《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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2016年06月08日
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テーマ: 短歌(33)
カテゴリ: 駄歌凡歌

ありがとうございます。

アクセス数が1万増えるごとに、短歌を詠んでいます。

積もり積もって300首を越えました。

目標は1000首です。

1000首詠んだ暁には、”夢”が叶います。

ところが、現時点では願をかけるほどの有力な夢が特にありません。

将来へ向けての、色々な夢はあるのですが、それはすべて”計画”で、自分がそこに踏み出せるかどうかだけの問題であり、身の程知らずの夢ではないのです。

だから1000首成就で夢を叶えようとは、本気では考えていません。

そこがちょっとこの企画の難点ではあります。

さて、”世事雑感”。

”ゲス乙女”の曲がようやく頭から消えたと思ったら、今度は”ファンモン”の曲が耳について離れません。

連日ワイドショーが取り上げる度、バックで流れている曲が脳に潜在的にインプットされる。

音楽は脳に快楽を与えます。

一旦そうなると無意識でも脳は勝手に快楽ホルモンを欲しがり、メロディを追い求めてしまいます。

音楽というのはホント不思議です。

ファンモンは過去一度取り上げました。

http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/201311290000/

単純に励ましてもらえるので、車の中でよく聞いていました。

今は車を変えてしまったので、無くなってしまいましたが(TUTAYAで借りて録音してたので)。

浮気の話は古今東西、人類誕生から続いています(DNA的には人類になる前からも)。

世界最古の小説「源氏物語」も、光源氏の浮気戦歴の話です。

いまさら非難しても仕方がない。

ただ、子供に害が及ばないように配慮する必要がありますが、まあ子供は子供で人生を構築しますので、大人はいろいろな環境の子どもも受け入れられる社会を作ることを、差別偏見のない社会をつくることに努力するべきでしょう。

婚外子やシングルマザーが差別偏見の被害を受けない社会を。

婚外子を二人持つ舛添要一も、そういう改革に実績を作っていれば擁護する人もいたでしょう。

こうなる前の印象とまるで違っていたことが、怒りの根源です(選挙の時は知らなかったから)。

相変わらずバッシング人気抜群の舛添要一都知事で、姿を見ない日はない。

ワイドショーでは必ず新スキャンダル(錯誤金銭感覚)が登場し、なぜかついつい見てしまいます。

都民でないので、本来他人ごとなのですが、バッシング派に同調している自分がいます。

他人を批判したり非難したりするとき、脳の中では興奮ホルモンと快楽ホルモンが発生します。

極端な話、いじめをすると興奮と快楽を覚えて気持ちよくなるのです。

その仕組みは、集団の中の正しさを維持するために、異質なものに攻撃を与えるという、集団性を持った動物が持っている本能なのです。

本能だから許されるという論ではなく、人間は本能を抑えることも必要だという話です。

だからもし自分が他人を批判したくなった時、それが集団で行われているバッシングであった時はなおさら、その行為が度を外したいじめになっていないかを常に検証する必要があります。

社会悪を批判しているつもりが、いつにまにかいじめによる興奮と快感に酔いしれているかもしれません。

それを踏まえて考察してみても、やはり舛添要一は批判されるべきと考えます。

舛添要一は”せこい”から都知事を辞めるべきだというのではなく、公金を私用に使うことを悪いと思っていない感覚の持ち主であり、その傾向は首長にふさわしくないからです。

トップが法の欠落を利用して、公金横領を繰り返せば(金額の多寡ではない)、部下もその判断基準に従うようになります。

その結果、決済を担当する職員の判断が甘くなり、公金がダダ漏れになってしまう危険がかなり生まれます。

舛添が使った無駄遣い(パリ視察旅行費5000万円)は、東京都民の税金だし、議員時代に私用で使った金は、「政党交付金」で元は国の税金です。

猪瀬直樹元知事は、徳洲会から同じ5000万円を借りたことが発覚して辞任しました。

しかしこちらは自分が選挙資金で借りた金で(しかも返した)、税金を流用したわけではありません。

税金という国民の共有の資金を、法の目をかいくぐって自分の家族旅行や絵画コレクションに使っていたのです。

あの都知事選で敗れた田母神俊雄は、同じようなことをして”政治資金横領”で告訴されています。

選挙で勝ったか負けたかで、犯罪者になるかどうかが決まるのは公平ではない。

やっぱりこういう判断基準の人が首長であることは災難です。

オリンピックの日程をにらんで秋には替わっていただきたい。

選挙費用も掛かりますけど、それ以上の損失の危険も考えると(反日的行動も目立ちますし)やむをえません。

言い訳が できるかどうか そればかり 誰に向けての 弁明なのか

せこいから 責められている わけじゃない 公私混同 公金流用

社会悪 定める規定は 法なれど 法を逆手(さかて)の 貪欲の業

過ちは 身を捨ててこそ 赦される しがみつくのは 恥の損得

悔しさが ばねになっての 成り上がり のび過ぎた時 弾性は失せ 

生き物が 子孫を残す 正しさと 社会ルールの けじめの狭間

快楽に ひとりの喜び 酔いしれて 際限のない 闇の誘惑

性(さが)なれば 好きになるのは 仕方ない 人の定めを 秤にかけて

子はすべて 神様からの 預かりもの 子どもはみんな みんなの子ども

誰の子も ひとしく愛す 「どですかでん」 三波伸介 神の姿ぞ

黒澤明監督『どですかでん』に、浮気性な妻のために、父親の不確かな子供をたくさん(5人の子どもとさらに妻の腹の中にも)育てている夫、三波伸介が登場する。

近所の人に、悪口を言われて泣く長男が、

「父ちゃん、…ぼくたちみんな、父ちゃんの子じゃないって、ほんと?」

と問うと、

「そういうこと、自分で考えてみろよ、父ちゃんの子かそうでないか。

父ちゃんはみんな自分の子だってことは知っている。だからみんな好きだし、かわいくてしょうがない。

だけどお前たちが、父ちゃんを好きではなく、自分たちの父ちゃんだと思えないんなら、父ちゃん、お前たちの父ちゃんじゃない」

「だって、みんなが言うんだ、ずっと前から、…ぼくたちみんな父ちゃんの子じゃないって、…本当の父ちゃんは別にいるって、…ぼくだけじゃないんだ、次郎も、花子も、四朗も言われているんだ」

「人はいろんなことを言うよ、なんだのかんだのって、好き勝手なこと言って、なあ…。

けど、本当の親か本当の子かなんてことは誰にもわかりゃしないんだよ。

俺は本当の父ちゃんだ、これは俺の子だ、心底から思えば、これが本当の親子だ。

もしも、今度またそんなこと言うものがいたら、お前たちの方からききかえしてみろ。

お前はどうなんだと。

返事ができるものがいたら、お目にかかるよ。

つまり、そのー、父ちゃんを信用するか、父ちゃんじゃない他の人を信用するか、どっちかだ。

どうだいみんな」

子どもにとって一番大事なのは、嫡出子であるかどうかではなく、どれだけ親に愛されて育っているかということでしょう。

「どうだいみんな」と父親が言うと、

全員が「父ちゃんだ!」と手を上げます。

人の幸せは、出自や環境や財力で決まるわけではありません。

『どですかでん』には、スラムに生きる様々な人が、その日のために懸命に生きています。

この集落には、それこそゲスの男女が吹きだまっています。

彼らにも人生があり、悲しく切なくおかしい毎日が繰り返すのです。

この項を書くにあたり、ふと思い浮かんだ映画でしたが、改めて見てみると重い警鐘を鳴らしている作品でした。

僕の黒澤映画のランキングでは、そんなに高くありませんでしたが、今思うと、このメッセージがよく伝わります。

素晴らしい映画です。

歳を重ねないと解らないことってありますよね。






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最終更新日  2016年06月10日 20時15分10秒 コメントを書く
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