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大卒の求人数がバブル期に迫る勢いだとヤフーニュースは記していた。団塊の世代が幅を利かせる時代も終わりを告げつつあるということか。でも、手放しに喜べないのは、自分がまだ卒業を来年に控えているからだろう。一歩先には何が起こるかわからない。さらに、大学卒業といっても、海外大学を卒業する人物にも当てはまる事実なのだろうか。企業によっては、海外留学を終えた人物を毛嫌いするところもある。さらに、やっぱり気になるのは歳のことだ。20歳を超えても悠々と学生やってはいるものの、いつまでもモラトリアムしていた奴って捕らえられることもあるんだろうな。そのへんは、うまく主張しないといけない。卒業を考える前に考えるところはいっぱいある。書くことをしたい。と大まかに言ってやってきたけども、いったい将来どこで何をするんだろうか。専攻はジャーナリズム、コースは「マガジン」を目指しているののの、うまく職とコネクトさせることができるのか。兎に角、ここまで来たからには、何が何でも書く仕事につきたい。たとえ、大企業の下請けの下請けの編集プロダクションでも。書くことが自分の未来に繋がっていると思う。だから、書き続けないと。自分の能力を認めてくれる人が現れるまで。書いて書いて、書いていこう。なんてことを思った。
May 31, 2005
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ここに住みついてもうすぐ二年になる。ちょうど二年前、気の合う二人の友とようやく探し当てた三人部屋のアパート。一つ道を挟んで目の前には学校のグランドが広がる。校内まではわずか30秒ほどの好条件。年齢や国籍も違う三人共が仲良くやってきた。時にはいろいろな人を招いてパーティしたり、皆で揃ってゲームしたり、映画をみたり、語り合ったり、深夜まで騒いだりした思い出の場所だ。いつしか山田家と呼ばれるようになって、たくさんの思い出を作ってきた場所。そんな山田家ともあと2週間ほどでお別れ。それぞれが引越しを控えているいま、改めてこの家にはお世話になったなと思う。まさに、俺らに命を吸い取られたこの山田家。今では相当なガタがきている。居間や玄関の電気はもう何ヶ月も前に切れているし、ある部屋の電気ももう数ヶ月切れたままだ。階段の電気については引っ越してきた時から壊れていた。テレビは見れる日と見れない日があるし、電気コンロは半分が壊れているし、玄関の靴たても半分崩壊。水道でお湯を出すと水道管が異音を発するし、シャワーのお湯は5分以上使えない。以上を考えると、よくもまあ、住めているなといった感じだ。そんな灯火が消えそうな山田家、今日は山田家バーチャル体験をしてもらおう。まずは、玄関。ロックは二個ついているが、結構いつも開いている。時々知り合いが無断で進入してきたりもする。入ってすぐに見えるのが、キッチンとリビング。ちなみにこれは引っ越してきた当時のキレイな時。階段を上ると二つの部屋を挟んで、バスルーム。夏場はよいものの、冬場はいかにして5分でシャワーを済ませるかがポイントだった。そして、そのすぐ隣にあるこの家で一番大きい部屋がすまいるよしの部屋。ドアのプレートは引っ越し祝いに「ひまひま智子」と「ミラクルあやこ」から頂いたものです。ちなみにこれも引越し当初の写真。一番所有物が多いからってことで、大きな部屋をわけてもらったものの、今となっては物で溢れかえってます。時には足の踏み場もないほどであるが、散らかっているようでどこに何があるのか全部記憶しているのだから、これは散らかしているのではなくて、俺なりのアレンジなんだと思うこの頃。どっちにしろ引越しが大変だ。。。外の様子はベランダから見ることができるが、二年間でいったい何回ベランダを利用したことか。ここの鍵も結構いつも開いてます。鍵を忘れたときなど、二階のベランダまでよじ登って部屋に帰ったこともあります。お楽しみいただけましたか?現在徐々にパッキングを開始しているものの既に段ボール箱がいくつも積まれています。ってことで、引越しお手伝い募集してます☆
May 28, 2005
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数えたのは与えられたことよりも、与えたこと。ずいぶんと傲慢だね。数えるのは人を傷つけたことよりも、傷を受けたこと。ずいぶんと脆弱だね。数えることは嘘をついたことよりも、嘘をつかれたこと。ずいぶんと勝手だね。数えたのは。。。自己のメガネを通した世界数えたのは。。。他人のメガネを通さない世界彩りを失くしかけた世界はひどく自分に優しくとても自分に甘かった足元ばかりを見つめ過ぎ去った成功を数えても既に犯した過ちは数えない。息苦しさに身体を震わし欲しいものの数は数えても失ったものの数は数えない。ずいぶんと、俺らって他人を慈しめないよねこんな臆病でこんな弱くてこんな馬鹿野郎かっこわりーから、もっとカッコよくなりてえ大きくなろうあの人やあそこの他人も巻き込んででっかいでっかい奴になろう
May 27, 2005
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ネットサーチの途中にある掲示板でこんな投稿が。「音楽の中でヘビメタが一番低レベルで、それを聞いてる奴らは底辺の人間だ」!!!!!!!!!?なに言うとんねんっ。怒り爆発である。まあ、俺がメタル好きっていうこともあるが、この投稿っていうのは見た人の気分を害するものじゃないだろうか。ばかばかしい議論や、中傷のし合いっていうのがネットの世界で絶えない。名前を明かさないことで、心の内を素直にさらせたり、それによって新しい人間関係を築いたりしている人たちがいる一方、匿名性にあぐらをかいて、平気で人を傷つけたりする人間もいる。イライラや、やるせなさのベクトルを全く顔も知らない人間にぶつけたがる。会ったことや、見たこともない人になら、何を言ったところで責任は問われない。そう思っている。無責任に言い放った言葉がどれだけ見たこともない人に影響を与えるかなんて考えない。自分の言いたいことを言いたいように放ち、個人的なストレスの解消をはかる。その一方で新たな摩擦を生み出しているのも気付かない。片方のコミュニケーションを断ち切って、自分の荷物を人に負わせる。現実世界でのめんどくさい関係を無視して、何でも黙って受け入れてくれるパソコンの画面に向かって、内から湧き出すなんだかわからない敵意をぶつける。なんでもいい、結果、自分だけ気持ちよければいい。そんな人の気持ちになれない奴が溢れてる。確固とした意見を持ち、これを表現することは大事なことだ。感じたり、思っていても、最後は出力しないと誰も、何もわからない。方法はたくさんある。書いたり、創ったり、描いたり、歌ったり。アウトプットしたアイディアに対し、反応が出る。それに対する自分の反応。相互作用で新しい何かを得るかもしれない。だけども、自分が起こした行動には、もちろん責任が付きまとう。責任なくして放たれた意見っていうのは、意見じゃなくて野次にすぎない。誰の心にも響かないし、自己の価値を下げるだけ。気付かないうちに、削って、削られた自分は、気付いた時には、風に逆らえないほどのカスしか残っていない。責任なく放ってしまっても、責任に対する代償は無意識に払っているのだ。みそっかすにならないために、自分を確立していこう。流れ流れる相互関係の間に。かっこよく生きようぜ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。ここからメタル批判について。メタルを一番低レベルと定義づける理由はいったいなにか。音楽の嗜好は個々によって違うものだから、自分が理解できないジャンルがあるのは当然のこと。だけども、そうやって理解に及ばない範囲のものを簡単にけなすっていうのは寂しいことだ。メタルを聞く人間が「低脳のゴミ」なんてよく言えたもんだ。テレビのCMや番組のいたるところで、街角で、実は俺らの意識していないようなところでもメタルはたくさん使われている。みんな気付いてないだけで「耳にしている」んだ。それだけ影響を及ぼしている人間が多いってことだ。何もギターやドラムを激しくかき鳴らすだけがメタルじゃない。だいたい速いだけって簡単にいうけども、その速いってことが一つのテクニックの表れなんじゃないのか。それと、「ヘビメタ」なんて呼ぶのは一種の時代遅れというか、差別用語と言ってもいいと思う。俺らって、理解のおけないものに対して、簡単にひとくくりにして排除したがるけども、その前に自分たちが排除しているもののこと、知っていますか?めったやたらに否定したって全く説得力なし。頭が痛くなる、とか、落ち着かない。っていう人は、聞かなければよい。それで、何も言うな。たしかに日本において、メタルのイメージは作られているというか、多くの人にとって良い印象はない。格好がかわっている、とか、なんだか怖い。って言う人がいるけど、まさに見た目だけで判断してるよね。それじゃあ、XーJAPANは何故あんなに綺麗なバラードを作れたか。たくさんの人に支持された。格好なんて関係ない。良いものは良い。それだけのこと。黒いレザーに身を包んだ、ロンゲのごっつい男どもが咆える。それがメタル。だからなに?巷で人気のヒップホップだとか、レゲエだとか、J-POPだって気持ちが悪いほどわかり易いスタイルがあるじゃん。ダボダボシャツでヨーヨー言ってるのがかっこよくて、タイトにレザーで身を包んだら駄目でかっこ悪いのか。かっこいいの基準を自分じゃなくて、自分の外にあるはずの流行だとかに頼っている。かっこよさのものさしを自分で持てたら、それはそれでカッコいいんじゃないだろうか。それぞれのバンドには、それぞれのポリシーがあるんだから、それをとやかく言うのはどうだろう。それが、彼らにおける色なんだから。中には音楽だけじゃなくて、ほんとうに激しくて危険なバンドもある。イカレタ信仰を行うやつらもいれば、お上さんにお世話になったり、何年も四角い箱に入れたれたりする人も。けども、もっともっとたくさんの人に受け入れられてもいいバンドだっていっぱい埋もれてる。俺は、もったいないって思う。なんで皆メタルって聞いただけで、簡単にしりぞけるの?って。だから、俺はこだわりなく何でも聴いてみようって思って過ごす。たとえそれが、意味のわからない言葉で歌われていても路地裏のヒッピーが歌ってても街角の学生が歌っていてもただのガラクタからの演奏だとしても聴いてみようと思う。だって自分を広げる可能性を狭めてるかもしれないんだよ。見れるものは全部、聞けるものは全部、感じれるものは全部、ものにしたいじゃん?もっともっと欲張りでいいと思う。
May 25, 2005
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渡米して二年と少し、いまだに英語での電話は嫌いだとかビジネスライクな英会話は避けたいとは思うものの二年である。よっぽど日本に住んでいる人々は俺が「ぺらぺら」になっているであろう、むしろそうあるべきだと思っているかもしれない。でも、まだまだ自分の実力のなさに嘆く毎日であるわけです。映画ひとつにしろ、ほぼ100%に近く理解できるものもあれば、理解度50%っていうようなものもあります。その日のコンディションによって英語が耳に入ってきやすかったりそうでなかったり。。。ようするに、まだまだ実力が不安定なわけであります。それでも一方、これまでの努力が実っていることも実感したり。たとえば、一年と少し前の俺はクラスで強制されて、一学期にひとつの推理小説を読み上げました。あの頃は一日7-8ページですら辛かったのを覚えてます。わずか200ページ足らずのものを10週間かけてジワジワと読んだわけです。だけども、今回は300ページのノベルを3週間弱で読み終えました。もちろん内容も少しレベルアップしています。この達成感っ。ああー、読んきてよかった。読むスピードや語彙力もつきました。これを機に、少しずつでも何か英語を読み続けていきたいな。今回読んだのはジョージオーウェル著の「1984」。知っている人もいるだろうが、物語全体を通してくらーーい話である。読んでいる間はなんともいえない気だるさを感じました。関係ないけど、このごろ少し時間があります。暇があるというので、いろんなことを考えたりもします。そんなとき、突然、哲学をしたくなる。なので、思いつきでいろいろネットサーフしました。とりあえず、ありったけの哲学系サイトをお気に入り登録。あとは好きなときに好きなだけ読もう。このへんの行動が自分ながらに、やや変人じみているなと思う。誰も暇な時間使って、哲学しようなんて思わないよな。。。でも、仕方ないさ。これでも一応哲学科のはしくれだったわけだし。まあ、久々のこの衝動にしばし身をゆだねてみようと思う。ひさしく自分の身の回りについて語っていなかったので、今回はちょと新鮮な気分で日記が書けた。
May 25, 2005
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きっと時々失敗するわけはもっと努力が必要でずっと積み上げていくんだろうきっと時々落ち込むわけはもっと信じることが必要でずっと探し当てていくんだろうきっと時々踏み出せないわけはもっと勇気が必要でずっと求め歩いていくんだろう
May 20, 2005
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なにがどう不満なのかそこんとこ分かってない何がどう不安なのかそこんとこ見えてない落ち着かなかったりわけもなくいらだちあせったりいつも不満足抱えてる何かを達成したり他人に褒められたり誰かに必要とされたりその度にほんのちょっとだけ安心するんだ刹那の定着満たされることって触れてもすぐに離れるココロってシャボンの泡だから満たされたら壊れるんだ不安と不満の継続防衛本能だね壊れないように形なくさないようにだけどそれでもシャボンはずっとずっと満たされることを待つ
May 19, 2005
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友達体験日ってあったらどうだろう一日限りの友達を持つっていう意味でなく一日限りに友達自身を体験する日。人の気持ちになって考えろ。だとか、人のことを考えて行動しなさい。だとか、人は自分のことしか見えないくせに他人のことまで気にかけたがる。努力して相手の気持ちを推察したり頑張って相手を分かったつもりになったりと。だけれどもやっぱり限界ってのはあるわけで当てが外れて相手を傷つけたり見当違いに人を怒らせたりもするこんなにも自分勝手でこんなにも世界は自分を軸に回るから。だったらいっそ「友達」になろう。友達になっちゃえば、推測や勘違いは消えうせる。だって、自分じゃない自分になるんだもん。新しい世界新しい一日見えなかったものも見えるだろうし反対に見えていたものは一日だけ幻になるだけど、確実にひとつ見方の枠が広がるわけさ。交わらなかった線が交わって大きな広がりとなる。一日体験を終えたあとは、ちょっと気恥ずかしさを伴って昨日の君は、今日の僕にもなる。そうやって、君を知ることができたらいいな。友達体験日。友達が僕になり僕が友達となる僕が神様だったらヒトにはそんなことやってのける力をつけたかもしれない。
May 17, 2005
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死んだら終わりどんだけ金を集めてもどんだけ人望集めても終わりがくれば在ったはずのものは消えうせる。終わることで人って同じ位置に立つんかも。好き勝手進んできた道って実は全部同じ穴ぼこに繋がっていてだれかれ区別無くみんなそこへ導かれてく人を終えること。在ったはずのものは残った人にわずかながらに留まったり、留まりつつも薄れていったりする。留めたい、留めてほしい。そう願うから力を与えたり使うことよりも集めることにエネルギーを浪費するどうせなくなるのに留めてもらえる保障もないのにけどそうやってあがく自分はカワイイしあがいている人がたまらなく愛しい無駄で終わらせたら本当に無駄になっちゃうもんね
May 16, 2005
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ココロが胸の中にあるとか、はたまた頭の中にあるだとか、しったこっちゃない。単純にウチっ側だとか、ソトっ側だとかを飛び交う言霊たちを掠め取り表現するときに、そこには見えなかったものが現れたり感じ得なかったものが実感として浮き出てきたりする。書くまでは知らなかったことや、書いてから気づくこと。単純に楽しいって思う。できるならば、ずっと書いていたい。言葉にすることで、紙面に自分が現れる。白黒に、隠された色が踊る。書き記すことは、生きること。楽しいから書くだけさ。どんなにキレイな言葉を並べてもやっぱり人って自己中に生きるのさ。だったら、まずは自分を楽しませよう。めいっぱい、楽しませちゃおう。そんでもって、最高なのは、自分が楽しめるそのことで人も喜んだり、楽しんでくれたらラッキーかなって。頑張れば、そんなご褒美だってあるかもしれない。だから、だから、まずは、自分の楽しいことをMAXに楽しんでやろう。
May 9, 2005
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物事を成すときもちろん才能が結果を左右することはある。努力でもって打ち破れぬ壁は非情にも存在するから。それだからといって、やはり努力は不可欠だ。成し遂げる強い意志と、それに向かうベクトルなくして成されるものはなし。さらに運命との愛称もあれば尚更強い。持つべきものを持ったとしても、然るべき時からずれれば芽は出ない。だけども時流に乗れば、努力が後押しされて才能を超えるかもしれない。しかし、全てのものは目標を持たずして成りえず。ありえないことを有り得るように具体化するのは自分だから。砂上の城に水を与え、足元固めて作り上げてこう。夢という名のもとに。
May 8, 2005
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