インクルーシブ

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2005.08.05
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カテゴリ: autism
「ウチの施設から出て行って欲しい。」

両親に告げたのは、今から5年半前の冬のことでした。
現場経験のない事務長が施設長となり、新しい体制でやっていくために
兄に出て行って欲しいと。現状のまま兄が施設に居続けることによって
他の利用者の人権が守れらない、そう言われたのでした。
それまで「多少のことはありますが問題ありませんいよ!」と、歴代の
施設長に言われ続けていた言葉と一転、「貴方が施設長になったことで
方針が変わったとおっしゃるんですね?」という父に問いに、「はい」

行って欲しいと言い残し、羊蹄山の麓へ帰って行きました。

その以前から兄の施設とは、いくつかの確執はありました。その始まり
は、毎年恒例の家族参加の一泊旅行でした。それまで母や姉が参加し、
入浴やトイレ以外では付きっ切りで兄の側にいて問題なく参加していま
した。そろそろ旅行の時期なのに連絡が遅いなと思っていた頃に、担当
職員からようやく電話が入り、「今年は旅行に連れていきません。」と
思いもよらない話が飛び出したのでした。その理由を問うと、「社会性
がないから。」と言い放ちました。その言葉を後で聞いた家族皆、怒り
が治まりませんでした。利用者を家族に任せて職員飲み会と化していて
利用者が寝ている側で平然とテレビの有料チャンネルを観ているような
十二分に職員が楽しんでいる旅行に、家族がベッタリ兄をみているのに

したら預けている意味がないだろうと、それまで施設を信じて兄の生活
を委ねてきたことに、不信と不安を覚えたのはその頃からでした。結局
後日、職員が謝罪に訪れ、その後は日帰り旅行に変わりましたが、家族
と施設の間で出来た溝は塞がるどころかますます広がっていきました。

兄がいた施設は職員だけでなく施設長も頻繁に変わり、町の議員である

し、兄が入所当時は有資格者がほとんどだったのに、その後、授産施設
が新設されて職員の異動が納まった頃には、有資格者が1・2名しかい
ない状況が続きました。地元の再就職の斡旋で、破綻した高級リゾート
ホテルの元ホテルマンや元自衛官など、全く福祉経験のない、ましてや
兄の自閉症や知的障がいを知らない新人職員が次々と担当職員になりま
した。よく兄のお世話してくれていた作業能力の高い利用者さんは授産
施設へ移り、多動な自閉症の兄と生活するにはとても難しいと思われる、
聴覚や視覚障がいを伴った、新しい仲間と4人部屋で生活しました。
時折、両親が近くに行った際に施設を訪れてみると、兄は日中の作業に
も参加せず野放しにされ、近くに職員がいない状況が度々ありました。
そんな状況の中で兄の問題行動が激しくなっていったことは、今の僕に
は容易に推測できます。ただでさえコミュニケーションが上手出来ない
自閉症が、そんな状態の中で生活したら崩れることは明白です。他害、
自傷、弄便、放尿、多動、パニックと退所要請に来た日、その原因や
心理状況、自閉症の特性を理解しないで、まるで問題行動の塊のように
兄を語りました。それから両親は、休日ごとに全道の入所施設を回り、
兄を受け容れてくれる施設を探し始めました。その姿を見た私は、
「福祉の現状を知りたい」「兄の将来にとって、ふさわしい施設を
見つあげたい」と、福祉の道へ足を踏み入れることを決意しました。

医療事故が起きたその年の5月、兄は生活改善のため入院しました。
施設がこれ以上、今の状態では面倒を診切れないと言い出して、結局、
両親が行政を通して一時的に入院させることになりました。入院当初は
承諾の上、拘束した車イスの状態での生活が始まりましたが、2ヶ月
後には大量に投薬されてながらも問題行動を繰り広げていた、施設での
生活から一変、落ち着いた生活を取り戻し薬もかなり減量されました。
「自閉症を理解し環境さえ整えば落ち着いた生活が出来ますよ!」と
院長にお言葉を戴き数週間後に退院と言われた数日後、病院からすぐに
退院させてくれと突然連絡がありました。その理由を問うも院長は頑な
に話そうとしませんでした。兄は7月上旬、施設に戻りましたが、また
元の問題行動が多い生活に戻るには時間はかかりませんでした。そして
職員の報告を受け、一週間ごとに薬が増量・変更され、状態が悪い中、
私が入所施設に就職した8月上旬、共働きして繁盛期に休みが取れない
両親は兄を帰省させてしまい、そして事故が起こったのでした。

先の退院騒ぎで、施設側が3ヶ月以上の入院を迫り措置を解除しようと
し院長を怒らせたと、施設経験をした私はそう推測します。医療事故が
起き、母が毎日付き添っている状況で、人がいなくてなかなか来れない
と、わずか5分程度の見舞い程度で帰って行く職員達。本来なら利用者
が入院したのなら、僅かな時間でも母に代わって付き添ってくれるべき
なのではと思うのは可笑しなことだろうか?事実、私は勤めた施設では
利用者が入院した場合は交代で24時間付き添っていたし、当時、兄の
措置費が入院によって減額されていても支払わせていたはず。そう考え
ると、運良く兄を措置介助することが出来たと思っていることだろう。
それは事故が起きる前、施設が区役所の福祉課に、兄1人を施設から出
してくれれば3人入所させてやる、と話を持ち掛け担当者を激怒させて
いた事実を知れば、そう疑いたくもなるでしょう。兄の措置介助が切れ
た翌日、荷物を取りにいった姉は、「理事長、お姉さんが見えてます」
との職員の言葉に、「そう」と言っただけで顔も出さなかった理事長の
態度に、こんな施設に入れるんじゃなかった、兄に済まないことをした
と、家族は後悔しました。特に父の施設への怒りは今も収まりません。

兄が札幌に病院に転院してから、父は施設近くの病院のカルテの情報を
開示してもらいました。すると、度々怪我で通っていたり、他者に耳を
噛まれたりした、家族にも伝わっていない事実を知りました。帰省前、
「実は最近、怪我したんですよ!」とそれだけで、何処で、どのように
怪我をしたのかと問うても「よくわかりません」と平気で答えていた。
危険を予知して自分のミスで怪我をすることが少なかった兄だったのに
疑いたくはないが、手の小指を骨折したり、あざが多くなったり、職員
が虐待しなきゃ出来ないと思う怪我も多かった。本当に兄の人権が守ら
れていたのだろうか?多くの利用者の人権が守れないと兄を邪魔者扱い
したが、自閉症である兄を理解し、療育する姿勢など全く見らなかった
施設が、果たして兄がいなくなった今、利用者の人権が守られているの
だろうかと疑問に感じています。イチゴの特産地の、その町名を聞くと
悔しい思いが蘇ります。

施設のこと、薬のこと、この2つが絡み合って、兄は死に至りました。
私自身も事故直前に福祉の道に入り、家族と職員、2つ気持ちの狭間で
心揺れ動きました。あさって兄の1周忌法要を前に、本当はもう思い出
したくもない気持ちですが、風化させてはいけない事実があるから、
ここに記しました。最近の記事を読んで、気を悪くされた方もいると
思いますが、私の今の全ての気持ちを吐き出して、今後は前向きな生活
をしたいと思うので、どうかよろしくご理解ください。





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最終更新日  2005.08.05 13:40:00
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