しろねこの足跡

しろねこの足跡

墓場の安息20~22


 バイオリンケースを持っていた。家でも練習するんだ・・・
 心臓が重低音スピーカーのように打ってくる。どうして、すれ違うだけなのに。私、悪いことしていないのに。
「・・・カナエは、レクイエムを弾くの?」
 すがるような声を出してしまった。私の声にカナエはわずかに顔を向けて言った。
「何弾こうと、トモには関係ないでしょ。」

 抑揚の無い声で、はき捨てるように言って去っていくカナエの横顔が、わずかにゆがんでいたのに気づいた。
 そう、関係ない。自分は自分の音を求めるだけ。

 断続的に夢を見ていた。クドー先輩のお母さんのお葬式、マラソンコースで取り残されてぼんやりたっているモトノ君の姿、そしてたくさんの男子に囲まれてうれしそうなカナエ。見たことの無い情景ばかりなのに、なぜだかリアルだった。
 そういえば、カナエは、どんなにたくさんのヒトとつきあっても長く続かない。単にカナエのわがままかと思っていたが、そういえばカナエはいつだって付き合っているひとの話をするときは、鬱陶しいくらい女の子らしい感じだった。

 私は、一度寝返りを打った。
 カナエも押し付けられた理想と現実の落差にもがいているのかもしれない。きっと男子は、聖母のように受け入れてくれるカナエを求めているのだろう。
 だけど、カナエだって同じ年。自分だって100%うけいれてくれる存在を求めているに違いない。まして人気者で、私のようにはじかれた事なんてないだろうからよけいに受け入れられないことがショックに感じるのかもしれない。

 でも、そこまで考えてもやっぱりカナエとのこじれた感情は解消できそうになかった。いつもじくじくと考えてみても、わりきっていけるほど私も大人ではなかった。私だってカナエと同じ年しか生きていない。

オーディションの日を迎えた。

 放課後の部室には、いつにない熱気と並々ならない緊張感がみなぎっていた。音楽室の机は片付けられていて、椅子が半円状に並べられている。一年生が休み時間の間にセットしたのだ。
 そしてグランドピアノが脇に寄せられ、30センチの高さの舞台がぴしりとしつらえてあった。そしてそこに、一台の譜面台。

 みんな調弦や音取りに真剣になっていた。クドー先輩もあの心持首を傾ける調弦スタイルをしていた。モトノ君はキリキリと弦を巻きなおしていた。
 カナエは、カナエはただじっと譜面を見つめていた。

 私は、カナエに近づくことはできなかった。
 きょうは誰にも話しかけられなかった。全員がナーバスになっていた。もちろん私も。

 オーディションは3年生から始まる。その間、別室で最後の練習をするのもいいし、音楽室で先輩の演奏を聞くのもいい。ただし、同じパートのヒトの演奏は必ず聴くことになっている。

 洋銀でできている私のフルートがなかなか温まらない。手が冷えているからだ。緊張するといつも手が冷たくなって、湿気を帯びてくる。銀製のものにとっては悪しき手だった。獲物を狙ったり、逃げたりするときに足が滑らないように、「緊急事態」になると人間も手足が発汗すると、ついおとといの生物の授業でやったな。

 「もうすぐクドー先輩の番だけど。」
 モトノ君がいつもどおりそっけなく知らせてくれた。
 「ありがとう。すぐ行く。」

 立ち上がった瞬間、心臓が痛むのを感じた。いま、とても大きな獲物を前にした動物になっている感じ。
 私は、逃げる側?それとも追う側?首筋の拍動を感じながら手の汗をそっと拭った。
 生暖かい臭いがした。その臭いでますます動物的な気分になった。アドレナリンって先生言ってたっけ。
 私は、獲物を狙うために、音がしないようにドアを湿った手で開けた。

開けたドアから悪意に満ちたアヴェマリアが聞こえてきた。美しく、羽を広げるマリア様を憎み貶めようとする堕天使。つややかで太い、ベルベットのような音は、私は今まで彼から聞いたことはなかった。 

「クドー先輩・・・」
ただ、聞き惚れた。でもそれは、単純な心地よい音楽ではなく、背後にざわざわとした恐怖と不安をかきたてるような影をひくような気がして、私は思わず後ろを振り返った。
 後ろにいたモトノ君は、目を伏せていた。カナエはまっすぐ先輩を見つめていた。
 やがて演奏を終了した
 先輩には、心からの賛辞の拍手が送られた。

「やっぱり安定した音質が、ヴァリエイションへの基本なのかな。クドー君はそういった意味では、どんな曲も自分の色にできるね。さすがだ。」講師、先生の高評価が続いていた。

「次、モトノ。」

 モトノ君が、すっと立ち上がり長い足でタンっと舞台に登った。
「1stヴァイオリンのモトノです。自由曲はレクイエムです。」
 私は、目を見開いてモトノ君を見た。彼は私を見なかった。そのかわり、カナエに一瞬いどむような視線を刺した。カナエが、かすかに後ろにたじろいだのを私は見逃さなかった。

 だから、最後まで自由曲を教えてくれなかったんだね・・・だから、カナエの自由曲を気にしていたんだね。
 モトノ君のレクイエムは、彼の持つ独特の音色である、気持ちを逆なでるような苛立ちともどかしさ、そしてあの繊細なピアニッシモで哀しみを折りまぜ、手に入れられない存在となった、死者への恨みと自分への悔恨に満ちた、とても激しい叫びのようなレクイエムだった。

 演奏が終わったとき、誰もが拍手をわすれてシーンと静まり返っていた。最初に拍手したのは、カナエだった。それにつたれてばらばらと拍手がおきて収束した。

「モトノの解釈はどうかなー。ちょっと激情すぎではないかい。」「ピアニッシモは抜群だけど、フォルテにまだムラを感じるな。」「ま、でも悪くないね。」
 こちらもなんとか、通りそうな評価だった。

 次はカナエだ。これでまたレクイエムが続いて、つぎにフルートに移って、また私がレクイエムっていうのは、ちょっときついかな、と正直思った。
 でも、もう逃げるのはやめたんだ、私。
 カナエと比べたければ、すればいい。馬鹿にしてこきおろせばいい。そうなんだ、墓場でレクイエムを吹こうとしている私には、失うものなんてないんだ。私にはカナエのように美貌も、人気も、女らしいプロポーションのない。私が持っているものは、フルートだけ。
 「次、カナエ。」
 カナエがいつもどおりのたっぷり長いロングスカートをたなびかせて、舞台に上がった。


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