃子がねぇ、これまた心地よく・・・調伏されちゃうわけですな(私がね)はっ・・・前に「鉄輪」を観たときもそうだったっ(汗)生成の鬼と成り果てた女。ふつふつと、押し上げる怒りは理性ではもはや抑えようもなく、行き着くところまで堕ちてしまうような苦しみは観ていてドキドキもすれば、誰しもこういう状態に陥らないとも限らない人の心の複雑さと恐ろしさをこの能に観ることができます。近寄りたくても守りが強くて近寄れない、悔しい、憎い・・でも憎みきれない愛しさ・・・うう、悲しいですね。能を観ていて、ぐわぁ~っと心を持っていかれるスポットに陥る瞬間があれば自分の集中力もイケているな、と思うのですがこの日の夜は疲れすぎていてダメでしたね(苦笑)火曜日だからまだ疲れも来てないと思っていたけれど。あと劇場があまりにも暗いと特に私の場合、修行が足らんので(汗)一番いいところで、多分・・・目、瞑った・・・な、うん、瞑った気がする(数十秒)例えばこう、眠くなるナンバーワンという噂高き「井筒」・・・とか何か回想に耽って舞う美しい姿を見ながら心地よくなってウトウトするのと違って非常に悔しい~(泣)気を取りなおしてまた能を見に行く。今年に入って初めての能であったのに・・反省なのでござるよ。【2】能楽現在形 劇場版@世田谷「鐵輪」 一噌幸弘+野村萬斎+亀井広忠へ続くトップページへ戻る
2007年05月20日
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【1】第二回 ざゞん座-水道橋にて-はこちらから第二回 ざゞん座於:宝生能楽堂平成19年5月12日(水)午後2時00分開演番組表(敬称略)解説 高野和憲◇宗論浄土僧 深田博治法華僧 野村萬斎宿 屋 野村万之介後 見 野村万作◇隠狸太郎冠者 竹山悠樹主 破石晋照後 見 野村萬斎◇千切木太 郎 高野和憲妻 月崎晴夫当 屋 石田幸雄太郎冠者 野村遼太立 衆 深田博治 〃 竹山悠樹 〃 破石晋照 〃 時田光洋 〃 岡聡史後見 野村万作和泉流狂言「隠狸」あらすじはこちら過去の野村萬斎さん解説の公演レポート(参考)はこちら【感想】直前まであまり番組表を見てなくて、3人のシテおよび法華僧が楽しみな宗論に気を取られてたというのもあるのだけれどわたしゃ、てっきり主は万作さんだとばかり(爆)破石さんでした。立衆や参詣人、というような役は拝見していたものの、こうしっかりとした役がついた舞台を観たのは初めてです。竹山さんは、二人袴のシテは拝見していましたが太郎冠者(シテ)はこれもまたお初です。前に観た公演は「太郎冠者(シテ)野村萬斎/主(アド)高野和憲」という番組表でした。もうなんか、このお二人は息も合っていてまさにベストパートナー。和泉流専有曲で、しかもよくかかる曲だけにとても練れた感じがして太郎冠者@萬斎さんの酔いぶりと、そんな太郎冠者の尻尾を掴まんとする主人@高野さんの闘志がチョロチョロと垣間見れ、駆け引きの妙も楽しめました。ただ狂言小舞がてんこ盛りなので、見所にとっては「みどころ満載」ですが演者にとっては結構大変な曲ですよね。竹山さん、淡々としっかりこなしていて、でも何かちょっとドキドキした心持で舞台を見守っていました(笑)ちょうど市場で主人に見つかって、持っていた狸を後ろに隠しながら酒を振舞われ、次第に酔いが回って小舞などをしているうちついに見つかってしまうわけですが、ちょうど御酒を飲むところが私の席からは・・・目付け柱にやられて見えず、主人に注目するより他になかったので、こればっかりは残念でしたが座席を怨むわけにもいきません(苦笑)うん、この太郎冠者が萬斎さんならば発狂モノであったであろうよ←おいっ破石さんはニコヤカな裏の無い感じで御酒を勧め、これもまた淡々とした様子が「何を企んでいるのかわからない」と見ようによっては見えるのですが、まだ若く爽やかさがあるので、そこまでの伝わりはなかったように思います。以前に観た高野さんとどうしても比較してしまうのですが、彼の場合はもう「ヤツの尻尾捕まえちゃるっ」やる気満々で、お酒を勧めるときにもジトーーーーーーーっと様子を伺うところが何とも「不敵な企み」を感じさせ、太郎冠者が返盃をしようとしても「身共は手酌がよい(ふんっ)」と頑なな様子が天真爛漫な太郎冠者のキャラと対比してバランスのよい感覚だったんですね。このとき、すごく高野さんの主が上手だなぁと感じたものですから「二人とも淡々」として感覚としては小さな「駆け引き」なんですが、あまり感じられなかったのは残念なところ。これからもまたどういう変貌を遂げるお二人なのか楽しみです。破石さんの声は非常に能楽堂の屋根や鏡板に反響して響いてきます。「兎」「花の袖」「鵜飼」という狂言小舞があって、竹山さんも随分頑張っていました。終盤の「鵜飼」での連れ舞いは・・・・・・・・・・・・・ううううう・・・ん。破石さんの声のほうが目立ってしまい、ゆえに存在感も太郎冠者より主となってしまい、かつ声質が違うからなのか、ちょっと歯がゆくなってしまう「ズレ」を体感し、やや胸がざわついた(苦笑)太郎冠者にとっては本当に最後の最後は体力的にも消耗してしまうところだと思うので、やや声が出ずに苦しそうな状態になってしまって大変そうだなぁと心配に。。。何か不穏なオーラを感じる、なぜだ?と思えば・・これは後見にいらっしゃる萬斎先生の厳しい表情。。。あわわわわわ。。。。。。。。(ノ゜◇゜)ノこれまたスリルとサスペンスな感じで。。。といいながら、アンニュイに葛桶を片付ける黒紋付姿の麗しき後見に見惚れてしまう愚かな自分なのでござるよ・・・↑これを書くとエラソーに感想を語る資格なし状態なのだけれど(爆) 和泉流狂言「千切木」あらすじはこちら過去の野村萬斎さん解説の公演レポート(参考)はこちら【感想】ココまで書いて気付いたのですが。不思議なことに・・・この公演3曲とも「野村萬斎による解説」を受けているんですねぇ(笑)結構珍しいことです。過去は「太郎(シテ)野村萬斎/当屋(アド)野村万之介/妻(アド)高野和憲」でした。これ、なんだか想像付きそうですよね(笑)今回は美男鬘をつけている役が多いのですが~、夫役。そして妻が月崎さん。「結構レアですよ」という月崎さんのビナン姿。そうだっけ?と思うのは「髭櫓の立衆」で観たり、「六人僧の妻」でも観たからかなぁ( ̄∀ ̄)レアなんだとちょっと満足(笑)高野さんのビナン姿は万作家でも声質もぴったりなのかどうか、特に板について可愛いのだけれど、月崎さんも非常に小柄で、女性らしいし結構勤めておられるのかと思っていましたよ。高野さんの太郎はちょっと「お聟さん」みたいな初々しさがありますね(笑)この二人の夫婦、なかなかお似合いでしたよ。連歌仲間に入れてもらえなくて、乗り込んで行ったわいいけれど、いつもの悪い癖で減らず口を叩き、踏んづけられてしまう太郎さん。目を回しているところに駆けつけて起こすときの、グッタリ感がこれくすぐるくらいに可愛い聟さんだ。連歌仲間に疎まれてしまう小憎らしさでは、ブラックまんさい太郎(爆)にはまだ及ばない感じはしちゃうのですが、天真爛漫さが逆に妻から見てほうっておけない夫に思えてしまうのでしょうね。最初の2曲、なんだか非常に緊張感を持って舞台を凝視していて疲れたのか、最後の「千切木」は安堵感が心身に満ち足りて・・・途中「ふっ・・」と意識が遠のきそうでしたが(おい)、万作さんの怖ろしい睨みもなく愛らしき二人の復讐劇は「夫婦愛」もほんのり感じられ締めの演目としてはとても心地よい笑いのもと終演を迎えました。1週間経過しちゃいましたが、充実感のある公演で普段はお会いできないお友達にもご挨拶叶い嬉しい1日でした。帰りは思わず「クィッ」とチュウハイなどを飲み(笑)喋り捲って満足な疲労感の後に帰宅したのでありました。次は、能楽現在形@劇場版「鉄輪」ちょぃとお疲れ状態のまま向かった公演で(言い訳か)・・・感想のほうは自信がありませぬ(爆)ポストトークで面白いお話がいっぱいあったので、ほぼ記憶が薄れかかっているものの次のエントリーで書きたいと思っています。トップページへ戻る
2007年05月19日
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第二回 ざゞん座於:宝生能楽堂平成19年5月12日(水)午後2時00分開演番組表(敬称略)解説 高野和憲◇宗論浄土僧 深田博治法華僧 野村萬斎宿 屋 野村万之介後 見 野村万作◇隠狸太郎冠者 竹山悠樹主 破石晋照後 見 野村萬斎◇千切木太 郎 高野和憲妻 月崎晴夫当 屋 石田幸雄太郎冠者 野村遼太立 衆 深田博治 〃 竹山悠樹 〃 破石晋照 〃 時田光洋 〃 岡聡史後見 野村万作【解説】高野さん。いつもより2倍増しのニコニコ笑顔。滑らかな口調でトークも立て板に水・・と言いながら「メモを見させて頂きますね」と生真面目な一面を。第一回は矢来能楽堂でチケットが足りなくなるという盛況ぶり。二回目はキャパの大きな宝生能楽堂でやらせていただくことになりました、と言うと会場からは大きな拍手があがりました。確かに座席はほぼ満席。空席はあまり見当たらなかったなぁ。このざゞん座では、深田さん、高野さん、竹山さん、月崎さんなどなど、万作家門下若手狂言師が主宰ですが、普段はやらないような裏方の仕事も経験しているそうです。お弁当の手配、チラシの印刷発注、チケット売り。お弁当にも色々な種類(格)があって、はてさて、師や先輩たちはご満足されたのでしょうか(笑)チケットについては「ワタクシも20枚くらい売りました」と( ̄∀ ̄)解説については「いらして頂いている皆さんは何度も観に来てくださっていると思うので、あらすじ解説は致しません」ときっぱり(笑)ざゞん座のネーミング由来を話し、酌謡を披露。良い声を聞かせてくれましたよ。メモを広げつつ7月七夕にセルリアンタワー能楽堂で催されるワークショップの宣伝もしっかりとし←赤字で書いてきたそうな(笑)何だかよく観る「緊張気味」な解説たかのんはどこへやら?!「いつも先輩の石田幸雄は【狂言にはスリルとサスペンスはありません】と解説で話すのですが、ある意味今日はスリルとサスペンスです」←会場爆笑他にも時間を気にしつつ、万作家門下「ざゞん座メインメンバー」の紹介がありました。深田さんは国立能楽堂研修生の同期で自分の6つ上?の39歳だ、とか月崎さんは「よんじゅう、、うん歳」だとか←歳の話ばかり竹山さんはお母さんが習っていた狂言(カルチャースクールかな)に来ていてやり始め、靱猿もやっているんです、とかたくさん話していましたね~竹山さんに至っては「鍼灸師です。鍼灸師っていっても鍼とか灸のですよ。打ってもらいたい人は是非」と宣伝してみたり(笑)でも、「鍼とか灸以外の鍼灸師」ってなんです?と突っ込みたい気持ちに駆られながら解説は終わってしまいました(笑)和泉流狂言「宗論」あらすじはこちら過去の野村萬斎さん解説の公演レポート(参考)はこちら非常に好きな狂言です。数多く観たこともないのですが不思議とこの曲から感じ取る風刺性や自分自身の思い入れが強く上記リンクにある過去に書いたレポートもいつになくかなり力が入りまくりです(笑)というより、1年前の自分と現在。記憶力が目に見えて衰えたことを感じさせる(汗)ま、それはいいとして。シテの浄土僧が剛のイメージが強い深田さん。逆に柔な演技が多く観られる萬斎さんはアドの法華僧です。このキャスティングだけでもワクワクするような組み合わせです。登場は「次第(謡)」から入るので、能がかり。重厚で徳の高いお坊さんかと思えば、実に「馬鹿らしい宗論を繰り広げるライバル同志(笑)」のふたり。法華僧が先に登場するのですが笠を取ると頭巾があまりにも「キンキラキン」(笑)思わず過去に聞いた「頭巾を被っているのは"つるっぱげ"ということです」という解説を思い出し、意味もなくニヤけてしまう自分←可笑しなところに笑うツボがあるライバル宗派の法華僧と知った浄土僧(深田さん)は、「ちょっとなぶってやろう」という小意地の悪い部分を出すようなところ、人の良さそうな雰囲気がなかなか「萬斎風」なブラック感は出ないようですが、これが深田さんのお茶目さ、浄土僧の可愛らしさでしょうね。法華僧も道行き共に歩いていた僧が憎き、今をときめく人気の宗派と知り(笑)どうにか巻いてしまおうとするのですが、なついてしまった浄土僧に付きまとわれ非常に迷惑そう( ̄∀ ̄)お互いの数珠を「法然上人、または日蓮上人から賜ったありがたい代物。くれてやるから改宗しろ」と言い合う辺りが面白い浄土僧が数珠で法華僧の笠に擦りつけ、豪快に笑っている側で法華僧は自分の数珠で笠をグルグルとなぞって清めるところ(笑)前に石田さんで拝見したときにも面白くて笑ってしまいましたが、萬斎さんの「グルグル」は派手だ~(笑)石田さんの法華僧は屈強なガンコさが目立ち、高野さんが演じた法華僧はシャレの通じない生真面目さが際立ち、双方とも違う雰囲気の法華僧だったという感想を聞いたり観たりしていたので、萬斎さんの法華僧はどんなものか興味津々でした。「浄土僧は柔らかく、法華僧はかたく演じるようにしている」という解説を聞いていましたが、萬斎さんの法華僧は割りとお茶目さ(柔)がにじみ出ていたように思います。他の演劇では、個性にあったキャラクターを割り当てられることが多いのでしょうが、狂言は全ての役をこなさなければならない演劇。役者にとっては大変でも、これが観る側にとってみれば醍醐味と楽しさですね。私的には、「草書ような柔らかい浄土僧」「楷書のようなオカタイ法華僧」が念頭にありすぎて、イメージ的には逆のお二人がどう演じるかが楽しみでなりませんでした。深田さんは忠実にしっかりと愛らしい浄土僧を演じていましたが、対する法華僧はやや草書の芸に近い(いわば、今まで随分とこなしてきて慣れた)感が溢れているように感じました。オーラを隠し、アドとして脇役に徹しシテを際立たせるか浄土僧と法華僧 主役(シテ)のダブルキャストとなるか今回は後者のダブルキャストのようでしたね。前者のような宗論を期待していた人には「あれ?」と思ったかもしれませんね。私も観終った後に「おやおや~?」と思っていましたから(笑)ぶっちゃけ「もうちょっと手ぇ抜いてもよいのではなかろうか~?>法華僧」とか、「シテを食っちゃいましたね>法華僧」などという生意気な感想を持っていましたが、、1週間近く経過した今は「狂言の奥深さ」に唸るのみ。もしかしてシテがどのような役者であるかによって変えたりもするのかな?とかこれが万作さんのようなベテラン浄土僧だと法華僧の萬斎さんはどんなふうに対峙することになるのだろうか?とか。深田さんがシテを勤められるときと一緒のテンションにはならないのかな?とか。相手によってシテもアドも演じ方は等間隔の拍子ではないのかもなぁとか。どうなんだろう・・アドとはいえ法華僧も準主役級の個性を持ったキャラクター。どう演じるかって、サジ加減一つで大きく舞台を変えてしまう難しさがありそうです。これが無布施経だと、アドの施主は個性が出しにくいキャラだったりするし・・・シテばかりに注目しすぎていて(ミーハーですから・苦笑)アドの深みを考えたことはなかったなぁ。。この辺り、もう一回くらいは宗論を観てみないと(笑)願わくば、浄土僧@万作さんVS法華僧@萬斎さんという組み合わせで観られる機会を逃したくはないものです。師匠である万作さんに装束の相談から、選曲、配役を決めてもらっているのでしょうが、宗論のアドとして萬斎さんを充てたのは、若手を育てるアドの演じ方を工夫する意図があったりするのかなぁなどと無駄な深読みまでしています(笑)(後見の万作さん・・・超怖い顔してたし・・・)↑まさにスリルとサスペンス(爆)最後はお互いに踊念仏となって、"仏も弥陀も隔てはあらじ"という答えに行き着き、謡を謡って終わりますがここのパートは長丁場に多少深田さんがお疲れのようにも見え、ふとした迷いの空気も多少感じられ(法華僧の高いテンションのせいか??!爆)、法華僧に引っ張られるような感じになっていましたが、初役でここまでこなせてしまう深田さん、やっぱり将来の万作家の期待の星だなぁと思ったのでした。節分もやってるし、宗論(浄土僧)という難しい役もやったし、次はなんだろう~。頑張って~深田さん。・・・長いっ!(話が・汗)ハッ!Σ(・∇・) 大好きな狂言10本指に入る思いいれの強い「宗論」ゆえ~、一曲で随分と長い感想をだらだら書きました(苦笑)生意気もたくさんこきまして・・・すみませんです、はい~(→ω←)あとは、ざゞん座の続きで「隠狸」と「千切木」能楽現在形@劇場版「鐵輪」&ポストトーク。【2】第二回 ざゞん座-水道橋にて-へジャンプトップページへ戻る
2007年05月17日
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世田谷パブリック・シアター開場10周年記念プログラム『翁・三番叟』◎平成19年4月6日(金) 午後7時開演『靭猿』大名 野村万之介 / 猿曳 野村萬斎 / 太郎冠者 石田幸雄 / 子猿 野村裕基もう1ヶ月経過しちゃいました(汗)もはやレポもへったくれもないので、残しておきたい感想と愚談のみです(>ω<)/。・゜゜・【1】世田谷パブリックシアター開場10周年記念『翁・三番叟』 はこちら今よりも、狂言と言うものすらよく知らないとき万作家「親子三代の初舞台」ドキュメンタリー番組や狂言に関する著書を見て何度となく「猿にはじまり 狐におわる」というフレーズを耳にしてましたが…「えええぇぇ!!(゜ロ゜ノ)ノ今さら?」と言うくらい観るチャンスを逃しまくりでした。なんででしょうねぇ…。元は野村万作さんの時代にも「違いの分かる」コーヒーメーカーのCMにはじまり、近年ではあぐりのエイスケ、陰陽師ブームで火がついた野村萬斎人気と共に、関西では茂山家若手狂言師の活躍ぶりから、狂言も大フィーバーでした。←バブル期参入のひとり(笑)特に「靭猿」は上記のようなドキュメンタリー番組の影響も手伝って、万作家のチケットは軒並みSOLD OUT。今考えるとオークションなどでは病的な値がついたりして、とても無理してまで「靭猿」とは思えず何だかんだ今になってしまったという感じ。そうこうしてるうちに万作家の将来を担う子猿ちゃん(野村裕基くん)は大きくなっちゃうし…。もう観られなくなるかも…。三年後は妹君にバトンタッチだろうし(爆)これは「ここらでもう行っておかにゃあ」と 思い立って仕事を振り切り行くことにしたのでした(^ー^)前置き長いですね…(^o^ゞ「さぁーさぁーいけいけ」「きゃーきゃーきゃーきゃー」世田谷パブリックシアターの橋掛りを萬斎親子が出てきたときには胸がワクワクしました。靭にかけるため、猿曳き(野村萬斎さん)の連れている子猿(野村裕基くん)の皮を所望し殺させようとする傲慢な大名(野村万之介さん)とその従者 太郎冠者(石田幸雄さん)台詞もなくひたすら体についたノミを食べたり、ゴロゴロしたりする型に忙しい子猿役の裕基くんはもう慣れたもので、全てをそつなくこなしてました。猿曳きと大名を仲介して交渉するのが太郎冠者の役目。互いの言い分を伝えているところで笑いが起こるのはちょっと驚きました。 面白いのかな(笑)弓矢を持って脅す大名に、可愛い子猿をついに殺すことを承諾する猿曳き。己の運命を子猿に言い聞かせるうち、いつもの稽古だと思った子猿は健気に芸を始めます。それを見た猿曳きは「やはり殺すことはできませぬ」と涙を流します。泣くと言っても狂言の型どおりなので「えへ…えへ…えーんえーん」と言ったものですから、通常ならば滑稽な泣き姿に笑ってしまうところ。しかし、この靭猿の前半はちょっとした「スリルとサスペンス」…ほどではないですが、かなり劇的な展開を繰り広げています。なのでつい深刻に感情移入をしてしまうんですよね。感じ方は人それぞれですが、この日の観客はよく笑っていたような気がしますね。この猿曳きが泣き出すシーンにも笑いが。 つい泣きそうだった涙が少しひっこんだことから観劇は舞台上の演者だけでなく、観客(見所)の反応も俄に空気や緊張感を左右するんだなぁと実感した夜でした。健気に芸をする子猿の姿に心を打たれ、命を助けることを決めた大名@万之介さん。役どころとしては前半に権威を振りかざす怖い存在ではあるものの、万之介さんが演じるとそれほど脅威を感じませんね(笑)きっと思ったことをつい口にしてしまう、ちょっと浅はかで出世する気配のない狂言らしい大名に思われます(笑)子猿の愛らしさを除いて、ユーモラスさの濃い靭猿前半という印象はシテの大名演じる万之介さんの持ち味なのかもしれません。…と思い付いたら納得(笑)命を助けられたお礼に芸を披露する子猿。浮く型もしっかりして、ピッと伸びる美しい子猿の舞姿は七歳にしてすでに芸歴四年の完成された型。長い台詞のある狂言もこなすくらいですから当然と言えば当然ですが、ドキュメンタリーで観たような、たどたどしさはもうないですね(笑)後ろで謡いながら子猿の裕基くんを見つめる萬斎さんの視線は厳しい表情のように思えましたが、この日の出来はいかほどだったんでしょうね~後半は和やかに子猿と大名が猿曳きの謡いに合わせて舞い戯れます。クライマックスは和解しておめでたく終わる曲の特徴「ガッシ留め」で終わります。万作さんのような強固な足腰ではないと、なかなかツラい型の連続ですが、万之介さんのほのぼのさが、思わず見所を笑顔にしてしまう力があります。 猿曳き・萬斎さんは殆んど座ったまま、あまり動きませんが(笑)謡いの声は艶やかに世田谷パブリックシアターの天井に届いて心地好かったこと(*´ー`*)あれだけの声量を発散するのでエネルギーはかなり消費するのでしょうか。白い頬がだんだんと紅潮していく表情が美しくて思わず見惚れました(笑)←相変わらずドコ見てんだ子猿に傘と着物を着せてやる猿曳きパパ、身ごしらえを整えながら何か小さな声で子猿裕基くんに話しかけてました。何を話しているのかなぁ~…と気になったりして…。靭猿。次は、他家のも観たい…。出来たら茂山さんち。正邦さんのとこの双子ちゃんがあと1~2年で見られるかなぁと楽しみです(^人^)あー、観たい狂言たくさん(笑)
2007年05月05日
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世田谷パブリック・シアター開場10周年記念プログラム『翁・三番叟』◎平成19年4月6日(金) 午後7時開演【番組表】敬称略・順不同『翁・三番叟』二日之式 烏帽子之祝儀翁 梅若六郎/三番叟 野村万作/千歳 梅若慎太朗/面箱 高野和憲大鼓 亀井広忠/小鼓頭取 大倉源次郎/脇鼓 清水晧祐/脇鼓 田辺恭資/笛 一噌幸弘『靭猿』大名 野村万之介/猿曳 野村萬斎/太郎冠者 石田幸雄/子猿 野村裕基地謡・後見略◆翁・三番叟天下泰平国土安穏を祈り五穀豊穣を寿ぐ神聖な儀式。今回は、日賀寿(ひかず)能という形式に則り、4日間は日毎に演式や詞章が異なる貴重な舞台。※観世流翁の初日・二日・三日・四日之式というものは、勧進能の各日の冒頭で演じられる、翁の演式を日毎に変化させるという室町時代の故実に基づく異式演出。参考・公演パンフレット【感想】翁・三番叟。野村万作さんの三番叟は2年半ぶり。歌舞伎座のあの時は豆粒三番叟で…確かに感動はしたのですがf(^ー^;初めて翁から観たから…という印象が強いのかなぁ。翁・三番叟と言えば、忘れられないのはその後、昨年2月の『式能』です。翁の大夫は観世銕之丞さんで、三番叟は野村萬斎さんでした。『不惑の三番叟』などと。。おちゃらけレポしか残せていないので信憑性がないのですが(>ω<)/。・゜゜・あれは…観た後の興奮、高揚感は1年経った今も鮮烈です。能楽鑑賞歴が短い私レベルが評価を付けることなど、すごーく生意気ですが、今後あの『翁・三番叟』を越える感動が得られるのか…と思うほどに強烈なインパクトを与えられた1日なのでした。。『あ、違う…』と新たな記憶の上書きが怖くて、次の翁・三番叟の鑑賞に慎重さを持ってしまうような、人から聞いたらピンとこないような理由で二の足を踏んでいた状態なのです。はは( ̄▽ ̄;)我ながら、生意気ですね、すいません開場10周年記念プログラムという劇場公演。日賀寿(ひかず)能とはなんぞ?というほど、現代ではあまり見られない形式です。4日連続で翁・三番叟を観られることもなかなかないですもんね。昔は毎日同じ演出だと飽きてしまうので、こういった日毎の演出を変化させて上演されていたとか。舞台は狂言劇場と同じく第2、第3の橋掛リが出現。厳かに面箱、翁、千歳、三番叟、囃子方、地謡、後見が入場します。全ての方々が烏帽子に素襖裃。正装でズラリと並んだ舞台を眺めていると壮観です(^ー^)亀井広忠さん、何かお痩せになってかっこよくなられました。↑ミーハー拭えず室町時代の故実に基づく演出なのだそうで、ちょうど『花の乱』再放送中であり能楽シーンも多く出てくることから、花の御所にトリップした気分になりました。御所さまや御台さま…はたまた勝元さまもこんな感じで翁を楽しんだのかしらん…などと(笑)目立った舞台上の演出はこのくらい。スクリーンもないし(爆)客電が暗くなり照明は舞台を照らす程度。大夫の梅若六郎さん。鵺で初めて拝見したオーラ。今回も期待通り、発してましたねぇ。声がいいです(^ー^)千歳は梅若慎太朗さん。噂通りのイケメンです(≧m≦)千歳の舞は露払い的な清々しい舞。目を、見張りました。三番叟。いよいよ万作さんです。『おおさえ、おおさえ、よろこびありや~よろこびありや~』年齢を感じさせない足拍子。イイ感じに力が抜けて、観ていて実に心地好いリズムが世田谷パブリックシアターの能舞台に響き渡りました。烏飛びは後ろ向き二回、正面向いて三回という最近観た揉の段とは違ってました。問答。烏帽子之祝儀という特殊演出付き。厳粛なのかと思えば、三番叟が面箱に『ねぇねぇ、翁の大夫が被ってた烏帽子は何てぇの?囃子方の烏帽子は何?』と問うもの(笑)立烏帽子に折烏帽子だよと教えると納得して鈴を持ち『鈴の段』を舞始めるという(笑)↑簡単に説明しすぎ( ̄▽ ̄:) 翁・三番叟の一連の中の問答で客席から笑いが起こるのは珍しいことです。聞いた話によれば野村萬斎さんが勤めた三日之式の『子宝』は、三番叟が超子沢山だという設定で、10人くらいいるとか(笑)通常、よく観るのは四日之式『三上山』なのだそうです。各日、珍しくて全部観れたら一番良いのでしょうがなかなか時間とお金が持ちませんからね(>ω<)/。・゜゜・鈴の段は私の好きな面返りの型を間近に見られて『ほ~(〃´o`)=3』となりました。一連の型が途切れることなくサラサラと流れるように美しく続き、あっという間に終わってしまった気がします。そして、親子だから当然と言えば当然なのですが・・・式能で素晴らしいと感じた萬斎さんの三番叟にオーバーラップし同じDNAを感じたのでした。短めに…と思いながら靭猿まで一気に行けませんでした(^o^;)見所いっぱいで、良い舞台でしたから(^ー^)次は今頃初見の靭猿。「花の乱」勝元日記に現を抜かし、久々の能狂言鑑賞日記です。かれこれ2週間も経過しちゃいましたが・・・。やっぱり感想はホットなときに書かねばいけませんね~。パソコンに向かい、体裁や豆覚書を整えてからと思っていましたが今後は拘らずケータイからでも早めに感想を書けたらいいなぁ。。。
2007年04月21日
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過去ログの【1】」-第12回狂言の世界-有楽町朝日ホール-はこちらから。万作の会 第12回 狂言の世界於:有楽町朝日ホール平成19年1月31日(水)午後7時00分開演番組表(敬称略)解説 野村萬斎素囃子「神舞」 大 鼓 :柿原弘和 小 鼓 :観世新九郎 太 鼓 :観世元伯 笛 :藤田次郎狂言「鍋八撥」 鍋売り :野村万作 羯鼓売り:月崎晴夫 目 代 :石田幸雄 後 見 :高野和憲狂言「仏師」 すっぱ :野村万之介 田舎者 :深田博治 後 見 :岡聡史狂言「田植」 神 主 :野村萬斎 早乙女 :石田幸雄 深田博治 高野和憲 月崎晴夫 竹山悠樹 後 見 :野村良乍和泉流狂言「仏師ぶっし」【登場人物】シテ すっぱアド 田舎者【あらすじ】田舎者が建立したお堂に安置する仏像を作ってもらうため、都へ買いに来た。どこへ行けば良いか分からない田舎者は仏師はおらんか、と呼びながら歩く。それを聞き付けたすっぱ(詐欺師)は「身共が真仏師じゃ」と現れる。交渉成立。等身大の仏像を作り、明日の今頃に渡すと約束。当然、仏像なんて彫ったこともないすっぱは自ら面を被り仏像に成りすます。田舎者は、翌日に指定された場所に行ってみると印相(印を結んだ形)が気に入らないと仏師に修正を依頼する。慌てて仏像の面を脱いで裏から回り、田舎者の目の前に現れて、注文を聞く。印相を変えて元の場所に戻ってみるが、田舎者は諾とは言わず。何度も注文を受けて裏を往き来するうちに、わけがわからなくなり正体がバレる。【覚え書きと解説】『六地蔵』や『仁王』と似ています。すっぱ物なので、いつもながら「すっぱとは何か」と言う解説から。キャッチセールスみたいなもんですかねぇ…だったかなf(^ー^;何度か聞いた解説とごちゃ混ぜです(苦笑)萬斎さん「よく地方なんかに行くとねぇ、お姉さんが『オニイサン』なんて親しげに近寄ってきて話しかけてきたりしますねぇ。やたらと寒そうな格好してますけれどねぇ(笑)」お姉さんがやたらと寒そう…(笑)を幾度か繰り返し、「そういうお店」であることを強調(笑)ウケ狙いと知りつつも笑ってしまう愚かなワタクシでござる。本当、このネタ(ネタって・・解説だって)も何度か聞いたなぁ(o^ O^)シ彡☆←しかも何度も書いたさて。台詞の中に「運慶(うんけい)、湛慶(たんけい)、安阿弥(あんなみ)」の流れを組む…と出てきますが、鎌倉時代に活躍した仏師です。萬斎さん「仏師の名前は教科書で習ったことがあると思いますが…わたくしも野村家300年の流れを汲むものと言えば、少しは信頼がつくでしょうか」習ったことすら憶えてない私・・・(汗)【感想】久々の万之介さん。思ったよりも元気そうで安心しました。昨年のござる乃座「釣狐」での末広かりのシテでは少し足元がふらついて心配でしたが、顔艶もよくてさらに元気になったみたい(^ー^)六地蔵なんかとは台詞も酷似してるので、逆に途中で間違ってしまうことはないのかなぁと思ったりします(笑)気付いたら展開が「仏師→六地蔵になってた!!汗」みたいな(笑)←ないって?!吉祥天女像を依頼したのに仁王像のような勇ましい印だったり、田舎者のリクエストに応えて印相を直す度に仏像らしさから掛け離れていくし(笑)またトボけた姿が最高に面白くて、とにかくよく笑える。六地蔵は「集団詐欺師」(笑)でドタバタしてますが、仁王や仏師は「単独犯」。私はシンプルでじっくりシテの演技が観られるこちらのほうが好きですね。◇参考文献◇狂言鑑賞二百一番【徒然】お雛様も終わり、3月4日。久々の更新です。春めいてきました。花粉もよく飛んで…( ̄▽ ̄;)手元チケット0を回避し、4月に世田谷パブリックシアターの「翁・三番叟」を取りました。やっとこさ、靭猿にありつけた(笑)狐は観たのに生舞台のお猿さんがまだなんですよね。三番叟は万作さんで、以前は歌舞伎座の非常に遠い…豆粒のような三階席からだったので楽しみです(。-∀-)萬斎さんの三番叟も観たいのだけど…昨年に観た式能の三番叟が鮮烈なインパクトだったがために、今の記憶にホール公演の三番叟を上書きする気持ちになれないのだなぁ…もったいなくて…。いや、あの日の印象を超える三番叟を今もやってしまうのだろうと思うんだけど…あの日は翁も素晴らしくて。ちと某囃子方に気をとられるのではと心配でしたが(爆)心づもりがあって気にならなかったから(笑)まぁそんなこと徒然はヨシとして、7時にSepTまで遅れずに行かなければ劇場に入れてもらえない。平日で仕事帰りなのでドキドキ・・・。最近…能楽鑑賞に一万円も掛けてなかったので…久々の奮発です(笑)萬斎インセルリアンタワー以来かなぁ…(爆)国立能楽堂の定例・普及公演なんかの最安値(中正面2600円~)に慣れるとねぇ…(笑)新宿は3500円だし、市川は5000円。能楽師さんたちにすれば、儲からない公演ばかりですな(笑)あ、今年に入ってまだ能を観てない。やっぱり能も観たくなる。しっとりした気分もいいもんだから(^ー^)ただし花粉症の薬を飲んでいる私は爆睡の危険性大だ…( ̄▽ ̄;)今も眠い(´д⊂)‥次はもうさらに記憶がなくなっている「田植」能「賀茂」の替間です( ̄∀ ̄)書いているころ、3月が終わるかもしれないけれど・・(汗)トップページへ戻る
2007年03月04日
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万作の会 第12回 狂言の世界於:有楽町朝日ホール平成19年1月31日(水)午後7時00分開演番組表(敬称略)解説 野村萬斎素囃子「神舞」 大 鼓 :柿原弘和 小 鼓 :観世新九郎 太 鼓 :観世元伯 笛 :藤田次郎狂言「鍋八撥」 鍋売り :野村万作 羯鼓売り:月崎晴夫 目 代 :石田幸雄 後 見 :高野和憲狂言「仏師」 すっぱ :野村万之介 田舎者 :深田博治 後 見 :岡聡史狂言「田植」 神 主 :野村萬斎 早乙女 :石田幸雄 深田博治 高野和憲 月崎晴夫 竹山悠樹 後 見 :野村良乍【解説】ここのホールの解説は毎年萬斎さんが勤めているようですが、3年連続観ています( ̄∀ ̄)ニヤリさて。。解説。黒紋付姿で登場して・・・ご挨拶して。「ここは立地条件もよくて。いいですね、会社帰りに狂言観て帰る。私なんかは仕事が終わってもここで映画観て帰るくらいしかないですからねぇ。・・・ショータイムなんかはやってるかもしれないけれど・・・こちらのお客さんはあまり知らないかな」・・・みたいなことを言っていたような気がする。デフォルメありすぎかもしれないけど( ̄▽ ̄:) ←人の記憶ってこんなものさすがに1/31(水)の夜の出来事。現在2/25(日)なので日が経ちすぎですね(-ω-;)むぅ・・激しく記憶喪失になってしまったので。帰宅直後に書いた掲示板の内容をコピペします←手抜きにもホドがあるじゃろー(苦笑)◇以下。公演当日 萬華鏡BBSの過去ログ。一度読まれた方、重複していますがご許されませ~「田植」は、能「賀茂」の替間で大蔵流だと…「御田(おんだ)」かな…?結構、普及公演系では珍しいですよね。私は「賀茂」はまだ観たことありませんが…、解説にて「女性が濯ぎものか何かをしているときに白い矢が流れてきただけで、なぜかご懐妊してしまうんですね…!(笑)」その子供が雷の神様に育ってしまうという恐ろしい話ですねぇ、とこれがやたら「白い矢」に拘る萬斎さん(笑)矢が「泳いできて…尻尾でもついてるんでしょうかねぇ」…つまり矢は男性、つまり受胎を表す暗喩なのでしょうが身振りでニョロニョロと蛙の子が泳ぐ様を表現(笑)ズバリ言いませんが、想像せよ、という感じでしょうね( ̄∀ ̄)こんな解説のサービス補足を付けるのは万作家ただひとり?萬斎流解説?サラリと流せないとこがまた(* ̄m ̄)←アンタもねこんな飛ばした解説はご愛敬。でもこんな"シモネーター"ばかりではありませんよ(笑)ほかにもおもしろいことを話して会場の笑いを取ってましたが時折かすっておりました(苦笑)「田植」は解説のとおりミュージカルですね。でも狂言らしい愛敬もあって、萬斎さんの美声により謡と舞が最高でした。・・・と、今思えば、これくらいしか掲示板には書いてませんでした(汗)って。私がシモネーターばっかじゃんっ(汗)許されよ・・・(解説箇所レポおわり)←おいあとは、曲ごとにあらすじを書きながら思い出した解説を記録します(⌒◇⌒)ノ和泉流狂言「鍋八撥なべやつばち」◇登場人物 シテ 鍋売り アド 鞨鼓売り アド 目代【あらすじ】所の目代が新しく市場を立てるので、一番最初に店についた者を、その市場の代表(市司いちのつかさ)とする高札を出した。市場の代表になると、当然商品を一番良い場所に置くことが出来るほか、色々な免除がされるというので当然誰しもその座につきたいものです。 夜明け前、鞨鼓売りは1番のりを果たします。まだ朝までには時間があるので、そこで一寝入りしていると、一足遅れた浅鍋売りがやってきました。「ややっ!!先を越された!」でも都合のいい事に相手は眠りこけている。抜き足差し足忍び足・・・。一番乗りのフリをして鞨鼓売りの前に陣取りをし眠り始める。1番のりをした鞨鼓売りは目を覚ましてビックリ仰天。自分こそが一番である、と諍いになる。目代が現れ仲裁に入るも、お互い一歩も譲らず。それでは、と目代は二人が勝負をして勝っている方に市司にしよう、と提案。では棒を振って見せましょう。と鞨鼓売りが鞨鼓を括りつけていた棒を勇ましく振る。さて次は鍋売り。・・といわれても棒がない。「棒を貸してくだされ」とお願いするも、「自分の持ち物でせい」と言われ已む無く「浅鍋」を振り回す。そして鞨鼓売りが鞨鼓を打ちながら舞う。撥のない鍋売りが、鞨鼓を借りようとしてもやはり「自分の持ち物でせい」と言われ、仕方なく「浅鍋」を胴に括りつけて舞おうとする。鞨鼓売り「それではこの撥だけでも貸してやろう( ̄∀ ̄)ニヤリ」鍋売り「おお、ありがたい」・・・撥で鍋を打とうとしたところ・・・。。。。。。。。(ノ゜◇゜)ノ あっ!!割れるわざと意地悪をする鞨鼓売りに悔しさ隠せない鍋売りだが、懸命に応戦する。身軽な鞨鼓売りが囃子に合わせて身軽に水車返り(側転)をしながら舞い興じる。負けじ、と鍋売りも真似をしてみるが、どうも恰好よくいかない。そのうち、胴に括りつけた浅鍋を下敷きにして割ってしまい「数が増えてめでたい」と終わる。【感想】鞨鼓売りの万作さん。抜き足差し足でズル込みをする姿がなんとも言えず面白い(笑)最近、若干髪の毛の色がさらに白くなった、そんな気がするのですが。むしろより老年の姿が、そういったズルをやり果せようとするキャラをさらに可愛らしくしているような気がしますね。対する月崎さんの鞨鼓売りは正当な1番乗りなんだけれど、小意地の悪~い感じですねぇ(笑)俊敏だし、機微もありそうだし、若いんだし、この老いた鍋売りさんに場所くらい譲ってあげてーと言いたくなるほど。軽やかに鞨鼓を打ち鳴らして舞う姿と水車返り(側転)は美しかったです。対照的にたどたどしさいっぱい、ちょっとしたコンプレックスの塊りとなって意地を張り合おうという万作さんの鍋売り。一拍置いて、鞨鼓売りの真似をしている姿ったら観ていてニヤけてしまうよ~万作さんにしては、結構顔に表情のある演じ方で。この曲をするときには、こうなるのかもしれないけれど・・・どうなんだろうね(^^)囃子も入って賑やかな狂言ですが、生で拝見したのは初めてです。これよりももっとローカルな「煎物せんじもの」という鍋八撥にも少し似た留メ(終わり方)をする狂言のほうを先に観てました。どっちが好きかなぁ~。小歌などが入ってさらに賑やかなのが「煎物」なので、あまりかからない曲だけれど「煎物」ももっとたくさん上演してほしいところ。終わりよければ全てよし。というか、クライマックスのこの終わり方。大好きなんですよね。つい笑顔がこぼれます。【おまけ】前にもトークで聞いたことがあるのですが、この鍋八撥で使う鍋(焙烙)は1舞台1回限りの品物。最後には割ってしまいますからね。最近はあまり売られていないらしくて、見つけると「買占めてくる」のだそうです。浅鍋を買い占める集団・・・怪しいですねぇ(笑)上記にも書きましたが、腹の下で鍋を割って『数が増えてめでたい』と終わるこの鍋八撥や煎物という狂言ですが、もしも割れなかったら・・・どうするのでしょう。生の舞台ですからハプニングは考えられます。鍋が割れない場合には、そういう時に言う台詞がちゃんと決まっているのだそうです。「良い鍋だから大切にしよう」というような意味合いだったかな。台詞までは記憶してないけれど、この台詞を聞くことのできた人は滅多にないのでラッキーかもしれませんね。さて、次は「仏師」。万之介さんのシテ(すっぱ)のお話と例の桃色解説(爆)も飛び出した(?)「田植」へと続きます。トップページへ戻る
2007年02月25日
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番組表(敬称略)狂言「千切木(ちぎりぎ)」 太 郎 :野村萬斎 当 屋 :野村万之介 妻 :高野和憲 立 衆 :月崎晴夫 竹山悠樹 時田光洋 岡聡史 太郎冠者:破石晋照 後 見 :野村良乍和泉流狂言「千切木」【あらすじ】日頃から皆の嫌われ者 太郎。この度、連歌の会が催されることになりましたが、当屋(今回の催しの幹事)は「あいつは呼びに行くでないぞ」と言いつけます。立衆と呼ばれる連歌仲間たちも心はひとつ。太郎だけは途中で誘い合わせずに当屋の家へやってきます。さて、楽しい連歌の会。早速、皆で歌を考えているところに、どこから嗅ぎつけてきたか太郎が乱入。他の者たちは、荒波を立てまいと無視を決め込みます。相手にされないからと言ってか、そもそもの性格なのか、太郎の悪癖がエスカレート。飾ってある花を貶したり、掛け軸を見ては「ゆがんでる」と言い、硯、文台と目に付くものは全てケチをつけるような有様。いよいよ腹に据えかねた一同は、皆で示し合わせて太郎を打ち据えます。つまり踏んだり蹴ったり。目を回して倒れているところへ、現れる妻。夫が恥を掻かされていると聞きつけ駆けつけたのでした。その姿を見れば、手には太刀と棒(千切木)を持っています。「恥なんて掻かされてない」と強がりを言う太郎の袖を掴み、「この汚れは何?!」と尋ねる妻。太郎「身共には定まった紋がないので、皆が付けてくれた」と見え透いた言い訳。夫が草履で足蹴にされるとは情けないし口惜しい。妻「仕返しをするのよ!男が踏みつけられるなんて一生の恥。死ぬ思いで討ち果たしてきなさい」と言えば太郎「死んでは元も子もない。身共の名代として行って来てくれ」とさらに情けない始末。それならば私も一緒に行く、というので夫婦揃って報復に出かけるのです。一番。いざ当屋の家に付き、名前を呼ぶと「留守!」二番目も三番目の家に行っても「留守」留守と聞いては威勢がよくなった太郎。散々棒を振り回し、声を張り上げて強がりを言います。それを喜んで見ている妻。最後は謡でしめて、夫婦仲良く家路に着くところで終わります。狂言「千切木」 参考※「野村萬斎 what is 狂言」【解説】萬斎さん「この狂言は立衆(たちしゅう)という人たちがゾロゾロと出てきて、結構賑やかな曲ですね」「と言っても、一人一人に個性があるわけではなくて、殆どは今で言う"エキストラ"といった感じでしょうか(笑)台詞は大概"ようござる"だの"かしこまってござる"などの『頷きクン』です(笑)」「それから今回は平均年齢がグっと若くなっています。万之介が60代、月崎と私が40代、高野と時田が30代、竹山、岡が20代です」「千切木(ちぎりぎ)というのは棒ですが、『ち』は『乳』おっぱい です。ちょうど乳のあたりで切った長さの棒のことですが、実際の舞台ではもっと長くてデフォルメされています」「昔は連歌遊びというものが流行して、五・七・五・七・七で上の句を他の人が詠んで、それに誰かが下の句を付けるといった遊びです。」この狂言のシテ(主人公)は"太郎という嫌われ者"で、萬斎さん「それを私がやるんですが」(笑)というと会場も何故か大笑い。どんな嫌われ者を演じてくれるんだろうって期待しちゃいますね。連歌の会を主催する人というのが「当屋」という人で、人を集めにやらせる太郎冠者に、「いいか、太郎だけは呼んで来るな」と命じ、誘われた者たちも誰も声をかけてこない。仲間はずれ、というやつですね。萬斎さん「仲間はずれにされたからといって、めげたりはしません。」「逆に自ら乗り込んでいくという狂言のバイタリティさがあります(笑)」「掛け軸が『ゆごうだり』などとケチをつけるんですね。子どものころ『ゆごうだり、ゆごうだり』と意味が分りませんでしたが、『掛け軸が斜めに歪んでいる』ということです。」硯や文台などがあって、その配置などにもケチをつけたりと嫌われ者の典型なわけです。そうして結局は 踏んづけられてしまう(笑)萬斎さん「踏んづけられる・・狂言なので本当には踏みません(笑)もっと上品にやります」(黒紋付袴で何かを踏んづけるリアクション、なんだか妙(笑))弱いうだつの上がらない夫には強い奥さんがつくものなのでしょうか、先ほどの説明の千切木(棒)と短刀を持った妻が目を回して倒れている夫(太郎)の元にやってきて、復讐に行くよう太郎の尻を叩きます。萬斎さん「さて、この復讐劇・・・というほど劇的なものではありませんが、どうなったか、後は観てのお楽しみです。」ああ、終わっちゃった~。2曲の解説~・・・とチラチラとホールにあるデジタル時計に目をやる萬斎さんに名残惜しさを感じつつ観ていると萬斎さん「今日はNHK-FMでちょうど入間川の収録をしてきましてね。4月29日、朝の7時15分から「能楽鑑賞」が放送されます。」※注 ラジオです。「朝早いですねぇ。」「まぁねぇ、大体狂言などはゴールデンなどで放送してくれるわけでもないんですけれどね(苦笑)ゴールデンウィークの初日から朝早く起きて…誰も聞きゃしねぇんじゃないかってねぇ」←しねぇって(笑)「そう言いながらも私も聞いた試しがないという」←おーいと言いつつ、よろしかったら聞いてください、としっかり宣伝していました。舞台と違って動きがないのでどうしても進行が早くなってしまうんだそうで、終わってみたら時間が余ってしまって仕方がないので急遽「名取川」の独吟を臨時で収録したそうです。演目は「入間川」シテ 万作さんと「柑子」シテ 万之介さんと言っていたかな?あとは上記のとおり萬斎さんの「名取川」独吟です。聴く狂言もいいかもしれませんねでも録音しないと聴けないかもしれないなぁできたらテレビがいいけど…(爆)【感想】嫌われ太郎の一生・・・(笑)嫌われていても明るいんですね。仲間はずれとは、現代で言うところの「いじめ」になっちゃうわけですが狂言ですから陰湿な印象は受けません。呼ばれてもいないのに、どこかで聞きつけたのか、自ら乗り込んでいくとはまさに「狂言のバイタリティさ???」(笑)そっぽを向かれた当屋(万之介さん)や立衆のみなさんの前で、陽気にいろいろなものを「こき下ろす」太郎。そうそう、それそれ、嫌われるのはそれなのよ、って全然分ってないし(笑)「お呼びでない?」by植木等(古っ)と空気を読めたなら立派なものの、この太郎は堪忍袋の尾が切れた一同から袋叩きに遭うまで気付かない。袋叩きといっても、扇で一同が一斉に叩くフリをするだけなのですが、目を回してひっくり返ってしまいます。妻に見つけられて助けられたときも、「あああ、お許しくだされ、お許しくだされぃ」と錯乱する様子、どんだけトッチメられたんでしょうね(苦笑)ちょっと「内沙汰」(大蔵流「右近左近」)のような気の弱い夫像です。着物には無数の足跡。。。踏んづけられたは明晰。「ちょっとアンターっ!!男がこんだけ踏まれて黙っているとは情けないっ」わわしさ満点です。たかのん妻(笑)でも、きっとこんな嫌われ者の夫でも大好きなんだろうなぁ、という、わわしさの中にしっとりとした優しさがあるのは、高野さんならではの味だなぁと思うわけです。無数の足跡を自分で観て「自分の紋がないから皆でつけてくれた( ̄∀ ̄;)」と太郎。「んなことあるかぃっ」(/--)/ ┷┷・・・な妻。観念して無理矢理武装させられて復讐に行かされる太郎はへっぴり腰。ことごとく留守と言われると安堵して威勢がよくなりボロクソに文句を言う太郎ですが、明らかに"負け犬の遠吠え状態"なのに、そんな夫の勇ましい(???)姿を観て大喜びの妻。この夫婦だから・・・うまくやっていけるのであろうか?(笑)現代のいじめとリンクさせると、ちょっと切なくなっちゃうし、最後はみんなで仲良くなる、という結末でもないし、狂言の風刺的な要素はあまり見られないドタバタ劇のようにも感じますが、とにかく萬斎さんの演じる太郎の天真爛漫さと高野さんのわわしい女(妻)のコントラストは最高。うん、万作家 若手夫婦(めおと)ナンバーワンは、この二人だと思う(笑)万作さんの妻役は、石田さんかなぁ(勝手にランキング)ドタバタ劇とはいえ最後は謡いで締めるので、シテ(萬斎さん)の良いお声が聴けますし、終わったときに不思議と"上品さ"や"高級感"が溢れます。頷きクン、というフレーズを思い出したら上演中笑ってしまいましたヽ( ´ー`)ノ丁度 月崎さん→竹山さん→時田さん→岡さん と背の順になってて(笑)やっぱり常に舞台で活躍している立衆前列2人と後列では緊張?なのか、なんとなく構エも摺り足も年輪の違いが垣間見えました(って。。生意気でしたね、すいません)最初にチケットが届いた時はいち早く前公演で先行受付をしてもらったのに『7列目かぃな・・・(ぶつぶつ)』と意気消沈していたのですが、一段高くなってのセンターで舞台の演者さんたちの視線と同じ位置。久々にドキドキの観やすい席だったのかもしれません(^^) 汗が見えるほど近いのもいいけれど、真正面も照れる(/∀\)イヤン!←自意識過剰なんだよアンタ解説でも平等に(?そういうワケではないだろうよ)会場をぐるっと、満遍なく見回す萬斎さんですが時折オコボレに預かる「萬斎ビーム」にドキドキしちゃう人は多かろう(笑)←そのひとり。市川公演は開演が6時半で東京からキンコンダッシュで戻ってくるには激しく厳しい時間帯。電車が遅れようものなら完全にアウトなのです。それでも「また行っちゃう♪(*´▼`*人)・:*:・」と思えるのは、やっぱり良い舞台を観ると続けて観たくなっちゃう。はい、9月(?)かな、次の市川公演も会場で先行予約してきちゃった♪はぁぁぁ・・・やめられん~狂言( ̄∀ ̄)さて。有楽町朝日ホールよりもさらにローカルな市川公演を先にレポりました。ケータイに覚書をしていたものを、パソコンで清書したわけですが、もう何日も前のことで・・忘れそう(涙)有楽町の解説などは帰宅直後BBSに書いたくらいのことしか思い出せない~・・・そろそろ花粉症の季節。クシャミが出てきました。目もかゆいです。ここんとこ、会社でもずーーっとコンタクトができましぇん。コンタクトしないと・・・ラクチンなんだなぁ←これがいかんそろそろコンタクトレンズ買いに行こう。次の観劇の予定は・・・。あれ、ないわ(汗)10分仕事を抜け出して国立能楽堂企画公演(山本家:棒縛 万作家:髭櫓)を取ったのだけれど・・・どうすっかなぁ・・・3月に1回はどこかにいけたらいいなぁと思うのだけれど、キンコンダッシュできる自信がない(涙)4月以降もチケット前売り情報とかをことごとく見逃し、茂山家春狂言の先行もし忘れた~(今年こそはと思っていたのに)うーーーーん。トップページへ戻る
2007年02月17日
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第19回Ro-On「市川狂言の夕べ」於:市川市文化会館平成19年2月7日(水)午後6時30分開演番組表(敬称略)解説 野村萬斎狂言「入間川(いるまがわ)」 大 名 :石田幸雄 入間の某:深田博治 太郎冠者:竹山悠樹 後 見 :破石晋照狂言「千切木(ちぎりぎ)」 太 郎 :野村萬斎 当 屋 :野村万之介 妻 :高野和憲 立 衆 :月崎晴夫 竹山悠樹 時田光洋 岡聡史 太郎冠者:破石晋照 後 見 :野村良乍【解説】市川は勝手に解説は萬斎さん以外。と思い込んでいたものの、番組表を見たら解説 野村萬斎先日の二人袴 萬斎聟に引き続き、イエーイ(∇≦d)(b≧∇) イエーイ←心の中、こんな「こんばんは」と出てきた萬斎さん。あれ、なんだかいつもと様子が違う。髪型が?ちょっと短いのかな?あ、乱れているのかな?(急いでた?)そして、何だか黒紋付の袴が短い気が(笑)これも気のせいか?!なんだかシルエットがかわいい・・と思ってしまった私は冒頭の解説を真剣に聞いていませんでした(爆)久々に「狂言を初めてご覧になる方」アンケート。萬斎さん「おお、結構いますね」「狂言の普及はまだまだですかね。でもそれだけ遣り甲斐がわきますね」こういう雑談系話は少なめ。さっと曲の解説に入っていきました。あらすじの後に書いていきます。和泉流狂言「入間川」【あらすじ】訴訟のために在京していた東国の大名が訴訟を終え国元に帰ることになりました。帰り道、富士山を眺めたりしながら歩いていくと川に差し掛かります。対岸にいる人に「ここはなんと言う川か」尋ねると、ここは入間川であることが判明。橋がかかっていないので、渡り瀬(徒歩で渡れる場所)を尋ねると「渡り瀬はもっと上流にある」という答え。大名は、「ここは入間川」であるということを念押し、太郎冠者が止めるのも聞かず渡ってしまい、深みにはまってしまうのです。大名「成敗してくれるっ!(怒)」入間の某はきちんと「そこは渡れないよ」と忠告していたのに、勝手に渡って深みにはまり、成敗されてはたまりませんよね( ̄▽ ̄:) なぜ大名は「渡り瀬はここではない」と言った言葉の反対を捉えたのでしょう。この地域は「入間様(いるまよう)」と言って逆さ言葉を用いる地域である、という豆情報を知っていたのですね。つまり、入間の某が「ここは渡り瀬ではない」と言う言葉の意味は 逆さ言葉なわけだから「ここは渡り瀬だよ」という意味なのだ、と主張するのです。入間の某はその「入間様」を逆手に取って、「あなた様は成敗する、と仰った。ということは、成敗しない、ということ」と主張します。逆にやり込められた大名は、その「逆さ言葉」のトリックにすっかりハマってしまい、入間の某へ太刀や扇、着ている者まで差し出しては逆さ言葉で遊びます。大名「これ(扇や太刀)をやらないぞ。さぁ、うれしいか?」入間の某「嬉しくございません」何が面白いんでしょうね(苦笑)いい加減、面倒になってきた入間の某は貰った品物を持って帰ろうとしますが、入間様システム(逆さ言葉)のトリックにより大名から貰った物を取り返されてしまいます。【解説】「入間川」という狂言は季節感がありません。いつやってもいい狂言(笑)例えば、春ならば「花折」、夏ならば~・・・「瓜盗人」、秋は「月見座頭」、冬は「木六駄」などがあります。『遠国の大名』という人が主役で冒頭の名乗りの部分などは全く同じなのが「萩大名」です。萬斎さん「大名といっても、こうして国元へ歩いて帰るくらいですから、大した身分の大名ではありません。」「幕府に仕える、今で言う「地方公務員」のようなものですね(笑)」「大大名になれば、馬に乗ったりしますからね。「もっと位が高くなれば「牛車」・・・牛が車を引いていくんですね。」「えらい、トロそうですね(笑)まぁ、都の中だけでしょうからあまり遠くへは行かないのかもしれませんけれどね」これは京から国元へ帰る途中で起こるお話ですが・・・駿河の国を抜けて富士山を見ながら歩いてきます。萬斎さん「駿河の国・・・何県でしょう。・・・はい、静岡県ですね。廃藩置県などが行われて、どこが何県だかわからなくなってしまいましたが、駿河湾など今でも地名が残っているので分りやすいですね。」「静岡県から入間川のある場所、関東の方には御馴染みかもしれませんが埼玉県ですね。静岡を通り、埼玉県を通り、どこへ帰っていくのでしょうねぇ。」「北陸か越後のあたりなんでしょうかね」「あの辺りに富士山があって、入間の某がここにいて、ここらへんに川が流れているように・・・見えてきませんかね(笑)」と舞台をグルっと指しながら説明。(今日はやっぱり袴の(腰の)位置が若干高め・笑←どーでもいいって?!)昔、橋はそうそう架かってないので「渡り瀬」を探して川を渡りました。浅い場所。"礫(つぶて)を打って"渡ったりする狂言に丼礑どぶかっちり という狂言があります。この狂言のシテは目が見えない座頭なので、川を渡るときに、礫を打って、その音で聞き分けて川をわたろうとするものです。萬斎さん「和泉流現行254曲ありますが、この狂言は滅多にでません。字もですねぇ、"丼(どんぶり)"に"礑(かっちり)"・・とこのかっちりも全くの当て字でしょうね。」礫を打って、浅瀬なら『カッチリ』(礫が川の底の石に当たる音)深ければ『どーんぶり』この辺り、ちょっと簡単に実演を交えて解説。「にほんごであそぼ」で以前、丼礑(どぶかっちり)をやっていましたから、珍しい曲とは言えど結構知っている人は多いのでは(笑)「"いるまよう(入間様)"という逆さ言葉というのが、この曲のトリックになっています。それは観てのお楽しみということで・・・」と次の解説に移ります。【感想】本であらすじを読んだり、他の人のレポートを読んでもイマイチ意味不明←私がバカなのであろうが(爆)全く興味をそそられなかった狂言です(さらに爆)地元市川の狂言公演ということで演目も決まらないうちに先行予約をしたもので、あとで曲発表があったとき、正直「入間川ねぇ」・・・と気の進まないものでした(笑)それが、結構面白い(^^)逆さ言葉、言葉の遊び、という狂言なので実際の舞台で観たり聴いたりしてみればその面白さがわかるんですね。どの狂言の大名もそうですし、現代もそうかもしれなけれど"大したことないヤツに限って威張りおる"そんなところも面白さですね(笑)若い人が大名をやると上記のように見えますが、茂山千作さんや野村万作さんのような重鎮がこういう大名をやると、逆に「ガンコじぃさん」または、萩大名だったりするとボケ老人のフリをして(笑)庭の主人や太郎冠者をバカにしているようにも感じたり。今回の石田さんはちょうどその中間のような感じですね~。「なんだ、ヤツ(入間の某)は俺のことも知らんのか」←余所の領地だから当たり前とフテてみたり、かと思えば「"入間よう"を知ってるぞ~」と入間の人間でさえ忘れかけているような雑学を出してきたり。これも"小さい人間"の特性?(笑)ちょっと人が知らないことを知ってたりすると、自慢したくなっちゃうような、ね。(己にも身に覚えが?!汗)勝手に「入間よう」(逆さ言葉)のシステムを用いては川の深みにはまり、「入間ようシステム」にハマった大名に散々つき合わされ、だんだんと迷惑そうな様子になっていく深田さん、面白かった(^^)忠実に忠実に演じている感じで。あまり機会がないのだけれど、そろそろ深田さんのシテで大名なども観てみたいなぁ。トップページへ戻る
2007年02月17日
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【1】はこちらから 【1】新春名作狂言の会(新宿文化センター)-トーク編-大蔵流「素袍落」【登場人物】シテ 太郎冠者/アド 主人/アド 伯父【あらすじ】急に伊勢参宮を思い立った主人。かねてから同行の約束をしていた伯父のところに、出立のお誘いに太郎冠者を使いに出します。太郎冠者が伯父から餞別を貰うと困るので、「共として付いていくことは伯父に言わないように」と口止めまでします。予め、急なことなので、誘っても伯父は応じないだろう、と踏んでのこと。餞別を貰えば、土産物を買ってこなくてはならないので、もらわないように、ということなのです。ちょっとセコイですね(笑)太郎冠者の訪問を受けた伯父は、案の定、急な話なので断ります。この太郎冠者がお供に着いていくのだろうと門出を祝って御酒を振舞います。最初は主人に怒られるからと断る太郎冠者ですが、もともと酒好きなのだから、是非にと言われれば断れません。太郎冠者は、最初は機嫌よくこの伯父のことを褒めちぎりますが、そのうちさらにお酒も進み、日頃の鬱憤もあって、主人の愚痴をこぼしはじめます。盃は5杯を数え、段々と"ろれつ"も怪しくなってくる太郎冠者。主人の伯父なのだから、召使の太郎冠者などに比べれば随分と身分の差はあるはずですが、快く酒を振舞う伯父も「出来た人」です。散々、主人の愚痴をいい、そろそろ帰ろうとしたころ、ご祝儀として伯父が素袍(すおう)を太郎冠者に渡します。これを貰えば主人に怒られる。なので貰えない。最初は断りますが、「実は私が参詣のお供に行くと言うことを伯父御さまに言ったならば、必ずやお餞別を頂戴することになります。さすれば、伊勢参詣の土産物を買わねばならないので、言うな、と言われておるのです・・・」と主人の本音を包み隠さず話してしまいます。伯父は怒るどころか、機転を利かせ「それならば、自分の名代(代理に役目を勤めること)として、この素袍を持っていけばよい」と提案します。素袍を持ち帰る良い名目を貰った太郎冠者は上機嫌となり、それならば伯父御様と奥方様、お子様にそれぞれ土産物を買ってくる、と、くどくどと話します。あまりに帰りが遅いので途中まで迎えに来た主人。浮かれている太郎冠者とばったり。慌てて素袍を隠しますが、酔っ払って浮かれているのでいつしか落としてしまい、主人に見つかります。「よし、知らないふりをして太郎冠者をからかってやろう」と素袍を後ろに隠し、太郎冠者の様子を伺います。いつの間にか手に中にあった大切な素袍を落としてしまったことに気付いた太郎冠者。さっきまで上機嫌だったのが、瞬く間に御機嫌斜め(笑)「何か、落し物を見つけなんだか?」と探し回る太郎冠者をおもしろく観察する主人。主人「何を落としたのか」太郎冠者「いえ、それは言えませんのじゃ」主人「わしは拾い物をしたがな、素袍じゃ」太郎冠者「えっ!!」それは身共のものでござるっ と主人の手から引ったくり、嬉しそうに去っていく太郎冠者と追いかける主人というクライマックスです。※大蔵流の素袍落のあらすじです。 和泉流は主人が素袍を持って去るところを太郎冠者が追い込んで終わります。【感想】千作さんの太郎冠者姿を生で拝見したのは初めて。出てきた瞬間の存在感たら。。。若い主人に仕えていますが、ひょっとしたら先代くらいから仕えた召使なのかなと勝手に想像(笑)「餞別は貰うなよ、貰えば土産物を届けなければならなくなるからな」とケチな料簡をもった若い主人の考え方が気に入らなくもあるのでしょうね。折角、使いに行っていただく餞別なのだから、太郎冠者だって貰いたい。伊勢参詣にお供することは嬉しいけれど、ちょっとした不満がフツフツと・・・そんな思いを抱えながら伯父の家に到着すれば、案の定、「急なのでお断りする」と伝えられます。御酒の振る舞いがあって、1杯飲み・・・千五郎さん@主人に「おいしいか」と問われ、「スーっと喉を通ってしまったから味がわからなかった、もう一杯くだされ」と2杯目・・・もう止まりません、なんだかんだ言いながら「もう一杯注いでくだされ・・・もう一杯・・・」さすがに3杯目以降は、温厚で思慮深い対応をする主人の千五郎さんの表情に陰り(笑)大きく態度も表情は変えないのだけれど、「いい加減にしてほしい」と思うような雰囲気が漂うんですよね。それは太郎冠者に返盃を勧められて「身共は下戸(お酒が飲めない)のでござる」と言っていますが、本当に飲めない人ならば、他人が長々と飲んでいる姿を眺めているのが面白いはずもありませんよね(笑)儀礼的な門出の祝い酒だから、遠慮から「飲まない」と言っているのか、古来から奥ゆかしい日本人代表の主人の心のうちはよくわかりませんが、太郎冠者は無遠慮に大酒を喰らい、甥(主人)の愚痴を延々と話し出す・・・そんな両者の違いが大きく見えて面白いんですよね。千三郎さんの解説で、「先代の千作(三世茂山千作)はこの狂言をとても得意としていましたが、御酒の飲めない人だったので、飲んでいる人を観察しながらこの素袍落を演じていました。今日この素袍落を演じる父の千作は飲むとこのままです(笑)」と仰ってました( ̄∀ ̄)途中から、正座していた足も胡坐をかき、とても召使の分際での振る舞いではありません(笑)クダを巻きつつ、ろれつも少し回らない状態で、同じ話を何度も繰り返しては、いわれたことを忘れる。典型的な酔っ払いです(笑)挙句、居眠りしたり・・これがまた秀逸でカワイイ。御酒を注いでいる主人は早く帰ってほしいと思っているかもしれませんが、いつまでも観ていたい感じ(笑)太郎冠者「で・・・?明日は伊勢参りに行かれますんで~~~?」主人 「行かないと先ほどから申しておろう?」太郎冠者「素袍のお礼に、伯父御さまへはお祓い、奥方さまへはおしろい、お子様には笙の笛を買ってきます~」太郎冠者「で・・・?明日はお伊勢参りに~・・・・」「伯父御さまへは伊勢のおしろい~を、買うて参りましょう~はははははは(愉快愉快)」主人 「(-ω-;)」こんな酔っ払いとの不毛な会話を延々とされる主人の迷惑そうな心情も可笑しくて~( ̄▽ ̄:) 最後に、素袍を嬉しそうに頭にのっけて(笑)千鳥足で歩く太郎冠者@千作さんは、ものすごーーーくプリティでした(笑)とはいえ、この狂言は千作さんほどの人ではないと難しそうだなぁと思いました。「単なる愚痴っぽい酔っ払い」を観ているだけでは飽きてしまうしつまらないですもん。千五郎さんの主人も嫌味さや人の悪さも全くない、常識人的で、良い人です。存在感というものを消しているのでしょうが、上手に千作さんを引き立てる、という意味では親子の呼吸をしっかり感じ取れることができて、とっても大満足でした。さて、続きは和泉流万作家の「二人袴」滅多に観られなくなってしまった萬斎聟のお話です( ̄∀ ̄*)【萬華鏡つれづれ】次は有楽町朝日ホールの「野村万作の世界」という公演タイトルだったかな。その翌週は市川文化ホールの狂言。怒涛のように毎週水曜日3連続なわけです。幸せですねぇ~・・・去年の夏以降に取ったチケットで、あまり日付のことを考えずに取ったらこういうことになってしまった(汗)その後、しばーーーーーらく何も入れてないのだな。。。ないのである、なーんの予定も(汗)←ござる乃座も応募し忘れた人いままで応募し忘れ、なんて大失態はなかったのであるが~・・・はてさて、「我、何をトボけておる?」と問いたいものでござる(苦笑)でも、仕事が忙しくなる予定、取ったはいいが、帰れなくなってチケットパーも困る。が・・禁断症状が出て行くかも。仕事投げ出して(笑)今が「怒涛の観劇タイム」なだけに、あとの見返りが怖いなぁ(苦笑)ここの萬華鏡の観劇レポのページを先日半日がかりで整理。←直ぐやらないからいつも時間がかかる狂言だけではないけれど、ここに書いてきたレポートの数は2004年オイディプス王から始まり、50回を越えました。「特に狂言のレポートなんて、どーして書いたらいいのだか?」と思いながら、大して人も読まないだろうマニアックなページだ、いっかー♪ええい、好きなこと書いたれっと気ままに書いたものが積み重なりこんなに多くなりました(笑)我ながら、通ったチケットの半券の「値段」を算定したら・・と思うと恐ろしい(苦笑)これからもこの「半券」は出来る限り増やしたいな。もちろん、能や狂言から得る感受性も今よりももっと豊かに育てたい。トップページへ戻る
2007年01月27日
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新春名作狂言の会於:新宿文化センター(大ホール)平成19年1月24日(水)午後7時00分開演番組表(敬称略)解説とトーク 茂山千三郎、野村萬斎大蔵流狂言「素袍落(すおうおとし)」太郎冠者 茂山千作伯 父 茂山千五郎主 人 茂山千三郎和泉流狂言「二人袴(ふたりばかま)」 聟 野村萬斎 親 野村万作 舅 石田幸雄太郎冠者 深田博治茂山千三郎さんが登場し、舞台の中央に正座。今回は新宿文化センターの「新春名作狂言の会」が10年目、ということだそうです。毎年、お正月の月ということで祝言性の高い華やかな演目を上演してきたようですが第一回目の演目は何だったかな?と立ち返って、同じ構成で10年目の公演を行うことを決めたそうです。お正月といえば松の内(7日くらいまで)でも最近は京都のほうでは15日くらいまではゆっくりしようや、という向きになってきているようです。千三郎さん「とはいえ、私らは元旦から働いているんですけれどね(笑)」全国津々浦々、行脚する狂言師のみなさん。千三郎さんはこの日まで東京(渋谷)で仕事をしていて、今夜には京都へ帰ります、とのこと。逆に東京の万作家は、週の始めから名古屋、岡山、と1日空いて、東京(新宿)へようやく戻ってきました。なので、ゆっくりと同世代の千三郎さん×萬斎さん で新宿夜の街(歌舞伎町辺り?)へ繰り出す、ということも出来ないわけですね~(笑)さり気なく、素袍落の解説に入ります。この素袍落という狂言は「伊勢参り」という背景がベースになっています。今でこそ、すぐに伊勢神宮には電車で行けてしまいますが昔の人は、伊勢参りはお正月の一大イベントなんです。あらすじを上手に説明されて、萬斎さんを呼びました。これも毎年恒例の流れですね。(素袍落のあらすじは後ほど)ここから千三郎×萬斎トーク。なんだか萬斎さんは相変わらず「招かれたゲスト」という感じで(笑)千三郎さんがMCという感じですね。お二人の黒紋付姿が居並び、主導権は千三郎さんのまま進行します。以下 表記は「萬斎さん=萬」または「千三郎さん=千」とします。言葉の使いまわしや語尾は曖昧です(苦笑)こんな話してたなーというイメージで書いてますのでご了承を。萬「(これだけ全国を飛び回っていると)マイレージもたまりますね」←ホクホクといった感じ(笑)千「いや、京都には空港がありませんのでね、新幹線でどこへでも行くんですよ。」萬「ああ、そうですね、九州に行くにも新幹線だし、東京も新幹線で行けますからね。まぁ、京都は日本の中心地ということでしょうね」千「またまた東京の萬斎くんがそんなことを(笑)」千「毎年、この公演では小舞を同時に舞う、ということをしています。そこで何か干支にちなんだものを行うんですけれど」萬「そうですね、去年は・・・なんだっけ」←え?お忘れで?(笑) 「子、丑、寅、兎、辰・・・・・・・・・・・戌・・・あ、戌年ですね。ああ、よく犬山伏なんかをやりましたねぇ。」千「で、狂言に"猪"(亥)が出てくる曲はないんですねぇ」萬「ないですねぇ。一つだけ、大蔵流にはない「弓矢太郎」という狂言に腕自慢をする下りで猪を射殺して、というところがあるんですが、新年早々干支を射殺すってのもどうかと思いますからねぇ。」千「うちにもありますが、やはり射殺されちゃうんでダメですね」←狂言の演目名は失念しました(苦笑)千「そこで10年前のプログラムは何をやったのかと調べてみると、舞い初めでよく行われる"雪山"をやろうということになりました」萬「うち(万作家)では、元旦に一門が揃ってこの「雪山」を舞い初めする習慣なんですね」千「私ども(茂山家)でも誰かが舞いますね。他は「土車」などですね」千「今日やる演目でうち(茂山家)は素袍落。これはよくやりますね」萬「素袍落は茂山さんちでよく出てますから、うちはあまり出ませんねぇ。同じような曲では悪太郎なんかがよく出ます」------------------------------------------では、やりましょうか、ということになりお二人が急に凛々しい面持ちに。舞台向かって左に千三郎さん、右に萬斎さん。毎年思うのですが、同時に舞い始めるのでどっちを観ていいやら、観客は忙しいのです(笑)ほほぅ、この小舞を舞い初めとして一門では行うんだ~・・・と先日のテレビ番組で茂山家のお正月の模様を思い出したりして、万作家のお正月も想像(笑)元旦から「朝寝坊」なんてことはないわけですね( ̄▽ ̄:) ←ないって舞の型はそれぞれ違い、謡も微妙な伸びや間が違います。でも不思議と舞いながら回るところがシンクロすると、可笑しくなって笑いそうに。千三郎さんは終始、つられそうになっても表情を変えずに舞ってましたが、萬斎さんは苦笑い。負け?(ぷっ)千「謡いも伸びるところや間合いが微妙に違うので非常に気持ちが悪いですね。観ている人たちはもっと気持ち悪いと思いますが(苦笑)」萬「それぞれ一人ずつで見たいかもしれませんけれどね」 ←ホント、ホント。もう一回やってほしいー千「10年前と比べると、随分と僕らもこちら(関東)で狂言させてもらっていますが・・・関西と関東で演じ方とか意識的に変えているようなところはありますか?」萬「そうですねぇ、前は"面白くなければいけないのかな" "笑わせなければいけないのかな"と思ったりもしたことがありましたが、最近はお客さんのほうがそれぞれの家の特徴を承知しながら観てくださっているようなので、あまり変えるようなことはしてませんねぇ」千三郎さんも同じく、東京の公演ともなると昔は少し堅い雰囲気で演じようとされていたこともあったのでしょうか。詳しい話はそれほど多く聞けませんでしたが、こういう話を聞いていると狂言ブームという時代があって、お客さん自身が常連となり固定してきたこともあって、見所も落ち着いた、という雰囲気が、演者の方々から観ても感じることなのかな?と思いました。何だか去年も一昨年も、狂言とかけ離れた話題になっていたような気がしますが~今年は割りとあっさりめ。千三郎さんは「素袍落」の準備のために舞台から袖に帰ってしまいました~(ああー、いっちゃった・・←何の話題を期待しているんだか)もっとずっと聞いていたいなーというのが本音ですが時間は刻々と過ぎます(涙)萬「では次は私ひとりで、二人袴の解説ですが、千三郎さんのようにスラスラと喋れないのでね、いつも、あーとか、うーとか言ってしまいます(苦笑)」 「この二人袴の聟ですが、かれこれ9歳のときに祖父(六世万蔵さん)と一緒に初めてやりまして、かれこれ31年・・・。初々しいというよりも、すでにトウの立った聟ですが(苦笑)」 「今は婿入という風習はなくなってしまいましたが、昔はお嫁さんを貰ったあとに、お嫁さんの実家に聟が挨拶にいくということをしていたんですね。」 「最初に舅が舞台に出てきますが、さきほど素袍落の解説にもありましたが「素袍」をつけています。頭には侍烏帽子をつけており、いわゆる正装で今で言うモーニングでしょうか。」 「次に聟と親が出てきますが、中には赤と白ストライプの縞々を着ていまして、これは決まっているものです。観ただけでもおめでたい感じですね。」 「親も最初から何故か聟と同じような恰好をしていますが、そこは気にしないでください(笑)」 「聟は袴の履き方すら知らない無知な男です。たまにね、時代劇なんかを観ていると袴の片足が入るところに両足入れている人がいたりしてね(笑)かなりマニアックな見方をしないと気付かないんですが・・」(会場笑)その時代劇~・・・リビングで一緒に観て「ここだよっ!ここっ!」と和やかに談笑したい・・・(爆)新年からありえん妄想・・・外を歩いてくるので長袴は門前で着けるのですが、ひとつしかない。というのがこの狂言のオチですね。確かに、袴を一つしか持っておらず途中まで送ってきただけの親が「一応正装」しているのがヘンですね(笑) 「聟は舅の前に出て、お酒などを振舞われますが、おそらく酒などは甘酒くらいしか飲んだことのない男なのでしょうねぇ。」 世間知らずということも手伝って、タブーとされているような話題も軽はずみに口にしてしまい、親に諌められる、というところも面白いところ。 ただ、聟の失敗談を笑うだけではなくて、それを周りが大らかに受け止めている、嫌味のない世界。狂言は人間賛歌と言われるような曲です。と結構、真面目~に締めくくって解説が終わりました~。最近、飛ばしまくりーな解説が目立っていたので??!物足りない、と思う私は「何を聴きに行ってんだか?」という感じです(爆)次は「素袍落」に続きます。トップページへ戻る
2007年01月27日
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【1】至高の華-第二部「狸腹鼓」「鵺」-平成18年12月23日はコチラから観世流能「鵺(ぬえ)」シテ 舟人(化身) 鵺ノ霊 梅若六郎ワキ 旅僧 宝生閑アイ 蘆屋ノ里人 高野和憲笛 松田弘之小鼓 大倉源次郎大鼓 亀井広忠太鼓 助川治(後見、地謡は省略)【鵺(ぬえ)って?】「平家物語」巻四に描かれる「源頼政の鵺退治」をもとにした世阿弥作。鵺とは怪物です。どんな怪物かといえば頭は猿、尾は蛇、足手は虎 で 鳴き声が鵺(トラツグミ)に似ていたそうな「鵺(歌川国芳・画、江戸時代)」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』平安時代末期、天皇(近衛天皇)の住む御所・清涼殿に夜毎出没国家転覆を企て、悩ませた。それを源頼政が尖り矢で見事に射殺したと、いうお話。頼政全盛の英雄談として語られるところですが、この鵺という能は退治される怪物を主人公とした悲哀を物語ります。【あらすじ】摂津の国(兵庫県)芦屋の里を訪れた諸国一見の僧(ワキ)は、夜更けに乗った不思議な人物(前シテ)に会います。そのものは、近衛の院の御代に源頼政に退治された鵺の亡魂でした。自らの最後を語り、化け物は怖ろしい鳴き声を残して海に消えます。(中入り)僧の読経に導かれ、鵺の本体(後シテ)が現れます。国家転覆を企てた天罰が当たって殺されたこと、頼政は恩賞を賜り、自分の死骸は空舟に入れられ淀川から流されたことを語り演じ、僧へ魂の救済を願って海中に沈んでいきます。【あめみこの感想】頼政といえば、能「頼政」で有名ですね。平家軍が果敢にも宇治川を馬で渡り攻撃を仕掛けるときの様子、平等院の庭に扇を敷き、時世の歌を詠んで自害した自身の最期が、頼政の亡霊によって語られる場面が見所の能です。私は「頼政」は舞囃子でしか観たことがないんですよね。なんだか「観た気」になっていて、萬華鏡の設置ページ、能狂言あらすじを観たら作ってない・・・観たのは能「頼政」のパロディになっている「通円」ですね(笑)このレポートを書くとき、「頼政」の面を本で眺めたり、他の方のレポートを読んで観た気になっちゃっていたみたいです。能「鵺」では、頼政は栄光の絶頂とも言われる時代に足をかけた。その栄光に対比するように鵺の哀れさが際立って表現される作品ですね。同じ地球上に生きるものであるのに・・・なぜこうも違うのであろう。鵺の心にとめどなく上がれる暗い闇。悔しさがヒシヒシと鵺ノ霊(梅若六郎さん)から噴出すような「自分の死の場面」特に、矢で射抜かれたのち、郎党・猪の早太(いのはやた)が太刀で何度も差して止めを刺します。その後は鵺の体をバラバラに刻んで舟に乗せたのち海に流したのですが、その様子を怒り、憎しみ、悲しみが怖いくらいに能楽堂に溢れ出て、どうにも切ない思いがしましたね。梅若六郎さんの生の舞台は実は初めて。テレビで何度か拝見したことがあったのですが~。。。テレビ画面からだと私の場合集中できないんですよね。余計なものが目についちゃって・・(え?テレビだからですか?!・・ま、深く追求しないでくだされ・苦笑)脇正面のちょっと離れた席でしたが、"気"というものを、あんなにまでビンビン感じたのも初めてだったような気がします。友人の中でも「梅若六郎さんの舞台はいい、絶対に観たほうがいい」と勧めてくださる人がいました。なるほど、と納得させられたのは言うまでもないですね~。次は「頼政」が観てみたい!源平物の能に飢えてきました。早く観る機会を得たいですね~トップページへ戻る
2007年01月12日
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至高の華 第二部「狸腹鼓」「鵺-白頭-」於:宝生能楽堂平成18年12月23日(土)午後5時00分開演番組表(敬称略)狂言「狸腹鼓」(和泉流)補校 堂本正樹尼僧 狸 野村萬斎猟師 石田幸雄笛 松田弘之小鼓 大倉源次郎大鼓 亀井広忠能「鵺」-白頭-(観世流)シテ 舟人(化身) 鵺ノ霊 梅若六郎ワキ 旅僧 宝生閑アイ 蘆屋ノ里人 高野和憲笛 松田弘之小鼓 大倉源次郎大鼓 亀井広忠太鼓 助川治(後見、地謡は省略)和泉流「狸腹鼓」【あらすじ】猟師(アド)が弓矢を持って登場し、狸を捕るために野原へやってきます。「次第」の囃子で、尼姿の雌狸が数珠を持ち、杖を突いて出て、猟師の伯母に化けて殺生を止めるように意見をしに行く、と述べます。狸は猟師に向かって、畜類を殺すと子々孫々まで報いがあると語り、殺生を止める約束をとりつけます。ところが、喜んで帰る途中に犬の鳴き声に驚いたところを猟師に聞きつけられてしまい、化けの皮がはがれます。猟師が矢をつがえると、狸は懸命に命乞いをするので、腹鼓を打つことを条件に助けることにします。狸は正体をあらわして腹鼓を打って回り、猟師が喜んで真似をしている隙に逃げていきます・・・【みどころと覚書】和泉流、大蔵流ともに極めて重い「習物」だそうで、ストーリーは狂言師の卒業論文とも言われる「釣狐」とそっくりです。狸の扮装は、狸面をつけ、ぬいぐるみを着た上に尼の装束をつけます。正体をあらわすシーンは中入りをせずに、舞台上で早変わりをする演出があって、見応えがありますね。この「狸腹鼓」は「奈良禰宜とっぱ」という狂言師によって作られた、と言われています。この"とっぱさん"とっぱ・・・TOPPA・・・聞き覚えがありますね。大蔵流 茂山千三郎さん筆頭に若手狂言師の狂言会の名前が「TOPPA!」でした。2005年にこの狂言会は活動を終えたそうですが、ファイナル公演が千三郎さんの「狸腹鼓」(披き)だったのは、特にこの"とっぱさん"への敬意、お礼の意味を込めてやりたかった、と「集英社新書 世にもおもしろい狂言」にこの内容が収録されています。釣狐をアレンジした、ちょっと奇抜に言ってしまえば"パクり"なのかもしれませんが(笑)似たようなストーリー展開なのに、全く違った趣と楽しさを感じてしまうのが不思議です。それも、"雄"ではなく"雌狸"にしたところなどが暗に優しさや穏やかさを醸し出す構成なのかな。さて、この「とっぱ作」の狂言。現在でも"一子相伝"だのとなかなかやかましいとされる曲です。そもそも家元しか演じられない最高秘曲とされていたそうですが、各地に「見たい!」と思う殿様がいらっしゃり、演出を変えて演じられるようになったそうです。先代藩中垣家に伝わって、鷺流「猪狸」や大蔵流八衛門派の「射狸」が作られ、そのほか井伊直弼が関与した大蔵流の「彦根狸」(茂山さんのところですね)や、加賀藩主の命によって作られ、和泉流三宅派に伝えられたという「加賀狸」など、様々な「狸物」が生まれたとのこと。千三郎さんが狸腹鼓を披くとき、師匠でもありお父様である四世千作さんはこう言ったそうです。『「釣狐」と違うて狸は雌やねん。狐は、なんやこわいなと思わすことが必要やが、狸はこわなったらあかん。最後は、かわいいから、観る人に助けたり!と思うてもらわなあかんのや』なるほど~と。でも、彦根狸は腹鼓に舞興じている猟師(大蔵流は喜惣太という名前があります)の目を盗んで弓矢を拾い、逆に人間に向かって矢をつがえるという、ちょっと攻撃的な雌狸ですから、「助けたい」というより、滑稽ですよね(笑)万作家で上演される狸は「加賀狸」菊柴垣を並べた一畳台が舞台の作り物として置かれます。奈良の狂言師 とっぱさん。まさか後世にここまで重い習物として位を極める狂言になったこと、どう思ってらっしゃるのでしょう(^^)【あめみこの感想など】猟師の石田さんが弓矢を携え登場します。「殺生はやりだしたら おもしろくて、やめられーん♪」その辺に獣たちが潜んでいたら身も凍るバイオレンスな発言ですね。やがて。幕から四つんばいで顔だけひょっこり出す狸。クリクリとよく首が動き、口先をパクパク。辺りの様子を警戒しながら伺っているのか、どうなのか。揚げ幕が上がると尼僧姿の狸。面は「狸」そのままです(笑)円らな瞳に尖がった鼻先。本物の狸を見て目を細めてしまうようなとても可愛らしい顔立ちなんですね。運ビと言われる歩行は釣狐と同じように杖を前で持ち、獣足で歩くようですが、重々しく歩くというよりも「スッスッスー」と滑らかに進むので不気味な感じはまるでなく、ひたすら御伽噺の中から抜け出した絵のように可愛らしい。欄干で次第を謡い、こうして尼僧に化けてきたのは猟師に狸狩りをやめさせるように説得に来たと経緯を話しはじめます。釣狐では持たなかった数珠を「ジャラッ!」と鳴らし自分の姿を水面に映し『これほどに化けておりゃるぅ~♪』と化け姿チェック。釣狐でもやってましたねぇ(笑)キレのある高い跳躍や激しい動きはありません。これほどに・・てお顔は狸ちゃんでバレバレに思えるのだけれど、猟師は一時騙されているのだから、巧く化けられたのでしょうね ( ̄m ̄*)大蔵流の彦根狸での面は下に狸、上に尼僧面を二重にかけ、舞台上で狸へ早変わりするときに下に仕込んだ狸の面が露わになります。ドキュメンタリー番組や千五郎さんの狸をテレビで観た事がありますが、尼の面は伯蔵主のようにやや狸と人間の間のような異形な雰囲気が漂っています。この辺り、面から感じ取れる曲の雰囲気も万作家の加賀狸とはまた違っているようです。 釣狐が、薄野原に朧月夜なら狸腹鼓の世界は澄んだ夜空に美しい満月がぽっかり浮かび、爽やかな夜気さえ感じるようです。『うちの人(夫)は2~3日古塚へお帰りにならない。わらわのお腹には新しい命が芽生えているというのに、どこへ行ってしまったのかしら・・・』不安でいっぱいなのでしょうね。・・・猟師に狩られてしまったのでしょうか(TдT)パパ狸の運命。この辺り、結末は語られていないので想像するしかないのですが。。。猟師が捕らえた狸をどのように利用しているか・・・。皮は剥がれ料理され・・・ああ、おそろしい。狸はカタカタと震え上がります。狐だと悲壮感や化生の姿が顔を出し不気味さも感じるのですがこちらはむしろ少し笑ってしまえるようなコミカルさが少しありますね。巧く猟師を説き伏せた尼僧狸。「お月様がこんなに綺麗なので、お月見をしながら帰ります」なんだか、こういう台詞も女(雌)らしさが出てますよね。雄である狐(釣狐)は「今日は火(日)が悪いのであらためる」とさっさと帰ろうとしますから、雌(女性)のほうが度胸があったりして(笑)草の中に丸くなっている獣の姿。欄干のあたりで見つけた尼僧狸は「あら、こんなところにいらっしゃるのは、わらわの旦那さまではありませんか♪」と近寄りますが、そこにいたのはおっとびっくり、怖ろしき天敵 犬でした。驚き慌てふためいて逃げるところを猟師に見つかり「騙したな!」と危うく殺されそうになるのですが、お腹をさすり、「どうかお腹の子に免じてお命だけは助けてください」と命乞いをします。そこで尼僧姿から狸へ変身~(笑)尼僧の装束を脱ぎ、一回転。さてさて楽しき狸の腹鼓披露となっていくのですが、それを見て物真似をする猟師(石田さん)の姿は狂言「靱猿」の中で子猿の演技を観て微笑ましく感じ、一緒に舞踊る大名の姿にも似ています。目がなくなっちゃうんじゃないか、というほど優しい~顔で狸の腹鼓を観ている猟師。殺生が趣味!と言い切るような悪い人には見えません(笑)ここが狂言のよさ、なのかもしれませんね。本当の悪人はいないんだよね、という精神。あらすじを辿っていくと最後は喜んで腹鼓に興じる猟師の目を盗んで狸はまんまと逃げていく、となっていますが、今回の演出はクライマックスがちょっと違っています。橋掛リで一緒に舞踊り、楽しいまま猟師が先に幕内に入っていきます。後から狸(萬斎さん)は欄干に前足(手ですね・笑)をかけ口先をパクパク。ちょっと、見所のお客さんに愛嬌を振りまいているようにも思えますね。謡いになると萬斎さんらしい張りのある良いお声で男性らしさが出るのですが、普段の台詞使いは女性らしく、しとやかです。シテを勤めることの多くなった萬斎さんなので、あまりビナン姿で女性役は観られなくなってますが、例えば「川上(かわかみ)」や「箕被(みかづき)」の女性役もちょっと観たくなってきました。狸腹鼓に話を戻しましょう(笑)最後の最後まで、可愛くて微笑ましい終わり方をするのは、万作家のみの演出なのでしょうか。『追い込み』で終わるのではなく、『浮かれ込み』ええっと・・例えばメジャーな狂言で言うと、蝸牛のように囃子物で浮かれたまま幕に入っていく、という具合ですね。あまり演じられない秘曲なだけに、なかなか他家との比較ができないのが残念ですが・・万作さんも釣狐の連続公演ののち、50代でこの狸腹鼓を初演されたそうです。萬斎さんも過去に演じた、という記録を私は特に知らないのですが初演だったのかなぁ。あまり、そういう意識なく突如行ってしまったので(笑)釣狐の演じられる芸域に達することができて、初めてこの狸腹鼓を演じられるようになる、のだそうです。観ている側としては、釣狐のほうがどうも力が入り重々しい雰囲気を感じてしまいますが、演じる側としてはとても難しい曲なんですね。この2006年12月は釣狐も観て、狸腹鼓も観れてしまったラッキーな月でした。今年はどんな狂言を披露してくれるでしょうか。昨年の1月にNHK能楽鑑賞会で野村萬斎さんは「金岡-大納言-」を演じましたね。花子の前に演じておく、これもまた難しい狂言なのだそうですが・・・ということは、そろそろ観られるか?!花子の連続公演あるか?!←やっぱり連続で全国行脚してもらわないと・・・(爆)何か書き足りないことがたくさんあるような気がしますが、またまた長くなりすぎているのでこの辺でエントリーします(笑)って・・・いつのレポートだ?ですが(苦笑)梅若六郎さんの「鵺」はまた後ほど(⌒◇⌒)ノトップページへ戻る
2007年01月11日
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嬉しいクリスマスプレゼントをご紹介。『茂山家の人々』ほぼ写真集のような感じですね。茂山家一門の狂言の写真や、楽屋でのオフショットなど。少しですが読物もあります。私としては~、もそっと千作さんと千之丞さんのお写真入れてほしかったなぁと思うけれど(それは別で買え、ということでしょうかねぇ)あとは、狸腹鼓や釣狐の写真も掲載されているのだけれど・・・中身は誰~←気になる名前の掲載が欲しかったかもー。ちゅうかね、私の茂山家御贔屓狂言師 茂山千三郎さんの楽屋でのオフショット・・こりゃちょっと・・・(汗)装束の下に着ているものなんでしょうが~びっくりしましたが、ブランドなのですね。(DKNYだった)いや、どうでしょうか、それは( ̄▽ ̄:) ↑気になる方は書店で確認してください(笑)他の狂言師、宗彦さんや逸平さんのオフショットもありますが、茂山家はタバコを加える姿がチラホラ~喉、痛めませんかねぇ←余計なお世話ですねで、『茂山家の人々』もお薦めなのですがいかんせん、お値段が・・・(写真集はこんなもんかもしれないけれど)これは頂き物なので手に入れてゆっくり見られましたが、自分で本屋に立ったら・・・高くて買えないかも←たかだか1600円に悩む大人そこで。読物として、狂言入門編として、大蔵流茂山家の若手筆頭、茂山千三郎さんの著書『世にもおもしろい狂言』これはリーズナブル。新書なのに680円。安い( ̄∀ ̄)ダラダラ読んでなかなか読み終わらない私が、たった3日程度で読んでしまいました。千三郎さんの立て板に水、な軽やかな京都弁が聞こえてくるようで面白い一冊。それぞれの狂言のキャラクターも「ザ・主人」とか、「ザ・大名」とかお薦めの狂言演目を出して説明してくれます。附子や棒縛、などといったメジャーな狂言を参考に分りやすい親しみある文体なのですぐ読めちゃいます。和泉流ともまたちょっと違う、大蔵流の狂言。秘曲で極重習いといわれる、大蔵流「狸腹鼓」を2005年に横浜能楽堂で披いたときのことなんかが興味深かったですね~。もう本当に何度も噴出すほど、笑っちゃいます。チラホラと一緒にコラボをしている万作家の同世代『萬斎君(千三郎さんはこう呼んでいるみたいですね)』の名前もチラっと出てきます。次はもう少し、茂山家の裏側~とか、狂言トリビア~とかそういうお話も聴きたい ( ̄m ̄*)千三郎さんの著書、第二弾も期待しちゃう(笑) 23日(土)には宝生能楽堂で至高の華でした。野村萬斎さんの「狸腹鼓」梅若六郎さんの「鵺」どちらも今年の狂言鑑賞の締めくくりにとてもよい公演で~感激。また時間のあるときにでも、時代遅れのレポートをば(笑)さて、野村万作家も茂山家のようなこんな写真集とか出版してほしいなぁ(⌒◇⌒)
2006年12月28日
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和泉流狂言「骨皮」■登場人物 新発意(シテ)、住持(アド)【あらすじ】寺の住持が新発意(見習僧)を呼び出して、自分は隠居するのでこの寺を新発意に譲ろうと言います。喜ぶ新発意に、「寺を維持するには檀那衆の"あしらい"が大切である」と言い聞かせます。しばらくすると、にわか雨が降って来て、檀那の一人が寺に傘を借りに来ます。住持の言葉を思い出した新発意は、老僧秘蔵の傘を貸し与え、さっそく喜んでもらおうと報告に行きます。褒められるとばかり思っていた新発意ですが、住持は話を聞いて、「そんな時には"傘はさきごろ老僧が差して風にあい、骨と皮とに吹き破れて真っ二つ。だから天井へ放り上げてある"とでも言って断れ」と怒られてしまいます。まもなくすると別の檀那が馬を借りに来ます。新発意は最前教わったばかりの傘の断りの文句で答えます。「馬は骨と皮とに吹き破れて真っ二つ。だから天井へ放り上げてありますから貸せません」驚いたのは檀那です。檀那「馬ですよ?」新発意「馬です(きっぱり)」檀那「では仕方ありません。帰ります。」今度こそは褒められるであろう、と住持のもとへ報告に上がりますが、当然あきれ果てます。住持「いいか、馬の場合はだな・・駄狂いをして腰が抜けたので、厩の隅に繋いである、とでも言って断るんじゃ。」また怒られた。腑に落ちない新発意ですが、当然と言えば当然です(苦笑)次にまた檀那が訪れます。檀那「明日は志す日(=死者への追善供養の日)なので法会を営みたいと思います。老僧様へお斎おとき(=法会の食事)を差し上げたいのでお願いに参りました。」新発意は老僧が行けない理由を、最前馬を借りに来たときの断り文句をそのまま言って話します。新発意「老僧は駄狂いをして腰が抜けました。なので厩の隅に繋いであります。明日は私だけが参りましょう」檀那がびっくりしたのは当然です。これは、他の方へは他言なさいますな・・と言って立ち去ります。さ、今度は大丈夫だろう、と住持の元へ報告に上がります。さすがに老僧もここで堪忍袋の尾が切れます。逆に新発意の言い分は、言われたことをそのままに答えて対応したのに怒られるとは酷いことだ、と反撃にかかります。新発意「昔、斎米ときまい(=僧の午前中に摂る食事)を眠蔵めんぞう(禅家で寝室)に届けた門前のいちゃ(=若い娘の通名)が嫌がるのを無理矢理中へ入れておったのを見ましたぞ」住持「それは、"十念を授ける"(=念仏を授ける)ことを希望したので中へ入れただけのことじゃ」新発意「ほおお・・・。堂の鳩の唸くうめく(※1)ような十念は初めて聞きました。」(※1)堂の鳩とは社寺に飼われている鳩のこと。唸くとは鳴き声のこと。鳩の鳴き声とは"色事の暗喩"になっている。「破戒の出家は牛に生まるると申しますぞ(※2)」(※2)ことわざ。破戒僧は次の世では牛になる、という意味。僧の品行を戒めて言う語。住持「ええぃ、憎いやつの!やるまいぞやるまいぞ」と追い込まれて終わります。さて、新発意。せっかく寺を譲り受けたのに、もしや破門?!その後無事に住持を勤められたのでしょうか?(笑)【みどころ&マメ知識】実は愚直で天真爛漫(イノセンス)な新発意とケチな住持。鸚鵡返しで失敗してしまうところは、能楽好きで知られる太閤秀吉が作ったとされる狂言「口真似」とも似ているような気がします。馬にかけた「駄狂い」とは、積荷を嫌がり暴れるという意味と、「発情して暴れる」との意味があり、「青草につけ」という言葉は新芽の芽吹く時期を連想させ、「さかりがついて」など、狂言には珍しく際どい表現が聞かれます。当時の出家に対する風刺的、皮肉とも言えるクライマックス。※参考・能楽堂で聞く落語(2005.2.19)・新宿狂言VOL.13(2006.12.15 and 16)プログラム【感想】遠い曲=あまり上演しない曲と言う割に、私の鑑賞回数は二度目です。よもやラッキー?一度目も面白く鑑賞しました。…しましたが、ただ新発意の間抜けっぷりが楽しかっただけ。多分解説もきちんと聴いていたはずなのですが、曲中に含まれた風刺的な意図をあまりよく理解できてなかったみたいですね(⌒-⌒;)今回はわかりやすい解説も手伝い、多少は私の狂言鑑賞歴もやや上がり、自分の好みがわかってきました。ゆえに、私の好きな狂言ランキングでぐっと上位にあがったかも(笑)↑あ、でも桃色な部分のみ気に入ったわけじゃありませんよ…ま、確かにそんなオチは嫌いじゃないけど(笑)あらすじを読んでわかるとおり、主人公の新発意は良く言えば実直。悪く言えば愚直です。言われたことを鸚鵡返しにしか答えられない、できない点は能狂言の好きだった太閤秀吉作とも言われる「口真似」にも類似した感じがします。マニュアル人間。いますね~(⌒-⌒;)悪気はない、でも奥底まで考えられない、と言うか、考えようとしないのか。マニュアルに当てはまらない事例が起きるともうわからない( ̄∀ ̄;)右往左往する器量があればまだ救われるものの飄々と間違えてのけて反省もせず…私も他人のことはいえませんがね~←気付いてないだけか?!(危険)ともあれ、現代人にも共感できる人物描写ではないでしょうか。◎天真爛漫=イノセント◎意味をなさないこと、ばかげていること=ナンセンス今回の落語もとねた狂言会のパンフレットに掲げられていたキーワードです。イノセントが引き起こす、ナンセンス。身に覚えもあるし、今まで観た狂言の中にたくさん置かれている滑稽な基本テーマですね(笑)この新発意は純粋に住持に誉めてもらいたくて頑張る。狂言のシテに憎らしい登場人物はあまりいませんが、いかにも天真爛漫で何だか憎めません(笑)逆に住持の人物像に迫れば身勝手で指示が中途半端。極め付けにケチときた(笑)檀家によって寺は成り立つのだから、檀那あしらいは大切にと説きながら「傘も馬も貸さぬ、言い訳だけを伝授」します。いますよね、こういう上司(笑)指示か不明瞭、不適格、かつ表向き言ってることは立派でも実際にやってることが伴なってない。部下としては「え~い、そうならそうとハッキリ言わんかぃっ」と言った感じですよね。建て前と本音の使い方。主従の間柄で使い方を間違えると人間関係や組織も破綻します。この寺は後々潰れずに存続できたのでしょうか(苦笑)この狂言「骨皮」は新発意、住持、共にイタイのですが(笑)そんな現代の主従関係のイタさを描いた狂言にも思えるのです。私の社会的地位からだと…?萬斎さんの新発意に近い(笑)←んなアホな対応はしてないつもりですが…(⌒-⌒;)だから、こんな上司に仕えて大変ね…と少し共感すら覚えてしまう(笑)経営者や上司の立場からこの姿をみたらどうでしょう。少なからず部下であった時代もあったから、現在の我が身を振り返るキッカケになるのか、こんな使えない部下は嫌だ、と思うのか?双方の立場からお互いの姿を客観的に見つめられる狂言として、なかなかの名作なのでは?と思うわけです。←偉そうでごめんなさい( ̄∀ ̄;)最後、「破戒の僧は次の世では牛に生まれるんだって~」と普段から説法を説いている立場の住持が逆に見習い僧の新発意から諭される始末。もはや住持も面目丸潰れです。←ここが痛快どうみてもありえない、お間抜けな新発意を普段インテリジェンスなイメージを持つ萬斎さんが、生真面目で少し堅い雰囲気を持つ万作さんが戒律では最大のご法度、情事の沙汰を暴かれる老僧を演じました。「堂の鳩の唸くような十念は初めて聞いた~(* ̄m ̄)」と萬斎@新発意がバラすと同時に障子を投影していたスクリーンに桃色の影が二つ(笑)能楽堂ではありえない、視覚でもさらに際どいイメージを観客に提供してくれた萬斎さんの演出ですが、情事を暴かれた老僧役の万作さん。ムーッツリしたお顔がむしろ際立って面白さを増しました(笑)ご子息の舞台演出が万作さんの本心と裏腹なのか、はたまた思惑どおりか…本音を知りたいところでありますが(* ̄m ̄)結末は桃色解説のとおり、こうして際どいものですが(笑)全体的に観ても現代に通じ風刺的で噛み応えのある面白い狂言だと思います。全国でも定番化してもいいなぁと思うのですが…。さてもさても、狂言はおもしろい!■新宿狂言vol.13 落語もとねた狂言会 パンフレットに収録されている「知識の泉」なる落語のもとねたです。 トップページへ戻る
2006年12月22日
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和泉流狂言「鏡男」※落語「松山鏡」もとねた■登場人物 夫(シテ)、妻(アド)、鏡売り(アド)【あらすじ】都での訴訟がやっと片付き、長く在京していた男がやっと故郷の越後国(現在の新潟県)の松之山家に帰国できることになりました。待ちわびている家族に都と土産をと思うところに鏡売りの男に勧められ、男は妻を喜ばせようと、高額な鏡を買い求め急いで国元を目指します。途中、鏡を取り出して見てみると中には誰かがいます。(もちろん鏡に映った自分なのですが)当時鏡は全国的にまだ普及しておらず、田舎住まいの男は当然鏡を知りません。男は道中、鏡を見て驚きながらも色々試してみるうち、ようやく自分の顔が映っているのだと理解します。やがて帰宅すると妻は大喜びで男を迎えます。自信満々に土産の鏡を手渡す男。ところが土産の鏡を渡されると中には見知らぬ女がいると言って烈火のごとく怒り出します。夫「それはお前が映っているんだよ。鏡というものじゃ」何度説明しても、「鏡」自体の存在を知らぬ妻は信じようとしません。妻「この向こうで、ものすごい形相で私を睨んでおります!」夫「だからそれは、お前じゃ。ほれ、身共がこうして後ろから覗けば一緒に映っておろう?」妻「・・・ヽ(`Д´)ノキーーーーー」 「あなたがこの女の顔に吸い付くように寄り添っているじゃないのー!ヽ(`Д´)ノキーーー」夫「( ̄□ ̄;)・・・わかった、もうよい。わかってもらぬならこの鏡は遠くにやってしまおう」妻「なんとっ!ここまでわざわざ(その女を)連れてきておきながら余所へやるとは、酷い人っ!」 「ヽ(`Д´)ノキィーーー」と、(台詞部分は違いますので悪しからず)こんな夫婦喧嘩がなされ、たまりかねた夫は「許してくれぃ」と妻に追い込まれて終わります。誤解は最終的に解けたのでしょうか?!【みどころ&マメ知識】物の姿をありありと映してみせる鏡は、銅鏡など古代から聖なる神具とされるなど人々の畏敬の対象でした。古作の能に「松山鏡」という曲があり、松之山の娘はやはり鏡を知らず、鏡の中に亡き母の面影を見て、その存在を信じて度々自分の姿を映し見るシーンがあります。この能の影響で「鏡男」という狂言が作られたものと言われているようです。また「天正狂言本」に「松山鏡」という曲が書かれていて、これは使用人を買いに行った男が騙されて鏡を買って帰ったところ、妻はその鏡を見て「女を買ってきた」と思い、祖父は老人を買ってきたと怒るという話で、この「鏡男」よりも一層ドタバタした曲だということです。※参考 新宿狂言VOL.13(2006.12.15and16)プログラム【感想】私の身の回りでは過去に観たけれど「あまり面白くないから好きではない」という感想が多くあった狂言です。(3人程度のアンケートですが・苦笑)あらすじだけ読んでいると「鏡を知らないなんてありえねぇ~」というナンセンスさに笑ってしまうのですが、さてどうでしょう。今回は特に萬斎さんが死に物狂いで覚えた鏡男(笑)落語になっていて、遠い曲(上演頻度が低い)ということは、もしかしたら落語のほうが面白いからかも?と解説で仰ってましたが、いやいや、なかなか面白かったですよ~。訴訟が終わり帰郷するとき、土産を選ぶ場面。ただのセットの壁紙かと思っていた後方の襖が両サイドにパーっと開き、中には鏡売りの高野さん(* ̄m ̄)…誰かが御奉行さまみたいと(笑)鏡売りは能楽堂だとどうやって登場するのか見たことがないのでわかりませんが、劇場ならでは。とにもかくにも、襖が自動で開いた中に真顔で座る高野さんを観て会場からドッと笑いが吹き出したのはいうまでもありません(* ̄m ̄)…高価な鏡を買い求め、妻の喜ぶ顔を予想しつつ辿る帰路。小鳥のさえずりが聞こえ、家に着く頃はバックスクリーンに映し出された丸い窓は夕焼け色。狂言には本舞台を三角に歩くことで(道行き)時空を越え、次の場所へ移動する決まり事がありますが、こうした舞台演出で時の流れを表現しています。初めて狂言を観る人にもわかりやすいですね。その道行き、鏡のことをあれこれ話ながら舞台を一回りすると新潟は松之山家(男の家)に到着。どうやらここの台詞がどうも萬斎さんにとっては《これがまた覚えにくくてねぇ》な箇所だったようですね。途中「…おっと~?」という、らしからぬ妙~な間が二度ほどありました(笑)いやホンの一瞬ですけれど、ご本人にとっては嫌~なところだったことでしょう…私はいいもん見れた気分♪←やなやつ(笑)普通なら緊張して舞い上がって思い出せずに、すっ飛ばしてしまうか、道行き十周しても思い出せないかも(⌒-⌒;)本番数時間前(も、なかったかも)で、台詞をたたき込むなんて、さすがの記憶力←一般人、やたらこんなとこに感心してしまう鏡を妻@石田さんに手渡し覗き込むと後方スクリーンには、鏡に映った様子がそのまま映し出される仕掛け。CCDカメラでもついてるのでしょうね。普段の狂言では鏡も偽物ですから鏡を覗いて訝しげな表情なんて作らないのでしょうが、「夫が京から連れ帰ってきた女がいるっ(#`皿´)/」…と怒りに満ちたドアップ石田さん妻(笑)会場は大笑い。後ろから、夫@萬斎さんが「ほら、お前とお前の後ろにいま映っているのは身共じゃ。」と一緒に映ってみる。スクリーンには怒りの形相、石田妻の背後に鼻をのばして背伸びをし、ちょっぴり間抜けな表情で鏡を覗き込む萬斎夫(笑)単にこれは鏡を知らない妻が、夫が京から他の女を連れ帰ってきたと勘違いして怒る、というだけの結末で、淡々と演じると確かにあまり面白くないかも(爆)←好みもあると思いますが(⌒-⌒;)鏡を知らない、というナンセンスは現代では通じにくい話です。でも、その分を役者の演技(仕方)と今回のような舞台演出によって、観客の想像力の手助けをし、笑いの要素は随分増したような気がしますね。とにもかくにも、不完全なまま、やむなく舞台に立たざるをえなかった萬斎さん。他の公演ならば演目を急遽変えることも可能な場合もあるでしょうが、「落語もとねた」というテーマの縛りがあってそれもできない状態。この日は新年能狂言テレビ番組の収録をこなし、解説、独・素狂言、鏡男シテ、骨皮シテと近年稀にも「見ない(笑)」ようなワンマンショー。萬斎さんの頑張りに拍手でしょう
2006年12月22日
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新宿狂言VOL.13「落語もとねた狂言会」於:全労済ホール スペースゼロ平成18年12月15日(金)午後7時00分開演 落語もとねた狂言会番組表(敬称略)すーぱーばいざー 野村萬斎 ◆枕(解説) 野村萬斎 ◆独・素狂言「柑子」 太郎冠者/主人(一人二役) 野村萬斎 ◆狂言「鏡男」 夫 野村萬斎 妻 石田幸雄 鏡売り 高野和憲 ◆狂言「骨皮」 新発意 野村萬斎 住持 野村万作 檀家 破石晋照 檀家 月崎晴夫 檀家 深田博治 スペースゼロに到着すると、「落語もとねた狂言会」と大きな垂れ幕。寄席に来ちゃったのかしら?と思うような雰囲気です(笑)枕いわゆる野村萬斎さんによる解説。とは言ってもいつもと感じが違う(笑)舞台の奥には「襖」赤字で「新宿狂言」と書いた額が目を引きます。出囃子。ええ、落語の出囃子というやつですね。♪チャカチャンチャンチャン♪まさか愛想笑いを浮かべつつ、少々猫背気味に登場したら面白いかも?と思いましたがさすがはそこは普通、いつもどおり背筋がピっと伸びた萬斎さんが高座へお座りに(笑)扇(扇子?)を前に置き、深々とお辞儀をすると、何だか落語の風体で会場からは笑いが。これで羽織を着てたら完璧かもしれない・・けれど、落語界でも身分が上がらないと羽織は着てはならないそうだから遠慮したのかしら(笑)今回、新宿狂言も13回目。毎年テーマを決めて上演を行っているようで、昨年のVOL.12は「男と女」というテーマのもと、全て女性が出てくるという狂言「清水座頭」「鈍太郎」「鬼の継子」の3本立てでした。今年は「落語もとねた狂言会」落語のもとねたとなった狂言を特集してくれました。『鏡男』と『骨皮』あまり馴染みのない曲目ですが。。。ギリシャ悲劇など、海外の演劇は発展を遂げると新しいものが、過去のものを否定するようになるので、台本は残っていても演出方法などが全く残っていない。その点、日本の伝統芸能は他を潰しあわない。雅楽、能楽、文楽、歌舞伎、それぞれが当時のままとは言いませんが、そのまま現代に伝わってきています。まさに「すだれ式」(笑)の芸能だと仰ってました。独・素狂言という言葉を聞いた事のある方~と挙手を求める萬斎さん。ニヤリとしながら会場を見回し「いるはずないですね(笑)初めて使いましたから」一人で謡や詩歌を口ずさむことを「独吟」と言いますし、舞手のいない囃子を「素囃子」なんていいますが、「独・素狂言」・・・一人、相手もいない舞台で狂言を演じる、という試み。落語風といっても、全く落語のようにしてしまっては狂言らしさもなくなってしまうので、ある程度は狂言の形式を持って行います、とのことでした。落語風狂言、というのはすでに茂山家のほうで先にされていたとのことです。以前(2005年2月)横浜のにぎわい座(寄席)で柳家花緑さんと「寄席で見る狂言」をしたときに、初めて「一人狂言」を行いました。そのとき選んだ演目が「佐渡狐」萬斎さん「これがねぇ・・・失敗しましてねぇ・・・(苦笑)」「長いうえに、3人も出てくるもんですから、途中で誰が誰だかわからなくなりましてね・・」「なのでね、今回は『柑子(こうじ)』を選びました。俊寛の物語をする狂言です」前日に稽古をされたようですが、座布団に座ったままで二人を演じ分けるのですから落語のように首を振って人物を切り替えます。「首を振りすぎではないか」と色々と言われたようです。さてどんな舞台になるのでしょう(笑)でもね~、私としては、もう一度リベンジ「佐渡狐」お願いしたかった!←無謀を期待、鬼のようなファン『鏡男』ですが、さらっと曲のあらすじを説明。落語「松山鏡」のもとねたになった狂言です。萬斎さん・・・「鏡男・・。仮面ライダー世代の私にはつい「クモ男」とか(スパイダーマンのことかしら)。「ミラーマン」などと思ってしまうのですが(笑)・・・ミラーヒューマンと言ったところでしょうかねぇ」「本当は伯父の万之介が勤めるはずだったのですが、折悪しく体調不良となりましてねぇ。(会場は困惑の溜息)さて誰がやるか。この『鏡男』、『骨皮』もそうですがあまりかかりません。かからない、とはつまり「あまりやらない」狂言なんです。」「ということは、出来る人があまりいない(苦笑)」「萩大名とかだったら、一門で誰でも出来るんですけれどねぇ」「それで、急遽ワタクシがやることになりまして・・・」「さきほど、死に物狂いで台詞を憶えましたが・・・」「非常にドキドキしております(苦笑)」「もう本当は解説なんてしているどころではなくて、今すぐにでも台詞を憶えたいくらいで」(会場はそんな大変な状態の萬斎さんを知って知らずか大笑い)「途中、鏡について長々と語る台詞があるんですが、これがまた非常に憶えにくくてねぇ・・・(汗)」←半分愚痴になりはじめ「妙な間があいたとしても、どうぞご容赦ください(苦笑)」次に『骨皮』のあらすじをザっと解説。これは落語「金明竹」のもとねた狂言です。この『骨皮』は狂言にしてはちょっと・・・『えっっ・・・・ち』な(笑)狂言です(笑)『えっっ・・・・・ち』です(笑)←そんな繰り返さんでも ( ̄m ̄*) もともと下ネタ系の狂言もあったようですが(尼のおしめの話とか・・・←なんだろ)、武家に召抱えられるようになると品位を保つ必要が出てきてしまったために、段々演じられなくなった、ということです。でもこの「骨皮」は萬斎さんが最近、同じ曲ばかりもやっていられないので、と、たまに試みている狂言なのだそうです。何が『えっっ・・・・・ち(笑)』なのかというと、結末に住持の秘め事を暴露してしまう、というところにあります。キーワードを言わないとわからないかもしれませんので、ちょっとオチを解説しておきますと~「門前のいちゃ、という人物が出てきます。」「いちゃ、というのは若い女性のことで、本来あまり舞台上には登場してきません。水汲という狂言は別ですが」「いちゃ・・・つい、2度言いたくなる(笑)(ニヤリ)」「この"いちゃ"が斎米ときまいを住持のところへ届けます。斎米ときまいというのは、お坊さんが午前中に摂る食事のことですが、これを届けようとしたいちゃを、或る日「眠蔵めんぞう」・・・眠蔵めんぞうとは、いわゆる寝室のことですねぇ。」「Bed Room♪」←英語にすると生々しいですから、萬斎さん・・・しかも嬉しそうだし(笑)まぁ、嫌がるいちゃを眠蔵に連れ込んで・・・さて何をしたかあ~大人のお話ですねぇ(笑)狂言なので、あくまでもダイレクトに言いません。「そこから堂の鳩の唸うめく声が聞こえた、というんですねぇ」「あとは、舞台をご覧になって想像してみてください(ニヤリ)」何か「え、これ以上のツッコんだ解説なしですかぃ?」的な空気に←私だけかぃ?それを知って知らずか?萬斎さん「鳩の唸く・・・。鳩はどのように鳴くでしょう。現代で言うならばポッポッポー♪(鳩ポッポーの音階でどうぞ)でしょうか。昔は、どんなふうに聞こえたか」( ̄∀ ̄)ニヤリ(意味ありげだし)「昔はクゥークゥー聞こえたかもしれません」高い裏声でクゥクゥ解説する萬斎さんはお茶目でございました(笑)会場も大いに笑う。時にこの『骨皮』のアドである住持(いちゃとの情事を暴かれてしまう老僧)を演じる万作さんが舞台袖で鳩の鳴く声「クークー」解説を聞いていたら・・・どうであろう?と思わず想像してしまうのでした。能楽堂の楽屋に赤いトレーナーを着て向かった武司少年に「乱れている!」と怒った逸話もある生真面目な感じの万作さんですから(笑)とはいえ、狂言としては際どい表現もある結末なのですが、出家の品行を戒める風刺的な意味合いも含まれていて、なかなか楽しめる狂言です。【独・素狂言「柑子」】あらすじはコチラ→「柑子」【感想】萬斎さんの柑子は普通の狂言ではまだ観た事がないのですが、美味しそうにミカンを腹に収めてしまうところは可愛いですね。誘惑に勝てず食べてしまったことを主人に言い訳するのですが、そんな言い訳が通るわけもなく(笑)主人も3つ目のミカンの結末を知るまでは太郎冠者の「俊寛僧都の悲劇」を最後まで聞き一緒に泣いてしまう人の良さがありますね。とても捻ったストーリーになっていて、太郎冠者の機転も楽しい狂言です。あまり動きのない語りが見せ場という狂言ということと、2人しか出てこない狂言なので「独・素狂言」としてはいいチョイスだったかもしれませんね。でも、佐渡狐・一人狂言も面白かったんだけれどなぁ~(笑)さて。狂言ござる乃座「萬斎×釣狐」と違い、お祭りムード全開の狂言会でした。年忘れ、にはもってこいかな~本当は「釣狐公演」での舞囃子「高砂」や狂言「末廣かり」の感想なども書いておらず~。全くもって覚書になっていないのですが、新宿狂言は解説(枕)あり、珍しい狂言会で面白かったので記憶の存在しているうちに載せてしまえ、という魂胆でした。やっぱり一晩寝、二晩寝、すると10行ずつくらい忘れる。すでに20行は忘れた模様(笑)記憶しているようなところって言えば、 「えっっ・・・ち」なピンク解説ばっかりで。そこばっかりやたら強調して書いているウツケです(爆)いや、滅多ないし、お祭りだし、年末だし、いいよね(笑)【弐】レポートは、萬斎さんドキドキ、死に物狂いで台詞を憶えたという「鏡男」とピンク解説(爆)際立つ「骨皮」です。トップページへ戻る
2006年12月17日
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前回のレポートはこちら・・・【2】狂言ござる乃座36th「萬斎×釣狐」釣狐 前シテの白蔵主が高々と跳び上がる表紙が目を引く「あらすじで読む 名作狂言50」あめみこの愛読書でござる。 全体を通しての感想です。私の感想など(笑)もったいぶるほどのことではなかったのですが三部作になっちゃいました( ̄∀ ̄;)もしかして・・・「かーっ、生意気なっ」な部分はどーぞご許されませ(苦笑)はい。ド素人の私によくはわからないけれど・・・わからないんだけれどこれが和泉流「万作家」の洗練された技、美しさ、伝承を受け修業をしてきた釣狐なのかなぁ、と言う思いで鑑賞を終えました。←うは~、ショッパナから生意気か?!特に前シテは「習い」と言われる型のオンパレード。一つ一つのそういった技が代々受け継がれ、精巧にプログラミングされたような完成度が感じられました。後シテには前場ほど固められた習いがあまりないらしいと聞いたので、演者なりの工夫を出すのは狐になってからの方が多いのかな、何だか萬斎狐が生き生きと動いているようにも思いました。六世万蔵さんから教えを乞うた万作さん曰く、ただの物真似にならない品のある後シテでなければならない…と。万作さんが60歳を超えて挑まれた釣狐は「月の浮かぶ薄野原」というイメージを持って臨まれたそうです。不惑、野村萬斎さんの釣狐は…?私は万作さんの最後の釣狐ドキュメンタリー、または著書などの読みすぎで当初、同じ雰囲気をもつ釣狐を感じることこそ、醍醐味かも…などとナントカの一つ覚えのように思い込んでいた節がありました。まったく持って反省のしきり です(笑)イメージを広げるのはその時の狂言師の演じ方と観客の感性。正解などないのでしょうね。しいて言えば、その日のシテを勤める役者の思惑に近い観劇ができたら最高。前場は人間に化け、猟師と対峙するいわばアウェイ。本来の姿となった後場は狐にとってのホームグラウンド。漆黒の闇に光りさす月と薄野原は萬斎狐の見上げる空には広がってはおらず、なお百歳の老狐のようにも感じなかったけれど、生命力と躍動感溢れる銀色の艶やかな毛並みを揺らし、誇らしげに荒野を走り回る雄狐。万作さんが月のイメージならば萬斎さんは太陽のような眩しさ を感じます。しいて言えば・・・そう・・・。昼間の太陽というより…秋空に赤く染まった夕焼けが似合う狐です。・・・狐は夜行性・・・ま、細かい突っ込みはさておき(苦笑)またこの日観た後シテ萬斎狐の中には「食べたいな~」という台詞からも、陰惨さ、暗さと言うよりも、太郎冠者的な陽気さすら垣間見れました。重々しい白蔵主の前シテでも悲劇性と喜劇性が相まみえるような印象。演者にとっては因果なものか難しさか私にはわからないのですが、激しく動いているとつい若さが際立ち、そこから「老いの印象を醸し出す」のは、そうそう簡単なことではないのかもしれません。でもね、それが良いとか悪いとかって思うわけではないんですこの萬斎×釣狐公演は全七回。残すところは福岡と大阪のホール公演。過去5回の公演を全て見比べたわけではないのでわからないのですが~、他の方から色々と聞いた別の公演の感想から「それぞれの舞台で萬斎風味を変えている」んじゃないかなぁなどと想像しています。せっかく短い期間でなかなか演じられない釣狐をするのですから、異種格闘技などで培った引き出し、それら演出の妙と観客の反応を併せて楽しんでいるような気がしてならないのです(笑)今まで本などで読んで漠然としか感じられなかった「時分の花というもの」を初めて深く体感させてもらったような気がしますね。数年後、数十年後、還暦を迎える頃に萬斎狐が復活するとき、またその年代での時分の花を咲かせてくださるんでしょうね。今年は思いがけず萬斎さんの釣狐、そして茂山家、将来を担う時期当主(気が早いか・笑)、正邦さんの釣狐も観ることができました。東西の狐にお目にかかれて幸せな2006年。当然、比較も可否なども私がつけられるものではありません(笑)ただ難しいことはさておいても。面白かった(≧∇≦)とくに、ござる乃座では万作さん・萬斎さん親子が、懸命に勤められた渾身の舞台記憶に残る釣狐を観れたこと。ずーっと忘れられないな、と思いました。参考:あらすじで読む 名作狂言50【本日のつれづれ】今日は2本立て(笑)←こうしてなかなか年賀状に取り掛かれないヒト今週の金曜日が私の2006年狂言鑑賞ファイナル。新宿狂言 全労災ホール スペースゼロで"落語元ネタ"の狂言を野村萬斎さんの解説と高座?!(←やっぱり今年の〆も、こーでないとってやっぱミーハー・・笑)狂言「骨皮」は去年一度観ましたっけ。あらすじはこちらあんまり~心に深く刻まれた演目ではないのだけれど(爆)新発意のトボケっぷりと、住持の慌てっぷりが見ているだけで面白い作品。鑑賞レポはここ本日は夫殿が出張ゆえ~、時間ができたので一挙2本立ての暴挙?!ですが(笑)もう週末まで新記事も作れない気がしなくもないので~・・・また、つぶやきBlogか掲示板へご報告いたしまする。みなさんもお忙しい師走・・お時間が出来た時にまたお付き合いくださいね。お掃除、年賀状、がんばりましょう(うるる~)トップページへ戻る
2006年12月12日
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平成18年12月1日(金)国立能楽堂で行われた「狂言ござる乃座36th 萬斎×釣狐」公演レポートの中盤。中入り~後場までです。前回のレポートはこちら→【1】狂言ござる乃座36th「萬斎×釣狐」 中入り後はどんなことが行われているのか~。気になって気になって仕方がない私(笑)とは言え秘事口伝となっている幕内の中(鏡の間)は屏風が立てられ、その中にはすでに釣狐を披いた者でなければ入ることも許されず、この中で装束をつけるようです。さらにシテはこの釣狐のみで床机に腰掛けることを許され、その中に入るまでは白蔵主のあの窮屈そうな姿勢や運ビも崩せないとか。うっすら、物見窓越しに人が忙しなく動く影・・・さて。万作さんはまだ動きません。暫くするとアド後見(高野さん)から万作さんへ耳打ち。前シテが屏風に入るまでか、体力が回復するまでか、そのタイミングはわかりませんが、準備が出来た、ということを知らせるためだということで釣狐ならでは。珍しい光景ですね。茂山家の釣狐には・・なかったような、気がするなぁ。記憶が薄くなっちゃいましたけれど・・・六世万蔵さんの著書にもありましたが上演時間も和泉流万蔵家の釣狐は長いようですし、殺生石の語りでは体力の消耗が激しいためか床几に腰掛けさせるところを見ていても、疲労困憊のシテに対する配慮なのだろうとのこと。酸欠で倒れこんでも不思議ではない状態にまで追い込まれることが少なくないからなんでしょうね。猟師万作さんがやはりあの白蔵主は以前より狙っている古狐だ、憎いやつの、罠を仕掛けて仕留めてくれよう、と罠を組み立てます。万作さんの肩衣は「濃紺地に生い茂る竹と裾のほうには筍」があしらってあり、狐に対して優位というか強さを表しているようなイメージ。そういえば能楽堂の切り戸口側に竹が描かれているものと似ているかなぁ~などと考えていました。肩衣の話とはそれますが、竹は他の樹木を滅ぼして育つ強い植物ですから武家社会のお殿様が縁起を担いで好んだ絵だとか。だから強い。また生命力も感じます。ちなみに、万作さんが以前に釣狐を演じた際に萬斎さん(当時野村武司)が身につけていた肩衣の写真を見れば、やはり濃紺に強いイメージの鬼面が(狂言らしく少し愛敬のある顔立ちですが)あしらってありました。万作さんがこの肩衣を選んだ理由なども知りたいものです。さて。いよいよ、後シテ 狐の登場です。万作猟師は片袖脱ぎ、身を伏せて狐が罠にかかるのを待ちます。萬斎狐は幕内で2回、幕から上半身を出し3回目を鳴いて橋掛リに四足で勢いよく飛び出します。この鳴き方も習いの一つだそうで、「序・破・急」を表しているとか。遠くから颯爽と駆け抜けてきた、そんな感じです。あっという間に本舞台の中央にたどり着き「ふっ」と小さく力を込める声が聞こえたかと思えば背を地に擦り付け、狐のグルーミング(笑)いやん、猫みたいっ(笑)←本物の狐のグルーミングは観た事がないので・・本性を表し身軽になったので嬉しいのでしょうか( ̄∀ ̄)野原に駆け回る一匹の狐。そして四足で罠に近づき、様子を伺う萬斎狐。前足を伸ばし、お尻を後ろに引き警戒する。これは猫が獲物を狙うとき、尖った耳を後ろへ倒し身を低くしているようにも(笑)すぐそこには罠にかかるのを今か今かと狙う万作猟師。それでもなかなか罠にかからないので根気強く身を低くして狙います。狐が猟師のいる方向を見やれば、万作猟師が顔を背ける。その二人の息、「ああ、親子共演というより競演でもあるなぁ」と思いました。何度か「まんさく、まんさく」と小さく鳴く狐。あはは、言った(笑)聞こえた(笑)これは気付かないかもしれないなぁ・・。ずーっと後ろのほうだと聞こえないかもしれない・・・小さい声で。狐はこのときアド(猟師)の本名を二度ずつ呼ぶ、という習い。アドが石田さんなら「ゆきお、ゆきお」。高野さんなら「かずのり、かずのり」。九州は高野さんと並んで初アドを勤められる深田さんなら「ひろはる、ひろはる」石田さん以外みんな・・・四文字・・・長いね(笑)これも「継承している狂言師の方々でさえ理由分らぬ”習い”」の一つなのだそうで、一体何のおまじないなんでしょう(笑)ワキ柱の向こう側や橋掛りの欄干に前足(手)をかけたり、一回転して前足を上げて咆哮する狐。四つ足の走り方すら雑にならないよう工夫も重ねたのでしょうか。後ろ両足で地を蹴り上げ力強く走り回る萬斎狐。いよいよ罠についた鼠に近付き前足でタッチ…(笑) 釣狐 後シテ前場 白蔵主の不気味な雰囲気から狐の本性を表して登場。罠についている若鼠の油揚げを狙っている。コミカルで愛らしい姿に思わず頬が弛むことも。しかし演者にとってはかなりハードだという・・・口に鼠をくわえようと近づいた瞬間、首に罠にかかり万作猟師渾身の古狐ついに捕獲~!後シテの狐(演者)は自らの首に縄をかけます。一瞬の勝負。しかしこの日は狐の面に引っかかって巧く入らなかったようでした。少しヒヤヒヤしましたねぇ。このままでは猟師との引き合い(攻防)になりません。即座にシテ後見の石田さん。先ほどまで穏やかな表情で座っていたのに目を見開き様子を伺いながらサっと縄をかけなおす。ふぅ・・簡単なことでしょうけれど、間を見計らうのは難しい役目です。何度も狐が仰向けに倒れては猟師の持つ縄に引っ張られて起き上がります。いわゆる腹筋状態ですが・・ハードな動きの極め付けにコレです。「ふっ・・・」だか「うっ・・・」だか・・・狐の着ぐるみの中の萬斎さんが声を上げる。ああ・・・苦しそう・・・萬斎狐にかかった猟師万作さんが引く縄。縄を使う、という点で「猿に始まり 狐で終わる」と野村家で言われるように、初舞台で演じる「靱猿」もまた師弟の繋がりが始まった証拠の白い縄であり、共通点を感じますね。釣狐でのこの場面は縄の使い方が難しいのだそうで、長く扱えば後ろ向きに舞台から後シテ(狐)が転落する危険性があり、逆に狐が縄を抜けるときもアド(猟師)も場合によっては弾き飛ばされて怪我をする可能性もあるということ。舞台を渡る白い縄紐に見えるのは、狐と猟師の攻防だけではなくて・・・「親子のキズナ」釣狐さえ珍しくあまり多くの公演は観られないのですから、親子共演も今度はいつ見られるか・・・当然、萬斎さんの釣狐は14年ぶりだから、本格的なお稽古もお相手(アド)を勤める万作さんも想いは一入なのではと・・そう思うと何か心に感慨深い感情がこみ上げるようでもありました。いま、その瞬間に立ち会っている幸せ。はふ~~~・・・。もう一度あの場にタイムスリップした~~いぃぃ"こんくゎい~"←鳴いてみても無駄狐は嘲笑うかのようにするりと縄を抜け、見事としか言えない高い跳躍。今度は「ドンッ!!」客席が激しく振動するほどの衝撃。逃げ去る途中で欄干に手をかけ、嘲笑的に鳴き、万作猟師は「やるまいぞやるまいぞ」と追い込みます。幕に入った狐は長く激しく一声「クヮーーーーイ!」と鳴いて終わりました。この、最後の一鳴きは嘲るようなものなのか、淋しさを感じさせるものなのか…私にはどちらとも言えない複雑なものに聞こえました。見所からは長い長い拍手が鳴り響き、後見の高野さんが罠を片付けて切り戸から退出されるまで舞台の余韻は続きました。最後にまた拍手が起こり、客電が明るくなったとき、現実に戻った気がしました。「すごかったね」口々に感動と今日の主役、萬斎さんの労を労い誉め讃える声があちらこちらから聞こえてきました。で、続く。後半はあらすじ、というより「動き」がメインで文章にしても~わかりづらいかもしれませんね。自己満足系覚書レポ作りは。「作る時間てあるの?」とよく聞かれますが。。。なかなかナイんですな、これが。怖ろしき師走ゆえ。でも!!忘れる前に書いておきたいものーーー!!で、最近は大概、行き帰りの通勤にケータイでおおよそ作って自分のWEBメールに送信。パソコンで色づけなど、ちょろっと手直しをかけてエントリーしています。でも、私のケータイは漢字が出ないので結構困る・・・新しいケータイがほしい・・・。相変わらず画像保存できないまんまだし(涙)ココ最近、プリンターを新しく購入♪←カード払い 支払いが怖ろしくコワイいままでは古くてひたすら印刷をするのみだったけれど、スキャンも出来るようになったのだぁ♪嬉しくて早速プログラムを取り込んでみる。でけたーーー♪初スキャン(笑)でも、上の文字が切れた・・。ま・・いいか←アバウトえっと・・・。一気に感想まで書いてしまおうかと思ったのですが【2】もあらすじでほぼ終わってしまいました( ̄▽ ̄:) 次回は。。。掲示板にも漏らしておらぬ感想をば。。。いづれ・・・え。いや、ほんと、たいした感想は畏れ多くて書けませんが・・・「よかった」「よくなかった」などと一言で言い表せないですね。「好き」「嫌い」はあるかもしれないけれど。はい、私は「釣狐」が好きです( ̄∀ ̄*)参考文献六世野村万蔵-狂言の芸-「狂言ござる乃座36th 萬斎×釣狐」プログラムトップページへ戻る
2006年12月01日
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狂言ござる乃座36th「萬斎×釣狐」於:国立能楽堂平成18年12月1日(金)午後6時30分開演番組表(敬称略)【番組表】※敬称・地謡略「狂言ごさる乃座36th 萬斎×釣狐」平成18年12月1日(金)18:30開演於:国立能楽堂舞囃子「高砂 八段之舞」観世喜正(観世流)笛:一噌隆之 小鼓:観世新九郎 大鼓:柿原弘和 太鼓:観世元伯狂言「末廣かり」果報者:野村万之介 太郎冠者:深田博治 すっぱ :石田幸雄後見:野村良乍狂言「釣狐」白蔵主/狐:野村萬斎 猟師:野村万作 後見:石田幸雄 高野和憲 「釣狐」で用いられる前シテ 伯蔵主実は狐 の面(イメージ)出典:御花美術館 所蔵 http://www.ohana.co.jp/museum/index.html 【舞台の進行&覚書とあめみこの感想】和泉流狂言「釣狐」能狂言あらすじ→「釣狐」幕が上がり、猟師役の万作さんがゆっくりと橋掛リを通り、笛座の前あたりに座ります。はぁ・・いよいよ始まる、始まっちゃうんだ。前シテ白蔵主が一瞬の幕開きの後に出現し、見所をじ・・・っと見る。ゆっくりと回る首が妖かしの気味悪さを醸し出します。「お幕」と言ったのか、「クワイ」と鳴いたのか、はたまた「ワォン」と吼えたのかわかりません(爆)・・・え( ̄∀ ̄;)私は「バゥッ」犬の鳴き声に聞こえた...(汗)窮屈そうな姿勢で歩く獣足と呼ばれる釣狐独特の運ビ。こんなに萬斎さんは小さかったっけ、と思うほど。固唾を呑んで橋掛リを見守り続ける見所もまた緊張感のベールに包まれている雰囲気でした・・・本舞台までたどり着き「名残の後の古狐 こんくゎいの涙なるらん」と次第を謡います。※「こんくゎい という鳴き声は後悔の涙であろう」「隠れもない百歳(ももとせ)の古狐・・・」と名乗り、眷族をことごとく釣り捕った猟師に今後の狐狩りを思いとどまらせようと白蔵主に化け説得に来た、という事の次第を話し出します。白蔵主の面は色々とあるようで、公演により変えるということでしたが古い面だからなのか?口元が黒ずんでいる、不気味というか、なんともいえない表情の面。まだ上にイメージとして掲載した御花美術館所蔵の伯蔵主面のほうが人間らしい感じかなぁ。この日観た白蔵主面は少しばかり「ドロボーさん(爆)」という感じにも・・・( ̄▽ ̄:) ←おいあんなの、本当にいたら・・・どんなに巧く化けようとも隠しきれない面妖な様子に気味の悪さを感じます。面をきる、激しく動き出すと僧の姿をしているのに人間らしくない獣の臭い。「これほどに化けてござる」水鏡の型と言われる、自分の化け姿を水面に映して確認します。百歳の古狐、その化け術はもちろん極めているのでしょうが、仲間をことごとく釣り捕った猟師の元へ自ら出向く決意を固めているのだから、丁寧に水面に映して観察する用心深さは錯綜する恐怖の念も入り混じっているような気もすれば、これほどに化けられるという惚れ惚れとした自信の表れにも見えますか…。そして驚くほど高い跳躍。それなのにドンっという足音がない。百歳の古狐にしては・・・元気がよい(笑)獣は音を立てずに歩きますもんね。身軽でいて、床にかかる自分の体重を身体の吸収動作で巧く行ってるからなんでしょうね。後場にも、こういったジャンプはありましたが、若さと身体能力がなければそんな繊細な動作を最後の最後まで気を配ってはできないでしょう。「住みなれしわが古塚を立ち出でて~」「足に任せて行くほどに~」「猟師の許に着きにけり~」猟師の家に到着し、白蔵主は急に発狂します。「犬の声がする!」「イヌノ、コエ ガスル」と表記したほうが雰囲気が出るでしょうか(笑)これは裏声で普段、お話するときの低音ボイスの萬斎さんとは思えないほどの高音で、こういう部分は狂言の台詞っぽさは全くないですね。ピョンピョンと飛び跳ねながら舞台上を細かく移動し、機敏な動きを見せる白蔵主。ここを「驚きの習い」というそうですが、ハードな動きだなと思います。面をかけてあれだけの動きをするのは曲全体を通してもそうですが、舞台の大きさと感覚が身体に染み込んでなければ当然・・・できないですよね。ようやく犬は遠くにいるらしいことがわかって猟師を「物もう、案内もう」と呼び出します。ここはもう、「ああ、怖い、怖い」と狐の恐怖が伝わってくるよう・・対面し、猟師はすこし珍妙だといぶかしみながら白蔵主を伯父と思って出迎え、狐を釣ったことを白状します。「一つ釣り、二つ、三つ、四つ・・・面白くなり・・・」釣った狐をどうするのか尋ねると・・・「狐は皮を剥いで引敷(腰当てのこと)に致す。身は料理して食べまする、骨は黒焼きにし、膏薬練(薬屋)に売ることでござる。」狐に取っては怖ろしいほどの諸行を飄々と語るのを聞いて、白蔵主は身を固くし微かに震え「クワイ!」と・・・鳴いた、ような。ここで前場のうちで、初めて見所から笑いが起こりました。人により笑えるところとそうじゃないところがこんなふうに明らかに分かれるのも、私が経験した狂言でははじめてのような気がする。でも正解は、ないと思いますけれどね。私はですね、笑えなかったんです(苦笑)つい狐の気持ちになってみたら・・・一族がそんな酷い目に遭っているのを脳裏に思い浮かべただけで激しく憤るし、怖ろしくもあって。他の方々はどう感じたのでしょう?笑えた人は、「猟師サイド」?人間らしいのかもしれません(笑)「狐は執心の怖ろしいものじゃ。必ず必ず、お釣りやることはおやめなさい・・・」という白蔵主の忠告に、案外あっさりと猟師は承諾するわけです。そこで、白蔵主としてもわざわざ赴いてきたのでさらに「狐の執心」をもっと深く聞かせようか、と言うわけです。殺生石のアイと同じ語りを床机に腰掛けて語り始めます。「抑々 狐と申すは 神にておわします・・・」静かに、静かに語り始めたかと思えば、息つぎをしているのかと思えるほど、半ば興奮してトランス状態とも言えるような白蔵主の語り。低い声から高い声まで、スピードも巧みに緩急を付けて捲し上げるかのように語るのです。ふと出る、《獣の臭い》こういう声のテクニックで魅せてしまうわけですね。ますますこの白蔵主(伯父)は不気味で怪しい。罠を即刻捨てよ、としつこく迫る白蔵主に、ますます不信高ぶる万作猟師。でもここは、あまり疑り深い様子を大仰に演じるのではなく、万作さんは淡々とした表情でされていました。渋々奥から罠を取り出し、白蔵主の鼻先へ差し出す猟師。白蔵主は、ほぼ同タイミングで鼻を背け「早う、捨てさしめ」と猟師を叱ります。猟師が罠を捨てるために背を向けたとき、「若鼠の油揚げ」の美味しそうな匂いが鼻に残り、白蔵主は「クシュー、クシュー」と鼻を鳴らします。ここもまた「表裏の習い」というそうですが、狐の本性がチラリと垣間見られる箇所です。帰り道、まんまと猟師に罠を捨てさせ有頂天になった白蔵主は、小歌を謡いながら戻ろうとするところに、狐を釣るための捨て罠があるのを見つけ、猟師を憎み、そこについている黒い小さな鼠の油揚げに恨み言を言いながら杖で繰り返し突付きます。この小歌の場所は前場最後の山場だそうで、ハァハァと面から息の漏れる様子は狂言「節分」の小歌の場面にも似ているんですね。「この里に住めばこそ 浮名も立ての 往のうやれ 我古塚へ しゃならしゃならと」(この里に住めば色恋の評判も立つのだなぁ。さぁ帰ろう、我古塚へ。胸を張って気取って帰ろう)と言ったところでしょうか・・・あまりセンスよくない解釈だけれど(汗)罠についている餌に思わず食いつきそうになりますが、いや、まて、この罠で若い仲間たちが命を落としたのだ、今自分がこの罠にかかるわけにはいかない、と古塚へ帰ろうと繰り返し呟きながら戻っていきます。何度も、何度も。何か欲望に負けそうな自分が情けないとでも言いたげな、切ない呟き。「古塚へ帰ろう」反復し何度も何度も自分に言い聞かせ、戻ろうとしますが・・・鼻腔を突く大好物の獲物に欲求を抑え切れず、「一族を奪った憎き罠であるから、復讐をするのだ。この青緑(あおみどり・・・狐が化ける際に被っている緑藻)を脱いでから食べにこよう」と詭弁を弄し、さらに油揚げをせせります。狐でも、欲求に勝てない自分をどこか正当化しようとする部分は人間らしい一面ですよね。さぁ、思いは決まった。早速、狐の姿に戻ってこよう。舞台の真ん中で、白蔵主が後ろを向いて腰を下ろしたかと思えば裾をたくし上げ・・・お尻ペロン。え。立ったまま裾を少しばかりたくし上げて尻尾を見せるんじゃなかったでしたっけ?これは完全にお尻ペロン(笑)随分と大胆なサービスに笑ってしまいました( ̄∀ ̄)太い尻尾、、、狐の象徴。化けの皮を剥がした瞬間。後ろ向きで見所を一瞥し、「どうよ、俺の尻尾」・・・なんて言っているようにも思えるし(笑)でも白蔵主面と上半身もあわせて見たらやっぱり不気味??!そして幕内にジャンピング イン!は・・・早いっ「クワイ~~ッ」と一鳴。私のレポも随分と長いですね(苦笑)ここで中入りです。順番が前後しますが、気分もエナジー溢れている舞台の感想からと思い、釣狐から先に書いています。釣狐。あらすじは過去に1度書いてあるし、感想だけ簡単に、と思ったのですが折角の舞台なので、結局あらすじから辿ってしまった~(で、また長くなった・・・ごめんなさい)全体的な感想はこのまた後の日記に。トップページへ戻る
2006年12月01日
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狂言「栗焼」【あらすじ】主人が丹波の国の伯父から立派な栗を四十個貰ってきました。お客様に振舞いたいので、焼き栗にしてこい、と太郎冠者に命じます。さて、炭火の上に栗を並べて焼き始めると栗が爆発して飛び上がります。「あちっ!!!」「焼き栗は火加減が難しい。こいつめ、メ(切れ目)をかかなかったから飛びよった。さて、今度はちゃんとメをかいたによって、そのように飛ぼうと身繕いしておっても飛べぬぞよ」ようやく焼けて、主人のもとへ持ち帰る途中、焼き栗の芳ばしい香りの誘惑に負けて、ひとつ、ふたつ・・と食べてしまいます。「おいしい」「ああ、もう一つ食べたいなぁ」そうして、気がつけば全部食べてしまいましたさて、主人にはなんと言い訳をしたものか。焼き栗を待ちわびた主人は早速、太郎冠者へ栗をこちらへ寄こすよう命じますが、当然栗はありません。太郎冠者は主人に「実は竈の神が夫婦で現れまして、栗を献上しました。」竈の神が現れるとはめでたいこと。それを咎めることはできません。主人「うむ、仕方がない。さて、では残りの三十八個を出しなさい」といえば太郎冠者「さらに三十四人の公達が現れたので差し上げました」という始末。主人「(-_-)む。では残りの四つはどうした。」太郎冠者「栗はもうありません」「一つは虫食いでありました。ほかは焼き栗を焼く言葉に、逃げ栗、追い栗、灰だらけと申しまして一つも残っていません」当然、太郎冠者は主人に叱られ「やるまいぞ」と追い込まれて終わるのです。【感想と見どころ】焼き栗相手に、「それ、飛ぼうとしておるな、どれ飛べぬだろう」というふうに話しかけている様子や扇の先で目の前に並べられた栗たちをひっくり返しては上手に焼いている姿がとても写実的でコミカル。さらに栗が焼きあがって、手で取り上げた時、熱くて左右に持ち替えては「あちあちあちあちあちあちあち・・・ふぅーふぅ・・・」と息を吹きかけ冷ます所作は太郎冠者の愛らしさが光ります。一つ、二つのつまみ食いが、ついつい余計に食べてしまった経験なら誰しも持っているのでは?(笑)私は未だにありますねぇ。料理を作って皿に盛り付けながら美味しいといくつか食べてしまい、量が減った盛り付けはイマイチ様にならないという(苦笑)秋の演目としてはとても雰囲気の出る作品ですね。ほとんど太郎冠者(シテ)の独壇場で演じていくので大変そうです。この日のシテは本来、野村万之介さんでしたが体調不良のため代役で石田幸雄さんでした。実は船弁慶だけではなく万之介さんの栗焼が観たくてとったチケットだったので残念でしたが、石田さん、ものすごーく美味しそうに食べるので・・・上演中ホクホクの甘い大きな焼き栗が食べたくなりました(笑)こうして主人に命じらたのに、誘惑に負けてしまって全部食べてしまう、という「つまみ食いどころではない」、これまた大胆な行動に出る太郎冠者モノの作品では「柑子」なんかに近いかもしれませんね。言い訳の内容としたら、柑子のほうが上等で、平家物語の俊寛僧都の島流しの話などを神妙に語りながら思わず主人を煙に巻こうとする、あちらの太郎冠者の演技もまた見物なのですが、栗焼はやっぱり栗を焼く太郎冠者の演技が最高。石田さんの舞台もよかったのですが~・・・やっぱりこれは万之介さんの栗焼が観たい!シワシワの手で栗を焼いて食べる。心持ちホッコリしそうではありませんか?【鑑賞の記録】(敬称略)平成18年10月20日(金)午後6時半開演於:国立能楽堂和泉流狂言「栗焼」太郎冠者(シテ):石田幸雄主(アド) :野村万作この日のその他の番組→観世流能「船弁慶-重前後之替 早装束-」【本日の徒然】ええっと。これは10月の国立定例の演目です。1ヶ月遅れですねぇ(笑)明日はついに「京都ござる乃座1st」記念すべき「釣狐」とのことです。このニュースを聞いたのは確か7月8日のyoiya2会員限定狂言であそぼパーティだったなぁ。早い、まだ先かと思っていたのにもう11月も半ば過ぎ。さて。今日は帰宅してからDVDレコーダーの中を整理していたら「裸にしたい男たち-野村萬斎 飄々と現代に舞う-」(確かそんなタイトルだったよーな・・)が目に付き。早送りしつつ要所要所を再生。平成13年のドキュメンタリー。いわゆる密着取材というやつですか。うう、お若いのぅ。自分も若かった。平成13年かぁ・・・(遠くを見る)2001年陰陽師公開時でござる。とはいえ、私ったらまだ狂言は観たこともなかったっけ。シテ、アド、・・・はて(・_・) ナンデスカ、ソレハそんな感じでありました←威張れないなので、ドキュメンタリーに観る萬斎さんの活動についてピンと来ておらず、ただただボケェっと観るのみ(笑)←話なんざ、半分くらいしか聞いていないのではなかったでしょうか(爆)今見たら。さすがに足繁く狂言公演に通った成果もあり(?)萬斎さんだけでない他に映っている人々の存在もしっかりとわかるようになってきました。三番叟で囃子方を勤めている方々。前は目に入らなかった(爆)けれど、「柿原さんだぁ、一噌隆之さんだぁ」とかもわかるようになりました(笑)RASHOMONのお稽古で後ろを行き来している逸平ちゃんも確認(今頃・・)いかに・・・前までひたすら萬斎さんしか観ていなかったか、がわかる( ̄▽ ̄:) 改めて見直すとまた今ならではの発見もある、過去のDVDやら録画。なかなか面白いですねこの5年の歳月で、私は釣狐を味わえる見所に成長できたのか?は・・・謎ですが(苦笑)12/1(金)に答えが出まする(/∀\)ひゃー
2006年11月22日
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たまたま、私の行きたかった公演日が開始日だったわけですが(笑)11月17日(金)国立能楽堂 定例公演に行き、話題の(笑)字幕サービスを利用してみました。前席椅子の背もたれ背面に画面が付いてます。ボタンで英語と日本語の表示切り替えができて、字幕が邪魔な人は消すことも可能。…能は苦手…という意識が高かった頃は国立能楽堂の定例公演や普及公演にはあまり足を運んだことがなかったので知らなかったのですが、プログラム(560円)で買うと中には月間に催される4公演の詞章や解説もついて、なかなか親切。字幕サービスのお陰で演能中にパラパラとページをめくる音も気にならなくなりそう。私は一番前の席で前席背もたれのない座席だったので字幕サービスはないものと勝手に思い込んでましたが(笑)座席の右肘掛から手に持つタイプの画面が出てくる仕掛け。新しいもん好きな私は(笑)当然、字幕サービス利用すべく膝のうえにセット。。狂言は「水汲」でも要所要所解説が入ったり、狂言小歌が表示されたり、なかなかの活躍ぶりでした(笑)しかしタイミングよく字幕を表示する裏方さんの操作も大変そうですね。が~…下を向くことになってしまうので、舞台を観るのが疎かになるのが困りものです(笑)能「鉄輪」でもあらすじや、ワキ安倍晴明の説明も出てました確か~「921-1005 平安時代に活躍した実在の陰陽師」だったかな(笑)囃子のこういうリズムはこういうことを表している、とか。詞章も出てくるので、チラチラ観ていましたが…。つい字幕を読むことに意識が行ってしまい、能舞台で繰り広げられている「鉄輪の世界、女の執念や悲しみ」に気持ちを向けられなくなるなぁと思い、悩んだ挙げ句途中から観るのを止めました…。いえね、私の場合は言葉のわからないところやヒアリングが出来ないところも多いので、つい字幕を読みたくなっちゃうのですがね…(苦笑)最初に詞章を粗方読んでポイントを押さえて置いたほうがよいのかなぁ先週は普及公演で観世流「井筒」と和泉流「文山賊」に行きましたが、井筒でパンフの詞章を目で追っていたら…眠くなってしまい( ̄∀ ̄;)(そーじゃなくても眠かったと思うけれど・苦笑)字幕サービスや観能しながらのパンフの詞章を観る。善し悪しがあるのかな?人により使うかどうかは選択できるので不要なら消してしまえばいいのですがね( ̄∀ ̄)画面は利用しない人のためにチラツキが気にならないよう隣の人からは画面の字幕も見えないようになってます。携帯電話ののぞき見防止みたいに角度により見えなくなるってわけです。なかなか工夫が懲らされてますね。でも後席の人からは角度が付かないので見えちゃうのかな。気になる人には気になってしまうかも。どうせなら、全席最前列方式の手持ちの画面にしたほうがよかったんでは~と思うのですが予算の問題でしょうか。ああ、それに破損率が上がりそうだなぁとは思いました( ̄∀ ̄;)案外重たいのでうっかり居眠りなどしてしまったら落としてしまいそうですからね…Σ(;°∀°)え?わたし?いや、落としてませんてパンフは落としかけましたが(汗)いや、幕が上がる前です…ヒヤッとしますね(⌒-⌒;)(苦笑)釣狐のときには、手には何も持たないようにしよう。次に国立能楽堂に行くのは釣狐かぁ~。師走に突入するのは嫌なんだけど、お友達(ルビコンさん)のレポを読んでいたらさらにテンション上がってきました。楽しみですヽ(*´∀`*)ノ
2006年11月19日
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「名残の後の古狐こんくゎいの涙なるらん」※和泉流「釣狐」シテ最初の謡「こんくゎい」とは狐の鳴き声のこと。または狐のことだそうで。そこから転じて「釣狐」狂言台本のタイトルになったそうです。子供の頃から狐は「コーン」と鳴く…そんな知識はなぜかインプットされていますが~狐の鳴き声は…未だ実際のものは聞いたことはないですね(笑)「名残の後の古狐 こんくゎいの涙なるらん」ことごとく眷属を釣り捕られてしまった古狐の悲しみを表現される釣狐ファーストタッチ。不気味さだけでなく、じっくりここで「こんくゎいの涙」を感じたい。この謡、白蔵主に化けた古狐が橋掛りを獣の足で歩きだし欄干で謡った…のは「野村万作 最後の釣狐に挑む」(ビデオ)で観た型。今年、釣狐連続公演に挑む野村萬斎さんの舞台ではどのようにされるかはわかりませんが楽しみですね( ̄∀ ̄)この最初の謡は初演のときは「こんくゎいの(ナミダ)」と発音するようですが二度目からは「こんくゎいの(ナンダ)」と発音することが和泉流(万蔵家)での習わしなのだそうです。(う~ん。私の席では聞こえないだろうなぁ・苦笑)やがて、一族を捕らえて殺してしまった憎き猟師の家へ一大決心でやってきます。伯父の白蔵主の言うことであれば、あの猟師もきくだろう。うまく化けられたか、化け残しはないか(そんな日本語はないか・笑)「水鏡の型」と言って水面に自分の姿を映しては入念な確認をします。万作さんが最後の釣狐に挑んだとき、本舞台で行うべきこの型を橋掛りの欄干で行うことにより、より生きてくる(わかりやすくなる)と考え型を変えて演じました。「ええと思ったもん(型)は、流儀が違いましても頂戴いたしますんや(By茂山千作さん)(笑)」などと仰るお豆腐狂言 大蔵流の千五郎家(私は06年、正邦さんのシテ拝見)の釣狐は本舞台でされてましたねぇ~( ̄∀ ̄)←まだパクってないそうな(笑)水鏡の型。和泉流のものはビデオでしか観たことがありませんが何だか、荒野に広がる薄の中に身を隠し狐の奇怪な姿を盗み見しているような雰囲気に…なるのでは。◇六世野村万蔵「狂言の道」より…《釣狐という曲は、昔から秘中の秘とされて来まして、それについての話を公表することは全く許されなかったものでした。しかし私はある程度一般に知って置いて戴く方がいいと思いますし、それはまた私供の義務であるとも考えます…》詳しくは日本図書センター人間の記録118 「六世野村万蔵 狂言の道」◆あめみこご用達のBooks(参考文献)◆「六世野村万蔵 狂言の道」「太郎冠者を生きる(野村万作著)」「狂言三人三様(茂山千作編)」「狂言三人三様(野村万作編)」「狂言三人三様(野村萬斎編)」【あめみこ萬華鏡雑記】ただいま、遅めの昼休み。眠いなぁ…。さて(笑)11月8日には野村萬斎さん主宰「ござる乃座」にて釣狐公演の幕が上がりました。以降、名古屋、京都、東京、九州、大阪での残り6回を控えている萬斎さん。お正月も暴飲暴食はできませんね…←普段からしない?(笑)一回目の釣狐公演は、万作さんも良い評価をしていたそうで、どこから聞いたかわかりませんがお友達からそんな噂を聞いてますます期待が膨らんでいます。萬華鏡のほうはなるべくパソコンで更新したいのだけれど…今はなかなか仕事以外でパソコンに向かえる時間が少ないので、ケータイからのエントリーです。リンクも貼れないし不便だー。それに文字フォントや行間ピッチの編集をパソコンから行うまではちょっと読みづらいと思いますが~…。そんなわけでblog閲覧、情報チェックも携帯頼み(苦笑)ご訪問先もなかなかコメントも残せていませんがご許されませ…m(__)m10月国立定例公演の栗焼レポも書いてません(⌒-⌒;)(いつの話よ…栗の季節が終わっちゃうよ)が、釣狐フェスティバル(勝手に命名)が始まってしまったので鑑賞前の気持ちの高揚を自ら煽り(笑)、予習の意味を込めて覚書をしたためます。どんな舞台もそうですが、その舞台は一回こっきりで二度と観られません。特に、釣狐のような特別な曲はなおさらのこと。「あ~見逃したぁ~!Σ( ̄□ ̄;」となるのはなかなか悔しい性分なので(笑)しばらくは釣狐三昧となることでしょう(* ̄m ̄)12月1日の鑑賞日まで毎日更新したいけれど~無理かなぁ(⌒-⌒;)ボチボチいきますね
2006年11月16日
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いつの話だ~(汗)もう11月ですね( ̄▽ ̄:) さて。番組の順番だと狂言「栗焼」からですが、先に能「船弁慶」の覚書を書いておきます。18年10月国立能楽堂 定例公演「船弁慶」「栗焼」於:国立能楽堂平成18年10月20日(金)午後6時30分開演番組表(敬称略)■能・観世流「船弁慶」 -小書-重前後之替おもきぜんごのかえ、早装束はやしょうぞく前シテ/静御前後シテ/平知盛の霊 武田宗和子方/源義経 小早川康充ワキ/武蔵坊弁慶 殿田謙吉ワキツレ/従者 梅村昌功 御厨誠吾アイ/船頭 野村萬斎笛 一噌隆之小鼓 大倉源次郎大鼓 白坂保行太鼓 助川治※後見および地謡は省略させていただきました。船弁慶あらすじのリンクはこちらから【船弁慶 小書に関するメモ】と【感想】「前後之替」の小書がつくと狩衣に真の太刀を持った姿になり、煌びやかでゴージャスな公達の装束となるようです。動きも優雅になるというのですが、両方を近い感覚で観たわけではないので..ちょっとこの辺は記憶が曖昧(苦笑)定例公演パンフレットより・・・「この小書は静が烏帽子をつけ白拍子の装いとなったあと(物着)、舞台を一巡する「イロエ」という所作が省かれ、展開がよりスピーディになります。また、「中ノ舞」を舞うところは「盤捗序ノ舞(ばんしきじょのまい)」となります。」なんだそうです( ̄▽ ̄:) 盤捗調というのは笛の調子の一つだそうで通常より音程が高く、序ノ舞では優雅で気品のある舞なのだそうで・・・ええーーっと初心者な私はその盤捗調の笛の調子とやらの聞き分けは出来ないので~詳しくはわからなかったのですが、途中、橋掛リで義経を想い嘆く型が入っていたりして、より静の悲しみが押し寄せてくるかのような演出になっていました。その他、船弁慶の小書は以下のものがあるとか。○狂言方の小書「早装束」「名所教」など。「早装束」は今回私が舞台で拝見した小書。船を持って急ぎ出てくるまでの間、数十秒。あっという間に装束を替え驚くほどの早足で登場します。中で狂言方の働きの方々はどんな手順で行っているのか~見てみたい!○ワキ方「船中之語」は船の中でワキ方が語る小書にも色々あるんだなぁと思いました。同じ曲でも、こういう特殊演出によって色々と楽しめるので何度でも楽しく鑑賞できるものも多いんですね~。今回は重前後之替(おもきぜんごのかえ)、早装束(はやしょうぞく) と言った二つの小書付き(特殊演出)でした。重前後之替はシテ方、早装束は狂言方の小書。狂言方の小書もあったのかぁ~…あ~、だって狂言にだって特殊演出がつくものもありますもんね・・・例えば、「金岡 -大納言-」とか。・・・とビギナーな私は今さらながらココで再認識( ̄∀ ̄;)前場のシテは静御前ですが、実は前回観た船弁慶のときは、後シテ知盛の印象が強すぎて…前場は何か少し記憶が薄かったのです。…あと、白状すれば初めて目にするアイ@船頭の萬斎さんの精悍な眼差しに釘づけだったとも言う…( ̄∀ ̄;)えへ。今回は違った!まず大物の浦へ落ち延びる運命の義経への最後の目通り叶わず、都に戻れと弁慶を通じて言伝があり、それを嘆いた静が橋掛リにて、「これは思いも寄らぬ仰せかな、いづくまでも御供とこそ思いに、頼みても頼みなきは人の心なり、あら何ともなや侯」と言う場面でちょっとウルっときました…(T∀T)愛する人が側にいながら…また、永遠の別れになるかもしれないという時代。逢うことすら叶わず無下に帰されることを思えば切なすぎて。その後、義経と静は逢うことができ別れを惜しむ場面へ移行します。烏帽子を被り白拍子の姿になった静がゆったりと舞う…。舞いながらも世の不条理と愛する人と引き離されなければならない現実が込み上げて、一体どんな想いで舞っていたのかと思うと胸が苦しくなるようで…。もうね、この時は義経の子を身籠っていたのですし…。小書の特徴だと言うことですが、橋掛リへ来て義経との別れを悲しみシオリます。。そこがまた…(T∀T)うるる実は…烏帽子を舞台上で付けるために地謡の前に片方立て膝で座るとき…真後ろの位置にいた私は足がガバァ~っと開いたのを見て「あぅっ( ̄∀ ̄;)男っぽいとこ垣間見た」と思って現実に引き戻されていたのでありますが(爆)その後の気持ちの巻き返しはすごかった。泣けたんです…。しっとりと目頭が熱くなりました。そして、前シテ中入り。弁慶は義経の心が揺らぐことを懸念し一刻も早く船出をしようと船頭を呼びます。出航してまもなく風が騒つき荒々しく大波が船を打ち砕かんばかりに迫りくる。船頭がリアルに船を漕ぎ進みゆく中、ふと気付くと半幕の下に控え、睨みをきかす平知盛。「半幕の下に片足の立膝で座し・・・」これも小書の一つの特徴だそうですが気付くと知盛が橋掛リ立って見所に向かっているよりも、じっと立ち膝で座り睨んでいる様がね、何だかず~っと怖ろしくてカッコイイんですよ。ぞくっ…。ときました。装束は白地を基調とした一層煌びやかな狩衣。おどろおどろしさよりもゴージャスです。急調で演奏される囃子が荒れ狂う海原の様子を表現していくので緊迫感が増してくるんですよね。詞章で表された様子も壮絶。謡「また義経をも、海に沈めんと、夕波に浮かめる、長刀取り直し、巴波の紋、辺りを払い、潮を蹴りたて、悪風を吹き掛け、眼も眩み、心も乱れて、前後を忘ずる、ばかりなり。」弁慶が数珠をもち祈り伏せると、橋掛リへ後退していく知盛。かと思えばまた長刀を勇壮に振りかざし義経を狙う。舞働きでの知盛の跳び返り!これはも~、心搏数上がるほど興奮したかも(笑)←何だかんだ派手好きクライマックス近くでは、知盛が波に流される「流れ足」という水上での足使いが観られました。摺り足とは違う横にすーっと…蟹歩きのような…なんだかちょっと歌舞伎のようなあ、そんな表現したら全然恐くなくなっちゃう( ̄∀ ̄;)←雰囲気を壊すボキャブラのなさ(汗)本当に前場はしっとりと…後場は一転して息を尽かせぬ急展開。観世流シテ方 武田宗和さん。よく存じ上げなかったのですが~…。1948年生まれ、この世界では重鎮に近いのか…まだなのか私にはよくわかりませんが( ̄∀ ̄;)迫力ありました。もう半幕からの睨み、ただとどまっているだけなのに、すごい存在感。やっぱり私は船弁慶が好きだなぁ~そしてこの重前後之替という小書き付き。もう一度観たいと思いました。【アイ狂言@船頭】やはり、ここを触れずして私のレポは完成しない(笑)ミーハー魂なコメントが曲の雰囲気を壊す発言をしてしまうかもしれないので~…分けました(笑)…すでに「蟹歩き」のところで壊したか…(汗)今回は小書もついて、1時間45分という演能時間でしたが、前場の前半早いうちからずっと出ずっぱり。肩衣は深い濃紺地に船の帆が沢山に連なる柄でこれはまた船弁慶によく合うチョイス。前は斬新な大きな錨に縄が絡まった、知盛の最期を思わせる肩衣でした。まだあるのかなぁ~、違う船弁慶バージョンが。狂言座に座る萬斎さんは~…はぁ(´◇`)眼差しが本狂言のときとは違う凛々しさ。脇正面な私は~狂言座に対しては横を向いているので…滅多やたらに観られないのですが(笑)早装束では、驚きました。普通の肩衣、狂言袴といういわゆる庶民(太郎冠者と同じ)装束だったのが、水衣に括袴に早変わり。髪の毛が隠れちゃって~・・ちと残念ではありましたが(全くミーハーだな・汗)船を颯爽とこぐ、怨霊にも怖れをなさぬ勇ましき船頭~・・・なのですが、まだ波も緩やかな船で間もない頃は、弁慶にこんなことを言っているんですね。「今日は若手の舵手を揃えたんですよ~。ここはひとつ、我らに海上の舵取り仕事を独占させてくださいませんか~ねぇ、旦那~」※直訳ではありません、あくまでイメージです(苦笑)弁慶はそんなことを言われてもムサとした表情を一向に崩しませんが(笑)こんなセリフもまた狂言らしさがあって、能の持つ緊張感の中にふと力の抜ける良い場面です。「いぇーい、いーぇーい」船を漕ぐ姿。波を静め懸命に船を進めようとする姿は何度観てもカッコイイし、狂言方も大活躍。とても満足のできるお能ですね。 公演情報詳細 国立能楽堂参考HP:日本芸術文化振興会 国立能楽堂 http://www.ntj.jac.go.jp/cgi-bin/pre/s_top.cgi?type=3【本日の萬華鏡つれづれ】風邪引いてました・・・。喉が萌えるように(漢字違っ!)燃えるように痛かった。大体12月頃に酷い風邪をひく私にしては時代先取り。でも大分、よくなってきました。4日間ぐったりと寝込んでいればよくもなろう(苦笑)休んでいる間に、NHK教育 芸能花舞台で放送された六世野村万蔵さんの特集を録画で観ました。今ではなかなか観ることのできない貴重な映像を観て、一層生の狂言をたくさん観たくなりました。ゲストとして人間国宝 野村萬さんもご出演されていて、お話をする姿をテレビでじっくりと拝見したのは初めてだったのですが、万作さんとは違う温かみある笑顔でとっても優しそう。もちろん、録画にあったご長男(故万之丞さんで八世野村万蔵さん)に三番叟のお稽古をつけている姿は厳しそうだったけれど。来年は77歳になられるとのことで、萬狂言ではお父様である六世万蔵さんが得意としていた木六駄を演じられるそうです。はぁ~、すっごく萬狂言も観たいなぁと思う今日このごろ。と思ってチケットぴあを覗いたら、発売日は過ぎていた~(苦笑)来年は萬さんの狂言もたくさん観たいな~他にも書きたいことは何だか山ほどあるんだけれど、時間がなく~・・・ここまで~。トップページへ戻る
2006年11月07日
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◇隠狸かくしだぬき◇【登場人物】シテ:太郎冠者アド:主【あらすじ】太郎冠者が狸を釣っている(捕っている)という噂を聞いた主人が、その真相を問いただすと、「狸など捕ったことはない」とシラをきる。そこで主人は、この太郎冠者の嘘を暴こうと画策。主人「すでに客を招いた。狸汁をふるまうつもりなので、市場で狸を買ってきなさい。」と命じる。実は昨晩、太郎冠者は大狸をしとめており、市場に売りに出かけるつもりだった。主人は「先回りして様子を見に行こう」と出かける。太郎冠者は大狸をまさに売ろうとしているところに主人と出くわしてしまう。主人「今、狸を売ってなかったか(疑惑の目)」太郎冠者「売っておりませぬ。狸~ぃ・・・売って・・・くださいと言ったのですよ( ̄▽ ̄:) 」←苦しい言い訳主人は太郎冠者が好きな御酒を振舞い、酔っ払ったところで嘘を暴いてやろうという作戦に出る。太郎冠者は、必死に腰に付けた大狸を主人に見つからないように隠しつつ、その場を取り繕うのだが、御酒の力で段々と口が軽くなり、主人に向かって"狸捕獲のコツ"なるものをつい得意げに話してしまう。いよいよ太郎冠者への誘導尋問開始。主人。(▼_▼)キラーン・・・そのうち太郎冠者は座興にと舞を所望され、腰に狸をぶら下げたまま、不自由な状態で舞う。最初のうちは細心の注意を払っていたものの、そのうち夢中になってしまい、最終的には太郎冠者が気付かぬうちに腰にあった狸は主人に奪われてしまう。そうとは知らない太郎冠者。主人が「どーだっ!」とばかりに袖の後ろから取り出した大狸を観てびっくり。「わー、ごめんなさい、もうしません」主人に追い込まれて終わる。【みどころメモ】隠狸は和泉流の専有曲。太郎冠者物の代表的な作品。主人と太郎冠者の騙しあい(?)絶妙な駆け引きが面白い作品。酒宴の場面に登場する狂言小舞「兎」「花の袖」「鵜飼」と見どころが満載の曲。例えば能「鵜飼」の詞章「そこにも見ゆる~」と謡いながら、主人が太郎冠者の腰にある狸を覗き込むようなところなどに使われている。《兎 小舞》♪あンの山から~こンの山へ~跳んでで来たるは何ぢゃるろ♪♪頭にふたつ ふっぷっと 細うて長うて♪♪ぴんと跳ねたを ちゃんと推した♪【語句参考】・誠じょう・・・真実。本当。・認めてしたためて・・・用意して・成合なりあい・・・成り行き次第・小竹筒ささえ・・・竹製の携帯用酒器・遠来えんらい・・・遠隔の名産地より到来の酒・打ちゃくちょうちゃく・・・打ち叩くこと。なぐること。・指神さすがみ・・・陰陽道の天一道(なかがみ)。塞がりの神。この神のいる方向を「ふさがり」と言って忌み、その方に歩く時は「方違え(かたたがえ)」をした。・南無三宝なむさんぼう・・・しまった!※参考:萬斎インセルリアンタワーvol.6 パンフレット:狂言鑑賞二百一番 【感想】主人を半ば小馬鹿にした太郎冠者物ではなく、基本的な主従関係を描いた作品ですね~。最初は飄々と逃げている太郎冠者も主人の巧妙な誘導尋問と大好きなお酒の力によって少しずつボロを出し始める、それまでの経緯や主従の駆け引きが面白いです。それだけに太郎冠者(シテ)と主(アド)の呼吸も大切だとか。市場へ大狸(実際は小さいんですが・笑)を肩にかけて、「狸はいらんかね~」と売り歩いている姿と、ぶらぁぁ~んと下がった狸のぬいぐるみが可愛らしい。先回りしていた主人と出くわしたときの太郎冠者の慌てっぷりたるや、ナイスリアクション(笑)「ここで銘酒を飲もうか」と誘う主人に「こんな市場のど真ん中で恥ずかしい~」とか、なんやかんやと言い訳をしながらフェイドアウトを試みる太郎冠者・・・。しかし、「良い酒持ってるぞ」という甘い誘惑を断りきれず、また逃げ切れず、ついに酒宴を開いてしまうんですよね。座興に舞を舞えと言われても、腰にぶら下げた狸が見つかるのも困る。全くもって「め~いわくなことじゃぁ」とあまり動きのない「兎」の小舞を披露する太郎冠者。これならば、動きが小さくて良い(笑)一回りしない舞というのも、なんとなく奇妙。「おお、あれあれ」と空を指差しつつ主人の視線をそらし、ササっと一回り。後ろを見られずに済む、という算段。これは「二人袴」にも似ていますね。袴が前掛け状態で後ろを見られてはいけない、という(笑)主人は太郎冠者がお酌をしようとしても頑なに「手酌でよい(ー_ー)」と断り続けます。酔っ払ってしまっては、太郎冠者の嘘を見抜けませんからね(笑)太郎冠者はまんまとたっぷり飲まされヘロヘロ(いい感じ~)いや、なんだか気持ち良さそうです。だって、極上の御酒を飲めたんだもの。すかさず太郎冠者の出す尻尾を掴もうとまん丸お目目を開いて「じとーーーーーーー」っと様子を伺う高野さんの主人も脇正面の私からはその表情がよく見えました。萬斎@太郎冠者がのらり~くらり~と逃げ果せるかのような狡猾さが一枚上回っているような雰囲気に対し、高野さん@主人は「いつも巧く交わされてばかり。今日こそは~(▼_☆)キラーン」と気合満々である生真面目風"刑事(デカ)"という感じに見えました。←例えが(汗)御酒を酌み交わす場面からの駆け引き、相舞、全ては先生である萬斎さんのリードに合わせ進行していた感じがしました。この日、萬斎先生は高野さんに隠狸の主人のお稽古をつけていたそうで。"息を合わせる"ということは難しいんだろうなぁ~と思いました。え。合ってなかった?!いや・・・そんなことは?!私が初見なのでよくわからないんですが~・・・。しっかりに萬斎先生のリードについていこうとする高野さんの主人ぶりもまた良かったですよ( ̄∀ ̄)なかなかこの曲は舞あり、謡あり、シテにとっては大変な曲だそうですが、最近はなかなか隠狸のシテを演じないという万作さん。観られないとなると観てみたい~と思うもの。【余談】袖を広げ、こっそり(?)腰につけてある狸ちゃんを覗いて確認する萬斎さんの太郎冠者~。下唇を、つーっと突き出し、いや、可愛い(笑)舞を所望されて「迷惑~」な様子もおかしくて笑ってしまう。確かにこんな状態で舞えとは迷惑!(笑)かと思えば、小舞ではキリリとした表情で、しっかりと良い声で謡い舞う。シビれちゃうなぁ(笑)ミーハーなヲタとしては(笑)このメリハリがたまりまへん。そのラブリーな狸ちゃん。レプリカでいいから、 くれっ(笑)マスコットにしたら売れると思うのだけれどなぁ。。。いや、狂言「隠狸」を知らなければ、首に縄を括ってぐったりしている狸ちゃんは・・・エグいのかもしれないけれど( ̄▽ ̄:) ☆追記☆書き忘れていたこと。この日の萬斎さんが来てらした肩衣は「トンボ」を背中に大きくあしらった有名な肩衣。ここぞという舞台で着用する、などと聞いたことがありましたが、どうなのでしょう。秋だから?(笑)生でこの肩衣を拝見できて嬉しかったのに書き忘れちゃったので追記したのでありました・・・トップページへ戻る
2006年10月25日
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セルリアンタワー能楽堂 五周年記念「萬斎イン セルリアンタワー6」 公演日 2006年10月13日(金) 開演時間 午後7時00分【番組表】 (敬称略)解説 野村萬斎◇狂言「墨塗」 大名:野村万之介 太郎冠者:月崎晴夫 女:石田幸雄◇狂言「隠狸」 太郎冠者:野村萬斎 主:高野和憲 【あらすじ】能狂言あらすじ→墨塗【あめみこの感想】2度目です。初回は大きなホールでの観劇で、再度観たいと思える狂言ではなかったのが正直なトコロ( ̄▽ ̄:)いや、当時の感想には「面白かった」とは書いてあるのですがねぇ。いえ、嘘じゃないと思うんですよ。(いま・・・読むと恥ずかしい感想のオンパレードですな・・・え、変わってないか・・・)きっとその後出会ったいくつかの演目のインパクトが強かったり、心に何かを残す狂言があったから、時間とともに薄らいでしまったのだと思います。和泉流狂言の格調の高さ・・・というイメージからすれば、世俗的で悪戯心満載の曲だと思います。逆に人間臭くて滑稽でいて、すっきり他人事として笑い飛ばせもするし、身に憶えのある人が観れば苦笑いかもしれません~。万之介さんが最近この「墨塗」を得意とされている、というのはこういう浮気モノという不道理な人物(シテ)を嫌味なくこなせてしまうところでしょうか。これはある意味すごいんじゃないかって思うんですよね。一見、この大名は遠国へ戻ることが決まった途端に馴染みの女を捨てるような酷い男ですが、別れ話をなかなか切り出せなくて、太郎冠者に「代わりに言ってくれ」と押し問答をするようなところ、女の流す嘘泣きの涙を本物と信じて一緒に「えーん」と泣いてしまう姿も人間らしい愛らしさすら感じさせられます。初見も万之介さんが演じていて、他の方のシテは拝見したことがないのですが、万作家では万之介さんの十八番として他の方で観られる機会は少ないかなぁと思うのですが、萬斎さんが演じる大名も観てみたい気もするし~、数十年後に観たい気もする~(笑)それに「この墨塗が嫌い」と仰る万作さんのシテも・・・是非無理を押して演じていただきたいものですが~・・・万之介さん、私が観たモテモテ男を演じられたものはこの墨塗のシテと鈍太郎のシテですね。どちらも女性にはウケないようなストーリーでありながら、万之介さんの独特の愛嬌ある演技で全く嫌な気持ちの起きない、むしろ「面白い」と言わせるくらいの曲になってしまうことがすごいな~と思ったのです。 【つれづれ・・・】久々に家のパソコンに向かっており、これまでなかなか筆が進みませんで~、随分前の話ですが( ̄▽ ̄:) いつものことですけれど今週は少し仕事にも余裕が・・・(?)うそ・・いや、やんなきゃならないことは盛りだくさんあるのですが~・・・締め切りに追われていない平和な日々~・・・基本的道楽体質の・・・後を考えない「キリギリス」的な生き方をしている私ゆえ。。。月末がチト怖い。「今さえよければいい」さ、明日も早く帰るぞぉーさて先日20日(金)は国立能楽堂定例公演で和泉流狂言「栗焼」と観世流能「船弁慶-重前後之替 早装束-」を観て来ました。こちらも忘れないうちにこちらの備忘録にしたためたいなぁと思います。さて。お次はまだまだセルリアンでの隠狸(かくしだぬき)です。トップページへ戻る
2006年10月24日
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ここから狂言「墨塗」の解説です。【1】のレポートを見逃している方はこちらからお入りください「墨塗」は以前、記録した「あらすじ」をご覧ください。「この墨塗は叔父(万之介さん)が大変得意としている曲です。」と意味ありげに含み笑みを浮かべながら話をする萬斎さん。「逆にね、うちの父(万作さん)はこの墨塗が大嫌いで、滅多に演りません(笑)」「狂言師の生態によるのかもしれませんが・・って生態なんて言っちゃ怒られちゃいますがね(笑)」好きな狂言とあまり好まない狂言というものがあるのだそうです。「私は「仁王」が実は嫌い なんです。なんだかよく「やらされる」んですけれどねぇ。ご覧になった方は分るかもしれませんが、大口をガバっと開けて面白い顔してお客さんを笑わせるのですが・・・(苦笑)」「まぁ、お客さんが喜んでいただければそれでいいのですが、演じているほうとしては、終わった後に空しさが残るというか・・・」(会場は大笑い)大名物にはよくある話で、遠国(おんごく)から訴訟のために在京していて、まぁ、時には何年もかかることがあるのかもしれませんが、今で言えば「単身赴任」ということですね。この曲には太郎冠者がアド(脇役)として出てきますが、こうした雇用人というのは自分の国で召抱えて連れてくるわけではなくて、現地採用ということが多いのだそうで。当然、妻子も遠国に置いてきているのでしょうから、「まぁ、淋しくなっちゃった」というのでしょうかねぇ・・と萬斎さん。ズバリ現代風に言えば「浮気・不倫」なのでしょうが、奥ゆかしく「まぁ、淋しいからそこで(女性と)仲良しになった(笑)」「ここから無事に訴訟が終わって遠国に帰るので別れ話をしに行くところから始まります」とサラリと解説(笑)「女性の方も、妻子ある男性とそういう仲になったのだから、それなりの覚悟は出来ているとは思うのですが・・・まぁそれは観てのお楽しみということにしまして」「昔はあまりこの墨塗は(好まれず)演らなかったのですが、最近はよくやります。」「昔なら(女性が逞しく強く描かれている様を)"けしからん!"と言うことになってしまったのかもしれませんが、現代では女性の立場が強くなってきていて、 "男のロマン"として笑い飛ばせる時代になったのかな、と思います」「妻子ある男性を好きになって・・それなりの覚悟」と言いつつ、女性の多い観客席の表情をサラっと伺う萬斎さんの眼差しといったら、なんだか悪戯っぽいようでいて、妖しくて(笑)いやはや、ドッキリしちゃうわけですよ。まぁ・・・ここで、この「墨塗」のストーリーが"男のロマンとして"面白いのかどうかは、果たしてそれが"ロマンなのか?!" 私にはよくわからないのですが(苦笑)男性の皆さんには『ロマン』と感じるのでしょうか( ̄∀ ̄)次は「隠狸」です。この「隠狸」は初見なので、まだ「あらすじ」ページにはエントリーがありませんので、感想とともに後ほどアップします。大体の粗筋といえば、最近、太郎冠者が狸を捕まえては売って小遣い稼ぎをしているという噂を耳にした主人が、問いただしてもなかなか口を割らない太郎冠者にあの手この手を使って真相を暴こう、というストーリーです。途中、御酒を飲まされて気持ちよく酔っ払ってしまった太郎冠者が狸を捕まえるための罠のかけ方などを上機嫌で主人に話してしまうところがあるのですが・・・。ここ(隠狸)での話だったのかなぁ・・・墨塗の解説だったのかなぁ・・・。(完全に見惚れる瞬間があり・爆)すごく記憶が曖昧で申し訳ないのですが。。。最近この「罠」について萬斎さんはよく考えることがあるのだとか・・・。狸・・・罠・・・秋に狐を演じる萬斎さん。まさに今はお稽古真っ只中。狐を釣る猟師との攻防に、鼠の油揚げを仕掛けた罠が出てきますが、きっとこういうことで罠について考えることがあるのでしょうか。なぁんて後になって考えていたわけです。「(隠狸)これは和泉流の専有曲であり、大切にしている曲です」「舞や謡があったり、結構体力を使う曲なので、最近うちのオヤジ・・・(会場笑)父はあまり太郎冠者をやりません。大体私が太郎冠者で、父が主(しゅう)をやることが多くなりました。」「能は一曲謡えば、後はバックコーラス(地/謡)が謡ってくれますが、狂言は全部自分でやらなきゃならないので大変なんですね」♪あンの山から~こンの山まで~ぇ♪ という兎の小舞ですね。他にも「花の袖」「鵜飼」などの舞、相舞もあったりして見応えのある曲です。それから、これは主(しゅう)と従者(太郎冠者)との関係を作る上で修行過程では大切にしている、というお話だったかな・・・?ちょっと記憶が所々曖昧ですが( ̄▽ ̄:) また、この狂言は主と太郎冠者の駆け引きが見どころで、"息"コンビネーションが大切。この日の昼間も高野さんに稽古をつけていたそうです。と、言うことで憶えている限りのことをズラっと書き出して見ましたが支離滅裂、私の勘違い、話尻の誤変換などは個人的な覚書のため、予めご容赦下さい(苦笑)掲示板にも速報(?)をお知らせしましたが(笑)9/9の敦公演以来の観劇。花形満か鬼太郎か?というほど前髪が長く掻き揚げる仕草がなんともセクシーというもっぱらの評判(萬華鏡界隈のお話です)でしたが、この度は短くカットされていて「少年のような爽やかさ」「キュート」「可愛い」というイメージで(笑)相変わらず、どうしてそんなに首を傾ける?というほど右に左にお顔を動かしながらお話されていましたが、いやぁ~~・・・・・・カッコイイし、綺麗だし、妖艶(*´▼`*人)・:*:・ああ、萬華鏡開設以来、何度「カッコイイ」だの「綺麗だの」って書いただろう。ボキャブラリーの貧困さ何とかしたいのですが(苦笑)狐仕様のボディにすべく、ガッチリしちゃっているのかなと思えば、昨夜拝見したところではお腹も出てないし、肩も背中も薄くて何だか安心したような、痩せていてチト心配なような?饒舌にテンション高くお話されていたので、お元気そうでしたが( ̄∀ ̄)【本日の雑記】秋は能楽師にとって繁忙期シーズン。あめみこも繁忙期。秋だけでなく来冬もまさに萬斎さんの秋のスケジュールじゃありませんが「殺す気か?」状態ですが(苦笑)まさに水曜か木曜日は発狂して虎になりそうだったけれど、どうにか人間に踏みとどまりましたねぇ(→ω←)こういうとき、疲れて早く家に帰って眠るのもいいのですが、やっぱり忙しい時間を縫ってでも観劇できるって幸せかもしれません。あと仕事を忘れられる趣味!放り投げるのは簡単だけれど、うまくストレスとは付き合う、うん、そうだそうだ(自分に言い聞かせ)今週はこの公演があるから、仕事はココまでに片付けよう!とか、生活にもメリハリは出来てきます。目の前には書類の山々で日々の借金(急を要する通例業務)を返すだけで利息(その他の仕事や考え事)が返せずいる状態ですが( ̄▽ ̄:) 来週も国立定例公演の日へ向けて頑張らねばなるまい。さて、今回はセルリアンレポート「解説編」に終始してしまいました。愚談を交えるので長くなっちゃうんですね。ひとまず今しか出来る時間がなさそうなのでエントリー。次回は、「墨塗」と「隠狸」の感想、雑感などを書いていきます。トップページへ戻る
2006年10月14日
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セルリアンタワー能楽堂 五周年記念「萬斎イン セルリアンタワー6」 公演日 2006年10月13日(金) 開演時間 午後7時00分【番組表】 (敬称略)解説 野村萬斎◇狂言「墨塗」 大名:野村万之介 太郎冠者:月崎晴夫 女:石田幸雄◇狂言「隠狸」 太郎冠者:野村萬斎 主:高野和憲 【解説】切り戸口から身をかがめて入ってこられる黒紋付姿。セルリアンタワー恒例の萬斎さんの解説とあって楽しみに来ている人も多い公演です。萬斎さんが「今晩は」とご挨拶すると、ちょっとテンション低めの「今晩は」←私もですが(笑)萬斎さんは「随分お上品な挨拶ですねぇ」(笑)と一言。さて、秋は能楽師にとっては繁忙期。ということで、「普段狂言師って何やってるの?」という日頃の実態といつもながらの楽しい雑感を交えてのトーク。萬斎さん「役者という職業は資本金ゼロ。税理士さんに『効率のよい職業ですね』と言われます」芸こそが、資本。身ひとつで、それを肥やし生業としているわけですから、まさに「身体が資本」というわけですよね。とは言っても体調管理はご自分でしなければならないし、あまり経費がかからない、とは言っても「装束」などは消耗品だしお金が全くかからないわけではありませんから、「お金を貰ったからといって全部飲んじゃってはいけません」(笑)と萬斎さん。先日の週刊文春「新・家族の履歴書」で万作さんが早稲田大学時代の教職免許取得に貰っていた授業料で「全部飲んじゃった(笑)」というコメントが思い出されました。時期が時期だけに、あの記事を読まれているのかな?なんてことを考えたり。能楽師にとって多忙なこのシーズン。「狂言師は自分で主催する舞台を行うこともありますが、大体、こうして会(公演)を催していただいて、そこに呼ばれて行って舞台を勤めます。」「例えば、都内だけでもどれくらいの数の能楽堂があるかわかりますか?」その前に、恒例の見所リサーチ(笑)「殆どの能楽堂に行かれたという方!」←これは一人か二人くらい挙手「今日、初めて能楽堂に入られたという方!」←こちらは中正面付近にたくさん手が挙がっていましたっけ。あー、両方とも手が挙げられないっ(笑)←参加したかった萬斎さん「ちょっと( ̄∀ ̄)ニヤリ・・・クイズ形式で(能楽堂の名前を)答えていただこうかな」甦る「狂言であそぼParty」の狂言クイズの光景。あめみこ心の中・・・「どひゃー!!当てられちゃったらどうしゅる??!」←心配御無用( ̄▽ ̄:) そんな大それたものではなく、能楽堂の見所から答えを自由に募る、というものでした。順番は忘れましたが・・・「国立、観世、宝生、矢来、杉並、銀座、梅若、代々木、銕仙会・・・」←って私がもう忘れてるし銀座は「最近行ってないなぁ~」と空を見上げ懐かしそうに能楽堂の雰囲気を思い出されている様子。それにしても次々と能楽堂の名前が出てくる見所の皆さん、いや、すごいなぁ~。全部で10以上はあるんですね。萬斎さんも最初のほうに(一般的に聴いて・笑)マニアックな能楽堂の名前を聞いたとき、感心してましたっけ。ひとしきり出た後萬斎さん「あ、ここ忘れてるじゃん!セルリアンタワー(笑)」「シテ方五流の中で殆ど能楽堂を持っています。観世、宝生、喜多、金春、金剛。」「観世のように大きな流儀になってくると、先ほどにも出た銕仙会や、梅若さんのところであるとか、色々な流派にわかれています」「このほかに、能楽師は薪能があったりしてそちらのほうへ出かけていったり・・。大体この(渋谷)辺りのセルリアン、国立、観世は車で30分圏内で行き来できてしまうので、前の舞台が30分前に終わっても、次の会場に来てこうして舞台があれば出来てしまうわけで、殺す気か?と思うことがあります(笑)」「というわけで、能楽の三役(ワキ、狂言、囃子)は結構舞台の掛け持ちが多いんですね。」「(次の掛け持ち会場へ)来てみると、笛方がまだ来ていなかった、とかね」さ、三十分?!半信半疑の見所の皆さんの表情を察してか「本当ですよ」という感じでお話される萬斎さん。何となく、観客席と一体となってトークを楽しまれる雰囲気にすごくアットホームさを感じたわけであります(勝手に・笑)舞台だけではなく、合間に台本を憶えたり、当然お稽古もされているわけですから、そりゃもう言うまでもなく超多忙なわけですね。狂言方がスリムな人が多いのは、そういうわけかしらん。萬斎さん「お金の話ばかりして恐縮ですが(笑)」「今日のような200人くらいの会場だと、1回の公演で・・・まぁ、儲けが少ない(笑)大きなホール公演だと一度で儲かる・・・というわけではありませんが(笑)」「まぁ、大きなホールになればそれだけ演出や舞台セットにお金がかかったりしますからね」と・・・雑談に花が咲き♪萬斎さんが胸元に挟んでいた腕時計を出してチラリ。あと10分。うわーん、時間よ止まれ!と思ったのは私だけではないはず(笑)・・・と【2】へ続く・・・トップページへ戻る
2006年10月13日
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あぅー能楽堂行きたい。鏡板の松を観て和みたいー。8月に実はまだ一度も行ったことのなかった観世能楽堂に初めて行き、蝋燭能という雰囲気もあったのですがすごく落ち着いたんですよね。ああ、いいな、能楽堂って、と疲れてくると癒し空間を求めたくなる今日この頃。なんやかんや仕事もいっぱいいっぱいなのは変わらんし。もっと大変な仕事をしている人もいるだろうけれど、私はいっぱいいっぱい(苦笑)12月には長期休暇を取るんだっ(多分)そんな雑感はさておき。・・。観世能楽堂のお初といえば、あまり思い出したくもない"ゴキちゃん遭遇事件"をセットで思い出してしまう観世能楽堂ではありますが(涙)今日はじっくりとは行かないのですが、ビデオ「釣狐 野村万作」を観つつDVDにしてました・・・。劣化しちゃうから。94年最終公演のものですが、この後もやはり何度か釣狐を演じてらっしゃるんですよね。このときすでに万作さんは還暦を迎えていらっしゃると思いますが、この身体能力には驚かされますね。手を突かずに前転。普通なら背中をしたたかに打って怪我しますよね。ビデオは中入りの部分がカットされちゃっているんですが、それがちょっと残念だなぁ。後見に座り真剣な眼差しで父 万作師の釣狐を見つめる萬斎さん(当時 野村武司)が印象的。今でも充分細いんだけれど、頬はもっとシャープでちょっとキツイ感じ。この頃は「狂言-Kyogen-」だなんて全く興味なかったなぁ。勿体無い。さて、表題にあるお話まで随分と行数を使ってしまいましたが2006/09/28発売の週刊文春 10月5日号の「新・家の履歴書」には今回、野村万作さんのコラムが掲載されています。幼少期の万作さんの家の話から現在に至るまで、普段聴けないような興味深い話がたくさん読めてとても面白かったです。万作さんはこの記事の中でこう話しています。「あくまで狂言師でありたい。他の舞台でも狂言師でなくては演じられない演技を大事にしたい。倅も同じ考えですが、それが頭の中だけじゃなく本当にわかっているのかどうか、今度彼が演じる"釣狐"で証明される。」「それが私に対する答えになるだろう」※野村萬斎さんは今年の11/8 宝生能楽堂の公演を皮切りに全7回の「釣狐」を演じる予定。うわぁ~!!実際に萬斎さんはこの記事を読んで、間接的に聞く父であり師でもある万作さんからのプレッシャー。どう感じながら読まれているんでしょう。コラムなので万作さんの表情は全く見えませんが、穏やかに記者のインタビューに答えつつ、厳しい師匠としての愛、期待や激励の心が伝わってくるようです。いつか読んだ他の雑誌のインタビューで「ライバルは萬斎」と仰る万作さんでした。この釣狐に関してはさて、四十五十はハナタレ小僧と言われる狂言界に於いてはまだまだ父の背を超えようなんてことは難しいのでしょうが7回の公演を終えた頃、万作さんや萬斎さんの想いも聞いてみたいですね。他には空襲まで住んでいたという北区田端の家の間取りであるとか、奥様との結婚秘話も目新しい話題でした。早稲田大学在学中、狂言師をやっていかなくても食べていけるよう「教職免許」を取っておけと渡された授業料も、「狂言師で一生やっていく」と考えていた万作さんは、全部「飲んじゃった(笑)」とお話されていたのも面白くて。まさに実生活でも「太郎冠者を生きている」万作さん(笑)トップページへ戻る
2006年09月30日
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番組表(敬称略)◆番組表◆(敬称略)・解説 観世喜正 ・狂言【内沙汰】(うちざた) シテ(右近)野村萬斎 アド(妻)石田幸雄 後見 竹山悠樹・ろうそく能【恋重荷】(こいのおもに) 前シテ(山科荘司)後シテ(荘司の亡霊) 観世喜正 ツレ(女御)武田文志 ワキ(侍臣)殿田謙吉 アイ(御所の下人)野村万之介 笛 一噌隆之 小鼓 観世新九郎 大鼓 柿原弘和 太鼓 観世元伯 後見 観世喜之 弘田裕一 地謡 岡 久廣 浅見重好 松木千俊 遠藤和久 武田友志 坂井音雅 坂井音隆 坂井音晴【解説概要】解説は今回の「恋重荷」のシテをお勤めになる観世喜正さん。今年度の日本の伝統芸能「能と狂言」の講師お二人の舞台。切り戸口から白地の紋付袴で登場した喜正さんがゆっくりとした口調で解説をしてくださいました。本日の演目は「恋重荷(こいのおもに)」です。これは京都、白川院の御所に仕える山科荘司(やましなのしょうじ)という老人が、「分をわきまえず」美しい女御に恋をしてしまいます。到底持ち上がらない重荷を持って庭を廻ったら、重荷を持っている間は姿を見せよう、と言って綺麗な綾錦で包んだ重荷を用意します。"身分不相応でからかったりする"という見方もありますが、到底持ち上がらない重荷を持てない事を知って、身分不相応と諦めるよう窘めたのでは、という見方も出来ます、と喜正さん。しかし、重荷を持つことが出来ず、ついに荘司は憤死してしまいます。その後、亡霊となった荘司は女御に鹿背杖を女御に突きつけ責め立てます。「うらめしや」と。観世喜正さん:私は世間では決して若くはありませんが、この世界ではまだまだ若手でございます。この年で「恋重荷」を演ずることはあまりないのですが、やらせていただくことになりました。重習(おもならい)曲と言われる曲で1時間ほどの能です。一度2000年に「恋重荷」のシテを演じられたそうですが、暫くぶり・・・ということですね。次に和泉流狂言「内沙汰」について粗筋を説明してくださいました。こちらの粗筋は前のレポートに掲載しているのでカットします(笑)観世喜正さん:この公演での「恋重荷」は男女の情愛を描いたものです。先ほど(楽屋で)萬斎さんにこの狂言についてお話を伺っておりましたが、この内沙汰は同じように男女の情愛を描いた作品として選んだ、とのことでした。【あらすじ】白川院の御所に、菊の下葉を取る山科荘司(やましなのしょうじ)という身分卑しい老人(前シテ)がいた。あるとき、荘司は女御(ツレ)の姿を垣間見て、恋をしてしまう。卑しい者がうっかりと姿を見ることさえ罪であるのに、ましてや恋をするなど言語道断。臣下(ワキ)は荘司の恋を諦めさせようと、綾錦で包んだ重荷を用意し、これを持って庭を百回、千回と廻ったならば、いま一度女御の姿を見せようと約束する。勇む荘司は荷を持とうとするがどうしても持てず、ついには空しく成り果てる。これを聞いて悔やむ女御の前に荘司の亡霊(後シテ)が現れ、恨みを込めて責め苛むのであった。※参考 第32回神遊ろうそく能 パンフレットより【恋重荷について・・・】宝生流などにある「綾鼓(あやのつづみ)」と類曲として有名です。元々は作者不明の「綾の太鼓」という曲を世阿弥が改作したものと言われています。原作に近いものが「綾鼓」で、後に観世流がさらに手を加えたものが「恋重荷」と聞いていますが・・・諸説あるとのことで、研究もしていない私のようなものが「こうだろう」などとは言えないのですが(苦笑)あらすじは類似しているようですが、クライマックスが違うんですね。(実際に「綾鼓」を観た事がないのですが・・)「綾鼓」は女御を許さず、恨みぬいて終わりますが、「恋重荷」は最後の最後に涙を浮かべて許しを請う女御の姿に怨みの念も鎮まり、最後は葉守の神となって守ろう、と言って去っていきます。どちらが怖いんでしょうね?一見、守り神になってもらえるのならば、それはそれでめでたし・・と思いきや、「一生涯見ているよ、だけれどそのことを忘れたら、タダじゃおかないよ」と言われているようで恐ろしいという解釈も出来るというし・・・。怨んで怨み抜かれるほうがいいか、守り神となって常に側に存在を感じながら生きていくのがいいのか。ここは、邪推をするよりも実際に舞台を観て、実際にご覧になられた方がツレの女御とどう共鳴するかがポイントなのかもしれません。つまりは受け取る側(女御)の気持ち次第ちなみに、葉守の神とは柏の木に宿ると言われています。柏の木・・・柏木(かしわぎ)といえば、源氏物語です。この「柏木」に関する物語といえば。源氏が太政大臣に出世。朱雀院は出家するにあたり最愛の女三の宮を時の権力者、源氏に降嫁する。源氏は40歳、女三の宮は15歳。柏木は、猫がたくし上げた御簾の間から女三の宮の姿を垣間見てしまい、恋に落ちてしまう。47歳になった源氏は、太政大臣を退いた。柏木は女三の宮を諦めきれず、ついに源氏の留守中に訪ね無理やり契りを結んでしまう。このことにより女三の宮は柏木の子を身ごもってしまう。源氏は、女三の宮に宛てた柏木の手紙を見つけて全てを知ってしまう。その後柏木は、罪の恐ろしさで病に臥してしまう。と言ったお話です。「葉守の神」と使ったことから、世阿弥がこの源氏物語の柏木の一説を交えたのでは?というお話がある、ということをゲストさま(茜さん)からお聞きし、「ほぉぉぉ~」と思ったりしたものでした。決して好きになってはならぬ人に恋をしてしまった・・・という点でも確かにシンクロしてくる内容です。世阿弥の真意はいかに?さて。この「恋重荷」を観ていて思ったのですが、山科荘司はそんな悲劇に遭うほど悪いことをしたのでしょうか?胸のうちで想うのも罪なのでしょうか。侍臣(ワキ)が「山科荘司という身分の卑しい者が女御の姿を垣間見たという。これは従者(アイ)を呼び出だし、尋ねねばならん、呼んで来い。」と言います。放っておいてあげてよーと思いますね(苦笑)侍臣(ワキ)は荘司(シテ)に「さて汝は恋をするというは真か。」と尋ねます。荘司は「なぜそのようなことをご存じなのですか」と逆に問えばワキ「いや、色が(顔に)出ているから判るものだ。」・・・。まぁ、ちと余計なお世話よね(怒)でも、そんな感想は現代人だから思えることで、確かに女御に何かあってはいけない。だから未然に防止をしなければならないのが側近の大切なお役目なのかもしれないのですが。侍臣(ワキ)「このことは既に女御も聞き召し及ばれた。急いでこの荷を持って庭を百度千度廻るならば、その間に女御の御姿を拝ませてやろう」重荷を持ち上げようとしても当然持ちあがらない。シテと地謡の詞章はこのようになっていました。「名も理(ことわり)や恋の重荷。」「げに持ちかぬるこの身かな。」 「それ及び難きは高き山。思の深きはわたつ海の如し」名の通り持ち上げることのできない「恋の重荷」。自分の恋する想い(重荷)にも耐えられない。 女御は高い山の頂上のように、手の届かない存在なのに。私の想いは海のように深いのだ。女冥利に尽きる、とでも言いましょうか(^^)手が届かないほどに、欲する気持ちは高まるとも言えるでしょう。後場で、怨霊となって現れた荘司は怨みを込めて鹿背杖かせづえを女御に喉元に突き出します。しかし、やがて怨みの念も和らぎ「これまでぞ姫小松の。」 「葉守の神となりて。千代の影を守らんや 千代の影を守らん。」 と言って荘司の怨霊は消えていきます。あっけなくも感じられますが、やはり好きな女性に縋られたら弱い男心なのか・・・怨霊となっても、恋をする人間の心をまだ胸に宿した山科荘司の悲しい残像が残ります。【面(おもて)】"重荷悪尉(おもにあくじょう)"と呼ばれる専用面を用いるのだそうです。どんな表情かはパンフレットの画像をご覧くださいね。【感想】ろうそくに火が灯され、能楽堂もより幻想的な空間へ。囃子方が入り、その後に後見が重荷を持って本舞台中央(階のあたり)へ丁寧に置かれました。「ただ置くだけ」じゃ、ないんですよね。もう恋重荷のお話は始まっている。当然、何かを話されるわけではないですが、重荷を置きつつ見所の正面を見据える力強い眼力は「これから、とくと山科荘司の恋の物語をご覧下さいよ・・」と言われているようでいて。この方がシテを勤められる能も絶対に観たいと思ってしまうほど、ピリっとした緊張感が走りました。後見の方でこれほど存在感を感じた方は初めてです。(一目ぼれ)女御(ツレ)が先に登場し、床机に腰掛けますが、なんとまぁ、可憐で美しいのでしょう。荘司おじいちゃん(爆)が心乱されるのも無理はあるまい・・・。もっと年齢が中年ほどで(苦笑)高ピーな女御をイメージしていましたが、私が感じた印象から言えば可愛らしいまだ成熟していない女性のような。その後、登場した喜正さんの前シテ(山科荘司)・・・非常に小さいんです。正しく言えば小さく見えてしまう。決して、観世喜正さんは小さな方ではないと思うのですが、小さな老人に見えてしまう、なんとも不思議。世阿弥の「風姿花伝」に、老人を演じるには、「老人らしさを身体で単純に表すのではなくて、衰えた老人の身体をどう表現するかという"心理"を反映させた所作が大切だと書かれているのだそうです。まだ喜正さんは35歳くらいのお若い方ですから、この荘司を演じるのは精神的にも難しいのでしょうね。前シテでは立派に「おじいさん」に見えちゃったのですから、喜正さん、すごいなぁと思ってしまいます。重荷を持てなくて、自分の想いと持てぬ重荷に重ね合わせて泣く姿。モロジオリというのですね、あの、両手で涙を受ける型。切なかったです・・・。泣けます。さて後シテはさてどうだったかというと・・・目の前に"ゴッキーちゃん"が現れそれどころではなくなってしまい・・・正直、舞台に集中が出来ませんでした(涙)頑張って女御の気持ち、荘司の想いをキャッチしようと試みましたが( ̄▽ ̄:) でも後からじっくりこの「恋重荷」を考えた時、女御は決して卑しい身分の荘司を弄ぶ気持ちから、あのような難題を持ちかけたのではなく、単に「幼い世間知らずの姫だったのでは」という印象を受けました。本気の恋を、ひょっとしたら知らなかったのかもしれません。身分や道徳を越えてまで抑え切れぬ恋心が世の中に存在することなど・・・。女御は荘司の怨霊に責めたてられ、苦悶しつつも、ハラハラと涙を流して自分の犯した罪を後悔しているようにも見えました。荘司はあっさりと守り神となって消えていきますが、女御が荘司の深い想いに気付いた、恋とは美しくもあるが、残酷な一端も持っているということが分ってもらえたというだけで、すでにこの世での執着は消えたのかもしれません。この「恋重荷」かなりお気に入りです。元々ストーリーを知ってから観たいと思って出かけたこの「ろうそく能」でしたが、一度観てますます興味をそそられました。「綾鼓」の方も同様に観てみたいですね。トップページへ戻る
2006年09月06日
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第32回神遊「ろうそく能」於:観世能楽堂平成18年8月25日(金)午後7時00分開演番組表(敬称略)◆番組表◆(敬称略)・解説 観世喜正 ・狂言【内沙汰】(うちざた) シテ(右近)野村萬斎 アド(妻)石田幸雄 後見 竹山悠樹・ろうそく能【恋重荷】(こいのおもに) 前シテ(山科荘司)後シテ(荘司の亡霊) 観世喜正 ツレ(女御)武田文志 ワキ(侍臣)殿田謙吉 アイ(御所の下人)野村万之介 笛 一噌隆之 小鼓 観世新九郎 大鼓 柿原弘和 太鼓 観世元伯 後見 観世喜之 弘田裕一 地謡 岡 久廣 浅見重好 松木千俊 遠藤和久 武田友志 坂井音雅 坂井音隆 坂井音晴和泉流狂言「内沙汰」【感想】※お詫び以前、市川文化会館で行われた「市川狂言の夕べ」のレポートにて「留メ」(終わり方)の台詞部分を間違った解釈で思い込んでいましたので、今さらながら訂正・お詫び・・・(汗)訂正後のあらすじはコチラ・・・狂言「内沙汰」「内沙汰」という狂言は今年2度目の鑑賞です。数年前まで萬斎さんはこの内沙汰のシテを1度しかしたことがない、と仰っていました。ちょっと夫婦の痴話喧嘩というか、その内容も「色めいたものだけに、万作さんはあまり好まれなさそう?と思いきや、大蔵流の善竹弥五郎さんの名人芸として有名だった「右近左近」に興味を持たれて、お若いときにお父様である故・六世万蔵さんに「内沙汰」をやりたいから教えてほしい、と申し出たそうです。上記にも書きましたが、肝心な終曲部で誤った解釈をしていたためにまたも考えさせられました(苦笑)同曲として取り扱われる大蔵流の「右近左近おこさこ」では、訴訟の家庭内リハーサルで地頭に扮した妻があまりにも左近の肩を持つのでキレた右近が『お前、左近と浮気してるだろ。俺はずっと前から知ってたんだぞ』と責め立てます。すると妻は手を口元へ当て『はっ』とした態度を見せます。明らかに「黒」です。これに対して和泉流の「内沙汰」では同じような展開の後に妻が取る態度は大して大袈裟に慌てる風でもなく、驚くような型もありません。むしろ見所へ無表情のまま向かい、心の中は察することが出来ません。より謎めいていて、「白なのか黒なのかよくわからない」のです。とはいえ、「狂言三人三様(茂山千作の巻)」での万作さんのインタビュー箇所を読むと「コキュ(妻を寝取られた)された百姓の男の話」と書いてありますから、これは「黒」と見ていいのかもしれません(笑)ここの部分の表現の仕方がより生々しく感じさせないように、和泉流ではサラっと流し、品を保っています。留メ(終わり方)もまた和泉流と大蔵流では違ってきます。大蔵流の右近左近では、客席に向かって『笑うなら笑え!笑え!』と自嘲気味、自虐的な台詞で終わります。これは観客を煽るような、そんな感じさえもしますね。ここでドーっと笑いが起こるわけです。どちらかというとクライマックスで笑わせる、感じが強い。笑ってもらうことで、情けないうだつの上がらない男(シテ)は救われるのでしょうか。和泉流の内沙汰は妻が消えた方向に向かって『左近とおのれは夫婦じゃわい、やーい』と半ばキレ気味に叫んだあと(?)すごすごと揚げ幕に入っていきます。他の狂言でも観るような、シン・・とした余韻とシテの背中に切ない男の哀愁漂う終わり方。こちらのほうが、笑って済まされない今後の夫婦の行く末が気になってしまいます。私が勘違いしていた『身共とおのれは夫婦じゃわい、やい』(どうしたら聞き違えるのだ?思い込みってオソロシイ・苦笑)の締めくくりのほうが断然ハッピーだと思うのですけれどね(苦笑)どちらにしても「右近左近」のほうが、泥臭いイメージが強く、このような話は洗練された和泉流の「内沙汰」よりも安心して笑い飛ばせてしまう、そんな気がしますが、狂言らしい品格は和泉流のもつ構成なのかなぁ~。右近左近は善竹家の(十郎さんのシテ)でしか拝見したことがないのですが、茂山家でもよく演じられるようですね。千作さんと千之丞さんと比較しても印象が違うとか・・・。やはり狂言って演じる役者の雰囲気にもよるのかもしれません。萬斎さんのように百姓にしては色の白い若々しい役者より、ひょっとしたらもう少し年齢を重ねられて「老いの侘しさ」が感じられる役者のほうがしっくり来てしまうのかもしれない(笑)とはいえ、内沙汰には大蔵流にはない「訴訟リハーサルで左近の役回りを流暢に行う独壇場の演技」は見もので後半自らを演じる右近との対比がまた面白いので、甲乙はつけがたいですね。万作家贔屓の私が観たいのは、万之介さんの右近、かな?絶対にかわいいと思う(笑)※参考文献「狂言三人三様(茂山千作の巻)」【1】レポ後記・・・最初に観世喜正さんの解説付きでした。恋重荷の解説だけではなく、流暢に狂言の解説もされるご様子に感激の眼差しを送っていました。「えーっと」とか「あの」とか、そういう言葉の詰まりが全くない、頭の中でしっかりと言葉を組み立てしっかりと解説なさるので、とても分りやすかったです。その解説の内容は、観世流能「恋重荷」のレポートとともに、後日まとめてみようかと思っています。解説が終わって、切り戸口へ戻られるとき、ゆったりと優雅に歩かれていました。あー、いいなぁー、所作が美しいなぁ・・・などと、まったり考えつつ、内沙汰は始まりました。はい。この日の萬斎さん(おまたせー)帰宅直後、掲示板にも書き散らしました。が、にほんごであそぼ「伊呂波」のように、きっかり七三分け(笑)裕福でない百姓という設定の割りに、「おぼっちゃま風」で育ちのよさが隠せない、そんな感じ(笑)←不惑を迎えられた方に「おぼっちゃま」はないと思うのであるが・・・後半に向け、額が付くほどに土下座をしまくり、髪を振り乱し、さっきまで綺麗にセットされていた御髪はどこへやら(笑)「鬼太郎」もしくは「花形満(By 巨人の星)」最後に怒った妻に投げ飛ばされてしまう右近@萬斎さんですが、本気で蹴躓いた?と思うほど「ドタッ」と見事な倒れっぷり(笑)倒されたって奥に消えた妻を「指差し」((_ヾ(≧血≦;)ノ_)) 「左近とおぬしは夫婦じゃわい、やーーーーい!! 」ちょっと子どもじみた喧嘩のようでいて、憎めないながらも、狂言「鎌腹」を思わせる、へっぽこ夫は2度見てもたくさん笑えました♪訴訟の部分など少し聞きなれない言葉が理解しにくいという声が他に多くあったようなので、パンフレットに語句解説などが付いていたらありがたいかも・・・狂言公演じゃなきゃ無理かな・・トップページへ戻る
2006年08月29日
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2006年7月8日(土)のお話です。いま何月何日だ??!狂言芸話(七)お話:野村万作さんはっきり言って忘れちゃいました( ̄▽ ̄:) 細かいことは。この狂言芸話が楽しみで申し込んだのに(まだパーティがあるとは知らなかった頃)万作さんは独特の話され方をするんですね。一語一語噛み締めつつ、瞳は一点を見つめるようなこともなく。って、、万作さんはご自分でも仰っていましたが、極度の近眼なのだそうです。萬斎さんは"視力2.0"なのにね(笑)ということは老眼になるのも早いのでしょうか・・・( ̄▽ ̄:) ←失礼な発言萬斎さんが老眼鏡か・・・いかんとも想像しがたい(苦笑)この日のテーマは「三番叟」について。三番叟は翁と共に、おめでたい新年などに公演されることが多いですよね。万作家ではお正月三が日はしっかりお休みするということを前に聞いたことがありますが、次の週くらいからは連続して「観世、宝生、九皐会、梅若、 時によって喜多会 」というふうに能の会が開かれるそうです。翁と三番叟についてへ「能狂言勉強部屋」で掲載してあるのでここでは割愛。私はこのような会を今年の2月に「式能」で拝見しました。新年は田舎に帰省していたりするのと少々多忙なため、なかなか本格的な能会にはいけないのですが・・・。そのときは・・・「翁・三番叟・高砂・末広かり・清経・饅頭」だったかな。エラク疲れたのを憶えています(苦笑)もちろん、大満足でしたけれど(≧∀≦)とくに・・・不惑目前の三番叟が(爆)さて本題の「三番叟」万作さんが20歳の頃の話。2時間前には楽屋入りするそうです。万作さんは時間に正確そうですよね~。三番叟の前には「別火」という儀式を行います。万作さん「どうしたら、セクハラにならないかと思うのですが(苦笑)」と笑いながら首を捻ってらっしゃいました。男尊女卑は今の時代からすればナンセンスであり時代錯誤ですから厳密には行われなくなったそうですが、当日の朝は「(万作さんのお言葉を借りれば)女性の手を避けて」朝食を頂いたりする、つまり女性と火を別にする、ということ。さて楽屋のお話。ここには火鉢が置かれているそうです。シテ方と狂言方の二つ。 火鉢をおく。シテ方と狂言方の二つ用意されるそうです。 結構、楽屋は寒いそうで(今はどうなんだろう?万作さんの若かりし頃のことかしら)この火鉢で暖をとり、お清めの御酒を頂くそうです。※鏡の間に祭壇を据えて翁面を納めた面箱を祀り、神酒や洗米を供え、鏡の間の四方と舞台に向かって切り火をうって清める。出演者一同は、登場の前に鏡の間に列座し、お神酒をいただくなどの清めの祭儀を行う。これもまた、翁、千歳、三番叟、面箱持ち・・・というように順番も厳密に決まっているようですね。でも、シテ方の流儀が「上掛リ(観世流、宝生流)」か「下掛リ(金春流、金剛流、喜多流)」かによっても変わります。上記の場合は上掛リの場合ですが下掛リだと千歳は狂言方が面箱持ちと兼ねて勤めるので、翁、三番叟、千歳・・・となるそうです。お神酒(盃事さかずきごとという儀式)を頂くと、体の中から燃えてくるような気がします、とお酒好きご一家の長という感じのお話がありました(笑)また舞台はとても寒いので身体を温める効果もあったのかな。 能「道成寺」などにも細かい決まりごとがあって、その辺のお話は正確に記載できないのでやめておきます(苦笑)どうやら流儀によっても異なるようで、口伝で行われるそうなので細かいことはあまり公にはなってないと思うのですが。こういった能会では大勢の人が集まることになるので、特に一人でも遅れると大変ですね。例えば千歳の披き、などというときには前日にシテ方の家に泊めていただく、というようなこともあるそうで。昔、やはりお正月の公演で観世流「翁」が上演される日、シテ方の遠藤六郎さんが遅刻をされたことがあったそうで、待っている方々は肝を冷やしておられたのは想像がつきます。やっと到着した六郎さんに対し、先代の六世万蔵さん(萬斎さんの御祖父)は「遠路(遠藤)はるばる"ろくろう(ご苦労)"さん」とダジャレを仰ったとか(笑)万作さん「私は笑いませんでしたがね」←目に浮かぶような~六世万蔵さんはユーモアたっぷりなお方だったんですね。「名古屋の野村又三郎さんもつまらないダジャレを言う」と仰る万作さん。例えば面(おもて)に関する解説をお客さんにしているとき「(面(おもて)をひっくり返して見せながら)こちらが裏です。(さらに表を向けて)これが面(おもて)の表(おもて)です」などというようなことを仰るのだとか(笑)←万作さん少々呆れ気味(でもこういう冗談も友好の証しでしょうか)「初能や まかりいでたる 果報者 」六世万蔵さんが詠まれた俳句だそうです。こうして新年に三番叟を舞うことができることはこの上ない喜びであるそうです。こうした役者にとっても遣り甲斐のある、おめでたい舞台を是非ご覧になってみてください、と仰いました。話が前後してしまうのですが・・・。揚幕も白、装束も白、というような翁もあるそうです。チョットこの辺の話はあまり記憶出来てないので、詳しく書けないのですが。一度特別な翁も拝見したいですね。それから、シテ方さんのお名前もメモってないので忘れてしまいましたが、万作さんが千歳を勤められたとき・・・ということは下掛リ。シテ方は大層お年を召した方で当時お幾つだったのかも失念しましたが、前を千歳(万作さん)が面箱を持って歩くわけです。「しっかりと歩く」=ゆっくり歩く。と、 「ゆっくり歩くな!」と怒られたそうです(笑)紋付袴の足元を少しめくり上げて万作さんの"正しい"摺り足実演。両足を揃えて、しっかり歩く。でも、お年を召してくると足腰が弱くなって、しっかり腰を入れて摺り足をするのがシンドイというのです。だから、あまりゆっくりと歩かれると、後ろを歩くシテ方さんは大変なのですね(苦笑)橋掛リでは少々足が開いていても、大丈夫ですが本舞台では誤魔化せないとも←現在の万作さんはまだまだ大丈夫そうですが(笑)そんなことまでバラしちゃっていいーんですか、万作さん!という感じですが、冒頭で「昨日(前日にも同じ公演がありました)は喋りすぎちゃったので、今日は気をつけようと思う」などと頭をカキカキ仰っておられました。が、時間が経過するごとに、饒舌となり・・・いや、貴重なお話。嬉しいなぁ。それから、三番叟の独立公演について。通常「三番叟」(大蔵流は三番三)は「翁」の中で演じられますね。以前には能楽協会で三番叟単独での公演を認めるか否かで議論が起こったことがあったそうです。結局認められたようで、今も三番叟だけ、という公演はたくさんありますよね。それなら「翁」単独でもいいじゃないか、という話にもなって実際に行われたりしたそうですが、客入りは・・・・・・・・・。その後行われていないところを見ると、あまり人気が出なかった、ということでしょうか(爆)万作さん曰く「三番叟は序破急でいうと"急"」「半能といって、能の面白いところだけを演じるものがありますが、翁は三番叟を端折らない」「まぁ、翁は三番叟で持っているようなものですからね」と強気かつ自信満々なご発言(笑)←場内は爆笑。これが喋りすぎちゃった一つのお話かしら?!海外公演についてのお話もありました。シアトルの公演で三番叟を舞った時、囃子方など全員で行くとまた大変なので、テープに吹き込んで行ったそうです。テープだとなかなかあわせ難い感覚があったようで、イマイチだったとか。三番叟と囃子はあわせるものではなく、"せめぎあい"だと言うお話を聞いたことがあります。これが人工的なテープだと、そういった迫力半減してしまうのでしょうね。三番叟は囃子が段々とテンポアップしていくのが特徴ですね。万作さんが苦手な囃子方(多分小鼓方なんでしょうけれど・・)がいらっしゃるようです(笑)どなたか、ということまでは暴露されませんでしたが、次の公演が詰まっていたりすると10分位で終わらせてしまうとか(苦笑)これまた万作さんの「つい喋りすぎちゃったエピソード」の一つでしょうかね(笑)サンフランシスコのバークレーではギリシャ悲劇が行われるような開放的な舞台で三番叟を踏み、とても気持ちがよかった、などというお話もありました。三番叟の稽古をするとき、笛歌でもって(ヒーヤーリーヒーヤーローなどと謡う)覚えるのだそうですが、実際に三番叟を披いた時、「全然違うお囃子」に愕然とされたとか。また、まだ未熟なときは三番叟を踏む際にペース配分が分らず最初から必死に足拍子を踏んでしまい、後半の鈴ノ段では足がガクガクになってしまったりしたとのことです。(ちょうど、足をクロスさせる型をしていたような記憶が・・・揉ノ段よりも型が繊細に見えますからね、爪先を舞台に落とす際には足も震えちゃうんですね)足拍子の話でもう一つ。確か国立能楽堂でのお話だったと思うのですが、まだ新しいころは舞台がとても固いので激しく足拍子を踏むととても痛いのだとか。確か、萬斎さんも三番叟披いた17歳の頃、歩けないほど足の裏が真っ青になったというエピソードがありましたね。 万作さんの御祖父(ということは五世万蔵さんでいいのかな)の十三回忌のとき、万作さんは「三番叟と奈須語」の両曲を一度に披いたそうです。万作さん「これはいかにサボっていたか、ということですが」と笑っておられました。通常はこのように大曲を2曲も披く、なんてことはないのでしょう。 話の内容も大まかで、話も前後してしまっていると思います。なおかつ「万作さんがどんな話し方をされていたか」なんてことはもう既に忘却の彼方(苦笑)言葉足らずの箇所が多いことと思いますねぇ。。。私の能楽や用語の知識のなさが原因なんだけれど(汗) 【本日の萬華鏡つぶやき】サラっと覚え書きしてみました。「野村万作さんによる 狂言芸話(七)in横浜能楽堂(2006/07/08)」ヽ( ´ー`)ノ誤字脱字修正・文字の着色等・追記は後ほど改めて・・・・・・・・まずは明日、お初の観世能楽堂(渋谷にあります)で、「神遊 ろうそく能」にて観世喜正さんの解説、能「恋重荷」(観世喜正さん)と狂言「内沙汰」(野村萬斎さん)です。観世喜正さんは地謡をされているお姿は拝見したことがあったのですが・・・シテを勤められる舞台はお初です。念願でした・・♪ともあれ、萬斎さんの狂言もこの7/8以来。楽しみでござる。まずは、観世能楽堂まで迷わずいけるのかが心配だったりして(汗)ささ、久々(?←個人差があると思いますが)の能狂言。1週間の仕事の疲れを癒してきます(心地よく眠らないようにしなくては・・・苦笑)トップページへ戻る
2006年08月24日
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【1】狂言「連歌盗人」-第七回よこはま「万作・萬斎の会」より はこちらから♪2006/07/08の狂言公演の模様ですが、なかなかエントリーできませんでした(→ω←)今さらながら、覚え書きです。賽の目はとても面白い狂言でした。◇賽の目さいのめ◇【番組表】敬称略聟 シテ/野村萬斎 舅/野村万之介 太郎冠者/月崎晴夫 聟/深田博治 聟/高野和憲 娘/竹山悠樹後見/時田光洋【あらすじ】娘を一人持つ有徳人(裕福な者)が、算勘さんかん(算術)に長けた男を聟に迎えようと高札(看板)を掲げる。やっぱり理数系のほうが文系より将来出世したのだろうか(爆)にしても、看板あげるなんて、ねぇ(笑)最初に現れた聟候補。有徳人に五百具(千個)の賽の目(サイコロの目)の合計を問われるが、正確な計算が出来ず、指十本、挙句に足の指まで使って数えるが・・・当然足りず(笑)適当に三千七、八百と答えて追い返されてしまう。二番目に現れた聟候補は暗算が不得意。算盤そろばんを要求する始末。三番目に登場した聟候補。日本一の算者と自慢し、これから自分が正しい答えを言うから、このような高札(看板)はもういらん!と、投げ捨ててしまう。言葉どおり、この暗算が得意な聟候補は有徳人から例の問題を出題されると鮮やかに正解を答える。有徳人「これは、いい聟がきた」とばかりに(そうか?)大喜びで家督を譲り(そんなんで決めちゃって良いのか?!)さて、それではこの有徳人の娘。これから自分の妻となる女性です。見事、聟の座を射止めた男はワクワクしながら、まだ見ぬ麗しき(はず)の娘を待つ。着物を被って顔を見せない娘に、聟は痺れを切らしてエイっと着物を剥ぐと・・・???そこにはお世辞にも美しいとはいえない醜女。。。聟:Σ(ОД○*)ぎゃー※注 絵文字は勝手なイメージです((((((((((((((((((゚ω゚;) ←気持ちは100メートルくらい引いたに違いあるまい腰を抜かしそうになり。好き~~(娘)~(ノ*´Д`*)ノ‥‥…━━━━━☆゛゜・゛゛(ノ ̄□ ̄)ノ(聟) ※注 あくまで・・イメージです何かと理由をつけつつ逃げようとする聟を娘はまんまと正面から捕まえ、最後には鮮やかに背負ってしまう。聟:下ろしてくれぃ、下ろしてくれぃ 。o゜o(´□`*)o゜o゜о※注 イメージですよ・・・ちょっとあらすじにギャルちっくな顔文字を多用してみました(イメージです←しつこい)【あめみこの感想】オープニングとしては竹取物語と同じですね。聟候補にある課題を出して、見事に応えられた者に大切な娘を差し上げよう、という。家督を譲り、しかも大切に育てた娘を、そんな暗算問題で「決めたっ」という有徳人もまた、「そんなんでいいのか?」と思わせるほど、ナンセンスだったりしますが、そこがまた狂言の面白いところ。最初の聟、深田さんが手や足の指を全部使って計算している姿が可笑しくて笑えます。とにかく・・・あまりにアホっぽいではないか・・(笑)そんな姿が可愛くもあるんですけれどね。高野さんの聟は少し深田聟に比べると賢そうです(笑)が、計算が苦手。算盤を下さいと乞うんですが、たちまち太郎冠者に放り出されて、ブツクサ言いつつ帰ると言う、これもまたいい味だしているなぁ~♪出ました。三番目。トリの聟は萬斎聟。私、萬斎さんの聟姿を観たのは初めてで。なかなか観る機会がなかったんです(・・・。多分はじめて)もうそろそろ観られなくなっちゃうんじゃないかと思うので、早いところ鑑賞しておかねば(笑)自信満々、看板を放り投げる振る舞いは、男らしいような、ちょっと鼻持ちならない自信過剰でヤなやつかもしれません、、、が、それも狂言のおかしさでカバー。萬斎さんの持つ美しい所作を堪能しつつ、四十歳とは思えぬ可愛い満面の笑み、正解を出した後の誇らしげな様子がなんとも言えず、面白い。賽の目は非常に上演の稀な演目で、平成十四年野村狂言座において、萬斎さんが復活上演したそうです。そのため、萬斎さんらしいちょっとオーバーリアクション気味な演技も、クライマックスのドタバタ的な演出方法も、楽しく大いに笑いました。うーん。今回の娘、醜女(←なんて失礼ねっ、女は器量だけじゃないわっ・苦笑)は竹山さんでしたが、小さな身体で裃を着けて大きく見える萬斎さんを「よっこらせっ」と軽やかに背負って行かれる様子は、グラっともせず、かなり自然で、驚きましたね。今までの狂言であんな終わり方は見たことがありません(笑)追い込みで出て行くと思ったら、オンブされちゃうなんて(≧∀≦)・・いいなぁ、オンブしたいぞ・・・なんて心の中で思ったなんて口が裂けてもいえないわ(←言ってる)ゲストさまの観劇レポより他の方のご感想(茜さん:野村万作萬斎狂言会-第11回- 2006年6月30日 大槻能楽堂)もとても面白いです。是非ご覧下さい♪トップページへ戻る
2006年08月19日
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間狂言読んで字の如く、間に行われる狂言。としか・・・。あまり深く考えたこともなく。ただ、能楽の虎の巻などを再び読み返して勉強してみました。「間狂言あいきょうげん」は「アイ」とも言い、狂言方が担当。以下のような種類に分別されます。・「語り間あい」 前シテの退場から後シテの登場までの間にシテに関する物語を語る。 これは結構基本中の基本?!・・でよく観るパターン。・「替間かえあい」 能と能との間に独立した狂言が演じられる。 例えば 能「賀茂」の中の「御田おんだ」 能「嵐山」の中の「猿聟さるむこ」など。 まだこの替間は観る機会がないので、観てみたい。 「キャーキャーキャー」の、猿聟。すごく観たい!とはいえ、単独ではなく能と能との間に独立した狂言が一曲入るわけですからさらに長くなっちゃうわけですね。・「アシライ間あい」 現在能に多いもので、能の中で狂言方が登場人物を演じるもの。 例えば私のお気に入り。。。能「船弁慶」の船頭なんてのもそうですね。・「口開け間あい」 能の最初に出て場面設定を行うもの。 私の数少ない能鑑賞では、能「鉄輪」の貴船の社人(神職です) ↑それしか思い浮かばない(苦笑) それから、ワキに所をやものを教えるアイを「教え間」などとも言うそうで。 これはあまり私は馴染みのない言葉でした。とはいえ、色々なパターンの間狂言(アイ)を観てみないことには、実際ピンとこないものですね。何の知識もなく観に行った"いーっちばん"最初の能鑑賞は「百萬(ひゃくまん)」法楽之舞で。舞台構成も、狂言方が何をするのかも知らず(爆)わからないことだらけ。ただただ、能の間に狂言師が登場し、とにかく誰よりも分りやすい言葉で語ってた、ということしか憶えていません(苦笑)そう、他の出演者のみなさんて、「謡い」やら「○○候~」なんて、特に難しい言葉で流れるように物語を進行して行くのに、狂言方の「アイ」というのは、流暢に語っているし、スピード感が他と違う感じがしてなんとも不思議な(能の中では異質な)存在だ、などと思っていたのです。ははは。今だから白状します( ̄▽ ̄:)今思えば、間狂言とは、 物語を進行して行く上で欠かせない重要な存在なんですね。例えば成仏できないシテ(主人公)の思念を辿る手がかりになったりするのですから。そう思えば、間狂言(アイ)のない能もあるんですね。何度も繰り返すようですが(笑)能鑑賞歴の浅い私が前に観た、能「源氏供養」などはアイがないので、初めて観たときにはちょっと不思議な感覚が残ってみたり。まだまだ経験が浅いなぁと思う今日この頃。能も狂言もセットで、早く観に行きたいぞ。能。あのふんわりと包まれるα波もまたよかったりする(笑)能楽の虎の巻(愛読書)に、眠くなったら静かにうつむいて眠っても良いでしょう、なんて書いてあってちょっと緊張感が和らいだことがあります。とはいえ、お金を払って観に行くものだし、ケチんぼな私は頑張ってどんな場面も見逃したくないなぁと思うわけですが、ついつい謡の内容を真剣に聞こうと目を閉じると船出してしまいそうに(笑)そんなときに、私にとってしっかりした間狂言の語りは意識レベルを正常に保つには結構必要だったりして・・・さて。デイヴィ・ジョーンズの悲劇を能にしたら・・・「もしもシリーズ」は考え中。考えたからって、特にただの自己満足でしかないのだけれど(笑)というより。「よこはま万作萬斎狂言の会」レポ・・・いやもう覚え書きと言うか・・はどこへ行っちゃったんだろうか(笑)暑いなー。暑くて頭がボっとする。こうして文章を書き出すのに単語が出てこないってマズイ現象だ・・・。2006-08-18 21:50 室温31℃・・・夜だよ、夜っ←クーラー入れましょうよ( ̄▽ ̄:)
2006年08月18日
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第七回よこはま万作萬斎の会於:横浜能楽堂平成18年7月8日(土)午後2時00分開演◇連歌盗人れんがぬすびと◇【番組表】敬称略男(当) 野村万作 / 男(相当) 石田幸雄 / 何某(有徳人) 野村万之介【あらすじ】連歌の初心講を結ぶ男が当とう(当番)となるが、あまり裕福でないために当をつとめる目途が立たない。相当あいとう(当番仲間)の男も同様の貧乏人であり、どうしようかと思案していると、羽振りの良い連歌仲間の何某の邸宅に盗みに入ろう、ということになった。二人は夜になって、何某の家の裏にある垣根を引き破って侵入。手燭てしょくの薄明かりを頼りに室内を物色し、「水に見て月の上なる木の葉かな」とある懐紙を見つける。相当の男は、何某が新築落成の祝いに詠んだ発句であると言って、添え発句を勧める。当の男が「梢散り顕れやせん下紅葉」と詠み、相当の男が脇句「時雨の音を盗む松風」を付け、二人で吟じていると、物色に気付いた何某が駆けつけてきた。何某は怒って刀を振りかざし、驚いた当と相当の二人はあれこれと言い訳を言う。そこで何某は第三句「闇のころ月をあはれと忍びきて」を詠み、これに第四句を付けたら許そう、という。二人は考え当の男が「さむめき夢ぞ 許せ鐘の音」とつけると、何某は笑って許し、それではここをそっと出てゆけ、と言う。顔を見られぬよう袖で隠しながら何某の側を通るときに、こっそり覘きこんでみると、それは顔見知りの連歌仲間であることがわかり、理由を聞けば、赫々云々かくかくしかじかで、連歌の初心講を開けないということを白状する。それならば、このようなことをせずとも最初から頼んでくれたらいいものを・・・。当と相当の二人それぞれに酒を振る舞い、高価な刀を渡し、初心講の費用に充てなさいと促す。何某は「今度は裏からではなく、正面から入ってきなさい」と言い、恐縮しつつもありがたく刀を受け取る。めでたし、めでたし♪【連歌とは】複数の作者で和歌の上句・下句を付け合う文芸で、中世から近世にかけて流行した。同じ時期に演劇的発展を遂げた狂言には、連歌を扱う作品が少なくない。この「連歌盗人」は連歌が重要なモチーフとなっており、男たちが盗みに入った先で連歌に打ち興じ、何某も連歌好きゆえの鷹揚さを見せる。さらに、損に損を重ねる意味のことわざ「盗人に追おい」を、連歌の徳をたたえる歌に詠み替え、祝意に満ちた結末が導かれる。※参考・・・第七回 よこはま「万作・萬斎の会」プログラム【あめみこの感想】今回の主人公たちは普段は連歌を愛する普通の庶民。不慣れな盗みを働こうとするのですが、当然悪意先行というよりは、連歌を楽しみたいがゆえ。ドロボーはいけないことではあるものの、そのドジさ加減とコミカルさが、そんなことは忘れさせてしまう(笑)全く違うジャンルですがね、同じ"笑い"という点で「ドリフの盗人コント」じゃないけれど、巧く盗み果せるようについ応援したくなっちゃう感じかなぁ~。裏から入ろうとするも垣根があって容易には入れない。当の万作さんは「こんな時のためにノコギリを用意してきた!」相当の石田さん「それは良いたしなみでござる」・・・。( ̄▽ ̄) たしなみなのか(爆笑)戸を開け放った瞬間の大騒音に、耳を塞ぎ慌てる二人゛゜・゛゛(ノ ̄□ ̄)ノ (あたふた)「万作どの~」゛゜・゛゛(ノ ̄□ ̄)ノ (あたふた)「幸雄どの~」おいおい・・・(笑)ゲストの茜さんが一足先に「ゲストさまの観劇宝箱」に投書してくださった「連歌盗人」のレポートと同じ感想。自分たちの耳を塞いでも仕方ないでしょ(≧∀≦)師匠と高弟コンビの息、間合いは絶妙でもう、この辺りはずっと私はニタニタしまくりでしたね(笑)部屋には茶道具など、豪華なお道具がたくさん置いてあり、目を奪われます。盗みに入ったことも忘れ、見物していると、懐紙に連歌の句を発見。さらにココに侵入してきた目的などどこへやら。二人は連歌の続きを始め、楽しく笑っては、ハっと気付き口を押さえ「( ̄b ̄)シーッ」←遅いって・・・やっぱり、物音に気付いたのか何某 万之介さん(有徳人うとくじん=裕福な人)が橋掛リから刀を持って登場。長袴に肩衣の右肩を外した姿、さらには刀を振りかざし、迫力満点の万之介さん。何しに参った!許せぬ~と怒り心頭の何某 万之介さん。万作どの「お座敷が、とっても綺麗だと伺いましたので」幸雄どの「そ、そうでござる」二人そろって・・・「見物にまいりました」←低頭平伏こんな真夜中にかいっヘ(_ _ヘ)☆\( ̄∀ ̄*)なんでやねん!万作どの「この男が(幸雄どのを指差して)盗みに入ろうと言い出しまして~」幸雄どの「( ̄□ ̄;)!! な、なにをいうー」そんな二人の言う言い訳が通用するわけもなく、万之介さんはさらに刀を高々と振りかざします。二人「ああ、ごめんなさい、ごめんなさい」とまぁ、舞台の上のカワイイ、俄かドロボーさん二人組みについ突っ込みを入れてしまいたくなる狂言ですね。ポンポンとテンポが変わる、というよりは、シテ(万作さん)とアド(石田さん)がのんびりと趣味に興じるところが和みますね。中盤はちょっとばかりα波が飛んでいましたが(笑)理由を聞いて、同じ趣味を持つ仲間意識が強い連帯感を覚えたのでしょう。すっかり許してしまう有徳人(万之介どの)の懐の深さ。ほのぼのとして、微笑ましい、そして要所要所はとっても面白い楽しい狂言でした。【ちょっと一息・・・&たわごと】連歌盗人や賽の目の楽しいレポートは、茜さんにお見せいただいたのでより楽しく拝見できました。他の方のレポートを読んでから見に行くと状況もすんなり把握できて助かりますね。途中、記憶が薄れそうな「狂言で遊ぼパーティ」や「解体新書その九」の方だけ先にエントリーしたり、パイレーツ・オブ・カリビアンのキャプテン・ジャック・スパロウに夢中だったりと、仕事の忙しさを跳ね除け・・・・・・・・。遊んでばかりいる私(笑)いや、これが「バランス」っちゅうやつだ←言い訳基本的に、仕事が終わって会社の玄関を出たら・・・仕事のことは考えません~。そう、原則スチャラカ社員←誰が決めた原則か?とはいえ、最近って・・・会社が求める社員への期待・・というよりも半分ノルマ的な要望が大きくなってきて、辛いことこの上ない。この夏によく話をしている年上の同僚が管理職(カチョー代理)に昇格。いつも大概一緒に会社を後にしていたのに、なかなか帰宅できないらしい。。。残業代、という会社が負うべき負担が軽減されたのに、求めるものはさら多くなってイイコトなんて何もない、とか。うひー。そんな管理職に比べたら、私なんてこうして遊んでいたら何とかなっちゃうけれど(苦笑)一介の非管理職の人々のお給料も来年から格差がさらに広がるらしいし。。。会社までも格差社会だってぇ・・・(苦笑)キャリアアップには何の興味もないけれど、とにかく「キンコンダッシュ」が出来る環境にいたい、ワタシなのである←仕事をする上での最重要事項トップページへ戻る
2006年08月05日
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