先週末、学校から連絡が入りました。
ちび六と同じ支援級の2年生のK君の訃報でした。
K君は重い病気でここ数カ月は学校を休んで闘病していましたが
とうとう7歳でその短い一生を終えてしまいました。
6月から学校を休みがちになっていたので、うちとのかかわりは短い期間でしたが
登下校の時の笑顔、
最初の授業参観でフルーツバスケットをしてたときの楽しそうな様子、
5月の運動会で徒競争を最後まで走った姿
そのときK君のお母さんがとてもうれしそうにしていたこと…
いろんな思い出があります。
ちび六が一番最初に覚えた支援級のクラスメートの名前がK君だったなあ…とか
これまですっかり忘れてしまっていたことも思い出しました。
K君が学校を休んでいる間
お見舞いに行った先生からは「元気そうです」とか「しっかりしています」と聞いていたので
当然のようにまた退院したら学校に戻ってくるものと思っていて
まさかそんなに病状が重くなっているとは思わず
知らせを受けた時にはただただ茫然としました。
ちび六にK君の訃報の話をしたとき、とても硬い表情をしていました。
ちび六なりに事態を理解したらしく
「Kくん しんじゃった」とか「Kくん うごくかな?」と繰り返していて
表現としては不適切ながらも
ちび六なりに起こったことを受け止めているのだと思いました。
「Kくんに あいたい」「かなしい」といった言葉も聞かれました。
月曜日、学校に行って、体の小さなK君のための特注の大きな机を見たとき
胸がしめつけられる思いでした。
ちび六のロッカーの上がK君のロッカーで
K君の名前の書いてある道具類がこれまでと同じようにそこにある、ただそのことにも
涙が出てきそうになりました。
K君と同じ病弱児クラス所属のN君は
目に涙をいっぱいためてうつむいたままでした。
そうだよね、みんなの仲間だったんだもんね。
急きょ支援級のお母さんたちが集まって
告別式のことなどいろいろ打ち合わせをしましたが
具体的な話が一通り終わると、みんな溜息をついて「つらいね… やりきれないね…」
それからぽつぽつとK君の思い出話をしました。
昨日の告別式には支援級の子どもたちと先生方、そして保護者も参列しました。
ちび六は2年前に私の祖父のお葬式に出ていて
そのときは大きな声でいろいろとしゃべっていたので
今回は身内ではないし失礼がないようにしないとと思っていましたが
比較的落ち着いていて
大きな声を出したり不適切なことを言ったりせずに最後まで参列できました。
お坊さんやごあいさつの方が出てくると「これだれ?」と言ったり
読経の鐘の音に「びっくりした」と言ったりということはありましたが。
告別式がどのように行われるかわからなかったので
事前にちび六に具体的な説明ができませんでしたがよく頑張ったと思います。
しっかりとお別れができました。
===
K君のご両親やお兄ちゃんの心中を思うと
ただただ胸がいっぱいになって言葉を失うばかりです。
K君はいつまでも同じクラスの仲間だからね。
K君のご冥福を心よりお祈りします。
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