《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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2013年02月22日
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カテゴリ: 昭和歌謡40年代

地球はひとつ

作詞:北公二 作曲:都倉俊一

(セリフ)ボクから逃げようたってだめだよ

逃げれば逃げるほど僕に近づくってわけ

だって地球はまあるいんだもん!

地球を走れば 地球へもどる

東にまわれば 東にかえるさ

まるい地球は みんなのものさ

地球はひとつ みんなの仲間

宇宙の星を 数えてみたら

およばぬことを もとめてました

小さな地球は みんなの都

地球はひとつ みんなの地球

地球はひとつ みんなの都 都さ

地球のどこかで 生まれる歌は

君のくちびる そっとふれてく

気づかないけど 地球はひとつ

愛をささげる あなたもひとり

朝日がのぼれば 悲しみ消えて

愛しあうのさ 青い屋根の下

144国 地球はひとつ

地球はひとつ みんなの地球

地球はひとつ みんなの都 都さ

地球はひとつ 地球はひとつ

地球はひとつ 地球はひとつ ひとつさ

ザ・タイガースがグループサウンズ戦国時代を制してトップに君臨した43年、フォーリーブスはデビューしました。

フォーリーブスは、現在日本の芸能界を支配している「ジャニーズ事務所」の第二弾グループで、初代ジャニーズが解散したため入れ替わりに誕生したグループでした。

ずーと、「4枚(フォー)の葉っぱ(リーブスleaves)」だと思っていましたが、初代ジャニーズのミュージカルで使ったジャニー喜多川・作「いつかどこかで~フォーリーブス(別れ・leave)物語」が由来でした。

グループサウンズは、形態として楽器を演奏して歌う(上手いかどうかは問わず)グループだったのに対し、フォーリーブスは歌って踊るのが基本、流れ的にはコーラスグループのカテゴリーでしょう(アメリカにもオズモンズとかジャクソン5とかあったし)。

初代ジャニーズは昭和37年結成、40年には紅白歌合戦にも出ていますので、グループサウンズが勃興する前の、正当男性アイドルグループだったといえます。

もちろんプロデュースしたのは、ジャニー喜多川氏(現在81歳)です。

グループサウンズはバンドという特性のため、どうしてもメンバーの中でボーカルが人気を集めてしまい、ギャラの配分や仲たがいなどの問題を抱えてしまいますが、フォーリーブスはジャニー氏の方針で人気が集中しないようにうまく役割分担をしていました(初代ジャニーズはあおい輝彦に人気が集まってしまい分裂に向かったという反省から)。

歌に関しては青山孝史(ター坊)、踊りとアクションは北公次(コーちゃん)、司会進行・MCはおりも正夫(マー坊)、バラエティ・コント部門は江木俊夫(トシ坊)というように。

されどそれも全員がこなせるようにバランスを重視、「全員がスター」というポリシーは、現在の「SMAP」や「嵐」につながる原型としてすでに持っていました。

僕は当初、『マグマ大使(怪獣TV)』の主役マモル少年を演じていた江木俊夫が、認知度からして好きだったのですが、しだいに運動能力の秀でた北公次の魅力に引かれていきました。

歌の途中でバック転をしたのは、日本歌謡史上コーちゃんが初めてです。

とにかくカッコよかった。

あとから知ったことですが、もともとフォーリーブスは、初代ジャニーズの付き人をしていた北公次のために、他のメンバーを寄せ集めたグループで、青山は渡辺プロのスクールメイツから引っこ抜き、おりもは劇団若草、江木にいたっては前出の『マグマ大使』のほかにも黒澤明監督『天国と地獄』にも出演している名子役でした。

北公次はフォーリーブスの一応リーダーだったのですが、インタビューなどでしゃべっていたのは主に他の三人で、性格的には控えめな存在でした。

そこがまた奥ゆかしくてよかったのですが、もうひとつ役割をこなしていたのが、デビュー曲からつづけていた作詩でした。

シンガーソングライターなどがまだ存在していなかった頃の話です。

あの頃は、作曲家と作詞家の先生が、テリトリーをがっちり守って楽曲が作られていました。

その時代に、自分達若者の言葉を伝えようとしたのは、フォークソング時代の先取りだったかもしれません。

『地球はひとつ』はそれまでの恋の歌(失恋が多かったのですが)とは違って、世界へ向けての明るいメッセージが伝わります。

46年の作品なので、前年に開催された「大阪万博」の影響だったかもしれません。

あの頃の僕は「♪地球は~ひ~とつ~」と歌っていれば、本当に世界がひとつになれると思っていたのだろうか?、とふと思いました。

中学3年だったから、もっとひねていて、自分のことしか考えてなく、クラスの不良グループの目から逃れることに汲々としているだけでした。

好きな女の子はいましたが、だからと言って何をすればいいのかわからず、悶々とした日々を過ごしていましたっけ。

人生の中で14、5歳というのは足もとのおぼつかない、もっとも不安定な揺れ動く時期だと思います。

ちょっとした躓きで自殺に走ったり、あるいは家族を殺したりという事件が起きるように、極端に振れてしまう危険を孕んでいます。

一方、芸能活動に踏み込んでいくきっかけを得る時期でもあり、運命の扉が準備のないまま突然開かれたりもするのです。

フォーリブスは全盛期を迎え、商業的に成功するに連れ、プロの作詩作曲の作品が増えて、コーちゃんの詩は影をひそめていきます。

今、こうして回想をしているのは、彼らのその後の人生を知っている状態で書いています。

ステージできらびやかなライトを浴びて、ファンの歓声に包まれていた頃と、そうでなくなって新たな人生を模索して苦しんでいた時期と、ふたつのシーンが交錯して思い出されます。

誰一人、芸能人として成功を続けたとは言えませんでした。

歌がアイドルとしては抜群にうまかったター坊は、2009年肝臓がんで死去しました(57歳)。

フォーリーブス再結成をして、全国ツアーを病気を推して敢行し、最期を迎えました。

そして昨年の2012年2月22日、コーちゃんも後を追うように、同じ肝臓がんで亡くなりました(63歳)。

僕にとっては少し年上でありますが、同時代に青春を過ごした憧れの人たちでした。

冒頭の映像は再結成後の2006年のものと思われます。

それぞれが色々な人生を進みましたが、30年経ってもこれだけ変わらず、見事です。

人は、二十歳の頃の身体と心をもち続けるのが理想です。

その上に、たくさんの経験から得た知恵が加わると、最上の人生を得られるでしょう。






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最終更新日  2013年07月21日 09時37分28秒 コメントを書く


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