Nov 19, 2006
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きょう、東京からの来客を見送り、

「遠くから来てくださって、感謝しなくてはね~・・」と思わずつぶやいたわたし。

夫「そうだね、まぁ、よく来てくれたよ。」と・・


わたし「感謝の気持ちを表すとき、無意識に手を合わせるわね、

宗教を意識してというのでもなく食事のときに『いただきます』と手を合わせたり・・ね、

この手を合わすという行為はどういうことを意味してるのかしらね。」


夫「中国の書では、手を合わせることは垂直になり、指先が天を向く、天と地を結ぶ書。

つまり、書(漢字)は上から下へ書くんだよ。

日本語を横書きにするようになり、日本語文化もおかしくなってきたような気がする・・」




夫のやりとりの後、どうして感謝の気持ちを表現したり、神社、お寺、教会では、祈りのときに

[手を合わす]のか・・気になり、調べてみました。





引用すると・・

 お寺にお参りに来ると手を合わせます。

法事やお葬式の時も手を合わせますね。

仏教ではまず手を合わせる事から始まります。

右手と左手を合わせるから「合掌」といいます。

神社にお参りしても「かしわ手」といって合掌と形は少し遣いますが手を合わせます。

また仏教や神道だけでは無く、キリスト教や様々な宗教でも手を合わせるという事からスタートします。

では何故手を合わせるのでしょうか。

 右手と左手というのは同じ手でありながらそれぞれ役割があり、常に違った働きをしています。

右手が箸を持てば左手はお茶碗を持ちます。右手がペンを持てば左手は紙を押さえます。

また右手を私とすれば左手は相手となります。

仏教では右手が私なら左手が仏様、神道では右手が私なら左手が神様となります。

仏様と自分とが一つになり、神様と自分とが一つになります。

 ご飯をいただく時にもまず手を合わせますね。食事をいただく時には、

食材の命と自分の命が一つになる。

相手と自分とが一つになるというところから始まります。

ひいてはこの世に生きるもの全ては姿形は違い、様々な役割があり、違った生き方をしていますが、

決して別々のものではなく皆同じです。

皆寸分変わらぬ同じ命を持って生まれて来ています。

その同じ命が一つになるのです。

草も木も、太陽もお星さまも、神様も仏様も皆自分と一つになるのです。

そこにはなんの差別も隔たりもなく、喧嘩も、戦争もありません。

それが合掌の心なのです。

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  両手を合わせる、両手でにぎる、両手で支える、両手で受ける、両手の愛、
  両手の情、両手合わしたら喧嘩もできまい、両手に持ったらこわれもしまい、
  一切衆生を両手に抱け 

(坂村真民『両手の詩』)

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手を無意識に合わせて・・感謝の気持ちを表現する・・

世界共通の素晴らしい心の表現なのだということを再認識しました












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Last updated  Nov 19, 2006 10:09:54 PM
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