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7・28朝5時より我が家の草取りと町内ごみ収集所の草取り。7時過ぎに三ヶ根行き清掃作業、今日の予定はつつじ園整備であったが、その前に2段目の通路清掃を手掛ける。不足部分が気になり、ついそちらに時間をとられて、予定の開始が遅れてしまう。まあいつものことではあるが、予定変更。先に3段目の草取りをなすことに。 必死に続けて、何とか二日分の草取り予定場所を仕上げた。つつじ園の清掃に入ったが、もうグロッキー。この暑さでは体力が続かない。そうこうしていると参拝の方が3名おみえになる。喜んで説明に入るが、皆さん素晴らしく素直な方々。いつもは使う資料も簡単なものですが、熱心に耳を傾けてくださるので、大いに語り資料も深い内容のものを使う。 おじいさまが軍の指揮官クラスだったそうで、お写真もお持ちであり、幼年期から軍隊時やシベリア抑留時などの体験の日記が残されていたそうで、敬愛されていた様子が知られ、実に嬉しかった。その貴重な資料をぜひ護国神社にご提示いただけないかと、お頼みした。 3時ころ西尾の友の家にお貸ししていた資料を取りに伺う。豪雨。突然の雨で急ぎ自宅へ。 家の内外を整備 テレビをつけると熊本地震発生を報じているではないか。10年前より被害が大きそうだ。友の家や平井一馬先生のお墓などが気になる。10年前に母を連れて、萩旅行に行っていたことを思い出す。たまたま私は熟睡中で母はホテルの浴場にいた。翌朝、母が頭がくらくらする、どこかおかしく目ざめたと、私に言うので、母の体調が悪くなったのかと大いに心配したが、朝刊を見て地震があったことを知り一安心した。むろん九州行きはあきらめて、広島京都を回って岡崎の自宅に帰ることにしたが。あれから10年か。何とか都合がつき、必要があれば支援活動に行きたいものだ。
2026.07.29
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25日(土)は9時半より関口長太郎先生の西尾市内の関係地めぐりと、今後の顕彰会の在り方討議。夜9時からは、朝6読書会という名のテレビ学習及び討論会参加。 関口先生顕彰会の群馬行の総括として、産業界や教育界からの参加を要請することや、学習会などの推進要請などが出された。さらには秋山先生の顕彰碑が苔むして、文字が読めないほどに放置されていることなどの指摘があった。早急に清掃に入ることにした。 台湾の士林小との交流や士林区と西尾市との友好関係構築に動くための群馬行きだという意識の再構築を図らねばと痛感。 朝六読書会に初めて参加させていただいた。芳賀先生もグアムから、杉田水脈先生もご参加され、実に尊いお話をいただけた。三ヶ根を評価下さり、感動もひとしおであった。 友に新田義貞公の首塚の宮地町所在根拠の資料をわたし、研究者に渡してもらい意見を聞いてもらった。ありがたきことに私の試論に賛同をいただけたと聞く。協力するとの言葉もいただけたという。ありがたい。私もできる限り傍証作業に走りたい。とりあえず8月4日には福井へ、その前後には小田原にある石碑や墓の調査に行くことにする。 26日は三ヶ根清掃日。午前中は木々の剪定や草取りを中心に清掃奉仕。午後は豊橋にて小旗の作成会。4時前に終了し、西尾の関口先生やその師匠である秋山恬堂(てんどう)先生の慰霊顕彰碑の苔取り作業をなす。今日27日(月)は西尾にて顕彰碑磨きの継続。西尾小学校に教育委員会の方7~8名がみえたので、苔を水拭きして浮き出た建立年が、教委作成看板と違うことを報告させていただいた。もしかすると表裏で異なった時期に掘り直した可能性もあり、調査を要請しておいた。 急ぎ三ヶ根に走る三ヶ根での作業の継続とバスで来られた慰霊参拝者への案内・式典参加と清掃。ご住職と8・15,16の慰霊法要の打合せなどをなす。さらに岡崎にて実践倫理の行事の案内をいただく。 妻につかまり家の仕事や会社の仕事をなす。ああ、生きるためにはいたしかたない。8.1土曜には蒲郡の小名木善行先生とテン・エンタープライス社長の講演会を成功させたい。蒲郡市民会館大ホールにて。13時より16時半です。ぜひご参加を。
2026.07.27
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7・24昨日23日は殉国七士の月命日。この暑さで休憩をしながら剪定作業や草取り作業をしていると、遠方から、掃除道具を持って年配のご婦人お二人が清掃作業に来てくださるではないか。本当にありがたいことであります。 私は朝5時半より、三ヶ根の友が倫理法人会での講演をなされるので、拝聴に出かけた。演題は「そう思えばそう」。人生は思い続ければ思った通りの現実が現れるとの実体験のお話。天性の明るさで大失敗の体験にも負けずに、投げやりにならずに、大挽回をされた話。知人にこんなユニーク体験をされた人がいたなんてびっくり。 危機があっても、すべてを「最善」として思い込む感性を持つようにしているのだそうな。今が最高など、思えないのが常人。しかしこうして人生の苦難を克服してみえるようだ、まあ天性のボケ感覚なのかと、笑えることも数多い方だが、講演中も笑いがもれきこえた。実に楽しい講演であった。三ヶ根作業は終わるめどすら立たぬ、大量の作業。昨日はさすがに熱く、もう4時過ぎには切り上げようと片付けに入ったが、なんと手が空いたからと、水かけ作業の応援に来てくださった方も。後を託して下山した。ありがたきみなさんの応援で、少しづつきれいさが戻りつつあるような。今日ももう朝7時。いまから作業に向かいます。
2026.07.24
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7月20日昨日は三ヶ根の資料つくりに手間取って7時過ぎに予定の豊橋陸軍墓地清掃に入ることになった。終了後三ヶ根作業に向かった。主に2段目と斜面。アジサイの選定作業に入る。夜9時半ころより6名で国旗掲揚なす。協力者は日本保守党の皆さん。実にテキパキと行ってくださった。大いに感謝です。21日朝6時過ぎに自宅や公民館、2つの神社に国旗掲揚をなして三ヶ根作業に走る。今日は3段目の花壇の草取りを主になす。高校生メンバーが10名ほど参拝に来てくれた。海の日ですので、布製のB4サイズの小旗を贈呈。さらに小学生以下の参拝者にも。まあかなりの出費だが喜んでもらえればそれでよかろう。 お供えしたばかりの菊などの花を抜き去り、捨てるという全く変な方が出没。私の作った花壇にアジサイの花を無許可で植えていかれるので困った女性。さすがに供花を勝手に捨てる現場を見たので注意すると、車に乗って動き出す。それを制すると、私を車で押し倒し作業ズボンには穴が開き、腕には血がにじむ。困ったお人である。世の中不再議な方がいる。まあ大したけがではなかったので、事を荒立てしないが、気分はよろしくない。さて間もなく国旗降納時間。頑張らねば。
2026.07.20
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安倍神像神社建立の写真集を送っていただいたので、エキスをカラープリントして24ページ版の書物にして皆さんに広めることにした。日本初の安倍総理を祭神とする神社ができるなどとは思ってもいなかった。個人が祭神とあるのは豊臣秀吉公や家康公などの歴史上の人物、東郷閣下や乃木将軍など。岡崎では大友皇子(弘文天皇)と大正天皇、愛知では孝明天皇や蒋介石、他著名人の神社はあるが、戦後の方で神になられた方は聞かないから。今は新田義貞公と昭和天皇の神社建立を目指すが、なかなか。 その常識を破り安倍総理の神社ができるとは。その熱意と行動力には驚いた。むろん公金は入らないから、民間の皆さんの善意に期待するしかないが。台湾など海外ですら元総理の銅像が作られている。国葬になられた総理への感謝の思いを持たれる方には、ご協力を願いたいと思う。 国旗損壊罪が成立。損壊する者がいるのかと思うが、かつての民主党の旗は日章旗を切り刻んでつぎ合わせて作っていたではないか。警察の訓練で日章旗を鉢巻きにする者を犯罪者として扱っていた。そうしたことが起きた。これらの例はいかに国旗を軽んじていたかを示すもの。公務員や特別公務員が棄損する権利を主張するのはいかなるものか、 愛知でおきたトリエンナーレ事件で、知事が芸術として県税を使ってなしたものは、会場の半球内に入るために、地面においた国旗を踏ませた事実。こうした行為を許せないと県民がトリエンナーレ抗議をなした。お忘れか、芸術の名で国旗を損させる勢力が、知事周辺にいたのをどう判ずるのか、みて見たいものだ。私が教師になった際、終業式に君が代を休めの姿勢で歌わせようとした組合員がいた。職員会でそう決まった、しかし実におかしい。教育長と談判し通達として「気を付け」で歌わせるように校長へ通知とした。職員会で「気を付け」で歌うようになった。 国旗国歌法が通ってから掲揚の根拠が明示されたのだ。愛知では祝日交番での国旗掲揚ができるようになった。未だ県によっては交番ですら祝日国旗掲揚ができていない場所もある。法の制定が大きな成果を生むのだ 国会がまともな判断をしてくれてよかった、
2026.07.17
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7月13日昨日は三ヶ根を美しくする会の定例清掃日。、第2、第4日曜の朝9時半よりボランティアメンバーが集って、殉国七士廟の草取り作業をおこなった。豊橋のメンバーは夜の学習会に来られないとのことで、朝の清掃作業のみの参加。他にも遠方から駆けつけて下さり、久しぶりに来てくださった方などもあり、ありがたかった、 三ヶ根から何十匹のカブト虫の幼虫をおわたししていたが、みごとに成虫となったかぶとを10数匹育て、持参してくださった方も。赤子から中2までの兄弟のお子様5名を連れてきてくださった。かぶとが生まれた故郷の三ヶ根に放つのだと。もう嬉しくて皆さんの作業を止めて集まっていただき、それを見守らせていただいた。 作業はやはり大勢でなすのが楽しい。なんとハイキングにみえた方も、草取りを少し手伝ってくださったのには感動した。 5時からは岡崎のリブラにて学習会を開催。学習テーマは」壬申の乱と大友皇子。地元に残る大友皇子の伝説。やはぎの古代ろまんへようこそ」 発行やはぎ地区文化財保存委員会 三田村ちはる 岡崎市民活動団体岡崎歴史探求班 090(4357)7644令和8年6月発行 この漫画本をテキストに素晴らしい書物です、僕らが目指していた活動がこうしてすでに冊子化までされている。驚きであります、僕らはいったい何をしていたのか、。矢作のこころざしある皆さんに敬服するのみです。 その後は予定の活動委予定案の検討をなして終了した、 今日は朝8時から三ヶ根作業。夕刻7時まで。相当のところまで進めることができた。 名大自衛隊展示妨害抗議活動も大いに進展あり。楽しみであります
2026.07.14
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7月10日朝、業者との打ち合わせを終えてから三ヶ根作業に入る、夕刻7時半まで、今日は七士廟の入り口の石柱磨きとトイレの屋根のペンキ塗りの業者の方が入り、作業をしてくださった。参拝の方に「花壇はどちらか」と問われ、言葉に詰まった、毎日必死に作業をしてもこの広さの花壇の草取りは決して終わりがない。その前に14の部隊碑の整備と草取り。その後に3段目の花壇の整備と花の植え込み。何をおいても急ぎ、なし終えねば、 多くの皆さんの協力を求めたい。日曜9時半より有志で草取りを行います。
2026.07.10
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岡崎の教育を考える会 令和八年七月十二日 初めに五月・六月の活動報告5月15日 岐阜護国神社内 三上卓記念館訪問 ・25日 楠公祭 大東塾影山正治氏慰霊祭 ・27日 海軍記念日・30日 特殊潜航艇伴艇シドニー湾攻撃。慰霊祭6月2日、千葉のアパ本社にて創立55周年及び勝兵塾15周年 ・13日、三ヶ根ウオーキング支援。・14日 朝5時岡崎のメンバー3名は車で靖国神社参拝。田母神氏はじめ シベリヤ問題を進める参列者とともに正式参拝。先発の西尾5名 と群馬沼田高校にて台湾にて紅茶産業を開始された新井耕作吉郎 先生の顕彰講演会参加。慰霊碑前にて開催された慰霊祭に参加・19日三ヶ根駐車場の完成。・21日三ヶ根殉国7士墓前にておよそ300名の阿含宗の皆さんによる大祭 奉仕。上島嘉郎先生の感銘深いお話をいただく。・23日 沖縄慰霊の日。比島観音にある慰霊碑前にて祈りをささげる。 ・24日 知立にて国旗掲揚運動の推進を目指す日の丸協会の有志の方と懇談 ・25日~29日、サイパン慰霊旅行 グアム大東亜戦争戦没者鎮魂例祭七月・八月の予定案・1日 国旗損壊罪衆院可決 十日皇室典範改正案 衆院通過・5日 貴嶺宮慰霊祭九時(毎月) ・7・8日 蒲郡 ティア冨安徳久氏講演会・18日 サイパン玉砕三ヶ根にて慰霊・20日 海の日 県内国旗掲揚・25日 西尾関口先生地域案内会・26日 ポツダム宣言発表の日・30日 明治天皇崩御八月・1日 小名木先生・たく先生講演会 蒲郡市民会館1時から4時半・4日 金沢大東亜戦争聖戦祭 朝5時発予定・15日 終戦記念日 岡崎龍城神社11時・三ヶ根・16日 三ヶ根慰霊園 士魂の碑慰霊祭(18日か未決)・17日 宮地町 新田義貞公慰霊祭予定検討事項A 国旗掲揚推進愛知の会と日の丸協会、安倍神像神社大国旗作成委員会協力について。名大祭自衛隊展示及び入学式卒業式での掲揚活動についてB 8・1(土)昔の日本人から学ぶ成功の法則 小名木先生講演会についてC 8・15(土)終戦記念日への取組み 半旗掲揚活動。国通達は8月初旬 岡崎龍城神社11時 半旗は8・6,8・9も三ヶ根活性化D 池田末男士魂隊慰霊三ヶ根 18日または16日 10日E 新田義貞公慰霊祭 8・17F 三ヶ根整備計画G 関口先生 志賀重昴先生顕彰活動
2026.07.10
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7月9日8日朝6時蒲郡モーニングセミナーに参加。昨日の冨安先生のご講演であったが、更に人生観に感銘。ご活躍に大いに期待したい。三ヶ根山の整備に走る。今日は安倍総理のご命日。同憂の友と慰霊祭をなす、さらに長野に建立された日本唯一の安倍総理の顕彰をなすための神社安倍神像神社の祭礼に向かう。巨大にして精悍な総理の等身大の像の完成建立は一か月前とのこと。戦後体制から脱し日本の自立を命がけで目指された元総理の意思が表現された見事な立像である。神社建立と立像建立に相当のご尽力をしてくださった世界遺産吉水神社の名誉宮司佐藤一彦先生、他多くの皆様に深く感謝いたします。次は日本一高い国旗掲揚塔の作成を目指すことが合意された。僕ら国旗掲揚推進愛知の会も協力要請を受けた。できる限りの協力をなしたい。急ぎ三ヶ根に戻り、花壇の整備を日没まで行う。
2026.07.09
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7月8日 昨日は朝6時ころから町内の資材置き場の草取り作業。災害非常時の土嚢などのおいてある倉庫のある広場は市の土地。ここに30軒弱の住民用のごみステーションを設置させてもらったのはもう10数年前。設置費は私もちで作成したので借り賃は無料。住民にとってはごみ出し場所が近くなった。しかし清掃はいつの間にか市も町内も手を引きよって私の担当となっているようだ。まあ町も市も資金なく気づいた者が草取りなどをやるしかないのであり、この場所も私がさせていただいている。まあ橋や歩道なども同様に清掃させていただいているのでなんということもないが、三ヶ根花壇の清掃を責務としてなしているので、ここもついでの作業。 三ヶ根に走り慰霊碑周辺の草刈りや花壇の草取り作業に。先輩ご夫婦など4名が献花してくださっていた。実にありがたい。 4時に下山し帰宅。6時から蒲郡ホテルにて開催された倫理法人会主催のナイトセミナー講演会に参加。講師は葬祭業のティア社長冨安先生、以前建国祭で講師を務めくださった方。もう会社は一部上場の超優良企業となっている。お話内容はこれまたすばらしい。かつて私の教師時代にかく有りたしと願った教育者像が、この先生の中に完璧に実現している。びっくりしながら聞きほれていた。私の知人。人格者のY氏に参加を呼び掛けたところ、社員の研修をさせたいと2名を参加させてくれた。来てくださったお二人は実に凛々しく礼儀正しい。大いに感激してくれていたようである。Y氏も仕事を終えて食事会にぎりぎり間に合って来てくれた。聞けば蒲郡倫理発足時に立ち上げにかかわっていたとのこと。再入会をしてくれそうである。これもまた大いにありがたい。 ここ数日魂が揺さぶられる実践の人にばかりお会いできる幸せを心底感じる。実に不思議でならない。
2026.07.08
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朝6時半から町内清掃。途中で切り上げ、幸田町の貴嶺宮内の中正神社での月次祭に出る。中正公とは蒋介石閣下のこと。敵国総統とはいえ、さらに228事件の責を負う人物とはいえ、終戦時日本兵や国民の速やかな帰国に努めてくださったことには感謝をすべきと私は思う。孫文のなき後を王兆銘が勤めれば戦争終結は早まっただろうに、返す返すも無念である。名大病院で亡くなられた氏の命日は11月10日、今年こそ氏の慰霊祭をなしたいものだが。 相談にのってくださる方を求めたい祭禮後豊橋の陸軍墓地清掃の現状を友に聞くと、既に終了し茶話会に入っているとのこと。あきらめて三ヶ根清掃に入る。 2時半に大雨となり終了して帰宅すると、雨も小降りになってきたので朝の続きのごみ回収場所の清掃。さらに地域のアパートの草取り。6日間のグアム慰霊による草取り中断のつけはやはり大きい。明日はまずは碧南での研修会。終われば真っ先に三ヶ根作業に入る予定。
2026.07.06
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7月5日(日)グアムから帰って日常に戻ると待ち受けていたのはあ思ったとおりあらゆる場所で雑草の繁茂。昨日も町内の資材置き場の広場やごみ出し場所の周辺の清掃を8割がた終えて三ヶ根七士廟慰霊碑の草取りに走る。 三ヶ根資料を参拝の皆様に渡しつつ終えればすぐさま草取り作業。10時ころから阿含宗の皆さんが慰霊に来てくださり10名ほどで清掃と法要をしてくださった。10日ほど前には300名程の皆さんが盛大な法要をしてくださったばかり。続いての祭壇を設けてのお参り。実にありがたきことであった。一年ぶりにきてくださった方とも親しくお話する。67年前にこの地に7士や他の慰霊碑などが建立されたが以降の歴史を知る方。建立当時は国のためお亡くなりになられた方々を放置してはならないと心ある方々が慰霊の必要性を痛感なされ一気に100基近くの慰霊碑がこの三ヶ根に建立された。他国が国が英霊を丁重にまつる墓地を持つ中、日本は靖国神社の国家護持がかなわぬ異常さが情けなく、ならば国民町民の手でお守りしたいとの思いが強かったと聞く。東条由布子さんらが、軍民の犠牲者への慰霊の務めをなしたいと三ヶ根の放置された建物の使用を所有者に頼んだところそんなありがたいことはない。ぜひご自由にお使いくださいとほとんど無償に近い金額で借り、女史が亡くなられた後もゼロ円で売却したいといわれその準備が直前にまであったそうだ。まあ時代がかわったのであろう、最近ではご遺族も多く亡くなられお孫さん世代にはおじいさん世代のような慰霊の思いが継承されることも少なくなっているようでもある。私が案内や花壇作成などに取り組みだしたのも、先人の愛国の情をつながねばならばいとの思いからであるが。 今朝町内草刈りをしていると町内放送で雨のため一斉清掃は中止の放送が入る。 あと少しで目標の草狩りが終わりそう。急ぎ豊橋りぃぐん墓地清掃に向かいたい
2026.07.05
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ここ1か月の主な活動を振り返っておきます、まずは6月2日、千葉のアパ本社にて創立55周年及び勝兵塾15周年のパーティ参加。阿羅健一先生や金沢の諸橋先生らと会う。アパの公共活動の見事さ。日本企業の在り方を実践された元谷氏の企業人生には、感謝あるのみです。台風接近のため、車での上京をあきらめて新幹線にて上京。帰宅時に予定した小田原での新田義貞公の墓地見学や、わが町出身の大久保一党との交流打診などのテーマは、今回はあきらめることにした。 13日、三ヶ根ウオーキング支援 アジサイ祭りのイベントへの自主的支援である。毎年の僕らの店舗出店を楽しみにしてくれている方々と会えることは実に楽しい。ジュースやせんべいなど200セットほどを無料配布、子供には布製小旗を配布、協力者2名。同日、昼に西尾のメンバー5名は群馬に出発。 私ども岡崎のメンバー3名は翌15日、車で群馬へ向かう。まず先に靖国神社にて、田母神氏はじめシベリヤ問題を進める参列者とともに、正式参拝に参加する。 先発の5名を追って群馬沼田高校に向かう。台湾にて紅茶産業を開始された新井耕作吉郎先生の顕彰講演会に参加。さらに、りっぱな慰霊碑前にて開催された慰霊祭に参加させていただく。群馬の皆様との交流の最高の時を過ごす。群馬は新田義貞公の出身地である。義貞公の首塚がわが町隣の宮地町の犬頭神社にある首塚伝説のもととなっているため、正誤を詳しく調査する必要がある。建武の新政700年を数年後に迎えるために、首塚の場所の特定をするのも私の調査目的の一つなのだが。これも他の日に調査を進めたいものである。 19日には三ヶ根駐車場の完成。元は笹林、根から除去し土を平らに敷き詰め、30台の車が止めうるまでの広さにまでひろげる。一台ごとにスペースを決め、ライン引きを完成した。20日はわが家の父13回忌、母の3回忌を親族に来ていただき実施。21日は三ヶ根殉国七士墓前にて、およそ300名の阿含宗の皆さんによる大祭がなされ、私も奉仕をさせていただく。上島嘉郎先生の感銘深いお話をいただく。23日は沖縄慰霊の日であり、比島観音にある慰霊碑前にて祈りをささげる。鳥居のある唯一の石碑です。毎年は4月29日午前中でありましたが、ここ10年ほどはご遺族をお見受けしておりません。 24日には知立にて国旗掲揚運動の推進を目指す日の丸協会の有志の皆さんと会合。私の提言は会員には自宅と氏神様の祝日国旗掲揚、会としては議場の国旗掲揚、大手企業や官庁への掲揚要請、奉迎活動、各市町村での掲揚ストリートの確定と実施を提起した。25日から30日まではグアム・サイパン・テニアン慰霊参拝。飛行機の関係で成田発。そこまでは私の軽自動車で向かった。25日グアム、サイパン慰霊旅行に出発。朝7時、3名私の車で成田空港に向かう。グアムにお住まいになり国籍も米国になされた芳賀先生の案内をいただき、激戦の地を巡る、27日には先生のお作りになった慰霊碑の前で、各地からお集まりになった皆さん50人ほどで慰霊祭がなされた。28日はサイパンとテニアン慰霊、サイパンのバンザイクリフなど涙なくして望められなかった、御製を読んでも涙が、この美しき海岸で悲惨極まりない自決がなされたなど考えもつかない 翌日、昼からはみなさんはテニアンに渡航。私はサイパンに残り先人のお守りになっている松江さんの銅像公園の草とりを半日かけておこなう。翌朝、夜明けすぐに二人で清掃の続きをなす。しかし、ここで大事件。 旅行呼びかけ人のNさんが名誉の転落致傷。電話もメールもつながらず、私は走ってホテルへ。途中、パスポートを見せながら見かける方に救助を頼んだのですが、仕事が始まるからとかライセンスを持たないなどの返事。まあ当然ですが。ホテルに着くとたまたま早くタクシーが着いていたので、現場に行っていただき、さらに荷物を素早くまとめることができ飛行機にまにあった。 グアムの飛行場で乗り換えがあり、友らには送迎に来てくださった芳賀先生と別れの会食などをなしていただき、私はN氏と空港内の一室で待機。おおいに語りあうことができた。 さらにT女史。観光業もなしたいとおっしゃる。そして東京にお住いのようであるが、私の活動価値の大いなる理解者。 素晴らしき皆さんとお会いできた奇跡を大切にしたく思う。 さて名大自衛隊展示問題、仕切り直して入学式卒業式での国旗掲揚実現問題。
2026.07.02
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6月25日昨日は日の丸会の皆さんと4人で今後の活動につき、運動方針の検討をなした。議場への国旗掲揚の推進や各市町村に一か所以上の国旗掲揚ストリートの設置、官庁や企業への掲揚推進、氏神様での掲揚要請、国旗つくりの開催など今までやってきた活動を説明させていただき、その全県的な広がりを提案させていただいた。今日7時に岡崎を出発し、成田空港に向かう。グアムでの芳賀先生らと合流し、慰霊祭に参加するためサイパンやテニアンなどにも慰霊の旅に出かける予定。しばらく三ヶ根にも行けず心配ではありますが、清掃に来てくださる方が見えればありがたい。名大自衛隊展示問題。メディウス氏のエックス記事が閉鎖されてもう2日、拡散を希望します。
2026.06.25
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6月23日(火)昨日朝一番で友のネットが止められてしまった。名古屋大学名大祭での自衛隊の災害被害者救援活動の展示が大学教授会からの思想弾圧により中止に追い込まれた事件の不正義を糾弾してくれていた。国立大の名大が平和憲章なるものを大学当局の決定のごとくに扱っていたがその決定の撤回を実現したのはもう10数年前だったか。僕らの主張が通り大学の正規の歴史から削除でき、名大の名誉を守りえたことは僕らの誇りでもありました。併せて名大は自衛官が入学試験を受けることができなかった。私は名大の学生時代に自衛官になることができ、復学もでき卒業もしたが、後輩らは院の入試すら受けることができなくなっていた、このシステムもただすことに成功はしたが、まだまだ闇は晴れない。いまだ入学式や卒業式に国旗が出されないのが現状、私の卒業式の当日には豊田講堂の時計台に国旗は掲げはしたが、あくまでプライベート。大学の方針ではなかったノーベル賞受賞を祝い陛下が大学にお越しくださった際に、奉迎者の国旗掲揚を制限することを条件に、革マルと手打ちをして反天皇活動を制限させた、陛下がおこしくださるのに国旗掲揚がないなどありえないことでした。 それにしても今回のごとく自衛隊を貶めようとする勢力が学問の府たる国立大学に残り強権的に学生の勝郎を封じるなど許せるものではない。すでに医大の暗部を知る方が100万を超えるにいたり、マスコミも報ずるに至った。さらに多くの人に知っていただき、大学の良識を取り戻していかねばならない。皆さんの協力に深く感謝します、 今日は沖縄の日。我が家も三ヶ根七士廟も半旗を掲げ慰霊をしました、多くの方が清掃奉仕や参拝にきてくださいました。ありがとうございました。-
2026.06.23
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6月20日父の13回忌母の3回忌を同時に開催。午後1時に開催、本来は21日日曜に予定していたが三ヶ根にて21日1時より慰霊祭が入ったので我が家の法事を一日前の今日に変えて実施。こられなくなった甥っ子ら3名は前日に参拝してくれたのでお礼のお返しを法要前に届けておいた。 不思議なことに今朝起きた際、母の声が聞こえた気がしたのだ。返事をして生前休んでいた母の部屋に駆けつけた時に母のいない現実に気づいた。おそらく法要に皆がぃてくれるのを喜んでくれてのことだろう。そして一番心配していた末の孫に昨日次男が生まれたことを私に告げてくれたのかもしれないともおもう。生前の母の心配ごとが消えたから私に告げに来てくれたのかも、不思議な喜びの法要になった 皆が父の日を祝いプレゼントをくれたのもうれしいことであった。 残った者たちと夕食会。群馬行と新田義貞公顕彰計画、田母神閣下の進めるシベリア抑留運動、グアム参拝旅行予定や21日の三ヶ根殉国七士墓前の阿含宗慰霊法要予定などをしらせる。 まもなく朝2時、5時からは朝起き会。9時には豊橋陸軍墓地清掃。12時には三ヶ根慰霊祭準備に。終了後反省食事会。夕刻5時から岡崎学習会をリブラsにて開催。今日も充実の日となりそうである。
2026.06.21
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13日(土)12日三ヶ根下山したのは夕刻8時少し前。机やいすなどを用意して下山。帰宅後三ヶ根ウォーキング協賛準備をほぼおえる。作ったのは一色せんべい小分け200袋と展示資料。オレンジジュース等。13日土曜日はアジサイ祭りの中日でウォーキングの日。多くの皆さんが幡豆駅から三ヶ根比島観音・展望台へのぼるハイキングをされるので道中に休憩所を設けて休んでいただくボランティア接待をなす。3名で実施。お子さんが多く見え、特殊望遠鏡ヲセットして太陽のプロミエンスをみる体験をしてもいただいた。大好評で実によかった。他のメンバーは5名で群馬行き。関口長太郎先生顕彰会としてご招待を受け先発。私は翌日朝5時発岡崎メンバー3名で同地へおっかける。10時からの靖国神社正式参拝に参加し、すぐに群馬県沼田市にて開催された群馬と西尾とのつながりについての講演会及び台湾紅茶の父新井耕吉郎先生の慰霊顕彰祭に向かう。大変しっかりした顕彰祭組織の現実を見させていただき愕然とする。今後も大いに交流を深め教えを乞いよき運動につなげねばと強くおもった。月曜日夜中に岡崎着、17日水曜・朝蒲郡ホテルでのモーニングセミナーに出席、三ヶ根作業。名大祭での自衛隊蔑視勢力の反日行動が表面化。名大平和憲章などはもうとっくに大学とは無関係と確定させたのに、まだ暴挙に走る教授らが暗躍しているとは。メディウス氏とH氏との3名で名大正常化はとっくになしえたはずだったが。まだまだ名大には入学式も卒業式にも国旗が出ていない。これを見ても大きな闇が残っていることに築かなかったことを大いに反省せねば。 21日に三ヶ根にてなされる慰霊祭準備に奔走中。明日も頑張らねば
2026.06.19
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久しぶりに孫が3人遊びに来た。まあ娘が、旅行から帰った妻にあいにきたので一緒についてきた訳である。この旅行は本来私もいくつもりでいたのであったが、三ヶ根作業が思うように進まず、また皇室典範改正の重大事や学習会参加予約もあって不参加。いつもながら致し方なきこと。まあそのうち家の行事に私の数は入れてもらえなくなりそうだ。 孫の生長の速さにはおどろく、小五の娘の長男は算数がとくいそうであるので中2の一次関数の立式問題をヒントを出しながらやらせてみるとなんと式を作ってしまうのにはおどろいた。本人が見つけた規則を使って母親にとかせているではないか。妻は私に「必要ないことやらせないで」といつも文句を言うが。孫が嬉しそうに母親に解かせているのを見ると、うれしくなる、まあ何に対象が移ろうと自信をもってくれるのはたのもしいものだ。 さて、昨日の三ヶ根山、非常に多くの方が参拝くださいました、中にはペルーからお越しに。ありもり大統領の娘さんが現在実施中の大統選に立候補されているがなんとしても当選してもらわねばとの折りを七士にささげたいといわれる。大東亜戦に立った日本人の不屈の精神を学びたいとの思いだと言われて驚いた。こうした感覚をって七士廟に参拝なされた日系人に初めてお会いしたが、大いにかんがえさせられた。 昨日は朝8時より三ヶ根七士廟入り口の駐車場の整備と線引き作業。さらに慰霊碑群の草取り等。参拝者も議から次に押し下さり、案内もひっきりなし。うれしいことだが作業がほとんどすすまない。 夕刻岡崎市議と話す。建武の新政と岡崎との関係について。新田義貞公の首塚とされる池の存在があまりにマイナーで公になっていないため、建武の新政700年を7年後に控えるのを契機として新田義貞公の顕彰作業に入り得るかどうかの検討。公は福井の藤島にて討ち死になされご遺体は往生院に葬られたが首級は京都の都大路にさらされてしまう。夜陰にまぎれ奪い取って生誕の地群馬に持ち帰ろうとしたのがわが町の上和田城の築城主、宇都宮泰藤公。ここまでは太平記などで通説になっているようだがここからが説が分かれる。墓所が群馬か小田原かそれとも郷土の言い伝えのごとく岡崎市宮地町の犬頭神社なのか。この神社内には塚と毛があり祠がある。世が足利のものとなり宇都宮泰藤公が亡くなった場所にあることまでは研究者も同意されている。泰藤公のなくなった場所が小田原なのか岡崎宮地なのか。それが問題。私はほぼ確実な岡崎説、小田原の地は宇都宮一党が苗字を戦国時代に大久保に変え其の大久保氏が代々小田原城主であったで其の際に首級の移動をされた可能性もあったのかもしれないと勝手に推測してもいるが。新田義貞公の首塚が宮地にありそれを世をはばかり泰藤公を救った犬の頭とし、犬頭神社と称した。塚を築いたものに犬塚姓を、柵を作った者に柵木(ませぎ)姓を与えたとする伝承が正しいとおもうのだ。この推論で新田義貞公の顕彰につなげ700年祭につなげる事はできないかとの相談。群馬研修旅行はあすの三ヶ根ウオーキング応援をおえて日曜朝5時岡崎3名で出発予定。群馬に先にいっている西尾5名と群馬で講演会合流よてい さて三ヶ根へ行ってきます。
2026.06.12
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7日は大正天皇の悠紀祭田お田植え祭り111周年。11時から15時半まで。あいにくの雨で田植え行事は儀式から外し一部の方が手分けして植えて見えた。100周年時は秋篠宮殿下にご出席いただきチャンネル桜さんの取材もお願いし全国に初めて発信できたのだった、式典終了後には所功先生にご講演をいただくなど懐かしき思い出がある。当時はまだ悠紀・主基斎田も大嘗祭も保守の中でもさほど重要視されていなかった気がする。御代替わり時には古式豊に大嘗祭がなされねばと明治大正昭和平成の8市町村の太田黒さんらが一度に会してサミットを開こうと所先生に提案させていただき実現にまでに至ったこと、懐かしく思い出す。岡崎の中島は大正天皇の悠紀斎藤田があり香川県綾部が主基。さらに昭和天皇は野洲町。この3市町だけしか祭典がなされていなかったところ整備をなしてくださる市町が増え。8市町村代表の皆様に明治神宮会館にお越しいただきりっぱに催行できた。本当にありがたきことであり関われたことの感動は今もわすれられないことであります。 100周年の式典のレポーターは今全国の建国祭の責任幹事をなさって見える葛城女史、解説出演には村田春樹先生他のみなさん。 さてNHK5月31日の日曜討論に大先輩の百田章名誉教授と所先生が皇室典範改正の議論に出て見えました。議論はぶつかる激しきやり取り。村田先生は旧宮家復活にも養子縁組にも大反対のご主張。私は養子縁組は陛下のみできるよう改正ができるように改正すべきと考えるのだが。 さて1時に豊橋陸軍墓地清掃につくよう豊橋に出かけるがこの雨。23号を豊橋にて降り、T氏と落合い活動方針などを茶店にて語り合う。建武の新政700年の活動作りについてが主、彼も新田義貞公の亡くなられた福井の藤島に出かけて資料集めをしてくれるという。雨のため陸軍墓地に行かず帰宅して資料整理や総員8名でいく15.16日靖国神社参拝と新田神社のある群馬行き。さらに25日から29日のグアムサイパン芳賀先生主催の慰霊旅行の打ち合わせなど。 昨日8日は三ヶ根作業、14日の三ヶ根ウオーキング支援さらに21日の殉国7士墓前の300名近くの皆さんとの慰霊祭成功に向け駐車場の整備と花壇の草取りなどをなす。 今日9日はもう夜が明けたので三ヶ根行き準備中。小雨ならばよいが。
2026.06.09
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6月2日アパホテル開業55周年の祈念パーティに千葉に行かせていただく。今年の建国記念日に元谷会長がお亡くなりになり国家的な大損失と憂慮していたが見事な後継者と業務実績を残され大安心。これほど素晴らしき世界戦略を実現されて見える国士であり企業人でいらっしゃる方が令和の時代に見えたなんてたまげることばかり。JAPANの真ん中にありたいとJAPANのJとNをはずしたAPAの社名にされた等、実にわかりやすいユニークな発想。元谷会長には毎年8月4日に友らと金沢にいきお話を伺ってきたが、これほどすごい方だったのか。気さくに話をさせていただいていたことを気恥かしくおもう。片山さつき大臣はじめ政財界や各国大使のご参加ご挨拶等驚くことばかり。サッカー森保ジャパン支援などもうこれほどなされて見えたのか、本田圭佑さんも駆けつけてくださり信用度抜群の会社された元谷会長のすごさには心底驚かされる800名を超すパーティ参加者の中で知人を見つけるなどありえなしと思っていたが金沢の大東亜戦争聖戦祭を主催されている諸橋茂一氏や南京事件問題解明の阿羅健一先生にもお会いでき、きわめて意義ある会であった。一泊して小田原により史料梅をして帰る予定であったが台風接近のためあきらめて新幹線で帰宅3日 台風ため収まるまで家にて資料整理、午後おさまったので三ヶ根僕作業、4日 三ヶ根作業、台風の風のため廃墟の壁コンクリが落下し最下部の補修板がくずれてしまっていた。持ち上げ必死に釘を打ち換え修復する。 5日 朝9時蒋介石の中正神社参拝。幸田町の貴嶺宮境内社である。4日は天安門事件の当日。チャイナの人民弾圧と歴史捏造に抗議の表現しての参列。チャイナがまともになる時は来るとはなかろうが、日本人の帰国に尽力くださった一点だけは感謝を忘れるべきではないト思う。終了後三ヶ根に。梅雨時に入れば雨対策が必須、5か所に雨宿り用のかさつきスペースを設置したがわが車も5・6人で会合もできるスモールキャンピングカーに改編することにし、s設置場所の検討をなす。 さあ先ほど朝5時からの岡崎での朝起き会への参加を終え今から三が根へ。昼からは名古屋の豊国平成塾。今日もめいっぱいやり抜かねば、あす7日 日曜は豊橋陸軍墓地清掃に早めに参加し、昼2時には岡崎中島町悠起斎田でのお田植まつり見学予定。三ヶ根ウォーキングの激励接待や清掃なども計画中、14日の日曜は群馬行のため清掃は不参加。岡崎学習会の一週間延ばし21日5時からリブラでの開催とします。21日の大掛かりな慰霊祭後となります。この日23日の沖縄の日慰霊の意味もあり成功させねばなりません。25日から28日まで慰霊外遊のため行事日程変更が相当あります。よろしくおねがいします7月ユネスコ世界遺産認定会議にて明日香などが登録される予定。たのしみではあります。
2026.06.06
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昨日5月31日は高浜市観音寺にて昭和17年シドニー港にて散華された伴勝久少佐の慰霊顕彰祭を実施した、 以下は英霊に対し申し上げた祭文であります、祭文少佐は大将7年9月2日生まれ、高浜の木材店の3男としてお生まれになった。水泳や乗馬を得意とされ刈谷中学に入学、サッカー選手としてご活躍。海兵68期生として学ばれた。同期生288名は大東亜のみ戦にて200名の戦死者を出し、二階級特進者は4名。そのうちのお一人になられている、。昭和15年、巡洋艦「香取」に、次いで軽巡洋艦「神通」乗り込みを経て、水上機母艦「千代田」に乗りこみ、特殊潜航艇搭乗員養成をなされた。昭和17年5月31日17時20分、特殊潜航艇3隻はシド二―港外に進出した母潜から出撃。伊22かの松尾敬宇艇伊27の中馬兼四艇。そして伊24の伴勝久艇の順で3艇6名が出撃。無念なるも、松尾艇は敵艦に体当たり、中馬艇は防潜網にスクリューが絡まり艇を自爆させ自決、伴艇は宿泊艇クッタブルを沈め搭乗者21名を倒す戦果を挙げられた。 特潜搭載潜水艦は6月3日、黎明まで3艇の帰還を待つが、ついに合同地点に現れず、全員を戦死と認定せられた。前2艇は豪州海軍が発見引き上げ、その武勲を賛美したのだ。昭和17年6月5日に松尾・中馬。両艇長4名の勇士を引き揚げた。ジェラードミュアヘッドは丁重な海軍葬をもってその武勇をたたえたのだ。オーストラリア国民からの敵兵賛美批判に応え「このような鋼鉄の棺桶でここまで出撃してきた人々は最高度の愛国者、我々うちの幾人が、これらの人たちが払った犠牲の1000分の1だけでも払う覚悟をしているだろうか。敵兵葬儀をわが海軍葬で行うことへの非難が集中していることは承知しているが、あえて私はこれを実施する。もし我が国の兵士が彼らのように勇敢な死を遂げた場合、彼らにも同様の名誉ある処遇を受けさせたいためである」と語った。 残る一隻が伴勝久艇。発見は今から20年前2006年。シドニー港沖合5キロの地。ダイバーによるのであった、翌2007年日豪の親族が集い、慰霊祭が現地て実施されたという。長く日豪の和睦の象徴として、そのまま引き揚げることなく安らいでいただくことになったと伺う。我らはかかる郷土の偉人の愛国の思いを深く心に止め、今後も慰霊顕彰の実を揚げ続けて行く覚悟でいます。やすらけく見守りくださることを心よりお祈りし、ここに日本再興の決意をいたすことを大兄らの御霊に対し、かしこみかしこみもまおす 昨日は終了後食事会。大いに語る。私の取組みは昭和の終わり頃、御代わりに必死になっていた頃、何とかせねばと思いつつ最近までなせないままにきてしまった。やっと数年前から実施。今年は関係者だけの実施。今後はより広く呼び掛けていきたいものである。 その後三ヶ根に走り、草とりと駐車場作成 今日から6月、初回月曜は碧南学習会。先月総括と今後の活動について 行事としては三ヶ根での沖縄の日慰霊協力。14日の群馬研修 6月末グアム慰霊祭。 政治的には皇室典範改正と憲法是正活動への取組、さらには建武の新政700年祭への取組などが提起された。さらに田母神閣下や諸橋さん一色さんらの進めるシベリヤ抑留問題への参画を根ざすことなども提起された。また作る会愛知再結成の支援も決まる。 長期的課題として まずは郷土問題でもある新田義貞公の首塚問題。先日福井の義貞公の終焉地藤島訪問と藤島神社訪問報告と14日の群馬行きと、新田神社訪問の意義確認、首塚の岡崎犬頭神社のデビューをなす。さらには小田原の墓の現状確認の件。うまく進めば犬頭神に境内社の新田神社の建立 の可能性を判断するための史料作りに入ること。 その他台湾交流の進展なども進めをはかる。 課題が多く大変だが、進展を見たいものであります。 明日、いや今日ではあるがアパホテル本社の行事があり、参加。東京に行く。
2026.06.02
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土曜からあっという間に日々が動く。土曜23日は昼1時から豊橋での竹上裕子事務所主催の講演会に参加。朝8時からの三ヶ根根作業も途中で止める。自宅に戻って着替えてから向かおうとしたが、七士廟案内に時間がかかり過ぎたので作業着のまま豊橋に行った。なんと皇室批判をなされているではないか。その方が私の知人と話をしている。開場の一時間も前だったのでおかしな方が見えるなあ、とは思いつつ休んでいると今度は私に話しかけてくる。皇室批判をされていたのでてっきり国籍がちがう方か講演妨害者だと思ったがどうも違いそうだ。しかし左翼的なネット情報を信じて見えるようでDNA鑑定が皇位継承者には必要などと主張。なんという下劣極まりなき言動。怒りを抑えて「で、あなたのお子様はDNA鑑定をなされて、結果どうでしたか」とわざとききかえしておいた。「ご自分がDNA鑑定なしにお子さんとの血縁を信じるなど不公平。適合証拠を私に見せたならばそれから議論しよう」と伝えておいた。まだ「私は皇室の安泰を願っている」などいわれるので、「あなたが愛国者とて存在されるならば、りっぱな日本人だとして生きているといわれるなら今週の25日27日31日の行動は何をなされる予定か。大楠公や豊橋の影山正治先生の御自決の日。さらに海軍記念日の27日31日は特殊潜航艇高浜の伴勝久氏の慰霊祭もありますね。その前に皇室の尊厳を守るとおっしゃるなら祭日に何本の国旗を掲げておみえですか。どうしたら皇室の偉大さを広く伝えることができるか、その実践例を教えてください」と申し上げた。お返事がなかったので、「あなたは皇室と日本人のために先の発言をなされたとおっしゃるが、皇室のために何ができるかお考えになっての発言とはどうしても思えない。学びが少ないのは。覚悟が足らないのでは。もし学びたいならまずはれを差し上げるのでどうぞと貴重な資料集や冊子を差し上げてしまった、他者に渡すべく用意していった一式をすべて彼に いつもこんな風にしてあげてしまうので、金欠病は治らないのだが 24日は豊橋に祭器を借りに行き10時より三ヶ根山の清掃奉仕、終えて家の作業をなし夜中の12時に寝こなしに東京行き、青梅まで下道で9時間ほど。11時半より大東塾故影山正治塾長の慰霊祭に参列。元号法成立を熱祷なさられ身を玉串として神にささげられた先生の魂魄の高貴さに恥ずかしきおのが人生を振り返りつつ祭禮に参加させていただいた、当時今から47年前のこの日私も青山の斎場に駆けつけていた、教師だったがいてもたってもおれずに、もうあれからほぼ半世紀。何も変ええずここに至る。情けなく申し訳なく思うのみであります直会を終え2時ころに東京を離れる。途中小田原の新田義貞公の首塚を探すがとても時間なく他日にすることに、帰宅は岡崎市内に朝2時。しかし家近くで睡魔に襲われ車内で寝てしまう。 26日は家での資料整理や布製国旗の発注作業。27日は午前三ヶ根8時より。海軍記念日ですので11時より祭祀をさせていただく。1時より自宅にて業者に事故車の廃棄、引き取り作業、31日はシドニー湾特殊潜航艇伴勝久大人命慰霊祭実施高浜観音寺境内の慰霊碑前にて11時実施。6月2日は千葉。アパホテル本社にて講演会受講、さて今から三ヶ根に行き、届いたパラソル設置をしようとするがこの雨のばらつき。家の作業の続きをなすことに、5.15慰霊の岐阜護国神社参拝から始まり福井市の新田義貞公をご祭神とする藤島神社参拝(下道移動)そ25日の多摩日がえりがえり参拝(下道移動)と三ヶ根以外に多忙な日々。次の最大の行事は6月21日の殉国七士墓前での阿含宗の皆さんによる慰霊祭。1000人近くの皆さんが祭禮を行ってくださる。まk、音にありがたきことであります、 23日の沖縄の日の直前の日曜日に実施くださる。 個人的には22日が父の13回忌。母の3回忌も併せて行うが日曜に阿含宗の皆様のご参拝があるため土曜日にわが家の年忌を早めて実施することに。 高市総理がそして覚醒した多くの国民が日本大洗濯に立ちはじめた。その一員として務めを果たしたいと記念し
2026.05.27
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昨日は5時までずっと三ヶ根花壇と駐車場作成作業。熱中症になりそうな熱さに悩む。もう蚊の発生の時期。この広さ1花壇と土手斜面の笹取り。さすがにきついです5時から豊橋市の陸軍墓地へ150本ほどの白い菊の花をお供えにいく。海軍記念日が5月27日ですのでそれまでに墓へのお供えをしておかないと。さらに遅れてしまい非常識ではあったが、豊橋の御嶽神社に参拝。5月25日は神社の建立をなされた故影山正治先生の自決なされた日。大楠公のご命日でもあります。先生は「元号法制化を熱祷したてまつる」の言葉をのこされて逝かれた。当時私は教師だったが年休をいただきご葬儀に参列させていただいた。強烈な印象は今も忘れえない。楠公精神の何たるかをお示しいただいた。辺野古生徒死亡自己を起こした左翼運動家船長がやっと起訴。海上保安庁からの中止要請をも拒否しての出航とも。客を乗せての不許可運航、しかも定員オーバーでの出航とのうたがいもある。左翼運動参加合意意思確認がなかったとすれば学校や左翼活動家の罪はおもい。主催者や其の支援者まで徹底的に聴取し、平和運動無罪論」を徹底的に排除してもらわねば。
2026.05.21
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5月16日にはグアム慰霊の唯一無二の実践者芳賀健介先生がご講演くださった。グアムにお住まいで長年グアムにお越しになる皆さんに兵士の皆さんがいかにりっぱに戦われたかを語りくださった。グアムでは2万の将兵がおなくなりになっている。なんとしても慰霊顕彰のため神社を立てられたご体験を語られた。私はそれなりに活動をしてきたつもりはあったが、先生に比べればもうお話にならないレベル。はずかしいかぎりであります、ご参加くださった皆さんに心から感謝いたしなす、 16日までには告知時間がもっとあったのに。もっと多くの方に聞いていただかねば ならなかった、と悔いてならない。芳賀先生のお話は慰霊活動にかかわるものにとって大変価値ある胸に響くもの・なんとしても多くの人に聞いていただきたかったが これまでを記録して来年につなげたい;4月29日の三ヶ根山殉国七士墓前祭と、その後の昭和の日奉祝講演会も成し遂げねばならなかった。さらに豊橋での大東塾惟神大孝道例大祭は福永代表が祭主としてお越しくださるため心を込めて参列させていただいた連休中2度にわたる国旗掲揚と降納作業が、さらには800枚を超す国旗の洗濯と収納作業もこなした。 9日は名古屋の平成塾。10日は三ヶ根山清掃と岡崎学習会10日は碧南での教育を考える会。その合間を縫って三ヶ根花壇落下部の補強や草取り、土を運び込んでの土嚢抑え。大変な肉体作業の中で参拝者へのご案内、さらには5・15事件慰霊のため岐阜護国神社内の三上卓先生らの昭和維新の会館見学福井市の新田義貞公の遺跡参拝を急がねばならなかった。資金がないから下町で往復、自分の仕事のおそさになさけなくなる。今後は楠正成公の神戸湊川神社楠公祭は25日、同25日は大東塾故影山正治塾長のご命日ですので何とか東京行き慰霊祭参加をなしたいのですが三ヶ根の修繕などが進まない。27日は海軍記念日。昭和天皇が三ヶ根山中腹の農協さんが作られたグリーンホテルにお泊り下さりこの場所から7士墓に向かい佇立下さり祈ってくださったのも昭和54年この5月27日のこと。三ヶ根を大切に思う僕らにとって忘れえぬ尊き記念日この取り組みも全くすすまないまま。31日は高浜にてオーストラリアにて特殊潜航艇で亡くなられたおひとり、伴艇の艇長伴勝久公の慰霊祭が11じより、 其の一連の重要な日々の中。何よりも反省すべきは伊勢神宮式年遷宮へ向けた取り組み。20年前には敬愛する金山先生も磯貝先生もご存命、ゆうとぴあの伊藤氏もまだ元気でご存命であった。友らも動けた。友らと白装束をきて献納金の募集を繁華街でなしていた。しかし私はその分野では皆さんについていくだけで取り組み方や諸道具のある場所すら知らない。愕然とするのみ。時が立つとはこういうことなのか。皆さん勝手におなくなりになるなよ。けんか別れしてあるいは謙虚のふりして祖国防衛活動からみをひくなよ。 ああ、これ自分に言ってる言葉ですのでね。
2026.05.19
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5月16日 今日はグアムからお越しの芳賀健介先生の講演会の日。夕刻6時から名古屋駅前のウインクあいちにて。戦地にて過去の尊き日本兵の顕彰慰霊活動に」これほど長く情熱をもって実行くださっている方が見えるとは本当におどろきであります。先人を貴ぶ良心的な日本人は数多く見えるのは救いでありますが、先生ほど戦地にとどまり慰霊に徹しまた日本からグアム訪問をなされる方に心を込めて今に生きる日本人に警鐘乱打なされつづけて見える方はめったに見えるものではありません。ぜひ先生のご実践を深く伺いながら日本人としてどうあるべきかを深く感じてみたいと思っています、もし時間の許される方がお見えでしたらご参加くだされば幸いです、 さて最近から昨日までの私の動きを振り返っておきたい。 最近の作業のほとんどは三ヶ根花壇の修復作業。tが医療の雨水により崩落してしまった花壇のみじめさに落胆。しかし何としても元にもどさねば。土の手配や補強の柱やブロック手配など。重労働ではあったがまずまずの修復も完成。5.15事件の慰霊活動もやっと岐阜護国神社の三上卓先生の書を見て動かねばと感じたところ昨日は福井の新田義貞公の最期の地の訪問、藤島神社の参拝や新田塚公園などの関係地の見学などをなす。朝5時前に家を出てすべてを終えて帰宅したのが夜10時ほど。途中エンコ車両が道路の途中で立ち往生して危険な状態であるのを見かけて移動作業もなす。手をけがして見えたが大丈夫との言葉を受けあとは警察の来るのを待たずに私も移動。大した事故渋滞もなく安心して私も移動。あ、もう朝5じはん、家を出て土嚢袋を作りに行かなくては。よってあとは帰宅後に記載とします
2026.05.16
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5月12日 第3金曜日に基本、護国神社清掃をなしてきたが最近は私が時間があわず、友にまかせっきりになっていた。また今月は都合で昨日に変更してやってくださったという連絡をいただいた。誠に申し訳ないことであります。 私は朝一番に三ヶ根作業、8時半に山を出て9時半からの碧南学習会に。 参加者は市議2名を含む15名。 勉強内容は高浜シドニー港特殊潜航艇伴勝久大人命について。レポータ-は縁者の 杉浦さん。 昭和17年の5月31日、小型特殊潜航艇の松尾艇、中馬艇と伴艇の3艇がシドニー湾に侵攻.中馬艇は中馬大尉と大森一等兵曹。自爆。松尾艇は松尾大尉と都竹二等兵曹。自決。そして伴艇は伴中尉と芦辺一等兵曹 前2艇の4名はご遺体発見後にオーストラリア軍により、海軍葬を受け たが、伴艇は平成の御代になって発見された、しかし伴氏のご両親の静かに休ませたいとの要望により引き上げされずにシドニー湾にねむる。 ちなみに伴艇発見の前、昭和の末ごろに私は大東塾の班長川田先生に伴勝久大兄につき伺ってはいたがご自宅を見つけられずに慰霊祭開催を断念。しかし観音寺ご住職が岡崎の方へと交代されたことを記に慰霊顕彰祭を開催。 今年も5月31日日曜日11時より慰霊顕彰祭を開催の予定。縁者の杉浦さんに開催の祭主をおねがいした。 ついで5月の実施報告や予定などを確認。 昭和の日の殉国7士墓前祭および昭和の日奉祝講演会実施報告。 墓前祭参加者は400名近く。安逹悠司参議院議員。前代議士佐藤正久氏、元参議院議員佐藤ま🅂座久先生。竹上裕子女史喚田県議中根県議や 岡崎市議伊藤氏西尾市議山本氏神田氏幸田町議藤本氏碧南森下氏等 高須院長はじめ多くの皆さんがさんかくださった、 講演会は90名の参加。 講師は佐藤正久先生。 5月10日東海白鴎遺族会慰霊9日名古屋にて豊国塀🅂税塾 参加者からの報告を受けるん さらに10日実施のワクチン映画ヒポクラテスの報告 予定について 16日芳賀健介専ン製名古屋講演会 18時ウインク愛知17日 日本会議谷口智彦新会長就任講演会 14時ウインクあいち2ほかに年間予定表の配布、など、 教育問題討議 教科書の図書館配布活動、市議より 外国人問題 クルド人問題 共生問題など 群馬研修旅行 三ヶ根現状と今後 グアム研修 国旗掲揚活動などを検討。 安定的な皇位継承に関する皇室典範気合性の国会議の行方がどうなるか。皆さんの大関心事項のとうぎをなす。 さらに地域偉人発掘 顕彰行事の推進として 志賀重昴 関口長太郎 池田末男 美濃部正 白瀬隊長 松井石根 松本奎堂 などの研究を目指すこと 大塩平八郎及び陽明学の学習などが提起された。 僕らのなせることはたいしてないが引き続き価値ある運動をすすめたいものである、 さて今日は母の月命日。檀名寺のご住職を迎えて読経がやっと終わる、今から三ヶ根に走る予定であります
2026.05.12
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10日第2日曜、今日は三ヶ根殉国7士廟清掃日。しかも町内清掃日でもある。長内清掃は朝7時からだが時間なく6時より開始。側溝の泥を取り家の周辺の草取り。近隣の2軒の間の通路の草とりなどを行う。他の場所は今日までに行ってあったので7時過ぎにはすべて終え三ヶ根に走る。すでにNさんがおひとりで草取り作業をされていた。午前に所用があるとのことで 先に来て作業をしてくださっているのだ、こうしてみなと一緒に作業ができないときでも思いを共有してくださる姿勢には頭が下がる。 今日の作業は崩落地の修復。100袋ほどの土嚢袋を崩れないように石垣を積み上げるように下から順に積み上げて何とかもとの花壇の下地の高さまでにし、その上に花壇用の土を入れて花壇の作成をするのだがまだまだ200袋ほどの土嚢が必要だろう。1時まで参拝者ご案内と花壇制作作業をなし、また小一時間ほど車で走って土の採掘作業現場に。およそ35袋ほどの土嚢袋を作製して自宅に。5時から岡崎学習会開催。昭和の日後援会の総括と会計ほうこくをなす。90人の参加があったので何とか赤字を出さずに終えることが出来たことを皆に報告できた。ありがたかった、さらに今月16日土曜日の芳賀健介先生講演会の出席依頼や31日のシドニー湾に今も引き上げられずにいる特殊潜航艇 伴艇の高浜観音慰霊祭の概略などを提起する。母の日であったので三ヶ根に参拝下さったお子様にはお母様のお手伝いをするようにお話ししミニ国旗をプレゼント。学習会に来てくださった皆さんにも布製小旗をプレゼント。親孝行が活動者の基本ですのでね。 終えて皆さんの発表タイム。おおいにもりあがって充実した会を行うことが出きた。1昨日,なんと四国にまで草取りにいった息子が帰宅。16時間やってきたとのこと。訳が分からないが、まあボランティアのついでに観光したのだろうが、常軌を逸する行動。誰に似たのか、あすは夜明けとともに三ヶ根に。9時半には碧南学習会。忙しい日はまだまだ続きそうである、
2026.05.11
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5・9昨日は三ヶ根花壇の崩落修繕にめどが立つ土の落下防止壁を作り上げることができた、西尾市との約束で、コンクリ補修ができないため谷の下部からくい打ちを始め、落下していない土壌にもくいの横打ちをなし縦くいと横杭を釘で結合して固定、空間に土嚢袋を詰め込み階段状にして踏み固める。おそらく土嚢の重量で土砂が相当激しく流れる水量が濁流を起こそうとも土嚢が作った階段は流れ落ちないだろうときたいする。 土嚢は昨日だけで50袋ほどを運び入れた。あと200袋ほど現地から30分ほど走った知人の所有地から搬入する。すべて手作業。これがきつい、作業中に参拝の方が丁寧に14の慰霊碑すべてを回って線香をそなえていれいしてくださる。すぐにお礼を申し上げご挨拶を申し上げる。お話しする中で大いに意気投合。なんと横浜からお越しで豊橋からレンタカーを使って何とか三ヶ根にたどり着かれたとのこと。そしてなんと土嚢袋の運搬作業まで手伝ってくださるではないか。本当にうれしい時を過ごさせていただいた。感動のときでありました。三ヶ根七士墓の建立は当時ここが幡豆町だったため、幡豆町の町会議員小田忠治氏や県議などが熱心に推進くださったとのこと。町議会で観光にも貢献できるとして合意を得て建立されたけいいがある。のち幡豆町が西尾市に合併されてからは左の考えを持たれる議員の方らの抗議などがあったようで西尾市は7士廟支援に消極的になってしまった感がある。 半世紀ほど前から私は月一度ほど友らと慰霊碑清掃や参拝活動をなしておりその一つが三ヶ根慰霊。当時は豊橋に住んでいたため吉田城の神武天皇像周辺や豊橋公園、陸軍墓地などを友らと清掃をしていたが三ヶ根はその中のワンオブゼム。しかし今回の例祭には代議士や県議さらに県下12市町村から議員の皆さんが参拝くださったりと、おおやけさはぐんと増してきている。軍隊経験のある方々が自然減となるのは致し方ない。ご遺族の方や歴史観を正しく継承された方々が参拝、慰霊顕彰にくわわっていただけることこそが重要。愛知には陸軍墓地は2かしょ、名古屋平和公園内と豊橋八町の2か所。両場所とも年1度は多くの現役自衛官がたが多数でご参加くださっている。自衛官が正式に制服でご参加くださるようになったことは誠にありがたき事ですがまだ民間主催の三ヶ根殉国七士墓前祭には抵抗があるのかもしれない。しかし一刻も早く比島観音や七士廟参拝が実現することをきたいしたいものである。 今日も午前中に三ヶ根作業を進め、昼2時からは名古屋にて豊国平成塾学習会。頑張りたい
2026.05.09
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6日国旗降納。岡崎中佐院外の康生通りから岩津商店街までの400本ほど。通常は4時間ほどで降ろせるのですが今会6時間ほどかかってしまった、というのは街路灯下の草取りを合わせて行ってきたから。むろん到底すべてなどできようはずがない。本来歩道草取りなどは各地域の皆さんが行っていただきたいものですがなぜか繁茂状態のところもあり特に目立るところのみを草取りさせていただいた。ある公園内のトイレも清掃させていただいたから。 5月は5月30日ゴミゼロ・9月は9月30日はクサゼロ運動の市民運動の推進の意味を込めての取り組みとして。祝日ごとに毎回させていただこうと思いつつ掲揚、降納作業に必死でゆとりがないのです。あ、それと「ご苦労様」の声掛けをしてくださってご両親が小学生とともにいらっしゃったので小学生にクラスでヒーローになること請け合いの「面白算数」を伝授していたので時間がかかったなあ。 三ヶ根にのぼり案内や草取りや花壇補修の土嚢運びなど。これはたのしい。祝日は参拝者がぐんと多くなりますので作業はなかなか進みませんが。 昨日7日は地元の清掃、草取り。燃えるゴミ大袋5袋を満タンにした。10日が町内一斉清掃日だがとても忙しくご一緒できないため事前の作業を行う。さらに殉国七士墓前祭と昭和の日奉祝講演会の二つの大行事を成功裏に終えて少し余裕ができたので、大量の国旗の修繕や洗濯・さらに家具の配置換えや書類の整理や印刷。製本作業、さらに知人宅や田畑よりいただける土から土嚢作成など。さらに来月両親の13回忌と3回忌用に遺品整理などを丁寧にさせていただいた。 明日9日は名古屋にて2時より豊国平成塾。日曜の10日は朝9時からの三ヶ根一斉作業、5時から岡崎学習会が岡崎リブラにて開催。よく11日は碧南にて9時半から12時まで教育を考える会。10日の特攻大和隊慰霊祭は残念ながら行事のため不参加にさせていただきます。主催者の皆さんに深くお詫びいたします。さていよいよ待望の芳賀健介先生講演会が近づきました5月16日(土曜)18時より21時名古屋液東ウインク愛知904会議室参加費3000円芳賀先生はグアム在住。「戦争を風化させない会」(会長高市早苗総理)代表をお勤めになってグアムでの慰霊をなし続けてくださっている方です。グアムツアーも6月25日から28日にかけて開催されます。 ぜひ講演会にご参加ください、 さていよいよぐあmm
2026.05.08
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子供の日おめでとうございます、3日の憲法記念日から6日の振り替え休日までは国旗は連続掲揚。岡崎市内に掲揚する国旗500本近くを洗濯し、再度柄と結び何とか掲揚を完成した、3日は第一日曜でしたので朝9時から豊橋陸軍墓地清掃日。しかしどうも日程を変更されていたようで無人。一人で草取りなどを行い帰りがけに本宿の友の家に走り土嚢袋に土砂詰め作業。4日は三ヶ根花壇の雨水による大規模な崩落場の復旧作業。土嚢袋をおよそ50袋作製し三ヶ根に運ぶ、とりあえず16個のブロックを購入して崩落地の最下部から土台作りを始める。しかし参拝者がどんどん来てくださり走りまわって案内と資料配布。実に充実したひをすごせたことがうれしい。強風が吹き雨も降ってきたので6時前に終了し下山。降りる一本道でラスト地点に来るとなんと巨木が倒れて道をさえぎっているではないか。細い坂をバックで走り料金所へ戻る、28日の倒木地とほぼ同じ場所、その旨を係りの方に報告して他の道で下山。気をつけねば、 連休中は7士墓前祭や昭和の日後援会などを中心に様々な作業と自宅の整備作業に奔走。最中に様々な方からの問い合わせや意見交換などもありへとへとになるがなんとかのりきることができた。きょう5日も子供の日の祝日、多くの参拝者がお越しになろう。急ぎ三ヶ根に走りたい。
2026.05.05
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雨が上がり昼2時に三ヶ根にいく。まずは国旗掲揚と国歌斉唱。感謝の祈りを捧げ「海行かば」斉唱。。すぐに各碑のくさとりをなす。今日からは斜面部分の草取りに入る。さらに先日の雨で崩落した花壇部の修復、これが大変な作業。大量の土が谷まで崩れ落ちているためその分の土を購入する必要がある。さらには小旗作成のため柄に使用する笹の用意が必要、三ヶ根作業を中途で終え、本宿町へ向かう。友の使わなくなっている畑に生える笹をいただく予定になっていたのでまずは生えている状況をみにいった。 2年前まで大雨のせいで車が入らなくなっていた農道もすでに復旧していたので山奥まで車ではいることができた。しかしいざ笹を刈り取ろうとすると笹が細くて小旗の柄には不向き。笹林の中にわけいって太めの笹を選びつつかりとりをする。くらくなり、ひとまず中断。帰宅する。友に電話して尋ねると土はいくらでも取ってよいといわれたので土取り作業をするうとにした。あすからは崩落場所の是正を優先したい。帰宅して昭和の日奉祝講演会の総括をする、参加者は89名。前日にはやっとP50人にちかづいたばかりというのに。おdぉろk、いおである。おそらくい直前まで悩んで見えたのであろう。もっと早くに受付を開始して居ればと思ったが必死に資料の増刷を行うができたのは74セット、よって結果は10部ほど不足。会計は何とか皆さんのご好意をいただき赤字を免れた。次回開催時はもっと余分に作っておかねば、あすからは平常に戻り花壇整備に徹したいご参加くださった皆さんに感謝あるのみです。
2026.05.02
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29日は実に感動的な昭和の日でした。この日。三ヶ根山では午前11時より第4連隊など殉国七士廟の数部隊合同の慰霊祭が。昼2時より七士墓前祭が開催されました。 平成19年(2007年)それまでの「みどりの日」が祝日法改正により「昭和の日」となりましむろんそれまでは「天長節」「天皇誕生日」の称号で呼ばれ崩御なされた時からは植物に造詣が深い天皇をお偲びし「みどりの日」となり、激動の時代から復興を遂げた昭和の時代を顧みる日として「昭和の日」として命名されたのでした。むろん私も改名に大賛同。 さてこの日の2時からの殉国七士慰霊祭は奉賛会主催。昨年は終戦80年ということで諸団体の皆さんと桜の植樹をすることができた。7本のすべてが根を張り葉もつけてくれており植樹された方がめでてくださるのがたのしみであった。 この日のために駐車場を整備、、一つは30台。もう一つはバス2台と乗用車10台分を作成しておいたのでその使用状況のチェック、さらにはゲストを蒲郡駅へ迎えたりアsz氏の悪い方の送迎などをなす、 いよいよ2時。昨年は300名ほどのご参加があり、おそらく最近では過去最高の参拝者あったが今年はなんとおよそ400名ほどのご参拝者があったのではないか。本当にありがたきことであります。 昭和100周年。昭和天皇の国民を思われ敗戦後の復興にご尽力くださったことなどが100年の記念日を迎え国民県民のこころをゆり動かせこの多数の皆さんのご参拝につながったのだとおもいます。 国会議員の安逹悠参議員議員。弁護士はじめ前代議士竹上裕子先生や髭の隊長佐藤正久参前議飲議員はじめ中根義孝県議や喚田(よびた)孝博県議、市議会議員は岡崎の伊藤正義市議、西尾の神田敬佑・山本道代市議、幸田町の藤本和美町議など、ほかにも森下敏弥碧南市議、刈谷の森嶋公介佑市議など国思う活動にご理解くださる方々がご参拝くださいました。他にも岩倉市や稲沢市春日井市津島市東海市などの市議などもお見受けいたしました。ほかにも多くの市議県議がご参列くださっていました。 まるで鶴田浩二さんやアイジョージさんなどみなさんがご参列くださっていた40年ほど前の慰霊祭にまざる御参加者がいらっしゃったのではないか。と懐かしく思い出しておりました。あの頃は万国旗をめぐらせ盛大に慰霊祭がなされていました。ご遺族もお元気で多くごさんれついただいておりました。あの頃の活気がよみがえっていました。 奉賛会の皆さんはじめ各会各層の皆さんのご尽力のおかげと深く感謝いたします。 私も友らと七士廟のセぢ双方士やご案内。その花壇に作った花壇の整備と。この日に向けて微力ながら甚力させていただけたことありがたくおもいます。三ヶ根七士廟がやっと市民県民に知られ始めたこと誇りにさせていただきます 午後四時半よりは僕ら実行委員会主催の昭和の日奉祝講演会wそ蒲郡ホテル形原別館にて開催しました。講師は髭の隊長として著名な佐藤正久先生。「日本の防衛について」自衛隊の見事なご活躍に涙ぐむ方も。参加者は89名。これも過去最大の参加者です。病院を抜け出してご参加くださった方、仕事を早上がりしてトヨタからかけつけてくれた仲間。本当にありがたいことです。終了後は食事会。40名ほどが参加くださいました。 講演会の準備は直前まで。二日前までは50名になりそうとほっといたしましたがなんとその倍の90名参加、作った資料も全く足りず私のもなし。 そして昨日は豊橋大孝道場にて例大祭。ご立派になされました。御嶽社に鳥居がたちいよいよ志を固めさせていただきました。後三ヶ根に戻り作業。 ありがたき日々でありました。 個人的ことで恐縮ですが元号法成立の活動に全力を掲げていた息子をみて冷ややかな立場を崩さなかった父も1979年元号法成立を見て喜んでくれたのをおもいだします。愛国運動などしたことのない亡父もなんとの活動には支援をしてくれ通信書籍を購入し続けてくれたのです。さらになんと岡崎の建国記念日法祝祭にもそっと参加をしてくれるようになった。活動に走る息子を勘当したほどの父が息子の活動に理解を示してくれたことが無性にうれしかった。 「「昭和の日」への改名の次は「文化の日」の名称を「明治の日」へとの改名活動。 関口長太郎先生の慰霊顕彰祭を始めたのは16年前だったか。先生のお誕生日が11月11日。 顕彰祭はこの日にしようとは思ったが、「明治の日」への改名運動もなさねば。近い将来、国民運動が必ずおおきくなる、ならば一気に顕彰祭を「明治節への改名」決起集会に切り替えればよいではないか。台湾にて芝山巌教育をなされた関口長太郎先生らの教育への思いは吉田松陰先生の松下村塾の教育そのもの。松陰先生の甥の楫取(かとり)道明も芝山巌教育の最中に殺戮された六士先生のおひとり。言い換えれば芝山巌教育は松下村塾の台湾版とみてよかろうとの思いである。 慰霊顕彰祭の開催当初は主催側のスタッフには文化の日に実施する意味は共有されていたが時がたち新規にご参画くださっている方が今は大半。主催スタッフの皆さんにはその意図がつながっておらず一昨年から11月3日は青空フェスティバルの開催日となりならば私は伊良湖の海軍慰霊祭への参加を10数年ぶりに復活させることにした。三ヶ根青空フェステイバル開催は11月3日を定例日と決した。三ヶ根が活気つくのは大賛成。希望としてはなろうならば明治節としての位置づけを絶やさないように主催者には求めたいものだが。今年は関口先生の慰霊顕彰祭は11月1日と聞く。この日はすぁたしも参加できそうでうれしく思う。
2026.05.01
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昨日は朝の読経を終え三ヶ根に。昨日は朝のお勤めを終えてすぐに三ヶ根に。駐車場のライン引きを進めていると参拝の方がお見えになったので案内。さらに10時からは事前に案内予約のあった方がお見えになられたので詳しくお話させていただいた。一般の方もお見えだったので5名の方を同時にご案内させていただいた。急ぎライン引きに戻るが途中で岡崎のいとこを迎えに帰宅する時間となり作業中止、2か所に迎えに走り3名で豊橋にむかう。1時半より前代議士の竹上ゆうこ代議士の主催される日本経済大学準教授久野潤先生講演会に参加。戦艦大和の出撃に関しての感動的なお話を伺う。先生とは4月5日に名古屋の大和慰霊祭にてご一緒させていただいたばかりでしたが改めてお話を伺うと国思う熱意のほとばしりに大いに胸を打たれた。軽巡洋艦矢作についてもおはなしくださった。岡崎の建国祭において、矢作神社宮司川喜田隆司先生をお迎えし「矢作川が取り持つ縁」の演題でお話しいただいたばかりであったのでわが軍が沖縄を決して見放しなどしなかったことを再度認識できて感銘新た。歴史観が定まらねば真実も見えないのみか、反日行動など全く正反対な行動をなす人もでる。やはり歴史への暖かき目を養うことこそ日本を正しく導く最短の道だと痛感。慰霊祭から顕彰祭への転換こそ国思うものの責務と改めておもった。 今日は三ヶ根清掃日。同時に29日昭和の日まであと3日、準備を急がねば
2026.04.26
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新たに作った三ヶ根駐車場を「七士廟石垣パーキングづけることにする。その前に完成した方は「三ヶ根山犬猫看板パーキング」 の呼称をつかいたい。 石垣パーキングのラインを引いていたところ通路部分がせますぎるとの指摘がありやり直し。1朝10時にいったん切り上げて岡崎に戻り岡崎上の藤棚鑑賞。11時から業者と昼食会。ホテルのビッフェより市内の景観を堪能しながらの食事は久しぶり。久しぶりに優雅な時をごさせていただいた。およそ20名ほどの皆さんとご一緒に業者主催の改正税法ついての研修会である。まず龍城神社にて正式参拝。会を代表して玉ぐし奉奠をさせていただいた。 その後税理士線先生と個別相談会に移り財務の健全化についてのアドバイスをいただく。様々に家の仕事を間瀬w手っと解放されたのはいころ。急いで三ヶ根に戻りライン引きの行。夕刻日没までやっていたところなんとイノシシが二頭出現。昨年春も花壇をあされ大変だったが今年もまた悩まされるのかもしれない。夜行性だから夜に動きまわるようだ。もう気力がなえてしまいライン引きも中断。 今朝も町の物故者慰霊などを済ませたので三ヶ根に出発。 29日の殉国七士慰霊祭の準備と昭和の日奉祝講演会準備と慰霊碑案内。豊橋市での久野潤先生講演会参加 。ここにはいとこ二人を乗せて参加予定。よきィ1日としたいものであります
2026.04.25
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7時に町内物故者の慰霊と読経を終え町内役員のみな様のごみ収集点検激励を済ませて昭和の日講演会のチラシをさしあげる。三ヶ根に走る。8時前に着廃墟の整備と雨よけ休憩所の整備と花壇の草取りをなす。奉賛会山岡会長と作業の居合わせ、駐車場のライン引き道具をお借り出きることにった。きょうの案内も10めいほど。夕刻我が家にて柏原氏と講演会の当日のうち合わせをなす。横看板作成や当日用の史料印刷などをなす。あすはライン引きや草取りを完成しておきたい
2026.04.22
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昨日19日は朝5時に豊田市につき東京行きをされるみなさまに門田隆将先生講演会にバスで向かわれる皆さんを見送りにいく。およそ20名の皆さん。私もぜひ行きたかったが休めない家庭の事情や仕事やボランティア作業などがあり断念。参加の皆様に学習資料などをお持ちし、出発前にバス内でお話しさせていただいた、体調の悪い方2名が出てしまう。多忙でどうしても参加できなきなったかったMさんとともに参加費だけの参加となってしまう。帰宅して朝起き会に滑り込み参加。久しぶりに県議や知人に会い。29日の昭和の日の三ヶ根墓前祭と昭和の日奉祝講演会の案内ちらしをおわたしする。9時から豊橋陸軍墓地清掃に行く。まずは菊の花を供える。落ち葉の掃き掃除を終え墓石のお磨き作業。終了して国歌斉唱と海行かば斉唱を行う。参加者は十数人。大東塾の磯貝先生がお亡くなりになったことを教えていただく。先日の式典にお見えにならなかったので心配していたが。無念でならない友から電話をうけかえり途中にお宅によりタケノコをいただく。かつての地震で農道が通れなくなっていたが今は復旧したそうである。再度田に生え廻った細い笹の切り倒しを約する。これは手作り国旗の柄として使うためのもの。友を岡崎に送り三ヶ根に走る。3時から昭和の日奉祝講演会会場の蒲郡ホテル形原別館に行きプロジェクタ―やスクリーンの設置予行をなす。ホテルでは映画の撮影なのか美しい女性の結婚式姿の写真撮影がなされていた。思わず見とれてしまう。斜塔に挨拶をしてさんがねにもどる。日没まで草取り作業と駐車場作成作業に徹する。七士廟案内は10名ほど。 昨日は朝一番に町内のお寺におぶくさんを供え読経。8時前に三ヶ根につく。駐車場作りに使用する土を平らに伸ばして車の重さを使って土を固める作業をなす。さらに作成した駐車場と低地との境界をはっきりさせるためくい打ちをなしロープ張りをなす。続けてロープを伸ばして隣接させ作ったアジサイ庭園の境界をロープで区切り階段づくりなどのさぎょうをなす。奉賛会山岡会長が見えたので駐車場用に土を入れてくださった礼をもうしあげる。駐車場拡大用に土の追加もお願いした。 雨時にも使えるベンチを作成。透明シートを使い屋根として常設。風雨に耐え得るかを一週間ほどの間を置き試す予定。飛ばされなければ本作成をなしたい。 2段目の草取りをほぼ完成。七士廟案内は実に充実。およP祖10人ほど。 自宅に早めに帰りマキの木の後始末をなし教育勅語解説ハンドブックの印刷や製本などのさぎょうをなす。 もうあと一週間で昭和の日。それまでに花壇を整えねば、あせる。
2026.04.21
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昨日の作業は三ヶ根花壇の入り口付近に雨天用の休憩所作り。何しろ雨の際に史料置き場もないため参拝下さる皆さんがこの地に関する感慨を深める場所がない。西尾市からのの貸与条件は新たな施設の設置はできないとなっており他の慰霊地にあるような展示場所や会館などがない。常駐の研究者や案内人説明者も置かれていない中では事務作業も情報の蓄積などもできないのみか親しく語りあったり休憩することすらもままならない。三ヶ根山に殉国委七士廟を建立した際には町議会の正式な議決があり、その建立主旨には観光の推進もうたわれている。幡豆町が西尾市と合併してからもその趣旨は引き継がれていると解釈するのは当然だと思われるがなぜか市の認識は弱い。トイレも観光客が利用されるのだがその水道代や電気代などの運営資金も私も属する奉賛会からの出費でなすしかないのが現状。昨年はクラウドファンディングで70万円ほどのご支援がいただけたそうですが樹木の剪定やトイレの補修などで2・300万がかかったようで有志の方々の協賛金で何とか赤字解消のめどが立ちそうとの明るい話もあったようですがこれもなかなか厳しい。三ヶ根山の慰霊軍の一つ比島観音さんの方も奉賛会が4月5日の慰霊祭実施を最後に解散となりました。東大寺を作られた行基様が建立なされた大山寺にはご住職がお見えになりますので事務などのことは継続可能かと思いますが、7士廟の方は常住者なく完全ボランティアでの運営ですし屋根ある休憩所すらない。せめて風雨をしのげるベンチのある場所が名できないものか。 国定公園内では新たな施設や建物の建設も建築できないとのこと、これでは経営ができなくなった建物は廃墟化するしかないのかも。事実国定公園でありながら大きな施設3つが崩壊廃屋となったまま危険な状態のまま放置されている。これへの対策も手つかず。せめて花壇を作り市民や参拝者の憩いう場所つくりをと始めた僕らの活動。雨除けの出きるベンチの設置。何とかお金がない中でも仮設であろうと設置したいものと思い設置。少しでも参拝者のためになることをと花壇を見渡せる場所に手つくりベンチを置きはじめ、今回初めて雨天時にシートをかぶせて雨をしのげるベンチの設置をなすことに。恒久的なものの建立は市との取り決めでできないから仮設。晴れていればすぐにシートを巻き上げて景観を損なわない作りでしかも作成費はペンキ代やベニヤ代など数千円程度。ベンチ作成には時間がかかったがまずまずのよき仕上がりだったように思う。 後必死に草取り作業。日没をむかえて下山御案内させていただいた参拝者は15名ほど。奉賛会市主催の年一度の慰霊祭は昭和の日4月29日の午後2時から3時半まで。ぜひご参拝いただきたく思います。今年は昭和百周年。当日三ヶ根形原料金所を出て下りきった場所、蒲郡ホテル形原別館にて4時半よりひげの隊長として著名な元参議院議員佐藤正久先生を講師に昭和の日奉祝講演会をかいさいします。こちらもぜひごさんかを。参加費は2000円です。
2026.04.17
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朝5時過ぎに家を出る。知人が交差点で道行く人に政党名をを記したのぼりを立てて通る車に向かい挨拶をしている姿を見て激励。三ヶ根で開催予定の昭和の日奉祝講演会のチラシをおわたしする。こんな朝早くから区におP網活動をされる皆さんには感激した、予定した6時からの会合開催時間にに間に合いそうもなくなり進路を三ヶ根にとり、入山。早速作業に入る。ひたすら草取り作業をしているとなんと備えてあるキクの花をすべて抜き取りご自分がお持ちになったキクに変える作業をされる方が。まだ十分きれいに咲いている花を無断で抜き取るばかりか美しくする会のメンバーとともに作った花壇に植えてある花も抜き去り持ち込まれたアジサイをその場にうえてみえる。この地は私の名で西尾市にお借りしている場所。毎年申請書を提出し子l年も4月から市長名で使用許可をいただいている。ここに市や奉賛会に許可されていないのにしかも作業中の私が制止要請しているにかかわらず勝手に樹木を植えられる。まあ悪気はないようだから黙認してきたが度を越している。困りものである。 しばらくするとご年配の先輩ご夫婦がお越しになり花壇作業の応援をしてくださった。2時間ほども。ありがたいことにおにぎりの差し入れも。かんげきである。 雨が降る前に何とか今日の予定場所のの取りかんせい。、 帰宅後は屋根より高くなって久しい牧のきの巨木の剪定。16ページの「昭和の日奉祝冊子150冊を作製。さらには大量の国旗の洗濯とアイロン掛けなど。
2026.04.16
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三ヶ根作業中になんと社民党の情宣カーが。チャンスと感じ、「昔の社会党さんには感謝しています。浅沼委員長は大会において天皇陛下万歳を発声して見えたり、殉国七士の戦犯認定を是正。犯罪者ではないとの、日本の立場を是認主張し遺族年金が7士のご遺族へ支払いできるように大決断をなされたことなどへの感謝である。支給かあることとは犯罪者ではないことと同義、社会党さんの熱意がなければ戦勝国の論理を覆すことができなかった」と。「本来は自民が率先すべきテーマ」とおっしゃりもさなされた、七士は先般にあらずとのご判断を社民党さんもなされたことは思いがけないことではあった。 さらに某市教育委員会の方のご参拝や岡崎からの実にねっしんな参拝の方など多くの感動的な出会いがあった、 夕刻蒲郡倫理法人会主催のセミナーに参加。大いに啓発を受けた。
2026.04.15
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今か今かと咲くのを楽しみにしていた山桜の花が世に遅れてやっと咲いたと思えば一日中ふり続いた雨と突風のため一気に花びらを散らしてしまう。薄情な風雨よ。7士廟の桜は山腹に列をなして植わっていたのに半世紀の間に山頂と桜列の間にドングリや他の木々があまりに巨木となって桜の木々の花を隠すようになってしまっているためその美しさを堪能することが困難になってしまっている。さえぎる木々を伐採したくても国定公園のためか躊躇され結果他地区のように景観を楽しむことが難しい。観光地としてもっと楽しめるように大掛かりな山の整備が進まないかと思うが、今は14基の慰霊碑の維持がやっとの状態。 東の靖国西の三ヶ根といわれるほど三ヶ根山は殉国精神のあふれる聖地。しかし靖国さんは多くの崇敬者と神に仕える神主さんがいらっしゃるが、三ヶ根山には、とりわけ七士廟にはお守りする人士も少なく、奉賛会も山をくだった離れた場所に事務所はあるものの、専任者はいない状態。スカイラインの管理事務所は山にあるもののあくまで業務はスカイラインの維持管理。トータルな霊山の慰霊や維持管理の部署や組織ができねばお守りも難しい。岐阜の御嶽山が58番目の国定公園に指定されこれほど喜んでみえる。環境大臣が指定し、都道府県が管理するもの。三ヶ根山にこれほど多くのが施設が廃墟となってしまったままで放置されているのは情けない。はずかしい。指定の取り消しになってしまわないかと心配になる。志ある人士の登場が待たれてならぬ。 今年の4月5日の比島観音様の慰霊祭を最後に比島観音さまの慰霊祭も終了となってしまった。残念でならないがこれも時の流れか。殉国七士廟も基本無人。関係官庁のご努力を求めたい、 昨日は朝、ペイントとべニア合板を購入して三ヶ根に走る。ベニヤをそのままのおおきさの椅子として設置。白ペイントで昨年作成した花壇入り口のコンクリ板スペース(殉国花壇エントランスペース)を塗るへたくそだがそれなりにあかるくなったと自賛。さらに竹細工のフェンスも。後はひたすら草取り。すくなくなってしまったものの芝桜の花が美しく咲いてくれているのがうれしい。9時半より美しくする会の清掃がはじまる。昼まで。主に草取り。中学生がお母さんとともに草取りにだいかつやくださった。実にうれしいことです。ご参加くださった皆さんにふかくかんしゃします。その後も一人残って作業をしているといとこから米を一俵売ってくれると電話があり、三ヶ根案内もそこそこにして下山。すぐさま安城市に購入に走る。我が家は一応兼業農家だがなんと毎年作付けを農協に頼んでいるためその関係で5・6俵は値打ちに購入していたが昨年はコメ不足のためか納入なし。すべて店舗からの購入。野菜などはいとこに教えてもらい自宅で栽培。今日はンホウレンソウやキャベツやネギなどの野菜やメロンなどの苗を分けてもらう。5時からは岡崎学習会に。参加者は20名ほど。リブラ会場にて。年間の行事予定の証人と4月29日の三ヶ根慰霊祭、同日の昭和の日奉祝講演会の正式チラシの完成配布も完了。早速知らせにうごくことに。講師は髭の隊長佐藤正久先生。頑張らねば。
2026.04.13
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日米戦の開始はいつか。1929年の世界恐慌で経済は困窮。資源あるアメリカや植民地を持つ欧州はブロック経済を推し進めた。自由主義以外に生きる道のない日本は経済的に苦難の道を歩むしかなかった時代。その中、日本はで大陸での防衛行動のトラブルが終結しないなか、5大国ながら33年に国連の制裁措置をおそれて国際聯連盟を脱退している。国連の制裁ができないアメリカは独自に対日経済制裁をなす。39年にはルーズベルトは日米通商航海条約を破棄し日本に対し制裁ができるよう体制を作った。日本が41年7月南印、ベトナムへの進駐するや、米来は8月一気に対日石油輸出禁止措置や米国内資産凍結をなしたのだ。この時米国ルーズベルトはイギリスのチャーチルから一刻も早く欧州戦争に参加し英国を助けるように要請をうけている。しかし例外的に3期目の大統領に就任する際決して戦争をしないことを表明して就任。米国民も8割以上が欧州戦争に参加しないことを要求、大統領はならばドイツをけしかけ対米戦をなさしめようとしたがドイツは乗らない。ならば、日本に先制攻撃をさせれば欧州戦参加の口実が出きると画策。しかし日本は対米戦を極力回避することを目指す。ASCD包囲陣ンを敷かれた中dぇも自尊自立を目指す日本はせんそうかいひにひっしになっていた。政府は手を変え品を変えて立ち代わり特使を派遣し、野村大使以外に来栖大使も送り交渉。しかし米国はもはや欧州戦に入らねば英国が救えない。日本は対米戦を回避するため東条英機を総理に起用。東条は昭和天皇から特に日米交渉を平和裏に解決するように要請を受ける。東条は11月5日に御前会議を開き「帝国国策遂行要領」を採決j。日本側最終案である。就任前の参戦方針決定を白紙にしての大譲歩方針。日本は和平成立後に軍隊の駐屯地を限定し北支・蒙疆・海南島を除く全中国大陸からの撤兵までも、約束したもの。仏印からの撤兵までも決めた。すでに米国はこの無線内容を傍受。芸国務s上はその翻訳文を手にしていた。しかし誤訳かまたはわざとか無能なのか歪曲され全く逆の不誠実な交渉態度や回答としてつたわっていた。政権中枢に共産勢力が入っておりその策謀と解する友もいる。日本が確実に拒否するようにひどい条件を押し付けたのがハルノートだったといえよう賢明な米国人のために私は傍受遺を誤訳と誤解と解釈するが、少なくともハルノートとなった内容は米国の正式な最後通告。宣戦布告文であることに違いはなかろう。米国から最後通牒いわゆるハルノートを受けたのは1941年(昭和16年)11月26日。これは極めて挑発的である。日本が決して飲めないない内容。米国に塔Bう13州に戻れというような歴史を全く考慮しない内容。日本側はやむなくこれを拒否。米国でも批判の声が発せられた。セオボルト海軍少将は「まさしくハルノートは日本を鉄棒で殴りつけた挑発であった」と語り、グルー駐日大使は「この時、開戦のボタンはおさfれたのである」と回顧録で述べている。日本は立たねばアジアは欧米に対して隷属し続けたかもしれない。さて今日は残念ながら雨のため作業ができなかった。こんな日もあるjのだなあ
2026.04.10
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昨日の作業は殉国花壇南側入り口のコンクリ板スペースのペンキ塗りと砂利道部分の草取り及びベンチ作成。さらにさつき園の根本部分の草取りと整備など。さらに14慰霊碑地への入り口に赤色の丸柱3本を立て見やすくしてみた。4月29日昭和の日に開催される墓前祭に向けて奉賛会の方によって七士墓周辺では一気に樹木剪定や整備が進められはじめている。それに合わせて花壇整備も間に合わせたいものだがこの広さ、とても間に合いそうもない。第2第4日曜の12日と26日両日午前9時半より昼までが美しくする会の作業日。多くの方におてつだいいただきたいものである。6時過ぎ小雨のため早めに下山。 「昭和」は「百姓昭明 万邦協和」(ひゃくせいしょうめい ばんぽうきょうわ)『書経』の言葉をうけ「国民の平和と世界各国の共存共栄を願う」意味が込められています、この昭和の元号がそのまま昭和天皇のお名前になっています。むろんご逝去になられてからの呼び名です。 ご存命中は今上陛下ともうしあげていました。ちなみに陛下や殿下などの称号はご存命の時に使いますので「昭和天皇陛下」ではなく「昭和天皇」の表記が正しいとされるのです。 敬意を払う思いはわかりますが。かつて超愛国者に「天皇に陛下をつけないとは何事だ」とお叱りを受けましたがむろん私は黙っておりましたが。あ、そうそう「日本」を「にっぽん」が正式で「にほん」は正式ではないと主張される方愛国者のかたがみえ、私がどちらでもいいのではといったところ大いにお叱りになられたことが。わたしの欠点ではありますが叱られるとそのトーンで言い返してしまう。だったら昭和天皇が御璽で「大日本国の印」とされたのは過ちというのですか。「大日本帝国」の帝をおとりになっただけの国号印をお使いになっていることをどうお考えなのか。まあ怖そうな方だから黙っていればよかったでしょうが、若気の至りで。さて昨年は昭和100年。今年は100周年。昭和の27年までは戦争と占領統治という国難時代。その後は日本独立に伴い歴史の回復への時代となり今やっと真の独立へ向かい時を迎えているときに入りました。「日本の真の独立を目指す有識者会議」(ECAJTI)も議長小堀桂一郎先生副議長山下英次先生によ令り和6年3月に設立節理され、多くの識者を理事として発足。総理も高市氏。いよいよ激動の時代にあって日本が独立国家としてのあるべき道を踏み出しました。国も昭和100周年の取り組みをしてくれるようです。 昭和の日奉祝講演会のお知らせ僕らも第7回目の「昭和の日奉祝講演会」を開催します。 日時 令和8年4月29日(昭和の日4月29日・祝) 午後4時開場4時半開始 場所 愛知県蒲郡市金平長平戸29-5 Tābist 形原リゾート蒲郡(蒲郡ホテル形原別館) 0533-65-7339 講師 髭の隊長 佐藤正久氏 主催 昭和の日講演会実行委員会 共催 愛知の教育を考える会 三ヶ根山を美しくする会 参加費 2000円 懇親会参加者はプラス1000円。 なお会場は三ヶ根山蒲郡形原料金所 をでて車で2分 おりきった先のホテル; 当日は三ヶ根山の殉国七士廟にて年一度の例大祭 墓前祭 が開催されます。午後2時より3時半ころまで。ぜひご参加くだされば幸いです
2026.04.10
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ホルムズ海峡閉鎖の危機や台湾海峡封鎖の危機はもう50年も前から言われ続けてきた事項。当時石油は地上であと39年後には枯渇するといわれていた。資源なき日本は核エネルギーの利用が必須であるとの主張はしかし核アレルギーの蔓延する日本にあっては無理道。ならば当面は石油輸入で回すしかないと不安の中で選択。シーレーンは米国が守ってくれるだろうと安直な革新に基づいて。が。いざ現実化してしまうとその原因国家がなんとアメリカ合衆国。我が国には対処方針が立たない。国家として我が国の危機管理の担当者は何をしてきたのかと言いたくもなる。 しかし核兵器製造の道をひた走るイランはウラン濃縮の権利を得たとの認識で2週間の停戦を受け止めた。一方米国の休戦受け入れは濃縮を阻止できたとの認識。両国の認識には大きな齟齬がある。さらには賠償金要求や米国艦隊の中東地区からの撤退などまさに脆弱極まりなき休戦条件。 日本にとってはホルムズ海峡の完全な開放がなったのか否か。むろん人命防衛が何よりも重大なテーマであることに間違いはないが。 停戦はとりあえずのものにすぎない。イスラエルにとっては容認できっこないものであろうし、軍事行動再開は必然既定事項。今は傍観中の日本にとってはこの時に仲介役に選ばれるに違いなかろうと思う。お花畑の中で過ごした日本が2週間後に何を主張するべきか。できるのか。強運の高市総理の表舞台国際デビューの時となる可能性が高まってきた気がしてならぬのだが。 今日は三ヶ根花壇南入り口のコンクリ板の白ペンキ塗り。さらに草取りなど。安城からお越しの方と話す。パイロット養成訓練場が安生にあり町内の皆さんが多く飛行機乗りとして出撃されお亡くなりになられたとのこと。ぜひ慰霊に行かせていただくことを約す。また岡崎伊賀町の方とお話しできた、価値あるご案内ができたとうれしくおもった。 孫3名とあい、今日の入学式を祝う。長男の孫とは数学遊びをする。愉快なること限りなし
2026.04.08
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4月7日昨日6日は朝7時半より三ヶ根山殉国七士花壇の整備をし、9時半から碧南での愛知の教育を考える会幹事会に参加。4月29日の日の祝賀講演会の取り組みや三ヶ根活動報告、豊橋での作る会再発足jの報告や杉田水脈先生の講演内容の報告、戦艦大和慰霊祭報告と比島観音での慰霊祭報告などがなされた。参加者から活動実践の報告などがなされた。11時に私と山下氏が中座。豊田市の草薙隊慰霊祭にさんか。のちに西尾の三ヶ根山に」戻り、案内や草取り作業をなす。夕刻7時に下山。今日7日昨日購入した鉄切断用のコードレスのこぎりを使って三ヶ根山廃屋に落下しているH鋼切断をこころみた、しかし全く切ることが出きずショック。結局主導ののこぎりで切りすすめるjのだがやはり鋼が固すぎてとても進まない。残念ながら浪費であった。まあどこかで使えるだろう。気を取り直して石がき上の土地を耕して花壇に戻す作業、笹の地上部の葉を切り進めて植えやすい土壌とする作業。昨年パンジーを植えた場所であったが笹がはびこり大変。さらに登り口をはば一メートルほどの道を作った。土手面の雑草取りも相当な量。小雨の中の作業はつらかったので12時に切り上げて帰宅。 久しぶりに読書と資料整備。4月以降の活動の概略の活動方針をつくる、12日の岡崎学習会で提起し予算検討にはいっていきたい皇族奉迎活動と祭礼 国旗つくり について 新年祝賀(三ヶ根山にて初日の出祝賀国旗配り )。今年同様。しかし着替えなどは部屋が借りにくいため車にて実施昭和天皇祭(1・7)八王子参加 参加呼びかけのようあり 孝明天皇祭(1・30)武豊町玉鉾神社参加 大正天皇祭(12・25)岡崎中島町大正宮 実施 建国記念の碑奉祝祭県内各地実施(2・11前後)天長節奉祝祭(2・23)岡崎または豊橋にて 何とかパレードの再実施をしたい上皇陛下お誕生日奉祝祭(殉国七士慰霊三ヶ根山にて) 昭和の日奉祝祭(4.29)実施 4時半 蒲郡ホテル形原別館にて 佐藤正久先生 国旗掲揚活動 掲揚ストリート拡大 郵便局消・防署・などの掲揚活動及び掲揚塔設置実施市町 村を拡大議場国旗掲揚を尾張地区にも拡張 皇族奉迎は東海3県に落ちなく実施。教育正常化活動 教科書記載変更実績 図書館や私学などに育鵬社や自由社竹田氏の教科書贈呈 英霊慰霊行事実施 (三ヶ根山を美しくする会 三ヶ根便り発行協力他) 三ヶ根山殉国七士 毎日豊橋陸軍墓地(自衛隊と共催)k1第3日曜参加、護国神社特攻慰霊大和隊久納好ふ大人命(19・10・21) 5月仏式)参加護国神社戦艦大和碑 4月第一日曜参加豊田草薙隊(4・6) 高浜シドニー港特殊潜航艇 伴勝久大人命(17・5・31) 実施 金沢 大東亜戦争聖戦碑前慰霊祭参加 8月4日 参加岡崎終戦記念日慰霊祭 龍城神社 8月15日 11時予定三ヶ根 占守島池田末男 士魂隊慰霊祭 8月18日 11時予定下呂 黒木博司少佐 楠公回天祭 参加三ヶ根殉国7士墓 前 慰霊祭12月23日 月命日も海軍慰霊祭 11月3日 伊良湖 参加。三島由紀夫大人命(11・25)・森田必勝大人命(11・24四日市)参加12月13日松井石根大人命護国神社清掃 植樹祭実施など (南極大陸白瀬隊長) 台湾支援 関口長太郎先生顕彰と芝山巌教育六士先生合同慰霊祭八田與一先生 慰霊、幸田町 貴嶺宮中正神社慰霊祭 有志参加 毎月5日 地域偉人発掘 顕彰行事など(敬称略) 土屋長吉 志賀重昴 関口長太郎 池田末男 美濃部正 白瀬隊長 深見徳慶 松井石根 松本奎堂 などの偉人レポート まだ細案は昨年度のもlののみ。具体化を目指したい
2026.04.07
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すでに4月5日。四月始めの記録を残しておきたい 4月3日は神武天皇祭。神社参拝のみ。三ヶ根の廃墟を覆い隠すための板塀や柵や錆びた鋼材を白ペイン トで塗り明るく興味深くしてみた。4日は買い求めたすべての花を植えきり草取りに入る。しかし一部花壇として土を入れ土嚢で固めた場所が大量の雨の滞留によって浸食を受け崩落した場所を発見。失望 。帰宅して昼2時半より名古屋のウインク愛知にて開催れた豊国平成塾学習会に遅刻参加。帰宅して資料印刷に没頭。今日五日は朝8時過ぎより名古屋の護国神社にて開催される戦艦大和慰霊祭準備にいく。9時より月はじめの例祭をとり行うから参加をlとの誘いを受けはじめて参列させていただく。終了後大和記念碑他昭和の森の清掃をなす。10時半り慰霊祭。ご遺族の方を含め20名ほどで実施する。祭文奏上は久野潤先生河村氏他。見事な顕彰と誓いの言葉。大いに感銘をお覚える。皆さんは直会をされるが私は三ヶ根へ。三ヶ根観音前にて最後の慰霊祭に参加する。終戦80年で一つの区切りとされるという。これも時の流れ。いたしかたなし。 三ヶ根殉国7士廟に行き草取り及び案内を行う。中三生に案内以外に簡単に解ける数学や歴史年号の覚え方なんぞを披露。これもまた愉快であった。終えて4月29日昭和の日の2時からの慰霊祭とdoう実4時からの昭和の日奉祝講演会参加促進家庭訪問をなす。本来は第一日曜だから豊橋陸軍墓地清掃日。これは休ませていただいた。あすは碧南での学習会が 9時半から豊田での草薙隊慰霊祭は12時から。頑張りたい
2026.04.06
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もう20回ほどブログ書き直しをして仕上げましたが、受け付けてくれない。日を改めて再チャレンジする予定。さて今日は朝から雨のために三ヶ根山作業に行けない。よって車の整備をモータースにて行ていただき、家に戻って資料整理。夕刻5時ころ雨が上がり三ヶ根作業へ。再度雨が降る前に花を5ケース植え込み完了。
2026.04.01
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朝8時に家を出て知多市南粕谷本町にて開催された「誇りが持てる日本の歴史学習会」に参加した。10時から。東条英機総理についての学習会である。アーカイブ視聴と話し合い。講師は作る会の藤岡信勝氏。岡崎学習会からは4月29日和の日、三ヶ根山の麓の蒲郡ホテル形原別館にて開催する「昭和の日奉祝講演会」:4時から6時半までの正副実行委員長2名で参加。閣下の資料20ページ冊子にして全員分を渡す。さらに大東亜戦争終結後の「玉音を拝して 出光佐三の戦後復興向けての魂の訓示―」資料と昭和天皇についての資料などをみなさんにお配りする。 私は3時半より豊橋駅ビルのレンタルスぺ―スにて開催される講演会に間に合うように勉強会を早めに退出。豊橋に向かったが、実に内容がよく はやめの退出は誠にもったいなかった、豊橋での講演者は杉田水脈先生。作る会の主催での講演会。12月13日の松井石根閣下慰霊祭時のご講演をいただいて以来の再会。内容は先生の愛国運動の歴史と国会での発言、国連ユネスコ会議でのご発表や状況是正の課題など。慰安婦問題の是正の成果などでは、実に懐かしい皆さんの名が出て、感慨深く当時を思い出した。先日岡崎での随神教会での例大祭の直会時に、とある先輩から「杉田さんは大学で、花壇つくりとコンクリの打ち方を学んできた」と冗談まじりに紹介されたが、水脈先生の話を聞きながら、今の自分が国家状況から大いに外れ、環境保全活動のみになっているか、大いに恥じた今月中の活動の多くは、確かに肉体労働。やはりこれでは諸先生や友らに申し訳ない。早めに本来の活動に戻さねばと反省。
2026.03.30
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28日(土)朝6時に家を出て三ヶ根作業に。スカイライン本道に隣接する無残な元旅館。いまは危険極まりない廃屋となってしまっており国定公園のメインの場所が実に情けなくなってしまっている、廃屋から落下し散乱しているがれきの積み替えをなす作業。ニューヨークの割れ窓理論そのままの実例がここにある。タイヤが椅子がテレビがそして外部から何年も前に運び込まれたがれきが埋められている。 何とかしてほしいと3年前に有志幹部7・8人で結成した三ヶ根山観光活性化プロジェクトの会も撤去作業をメインの活動として発足したが、みなさん多忙のため解散。 その原因は私が殉国七士墓近くの美化のために花壇作成に集中しておりそのため動かぬ廃墟撤去活動には時間も資金も出せないため会の脱退をしたからと聞くがさだかではない。解散に伴い集めたプロジェクト費用の10万余の金は奉賛会に寄付をして終了したと記憶する。 とはいえ廃墟撤去支援の方針は必須。花壇整備を目指す「三ヶ根山を美しくする会」で細々ながらその方針継続をになうことにした。 この地と建物の所有者から提示された売却資金の高さ。聞けば4000万ともそれ以上とも。 行政執行の手しかないのではと思うが観光美化の理由では市として動けないとのこと。住宅地のほうが緊急性が高いためであろう。 西尾市もいまだ水道のメーター点検などをされていることを先日しった。点検ちょうさのかたにたまたま会ったったのでその方に聞くとこの職に就いた8年前から毎回使用料はぜろのまま。水道は止めてあるので使用料は発生していないとのこと。水道蛇口が存在するのもその時初めて知った、点検作業には当然費用は発生しているだろうに。 人的被害は執行理由になるのでは。 私がつまずき頭を打って入院し手術して復帰したことがあった。躓き転倒したのはしかしこの地ではなく道を挟んだ反対側。廃墟から10メートル余りは離れている場所、初日の出客に国旗や資料を配っていた際のこと。いまは完全復活だが当時は頭に充満した血液のため前後不覚。家へも帰れず靴も履けず我が家の入り口やトイレの位置もわからない状態。妻が異常に気付き病院に連れていき私はベッドに縛り付けられたほど。知らぬ間に手術されていた。ああ、転倒場所が廃墟前だったらどんなに良かったか。 しかし本題kの廃墟問題。最も危険なぶら下がった鋼鉄材の骨組みを重機切り落としだけは5万を出して行ってもらったが、あとは手つかずのまま、電源もなくバインダーも使えない。費用を用意して業者に頼むことは至難の業。 ならば手作業d背散乱Bがれきのl整頓だけはやり抜かねば。そして今日その障りの作業は何とか終えることがdぇ来た。勝いまある鉄柱を有効に使い四方を板で囲んで柱上にしてそこを利用して板塀で覆う。この作業もみっともないが何とか完成にまで至ることができた、 これで7士前道路のあじさい庭園と出現した石垣のじゅえの土地の花壇化。南の小田忠治庭園復活とゆうとぴあさん前のアスファルト市道の復元に次いで廃墟前の目隠し囲い作成の5テーマに一応のけじめをつけることができそうであり何より、 昼から豊橋での竹上裕子前衆議院議員油彩の経済講演会に参加。同じ憂国連合の原口さんは東京にて前日開催、参加された方によれば100名を越える皆さんがおこしになり田母神閣下すrふぁ満杯の会場に入れずお帰りになられたたとのこと。内容はウクライナの歴史など。 終了後に再度三ヶ根に戻り花上作業。 なんと大切なチューリップの株が220本程度抜かれているではないか。 ありえないことだが善意で解釈すればつうろに生えているチューリップを雑草と勘違いされた方が雑草と勘違いされて引き抜かれてしまわれたのではないか。昨年と通路の位置を変えたので花壇だったところに残っていた球根からめぶいたチューリップや水仙の芽や茎を知らずに取ってしまわれたのだろう。まだまだ芽吹きます。通路であっても決してン抜かないでしい。 ショックで花は5ケースしか植えることができなかった、ああショックでありました。
2026.03.29
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朝7時に家を出て三ヶ根行に出かける。9時半まで廃屋のガラ片付け作業、国定公園のメイン道路のしかも最も景観のよき場所に、いつまで廃墟を放置しておくのか。市に皆で要請に行っても事態は動かない。2年前の同憂同志の友らと撤去活動を始めながら、なんとも情けない状態。ならば少しでも景観をよくするためにと始めた美化作業。撤去には程遠いが、しないよりはまし。しかしもう3月末。年度終わりも近い。一応のタイムリミット。急いで一応の形にまでしないと。 さて、今日は 岡崎福岡町の随神大孝道例大祭の日。10時半から参列する。50数年前、岡崎の建国祭の開始に命がけで取り組み、開始にたどり着かれた金山先生の自宅。先生はここを神社にされて、もう30数年。お亡くなりになられたのはう12年前。早いものであります。祭禮と奉納の舞の後直会。皆様と大いに語らう。のち三ヶ根に戻り花植え作業。あと残りは30ケース。数にして1000本弱か。 急がねば。
2026.03.27
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24日(火) 朝7時、家を出て三ヶ根に行く。花植えも気になるが廃墟のことがどうしても気になり、優先作業とした。というのも2年前、嵐の日に行なった昭和の日の奉祝祭に、それまで友好関係にあったゆうとぴあさんの支配人に雨中での奉祝祭の不手際をひどく追及され、以来ゆうとぴあさんには全くの没交渉となっていた。 しかし病気が進行され支配人を引退された。 後継者になられた新支配人に協力を乞われ了承。ゆうとぴあの周辺環境整備をひたすら行った。 西尾市に合併前の幡豆町時代に不法投棄されたと思われるテレビや冷蔵庫や洗濯機などが土のなかから出て来る、出て来るではないか。必死に整備し崩れ落ちた岩も元に戻す。おそらく西尾市に併合されてからのアスファルト道路、これも砂や木々におおわれ、その上部の土手斜面もゴミだらけ。それらを処理し石塀や石門を運び出し廃材を処理した。道路の上に積もった土を土嚢袋に詰め込み七士廟の花壇の通路に運びこむ。もう大変な作業であったが、結果、アスファルト道路は元に戻り、バスが通れるほどの広さの道路が出現した。ちなみにこの作業を業者2社に費用を見積もりをしていただいたが、両社ともに50万はかかるとのことだったため、自ら人力で行うことにした。2週間ほどかかりっきりで行った。 ゆうとぴあ周辺作業は以上だがそれ以外には以下の作業をおこなった。 その1三ヶ根山の開発の功労者小田忠治氏の胸像公園の発見整備。ここは3年ほど前、こやまの上にある小田忠治氏の胸像を見つけ、とりあえず整備したことがあった。看板もつけ変えた。今回は本格的に草とりや木々の剪定をなし庭園にふさわしき場所にした。その2 第2見晴台下の北東側の土砂崩落地の復旧作業。および西側から山頂にのぼる道の雑木下枝払いと道の整備。その3岸総理建立の巨大な一対の石柱入って、左の平坦地とその舗装道路側の森化した雑木林の剪定をなす。その結果、通路側には石垣を発見。昨年は笹撤去が中心で、なんとか石垣上部の平地を花壇にして相当数のパンジーを植え、花壇のようにした。さらにこの続きの土地を平らにし、車を停めることが出きるように固めた。その範囲はこの土地の所有者の要請により、ほぼ決定通りに作り上げた。その4石垣部の北部の道路沿いの雑木を処分し、おもにここに植えられているアジサイの木々を選定、公園化させた。その北の通路の作成、補強をなした。その5殉国七士廟入り口までの通路西側のつつじ園の剪定、および枯れ葉撤去作業 さて今日は蒲郡の倫理法人会に朝6時より参加。今日の講義は柴田美香先生。難病を患ってみえた息子さんが「ありがとう」の奇跡の言葉で見事に病気を克服して、プロ野球選手となり、野球のアジア大会を実現された奇跡の人生をお話しくださった。もう感激で涙腺がゆるみっぱなしであった。素晴らしき人生観だ。大感激の講話であった。我もかく生きたいものだと痛感。素晴らしかった。 三ヶ根にて、廃墟の整備など。雨が降ってたので昼に終了、夕刻5時半より4月29日の「昭和の日奉祝祭」の実施会議をなす。大いにつとめたい。
2026.03.26
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