花の乱 0
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とうとう10月。涼しくなってそよぐ風はすっかり秋。オットの実家に帰省したり、いよいよ迫った復帰の日に向けて保育園の申請に出掛けたり、そうこうしているうちに例のCM解禁日13日を越していたー。そちこちのブログやHPにもコメント残せなくってゴメンなさい。読んでます、みなさんの元気な様子はケータイから・・・( ̄∀ ̄)で。まだお目にかかっていませんが・・・動画をしつこーく繰り返し見ちゃった ( ̄m ̄*) ダイドードリンコ ブレンドコーヒー&デミタスコーヒー CM動画なぜに、そんな顔からスタートなの←第一声でも、プロフェッショナルの真剣な姿がよい感じ←10回見た挙句の感想個人的には30秒のコラージュ編が好きかなぁ 見応えがあって♪そろそろドキュメンタリーなんぞやってはもらえないだろうか~続・我が子を鍛える でもいいからヽ( ´ー`)ノ
2008年10月14日
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ダイドードリンコ株式会社ホームページいちゃさんから日記コメントを頂いて知りましたー珈琲なんですってー( ̄∀ ̄)ちょっと、お洋服でゴクっと飲んでいる姿ってのもよかったのだけれど久々に観る新たな まんさいさん(*´▼`*人)・:*:・←久々にコレコーヒー飲んでる横顔ったら綺麗だねぇこれからは飲むよ、ダイドーデミタスコーヒーそれにしても相変わらず裕基くんにお稽古つけているお顔はコワイ ひぃ~そして相変わらずピンと伸びた背筋早くオンエアが観たいなー♪
2008年10月01日
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チケット発売のとき、まだ先だなぁと思っていた「わが魂は輝く水なり」がBunkamuraシアターコクーンで初日を迎えちゃいましたね。育児奮闘中のあめみこにとって、3月から4月はもっぱら「お腹の子のこと」または「産まれたわが子のこと」で頭いっぱいで~退院から床上げ21日間は赤ちゃんのお世話と自分のことだけをしていればいい・・というわけにもいかずパワフルに動き回っていたら、4月下旬はちょっとガス欠に・・・世の「ガソリン騒動」に似ておりますね。書籍情報を横目に、Bunkamuraのホームページも見る余裕はありませんでしたが~ゴールデン・ウィーク。オットも実家に帰省していて、チビあめの面倒だけを見ていればOKな4連休で余裕が出てきました↑え?どういうこと?オットに手がかかるなんて・・・大きな声じゃ言えませんが(笑)いえ、食事の支度が適当でよい、というだけで随分と家事労力は違ってきます・・・さて、そんなわけで(ってどんなわけ?・・脈絡のない話を間に挟みましたが)「わが魂は輝く水なり」「わが魂は輝く水なり」稽古場レポート/Bunkamuraホームページ↑これ見ました(やっと)前に見たグラビアは「道尊っぽい」と思っていましたが、美しき老い武者の雰囲気が出ていますね~「美しき老い」老い・・なんて失礼かもしれませんが、八ヶ岳の朝食ヴィッフェで遭遇した素の野村万作さんの美しいお姿もさることながら斎藤実盛、なかなか麗しき武将ではないですかね~私に時間があれば、源平話で萬華鏡も盛り上がりたいところですが・・・ちとまだ余裕はありませんゆえ(苦笑)原作も読めずにおりますが・・・←多分3分で熟睡することでしょうな(爆)楽しみですね~とりあえず取ったチケットはあるものの、、行けるかどうか不明なので代わりに行った方の感想などを育児の合間に聞きながら「わが魂は輝く水なり」を楽しみたいですね~
2008年05月05日
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こちらはまたまたお久しぶりです。萬華鏡別館には出産報告や育児ブログを書き連ねていましたが、2008年4月11日 23時17分 2,736g 元気な男児を産みまして現在育児に奮闘中。マタニティー中に足を運んだ狂言公演のレポートもついには片手落ちのまんまで残念なのですが、また観る機会はあると思うので、日一日と新たな発見や喜びを噛み締めつつ今しかない育児生活を過ごしています。しばらくはそんな生活一色なブログを書き散らしていると思います ( ̄m ̄*) さて。産休に入ってからリアルタイムで見られる「にほんごであそぼ」なのですが【送料無料選択可!】にほんごであそぼ 萬斎満開(まんさいまんかい) / キッズ出産後も8時になると教育テレビをつけて一緒に観てます( ̄∀ ̄)(って・・・新生児だから観れるわけないのだけれど・爆)今日は「大漁」だったけれど、何年か前ものだったっけ「弔い」・・で合唱するとき、目を瞑っているけれど改めて「綺麗な顔立ちしてるなぁ・・・」と・・・出産後の初・萌え(笑)←おいおいにんげんドキュメントやら何やらで、幼少期に祖父 六世野村万蔵師からお稽古を受ける萬斎さんの映像は幾度か見ているけれど・・・・・ぶっちゃけ。お世辞にも当時は「美形」とは言いがたく(爆)←ファンなのか極々フツーの子ども顔だと思うんですよね(笑)それなのに、成長して・・・20代より30代・・・と男性なのに美しく時に妖艶になって、特に生舞台で最前列だなんていう幸運に恵まれた時(最近は滅法ご無沙汰だけど)テレビよりも美しいなぁとウットリしたことがたくさんある。40代の今だって、同世代のテレビに出ている俳優さんとかと比較したって引けはとらないくらい若々しいほうだし。狂言師として、役者として、美しくあることを生業として培いながら生きてくると綺麗になれるのだろうなぁ~「我が子も、あんなふうに綺麗な男性にならんかのぅ・・・」←遺伝子の違いは目を瞑っての願望・・・なーんてことを、数分のひととき・・・考えておりました( ̄∀ ̄)あとは現実的に。チビスケを抱っこして少しおとなしくさせ掃除、洗濯、哺乳瓶のお手入れ、授乳、オムツ交換、抱っこ、お昼寝に付き合う←自分が一番寝たいくせにそんなムスコLOVEな日々を送っています。仕事復帰までのカウントダウンに打ちひしがれながら(涙)
2008年04月24日
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テレビ前着席30秒前ッ←録画してるのだけど(笑)第1回「鞍馬天狗参上」は、ツッコミ隊の一員でしたが(笑)第2回「宿命の敵」…。(T-T)←?…。オモロイ(≧m≦)カッチョイイ(//∇//)慣れた?いや…ハマりました(笑)若いお坊っちゃま風味を残した小野宗房くんのときより、公卿の身分と名を捨てて浪人姿になった倉田典膳。なかなか麗しいではないのっ一時はあのヅラに心配してたけれど(苦笑)浪人なのに品格が…でも元公卿のボンボンだから納得がいくさりげなく帯に差した扇が味なセンスというか( ̄ー ̄)割とアップが多かったな~モノ言わぬ華奢な身体のシルエットでも存在感だけで「強さ」と「余裕」が感じられて妙に小気味良い(笑)ちょっと判官贔屓というか、「弱そうに見られているのに底知れぬ強さを持つヒーロー」に日本人って惹かれたりするとこがあるからかな。またも小五郎お天気予報がチラッとあり(笑)こうなったら、毎週のお約束にしてほしい(≧m≦)でも桂小五郎っていうより、暗闇で宮原富三郎と話をしているところなんて…どうしても「西郷どん」に見えちゃって( ̄▽ ̄;)←薩摩藩だし白菊ちゃんは、陰陽師2を思わせる「男姫(おのこひめ)」可憐さと勇ましさが見れて好演(^ー^)(少なくとも日美子よりは(爆))だけれど一瞬の小走りがザツ…かなぁ…。スッ…と移動してほしい。ちと残念←うるさい視聴者緒形さんの近藤勇は…。迫力のアングル。「新撰組最大の敵になろうー!」威圧感とカリスマ性。宮原富三郎との対決では叩き斬る見せ場をわざわざ「すすきのシーン」にして見せないことで、剣の強さを視聴者の想像力に任せる演出。やりますな、NHKさん(^ー^)が、しかし。宮原富三郎…あんなに大物っぷりなのに弱すぎ剣豪っぷりは何だったのか(≧m≦)近藤勇の底知れぬ強さを表すための意図的カットとはいえ、もう少し戦闘シーンがあってもよかったような…見たかったような…(笑)第2回は近藤局長メインと言っても良いほど、敵ながらアッパレのかっこよさ。特に新撰組贔屓というわけではないので、好きな人にはわかりませんが満足(。-∀-)黒姫の吉兵衛も味があります(笑)録画も見返してなく用をしながら鑑賞していたので集中できてないんだけれど、「鞍馬の旦那…いや倉田典膳さん」と見抜いていたあたり、…かなりの鞍馬ファン。いやストーカーですな←(違)近藤勇に吉兵衛が「ホシは宮原富三郎」みたいなことをタレコミしたのかなぁとか、色々考えちゃったけど…まぁそこは良いとして今回の鞍馬天狗さん。あんまり萬斎鞍馬の殺陣というか見せ場がなくてチビッと残念ではありました。が、上記と重複しますが闘わずして「不敵さ」や「余裕の強さ」をオーラから感じるので良し(。-∀-)展開として、白菊ちゃんの敵討ち立ち会いに行って返り討ちに遭いそうになるところを助けるのかと単純に考えてましたが違いましたね。まあ、倉田典膳さんで殺陣見せちゃったら台無しなんだけど…(笑)白馬に乗って白菊ちゃんの前に現れて「無実やねん」←※注 そんな台詞はありません思わずまたツッコミたくなるような展開にも思いつつ…カッコ良かったからいい(笑)暗闇に目立つゴールドの帯(≧m≦)お洒落ねぇ(笑)…あ。ストーカーな(違)黒姫の吉兵衛だけは鞍馬天狗のお着替え…いやいや…変身シーンを知ってるのか?(笑)マフラー巻き巻きする姿、ワタクシもチェックしたいものでござる(≧m≦)深く考えずオチャラケ日記ですが、鞍馬天狗に夢中(笑)今夜は久々、鞍馬天狗じゃなくて狂言師の萬斎さんをトーク付きで観てきます♪ヽ(´▽`)/…あ、演目なんだったか…(爆)予習してない(汗)
2008年01月25日
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来ました。ついに…去年春の製作発表より待ちわびました(T-T)←感涙最近、やたらと「ややこしい」良く言うと「奥が深い」ストーリー展開になってきているドラマが多くて、主人公が悩みまくるような話もありましたけれど3年前の大河では三谷版「新撰組!」でヒーロー的存在だった隊士たちをバッサバッサと斬りすてるある意味「爽快(笑)」なヒーローアクションモノで、すごーく新鮮(≧m≦)大正時代に書かれて遥か昔に少年たちのヒーローだった鞍馬天狗が現代のドラマになってもオモシロイだってだって…緻密な裏付けやツッコミどころを消し去る巧妙に練られた最近の脚本演出したドラマや映画にはない「んなアホな(´▽`)」…という場面設定、ツッコミどころマンサイが逆にNiceな娯楽番組( ̄▽ ̄)b野村萬斎ファンとしては、「その余計な画像処理いらん( ̄^ ̄)」とイチャモンもなくはないけれど←勝手な視聴者ですから(笑)緒形直人さんの近藤勇は存在感あったな~やはり一目置かれる新撰組局長だなと思ったし、鞍馬天狗とは敵でありながらお互いに認め合う視線の交錯が今後の見ドコロかと期待しちゃいます。前半、会社の人から「大変~」なんていうメールが届き、リアルタイム鑑賞途中に集中力を欠いてしまって録画でも早足で見逃し部分を再生。やっぱりクライマックス、鞍馬天狗に変身してからの殺陣はキューン(*^^*)ですね(大天狗のシンクロ処理は邪魔だったけど・(爆))白馬は化け物屋敷に飼われていたのね。それにしても、鞍と紫の宗十郎頭巾のほか鞍馬天狗変身グッズはどこに隠し持ってたんだろ(≧m≦)お洒落に変身した鞍馬天狗だけれど「お得意のマフラー、巻いてる暇あったら白菊姫やられちゃうよ~(≧m≦)」愉しくツッコミ入れるのもまたオモシロイ♪長州藩士 桂小五郎(石原良純さん)【明日の天気予報】笑いました(o^ O^)シ彡☆それから、桂小五郎が幽霊邸の謂れを語るあたり。「都は応仁の乱以降、戦火に包まれることなく古い館が残っている」というような台詞がありますが…思わずそんな小野宗房くんの前世には…その応仁の乱を引き起こした最重要人物「細川勝元」(By 花の乱より)が見えるゎと思ったり(≧m≦)喜←おバカ時折、身のこなし、所作の美しさ…陰陽師 安倍晴明の顔もチラリ( ☆∀☆)本来原作では、零落した公卿のボンボン小野宗房と鞍馬天狗は別人だけれど、あの品格はやはりただの浪人じゃないもんね~冒頭呆気なく大天狗ツマゴローさん(違)…浦部ジイが宗房くんの一撃で命を落としてしまうとこも「うそーん?」みたいなビックリではありましたが(爆)まぁ…細かなことはさておき(笑)来週もまたワクワクする時間が待っています(~▽~@)♪♪♪まだいろいろ書き忘れもあって通勤中では思いだしきれず(笑)しつこく「鞍馬天狗ネタ」で行き…レスが記事エントリーと逆になったり遅れる可能性もありますが~天狗まつり。楽しんでいきましょう(。-∀-)相変わらずヲタ暴走中のあめみこより。
2008年01月18日
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久々、パソコンに座ってからの更新です( ̄∀ ̄)今日はNHK総合 土曜スタジオパークに「鞍馬天狗」の番組宣伝を兼ねて萬斎さんが出演でした~原作本はこちら。鞍馬天狗(1)「おさらぎ」とはなかなか読めないなぁ(苦笑)←ワタシだけ?オープニングから「鞍馬天狗、参上~」まさか宗十郎頭巾姿でご登場???とビックリしたけれど、普通の御着物でしたね(笑)結構、私世代が小さいころに観たようなアナログちっく、レトロちっくな勧善懲悪モノという感じで、ちょっと「こそばゆい(笑)」台詞の言い回しに聞こえたりもするのだけれど、結構新鮮かもしれない( ̄∀ ̄)夏に「悪三郎」やった人とは真逆ですな ( ̄m ̄*)15秒くらいの番宣しかまだちゃんと観たことがなかったのだけれど、今回メイキングも含めて鞍馬天狗映像の中身がチラっと見えてワクワクしましたわ~久々にアドレナリン出た(≧∀≦)胎教♪胎教←こら大体のストーリー的なものは前情報から知っていることが多かったけれど、撮影中に・ねずみのダニに刺されまくって皮膚科へ行ってた事件・生爪はがれちゃった事件・・・など石原良純さんが明かしたエピソードには驚き。狂言の舞台は足袋履いているだろうけれど、草履を素足に履く鞍馬天狗の扮装では、大丈夫だったのかな?いたそ~・・・・そんな石原良純さんとの撮影合間のお喋りタイム、盗み聞きしたいもんです。ぶっちゃけ、石原さんて(あちらのご親族全体的に)あまり得意じゃなかったんだけれど、最近はテレビによく出ている石原良純さんを観ると「桂小五郎だ( ̄∀ ̄)」と思う。。。今年は幕末モノが目に付きます。まず代表的なのは大河ドラマ「篤姫」もそうだし。年末の「大奥スペシャル」も菅野美穂さんの天璋院篤姫だったし。昔は。。。時代劇なんて「じーさん、ばーさんが観るもの」だと滅多に観なかったけれど(苦笑)結構歴史に基づいて創作された時代劇って面白いです。さて「鞍馬天狗」あの宗十郎頭巾への熱い想いを語ってましたね~口と鼻をかくした頭巾というのはなかなか良いかもしれない♪やっぱり今までは俳優さんの顔が見えなくなっちゃうのと、激しい殺陣で息苦しくなるのを割けるためだったんだろうな。でも考えてみたらなんのための頭巾かわからない。顔全開で「捕まえてちょーだい」みたいなものだもの(笑)「イカにならないように」繰り返す萬斎鞍馬( ̄∀ ̄)・・・歴代の鞍馬天狗さんたちが「イカだった」とでも?←そう言っているよね(笑)過去の「鞍馬天狗といったらアラカンでしょう」の時代を知らない私たちの世代にしてみたら、萬斎鞍馬がスタンダードになるかな?時代劇はあまり観ない、という方も是非ちょっと試しに観てみてくださいね( ̄∀ ̄)最近のCGに凝りまくった映像とはまた違った感覚で面白いかもしれません~後半は、まだまだ「鞍馬天狗」紐解きコーナーがあるのかと楽しみにしていたら「狂言とは」「狂言師 野村萬斎とは」みたいな前回のスタパと同じような内容になっちゃって「いま裸にしたい男たち(2001年)」「人間ドキュメント(2003年)」は・・・もう、今日は「狂言」の話題は、ええっちゅーんじゃっヽ(`Д´)ノ←全部聞いた事あると思いつつ、終わりに近づく時計の針にヤキモキ(苦笑)せっかくの連続テレビドラマ出演だから、今回はもそっとその路線で行って欲しいと思うのはワガママでせうか。。。とはいえ、最後の両手バイバイ。かわいかったなぁ~陰陽師時代からはさすがに歳もとったなと目尻の皺を見るにつけ思うけれど、まだ41歳には見えないかもなぁ。「木曜時代劇 鞍馬天狗」NHK総合 毎週木曜日 午後8時~ 1/17~放送(全8回)あ、こんなキューピーちゃん、いかが(笑)欲しいかも・・・キューピーストラップ 時代劇/鞍馬天狗さて。次は鞍馬天狗共演者の緒形直人さん、京野ことみさんがスタジオパークにご出演です。1月17日(木)緒形直人さん1月24日(木)京野ことみさんスタジオパークからこんにちは公式ホームページ(これからの放送予定)また鞍馬天狗の裏情報など仕入れられるかな?なかなか萬華鏡のほうの更新も間隔あいちゃってますねぇ。12月に観た「狂言ござる乃座」の感想だけは、ケータイに保存してはあるんですけれど結構賞味期限切れです(苦笑)鞍馬天狗が始まったらまた騒がしくなるかもしれませんが(笑)さて、録画で土スタまた観よっと( ̄∀ ̄)←しつこい
2008年01月12日
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とある日、テレビ前にウキウキしながらスタンバイ。ゴールデンの歌番組に中継である大物ゲストが新曲初披露。そのタイトルは「鞍馬音頭」by のむらまんさい(木曜時代劇 鞍馬天狗主演)………………。もちろん。昨晩見たアホーな夢です(笑)「ベールに隠された宗十郎頭巾も初公開!」それは、黒くてただ…アラブ人みたいな巻き方であった…←しつこいようだが夢衝撃を受けつつ夢ではドキドキしながら歌い出しを待つワタシ。鞍馬天狗、定番の黒っぽい着流しで…頭は戦隊モノどころか「アラブ巻き(爆)」おかしいだろっ( ̄▽ ̄;)どう考えてもっ←現実の自分目張りをクッキリ入れて、それが野村萬斎かどうかすらワカラナイほど、パッチリ目でノリノリに歌い上げる「鞍馬音頭」←なんてベタなタイトルマツケンサンバの次はまんさいさんの「鞍馬音頭だな(。-∀-)」…などと夢で満足している自分と、それを遠くから「んなわけないだろー」と思っている自分。…どちらが本音か?(笑)たぶん、どっちも本音なのであろう(≧m≦)←いたくてごめんもちろん「鞍馬音頭」もフィクションです←当たり前(爆)さて。現実に戻りまして(笑)明日3日は土曜スタジオパークに「鞍馬天狗」が撮影快調コーナーで放送されるのだとかヽ(・∀・)ノアラブ巻きだけはご勘弁を…←絶対ない楽しみです(^人^)みなさんもお見逃しなく
2007年11月02日
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「笑っていいとも創刊号」を観ていたら、石原良純さんが出ていて、「昨日、時代劇の撮影で獄門首を抱えてススキの中を走るってシーンがあってね」…それは…それはまさしく来年1月に放送開始、戦隊ヒーロー イカレンジャーか(違)…。もとい。NHK木曜時代劇「鞍馬天狗」の撮影に違いあるまい(≧m≦)「もっと裏話してして~(出来れば主役の話とか(爆))」期待するも、他局のためか全然話してくれませんでした(゜~゜)今はただ「幕末のドラマ」と言うキーワードだけでもワクワクしてしまうほどフライング気味な自分(笑)こないだ終わったばかりの「陽炎の辻」のDVD-BOXはすでに1月に発売予定。ということは、「鞍馬天狗」もDVD-BOXになって、初夏くらいに発売か?!これはお小遣い貯めねばなるまい(≧m≦)↑一端のOL、大人買い出来ないのか~(爆)
2007年10月16日
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復刊ドットコムからのメールとラテルさんからの掲示板投稿でお知らせ来ました(≧∀≦)宣伝、宣伝。絶版だった「野村萬斎写真集」復刊ドットコムで限定販売予約開始。絶版だったまぼろしの写真集33歳当時という、今からおよそ8年前の写真集。私はつい・・・例の陰陽師人気と野村萬斎人気沸騰中の最中、定価の倍額近くで禁断のヤフオク落札しちゃったんですが(悔)いや、それでも結構安値だったのですがね。。。1800円なら保存版に買っちゃおうかな(笑)今日で国盗人 新潟公演を終えて大千秋楽ですね。きっと打ち上げは大盛り上がりなんでしょうね~NHK教育「芸術劇場」での放送は8月10日(金)録画はお忘れなく( ̄∀ ̄)
2007年08月01日
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定時上がりで猛ダッシュ。何ヵ月ぶりだろう(笑)2007年4月25日(水)19時開演於:世田谷パブリックシアター盲点(ブラインドスポット)で体験する脳の「間」~時空の美学(エステティックス)~日本文化の特徴といってもいい「間」の存在。古来より日本では「時間」も「空間」も、ひとつの「間」という言葉によって表現されてきました。日本人ならではの「間」という認知概念を、舞台芸術や茶の湯の世界から辿ります。[企画・出演] 野村萬斎[出演] 千 宗屋(武者小路千家15代家元後嗣)/池谷裕二 (東京大学大学院薬学系研究科講師)武者小路千家15代家元後嗣という千宗屋(せんそうおく)さんと、東大大学院薬学系研究科講師の池谷裕二さんがゲスト。宗屋さんが茶室の主人として池谷さんと萬斎さんを招客。世田谷パブリックシアターに出現した緊張感ある茶席。茶の湯初心者同士の連帯感に結ばれた招客お二人(笑)本番前、真剣にお稽古したそうです。色々な決まり事があるんですね。そもそもが非知識人な私には『へぇ~』の連続。いきなり『ガラッ!こんちゃ~』とか入っちゃいけないし。←当たり前か(爆)庭に置かれた留め石があって、それより先はいわば結界。主の出迎えを以て燭台を交換し、ようやく庭の中へ入ります。さらに手を水で清めて茶室の中へ。本格的な茶の湯の世界を目の当たりにした夜。茶道、と言ったら学生時代にマナー教室の一貫で学んだ程度。留め石なんてないし、ぞろぞろ茶室に入っては流れ作業で回ってくる茶をすすり、お菓子を食べ、戸をどっちの手で開けるのか気になって、最終的に足が痺れて転けた記憶だけ(T▽T)←本当に転けたさて。いつもの解体ルックとは違って若草色の紋付袴に身を包んだ野村萬斎芸術監督。はぁ~(´∇`)なんか、綺麗。『茶の湯』『お抹茶』を意識した色合いなのかな。私の位置からは背中、背中、背中、たまに横顔、稀に正面…なのだけれど(笑)背後なので容赦なく見つめ倒す(〃∇〃)茶菓子をもてなされ、それがどうやら懐紙に引っ付くらしく悪戦苦闘しながら頬張る萬斎さん横から見ると頬が栗鼠のように膨らんで…(≧m≦)カワエエ(笑)池谷先生はスマートに食べていたのに(笑)これも間を持たせる芸術監督のパフォーマンス?←深読みか(≧m≦)本日、宗屋さんが用意した御菓子は名古屋の美濃忠『初かつお』なのだそうで…糸で切った断面がちょうどお刺身みたいになっているようで、「マグロみたいですね」と萬斎さん。鰹だったんですね。ニアピン賞( ̄ー ̄)今回、千宗屋さん曰く、『わざと』食べにくい御菓子を選ばれたとか(笑)東京には出店されていないこのお店の御菓子。ファンとしては同じもんを食したくなるのでお取り寄せか?と思ったり(笑)茶碗をゆっくり回し、一つ一つの動作を確認するように一口飲む客人、芸術監督。宗屋さんに如何ですかと問われ『んん…』と、何て言っていいのかビミョーな表情を浮かべながら『想像を超えた味わいと言うか…(苦しい答え)』根が素直なようで(笑)それではグルメ番組のコメンテーターは出来ませんよ←しないから宗屋さん曰く、今夜のお抹茶は割と薄めに点てたようです。懐紙で御椀の口元を拭き、池谷先生へ。目で(全部飲むんですか)と確認しながら、あまり萬斎さんが多く飲まなかったことがここでバレる(笑)どうやら三分の一しか飲んでなかったようです( ̄ー ̄)仄かな香の匂いと、畳を擦る足袋の音、コポコポと湯を注ぐ音や、窯と柄杓の触れる音が静寂なる『間』のバランスをつむいでいたりして、宗屋さんの手元は全く見えないのだけれど何だか妙に落ち着いてしまいました。窮屈な礼儀作法は除けば、ほのぼのとした空間でお茶と御椀、花や掛軸を楽しむような感じ?と勝手に想像していましたが、千宗屋さんのお話から実はなかなか刺激的な世界に感じたりも。茶会を催して親睦を深める他に、宗屋さんの話を聴いてると一種、会話の運び、「間(ま)」を通じて亭主と客人の駆け引きもあったりして、ピリッと流れる緊張感も時にほどよい高揚感を与えるそうな。「和」以外に能楽との共通点なんて考えてみたこともないのに意外に、これまた「間」と言うコミュニケーションを共通項に舞台芸術、茶の湯、脳の世界へとリンク…え~…( ̄▽ ̄;)わかったような、わからないような、…やっぱりわからないまま三茶を後にしたわけですが(爆)大脳生理学専門の池谷先生からは『へぇ~』なお話をたくさん聴いたのだけれど簡単にレポートをまとめられるような才能と頭脳は当然ながらありません( ̄▽ ̄;)ひとつ、龍安寺の石庭にある石の配置が『間』、『空間』の題材として扱われ、そりゃ私にとってはかなりタイムリーな龍安寺なわけで、ワクワクしつつ聞いていましたが一向に勝元は現れません←当たり前名だたる日本の庭園の中で特に素晴らしいとされている絶妙な石の配置具合と、空間(スペース)レオナルド・ダ・ヴィンチの『黄金分割率』に相当するんじゃないかとか、上から見ると『心』と言う一文字に見えてくるから心地好いのではとか、様々な説を紹介。ジリジリしながら聞いていると←だから勝元は出ないから宗屋さんが『この石庭はどこから見ても十四の石しか数えられないって言いますよね』と良いパス←パスって何だ龍安寺の廊下から石庭を眺め『富子め…』とか言っていたあの御方は、若草色の紋付袴姿で遠い記憶を絡めとるような横顔で『本当は(石が)十五あるとか何とか…』何とかっ!?あんなに訥々と龍安寺の石庭について語ってたじゃん~(勝元暗殺の回参照)↑↑↑撮影は10年以上前、しかも台詞己の勝元ブームに毒され、全く池谷先生の話が頭に入らなかったウツケです。ちょっとした実験もありました。よく2つの○●が書いてある紙を渡され、右目をつむって片側の○だけを凝視。さらに紙を近付けたり離したりすると、もう一方の●が消える瞬間がある。…な~んて遊びをしたことがあるでしょうか。サブタイトルにもあるブラインドスポットでしょうか。『世界一受けたい授業』とか言う番組のようで、面白い時間を過ごしました。池谷先生もそのうちこの番組の講師として招かれるかも(笑)←解体新書その九のゲスト 書道家 武田双雲さんはすでにご出演。『空間』パーソナルスペースの話も出ました。親密度の低い間柄の人には入ってほしくない領域ってありますよね。何メートル以内という参考基準みたいなものがありましたが、一畳ほどの茶室に四人並んだりする場合は一挙に『親密な関係』を強いられるわけで、嫌いな相手との同席は嫌ですよねぇ、とか(笑)日常あまり気にしない『間』や『空間』には単に無機質なものが漂っているのではなくて、美を表す芸術であったりとか、人とのコミュニケーションであったりとか、非常に大切なものが隠されているわけですね。演劇においても、演者の持つ『間』が客席にいる私たちの心情に深く入り込むことがあれば、逆に客席の反応がダイレクトに演者へ呼応することも少なくありません。テレビで読み取る「間」と感動にはどうしても限界があって、生の舞台からしか味わえない充足感があります。演者と観客とで作る一種のコミュニケーションがもたらす感動があるからですよね。憧れのあの方はお話することも叶わぬ遠~い御人ではありますが、密にコミュニケーションを取れるチャンス(観劇)は年間通し全国各地、たくさんあるわけですもん(笑)世田谷区パブリックシアターの場合、『1人 VS 700人』となることもあるわけで、多大なエネルギーを使いますよね~。あと、こんな話もありました。狂言をやっていて、見所の反応によって演者がどう変わるか、みたいな質問があって、『最近はパーツ、パーツで笑うところが違ったりする(笑)』正面席はシンとしてるのに脇正面ではよく笑ってるとか(笑)客電も明るい能楽堂では、特に観客の反応がダイレクトに返って来やすいですよね。…。何が書きたいことだったか、わけがわからなくなってきました( ̄▽ ̄;)「間(ま)」です。池谷先生はアメリカに留学されていたとき、万作家のニューヨーク狂言公演をご覧になったそうです。日本にいるときは、自分が日本人であることを改めて考えたことはなかったけれど、渡米しているとき狂言を観て、その「間」が何とも心地よくて「日本人だなぁ」と感じたとか。思わぬカミングアウトで今回が「初めまして」だと思っていた萬斎さん、目を丸くしてました(笑)最後のパフォーマンスは萬斎さんが『春雨』の舞を披露。『食べる春雨じゃあありませんよ。なかなか見れません。』と言って、ひとさし舞われました。メモもなかったので余談ばかり長くて読みづらいものになりました~…(>ω<)/。・゜゜・
2007年04月27日
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演劇情報サイト・ステージウェブアンテナ低い私にゲストさまが教えてくださいました。ありがとうございます。タイトルの「世田谷パブリックシアター芸術監督続投」の報は、ファンであればすでに周知のことでございましょうが( ̄∀ ̄*)ニヤり☆息抜きです。花の乱日記がほぼ大半を占めておりますゆえ(笑)動画です。動いてます♪( ̄∀ ̄)b去年もちょうど、こちらを観ながら「うひょうひょ」言ってた気がするのですが~・・・今年も観れたのですね。2月ですかぁ~今日は遅いので、ゆっくり観よ・・・♪隣にあるのはヴォルビックかな←余計なことが気になる水といえば・・いつのポストトークか(狂言劇場かな)同じようにミネラルウォーターが据えられており、マイクを片手に持ちながら、かつゲストの話を聞きながら片手で栓を開けようと試み、思いのほかキャップが固くて開かず、足に挟んで開けようと試みる萬斎さん。。。を思い出しました(笑)話よりその行動に釘付けになったのは我が身の思い出で非常に印象深い←こらっさて・・・よもやま思い出話は置いといて。6月22日プレビュー公演よりシェイクスピア、リチャード三世を下地にした国盗人が始まります。(一般販売は今週の22日から)本棚の奥にしまってあったリチャード三世。埋もれまくっており、やっと見つけました(苦笑)・・・・・。勝元日記が終盤でもって花の乱も終わってしまうし、読み直そうっと。小休止、の日記ですが・・・( ̄∀ ̄)花の乱も実はもう第32回「狂雲の子」まで観ました。一休禅師までお亡くなりに(涙)奥田さん渾身の演技はすごいです。夜も更けましたので本日はこの辺で♪明日は早めに帰宅して、演劇情報サイト・ステージウェブを観よう。ん???なんと。狂言劇場四では唐人相撲となっ!!!公募と仰ってもいますが全員は無理でしょうから、これは茂山家とのコラボありかな??ヤタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ ! ! !ちなみに2007年度総会及びシェイクスピア祭が明治大学駿河台キャンパス リバティタワー1103教室(10階)であるんだそうです。明日だ、明日だ!って・・・行けないけれど(→ω←)無料ってのがいいねぇ。行けないんだけれどさ・・・
2007年04月19日
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今日の日記は萬華鏡別館最近は・・・手抜きでござる(^^;だってケータイでしか書く時間がないんだもん(涙)・・・そうだ。この手で行こう(爆)喜びを萬華鏡日記にも残したかったのでござるヽ( ̄▽ ̄*)ノ・ ・.♪ヒャッホォ♪.・ ・ヾ(* ̄▽ ̄)ノ
2007年03月06日
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名人伝。2005年初演時のレポートに粗筋など、ざっと書いています。自分で言うのも何ですが「去年は(爆)」結構力作(笑)ってことで、今年は省いちゃおうヽ( ´ー`)ノ観劇は・・・9月9日。随分日が経ってしまい東京公演も楽日を余裕で過ぎてから書いております(苦笑)山月記で力尽きた感じがあります。。。(ノ_ _)ノ今でも残る全体の印象として、テンポアップが図れたような感じがします。もともと可動式の三日月舞台を上手に使って、萬斎@紀晶が万之助@甘蝿を訪ねていく様は本当に坂道を駆け上り深層の山の中に入っていく感じもすれば、断崖絶壁にいるようなイメージも大いに膨らみます。去年はあまり感じなかったけれど、急傾斜をつけたあの舞台セットを考えた人はすごい。初演と違っていたところは、クライマックスではその三日月舞台もゴーっと唸りを上げて信じられない速さで何回転も回る。遠心力でその上にいる敦たちは外側に跳ね飛ばされないのか心配になってしまうほど。物語の架橋となる部分では、逆にこの三日月舞台を稼動させる音が大きくて、つい物語の中から意識が現実へ戻ってしまうところが残念だったかも。(回す人大変そうだなぁ・・とか・苦笑)何はともあれ、藤原道山さんや亀井広忠さんの"音"による演出に圧倒されてしまった初回に比べて随分と演者のほうが"敦POWER"を増して再演をされているため、スピード感もあれば、この演劇のタイトルになっている"敦-Atsushi-"が主人公だなぁと感じさせられる勢いが感じられましたね。何より"ノリノリな万作家一門"だなぁーと思いました( ̄∀ ̄)敦の心を辿りやや迷走気味だった初演に比べ、より舞台に携わっている全ての人たちの手が敦への理解(演出家 野村萬斎の意図するところ)を深め、一体化したように思います。(生意気な発言??!)演じてる皆さんや舞台に携わったスタッフの方々はどう思われているのかな。山月記と名人伝では、観客が見て感じる重さが違います。名人伝について萬斎さんはこの舞台のパンフレットの中で、「パラドキシカルだ」と言っています。パラドキシカル(paradoxical)。うーん、萬斎さんらしい表現だな。あまり私、日常会話でこんなの使わないのですが(笑)逆説的な、という意味です。見た目は軽くて面白い、けれどもその中身はというと非常に怖い。狂言で言う「茸(くさびら)」に例えています。確かに、普通に考えて"人体ほどの茸"が増え続けたら怖い(笑)インパクトとして、私には山月記のほうが強かったのですが、名人伝はなんせ非常に笑えるのです。笑ったあとに、ふと考えると確かに非常に怖い結末。それでも中島敦は、この名人伝、楽しく執筆したんじゃなかろうか?と思ったり。山月記は、目標を達成することが出来ずに虎になった男の話。名人伝は、目標を達成したが、その果てには極めたものの用途をすっかりと忘れてしまった男の話。対極的なイメージを持つ二つの演劇ですが、中島敦という作者を通じてこの二つの物語のチョイスはとてもバランスの良いものだなあと感じました。さて。真面目な話はさておき。今回も、演出家兼主演 萬斎さんは敦ヘアーの七三に丸眼鏡という出で立ち。初演よりハマってる。うん、似合っている。(笑)何より、文士の役どころが非常に似合う。そんなコスプレしているのにステキだ・・・次は誰を演じてほしいかなぁ・・・( ̄∀ ̄)なぁんて。【本日の愚談】やっぱり感想も生もの。帰宅して興奮した状態で書くものと随分と違ってしまうから、こうして感動を記録したいのならば、眠る間も惜しんで箇条書きにでもしておきたいものですねぇ。yahooのノートパッドに少しずつ感想文などを書きながら、やっとこパソコンに座れた。このまま行くと、萬華鏡日記記入率が開設日より計算して25%を割る(苦笑)愚談でもいいから何か書きたいなぁと思うときに限ってアイデアは浮かばず、時間のないときはあれこれと書きたいことが山のように出てきたりする。なんでだろ( ̄▽ ̄:) もうすぐ9月も10日余り。10月。秋だぁ・・・。で、すぐお正月(早っ!やだやだ)今日は愚談でさえも、筆の進みが悪い( ̄▽ ̄:) 書けども書けども微妙に湿度が高い、のでやめ!脳がショート?!おやすみなさい~トップページへ戻る
2006年09月20日
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敦 Atsushi-山月記-より ※ネタバレ含むご注意※前作2005年の山月記・名人伝の、あめみこなりの考察&感想などはコチラ中島敦の遺影の下、棺と位牌。レクイエムが流れる。作家「中島敦」が辿った人生について野村萬斎さんのナレーション。一語一語、彼の短い人生について、頭の中を巡りました。"作家 中島敦は・・・" "家庭に恵まれず"・・・・・・・・・"喘息の発作に悩まされ"・・・・・"転地療養のため、パラオへ旅立つ・・・"・・・・・・・・"この年、太平洋戦争が勃発する"・・・・・・・・"世田谷の病院にて逝去""この時、中島敦 33歳"(※注 抜粋)暗闇から中央にライトが向けられると、棺の上に中島敦の遺体が浮き上がります。後方から、背広を着た腕が出現すると、 『野村萬斎演じる"敦"』がユラユラと幽体離脱。「人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが、何かをなすにはあまりに短い」次々と第二、第三の敦たちがユラユラと身体をくねらせながら分離する様子は正直"不気味"(苦笑)その様があまりにリアルなので、これは前回のようにシンプルに離脱したほうが私は好きなのですが、何度か鑑賞すれば感想も変わるでしょうか。人間「中島敦」の生命体にいくつも存在する多重の人格や考え方が分離していく、その表現の仕方としてみると、うん、なかなか凝った演出なのかもしれません。人間とは、単純明快ではない、複雑怪奇なものであると。どんな風にしたら、「さも幽体離脱しているように見えるか」という拘りのもとに、演出がなされて行った様な感じがします。さて、現場での目論見は「不気味さ」を狙ったのか、「神秘性」?どちらでもなければ、なんでしょう。この冒頭の"幽体離脱"に、初演の時に多くの観客に伝え切れなかった演出家の想い、があるのかもしれません。さて、ご覧になられた方は、どうご感想をもたれるでしょう。肝心の私のファーストインプレッション(笑)としては、不気味な感じがしてしまって、ちょっと口元が弛んでしまったのですが←笑うところじゃありません私の感性のモンダイか。。。より、台詞は角が取れ、丸い感じになりました。"語り"という感覚から、"現代劇の台詞へ"台本も少しいじられているのでしょう。少し台詞も噛み砕いた分、多くなったのかもしれませんが、私は分り易くてよかったと思います。野村万作さん演じる「李徴」の演技にも一寸リアリティが増し、さらに"血生臭い"感じが漂うようになりました。前回はとにかく、カッコよかった。悲しくもカッコよかったんです。今回は人間でいられる時間が限られた焦りと己の運命、走馬灯のように降り返る自己への懐疑。より"人間的"で、李徴の怖れが真に迫ってくるようでした。己(おのれ)の珠(たま)に非(あら)ざることを惧(おそ)れるが故(ゆえ)に、敢(あえ)て刻苦して磨(みが)こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々(ろくろく)として瓦(かわら)に伍することも出来なかった。己(おれ)は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶(ふんもん)と慙恚(ざんい)とによって益々(ますます)己(おのれ)の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己(おれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。この辺の独白。我が身への中傷は壮絶です。苦しむ李徴を取り囲み、萬斎さん、深田さん、高野さん、月崎さんの敦たちが重なり合うように苦しみ悶える様子は執筆中の中島敦の苦悩を表現したように思えます。山月記が代表作として(教科書に収録されているせいか)あまりにも有名ですが、一つの作品が作家の分身であるということを一つの舞台で感じられることは画期的だと、思うのです。私が作家で、後世にこのように自分の作品を表現してくれたら(それが意に叶ったかどうかは別としても)本望だろうと思います。初演が「能的」である、とすれば、今回も同様に万作さんの李徴の所作や敦たちの郡読(地謡のような)部分も能的なテイストも巧みに残しつつ、冒頭にモーツァルトのレクイエムを起用したことにも感じられる西洋的な足し算も、よかったのではと思います。時にギリシャ悲劇のように激しく"動"を感じ、時には"静"から李徴の想像を絶する怖れがグーっと観客席にじんわりと押し寄せたり。その分、せっかくの亀井広忠さんの大鼓、藤原道山さんの尺八の存在感が前回に比べて多少希薄になってしまった感じが拭えず残念でしたが・・。私にとって、万作さん演じる李徴があまりにインパクトが強すぎたからなのか?冒頭から、山月記のクライマックスにかけて---幾度か、『この人たちは、みんな狂言師、なんだよなぁ~??!』と思わされてしまいました。狂言で見せる"型"とも違う、しなやかな動きやハイジャンプ!能舞台では感情を表立って表現しない狂言師か、怖ろしいほどに鬼気迫る現代劇風の演技をされたり。かと思えば、狂言師らしい語り、型に乗っ取ったとも見える美しい所作も見れてしまったり。初演のポストトークでも海外の役者と対峙してみても『あんたたちには真似できまいっ(笑)』という自信を見せていましたが、納得させられてしまうほどの説得力があります。ちょうど、去年の敦公演時のポストトーク(長谷部浩さんとのもの)を読み返しつつ、今回の再演の感想とすり合わせ。前回は初演ということもあり、ものすごく力のこもった萬斎さん、という感じがしましたが、今回ポストトークで拝見できた表情はなんとなく余裕というか、リラックスした面持ちのように感じられました。というか。去年のポストトークのレポ書き、頑張ってたなぁ・・・1週間以上かけてたっけなぁ・・。今回は随分と怠惰だ・・・( ̄▽ ̄:) ザラっと書いて読んでみて自分で意味不明になってる(苦笑)いや、ここ1年ずっとそうかも(苦笑)時間がないのもあるけれど、週末にテニスラケットを握ってひとっ走りしてしまうと忘れてしまうのです。。。最近はメモも持つことをほぼ止めてしまって見惚れているから、だ・・(苦笑)中島敦について想いを馳せる。1909年(明治42年)に生まれた、というナレーションが入りますが、この年号も何となく私にとっては印象深いもの。私の敬愛してやまなかった祖母(平成八年に逝去)の生まれた年でもあるんですね。同じ時代に生きて、戦争による同じような苦しみや、「生」に対する疑問は同じように感じていたのではないかなぁ、などと思うのです。パラオに転地療養のために渡ったのは太平洋戦争勃発の時。まさに"お国のために死ぬことは名誉である"のが当然のように言われる時代に、"死ぬ"ことや"生きる"ことへの執着を中島敦という人物の中に垣間見られる、そんな気がしてきます。そして、亡くなったのは33歳。これもまさに私の年齢(おっと暴露)自分自身の現在と何かシンクロする印象を持つのです。"家庭に恵まれず" 中島敦は産みの母親を知らずに育つ。中島敦が生まれてすぐに両親は離婚しています。2人目の継母と幼少期は過ごしたようですが、この母親も14歳離れた妹を産んですぐに他界。その後3人目の母親を迎えたそうです。家庭に恵まれない過去を持っていればなおさら、結婚して温かい家庭を持つことへの夢は大きく膨らむものです。中島敦も24歳に家庭を持ち、2人の子どももとても可愛がったというエピソードも残っていますが、山月記・名人伝のみを読んでいると、"家庭は二の次"というイメージが強いのです。"男は家庭を顧みるより世に名声を残す。仕事が一番"マイホームパパ、外で働くウォーキングウーマンは最近のことで、昔は上記のような男性も多かったのでしょうけれど、転地療養とは言え、妻子を残してパラオに旅立ってしまうって、どうなの?って思っちゃうんですよね(苦笑)私自身は女性ですが、子供の頃に両親が離婚しています。母親の愛情は存分に浴びて育った幸せモノですが、中島敦とは逆に「父親」という存在をあまりよく知らないんですね。育った環境も戦争もない、"死への畏れ"を危惧することのない平和な時代に育ったので、中島敦が家庭に対する想いを汲み取ることは出来なかったのだけれど、ちょっと中島敦の生い立ちと劇中「なぜ自分は生まれてきたのか」と問う部分が心に深く突き刺さる感じがしました。ちょっとダークな話になりますが、私自身も"なぜ自分は生まれたのか""何のために生まれてきたのか"なんて、自問自答を繰り返すようなネクラな子ども時代もあったので(苦笑)自己への懐疑、は特別な環境に育ったってことだけじゃなくとも、誰でも感じたことのある感情なのかもしれませんけれど。私のことはともかく。この辺の経緯については、機会があれば徒然とパソコンに向かって書くこともあるかもしれませんが(^^; 今は置いておきましょう。そんな想いも手伝ってか、劇中で「敦」が何のために自分は生まれてきたのか、と問うシーンは胸が痛くなりました。誰しも、自分の存在を、どこかで認めてもらいたい。生まれてきた意義を、どこかに求めたい。最近、ブログという手段を使って自己表現をする人が増えたのも、一つの表れなのかもしれないですね。中島敦の生い立ちから、死に向かうまで。彼の人生観を舞台の上の余白に探しつつ、この「敦-山月記・名人伝-」を観る。私がお奨めする鑑賞ポイントの一つです。さて、次の「名人伝」山月記では、時に我がことのように、または客観的に李徴を見ている脇役的な敦たちがスポットライトを浴び、大活躍!です。トップページへ戻る
2006年09月09日
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9月9日(土)午後7時開演 敦-山月記・名人伝-先に終演後のポストトーク覚書からエントリーしますポストトークのゲストはNHK副会長(日本放送協会副会長) 永井多惠子さん。聞き手は世田谷パブリックシアターのプログラムディレクター松井憲太郎さん。永井さんは野村萬斎さんが芸術監督になられる直前まで世田谷パブリックシアターの館長を勤められていた方だそうです。次世代の芸術監督に推薦したのもこの永井さんだそうで、狂言という伝統芸能の世界に身を置かれ、かつてはイギリスで演劇を学ぶために留学されたその経歴に注目されたそうです。 以下、台詞方式で記載していきます。いつものことながら、順番もバラバラ(苦笑)言葉足らず、或いは誤解、言葉の使い方の誤りもあると思いますが雰囲気のみでお読みくださいね( ̄▽ ̄:) 松井さん「萬斎さんが就任された頃は、まちがいの狂言の初演があって、その他に蜷川さんのオイディプス王、純粋な狂言の公演を地方でも行われていて、大変でしたよね」萬斎さん「そうですね、あの時は他の劇場で(苦笑)オイディプス王をして、あれも随分自分を追い込んでやった舞台でしてね、一時は仮病使って病院にでも入ろうかと(笑)」「最近は、ようやく芸術監督としての指針、コンセプトを打ち立ててやれるようにもなりました」「この辺りの者でござる、という文字でしか打ち出しておりませんが、実はこの世田谷パブリックシアターの私の指針はここにありまして、世田谷辺りの者でござる、東京辺りの者でござる、はたまた日本辺りの者でござる・・・果ては世界辺りの者でござる、と・・・世田谷から世界に発信していきたいと」「税金を投入して頂いているので、それを使わせて頂いてロケットを一本打ち上げるのか、演劇を一本作り上げるのか(笑)」 永井さん「世田谷区の学校の生徒に狂言を見せてあげようという試みに、普通は大きな舞台に出る役者なんかは嫌な顔をされるんですが、萬斎さんは・・またこういうことを言うと失礼かもしれませんが、年上の私から言われてもらえらば、"とても素直"に引き受けていただきまして」 -敦 再演について- 永井さん「再演、というとどうしても、初演に比べると、どうもなぁーということが多いのですけれど」萬斎さん「(会場に顔を向け、バツの悪い表情をしつつ苦笑)」永井さん「本当に洗練されて、特に万作さんの演技がまた"質が上がりました"よね」萬斎さん「(会場を見渡しつつ苦笑い)」永井さん「あ、なんだか万作さんに対して畏れ多い発言ですが」萬斎さん「いえ(笑)初演の時は、複数いる"敦"の一人として遠慮して演じているようなところがありましたが、今回は吹っ切れたというか、伸び伸びと李徴を演じているようです。」永井さん「衣装も変わりましたよね。前はもっとこんな(頭の上に大きな鬘を表現して)白い頭で」萬斎さん「そうですね、今回はより"人間が虎に変わりつつある"姿になってますね」「あの衣装の表面の切り傷は、虎の模様と、爪で引き裂いた感じを出しているんです。段々回を増すごとに引き裂かれて、シマウマの様になってしまってますが・・(笑)」「この敦の舞台設定は"死後の世界"なのか、または"生前の姿"なのかということは、曖昧になっております」「初演ではですね、私の中島敦への想いが上手く役者たちに伝わらなかったところもあった、それは私の力不足だったのかもしれませんが、再演の今回は出演している役者たちも中島敦の世界の中に入り込めたと言ってましたね」 永井さん「萬斎さんが突飛な、何かやってくれるんだろう、という期待があります」「中島敦は喘息で亡くなったと言うことですが最後に聞こえてきた「ハァ~ハァ~」という呼吸はあれは喘息、、、なんでしょ?」萬斎さん「そうですね、そのつもりです」永井さん「ほらね、よかった(笑)」 -名人伝について- 「あの文字をスクリーンに映し出しての発想は萬斎さんらしい」というお話から、萬斎さんからはこんな話を聞けました。 萬斎さん「文字を使って、というと「NHKのにほんごであそぼ」・・・(NHKというところで永井さんを意識しつつ・笑)をヒントにしたという言われ方をするのですが、実はあれは、以前に私がやっていた、”電光掲示クン(狂言公演の一つ)”でですね、文字を電光掲示板に映し出して遊ぶということを試みましてね、あそこからなんですね。」「例えば緑色とオレンジ色の"柿"を出して、緑色の柿を食べると渋い、けれどもオレンジ色の柿を食べると甘い、みたいな」 文字で遊ぶ、というヒントはここからだったのですね。萬斎さんらしい画期的な発想に会場からは感嘆の声が漏れました。 文字は面白い、という萬斎さん。"口"という文字は顔の口ではなくて、神仏にお供えする「台」の口から取られたそうですよ、なんてミニトリビアもご披露(笑)←チョットこの辺あまり憶えてないので違うかも。-今後の活動について-松井さん「また来年も新しい試み(新作)を考えていらっしゃるようで」萬斎さん「そうですね、ああしたい、こうしたいという構想だけはこんなんなってる(頭の上を両手で仰ぎながら)んですが(苦笑)」来年の世田谷パブリックシアターでの新作情報からも目が離せなくなりそうです。 覚書をサラっと書きました。概要は"おおよそ"こんな"感じ"(苦笑)で、細かいことはちょっと憶えて来ませんでした。 実際に"美しい御姿に見惚れてた"というのと、"水色のハンカチで汗を拭う仕草"や"シャツの胸元に空気を送り込んで暑さを凌ぐ様子"に心乱されちゃったから←おーいっ(爆)白地のスーツ。ジャケットは片手に持ち、鮮やかで綺麗な水色シャツコーディネイトされた"水色のハンカチ"(タオル地ではないと思いますが.苦笑)で汗を拭う...これ最近話題のハンカチ王子とシンクロしちゃった私は・・・(汗)ええ、甲子園のハンカチ王子と似ているってんではありません。←名前忘れた...最近のブームを狙っているわけではないだろうけれども、「狙ってる?」と言ってしまいたくなるほど時代とシンクロしているんだから仕方がありません(笑)萬斎さんのキャラならば、クールな表情でそんな悪戯を試みるも"ありえるのか"などと余計な思考回路が回ってしまった夜でした(笑)以下、興味のある方のみどうぞ(意味深だな・・) 永井さんが仰る中島敦の読み方については、「なかじま とおる?」と聞こえてしまったのですが、私の聞き間違いのようです。ねこさんの投稿によれば、「敦煌の敦=とん」と仰ったのだそうで。意図を解していないとはいえ、そのまま文面を残そうと思いましたが、ちょっとそれも失礼なので再編集し誤解の晴れた部分は削除いたしました。すでにコメントをお寄せいただいたゲストさまには申し訳ありませんが、レスに私の言い訳とともに、率直に感じるところとお詫びを載せていますのでお読みくださいね。どっちにせよ、一般的な舞台の観客を対象にしたポストトークにおいて、わざわざ、この「敦-山月記・名人伝-」の舞台を「Atsushi」と読ませるタイトルを使っているにも関わらず、「NAKAJIMA-TON」と発音する意味が私には理解できません( ̄▽ ̄:)そりゃ"ツゥ"なのかもしれんがね・・←逆ギレ?著者である作家「中島敦」と舞台の「敦」との区切りをつけたのかも?しれませんが・・?元々、日本では一般的な呼び名だったかどうか謎なので、なんとも言えません。。。中島敦が通っていた一高時代の同級生から「トン」というニックネームで呼ばれていた、というような手記も見つけましたが、文学史の中でそう呼ばれることが"通(ツウ)"なのか、どうなのかは一般読者の立場なのでよくわかりません(苦笑)ただ、海外(上海)で翻訳されたものには「TON NAKAJIMA」と表記されているものがあって、これはどういうことなんだか・・・誤記なのか、はたまたそのように呼ばれるべくして記述されたものなのか・・・「はてな」です(苦笑)以下、私の知識不足が生んだ自業自得の"怒り"ではありますが、耳慣れない「nakajima-ton」の発音に翻弄されてしまい、トンでもなく(爆)残念でした(苦笑)そもそも私がきちんと"ton"と聞き取れなかったんですが・・あまり耳は達者ではない方なので・(汗)お後がよろしいようで。。。(失礼致しました) (私の誤解により)話の内容はガッカリだったにしても、水色ハンカチ王子(私の中でのですよ)と、胸元でシャツをパタパタ叩き、送り出された空気が萬斎さんの長めの前髪をフワっとなびかせた、それだけを観れただけでも救われました←己が一番イタイのでは(爆)狐仕様で肉体改造中で、ムキムキ変身か?とあらぬ妄想を抱く私でしたが、"しじゅう"には見えないほどの若々しさと華奢なお姿でした(笑)ちょっと今回は珍しく渋めのポストトーク感想になりながらも、最後は桃色で締める、っと・・・(笑)次回は~敦 山月記・名人伝 の感想を(*^◇^)Vネタバレご用心・・・トップページへ戻る
2006年09月09日
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9月9日、迫ってきました。なのに、あまり緊張感がない状態。2005年の山月記・名人伝-敦-の特集日記を開くと。結構熱い想いで書いていた(笑)DVDに録画した敦を観ていたけれど、窮地に陥った人間の姿(=李徴)が包み込む劇場内の空気は"えも言われぬ異様な雰囲気だった"記憶が甦りました。テレビのスピーカーと画面からでは、その獣に変わりつつある李徴の畏れも心境も、オーバーラップする中島敦の人生観も上手く伝わらないのが残念。「敦」の再演が決定したことを知ったのは、ござる乃座のパンフレットだったように記憶しているのだけれど、そのときは関西や九州でも公演があることを知って単純に嬉しかったんですよね。"生"で、実際の敦を観て、より多くの人の感想を聴いてみたいなと思います。去年は全く「敦公演」の全貌がわからなくて、山月記・名人伝を狂言の手法を用いてどのように演じるのか全く予想できなかったけれど、再演、ということで少し冷静な気持ちで観ることになるのでしょうか。どうしても比較してしまいそうな自分がいるのですが、演出家が手がける中島敦への想いがさらに深くなって、その想いがキャッチできたらいいなぁと思いますね。いやしかし。去年の敦に関する自分の日記を読んでいて、己で書いておきながら、忘れていることが殆ど・・・(爆)演技を見る私たち受け手も、それなりに、心の準備が出来ていないと去年のようにしっかり物語の中に入れないかもしれないなぁと感じると、同じ状態で見なくちゃ"比較する"なんてエラソーなことは言っちゃイケンと思いました。もう一度、山月記・名人伝を読んでから行こう。。。。仕事にもこれくらい熱意があればねー・・・(笑)夏休みは一切オシゴトのことは考えていません( ̄∀ ̄)いや。普段からそうか・・・元来仕事熱心じゃなかった。失礼しました( ̄▽ ̄:) あ。胸筋あっぷで敦の背広がワンサイズ上になってたらどうしよう?←どうしようもないのだが(知る術もないし・笑)トップページへ戻る
2006年09月07日
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まだ続くんかぃ?・・・と言われると、なんだか2までの「アフォーダンス」の話で完結しちゃった感じがありますが(笑)まだ書く( ̄∀ ̄)しつこいけど。この解体新書の真骨頂といえば、普段はあまり見られない萬斎さんのパフォーマンスやら、ゲストの方とのコラボレーション。前述にもありましたが、今回は書道家の武田双雲さん。書道について色々なお話がありました。・・・が、アフォーで脳みそを使い果たし、スラスラとタイピングが出来ない状態になっちゃったので(忘れたとも言う)是非とも次回発売になる「解体新書その9」DVDをお買い求めください(爆)ええ、私も買います(きっと)永字八方(えいじはっぽう)書法伝授の一。「永」の一字に含まれ、すべての文字に応用できる運筆法。側(点)・勒(ろく)(横画)・努(ど)(縦画)・(てき)(跳ね)・策(短横画)・掠(りゃく)(左へはらう)・啄(たく)(左へ短くはらう)・磔(たく)(捺(なつ)、右の方へはらう)の8種。※出典:大辞和この永という字を書いてみよう「書道のお時間」永萬斎さんは、書いて見て下さい、と促され、「え、書くんですか」状態で、舞台奥に設置された特殊装置。半透明のガラスが張った机の下にカメラが設置され、書かれた字体を前方のスクリーンに投影させる、というスグレモノ。「うあーーーーーーーーーっ!萬斎さんがすぐソコでお習字っ」←正気をやや失いかける( ̄∀ ̄)ニヤリ とても楽しそうに筆を持ち、「永」という字を書く。「いや~ん、かわいい(笑)」で、案外お上手←案外って(爆)双雲さんが、スクリーンに赤いレーザーで添書・・・はしないまでも、萬斎さんの書いた「永」を元に「筆脈」の説明をしました。「筆脈(ひつみゃく)」辞書を調べても出てきません。つまり、「永」の最初の一画目のテンを打ちはじめたときから、筆は半紙を離れ、次の二画目に移行しますが、前の画から次の画へ移るときに、実際に墨で描かれることはありませんが、空間の筆脈となって、気持ちをペンの流れの上で続ける、ということです。確かに、学生時代、書道の先生は筆でお手本を書くときに、半紙から筆が離れても次の画に流れるように(空間で円を描くかのように)書いていたっけな~。このとき、佐々木先生から双雲さんへ、書いているときの呼吸法について質問が出ましたが、意識はしていないとのことでした。双雲さんのお母さま(双雲さんはお母さまの双葉さんに師事)は息をしていないように見えたとか。呼吸していることを、私たちが生活上意識しないのと同じように、書のときも、これと全く同じなのでしょうね。双「萬斎さんは、いま字を書くときに、観客を意識して書きましたか?」萬「え?いや、無意識ですね」←楽しそうに書いていらしたもんね(笑)その後、前回のブログにも書きましたが、舞台の上にカメラを設置し、萬斎さんは型の連続を行いながら、能舞台での道行きの軌道を確認し、双雲さんは大きな筆で「永」とう文字を描き、その筆脈を見る、という実験がありました。これは・・・スクリーン観ていいのやら、舞台の萬斎さんを観ていいのやら、目がアチコチ(汗)双雲さんの筆脈はちょうど間近で半紙に書かれる様子を拝見できたので、大きな筆で舞台一杯に書かれるとしても、全く筆の動きは同じなんだなぁと思いました。双「今まで、墨の跡が残っているのが当たり前だったんですが、書いた跡が見えないと難しいですね」その後は舞台を暗くし、身体の動きがわかるように、白くて丸いシールを身体の要所要所に貼り、特殊なライトを当てて萬斎さんは舞、双雲さんは書を書かれる実験。これは、舞台の後ろから見る形となったので、あんまりよくわからなかったですね(苦笑)ここからは予定外のことだったのかもしれませんが、佐々木先生の急なリクエストにより、目を瞑って「舞う」「書く」実験。萬斎さん、目を瞑って道行きをされる(舞台をグルっと回る)のは本当にビビっていましたね(笑)幾分コンパクトに回っておられたようで、舞い終わったときには正面を向くはずが横を向いている、というズレが生じたのはやむを得ないことなんでしょうが、まるっきり後ろを向いちゃったわけでもなく、目を瞑ってあそこまでできるのは凄いことなのかな~と思いましたね~。双雲さんは、目を瞑って「永」と書く。空間で筆脈が繋がっていることは、横で観ていてもよくわかるのですが、筆を下ろした時にある程度ズレてしまったり、筆が紙に触れる「圧の加減」が難しそうでした。佐「(出来上がった書を)ご覧になってどうですか」双「いや、なかなかいいんじゃないですか(笑)」佐「じゃぁ、口に加えて書いてみて」双「え??!」←思わぬリクエストにびっくり双「目は開けていていいんですよね(笑)」そして実演。これがまた、お上手なんですわ。双「最初の(永の一画目)の点が失敗したんですよ。首ではらったので、ブレてしまった。なので、次(二画目)からのはらいは、腰と膝で動かしてみると上手く行きました」瞬間的に、身体の反射、切り替えが出来るなんて・・・いや、すごいですね。最後には萬斎さんが屋島を舞い、それに合わせて双雲さんが書を書く。萬「いつもは皆さんに向かってやりますが、今回は双雲さんに・・・」とスタンバイした双雲さんに向かって萬斎さんは舞います。お互いに気合の入った中で、会場の空気がピンと張り詰めるのがわかります。戦い、でもなく、調和でもなく・・・これが最後に御三方が口々にされた「せめぎあい」によって生まれた波動なのでしょうか。萬斎さんの飛び返りの型、をほぼ真後ろから拝見して・・・びっくらこきました。いや、後見になった気分よ(笑)←後ろから観るなんてことはないでしょクルッ!・・・・ッタン!クルッ←ってここ。いや、今回はこの飛びかえりどーのっていう話じゃないのは分っているのですが言わせて・・・超コンパクト。なんて高速回転・・・。高速なのに、着地点では身体が遠心力で揺らぐことがない。いや、感激ですよ・・・(涙)←泣けるお互いに気の張った舞台を勤められ、双雲さんが書き上げたあと、スゥーーっと息を吐かれた感じがしました。何かトランス状態に陥ったような雰囲気すら感じてしまうほど、出し切ったという恍惚感すら思わせる。これが「突き動かされている」現場!!観たりっ!凄いものを見せて頂いた、そんな舞台でした。【覚え書き&まとめ】全体の美しさやバランスを考慮してレイアウトする、演出する。"余白"もまた美の一貫なのですね。隠された部分があるからこそ、想像力を掻き立て、そこに魅力を感じる。書においても、シュチュエーションや他の人とのコラボによって書く字体も全く異なっていて、同じものは二度と書くことはできない、のだそうです。書の達人、芸術、役者の名人といわれる人も、他の自然や物質、人間同士の"せめぎあい"によって生まれる産物である、と。「万物は全て受動的であり、単体で成り立たない」ドラマ。これも制約の一つ。「制約」という他から与えられた受動的な環境、ここから最終的には人に感動を与えられるようなドラマティックな演劇に仕上がっていく、ということなのでしょうか。何もかも自由であったり、無機質な空間しかおかれていないところで何かを生み出すのは、ひょっとして難しいのかもしれないですね。あまり・・考えたこともなかったけれど。時間の制約もあって、なかなか全ては書き出せないし、上手く自分の中で整理をつけてここに覚え書きを完成させることはできませんでしたが、"わからないながらも"有意義な時間を過ごすことができた気がします。こういう機会がなければ、こんなこと、考えたりもしなかったから。それに、やっぱりカッコよかったしね(笑)←結局ココ次の解体新書DVDも買うぞーっ(≧∀≦)ノ・・・たぶん(笑)トップページへ戻る
2006年07月26日
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【狂言師とアフォーダンス】【楷書の芸と草書の芸】狂言師というのはつまり、ここで言うと「野村萬斎さん」のこと。萬「私どもの世界では、"四十五十はハナタレ小僧"と言われます。私も不惑となてやっと、ハナタレ小僧になれたかな、というところなんですが(笑)」萬「能狂言での「構エ」というものを師匠から、「こう」と習って我々はその通りにコピーしようとするんですね。でも、それぞれ身体の大きさ、太さ、腕や足というパーツの比率6:4だったり7:3だったりと違っているので、例え分度器で角度を測って師匠のコピーをしても同じようにはなれない。」萬「師匠の通りにコピーしても、名人ともなる年齢になると(身体的な衰えもあって)同じような構エにはならないんですね。俺が習ったのと違うじゃねぇか!(笑)と思いますがそれでも名人は名人」萬「子どもは基本を忠実に習い、"楷書の芸"を身につけていくのに対し、大人になってくると、型を脱して自分のものにしていくのが"草書の芸"」3人で能狂言の基本ともなる「構エ」の姿勢を取ってみました。師匠から習うときは、お手本のコピーをしようとしますよね。それでも、こうして背の高さも、太さもそれぞれバラバラな人間が同じような肘、膝の角度を作ってみても同じにはならない。佐「萬斎さん、質問していい?これってさ、2時間だったら2時間練習してみると、そのうち、"コレだっ"という一瞬どこかで体得するようなところがあるんですかね」萬「まぁ、そうですねぇ」佐「チョット聞いていいですか」←矢継ぎ早(笑) 「萬斎さんの構エはどこに重点を置いているんですか。どの順番から意識していくのの?」萬「重点は腰ですかねぇ。一番最初に足は地(床)を掴み、膝を曲げ、腰を引き、上半身はやや前傾となって・・」佐「それらしくなってきた?」萬「ああ、さっきよりよくなってきましたね」熱心に熱心に佐々木先生は狂言の構エについて、体得しようと、それはもう双雲さんと観客置いてけぼり(笑)このやり取りを観ていて、なんとなく分りづらかった「アフォーダンスの一角・・・いや0.1%」が見えた、ような。「構エの体得」はつまり「カブトムシが起き上がるために必要な"縁"を見つける行為」と同じなんだ。いや、そんな簡単なくくりで発言してはいけないのでしょうが、アフォーダンスについてどう繋げたらしっくり行くだろうと考えると、私にはココしか出口がありませんでした(苦笑)反発もあるかもしれませんが、コレは佐々木先生が仰ったのではなく、ましては萬斎さんが仰ったのではなく単なる私の「想像の世界」なので悪しからずご容赦下さい。佐々木先生は、自ら「カブトムシ」となって観客に見せた、とも言えるのかしら。こんな理論は言葉で説明しても、わからないから(苦笑)能狂言をおそらく一度でも観たり勉強したり興味を持ったりしている観客層には、狂言の「構エ」を持って説明するが一番有効かもしれない。話が前後してしまいますが、後で萬斎さんが舞台の上で舞(サシコミ、ヒラキ~・・・・・ガッシ・・・と型の連続)を披露(双雲さんは大きな筆を持って舞台上で筆脈を見せます)佐々木先生が「萬斎さん、目を瞑ってやってみてください」萬「え??!!」「薄目じゃだめですか」←動揺する萬斎さん(笑)佐「だめ。」ここで、「怖えぇぇぇ~~」と言いながら(笑)目を瞑って舞を披露されたんですが、舞台を回る型においても、見えないので、佐々木先生曰く「足が畏れている」(舞台から落ちる恐怖があるから無理もない)佐「萬斎にしてこれか(笑)」←褒めているのかどうなのか(苦笑)( ̄▽ ̄:)いや捉えかたですからね、親しみを込めて仰っていらしたのだと思います。 これは、単なるお遊びなのではなくて、佐々木先生が考えたいわば実験なのかもしれない。「カブトムシ=萬斎さん(?)」←畏れ多いです(爆)でも自らの身を持って、分析するというコンセプトの解体新書なのですから、いいのでしょうね。普段は当然、目を開けて舞う。視界の制約があるにしても、せいぜい面(おもて)をかける程度で、全く目を瞑ってしまうということはない。これがいわゆる無理矢理強いられた"環境" "制約" "自然"。萬斎さんは、目を瞑って何度か同じ形状の舞台でお稽古をしたら、目を開けているのと同じように"舞うこと"をできる瞬間を体得することがあるかもしれない。いや、萬斎さんなら、やり遂げちゃうでしょうね。←負けず嫌いっぽいし(想像)佐々木先生が多くまで語られなかったのが残念で、萬斎さんは目を瞑ってパフォーマンスしただけ(あ~おもろかった)の話で終結しちゃった感がありますが、実は上記の「与えられた過酷な環境に対し、最初は手探りの模索状態であっても、いつかその環境に順応する瞬間が訪れる」ということなのでしょうか。そう、最初に説明のあった、「生の受動」←ココに戻るとまたややこしくなる単にそれは「稽古の成果」または「努力の証し」としか考えたことはないけれど・・・環境に合わせて、「突き動かされている」ということがアフォーダンス(?)←確信がもてないので「?」で(苦笑)狂言の芸を楷書と草書で表現してくれました。「四十五十はハナタレ小僧」そして、楷書から草書の芸へ移り変わっていく萬斎さんの年代は、アフォーダンスが始まった、とも言えるのでしょうか。(まだよく理解できてないけれど・・誰か良い線行ってるとでも言ってくれれば救われるのですが・苦笑)人間の身体は老いる。当然、狂言師の身体も歳を取れば老いて動きづらくなる。それもまた与えられた自然、環境ならば、またその現在の「四肢の状態」で芸もまた変えられていく、ってことなんでしょうね。・・・って、やっぱりややこしい。狂言師の芸やら一生をアフォーダンスに置き換えて理解する、ということが「私が能狂言を楽しむ」上で必要かどうかは果たしてワカラナイ(苦笑)でも、こうして「アフォー」という小難しい学問と繋げて一緒に考えられる時間もまた有意義だったように思うのです。・・・って、ココでまとめちゃった感じがしますが(笑)特に、今回は書かずにいると忘れてしまいそうな「アフォーダンス」について先に覚え書きしてみました。で、続く・・・(多分)肝心な『書』のことも触れておかなきゃ、って思いつつ、あんまり憶えていないんですね、これが。「永字八方(えいじはっぽう)」って聞いたことがある。けれど、何かってよーくわからない。今回の解体新書ではこの「永字八方」についても説明があって、「書」の中での「筆脈(ひつみゃく)」のお話もありました。でも、上手く説明できません(爆)メモもとってないので・・・これは、DVDが発売されたらもっかい勉強しよ(笑)まずは狂言をベースに「アフォーダンス」を紐解いてみました・・・「動くと忘れちゃう」ため、記憶の新しい解体新書からレポってみました・・・というか・・・万作さんの狂言芸話・・・さらに記憶がなくなってきました。パーティも(涙)なお「アフォーダンス」については、私あめみこの勝手な理解で書いておりますゆえ、実際の「アフォー」とは全く異なっていると思います。。。いや、自信ない( ̄▽ ̄:) もっとこの生態心理学というものに造詣が深かったりする人が読めば「ぶぁかがっ!」と思うかもしれません(→ω←)・・・んが、しかし、まるっきり自己中心レポなので、そこのところは、どうぞご理解ください。あとがきにすら・・自分でも何言ってるのかワケわからん・・(汗)ま、それはさておき・・・※明日の7/24午後9時~「陰陽師2」放送だぁぁ(≧∀≦)トップページへ戻る
2006年07月23日
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勝手にサブタイトル【1:狂言師とアフォーダンス】なんてつけてみました(笑)なぜって・・・多分覚え書きを綴る順番はバラバラになると思うため・・・■野村萬斎芸術監督企画 第九弾世田谷パブリックシアター芸術監督・野村萬斎が自ら企画・出演するシリーズ企画の第九弾。今回のテーマは「輪郭」。ゲストに書道家の武田双雲さん、生態心理学者の佐々木正人さんを迎え、「書く」「描く」という表現行動を実演しながら"身体"の認知を紐解きます。キーワードは「楷書の芸。草書の芸」「アフォーダンス」「視覚と接触のアート」など。アートをつかさどる「表現の本質」に触れてみたいと思います。MANSAI@解体新書 パンフレットより抜粋。【今回のゲスト-敬称略】●武田双雲(たけだ そううん)1975年 熊本県生まれ。書道家。東京理科大学理工学部卒業。3歳より書道家である母・武田双葉に師事。大学卒業後、NTT入社。約3年間の勤務を経て書道家として独立。音楽家、彫刻家などさまざまなアーティストとコラボレーション(略)2003年 中国上海美術館より「龍華翠褒賞」を受賞。同年、イタリア・フィレンツェにて「コンタンツァ・メディチ家芸術褒賞」を授賞。武田双雲さんの公式ホームページ●佐々木正人(ささき まさと)1952年 北海道生まれ。生態心理学者。筑波大学大学院心身障害学専攻修了。現在、東京大学大学院情報学環・教育学研究科教授。(略)アフォーダンス Affordance 出典:ウィキペディア フリー百科事典アフォーダンス理論は、アメリカの心理学者J・J・ギブソンが提唱した認知心理学における概念。「afford」(~ができる、~をあたえる)」と「-ance」の造語。アフォーダンスとは、動物(人間)に対して環境が提供するために備えているもの・・。(略!)今回のパンフレットの概要だけでも「は?」「へ?」「ほ?」となってしまいそうな話です。野村萬斎さんが、いつものように軽い足取りでセットの階段を降り、ステージの上に姿を現します。※台詞部分は敬称略にて表示させていただきます。萬「こんばんは。今回、MANSAI@解体新書は第九回ということで、次回は第十回・・当たり前のことですが(笑)」 「今回のテーマは「輪郭」~表現のアフォーダンス~。アフォーダンスと言っても、Dance(踊る)ものとは違うんですねぇ」少々言葉を噛みながら(笑)「解体新書」という企画のコンセプトをいつものように説明。ゲストのお二人が登場し、パンフレットのプロフィールを説明(上記に簡略記載)で、今回のレポはキリがないので細かいところはもう割愛します(笑)【武田双雲さんの活躍シーン】双雲さんが手がけられたテレビのドラマやコミックの題字などを前方の大きなスクリーンを使って紹介。例えば、里見八犬伝。この題字を書くときに"何か不完全であるものが集合して達成をする"というところからイメージしたそうです。萬「ああ、8人揃って初めて強くなる、みたいなところがありますもんね」 「ところで、この○(まる)は双雲さんが書いたんですか?」双「いえ、この○(まる)は僕が書いたわけじゃありません(笑)これ書けたら練習しなくていいですから」萬「(笑)じゃ、つまらないことかもしれませんが、○の中に字を書いたんですか、それとも字を書いてから○を書いたんですか」双「これは、字を書いてから○で囲ってもらいました」あんまりメイン的な内容じゃありませんが、単に憶えていてご紹介したかったのでレポってみました(笑)これは、怖いおどろおどろしい話なので、やはりそういったイメージを大切にして書かれたそうです。双「現場の方にもお邪魔させていただきました」萬「あのー、これは米倉さんがこんなふうにして(裸で)ますけれど・・・(何か言いづらそうに・笑)」双「あ、後ろにいるのは僕じゃないですよ(笑)」萬「ああ、そうだったらおかしなことになっちゃいますからねぇ」 「(質問を変えて)こういった写真構成になるということは、題字を書く前から知っていたんですか?」双「いえ、これは知りませんでした。」萬「なるほど・・」他にもコミックの題字も紹介されていましたが、メモもとらなかったので忘れました!おそらくDVDが発売になるので・・・そこで確認しましょう( ̄▽ ̄:) えへ【アフォーダンスについて】佐「私が10年かかってやっとわかってきたことで、体調の悪い時にはわからなくなります。今日なんかは危ないな」(笑)ここでアフォーダンスについて。佐々木先生のパソコンの映像をスクリーンに映し出して説明。カブトムシです。そう、デパートで高値で売られている貴重な「カブトムシ」ひっくり返っています。一生懸命起き上がろうと悶えているようにも思えます。「何が始まるんだろ?」と思いながら見入っていると、どうやら新聞紙の縁(ふち)を見つけて、ズリズリと床との摩擦を利用して移動、見事に表にひっくり返る、という映像。「なんのこっちゃ?」と思った観客は私だけではないはず(笑)これを「アフォーダンス」だと説明され、「???」となる。アフォーダンスは"生の受動" 佐々木先生曰く、「ものの哀れ」だと言う。ますますわからない( ̄▽ ̄:) ←混乱佐々木先生の説明だと、カブトムシは正位置(元の状態に戻る)に起き上がるために、その場の環境(自然)にある"何か"を予測し、利用しようとする。何度も繰り返し見るカブトムシの映像。佐「ほら!このままだと起き上がれないから紙の縁のほうに段々と身体を移動させているでしょ。縁を予測し、利用して起き上がろうとしているんですね」双「(カブトムシが移動している様子を見て)平泳ぎのようにしてますよねぇ」佐「正しく言うと、"背泳ぎ"ですけれどね」(会場笑)・・・・・・・またさらにステージの三人+会場のお客さん スクリーンのカブトムシに見入る。何度目かの映像。萬「また平泳ぎですね」双「いや、背泳ぎですよね」萬「ああ(苦笑)」(会場爆笑)双「カブトムシにものの哀れを感じますね」そりは・・・ひっくり返った姿が"哀れ"なんですね(会場とともに笑)つまり、カブトムシは今ある環境(状態とも言うのかな)に身体を適合させるべく、その「新聞の縁」やら「紐」やらを利用して起き上がろうとする行動をアフォーダンスというのだそう。って・・私がこうしてココで説明したってわかんないよね・・・( ̄▽ ̄:) アハハ双「僕は、10ヶ月の子どもがいるから、なんとなくわかるんですけれど・・・」と果敢に佐々木先生に質問をぶつけて理解しようとする双雲さん。あーでもない、こーでもない議論で、時折頭をカキカキする萬斎さん(笑)佐々木先生曰く、「色々と天才天才と言われるような人も、実は自分ひとりで天才なのではなく、その他の環境によって「させられている」」双「例えば"山を登って征服する"というのは違うんですね?登らされている、ということ?」佐「そうそう。」例としたロッククライマーが出てきました。断崖絶壁を登ろうとする時に、"掴んで登るための出っ張り"、それは人間の目の前に自ずと飛び出てくるわけではなく、自ら掴みやすい岩(きっかけ)を掴みつつ登っていくもの。その、"何かを成すためのキッカケ"に出会う瞬間を、即ち「アフォー」というのかな?・・・難しいね(苦笑)【2:狂言師とアフォーダンス】へ続くトップページへ戻る>
2006年07月23日
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楽しみに待っていた「能狂言入門」日本の伝統芸能のテキストを手に・・・手に持ってない(あ、読んでません・苦笑)1回目、1回目は能。3回目、4回目は狂言についてでした。能の講師は観世流シテ方 観世喜正さん。狂言の講師は和泉流狂言師 野村萬斎さん。能の紹介では、能「葵上」や「敦盛」などを取り上げていて、初心者でも興味がわく演目を題材に説明されていて面白かったですね。なにより、喜正さんのシオリ(能で悲しみを表す型)の美しいことっまだ、生で喜正さんの舞台を拝見したことがないのですよね~・・・観たいなぁ。観世喜正さんプロデュース、8月5日に行われる"横須賀"での蝋燭能も行きたかったところですが、予定が合わず無念。よこすか能(横須賀芸術劇場)"紅葉狩 鬼揃"なんとも面白そうではないの?!しかも、萬斎さんもお出になる。しかも鍋八撥ですってよー!横須賀といったら、横浜能楽堂よりもっと遠いではないか( ̄▽ ̄:) ぷち×2遠征になる。行けないけれど(汗)→我にかえる観世喜正さんは、先日の25日に横浜能楽堂で行われた「県民のための 能を知る会 横浜公演」の地謡にいらっしゃいました~。(シテ方さんは中森貫太さんで采女-美奈保之伝-、狂言のシテは野村萬斎さんで秀句傘)色々な憧れの能楽師さんたち勢ぞろいでもって、感激・・・。こちらの公演の「なんちゃってレポート」はまた後日・・・話し反れましたが←いつも狂言の番組は、30分×2回。狂言のホール(普及)公演などで行われるような入門編の解説をメインに行うのかと思い込んでいました。でも内容的には「野村萬斎の魅力を語る」および「万作家の軌跡」的~とニンマリして観ておりました。能楽入門講座としては、どうだろう?あまりにマニアックすぎた内容で初心者の人はわかりづらいのかしら?などと最初は思っていましたが、そうではない、と思いました。ホール公演の「初めて狂言観た人ー」の殆どは、少なからず自発的に狂言に興味を持って、または誰かに誘われたけれどももちろん、観てみたかったから、という人が殆どでしょう。そういう人に基本的な狂言の型についてやお約束事の解説をして、30分×2曲を観てもらえれば、自ずと狂言の面白さが分ってしまうでしょう。でも、テレビ向けの視聴者に対しては、同じ解説をして「狂言を観に、能楽堂へ行こう」と思える人が、その中の何%くらいいるのでしょう。やっぱり、狂言師 野村萬斎という人の魅力を切り口に、伝統伝統と縛られずに斬新なアイデアを持って、常に観客を取り込む努力をしている、そういう部分を見せるとより、興味が沸いてくる。シェイクスピアを模して狂言風にしてみる、ということって万作家御贔屓の方にとっては周知のことですけれども、全く知らない方々にとってはとても新しいことに映るかもしれませんよね。こういうアイデアを持って、新たな境地を切り開く、でも基礎の古典の柱は決して折ることなく私たちに常に古典芸能の魅力を発信してくれる萬斎さん。才能もあって、なおかつバイタリティ溢れる方だなと改めて実感しました。同じく、能の講師をされた観世善正さんのご活躍も、何だか目が離せませんね~♪去年の観世清和さんと山本東次郎さんの「日本の伝統芸能 能狂言入門」も保存版にしてますけれど、今年の番組もDVDにダビングして完全保存版でござる。そうそう、このお二人。ビクター伝統文化振興財団 観世流能 鉄輪(かなわ) 観世喜正/観世流能 鉄輪(かなわ) 【作品説明】2004年8月に、札幌メディアパーク・スピカで行なわれた蝋燭能公演を収録。演目は怨霊物と呼ばれる平家物語に材を取った「鉄輪」。観世喜正と野村萬斎による舞台挨拶も収録されている。↑こちらのDVDでもご一緒に出演されていらっしゃるんですよね。とても面白いDVDでした。能をDVDやテレビで観ると少しは迫力に欠けてしまうので、生で観たいところですが、なかなか・・・という人のために、こういう能や能楽囃子などのDVDももっと出してほしいですね~(お小遣いがっ!)さて・・・暫く山篭り(?)し、レポ作成でも始めます。次は6月下旬の茂山家 正邦さんの「狂言VOL.3 釣狐」までオアズケ。ハッ!Σ(・∇・) 釣狐といえば、今年はこの大曲に挑むとこちらの番組で萬斎さん・・・いつどこでやるんだろう。・・・いや、これはチケットは大変なことになるであろう・・・そのシークレットな技を観たい←観て分るかどうかはさておき(苦笑)
2006年05月27日
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【1】レポートはコチラから【第二部 天狗の話】「天狗の偽佛」「天狗、佛ほとけと現じて木末に坐いませる話こと」は、長唄を主体として物語られます。仏法を妨げようとする天狗が、京都五條にある実の成らない大きな柿の木の上に、佛ほとけの姿となって現われた、という話です。結局終わりは、天狗が鳶になって地上に落ち、衆人に虐げられてしまいます。天狗は想像上の怪物で、神通力を持っていて飛行自在になっています。平安時代の天狗に対する見方を知ることが出来る話です。【感想とレビュー】「琵琶玄象」と同じ、邦楽アンサンブル、物語は長唄で語られます。アニメーションが、何となく子供の頃によくみた「日本昔話」を思い出しましたね~。物語が始まると、ワクワクする感じ。ここに登場する光の大臣おとどは、仁明天皇の皇子で右大臣になられた方のこととパンフレットに書かれていましたが、私はてっきり「光るの大臣」と聴いて「光源氏だわ」と思っていた大ばか者です(苦笑) 「渡来天狗」「天竺てんじくの天狗、海の水の音を聞きて此の朝ちょうに渡れる話こと」は、狂言の形を加えて物語が進められます。インドの天狗が中国へ渡る時海の波が経文を唱えているので、不思議に思って音の源を辿っていくと、日本の比叡山の麓に着いてしまいました。山から流れてくる川水が経文を唱えているので、山の下を護っていた童子に尋ねると、比叡山で修行する僧侶たちの汚水などが混じっているからだろう、という答えでした。仏法に障化しようと思っていた天狗は心を改め、生まれ変わって高僧になる決心をします。そして突飛な考えを実行します。それは高貴な方のお妃から生まれ出ようとするものでした。人間に生まれ変わって比叡山で修行した元天狗は、遂に天台座主にまで昇りつめました。※あらすじは、藝大21 和楽の美「今昔物語」邦楽総合アンサンブルパンフレットより抜粋【感想とレビュー】日本舞踊と狂言のコラボと言ってイイのかしら。日本舞踊と言っても、創作舞踊のような白塗りにお化粧して出演されていました。チョットこの辺の区分けというかジャンルに詳しくないので、上手くお伝えできませんが(苦笑)え?萬斎さんが白塗りしているわけじゃありません(笑)最初に童子役二人が登場します。次に経文を追って、天竺から中国、日本へ渡来した天狗が現われます。童子は美しく優雅に舞うのに対して、天狗は少しまたコミカルという感じでしょうか。萬斎さんは天狗の声。音声だけなのかと思いましたが舞台左袖から黒紋付袴姿で登場し、座した後、語り始めました。とはいえ狂言の語り(間狂言)とは少々異なり、演劇の中で台詞を狂言口調で話すという感じでしょうか。天狗の動きと合わせて語るので、ちょっとしたアフレコと同じかしら。(難しそう)仏法を邪魔してやるわいと思っていた天狗は改心し僧に生まれ変わると言う展開に成りますが、萬斎さんはすぐに舞台の袖へ消えて行きました。天狗が舞台の中央から消え、スクリーンには人間の胎児が育つアニメーション。その後、煌びやかな天女たちが8人ほど現われ美しく舞い、花道を作ります。(≧∀≦)こ、こりゃーまさか。その後、生まれ変わった高僧「明救僧正」に変身した萬斎さんが天女の作った花道を満面の笑みで登場。階段を下りてきました。狂言や能のワキ方が着用するような僧侶の装束とは違い、かなり派手な袈裟。さすがは仏法を究めたる高い位の天台座主。とはいえ、威厳たっぷりのしかめ面ではなく、ニコニコしながら合掌をしている姿は狂言とは違いますがとても可愛い~。(本当に四十路には見えません)童子二人と一緒に、浮かれ調子で軽いステップを踏みつつ舞台の袖に消えていくところも、笑顔で振り返りつつ(笑)会場も笑いの渦。舞台自体の照明も神々しく明るくなり、眩いほどでしたが、ホンの数分の登場だけですっかり会場の観客の心を持って行ってしまったように思いますね~。やっぱり萬斎さんの放つオーラはすごい。役者だなぁとつくづく感じてしまったのでありました。あり?邦楽アンサンブルのレポというよりも・・・やっぱり「野村萬斎追っかけレポ」状態になっておりますな( ̄▽ ̄:)いや、それが私の真骨頂?! 許してたもれ(苦笑) トップページへ戻る
2006年05月16日
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藝大21 「今昔物語」和楽の美 邦楽総合アンサンブル於:東京藝術大学 奏楽堂平成18年5月16日(火)午後7時00分開演※出演者の方々について東京藝術大学公式ページはコチラ【第一部】山田流筝曲「琵琶玄象」能楽「秘曲伝授」【第二部】長唄 生田流筝曲「天狗の偽佛」日本舞踊「渡来天狗」 演出は野村萬斎さんいくつかご自身がご出演されていましたが、あくまでも特別出演といった感じ。邦楽アンサンブル。全く馴染みのない状態で、何もわからずに公演へ向かった私(苦笑)イマイチ、まだ踏み出したことのない古典の世界に少し不安になりながら、最初の曲が始まりました。観てみれば、洋楽のオーケストラの邦楽版と思えばいい。声楽隊ともいえる唄を担当する人、箏こと、笙しょう、篳篥ひちりき、尺八、能楽囃子(笛、大鼓、小鼓、太鼓)、三味線、大太鼓、シンバルなどなど。ああ、和楽とは、これほどまでに心地よかったんだなぁと思ったこの公演の幕開け。一曲目は、今昔物語「琵琶玄象」陰陽師に関する本を読んだり、映画を観たりして興味を持った方は、源博雅みなもとのひろまさという存在も気になっているのではないでしょうか。私の友達は、岡野玲子さんのコミック「陰陽師」を読んで安倍晴明ではなく、源博雅のファンになっていましたっけ。ここで簡単にあらすじを。【第一部 琵琶の話】「琵琶玄象」あらすじ「玄象げんじょうという琵琶、鬼の為に取られる話こと」を筝曲が物語ります。玄象と呼ばれた琵琶は実在した名器と言われています。撥面に玄くろい象の絵柄があった説と、玄上宰相げんじょうさいしょうが所持されていたからとの説があります。 或る日、帝の宝である琵琶玄象が突然紛失しました。 静かな夜、清涼殿にいた源博雅が、南のほうから流れてくる玄象の音色を聴きました。博雅は管弦に秀でた人だったので、これは確かに「玄象」だと確信し、音の源を尋ねて行くと、羅城門の楼上で誰かがその玄象を奏でていたのです。 玄象はその後、無事に内裏へ戻ってきましたが、誰が何故盗んだのか、鬼の仕業である、などとその噂は広がるばかりでした。【感想とレビュー】ゴォーンとドラの音が鳴り響き、開演。長唄によって聴く物語は生まれて初めて。邦楽のいわばオーケストラ。間近で聴く琴や笙、笛の音はワクワクしますね。正面のスクリーンから、「玄象」の生い立ちなどがアニメーションで映し出されます。時折聴こえる玄象(野村萬斎さんの笑い声)何やら透明スクリーンの後ろ側に、玄象がよちよち横歩き・・コミック「陰陽師」では絵として目にしていたので、すぐに岡野さんの絵を思い出しました(笑)玄象に手足が生えて、ちょっとお茶目で悪戯好き。「ちょっと玄象についての ぷち覚書」この玄象、今も皇室の宝として内裏にあると聴いたのですが(見てみたいですねぇ)玄象は、まるで生きているかのようだったとか。管弦の腕がない者が弾こうとすれば、腹を立てて鳴らなかったり、掃除をせず埃だらけだと怒って鳴らなかったとか・・・。内裏が炎上した時は、玄象は自ら庭に出て非難・・・。(ほんまか)玄象が何者かの手によって盗まれた、この「琵琶玄象」のお話は村上天皇の御世でのことですが・・・ちなみに、博雅くんの時代から300年以上経った頃(後醍醐天皇の御世)でもこの玄象ったら相変わらず放浪癖は治らなかったようで、1316年に内裏からまたも紛失(脱走?)、そのままずーっと行方不明。已む無く2年後に行われた内裏清暑堂における御遊で琵琶名器のお友達(?)「牧馬」が活躍した、と徒然草に記録があります。再び1年後に内裏に戻ってきた玄象くん・・・相変わらずなのね(笑)さて、この手足が生えた(笑)玄象くん。このとき、私は単に裏方さんが、ただ玄象の絵を背負って出てきているだけか、と思っていました。すると・・・黒紋付袴姿の萬斎さんがクルリと正面を振り返り、「我は琵琶の玄象なりぃ~~」キタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ ! ! !←あめみこの心の内邦楽アンサンブルと長唄をバックに、両手を挙げ「玄象の舞(?)」←なんじゃそりゃ美しく動くというより、明るくコミカルなイメージですね。いや・・・玄象を背負っていたら陰陽師の舞や・・・たとえ三番叟(ありえないけど)を舞ってもコミカルにしかならないか・・源博雅が、清涼殿にいながら遠くより聴こえる琵琶の玄象だと確信し、羅城門までやってくる様子は、能楽の博雅役を勤められた渡辺筍之介さん。調べてみると宝生流のおシテさんなのかな。初めて拝見しました。お名前も( ̄▽ ̄:) ←無知(汗)私としては・・・あくまで私の主観ですが・・・琵琶玄象となった萬斎さんもいいのだけれど、安倍晴明を映画で演じた萬斎さんだけに、今回は特別に"博雅君"になって出て欲しかった気も(笑)やはり萬斎さんは晴明でなければ邪道!と怒られそうですが(苦笑)スイマセン・・・渡辺さん・・あり?萬斎さんの出番や、陰陽師よりの得意な話ばっかりですねぇ( ̄▽ ̄:) すいませんねぇ・・でも、面白かったんですよ、とっても♪期待以上でした。 「秘曲伝授」あらすじ「源博雅の朝臣あそん、逢坂おうさかの盲めしいの許もとに行きたる話こと」を能楽によって物語られます。今は逢坂の関の近くの賎の庵に住んでいる盲目となってしまった蝉丸法師は、亡き敦実親王に仕えていました。敦実親王は管弦の道を究められた方だったのです。いつしか、蝉丸は親王から琵琶の秘曲「流泉」と「啄木」を教わっていたのでした。笛の名手で管弦に秀でていた源博雅は、蝉丸から秘曲を伝授してもらおうと、逢坂の関跡近くの庵を訪ねます。能に「蝉丸」がありますが、これとは内容が異なります。また蝉丸を盲僧琵琶の起源とする伝説が、後年生まれました。【感想とレビュー】これは能楽ジャンルによって物語られました。四拍子だけではなく琴なども入って普段とはまた違った雰囲気。能の面おもては全く用いられませんでしたね。最も、能「蝉丸」とはストーリー立ても違い、あくまでも蝉丸の住む逢坂の関近くの賎しい庵へ3年間通い続けてやっと琵琶の秘曲「流木」「啄木」を伝授されるに至るまでのお話。本来、能「蝉丸」のシテは逆髪という、蝉丸の姉ですが、ここには出てきません。ちなみに蝉丸はツレですし、源博雅はアイです。蝉丸は延喜帝の第四皇子、高貴な身分として生まれついたにもかかわらず、生まれつきの盲目の身。帝は、宮の後世を助けるため、清貫に命じて、逢坂山に捨てさせる・・というのが能の冒頭ストーリーです。盲目の蝉丸が一人、賎しい庵にてわび住まいをしている様子が、静かに照らす満月の映像により寂しさを醸し出しています。ここでは博雅は3年間、蝉丸がふと思いついて秘曲「流木」「啄木」をかき鳴らす日を夢見て通い続けたという今昔物語のエピソードがメインです。根気強いですよね。と共に、楽に対する博雅の熱い思いが伝わります。若い博雅のイメージが抜けきれない陰陽師ミーハーな私は、少し御歳を召した(爆)博雅に違和感を感じつつ(重ね重ねすみません!!修行が足らん・・)仕事の疲れも手伝い、さらに管弦の音色に心地よくなって・・・夢の世界へいざゆかん・・・・(行くなー)なんとか生きていました(苦笑)絨毯を敷いた舞台では少し、摺り足は大変そうでしたかねぇ。一噌幸弘さんの笛。滑らかな指使いから生まれる流れるような笛の音にハタと目が覚めました。素晴らしい~!!かなり感動・・・ 【2】へ トップページへ戻る
2006年05月16日
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「今昔物語」明日は萬斎さんの母校、芸大へ。藝大21 和楽の美 邦楽総合アンサンブル「今昔物語」全くのノーチェックだった公演をお友達からお知らせ頂き行くことに♪演出で「野村萬斎」の名前があるけれど、どの辺までご出演があるのか・・よくわかってない(苦笑)テーマは今昔物語。巻の一 「琵琶玄象」「秘曲伝授」巻の二 「天狗の偽佛」「渡来天狗」今昔物語といえば、全31巻、天竺(印度)、震旦(中国)、本朝(日本)の三部で構成されるもの。多くを占める仏教説話より世俗説話に光り当てて王朝文学に対する庶民を物語る60篇。そう、タイトル観ただけでもワクワクしちゃう感じ。「琵琶玄象」といったら・・・博雅くんでしょ(笑)玄象と言う名の琵琶を鬼に取られてしまい、羅城門まで行って取り返す話(今昔物語 巻弐拾四 第弐拾四)「秘曲伝授」といっても・・・博雅くんでしょ(笑)3年間夜通し蝉丸法師の所まで通い続け、琵琶の秘曲『流泉・啄木』を伝授してもらった話。(今昔物語 巻弐拾四 第弐拾参、和歌童蒙抄 巻伍)源博雅について過去に特集したコンテンツはこちら今回の公演とは関係ないのですが、第一部世俗に収録されている「天文博士が夢をうらなう話」「陰陽師の子供が鬼神を見る話」あたりも馴染みがあるし、他のタイトル見ても面白そう~この辺は得意なんだけれど・・巻の二は「天狗」かぁ・・・。何はともあれ、ちょっとどんなものか楽しみです。あまり今昔物語には造詣が深くないので、レポは無理かもしれないけれど・・って他のジャンルに造詣が深いかって言ったら微妙ですが(苦笑)仕事をまた放り投げて上野に走る!総合メニューを整理しました。楽天のお気に入りリンク(最新日記ヘッドライン)もリンク部屋に編集しました。
2006年05月15日
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続きレポです。(やっぱり長い・・・)【1】はコチラをクリック蜷川さん:「例えば「陰陽師」なんて映画の場合は、何か自分で監督に提案をしたりするの?」萬斎さん:「うーん(と考えながら)何かそこら辺にあるものを使って何かできないか、ということを考えてしまいますね」(ほぉ~、映画「陰陽師」における萬斎さんのアイデアって・・・なんだろうな。代表的なのは、「陰陽師2」での袴を武器にしてしまうところ?かな)蜷川さんが萬斎さんに「演出家としてはどんな感じなの?怖いの?」と質問を。萬斎さん:「僕は割りと自由にやってもらうほうで、まずやってみて、と。そして、そこから皆で考えて生み出していく感じ。怖くないと思う」最近では山月記・名人伝-敦-の演出家としての活動が一番真新しい記憶。道具を使うのが嫌いなので、工夫改築をする。例えば、まちがいの狂言では「門」をセットを使わずに人でやってしまったり、山月記・名人伝で「機織り機」を人間でやりましたと。とにかく遊び心が旺盛な萬斎さん、という面がそのクールな表情の中に隠された素顔。萬斎さん:「僕もシェイクスピアの演劇をやり(演じ)ましたが(※)、舞台セットが大きすぎて、自分の存在価値が薄くなるというか・・」※ ポニーキャニオン 萬斎ハムレット 野村萬斎/萬斎ハムレット 『陰陽師』で人気を不動のものとした狂言師・野村萬斎。彼が2003年の夏に出演した舞台『ハムレット』の模様を収録した2枚組が登場。狂言師ならではのこだわりで、言葉の響きやリズムに色を出した、“萬斎流”シェイクスピアの世界が堪能できる。蜷川さん:(深く頷きながら)「確かに。僕も「黒木瞳」のような最高の女優を使っているのに舞台設置を失敗して台無しにした。あれはダメだね!」蜷川さん:(バンザイでのけぞりながら)「あれは史上最高の駄作だねっ(苦笑)」↑「あれ」の舞台の名前を忘れましたぁー(苦笑)萬斎さんは(客観的に自分の作品を観て)すぐにダメだって言える蜷川さんがすごいと。蜷川さん:「僕はあまり失敗作については語らないのよ。記憶から抹消したくなるから(笑)」「リア(王)もね~だめだった!!」萬斎さん:(会場に同意を求めるように視線を向けながら)「これが世界の蜷川なんですよ(笑)」(これは、いかに世界の蜷川と、巨匠と言われるお方であっても、このように頭を抱えて記憶から抹消したくなる衝動に駆られて苦労をしている様子を観客席の私たちにも見せたかった、のでしょう。同じような「演出家」というステージで、悩まれたり苦労されたりした萬斎さんだからこそ共鳴できる蜷川さんの姿なのかもしれません)蜷川さんが、古典芸能の「型」は当初のものから形を変えずに来ているのかという質問に対し、萬斎さん:「狂言が成立した頃はかなりテキトーでアドリブでやっていたようですが、幕府に召抱えられるようになるとあまり失礼なことがあってはいけない、ということで台本と言うものがきちんとできて上演されるようになったようですね。」更に萬斎さんが型への思いについて語ります。型も受け継がれてきたものをそのまま伝承していくだけではなくて、なぜこういう型になったのか、根本やそもそもの意味(意図)を考えて初めてその「型」を自分の身に吸収して生きてくる。古典芸能には制約がある。だけれど全くの自由であるよりも、不自由さから生まれるものもある。(何かこれが飛び出そうとするエネルギーを増していく相乗効果を生むのですね。)萬斎さん:「蜷川さんが演出した「まちがいの喜劇」を拝見したのですが、自分がサラリと流した部分を蜷川さんはきちんと描写していて、とても勉強になりました」(おー。ルビコンさんがご覧になったあの「まちがいの喜劇」舞台を萬斎さんもご覧になっていたとわっ!!何だか嬉しい。お忙しいのに、お時間を作って勉強されているんですね)蜷川さんより現代の俳優について話題が展開。蜷川さん:「今は訓練された俳優がなかなかいない」萬斎さん:「俳優は古典、最近ではジャニーズとか・・そうそうJAC(ジャパンアクションクラブ)真田さんとか(忘れちゃいけねぇ!といった表情で・笑)」「我々世代の中間層の女優さんがなかなかいないようだ」と萬斎さん大竹しのぶさんや麻実れいさんのお名前も挙がりましたが、もっと下の年齢層(萬斎さんと同世代)というとなかなかいない、とか。萬斎さん:「ちょうど子育ての時期だから仕方がないのかもしれませんね」蜷川さん:「今回は(タイタス)をイギリスに持って行って上演するにあたってJapanese(ジャパニーズ)を出さないと決めた!今までは日本的な要素がないとあまり評価されなかった。今回は絶対に出さないっ」↑疾走、チャレンジし続けるジジィ(失礼!)かっこいいです!萬斎さん:「僕も作品を作るときには常に世界(海外)への発信を意識して作っています。狂言の手法を意識するのは、誰にも真似できないものを作りたいと。」「日本は輸入、輸入、輸入ばっかりであまり輸出がないんですよね。蜷川さんが一人で頑張っている感じで」(蜷川さんが一人で頑張っている、のコメントの後。巨匠と呼ばれる蜷川さんを前に謙虚さを忘れないようにしながら、密かに「俺もやってやるぞ」という隠された野望を感じました)蜷川さん:「萬斎さんはライバルですね」(お互いを認め合っているその固い友情というか信頼、尊敬の念が私たち観客の介入できないような絆があるようでした・・・じぇらしぃ~(嘘・笑))蜷川さん:「萬斎さんはイギリスに留学していたからわかるだろうけれど、あちらは自分を常にアピールしてくる。こういう対談の場でも必ず挙手してくるようなところがあります。」(これは日本人にアピールが足りないということのメッセージ?苦笑)蜷川さん:「その輸出をしていく上で、萬斎さんの様式性で勝てるよ。萬斎さんの勝ちだねっ!(笑)」蜷川さん:(立ち上がって実演)「あっちの(英国の)役者に、こうやって腰に重心を置いたポーズでずっと立っててもらったら「アイタタタ」となった。出来ないんですよ。」萬斎さん:うーん、なるほど、という表情をしつつ(出来てたまるかっ!と思ってます?(笑))蜷川さん:「是非、あっちの役者を萬斎さんの様式性でいじめてやってほしいなぁ(笑)」萬斎さんは何も言わずただ笑いながら萬斎さん:「僕はどうしてもつい前傾になってしまって、スキージャンプみたいになってしまう」↑こちらも立ち上がって実演。会場も大笑いでした。(是非とも・・・いじめていただきたいっ・爆)←おいこらテヤッ!! (ノ ̄▽ ̄)ノ┻━┻☆)* ̄□)ノ)) ゴン!! 蜷川さん:「萬斎さんの年齢で、能楽の世界ではベテランと言えるの?それとも中堅どころ?」萬斎さん:「僕も40(しじゅう)になりますからね~。でも、四十五十はハナタレ小僧といいますからね。まだコドモみたいなもんですね」(そう、不惑の歳なのね~・・・・・・・・・・)←最近「不惑」がマイブーム用語(笑)蜷川さん:「え?ここって何時までだっけ???え?時間オーバー?」すでに20分ほどもオーバーしていたようです(笑)時間の経過も忘れてしまうほどに、お二人の対談は熱くこれからの展望を語り、要所要所に和やかムードが漂い、何より、萬斎さんの素の笑顔(照れた顔・きゃー)が観られたのがとても嬉しかったり。蜷川さん:「じゃ、最後に萬斎さんへどなたか一人質問はないですか。」会場シーーーーーーーン( ̄▽ ̄:) って・・・言ったってねぇ・・・話を聞くのに精一杯で(爆)質問コーナーがあったとわっ!!←最初から知っていても質問なんて舞い上がってできないであろうよ・・・(120%)お一人上段の方から女性が挙手。おっ、えらいですね。質問の内容は・・・すんません。ヒアリング能力が足りませんでした・・・能や狂言はつまり能楽堂へ踏み込むようにどこか敷居が高い、というところがある。特によく知られる幼児向け番組の「にほんごであそぼ」などを通して、狂言を一般的に幅広く知ってもらう、という活動を萬斎さんは行ってきている。その活動の本意・・・でも聞きたかったの、かな?うーん・・その質問内容を頭で噛み砕いているうちに、最初は首を捻っていた萬斎さんもその質問の要旨を速やかにキャッチして回答されてました←質問の要旨を考えているうちに、萬斎さんの言葉すら飲み込めなかったあめみこ(爆)ま。ここまで拙いレポを最後までお読みくださった方々にとっては、萬斎さんの意図すること、活動内容をよくご存じでしょうから、割愛をしちゃいますね♪←こらっ全般通してメインは「演劇論」という内容の濃い~お話でした。お二人とも「オイディプス王」という一つの作品を作り上げ、または舞台を演出されるという共通したお仕事をされていらっしゃるから、ツーといえばカーという、雰囲気で会話されていたところが印象的でもありました。そうそう!書くの忘れてました。怖い演出家という異名名高い蜷川さん。それでも、最近はゆとりが出てきて、「俳優の立場に立って考えられるようになってきた」と仰いました。「巨匠」とも言われるような方が、日々毎回公演ごとに反省を繰り返し模索していく姿があるからこそ、到達点を認めず更に上を目指す、まさに「疾走するジジィ」(重ね重ねの失言m(_ _)mゴメン・汗)の真髄を垣間見ました。私はまだ演劇といっても、その知識量は少なすぎて偏った舞台ばかりを拝見しています。なかなかどうして、お二人の脳裏に浮かぶ理想の演劇界をイメージすることは困難だー。頑張ってついて行こう(笑)これからのお二人のご活躍に期待っ!☆レポ後記話の順番が「???」どんな話からこういう話に展開したんだっけか・・・読み返してみると違うような気がする(苦笑)なわけで、毎度のことながら・・・一部(?どころじゃない?)表現にはあめみこの解釈により違った解釈へ変換されている可能性があり・・・。その点はどうかご容赦くださいませ~。最後までお付き合いくださりありがとうございました♪おっとぉー!記念すべき・・・10萬ヒットまでもうすぐですな・・・この時間だと今日中に超えるか超えないか?久しぶりにキリ番というものを意識した(笑)いつもアクセスありがとうございます、みなさま(⌒◇⌒)ノ
2006年03月25日
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彩の国さいたま芸術劇場NINAGAWA 千の目(まなざし)第2回 野村萬斎&蜷川幸雄平成18年3月23日(木)午後1時~電車に乗って遠路遥々約1時間15分。この与野とは会社のセンターがある場所で、片道1時間半は通勤圏内。・・・と言われている。無理だっつぅの。遠かった( ̄▽ ̄:) でも、何と言っても無料~イエーイ(∇≦d)(b≧∇) イエーイこの無料という響きの多い今週でありました(笑)>黒のおたべコラボも無料チケットを譲ってくださったお友達に心から感謝を♪さて、彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督 世界の演出家 蜷川幸雄さんと、世田谷パブリックシアター芸術監督 狂言師 野村萬斎さんとの対談。ホールは300人程度しか入れない小さなスペース。舞台には2席設けてあり、正面のスクリーンにはお二人のお名前が表示され何だか「MANSAI@解体新書」のような雰囲気。さて、余計なことはさておき、本題に入りましょう。とはいえ、僕の記憶は24時間しかもたない!←「博士が愛した数式」読みました、面白かった(関係ない)すでに62時間は経過。私の余計な「チャチャ」も入るので割愛箇所も多い(忘れているとも言う)ですがよろしければお付き合いくださいね。ホストである蜷川さんが野村萬斎さんを紹介すると、左のカーテンから萬斎さんがピっとしたいつもの姿勢で登場。(うあー、昨日も『ござる』でお会いしましたね(≧∀≦)」←相変わらず激しく「観る」の間違い私は色弱らしく照明のせいか(?)ジャケットがクリーム色っぽいと思ったのですが、他の方からは「薄緑っぽいジャケット」だとのこと。襟が無地白でストライプのシャツ、袖口からキラリとカフスが覗き、お洒落だなぁと思ったものです。とはいえ、縞パン度は低め?←何を期待?)蜷川さん:「萬斎さんとはオイディプス王(※)でご一緒しましたが、あまりこうやって二人で話をするということはなかったんですよね。」※オイディプス王(アテネ公演)萬斎さん:「そうですね、何を突っ込まれるのか心配ですが(苦笑)」そして、オイディプス王の映像がスクリーンに流れます。舞台の前に蜷川さんと萬斎さん専用のモニターが据えられており、後ろを振り返らなくて良い仕組み。NHK(またはDVD)のアテネ公演の模様です。始まると、蜷川さんが、ヘロディス・アティコス劇場の位置関係やその場の雰囲気、コロスの登場、聞こえてくる音楽に「東儀さんの音楽ですね、笙の音です」と解説を加えました。あれはもう2004年、2年前位になりますか?と萬斎さんが言うと、蜷川さんもなんだか嬉しそうにそのモニターに見入っていました。(身を乗り出して、なんだか二人で懐かしいアルバムをめくっているかのような、そんな雰囲気。そして久々に観るその映像にお互いのワクワク感がこちらまで伝わってきました。)蜷川さん:「・・・なんだか、緊張感が甦りますねぇ」このときのアテネツアーのとき、演技指導か、はたまたモチベーション向上のためか、かつて蜷川さんが大成功を修めたギリシャでの海外公演「王女メディア」の鳴り止まぬ大声援のカーテンコールシーンを繰り返し見せたとのことです(笑)萬斎さんは、より緊張しました(笑)と編集されて丁度良い映像がピックアップされるのかと思いきや、スタッフによる手動の再生、早送りのようで、蜷川さんが「じゃ、オイディプス王が目を潰したあたりまで早送りして!」と言うと、会場から「え?もうそんなとこまで?」と言うどよめきが(笑)萬斎さん:「ではご覧になりたい方は、DVDを買っていただくということで」(笑)ヘロディス・アティコス劇場はすり鉢状の大きな観客席。萬斎さんは、遥か上の彼方から見下ろされている感じがすると仰り、何か迫ってくるような感じがした、と感想を。そして萬斎さんは常に舞台にいる自分と観客の位置関係を囚人監視のような感じだと仰いました。蜷川さんに舞台を指導されている過程で、「遠くの観客にも近くの観客にも伝わる演技をしろ」と言われて少し戸惑ったと言う萬斎さん。蜷川さん:「僕は好きなことが言えるからねぇ~、やる(演じる)方は大変だよね(笑)」こういうすり鉢状の舞台は、まん中が出っ張っている。役者が中央で突出してしまうと両サイドの役者たちのとのバランスがとれないと蜷川さん。だけれど、萬斎さんは自分のいるべき場所を的確に判断し、立つことができる、という評価をされていました。萬斎さんも四方八方から観られている(観られてしまう)という舞台構造では背中でも演技をする、ということを意識されているとのことです。蜷川さんは、現在「タイタス」という舞台を手がけている最中。最近(演出の仕方は昔に比べ)はどうですか?と萬斎さんが尋ねると蜷川さん:「モノは投げないよ(笑)」(うあー、やっぱり投げてたのか・・・笑 いや、怖いのは有名な話だけれど・苦笑)蜷川さん:「稽古場に(自分が)入ると空気が変わるのを感じますね。とりあえず「やってみて」と言ったら吉田くん(※)が驚いてた。台詞がまだ入ってなかったんでしょうねぇ(笑)」それでも、最近はゆとりが出てきて、「俳優の立場に立って考えられるようになってきた」と仰いました。※現在4/21から始まる蜷川さん演出 シェイクスピア劇「タイタス・アンドロニカル」の主演を演じる吉田鋼太郎さんのこと(オイディプス王ではクレオンを熱演した)公演情報→ 彩の国さいたま芸術劇場 ホームページヘロディス・アティコスも屋外の劇場ですが、能舞台も本来(起源)は屋外であったもの。より土に近いところで演じているということでは、このギリシャの地での公演もまた日本の古典芸能シーンと相通じるものがあるのでしょうか。場面が変わり、オイディプス王の登場シーン。蜷川さん:「あれ、これじゃないよ~(笑)」裏でスタッフの方が慌てている様子が目に浮かぶようです(苦笑)オイディプス王 目を潰したときの映像蜷川さん:「(演技が)いいねぇ~(にやにや)。僕はあんまりこれ観てないんですよ」萬斎さん:「僕は2~3回観ましたよ、何だか照れくさいんですけれどねぇ、台風で外に出れないときにBSでやってて・・・」蜷川さん:「初演の時にこの血糊を萬斎さんが手につけてセットにある鏡にバーーッと塗りたくっていたんですが、(楽屋では)まるで泥んこ遊びをしているみたいに楽しそうにしててね(笑)でも、アテネのヘロディス・アティコス劇場は重要な文化遺産ですから、床を汚しちゃいけない、だから手には(落ちないように)マニュキュアを塗ってたんですよね。床は大理石ですからね」萬斎さん:「カーテンコールまでに落とさなければいけないから、除光液の中に手を突っ込んでねぇ、もう手なんてガビガビ」(両手を目の前に差し出し、観客に見せてくれたのですが相変わらず綺麗なお手手・・あのお手がガビガビだなんて・・・涙)映像シーンはカーテンコールへ蜷川さん:「麻実さんのカーテンコールは、日本人じゃないってくらい決まってるよね」萬斎さん:「僕(俺って言ったかな)もカーテンコールだけは勝てねぇと思いましたねぇ~」↑何だか江戸っ子風べらんめぇ口調(〃 ̄▽ ̄〃) 余計なことに過剰反応なあめみこ・・そしてシーンは主役オイディプス、萬斎さんのカーテンコール。蜷川さん:「やりきった晴れやかな顔してますね~」一緒に観ていた萬斎さんも少し照れくさそうでいながら、モニターを懐かしげに見つめていました。蜷川さん:「じゃ、止めましょう」(笑)萬斎さん:「え?蜷川さんのは?」蜷川さん:「俺はいいよ」(笑)(何だか照れまくっている蜷川さん、いつでも堂々としてらっしゃる方かと思ったけれど、とてもシャイなのですね)そしてオイディプス王の映像が終わり蜷川さん:「せっかくだから、萬斎さんを明るいところで観たいでしょう~」(笑)(あら・・・なんでもお見通し?爆)蜷川さん:「古典芸能の血ってすごいなぁ(こわいなぁ)と思うのは、楽屋にいても普通なのに顔を作られていく段階でどんどんオイディプス王になっていく。また、血糊を塗りたくって、なんだか子供のように喜び、ギラギラしてくる。萬斎さんは何だか血が似合うんだよね(笑)セクシャルな感じっていうのかな」萬斎さん:「子どもの頃から泥んこ遊びが好きでしたからね(笑)」(何だかこのとき、幼少時代の萬斎さんがチョコレートをホッペに付けて歩いていたっけ・・笑なんてことを思い出しちゃいました・・・が関係ないっすか・笑)蜷川さん:「萬斎さんは映画やNHKのドラマに出たりするとき、化粧をして顔が作られていく過程でどんどんその役に入っていきますよね。オイディプスのときもそうだったけれど。それは狂言のときもそうなんですか?」萬斎さん:「そうですね、映画や現代劇などの芝居の時は顔を作る過程で役になりきっていく、入り込んでいきますね、狂言では「鏡の間」という場所があって、主に面をつけるときにその役に入る時間がありますが、太郎冠者などの日常にいるようなキャラクターのときはあまりしません。」萬斎さん:「オイディプスなんて、目を潰す、なんて日常じゃありえないじゃないですかワクワクするんですよね~」(日常を描くことが多い"狂言"というステージに常にいらっしゃる萬斎さんですが、たまにこうやって違うステージに飛び出し、なり切る演技をすることによって更に"古典"でしか出来ないことを感じ、"古典の魅力"を見つめなおす。そして、その体内にしっかりと養分として蓄える、ということでしょうか。もはや、プログラミングされただけの狂言サイボーグではなく、既に進化を遂げた未来形?!)(何だか我が子を見つめるかのような優しい眼差しの蜷川さんが「遊んでる感じがする」と何度も繰り返し話していたのが印象的。そして「血が似合う」とも(笑)確かに、似合うかも・・・w)血糊を全身に塗りたくって泥んこ遊びをしているように楽しんでいる萬斎さんの様子を観ながら、蜷川さんは「羨ましい」と話します。解体新書にも出演された近藤良平さんについても、目線が常に低くて落としていった子どもの靴をいつまでも眺めているような・・・。蜷川さんご自身は子どもの頃から「子どもっぽい」ところが恥ずかしくて仕方がなかったそうです。何か一歩、円(萬斎さんや近藤さんのいる場所)の中に入れない、外から眺めているような。だから、家の中で本を読んだり閉じ篭ったりするような幼少期であったと言います。
2006年03月25日
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名人伝のあらすじなどは前回の日記をご覧下さい。目の基礎訓練に五年もかけた甲斐があって紀昌の腕前の上達は、驚くほど速い。飛衛から弓矢を射る奥義伝授を受け、もはや百発百中。すでに師匠から得るものはない。ともすれば、紀昌のなかに沸々とこみ上げる「天下第一の名人となるためには、どうあっても飛衛を除かねばならぬ」紀昌は飛衛に矢を番え、挑戦を挑む。しかし、お互い一歩も譲り合わず、最終的に紀昌は飛衛には敵わないことを悟り、飛衛の方では、危機を脱し得た安堵と己が技量についての満足とが、敵に対する憎しみをすっかり忘れさせた。二人は互いに駈寄ると、野原の真中に相抱いて、しばし美しい師弟愛の涙にかきくれた。紀昌@萬斎さんと飛衛@石田さんが舞台の中央で抱きあいながらまさに「わーん、わーん。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。」と声を上げて泣いている姿がまるでコミックのよう(笑)そして、敦たち(3人)が原文をこうした事を今日の道義観をもって見るのは当らない。美食家の斉(せい)の桓公(かんこう)が己のいまだ味わったことのない珍味を求めた時、厨宰(ちゅうさい)の易牙(えきが)は己が息子を蒸焼きにしてこれをすすめた。(←こわっ( ̄□ ̄;)!!) 十六歳の少年、秦の始皇帝は父が死んだその晩に、父の愛妾を三度襲うた。すべてそのような時代の話である。高野さんの「へ~っへっへ( ̄∀ ̄)」という演技は狂言ではなかなか観られないものなので面白かったです(笑)演出家 野村萬斎さんから「もーっと、いやらしく笑ってみよ~」みたいな演技指導があったのでしょうかね(笑)どういう指導をしたのか気になりました(笑)狂言にはなさそうですから( ̄∀ ̄)飛衛は、二度とこの危険な弟子がこのようなことを企むことをさせないために、新たな目標を授けねばと思った。そこで、甘蝿(かんよう)老師という、我らが足元にも及ばない弓の名人がいるから、そこで修行するが良い、と。そして飛衛@石田さんは、「じゃね!(⌒◇⌒)ノ」と言う様に手を振りサッサと行ってしまう。まだ名人がこの世にはいる、極めることを目標としてきた紀昌は甘蝿老師の元へ腕比べをしたいと足を傷つけながら必死に向かう。そこにいたのは、羊のような柔和な目をした、しかし酷くよぼよぼの爺さんである。年齢は百歳をも超えていよう。腰の曲っているせいもあって、白髯(はくぜん)は歩く時も地に曳ひきずっている。演じるのは万之介さん。まさに・・・テレビや映画に出てくるような「仙人」のような雰囲気がぴったりです。ハマりすぎているくらい・・・(笑)紀昌は自慢の腕を披露する。そこで、甘蝿老師は紀昌にこう告げる。「一通り出来るようじゃな」と老人が穏やかな微笑を含んで言う。だが、それは所詮「射之射(しゃのしゃ)というもの、好漢いまだ不射之射(ふしゃのしゃ)を知らぬと見える。」甘蝿は目に見えぬ矢を番え、ひょうと撃ってみれば、鳶が中空から石のごとく落ちてくる。舞台の上からは象形文字で石に象られた「鳶」という小道具が落ちてくる→敦たち@深田さんがキャッチ。色々なところで、何人かの敦たちは、そんな紀昌と甘蝿老師のやり取りを、驚きながら観ています。「ほぉ~」と感心したり、「ええ?!」と驚いたり、様々なシーンで笑いを誘う演技をしていました。そして、その甘蝿老師の神業を目の当たりにし、すごい( ̄□ ̄;)!! と思った紀昌は甘蝿の元に9年止まり、修行を受けた。その内容は誰も知らないという。そこで紀昌の着ていた着物を、甘蝿@万之介さんが羽織り、丸眼鏡を装着し、老いた紀昌に早変わり。萬斎さんは、ここで紀昌から、作家「中島敦」へ変身する。舞台左脇から、その後の紀昌のことを語る。当然、都の人々は、どのような神業が見られるかと期待に胸を膨らますも、肝心の紀昌は甘蝿老師の元より戻ってきてから、亡くなるまでの間、全く弓矢に触れることがなかったという。一度だけ、紀昌が亡くなる1、2年ほどまえに、客人として呼ばれた家で弓矢を目にした紀昌が「あれは何に用いるものか」と主人に訊ねたという。弓矢の名人が、冗談かと思えば、あまりに真面目に問うものだから、主人は恐怖に近い狼狽を見せたという。その後当分の間、都では、画家は絵筆を隠し、楽人は瑟の絃を断ち、工匠は規矩を手にするのを恥じたということである。萬斎さんが中島敦へ変じてから、まさに本物の中島敦がこの「名人伝」を楽しみながら創作する様子が頭に浮かぶようです。冒頭で人生は 何事かを為さぬにはあまりに長いが何事かを為すにはあまりに短いと敦たちがお互いに呟いている側から、もう一人の敦(萬斎さん)が出現し、3人の敦たちに向かって「何を生意気なことを言っているんだ。何かをしていれば楽に生きられるんだがねー!ハムレットよりドンキホーテ、ドンキホーテより紀昌~!!」と言う様な台詞が出てきます。これは中島敦の理想の境地、だったりするのでしょうか。このときの中島敦の言葉を台詞として話す萬斎さんは・・・ちょっと「あぐりの中に出てくる望月エイスケさん」を演じているかのように、快活で爽やかな笑顔で言うのです。少し、ダブりました(笑)作家繋がり、というだけのことなのかもしれないのですけれどね(〃 ̄▽ ̄〃) 考えてみると、萬斎さんは二人の作家の人生を演じられたのですね。やはり知的なイメージのある役柄がとてもお似合い(*´▼`*人)・:*:・さて・・(真面目に戻りましょう)山月記~名人伝のチョイスはまさに陰と陽のバランスから、なんとなく私たちに心地よい面白さを与えてくれたように思うのです。全体を通して、めまぐるしく主人公の紀昌の視点であったり、それを理想とする中島敦の目線であったりと、巧妙な舞台づくりに、単純に笑って面白いという気持ちだけでなく、きちんと哲学的な要素も散りばめられていて、奥の深い作品になったなぁと思うのです。そして、狂言師の身一つで演じていくということ。舞台セットや小道具だけに頼らない、言葉が難しい部分を動きで表現をして、観客に訴えよう、伝えよう!という演出家 野村萬斎さんの意気込みがヒシヒシと伝わってくるようです。プレビュー公演と本公演とでは、少し演出に変更があったようですね。細かい点だったり、藤原道山さんの尺八、亀井広忠さんの大鼓に多少、違ったところがあったかもしれませんが、大幅にガラリと変わった点はなかったようです。一つ、山月記で李徴が虎の本性を表し、初めて兎を食らったというシーンでは、快活な尺八でボレロの伴奏が入り、少し笑いが起こってしまいましたが、ここは『兎』のぬいぐるみが、バラバラに分解、引きちぎられるように変更となり、尺八の演奏もボレロではなく、もっと悲劇的な印象を持たせるような感じに変わっていました。初日では、萬斎さんの意図としては、ここは笑うところではなかったのですね(苦笑)カーテンコールの初日は、名人伝にご出演のキャスト(萬斎さん、万之介さん、石田さん、深田さん、高野さん、月崎さん、亀井広忠さん、藤原道山さん)だけで、2回。本公演では、最後に演出家として萬斎さんが中央の舞台からヒラリと飛び出して出てきました。身軽に着地する姿は、優雅でしたね~。私のボキャブラリーでは上手に説明はできないのですが、これから掲載する演劇評論家の長谷部浩さんと野村萬斎さんとのアフタートークによるレポで少し伝われば良いかと思います。できることなら、もう一度、いや二度くらい観たかったですね。<邪心にまみれた、あめみこの観劇レポ-番外編>初日プレビュー公演で、一生懸命に紀昌を演じて体温が上昇していたかのように見えた中島敦@萬斎さん。丸眼鏡は当然、度が入っていないものでしょうが、左目のレンズがくもっていました(笑)見えにくいだろうな~と思いつつ、汗びっしょりなのに、クールに中島敦を演じている萬斎さんに、ちと・・・物語の内容を忘れ見惚れてしまったのは言うまでもありません(笑)つづく・・・【5】で完結。毎度短くまとめられず長くて、ごめんなさい( ̄▽ ̄:)
2005年09月18日
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観劇を終えました。プレビュー初日より、多少予備知識も増え、余裕が出来たせいか一回目に見えなかった作品の中身、演出の妙、萬斎さんからのメッセージも少しは感じ取れ味わいも更に深まりました。お化粧は少しはされているのかしら、もしくはライトのせいか?とても肌が綺麗で(羨ましい)ポストトークでは白地に縦に線の入ったジャケット、白いパンツに‥赤いシャツ、赤い靴下(笑)今日は能楽堂ではないから万作さんに『乱している』とは怒られないかしら( ̄∀ ̄)髪はナチュラルにまとまっていました。と、ここまでファッションの速報(完)トークの内容としては、割と堅い、しかしながら『なるほど~』と深く頷きながら拝聴出来ました。今回のように狂言の技法を、このような現代劇として演出、演じたとき、古典に立ち返り、『型』について考えることが出来る、と。狂言を伝承する立場の方が、違う角度から狂言を見つめる機会を得ることで、また新たな発見と成長をもたらすのでしょうね。果てなき冒険心と探求心を抱く萬斎さんはスゴイ!(^o^)ちゃんと将来の狂言界を見つめているんですね‥ってワタクシそんな偉そうなこと言えませんけど(^-^;)あと長い長い台詞を言いながらも、萬斎さんはよく観客の反応を見つめていらっしゃるんですね。これは敦限定じゃないかもしれませんが、眠っているのか、針一本落とした音さえ聞き逃さないほど集中しているのか。観客の反応を演じながら直に感じ取る器用さに敬服です(^o^)たまに『笑いすぎっ』と思うこともあるとか(笑)‥ふと我が身を振り返る(-_-)きっとダイジョウブ(^-^;)そして中島敦の作品を通して、『何故生まれてきたのか』と言う意味を新たに問い直すキッカケになったとか。『何故、俺はこの家に生まれたんだろう』とか『何故、この人(万作さん)が自分の父親なんだろう』とか(^○^)伝統を受け継ぐ宿命を持って生まれた萬斎さん。また、そんなジレンマと言うか、自分の在り方、存在の意味を真剣に向き合った彼だから、このような作品を作れた。中島敦という人間を野村萬斎に投影して生まれた作品、と言って大丈夫なのかな?もう少し、記憶を辿りつつ、まとめてレポにしたいと思いますが、いつになることやらなので今、印象的なお話だけ。で。萬斎さんって綺麗な顔立ちされてるんだなぁと改めて実感←毎度の感想(笑)亀井広忠さんの大鼓の音と声、藤原道山さんの尺八。普通では聴けないセッションがまた素晴らしかったです。暫くまた、この敦ワールドから抜け出せない、いや抜け出したくない、まだまだ余韻に浸りたい気分です(#▽#)アンケートには万作さんの李徴が素晴らしく美しく哀しかったこと、また萬斎さん演じるコミカルな紀昌から、作家 中島敦に転じ、現代に現れ、楽し気に名人伝と言う物語を語る雰囲気がとても面白かった、と書きました。それから再演とDVD化希望!あぁ子午線DVD化もお願いしとくんだったか(苦笑)また後ほど、きちんとした形にして書きます。ダブル内容もあるかもしれませんので、お読み下さる方は予めご容赦くださいませ(⌒◇⌒)ノまた、過去の記事のコメントレスが遅くなっていますが、後ほど書きますので、よろしければまた遊びに来てくださいませヽ(*^ー^)人(^ー^*)ノ
2005年09月13日
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名人伝について名人伝を原文で読む人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い山月記の李徴の言葉が敦トリオで繰り返され、後ろから敦@萬斎さんがスッと現わ敦たちに「なぁーにを言っているんだ!」と言いながら現われる。※細かい台詞は忘れてしまいました(汗)舞台上で、敦@萬斎さんは、紀昌の衣装に早変わり(といっても、妙に派手な中国風の(?)上着を羽織るだけですが)そして名人伝のストーリーが展開される。紀昌という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。飛衛(ひえい)という弓の名手に弟子入り・入門する。そこで、飛衛はこんな訓練を命じる。<修行1>瞬またたきせざることを学べと命じた。 ↓紀昌が行った修行とは・・・・妻の機織台はたおりだいの下に潜もぐり込こんで、そこに仰向けにひっくり返った。眼めとすれすれに機躡(まねき)が忙しく上下往来するのをじっと瞬かずに見詰みつめていようという工夫である。困惑した妻・・・そりゃ、ヘンなところに夫がずっといたのでは落ち着かないし、イヤです( ̄▽ ̄:) が・・・この修行は二年経過し、紀昌は瞬きをしないで生活できるようになる↑ありえないですがね(-ω-;)紀昌の妻は、石田幸雄さんが飛衛との二役を演じます。飛衛は、妙な形の付け髭だなと思っていましたが、これにはワケが(笑)ある早変わりで髭のない紀昌の奥方に変身していまいます。これは、DVD化されたり、再演があったとき(あることを祈りつつ)ご自分でご確認いただければと思います。飛衛に言われたとおり、ミッション(?!)を実行すべく自分の家へ戻ります。大鼓、尺八の音が鳴る。紀昌が走るリズミカルな様子をこの二つの音階が表現し効果を盛り上げます。ただ走り去るだけではなく、アニメで思い切り走り出すとき、その場で反動を付けますね、そんな感じ・・。例えば「おそ松くん」を思い出しました(笑)伝わるかな・・・(汗)その表情といい、動作が、狂言や今まで萬斎さんが出演された演劇では観られないようなもので、かなり笑ってしまいました。もはや、鋭利な錐(きり)の先をもって瞼を突つかれても、まばたきをせぬまでになっていた。不意に火の粉が目に飛入ろうとも、目の前に突然灰神楽(はいかぐら)が立とうとも、彼は決して目をパチつかせない。彼の瞼はもはやそれを閉じるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜、熟睡している時でも、紀昌の目はカッと大きく見開かれたままである。怖いです、ハッキリ言って、それが現実だったら( ̄▽ ̄:) 苦笑寝ているときも目を見開いているんですよ。。。ガンダルフみたい(笑)←指輪物語をご存じない方はわからないですが。しかし、これを野村萬斎さんの演出により、コミカルに舞台で表現されます。中島敦風の丸眼鏡、に大きな大きな睫毛をニョッキリつけたものを着用(笑)かなり可愛いです(≧∀≦)ノ<修行2>・瞬かざるのみではまだ射を授けるに足りぬ。次には、視ることを学べ。視ることに熟して、さて、小を視ること大のごとく、微(び)を見ること著(ちょ)のごとくなったならば、来たって我に告げるがよいと。 ↓紀昌が行った次の修行とは・・・・紀昌は再び家に戻もどり、肌着の縫目から虱(しらみ)を一匹探し出して、これを己が髪の毛をもって繋いだ。そうして、それを南向きの窓に懸(か)け、終日睨み暮らすことにした。毎日毎日彼は窓にぶら下った虱を見詰める。初め、もちろんそれは一匹の虱に過ぎない。二、三日たっても、依然として虱である。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほんの少しながら大きく見えて来たように思われる。虱←こんな感じ(スクリーンに映し出される)三月目めの終りには、明らかに蚕(かいこ)ほどの大きさに見えて来た。虱←まじで?虱を吊つるした窓の外の風物は、次第に移り変る。紀昌は根気よく、毛髪もうはつの先にぶら下った有吻類(ゆうふんるい)・催痒性(さいようせい)の小節足動物を見続けた。その虱も何十匹となく取換えられて行く中(うち)に、早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気が付くと、窓の虱が馬のような大きさに見えていた。虱←コワイ( ̄□ ̄;)!! しめたと、紀昌は膝を打ち、表へ出る。彼は我が目を疑った。人は高塔(こうとう)であった。人←うそー( ̄□ ̄;)!! 馬は山であった。馬↑ひえー( ̄□ ̄;)!! ( ̄□ ̄;)!! ( ̄□ ̄;)!!・・・゛゜・゛゛(ノ ̄□ ̄)ノ 家にとって返した紀昌は、再び窓際の虱に立向い、燕角(えんかく)の弧(ゆみ)に朔蓬(さくほう)矢がらをつがえてこれを射れば、矢は見事に虱の心の臓を貫つらぬいて、しかも虱を繋いだ毛さえ断きれぬ。ここまで来ると、達人の域を超えてますよね(-ω-;)ウーンこういった奇怪な修行・訓練課程を、解体新書などでも使われる大きなスクリーンに文字を映して表現しています。まさに「にほんごであそぼ」からヒントを得たような感じですね。・・・というところで一休み・・・つづく(⌒◇⌒)ノ明日は2回目の観劇。本公演&ポストトークです。最近コンタクトの調子が悪いので心配なのですが・・・見えるかしら。名人伝までのプレビュー公演の様子をこちらでご紹介しようかと思いつつ、13日まで間に合わなかったですが、名人伝はこうやって書いていても、思い出しては笑ってしまいます。山月記とは対照的ですね。また続きは後ほど。。。
2005年09月12日
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■こちらの前の内容は・・・9月3日「あめみこ日記」兎の生肉を食らい、人間の心に戻った李徴の心はいかなるものか。李徴@万作さんが舞台上にある、草むらの絵が描いてある階段に横たわり、その悲しみを訴えます。「おれの中の人間の心がすっかり消えてしまえば、恐らく、そのほうが、おれはしあわせになれるだろう。だのに、おれの中の人間は、そのことを、このうえなく恐ろしく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐ろしく、哀しく、切なく思っているだろう! おれが人間だった記憶のなくなることを。 この気持ちはだれにも分からない。だれにも分からない。おれと同じ身の上になった者でなければ。」このとき、敦たちは袁サンの供の者として、李徴の独白を聞いたり、コロスのような役割を果たします。李徴が発狂したときに、一緒に月のような形の舞台を掛けたり、動きはかなり多かったと思います。印象に残ったのは発狂し、虎の身となった自分の姿を谷川に臨んで映すとき・・・。これは釣狐の中でもあるような「型」なのかな?などと思っていましたそう、釣狐を観ていない私には、それが全く釣狐の型なのかどうかは判断がつきません・・・が、きっとイメージとしては、そうなのかな?と思うのです。初日が公演される前に発行された読売新聞の記事には※この記事について更新したブログあめみこのつぶやきBlogより狂言「釣狐」を例に挙げられ、「狐そのものの姿でいるよりも坊さんの姿で現われるほうがより狐らしく見えてしまう、という洗練された様式が狂言にはあり、そういったことを観客の想像力に訴える古典の力を生かしたい・・・と語られていたのを思い出したからです。李徴の即席の詩を述べます。袁サンは供(部下)に言いつけて、その詩を書き取らせますが、そのシーンはまさに、郡読またはコロスのような感じです。朗々と響き渡る狂言師5人の声は世田谷パブリックシアターの青い空が描かれた天井に木魂するようでした。李徴には自嘲癖がある、と袁サンは昔を思い出します。「俺はこんなやつだから、獣に身を落とすんだ!」という李徴の心理を表すとき、李徴@万作さんは己を哂うのですが、「笑い」の部分は「狂言の型」のようにも思えましたね。つまり「笑い」の部分は現代劇風、リアリズムな演技ではない、ということでしょうか。お能では笑いませんからね、山月記は「お能」を意識されて作られているということですが、狂言的なテイストもふんだんに使われている、という感じです。「・・・・・・・己は堪(たま)らなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の巖(いわ)に上り、空谷(くうこく)に向って吼(ほ)える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処(あそこ)で月に向って咆(ほ)えた。誰かにこの苦しみが分って貰(もら)えないかと。しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯(ただ)、懼(おそ)れ、ひれ伏すばかり。山も樹(き)も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮(たけ)っているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易(やす)い内心を誰も理解してくれなかったように。己の毛皮の濡(ぬ)れたのは、夜露のためばかりではない。」己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではないこの言葉がキュンと胸を貫きました。どんなに辛い悲しい、孤独な夜を過ごしてきたのかと・・・。最早、別れを告げねばならぬ。酔わねばならぬ時が、(虎に還らねばならぬ時が)近づいたから、と、李徴の声が言った。原文についてですが、虎に戻る、ということを「酔う」と表現した中島敦の感性と、また表現がとても巧妙ですね。敦たちの郡読と李徴の最期。リアリズムな演技ではない、と先ほど述べましたが、それでも胸を締め付けるような悲しみと切なさが私の心を襲います。これが、狂言師の、能狂言の持つパワーなのかもしないですね。袁は叢に向って、懇(ねんご)ろに別れの言葉を述べ、馬に上った。叢の中からは、又、堪(た)え得ざるが如き悲泣(ひきゅう)の声が洩(も)れた。袁も幾度か叢を振返りながら、涙の中に出発した。 一行が丘の上についた時、彼等は、言われた通りに振返って、先程の林間の草地を眺(なが)めた。忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮(ほうこう)したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。※参考文献集英社文庫『山月記・李陵』中島敦
2005年09月09日
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※舞台の演出、順番等は微妙に相違していると思いますので、なんとなーく、こんな感じ、というイメージでお読みくださいね。正面のスクリーンに中島敦の写真が映し出され、33歳の短い生涯を野村萬斎さんのナレーションにて語られる。中島敦。1909年(明治42)祖父や父は漢学者の家系に生まれた。しかし幼少時代に両親が離婚。第2、第3の継母が現れたが、結局は家族愛に恵まれなかった。18歳で肋膜炎を患ったことが原因で、喘息の持病を持つこととなる。その後、横浜高等女学校教師となり、結婚、一男をもうけ、32歳では喘息治療の環境の良さを求め単身パラオへ向かう。帰国し、次々と作品を世に送り出すが喘息と心臓衰弱により33歳の若さで亡くなった。※参考文献集英社文庫『山月記・李陵』中島敦 年譜一通りの中島敦紹介がされ、浮かび上がる敦@萬斎さん。その眼下には石台に横たわる、白い服を身に纏った亡くなった敦(万作さん)人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いそして何人も現れる『敦たち』自分の人生、自分の亡骸を、客観的に眺めているかのような感じです。敦@萬斎さん以外の、敦たち(深田さん・高野さん・月崎さん)が舞台の袖から登場。敦@万作さんがふっと身体を起こし、李徴(中国の官吏風な衣装)に早変わり。山月記の原文に沿い、朗読劇となる。※山月記のあらすじと原文の参考はコチラ袁サンは石田幸雄さん。高い位に位置する官吏で、李徴の親友。先ほどまでいた敦’S(←複数形)は、袁サンのお供の者として早変わり。・・・・・・・・・・でもみんな同じ髪型に眼鏡(笑)舞台は暗めなので、少し後ろのお席だと、お顔は拝見しにくいかもしれません。しかし・・・萬斎さんのスラっとしたお身体と姿勢の良さは影だけでもわかります(*´▼`*人)・:*:・李徴@万作さんが虎になってでてくると、それは白虎のようなイメージ。直面で少しのメイクを施していました。虎となった万作さんは猛獣で怖い、というより、寂しげなのに、何故かとても所作が美しいのです。虎となった李徴の独白。いわゆる袁サンへのカミングアウトですね。その中で、(原文引用)その時、眼の前を一匹の兔が駆け過ぎるのを見たとたんに、自分の中の人間はたちまち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口は兔の血にまみれ、あたりには兔の毛が散らばっていた。これが虎としての最初の経験であった。陰惨で暗い、まるでオイディプス王の眼を潰した後の悲劇を語るかのようなイメージを予想していたのが、全く違う!予想外!こちらのシーンでは、藤原道三さんの尺八が鳴り響き、その音階は「ボレロ」♪♪(ちゃーん、ちゃらちゃらちゃら、ちゃんちゃらちゃーーん♪)李徴@万作さん を囲む、敦’S 明るくなった舞台の天からは、兎の毛と思われる白いフワフワしたものが落ち・・・誰が出したか見逃しましたが、白い兎のぬいぐるみが宙を舞う。敦から敦へパス、敦から李徴へ・・・李徴から敦・・・そして、かじる←順番憶えてませんが(苦笑)悲劇的なシーンとして見せると何となく想像していたけれども、李徴は、虎となったとき、人間としての心を失っているんですね。そして、「お食事」の時は、虎の心しか持たない李徴にとっては歓喜の瞬間。そして、李徴に人間の心が戻ってきた時・・・ふと我に返り己が為した諸行に驚愕をするのです。この虎→人間への切り替えを上手くスイッチングした演出を狙ったのでしょうか。シリアスで悲劇的なシーンから入っていく場面なので、最初は「ここ、笑うところかなぁ」と戸惑いを感じましたが、演出家野村萬斎さんの意図を色々と考えていると面白いですね。万作さんは、草むらにずっと身を潜めて演じるのかと思いきや、舞台の中央にずっといらっしゃいました。その間、敦’s はお供の者になったり、敦になったり。それにしても、あのような丸眼鏡に見事な七三のカツラを被っていても・・・萬斎さんはしっくりとハマってしまいました(笑)見慣れたのでしょうか・・・( ̄▽ ̄:) 写真より、実物の舞台で拝見するほうが違和感は少なめ。「男前」です。他の敦たち・・・については( ̄▽ ̄:) のーこめんとで、すいません(爆)そして・・・続く♪(とか言ってると、次の13日観劇日がやってきそうですが・苦笑)
2005年09月07日
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細かい内容や感想は落ち着いて大切に書きたいのですが、とても面白かったです。山月記は李徴の苦しみ、葛藤、自問自答。野村万作さんが演じる虎となった李徴。所作の一つ一つ、何だか能のシテ方のようにカッコよく美しいのです。ラストシーンは涙が出そうになりました。なぜだろう?まだ、あめみこ自身の自己分析はできてません(苦笑)名人伝。これは予想以上にコミカルで面白く、かなりドキドキです。弓の道を究めようとする紀昌を萬斎さんが演じますが、とても遊び心を発揮して楽しく生き生きと演じていらしたように思えました。最初から最後まで中島敦ルックでしたが、違和感なく観れちゃいました。冒頭は舞台上に出現する何人もの敦たちにかなり動揺しましたが(笑)メイン掲示板についつい熱く語ってしまいましたが(苦笑)感想はまた、のちほど。。。
2005年09月03日
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明日は野村萬斎さんが芸術監督を務める世田谷パブリックシアターで「山月記・名人伝-敦-」の初日、プレビュー公演です。プレビュー公演とは、通してリハーサル的なお舞台で、本番へ向けての調整も入るようですが、お客さんを入れての公演なので、当然本番さながら。さて、どんな公演となるのでしょう(*^◇^)まちがいの狂言も2度行きましたが、今回も2度、行くことにしました。1度目と2度目の違いと、生の舞台で味わえる微妙なテンションの違いとかを比べたい、と思いました。中島敦ルック↓下記リンクのお姿が観れちゃうのでしょうか(笑)最初は、「わーーっププッ ( ̄m ̄*) 」と思いましたが、クセになりそうです(笑)これはカツラ、でしょうねぇ。世田谷パブリックシアター公式HP山月記・名人伝-敦-チケットぴあインタビュー古風な感じもするけれど、新しい雰囲気もある。古典の世界にいらっしゃるけれども、現代の演劇にも出演される。本当に不思議なオーラを持った方で、色んな面で中世的な印象が心を引かれる魅力の一部のような気がします(⌒◇⌒)
2005年09月02日
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前回に続いての続きです。次のパフォーマンスは能、そして近松門左衛門作の浄瑠璃でもお馴染みの「景清(かげきよ)」「景清」とは、悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)とも呼ばれる、平家の有名な武将。壇ノ浦の戦いでは落ち延びた。浄瑠璃では景清が源頼朝の暗殺を企てようとする「出世景清」が有名。さて、今回のパフォーマンスのシーンについての説明が入ります。「平家物語 巻十一」でも有名な屋島の合戦の「シコロ引き」シコロとは、兜の鉄の鉢の周りに垂らして首を守るための防御部品。この景清が源氏方の武将三保谷十郎(みほのや じゅうろう)を追いかけて、その兜のシコロをグイッと引き寄せようとしたところ、三保谷十郎もバカ力であったため、引き合いとなった。そのとき、あまりの強い力によって、シコロが兜から切れ、景清は仰向けに、三保谷は前に倒れて鼻を打ったという。その後、景清から逃れ、辛うじて逃げ延びた三保谷は、振り返り「さるにても汝恐ろしや。腕の強き」と景清へと語る。それに対して「いやお前こそ、その首の骨は並の強さじゃない」と応じる景清。能「景清」の詞章には「笑いて左右へ退きにける」となっているが、実際のところの話は「シコロ引き」も含め定かでないという。これを普通、地謡で舞うところ、今回は義太夫節によって舞う。それも、オリジナルではなくきちんと狂言の型を用いて行うという試み。穏やかに景清について解説を行ったところで、パフォーマンスに入る。豊竹咲甫大夫さん、鶴澤清馗さん、野村萬斎さん、三者の表情が一瞬にして変わりスイッチが入る。本来は地謡の間合いでもって舞うように出来ている型ですが、それとまた全然違った「間」が義太夫節にはあるという。事前にこの企画が持ち上がり、実際に義太夫節のテープを聞いていたところ、本来は動き出すところで三味線の「ベンベンベンベン・・・」などと言った普段の地謡とはまた違った間が入ってしまうと、その間(あいだ)をどうやって繋ぐべきか、萬斎さんは「俺はどうしていたら良いのかな( ̄▽ ̄:) 」などと考えてたとのことです。しかしやってみると、実に今までにない次の動作に入るまでのタメのようなものができて良く、非常に舞いやすいとその感触を語った萬斎さん。自分の中で湧き上がる型がまさに生き生きとする感じだったと舞い終わってからの感想を語られました。うーん、なるほど、と言った感じの豊竹咲甫さんや鶴澤さん。萬斎さん「最初に三すくみ、という話がありましたけれども、私がどう舞っていようと関係ないですか?(笑)豊竹咲甫さん「いえいえ、自分のことに精一杯で(苦笑)」浄瑠璃で言えば、萬斎さんは今回「人形」の役どころであった、ということですね。萬斎さん「おそらく義太夫節で舞った狂言師は僕が初かもしれませんね~」いとうせいこうさん「きっと、そうでしょうね」これはなかなか観客にとっても貴重な舞台だったのではないでしょうか。余談なのかもしれませんが、この本番前に夕方1度だけリハーサルをしたとのことです。一度だけでここまでの舞台を魅せられる、とはそれぞれにその道の芸能を極めた人たちならではのパフォーマンスだったのではないでしょうか。次に、宮沢賢治さんの雨ニモ負ケズを野村萬斎さんの狂言の太郎冠者風と、豊竹咲甫さんと鶴澤さんの義太夫節でのパフォーマンス。これはNHK教育で放送されている「にほんごであそぼ」をご覧になっている方にとってはお馴染みですね。実は豊竹咲甫大夫さんも最近「にほんごであそぼ」にご出演されている、いわゆる萬斎さんと豊竹咲甫さんは「にほんごであそぼ仲間」(笑)萬斎さん「にほんごであそぼう」でも義太夫節でやってみては?」←と、仰っていたようないなかったような・・・(記憶曖昧・・・)豊竹咲甫さん「私は萬斎さんと「ちうちうたこかいな」がやりたいです」萬斎さん「僕とですか(笑)」ちょっと想像してみたら可笑しくなりました ( ̄m ̄*) 大の大人が向き合って、ちうちうたこかいな(≧∀≦)是非観たい(笑)←実現しないでしょうがやはり狂言 太郎冠者風と、義太夫節での「雨ニモ負ケズ」同じ言葉を語っていても、なんだか迫力も受け止め方も、微妙にその味わいが違うものですね。うまく説明できないので、今後に発売されると思われる「MANSAI@解体新書その七」をご購入の上、お確かめをε=ε=ε=ε=ε=┏( ̄ー ̄)┛逃亡(笑)ただ、いとうせいこうさんが仰るには義太夫節は「母」とか「死ぬ」とかいう言葉には、ここぞとばかりに強く訴え掛けますね。簡単に人が殺されてしまうような現代において、「心中」だけで泣かせられるような話を書けないだろうか、一体何で泣けるだろう、どんな話が書けるだろうと試みているももの、まだ完成できずにいると仰ってました。最後に、豊竹咲甫さんにこの解体新書の感想を聞かれたところ、「僕が話したことで、皆さんに義太夫節がさらに分らないものとなってしまったんじゃないかと思いますが(苦笑)」「始まる前から、音と息と間使いに関しては聞かないでくれとお願いしていたのですが、ついに聞かれてしまいました(苦笑)」なかなか汗のたくさんでた公演だったのでしょうね。萬斎さん「最初、意地悪に豊竹咲甫さんに「文楽大丈夫??」と聞いてしまったのですけれども、お話を色々聞いていて文楽の未来は明るい!そしてこれから、音について言葉に直せるようにして頂きたい」とまとめられました。拍手と共に、ゲストの三人が退場され、最後にホストの野村萬斎さんにより今回のまとめと次回の解体新書についての予告・・・と思いきや「忘れちゃった(笑)」何だか最後の最後まで和気藹々とした楽しい公演でした。次回も出来れば(当選すれば・・・これがなかなか当たらない・・・)この公演に足を運びたい、と思いました。長々と最後までお読みくださった方々、本当にありがとうございました~(*^◇^)V 次は、前後しましたが狂言「柑子(こうじ)」狂言「弓矢太郎(ゆみやたろう)」が上演された大田区民プラザ「狂言の夕べ」のレポ・・・せっかくの石田幸雄さんの解説・・・思いだせるかしら( ̄▽ ̄:) 狂言「柑子」も、平家物語にちなんだ逸話が、巧妙に入ったお話内容となっているのが見所です。まさに「平家物語」を読んでおくと能狂言も更に面白くなる!ということで、そろそろ宮尾さんの「平家物語」を読もう・・・と考えています。←まだ読んでないって・・・( ̄▽ ̄:)
2005年07月17日
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予め謝っておきますが・・・あめみこの理解指数は低め・・・よって、レポも支離滅裂( ̄▽ ̄:) だけれど、自分のページなので・・・書いてしまおう(笑)風(ふう)萬斎さん「能狂言では声の出し方、立ち方、所作などが「型」によって定められていますが、義太夫節ではそういったものがあるのでしょうか。」豊竹咲甫大夫さん「「風(ふう)」というのがあります。ロシア風シチューとか、イタリア風とか」(イタリアだったか中華だったか覚えてません・苦笑)萬斎さん「ふぅ(風)~ん」・・・ププッ ( ̄m ̄*) それ、ギャグ?(笑) この「風」というのが、難題ででしてね私の理解力ではピンとこない(苦笑)色々と豊竹咲甫大夫さんが説明。←忘れました(爆)萬斎さん・・・(*ーー*)「うーん・・先ほどからど~も話がかみ合わないですね(苦笑)何となく「型」と「風」というのは違うもののようですが・・」(*ーー*)うーん・・苦肉の策の萬斎さん。「では(義太夫節の"風"を)食べ物「サラダ」に例えると、きゅうりとかトマトとかレタスなど決まったものが入っていて、でも、上にかけるドレッシングは自由ということですか?」場内は爆笑豊竹咲甫大夫さん「そうですねぇ(笑)」←何だか少し悩みながらのように思えましたが(苦笑)狂言はサラダに例えるならドレッシングの作り方は師匠と同じだけれど、浄瑠璃の世界では、師匠と違った方法でやってもいいのだそうです。極端に言うと「今日はポップスで行こうか」みたいなことが、まかり通らぬ世界ではないと言うこと。いとうせいこうさんがこのように語る「文楽は家元制度がない。だから、代々の伝統を受け継いできた子でなくても、ポーーンとその道の頂点に上り詰めることもできる、ということなんですね」だからといって、即興とは違う。極端に言えば毎日味付けを変えることも、可能だという←実際にはやらないらしいですが能狂言の「型」よりも良い意味で逸脱する変幻自在の境地ではないかと萬斎さんは"義太夫の風(ふう)"について語る。最初に、文楽は演劇ですか?と萬斎さんが豊竹咲甫大夫さんに質問し、「そうですね」とお答えになっていました。この質問の回答に立ち返った萬斎さんは「我々の世界で、まだお稽古を始めて間もない未熟な人は"謡い"をまるで五線譜のように謡ってしまうことがあり、それはいけないことだけれども、あえて主旋律から外して謡うことに心地よさを感じる、という点で文楽は演劇的な効果を持つ・・・ということでいいでしょうか」(確かこんなニュアンスでしたが・・・)豊竹咲甫大夫さん「そうですね」萬斎さん&いとうせいこうさん「。。。ズルッ(ノ_ _)ノ」いとうさんが「本当のことを教えてくださいよ(笑)一生懸命、こうやって解体をしているのに"そうですね"で終わってしまっては~」豊竹咲甫大夫さんは苦笑していらっしゃいました。言葉にして、「こう」と説明をするというよりも、全てが身体に染み付いた芸であるがために、改めて「解体」となると難しいのでしょうね。文楽と狂言「声の出し方の違い」萬斎さんが狂言の声の出し方を説明していく。「呼吸の量と音は同じ。でも息の量を変える」「例えば、平家物語の節を謡う狂言では唸る・・・唸るとは音の波で巻き込んでいく感じですが、(文楽はどうですか)」↑すいません、如実に憶えていません(泣)豊竹咲甫大夫さん「・・・・・・・・(苦笑)」そこで実践で紐解く。豊竹咲甫大夫さんが実際に発声してみる。頭のてっぺんから音を出す または 腹の横隔膜から発声する。なるほど・・・と萬斎さん。まさに豊竹咲甫さんを解体。そういった発声方法などは普通の役者はあまり考えないことと萬斎さんは語る。大夫は、一人で色々なキャラクターを声一つで演じ分ける(演じ分けるという言葉が妥当かわかりませんが)声のスイッチングを見事に切り替えることが出来るのですね。まちがいの狂言では、双子の太郎冠者を一人で演じ分ける必要がありました。まさにそれは声の「スイッチング」操作によるものだということです。こうして考えていると、声というのは、こういった役者さんたちにはとても大切な要素、なのですね。文楽では例えば、「おじいさん=声が低い」「おばあさん=声が高い」というリアリズムに囚われる必要はないそうです。豊竹咲甫大夫さんが「じいさんや、ばあさんや」と実演をしてみる。うーん、なるほど、そのように聞こえる・・・って( ̄▽ ̄:) 「じいさん、ばあさん」と固有名詞を出しているから余計に違いが分らないのです(苦笑)場内は爆笑でした。でも、何となく言っている意味は・・・わかったかな(-ω-;)難しい・・・ここまで来て本格的に文楽がわかったとは当然言えないのですが、「とにかく凄い人たちだ」ということだけはわかる。それはまさに極めるということ。能狂言の楽屋いとうせいこうさんが、鏡冠者の脚本を書いたとき、野村万作家の楽屋にお邪魔したことがあったそうです。古典芸能の楽屋というのは、それぞれの個室ではなく、大部屋作り。あっても襖だけで、お稽古などをしていても筒抜け。いとうせいこうさんがご覧になったときは、野村万作家が車座になっていたようですが、これはいつものことではないとのこと(笑)ここでも色々な話がされていましたが、割愛します←単に忘れただけ(爆)ただ一つ、憶えているのは萬斎さん「中学の頃、楽屋に"赤いトレーナー"を来て言ったら、おやじ(万作さん)に「乱している!」と怒られたことがあります(笑)」と。そんなことばっかりでレポなんだか、単なるミーハーレポなんだかって・・「はい、ミーハー(苦笑)」です。。。ズルッ(ノ_ _)ノ次は、【3:多分完結】「狂言」と「大夫」のパフォーマンスから※ある程度ニュアンスが出演者の方々の意図と相違している部分があるかもしれません・・・それは私の解釈の未熟さゆえ、どうぞご容赦くださいませ( ̄▽ ̄:) 言い訳あめみこより
2005年07月11日
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この前に「大田区民ホール」にて狂言の夕べで和泉流狂言「弓矢太郎」「柑子」の演目とレポ(感想)をご紹介するべきところ、MANSAI@解体新書は記憶力保持の限界により(爆)先に書きました( ̄▽ ̄:) というか、吐き出しました。しかし・・・上手くまとめられず、長くなりそうな。ある程度、ニュアンス的に違う部分もございましょうが、どうかご許されませ(→ω←)よろしかったらご覧下さい。MANSAI@解体新書 その七於:世田谷パブリックシアター平成17年7月1日(金)午後7時00分開演MANSAI@解体新書 その七日本演劇のアイデンティティ。ドラマと語りのダイナミック!研究室のような雰囲気の舞台セットに野村萬斎さんが出現!白いシャツに黒いパンツ。解体新書ルック、とでも言いましょうか。萬斎さん「こんばんは」この一声から、MANSAI@解体新書 その七 のスタートです。萬斎さん曰く、この企画はラーメン屋のスープのダシは何であるかということを追求するという。舞台芸術をプレゼンテーションするだけでなく、色々な分野のゲストを招いて深く追求するもの。今回のゲストは、●1975年 大阪市生まれ。人形浄瑠璃文楽座・大夫(だゆう)豊竹咲甫大夫(とよたけ・さきほだゆう)さん●1961年生まれ。作家・クリエーター・プロデューサーなど色々な顔を持つ、いとうせいこうさん●1980年大阪市生まれ。人形浄瑠璃文楽座・三味線。鶴澤清馗(つるさわ・せいき)さん文楽・浄瑠璃(義太夫節)観たことありますか?(⌒◇⌒)←あめみこはありません(汗)知識といえば皆無に近いのですが、今回の公演によって、少しこの浄瑠璃について少しだけ分った気がします。「芦屋道満大内鑑」という演目は聞いたことがありますが←単なる陰陽師繋がりなもので(笑)文楽=大夫(だゆう)・三味線・人形豊竹咲甫大夫さんは大夫(その名のとおり)で、語り(と一概に言うべきものかわかりませんが)の部分を担当されている方ですね。三味線はその奥様的存在なんだそうです。浄瑠璃は義太夫節とも言うそうですね。(関西の人にとっては常識、なんでしょうか。知りませんでした( ̄▽ ̄:) )ということで、今回のテーマといえば語るちなみに、いとうせいこうさんは、この豊竹さんに弟子入り(本格的にかどうかわかりませんが)して大夫をお稽古しているということです。そして、新作狂言の「鏡冠者」の脚本を手がけるなど、かなりこのお二人の世界を熟知されたマニアックな方ですね。まさにこのトークは、いとうせいこうさんという「繋ぎ」によって上手く料理(解体?)された、ということになりましょう。狂言と、浄瑠璃。萬斎さん曰く、殆ど接点のない世界だという。狂言に「昆布売」という演目があり、その中に「浄瑠璃」というフレーズが出てくるそうですが、それはどんなものかというと・・・♪つれてん、つれてん、てれてれてん♪←だったっけ?(記憶がおぼろげ)その後に、三味線で弾いてもらいましたが・・・そういう風に聞こえたような、聞こえないような(笑)三味線の音でもって、人形が走ってくる様子など巧妙に表現しているのは分りましたね~。素浄瑠璃(す・じょうるり)とは?簡単に文楽ということを豊竹さんが説明してくれました。大夫=うどん三味線=ダシ具材=人形で、世の中には「素うどん」というものがあります。人形(具材)のない、うどん(大夫)とダシ(三味線)だけのものが、「素浄瑠璃」というらしい(笑)萬斎さん「わかりやすいですね~」(笑)三味線が「ダシ」このダシによって、味わいが変わる。重要なものなんだそうです。萬斎さん「イリコダシ系の人とか、色々いるわけですね(笑)」能楽の世界には「素謡(すうたい)」というものがあって、お能の謡の部分だけをやってお囃子が入ることもないもの。「我々の狂言に所作を省いてやると「素狂言」になるということでしょうかね(笑)」なんて仰っていましたね。どんなものだろう?観てみたいですね( ̄∀ ̄*)ニヤり☆浄瑠璃。大夫と、三味線と、人形。それぞれが融和しているようでいて、本来はそうでないらしいです。これは「戦い」だと(笑)大夫の語りに三味線が合わせるということもなく、それぞれが距離を取っていくことにより、最終的に「融合していく」という・・・(*ーー*)うーん 深い・・・分ったような、わからぬような・・・いや、かなり、わからぬ世界であーる(笑)萬斎さんはこれを三番叟に例え、以前に行った公演でどなたかに「なぜ、お囃子と鈴が見事にバラバラと(笑)」確かに合わせていこうとしていないそうです。それが、たまたま合った(笑)ということで・・・(・▽・)たまたま・・って仰ってますが、究極の芸ですよね。お互いの技を誰かに合わせていくことなく、そのような究極の芸が合わさると、融合に繋がるのか・・・。三番叟に心を奪われる人は多いのは、演者の方々のフラストレーションが高まり、合わせようとしてお互いを見合っているのではなく、究極の芸が重なったことにより、見所までもが最高潮のテンションとなっていく、のでしょうか。すごい、芸能だと思いませんか。お客さんと共有する、という点で一人独走をしない。お互い(文楽ならば、大夫・三味線・人形)の存在によって規制する「三すくみ」とか言ってましたが(笑)大夫の語りがテンションが上がりすぎた時に、三味線がブレーキ役をしているとも言われていました。萬斎さんが現代劇でいやだなぁと思うのは、一人の役者さんがバーっと突っ走ってしまうと、「私、あなたについていけない、さようなら」となってしまうときだそうですが(笑)例えば客観的なセリフを言う時は、前を向いたほうが分りやすいのに、なんて萬斎さんは思っちゃう、などと仰っていましたっけ。さて、お待ちかねパフォーマンスです。萬斎さんは間狂言「巴(ともえ)」木曽義仲の最期にあたる部分の語り、ですね。萬斎さん「大河ドラマで、今ちょうど義仲が死んだんですか?」↑思わず、「おぅ!ご覧になっているのね~♪」などと思う私(笑)※巴(巴御前)は義仲に仕えていて身の回りの世話をした女性。見目麗しい女性であったという。大河でも小池栄子さんが凛々しい巴を演じていますが、相当強くどんな馬でも乗りこなし、「一人当千の兵」と言われていた人物です※義仲は追い詰められ琵琶湖の最南端の瀬田へ向かい、そこで最期を遂げることとなりますが、巴が義仲のもとに駆けつけ、一緒に応戦しようとしたところ、「お前は女だから、ここは逃げなさい。俺はもう討ち死に、もしくは自害する覚悟。義仲の最期の戦に女を連れていたなどと後世にまで伝えられるのは口惜しい、行け」と巴を逃がします。この下りを間狂言によって語りました。改めて狂言師の声が命であるということが分りますね。先ほどまで和やかなお顔でトークをしていたときの表情から一変します。このスイッチは、どのようにして入るのか。その後は豊竹さんの義太夫節。詳しいことが書けないのですが( ̄▽ ̄:) ははははは声の出し方が狂言とは違う、ということだけは分りました←それだけかいっ(爆)大夫の声は天井に向かっていく感じ。狂言師の声は、地面、下へと重みのある感じ。迫力のある声でもまた全然、声の張り方などが違うのですね~。聞き比べる、なんてことがあまりないでしょうから、これは貴重なステージですね。鶴澤さんは、この会場はよく響くなぁと思いながら三味線を弾いていたようです。お風呂屋さんのよう・・・いとうせいこうさん「ケロリンみたいなもんですか」(会場爆笑)萬斎さんも爆笑( ̄∀ ̄*)ケロリンは桶ですから( ̄▽ ̄:) というところで、萬斎さんがお風呂屋さんの桶に「ケロリン」と書かれていることを知っている・・・という事実が驚きだった←何を聞いているんだか(爆)次は【2】狂言の型と義太夫節の風(ふう)からです。文楽の知識が薄いあめみこ、挫折したりして、するかも、するだろう( ̄▽ ̄:) というか、【2】の完成は少し・・いや暫く・・・大分?お待ちくだされ(苦笑)←待ってないって?!ププッ ( ̄m ̄*)
2005年07月07日
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お昼は義妹からもメールで「いいともに、野村萬斎出てるよ(この際呼び捨て・・許そう)」そりゃ、萬斎さんご出演ですもの、録画済です( ̄∀ ̄*)ニヤり☆下の義妹「画面に白さが映えるね」←そうであろう、そうであろう上の義妹「萬斎さん、かっこいいよね、陰陽師観て思った」←観る目あるのぉ私が否定させるような雰囲気を出していないのかもしれないけど(苦笑)でも聞く人全て「いいよね( ̄∀ ̄*)」って言ってくれると自分のことのように嬉しかったりする(単純)終始「まちがいの狂言」の話題でした。飛行機に乗る時間もあるから最初から「巻き」だったのかな。あっという間だったなぁ。こりゃ、増刊号でCM中っていうのがあるかいな?密かな期待・・・(裏切られそう?一応録画しよっ)日本人は海外で認められると急に絶賛したりするようなところがある。とタモリさんも仰っていたけれど、今回の北米での公演。どうでしょう。結構、アメリカ人好みのような気がするんだけど。萬斎さんも、なかなか意気込みが感じられるお顔でした。「まちがいの狂言」サンフランシスコ2回、ニューヨーク5回公演。どっかでドキュメントとかしないかしら。あちらの反響などを是非とも観てみたい~!白いジャケットに、「どこで買うの?」なシャツ( ̄∀ ̄*)ニヤり☆一見普通に見えて、萬斎さんの個性が光るファッションでした。ちょっと、お疲れのような感じでしたか?顔色とか。超ハードなスケジュールですからね~。今日の東京地方は1日雨・・。湿気で萬斎さんのクセのある髪はややモッサリ?同じくクセ毛のあめみこ、湿度感知器な髪質。←共通してるっちゅうことで、いいか?(関係ないっつぅの)この前のまちがいの狂言(21日)は良い感じにフワフワしていたんだけれど。ハネハネヘアーが好きだったんだけどな♪ちょっと残念でした。何はともあれ、北米ツアーの評価が高くなってニュースで取り上げられたりしたら、嬉しいな♪
2005年05月30日
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キタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ ! ! !萬斎さんが「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングにご出演予定。5/30(月)午後12時~フジテレビ系その昔、テレフォンショッキングにご出演したようですが、観てなかったんですよね。陰陽師のときなのか、分らないですけど・・今度は見逃さないぞ、録画予約もバッチリだ!詳しくは・・・陰陽師小箱つきうささんのブログ←あめみこサボる(笑)実際に私は今日の放送は観ていないのですが・・・色々な方や、母までもメールで教えてくださり、午後は( ̄∀ ̄*)ニンマリ☆していました。なんて単純なんだ・・・(笑)どんな話題が聴けるかな、「まちがいの狂言」北米ツアーのこととか、オイディプス王アテネ公演の話とか・・・。とても楽しみです(*´▼`*人)・:*:・明日から(しかも朝から)キングの実家へ帰省です。1泊2日。地元の住民で100年ぶり近く放置してあった(それもどうか?)神社の再建を行い、この週末は御神体を上げるとのこと。小さい神社ですからね~。特にこれといったイベントは「飲み食いくらい」それがまた来週末。で、その週は「49日法要」、「結婚式」、「お宮再建の祭典」と行事だらけ。しばし落ち着かない日々が続きそうです。。。
2005年05月27日
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リピーターが多い公演だというのも、分る。なんせ、面白いもの( ̄∀ ̄*)ニヤり☆同じ舞台を2度見たのは初めて。でもね、やはりその日その日で雰囲気も違う、同じ公演期間でも進化を遂げながら進んでいるんだなぁと思いました。ものすごーく、近くで拝見。舞台の檜の香りがとても心地よかったっけ。小劇場なので、観客席と舞台が近く、役者さんたちにとっては、物凄く近くで観られてどうなんだろう(笑)なんて余計なことを考えてしまいました。千秋楽を直前にして、役者さんたちもかなりお疲れかと思いきや、私が前回拝見した12日よりも更にパワーアップ!!!していましたね。狂言師の方々がカーテンコールで出てこられるというのもまた、なかなか観られるものではないし、自然と湧き出る笑顔が、観客席との一体感を生んでいたような気がする。萬斎さんも満足した、そんな表情で、観終わった後もとても幸せな気分と達成感がわきました←ただ観てただけ(笑)それと・・・やはり本来の狂言も観に行きたい、ますます!!!次なる北米ツアー。きっと成功を修めると思える!良いニュースをテレビで拝見できるといいな(〃 ̄▽ ̄〃) 「まちがいの狂言」よりわたしはそなたで、そなたはわたしそも、わたしとは、なんぢゃいな。ややこしや、ややこしや、おもてがござれば、うらがござる。かげがござれば、ひかりがござる。ややこしや、ややこしや。ひとりでふたり、ふたりでひとりうそがまことで、まことがうそかややこしや、ややこしや、ややこしや、ややこしやW・シェイクスピア原作「まちがいの喜劇」作:高橋康也この「まちがいの狂言」で歌われるもの。つい口ずさんでしまうほど、耳に定着するリズム。でも、すごく深い内容でもある。これは二組の双子が取り違えられる「ややこしい」ドラマ。でも、それだけじゃない、何だかヒトの人間性について表現している。自分は自分なのか、自分は誰なのか、本当の自分はどこなのか自分を見つけることって結構難しいんですよね。自分の中には色々な自分が存在していて、本来の自分が分らないこともあります。自分探しの旅、なんてよく聞くけれど、それこそ悶々としたものでスッキリ答えが出るまでに結構な時間を費やす場合もあります。どうなんだろう、あめみこは、あめみこのことをどんな人間か理解しているのか?って言われたら、分っていないですね。「表がござれば、裏がござる、影がござれば、光がござる」まさに陰陽(おんみょう)ですね←陰陽のなんぞやを知らないのに語るには早いですが・・σ(⌒д⌒;)色々あるから人間は「ややこしい」裏と表。自分の中の双子を自分自身で上手くコントロール・・・出来るような人間になりたいものです。でも、やっぱり「ややこしい」ものなんでしょうね、人生とは(笑)
2005年05月21日
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壤さんとのトーク中に、萬斎さんは「子供のころなどは、全く意味も分らず(狂言)を稽古(演じていたり)していますからね」と仰ってました。狂言は師匠からの口伝により伝えられる、のですものね。「有名な能のシテ方が出番が終わって中入りし、狂言方のアイ(間狂言※能のストーリーなどを語る)を聞いて「ああ、そういう話だったのか」と思ったなんていう話があるくらいですからね(笑)」確かにあのように難しい、基本的に室町口語で話される狂言。小さなお子様が演じるときは、全く意味なんて分らないでしょうね。(・_・) エ? 観ている大人のあめみこも、分らないことが多いです(爆)今まで小学校三年生レベルのテレビドラマしか観てなかったからねぇ(大爆)←いえいえ、自分の勉強不足でございます(苦笑)それでも耳慣れるっていうんでしょうかね。聞いていくうちに、狂言の言葉もすんなりと入ってくるようになってきました。たくさん、そういう日本語の音に触れることは大切なんですよね。一緒に観劇した会社の方と話をしていました。彼女は萬斎さんだけのファン、私のようなミーハーではなく色々な古典にとても興味を持っておられる方。←あめみこも脱ミーハー宣言?!いや、それはどうかな・・・σ(⌒д⌒;)見所もとてもきちんと抑えてらして、とても勉強になります。まちがいの狂言を観て、楽しいけれど、ますます静寂の能楽堂で演じられる、本来の正統派狂言がもっと観たい、と思ったようでした。万作さんが最初に登場し、現代語に近い話口調で過去の出来事を語りますが、とても凛した雰囲気を持っており、最後に締めくくるときも、万作さんの登場により終わる。最初と最後に万作さんのピリリとした存在感が、あの「まちがいの狂言」をさらに上品に際立たせているような感じがするのですね。
2005年05月15日
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【1】あめみこ鑑賞1回目@まちがいの狂言 in 世田谷パブリックシアターはこちら壤晴彦(じょう はるひこ)さんがポストトークのゲストでした。壤晴彦さんといえば、萬斎さんが主演をしたハムレットでポローニアス、昨年のオイディプス王ではテイレシアスを演じた方です。彼の経歴には狂言大蔵流 茂山千五郎に師事という紹介があります。現在の人間国宝、茂山千作さんのお弟子さんだったのですね。その後、劇団四季へ入団、活躍し、その後演劇研修室(現在 演劇倶楽部)「座」を設立し、詠み芝居を展開しているとのことです。狂言の世界からは離れた現在ですが、今でも千作さんのことは師匠だと思って、京都を訪れたときは必ず立ち寄るのだとか。オイディプス王で聞いた、テイレシアスのあの低音の、何とも神々しい声は今でも記憶に残ります。萬斎さんに劣らず素晴らしい声の持ち主。劇団四季時代にも随分活躍されミュージカルにも多数、出演されていたようです。リア王、エビータ・・・って、ミュージカルを本格的に観劇したことがないので、憶えてません(苦笑)一生懸命思い出している時間が勿体無いので先に進みます(爆)一度、ハムレットに出られるということで、しかも壤さんの大好きな役であったという「ホレイシオ」思わずガッツポーズをしたとのことでしたが、他のミュージカルに回されてしまったと・・・今でも悔しそうでした。それが劇団四季を辞めた理由???といって笑ってました←冗談だろうけど(苦笑)それを聞いていた萬斎さんも大笑い。あっと、話を進めてしまいましたが、この日の萬斎さんのお衣装。ファンの方にとってはとっても知りたい内容の一部でしょう。どんなお洒落で登場されるのかと思いましたが、休憩時間がなにせ10分程度しかないため、ラフな格好、まちがいの狂言オリジナルTシャツ(グレー)と中にグリーンのTシャツを重ね着し、黒っぽいジーンズ姿。足元は舞台ということか足袋に雪駄?(笑)不思議な組み合わせでござる狂言師である萬斎さんが公の場にジーンズ姿で登場されるなんて、なかなかないことではない?と最初の方は話も聞かずにそんなことばかり考えていた、オマヌケなあめみこです(笑)壤さんとの会話は、「ああそうだそうだ!」「そうそう!」とあちらこちらに飛ぶので、盛り上がっている反面、私にはなかなか頭の切り替えが出来ずに終わってしまったような気がします・・・(単に記憶力がないのか、それとも見惚れていたのか・・・後者が正しいと思いたい)壤さんが狂言の稽古をしていたということについて、千作さんも、お弟子さんがこのように狂言という基礎を持ちながら新劇などでも活躍されているのを観てきっと嬉しいのではないかと。萬斎さんはいつか「野村萬斎師事」の役者が世に名を残したら・・・と言うようなことを仰って笑ってました。萬斎さん師事といえば、現在代表的なお弟子さんは「時田さん」か・・・( ̄∀ ̄)ニヤリ ビッグになってくださいっ!特にこの日のポストトークでお二人が同調された話題と言えば日本語について。壤さんがまた口火を切りました。この中に「テレビ関係者はいないですか、内緒ですよ」とお茶目なお顔で会場を見回しながら、「テレビドラマの脚本は何年生レベルで書いていると思いますか」(-ω-)うーん、わからないですねぇ。壤さん「小学校三年生ですよ」えええ( ̄▽ ̄:) 三年生~。※っていうか、私こんなところで公に発表してよかったんでしょうか(*ーー*)ははははは小学校三年生の言語能力によって理解できるレベルで脚本・制作が行われているんですと。そう、皆さん小学校三年生レベルだと思われているんですよ。あんまりレベルを高くすると視聴率が取れないんだそうです。これが日本人の言語力の低下なのでしょうか。確かにボキャブラリーがないと思う瞬間は自分でもありますね。新しい言葉も生まれつつあるのだけれど、元々持つ日本語の美しさというものが段々退化している気がしなくもありません。萬斎さん「私も朝の子ども番組で一生懸命やってますけれどね」←毎週月~金 午前8時~NHK教育で放映「にほんごであそぼ」でも、あの番組は小学生三年生どころではない、もっとレベルの高いものですよねと話す壤さん。確かに、日本文学にも触れ、大人でも勉強になる番組です。海外に行くと、壤さんは日本の演劇界が持つ力について褒められることがあったということです。一つの舞台で小道具の少ない状態で演じられる、能、狂言、また歌舞伎などの古典芸能・・・また海外で発祥したミュージカル、演劇などもどんどん取り入れて上演されていますもんね。考えてみれば、日本は演劇大国なのかもしれません。だけれど、日本の古典芸能はつい敷居が高い、言葉が難しいと言うことで敬遠しがちだったりしますよね。勿体無いことですよね。かといって、現代に分るレベルまで言葉を変えてしまうと本来のものが失われてしまうかもしれない。壤さんは、日本の演劇界の人間たちはもっと日本の芸能についてもっと理解を深め勉強しなくてはならない、と熱弁を振るいます。逆に萬斎さんは幼い頃から古典芸能に身を置きながら、大人になり初めて靴を履いて演技をするハムレットに挑戦したり、テレビ、映画、ギリシャ悲劇などにも果敢に挑戦しています。壤さんも古典を学び、劇団四季を経て、現在の一座を率い、演出も手がけ、色々と勉強を重ねてきた方としては同士、と言えるのではないでしょうか。彼らのテリトリーの広さ、柔軟性には本当凄くて、見つめ続けていきたいと思わせる魅力溢れる方々です。演じ手だけが勉強をしても全く進歩がないんですね。それを私たち観客は、見せてもらうために勉強し、臨むことも必要だし、またそれを観て感動し、自分の子どもたち、または家族、友人に広めていくことも、大切なのかなと思ったりします。(布教活動じゃないですけどねぇ・苦笑)こういう別のジャンルにいらっしゃる演劇の方々でもこうやってディスカッションをすることで、色々な共通点、志により繋がっているのだと思いました。萬斎さんが久しぶりに(笑)マイクで話始めた内容でつい先日読売新聞のインタビューを受けて、劇団四季は海外の作品をどんどん輸入して日本で上演している。逆に日本から発進したこの「まちがいの狂言」を海外で上演することにより世界に広めていきたい、という野望を話されたのかもしれませんが、見出しに「まちがいの狂言 逆劇団四季を目指す」というようなことが書かれていて、「単に私が、劇団四季にはむかっているようなワケのわからない記事になってしまった」と苦笑されていました( ̄▽ ̄:) で・・・あと、何話したかな。結構日本演劇界における壤さんの野望、思うところなどの話が中心だったために、上手く文章にまとめられずにごめんなさい(苦笑)大体こんな話題でしたということがご理解いただければ嬉しいです。感想として、このまちがいの狂言はとっても笑えてとっても面白くて、魅力たっぷりの舞台でした。舞台の使い方一つにしても、全体通して、なんだかDVDで拝見したものよりもスムーズに展開し、キレもあり見応えたっぷりの内容でした。大きく演出が変更になったというところはあまりないようですが、今回のまちがいの狂言がDVD化されたら、これも買ってしまうのではと、更に「萬斎さん資金繰り貧乏」に負われる日々となりそう。でもひとつ。やはり、この「まちがいの狂言」はとても楽しいものの、逆に本来の古典の舞台の魅力が分った気がしました。なんというんでしょうか、毎日主食は米。でもたまには、パスタとかパンとか洒落た気軽な主食を食べたくなる・・でも、結局日本人は米だねーーー!!!という気持ちも生まれます。萬斎さんが、色々なジャンルの演劇に出演しています。テレビドラマでちょっと風変わりなエイスケさんを演じてみたり、外国人が演出するハムレットに出てみたり、映画「陰陽師」で主演をしてみたり・・・でも、結局、ご自分の原点であるという「古典芸能の世界」に戻ってくる、そこが野村萬斎さんのホームポジションという意味が理解できた気がするんです。そう、私たち観客の立場で言えば、「まちがいの狂言」を観ると、正統派「正しい狂言」もどんどん見たくなる!これは、まさに萬斎さんの思うツボな観客なのではないだろうか・・・と思うのですσ(⌒д⌒;)そのために、時おりこのような楽しい「まちがいの狂言」という舞台は、この先も色々なホールで上演してほしいと思います。肝心なこと書き忘れていましたが、ゲストの壤晴彦さんが「まちがいの狂言」を見ていて「幸せになれた」と仰ってました。そう、とても楽しくて終わったあとに、幸せな気分になれる、何とも言えない気分に、あめみこもなりました・・・♪☆なにかまた思い出したら次の日記に書くことにします♪このような駄文に長々とお付き合いくださりありがとうございました。
2005年05月12日
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5月8日から世田谷パブリックシアターで始まったまちがいの狂言待ちに待った人も多いはず。東京での公演後はアメリカでの公演もあるという。前回はシェイクスピアの本場、イギリスで上演され絶賛を受けた作品。双子の主人と双子の召使(太郎冠者)が繰り広げる、ややこしい~ストーリー。簡単に言えば、その昔、二組の双子のやや子がいた。その双子の子どもたちは、嵐により双子がそれぞれ生き別れとなるその後、白草の国と黒草の国で育った二組の双子。白草の石之介は、兄を探して名使い、白草の太郎冠者を伴い、黒草の国へと来る。そこで、繰り広げられる、ややこしい~パニックとは?※適当に思い出しながら書いているので、違っていたらごめんなさい。後日ちゃんと観劇してきたら修正します(笑)チケットを予約した3月からすでに2ヶ月弱。早いなぁ・・・ドキドキしながらチケット予約センターに電話をかけたものだヽ( ´ー`)ノ戦闘モード5分前。高まる心拍数。かけること数十秒・・・。基本的にチケットを取る能力は過去になく、惨敗の連続。なかなか繋がらなかったと言う声を聞くと、最近はツイてるぞ。パソコンのある部屋の窓のある角。ココだ、ポイントはっ!テーブルのところに座って賭けたら繋がらなかった(-ω-;)>狂言劇場いつもここの場所(半径50センチほど?)に正座してチャレンジだっ
2005年05月11日
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子午線の祀りDVD化希望!4時間以上という超大作の「子午線の祀り」は、当サイトでも応援していました。是非ともこの舞台のDVD化が実現するといいなと思っていたところ、「緑葉」ラテルさまが下記の「たのみこむ」というサイトにてリクエストして下さいました。どうぞ、子午線の祀りをご覧になって感動した方、また、今回はご覧になれなかったけれども、皆さんの感動を味わいたい方、よろしければご賛同くださいませ♪リクエストはこちらから↓たのむこむ「子午線の祀り」DVD化なにとぞ、よろしゅう・・m(_ _)m
2005年01月30日
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9月の発売から11月、12月と延期、延期、延期・・・とまぁ、随分踊らされました。。。。。。。。(ノ゜◇゜)ノ アラヨット12月なんて発売日直前に「延期」のお知らせだったり。ようやく決定した1月20日の発売日。随分、疑心暗鬼になってしまった方も多いようですが、今回ばっかりは当日ドタキャンなんてことはなさそうですね。今日は11月に予約をしていた東京駅近くの大型書店で(こういうのはデカイに越したことはないだろう)注文書を手に確認に行きましたε=ε=ε=ε=ε=┏( ̄ー ̄)┛まだ連絡来ていないけれど、20日発売なら前日に書店に入荷していることもあったりして?優しい店員さんだったら早く出してくれたりしないかな?なんて夢見ながら・・・しかし、夢もろくも崩れ(苦笑)←そんなに甘くない確認してもらったところ、「20日に搬入→それから各書店へ運搬されるということで、手元に入るのは22~24日位です。」とのことでした。しつこく「何度も延期になっているようなんですが、今回は発売されるんでしょうか?」と質問するヘンな客ここに一人(爆)店員さん「はい、20日に搬入されると確認できましたから」よっしゃー(*^◇^)V ブイ!20日に届かなくてもきちんと手に入ればよい!待った甲斐がありました♪出版元のKADOKAWAさんやネットで注文した方は直接送られてくるかもしれないから、明日か明後日には「届いた~」なんて声が聞けそうですね。わくわく・・・( ̄∀ ̄)web KADOKAWA「オイディプス王」↑今日もまだ在庫なし・・・20日以降に購入ボタンが早く出るといいですね。子午線の祀り 総復習シリーズが終わって、おまけシリーズを作る~と言いつつも、なかなか着手出来ず( ̄▽ ̄:) 日中やっぱり今と同じように、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーっとパソコンに向かって「マニュアル作り」(本社なので、支社向けの事務手順というのを作ってます)あちらを調べ、こちらを調べ、手直し、手直し・・「なんだかコンテンツ作りのように地道な作業」に結構お疲れでもって、夜にこの意欲が持続せず(-ω-;)脳みそが「働きたくない」と言っています。あめみこは、そんな会社の仕事より平家物語の世界に埋没したぁーい↑ヘ(_ _ヘ)☆\( ̄∀ ̄*)おいっ!平家物語は登場人物がものすごーくたくさんいて、その数だけ魅力的なエピソードもありますね。一段落したら、色々な本を読んでみたいな~。さて、少し脳みそを休めよう←いつも休んでるから少し働かせると持たない(爆)
2005年01月19日
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今月は「子午線の祀り」や平家物語の月間となってますが( ̄▽ ̄:) そう、「子午線」の話題か「カチョー」などの話題しかない状態ですね~、お許しを(笑)『子午線の祀り』2004年12月19日 午後2時~世田谷パブリックシアターにて幕が上がり、語り手の方がナレーションをされたあと、設置された階段に源平が勢ぞろいし立ち群読から始まります。一の谷合戦で知盛が息子の知章を失うに至った経過から演じられるのですね。眼前で息子が身代わりとなって討たれていく姿を見ながら、その場を離れなければならなかった父知盛の心境を思っただけで、序章から泣きそうだった(早すぎ・笑)古語で語りから入りますから、少し予習をしておけば、情景が目に浮かんでくるでしょう。よろしければ「子午線の祀り復習シリーズ 1」を御覧下さいね(笑)19日の日記でかなりの暴走っぷりを発揮しましたが・・・(苦笑)他の役者さん(例えば義経役の嵐さんなど)に比べて、客席をキョロキョロするのは萬斎さんのクセでしょうか、それとも、観客の反応を肌で感じるためでしょうか‥もしくは萬斎さんに見とれている私のような人々のポワーンとした表情を見て楽しんでるんでしょうか(笑)これから子午線の祀りを楽しまれる方、うっかり目があったと思った瞬間に語られているストーリーが吹っ飛ばないようにご注意を(笑)↑ぶっ飛んだ人 BYあめみこ( ̄▽ ̄:) 民部の裏切りに走ってからの、後悔、懺悔の念か開き直りもあるのか‥?本来、憎まれ者にあって良いはずですが、何だかこの民部の人生にもまた栄枯盛衰という言葉が浮かんで来てしまいますね。木下さんや観世さんが、この民部の苦悩するシーンを入れた意図や重要性が感じられる気がします。二位の尼、建礼門院、重衡の北の方、特に二位の尼は少し雰囲気が若すぎでしょうか(^_^;)息子が宗盛、知盛、重衡、の三人の母でしょ‥。宗盛役の観世榮夫さんが、じーさますぎるのですね(苦笑)とても萬斎知盛さまのお兄さんには見えませんから~~ッ(^_^;)残念~~ッ安徳天皇を抱き、最期の言葉を遺し入水するという、平家滅亡となってから重要なシーンでありながら、多少の残念な気分がするのは・・・?他のサイトさまでも、女性陣の演技に多少物足りなさを感じるという感想をチラホラと拝見していましたが、今回そういう概念を払拭したうえで、劇中の中に気持ちを投じて観ていたつもりなのですが・・・(*ーー*)うーん「様式的な古語での語(かたり)」部分ですからやむを得ないのかななどとも思います。これがもっと「写実的な演出」であったなら、現代語での台詞であったなら、さらに涙を誘うシーンとなったのでしょうか。木下さんの戯曲本どおりに演出されているので仕方ないのかもしれないけれども、あの場面は泣かせてほしかったかなぁ・・・(笑)知盛役、萬斎さんの演技については、スラリスラリと台詞も出ていて快調のように思えました‥がっ!影身への想いを馳せていく雰囲気溢れるシーン‥群読や船として見立てて使われているセットの階段に・・萬斎さんが『蹴つまずいた(^_^;)』あっ‥と観客も思ったでしょう。萬斎さんは何事もなく演技を続けていらっしゃいましたが。きっと足元に気付かないほどに演技に集中されていたのでしょう(^_^;)でも、影身への想いを募らせていく重要なシーンであっただけに、恐らく観客も固唾を呑んで萬斎知盛さんの台詞に耳を傾けていたはずで・・・( ̄▽ ̄:) ちょこっと蹴つまずいただけで、集中力は途絶えてしまうのですねσ(⌒д⌒;)ははっ・・・きっと、萬斎さんご自身も「はぁ・・・( ̄▽ ̄:) 」と思われたに違いないですね。他の方の台詞はやはり所々詰まったり、噛んだりということはあったようですが、気になるほどではありませんでした。壇ノ浦の戦いが始まったシーン。ゲストさん(朔さん)からもお奨めとして教えて頂いていた「扇を開いているシーン」はまさに安倍晴明さまを彷彿とさせるシーンです。潮の流れが平家側に味方していたものが、ついに源氏向きの流れとなっていく中で扇をパチンと閉じるところ・・・平家軍の危機訪れる~っ・・・でドキドキながらも違う意味でドキドキしてしまいます(〃 ̄▽ ̄〃)扇は黒字に北斗七星が煌いているもの。もっと「和」な扇かと思いつつ、宇宙を感じさせるものでした。(ほ、欲しい・・・) クライマックス・・・ハッ!Σ(・∇・) 子午線の祀り復習シリーズでまだ最後まで書き切っていないのですが(苦笑)これはまた後日にでも・・・ちょっと色々と思い出すと長くなってしまいそうなので。これに懲りずにまたお読みくださいね(笑)つづく・・・昨日(これを書いているのは22日です)は会社の忘年会。カチョー以外はきっとみんな仕事も忙しいし、やりたくないっ( ̄▽ ̄:) という感じだったかな。カチョーが遅れてきたけれど、席をどこに置くかで皆で騒いでいた。「あっちにして~。」「( ̄▽ ̄:) こっちもやだよ・・・」嫌われとる・・・みんな苦手だったんだ(*ーー*)でもね、カチョーはきっと俺は人気者と思っているはず(爆)気づいていないのもまた・・・愚かなことよ(ノ-o-)ノ ・・・●爆管理職でなければいい「おっちゃん」だと思うんだけれどなぁ・・・ランチ。少し自分の私的な用事を済ませたくて、早めにデスクに戻ったら・・・話しかける、話しかける・・・自分の都合で、人を呼びとめ、邪魔をする・・・どうしてそんなに自分勝手なのーー(/--)/ ┷┷ちゃぶ台返しひとしきり吼えたところで・・・萬斎知盛さんを思い出して幸せに浸るからよいのだ・・
2004年12月20日
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今日は、子午線の祀りを観劇してきました。過去日記のタイトルを見てもお分かりのように、ここんとこずーーっと「子午線、平家物語モード」です。細かいレポは本日のところは更新できませんが、ただ・・・野村萬斎さん演じる「平知盛」の美しいことっまず幕が上がり、語り手の方が朗読。その後、暗闇となり移動式の階段が登場し、その上に平氏源氏が並び、観客席に向いての郡読から始まります。いわゆる一の谷の合戦で鵯越(ひよどりごえ)から追い落とされ敗北を記した平家、また知盛が息子知章を失ったときの描写です。すでに、あめみこ。知章が討ち死にをするシーン、堅物太郎が知盛を守るべく我武者羅に敵の間に立って入り戦うシーンで泣きそうに・・・このまま4時間持つのだろうか?と冒頭から心配になりました。細かいこの劇での描写、演出や感想は後ほど、たーっぷりとネタバレ萬斎、いや満載で書きますね。(真面目なやつ)ちょっとここでは、爆裂しちゃっていいですか( ̄∀ ̄*)ニヤり☆しちゃうよ、しちゃう。だって、ここはあめみこ日記ですから~。萬斎さん演じる平知盛。特に知盛さんのお顔は、まるで「晴明さん」です。いや、ほぼ同じ。少しドーランが濃いという点だけでしょうが、スポットライトを浴びているのでより白く美しいお肌が際立っています。鬘を被っているので、少しキュっとひっつめた状態ですから、超切れ長・・なんですね。それってまさに晴明さんでしょう?演技中の表情一つ一つ、仕草にしても、今まで観てきた萬斎さん演じる役が練りこまれているようでしたね。悲劇的な展開を迎えるという点で、オイディプス王のようでもあり、同じ平安時代に生きた人としてその風雅が漂う晴明さんのようでもあり、饒舌に長い台詞を捲し上げるように話すその人はハムレットのようでもあり・・・「あ、晴明さんの顔をして、オイディプスみたいなこと言ってる」なんてことも感じましたね(笑)「道はひとつだーーーーー!(〃*`Д´)」とキレっぷり激しい台詞がひとつありましたが・・・どこかで聞きませんでしたか?オイディプス王っぽい( ̄∀ ̄*)ニヤり☆とあるシーンにて「民部見ろ、あの北斗を。あの剣先の方角には金神(こんじん)が位して、それを背に負うて戦わねば戦必ず破れる・・・陰陽寮の小博士(こはかせ)がいつやらいっていたのを、その時は気にも留めずに聞き流していたが・・・」そんな晴明さんみたいなお顔して「おんみょうりょう」なんて発音された日にはぶっ倒れるな・・って思っていたそのシーンが(* ̄ii ̄) 鼻血ブーそれも、あめみこの座っている左の立ち位置での台詞でした・・・これは、昔は陰陽師の話などまともに聞いた事も信じたこともなかった。それほどまでに栄華に満ちた時代を送っていたことの現われ。それがここで、自ら「陰陽寮の陰陽師がこんなことを言っていたのだ」と気弱な自分に気づくとともに、照れるというか失笑しているシーンがここ。予め言っておきます。暴走中です←あめみこ何を言ってもお許しくだされ。ほら、誰しもファンであれば「あっ今目がバッチリあったわー(〃 ̄▽ ̄〃) 」なんて浮き立つこともありましょう?それです、愚かなやつと思ってお聞き流しを。そう、このシーンでちょうど真下に座っていた、あめみこを・・・というかもとい、その方向に視線を落として台詞を言われたのです~キャ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ ! ! !←ばかものええ、誰しも陥るファン心理、暴走です。お聞き流しください、というか読むのやめてもいいです(笑)恐らく、肉眼で拝見できる位置に座っている方であれば、皆さん何度も陥る「夢」だと思います( ̄∀ ̄*)ニヤり☆ただ心にしまって言わないのでしょう。大人だから・・・でもあめみこは、我慢しきれず言っちゃう(笑)狂言とは違ってね、観客をじーっと見つめつつ台詞を言うシーンがありますからね。でも、たまたま視界に入っているだろうという思い込み?があったときには・・・あんまりにも恥ずかしくて、目を反らしてしまった・・・(〃*`Д´)バカーーー最後のほうは少し慣れて受け止めましたともっ←救いようのないバカ:*:・( ̄∀ ̄ )。・:*:・ポワァァァン・・・ハッ!Σ(・∇・)失礼しました・・つい・・・ちょっとここいらでやめておきます。これ以上、クオリティーが下がってもよくないわ。↑そもそもそんなクオリティーとやらがどこに?(ノ-o-)ノ ・・・●爆次?はまともなレポ書きますゆえ。明日か明後日以降・・・?書けるかな。忘れないうちに書きたいです。子午線の祀り「予習復習シリーズ10」もまだ続きますゆえ、よかったら読みにきてください。それから皆様、今日は気にかけてくださって「いってらっしゃい」の嬉しいコメントありがとうございました!一晩明けてもなお・・・・:*:・( ̄∀ ̄ )。・:*:・ポワァァァン・・・でございます。今日は一日仕事になるのか?ボーッと浸ってる場合じゃないのだーー(ノ-o-)ノ ・・・●爆もう一度、子午線の祀り戯曲本を読もうと思います。一度目はとっても読みづらかったけれど、段々と読みやすくなってきたし、舞台の情景が浮かぶかなと思って。しかし、疲労度満点です( ̄▽ ̄:) 4時間の集中は役者だけでなく観客でさえも疲れるのだ・・・そういえば、カーテンコール。手が痛くなるほど叩いていたあめみこですが、なんだか観客もお疲れなのか、割れんばかりの大拍手!って・・・感じではなかったのが残念。聞いたお話で1回カテコがあって、幕がしまった時に退席してしまっていたお客さんが結構いたらしい。幕が開いたときには興ざめだろうなぁ・・・昨日はそんな風景はなくて安心しましたが、やはりあれだけの演技をされた役者さんたちに惜しみない大拍手を送りたい。オイディプス王が凄すぎたのかな・・・?
2004年12月19日
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日曜日で次の日は仕事だっていうのに、夜6時からナイターテニス。3時間・・・昨日から体力、精神力ともに不安定で、プレーも粗い( ̄▽ ̄:) イライライライライライラ・・・・・・・・スポーツしてストレス溜めている私って?σ(⌒д⌒;)ははっ・・・自分でミスすると、自分に頭きちゃうし、楽しそうにゲームをしている仲間の中でただ一人・・・ローテンションなあめみこでした。いや~、どうすることも出来ないほどテンション低い時ってあります。箸が転がって笑うのならば、幸せでいいのだけれど、ちょっとしたことでイライラしちゃうのはいやだなぁ。自分でもなかなかコントロールできないときって、みなさんはどのようにしているのでしょうね。そういうサイクルなのかもしれないので、じっと我慢我慢。今週は気持ちの良い一週間にしてみよう(⌒◇⌒)ノ切り替えるぞー野村萬斎さんファンの方にいつも集っていただいているので、「まんさい」スケジュールなるものを設置してみました(⌒◇⌒)日記を書いている時間がなかったので、メイン掲示板の方でとりあえずお知らせしていましたが、日記でもお知らせ。「萬斎」さんファンの方へ皆さんの行かれる公演、舞台などが自由に書き込みできるカレンダーを登録してみました。参加下さる方は、メイン掲示板にメールアドレスを入力のうえお知らせくださいね。掲示板へアドレスの公表をしたくない場合は、楽天私書箱か直接管理人宛てメールで教えてください。後ほど閲覧または書き込みを行うためのIDおよびパスワードを配布いたします。(すでに何人かに配布(強制的?)にしておりますが(笑))公演、舞台だけでなくテレビ放映などのお知らせ、書籍の発売日などの書き込みなども歓迎です。下記のいづれかをご希望かお知らせください。◆閲覧PW希望◆閲覧および書き込みID&PW希望↓こんなものを作ってしまいました(レンタルだけど・・)まんさいスケジュール11/29 今日は元気に会社に行き、7時まで残業をして帰宅!ローテンションからは脱し、元気になりました~(けろっ)さて、メイン掲示板が不具合を生じており、過去ログが消えてしまった箇所があります。書き込みくださった方には大変申し訳ありません・・・あめみこも悲しいのですが・・・復活の兆しがありませぬ~。あめみこがローテンションかと思ったら、掲示板にまで移ったか・・・???||||||||||||||(* ̄ロ ̄)ガーン||||||||||||||||もし何か、管理人あめみこへ伝えたいことがございましたら再度書き込み願いますm(_ _)m
2004年11月28日
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最近は、かなりDVDレコーダーが普及してきましたね。今日やっと、持っていた過去のビデオテープを引っ張り出し、一つ一番DVDに残しておきたかった映像をDVDに落としました(〃 ̄▽ ̄〃)初チャレンジ。こちらの日記常連さんは、何となくお察しがつくかと思いますが、もちろん野村萬斎さんのビデオ~ププッ ( ̄m ̄*) 平成13年12月にBSハイビジョンで放映されて、去年の陰陽師2公開中あたりに地上波で再放送された「いま裸にしたい男たち~35歳 野村萬斎 飄々と現代に舞う~」ですわ~。この放送を観て撃沈された方、多数いらっしゃると聞いてます。あんまりメディアに露出しない方ですからね。お茶目な一面というか素顔の萬斎さんを垣間見ることが出来るこのVTRは貴重な映像。三番叟の揉みの段(一部)もありますし。相変わらずのツッコみどころは何度観てもしてしまうのですが(爆)「そのベストの柄は?」「そんなにニット帽を深く被らんでも・・・」とか( ̄▽ ̄:) まぁ、いいでしょう( ̄∀ ̄)ニヤリ世の中は「韓流」で、韓国スターの方々に大騒ぎだってのに(笑)今回のビデオ→DVD変換作業はとりあえず成功成功。これで画像がこれ以上劣化することなくいつでも観ることが出来るわ~。満足、満足。グー♪( ̄∀ ̄)b久々に「萬斎まんさい」日記を更新してしまいました。このVTRを観ると、何度でも萬斎さんの呪ξ\_( ̄_ ̄)_/ξ にかかっちゃうらしい・・・
2004年10月29日
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今週の土曜日は早朝より我が家キングの実家にゆく・・・ああ( ̄▽ ̄:) あめみこの貴重な三連休~。ま、来週は祝日があるのでまだいいでしょう。でもって、来月もきっとゆく。三連休・・・。これもまた例年のことだからいいでしょう。昨夜、キングの叔父さまから電話がかかってきた。どうやら様子がヘンだ。酔っ払っているのか・・・?( ̄▽ ̄:)キングが仕事から戻ってきていなかったので、あめみこが対応した。「11月1日さぁー、親戚一同で飲み会だ~」「朝まで飲むぞー。わははははは(≧∀≦)ノ」「わはは・・・じゃない!(-ω-;)」平日でしかも月曜日じゃないか。休めるわけないでしょうヽ(`Д´)ノ 義妹ちゃんたちにも了解取ったから・・・って・・・。本当かいな?(-ω-;)で、早速メールしてみたら「OKなんてしてないよぉー」だって。い、いかん。酔っ払っているに違いない、間違いない!キングの実家の男性陣はお酒が強いというわけではないのだが、無類の酒好き。そして、宴会が始まると長い。なかなか終わらない。片付かないのヽ(`Д´)ノそれに・・・。実家で集まって宴会しよう!と企画するのはいいが、誰が準備、片付けすると思っているんじゃーーーぷんぷん(/--)/ ┷┷ちゃぶ台返し上げ膳据え膳ならば喜んで行きますとも( ̄▽ ̄:) 全くもぉ・・・迷惑な話じゃーっヽ(`Д´)ノ↑狂言風に(笑)気を取り直し。本題。(前置きとグチが長い・・・)着メロトークで萬斎さんのお声が配信されているのは、ファンの間では有名なお話。あめみこもいくつか手に入れている。陰陽師系が多かったかな。「封印解除(ふういんげじょ)」「このメールには呪(しゅ)がかかっております」「音もなく、姿も見えぬ呪い神・・・(略)」なんてのもあったっけ。鳴るとね、しばらく出られないのが悩み ププッ ( ̄m ̄*) 「やや」狂言風もあって、「ええぃ、メールじゃあ」「萬斎が受信をお知らせします」「メール萬斎?!」※以上、つきうささまからの頂き物(≧∀≦)ノ今日「迷惑な話じゃー」を頭で連発していたら、この着メロほしいかも~と思った。迷惑メール、迷惑電話(ワンギリ)なんかにいいんでは?ああ、こんなことでも考えてないとやってられないのです(-ω-;)ポシャらないかなぁ、その11月の飲み会とやら。
2004年09月14日
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ギリシャ ヘロディス・アティコスで行われた「オイディプス王」公演。見事に大成功をおさめ、会場はスタンディングオベーションと大歓声に包まれたようですね。素晴らしいニュースです。今朝、起きた時にソワソワとどうなったかな~なんて考えていましたけれど、大成功の朗報に心躍る思いです。月夜のウサコさんのHPでいくつもニュース記事がピックアップされていたので、すぐに確認することが出来ました。HEADLINESの「オイディプス王」アテネで公演をクリックオイディプス王記事VIDEO何度でも観たいです。6月3日に行ったシアターコクーン東京公演の興奮が思い出されます!
2004年07月02日
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