2003年01月29日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
続いて住職は「髪長姫(かみながひめ)」について話し始めた。さっき見た尼さんの座像のことだ。

「髪長姫は、この寺の創始者です。昔、この地方に大変美人で聡明な女性がいたのですが、可愛そうなことに髪の毛がなかったんです。あるとき海で観音像を見つけ、それを祭ってお参りしていたところ見事に髪の毛が生えてきました。その女性は後に文武天皇の妃になりました。聖武天皇のお母さんです」

「髪長姫は観音様をお祭りするために、生まれ故郷に寺を建てることを天皇にお願いしました。道成寺と呼ばれるのは、この寺が紀の道成によって建立されたからです」

「安珍・清姫のお話の方が有名になりすぎて、現在ではあまり知られていないのですが、この寺は髪長姫にあやかって、女のお子が健康で美しく、賢く育ち、そして玉の輿に乗れるようにという『女人開運の寺』としての信仰も集めております」

髪長姫の話を聞いたのはこれが初めてだったが、tetywestにとっては聖武天皇が関係していることの方が興味があった。日本史では絶対押さえておかなくてはならないキー・パーソンだし、奈良の東大寺を造った天皇でもある。旅行から帰って調べてみると、髪長姫とは宮子姫のことで、藤原不比等(ふひと)の長女なのだ。しかも聖武天皇の母である宮子姫と妻の光明皇后はどちらも藤原不比等の娘で姉妹関係にある。おそらく二人とも養女なのだろう。そうなると藤原氏の栄華の基礎を築いたといわれる不比等という人物の政界への進出方法が見えてくる。

しかし、聖武天皇には男の子が育たず、娘の孝謙(こうけん)天皇に皇位を譲っている。聖武天皇が東大寺の造営、国分寺の造営に力をそそいだのも、後継者問題で藤原氏と反藤原勢力が激しく対立する政界に心を痛め、仏教の力で国内を安泰にしようと願ったからだろう。そのために鑑真が招かれるわけだが、鑑真は渡航に5度も失敗して寧波の阿育王寺で留まっていたわけだ。6度目にようやく成功し、それによって日本の仏教制度が確立することになる。

これでtetywestの中では道成寺→宮子姫→藤原不比等→聖武天皇→奈良仏教→鑑真→阿育王寺という図式で、和歌山の道成寺と寧波の 阿育王寺 が結びついた。いささか牽強付会だとは思うのだが・・・・(汗)






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2003年01月29日 12時16分28秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索

コメント新着

鶴亀彰@ Re:50年前のビデオ(2)(08/08) 突然のメールで失礼致します。私はカリフ…

バックナンバー

2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月
2026年01月

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: