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iPhone15ProMaxを買いました。 私のためではなくて嫁さんのため。 Outlook for Android<https://aka.ms/AAb9ysg>を取得
2024.02.06
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2019.10.26
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http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070629mog00m040006000c.htmlもうすぐ発売されるそうです。昔遊んだ「プチッ」とつぶしていくあの感触のある緩衝材。それがおもちゃになったそうです。これは面白いですね。値段的にも1000円以下だし、買いやすいです。
2007.07.01
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5月2日18時0分配信 毎日新聞 津地方気象台は1日、4月の津市、四日市市、尾鷲市の月間降水量が、4月の降水量としては観測史上最少だったと発表した。 津市では34ミリ(平年値145・1ミリ)▽四日市市は30・5ミリ(同163・9ミリ)▽尾鷲市は62ミリ(同340・8ミリ)でいずれも平年の5分の1ほどの降水量だった。津市では1890年から観測が始まっており、117年で最少となった。 名古屋地方気象台によると、4月としては低気圧があまり発達しなかったのが原因とみている。5月も少雨傾向は続く見通しという。【岡大介】〔伊賀版〕5月2日朝刊 最終更新:5月2日18時0分
2007.05.03
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step1.決断…心に決める step2.学習…成功者のパターンを学ぶ step3.健康…無限健康を手に入れる step4.感情…自分の感情をコントロールする step5.目的…望む結果を明確にする step6.結果…時間を管理する step7.行動…思い切った行動をとる step8.改善…アプローチを改善させる step9.リーダーシップ…他の人を自分の夢に参加させる
2007.03.27
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----- Original Message ----- From: > To: ??????@ma.mctv.ne.jp> Sent: Sunday, March 25, 2007 10:32 AM Subject: 25日の日記 金運UP風水 ・レシートや領収書を財布に入れっぱなしにしない ⇒財布自体が"お金が出て行く運気"になってしまうそう。 ・お札は同じ向きに ⇒福澤さんは、整頓された空間が好き。 ・かばんの中に入れっぱなしにしない。 ⇒帰ってきたら、静かな引き出しの中で休ませる。 ・財布を台所に置かない ⇒紙は"火"が大嫌い。出て行ってしまう。 ・顔にツヤを出す ⇒お金持ちに共通していること。
2007.03.25
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http://shop.kumagai.com/shopdetail/004001000001/order/一冊の手帳で夢が叶う で有名な熊谷さんの使っているシステムノートです。ユーザーの要望に従い、販売を始めたそうで、機能的な作りになっているので、上手に使えば役に立ちそうですね。でも、憧れだけで買っても使いこなせない人も結構いるとおもいます。 手帳選びの第一はどういう目的で使うのか、きちんと用途をはっきりさせて、使い分けていくのでないと、長続きしないとおもいます。 これはバイブルさいずですから当然胸ポケットにはいりません。営業だとかアポを入れて仕事をしたり、ボランティアなどの活動をする人などの場合、やくにたちそうですけど、予定がそれほど多くないとかの場合、ちょっともてあましてしまうかもしれないです。 もう一つは、このシステムノートの趣旨は、ノートに自分のやりたいことなどを書いて、それを実現していくために使っていこうというものですから、あまり考える習慣を持たない人も面倒に感じるかもしれないです.中に閉じこむ予定表などやリフィルなどはバイブルサイズならどこのものでも使えるので、ファイリングの形や形状が気に入ったなら買ったほうがよいかも。
2006.11.12
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http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?p=0&sv=2&sitem=%a5%d5%a5%a1%a5%a4%a5%ed%a5%d5%a5%a1%a5%c3%a5%af%a5%b9 やっと見つけたという感じです。以前から、かばんのようなチャック付のシステムノートを探していたのですが、見つけたぞ!という感じです。これはファイロファックス社製のシステムノートで、世界で始めてシステムノートを作ったのが、この会社らしいです。結構余裕があるので、収納力もありそうだし、よさそうな感じです。購入を少し検討してみたいとおもいます。
2006.11.05
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今使っている携帯電話の番号そのままに他社に乗り換えられるサービスが始った。興味があったので、ソフトバンク情報をがっちりあたまに詰め込んでお店でいろいろ聞いてみるともう少し待って様子が見えてきてからで遅くないですよ、とアドバイスされたので、そうすることにした。と言っても、こちらは今、携帯電話を休止常態にしているので、早くしないと電話番号が使えなくなくなってしまう。ま、いっか。ここ数ヶ月、携帯無しで暮らしてきたが、なんにも困るようなことはなかった。もしかしたら、この先も困らないんじゃないかな。と思うようになってきた。http://www.sharp.co.jp/ws/ これはウイルコムの端末で携帯電話ではなくてPHSなわけなんだけど、こういう選択肢もある。ザウルスと同じシャープからでているPHS携帯端末で、電子手帳と携帯がドッキングしたような作りになっていて、なにより、表示画像が普通の4倍もあるので、実用的だ。基本料金も安いし、電波さえ届けば、これはなかなかいいかな、とおもう。もちろん、エクセルワードも自由自在。ただ本体価格が4万3000円もする。こういうの買っても使いこなすほどの情報量もないから、もったいないかな。とりあえず、携帯は、しばらく要らない。
2006.11.05
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先週から日本史に挑戦しています。日本の歴代天皇を紙に書き出して、それを毎日あきもせずに読みせっせと暗記しています。日本史の回転軸になっているのは、どうやら天皇じゃないだろうか、とめぼしをつけて、理屈抜きに歴代の天皇の名前から覚えているところです。初代、神武天皇から今の今上天皇まで125代続きます、やたらややこしい名前が延々と続きますので覚えるのも悪戦苦闘の毎日です。で、今日は文化の日と祭日なので、ゆっくり日本史の本を読めましたのでザーと日本の歴史を見てみると、なんと、すらすら歴史の流れが頭に入ってくるじゃないですか。全体の80%くらい暗記できたところで日本史の挑戦。完璧に覚えてからでなくても、結構いけます。あとは、歴史を読みながら、そのなかで歴代天皇を覚えていこうとおもいます。
2006.11.04
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格言に「塵も積もれば山となる」というのがありますけど、これに真正面から反発するような話を聞きました。去年のことです、創価学会の仲間の幹部から、「塵は積もっても山にはならない」と、たいそうインパクトのある話をしてくれたことがあったので妙に頭に残ってしまいました。なんのためにそんな話を持ち出したのか分かりませんが、面白い格言はずしの話だったので今日、本を読んでいる時にそのときの話を思い出しました。「チリも積もれば山となる」というのは、まじめに努力すれば報われるという譬えを引いたものです、今の時代、まじめに努力するだけでは金持ちにもなれないし、幸せにもなれない。それだけ勢いと流れが速く、その流れに乗って努力するのでないと、なかなか努力が実を結びません、たぶん、そういうことをいいたかったのでしょう。もちろん、努力する行為を否定したりはしません。何のために努力するのか、その目的に対して方法論は適切であれば十分意味ある言葉だとおもいます。今風の言葉で言うと、物事に優先順位をつけて、優先順位の高い仕事から片付けていくのが大事ということかな。
2006.11.03
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嬉しい、11月に入り、聖教新聞が1部配達されていました。このすっきりした感覚。とても気持ちいいです。先日、聖教新聞店から問い合わせがありました。「啓蒙用紙に1部聖教新聞とありましたけど、これは一部増加ということですか、一部だけで良いということですか」と言う。ですから「2部を1部にするということです、母が亡くなり一人になったものですから、よろしくおねがいします」と言うと、「そういうことだったんですか。これで安心しました、では来月から1部にしますね」という明るい声が受話器から聞こえてきました。なんという軽さ、明るさ。このさわやかさこそが創価学会。で、どうしてなのか不審におもい新聞店主に訪ねてみると、どうやら各々の聖教新聞店によってローカル・ルールがあるらしく、以前の新聞店の店主の場合は、啓蒙用紙に1部と書いた場合、新規購読だろうが部数変更だろうが、一部は1部配達という意味らしい。そのローカル・ルールに従って書いたので、他の新聞店主には通じなかったということです。そして、毎日配達してくれる配達員さんに感謝。
2006.11.01
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プロ野球・日本ハムが44年ぶり2度目の日本一。日本シリーズ第5戦、中日を4-1で下す。10/26 21:29
2006.10.26
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母の逝去に伴い、聖教新聞の部数を2部から1部に変更しました。会合に参加した折り、近くにいた婦人部の幹部の相談したとこと、2部のままでいいんじゃないのかと言ってました。その理由は、・新聞の切抜きするとき裏表同時に保存が出来ないときある・新聞の贈呈にも使える・1部を持ち歩いて1部をきれいなままで保存しておけるということでした。ご意見ありがとうございました。昨日、教えていただいた聖教新聞店店主のところに、ファックスで2部を1部に減部の手続きをとらせていただきました。今はもう、かつてほどの活動家でもないし,1部あれば十分事足ります。浮いたお金の使いどころですが、相談相手の幹部は、「残らないよ、他のところに使うだろうから」と心配してくれてました。そうですね。そのとおりです。お酒にでも消えてなくなることでしょう。飲酒運転にならないように気をつけるこれが信心ですね。年末にかけて、飲酒運転の多くなる季節。皆さん、くれぐれもご注意ください。私も、気をつけねば。
2006.10.22
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http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/mail/>2006.10.09教育実習明日からの4週間、“先生”になってきます!と、更新が始ったみたいです。で、今までとちょっと違うのは、コメント欄が消滅していること。まあ、コメントはしばらくつけないほうが安全ですね。昨春から明星大学の通信教育部にお世話になり、小学校の教員免許を取得するための勉強を続けてきましたが、いよいよ、その最終段階として教育実習させていただくこととなりました。と、明星大学の通信教育だったんですね。風の便りによれば「玉川大学の教育学部」だと言われてましたけど、いい加減な情報だなあ、こんなのばかりでうんざりだ。とくに、乙武さんの話はいいかげんな風説ばかりで、まともなものが少ない。例えば、「乙武さんは創価学会の会員」説。オフィシャルサイトを始から繰ってみると、彼がみずから学会員ではありませんと説明しているページがありますから、ざっと読めば直ぐに分かるのですが、興味が中途半端でろくすっぽ乙武さんのブログを読んでいる人はいない。批判の尻馬に乗って軽く煽り立てる人達ばかり。これが批判の正体だ。これだから批判というのは信用できない。批判する者は少なくとも、氏の書き込みはざっとで良いから読んでみるべきでしょう。あんまりうわさによる批判が多かったので、(自分が学会員であるので、関心もあった)本当の所はどうなのかと調べてみて、憶測を元にしたたんなる中傷に過ぎなかった。しかし、一度批判が文章となり、流れると、元コメを離れて一人歩きしていくもの。実は、この勘違いは学会員にも結構ある。氏のブログによれば学会員からよく同士だと間違われて挨拶されることがある、と述べているところからもそれとわかります。まあ、確かに学会員が読んでも、乙武さんの書き込みは、バリバリの学会員の書き込みと同じ思考形態を持つものが認められれるので、そう勘違いする学会員がいても不思議ではありません。今、日本で前向きな明るい生き方をしていると、学会員と勘違いされます。逆に考えると、学会員は、日ごろから明るく前向きに生きていこうと努力しているということになります。学会批判のなかにこんな笑い話があります。学会員には根拠のない明るさがある。お題目をあげているから、という根拠があるのだけど、それは説明してもなかなか理解してもらえないので、根拠なき明るさとなるのでしょう。それと同じように、乙武さん全体からうける明るさにも、どことなく根拠のない明るさが漂っています。乙武さんの著書「五体不満足」を読み記事に書きましたが、この著作にも、根拠なき明るさに満ち溢れていて、スカッとした文章になっています。それが障害者に不似合いなほどの明るさがあり、障害者から、「障害者が誰でも乙武さんのようであると誤解されるのは迷惑だ」と、批判されるほどです。乙武さんは障害者の一人と読んで欲しいと考えているのですが、あちこちで紹介され学校の教材になって読まれることで、障害者の代表と読まれてしまうことがよくあるので、地元に住んでいる障害者の方が乙武さんと比較されてしまい、不快な思いをしてしまうわけですね。確かに、同じ障害を持つ人であっても、環境が違うわけですから誰もが乙武さんと同じような人生を歩めるわけではありません。一つ例示すると、乙武さんは小学校から普通の小学校、中学も高校も大学まで一般の学校を通しています。普通の障害を持つ人は養護学校で全学年を通すことが普通なので、そのあたりの感覚の違いもあるはずです。乙武さんが、五体不満足の中でそのことを書いています。擁護学校ではなく障害をもつ人もどんどん普通の小学校に通うべきだ。(大要)こう書かれると、養護学校に通っている人、卒業した人は批判されたように感じてしまいます。このあたりの、同じ障害者と言っても、こんな風に温度差があるので、いろんな意見が出てくるわけで。障害に負けずに明るく生きていることが、批判の材料になってしまう。不思議な現象です。本来すごく大切な事柄なのですが、問題は、障害者は乙武さんとおなじように明るく生きていくべきだ、という意識なのです。障害をもつ人と接する場合、同じ障害者と言っても一人一人皆違うのだ、というところから出発していかないといけない。明るく生きている乙武さんのような人の生き方、すこしくらい生き方かも知れないけれど,努力して生きている障害者も一杯いるし、障害に負けてめげている人もいるだろうし、障害があることをイジメの材料にしていじめられている人もいるはずです。そういういろんな人がいて、ひっくるめて障害者なんだ、ということを前提にして、考えていく、そこからもう一度、障害というのは何なのか、ということを改めて考えてみる必要がありそうです。人生というのはなかなか深いものですね。私の知らない世界がまだまだいっぱいあります。
2006.10.13
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古本屋にいくと、いつでも乙武さんの書いた五体不満足が置いてある。その価格も100円くらいから400円くらいまでいろいろある。でも中身はおんなじだから、やすいほうがいいのはいいけれど(笑)読んでビックさせられるのは文章運びは、まるで健常者が身体障害者を観察したような書き込みになっていること。これでは身体障害者とは呼べないのではないかとさえ思う出来だ。とまれ、ちょっと考えてみたのだけど、体が不自由なのと,心が不自由なのとは少し違うのかもしれない。乙武さんは、心は健常者のそれで、身体だけが障害を持っているというようなものなのだろう。感傷的なところがなく、文体は常に、自分自身を客観視しつつ、様々な人たちとの交流を通してたくましく育っていくストーリーが際立っている。はじめから終わりまで屈折しないでまっすぐ生きてきたというくだりには舌を巻かずにはいられない。世の中にはこういう人物がいるんだ。ちょっと驚いた。この生き方は20年前に映画化された「典子は今」の主人公の典子さんと共通したものだろう。スルリと障害をすり抜けて、障害を日常の当たり前の事として受け止めている。もう一つは、その自分の身体的問題を他の別の人と比較して考えない。ポイントを絞ればこのあたりだろう。普通なら、困難に日常性格に不便を感じる。自分を他人と比較することで自身の運命を見つめる暮らしを送る。両者にはこれほどの違いがある、当然、行き方感じ方は正反対になってしまう。で、普通の健常者が身体障害者にイメージするのは後者が圧倒的で、過剰反応をしてしまいどう対応すればよいのかまごついてしまうことになる。これは障害者はこういうものだというイメージがあるからで、そのイメージのとおりに接してしまうことで、逆に障害を持つ人がギャップに苦しむと言うこともある。で、スルリと障害をすり抜けてしまった乙武さんの著書「五体不満足」を読むと、どんな風にしているかというと、出来ないことは工夫する、ということで対処しているのが随所に描かれている。少し工夫して健常者と同じように振舞えるようにすることで、差別をなくしている。というもの。周囲が自発的にそうした環境を作る場合もあるし、本人が努力して工夫していることもある。それがごく自然になされている。だから障害はなんのハンデにもならないと強く主張する根拠となっている。創意工夫。これは障害者であれ、健常者であれ、ごく日常的に誰もがしていることなのだ、と気づくと、決して障害を持つ人が特別な存在じゃないことに気づいてしまう。あとはそういう人間関係の慣れ。著書「五体不満足」の表表紙には、乙武さんが電動車椅子に乗って、こちらを向いて微笑んでいる写真が掲載されているが、初めてみたとき、胴体の下に足がなく、空中に浮かんでいるように見える写真にドキッとしてしまったのだけれど、本を読んで改めてこの写真を見てみると、不思議なことに、なんの違和感もなく、ごく普通の男子が写真のそこに収まっているように見えてくるから不思議だ。彼のことを不幸な人とも思わないし、彼の存在を感動だとも思わない。こいつ、なかなかおもろいやっちゃな、という、ごく普通の人に感じるそれだけが残った。障害者への意識を変えてくれた一冊として、これは私の記念碑になる作品になりそうだ。
2006.10.01
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http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2006/09/post_5521.html きっこのブログという有名なブログがあります。ときどきのぞきに行くのですが、毎日精力的に書き込みしていて、読むのも大変ですけど、これがちょっと面白かったりします。女性特有のというか本人自身の視点からいろんな時の話題を面白おかしく書いてくれてます。URLに示された掲示を読むと、青い三角定規という昔あった3人組のフォークバンドの一人が酒気帯び運転でバイクを運転中、人身事故を起こして、それがワイドショーで袋たたきにあわせているのはけしからんという書き出しではじまり、ネットでのブログ炎上も同じ、いじめも同じといじめの構図にあるものを片っ端から切っていくという痛快な読み物になっています。でも、ちょっとくどいので、なんだか途中で読むのが嫌になってしまったのですが、文章をとりあえず始から終わりまで読んで、何かが足らないと思いました。で考えてみるともしかしてこれかな、と思うことが見つかりました。ブログ炎上にしても、今回の酒気帯び運転のバイクでの人身事故にしろ、一つの共通したものがあります。それは、見せしめ効果を狙った批判であることです。刑法などを勉強してみると良く分かるのですが、極悪犯罪であるなしに関わらず、社会に蔓延してもらっては困る事件の場合、見せしめ効果を狙った判決が下されることがままよくあります。裁かれる内容は同じでも裁き方は、本人とは別に、そのときどきの時代背景、そのときどきの社会情勢に応じて裁きに違いがあるのです。でも、そんなことは本人にはなんの関係もないことなのですが、社会が関心を持っているときに事件なり、問題を起こしてしまうと、それはもう悲惨そのもの、裁いている側が知らず知らずのうちに人権侵害を犯しているのではないかとおもうことがあります。例えばですけど、いまからもう何年も前になりますが、オウム真理教事件がありましたけれど、捜査の最後に、ついには、サティアンにおられなくなり、住居を移動しなくてはならなくなったとき、いずれの自治体も、彼らの順民登録を受け付けず、法律に反して、受け付け拒否をしていました。今後、このような犯罪が行われないようにという意味もあるのでしょうし、住民感情としてどうしても彼らを受け入れることが出来なかった、というのもあるでしょう。アメリカのほうでは、エイズが全米で流行し始めたとき、医師が患者の診察拒否をしたこともあります。こうなると、法律以前の問題で、事件に関してなんの効力も発揮せず、無法地帯と化す。こういうことが現実にあるのですよね。法律というのは単なるザルにすぎないのだなあ。それよりもっと大事なのは、人それ自体で、人の心、暮らしを侵害するものがあるならば、いかなる理由があってもそれを排除してしまおうとする強い力の元に、どんどん時間と時代が作られていく。これを大きくしたものが革命で、先日もタイでクーデターが起こりましたが、あんな風になっていくわけです。だれかが、ブログ炎上は本人がガソリンをまいたから火をつけつものがやってくるのだ、というようなことを書いてましたけれど、まあ、要するにそれなりの原因はあるのだということを言いたかったのでしょう。きっこのブログでも同時期に、皇室批判に近いものが書き込まれ、それから2時間後に自主削除された経緯があり、その削除された文章が別のところに掲示され大きな話題になりましたが、こちらは、きっこさんの弁明によってあっという間に鎮火。推敲途中の中途半端な文章を間違えて掲示してしまい、それを削除したもので、長年書いているうちには、そういうこともある。削除した文章にまで文句を言われてもそのひとつひとつにいちいち説明なんてできっこない。まったくそのとおり。じつは私も、推敲しつつも掲示を削除することがよくある。一つのテーマにいくつもの考え方があって、とりあえず書いてUPしてみるものの、後になって、ちょっと違うかもしれないと思って削除して差し替えることなど日常茶飯事にある。だから、前の文章と後の文章がまったく正反対のものでも、そのどちらも自分の考えのなかにあったもので、どちらかが間違いだということはいえない。しかし、最終的にどういう自分なりの結論を持つかは、時系列からみて、やはり最後に投稿したものが、自分の納得した意見ということになるのではないか。このあたり、読む側もそのあたりの人の心のうつろいを自然なこととして受け止めて、もう少しおおらかな気持ちで、ブログなりを読むようにするといいのではないかと思う。見せしめ効果を狙うというのは、本人にはなんの関係もない話なのだけれど、バイクで人身事故を起こし自殺した人にはまったくお気の毒としか言いようがない。批判されても、すべてを自分の責任と受け止めず、聞き流してほとぼりが冷めるまで時間を待ってほしかったなと思う気持ちもある。なにもかもが急いで結論を出したがる時代だから、どこかに心の余裕を持っていかないと、なんだかぎすぎすした嫌な自分になりそうで、なんだか自分まで嫌になりそうだ。時代に合わせるだけが芸じゃない。自分なりのゆっくりした時間も大切にしていかねばね。
2006.09.27
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乙武ブログ炎上のコメントを読んでいると、意外と刺激をうけることがよくあった。たんなる批判だけでなく、以外に建設的で豊かな情報も提供してくれていたのには感謝せねばなるまい。いままで、天皇に関する予備知識が乏しかった自分にとってはまさに知識の泉のようなものだと思った。天皇の世襲制はどうなっているのかと言うと、今までは男子しか天皇になれないというくらいのものだったのが、男系男子のみ、という縛りがあるということをはじめて知ったのも乙武ブログのおかげ。どうやらこれは天皇家の宗教である神道に由来したものらしいとわかってきた。それを歴史的な事実から調べてみると、途中、何人もの女性天皇がいたことも分かってきたが、それは天皇の妻、つまり皇后に限られていたとか、つまり、あくまで男系男子で天皇家は存続してきたと言うことで、これは世界的に見ても例がないのだそうだ。であるからして、ぜひとも後世にこの皇室の伝統を継承してもらいたいという連中が生まれてくる。ところが、皇室典範会議などで意見は真っ二つに分かれ、議論の大勢を占めているのは女系の男子・女子の天皇も認めるべきだとうい主張なのだとか。これなどは、憲法の定めるところの基本的人権が男女平等を謳っているからだとかまことしやかな話になっているのだけれど、単純に考えれば、女の子しかうまれないんだから、しょうがねえべ。ということだ。世界の王室をのぞいても、女性が王として継承を受けている例は山ほど有り、当たり前にさえなっている、裏を返せばそういう時代に男系のみで継承されてきた日本の天皇制度はまさに奇跡であり、当然、そういうことがあるから、世界的に見ても日本の天皇への尊敬はたいしたものだ。この皇室典範会議のことを乙武さんは、最後の書き込みでちらりと触れていて、それがあまりに中途半端な書き込みであったので、そこをつつかれて、ずいぶん長く、どういう意味だと詰め寄られ、乙武さんは女系天皇容認派なのだな、と非難があつまる。天皇問題は政治的なものが絡んでいるだけに、とにかくもめはじめるときつい言葉がガンガン飛び交い、普通の議論であっても意見がまとまらずもめにもめて治まらないことが多い。それが時期悪く、紀子さまが出産された間際にその出産への祝いの言葉もなく、批判めいた書き込みをしたがために、非難攻撃の格好の餌食になってしまった。ま、それはともかく、天皇の継承問題は、それだけを知ればすむものではなく、今の天皇がどういう立場にあり、どういう過程を経ていまのように象徴として扱われるようになってきたのか、きちんとした知識を身に付けておかなければいけないことなのかもしれない。運良く、そういう議論も十分にされていたので、ある程度予備知識を得ることが出来た。その上で、さらに、ネット辞書フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』などで調べてみて、なるほど、こんなふうに今の形になってきたのかというのがわかってきた。いつまでもダラダラ調べているわけにもいかないけれど、天皇について調べているうちに、日本の戦前戦後の歴史が見えてきた。もう少し調べて、いろいろと考えてみようかと思う。
2006.09.26
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紀子さま男子ご出産将来の論議も続けたい 6日朝の日本列島を吉報が駆け抜けた。秋篠宮妃紀子さまが無事に男子を出産された。皇位継承順位が皇太子さま、秋篠宮さまに続く第3位となる男子皇族の誕生を、国民全体で心からお祝いしたい。 紀子さまは12年ぶり、しかも皇室では初めて帝王切開による出産だった。部分前置胎盤と診断されたためだが、医療チームが総力をあげて良好な経過をたどった。今後も万全の態勢で見守り、母子ともに元気な姿を早く国民に見せてほしい。 秋篠宮ご夫妻は天皇家では初めて皇居内の宮内庁病院ではなく、東京都港区内にある産院を選ばれた。これも時代を映す皇室の姿の一つとして共感を覚える人も多いだろう。 誕生した男子は天皇陛下の孫の世代では初めての皇位継承資格者となる。政府は今後、即位を前提として秋篠宮家の育児や教育など生活環境の整備を進めていく必要がある。 一方、皇室典範改正論議のなかで皇太子ご夫妻や長女愛子さまに注目が集まった経緯も留意したい。愛子さまの皇位継承可能性は将来も全くないわけでなく十分な配慮が求められる。 棚上げの「典範改正」 秋篠宮家の男子誕生で皇室典範改正論議への影響は避けられない。現行の皇位継承は父方をたどれば天皇につながることを意味する「男系」の、しかも「男子」に限られる。 有識者会議の提言を反映した改正案は、これを「女性」とその子どもの「女系」皇族にも拡大、安定的な皇位継承のため男女を問わず天皇直系の長子(第一子)を優先する内容だ。 改正法案が成立すれば皇太子さまに次ぐ皇位継承は愛子さまになり、将来的に愛子さまの第一子が即位する流れになる。 これに対し自民党内には「男系継承の伝統を重視すべき」との慎重論が根強かった。そこに紀子さまの懐妊発表があり、小泉純一郎首相は改正案の国会提出を見送った。 父方に天皇を持たない「女系天皇」と「女性天皇」の違いも国民が十分認識できておらず、しかも賛否両論あるなかで決着を急ぐような問題ではない。 ポスト小泉最有力の安倍晋三官房長官も、従来から皇室典範改正には慎重な姿勢を示している。しかも男子皇族の誕生とあっては改正論議が当面低調になるのもやむを得ない。 継承の安定は不可欠 少子化は皇室も無縁でない。有識者会議の前段の研究会も天皇、皇后両陛下の将来の漠然とした不安が土台だったという。今のままでは秋篠宮家に生まれた男子が将来的に一人で皇位継承を背負うことになる。 その不安定さや重圧を緩和する皇位継承の在り方の検討を迫られる事態が、やがて到来することは容易に想像できる。 国の将来を見据えて冷静に論議できる環境が整った段階でじっくりと検討を重ね、国民の総意が得られる結論を導くことは決して無理な話ではない。 立憲君主制下で王室をもつ欧州各国は性別を問わずに王位継承に道を開いており長子優先の動きもある。継承権の男女平等機運の高まりを映すものだ。 天皇家は時代を映す皇室の在り方を求められてきた。天皇、皇后が皇太子夫妻当時の子育ても国民には印象深い。「皇室の慣習も社会の動きと一緒に変わっていくもの」との信念を変えなかったといわれる。皇室の在り方を探るうえで社会全体の家族観や男女観、家意識などの変化をどう反映するのか、役割を含めて論議を深めたい。松本利巧(2006.9.7)
2006.09.14
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「皇室」再考の契機に 典範など国民議論を〈解説〉神戸新聞ニュース 2006/09/06 秋篠宮家に生まれた男の子は、天皇陛下の孫の世代で初めての皇位継承資格者だ。ただ男系男子の皇族にだけ継承を認める現状では、将来、一人で皇室を背負う不安定な状況になる可能性がある。国民はそうした実情も踏まえ、女性、女系天皇を認めるかどうか、皇室の役割と国民との関係について、再考する契機にすべきだろう。 現在の皇室の公務は憲法が定める天皇の国事行為のほか、国体や植樹祭、芸術、科学分野のさまざまな催しへの出席、外国訪問など幅広く、歌会始のように伝統文化の継承を担うものもある。 この中で、女性皇族の果たしている役割は大きい。皇后さまは、天皇陛下とともに高齢者や障害者の施設に出向いたり、災害に見舞われた被災地を巡ったりして、人々を慰労。紀子さまは結核予防や手話などの催しに積極的に足を運び、独自の活動が定着している。 皇室典範に関する有識者会議は、国民の支持や安定的な制度の継続を理由に男女の区別なく長子優先で皇位が継承されるべきだとの結論に達した。しかし、国民が皇室に何を期待しているのか、将来にわたって必要な制度なのかという根源的な議論は欠落していた。 皇室で男子誕生が、女子誕生よりことさら大きな慶事として取り上げられることに違和感を抱く人も少なくないだろう。 天皇家が男系男子でつながれてきたとされることが、国民とのかかわりでどう重要なのか。女性は天皇としての役割を担うことはできないのか。 皇位継承者誕生の今、女性皇族に新たな道を開くかどうかじっくりと考える時期といえる。
2006.09.14
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新宮さま、お名前は「悠仁」...命名の儀 秋篠宮ご夫妻に誕生した新宮さまの「命名の儀」が、12日午後3時35分から愛育病院(東京)で行われ、お名前は「悠仁(ひさひと)」、身の回りの品につける「お印(しるし)」は「高野槇(こうやまき)」と決まった。宮内庁によると、「悠」には「ながい、ゆったりとした」という意味があり、ご夫妻は「ゆったりとした気持ちで、長く久しく人生を歩んでいくことを願って」命名された。高野槇は、幹が直立する日本固有の常緑高木。「大きく、まっすぐに育って」という思いを込められた。親王の名前は2文字で「仁」をつけるのが原則。宮家の子は宮さまがつけることになっており、秋篠宮さまは意味と音を重視、歴代天皇や皇族の名に使われていない字から、学者の意見も聞き、天皇陛下にも相談して決められた。(読売新聞) - 9月12日15時54分更新
2006.09.13
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乙武ブログで、失言からえらくコメントがたくさんついている。2chのにぎわかし連中があつまってきて、火の粉を撒き散らしているのだろか? それはともかく、天皇家を批判することはタブーになっているので、批判しようものなら非難ごうごうの責め苦に合うので注意が必要だ。URLは削除しました。(9/27)
2006.09.12
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一人は、同じ人材派遣会社から来ている仕事無関心の先輩一人は、会社の従業員の仕事バリバリのやる気人間的先輩どちらに付け!といわれたら、当然、後者、こんなのは当たり前の話。人材派遣からきている先輩にもの申す。仕事しにきているのに、仕事したくない、なんていうのは、いくら人材派遣からとはいえ、論外の話だろう。というか、基本的に、仕事へのスタンスが根本的に狂っている。仕事というのは、大きく分けて3種類あって、一つは、1人前に仕事ができる2つは、2人前の仕事ができる3つは、3人前の仕事ができるとこの3つまず1つ目の1人前とは、言われた仕事をきちんとこなすことができる、これが一人前。でも、この一人前というのは、言われたことはできるが、言われないことはできない。言われなくてもしなくてはいけないこともあるし、気配りができなければ、グループでの仕事は無理だと思う。回りとの関係の中で、きちんと自分がどれだけの仕事量をこなしていけるか、それが理解できて初めて、一人前ということができる。だから、それができずに、孤立して、自分勝手な仕事の仕方でラインに迷惑をかける仕事しかできないのは、じつは仕事をしているように見えて、実は仕事になっていないということ自覚する必要がある。だから、同じ人材派遣から来ている先輩は、仕事をしているようにみえて、実は、仕事をしているとは言いがたい。だから文句を言われるわけで、これは当然だと思う。次に、2人前の仕事とはどういう仕事かというと、自分ではなくて、他人から見たときに、きちんと仕事ができるヤツだ、と評価されるのは2人前に仕事をしてはじめてその評価の対象となるばあいが多い。2人前の仕事とういのは、人の倍働くということなのだけど、同じ時間内に、どれだけの成果を上げられるか、その成果で高い成果を上げられるように、よく工夫と努力を続けている。当然、仕事の内容はきちんと把握しているし、仕事はスムーズに運ぶ。では3人前とはどういう仕事か。2人前までなら自分ひとりでも何とかこなすことができるけれど、さすがに3人前となると他人に手伝ってもらわないとできない。自分の仕事だけでなく、自分の仕事に関係する仕事をする人達の能率までアップして、全体で、大きな成果を上げれるように仕事の段取りがつけられる人が3人前の仕事のできる人ということが言える。3人前の仕事は、あくまでも個人の仕事の範疇でということなので、管理者がそうだということではない。積極的に関係を持って、全体に影響を与えていける人のことで、管理者とは関係がない個人の能力の話。では、会社の従業員で私の先生をしてくれている人はどうか。この先生の場合、ご本人は、人の倍も仕事をして、忙しく立ち回っているけれど、仕事のミスも多く、操作ミスから、良く機械が壊れ、修理の為にラインが止まることも多い。その上、人間関係のトラブルからやる気をなくさせることも多く、総合すると、一人前の仕事しかできていないようにしか私には見えない。だから、この人も派手な仕事の仕方はするが、かなり能力は低いと思う。派遣であれ、正規の従業員であれ、仕事に入れば区別はないはず。それを敢えて差別をつけて意味付けするのは言い訳なんじゃないだろうか。やる気を引き出して、上手にその気にさせて、持っている能力を引き出してあげて初めて、全体の歯車にかみ合ってくるわけだから、かみ合わないからと文句をいい、同じラインにありながら、ほったらかしにするのは、責任放棄だといわれても仕方ないだろう。その先生となる先輩が私に指示したのは、あれは言うことを聞かないから、口を聞くな、無視しろとこれだけだった。それでこれまでラインに大きな損失を出してきたわけだけれど、それを言うことを聞かないことを理由に損失を出している意義つけに使っているだけで、なんの解決をしようともしない無責任さは立場を変えて同じだと思う。私はもうすぐで1ヶ月になろうとしているが、その間、そのなんとも言うことを聞かない先輩に、それまで してくれなかった仕事を全部自発的にさせることに成功したし、そのことをなんら不思議なことでもないように、受け入れて、当たり前のように仕事をしている。とすると、それまで、しなかった仕事は、一体だれの責任だったのだろうか。感情的になってラインを混乱させてきたのは、私に教えてくれているその先輩の方の問題ではなかったのか?仕事は人間がするものだから、いたずらに感情を振り回して、回りの人に誘いかけて、悪口で蓋をすることが適正な仕事のあり方だといまでも頑迷に信じているのなら、それは、仕事をしない人の頑固さの裏返しに過ぎないということになるだろう。喧嘩両成敗。どっちにも仕事の上での非がある。良く反省して欲しいものだと思う。何の反省もなく、私にくちやかましく、小言、文句、言い訳などしないでもらいたいものだ。6年先輩に、最近入社した、それも人材派遣の私がいちいち口出すことでもないので、黙ってはいるけどね。
2006.08.29
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実のところ、この仕事の先生をしてくれる先輩は、気はいいのだけど、口が悪い上に、悪口をよく言う人だった。私にものを教え、動かすのに、あの人はこんなだった、と悪口がまず先に出た。その悪口を言われているのは、型枠を緩めているラインの先頭で仕事をしている人のことだ。たしかに、その人の仕事ブリをみていると、言われても仕方がないようなやり方をしているようなので、文句が言えないが、同じ人材派遣の会社からきている人なので、そちらからも情報を貰わねばならないこともあるかもしれないので、悪口に同調してばかりもいられない。仕事の先生は、その人とあまり口を聞いて欲しくない、一緒にいて欲しくない。と言う。ところが相手から話し掛けれらたなら、話をしないわけにもいかないだろう。大体、仕事が忙しいときに限ってその人は話し掛けてくる。だから、それを見られて、注意されることになる。この人も仕事の先輩には違いないが、この人から教えられたのはこんなことだ。こんな会社に来るやつなんか、どの会社でも相手にされないで行く場がないから、こんなところに来たやつばっかだ。こんな会社、長居するところじゃねえや。同じ仕事でもほかのところに行ったら+200円もらえる、こんな会社、早くおさらばだ。どうせ俺たちは、人材派遣会社から来てんだから、時間から時間まではたらいてりゃいいんだ。面倒だからこのあたりにするけれど、つまり、時間だけ最小限度だけ働いて、帰るのが俺たちの仕事。正規の従業員と俺たちは違う。と言いたいらしい。これには一理はあるが、だから言われたことだけしていればいい、仕事の手順も仕事の内容も覚える必要がない、というのはどうだろうか。この人は、私が仕事を覚えることを、こんなふうに批判をしていたことにもなる。それで、この人が、ラインの人と、どういうトラブルを起こしていたかというと、仕事の手順を覚えないから、手順書(ISO)を無視して、自分のやりよいように仕事を解釈し、自分のやりやい仕事だけやって、あとはほったらかしして、次の作業工程者に引き渡すだから、後工程の作業が一つ増え、仕事が増えることで余裕がなくなることで、仕事の危険が増え製品のできにばらつきが多くなり、不良品が多かっただから、そういう手順ではなくて、こういうふうに作業をして欲しいとラインの責任者が言うのだが、こういう作業の方が仕事がはかどり、楽だから、変えない、と言い張り、いつもラインのものと言い争うことになっていた、最後には、言っても聞かないので、もう誰も話をするものもいなくなり、孤立無援で仕事をするようになっていった。これで困るのが、トラブルが起きたときで、なにかトラブルが起きたとき、その人は、自分は正社員じゃないから、機械などは正社員がみるのが当たり前、トラブルはラインの側にあると言い張るラインの従業員は、担当するものが機械の保守をするのが当たりまえ、聞いても分からないから、機械が壊れるまでほおっておけ、こんな調子で、いつもラインはギクシャクした関係が続いていて、月末の製造ラインの成果発表になったとき、目標生産量が達成されない状態になっていたりしたこういう人が人材派遣からきているので、人材派遣はただの手伝いに過ぎない、という認識ができてしまっている。だから、人材派遣からの従業員は、始から相手にされてない感じだった。まったくひどい状態とはこういうことを言うのだろう。はっきり言って、あきれ返ってしまった。2人の両先輩に対して。こんなのどっちもどっちだろう、ちがう?次の掲示でそのことについて意見を書いてみる事にします.
2006.08.29
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覚えなくてはならないことがある。仕事の手順と、製品を作るための資材の名前だ。これは最低覚えておかないと仕事にならない。出勤のはじめは、先輩が、一緒に行動してこれはこう、あれはこう、と教えてくれたが、いつまでも親切に教えてくれるわけがない。先輩は、やっていれば自然に覚えてくるから大丈夫だ、と言うが、こういう先輩に限って、ある日突然、突き放して、教えてくれなくなる。安心していたら、大変なことになるのは分かりきったことだ。だから、自分から進んで覚えていくようにしないといけない。仕事は、自分から進んで覚えていくものだ。と私は思う。そこで、私が始めにしたのは、それぞれの製品の部品を覚えること。型枠は大体30種類くらいあって、ラインに流しているのはそのうちの15種くらい、そのうち5つくらいは簡単に見分けがつくので、あとの10を覚えてしまえばすんでしまう。部品となる鉄筋は、その日によって場所が移動するので、場所で覚えても意味がないので、部品の形で覚えてしまうしかない。しごとは流れ作業なので、仕事中にいちいち覚えている暇がない、だから、仕事が終わった後、形と製品の規格を照らし合わせてひとつづつ紙に書き写し、それを2日くらい見て、覚えた。覚えてしまうと、結構安心感も手伝って仕事の負担が軽くなった。部品(鉄筋)と規格がなかなかかみ合わないときは、それがストレスになってひどく疲れたけれど、覚えてしまったら、次に流れてくる型枠がどの規格のものか判断できれば、簡単に次の作業がイメージできるようになったので、気分的にも楽なったし、余裕が出来たので、先へ先へ仕事の段取りをつけられるようになった。仕事を始めて5日目のことだった。
2006.08.29
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48歳で、再就職。今よくある人材派遣業からの出向で、コンクリート製品を作る工場に勤務することになった。母の死ぬ1週間前のことだった。道路の横にある川にかかる側溝というコンクリートの囲い、これを作っている。はじめ、見に行ったときには、どうだろう自分にできるだろうかという不安があった。側溝がどんなふうにできるのか初めて知ったのもこのときだ。作業は流れ作業になっていた。側溝を作るための大きな鉄板の型枠がある。その鉄板が側溝をつくるのに具合の良いようになっている。出来上がった製品が乾燥室からでてくると、その型枠の上に人が乗っかり、はみ出たコンクリートのカスをエアーで吹き飛ばし、エアーでふけないものはエアーの先にある鉄の爪でこそぎ落とす。数回叩くと、簡単に割れて、割れたカスはエアーでふけ飛んでいく。きれいになった型枠からコンクリート製品が取り出しやすいように、締め付け金具を緩める。そして次の作業者に渡っていく、締め付け金具を緩めた型枠から抜き取る作業が行われ、そのあと、きれいに掃除された型枠が次の作業者の所に運ばれていく。次のところでは、型枠に油が塗られる(これは、型枠からコンクリート製品が外れやすくするため)そして鉄筋がいれられ、締め付け金具で強く締め付けられる。こうして次の作業者のところに移動していく。次のところでは、鉄筋が入った強く締め付けられた型枠のなかに、ナマコンが流し込まれる。バイブレーターで振動を与え、中の隙間や空気が抜き取られたナマコンは丁寧にコテで表面が滑らかになるように仕上げられて、乾燥室のなかに送られる。こうして乾燥してでてきた製品が1番はじめのところに戻されるという具合で、一工程が終わる。私は、そのうちの枠を外す作業と、枠を締め付ける作業のいずれかを担当することになった。枠を外す作業には、すでに同じ人材派遣会社から来ているので、おもに、私は枠を締め付ける作業をすることになった。
2006.08.29
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しばらくぶりにこのブログに書こうと思う。しばらくヤフーのブログ(株式投資板)に連動して書いていたのだけど、母の死に前後してしばらく株式投資から注意がそちらに向いていたことから、なんとなく株式投資に乗り気になくなってしまい、カーチス(旧ライブドアオート)に投資したまま、投げ出したままになっている。しばらく株のことはどうでもいいや、と言うのが正直な気持ち。お金を儲けようという気にならないと、なかなか投資に気が向かない。母が亡くなったのは今月(8月8日)のことで、3度の入退院を繰り返し、最後は国立病院で息を引き取ることになった。特定疾患に指定されている”特異性間質性肺炎”という難病が死因。入院した以後、ずっと鼻に酸素吸入器をつけたままだった。酸素吸入器をつけるようなったなら、半年の間にほとんど死亡に至ると医師から宣告されていたが、まったくその通り、入院から4ヶ月で母は亡くなった。死亡にいたる様々ないきさつはあるが、それはそれとして、実に大変な4ヶ月間の闘いだったように思う。経済的にも、時間的にも、ほかいろいろな面で、これまで経験したことのないことの連続だった。祖母を無くして17年、そして父が亡くなったのが2年前で、その後を追うように母までが逝ってしまい、結局最後に私一人が家に残ることにんなった。父の死の時には気づかなかったり考えたりしなかったことを母の死をきっかけにして考えるようになった。1つ目は、死というものについて。2つ目は、暮らしというものについて、この2つは、いやでも考えていくしかないことなんだろうと思う。死については、医師からこの病気は遺伝すると言われて受診をもっか進められていたりする。肺の病気については以前から気になっていた。たぶん小学校に入る頃からのことではなかったかと思う。小さな頃から息苦しさをいつも感じていた。母が肺の病気だということで、自分にも同じ肺の病気があるのだとわかり、なんだか妙に納得してしまった。このことで、これからどう生きてくべきか、どう暮らしていくべきなのか、なんとなく自分なりに生活設計が見えてきたように思った。病気と自分の暮らしが、一つにつながった感じだ。暮らしのなかで、当面気になるのは、食事など栄養補給をどうすべきかで、適当に食事を作ればなんとかなるだろう、ではなく、それなりにきちんとした栄養を取って健康維持をしていかなくては、と言う気になった。農林省のホームページに栄養に関するサイトがあって、栄養のとり方が分かった。食事バランスガイド毎日、食事のことを考えるのは以外に大変なことで、面倒だと思うことのほうが多い。でもまあ、これだけはしかたがないことで、外食では経済的に大変だし、結局自分でつくるしかない。それでも、最近は、コメを砥いで御飯を炊くのは面倒ではなくなってきた。問題はおかずをどうするかで、毎回これを考えるのが大変なのだ。とにかく、家族が自分ひとりになった以上は、一人で生きていくしかないわけだから、お嫁さんが見つかるまでは頑張らないと。
2006.08.29
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ナノバブルの製造・安定化技術に関する特許出願 【書類名】明細書 【発明の名称】酸素ナノバブル水およびその製造方法 【技術分野】 本発明は、あらゆる技術分野にその有用性が潜在し、特に動植物に対しての生理活性効果を顕在化した酸素ナノバブル水に関するものである。 【背景技術】 近年、地球環境全般の汚染により、様々な化学物質の蓄積を通して人間の身体が組織レベルで酸素不足になることが知られるようになった。 この問題を解決するために、例えば特許文献1では、通常の気泡とは異なった性質を持つ直径が50μm以下の気泡(微小気泡)中の気体に酸素を溶存させることにより、生理活性機能を有する微小気泡について提案している。 しかしながら、人間の生理活性機能を高めるには微小気泡を組織レベルで作用させなければならず、全身に十分な量の酸素を供給するためには、大掛りな装置が必要となり、コスト等の面で問題があった。 【特許文献1】特開2002-143885号公報 urlには、説明文はありますが、図面がありませんので、説明文からイラストを起こしましたので、併せてみてもらうと、わかりよいと思います。
2006.06.17
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先ほど、筑紫哲也のテレビ番組を見ていると、「ナノバブル水」の効用について報道していた。先の愛知万博で熱帯魚(海水)と鯉と金魚(淡水)がおなじ水槽で泳いでいるのを展示していたという。(私は実際に見ていない)これは水に振動を加え、ナノ単位の微細な気泡を発生させ、それを利用するというもので、これまでの科学の常識では考えられない成果が次々と報告されているが、その理由は研究者自身、わからないのだそうだ。どういう状態の水かと言うと、大きな気泡の場合は、すぐに消えてなくなるのだが、ナノ単位(数ミクロン)の気泡になると、いつまでも消えずにそのままの状態を維持するらしい。この気泡はなんぞや、なにかに使えないか、というところから実験が始まったらしい。テレビで紹介されていたものを紹介すると、牡蠣の出荷にあたり、殺菌剤をやめてナノバブル水に変えたところ、クレームが一件も無くなったと言う。また、医学の分野でも、心臓移植に使う移植用の心臓の保存に長期間耐えるため、これまで手術のタイムリミットが大幅に延長でき、余裕をもって行えるようになり、大きなメリットがあるのだそうだ。また、かまぼこメーカがナノバブル水に交換したところ、製品のかまぼこが生身の魚のように透き通ったものになったと報告していた。これはかなり殺菌力が強そうだということが感じられた。ならば、これを夏ほうれんそうの生産に応用したならばどうなるだろうか。殺菌力が強力であれば夏特有の腐りから収量の激減が回避され、殺菌力の強い清浄野菜が安定して作れるようになるのではないかと、期待してしまった。検索結果 ヤフーサイト1農業利用
2006.06.14
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HPの聖教新聞購読欄をみて先月、新聞の購読をして下さった方がおられた。その方は、同時に創価学会の話をお聞きしたいと申し出てもらってもいた。さっそく男子部に取り次ぐと同時に、配達員にもその旨を帰して購読申し込み書を当該の新聞店当てに送ってもらったのだけれど、いまだどこからも話がないということで、先ほど申し込みの方からお電話をいただいた。まったく申し訳ない限りで、もしこの先もどこからもお話がないようであれば、自分で相手先に出向いてお話をさせてもらおうかと思う。時代は、インターネットで創価学会に興味を持ち、入会に至るケースもあり、この方の場合もそうした方向にいかれるのだろうか、とても興味深い。しかしながら、折伏の時期に、このようなケースが放置されたままになっているのはまことにもったいない。もし、東京、千葉方面の男子部のかたで、この日記を読んで折られる方で、折伏を申し出られる方がおありなら、お力をお貸しいただけたなら、ありがたい。私宛に是非メールください。取り次がせていただきます。あいては、千葉の大学に通う大学生です。
2006.06.13
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先月の1ヶ月間、松阪の総合病院に入院していた母は、ここ2週間ほぼ自宅へ帰宅していた。紹介状をもらって精密な検査のできる国立病院で、医療の不備が発見されて、再度の入院による検査が必要との判断から,はじめから入院しての検査をうけることとなり、本日、入院をすることになった。また一月の入院になりそうだ。
2006.06.13
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