しろねこの足跡

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ひかりのいえ20・最終章


まるであの坂の上の大学のように。

突然来た日本人の私をひかりのいえの人たちは暖かくうけいれてくださった。
職員の中に英語を話せるミーシャさんという年配の女性がいたので彼女に詳しいことを聞くことにした。

「あのナバノフさんは、今は・・・」
私は一番訊きたかったことを、単刀直入に聞いた。

ミーシャさんは微笑んで「こちらですよ」と案内してくれた。
そこは、ひかりのいえの裏手にある丘の町を見下ろせる見晴らしのいい墓地だった。

予想はしていた。

ミーシャさんはやわらかく微笑んで教えてくれた。
「彼は55年前からここに眠っています。いつでもひかりのいえと街のひかりが見えるところに。」

墓標に近づくとナバノフらしき綴りのとなりにもうひとつ綴りがある。
「このひとは?Who is it?」
「彼がただ一人愛した女性のナスターシャよ。」

「え・・・・」
りつ子だと、思ってた私はあまりにもの現実につぶされそうになった。

ミーシャさんは、目を細めてゆっくりと話してくれました。
「あなたがひかりのいえのドアを押してきたときに、やっと私もすべてがわかったの。ナスターシャはあなたの探している人のロシア名よ。」

「あ・・・」
ミーシャさんは私の顔に手を優しく添えていった。
「初めてナスターシャがこのひかりのいえをたずねてきたときとあなたが重なって見えたわ。血が繋がっているのね?」

私は嗚咽して頷く事しかできなかった。
涙があとからあとから押し出されてきてとめられなくなっていた。
言葉がでなかった。悲鳴にも近い嗚咽を二人の墓の前でもらすしかできなかった。

ミーシャさんには理解できないことばがふたりの名前の下に綴ってあったのだ。日本語で。

「私の家は光の家。主のある限り」

私はそのとき、りつ子の家族への愛情も理解したのだ。
どれだけりつ子が家族を愛していたか。祖母のスミ子も愛していたか。りつ子の生き方を認めてくれた家族への感謝と深い愛がこめられたこの墓の墓碑についに辿り着いたのだ。

ミーシャさんのはなしによるとナバノフはひかりのいえを設立したあと、りつ子を待ちながらも病気で55年前に亡くなった。戦後すぐのことである。りつ子は国交が開けてすぐに亡命し、ナスターシャとなってナバノフの元を訪れたが間に合わなかった。
それでもりつ子は、残りの人生を献身的にこのひかりのいえの人々に捧げ、晩年はマザーと呼ばれ慕われながら25年前に亡くなったらしい。

二人の遺言で、ふたりは夫婦としてこのひかりのいえで亡くなった人たちと同様に裏の墓地に安らかに眠ることになった。

ミーシャさんは嗚咽する私にやさしく話しかけた。
「真実の光は時に眩しすぎて目をそむけずにいられないことがあります。でもナスターシャはいつも真実と向き合っていた。目を背けることなく最後までナバノフとの愛を貫いたんですよ。」

私は涙まみれになった顔を上げた。真実はまぶしくて目をそむけてしまう・・・まるで私の家族のよう。日の光はとてもまっすぐに差し込んでくる。いまの私にならわかる。
真実はいつも正しいわけではない。真実がすべてではないことを。

私はゆっくりと琥珀のペンダントをはずし、ミーシャさんに言った。
「これナスターシャから預かったいたのでお返ししたいのです。お墓に入れてもらえませんか?」

「問題ないです。必ず今度の慰霊祭の時に納めましょう。
ひかりのいえはいつでもあなたを歓迎します。だってマザーナスターシャの遣いですものね。」

やっとミーシャさんと私の中に笑いが起きた。
わたしは、こんどはボランティアとしてくることを約束してひかりのいえを後にした。

空港からあの丘を見上げるとやさしい光が漏れていた。


何日か私は、ユジノサハリンスクの街をふらふらして、たわいもないお土産を買ったり
して過ごした。
突然ロシアにやってきた自分の行動力に驚いている自分もいた。
りつ子の大胆さがこんなところで繋がったのかと一瞬思って、血の繋がりを気にしていなかった自分に苦笑した。
血などではなかった。私はただ、行動しないという選択をしていただけなのだ。
真実の光から目を背け続けていただけだった。

ひとつだけ大きな買い物をした。
琥珀のペンダント。
色の濃いものほど高価で品質が高いというそれは、価格によっては私でも手に入れられるものもあった。

私はあえて、色の薄いものを選んだ。
理由は二つ。まずはお金がないことがあった。そしてもうひとつは、また時間をかけて次に
手にするかもしれない「わたしたち」と繋がった人のために。

いつかまた、自分と繋がった過去に興味をもった誰かが手にする時のために。

新しく私のものとなった日の光の色の琥珀は、私の胸元に落ち着いた。
何十年後かには、きっとつややかな夕陽色になっていくのだろう。

すこし遅れた飛行機にのって私は、りつ子とナバノフの眠る大地を後にした。
ひとつの謎が解けても私の生活はおそらく変わらないだろう。

両親だって、無関心な生活を淡々と続けていくに違いない。
そう思ってまた私は、苦笑した。
だって、あの人たちは血なんて繋がっていない。自分達で夫婦となる選択をしたんだ。
家族になるには血が繋がることではなく、向き合うことが必要なのだ。
光があふれれる家で、食卓を囲み、目をあわせ、時間を過ごす。
知っていたことを確認した時間だった。

自宅に辿り着いた時には、もう日は沈んでいた。

玄関には電気がついていた。帰る人を待つ明かり。私を待っている人が居る。
まだ私の家族再生は遅くない。日のある限り。
あした、もう一度お墓参りに行こう。

私は玄関の扉を開けて、久しぶりに声を出した。
「ただいま」
開けた扉から、まぶしいほどの光が飛び込んできた。

もう、目は背けない。





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