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軍隊ラッパ
7年前に亡くなった義父の遺品を整理していたら軍隊ラッパを発見した。義父は海軍に所属していて、主に戦艦の機銃担当だったと言っていた。しかし、どういう経緯で軍隊ラッパが義父の手元に残されたのかは、本人の口から何も聞いていないから分からない。
「軍隊ラッパ」

(戦闘時だけでなく、日常の軍隊生活はラッパの合図で行われていたという)
「突撃ラッパ」の旋律など有名だが、無線が使用されるようになると、戦闘時に実際にラッパで合図することはなくなったという。ただ、戦闘時以外は「起床」、「集合」、「巡回」、「就寝」などがラッパで合図されていたという。
「吹き口」

(バルブやピストンがないので、マウスピースへの息の吹き込み方で音程を調整した)
「義父の軍歴」

(米寿祝での自筆の軍歴、多くの艦艇勤務の軍歴を身内には全く語らず他界した)
重巡洋艦熊野は太平洋戦争末期、レイテ沖海戦に参戦したが、1944年11月25日にフィリピン沖で撃沈された。沈没時に乗員約500名が戦死し、救助された約600名の生存者は、1945年2月から3月にかけて戦われたマニラ市街戦に陸戦隊として参戦させられている。
陸軍は山の中に撤退して戦うことを主張したが、海軍は軍港としてのマニラ港を奪われないために市街戦を主張したという。マニラ市街戦のことについて、義父は10年ほど前に放送されたNHKの「兵士たちの戦争」という番組の中で証言している。
熊野の沈没時は無事救助されたのに、今度は武器も十分にないなかで慣れない陸上戦闘に投入された。そして多くの海軍兵士が命を失った。マニラ市民にも多くの犠牲者が出ている。
このラッパは陸戦隊に編入された義父が、陸軍の戦友から預かったものかもしれない。ラッパは何も語らない。でも、悲惨な戦争のことを物語っているかのようだ。
この軍隊ラッパを磨いて吹いたらどんな音が出るだろうか。
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