2006年07月27日
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ドイツの宗教改革者であるマルチン・ルター(1483~1546)は、「罪人は、美しいから愛されるのではない。愛されているから、美しいのだ。」という言葉を残しました。

人は罪を持って生まれて来るので、小さな子どもでさえ罪深い自己中心な性質を持っています。それは、人類の祖先であるアダムとエバが、神に反逆するという罪を犯したからです。

譬えば、畑にりんごの種をまけばりんごの木が生えて来ます。決して、みかんやいちじくの木が生えてくることはありません。同じように、罪の種を持ったアダムとエバの子孫は、その子々孫々罪人としてこの世に誕生して来ます。

しかし、神様は、その罪人であっても、いや、罪人であるにも関わらず、この私たち人類をあるがままで愛して下さっています。だから、2000年前のクリスマスにひとり子イエス・キリストをこの地上に与え、私たちの救いのために十字架にかけて下さいました。

神は、ひとり子のいのちを犠牲にしてまでもあなたを救おうとされています。ここに神の愛が現されました。

この愛を受けた人は普通の人ではありません。赦された罪人です。人は愛によってのみ変ることが出来ます。そして、美しく変化して行くのです。

神様の愛とは、私たちがこの愛を受け入れるならば、100満点(信仰義認)を与えて下さいます。実力は0点であってもです。

ここで、「お前は0点だから少しは反省しろ!がんばりなさい!」と言われても、おそらく鉄棒のけんすいで上に登ろうとするようなものだったり、自分の髪の毛を引っ張って身長を伸ばすようなものでしょう。

神は、「イエス・キリストのゆえにあなたは100点満点です。」と言って下さっています。100点を付けられた人は、その評価に喜び、感謝して、それに応えたいと思うようになって成長するのです。



私たち罪人は、おせいじにも美しいから愛されているのではありません。しかし、神に愛されているから美しいし、もっと美しくなって行けるのです。

ある人は、「なぜ神がいるのなら、世界にこんな多くの不幸があるのでしょうか?」と疑問を持ちます。しかし、神が不幸をもたらせるのではありません。人間の罪がこの世の不幸を作り出しています。

ですから、この罪が赦され、罪が解決されなければ真の幸福はやって来ません。クリスチャンでも罪深い生き方をする人もいます。しかし、その人が神の愛を知らなかったら、もっと罪深く、絶望的な人生を生きていたことでしょう。

だから、どんな状況の中にあっても、どんな過去があったとしても、あなたも神の愛を受けることが出来ます。すでにその愛はあなたに向けられています。神の愛とは、それを求めるのではなく、その愛に気づき、信じ、受け入れることです。

イエス・キリストはあなたを愛しています。あなたは神に愛されています。だから美しい人なのです。

♪君は愛されるため生まれた 君の生涯は愛で満ちている 君は愛されるため生まれた 君の生涯は愛で満ちている♪

祝福をお祈りします。God bless you!






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最終更新日  2006年07月27日 18時29分36秒
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