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2007年06月30日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
日本における空前のクラシックブームは、異常であり日本人が何ひとつ成長していない証拠である。というのも、その流行の仕方はポピュラーと全く変わらない。
ということは楽曲への理解と聴き手の想像力が無いことだ。
それはつまり全く価値の無い「イージーリスニング」と化している。


いつまでも同じコードや似通ったテキストで音楽を生み出す。
そしていつまでも成長しない歌い手で商業的に売り出す。
そんな音楽には独創性も個性も無い。
それを「特徴的」と感じる聴き手は、馬鹿だ。
結局何十年経っても進歩していない。


そういうことを美学としている聴衆にクラシックを理解できるはずが無い。未だモーツァルトを癒しの対象として求めていることも同様だ。


しかし、やはりモーツァルトは神であると感じる。
あの音楽は現代音楽に勝るほどの構造を持っている。
単なる速筆の天才でもなく、癒しをもたらす天使でもない。
やはり誰も後続となれない音楽哲学なのだろうか。
多分そうだと思う。
モーツァルトはやはり素晴らしい。


(注:しかし私の好みと合うかは別問題である。)


例えば、人気アイドルのシングル曲が数十年も残るだろうか?
ポピュラーのアルバムが数百年も残るだろうか。

それに対してクラシックは使い切りでは決して無い。
復元もできる。しかしカバーはできない。

バッハのミサも大曲でも数百年も残る。


クラシックは面白い。
それを否定する人はとても悲しい人だ。





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最終更新日  2007年06月30日 14時34分04秒
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