おもしろいTVドラマが、最終回をむかえてしまいました。
その名は『重版出来(じゅうはんしゅったい)』、同名のコミックを原作とした出版編集者と漫画家たちのドラマです。
”おもしろい”というレベルは、今やっているドラマの中でとか、今年の一番とかではなく、僕が今まで見てきたドラマの中で一番面白かったというものです。
視聴率は二ケタには届かなかったようなので、一般的にはヒットしたとは言えないのでしょうが、僕は毎週涙ぽろぽろ流しながら見ていました。
一人で見てたので、人目をはばかる必要もなかったのですが。
このブログはTVドラマを語ることはほとんどありませんでしたが、今日のTBSラジオ『たまむすび』で、町山智弘氏が同じく涙ぽろぽろ流して見ていたと語っていたので、同じ感性が嬉しくて書きたくなりました。
原作となるコミックは読んだことはなく、予備知識は全くありませんでした。
この作品に限らず、僕は全くマンガを読みません。
子供の頃は大好きで、小学生時代は漫画家になるのが夢でした。
それが何故かあるときから、マンガを読めなくなってしまったのです(文章の方に趣味が移ったということもありますが、何故かマンガを読むのがつらいのです)。
漫画家になる夢は、様々な障害や挫折により高校ぐらいで断念しましたが、出版業界自体は継続して興味を持っていました。
高校時代に同人誌を主宰して、雑誌を作る楽しみを覚えたためかもしれません。
そんな青春体験がこのシチュエーションに、より深い感情移入を誘ったんだと思います。
主演の黒木華は大好きで、初主演ドラマということで、その意味で見たいという衝動は持っていました。
黒木華について述べると、ご存知のように現在売り出し中の若手演技派女優で、2014年には『ちいさいおうち』女中・タキ役で第64回ベルリン国際映画祭最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞という輝かしい実績も持っています。
僕が彼女を初めて見たのは、堺雅人主演の『リーガルハイ(2012年。第2シリーズ2013年)』のチョイ役で。
この時はホントに端役で、第1シリーズではほとんどセリフもなかったのですが、第2シリーズで同じ役なのに全く違う性格に変わった人物を演じ、なりきっていました。
この変わりようにはびっくりしました。
昔から、”存在感”のある演技というのは、並みの演技とどういう違いがあるのだろうかと研究対象(?)にしていましたが、その才能をまざまざと見せつけられた気がしました。
去年は『天皇の料理番』でまた素晴らしい演技を見せてくれました。
自由すぎる佐藤健に翻弄されるいたいけな妻を演じ、見事に泣かせてくれました。
今年は『真田丸』で堺雅人の初めの妻・梅役で出演。
梅を見て(『天皇の料理番』の俊子も勿論)、理想的な妻像が焼き付きました(息子の嫁にぜひ)。
梅が死んでしまった時は、三谷幸喜に抗議の電話をしようかと思いました。
歴史上どうだったかは知らないけど、また物語の構成上邪魔になったかどうかはわからないけど、梅を殺すことは許せない。
その黒木華が初主演です。
役柄はこれまで(タキ、俊子、梅のような控えめながらも芯が強い女性)とまったく違う、体育系の張り切り新入社員。
ネット情報によると、黒木華はこの役の三人目のオファーだったそうです。
当初目論んでいた女優がダメになり、代わりの女優に断られ、そして三人目が彼女でした。
しかし、前二者ではこれだけ入り込めるドラマにはならなかったでしょう。
存在感のある芝居は、役者を忘れさせます。
前二者だとアイドル感が立ちすぎ、嘘っぽさが表に出てしまうと思います(『あまちゃん』のような現実味のない話ならともかく)。
存在感を持つ俳優は自らの役者感を消し、ドラマの狙いに沿った人物になり切ります。
黒木華はその意味で、才能をふんだんに見せつけるほどの好演をしました。
黒木華も素晴らしかったのですが、さらに登場する人物がみんなよく練られていて、演じる役者も役柄の細部まで気が利いて、皆そん色なく素晴らしかった。
原作が良いのか、野木亜希子の脚本が良いのかわかりませんが、深いところもしっかり作られた精密な水準の高いものでした。
ちなみに僕はシナリオライターを目指している時期があり、多少勉強もしていましたが、嫉妬するほどの良い脚本でした。
もちろん演出家をはじめ、スタッフ全ての能力が高かったからこれだけの物が出来たということは認識しています。
ただ、この『重版出来』に思い入れを激しくしてしまったのは、作品の出来や黒木華の魅力と共に、自分が多少なりともかかわってきた世界に触れているということが大きいと思います。
同じTVドラマでも、自分の経験が符合する設定のものは、また違った興奮を覚えます。
『天皇の料理番』は僕が料理人であることから興味を持って見始めたドラマですし、昔大好きで正座して見ていた『前略おふくろ様』も、萩原健一が板前修業中の料理人の話でした。
こちらは大脚本家倉本聰先生の作品で、シナリオの勉強と料理人の勉強を兼ねたものなので当然です。
『重版出来』の漫画家の世界は、周りに漫画家や漫画家を目指す若者がいた(僕がやっていた大泉学園の喫茶店の常連客に沢山いました)ということと、実体験として僕が書店に努めていた経緯も大きいと思います。
濱田マリ演じる書店員に、ひとかたならぬ共感を抱きました。
僕の書店員経験は短かったのですが、彼女のように自分の趣味を反映した書棚を作るのが夢でした。
書店にいた時はいろいろなプランがあり(書店新聞やイベント)、実行できていたら結構楽しいものができたと思います。
実際には日常の業務に追われ、本の入れ替え作業に終始しただけで何もできませんでしたが。
”仕事”には、”生活”のためという命題があります。
どんなに偉そうに夢を語っても、生活をする収入がなければ成り立ちません。
働かなくてもよいほどの資産があるという生活をしたことがないので、”生活する=仕事をする”という図式しかわかりません。
この状況を脱するため、宝くじを買い続けていた時期もありましたけど、対費用効果があまりに悪いのでやめました(まだ競馬の方がリターンは多かった。儲かりませんでしたが)。
宝くじに当たった人の転落する人生の話も知り(高額当選者の80%が破産している)、お金で幸せは買えないということはデータ解析できました。
いまも低収入で暮らしていますが、とりあえずぎりぎりでも生活できれば特に問題はないと考えています。
そんな毎日の中で、ドラマは昔の熱かった情熱を彷彿とさせてくれました。
若き日を振り返って、何がエネルギーになってあんなに一途に仕事ができたのかと、自分に感嘆を覚えます。
ひとつは独身だったから、ということでしょう。
『重版出来』に、安田顕演じるクールで残酷な先輩編集者が登場します。
この人物が、ドラマを現実につなぎとめています。
夢を追う若者を蹴落とすような振る舞いもしますが、生活の基盤である組織の理論と、個人の安定を理解している大人の思考ができます。
ヒールな役回りですが、陰の正義でもあります。
組織はそうしてできているのです。
ドラマを見て涙を流すのは、見る人の共感脳に触れるからです。
仕事あるあるや人物あるある(いるいる)が共感を呼ぶと、脳内ホルモンが分泌され興奮と快楽が生まれます。
自分の体験が重なるドラマは、眠っていた反骨やルサンチマン(恨み)が活動し、感情を揺さぶります。
こうなったらいいなあというだけのドリーム系ドラマは、実体験が伴わないのでそれほど揺さぶられません(子供は別ですが)。
人間は生きる知恵を常に模索しています。
良いドラマとは、自分の生きてきた道を照らし、自分を肯定できる理由付けをしてくれるものです。
人生の坂を登り切った(それ以上登るのをやめた)大人こそ、ドラマを楽しめる存在なのかもしれない。
『重版出来』の面白さを述べようと、思いつくまま綴っていたら、こんな結論になってしまいました。
良いのだろうか?
アンナチュラル 2018年03月12日
感謝・53万アクセス 駄歌凡歌 ゴジラ 2017年08月12日
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