草莽の記    杉田謙一

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2024.05.09
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カテゴリ: カテゴリ未分類
連休中に東京行き。海外赴任していた息子家族が帰国して久しぶりに再会し孫らと楽しく過ごさせてもらう。引っ越しの荷物は船便で来るのでまだ到着は一か月後だそうで手伝いは何もなく観光や食事のみ。3泊予定であったが三ヶ根や陸軍墓地清掃などさらには国旗降納など地元愛知での活動が気になって仕方なく、妻を残して私だけ早々に帰宅。何しろ物価が高く驚き。「千客万来」での出費は信じがたきもの。息子曰く「今日本で一番物品の値が高い場所」とのこと。一食8000円を超す刺身などの値札を見てびっくりする。海外旅行では円安の結果これが普通と聞かされ日本の国力低下の情けなさを痛感。
 さて一人帰郷しゆっくり通常のペースぺに戻りした。
 昨日は昭和の日講演会や殉国七士墓前祭にご参加いただいた皆さんに礼状送付などをなし三ヶ根に、 
 花壇が雑草が生え放題。さらには新規再開の「ゆうとぴあ」さんの草取りや廃棄物の処理などをさせていただく。
 一気にやらねば

 5月11日護国神社清掃奉仕朝9時より参加します。

愛知県護国神社は戊辰(ぼしん)戦争で犠牲になった尾張藩士の慰霊するため、1869(明治2)年に設置。以来、愛知県ゆかりの戦没者9万3000人余をまつる。春と秋の例祭には1000人近くが参列され舞楽などを奉納している。
 しかし気になるものは矢張り以前は「A級戦犯」とされた方々が御祭神とされているのか否か。名古屋市長や県知事が市民県民を代表して市長県知事として公的に参拝くださっているか。遺族会の役職だけでなく市民県民の代表としてご参加くださっているか。そうであればより好ましきこと。国の命令県の指示で大義に殉じてくださった方々に公的に感謝の慰霊の心をささげるのは当然の事ですから。
 確かに日本は敗戦と占領の時を迎え、その強圧下に置かれた、その最中に東京裁判を受けて「罪人」とされた方もいる。しかし占領が解かれサンフランシスコ平和条約が発効してからは国際正義に基づき「戦犯」の汚名は撤廃されたのだ。


 平和条約締結とは戦犯をも法的に晴れて無罪を宣言するもの。であるが故、わが国には戦犯はない。であるがゆえに軍人恩給も「戦犯指定者」であろうが支払われているのだ。


 ★A級戦犯は含まれない
そもそも、現在の日本には法的に戦犯は存在しない
「 A級戦犯」として訴追された二十八名のうち、死亡した方は二名、精神病者として免訴となった方一名を除く二十五名に対して、昭和二十三年十一月十二日、刑が宣告された。その内訳は、以下の通りである。
 ① 絞首刑              七名
 ② 終身禁固刑           十六名
 ③ 禁固二十年            一名
 ④ 禁固七年              一名
仮釈放された「A級戦犯」(敬称略)
氏 名   経 歴        仮釈放時期

南 次郎  陸軍大将   昭和29年  一月
岡 敬純  海軍中将   昭和29年  十月
畑 俊六  陸軍大将   昭和29年  十月
嶋田繁太郎 海軍大将   昭和30年  四月
荒木貞夫  陸軍大将   昭和30年  六月

賀屋興宣  大蔵大臣   昭和30年  九月
鈴木貞一  陸軍中将   昭和30年  九月
大島 浩  陸軍中将   昭和30年  四月
星野直樹  書記官長   昭和30年 十二月
木戸幸一  内大臣     昭和30年 十二月
佐藤了賢  陸軍中将   昭和31年  三月

服役中に病死された「A級戦犯」
氏 名  経 歴          死亡時期
梅津 美治郎 陸軍大将   昭和24年  一月
白鳥 敏夫  外交官    昭和24年  六月
東郷 茂徳  外務大臣   昭和25年  七月
小磯 国昭  首 相    昭和25年 十一月
平沼 騏一郎  首 相   昭和27年  八月
 1.仮釈放: 
 (1)
 禁固刑を科せられた十八人は、一九五〇年以降順次釈放放され、服役中に病死した五名を除き、昭和三十一年3月までに十三名全員が釈放された。
 まず最初に、昭和二十五年一月、禁固七年の重光葵が仮釈放されて、翌年刑期満了となった。
 (2) 
次の釈放は、昭和二十九年一月から始まったが、これは、昭和二十六年九月に調印された対日講和条約の第十一条が大きな役割をはたした。
 第十一条は、A級戦犯として拘禁されている者も含めて、すべての戦犯について、赦免・減刑・仮出獄の方法を定めた。そして、戦犯はすべて日本政府が「面倒を見る」ことに決まった。死刑判決を受けた者はすべて執行されていたから、対象となった戦犯は全員が有期刑か無期刑であった。これら戦犯の釈放について、日本政府が働きかけをできる立場となった。
 (3) 
 国会は、講和条約の発効後(昭和二七年四月二八日)、法律を制定して、拘禁されている戦犯の釈放に乗り出した。また、関係法律を改正したりして、受刑者にも選挙権を与え、収容所の待遇も改善し、外出も原則自由とした。
 (4) 
 アメリカを中心とした連合国は「国際赦免委員会」を設置して、A級戦犯の釈放に備えた。「国際赦免委員会」は、東京裁判を構成した十一カ国のうち、ソ連・中国・フィリピン・インドを除き、パキスタンを加えた八カ国(米・英・仏・蘭・加・オーストラリア・ニュージーランド・パキスタン)で構成された。
 ソ連は、対日講和条約に調印しなかったし、中国については、中華民国(台湾)を招くべきか中華人民共和国を招くべきかで米ソの折り合いがつかず、インドは自らの意思で会議に参加しなかった。フィリピンは対日講和条約に調印はしたが、東京裁判では全被告の死刑を要求する少数意見を出したくらいだから、赦免などとんでもない、と赦免委員会に参加しなかったのであろう。パキスタンは、対日講和条約に調印していたし、インドから分離独立した国なので、インドの代わりに加えたのであろう。
 (5)
 日本政府は、この「国際赦免委員会」に、昭和二十八年(一九五三年)四月、荒木・南・畑の三人について、最初の赦免勧告を行った。病死をした五人を除く残り九人に対する、日本政府の赦免勧告は翌年行われた。この勧告をうけて国際赦免委員会で協議が行われ、仮釈放されたわけである。

2.社会復帰:
 (1) 
 昭和三十三年(一九五八年)四月七日に東京裁判の判事団を構成した十一カ国は、終身禁固の刑を受けている収容者は、この日以降の刑期の残りを免除する、と日本政府に通告した。つまり、この日をもって、A級戦犯は刑期満了となり、B級・C級戦犯もまた日本には存在しなくなったのである。
 (2)
 A級戦犯で政治の世界で活躍したのは、重光葵と賀屋興宣の二名だけである。星野直樹・佐藤賢了などは、東急グループの五島慶太の縁で関連企業の役員をつとめた。彼ら以外は、あまり表立った活動はしていない。

戦犯の消滅
 (1)
 日本政府は、A級に限らず、B級・C級も含めて、いわゆる戦犯をどのように扱うかにつき講和条約発効後、直ちに行動を起こした。条約発効二日後の昭和二十七年(一九五二年)四月三十日の国会で、早くも「戦傷病者戦没者遺族等援護法」を成立させた。そして、翌昭和二十八年(一九五三年)八月一日に、この法律の一部改正を行って戦犯にもこの法律を適用し、戦犯の遺族に同等の遺族年金および弔慰金を支給することを決定した。この改正は、自由党・改
進党・左右両派社会党など全会一致で成立した。この日以降、日本政府の公文書からは、「戦犯処刑」という文字が消えて、「法務死」と書かれるようになった。 
 (2) 
 しかも援護法制定の後、衆議院本会議で戦犯の赦免に関する決議を可決し、講和条約第十一条の規定に従って、関係諸国へ戦犯の赦免を働きかけた。さらに、翌昭和二十九年(一九五四年)六月三十日に恩給法を改正し、戦犯として処刑される以前の拘留中に獄死した人も、その遺族達に同様の保証が行われるようにした。」
★昭和三十三年(一九五八年)四月七日に東京裁判の判事団を構成した十一カ国は、終身禁固の刑を受けている収容者は、この日以降の刑期の残りを免除する、と日本政府に通告した。つまり、この日をもって、A級戦犯は刑期満了となり、B級・C級戦犯もまた日本には存在しなくなったのである。

 愛知では名古屋ご出身の松井石根大将。これほど立派な人生観を持たれた方が「戦犯」として処刑されるなど正義に反する、
愛知県民としてこの大冤罪を正すのは責務でありましょう。

国のため、将来の日本人の降伏を祈り戦地にて散華なされた英霊に対して心より感謝して算パオと清掃奉仕をなしたい。

三ヶ根山は沖縄を除けば日本一部隊碑の多き聖山です。連休中にさぼってしまった清掃奉仕を反省して今から奉仕に出かけます





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Last updated  2024.05.09 09:49:45
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