灯台

灯台

2024年05月01日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類





The strange combination
of puzzles,
the missing link


不自然か自然かという言葉の話で、
「壁(に)衝突する」と「壁(を)衝突する」
を考えてみたらいい。
もちろん、
「壁(に)衝突する」は一般的に用いられている、
とても自然な使い方、使われ方だ。

これは明らかに不自然だ。

ところで、
「回りくどい」という語を何となく覚えていて、
何となく音が似ている、
「曲がりくどい」と言ったり書いたりしている例がある。
これを何言ってるんだと囃す声もあるだろう、
学校の先生はすぐさま指摘するんじゃないかな、どうだろう、
いやいや、言葉の教習免許皆伝をもっている、
かもめ様のお通りでーい、
ねちねち嫌味たらたら神経をすり減らしてやるぜ、
というのは、嘘である。

だって言葉ってそもそも揺れているからである。
ただ、文章のルールをそもそも理解していない作家志望に、
辟易する編集者の気持ちはよくわかる。
ボカロの歌詞の言葉の間違い方もすさまじい。
でも、なんというか、みんなはケーキが好きかも知れないけど、


物は言い方ってやつで、
その間違いを間違いだと思って使っているんじゃない限り、
外国語っぽくなるしさ、
もちろんその間違いを意図的に使うようになればベストさ。

詩を書く上で揺らぎの中にある純度というのを、
(たとえば、周波数的な考えでいくと、
迷っている時の方が言葉の音は高くなりやすい傾向があると僕は思う、
「緊張」という要素が、言葉にも見られるんだ)
理解していない人に比べればずっとよいと僕は思う。
ネットスラング的な用い方の最初が、
たとえば「イオソ(イオン)」とか、
「カレソ(かれし/彼氏)」とかね。

詩を書く上で、こういう要素のない詩は、
はっきり言って読むに値しない。
言葉に対する扱い方を心得てない、
あるいは俗に言う「老いた」「定年劣化(経年劣化)」
「ポンコツ」「馬鹿」「豚」「タヒ」というように、
言われるので、気を付けようね。
悪口じゃないよ。
あのね、悪口じゃないですよ。
おっと、あと、下手糞というのを忘れた。
ちなみにこれは自作自演手法とか言えるかも知れない。
こき下ろすというやり方としては中々よく出来ますね、
ああそうでしょう。嫌いですからね。
物は言いよう、君もいつかウィザードになれよ。
僕の音はかなり融通性が利く上、自由度が高い。
なんでこんな風にすらすら読めるのって言われたことは、
何度もある、簡単なことさ、訓練だ。練習だ。
木材があるだろ、端から端を何度も往復するのさ。
言葉は魔力を持っていて色や形やイメージを、
脳味噌に叩き込む。

とはいえ、文章的には別に間違っていない。
思うに、間違った言葉の流れにそれを置くから、
その不自然さが際立つ。
僕だったら、「壁を、衝突する」と表現するかも知れない。
一見、自由律俳句みたいでドキッとする人もいるだろうけど、
句読点をつけることで別の言葉の流れになる。
この必然性を作るやり方としては、
「輪転機の速度のように壁を、衝突する。」
とすれば、違和感を覚えなくなる。

もちろんこういうのって音のイメージを練習するしかない。
無限の反復練習。音に対する問題は、
何十回も何百回も何千回も繰り返しながら、
音をきちんとイメージの中に定着させるしかない。
それが出来ないと言葉の音はピアノのようにならない。
僕はずっとピアノの音を聴きながら定着させようとした。
音をばらけないようにする、
音の軽さや重さをきちんと使い分ける、
この言葉の意味がちゃんとわかったら、
伸びしろがあるよ。

というような職人気質の僕の意見はともかく、
正しい日本語がいいというのは間違っている、
だって、正しい日本語っていうのは、
様々な階層を照らし出すものじゃない。
これっていわゆる特権意識や、知性の暴走である。
言葉狩りをする側は、固定観念という呪縛にかかって、
映画評論家のような真似をしていると言ってよい。
寺田寅彦とかいう僕の好きな人も、言ってた。
(そして、かもめは、子供のような言い方をします)
それにさ、
「回りくどい⇒曲がりくどい」という定着を見せたら、
これは誤用ではなく、正しい言葉になる。
それに夏目漱石の漢字の遣い方みたいで面白い。
こういう時いつも、九夏という言葉を思い出す。
金子光晴っていう高踏派系の詩人がいたのさ。

てなわけでさ、
それを面白がれる人になるかどうかっていうのは、
生きていく上で解像度の変更をしやすいかどうかを分ける。
ギアチェンジ身に着けて言葉をもっと自由にしなやかにしよう。
こういう言葉の使い方をしたら、まじぶったまげんじゃないかな、
というサービス精神も、駆け引きの道具さ。

前にこんな場面があった。
「重く受け止める」と「真摯に受け止める」ってどう違うの、と。
もちろん同じような意味だ、類語という発想になり、
ボキャブラリーの視点からすれば重要度の高い場合、
硬い表現(硬質な表現、あそこ、カチコチだよって覚えようね)を、
用いる方がいいだろう、というオトナ語になる。
「ヴィトゲンシュタインのように受け止める」と書けば、
この人、偏屈なんだなあ、と思われる。
「カントのように受け止める」と書けば、
この人、時間に厳しいんだなあ、ということになります、多分。
ちょっとした違いで、カチコチになります。
いやあ、興奮する牛。
ボツノキではボツリヌス菌が繁殖するでござるよ。

とはいえ、
「壁(が)衝突する」というのは明らかに間違いであるからして、
それはもちろん、からくり屋敷とかの起動スイッチが押されました。
洞窟とかダンジョンの罠、迫りくる壁、襲い来る壁、
逃げられない壁、というように表現は変化していきます。
不自然ということは言葉の揺らぎだけれど、
使われる格助詞が変化した例としては、
「~をそむく→~にそむく」という例がよく知られている。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024年05月01日 22時43分31秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: