Thank You For Everything          ~100%のスマイルを求めて~

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Mar 7, 2007
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テーマ: 心の病(7263)
カテゴリ: BPD&PDD&ASDについて
私の積木くずしファイル後半戦(爆
前半戦はこちら

とりあえず簡単に整理。
・中学生まで優等生。
・高校に入り、引きこもり的生活。
・大学に入り、毎日浴びるようにお酒を飲み始める。
・就職浪人を1年して就職するが、適応できず、自殺企図を繰り返す。
・全ての財を失い、帰郷、精神科通院開始。しかし、良くなる所か悪化を辿る。
・精神科入院を機に、リハビリテーション開始。現在に至る。


自分の存在意義が感じられないので、就職する気もなく、就職活動なるものは殆どない。
地元社会福祉協議会に書類を送ったが、雪で送付が間に合わず、受験できず。
大学も卒業してまもなく4月という3月末に、精神障害の小規模作業所を受験。
持論を語りすぎて、あえなく不合格。
ボランティアを毎日のようにしながら、それでも私の身を案じたゼミの恩師が、
就職募集をしている所を紹介して下さる。それは、精神科デイケアでのPSWの仕事。
実際に実習もしてきて試験という名の面談も済ませ、
私は残念ながらPSWは持っていないものの、
PSWを働きながら取らせてもらえると言う好条件を頂き、
当時としては高給の条件まで頂き、あとは「私の返事待ち」という状態になる。
しかし、結局新しい環境で働くことに自信がなく、

お断りというか返事をせぬまま放っておいてしまった。
断る勇気がなかったし、働く勇気もなかった。

結局ボランティア先で就職することになる。
しかし、多忙極まりない毎日。
24時間365日の支援の中で、気の休まる時がなく、再びお酒に走る毎日になった。

それは悪いことであることは自覚しているものの、
それ以上にストレスが多くお酒に頼る日々になった。

そんな中で、障害保健福祉制度の抜本的な改革であった「支援費制度」が始まる。
それは、有資格者でなければ制度下の支援に入れないというものであった。
ヘルパー資格のなかった私は、介護福祉士の受験をする。
多忙極まりない状態で、私はバーンアウト状態で、簡単な仕事すらできなくなる。
お金の計算もできなくなる。
そんな状態でも、やらなければならない仕事がどんどん増える。
そしてそれに押し潰されるように、支援費制度がスタート。
さらに、介護福祉士不合格。つまり、仕事が出来ないことを意味する。
職場は私が有資格者と思っていたが、無資格でいることを言えないでいた。
というより、それまでに資格取得しようと試みていたが、
何せ、お金の計算も出来ない状態。資格なんてとれない。

仕事が出来ない状態になり、私は「存在意義」を失い、PCに遺書なるもの残して、
無断欠勤で、携帯の電源を切って、車で「死に場所」を探す。
初日はかなりの勢いがあったが、南は鹿児島まで、北は岩手まで車で走り、
死ぬ前に行きたかった場所を点々としていた。
しかし、そうこうしているうちに、死のうというエネルギーすらなくなる。
そして、お金もなくなり、帰宅。
大量服薬2度、死にきれず、変わり果てた自分の姿に救急外来へ。
当然「完全自殺マニュアル」を熟読していた訳だが。
全てを失った私は、親に電話。アパートを引き払い帰郷、そして職場に謝罪。

【全ての財を失い、帰郷、精神科通院開始。しかし、良くなる所か悪化を辿る】
全ての財を失い、実家へ強制送還。親の管理下に置かれる。
しかし、一向に仕事をしない私に対して、
親は「仕事をしろ!」だの、ハロワで仕事を探してきたりだのをしてくる。
時に夕方まで起きてこない私を叩き起こすこともあった。
しかし、全ての生気を失っている私には何もできない。
帰郷1ヵ月足らずで、既に実家を出たいと思うようになる。
まぁ、そもそも望んで帰郷したわけではない。
でも、私なりに何とかせねば、と思っていたので、
精神科クリニックに自分から通院を始める。
薬を処方され、何度か通院をする。
その中で、やっぱり家を出たいということ、そして職場もまだ必要としてくれているなどから、
再び一人暮らしで職場に戻る。転院も同然合わせてする。

しかし、無資格の私はホームヘルプに入ることができなく、
無資格でもOKだったデイサービスに配属が変わる。
それは、朝寝てるより、起きて夕方寝る方がいいという職場の方針でもあった。
初めのうちは何とか朝起きて仕事にいける。
しかし、自殺を図ってまだ半年も経っていない状態でいい支援が出来るわけもなく、
そんな自分が不甲斐なくなり、利用者さんにも迷惑だと思い始め、出勤ができなくなる。
その時に転院した精神科で「気分変調性障害、境界性人格障害、適応障害」と言われる。
そんな状況が2ヵ月程経ち、職場でも私のことが問題になり始め、退社。
そして再び実家へ帰郷。

両親も精神科に通院して服薬していることを知っているが、
鬱がどういうものかは知らず、すぐに治るものと理解して、
「怠けている」と解釈し、再び「仕事をしろ」と私に迫ってくる。
そこで、私は、とにかくヘルパー資格を取らなければ、仕事にも戻れないと思い、
まず、ゆっくりとヘルパー3級の資格を取りに行く。帰郷して半年経ってからである。
そして、その資格を持って少しずつ仕事をしようと思った。

無事資格は取れたが、制度改革でヘルパー3級では支援に入れないかも?
という噂が立ち始める。
そして、仕事以前に日常生活を送るだけで精一杯の自分のからだを何とかせねばと思った。
しかし、その際転院した精神科の担当医が、薬中心の考え方で、
何か状態が悪いとすぐに抗不安薬などと増やすなどして、
初期の頃から比べると一日の処方がかなりの量の薬になってしまった。

そんな薬漬けの毎日だが、少しずつ「意欲」は湧いてきた。
縁があってPC関連の事務的な仕事を頂いた。
締め切りのある厳しい仕事だったが、何とか周りの協力でやり遂げることができた。
しかし、4月に入り、そのPC関連の仕事をやり続けるのかどうかという「契約」の話で、
折り合いが合わず、またかなり厳しいことを言われたので、再び自分を責めるようになる。
そして、再び精神科の薬を大量服薬する。
深夜の徘徊も始まり、ついに自暴自棄を極め、
2度目の大量服薬をし、ブログを全削除し、そのまま雨の街中を徘徊。
そして前の職場に乗り込んでしまった。
ずぶ濡れのまま、いろいろと泣き叫んでいたらしい(殆ど記憶がない)。
部屋に運ばれ、目覚めると、両親が来て入院の方向に進んでいた。
そして、人生初の入院、それが精神科であった。いわゆる「任意入院」というものである。
◎そのリアリティある過去ブログ→ GARNET EYES's dialy for the past

【精神科入院を機に、リハビリテーション開始。現在に至る】
精神科の病棟というものはとても馴染めないもので、
全ての刺激がカットされ、このまま私は廃人となってしまうのでは?
と悶々と考えていた。
睡眠と食事しかないのだから仕方がない。
食事も決して満足できるものでなく、また4人部屋で夜間は看護師が見回りに来る。
あーこうやって人は全てを失っていくのね、
と学生時代にPSWのゼミにいて、精神科病棟や作業所の見学やボランティアをしていたので、
そこに自分が属していくのかと、回復のシナリオがあまりに程遠い現状に、
病院を一日も早く出たいと思った。
また精神科のボランティアがいて、入浴などの支援をしているのだが、
週に2度の入浴を何とか私に入れさせようと「説得」にくるのが鬱陶しかった。

すると、入院をしているとお金もかかるので、実家で静養していた方がいいのでは?
と両親から病院に連絡が行き、私は1週間弱で退院の運びとなった。

着の身着のまま実家へ送還される。PCもTVもない部屋。唯一ラジオと携帯があった。
この時に今までの私の経緯に対して、精神科担当医に「積木くずし」と揶揄された。
携帯でブログを再開した。
3ヶ月ほど経って、どうしても実家に馴染めない。
今度はガイドヘルパー(知的障害者過程)とヘルパー2級の資格を取ることにした。
あえて通学にすることで、家に引きこもることがないように、
また、少しずつからだを動かして社会生活を送れる様にしようと、
自分なりのリハビリテーションが始まる。
また、この時の精神科では「大量服薬経験者は診れない」と言われ、
AAなどの当事者団体に参加してみるのもどうか?とも言われた。
保健所、地域生活支援センター等々を廻るが、どれもしっくりいかない。
そして、転院を再びする。
週に2度の通学がとてもしんどかった。
でも、そこで以前から同業他社で面識のあった方と出会い、
できるところで手伝ってくれるとありがたい
との声を頂き、自分の存在意義さえ失っていた私にとってはとても嬉しかった。
それに応えたいという純粋な気持ちから、
「焦らず、急がす、ゆっくりと」
をキャッチコピーにして、
講座主催団体のスタッフの方に支えられながら、資格を何とか取れた。
さらに、介護福祉士の資格もいろんな人に支えられ、何とか合格できた。
それが1年前である。

焦る気持ちを押さえながら、単発の短いホームヘルプから始まり、
からだと相談しながら、少しずつ仕事量を増やしていった。
1年経ち、今は週末ロング2件、放課後支援3件でもやれるようにまでなった。

もう積木くずしとは言わせない。
ここまでの積み上げがとれほど長い道のりで、大変だったか。
それでも、落ち込むことはあるけれど、実際に自分を害するようなことはしない。
取り戻すことの大変さを身にしみて経験したからである。
まだまだ課題は山積しているけれど、それに向かえる自分がそこにはある。

もう大丈夫。

そう言いたい。


これでも大分オブラートに包んでいます;;





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Last updated  Mar 8, 2007 11:26:25 PM
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