2006年08月05日
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私たちは心が疲れてしまう時があります。その原因は様々です。ある女性は、ご主人の死をきっかけに心が疲れて外に出れなくなってしまいました。また、ある男性は、大学受験をきっかけに引きこもりになってしまいました。今多くの人が心が疲れているように思います。

そして、そのことが表面に現れた時に、まわりの人の対応も様々です。

(1)腫れ物に触れるように接する人がいます。その人は、どう扱ったらいいのかわかならいので、おだてたりなだめたりします。

(2)同情する人もいます。「かわいそうだね」「つらいんだね」等の言葉を連発し、相手に同情して、相手を弱い人と扱って対応します。しかし、その人自身はいいことをしていると感じるでしょうが、心が疲れた人を弱者として扱うために、自分で回復する力を削いでしまう場合があります。相手の可能性を信じてあげることも必要です。

(3)励ましたり、無理な指示をする人もいます。「こうすればいいんだよ」とか、「がんばらなくちゃ」と励ましたり、相手が間違っていると決め込んで、そこから抜け出させてあげようと無理な指示をします。そうすると、その人は「私は人に迷惑をかけているのではないか?」「周囲の期待に答えられない私はダメな存在だ。」とますます疲れを増長させてしまいます。ゆっくりと自分自身を見直す時として見守ってあげることが大切だと思います。

そして、ここでしてはいけないのが犯人探しです。「自分のせいではないか?」とか、「あの人のせいではないか?」とか、「その人自身が弱いからいけないのではないか?」と、責任の所在を明らかにし、犯人を探そうとします。しかし、そんなことをしても全然相手の助けにはなりません。

そんな時、しっかりと受け止めてあげること、そして、相手のあるがままを受け入れてあげることが大切です。「あなたはあなたでいいんだよ。」と、相手の行為や目に見える部分ではなく、存在そのものを受け止めてあげることが必要です。そうすることで、その人自身が自分の足で立ち上がって行くことが出来るようになります。

そして、あなた自身の心が疲れてしまった時には、自分に対して前述したように接して行くここと、もう一つの奥の手を紹介したいと思います。それは、2000年前のクリスマスに生まれたイエス様が、『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』と言われました。みなさん、イエス様のもとこそ、永遠の安らぎといやしがあります。

私は18歳の時に、人生に息詰まって「死んでしまいたい」と本気で思いました。そんな時、私の本棚にあった一冊の聖書に目が留まりました。そして、無我夢中で聖書を読んでみました。その時、この『わたしのところに来なさい。』という言葉に出会いました。自分の居場所を失い、消えてしまいたいと思っていた私に取って、自分の居場所を発見した思いで我を忘れて祈りました。「私を救って下さい。」と。その瞬間、いいようもない安らぎを感じて、涙が止まりませんでした。そして今日、その救われた喜びがあまりにも大きいので、神様に自分の生涯を献身して牧師になりました。



今日心が疲れていませんか? それは、最も恵みの時かも知れません。祝福を祈ります。

God bless you!






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最終更新日  2006年08月05日 19時57分57秒
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