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焼きそば弁当 人参と玉ねぎ、豚バラ肉をバターで炒めてありますさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、中学器械体操の基準点と言いますか、完璧に演技をこなしてもせいぜい9点という世界でして、8点台でも出せば自信を持っても良いレベルでした。最終的に3年生の時に苦手な鉄棒での自由演技で出した点数が7・0で、三年間の修行でようやくそこまででして、床は7・85が最高、得意の跳馬で8・40を出したのが3年生時の県大会での試合です得意種目と言いましても本人はそんな感じではなかったのですが、試合ごとに良い点数が出ていたので何の苦労もなしに跳馬は点数を稼げました。だいたい1年生新人戦の跳馬で適当にやって7・75が出た時チームメイトは点数表示前から何やら期待してる様子でしたが、本人はまったくどうなのか分からない物でして、「上手くできた」という実感の無い上での高得点獲得はあまり満足できないものでした。
2017年01月31日
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シュウマイ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、中学器械体操の試合では、一般体操の得点よりも基準点は低いのです。いくら完璧な演技をしても10点満点にはなりません。今でこそ難易度が加算されて15点台、16点台が表示される時代ですが、当時は減点方式の10点満点であり、中学ともなると難易度が低いために完璧でも基本は最高が9点だったりします。その辺は詳細は曖昧なので大凡の記憶を元にしていますが、中学生が試合で8点台でも出せばまずは凄い事なのです。そうした事を踏まえて、新人戦で私が失態を犯した床種目の点数は6・05だったと記憶しております後戻りしてやり直さなければ7点は出ていたでしょう。因みに苦手な鉄棒でも6・25跳馬は7・45だったと思います。こんな感じで1年時の新人戦を終えたのです。
2017年01月30日
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カレーライス弁当 レトルトを温めて別容器に移しただけですさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、中学器械体操部で苦手な鉄棒に悪戦苦闘しながらその恐怖にいつかは他の友人と同じように消えてやろうと思いながら、秋に開催される新人戦を迎えてしまいました。夏ごろまでには一緒に入部した小学六年時の友人は皆退部しており、私も恐ろしい先輩や怪我する恐れのある競技から逃げたくて仕方ない状態でしたのに、とうとう試合に出る事になりましてそんな気持ちで演技をするものだから、床種目でとんでもない失態をしでかします。床の対角線上を使って飛んだり跳ねたりする体操の床競技において、規定演技をこなすのですが最後のフニッシュで何を考えていたのか、違う演技をして途中で気付き、そのまま小走りに元の位置まで戻って演技をやり直すという、恥ずかしい大ミスです。周囲は笑うどころか唖然としていたと思います。
2017年01月28日
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焼飯弁当 玉ねぎ・ソーセージをご飯と炒めてケチャップで味付けさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、中学器械体操部で床運動の基本などを習得していった私は鉄棒技術の遅れが目立ち、他の新入部員が大車輪を軽々回し始めていても、こちとらそんな怖い事は出来ないと内心思いつつ、蹴上がりを何とか習得出来た頃に、強面の不良っぽい先輩が「おい、お前。車輪の練習をしろっ」と指示。「え? 車輪?」「早くやれ。」怖い先輩に言われては逆らえません。鉄棒にぶら下がる私は真っ青。一度逆上がりをして腰のあたりで鉄棒を支える形まで持って行き、一気に鉄棒上で逆立ち状態にして、ぐる~りと円を描く・・・・・そんなつもりで大車輪を試みますが怖くて一回転もできません。「もう一回やれっ」と怖い支持が飛び交います。私は周囲の部員が見守る中、泣きべそをかきながら大車輪を覚えていったのです。
2017年01月27日
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鰯缶弁当 懲りずに缶詰のイワシを敷き詰め、余白はふりかけさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、中学器械体操部でバク転を習得した私は、続いて連続バク転、連続バク転+バク宙を完成させ、同じ体育館で練習する他の部活の人達が注目する中で、軽業をやってのける気分は最高。ではあるのですが、悪い癖としてワザと下手にやったり、妙な意識をしてしまって逆に挙動不審になったりと、そこは13歳です。正常に戻るには苦手な種目を練習する時です。鉄棒は苦手で、他の新入部員は早々と大車輪に取り組み始めたというのに、私は蹴上がりさえ出来ていませんでした。
2017年01月26日
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鰯弁当 缶詰のイワシをご飯の上に乗せただけですが、これが美味いんですさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、器械体操部では最初にバク転を習得する事に成功しそのバク転の技術更新といえば、「連続技」です。つまりバク転2回、3回と立て続けに後方へ飛んでいかねばなりません。これが、あのテレビで千葉真一がやっていた忍者のような軽業であり、私も徐々にスピードを付けて2回、3回・・・・と連続して後方に飛ぶことが出来るようになりました。バク転ができれば次は「バク宙」です。後方宙がえりでして、バク転のように手を着かずに後方へ飛び上がって1回転して着地するやつです。実はこれ、バク転より先に出来てはいました。バク転のように一旦両腕を床について体を支えるのは難しく、バク宙のように単純に空を回転して着地するのは簡単だと私は経験を通して思っていましたので、バク転を習得する直前には不格好ながら空を切ることは出来ていたのです。ですのでこのバク宙をバク転からの連続として行う事が次なる課題だったのです。
2017年01月25日
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焼きそば弁当 具はキャベツとソーセージさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、中学で器械体操部に入った私は、まずは部活以外での練習を重ねて「バク転」を習得しました。大きな勲章を得たような、しばらくは優越感に浸りながら部活でも積極的に「バク転」を披露して同期を大きく引き離そうとしました。ある日、得意になって体育館の隅でバク転をしていると、先輩の一人が「へたくそ」と、言うではありませんか。そんな事はないともう一回バク転をしてみせると、「足が曲がってるぞ」と貴重な指摘。先輩たちのバク転は綺麗に両足をそろえて着地していました。それまでの私は足の方にまで神経は使っておらず、みっともないバク転をしていたのです。ありがたい助言をいただいてからは爪先まで神経を使い、誰が見てもOKなバク転を完成させました。
2017年01月23日
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シーチキンとハムのサンドイッチ(薄切り食パン6枚分)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、中学で器械体操部に入った私の最初の目標は俳優・千葉真一のようにバク転をする事。そのためには放課後のクラブ活動以外にも練習を重ねました。日曜日に親友H君の自宅兼社員寮の廊下でベッドのソファを敷いてバク転の練習です。私以外の友人数名は補助を付けてもなかなか上手く行きません。やる気のある私だけがあと一息の段階で偶然にも宙を舞ってソファに両手をついて後方一回転が成功。その時の衝撃は1ランクも2ランクも人間性が上昇したような気分にさせ、一度感覚を知れば立て続けにバク転成功です。そんな日は千葉真一気取りで、歩く様子もきっと気取っていたに違いありません。
2017年01月21日
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サンマ缶弁当 缶詰のサンマを乗せただけですが、これが凄く美味いさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、器械体操部に入部したのは「バク転」に憧れていたからで、当時の人気番組「キイハンター」に登場する千葉真一が運動神経の良さを発揮して「バク転」などをするので、自分もああなりたいと思ったわけです。私の入部につられて当初は小学校の同級生が数人入部し、休日には早くバク転を習得したいが為に親友H君の自宅兼工場の寮の廊下にベッドのソファを敷いて皆で「バク転」の練習です。休日の寮内には従業員も居たはずで、私たちのバク天練習騒ぎは五月蠅かったと思いますが、苦情は一切なかったなぁと、今、改めて思い出しております。
2017年01月20日
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スクランブルエッグ・ピーマン弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、中学では器械体操部に入部しました。ここでも入学式当日と同じ現象が起きまして、体操部顧問に入部する旨を報告したにもかかわらず初日に部室へ赴くと先輩から「入部する奴が来るとは聞いていない」と一言。部室の壁には部員と新入部員の名前が貼り出されていて、確かに私の名前はそこに記されておりませんでした。とりあえず仮入部は許されて一日は終わります。次の日には名簿に名前は記されましたが、なんだか存在感の無い事象が連発したなぁと、今でこそ思いますが、当時はさほど気にはしませんでした。いずれにしても子供の頃の方がサッパリとして神経質ではなかったんですね私は。
2017年01月19日
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塩昆布が具のおにぎり1個&コーヒー寒天さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、中学では給食ではなく弁当だったので、嫌いな食べ物に悩まされる事なく過ごせました。小学生時代からですが、遠足での弁当は必ず「おにぎり」でした。中学でも昼は週に2回はおにぎりを作ってもらってたし、中学での遠足も「おにぎり」で、具は「うめぼし」「おかか」「塩昆布」「焼きタラコ」といった4個のおにぎり。海苔は全体的に巻いてあり、食べる頃には湿り気でぴったりとご飯に密着した感じのおにぎりです。人によっては海苔のパリパリ感が好みの方も居るでしょうが、私は飯粒の水分を含んだしっとり感が気に入ってましたし、あの海苔の磯の香りが食欲をそそりました。中学一年の春に行った中田島砂丘(静岡)で食べたおにぎりの味は未だに忘れられません。
2017年01月18日
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マヨネーズをご飯の窪みに塗った所へ魚肉ソーセージを丸ごと乗せ巻き寿司のように巻き固めて、ソーセージ巻弁当(塩味)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、中学時代は小学時代と違って昼食は給食ではなく、弁当持参になったこと。好き嫌いの多かった私は、給食が苦手でして、今でこそ肉類はバリバリ食べますが当時は大嫌いな食材の代表が「肉」でしたので、残すことを良しとしない担任の時は苦労したものです。弁当になりますと好きなものをおかずにしてもらえば良いので、やっと安心して昼が迎えられる時代となったのです。時折、母親の都合で弁当が作ってもらえない時はパンを買うんですが、日替わりパン会計担当なるものがあって、クラスのパン購入者の金銭を取り扱うという面倒くさい事もありました。当時のパンはタマゴサンドやらハムカツサンドなど、たったの25円で買えましたので、昼食代金は100円もあれば満腹の時代。それでもやはり米飯のような満足感は得られず、他の人のおにぎり1個と菓子パン1本を交換したりしました。それを観ていた秀才のS君が「おにぎり1個の価値なんて、パン半分にもならんぞ」と交換に猛反対しました。私にとっては大きなお世話であって、交換してもらったおにぎりを食べ、誰が作っても、どの家庭のおにぎりであってもパンよりは満足感が別格なのだと確信したのです。
2017年01月15日
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鰹節弁当・鰹節に醤油をかけただけの弁当で、ねこめしのようですがこれが実に単純に美味いんです。さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、中学一年のクラスではホームルームでの意見交換が活発で私も負けじと挙手していたのは初夏のころまで。段々と各々の性質、性格が判り始めてきたものだから言動に気を使い始めるようになったのは私だけだったかは定かではありませんが、それには学業の成績も大きく影響していました。入学したての頃は6年生のおさらいのような授業で、試験も簡単で驚くほどの高得点を取ったので、自分は頭が良いのだと勘違いして優等生気分に。元来勉強しない方であり、周囲との差は歴然としてきて気分は劣等感が支配し始めます。運動神経は良い方だったので、そちらの方で誤魔化しごまかしカバーは出来ていましたが、じわじわとメッキが剥がれいくわけです。
2017年01月12日
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ハム弁当・ご飯にハムを乗せただけの弁当。ハムの下にはマヨネーズが敷き詰められております。さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、中学一年時は議論が活発なクラスでした。ひとつの議題を元に、各々が考えを述べるのですが、私も周囲に負けずガンガンと思う事を発言し、皆を笑わせました。当時の私は笑わせるツボを得ていて、特に面白い事を言おうとせずとも、真面目に言えば言うほど周囲が笑ってくれるわけです。発言内容に筋が一本通っている事が条件ですが、それを周囲が良く理解してくれていたと思います。ここで笑うだろなと思えば必ず笑ってくれました。しかし、それもほんの二か月ぐらいの間だけで、段々と私の発言回数も減っていきます。周囲との実力の違いが徐々に現れてきたわけです。そうなんです。私は少々無理をしていたし、調子に乗っていた途中でハッと我に帰った時、急に気弱の虫が目を覚まして、気後れし始めたのです。
2017年01月10日
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焼きタラコ弁当・最初はおにぎりにしようと思いましたが、面倒くさかったのでご飯の上に乗せただけの簡易弁当にした次第です。さて、私が少年だった昭和40年代後期、入学式に何組に配属されたのか、大事な掲示板を見落としてしまったという波乱な初日の中学一年時代。そこは、T,H,Sという三つの小学校から集まってきた生徒を就学させる中学校で、私はT小学校という平均的に大人しい生徒が特徴、H小学校はやや腕白で不良じみた生徒が多く、S小学校は成績の良さそうなイメージでした。大人しい小学校の中でも特に大人しかった私は、高学年になるにつれて積極的となり中学一年では発言力のある生徒に変化しておりました。私の小学時代を良く知っている同級生から、「お前、積極的になったな。二年生の頃なんか何にも喋れなかったのに」と言われたものです。大人となった今でこそ、そんな事を言われたら気分を害すのですが、少年の頃は逆に優越感を感じておりました。そうなんです。私は少年の時の方が精神的に大人だったのです。
2017年01月09日
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野菜多く摂るためにシチューを作りました。人参1本、玉ねぎ1個、ジャガイモ小さいの5個、牛乳360cc、豚バラ肉150g本来なら5皿分の分量ですが、一人で一気に食べますよ。
2017年01月08日
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昼食の弁当は焼きタラコが具のおにぎり3個隣の朝食は卵3つのたまごご飯です私が少年だった昭和40年代後期、3学区の小学校卒業生を受け入れる中学に入学しました。入学式の日、体育館では6年生時のクラス別に並ばされて式典に出ました。木造校舎の壁に新入生のクラス分け表示が貼り出されていましたが、何をしていたのか私はそれを見落としたままでしたので式が終わって各々が振り分けられたクラスへ移動するわけですが、すでに掲示板は外されており、どの教室へ行ったらいいのかちょっとしたパニックになりました。友人のH君と一緒に初登校したのですが、H君は自分の行く先を知っており、一緒に行動していたはずだったのに、どこで私が逸れたのか、何をしていたのか今でも思い出せませんが、仕方なく近くに居た教師に救いを求めると職員室に案内され、そこには同じように迷っている新入生が3人ほど先客として一年生担当を受け持つ教師陣のデスク周辺に立っておりました。一年生担当教師陣は一斉に名簿を調べ、その中のT先生という若き男性教師が私の名を呼びました。「1年5組」でした。すでにその教室は40名ほどの生徒がアトランダムに席に座っており、遅れてきた私を指さして何事か叫んでいる生徒も居ました。とんでもないスタートとなった中学1年の初日でした。
2017年01月05日
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炭水化物の摂取率が高まってしまった年末年始。これではいかんと野菜たっぷり、肉たっぷりの野菜炒めを作りました。赤いパプリカ3個、キャベツ、たまねぎ、豚バラ肉350gを鰹出汁と塩コショーで味付け。これを肴に酒をキュッとやって血液循環発射オーライです!
2017年01月03日
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年末年始の休養日は5日間ありますがその中で食事制限して中性脂肪を減らそうと考えていたのですが、お餅は食うわ、年越しそばはドカ食いするわで、大変なことになっております。そして新年を迎えた本日は、朝食に焼きもちを9個、午後には揚げ物と天ぷらで日本酒を1合飲むところなのです。非療養食事としてアップさせてもらいましたが、皆様のご健康をお祈りいたしまして、新年のご挨拶とさせていただきます。
2017年01月01日
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2017年01月01日
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