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台風一過の月曜日。前日から交通機関が運休していたから、出勤のラッシュアワーは混乱すると思い、午前中は休みを決め込んでいた。昼近くになって、会社へ行く準備をしたのだが、外の日差しがあまりにもまぶしい。少し勿体ないという気持ちになった。今日は残暑を感じる最後のチャンスかもしれない。私は暑いは暑いでそれなりに好きなのだ。幸い、今日会社に行って絶対にやらなければいけない仕事もなかったし、代休もまだ残っていたので、休むことにした。夏といえば、と言って思い浮かぶものは人それぞれだけれど、私は「土手」。学生自体、川べりの土手で友人と遊んだり、膝を抱えて人生相談したり、散歩したり。特に夏の花火大会の後、観客がすっかり帰ってしまった後の土手の、草いきれの匂いが好きだった。土手に行った。夕方になり、暑いことは暑いけれど大分気温も下がっていた。台風が遺した風のおかげで心地よい。水面がさざなみを立てていて、いつになくのんびりした雰囲気。平日だから人も少ない。ルネ・マグリットが描いたような青空と雲が広がっている。わー気持ちいい。会社を辞めたら、こういう贅沢な時間と空間を独り占めできるんだな、と思う。働いていて楽しいこともいっぱいあるが、仕事とそうじゃないことの比率をもう少し変えてもいい、というか変えたほうがいい、と感じた。今の会社で働かなければ食べていけない、というわけでもないのにね。動ける気力と体力があるうちに、もっといろんなことにエネルギー割いてもいいのかな、と土手に座りこみながら思い耽るのだった。こういう時間を過ごすことを、私は贅沢だと感じる。タワマンとか、高級車とか宝石とか、そういうきらびやかなものよりも、こんな風景を眺めるのが好きだ。<お酒メモ>9月8日日曜日日本酒たくさん。計一升くらい
2019年09月09日
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今朝はお腹が空いて目が覚めた。「食べたいものは?」と身体に尋ねると「アイスが食べたい」という。ちょうど冷凍庫に先日いただいたレモンクッキーフレーバーのアイスがあったので食べることにした。オーガニックのアイスだということで、楽しみにとっておいたのだった。どうも痩せる生活習慣が好きな私。朝アイスもそのひとつで、ダイエット効果がある。アイス自体は冷たいので、消化するときにアイス自体をまず体内で温める必要があるので、それなりにカロリーを消費してしまう。またカルシウムが意外に多いので(カルシウムはインスリンを抑える働きをする)、太りづらいのである。ビタミンBの含有量も豊富。深酒のリカバリにはビタミンBが欠かせないので、「朝アイスしたい」と身体が訴えたのはこのあたりが原因なのだろう(^^)緑茶を淹れようと思ったが、レモンクッキー味なので、ブラックティに変更。最近ヘビーローテーションしている茶葉はロンドンの普通のスーパーで売られている地元のティーバッグ。なので本当に濃い色で、がしがし出るのでありがたい。優雅な日曜の朝となった。
2019年09月08日
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「郎」と「朗」。どちらも男性の名前でよく使われる漢字だが、「郎」は男性、とりわけ若い男性を指す言葉としてもともと用いられていた。一方で「朗」は朗らか、すなわち明るくて晴れ晴れとしたさまを表す。「朗」という漢字がはいった名前の友人と電話で話をしているときに「俺さ、会社の人にいつも笑っているって言われるんだよね」と言った時に「そうだよな」と思わず頷いてしまった。私も以前は「いつもニコニコしているよね」と言われていたのだが、親しい友人に「昔は(雅は)朗らかだったのにね」と指摘された際、「うーんそうかなぁ。同世代よりは笑っている時間が多い方だと思うんだけどな」と自己評価していた。ところが先日の金曜日のこと。体調を崩していて会社を休んでいた日だが、少しは歩かないと身体がだめになると思い、なじみの豆腐屋に豆乳だけ買いに行った。店長とはもう長い付き合いで、お酒を酌み交わした仲でもある。他にお客様がいないときは立ち話することもあるのだが、その店長に「最近、なんか辛そうだよね。仕事しすぎ?大丈夫かなって心配してる」といわれてショックを受けた。豆腐屋に行くときは、(好きな人たちと会い、毎日欠かせない豆乳を買うので)普段の自分の中でテンションが上がっている時なのだが、その人にすら「辛そうな顔」と言われたわけで。身近な人に指摘されたことで、自分が思っている以上に朗らかさが消えているのかもしれない、と思い始めた。毎日の生活でいいことも嫌なことも起きるけれど、なるべく「幸せだ」と思うことをやったり、相手が喜ぶことは何かを考えて動いてはいる。でもその実行比率というか「プラス/マイナス」のうち、マイナス比率が増えているのかもしれない。ほとんどは仕事に時間を費やしているので、おそらくマイナスが増えたとすれば、労働環境によるものが原因だろう。齢をとればとるほど環境を変えるのに億劫になる。やり過ごせば何とかなると思いがちだが、そうやって時間を引き延ばしているうちに身体にガタが来て、いざやろうと思った時にできなくなったりする。判断力や決断力が鈍り、現状維持する理由を探してそこに拘泥する。今の状況を正当化するわけである。やっぱりもう今の状態は詰んでいるのかもしれない。昔はもっと身軽に判断して動いていたのに、私も老化している。力を振り絞って打破しないと、と思い直している。
2019年09月01日
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2年前の今日、気を失って地面に頭を打って出血。救急車で運ばれた。手術後、付き添いつきで自宅に帰されたが意識はなかった。目覚めたら頭が縫ってあって、枕のタオルが血だらけだったので驚いた。その日は1日中横になっていたが、2年後の今日も横になっている。今週は38度台の熱が続いていたのだが、断れない仕事がいくつかあり、前半は半休をとりながらごまかしごまかしで働いていた。だけれど遂に力尽きて、昨日今日と会社を休んで寝込んでいる。体重も2年前の拒食症になったときの数字に逆戻りしている。いかんなぁ。いま、高校時代の体重。セーラー服着られそうだな…着てみるか(爆)3時間ごとに体温計で熱を測っているのだが、寒いと思うと37度3分(自分の平熱は37度)、動悸がして呼吸がつらくて火照るときは熱は最低38度以上になっていて、一日の中でこの上下動を何回も経験するとさすがにしんどい。いちど咳き込むと話もできない。だいたい38度前後が今の平均値で、身体も痛むので、しっかり病気にはなっている。8月はお盆休みがほぼなく、土日出勤も多かったのだが、肉体より心労のウェイトが大きいのだと思う。2年前倒れたときの原因となった人たちにまた同じような仕打ちを受けていて、体調がおかしくなっている。自分が進歩していないから悪いのかな。だから同じことを繰り返しているのかな。この2年、環境を変えるためのアクションはそれなりに起こしたつもりだが、相手にとっては微風でしかないのかも、と反省している。<お知らせ>9月8日開催予定の「株わさび」。おかげさまで満員御礼となりました。ここのところツイているのか、お願いしたいなと思っていた講師の方を幸運にも追加でアテンドできました。「老後2000万円をどう作るか」についてはもちろんお話ししますが、税にまつわるお話も追加で致します。出し惜しみせず、常に全力をモットーにしているので、ご参加の皆様どうぞご期待ください。サロンFUJIYAMAでもこの話で1回やりたかったなー(^^)<お酒メモ>8月28日水曜日作 恵の智 半合亀泉 CEL-24 1合弱悦凱陣 雄町 純米 1合弱有加藤 半合ギネス 生 2パイント
2019年08月30日
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あくまで自己判定だけれど、私は割と嫌なことがあっても我慢する性質だと思う。瞬間湯沸かし器で怒ることはあるが、相手の話とか態度を見て「ちょっとこれはどうなの」という状態でもそれなりに耐えているつもりだ。私の持論に「痴漢理論」というのがある。これは満員電車の中で痴漢が触ってくるときに、最初は手が自然に当たるかわからない感じなので「おや?」と思って放置しているとだんだん触り方が大胆になってくる。そして、「言わないお前が悪い」「気持ちいいだろう」といわんばかりに最後は語りかけたりと、かなり犯罪性の高い態度に出る。そんなこと、期待している変態女なんていないのにね。昨今の日韓関係も、この痴漢理論で説明できると思う。声を上げないから相手が図に乗ってくる。境界線を平気で乗り越えてきて平然としている。こちらは嫌なのを我慢して大人の態度よろしく平然を装っていると、どんどん大胆な行動に出る。言うのが遅すぎたかもしれないが、それでも声を上げたほうがよいと思ったから日本も相応の対応をしはじめたのだと思う。同じようなことを最近公私ともどもされている。ものすごくつらい。寝込んだり、帯状疱疹が出たり、挙句の果てには手が震えて止まらなくなる。PTSDになっているようだ。もうすぐ丸2年になるが、嫌がらせを受けて心身ともに疲弊し、たびたび気絶するようになった8月の末に、気を失って道路で頭を打って出血し、8針縫った。そのときに嫌がらせをした人たちにまた、ひどい目に遭わされている。解決策はわかっている。一番いいのは、環境を変えるということだ。そういう相手がいる世界にかかわらないほうがいい、ということになる。要は会社を辞めるとか、学びの場所のお手伝いを終わりにすることだ。でも、おかしいなと思うのは、自分が一所懸命身を粉にし、己の信用を供与して、場を作ったり仕事をつなげたりしているところに、図々しい人ほどそれにただ乗りどころか、私を傷つけて果実(利益)を吸おうとする。私は奴隷でも、「させ子」でもないんですけれど。もういちど書くけれど、私はそれなりに我慢するほうだけど、そこまでお人よしじゃない。ここ数晩夢に出てきてはうなされており、その恐怖から昨晩は一睡もできなくて、身体が痺れたまま朝を迎えた。いまは頭がぼーっとしながら仕事をしている。
2019年08月27日
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小食に加え、発酵食品と(自然発酵した)お酒ばかり呑んでいるせいか、腸の調子がよくなってきた。10年近く1日1食(加えて豆乳)という生活をしているのだが、カロリーベース計算でいうと、自分の世代の女性の最低摂取カロリーを下回った状態が続いているが、それで生活できている。昨今の栄養学ではカロリー(エネルギー)ベースに疑義も出ているが、自分の食生活を考えるとカロリー栄養学っておかしいよなぁ。必要なのは食物繊維と、ビタミンを伴う良い微生物の摂取。それに加えてたんぱく質と糖質を摂取する比率、すなわちバランスなのかな、などと思っている。食物繊維の摂取は特に最近、痛切に感じている。なぜかというと、腸壁をきれいにする(すなわち腸内に極力便のない状態にする)のに必要不可欠だからだ。腸がきれいな状態の時間を増やすことが、誰にでもできるシンプルな健康法なんじゃないかな。ここのところ摂取するもののバランスは良かったとしても、酒量が多かったことは反省材料。ということで今日は休肝日にして、かつ半断食しようと思い立ち、現在敢行中。半断食は空腹期間を14~18時間空けるというもの。そうするとモチリンというペプチドホルモンが体内で分泌される。ペプチドはアンチエイジング効果があると言われているが、その真偽については専門家に任せるとして、ともかくお腹がぐーと鳴ったらモチリンが出ているサインだと言われている。今日は全く空腹を感じないので18時間は空腹時間を作る予定。昨日22時くらいに最後の食べ物を口にしたから、本日16時までは摂らないつもり。あと3時間くらいだから余裕である。会社にも行くつもりだったが、家で午前中に片付けてしまったのでゆっくり自宅で過ごして断食時間をできるだけ長尺にしようと思う。まだ資料とか読むものはたくさんあるので仕事自体はあるのだが、精神的には楽かな。<お酒メモ>8月12日火曜日鍋島 特別純米 0.7合新政 ラピス 2合鍋島 純米 1合自然酒 福島 0.7合ギネス 2パイント
2019年08月13日
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ここ2日、阪神×広島の試合をネット中継で見ながら独酌していたのだが、頭の体操にと、ノムさんこと野村監督だったらどう解説するかな?とあれこれ考えていた。野村さんではないのだが、試合中の解説者のコメントと一致するとクイズに正解したように楽しくなったりする。TBSの『S-1』で野村監督が、観ていた試合で私が抱いた感想と同じようなぼやきをすると、自分もだいぶノムラOSになってきたのかな、などと思う。人間は環境の生き物。だから「すべての男は元カノの成分でできている」じゃないけれど、それなりに濃く付き合ってきた人との習慣とか物事の考え方って伝染るんだと思う。でもそれは浸透圧の理屈と一緒で、影響力の強いものから弱いものへと渡されがちなのではないか。男女の力学で言えば、たいていは女が強いから、男が元カノの成分でできている論は「なるほど」と思うのである。話が脱線したが、野村監督に最初にお会いしてから10年以上経ったと思う。だから友人と試合を観ていても野村さんだったらこの局面ではこういうことを言うんだろうな、ということがふと浮かんで来て、わざと友人にぼやいてみせて場を盛り上げることもある。OSは時に「メタ認知」の一助にもなる。メタ認知とは自分を第三者的に見て評すること。自分が思ったり見たりしたことを「それは違うのでは」と諫めてくれるありがたい存在にもなる。だから己と価値観が異なっても自分にとって有益な存在である人のOSは頭の中に培っておいたほうがよい。野球だけではなくて、普段の生活でも「誰々OS」が脳内で喋ることがある。たとえば株のことを考えていたらwww9945さんとか、DAIBOUCHOUさん、かぶ1000さんが喋ることもある。漫談できそうだな…。<お酒メモ>8月11日日曜日オー ポワトゥーレシムソーヴィニヨンブラン 2016 ラシュトー ハーフボトルニコレッロ ランゲネッビオーロ 2003 赤 グラスで2つアルコル&ミザール 赤 フランス グラスで2つ。ただ呑んでる最中に寝落ち(汗)目の目にまだお酒残ってるワイングラスが…(^^;
2019年08月12日
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うだるような暑さが続いている。帰宅しても愛鳥「ごましお」の動きは鈍い。文鳥はもともと東南アジアに生息するスズメが源流なので湿度と熱に強いと思っているのだが、ここ数年は「ジャカルタより暑い」と言われ、体感的にはどうもしんどい夏のようでである。巣に居て日差しを避けてもそれでも暑いのだろう、最近は止まり木におなかをぺちょんとつけて、正面から見るとお正月の餅のようになっている。それはそれで可愛いのだが、目をつぶってうつらうつらしている様は、まるで坐禅をしているかのようだ。ところで、昨日6日は久しぶりにいつものお寺で坐ったのだが、さすがに暑く、なかなか集中できなかった。いつもは暑すぎだと寒すぎるほうが集中できるのだが、折からの体調不良で帯状疱疹や心室細動のような発作も出ていることから、あまりにも脈が早すぎて、意識を集中して解くことができない。動悸で苦しくて、軽い熱中症のような症状だったのだろう。帰宅後はとにかく身体を冷やして寝ていた。エアコンつけて坐禅なんて、と思っていたけれど、これだけ気候変動で暑さが殺人的だと、やれ心頭滅却だと「気合」で済ますことができなくなりそうである。
2019年08月04日
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今年はお盆休みはほぼ仕事で、しかも土日も潰れることが確定している。休みがとれないことが確定しているせいなのだろうか、身体に異変が起きている。昨日から今朝まで14時間ほど寝たのだがふらつきがあり、まっすぐ歩けない。大型連休を前にして、つい休んでしまったのだった。それでも追いかけて来る仕事。朝から10本以上仕事の電話とメールを処理して、なんとか今、少し仕事のjamから抜けたところ。ふー。肉体的な疲れはなんとかなるが、精神的な疲れはいつとれて回復するのかは、自分にはまったく見当がつかない。あらかじめ「こういうことがあるかも」と前もって心の準備をしていた精神的ストレスには耐性があるのだが、そうでないものが来るとやっぱりしんどい。それが軽微なものではなく「ちょっとありえないでしょ」というものだと、やっぱり心身にそれなりのダメージはくるものだ。例えばだが、自分がPTSDになるくらいの傷害を与えた相手に接近禁止令が出ていたのに、あるときその禁を破ってばったり目の前に現れる。そういうときにどういう精神的反応が起こるか。なんかそれと似たようなことが起きたわけで。週末の夜も、途中から酒を止めてウーロン茶と水で過ごしていたのに、横になっても動悸やふるえが止まらず、ひどい目に遭ったのだった。ほとんど眠れない夜を過ごした。また不眠症になるのかな、と思ったのだが、昨日は昏々と眠ったので、どうなるのかしばらく様子をみたいと思っている。
2019年08月02日
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眠気をさますカフェイン。覚醒作用があることから、モルモン教をはじめ、宗教で摂取が禁じられているところもある。また、自然物に含まれているものではあるが、依存性もあるので、摂り方は気を付けたほうがいいと言われている。コーヒーにたくさん含まれているということは多くの人が知っているが、ではどれくらいだったら摂取OKなのか。国によってカフェイン上限値のガイドラインは違うがオーストラリアでは1日に300ミリ、イギリスでは200ミリ。妊婦や子供はこれよりも摂取を控えたほうがいいという。コーヒーがだいたい100mlでカフェイン60ミリ。紅茶が30ミリで緑茶が20ミリ。つまりコーヒー3:紅茶2:緑茶1の比で覚えておくとわかりやすい。もっと平たく言うと、コーヒーの場合、セブンカフェのLサイズ量が250mlなので、2杯が上限ということになる。という理屈で考えると、午後の紅茶だったら500mlペットボトル2本まで。緑茶はおーいお茶の1.5Lペットボトル1本までというイメージだ。私は日に2L近く緑茶を飲んでいるのでちとオーバーしているかも。最近ノンカフェインのルイボスティもティータイムに組み込んでいるが、理にはかなっているのかもしれない。<お酒メモ>7月14日日曜日鍋島 純米吟醸 1合半あべ 1合半山本 1合弱蒼空 2合
2019年07月15日
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少し微睡(まどろ)んでいるときに、逆走馬灯を観た。3歳くらいに幼馴染とかくれんぼしていたときのことを、ふと思い出し、そこから今までの人生を、普通の時間軸通りにダイジェストで眺めていたのだ。走馬灯はだんだん昔にさかのぼっていくものだが、その逆なので「逆走馬灯」というわけである。端折られてみた「ストーリー」は、楽しいものから切ないものまで硬軟織り交ぜたものだったが、あとあと観たものを反芻してみると、2つ気づいたことがあった。1)本当につらいことは、そもそも削除されてしまう2)嫌な思い出について観ているときは、その対象物にマスキングがかかる経験したこと自体を追体験してそれなりにクリアな夢を見ているわけだが、嫌な事物だったり相手にされた場合、そこにモザイクというか、曇って顔が見えないようになっている。思い出してみると、テレビの処理みたいだなぁと思って苦笑する反面「そこまで私の中で『消される必要がある』ものだったのね」と驚いてしまう。哲学者キルゲゴールは、「絶望」が死に至る病である、と説いた。脳が死ぬ前に思い出して観させるものが甘美な記憶ばかりならいいが、甘美な記憶となる途中経過が「絶望的なもの」だった場合、今回観たものと同じようにやむなく一部マスキングして、編集して見るようにプログラムされているのかもしれない。<お酒メモ>7月12日金曜日オーストラリア 白 グラスで2つイタリア ラルコ 陰干ししたやつ。 ネッビオーロとメルロとシラー入ったもの。 赤 グラスで2つイタリア プリミティーボ 赤 グラスで2つフランスオー ポワトゥー レ シム ソーヴィニヨン ブラン 2016 ラシュトー 白 グラスで2つイタリア ニコレッロ 赤 ネッビオーロ 2003 グラスで2つ7月13日土曜日アサヒスーパードライとプレモルロースト 計300mlくらいイタリア モンテプルチアーノダブルッツォ 赤 ハーフボトル羽根屋 夏の生酒 1合
2019年07月13日
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梅雨時になると、きゅうりとか水なすとか、しそとか……みずみずしくてでも憂いを帯びたものを欲するのはなぜだろう?特にきゅうりや那須は、栄養分がほとんどなく、構成比でいうとほとんど水分で占められている。栄養学的にはコスパは悪いのだが、好きなものを食べればいいじゃないか、ということで、相変わらずカロリーの低いものから好んで食べている。先日七夕で星型きゅうりの漬物がサービスで出てきた。涼やかで可愛いなと思ったのだが、これは「デコきゅうり」といって、人工的にできるものらしい。種苗店で専用の型を買って栽培するのということを初めて知った。自然の形の美しさだと思っていた自分は、ほんのちょっとだけがっかりした。相手が好意で手をかけて作ったものだったのはわかっていたのだけれど。きゅうりは夏野菜なのでこの時期はまだ値段は高いのだが、どうしても食べたくなってついつい買ってしまう。だいたいは漬物や和え物にすることが多く、そのまま生でぽりぽりとかじったり、サラダに入れてということはほとんどない。・シンプルなぬか漬けに・希釈した白だしとともにタッパーにいれて浅漬けに・しょうがとみょうがとしそを細かく刻んできゅうりと一緒に昆布茶と塩で揉みこんで漬物に・塩とごま油ベースで、きゅうりをポリ袋に入れて叩いた後、トマトと和えて…などと、アレンジバージョンはいろいろある。先ほど「栄養がほとんどない」というようなことを書いたが、きゅうりにはホスポリパーゼという酵素が含まれていて、これが体内脂肪を分解してくれるということで、ちょっと暴食が続いた後は積極的に摂取すると悪いことにはならないと思う。1日2本くらい食べると大人の身体にも効果が現れるくらいのホスポリパーゼが摂取できるそうだ。そういえば母方の実家は農家で、きゅうりを育ていた。というわけで一族はみな痩せている(体質のせいかもしれないが)。もちろんそういうわけで大量の在庫があって3食ほとんどテーブルにきゅうり料理があった。基本みんな平らげたのだが、きゅうりの味噌汁だけは何回食べても慣れなかった。これだけは、一人暮らしをしても一度も作ったことがない。なすの味噌汁は好きなので昨日も作ったんだけれどなぁ。<お酒メモ>7月9日火曜日生ビール タンブラーで1つ赤ワイン 5種類くらい 計1本程度大山 生原酒 半合7月10日水曜日martini イタリア 泡 ハーフボトル ※いちご入^^ヱビス 缶 グラスで1つハイネケン 缶 グラスで1つギネス 生 2パイント
2019年07月12日
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中国のお茶の作法はその昔、家族や近所でワイワイがやがや集まって大量のお茶を作り、夏の暑い盛りに午後からゆっくり日陰で、少しずつ温度の下がっていくお茶を飲んでいく、といったものだと(中国人から)聞いたことがある。50~60度程度の温度のお湯は「白湯」と呼ばれ、身体にいいと言われている。確かに少しずつ温度が下がっていくお茶を入れながら休息し、夕方に向けて気温も下がっていけば、身体は急加速度的に楽になる。レバレッジを効かせるようなものだ。理屈ではわかっているものの、なぜ暑い時期にあついお茶を、と私も半信半疑だったのだが、最近、毎朝緑茶を入れた後、もう一度やかんでお湯を沸かし、そこにルイボスティのティーバッグをぼちゃん!と入れて家を出る。そうすると、帰宅する頃には2L近くのルイボスティが出来上がっていて、鞄を置いたらまずはそのお茶を空のペットボトルに入れて…ということをしている。冷えてもおらず、かと言って熱くもなく、カフェインもないお茶なのだが、夕飯の支度の間に水代わりに飲んだり、お酒のチェイサーに飲んでいると、身体に柔らかく入ってくるのがわかるし、エアコンをつけなくても身体がすっと冷えていく。体内の水分がそこそこあるので、湿度も気にならなくなってくる。ああ、これはいいなと感じるのであった。緑茶もコーヒーも、それなりにカフェインがあるので、摂りすぎはよくないといわれている。私も毎日緑茶だけで2Lくらい飲むのでそれなりにカフェインは摂取しているので、少し冷めたルイボスティは非常にありがたい代物になっている。
2019年07月11日
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通勤電車でぼーっとしていたら、窓に自分の姿が写った。なのだけれど、窓の中の自分は横を向いている。目線が右を向いているのだ。「?」。自分の顔を見ているということは、目線も正面のはずなのだ。もういちど確認しても反転する私はやっぱり右をじーっと見ている。頭が変になったのか、強いストレスで離人感を感じるようになったのかな?と心配になった。2分ばかりそんな私を見ていた。自分が自分でない感覚、あるいは幽体離脱みたいにちょっと違う方角から自分を俯瞰している感覚。これがひどくなるといわゆる「離人症」と診断される。客観的に肉体そのものを認識するのではなく、「普通の人だったら自分にいま起きていることをどうやって対処するのだろう?」と想像することは「メタ認知」と言って、いいことなのだけれど、離人感はちとヤバイなと感じたのだった。かなり身体がまいってしまったり、ストレスを感じる、あるいはドラッグをやる(昨日はお酒すら呑んでいないからこれはない)とこういうことが起こるそうなのだが…。離人感は乖離症のひとつと言われるが、これはコントロールできない状態だから「病気」認定されるわけであって、意図的にそれをしばし体験したうえで、自分でコントロールして元の状態に戻すのが「瞑想」なんだと思う。自律神経のスイッチを自分でオン・オフにすることで、勝手に身体が(ストレスや疲労で)暴走したときにも、落ち着いて自分で処置できる。そういうトレーニングなんじゃないかと思っている。というわけで、坐禅でも組むか…。
2019年07月10日
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「何が食べたいとか、これをやりたいとか、そういうのを聞いたことがない」と言われることがある。確かに言われてみればそうだ。昔はもっとやりたいこととかあったのだけれど。なぜ言わなくなったのかを考えてみると、理由は2つある。ひとつは「願望を持ったとしても、叶わなかったら不満に思って苦しいから」。人は思い通りにならないと不満を抱えてその分ストレスが溜まってしまう。ならば「したいこと」が自然に降ってくるまでは、わざわざ目標を立てることもないな、と感じ、自然とそうなって行った部分もある。もうひとつは「自分が想像していることを超えたことを、他人がやってくれたり持ち込んでくるから」。自分が思っている「私」と他人にとっての「私」は違う。他人が「雅ってこういう人」と思って世話を焼いてくれたことに素直に従ったほうが、自分の想像以上の経験とか、発見をもたらしてくれる。ということで、いつも他人が運んでくれることにワクワクばかりしている。ある意味、超受け身人生、である。だからあまり人を誘ったりしない。大人になるまではいつもお誘いばかりしていたのに、まるきりスタイルが逆になってしまった。誰かに誘ってもらえるというのは、相手が自分と居たいとか、会いたいと思っている証でもある。自分がもう一人いたら、私は雅を決して誘おうと思わないのだが(笑)。どうやら私の周りにいる人たちは性根が良くて、心が優しい人が多いようである。「で、会社辞めたら何がしたい?」と友人に聞かれて答える。ひとつだけある。整体に3回通って身体をもっと楽にしたい。「それかー」と爆笑されたのだが、特定の地域に旅行で行きたいとか、そういうことは時間をかけてもなかなか出てこない。おそらく、もう日々の生活に十分に満足しているんだと思う。毎日の禍福ともども、自分にとっては大切なこと。<お酒メモ>6月26日水曜日アサヒスーパードライ 缶 200mlくらいニコレッロ ランゲネッピオーロ 2003 赤 ハーフボトルハートランド 生 グラスで1つギネス サージャー 3クオーターギネス 生 1パイント6月27日木曜日ギネス 生 1パイント水芭蕉 純米大吟醸おりがらみ 半合開運 涼々 生 0.7合幻舞 無濾過生原酒 1合半弱小布施 ソーヴィニヨンブラン 白 グラスで3つ
2019年06月28日
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水疱瘡のウィルスが体内に強く残っている人がかかりやすい「帯状疱疹」。平均6~7にんに1人の割合でかかる人がいてて免疫力が低下するとリンパに沿って発症して、強い痛みを伴う。これ、不思議なことに夏場に出やすいんだそうである。梅雨時の寒暖差や湿度コントロールの難しさから、周囲の人も最近発症して困っていると相談される。私も帯状疱疹が年に何回か出るのだけれど、もうこの病気との付き合いも長い。というわけで早めに押さえ込むようにしている。体感的なものだが、発症したら1)患部を痛いくらい冷やして帯状疱疹の痛み・かゆみ自体がとれたらすぐに全身を温める2)ビオチン(ビタミンBのサプリに入っている成分)をこまめに摂取する3)減酒この3つをやる。口内炎の場合は2)と3)が有効な治療なのだが、それに1)を加えてやるのが帯状疱疹への対応としてベストだと思う。医者に行って薬をもらうのもいいのだが、自力で治す努力をしないと、だんだん身体も怠けてくるので、初期症状のときに上記の手当てをするようにしている。ゆっくり寝ていれば治るのだが、なかなかサラリーマン家業はそうもいかないので、適切に処理していくしかない。<お酒メモ>6月23日日曜日作 雅乃智 1合蒼空 3合紀土 純米大吟醸 半合加茂錦 荷札 愛山 半合
2019年06月24日
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毎日朝晩、緑茶を飲む習慣があるのだが、その摂取量がどうも人より多いようである。年に2kg近く茶葉が必要なので、一人当たりにしては確かに多いかもしれない。だから茶殻もかなり大量になる。茶殻も産廃だしなぁと思い、手間だけれど今度料理に使ってみようかと考えている。一般的に緑茶は生産時に結構多めに農薬を使用するらしく、茶殻に栄養があるといっても、すべて摂取するというのは抵抗感がある。ただ、家にあるお茶はほぼ無農薬か減農薬で作られたものばかりなので、そこは大丈夫かなと思っている。茶殻は佃煮や、鰹節と一緒に炒ってふりかけにするのがオーソドックスな活用法らしいが、バジルに似ていると思うので、刻んで乾燥させてオリーブオイル一緒に炒めてみようかなと思っている。これにドライトマトを加えたら美味しいかも…などと目論んでいる。あとはアンチョビを活用してみるのもいいかもしれない。人は面倒を嫌うが、効率化ばかり追求していくと、生きたAIになってしまうのかな?という危惧がある。普段、仕事などで効率を考える一方で、浮いた時間で、今までしなかったことをひと手間掛けてやることで、何か新しい気付きに出会えるのではないかと感じている。この数年、そういう「ひと手間」を大切にできる人とか、そういう価値観を共有できる友人知人が増えた。こうしてブログに茶殻のことを書いているうちに、また誰か共感できる人がいいレシピなど教えてくれるといいなぁ、なんて思っている。<お酒メモ>6月22日土曜日白ワイン グラス1つポルトガル スパークリング グラス1つスペイン ガルナッチャ 白 グラス1つスロベニア メルロ 赤 グラスで3つイタリア ニコレッロ 2003 赤 2/3本
2019年06月23日
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元F1ドライバーのシューマッハは睡眠時間が12時間だそうで、いわゆるロングスリーパーである。こんなに長くないとしても、アマゾンの創業者のベゾスは8時間睡眠を提唱しているし、アインシュタインは10時間寝たという。私ももともと睡眠時間が少ないと身体も脳も働かない性質で、ここ数年は6時間を切るとつらくてつらくて仕方ない。歳をとると寝られなくなるというが、最近は以前より寝ていて、食事回数を削ってでも眠りたい。頭の回転が鈍い割には考える必要のあることが多い。考えるのには糖を消費するが、糖質をとると動けなくなる体質なので、考えるのを止めるために脳が「もう糖がないから限界。だから眠れ」となるのかもしれない。昨日も24時前には眠って、今朝起きたのは12時。12時間ぐっすり眠ってしまった。そうするとここ数日の睡眠不足も帳消しになって、頭の中がすっきりしている。寝るには体力が必要で、だいたい女性は6時間で300キロカロリーちょっとを消費するというから、3食食べる人の1食分のカロリーを睡眠で使っている計算。ダイエットになっているのかもしれない(笑)もともと今日はこれから仕事が入っていたので、少し眠れてリフレッシュできてよかったと思っている。
2019年06月22日
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私は音に対して敏感なところがある。音階やヘルツといったいわゆる絶対音感系の部分だけでなく、生活音の大小もものすごく気になる。走り屋さんのエンジン音とか、急にものが落ちたときのバタンという音とか、人の大きな笑い声とか。「気になる」というと神経質くらいのレベルに思われるかもしれないが、身体に痛みが走ったり、時々内出血すら起こすので、病気かどうかの境界線に若干入っているのだと思う。小さい頃よりも今の方が敏感になったかもしれない。音が私にとっては暴力になるのだ。でも変な体質なのだから受容するしかない。その昔『絶対音感』(小学館)という本がベストセラーになったことがある。絶対音感を持つ人たちの苦しみを書いた本だ。絶対音感というのは、5歳くらいまでに音楽を嗜まないと身につかないと言われているが、そんなこともないと思う。私の場合は7歳から音楽をはじめたが、その前から生活音はドレミで聴こえることがあった。親でも親戚でも、大人が普段話す時の声と、少しいら立っている時にはピッチがことなることに気づいていた。音で人間の感情の起伏を感じ取っている部分があった。「怒ってない」と言っても怒っていたり、大人同士の会話で少しピッチが狂うと、コミュニケーションに齟齬をきたしている状態だということを幼少の時から「音」で判断していた。反面、相手の言う言葉そのものが無意味で理解したくないときにはわざとドレミに変換して「聴かない」ようにしていた。そうやって逃げたのだ。でもそういう人生を続けて居てもいけないし、どうしようかなと思ってある日、生活音が勝手に「ドレミ」に聴こえるときに、つとめて歌詞を考えるようにした。ドレミ以外のことを意識するようにすることで、次第に無意識に生活音を音感で捉えることが減ってきた。だが、音に浸かりすぎると時々自分の「癖」が顔をのぞかせることがある。少し前のことだが、誘われてJAZZを聴きに行ったのだが、その翌朝、雨の音で目が覚めた。前日いろいろな音を聴いたせいか、雨の音はドレミになっていて、それをアレンジして頭の中で譜面を描いている自分がいた。車が水をはねて走り去る音、近所の給湯器がついている音、風の音…「きれいにこの音をならべればこのまま作曲できるなぁ」と思った。作曲家だったら儲けものだが、私は素人だし、勝手に脳が暴走して「癖」が出てくる状態は自律神経が制御できない状態になっているわけで。「危ないサインなんだよ」と自分に言い聞かせて、布団の上に雨音がちゃんとさらさらした雨の音に聴こえるまで、しばらく横たわっていた。<お酒メモ>6月20日木曜日瓶ビール コップで1つ正修(千代菊の企画もののお酒) 純米大吟醸 おちょこで1つ渡舟 茨城 無濾過生 半合鍋島 純米吟醸 半合天明 無濾過 1合半ニコレッロ ランゲネッピオーロ イタリア 2003 赤 グラスで2つ
2019年06月20日
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朝起きて、いつものようにお風呂を沸かしたのだが、ふらふらして入る気になれない。熱を測ったらいつもより高くて、具合が悪いのだと気づいた。前日、中国人にスーパーの前でぶつかって、彼女が持っていた小さな袋に入っていた生卵が割れ、私が着ていた長袖シャツに黄身と白身が点々とついてしまった。ひじから手首まで。中国人はスーパーの制服を着て、名札もついているので咎めようと思ったのだが、もごもごと何か言って逃げられてしまった。その日はアポイントがあったので、これは困ったと思い、水道水で洗い流して軽く絞る。次第に水が肩口のほうまで染みてきて身体がじわじわ冷えたのだが、なるべく間に合うようにと急いだのだった。たぶんそれで熱が出たんだと思う。不運かもしれないが、個人的にはシャツの生卵は綺麗に落ちたので、ひとまず安心。結局今日は休暇を取り、夕方近くまで寝ていた。宅配便が来ては眠り、電話に応対しては眠りで、熱も普段の平熱(といっても37度超だが)まで下がった。とにかくいいモノにも悪いモノにもよく遭遇する。これが自分の人生の特徴だから仕方ない。その特性(?)を活かして、仕事なり、株なり、「天井を当てて利益をとる」というものに手を出していると思う。スマホの充電にも性格が表れているようだ。たいてい20%以下くらいで充電するのだが、「もっと早く充電しなよ」と他人によく言われる。5分の1あればなんとかなるじゃないと思うのだが、他人から見れば粘り腰なのかも。仕事も周りに呆れるくらいギリギリまで粘る。嫌だと思うことも限界まで我慢する。そのかわり切ったら永遠にお終い。私は決断したら徹底的にやるのだ。ただ、一見、早めに万歳するときに「納期までの期日がまだあるのに粘りなよ」と上司が指摘することがある。これはあらゆるリスクを想定して、もう詰んでるのがわかっているから延期・撤退したいのだが、相手が理解してくれないのは困りものである(たいてい結局上司が「やばい」と理解して旋回するまで、時間が経っただけで状況はいつも変わらないからだ)。今日もえいやと休んで早くリカバリできたので、よかったなあと思っている。<お酒メモ>6月11日火曜日ヱビス 350ml缶 1つ御山杉 純米生原酒 1合南部美人 半合ラシュトー オー・ボワトゥ レ・シム ソーヴィニヨンブラン フランス 白 ハーフボトル
2019年06月12日
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アメリカの感謝祭で使われる言葉のひとつに"Turkey coma"というのがある。「七面鳥を食べると眠くなって動けなくなる」状態を指すのだが、これは肉に含まれるアミノ酸「トリプトファン」によるものだといわれている。これが脳のセロトニン分泌を促し、眠気を催すというのだ。トリプトファンは鶏肉にもたっぷり含まれている。先日ささみをつい大量に購入してしまったので割とちょこちょこ食べているのだが、食事しながらワインを嗜んでいて珍しく寝落ちした。愛鳥「ごましお」を握り文鳥して手の中で寝かせていたので、どっちが子守をしているのかわからない感じである。ここのところ体重が落ちたままなので、一所懸命いろんな食材を少しでも多く食べようと思い、家では豆皿が大活躍。あまりお皿を買い揃えることはしないのだが、結婚式の引き出物だったり、贈り物だったりで我が家にはいろんな皿がある。それ以外にも、酒器(とくにおちょこ)は、塩辛や刻み漬物、梅干など、ちょっとした酒のアテに化けるものを入れて食器として利用すると、おしゃれな感じになって楽しい。都度お皿を洗いながら食事するスタイルなので、小さいものだから、洗うのもそう苦にならない。にんにくスライスを入れたささみの味噌漬けはもう大分なくなってしまって、あと1本になってしまった。深夜に食べても胃にもたれず、消化がよいうえに、眠気を誘うトリプトファンがたっぷり。そんなわけで酒抜きで昨日も24時前に就寝してしまった。
2019年06月11日
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古くから付き合いのある友人が「守るべきものがあると保守的になるって言うけれど、どう思う?」と尋ねてきた。「欺瞞だと思う」私は答える。続けてこういった。「『守るべきもの』は家族とか今の地位とかいろいろあるけれど、それは根本的には『自分自身を守りたい』だけ。臆病で自己愛が強いって正直に言えばいいのに、他人や他のものを守るとかポーズをとってカッコつけるなんてもっとカッコ悪い。責任感や能力があれば、いろんなものを背負ってもアグレッシブに行くと思う。守るものがあるなら、尚更攻撃に打って出ないと守れないよ。だから保守的になるなんて嘘だと思う。『逃げ』だよ」友人はケタケタと笑いながら「君はいつもそうだよなぁ。元気で攻撃力満載」と言った。省みると、攻撃と防御の総和が10だとして、確かに自分は攻撃の方が強く見えるのかもしれないと思った。ただ防御も少ししておかないと危ないから、攻撃8、防御2くらいだろうか。でも、むやみに攻撃(突撃?)しているわけではなくて、攻撃する必要があるときとか、攻撃すべき時期を見計らって事を起こすことが多い。私の友達に「この人には勝てないなぁ」と思う、パワーのある女性がいる。彼女は攻撃力10。以前、彼女を知っている共通の友人と呑んだときに「彼女は防御力ゼロで攻撃力10」と評していて、なるほど、と私は納得するだけだった。「失ってもやり直せばいい」といいつつも、「やるからには絶対に勝つ」と豪語する女傑。「攻撃は最大の防御なり」というが、彼女はそれを地でやっている。私は傍から見ると元気いいといわれるけれど、もう一皮向けて彼女みたいになれたら、違う世界が開けるのかもしれない。まだまだいろんなものを捨てきれてないなぁ。
2019年06月05日
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「…というわけで、家族同然だと思った人と縁を切ったわけ」。とある社長さんが言った。「何年一緒にやってきたんですか」「うーん、10年くらいじゃないかな」聞けば相手の身勝手にずっと付き合いつつも、面倒を見てきたけれど、変わらないので付き合いをやめたのだという。身に覚えがないわけではない(要は「ある」だけれど)話だったので、凹んでいる彼に、自分の身に起こった似たような話をかいつまんでしたら、社長さんはしばらく絶句。そりゃそうだ。私の場合は死にかけてしまったわけで(^^;「雅ちゃんは彼のこと、最初から見切ってたよね。俺は変わると思ってずっと付き合ってきた」人間には2種類あって、変われる人と変われない人がいる。多くは変われない。三つ子の魂百までという言葉の通りだと私は信じている。ゴムが伸び縮みするように、人が根っから持っている素養は隠し覆したり拡大したりできるけれど、決してなくなりはしないと思っている。ため息をつく社長さんを悩ませている人は、私から見たら「決して変われない人」。だからさっさと付き合いを止めたのだった。「あなたは愛情があるから、長いこと彼を切れなかったんだと思う。私はあなたほどあの人に愛情はなかったし、彼に利用されて心身ともに削られていった。それに時間を共有しても得るものがなかったから、やめよう、と思って会うのを止めたんですよ。含み損みたいなもので、時間かけてじり安になるのがわかったから。時間ももったいないし、そんなのイヤだもん」「気づくのが遅かった。俺ってばかだなぁ」と社長さんが言う。誰でも裏切られればそれなりに傷つく。傷はいつか癒えるけれど、完全にきれいになるわけではなくて、傷跡として残る。それを勲章だとか、懐かしい思い出だと笑って済ませられるかは器量の問題なのかな、と思う。裏切られるのは辛いけれど、人を裏切ってのうのうと生きる生き方とどちらかしか選べないなら前者の方がいいなと思う。裏切った方は「あの時はああするしかなかったんだ」とか言い訳するのだろうけれど、それって自分自身をごまかしているだけで、精神的には幼少期から成長が止まっているんだと思う。学習してないから繰り返す。いくつになっても繰り返す。私はそういう人を相手にしないと決めた。「あの、同じようなことを経験したつもりだから言うんですけれど、急いで元気にならなくていいですから。何年もかけて、ゆっくり、ゆっくり、その人のことを思い出す回数や時間を減らしていけばいい。今は相手の失態やツキのなさをみて『ざまぁみろ』と思うかもしれないけれど、それはまだ相手を気にかけている状態で、頭の中に彼が住んでいる状態。それもだんだん居なくなるから。すっかり忘れて気にならなくなったときが、本当に縁が切れた、ということになるんだと思う」やるべきことは、できるだけ今後の人生でリアルにその人とかかわることを避け、自分の視界から消滅させることです、と付け加えた。「うん、そうかも」。社長さんは笑って、少し顔が落ち着いたようだった。私も頬が緩んだ。
2019年06月04日
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会社に人の悪口や他社の批判をよく口にする人がいる。私はそういう人、特に年配の人を見ると「気力や体力のある人だな」と舌を巻く。人に批判できるのだから、おそらく自分でしなければならないことはきちんとできていて、余力があるから他者をけしかけているはずだからだ。加齢と共に気力体力は衰え、記憶力も減退し、今まで当たり前にできることも少しずつできなくなってきた。できてたことができなくなっているのだから、早くいいやり方を見つけて変えていくしかない。私はその改善に一所懸命で、少なくとも人の批判にエネルギーや時間を割けなくなっている。他人を批判するときには、少なくとも自分はそこそこ完璧にできている、という自覚が必要だ。もしそれを棚上げして人の欠点を先にあげつらっている人がいるとしたら、優先順位が間違っている。どのみち、批判ばかりする人はこちらが思う正論を言っても面倒なのでスルーするに限る。相手が理屈っぽい人だったら、時間をとられるだけで、改善することもないし、自分にとっての実りは少ないからである。世の中「コスパ」だ「節約だ」と口をそろえて言うけれど、一番守るべきコスパは「自分のエネルギーの矛先を選び、無駄なところに向けないこと」だと思う。「金持ち喧嘩せず」ということわざもこのあたりから来ているのかなー。<お酒メモ>6月3日月曜日イタリアワイン プーリア州 白 ハーフボトルフランスワイン コートデュローヌ シラー 赤 グラスで1つグルジアワイン 赤 グラスで1つちょっと
2019年06月03日
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自分を省みたり内面を探ることを内観とか内省的というけれど、仏教の考え方というのは内省的な意味合いが強いと思う。「自分がどう感じたか」と「なぜそう思うのか」ということを突き詰めて、ある程度のところで放り投げてしまう。一定以上のところまで行くと「考えること」すらいったん止めてしまえ、となってしまう。恐らく考えることは大切だが、考え過ぎることも毒で、中庸を心がけなさい、ということが結論だとは思っている。仏教思考、坐禅も含めて、私は内省的なものが好きだ。キース・ジャレットのピアノを自宅で繰り返し聴くのも、彼は演奏を通して内観しているからだ。音を手繰って「自分の心が今どうなっているか」と確認しているように聴こえる。演奏はきわめて仏教的だ。内省的というのはいいことのように聞こえるかもしれないが、それがあまりにも過ぎると自分自身を責めたり、却って悩みの原因になったりする。「どうしてこんなことになってしまったのだろうか」と原因を探るのはいいが、その原因を自分自身に負わせて、罪をかぶろうとするように心が働くこともあるからだ。キースが一時慢性疲労症候群になったのも、内観をしすぎて、心の中の澱(おり)が手放せないくらい溜まってしまって、身動きがとれなくなったのでは、と思うときがある。人間は誰しも完璧ではなくて、どんな立派な人でも誰かに頼ったりすることもあるし、迷ったりすることもある。失敗もある。失敗を重ねて「まだわからないのか」と他人に指摘されて余計落ち込むこともある。そういうときに内観するのはいいけれど、し過ぎると自分を殺めてしまう。「少し追い込まれた感があったので会えて良かった」と友人からメールを貰って、自分では元気だと思っているのだけれど、気づかないうちに内観をやり過ぎているのかもしれない。白黒はっきりつけるのが万事においていいことではない、と頭ではわかっているのだけれど、なかなかそういう思考が手放せない。まだまだ未熟だな、と思う。
2019年06月02日
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昨日6月1日はサロンFUJIYAMAの開催日だった。どんなに忙しくても、ケガその他で行くことが難しくても、万難を排して行こうと思って通い続けて早14年目。継続は力なりというけれど、「行く理由」を考える前に「とりあえず行こう」といって続けることで見えるものもある。それは「人は環境の生き物だ」ということである。サロンFUJIYAMAの懇親会に出ていつも思うのだが、ここに来る人達は「人間がいい」。人好きがして、心優しい人が多いのである。普段、人を出し抜くこと、うまくやってやろうと思う人など競争状態に身を置くことの多い身としては、こういう人たちと会うと安堵するのである。それぞれが普段の生活でスペシャリストとして活躍しているのに、それを鼻に掛けたりおくびにも出さない。お互いがいたわりあっている様子を見ると、私の心はほぐれ、自分のささくれた部分も丸くなるような気がするのだ。もし自分に居場所がないと思う場だったら、また来ようと思わないし。「場」を主語にすれば「自浄作用が働いて、その環境に適さない人はいなくなる」といった感じだろうか。人は自ら居心地いい環境を無意識で選んでいるのだと、サロンFUJIYAMAをみてつくづく思う。主宰者の人徳なのだろうが、こういうコミュニティが続くことのお手伝いができて嬉しく思っている。
2019年05月30日
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メメント・モリ(memento mori)は「死を忘れるな」という意味のラテン語。この言葉を聞くといつも象徴派の絵画が頭に浮かぶ。『オルフェウスの竪琴』や『オフィーリア』など、美術館ではじめて見たときにはずっと立ち尽くしていて、何時間もそこに滞在していた。10代の頃の自分にとって死は甘美なものだった。と同時に恐怖もあった。死んだ後は真っ暗な世界で、思考すらできないというイメージが膨らんでいた小学生時代の私は、一時期、夜、布団に入るたびにしくしくと泣いていた。虚無が怖かったからだ。甘美さは「きれいに死にたい」という気持ちから。恐怖は「死んだ後には何もない」という無のネガティブな面が増幅していたから。でも、最近は恐怖が小さくなった。まぁみんな死ぬんだから仕方ないのよ、と。いつか来る日のことを考えてあれこれ言っても仕方ないんじゃないかと思うようになった。繊細さがなくなって、ただのおばさんになったからそう思うのかもしれないけれど(笑)先日、友人たちと連れ立って森の中を歩いているときにも、やはり生死のことをときどきぼんやり考えた。「あ、やっぱり自分は自然の中のワンオブゼムの存在でしかない。命ですら借り物なんだな」と。自分は自然から「リース」して生きているだけで、いつか返さないといけない。お返しするものだから、無碍に扱ってはいけない。だから自分がリースして生きているうちは、自然と調和しないことや、無用な人との軋轢を避けることを意識しなければいけない。自己承認欲求の肥大化や、欲望を満たすために手段を選ばず身勝手に生きることは、リースするときのトリセツがあったら禁止事項に当たるのかなぁと思ったのである。やることをやって、人に喜んでもらう。自分の人生の終わりをどうしたいかではなく、そんなことも年齢も忘れて目の前のことに一心不乱に取り組む。こうやって死にたい、と言う人は多いけれど、自分の人生をどうしてそこまでドラマティックに演出したり、筋書きを書きたいのか。そんなのは神様の仕事であって、自分で「こうしたい」と思って動くこと自体、傲慢でおこがましいのではないか。なんで多くの人は自分自身を一番大切にして猫かわいがりするんだろうね。私にはわからない。自分よりも尊い存在を貶めないように生きるようにすることのほうが、すべきことなんじゃないかな。だから死ぬ直前まで「死ぬ」ことについてあれこれ考えるのを止めて、あるいは忘れて、一所懸命生きる。脱メメント・モリとでもいえばいいのだろうか。それでいいじゃない。<お酒メモ>5月27日月曜日キャッチザビア Cedar Belgian 小瓶1つイタリア 微発泡白ワイン グラスで2つイタリア L`Arco 2014 Rosso del veronese グラスで2つシャブリ 白 グラスで1つイタリア サンジョベーゼ100% 赤 グラスで3つ5月28日火曜日屋久の島、同 原酒など ストレートでダブルくらいの量キャッチザビア ユズ ドラフト生1つキャッチザビア タンカン 生 おためしくらいのちょっと量フランス 白 ソーヴィニヨンブラン グラスで2つフランス 赤 シラー&メルロ グラスで2つ
2019年05月26日
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昨晩は1時間近くかけて歩いて帰った。別にタクシーを捕まえてもよかったのだが、それまでの数時間、人と会っているときに電話とメールが10件近く入っていたので、歩きながらその処理をすればいいのかな、そのほうがいいかもなと思ったのだ。鞄は重かったけれど、それなりにここちいい気温だったので歩くのはさほど苦ではなく、ひとつ電話をし終えるまでの間に別の電話やらメールでお誘いその他が入ってきて(お誘いは結局破談になったが)、退屈はしなかった。ジムも通っていないし、トレーニングもしていない。唯一する運動といえば「何かにかこつけて歩く」くらいしか思い浮かばない。ここ最近あまり食事が喉を通らなくなっていて、昨日の会食も(話が重たかったので)ナイフとフォークを持つ手が震えて、うまく食べられなかった。早食いの私が一番食べるのが遅くなるくらい珍しくて。ああ精神的に追い込まれているんだなと思った。それでも歩く速度は変わらない。歩いているうちに少し気持ちは上向く。ランナーズハイならぬウォーキングハイなのだろうか?食事回数が少ない時のほうがむしろ身体はよく動く。断食して坐禅するときの快適さに似ている。エネルギーがすべて呼吸に使われ、集中できるからなのかもしれない。富士山に登ったときも、7合目でワインをハーフボトルくらい空けて軽い夕食を食べて登頂した。下山までは水1Lのみで、お菓子も食べず、持たされた朝食用の弁当も途中で人にあげてしまったくらいだ。ようやく帰宅すると、それなりに脚はパンパンになっていて。お茶を淹れようとお湯を沸かしたのに、それをする気にもなれず早々に床につく。心の疲弊なのか、身体の疲れなのかわからないけれど、もう私はまどろんでいた。それともワインが効いたのかな。<お酒メモ>5月21日火曜日サシカイア SASSICAIA(TENUTA SAN GUIDO) 2015 イタリア 赤 グラスで2つ半
2019年05月21日
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かねがね「毎日本決算」と言って憚らない私。今日死んだとしても「幸せだった」と思えるように、日常のささやかなこととか、その日にあったいいこととか、クスリと笑えるようなネタを探している。悲しみや後悔を抱えて死を迎えるのは勿体無いからだ。スティーブ・ジョブズも同じようなことを言っていたそうだ。かの有名な、スタンフォード大でのスピーチを改めて見たのだが、おそらくこの部分だと思う。――私は17歳の時、こんなような言葉を本で読みました。「毎日、これが人生最後の日と思って生きてみなさい。そうすればいつかそれが正しいとわかる日がくるだろう」それは強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから33年間私は毎朝鏡を見てこう自分に問い掛けてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいことだろうか?」それに対する答えが“NO”の日が何日も続くと、何かを変える必要があるなと気が付くわけです。私が考えているニュアンスは異なるけれど、坐禅に親しんでいたジョブズは、10代から仏教に興味を持っていたのだということがよくわかる一節である。仏教では、人生はひとつなぎの線ではなく、あくまでその瞬間の「点」が細かく存在しているだけで、その点を人間は振り返ってつなぎあわせて線だと認識しているだけだ、というような考え方がある。だからこそ、時間の「区切り」を細かく認識して見る練習が必要になってくる。思考を切る、時間を細かくして感じていく。そのトレーニングが坐禅なのかなと私は思っている。そして坐禅を続けていると、その感覚が理解できるようになってくる(ような気がする)。ジョブズも同じような視座を持っているからこそ、上記のような発言になったのかな、と感じる。スピーチを読み返してみると、とても穏やかな文章だなと思う。一切の揺れも曇りもない静かな水面のようだ。若者を励ますため、人生を語るための名スピーチだと世間では評されているが、私が感じるのは、誰かを鼓舞するものではなくて、そこにあるのはただ諦念だけではないかと。ジョブズの母校のスタンフォード大は燦燦と光降り注ぐ美しい建物で、どちらかというと陽気な印象だが、あそこで話した内容にしては想像がつかないほど落ち着いたスピーチ。でも手の切れるようなスピーチ。美しいが隙のない刃物ののようなものに見える。ジョブズのこのスピーチは2005年のもので、その6年後の2011年に亡くなった。すい臓がんが進行して痩せ細った姿でマスコミの前に登場したのが2008年だった。もう10年以上前になるが、スタンフォード大学に行ったことがある。私はジョブズの凄さも、このスピーチのこともちっとも知らなかった。伝説的と言われている名スピーチがそこで行われていたと知っていたら、もう少し違った滞在をしたかもしれない。
2019年05月18日
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「糖質とらなさすぎだよ」と最近周囲に指摘される。日本酒を呑んでいるし、糖質ダイエットしているわけではないのだが…。1日1食(に豆乳)で10年くらい生活しているが、このところ野菜比率やナッツ類の比率が増えたせいかな、一時期の不眠症のときの体重まで痩せてきた。現在高校時代の体重(^^;ただ、週末風呂上りに自分の身体を鏡で見たときに、胸の間の肋骨が結構浮き出ているのに気付いた。うーむこれはやばいかも、と自覚。この間指が痩せて手を組むと痛いなと感じたのだが、全体的に痩せてきているみたいだ。「ゆっくり拒食症になってる」と友人に強く言われたこともあり、緩慢な自殺にならないように気を付けないと。ハイカロリーのカレーでも食べようか。ウコンに含まれるクルクミンは認知症予防になるそうで、世界でもインド人の認知症比率は劇的に低いのだとか。<お酒メモ>5月15日水曜日 追記而今 雄町無濾過生 1合5月16日木曜日オンザクラウド(タップマルシェ) グラスで1つロッソ イタリア 赤 ハーフボトル5月17日金曜日小布施 ソーヴィニヨンブラン 白 ハーフボトル而今 雄町無濾過生 2合5月18日土曜日天明 純米吟醸 半合央 五百万石 半合大和屋善内 生原酒、純米吟醸 各半合ずつ写楽 生 半合ギネス 生 2パイントワイン イタリア 赤 ハーフボトル5月19日日曜日アサヒスーパードライ 生中1つ小布施 ソーヴィニヨンブラン 白 ハーフボトル小布施 シャルドネ 白 ハーフボトル而今 雄町無濾過生 1合弱
2019年05月17日
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東進ハイスクールを運営している学習塾のナガセ(9733)を全株売却した。東日本大震災よりももっと前、のべ10年くらい保有していた。債券感覚で持っていたのでいつも株価は気にしておらずほったらかしだったのだが、普段から流動性はないし、「MBOするかな、するかな?」と思っていたけれどなかなかしないので、このたびの自社株買いでお買い上げいただいて、お別れしようかなと思って指値をいれておいたのだった。配当利回りベースで見ても、他に割安株もあるし、指標的にはなぁ、という感じなので、「ずっと連れ添ったから」という気持ちでのんべんだらりと保有するのを止め、新しい株に資金を投資することを決意したというわけである。これが「大航海」になるのか「大後悔」になるのかは定かでないけれど…(^^;ここの会社は社長の審美眼が良いということで保有していたが、どうも社風は軍隊形式。株主総会に行けばケータイや鞄を預かられる徹底ぶりで、会場は四方を黒背広の社員が固め、社長が話すたびに一糸乱れず立ち上がり、大声で「異議なし」と唱える。北朝鮮か!(笑)入社して数年で辞めていく人も多い。幹部と社長の意識の間にズレがあるのは総会でもひしひしと伝わった。おそらく野村證券出身の永瀬社長が亡くなった後は株価もガタガタになってしまうと、保有当時から感じていた。少しの焦燥感と、清々しさと。いつも株を売却するとそういう気持ちに囚われる。「今までお世話になりました」と心の中でつぶやいて、また新しい株を探すつもりだ。人間関係も含め、知り合ったり交流を持ち始めるときの礼儀も大切だけれど、別れるときのごあいさつができない人は一番だめだ。どんな政敵の葬式にもかけつけた田中角栄はこう言っていた。「祝いごとには遅れてもいい。ただし葬式には真っ先に駆け付けろ。本当に人が悲しんでいるときに寄り添ってやることが大事だ」。うん、わかるわかる。本当にそう思うよ。
2019年05月15日
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相当こじれた人間関係があって、時間をかけてそれをやっと克服したと思ったのだが、先日その人の話を別方面から聞いた。話してくれた人はこちらの事情もよく知っている方で、話した人自身も思い悩んでいるようで、「もう私は平気だから」とこちらがフォローに回ったのだが、途中で私の手は震えていた。その晩は悪夢を見て寝汗をびっしょりかいた。眠りも浅く、腸がどきどきしていた。そうしてしばらくあまり体調はよくないのだが、仕事もあるのでいろいろ動いているのだが、先日またも倒れてしまった。急な依頼を取引先にしている最中だったのだが、身体のほうが悲鳴をあげていて、病院のベッドに小一時間寝かしつけられていた。会社に戻り、急な仕事が入ったことと体調が悪い旨告げて顛末を語ると「顔が焼けてるぞ」と。肌もひりひりしていたので、倒れているときにかなり日差しに当たったのかなと思ったけれど、後で考えてみると「酒焼け」という嫌味だったということに気付いた。この上司、私が過労で失神して頭を出血したときに、酒だろう、と決め付けていた人物で、何も変わっていないなと思った。なんだか悲しいなと思ったが、そんなことを思う前に手が震えて全身が寒かった。2年前に精神的に私を追い詰められた人たちだけれど、何だ私の方は変われた、治ったと思ったのに、こちらも変わっていないのかな。完治にはまだ時間がかかりそうだ。
2019年05月11日
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就活生の相談に時々乗るのだが、ふと、自分の就職活動のときは何を話したのかな?と思った。けっこう前のことだけれど、今でもはっきり思い出せて、「世の中に笑いが少ないので、笑いが増えるようにしたい」ということを志望動機を聞かれたときに言った。自分でもかなり抽象的だなと思うのだが、要は充足から来る笑顔でも、お笑いを見て笑うでもいいのだけれど、24時間のうち、笑っている割合が増えれば幸福感を感じ、笑っている人が増えれば世の中明るくなるという理屈である。当時と今でも価値観は変わらない。相変わらず世の中に「笑い」が増えればいいなと思っているし、どうしたらそのお手伝いができるのか、その方法論ばかり考えている。墓場の手前まで持っていけるのは金ではなく記憶だけだ。ならば快い感覚とか経験とか、それを生み出すためのコツや知識をできるだけ多くの人に振りまくことをすればいい。私のコンセプトはこれ以上でもこれ以下でもなくて、仕事でもプライベートでも「それを成し遂げるためにはどうしたらいいのか、何をしたらいいのか」ということをベースに考え、やることを決めている。「面白きことなき世を面白く」というのは高杉晋作の辞世の句。面白くない世の中を面白くしたいという意味だが、この句の続きに「すみなすものは心なりけり」という言葉がある。続きの句は連歌よろしく、高杉自身が言ったわけではないと伝えられている。意味するところとしては「すべては心次第」。つまり、物の見方を変えることができたり、気の持ちようで世の中は面白く見える(なる)ということである。特にこの言葉を座右の銘にしているわけではないのだが「わかるわかる」と共感はできる。他人が面白がっているのを見るのは心地よい。私の心もあったかくなるので、損得勘定なしに今日も人を笑わせようとしている。だって面白いんだもの。<お酒メモ>5月9日木曜日蒼空 美山錦 1合半紀土 純米吟醸 1合半 加茂錦 荷札 純米大吟醸 生 1合くどき上手 純米大吟醸 ひとくち鳳凰美田 純米大吟醸 1合半
2019年05月10日
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認知症やせん妄のよくある特徴に「物を盗んだ」「お金がなくなった」というものがある。自分(たとえばわたし雅)がそんなことをしていなくても、相手がそう言ってきた場合は、その言葉を真に受けて傷つくのではなく「相手が病気だ」と割り切って納得するしかない。ガイドラインではそう促している。肉親がそうなったら「私は盗んだりはしていないが、(たとえば親が)認知症になってしまって…」と説明すれば周囲は納得してくれるし、自分の濡れ衣は晴れるけれど、これが肉親以外だったりすると少し話がややこしくなる。ない嫌疑をかけられて、自分自身が困惑しているのに、第3者にも自分の評価が悪いほうに変わってしまうことが出てくるからだ。そういう経験があるかといわれれば「ある」。親にも親でなくても「ある」。今なら多少の強がり込みで「私をどうしてくれたんだ、この野郎」といえるけれど、なんだか随分なことをされたんだなと思う。信じていた人や頼りにしていた人に泥棒扱いされれば、誰しも傷つく。特に意識していない人に裏切られるより何倍もつらい。「つらいからそんなこと言わないで」と相手に懇願しても相手は理解できない。反証して自分の身の潔白を証明する選択肢はない。結果、苦しみだけが自分の中に残ってしまう。同じような目に遭っている人に出会うと、どうにかしてこの人の役に立ちたいと思うけれど、話を聞くことしかできない。私の場合は頭がおかしくなりそう(というかおかしくなった)になって、長々と友人に話を聞いてもらった。オートリバースが延々と続くカセットテープのように同じことを言ってたんだと思う。口に出して言葉にできているのに、自分の頭で理解ができないからだ。私自身が壊れてしまった償いを、妄想を言った本人自身ではなく、他の人にしてもらったことを、後で本当に申し訳なく思った。大きな借りを作った。だからなのか、そのときのお返しというわけではないけれど、同じ境遇の人の話を聞く。傾聴が一番の薬かどうかはわからないけれど。「お前が盗んだ」と言葉を浴びせた人たちは、今日もどこ吹く風と言った風情。恨む気持ちはないが、自分の視界からはできるだけ消滅して欲しいと思う。もう私の世界には要らないから。
2019年05月09日
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平成最後の日に「どうぞ」と品物をいただいた。包みを開いてみると、令和とかかれた最中が2つ。四角くて香ばしい最中と、鯛の形をした皮がピンク色のおめでたそうな最中だった。最中は結構好き。特にさくさくのものは非常に香ばしいので、日持ちするのはわかるけれど、匂いが消えないうちに早めにいただくことにしている。意外と豆乳と一緒にいただくと、口中調味がいい感じなので、もらったりすると朝食べたりすることが多い。餡は太ると思われがちだが、甘い割には実はカロリーはそんなに多くない。しかも砂糖に比べて血糖値の下降が緩やかで長いので、腹持ちもいい。低血糖や2型糖尿の人は、ふらつきがあったら、まず餡の入ったものを食べると、身体へのダメージが少なく、比較的すみやかに全身に糖が行き渡るのでおすすめである。<お酒メモ>5月8日水曜日而今 千本錦無濾過生原酒 2合宗玄 生原酒 金ラベルの。 1合
2019年05月08日
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5月に入り令和になったが、今上天皇は「水」を専門領域として研究している。地球の90%が水で構成されており、体内のほとんどが水でできていることを考えると、水は健康の上でかなり重要なキーワードだと思う。私は衣服や身なりはあまり気にしないのだが、食べ物と飲み物には興味がものすごくある。ある。とりわけ10年前くらいから1日1食程度になり、固形物をあまり摂らない生活になってからは、水については割と気にして生活してきたと思う。以前から浄水器は使用していたが、東日本震災後は軍事用にも使われていたという(自分にとっては)かなり高額の浄水器を使っている。自宅にあるものでは、冷蔵庫よりも高額で、買い物としては一番ではないかと思う。プラセボかもしれないが、味噌汁のお出汁を摂るときとか、米を研ぐときにもそれを使うようになってからは、料理の腕は上がっていないのだが、以前よりもおいしいなと感じるようになった。カートリッジは2年弱に1度くらい取り換えている。これも万単位とお高いのだが、必要経費だと思って目をつぶって交換(笑)。自炊する日は1日のコストは500円以下なので、そういう生活水準から考えるといかに水にお金をかけているかご理解いただけるのかな、と思う。ただ、計算すれば2Lのペットボトルを買って飲み水として利用し、1年半過ごすのと同じくらいの金額なので、よくよく考えればそう高い散財ではなく、むしろ水の持ち運びの手間が省けるのでいいのかなと思っている。GW中に新物にしたのだが、クラスタ(粒)が細かいのか、米の研ぎ汁の色とか、炊いている時の香りが依然と全く違う。効果を実感している。この浄水器は、友人の美容整形医もすごく勧めていた。あるとき友人のホームパーティに招かれた時に会った医者なのだが、曰く「きれいな水を継続的に摂取すると、老化が遅くなる。古い水道管のさびだったり、トリハロメタンその他の酸化物質を減らすことをちょっとでも心がけていくと、それが積み重ねって少しずつ同年代より老化がスローになる」そう。私自身、あんまり肌をケアしていないのだが、乱暴に扱ってきた割には年齢肌は標準なので結構この話は信ぴょう性があると思って水だけは気を付けている。もう8年くらいこの浄水器生活になっているが、やはり慣れると普通の水との差異に気づくことが多い。会社の給湯器のお湯やお茶がしんどくなってしまったので、ペットボトルに自分で作ったお茶を持っていくようになった。飲食店に行って、出て来た普通の水道水を飲むと苦く感じることがあって、喉が渇いているのに飲むことを身体が拒否することがある。面倒な身体になったと思いつつ、それを一緒にいる相手に気づかれないようにやりすごしながら、身体のサインには従うようにしている。<お酒メモ>5月5日日曜日越乃寒梅 灑 2合半小布施 日本酒 6号酵母 1合半
2019年05月04日
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個人投資家の間で長らく論議されているテーマの一つに「バリュー消費」というのはある。別名「コジ活」。つまり優待券その他を活用して、いかに生活費を下げるかということを模索していくというものである。でも私は、個人投資家一般が言う「バリュー消費」の概念はちょっと違うんじゃないかと思っている。これは節約、という言葉で言い換えられてしまう。本源的価値と入手する価値の差異の幅が大きければ大きいほど「バリュー」だというのが本来の意味。だから、価格のついているものが無料で手に入ればバリュー、お惣菜が閉店前に半値シールを貼られたらバリューという考え方もわからなくはないが、「健康」という軸で考えると、先に述べたコジ活的バリューは老化(人生で満足に動ける残り時間)とトレードオフしていて得ではない気がする。見切品になったものは手軽に入るが、酸化していたりすることも多い。キャンペーンやイベントで使用するものも、普段と同じものよりはランクを下げて提供することだってある。それを手に入れるために待つ時間で、できること、稼げることがあるのなら、ただ口を開けて待って「タダに近い」ことをやめて、動くことに集中したほうが得なのではないかと私は思う。億を稼ぐトレーダーで、自分と歳が近いのに「あーあ」と感じる人に出会うことがある。身体が垂れているのだ。(あえてこの呼称を用いるが)「でぶ」が悪いわけではない。健康的なでぶもいるし、鍛えている結果身体が大きい人もいる。痩せていてもメンテを怠っていて「あ、この人早く年取っちゃいそうだな」と思う人もいる。お金を稼ぐこと(運用)にお金を投資しすぎて、自分という資本を台無しにしているのだ。こんなのはバリューじゃない。繰り返すが、私はそう思う。特売や旬の新鮮な野菜や肉を買って早めに調理して摂取する。単純なことだがこれが一番バリュー消費だと思う。人間の老化のカギを握る「テロメア」は、短くなるほど死に近づくが、これの伸びが遅くなる条件として、遺伝以外に、酸化する生活習慣をどれだけ積み重ねているかというのが影響してくる。(個人差が大きいストレスは除外するとして)つまり、●酵素の摂取量●呼吸回数(体外よりも体内酸素を上手に活用していく)●エネルギー変換スピードを遅くするということが肝になるのではないか。酵素については「食生活で新鮮なものを摂る」、呼吸回数については「運動またはヨガや坐禅など呼吸コントロールのコツをつかむ」、エネルギー変換については、カロリーベースの食生活に疑義が出ている昨今、断食や野菜・タンパク中心の適度なローエネルギー生活に変えていくことが否決なんじゃないかと個人的には考えている。長く充実した生活をするために、多くの人はお金を貯めることにあこがれるのであって、既にお金があるのに、健康を損なってまでお金をケチるのは、人生の運用方針として「残念」としか思えない。<お酒メモ>4月30日火曜日イタリア 赤ハウスワイン ハーフボトル睡龍 純米吟醸 0.5合睡龍 生酛のどぶ 1.5合ヱビス 缶 コップで1つボルドー 白 ハーフボトル
2019年04月30日
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先日ご紹介した秘湯「天狗の湯」(北温泉)のビジュアルの面白さのせいか、思いの外反響があったので、もうひとつ秘湯をご紹介^^とはいっても、こちらは有名な温泉。場所が秋田の奥で、飛行機でも陸路で車でも行くのにそれなりに時間がかかるので、秘湯扱いになっているというほうが正確な表現かと。がんに効くと謳われていて、全国から人が続々と訪れる。医者に見放された、とか、治療法がもう見つからないという患者さんたちが「奇跡」を願って集う温泉である。草津温泉よりも更にハードなpH1.4の強酸泉。しかもラドン放射線を含んでいる。源泉をたくさん飲みすぎたり、飲泉後、水でうがいをしないと歯がとけてしまうほどだ。日帰り温泉はおとな800円。JAFカードを提示すると200円のタオルが無料でついてくる(私は持ってなかったけど)。浴槽は源泉50%、100%、弱酸性泉、ぬる湯、あつ湯、蒸し湯などバラエティに富んでいる。源泉100%に入ってみたが、お風呂好きの私でも10秒で痛痒い。一挙に身体を針でさされている感じ。それにかゆみが加わってつい掻きたくなる。拷問に近い(笑)耐えながら30秒数えて浸かったがそれでもう限界だった。聞けば、肌がデリケートな人は痒くてたまらなくなるという。私は草津温泉のお湯にも負けるので、むべなるかな。温泉場では湯に浸かりながらの知らない人とのトークも醍醐味のひとつだが、ここでも話に花が咲く。何度も玉川温泉を訪れている常連らしき女性曰く「玉川温泉はその昔、もっと湯が濃かった」という。飲泉用もわざと薄めてから提供しているとのこと。酸があまりにも強いことからかつては毒泉と呼ばれ、周囲の農作物が枯れてしまうので、土壌改良を行ったが、それでも改善は見られず、ついには付近の田沢湖に一部の源泉を流すことで中和を図ろうとしたが、透明度が高く澄んだ田沢湖の水質汚染のスピードはすざまじく、余計「土地荒れ」が広がってしまったという逸話もある。「毒泉」と異名で言われるお湯だけあって、5分も浸かっていれば十分効果は得られるという。浸かるとしばらくして身体の中で悪い部分を覆う皮膚の辺りに、赤い湿疹が出てくる。私の場合はなぜかひじ、首の頚椎とお尻だったのだが(^^;「健康ならその湿疹は3日でぽろぽろ剥がれ落ちてなくなるから」と常連らしき人からのアドバイスどおり、翌日にはぽろぽろはがれてなくなった。湿疹ができたときから「あなたは多分健康だからすぐに剥がれるよ」と言われて、どこを見てそう思われたのかはわからないが、予言どおり(笑)になってほっとした。お湯自体はそんなに熱くないのだが、湯冷めしにくく、かえって骨から熱さを感じるくらい。いわゆる内部被爆なのだろうか、燃えているという表現がぴったりである。そういえば中島みゆきが人気なのは「悲しいときにおどろおどろしい歌詞を聴くことでどん底に落ち、不思議と勇気がわいてくる」、いわゆる一種のショック療法を人が求めるからだと思っているが、玉川温泉も「わざと身体にきつめのショックを与えて、免疫を活性化させて自己治癒力を高めて病気を治す」わけで。温泉界の「中島みゆき」やー(彦麻呂風に)…あ、滑ったかな(^^;不思議なお湯ということは確かである。生前、星野仙一さんの奥様が先にがんになられたときにここに通ったと聞いている。箱根の地獄谷も、那須の殺生石付近が可愛く思えるくらい、ダイナミックな光景。大噴(おおぶき)と呼ばれる湯元(※写真2枚目)からちょっと岩場を歩いて行くと、小屋が立ち並んでいる。中ではゴザを敷いて、具合が悪そうな人が九十九折になって寝そべっている。まるで野戦病院だ。そこに入れない人は周囲の平たいところに寝そべって身体を布で覆っている。地熱とガスをただひたすらに浴びて、治癒を待つその姿は、「自分が物見遊佐で来るところじゃないのかな」と思わせるほど、真剣で何かにすがりたいという熱気に満ちている。<お酒メモ>4月22日月曜日メルロ&カベルネ ボルドー 赤 グラスで2つシャトーポールマス 赤 グラスで3つ4月23日火曜日グレイス山麓茅ヶ岳 白 グラスで2つ新政 ヴィジリアン 2合而今 山田錦無濾過生 1合半
2019年04月23日
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私は常々「海苔は白髪の抑止力」だと思っているのだが、それを人に話すと「迷信だって」「プラセボだよw」といわれる。先日も美容師さんとその話題になって「ぎゃはは」と一蹴された。ところが先日、きれい目の51歳の女性と話をしていて白髪の話になった。聞けば、まだ白髪はないらしく、染めてもいないのだが、小さい頃から海苔が好きで、普通の人が想像付かないくらいの量を食べているのだという。親戚との比較だが、私も年齢の割にはまだ白髪が少ないのは、海苔をよく食べているからなのかなと思う。少し前に会った美容家さんも「そうはいってもやっぱり海苔は髪にいいの。黒くなるの」と力説していたし、まだ解析されていない効能があるんだと信じて、今日も海苔をパリパリやろうと思う。
2019年04月21日
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以前に比べて秘湯に出会うことが増えた。昔からある湯治場は、最寄の駐車場からしばらく歩いて行くところが多い。もちろんシャワーなどの設備はないのが当たり前で(たまーにあるが)、タオルも持参か、その場で購入しなければならない。普通の人は快適で便利な生活に慣れているので不便きわまりないのだが、私はあまり気にしないので、見つけると嬉々として入ってしまう。天狗の湯もそのひとつ。那須の奥の「北温泉」というところの混浴可能な湯である。映画『テルマエ ロマエ』のロケ地にも使われたこの温泉は、もともとは「北温泉」ではなく、立地上岐路が多いことから「岐多温泉」という漢字が充てられていたそうだ。天狗の湯は写真の通り大きな天狗が掲げられ、かなりシュール。別名「子宝の湯」とも呼ばれ、子供を授かりたいカップルが訪れ、奥の神社で絵馬を掲げて祈願するのだという。九尾の狐が石となり人を殺すガスを放ち続けるという逸話の「殺生石」があるところのさらに奥にある温泉なので、硫黄泉で酸性だと思いがちだが、不思議とそこはアルカリ泉質で、身体になじみやすく、丸い泉質。女性専用の古ヒノキづくりの浴槽の「目の湯」は、タオルに温泉をかけて目に浸すと眼病や視力回復に役立つといわれている。ぬるめの湯なので、雪深い中で入ると実に心地よい。薪で沸かしているので、冷えづらいし、結構おススメです^^
2019年04月20日
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ロスから帰国した友人に久々に会ったのだが開口一番「ねぇ、空気悪くない?」と言った。私も含め、会社で近くの席の人とか、友人が軒並み喉や鼻をやられていて、最初は花粉かと思ったのだが、その発言を聞いて「もしかして黄砂かも」とふと思った。基本的に温暖化が進むと、大気中に含まれる水分量が増え、雨が降りやすくなる。となると温暖化傾向にある昨今は黄砂の量は減るはずなのだが、近年の異常気象を考えると、海流温の異常で突風や寒暖差が激しくなっている。台風のルートも変わってきているので、風が吹く方角も以前とは異なってきているといえる。黄砂は文字通りの黄色いただの砂ではない。小さなちりを伴うし、その中には有毒と言われているPM2.5も含まれている。これが日本の花粉症の現況なのではないか?と最近思うようになったのだ。スギ花粉のピークはとうに過ぎ、ヒノキの時期になっているので、いま鼻やのどがぐずぐずしている人はヒノキ花粉症だと思っているかもしれないが、もしかしたらPM2.5の作用かもしれない。インバウンドの外国人が、花粉症でもないのに日本に来ると花粉症の症状を呈する、地方でスギヒノキに囲まれた人が東京に来ると花粉症になる。これも土壌に吸収されず、絶えずアスファルト上で舞い続けるこれら物質のせいではないかな?などと感じている。粒子がとかく細かいので、マスクをしてもあまり状況は変わらないので、あと10日くらいはなるべく窓をあけないようにするとか、家に入る前に羽織っているものをはたくなどして減らすしかなさそうだ。<お酒メモ>4月6日土曜日香るエール 缶 グラスで1つレ・ゼリティエール・デュ・コント・ラフォン ヴィレ・クレッセ 2013 フランス 白 グラスで1つドメーヌ・ミシェル・ニーロン シャサーニュ・モンラッシェ クロ・ド・ラ・マルトロワ プルミエ・クリュ ブラン 2013 フランス 白 グラスで2つrindo 2016 ナパバレー 赤 グラスで2つOVERTURE ナパバレー赤 グラスで2つcoonawarra カベルネソーヴィニヨン 2013 オーストラリア 赤 グラスで1つ小布施 イケダさんの米で作った6号酵母日本酒 1合弱4月8日月曜日而今 山田錦純米吟醸無濾過生 1合小布施 4号酵母 2合小布施 5号酵母 2合
2019年04月09日
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私の風邪はいつも喉からはじまる。数日前、起きたら少し喉がひりひりしていた。この状況は「気を付けないと風邪になる」というサイン。本当は酒を呑まずにおとなしく生活するのが一番だが、楽しい約束も重なっていたのでそうもいかない。ここ数日は仕事の面倒なメールや電話が明け方だの入ってきて、ゆっくり眠れていない。(思うのだが、なぜ朝5時とか6時とか7時に、普通のe-mailで済む内容をわざわざSMSで連絡してくるのかが解せない。朝から合コンの誘いを送ってくる非常識な人もいる。メールする時間に配慮がない人との交流ってつきあいをつい考え直したくなる)ということで、喉の殺菌を兼ねて起き抜けに紅茶を淹れる。ポリフェノールは殺菌作用がある。ということはいつも通り緑茶を淹れてもいいのだが、緑茶は渋みが喉に当たるきらいがある。マグカップ1杯あたりのポリフェノール含有量は緑茶の方が多いのだが、風邪の引き始めには飲みづらいと感じることもあり、身体に速やかに入っていく紅茶を作るようにしている。免疫低下で身体が冷えていれば、淹れた紅茶にスライスしたショウガを入れてジンジャーティにすれば身体は早く温まる。そこにはちみつを入れれば殺菌作用はさらに増すし、ビタミンなども摂れるので効率がいい。食欲がなくてもそれなりのバランスで栄養摂取できる。経験上、風邪の引き始めは緑茶よりも紅茶の方が具合がいいのかな?と感じている。
2019年04月07日
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生とり貝を味わえる季節になった。先っぽのかたちが鳥の口ばしに似ているからその菜がついたという。鮨ネタの中でも生とり貝は時期がとても短くて、しかも春の訪れを告げるころはたけのこ同様、若いのにとてもふくよかで、みずみずしい香りがする。10代後半とか20代のころは自分もこんなだったはず…いや、このネタやめよう( -_-)自分の稼ぎにしては(かなり)背伸びして、なるべく四季折々の魚を食べようと決めてから1年以上が経つ。意地汚いと思いつつ、作り手の技と気持ちと残っている体力、そして魚自体の美しさを記念に残しておきたいなと思って、こうしてブログに載せている。ひとつひとつの仕事が本当に丁寧で、うっとりとした気持ちになる。お金は幸せになるために遣うものだが、私にとってはこういう遣い方が一番いいのかもしれない。生とり貝は貝から身を外してひっぱたくのだが、こうすると身が締まり、食感がさらによくなる。「ぺちょー」っとしただらしない感じから、歯ごたえが俄然出てくるのだ。だいたい「ひっぱたき」の時には、職人さんが「カミさんの顔を思い浮かべながら作業してます」と冗談を言うのが95%なのだが、その「あるある」の会話も楽しい。とり貝自体は春夏食べられるが、春先の生とり貝は香りも甘さも段違い。だからこの時期ならではのものだと思っている。貝類は免疫力が高く、傷口を治す作用があると昔からいわれている。特にとり貝はビタミンBや副腎を助ける働きをするパテントン酸も豊富だ。歳を重ねて貝が好きになったのは、身体がそういうものを欲しているからなのかもしれない。
2019年03月25日
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深夜から腸がしくしくと泣いてまったく眠れないまま朝を迎えた。私は親の言うことはほとんど聞かずに育ち、会社でも上司の言うことを聞かないと言われるが、腸の言うことには従う。今朝も結局「動くと(身体全体が)ひどくなるよ」という感じだったので、飛び石連休のはざまで、対外的に非常に感じが悪いのだが、休暇を取った。なんで腸の言うことは素直に聞くかというと、どうも腸の調子如何によってその後の健康状態が変わるのだ。炭鉱のカナリア的な位置づけなのである。「腸造血説」という学説があり、提唱した医師の名前をとって千島学説と呼ばれることもある。これは葬られた学説と言われているのだが、要は「血液は腸で作られる」というもの。血液は骨髄が作るというのが常識ということで、一笑に付されていたが、最新の学術誌では、一部腸の繊毛で作られる血球もある、ということがわかってきた。人間、何かのパーツが欠ければ他の何かがある程度補ってくれるものだと思っている私は、人に笑われようと腸の様子を頼りにしている。もともと骨髄は空腹状態や飢餓状態だと血液を作る能力が鈍くなる(らしい)ので、食事回数が少ない自分は、腸によるところが大きいのではないかと思っている。第一、最低必要な1日の平均カロリーを摂っていない生活を10年くらいしているのに、他の人より健康に見え、痩せているように見えないそうだ。仙人が食べる霞じゃないが、食べ物の匂いだけでお腹いっぱいになることもある私の腸が別の働きも担ってくれていてもおかしくはないのである。「お茶と水だけでいい。あとはトイレに行ってくれればいい」と腸が言うものだから、その通りにしていたら、腸の動悸が収まり、汗をたくさんかいて体内の変な粗熱もとれてきた。3日前からの頭痛も全快ではないが少し楽にはなっていて、お休みしてよかったのかなと思っている。
2019年03月21日
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この1カ月、いろいろな事情があり、いつもよりはちょっと肌の手入れをしていた。といっても、普段の洗顔をいつも以上にちゃんとやるとか、その後に化粧水をつけるだけだったのが、浸透を高めるためのやり方に切り替えるだとか、そういったひと手間ふた手間だけだが。とはいえ、何だか肌がふっくらしてきて「これは面白い」と思い始めている。肌のシワとかしみというのは「保湿」「日光の遮蔽」がカギになると言われている。ただ、日焼け止めクリームを塗るとどうも皮膚呼吸ができないし、夜の洗顔が2度必要になり、肌が負けてしまうので、それはほぼサボっている。そのかわり保湿はちゃんとやるようにしていて、たまに化粧水をジャブジャブ使って5分くらい集中的に肌にしみこませたり、20代の時に愛用していたが、長らく使っていなかったブランドの美容液を週末の朝だけつけるようにしていた。これだけでも随分変わってきた。その中で一番効果を感じたのは「クリーム」である。保湿するときに「洗顔→化粧水(→美容液)→クリーム」なのだが、化粧水のあとクリームを塗るだけでオフィスの暖房の風その他による乾燥が激減した。高いものを使っていないので、多分クリームで毛穴の蓋をするというのが改善のポイントだったんだと思う。クリームを使ってもうひとつ起きた変化が「花粉症が和らぐ」。笑われるかもしれないが、今年はかなり軽微なのである。思えば昨年大ヒットした資生堂の「ihada」という花粉症止めのクリームは鼻の中の皮膚呼吸する部分にクリームを塗って「蓋」をすることで、花粉症を押さえるという商品である。別に私は顔用のクリームを鼻の穴に塗っているわけではないのだが、それでも顔の表面の毛穴にクリームを入れてブロックすることで、今年は炎症が軽いのではないかと感じ始めている。初夏を感じる頃までは、気温変化で肌も荒れやすいらしいので、このクリームによるお手入れを続けようかと思っている。花粉症への効果もあるとすれば一石二鳥ですしね(^^)
2019年03月19日
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ちなみに、先日ガレットを注文したお店があまりにも気に入ったので、翌日また足を運んだ。食が細いので、1度に2枚食べられないのだ(ToT)写真はルバーブとブルーベリーのガレット。こちらはいわゆる「スイーツガレット」の系統である。ルバーブはシベリア南部が原産と言われているが、主にヨーロッパで食べられていることが多い。フランスやイギリスで、ティータイムのおやつのジャムで供されていることが多い気がする。食物繊維が豊富で、ビタミンCたっぷり。ブルーベリー同様アントシアニンが多いのでこれも目にいいハーブといえる。もともと酸味の強い食材なのだが、ジャムになるときには砂糖が加わるので、いい感じに甘酸っぱい。アイスフレーバーで見つけたときにはおススメです^^
2019年03月18日
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最近目の調子が悪いので蕎麦をよく食べている。ご存知の通り蕎麦にはルティンが含まれており、これが目を保護する役割を果たしてくれるという。サプリで補っても良いのだが、もともと蕎麦が好きなので、食べる回数を増やして楽しんで健康になろうというわけだ。ただ、あんまり食べ過ぎるとアレルギーになる人もいるので、ほどほどにしないといけないとは思っている。ただ、蕎麦を同じ方法で食べても、と頭のどこかで主張する自分もいる。我ながら意地汚いと思う。「他の方法で」ということで真っ先に思い浮かぶのは「ガレット」。フランスの料理だったと記憶している。そば粉のクレープに野菜や卵などを載せて食べる「お食事ガレット」や、スイーツやジャム、果物を載せた「デザートガレット」の2種類。レストランやカフェメニューでときどきお見かけするので、見つけるとかなりの高確率で頼んでいる。冒頭の写真は「季節の春野菜のガレット、キッシュ風」というもので、ガレットの生地に卵をまぜてふっくらとしたかたちになっている。これ以外に蕎麦を使ったものはないかと思っていたところ、昨日カーシャに出会った。蕎麦の実を煮た(炊いた)ロシア料理である。ビーフストロガノフのつけあわせで出てきたのだが、ほどよくバターが絡まっていて、実に香り豊かで味わい深い。金髪色白のベラルーシ美女が供してくれたこともあり、尚のこと美味い。「あっちの血が入っているはずなのに、なぜ私はここまで平たい顔族なのだ(←『テルマエ・ロマエ』」、顔や肌も全然違っちゃったな…と思いながらも、ご先祖様が食べていたであろうその料理を、どこか懐かしい気持ちでいただいたのだった。
2019年03月17日
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映画『大統領執事の涙』は好きなタイプのジャンルではないが、アメリカの人種差別を描いた話としてはとても丹念に編まれていて、よい1本だなと思った。その中で黒人人権運動に奔走したキング牧師が殺されたくだりが出てくるのだが、そのシーンで白人を憎んではならない彼を殺したのは悪意ではなく狂気だというセリフがある。これは汎用性があるというか、何にでも当てはまる言葉だなと思った。たとえば、自分が過去経験した悲しいことを思い出してみるとする。「白人」に誰かの名前を入れ、「彼」という言葉を「私」と置き換えてみると、記憶にある相手に対して抱く負の感情が和らぐのではないだろうか。人はしんどい経験したときに「なぜそうなったのか」という答えを探し、その答えに納得することで自分を弁償するというか、慰めたり納得したりしようとする。でもそれなりに歳月を重ねれば「そうなったのには答えがないという答え」というケースも出てくるのではないかと思う。「人はあらかじめ運命があらかた決まっている」というカルヴィニズム(予定説)の立場をとれば「答えがない答え」ということも納得できるし、「なぜそうなったのか」の答えは「運命だから」になるわけだ。そうなると、そうなった原因は「個々人の悪意」ではなく「推し量る域を超えたところで起きたこと」と解釈することができる。他人を罰したり、あるいは自己を責めることに苛まれることも減るのではないだろうか。何でもかんでも「狂気」で片付けることは「逃げ」の一種でもあるので、頻繁にそう考えるのはどうかと思うが、時にはそうやって解釈して己の苦しみを滅することはそう悪い方法ではないんじゃないか。
2019年03月16日
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ピエール瀧さんがコカインをやっていたということで逮捕された。音楽やっていたころからグルーブがあったから(名前も電気グルーヴだし)「ああ、やっぱりやってたんだな」という感じである。当の本人にもその昔会ったことがある。たまたま招かれた家がピエールさんのご自宅だったのだが、その当時の私はピエールさんが何者か知らなかった。「ピエール、雅さんよ」と言われてぬっと出てきたその人が日本人だったので驚いた。てっきりフランス人あたりかと思っていたのだ。とてもいい人だったけれど、目のとろんとした感じとか、芸能活動の内容を見ていると、そういうことをする機会があってもおかしくないなと思う。最近カナダでマリファナが合法化されたが、マリファナを嗜む人も目を見ればだいたいやっているかどうかわかる。同じように「とろん」とした目つきで、人間関係の距離に比べて少し饒舌で親しげな話し方をする人は、「あやしいな」と思って見ている。マリファナの香りをごまかすためなのか、強めのコーヒーを好む人も多い。今まで会ったそういう人たちはタバコとコーヒーの香りがごっちゃになっている体臭がして、でもプラスα別のにおいがする。あれが大麻なんだろうなと思う。私は本当にドラッグには興味がない。誘われたことはあるが、「いらぬ」と思う。おそらく理由は2つあるんだと思う。ひとつは私の酒好きと関係している。アルコールを含めドラッグは大別すると3種類ある。●興奮系(アッパー)●抑制系(ダウナー)●幻覚系(サイケデリック)コカインや覚せい剤は神経を興奮させるアッパー系。たばこやカフェインも同じアッパー系である。逆にアルコールはダウナー系で、本来は鎮静効果がある。モルヒネやマリファナもダウナー系である。眠気を催し、呼吸回数が少なくなるという特徴がある。普段の生活が不規則で「躁鬱」(そううつ)の「躁」状態である私は、ダウナー系が身体に適しているのである。ならば「マリファナやってもおかしくないのでは?」と思う方もいらっしゃるだろうが、マリファナよりも、アルコールのほうが依存性が強いのである。というわけで、法律的に嗜んではいけない軽いドラッグよりも、法的に認められているアルコールの方に対する愛情(?)が強い私は「アルコール一徹」になるというわけ。これが2つ目の理由である。というわけでお酒メモ。<お酒メモ>3月8日金曜日若竹 立春朝搾り 半合開運 特別純米 3合喜久酔 大吟醸 半合ウィートキングウィット 生500mlスルガベイ インペリアル 生500ml3月9日土曜日甲子 春酒香んばし 純米大吟醸 1合天狗舞 特別純米 半合加賀鳶 無濾過原酒 半合松竹梅 上撰 本醸造 半合ギネス 生 2パイント3月10日日曜日姿 雄町 生原酒 2合宗玄 生原酒(金ラベル・県内限定のやつ)2合3月11日月曜日赤ワイン カベルネ カリフォリニア グラスで3つ仙禽 ゆきだるま2018 おりがらみ 1合半小布施 オーディエール シャルドネ ハーフボトル3月12日火曜日宗玄 生原酒(金ラベル・県内限定のやつ)半合開華 おりがらみ 1合半信州たかやまワイナリー ANTO シャルドネ 白 ハーフボトル小布施 オーディエール シャルドネ グラスで2つ書いたもの見てるだけでも、(自分でも)ドラッグいらないわと思ってしまう量ですよね…(汗)
2019年03月09日
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思えば、このブログをはじめてから10年以上も経つのだが、できるだけ毎日更新するようにしていた。ただ、それが最近できなくなっていることに歯がゆさを感じる。24時間の中でやるべきことの優先順位が間違っているのかもしれない。このブログに書くことで、会ったことのない人が自分の赤裸々な人となりを知ってくれて、時にはコメントというかたちで声をかけてくれる。人によってはリアルでお会いし、濃いお付き合いをさせてもらっている友人もできた。なのに更新が滞りがちになっている。いけないなぁという気持ちでいっぱいで巻き直そうと思う。人生には4つのすべきことがある。1)急ぎで重要なこと2)急ぎではあるがさほど重要でないこと3)急ぎではないが重要なこと4)急ぎではないがさほど重要でないこと自己啓発書『7つの習慣』では、上記のうち「3)急ぎではないが重要なこと」の時間をちゃんととりなさい、と言っている。これが人生を豊かにするうえで、何よりも優先するのだというわけである。私にとってのブログを毎日したためることは「3)急ぎではないが重要なこと」に通じるハブ(拠点)なのだろう。これは性分としかいいようがないのだが、一度決めたことは、どんなことがあろうが、できる限りやる。小さい頃からどうも自分自身にそれを課した生き方をしているような気がする。よく言えば「根気がある」、悪く言えば「諦めが悪い」「しつこい」。その性質がどう転ぶかわからないけれど、世間的に間違っていないようなことをこつこつ積み重ねていけば、そんなに人生、悪くならないような気がしている。
2019年03月06日
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