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November 23, 2014
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2013年3月21日(木)「五島はゆったりしていて良かった・・・」友人の声に反応し、五島観光協会に電話を掛けたところ、綺麗なパンフレットが送られて来て、早速五島行きを決断する。急にやって来た春の便りに、美しい花たちとの出会いを期待しながら・・・。案内によると、五島の名物は三つあるようだ。海岸線や、変化に富む火山のたたずまいなどの自然風景。全島に50戸も点在する、風情ある教会の建物。もうひとつ最後に、椿。私はさらに、この島に住む人たちの生き様や気質にも、興味を持っている。黄砂が吹きまくった昨日に比べ、あちこちに青空も覗くまずまずの好天。伊丹空港7時05分発福岡行きは、ほぼ満席だった。飛行機はプロペラ6枚の双発機で、私にとって初めて出会う機種だ。しかし飛行中も、プロペラ騒音や揺れが少なく、快適だった。新しい機種は、エネルギーの高騰、技術の進化などの理由で生まれてきたのだろう。九州新幹線の開通や不景気などの原因も、あるかも知れない。ANAの「スキップサービス」は、電話で予約するだけで、当日手荷物検査場入口をパスすることが出来る。切符やペーパーなどが全くないので、何かしら不安だが、使って見るととても便利で簡単である。JALにも「タッチ・ゴー」なるサービスがあるようだ。福岡から五島福江空港までの機体は、大阪から福岡までのものと同じだった。しかし今度の区間は、完全に満席だったのには、驚いた。福岡で降りた客より、福岡から新たに乗った客の方が多いのだった。五島福江空港は、期待通りこじんまりと静かな佇まい。現在は定期便が福岡、長崎を結んでいるが、かつては伊丹、関空、上五島を結んでいた。定期チャーター便としては、壱岐、松本、静岡などに飛んだこともあるようだ。CIQ(税関、入出国管理、検疫)機能があれば、韓国釜山からの乗り入れ計画もあると聞く。今晩の宿カンパナホテルから、出迎えの車が来てくれていた。昔のような半纏姿ではなく、制服のジャケットを着て、ニコニコしながら・・・。
April 13, 2013
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長い寒さの後に、急に開花情報が飛び込んできて、ビックリしましたね。それでも問題だらけの社会にも、キッチリ春がやってくることは、有難いことですね。私は春を求めて、五島に行って来ました。たまたま黄砂嵐の直後に恵まれ、東シナ海の青い海が印象的でした。(サロン)◇ 「天霧サロン」4月12日(木)13時~14時 於箕面美人の湯「水春」(千里中央読売文化ホール前11時52分発のシャトルバスがお勧めです)◇ 「ラ・メール会」4月19日(金)12時~14時 於「三楽」千里阪急ホテル1F◇ 「アジサイ・サロン」は、事前に申し込みがあれば第二水曜の10時~12時 於千里阪急朝日ビル1階「サン・シェード」にて(フランス語シャンソン)旅のお話も好評4月9日(火)13時~14時30分 於 みのお市民活動センター(毎月第二火曜) 久々にフランスの童謡を歌って見ようと思います(コントラクト・ブリッジ)初心者歓迎4月9日(火)14時30分~17時 於 みのお市民活動センター(毎月第二火曜)(導引養生功)毎週月曜日14時~15時30分 於 みのお市民活動センター(ブログ)現在連載中のもの:-1962年のパリ便り:フランスの再発見 キンシャサ日記:日本人とヨーロッパ人の差 スイス写真集:ジュネーブ最後の夕食 八甲田は涼しい久々の中国-広州再訪 ラインを上る:ラインの古城<2008年4月>南仏プロヴァンスに憧れて<2009年6月>北海道金繍<2009年10月>初めてのソウル<2009年12月>新鮮になった台湾を訪ねる<2010年5月>シンガポールの風を求めて<2010年6月>新高齢者時代の80歳
April 2, 2013
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2013年1月11日(金)今回の東京二泊旅行。ホテルは、ネットで人気ナンバーワンの「パーク・ハイアット東京」を選んだ。気持のいいホテルステーを目指すと同時に、日本におけるホテルサービスのグレードを確かめたいとの気持ちもあった。ホテルサービスのグレードアップは、これからの観光のグローバル化時代を勝ち抜くために、非常に大きな要素の一つと考える。しかし日本のホテルや旅館をあちこち探っても、「これは」と思うサービスに出会うことは、非常に少ない。さりげなく、そうであっても客の心を明るくしてくれるサービスが、望ましいと考えるが、日本での経験では、行き過ぎでかえって客に重い負担を掛けることが多いように感じる。新宿駅南口は、見違えるばかり賑やかになっていた。東京都市圏が、巨大化しているのだ。鉄道で新宿に集まる人の数は、駅の乗降者数を合計すれば、一日当たり450万人に達すると言う。これは世界一の数で、乗降客数250万人/日を誇るわが大阪/梅田も、とても敵わない。駅の案内所に、タクシー乗り場を訊いたら、「パーク・ハイアット東京ホテルに行くならば、新宿駅南口から甲州街道を南に渡り、そこで拾いなさい」と教えてくれた。南口から甲州街道を隔てた向かいの線路上にも、鉄筋コンクリートの骨組みが立ち上がっていて、駅はまだ成長を続けている様子だ。その光景に目をパチクリしている私に、タクシーの運転士さんは、「また駅が出来るのですよ」と、誇らしげに案内してくれる。ホテルは、新宿駅南口から、その52階の三角の屋根を、仰ぐことが出来る。若くて元気ならば、歩いてちょうどいい距離だ。車寄せに出迎えてくれたドアマンは、ニコニコと元気いっぱいで、第一印象でこのホテルがすっかり気に入った。42階のレセプションも、ゆったりしたオフィス風の構えで、椅子に座って落着いたチェックインは、とても感じが良かった。案内された44階の部屋は広々としており、部屋幅いっぱいの窓からのパノラマは、「これぞ首都東京だ!」と、力強く私に訴え掛けていた。正面に新宿の中心街、奥まって「東京スカイツリータワー」。左足下には、ネオゴチックの東京都庁ビル群が、雄姿を競っている。右足下に、明治神宮、新宿御苑、神宮外苑、赤坂御用地と続くグリーンベルト。ビルに隠れて十分に見ることはできないが、その先は宮城だろう。もう少し右には、東京タワーも、従来の威厳を損なうことなく、聳えている。関連の写真を「ソフィーさんの旅行記」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載します。ご覧ください。(2013年3月16日 片瀬貴文)
March 16, 2013
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2013年3月11日。昨日の黄砂が嘘のように、空は真っ青、最高のウメの花日和だ。こんな日に恵まれるなんて、なんと運のいいことか・・!万博公園の入口に近付くと、車椅子や介護の人びとが目立つ。みんなの表情が明るい。梅はまさに見ごろだった。今年は大阪万博以来40年余り。梅の木は年々充実し、大きくなっただけでなく枝ぶりも見事になっている。写真はhttp://4travel.jp/traveler/katase/(ソフィーさんの旅行ブログ)をご覧ください。(2.13.03.12 片瀬貴文)
March 12, 2013
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2013年1月11日(金)さて、東京駅を出発した中央線浅川行きの電車は、間もなく神田に停まる。私が国鉄を辞した昭和55年(50歳)前後のころ、神田の駅前には、落着いた雰囲気のうなぎ屋があった。その二階座敷で、国鉄在職中から気心が合っていた仲間が、時々集まった。その都度私は、大阪からやって来て、その席に出ることを楽しみにしていた。話題は、輸送行政の改革「日本の輸送をどうすれば総合的に体系化できるか」に集中した。詰まるところは、建設省と運輸省の合体化構想である。それまでの輸送行政は道路、鉄道、港湾、空港とばらばらで、全体のあり方について方向性が見えなかった。出席者は、建設省、運輸省、国鉄などの、次官候補クラスだった。このときの議論が、数年後の国鉄民営化や、さらにずっと後になるが「国土交通省」の誕生に、幾らか影響したかもしれない。さかのぼって昭和35年、28~29歳、通勤の帰途お茶の水駅で降りて、「アテネフランセ」に通ったことを思い出す。私がフランス政府招待社会人留学生試験を目指してフランス語習得に一歩を踏み出したのは、昭和34年の秋だった。秋田・岩手県境の山中、北上線(当時横黒線)大荒沢に暮らしていたので、フランス語学習といっても、頼りは「リンガフォン」だけ・・・。毎晩繰り返し聞きながら、全文を暗記することにした。生きたフランス語に接したのは、翌昭和35年4月、東京に転勤してからである。「アテネフランセ」の夜間クラスを申し込んだのだったが、東海道新幹線設計で超過勤務が多く、出席率4分の1程度だったろうか。それでもフランス人の先生から聞く生のフランス語は、新鮮さに満ちていた。フランス語を、日本語を介さずにフランス語で学んだ結果、オーラル・コミュニケーションは長年学んだ英語よりもずっと楽になった。英語も同じような学び方をすれば、もっともっと世界を見ることが出来たのでは・・・。次の停車駅四谷には、土木学会がある。私の夢の一つは、土木学科出身者の意識改革だった。技術に優れているだけでなく、「数十年という長い視野を持って、社会全体をリードすべき責任を持つ」との改革である。長期的視点が不足しがちなのは日本社会の特徴だが、その原因の一つとして、意思決定者に科学的思考が不十分なことがある。その問題点を補う存在として、土木学科出身者がもっと頑張らなければならない。このような視点から、学会にかかわる機会を前向きに持とうとしていた。そうした結果、土木学会と基礎工学会の双方で、関西地区の代表的立場に立つものとして、学会活動にかなりの大きなエネルギーを使った。関連の写真を「ソフィーさんの旅行記」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載します。ご覧ください。(2013年3月3日 片瀬貴文)
March 3, 2013
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水仙は真っ盛り。雪柳も可愛い芽を吹いてきました。長い冬もようやく終わりに近づいたようです。南伊豆からは、河津桜七分咲きの便りが届きました。間もなくやって来ようとしている春が、楽しみですね。2月には、フランス語シャンソンとコントラクト・ブリッジに、新しいメンバーが増えました。また書棚の片隅から、フランスの童謡レコードも出て来ました。春と共に新しい出発です。(サロン)◇ 「天霧サロン」3月4日(月)13時~14時 於箕面美人の湯「水春」(千里中央読売文化ホール前11時52分発のシャトルバスがお勧めです)◇ 「ラ・メール会」4月19日(金)12時~14時 於「三楽」千里阪急ホテル1F◇ 「アジサイ・サロン」は、事前に申し込みがあれば第二水曜の10時~12時 於千里阪急朝日ビル1階「サン・シェード」にて(フランス語シャンソン)旅のお話も好評3月12日(火)13時~14時30分 於 みのお市民活動センター(毎月第二火曜)(コントラクト・ブリッジ)初心者歓迎3月12日(火)14時30分~17時 於 みのお市民活動センター(毎月第二火曜)(導引養生功)毎週月曜日14時~15時30分 於 みのお市民活動センター(ブログ)現在連載途中のもの:-1962年のパリ便り:フランスの再発見 キンシャサ日記:日本人とヨーロッパ人の差 スイス写真集:ジュネーブ最後の夕食 八甲田は涼しい久々の中国-広州再訪 ラインを上る:ラインの古城<2008年4月>南仏プロヴァンスに憧れて<2009年6月>北海道金繍<2009年10月>初めてのソウル<2009年12月>新鮮になった台湾を訪ねる<2010年5月>シンガポールの風を求めて<2010年6月>新高齢者時代の80歳
March 1, 2013
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2013年1月11日(金)東京駅中央線ホームから、新装なったばかりの丸の内駅舎が、部分的に見えている。明日の再会が楽しみだ。浅川行きの中央線の電車に乗って、大阪周辺のJR電車とは違った風を感じた。一口で言えば東京の山手の風だろうが、やや上品で高踏的な雰囲気である。電車に乗れば、その沿線の空気を感じる。昨年久々に訪れた香港では、地下鉄内でこれまでに経験しない知的な空気を感じることがあった。香港の進化のようなものを感じて、感心したものだった。中央線の沿線には、いろいろな思い出がある。昭和21年、20歳で大学受験の下見のために訪問した初めての東京では、高円寺の知人宅に泊まった。昭和28年国鉄入社時、社員教育のための合宿は、国分寺にあった。戦時中は軍隊の兵営だった建物を転用した「国鉄中央学園国分寺寮」は、一室8名で、共同生活が始めてだった私にとり、この一年は、「人間」を深く知るために貴重な経験だった。翌昭和29年、見習い実習で東京鉄道管理局勤務となり、宿舎に割り当てられたのは、三鷹寮だった。この寮は三鷹事件の余韻が残る三鷹電車区に隣接し、八畳4人。私は夜勤明けを利用して三鷹電車区テニスコートで腕を上げ、東京都都民大会三鷹代表に選ばれた。約半年後、金沢に暮らしていた母親と同居するために、6畳一間の五反田家族寮に引っ越した。戦時中女子の職工を地方から集めるために急遽造られた建築らしく安普請で、近くの山手貨物線をD51が走ると、窓ガラスがビリビリと音を立てて振動した。しかし毎日顔を合わせる家族たちは、お互いの貧しさに共感があるらしく、明るくて仲の良い近所付き合いだった。母親は私を出産してから「産後のリューマチ」に罹患し、身体が不自由だったので、ずっと私の転居に付き合ってくれた。昭和29年から42年まで13年間、その間五反田、熱海六軒長屋、熱海二軒長屋、盛岡、東京巣鴨、高田馬場と、見知らぬ社会をほぼ二年おきに6回越した。私はその間に、単身生活を6回しているので、合計12回越している。国鉄在職28年には、30回引っ越した。関連の写真を「ソフィーさんの旅行記」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載します。ご覧ください。(2013年2月21日 片瀬貴文 記)
February 21, 2013
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2013年1月11日(金)車中私は、林芙美子の「下駄で歩いた巴里」なる、紀行集を読んでいた。いま読んでいる部分は、昭和6年(1931年)彼女がひとりで、シベリア鉄道の三等車で日本からパリに向かいつつあるところだ。彼女の生まれは明治36年(1903年)だから、当時の年齢は28歳。満洲事変のさなか、戦争のきな臭さい空気の中を、日本人だけでなく外国人旅行客さえほとんどいない列車に乗って、女ひとりの長旅をやり遂げつつある勇気と好奇心の強さに、深く感心している。言葉が通じないのに、旅行客同士あるいは車掌などと、気心を通わせているところも凄い。もうすぐ品川という時に、左側に真新しくて綺麗な高層ビルの並びを見る。大崎の貨物ヤード跡地が、開発されたのだろう。大崎の貨物ヤードには、昭和29年(1954年)、私が蒸気機関車のハンドルを握り、貨車の入換えをした思い出がある。私の操縦が「うまい」と褒めてくれた、ベテラン入換掛の笑顔が目に浮かぶ。新米の運転士がうまい筈はないのだが、貨物ヤードの貨車の並び具合を見ながら、先を読んだので入換掛と呼吸が合ったのだろう。当時私の所属は、品川機関区の副機関士。この機関区には、D51やC57など、めぼしい蒸気機関車が配置されていた。私は先ず投炭訓練で鍛えられ、試験に合格してから機関助士として蒸気機関車の罐焚きに従事した後、機関車の運転に携わった。投炭試験は、たしか6分40秒間に、訓練用罐のたしか24カ所に所定の厚さの石炭が投入できるかどうかで、採点された。合格まで、数週間かかったように記憶する。それでも実際にD51に乗務したところ、罐の圧力が規定の16キロに対し11キロまでしか上がらず、甚だ心もとのないスタートだった。機関士を始めた後には、D51のハンドルをとり黎明の山手貨物線を颯爽と駆け抜けたり、C57で朝霞の米軍基地まで、朝鮮戦争帰りのGIたちを送り届ける緊張を味わったりした。新幹線が品川に停まるようになり、便利になった。この品川駅にも、助役として勤務したことがある。切符売り、切符切り、ホームに立って酔っ払いの相手まで、現場第一線の苦労を経験する。品川機関区は品川駅の海側にあり、さらにその海側には屠殺場があった。隣接して製薬会社の動物血液天日干し場があり、海風の日には血の生臭い匂いが駅に漂った。また七輪を借りて自分で臓物を焼く露店の焼肉屋もあり、安くて量も多いので、何度か出かけたものだった。東京駅はすっかり生まれ変わったと聞く。この駅には、昭和40年代の末ごろ三年間にまたがり、東京南鉄道管理局で、保守管理の責任部長としてかかり合ったので、子供のように感じる。生まれ変わった新しい駅との出会いも、今回の旅の楽しみの一つだが、とりあえずホテルにチェックインしようと、中央線に乗換え新宿に向かう。関連の写真を「ソフィーさんの旅行記」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載します。ご覧ください。(2013年2月8日 片瀬貴文 記)
February 8, 2013
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1月は「アルジェリア誘拐事件」「スポーツ暴行事件」など、考えさせられる問題が多い一か月でした。いずれも私の人生経験に近接する部分があり、とくに注目した次第です。1975~77年ザイール(現コンゴ)滞在時、私の目標は、プロジェクトの実現に先行して「いかに自分が現地人たちをリスペクト出来るか。その結果現地人から日本がリスペクトされるか」であったと、懐古します。1947~79年北陸女学校卓球部コーチ時代私が教え込もうとしたのは、試合中における心の働かせ方、自己コントロールでした。いずれのケースも成功を得ましたが、原点は「相手をリスペクトする」ことであり、今回の事件には、リスペクトの欠乏という反省が不足しているように思われます。(サロン)◇ 「天霧サロン」2月4日(月)13時~14時 於箕面美人の湯「水春」(千里中央読売文化ホール前11時52分発のシャトルバスがお勧めです)◇ 「ラ・メール会」4月19日(金)12時~14時 於「三楽」千里阪急ホテル1F◇ 「アジサイ・サロン」は、事前に申し込みがあれば第二水曜の10時~12時 於千里阪急朝日ビル1階「サン・シェード」にて(フランス語シャンソン)旅のお話も好評2月9日(火)13時~14時30分 於 みのお市民活動センター(毎月第二火曜)(コントラクト・ブリッジ)初心者歓迎2月9日(火)14時30分~17時 於 みのお市民活動センター(毎月第二火曜)(導引養生功)毎週月曜日14時~15時30分 於 みのお市民活動センター(ブログ)現在連載中のもの:-1962年のパリ便り:フランスの再発見 キンシャサ日記:日本人とヨーロッパ人の差 スイス写真集:ジュネーブ最後の夕食 八甲田は涼しい久々の中国-広州再訪 ラインを上る:ラインの古城<2008年4月>南仏プロヴァンスに憧れて<2009年6月>北海道金繍<2009年10月>初めてのソウル<2009年12月>新鮮になった台湾を訪ねる<2010年5月>シンガポールの風を求めて<2010年6月>新高齢者時代の80歳
February 1, 2013
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2013年1月11日(金)東海道新幹線上り「ひかり」は、紺碧の空を背景に純白に輝く富士を仰ぎながら、富士川を通過する。在来線の富士川橋梁は、私の初めての現場だった。新婚早々の昭和30年、熱海の来宮の上に立つ、弾丸列車丹那トンネル工事用のバラックから、現場近くの岩淵駅まで電車で通ったものだ。日本最長支間200尺の三支間連続鈑桁、日本最初の縦取引出し工法等々、この工事には「日本最初」が多くて、工夫や緊張が楽しかった。また一年間で、鋼橋工事について一通りの経験も出来た。辺りを満たす芳しいミカンの花の香り、国道沿いの屋台店の泡盛そしてかつ丼。生活面でも初体験が多かった。正月には、私が責任者だった塗装工事の現場代人を、感謝をこめて自宅に招待した。母親と新婚夫妻合計3人の家族に、六軒長屋で六畳一間のわが家の狭さにはびっくりしたようだったが、とにかく「監督さんの家によばれたのは生まれて初めて」とよろこんでくれた。社会人になったばかりの私にとって、いままでに接したことのないこのような人の生き方や人生観を知ることには、非常な興味があった。私の長子が生まれた熱海を過ぎれば、東海道新幹線工事で私の担当区間だった神奈川県に入る。国府津を過ぎれば間もなく「葛川橋梁」。一度作った橋が壊れかかり、新幹線開業ギリギリで造り直した。練習運転区間であって、時速200キロで列車を走らせながら、毎日無事を祈る工事だった。新横浜を過ぎて、「大倉山トンネル」。落盤で10人を超える犠牲者を出し、約半数の生存者救出までの40時間余は、テレビ報道に曝され、身を裂かれる思いだった。辛かった犠牲者家族との対面、引き続き三ヶ月に渡った東神奈川警察との対応。設計協議が困難を極め、神奈川県に通いつめた、「鶴見川橋梁」。東海道新幹線のオリンピックまでの開業を控え、東京・新大阪間でネックとなった川崎市の通過反対運動。東海道沿線には、思い出がギッシリ詰まっている。東海道新幹線は、普段ならば接する機会の少ないたくさんの貴重な経験を私の人生に与えてくれた、恩師のような存在である。同時に、思い出の花園であり、密林である。関連の写真を「ソフィーさんの旅行記」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載します。ご覧ください。(2013年1月28日 片瀬貴文 記)
January 28, 2013
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2013年1月11日(金)初めてのひ孫が生まれたので、久々の東京を訪問する。駅弁は、種類が増え美味しくなり、かつ安くもなった。競争原理がプラスに働いていることを感じる。そろそろ誕生50年を迎えようとする東海道新幹線も、さらに進化しつつあるようだ。もう300系など見当たらない。最新鋭のN700系は、滑らかに、軽快に走る。流線型の車両形態の設計には、米原に造られた世界クラスの風洞が、役立ったのだろう。N700系は、1編成で1,323人を運ぶことが出来る。それが1時間当たり13本も走ることが出来るのだから、高速道路や航空機に比べれば、これは凄いキャパシティだ。おまけに開業以来、運転事故による死者ゼロの記録を守っているのだから、安全についても世界に比類のない実績を残している。脱線防止レールなども装備され、線路も良くなった。周辺への騒音も少なくなり、エネルギー効率も改善されたに違いない。電車線からモーターに給電するためのパンタグラフも、すっかりスマートな形になって、1編成に2個しかついていない。東海道新幹線の基本設計を私が担当し始めたときには、高速で走った時電車線とパンタグラフとが馴染まない問題が、車両の蛇行問題と相まって二大問題だったと記憶する。最初の車両0系には、パンタグラフが8個も着いていて、電車線との離線のため、パチパチと派手にスパークしながら、同時に風切り音を撒き散らしていた。1971年ヨーロッパ勤務から帰国したとき、パンタグラフを減らすべきと建議した記憶がある。東海道新幹線は毎年1億数千万人を輸送し、1兆円を越える収入とその半分の利益を生んでいる。建設したとき建設費が不足しギリギリの設計をしたが、それでも当初の予算1700億円が3800億円にまで、二倍以上に膨らんだ。限られた予算に四苦八苦し、悪戦苦闘した。この膨らみようは、当時の社会から厳しい目を浴びたが、これだけ営業成績を上げれば「結果良し」で十分納得いただけるだろう。ここまで新幹線を育ててくれた人々の努力、その背景にある日本の国民文化は、驚異の凄さと感じる。しかしテロ対策をはじめ、さらなる進歩に向けて残された課題はまだまだ山積している。より高度の次元に向けての発展を、祈るや切である。関連の写真を「ソフィーさんの旅行記」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載します。ご覧ください。(2013年1月22日 片瀬貴文記)
January 22, 2013
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明けましておめでとうございます。フォーラムSAを開設して、10年目を迎えました。その間延べ5千人を越える方々とお会いし、お話しできる機会を頂きました。またブログを通じては、延べ280万人の方々と交感出来ました。旅では、これまで接したことのない世界の、いろいろな方々から、多様な社会を教えられました。こうしたことは、「人間とは・・」を探り求めている私の一生にとって、とても大きな経験です。充実した10年は、皆さまの賜物と、厚く感謝申し上げます。(サロン)◇ 「天霧サロン」1月7日(月)13時~14時 於箕面美人の湯「水春」(千里中央読売文化ホール前11時52分発のシャトルバスがお勧めです)◇ 「ラ・メール会」1月18日(金)13時~15時 於「竹葉亭」◇ 「アジサイ・サロン」は、事前に申し込みがあれば第二水曜の10時~12時 於千里阪急朝日ビル1階「サン・シェード」にて(フランス語シャンソン)旅のお話も好評1月8日(火)13時~14時30分 於 みのお市民活動センター(毎月第二火曜)(コントラクト・ブリッジ)初心者歓迎1月8日(火)14時30分~17時 於 みのお市民活動センター(毎月第二火曜)(導引養生功)毎週月曜日14時~15時30分 於 みのお市民活動センター(ブログ)現在連載中のもの:-1962年のパリ便り:フランスの再発見 キンシャサ日記:日本人とヨーロッパ人の差 スイス写真集:ジュネーブ最後の夕食 八甲田は涼しい久々の中国-広州再訪 ラインを上る:ラインの古城<2008年4月>南仏プロヴァンスに憧れて<2009年6月>北海道金繍<2009年10月>初めてのソウル<2009年12月>新鮮になった台湾を訪ねる<2010年5月>シンガポールの風を求めて<2010年6月>新高齢者時代の80歳
January 3, 2013
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紅葉と新雪の山を愛でるべく、八ヶ岳から富士山麓をまわりました。天候に恵まれ、紺碧の空。日本の自然を堪能しました。(お話サロン)◇ 「天霧サロン」12月3日(月)13時~14時 於箕面美人の湯「水春」(千里中央読売文化ホール前11時52分のシャトルバスがお勧めです)◇ 「サロン・ラメール」次回は 来年1月18日(金)13~15時 於竹葉亭の予定です◇ 「アジサイ・サロン」は、事前に申し込みがあれば第二水曜の10時~12時 於千里阪急朝日ビル1階「サン・シェード」にて(フランス語シャンソン)旅のお話も好評12月11日(火)11時30分~13時30分 於 千里中央「梅の花」忘年会(毎月第二火曜)(コントラクト・ブリッジ)初心者歓迎12月11日(火)11時30分~13時30分 於 千里中央「梅の花」忘年会(毎月第二火曜)(導引養生功)毎週月曜日14時~15時30分 於 みのお市民活動センター(ブログ)現在連載中のもの:-1962年のパリ便り:フランスの再発見 キンシャサ日記:日本人とヨーロッパ人の差 スイス写真集:ジュネーブ最後の夕食 八甲田は涼しい久々の中国-広州再訪 ラインを上る:ラインの古城<2008年4月>南仏プロヴァンスに憧れて<2009年6月>北海道金繍<2009年10月>初めてのソウル<2009年12月>新鮮になった台湾を訪ねる<2010年5月>シンガポールの風を求めて<2010年6月>新高齢者時代の80歳
December 1, 2012
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2012年9月25日(火)界・松本の部屋に落着き、早速浅間温泉街を歩く。広場には花が美しく、「花いっぱい運動」の成果と見る。松本の駅前にも花の美しさが目立ち、私が「花が綺麗!」とひとりごちたところ、タクシーの運転士さんが「この町は花を大切にしているのですよ」と、教えてくれた。松本の花いっぱい運動は、昭和27年(1952年)開始と歴史が古い。ヨーロッパ規模に発達した花の街コンクールは1977年発足だから、松本は25年も先行していた。(フランス国内のコンクールは1901年発足)ある小学校の先生の発案で、当時貧しさの中で始まったこの運動は、先見性に満ちたものだった。信州松本の郊外浅間温泉は、日本書紀に登場した、飛鳥時代からの古い歴史を持つようだ。江戸時代には松本藩主に愛され、繁栄した。大正末期に松本駅から電車が開通し、ほぼ40年間運行されていたとの記録が残っているところを見ると、それだけ繁盛したのだろう。しかし街を歩いていて、街角に立つ大きな案内地図に、幾つもの旅館名が白ペンキで消されているのを見ると、何となくわびしい。旅館の風呂は、木の香りがすがすがしい。野天風呂に浸かると、都会の喧騒から隔離された静かさが嬉しい。すぐ眼先にポポーらしきライトグリーンの実が落ちていて、静かさを際立たせているように感じる。夕食の食膳は、期待にたがわず美味しかった。料理そのものに、出来立ての新鮮さを感じさせるのが素晴らしい。食事に没入したばかりに、レセプションホールでのミニ・コンサートが聞けなかったのは、残念だった。(2012.11.23)
November 23, 2012
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2012年9月25日(火)「界・松本」のレセプションホールは、ちょっとした体育館ほどの広さで、丸いドームの高さは、10メートルを超えると思われるスケールの大きさだった。。通されたホールの片隅のソファに腰掛けていると、実に静かだ。耳を澄ますと、かすかに小鳥のさえずりが聞こえてくる。これは、深山の静けさを演出するBGMのようだ。若い女性の接客サービスは、爽やかでフレンドリーであり、気持がいい。スマートな制服はシックで、動作が軽やかに見える。このような接客は、頭を深々と下げる従来のマナーに比べ、私には気持がいい。チェックインの3時までの時間、明日の行程を決めるべくJRの時刻表を借りようとしたが、置いてなかった。恐らく最近見る機会がすくなくて、必要がないからだろう。昨年スイスのジュネーヴ空港でドライブ用ルートマップが買えなかったのと同様、世の中の変化を体感。私にとってはショックだった。代わりにインターネットで調べようとしたが、パソコンは従業員以外扱えないとのこと。列車時刻の調べ方を教え、結果をプリントアウトしてもらう。夕方街を歩いた。都市郊外の鄙びた、高原に繋がる温泉。洗練され、街の活性を映しながらも、田園の趣きをも残し、アルプスの連山も遠望される。ふと見た道標に、「美ヶ原」の文字も見つける。若かったころ何回か訪ねた懐かしい地名だ。街角に、伊藤左千夫の歌碑を見つけ、彼がこの地に滞在して感じた心を偲び、しばし旅情に浸る。立派なスタンド付きの野球場を見つける。50年前、フィンランドの地方都市ヴァルケアコスキーで見た、スタンド・照明付きのサッカー場を思い出す。当時の日本では、照明やスタンドのついた競技場は、ほとんど無いに等しかったので、この国の豊かさに驚いたものだった。この街を案内してくれたのは、シャーリー・テンプルそっくり、18歳のアンナちゃんだった。スウェーデンの首都ストックホルムから、フィンランドのトゥルク行きの夜行フェリーで隣席だった彼女は、身体いっぱいに笑みを溢れさせ、一晩話しが尽きなかった。彼女は2カ月ほど親元を離れての、人生修行の帰りとのこと。自らのキャリアを高めるためにスウェーデン語を学ぶべく、はるばる海を渡って、ひと夏の休暇をスウェーデンの家庭で子守のアルバイトをしながら、過ごした。見知らぬ国の見知らぬ家庭に入り、生まれて初めてのご奉公は、彼女にとってさぞ苦労だったろう。その難行を乗り越えて充実した達成感が、眩しいほど輝いていた。生まれて初めて接する日本人の私に、憧れにも似た強い好奇心を持ったのだろう。世界無敵のバルチック艦隊を完全に葬った日本と言う国は、フィンランド人にとって神様のような存在なのだろう。「君の家を訪ねてもいいかい?」と声をかけたところ、二つ返事で「アァ是非ネ!」と、答えが返って来た。別れて二三日後、湖をグルグル辿る退屈な船旅の末、遥か彼方の埠頭で手を振って迎えたくれた彼女の嬉しそうな顔を、夕暮れの松本を歩きながら、いま思いだしている。(2012.11.09)
November 11, 2012
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トルコ人と日本人の結婚式に招かれました50年前の トルコ訪問の経験談 トルコ人の愛国心や誇り 尋常ならぬ好奇心など 非常に喜ばれましたhttp://4travel.jp/traveler/katase/をご参照ください新規開店した梅田阪急ホテルの13階レストラン「アル・ポンピエーレ」は 昨秋訪問した北イタリア ヴェローナからの出展とのこと とても懐かしくパスタを味わいました(お話サロン)◇ 「天霧サロン」11月5日(月)13時~14時 於箕面美人の湯「水春」(千里中央読売文化ホール前11時52分のシャトルバスがお勧めです)◇ 「サロン・ラメール」次回は 来年1月18日(金)13~15時 於竹葉亭の予定です◇ 「アジサイ・サロン」は、事前に申し込みがあれば第二水曜の10時~12時 於千里阪急朝日ビル1階「サン・シェード」にて(フランス語シャンソン)旅のお話も好評11月13日(火)13時~14時30分 於 みのお市民活動センター(毎月第二火曜)(コントラクト・ブリッジ)初心者歓迎11月13日(火)14時30分~17時 於 みのお市民活動センター(毎月第二火曜)(導引養生功)毎週月曜日14時~15時30分 於 みのお市民活動センター(ブログ)現在連載中のもの:-1962年のパリ便り:フランスの再発見 キンシャサ日記:日本人とヨーロッパ人の差 スイス写真集:ジュネーブ最後の夕食 八甲田は涼しい久々の中国-広州再訪 ラインを上る:ラインの古城<2008年4月>南仏プロヴァンスに憧れて<2009年6月>北海道金繍<2009年10月>初めてのソウル<2009年12月>新鮮になった台湾を訪ねる<2010年5月>シンガポールの風を求めて<2010年6月>新高齢者時代の80歳
November 1, 2012
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2012年9月25日(火)1966年、私が国鉄本社建設局線増課に入ったころは、全国の幹線で複線化工事が花盛りだった。中央東線では、東京の新宿から山梨の小渕沢辺りまで複線化が完了しており、その先の工事を進めた。それまでの複線化工事では、線路の性能を決める曲線半径を、各線で決めた規格ギリギリで設計していたのを、私が担当してからは規格ギリギリではなく、なるべく半径を大きくして、将来の高速化に備えるように、考え方を改めた。その効果が全国でもよく現われている区間の一つが、小渕沢・塩尻間だろうと推測している。塩尻から中央線と別れ、篠ノ井線に入る。秋の実りを迎えつつある松本盆地の豊かな田畑が、線路の両脇に広がる。タクシー運転士は、キビキビと旅行鞄をトランクに積み込んでくれ、気持が良かった。「私の友人の信州人はみな優秀だが、何故でしょうか?」私は、タクシーの運転士さんと話すことが好きだ。ほとんどの運転士さんは話し好きで、私からの質問に喜んで答えてくれ、心を温め合うことが多い。旅の大きな楽しみの一つである。私の問いに、運転士は「それは寒さのために違いありません」と答えてくれる。「厳しい環境が人を育てることは、確かだなァ」と考える。今晩の宿「界・松本」は、浅間温泉にあった。最近、と言っても10年くらい前に建てられたのだろうか。新しく建てられた温泉宿を、しばらくしてから星野リゾートが肩代わりし、つい昨年改名したようだ。着いたのは14時。チェックインまで一時間あったので、広い前庭に面した入口の前のベンチで一服した。ベンチに座り、塀の縦縞模様がもたらしている前庭の落着き感に感心していると、タクシードライバーは、私が宿の出迎えを待っていると思ったのだろう。気をきかせた運転士は、いったん発車しかけたタクシーから降りてきて、わざわざ客の到着を知らせようと、宿のカウンターに走り伝えてくれる。宿とタクシーのチームワークによって、この地を訪れた客をもてなそうとする心遣いが感じられ、気持がいい。入口から玄関まで、短い距離だが、ガラス屋根から射しこむ光線の効果もあり、心地良さに満ちた石畳の通路がある。この狭い空間を通って、突然広々としたレセプションホールに一歩踏み込んだ時、さらに何かしら客の魂を揺り動かすものがある。広い前庭と広いレセプションホールを、折れ曲がってかつ狭い通路で結ぶことにより、この建物にやって来た人の魂を最初に揺すぶろうとしている設計者の意図に、感心する。(2012.11.19)
October 19, 2012
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2012年9月25日(火)名古屋駅前には、新しいビルが建っていた。新しいビルの外郭には曲線が目立ち、新鮮な印象は、この地の発展を想わせる。プラハの「踊るビル」を思わせる、ダイナミックなものもある。いま開発中の大阪・梅田北のビルは、これに比べれば躍動感に劣る。多治見、中津川と、岐阜県の二駅に停まり、特急信濃9号は木曽路に入った。若々しく銀色に光るススキの穂が、風に揺れながら秋の到来を告げている。寝覚ノ床に代表される木曽川の渓谷は、昔の美しさを維持していた。始めてこの線を通ったのは、何年ごろだったろうか?若かったころ、蒸気機関車の煙と闘い、トンネルのたびに窓を開閉しながら愛でたこの景色の感動は、いまも胸深くに残っている。木曽福島は、高齢のタクシードライバーがハンドルを握りながら唄ってくれた正調木曽節の、故郷愛を込めた朗々たる音調が、心の底に懐かしい余韻を留めている。帰途の立ち寄りが楽しみだ。鳥居峠のトンネルを挟んで、薮原、奈良井と、特急「しなの」は中山道の宿場沿いに走る。宿場町の余韻を少しでも多く楽しもうと、窓外の景色に集中する。塩尻は、名古屋からやって来た中央西線と、東京からやって来た中央東線の、合流点だ。中央線は、関東と関西を結ぶ幹線鉄道として、工事が始められた。海沿いの東海道は、外国艦隊から攻撃され易いと考えられたからだ。しかし工事半ばから、幹線鉄道の重点が東海道に切り替えられる。塩尻と聞けば、塩嶺トンネルを思い出す。1966年、私が国鉄建設局線増課総括補佐に着任直後、初めて手掛けたプロジェクトだったからである。地元としては線路の変更による利害の対立が厳しく、調停には県知事を煩わせた。決定後も用地買収がうまく進まず、開業したのは1983年だった。このトンネルのお陰で、東京から松本までの距離は16キロも短縮された。19世紀末に計画された中央線は、諏訪湖畔から松本と反対方向の南に走り、辰野を経由していた。片勾配で長さ6キロものトンネルは、当時の技術レベルを越えており、その上静岡・糸魚川構造線なる大断層を横切っている。また完成しても、連続急勾配トンネル内の蒸気機関車運転は、機関士の人力を越えていた。これが数十年前では迂回ルートによらざるを得なかった理由だった。(2012.10.14)
October 14, 2012
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ようやく秋めいてきましたね今年の夏の暑さは 気象観測史上例を見ないものだったそうですが 雨の降り方も異常だったと思います今年はマンションの庭にマンジュシャゲが咲きました誰かが植えたものでしょう(お話サロン)◇ 「天霧サロン」10月1日(月)13時~14時 於箕面美人の湯「水春」(千里中央読売文化ホール前11時52分のシャトルバスがお勧めです)◇ 「サロン・ラメール」10月19日(金)13~15時 於佳筍◇ 「アジサイ・サロン」は、事前に申し込みがあれば第二水曜の10時~12時 於千里阪急朝日ビル1階「サン・シェード」にて(フランス語シャンソン)旅のお話も好評10月9日(火)13時~14時30分 於 みのお市民活動センター(毎月第二火曜)(コントラクト・ブリッジ)初心者歓迎10月9日(火)14時30分~17時 於 みのお市民活動センター(毎月第二火曜)(導引養生功)毎週月曜日14時~15時30分 於 みのお市民活動センター(ブログ)現在連載中のもの:-1962年のパリ便り:フランスの再発見 キンシャサ日記:日本人とヨーロッパ人の差 スイス写真集:ジュネーブ最後の夕食 八甲田は涼しい久々の中国-広州再訪 ラインを上る:ラインの古城<2008年4月>南仏プロヴァンスに憧れて<2009年6月>北海道金繍<2009年10月>初めてのソウル<2009年12月>新鮮になった台湾を訪ねる<2010年5月>シンガポールの風を求めて<2010年6月>新高齢者時代の80歳
October 2, 2012
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2012年9月25日(火)私は信州が好きだ。これまで信州の山の風情にあこがれ、何度信濃路にやって来たことか。今回はベストシーズンの秋。そして選んだのは、大阪から在来線の東海道線を通り、長野直通の「特急しなの9号」。この大阪・長野間直通特急に乗るのは長年の夢だったのだが、今回ようやく実現した。久々の東海道線は、すっかり装いを変えていた。宅地開発が進み、あちこち出来たばかりでピカピカの工場が、並んでいる。米原から先の景色は、私にとっていっそう新鮮に感じられた。ただ、採石のために変容した伊吹の姿は、痛々しい限りだった。いつの間にか、第八高等学校寮歌「伊吹颪」を口ずさんでいる。『伊吹おろしの雪消えて 木曽の流に囁(ささや)けば 光に満てる国原(くにはら)の 春永劫に薫(かお)るかな 』私の友人の未亡人は、毎日霊前でこの詩を歌い、故人の追った青春の夢を偲んでいると聞く。第八高等学校は名古屋に立地し、旧制高等学校ナンバースクール中、もっとも新しい存在だった。旧制高等学校は、全国で30余校創られたが、その内古い順で八つの学校が「第一」「第二」・・・と呼称された。関ヶ原・・・。1600年のこと、ここで日本の新時代をひらく戦いが行われた。20万人に近い武士が戦火を交え、8千人ほどが死んだと記録されている。いま見れば静かな山あいの景色。ここに数10万の「鬨の声」が響き渡ったのだ。深い感慨を及ぼすのは、年齢の賜物だろう。(2012.9.28)
September 28, 2012
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2012年5月23日(水)プラハ本駅(フラヴニー・ナードラジー)から、メトロC線に乗ろうとしている。メトロ改札口の脇に立っている自動券売機で、無事切符を買うことが出来、チョッとした達成感を感じた。数年前イタリアのローマでは、自動券売機に10ユーロ札を投じながらも、切符が出て来なかった苦い失敗が、脳裏に残っているのだ。改札口では、自動改札マシンに切符を通さなければならない。この自主的な改札をしない限り、切符を持っていてもタダ乗りと見られるので、要注意だ。ホームに向かう途中で、ふと「ドヴォルザークが鉄道好きだった」ことを思い出す。アントニン・ドヴォルザーク。(チェコ語では「ドゥヴォジャーク」と聞こえる)その交響曲第9番「新世界より」で名高く、チェコが世界に誇る作曲家である。4歳の時、彼の家の近くにプラハ・ドレスデン間の幹線鉄道が開通し、列車が通るたびに彼は見に行ったという。当時の鉄道は、世界を牽引する、エネルギーに満ちた存在だった。いまあらためて「新世界より」を聴くと、あちこちに蒸気機関車の重厚な、そしてダイナミックなリズムを感じる。メトロのプラットホームに降り立った私は、その美しさに驚いた。ホームから天井に達する大きな壁は、クリーム色の大理石の面で、シンプルに飾られている。プラハは、街並みや個々の建物に始まり、地下鉄の駅の隅々に至るまでも、この街を美しくしようと言う意欲が染みわたっているようだ。この意欲は、この街に住む人たちが長い伝統の中で自然に養われたものと推測する。空腹を覚え、近くのヴァーツラフ広場に行こうと考える。この広場は、パリのシャンゼリゼーに似たところと訊いているので、きっと美味しい食べものがあるに違いない。やって来た地下鉄に乗り、次の「ムゼウム」駅に降りれば、ヴァーツラフ広場の南端辺りに出ることが出来る筈だ。この記事に関する写真は、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/をご覧ください。姉妹ブログに「片瀬貴文さんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/takafumi/があります。記事の文章は、検索のし易い「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114もお勧めです。(2012年9月16日 片瀬貴文)
September 16, 2012
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2012年5月23日(水)二階建ての観光バスでプラハの外郭をぐるっと周り、いまプラハ本駅にやってきた。駅前でバスを降りたとたん、人の少なさと駅舎の古さに一瞬驚いたが、一階下の地平レベルに降りたら、それなりの賑わいがあった。しばらく駅の中を散歩しながら、並んでいるキオスク、スーパーなどの店構えや、売っている品物など、駅を介して街の生活ぶりを伺う。公衆トイレは、エレベーターで登って、飾りの綺麗な有料のものを探すことが出来た。そして、ここからホテルまで、メトロ(地下鉄)乗車を試みようと決心する。メトロやトラムなどの公共交通機関を利用すれば、その町をより間近に感じることが出来る。そう考えている私は、どの街を訪れても、公共交通機関利用にチャレンジする。公共交通機関は、外からやってくる外国人にそれほど親切ではないので、いろいろな苦労が付きまとう。だが、失敗を重ねながらも何とか乗りこなせるようになったときの達成感も、旅の楽しさの一つである。切符の自動販売機を探したら、黄色の機械が、ホール中央の目立つ場所に立っていた。興味津々近寄って見れば、英語の説明も書いてあるので、何とか理解することが出来る。プラハのメトロの切符は、トラムやバスと共通している。一回乗車券には、30分乗れるものと、90分乗れるものの、二種類がある。90分間有効のものは、その時間内ならば何回でも乗換自由だ。それぞれの値段は、大人24クローネ(約100円)と32クローネだが、さらに65歳以上は、子供と同じく半額で、非常に割安に感じる。提示を求められれば年齢証明が必要らしいが、私はパスポートのコピーを持っているのでこれで通用するだろう。本駅を通っているメトロは、C線。プラハのメトロには、ABCの3線がある。合計延長は60キロを数え、一日平均150万人を運んでおり、ヨーロッパ第6の規模とのことだ。この記事に関する写真は、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/をご覧ください。姉妹ブログに「片瀬貴文さんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/takafumi/があります。記事の文章は、検索のし易い「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114もお勧めです。(2012年9月4日 片瀬貴文)
September 4, 2012
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(サロン)◇ 「天霧サロン」9月3日(月)13時~14時 於箕面美人の湯「水春」(千里中央読売文化ホール前11時52分発のシャトルバスがお勧めです)◇ 「ラメール」10月19日(金)13時~15時 於「佳筍」◇ 「アジサイ・サロン」は、事前に申し込みがあれば第二水曜の10時~12時 於千里阪急朝日ビル1階「サン・シェード」にて(フランス語シャンソン)旅のお話も好評9月11日(火)13時~14時30分 於 みのお市民活動センター(毎月第二火曜)(コントラクト・ブリッジ)初心者歓迎9月11日(火)14時30分~17時 於 みのお市民活動センター(毎月第二火曜)(導引養生功)毎週月曜日14時~15時30分 於 みのお市民活動センター(ブログ)現在連載中のもの:-1962年のパリ便り:フランスの再発見 キンシャサ日記:日本人とヨーロッパ人の差 スイス写真集:ジュネーブ最後の夕食 八甲田は涼しい久々の中国-広州再訪 ラインを上る:ラインの古城<2008年4月>南仏プロヴァンスに憧れて<2009年6月>北海道金繍<2009年10月>初めてのソウル<2009年12月>新鮮になった台湾を訪ねる<2010年5月>シンガポールの風を求めて<2010年6月>新高齢者時代の80歳
September 1, 2012
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プラハ9泊【12】よみがえりつつあるか「プラハ本駅」2012年5月23日(水)プラハ本駅前の観光バス停に降り立った私は、一瞬驚き戸惑った。駅前らしい賑わいが全くなく、そこに建っている建物が廃屋に近い傷み方をしていたからだ。今朝ホテルのレセプションで、本駅が見たいと道のりを訊いたところ、不思議そうに「駅に行っても何もないですよ」と言われたことが、本当だったと判った。しかし、鉄道線路はバスから見えていたし、地図によれば本駅の前にはメトロ(地下鉄)の駅もある筈だ。古い建物に沿って西に少し歩くと、あった、あった、入口が・・・。この駅は現在、大改造工事中なのだった。入口を入れば立派なドームがあり、美しい街の玄関としてふさわしく、壮麗だった昔の姿が残されている。骨董品的なモダン・アートの装飾があちこちに目を引き、改造後はどんなに素晴らしい姿に変わるのだろうか、とても楽しみだ。この駅が繁盛を極めていたのは、19世紀の終わりから20世紀の初めだろうか。その頃の賑わいを想像しながら、この駅に着いた人びと、この駅を発つ人びとの胸のときめきはどんなだったろうかと、楽しく空想する。中でもこの駅の最も盛んだったのは、1930年ごろと推測する。第一次世界大戦の傷が回復し、ほんのいっときの繁栄の後、第二次大戦に入る。その僅かの期間、ヨーロッパの人々には、旅を楽しむタイミングがあっただろう。その後間もなくドイツにナチが台頭し、チェコはドイツの保護領となる。それからほぼ50年間、第二次世界大戦、引き続き東西冷戦時代と、チェコは苦しい時代を味わった。鉄道そのものも自動車の発展のため輝きを失い、長い停滞期を過ごしてきた。駅がこんなに廃屋になるのも、無理ないのかもしれない。などと思いながら、ひと気の少ないガランとしたドームに入り、やや賑わいのありそうな感じを追って、階段を降りた時、まばゆい照明にアッと驚いた。たくさんの人も歩いている。一階下の地平レベルで、駅は見事に繁栄を続けていたのだった。この記事に関する写真は、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/をご覧ください。姉妹ブログに「片瀬貴文さんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/takafumi/があります。記事の文章は、検索のし易い「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114もお勧めです。(2012年8月9日 片瀬貴文)
August 9, 2012
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酷暑が続き、夏大好きの私も意気粗相気味です。そろそろ新気象に慣れて、前向きに行きたいものですね。(お話サロン)◇ 「天霧サロン」8月6日(月)13時~14時 於箕面美人の湯「水春」(千里中央読売文化ホール前11時52分のシャトルバスがお勧めです)◇ 「サロン・ラメール」次回は10月19日(金)13~15時 於佳筍◇ 「アジサイ・サロン」は、事前に申し込みがあれば第二水曜の10時~12時 於千里阪急朝日ビル1階「サン・シェード」にて(フランス語シャンソン) 今月は夏休み(コントラクト・ブリッジ)今月は夏休み(導引養生功)毎週月曜日14時~15時30分 於 みのお市民活動センター(ブログ)現在連載中のもの:-1962年のパリ便り:フランスの再発見 キンシャサ日記:日本人とヨーロッパ人の差 スイス写真集:ジュネーブ最後の夕食 八甲田は涼しい久々の中国-広州再訪 ラインを上る:ラインの古城<2008年4月>南仏プロヴァンスに憧れて<2009年6月>北海道金繍<2009年10月>初めてのソウル<2009年12月>新鮮になった台湾を訪ねる<2010年5月>シンガポールの風を求めて<2010年6月>新高齢者時代の80歳
August 1, 2012
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2012年5月23日(水)今から乗ろうとしている「ホップオン・ホップオフバス」は、市内を循環していて、指定された乗降場は8カ所あるので、どの地点から乗っても観光ツァーを始めることが出来る。私は一番わかり易い地点として、旧市街広場を選んだ。しかし実際にバスに乗車したのは、旧市街広場から10分は歩いて、プラハ・マサリク駅の近くだった。旧市街は道が狭く、混雑を避けようとする意図もあって、なるべくバスを入れまいとしているようだ。その代わり、メトロ(地下鉄)とトラム(路面電車)は、四通八達している。「ホップオン・ホップオフバス」は、プラハ一区の外周をひと回りしている。プラハの現在人口120万人。だが産業や交通が急発達する以前、19世紀半ばごろは、ほぼ現在の1区の範囲におさまっていたようだ。プラハ1区は、旧市街を中心に、ヴルタヴァ川を挟んで、五つの地区に分かれている。右岸部が、ユダヤ人地区、旧市街、新市街。左岸部が、プラハ城のあるプラッチャニ、ヴルタヴァ川に沿ったマラー・ストラーナ。プラハの主な見どころは、ほぼこの5地区に含まれている。「ホップオン・ホップオフバス」はこれらの5地区の外周を走るわけだが、一区と言ってもなかなか広いので、このバスだけを利用しようとする限り、少し長い距離を歩く覚悟が必要である。マサリク駅を出発したバスは北に走ってヴルタヴァ川を渡り、方向を東に転じてプラハ城の裏手を抜け、やがて南下してマラー・ストラーナとストラホフ・スタジアムの間を通る。そして西に転じ、再度ヴルタヴァ川を右岸に渡り、プラハ本駅に至る。本駅の次の乗降場は、最初に乗車したマサリク駅だが、私は本駅に降り、駅の様子を訪ねることにする。ここまで二時間ほどだったろうか。屋根のない二階座席からの展望は、凄かった。とくにプラハの青空の透明さは、筆舌に尽くしがたい。そしてその下に広がる赤い屋根の美しさに、ウットリする。この記事に関する写真は、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/をご覧ください。姉妹ブログに「片瀬貴文さんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/takafumi/があります。記事の文章は、検索のし易い「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114もお勧めです。(2012年7月30日 片瀬貴文)
July 30, 2012
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2012年5月23日(水)朝日を背負って、火薬塔から旧市街広場まで、ツェレトゥナー通りを歩く。その昔チェコ王が戴冠式に歩いたと言われる、プラハの玄関的道路である。プラハを訪問した重要な賓客も、華麗な行列を誇りながら、同じ道を辿ったであろう。歩きながら気づいたのは、この道が微妙にカーブしていることだった。歩けば数分と言う僅かの間に、4回ほど曲っている。その曲がりが、通りを進む人にダイナミックな景観を感じさせると同時に、窓から通りを行く行進風景に、いろいろな角度からの光景を示したのだろう。これは偶然の仕業か、はたまた誰かが仕掛けたものだろうか。仕掛けたものとすれば、素晴らしい設計手腕ではないか。キュービズムの原点だったのかも知れない。この区間の両端に位置する火薬塔と、旧市庁舎の二つのランドマークも、通行の最終局面でしか見えない。しかも視野への登場後も、角度を変化させ、まるで踊子のように活発にイメージを変えながら、通行者にあれこれと街の印象を強く訴える。このようなランドマークの見せ方にも、何らかの工夫があるように感じる。旧市街広場は、想像していたより広く感じられた。東から入って来た私に、一番目立ったのは、旧市庁舎の高い塔で、その側面に飾られている天文時計前に、人だかりが目立っている。広場の北西部に大きな面積を占めて、ヤン・フスの銅像がそそり立っていた。この人の生きざまは、今もなおチェコ人の魂を鼓舞するのだろう。青銅色の丸い屋根が特徴の聖ミクラーシュ教会の前に、赤いパラソルを差した人が立っている。これが私の乗ろうとしている観光バスの、受付窓口の人だった。私がこのバスに関心を持っていることを知り、バスの良さを丁寧に教えてくれる。しかし驚いたことは、バスの出発点はこの旧市街広場ではなく、これまでやって来た道を戻って火薬塔をくぐり、プラハ・マサリク駅の付近だったこと。火薬塔から旧市街広場までは「プラハ9泊」の【06】~【08】を、その逆方向は【09】の写真をご覧ください。このブログに添付している写真は、旧市街広場から火薬塔に向かって逆方向に移動しながらの写真です。(2012年7月27日 片瀬貴文)
July 27, 2012
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2012年5月23日(水)火薬塔から旧市街広場まで、プラハの玄関的な存在である「王の道」。この道は、東から西に向かっている。共和国広場から火薬塔の正面に向かって立てば、朝日が背後から差し、汚れて黒ずんでいる筈の石造りの塔が、生まれ変わったようにオレンジ色に輝きながら、生き生きと迎えてくれる。表面に繊細に刻まれた模様は、ライトアップ時に、さらに美しく浮き上がるのだろう。屋根には幾つもの尖塔が、塔全体の姿にダイナミックなアクセントを与えている。プラハは「百塔の街」とも呼ばれているそうだが、火薬塔の上に聳える尖塔たちも、プラハの景観を支える重要な一員と見る。その先頭のてっぺんに、金の玉がキラキラ輝いているのが、これまた美しい。より高いもの、より純粋なものへの憧れが、真っ青な空を背景に輝くこの金の玉たちに集約されているように感じる。この玉は、「華頂」と呼ばれるという。「カチョウ」とは、何と美しい言葉の響きではないだろうか。この火薬塔が現在のゴチック風に造られたのは、15世紀のようだ。しかし新市街が形成されたのは14世紀だから、それ以前の旧市街時代、プラハの入口として建っていたのは、別の建造物だった。現在のどっしりした構えの塔は、新市街と旧市街の境界を飾ったものなのだ。「火薬塔」の名は、17世紀に火薬の貯蔵に使われたことに由来する。15世紀に造られたこの塔が、カレル橋の橋詰に立つ塔と似ているのは、やや以前に建てられたカレル橋橋詰塔をモデルにしたからのようだ。結果的には、王の道を飾るこの二つの塔は、プラハの風貌を形成しており、よく似ていることが街の景観に落着きを与えているように感じられる。しかしこの二つの塔には、もうひとつ忘れてならない先輩がある。旧市内広場に立つ、ティーン教会に並び立つ、二つのゴシック塔である。この塔は14世紀半ばに建てられ、荘重さと華麗さを兼ね備えた威容は、プラハの華だ。火薬塔から旧市街広場までの写真は、「プラハ9泊」の【06】~【08】をご覧ください。このブログに添付している写真は、旧市街広場から火薬塔に向かって逆方向に移動しながらの写真です。この記事に関する写真は、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/をご覧ください。姉妹ブログに「片瀬貴文さんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/takafumi/があります。記事の文章は、検索のし易い「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114もお勧めです。(2012年7月22日 片瀬貴文)
July 22, 2012
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2012年5月23日(水)時間がたっぷりあるので、今朝の散歩で歩いた市民会館とそれに隣接する火薬塔の周辺を、もう一度味わいながら歩いた。そして、昨夜泊ったホテルがプラハのどこに位置するかも、僅かながら掴み始めた。私のホテル、市民会館、火薬塔、それぞれ異なった時代に建てられ、似ても似つかぬタイプの建物は、いずれも古い時代の城壁跡に沿っているのだった。この城壁はとっくに、影も形もなくなっている。だが成長しつつあったプラハにとって、極めて大きな存在だった。14世紀この国の王として迎えられ、神聖ローマ帝国皇帝でもあったカレル4世は、パリを凌ぐ雄大な新プラハ都市計画を推進した。それ以前にプラハの外郭を形成した、城壁なのだ。火薬塔はその城壁を通ってプラハに入る、正門ともいうべき重要構造物だった。私の泊まったホテルの周辺は、その昔プラハの玄関口だったわけだ。火薬塔から旧市内広場に通じるツェレトゥナー通りは、玄関から広間に向かうプラハのメインストリートだった。この道は旧市街広場から先にカレル橋でヴルタヴァ川を渡り、プラハ城に達する。歴代の王は、この道を行進することで王威を発揚し、外からやって来た人たちにも先ずこの道を辿らせることでプラハの素晴らしさを示す、ショーウィンドー的存在だった。「王の道」と呼ばれるゆえんだ。この記事に関する写真は、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/をご覧ください。姉妹ブログに「片瀬貴文さんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/takafumi/があります。記事の文章は、検索のし易い「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114もお勧めです。(2012年7月18日 片瀬貴文)
July 18, 2012
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2012年5月23日(水)プラハ初日、今日の目標は、この街を大まかに把握することだった。そのために一番優れた方法は「ホップ・オン・ホップ・オフ」バスを利用することと考えた。このバスは、2時間余りで反時計回りに一周するループ状のルートが決まっていて、そのルートの上を、45分ごとに走っている。ルートの上で停車点が8つ決まっていて、どの点でも乗り降り自由なのだ。すなわち、停車点で乗り降りしながら、それぞれの周辺を徒歩で観光すれば、プラハの主な観光ポイントは網羅できる趣向だ。バスは二階建てになっていて、上階は青天井で視界が広い。走りながらも、ガイドが観光案内してくれる。ただし、ガイドがマイクでやってくれる案内は英語やドイツ語で、われわれには馴染みにくい欠点がある。イタリアで乗った同じバスは、案内をイヤホンで聞くことが出来、チャンネルの8カ国語には日本語が含まれていた。ホテルに近い共和国広場には、観光バスの看板が立っていて、プラハには観光バスのスケジュールが充実している。この観光バスを利用すれば、二日もあればプラハの名所をざっと見ることが出来そうだ。さらに一日加えれば、チェコのプラハ以外の街にも日帰り旅行できる。しかしこのような観光バスはコースも日程も効率的に定められていて、その通り動かなければならない。私はプラハと馴染むために、このようなお仕着せのツアーを避け、自分の足で電車を使い、自分のペースで歩こうとしていた。旅行の醍醐味を味わうには、そうすることがベターと考えているからだ。 こんなやり方では、時間もエネルギーも多くを要する。だが、それ以上に多くの体験が得られる。道を迷えばいい、失敗を重ねればいい、それが旅と言うものだ。さて「ホップ・オン・ホップ・オフ」バスは、第一便が10時に旧市街広場から出発するので、時間の余裕をタップリ見て、9時過ぎにホテルを出た。足の速い人ならば、ホテルから旧市街広場まで5分余りだそうだが、私にとっては未知の道である上、ゆっくり途中の街を楽しみたい。この記事に関する写真は、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/をご覧ください。姉妹ブログに「片瀬貴文さんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/takafumi/があります。記事の文章は、検索のし易い「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114もお勧めです。(2012年7月16日 片瀬貴文)
July 16, 2012
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2012年5月22日(火)ヘルシンキ・ヴァンター空港は、アジアとヨーロッパを結ぶ最短経路のハブ空港。昨年来3回目の利用だが、ターミナル全体が次第に賑やかになり、活性化しつつあるように感じる。フィンランド航空の目指すサービス向上が功を奏して、利用客が増えつつあるに違いない。もともとこの空港は小型であるために、乗換時の歩行距離の短いのが魅力だった。それが、拡張のためだろう、次第に広さを感じるようになってきた。しかし、昨年EC入国検査で待たされた列が、今年は非常に短くなっていた。サービス改善に向けての努力が、実を結びつつある。聞くところによれば、ラウンジも、フィンランド名物のサウナなども含めて、非常に充実したようだ。これらは有料だが、すべての客に開放されている。15時到着予定のフィンネアー便は、大幅に到着を早めて、14時35分着。17時35分のプラハ行きまで、ほぼ3時間ものゆとりがある。私は通路に接したベンチに座り、通りゆく人々を眺める。旅では、いろいろな国の、いろいろな人たちに出会いたい。はち切れんばかりに元気そうな人、しょんぼりとうなだれた人。大きな荷物を背負った人、軽快な服装で駆け抜ける人。これらの人々は、各自それぞれが、自分を生み育ててくれた風土の文化を身につけ、それなりに発散している。世界のあちこちから集う人たちは、様々なことを物語っており、見あきない。このようなとき、私自身が今外国にいて、世界の人々の一員であることを、しみじみ感じている。旅は目的地に到着する以前に、始まっているのだ。旅行ならではの貴重な体験と考える。この記事に関する写真は、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/をご覧ください。姉妹ブログに「片瀬貴文さんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/takafumi/があります。記事の文章は、検索のし易い「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114もお勧めです。(2012年6月10日 片瀬貴文)
June 10, 2012
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2012年5月22日(火)「プラハには、人を酔わせる都市美がある。」そのような評判を耳にしながら、一度ゆっくり訪ねたかったチェコ共和国の首都「プラハ」。実は1970年に、一度訪ねたことがある。しかしパリから東京に出張した帰途、たった数日の隙間を利用した、ロシア、ウクライナ(いずれも当時ソ連)、ポーランドなどを経由しながら駆足の旅で、プラハには一泊のみ。何故かメーデーの行事に招待されたが、せっかくのチャンスなのに出発当日のため出席できず、後ろ髪を引かれる別れだった。その後40年余りを経過して、ようやくゆっくり訪問できる機会が来たのだ。大阪からプラハまでは、ヘルシンキ経由のフィンランド航空便。この便を利用すれば、大圏コースを飛んでヘルシンキまで10時間足らず。ヘルシンキで2時間半休んで、プラハまで2時間。日本からヘルシンキまでが近いためか、ヨーロッパが非常に近くなった感じがする。フィンランド航空は、アジア10都市余りと、ヨーロッパ50数都市を結ぶ、アジアとヨーロッパの架け橋的存在として、貴重な役割を果たしている。日本からは、成田、中部、関西から毎日便があり、ヨーロッパの主な都市にはその日のうちに到着出来る。5百万台と言う大阪府より人口の少ない国が、このようなサービスを全うしていることに、注目したい。私が3回利用した経験から、時間は正確、車内サービスも過不足なくてなかなか、機内食も美味しく、信頼感も含めてトータルのサービスレベルは高いと評価する。この記事に関する写真は、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/をご覧ください。姉妹ブログに「片瀬貴文さんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/takafumi/があります。記事の文章は、検索のし易い「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114もお勧めです。(2012年6月4日 片瀬貴文)
June 4, 2012
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(サロン)◇ 「天霧サロン」6月4日(月)13時~14時 於箕面美人の湯「水春」(千里中央読売文化ホール前11時52分発のシャトルバスがお勧めです)◇ 「ラメール」7月20日(金)13時~15時 於「ビストロ・ダ・アンジュ」◇ 「アジサイ・サロン」は、事前に申し込みがあれば第二水曜の10時~12時 於千里阪急朝日ビル1階「サン・シェード」にて(コントラクト・ブリッジ)初心者歓迎6月12日(火)14時30分~17時 於 みのお市民活動センター(毎月第二火曜)(フランス語シャンソン)旅のお話も好評6月12日(火)13時~14時30分 於 みのお市民活動センター(毎月第二火曜)(導引養生功)毎週月曜日14時~15時30分 於 みのお市民活動センター(ブログ)現在連載中のもの:-1962年のパリ便り:フランスの再発見 キンシャサ日記:日本人とヨーロッパ人の差 スイス写真集:ジュネーブ最後の夕食 八甲田は涼しい久々の中国-広州再訪 ラインを上る:ラインの古城<2008年4月>南仏プロヴァンスに憧れて<2009年6月>北海道金繍<2009年10月>初めてのソウル<2009年12月>新鮮になった台湾を訪ねる<2010年5月>シンガポールの風を求めて<2010年6月>新高齢者時代の80歳
June 3, 2012
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2012年2月27日(月)カフェと飲茶を掛け合わせたような、食堂「大興」。この地域に暮らす中産階級をターゲットにした、モダーンな構えがいい。活気あるオープン・キッチンを背景にした、明るさの感じられるサービスにも、ほどほどに満足する。ラーメン、オムレツ、トーストをセットにした、日本では見られない組み合わせの中洋折衷の朝食には、「香港的」と感心する。食後市中心駅周辺の、小型で落着いたショッピングビルを散歩。道端のベンチでは、おばあさんがひとり、編物に余念がない。この辺りは急速に開発されつつあるが、古くからあった牧歌的な雰囲気も、まだ残っているようだ。屯門はもともと港だったが、新界全体が英国の中国からの租借地だったために、開発にややブレーキがかかっていたらしい。中国に返還されてからの急速な発展は、前にも述べたとおりである。もっと遡れば、英国が租借する以前から住んでいたのは、客家(はっか)と呼ばれる漢民族だったそうだ。現在も香港に70万人の客家人が住んでおり、これは香港の人口の1割に相当する。この人たちも、さらに前身を問えば、中国の黄河流域からやって来たのだが・・・。客家は家の造りなどに特殊な伝統を伝えており、その伝統は今もなおこの新界に、生きているようだ。市中心駅から軽鉄に乗って再び屯門駅に戻った私は、次の訪問先を信仰の中心「黄大仙廟」に決め、地下鉄を乗り継ぐ。関連の写真を、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載しております。文章だけならば、「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114の活字が大きく、読み易いと思います。どうぞお訪ね下さい。(2012年5月20日 片瀬貴文)
May 20, 2012
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2011年9月30日(金)フルッタ広場から西に曲がり、時計塔の方向に歩けば、道幅の狭い一郭があり、シニョーリ広場に出る。この広場も、エルベ広場やフルッタ広場と同様、白いテントの店がいっぱい並んでおり、広場と言うより露店街の雰囲気である。ただし売られている主賞品は青果物でなく、衣料品が多い。時計台に突き当たって、左に曲れば、やや広い道になって、右にドゥオモがある。若者の姿が目立つのは、大学の付近だからだろうか。昨日歩いたヴェローナでも、若者が目立った。ドゥオモはファサッドが未完なので、完成時の美しさを想像するだけで通り過ぎる。そろそろ疲れが出て来て、散歩を切り上げたくなる。トラムの停留所を探したが見つからないので、街角のカフェに座っている若者に訊くことにした。ところが私から声を掛けられた若者は、スクッと立ち上がり。「日本人ですか」と訊ねてくる。「そうだ」と答えると、ややビールがまわっている様子の彼は「私日本人が大好きです」と、熱い眼で応えるのだ。このような経験は少ないので、ビックリして少し戸惑いながらも、嬉しい。最近日本文化に対する関心は、世界の各地で広まっているように感じる。50年前やって来たとき、「日本人か」と訊かれる機会さえなかった。私自身も敗戦ショックが強く、どちらかと言えば肩を落とし気味に、歩いていたような気がする。この記事に関連した写真を、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載しております。文章だけならば、「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114の活字が大きく、読み易いと思います。掲載順に検索もできます。どうぞお訪ね下さい。(2012年5月15日 片瀬貴文)
May 16, 2012
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2012年2月27日(月)軽鉄屯門駅のホームは、地下鉄と同じように立派である。砂利道床で軌間(レール幅)は新幹線と同じと、線路も立派であり、良く保守が出来ている。最高速度も時速70キロと、なかなかのスピードだ。線路の長さは36キロを超え、全線が複線。駅の数が68と聞くから、駅の間隔はほぼ500メートル。運転系統の数は「11」もあるとのことである。電車の数は120両を超え、しかも一両の定員200人と、市電にしてはなかなかの大型だ。屯門のホームで電車を待っていると、2~3分ごとに次から次へとやって来る。1両もあるが、2両編成のものが多いように感じる。このような鉄道が骨となって造られた新しい市街は、どのようなものであろうか。そこにどのような文化が生まれ、どんな生活が進んでいるのだろうか。恐らく先日見てきたばかりの、シンガポールの地下鉄の端末部にある、LRTの沿線に似ているのだろう。興味は尽きないが、今回十分な時間がなく、今後の機会に譲る。屯門からすぐ近くの「市中心」駅まで、軽鉄に試乗してみる。次々に行き交う電車の密度はかなりのもので、速度も速い。動揺が少なく乗り心地も優れているが、小さなカーブを通過するとき遠心力を感じる。線路の最小曲線半径が小さく、再急勾配が急なのは、LRTの特徴なのだ。その特徴のお陰で、建物が混み合う市街地に向いているのだから・・・。市中心駅は、軽鉄の発祥地なのだろう。駅は地平面だが地平面には出口はなく、街に出るにはいったん二階レベルに上らなければならない。二階レベルには、出口にあまり大きくないビルが並び、チョッとしたブティックや、カフェなどが入っている。ウィークデーの朝なのに人出はかなりのもので、高年齢が目立つ。カフェと飲茶が一緒になった朝食を頂く。店の近代的なムードが親しみを感じさせ、店員のサービスも味も良い。香港の中心部には見当たらない店で、とても便利だ。関連の写真を、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載しております。文章だけならば、「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114の活字が大きく、読み易いと思います。どうぞお訪ね下さい。(2012年5月13日 片瀬貴文)
May 14, 2012
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2011年9月30日(金)パドヴァ大学の前で昼食をとってから歩き始めた私は、西に向かってエルベ広場に入る。この辺りは、パドヴァの街でも一番古く拓けたところだろう。広場の北に面して、ポルティコと呼ばれるアーチの柱列を並べるラジョーネ宮は、13世紀初頭の建築と聞く。その中を北に向かい通り過ぎ、この建物の北にあるフルッタ広場を目指す。フルッタとは、イタリア語で果物のこと。エルベ広場やフルッタ広場には、新鮮な野菜や果物が溢れていて、その色彩の美しさには、ほれぼれするばかりだ。それぞれの広場には、土地の香りと共にこの地域に生きる人たちの息吹を感じながら、旅の一番楽しいひと時を覚える。フルッタ広場を巡りながら再度西を目指せば、時計塔を背面に背負ったシニョーリ広場に達する。この記事に関連した写真を、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載しております。文章だけならば、「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114の活字が大きく、読み易いと思います。掲載順に検索もできます。どうぞお訪ね下さい。(2012年5月11日 片瀬貴文)
May 10, 2012
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2012年2月27日(月)屯門を訪ねるべく、ホテルの前から地下道に入り、最寄駅チムトン(イースト・チムシャツイ)から地下鉄西鉄線に乗る。地下鉄に乗るに当たっては、あらかじめプリペイドパスの「オクトパスカード」を買っておくと便利である。オクトパスを使えば、九龍から香港に渡るスターフェリーは無料となり、また西鉄線で屯門に行き、軽鉄に乗換えても、無料となる区間があると聞く。さらに、オクトパスには65歳以上の高齢者用のものがあり、高齢者の運賃は半額なので、一度カードを買えばかなりの区間を乗ることが出来、非常に割安感がある。地下鉄西鉄線は、広州からやって来た広九鉄路を、九龍側の終点ホンハムから地下鉄として九龍の西海岸を通し、さらに北上して軽鉄の中心駅屯門まで結んだ線である。屯門まで開通したのは2003年であり、軽鉄の開業1988年とは15年もの隔たりがあった。だから私が軽鉄を見に来た時は、香港と九龍を結ぶスターフェリーの隣の埠頭から屯門まで、時間をかけてフェリーでやってきたものである。九龍の西海岸寄りには、この西鉄線をはじめ4本もの地下鉄が走っており、香港におけるこの地域の元気さがうかがわれる。そのうち1本は都心部の香港と空港とを24分で結ぶ、エアポート・エクスプレスだ。地下鉄西鉄線は九龍の市街部を過ぎ、地上を走る。田園風景のあちこちに、高層アパート群が大きな団塊を形成している有様は、まるでこの世でない未来都市の模型を見ているようだ。西鉄線の屯門駅と軽鉄の屯門駅は、屋根続きだった。軽鉄に乗るときは、ホームにある黄色で目立つ自動改札機に、オクトパスをかざす。目的地に着いた時も、同じように自分で改札しなければならない。関連の写真を、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載しております。文章だけならば、「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114の活字が大きく、読み易いと思います。どうぞお訪ね下さい。(2012年5月8日 片瀬貴文)
May 8, 2012
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2011年9月30日(金)パドヴァ大学からエルベ広場までの路地にテーブルを展開する、旅情を掻き立ててくれる気楽なレストラン。いやイタリアの呼び名では、レストランと言うよりカフェかタヴェルナなのかも知れない・・・。その一席に座り、古都らしい石造建築の間を吹き抜ける、涼風を浴びながらのご馳走。チーズをたっぷり使った、ポルチーニ茸入りリゾット。私は、旅ならではの幸福感に浸りながら、ビールをウットリ傾けた。そして改めて気づいたのは、大学と都心が何と近いのかと言う、驚きだった。考えてみれば、私の学んだ第四高等学校(旧制在金沢)も、繁華街に近かった。その結果、市民と学生との距離が、実に密接だった。これは、市民、学生、双方の相互啓発を進め、文化の醸成に好結果をもたらした様に感じる。都市と学校の絆を大切にすることは、これからの地域づくりの大きなヒントではないかと思う。西に進めば、間もなくエルベ広場に達する。「エルベ」とは、恐らくフランス語の「エルブル」、英語の「ハーブ」と同じ語源で、緑草のことだろう。だからこの広場は「青物市場」なのだろうと推し量る。推量が間違っていたら、お許し願いたい。昨日訪ねたヴェローナにも、同じ名前の広場が存在し、同じような立地だった。エルベ広場に出てみると、広場に面し右側に柱列(ポルティコ)の目立った、間口の非常に広い建物が目立っている。これはラジョーネ宮と呼ばれ、13世紀初頭この街の全盛時代に建てられた。推量のついでに、ラジョーネはフランス語のレリジョン(地域あるいは地方)と同じ語源では・・・。自由都市時代には裁判所が置かれ、その後ずっとこの街の中心的役割を演じてきたようだ。一階には食料品の店が並び、私はその雰囲気を味わいながら、「フルッタ広場」へと通り過ぎる。二階には78m×27m×高さ27mなる最大級のホールがあり、その壁面を埋める15世紀のフレスコ画は、観光者に「一見に値する」と勧められている。この記事に関連した写真を、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載しております。文章だけならば、「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114の活字が大きく、読み易いと思います。掲載順に検索もできます。どうぞお訪ね下さい。(2012年5月7日 片瀬貴文)
May 6, 2012
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2012年2月27日(月)イギリス統治の香港は、三つのステップを踏んで地域を拡大した。先ずアヘン戦争を受けて結ばれた、1842年の「南京条約」。結果は香港島の、永久割譲であった。次いでアロー戦争を受けて結ばれた、1860年の「北京条約」。その結果、香港島の対岸九龍の一部が、永久割譲地域に加えられた。そして1898年、九龍の永久割譲地域の北部、中国大陸側シンセン川以南の、99年間租借である。この最後のステップで加えられた地区は「新界(ニュー・テリトリー)」と呼ばれ、面積的には香港の9割、人口も約半分を占めている。かつては田園色豊かな、静かな郊外だったが、最近地下鉄網拡大でニュータウンの建設が進み、モダーンな高層アパート群へと急速に変貌している。今日は、今回の香港訪問の最初の目的地として、新界の屯門を選んだ。1988年に開通した屯門のLRT(軽快電車)が、その後どんな発展を遂げているか。あるいは、LRTにより、地域がどれほど発展しているかを、自分の目で確かめたかったのだ。このLRTを訪ねたのは、開業後間もなくのころだった。20世紀に入り、世界随所に広がったトラム(街路電車)は、1930年ごろから自動車の時代を迎え、減少傾向がみられた。だが自動車による都市環境の悪化などから、1970年ごろにLRT(軽快電車)として、再び増加に転じる。香港の新界に生まれた「軽鉄」もその一つであり、私は日本におけるLRTの可能性を考えたいと、香港を訪れたのだった。関連の写真を、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載しております。文章だけならば、「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114の活字が大きく、読み易いと思います。どうぞお訪ね下さい。(2012年5月6日 片瀬貴文)
May 6, 2012
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2011年9月30日(金)パドヴァ大学から外に出れば、初秋の光がまぶしかった。西方直ぐ近くに、町の中心的区画を形成する、広場群がある。ラジョーネ宮を挟んで南北に、エルベ広場、フルッタ広場。そしてその西に一区画挟み、時計塔に面するシニョーリ広場。大学からエルベ広場まで、あまり長くはない路地がある。その路地にはテーブルを並べて、つい座って見たくなる雰囲気を感じる。私はここで食事をするのも悪くないと考え、路地に面する店の表に掲げられているメニューを見に、立ち寄った。そこでカラー写真の入った綺麗なメニューの一角に、気になる料理を発見する。「ポルチーニの入ったリゾット」ポルチーニは香りが高く、ザクザクと歯ごたえのいいキノコで、私の大好物である。マツタケに似て人工栽培が出来ず、日本で名まで味わえることはほとんどないと言われている。今ちょうど、盛りのシーズンなのだ。「オッこれだ」とばかり、そこに立っている店のボーイにウインクすると、残り少なかった空席の一つに案内してくれた。ビールを楽しみながら、次々に通り過ぎる人々を眺める。建物の間を通り抜ける風が実に爽やかで、北イタリア観光のベストシーズンを感じる。この記事に関連した写真を、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載しております。文章だけならば、「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114の活字が大きく、読み易いと思います。掲載順に検索もできます。どうぞお訪ね下さい。(2012年5月3日 片瀬貴文)
May 3, 2012
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2012年2月27日(月)一夜明けて、香港で初めての朝を迎え、ベッドでじっとしておられない。朝食を待たずに、ひとり散歩に出る。香港の朝の香りを、一刻も早く嗅ぎたかったのだ。ホテル付近は、かつて九広鉄道の終着駅が、あちこち移動しながら立地した場所で、そのために活性と哀愁が入り混じった独特の雰囲気がある。この地域は今までに何度も訪れているのだが、それがどのように変化しているかに興味があった。「九広鉄道」は、九龍と広州を結ぶ鉄道で、1910年に開業した。その開通により、ヨーロッパと香港の間を、鉄道旅行する可能性が生まれたのだ。ユーラシア大陸から、シンセン付近の国境を越えて入って来た列車は、スターフェリーの埠頭を間近にした、九龍駅に到着した。(ここまで開通したのは1916年で、1910年開通時点の終点はもう少し北の沙田付近だった)駅から一歩外に出れば、香港は狭い海を隔てて、指呼の間にある。はるばる香港にやって来た人たちは、九龍駅頭に立ち、香港島を眺めたとき、どんな感慨を覚えたものか・・・。そうした味わいを感じようと、何年か前に、私も広州から香港まで列車の旅をした経験がある。しかしその時点でスターフェリー埠頭前の終着駅は、もうすでになく、駅の跡地は大規模開発が進みつつあった。21世紀に入り、九広鉄道は地下鉄として、新界のグッと西部にある屯門まで西鉄線として伸び、広州方面からやって来る長距離列車の終点は、ホテル最寄り駅チムトン駅よりさらにひと駅北の、ホンハムまで後退している。関連の写真を、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載しております。文章だけならば、「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114の活字が大きく、読み易いと思います。どうぞお訪ね下さい。(2012年5月2日 片瀬貴文)
May 2, 2012
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(お話サロン)◇ 「天霧サロン」5月7日(月)13時~14時 於箕面美人の湯「水春」(千里中央読売文化ホール前11時52分のシャトルバスがお勧めです)◇ 「サロン・ラメール」次回は7月20日(金)13~15時 於ビストロ・ダ・アンジュ◇ 「アジサイ・サロン」は、事前に申し込みがあれば第二水曜の10時~12時 於千里阪急朝日ビル1階「サン・シェード」にて(フランス語シャンソン)旅のお話も好評5月8日(火)13時~14時30分 於 みのお市民活動センター(毎月第二火曜)(コントラクト・ブリッジ)初心者歓迎5月8日(火)14時30分~17時 於 みのお市民活動センター(毎月第二火曜)(導引養生功)毎週月曜日14時~15時30分 於 みのお市民活動センター(ブログ)現在連載中のもの:-1962年のパリ便り:フランスの再発見 キンシャサ日記:日本人とヨーロッパ人の差 スイス写真集:ジュネーブ最後の夕食 八甲田は涼しい久々の中国-広州再訪 ラインを上る:ラインの古城<2008年4月>南仏プロヴァンスに憧れて<2009年6月>北海道金繍<2009年10月>初めてのソウル<2009年12月>新鮮になった台湾を訪ねる<2010年5月>シンガポールの風を求めて<2010年6月>新高齢者時代の80歳
April 30, 2012
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2011年9月30日(金)パドヴァの大学は、イタリアで二番目に古く、創立800年近い歴史がある。ガリレオ・ガレリーやダンテが講義をし、コペルニクスが学んだ。関係者を見ると、歴史を彩る有名人がずらりと並んでいるのに、驚くばかり。現在も人気が高く、理工系はイタリア切ってのレベルで、学生数は東大の二倍近い。イタリアの大学は、通常高校卒業試験を合格しておれば、ほぼ希望の大学に入学できるようだ。ただし高校卒業試験は難しく、口頭試問、筆記試験、プレゼンのそれぞれで、30点満点の18点以上取らなければならない。大学に入学しても留年率はほぼ半分と、非常に高いらしい。ただ留年者の約半数は、合格点に達していても、より高い点を目指して「自主留年」するという。就職では、どの大学の出身かよりも、大学でどれだけ高い点を取っているかを重視する。以上、インターネットで得られた情報を整理したものだが、日本とイタリアを比べて、なかなか面白いと感じる。古い教室のガイド案内は時間が決まっており、私は自分の足でゆっくり歩きながら、キャンパスにしみ込んだ伝統の香りを探す。(写真参照)関連の写真を、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載しております。文章だけならば、「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114の活字が大きく、読み易いと思います。掲載順に検索もできます。どうぞお訪ね下さい。(2012年4月16日 片瀬貴文)
April 16, 2012
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2012年2月26日(日)夕食は、香港の、香港的に進化した麺を食べたい。ホテルのコンシエルジュに相談したら「近くに格好の店があります」と、「池記」という粥麺店を教えたくれた。ホテルの周辺は、地下道が入り組んでいて、始めてここに来る人は、迷路を「楽しむ」心のゆとりが必要だ。さもなければ、道に翻弄されてしまうだろう。だが方向感覚を研ぎ澄ませながら、運も良く、うまく行き先を見つけることが出来た。「池記」は、私たち異国人を温かく迎え入れてくれる感じで、ホッとする雰囲気の店だった。席への案内があるのかないのか、私は店員たちの動きを目で追いながら、一歩ずつ奥に入る。時間が早いためか、空席が残っている。50席は超えようとする店内を、かなり奥に入って、若い女子店員と視線が合った。「どの席に座ってもいいでしょうか(エニー・シートOK?)」と声をかけると、黙ってうなずいてくれたので、ほぼ店の真ん中の椅子に座る。香港には「粥麺専家(チョッミンチュンガー)」なるカテゴリーの、食堂がある。我が国のソバ屋に似た、存在なのだろう。麺のときには、先ず麺の種類を決める。麺には、かん水が入っている黄色いものや、米や豆から造ったもの、太さも様々なれば、縮れていたりまっ直ぐだったり、実に多様である。食べ方にも、スープ麺とつけ麺がある。次に具を選ぶのだが、その多彩さは驚くばかりだ。こうした麺のヴァラエティーを見ると、我が国の麺文化の将来も、夢と希望に満ちていると感じる。関連の写真を、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載しております。文章だけならば、「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114の活字が大きく、読み易いと思います。どうぞお訪ね下さい。(2012年4月13日 片瀬貴文)
April 13, 2012
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2011年9月30日(金)パドヴァ人には「大博士」と言う別称があるだけあって、パドヴァの大学は街と馴染み、その中心部にある。ただしここにあるのは、世界初と言われる円形階段状教室などを含む古い部分だけで、学生数6万人に近いキャンパスは、徒歩か自転車で行くことのできる距離にあり、街に混じり合っている。駅からほぼ真っすぐに南に歩くと、落着いた感じの大学の建物を、左に発見する。不案内のままに構内に入り、建物の中に入ってゆくと、パドヴァ大学グッズの店があり、学生アルバイトらしい可愛いお嬢さんが、ニコニコと迎えてくれた。彼女は「この大学はイタリアでも2番目に古いのですよ」と、誇らしげに話してくれる。一番古いのは、一昨日訪ねたボローニャ大学で、世界一古いとのこと。「じゃぁパドヴァ大学は世界で何番目に古いの?」と訊ねてみたら、「多分三番目でしょう」と応える。「二番目はどこなの?」と訊いてみたら「ソルボンヌかなぁ」と、自信なさそうだった。調べてみれば、ボローニャ大学創設1088年、ソルボンヌ大学創設(1150~1170年)と、記録されている。パドヴァ大学は1222年だから、彼女の記憶している設立の順番は正しいのだが、ただその間に、オックスフォード大学(1096年)、ケンブリッジ大学(1209年)が、挟まっている。私は由緒ある大学訪問記念にと、彼女からパドヴァ大学ネーム入りの、野球帽と腕時計を買う。私にとって、人口20万人の都市に、東京大学のほぼ2倍に当たる、学生数6万人の大学があることは、不思議だった。その理由の一つは、イタリアの大学数が2桁台で、日本の700校台より1桁少ないこと。その結果、一つの大学の規模が大きくなるのではないだろうか。パドヴァ大学はレベルが高くて、人気があるようだ。理工系は、全国一を争うレベルとも言われている。全国一斉の、高校卒業資格試験にさえ合格すれば、どこの大学に行くかは、本人の選択らしい。もしそうならば、人気の大学に学生が集中するのは、自然なことだ。関連の写真を、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載しております。文章だけならば、「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114の活字が大きく、読み易いと思います。掲載順に検索もできます。どうぞお訪ね下さい。(2012年4月10日 片瀬貴文)
April 10, 2012
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2012年2月26日(日)インターコンチネンタル・ホテル・香港のロビーは、ハーバーヴューで人気のあるロビー・カフェが、アフタヌーンティーの空席待ちの長い列が出来ている。その賑やかさは、香港に到着したばかりの私を驚かせるに、十分だった。「ハーバーヴュー」と指定した部屋は、視界が180度港に開かれていて、海峡を隔てた正面には、香港の高層ビル群が生き生きと輝いている。この街の、繁栄の火照りを浴びるには、これ以上望むべくもない絶好の視点に違いない。始めて私がやって来た1961年に、300万人を突破したと言われていた人口は、1997年イギリスから中国に主権が移譲されたときには650万人を越えていた。中国が主権を持つようになってからも毎年伸び続け、2008年には700万を数えるようになっている。この世界的国際都市は、21世紀を謳歌するが如く、アジアの頂点の一つとして、エネルギーに満ち溢れているのだ。関連の写真を、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載しております。文章だけならば、「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114の活字が大きく、読み易いと思います。どうぞお訪ね下さい。(2012年4月07日 片瀬貴文)
April 7, 2012
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2011年9月30日(金)イタリア到着以来、ずっと好天が続く。同じホテルに5泊すると、すっかり古株になった感じがする。今日は遠出せずに、ホテルのあるパドヴァの街を、足で歩くことにする。イタリアに来て四日間、最初の二日はヴェネチア、三日目はボローニャ、四日目はヴェローナと巡った。ホテルからの行く先は、いつもパドヴァの国鉄駅だった。パドヴァ市内に行くにも、トラムを利用するならば、やはり国鉄駅が最寄りなのだが、今日は都心部まで歩こうと決心しているので、いつもと違った方向を目指す。ホテルの前の道を、中世の城壁沿いに東に歩き、城壁が中断したところを抜けてトリエステ街に入る。トリエステ街の角に、すっかり行きつけとなった「リストランテ・ピッツェリア・ラ・パヴァーナ」がある。やがてトリエステ街は、ポポロ通りと交わる。ポポロ通りは、駅から都心に向かって真っすぐ南に延び、トラムが走っている。駅と都心を結ぶ通りとして、20世紀に建設された、この町では比較的新しい道路と聞く。左にスクロヴェーニ礼拝堂を見て、真っすぐに歩けば、パドヴァ大学に達する。スクロヴェーニ礼拝堂には、14世紀初頭に描かれたジョットの名高いフレスコ画「最後の審判」があり、パドヴァ切っての観光目的地である。ジョットは自然な描写にすぐれ、「ルネッサンスの先駆者」あるいは「西洋絵画の父」などと呼ばれている。当時盛んだったビザンチン様式を打ち壊し、革命的な役割を果たした。関連の写真を、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載しております。文章だけならば、「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114の活字が大きく、読み易いと思います。掲載順に検索もできます。どうぞお訪ね下さい。(2012年4月5日 片瀬貴文)
April 5, 2012
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2012年2月26日(日)香港空港は、関西空港と同様、海を埋め立てて海上に造られた。しかし島を崩しながらその土を使い、かつ浅い海を埋め立てたので、安く出来た。香港空港と並ぶアジアのハブ空港インチョン空港(韓国)も、同じように造られていて、ともに関西空港に比べて工事費が安い。その分、利用者の負担は少ない。街が近づいて、広いコンテナ基地が見えて来る。「ア、 コンテナ!」私は、日本の港をはるかにしのぐ取扱量の、大コンテナ基地を一目見たいと思っていたので、思わず叫んだのだ。「香港のコンテナ基地は、シンガポールを抜いて世界一ですよ」ガイドさんが間髪を入れずに、誇らしげに説明してくれる。期せずして、香港人の競争意識を垣間見る。私が調べた限りでは、香港のコンテナ取扱量は、シンガポール、上海に次ぎ、世界第三位だが・・・?ホテルのある九龍の中心部には、思ったより遥かにスムーズに、渋滞なく入ることが出来た。香港の中心的存在だった「ペニンシュラ・ホテル」を左に見ながら、九龍の背骨「ネイザン・ロード」の南端を抜け、昔の面影を追いつつ懐旧に浸る。香港の宿は「インターコンチネンタル・ホテル・香港」。ハーバーヴューに関しては、どこのホテルにも負けず、香港一とされる。九龍半島の先にあり、海峡を介して、対岸の香港島のビル群を眺め、海峡を行く大小様々な船を見ていると飽きない。それぞれの船には、それぞれの人生があり、夢がある。一階のロビーに大きなカフェ・ロビーがあり、長い立ち行列が出来ている。今日は日曜日なので、大きなガラス戸越しに港を眺めるこのロビーが人気で、満員らしい。各テーブルでは、ケーキなどを何段にも盛りつけた、アフタヌーンティーの塔が目立っている。一隅ではバンド演奏もやっており、こんな環境を楽しむのは、かなり高い消費レベルと感じる。客層を見れば中年以下の人が目立ち、若者たちの元気さを見る。関連の写真を、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載しております。文章だけならば、「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114の活字が大きく、読み易いと思います。どうぞお訪ね下さい。(2012年4月03日 片瀬貴文)
April 3, 2012
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